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2015年04月29日(水)
『インヒアレント・ヴァイス』

『インヒアレント・ヴァイス』@ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1

偉大なるアメリカ、母なるアメリカ。父なるものを描いてきたポール・トーマス・アンダーソン(PTA)が母なるアメリカを撮りました。かくしてチャーミングなコメディになった。楽しく悲しいコメディ。トマス・ピンチョンの原作(邦題『LAヴァイス』。映画の邦題もこれだったが、監督の意向で公開二ヶ月前に変更。後述リンク参照)は読み逃したままです。これを機に読もうかと。

1970年。探偵稼業の主人公、今日も自宅のコテージでハッパ吸ってる。別れた恋人が現れ、依頼を持ち掛け、姿を消す。仲良くケンカしな♪ の警部補は「彼女はいっちまった」と言う。背後に控えるは巨大な組織、事件は事件を呼び、依頼人は引きも切らない。次々と明らかになるLAの闇、ハッパとヤクで朦朧とし続ける主人公の頭。果たして事件は解決し、恋人は主人公のもとに戻るのか?

風景は横長(『CIPHER』)、橋の下にはヤクの売人(RHCP「Under The Bridge」)。これが自分のLAの刷り込み。新たに脳に刻まれるのはPTAのLA、まさしく横長の風景が横長の画面に現れる。あんなにビーチも、沈みゆく夕陽も美しいのに、その土地には隠された屍が累々。ベトナム戦争へこどもたちを送り込む母なるアメリカ。ヤク中の神アメリカ。ヤクを無駄にしたらもったいないおばけが出るので平らげないと。ハッピーなヒッピーたちには内在する欠陥(インヒアレント・ヴァイス)のがあるため保険が掛けられない。天使が棲む街だもの、LAはきっと祝福されてる。

何せ主人公ドックはハッパとヤクに支配されているので、どこ迄が現実でどこからが幻覚か判らない。それは映画のマジックでもある。映像で見せられる世界は、観客にとってリアルになる。元恋人シャスタについても、現実と幻覚の境目が判らない。警部補ビッグフットとドックのやりとり「彼女はいっちまった」「どういうことかハッキリ言ってくれ」「だからいっちまったんんだ」には幾通りの解釈が出来る。彼女が死んでいたとしたら当然よりも戻せない、それをドックは薄々気付いているが、ハッパでぼやけた彼の頭は確信に辿り着かないようにしている。生きていたとしたら、彼女の服装の違いも雨中のマリファナ探しも美しい思い出で、ひょっとしたらよりも戻せるかも知れない。そんな茫洋とした風景、茫洋とした意識が彷徨うここはLA。

149分、全く長いと感じなかったなー。フワフワとしたドックとともにどうしよー、なんでー、どうなるー、いやいやひとやすみしようぜ、と言った感じで時間を過ごした。悲劇の予感が起こる度、それはのんびりとしたシーンで落ち着かされる。ま、いっか。と終始ゴキゲン、えびす顔で観る。それでもだんだん悲しくなってくる。映画が終わりに近付くのが寂しくなる。終盤ドックが流す涙にはええっそれで泣く?! てのとああ泣くよねそりゃ、ってのがないまぜ。せつない。ドックを演じるホアキン・フェニックスの瞳をじっと見る。あの不思議な色。それを言うならドックの顧問弁護士ソンチョ役、ベニシオ・デル・トロもそう。ふたりが相談するシーンは、ひたすらふたりの瞳に反射する光を見る。眼福。そうそう、光が印象的だったな。死人とされていた人物が生きることを取り返して家に帰る場面の夕陽、ラストシーンでドックの目にあたる、フレームで切り取られたかのような光。エンドロールのネオン管フォントもキュート。

あと日本での鑑賞ならではの魅力、字幕。出す位置もデザイン的で、ビッグフット登場のシーンで出た字幕(「ジョン・ウェインっぽい歩き方。フリントストーンの髪型」からの〜「ヒッピー嫌いの狂犬の登場ってわけ」)にはシビれた! 意訳もいい味、「ナメナメスペシャル」とか「なんでクリクリしてるの」とか最高じゃないの。本編最後に映倫マークがドンと出るところも、何の冗談かって感じでいい。そしてビッグフットの「モット!パネケーク!」ね! 坂本九の「SUKIYAKI」ね! あとジャポニカのジャポニカの面構えがチョーよかった! アメリカの闇を体現する子がジャポニカて!(泣)

それにしてもジョアンナ・ニューサムがめっちゃ重要な役で出てて驚いたよ…彼女が演じたソルティレージュは、原作からかなり膨らませたキャラクターだそう。彼女だけが神の視点、PTAの新たなミューズとなるか? そしてあれがホンモノと言うなら、カメオ出演のピンチョンも見れた…もはや着ぐるみぽいが。ジョニー・グリーンウッドのサントラもよかった。あ〜ジョニーだあ〜ってギターアルペジオがあったなあ。レディオヘッドのお蔵入り曲「Spooks」も聴けてラッキー(しかもそれex. Supergrassのギャズとダニーが参加してた。後述リンク参照)。

ペーパーバック仕様のパンフレットも素敵。1970年代のパルプフィクション。

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・P・T・Aの意向で急きょ邦題変更!「インヒアレント・ヴァイス」サイケなポスター公開 : 映画ニュース

・ピンチョン氏カメオ出演!? 「CAN」の名曲に乗せた「インヒアレント・ヴァイス」本編映像 : 映画ニュース

・Joanna Newsom's "Earth Goddess" Character Will Narrate Paul Thomas Anderson's Inherent Vice | News | Pitchfork

・Radiohead's Jonny Greenwood hires Supergrass to cover Inherent Vice track | Music | The Guardian

・トマス・ピンチョン|新潮社
おまけ。2010年にリニューアルされた新潮社版トマス・ピンチョンシリーズの装丁すごく好きなんだよー。いちばん好きな『スロー・ラーナー』は再購入。でも訳は慣れ親しんだこともあってか旧版(志村正雄)のが好き、「低地」とか

(20150507追記)
・INTERVIEW|『インヒアレント・ヴァイス』ポール・トーマス・アンダーソン監督 独占インタビュー | Web Magazine OPENERS
ジョアンナを起用した理由について書いてあったー



2015年04月19日(日)
平成中村座『陽春大歌舞伎』

『陽春大歌舞伎 〜十八世中村勘三郎を偲んで〜』昼の部@平成中村座

最後に勘三郎さんを観たのは三年前の平成中村座だった。スカリツリーの借景、桜吹雪、蜘蛛の糸。あの光景は、冥土の土産のひとつだな。そして舞台は続き、芸は継承される。平成中村座が浅草に帰ってきました。浅草寺境内に作られた芝居小屋は、街そのものも音響装置。裏手からは花やしきではしゃぐこどもたちの声、上空からはヘリコプターの音。これもご愛敬。

『双蝶々曲輪日記 角力場』、歌舞伎十八番の内『勧進帳 長唄囃子連中』、新皿屋敷月雨暈『魚屋宗五郎』。勧進帳以外は初見。

『双蝶々曲輪日記 角力場』、初っ端出てきたのが吾妻役の新悟さんだったもんでもうテンションあがりましたよね…拍手拍手。柳のような立ち姿、よく通る芯のある声。そして彌十郎さんの濡髪がもー、もー、登場からしてもーーー(白目)。また演出が粋で。引き戸がパァン! と開いたら胸から下しか見えなくて。登場迄さんざ話題にされた濡髪登場! と瞬間の周知。場内どよめいたよね……歌舞伎界一の長身=ご本人曰く世界最長身の歌舞伎役者、ハマリ役もいいとこですがな。衣裳もたっぷり、大きく重そう。それはもう堂々とした力士っぷりです、ゴージャス! 椅子の上に黒子がさっと台を入れる。この効果で座る姿もまたまた大きい。見惚れる…目が潰れる……潰れたら見られなくなるのであかん、あかんわ。なんかもーガン見しましたよね、おおうおおう(感動のあまり泣いてる)。

獅童さんは二役を愛嬌たっぷりに演じる。てか獅童さんもそんなちいさいひとじゃないのになんか遠近感が狂うよ! 姿勢や仕草で体格の差を強調する、この辺りも巧いなあ。コミカルなやりとり、茶碗を割る場面もウケるウケる。それが一転、取組の謎が明かされてにらみあい。ビシリとキマる。なんかもー胸いっぱいですよ! 直後のお弁当時間もポワーてなってましたよ(と言いつつしっかりおいしくいただきました)!

『勧進帳 長唄囃子連中』、橋之助さんの弁慶を観るのは初めて。義経たちを無事通し、酒宴から花道へ。さていよいよ飛び六法、と見栄を切るとき、橋之助さんの息はかなり上がっていました。肩が上下し、はあ、はあ、と言う息遣いも聴こえる。このへん玄人から見ると粋じゃないのかも知れませんが、個人的にはかなり心揺さぶられました。席が花道に近い位置だったこと、その花道は芝居小屋ならではの低さで、仰ぎ見ることなく役者と向かい合えたこともあると思いますが、役者の迫力が肌で感じられるものだったのです。必死の形相にも映るその姿は、無事義経たちを逃がすことが出来た安堵、承知の上で酒宴を設け時間を稼いでくれた富樫への感謝、続く道行への悲壮……それらがないまぜになっている。息を呑むように場内が静まり返る、続いて万雷の拍手。いや、これは惚れた。橋之助さんの弁慶また観たい。

国生、宗生、鶴松演じる血気盛んな山伏勢も清々しい。それをたしなめる亀蔵さんがまた素敵。キリリとした勘九郎さんの富樫、しん、とした空気を纏う七之助さんの義経にも終始釘付け。

『魚屋宗五郎』。先月NHKの追悼番組で、三津五郎さん演じる宗五郎を観て臨みました。

個人的には酒絡みの話ってあまり得意ではなく「呑んでたからって許されると思うなよ」と思うたちなんですが(根拠あり)、このお話は展開がよい方に転がるので笑い泣きの風情で観た。宗五郎の女房おはまが酔漢の扱いに慣れているような描写もよくてね。またこのおはまを演じた七之助さんの口跡がよい。姫役の美しさも素晴らしいけど、こういう世話物おばやんを演じる七之助さん好きなんですよ。そして宗五郎を演じた勘九郎さんの色っぽいこと。表情、声色、仕草、上気していく肌の色。喉をくいくい鳴らして呑むさまがまー愛らしい。いやはやこれには参った、近くには絶対いてほしくない酒乱だが、舞台で見る分にはその色気を堪能出来ますね。彌十郎さんは今回お素敵な役ばかり、たおやかで品のある家老浦戸でございました。登場したとき客席が「あ、さっきの(濡髪)」って空気になったところも楽しかったな、小さな息と言うか声があちこちからほわっと浮かんで。

そんなに広くはないひとつ部屋にいて喋っているのに気付かない、酒を注ぎ足して呑んでいるのに気付かない。そんなお芝居の「お約束」も楽しい。おはまの「あれ、呑んじゃってるよぉ!」と言う声が耳に残るなあ。見てない気付いてない、の亀蔵さんの背中をニヤニヤして見る。

それにしてもお蔦、おこま(ねこ)を探しに行かなければねえ…(涙)。

帰りは合羽橋迄足を伸ばしてコロッケサンドのサンプルキーホルダー買ったー。かわいいーそっくりー。有意義な日曜日。小山三さん、会えなくて寂しい。彌十郎さんのブログによると、楽屋は用意されていたそうです。

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・「平成中村座 陽春大歌舞伎」初日の賑わい | 歌舞伎美人(かぶきびと)
隠れ勘三郎は九人見付けました。帰宅後筋書内にも発見、計十人。あと八人もいるのか……

・「平成中村座」復活へ 目玉は“隠れ勘三郎”!?|東スポWeb
勘九郎「劇場のどこかに隠れ勘三郎を作りましょうか! 隠れミッキーじゃないけれども、(勘三郎さんは)ミッキー好きだったんでね」
そういうことだったのね〜ミッキーか(笑)

・【ネタバレ注意】「隠れ勘三郎」平成中村座 十八代目の目は何処 | タケノワノブログ
と言う訳でネタバレブログ拝見、有難うございます。それでもあと三人…どこだったのおお
(20150423追記:その後コンプリートされてました!)

・そうそう、お茶子さんたちの変わらぬ仕事っぷりはホント素晴らしかったな

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おまけ。

弁慶(山伏のね)の衣裳についてるフワフワかわいいな〜さわってみたいな〜と思ってるうちに、あれってそもそも何なんだろうと思い調べてみましたよ。

・山伏装束|駒場瀧不動尊 愛敬院
「結袈裟(ゆいげさ):修験道専用のお袈裟で九条袈裟という袈裟を折りたたんだもの。六つのフサは六波羅蜜を表す」
そうかフワフワじゃなくてフサって言えばいいのね……

・結袈裟についてる菊綴じ、でしょうか。首からかけてるのが結袈裟というものらしいです。
たけぞーさんに教えて頂きました。有難うございます!

・一寸海溝日記(ver.4-) 袈裟の変遷(後編)中世日本
「球状の総(梵天)がついた梵天袈裟。梵天は菊綴の変化」
成程フワフワは梵天と言うのだな

・六波羅蜜とは - 六波羅蜜寺
で、そのフワフワ(梵天)が表している六波羅蜜とは、悟りの境地に至るための六つの修行(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)のことと

そんな深い意味が……勉強になりました………



2015年04月18日(土)
『正しい教室』

『正しい教室』@PARCO劇場

苦々しいんだけど何故か最後はほっとする。蓬莱竜太のこういうとこ、厳しくて優しいとこ。2006年に上演された三田村組『仰げば尊くなし』の改定版。

地方都市の同窓会。それぞれ事情を抱えてる。招かざる客の訪問に、現在と過去に起こったある事件がリンクする。どこ迄が躾なのか、どこ迄が教育なのか。幼い頃受けた傷はどこ迄が「あなたのせい」なのか?

起こったことはある意味、運によるものでもある。事故か事件か、謝罪か謝礼か。年齢を重ねると分かってくることは多いが、ではその分別の手はどこ迄伸ばしてもいいのか。「あなたのせい」にし続けているのは、自分の弱さではないのか。それぞれがそれぞれの事情を知らないからこそ言ってしまったことは罪なき言葉になるのだろうか? 反面教師と言う言葉はどうにでも扱える。それを用いてますます自分を律するか、ますます堕落するか。無傷でいられるひとはいない。思い当たる節は誰にでもある。

子供の狡猾さ、残酷さに対して大人はどう対処すればよいか。そこに教育がある。しかしそれすらも、ほんの少しの「ズレ」で、とりかえしのつかないことになる。言い放たれた「ズレてんだよ、生き方も、ヅラも!」と言う言葉に該当しない人物はいないのではないだろうか? ヅラはともかく。

鬱屈を抱えていても抜きどころを知っている“番長”、受容と寛容の“ガリ勉”。端から見るといじめなのではと思えるそれを全く意に介していなかった“アパッチ”。彼らの置きどころが蓬莱さんのカラーに感じた。演じる高橋努と岩瀬亮、有川マコトのテンポ良いやりとりが楽しい。深刻を軽妙に転換して生きて行く彼らの姿は、“委員長”と“マドンナ”をより悲しく見せてしまう。「誰かのせい」には出来ない部分を、ひとは必ず持っていると言うことが露になってしまうからだ。

そしてどちらにも振れず、事情を知らない人物から「自分ひとりで気ままに生きている」と思われてしまう“ケムコ=猫娘”にいちばん心が寄ってしまう。彼女がいちばん危ういように思う。彼女の無事を祈るような気持ちになる。そして近藤正臣演じる元教師。憎むべき人物なのだが、その人物だけが最終的に自分のしたことの非を認める。そこにちょっとした安堵がある。

冒頭に書いたように、不思議と後味は悪くない。それぞれの事情を抱えていても、とりかえしのつかないことが起こっていても、人生は続いていくし、心を少しでも軽くする修復方法があることをひとはどこかで知っている、と思えるからだ。それはほんの少しの時間気晴らしをすると言うことだ。気晴らしをする、その時間だけ問題を忘れられる。登場人物たちがハマっているパチンコやネズミ講もその一種だが、それは自分がこうして舞台を観に出掛けていることとさほど違いはないように思う。気晴らしにお金が絡むこと、他人を巻き込むこと、と言うことについて考える。そして、教育を仕事にすることの連鎖についても考える。全ての教師はかつての生徒なのだ。

砂羽さんと小島さんの声ほんと好き。音量に関係なく声に張りがあり、ささやき声でも遠くに届く。

思えば近藤正臣初めて舞台で観た。役柄はヨボヨボなんだけどカーテンコールではシュっとしてて仕草ひとつひとつが格好よい。終演後マリス師に「足でピアノ弾いてたひとだもの」と言われてはああっとなる(笑)。



2015年04月16日(木)
『追憶のアリラン』

劇団チョコレートケーキ『追憶のアリラン』@東京芸術劇場 シアターイースト

数年前から評判が伝わり出していたこの劇団、気になりつつも機会を逃しまくっていた。芸劇初進出(場所的に平日仕事後でも行ける)、しかも今回取り上げる題材は日本と朝鮮の現代史。これは何としても行かねば、とチケット確保。ようやくお初です。

平壌で検事局に勤める日本人の主人公。太平洋戦争が終わり、彼は朝鮮人民委員会により朝鮮人を不当に逮捕、拷問し死に至らしめた罪を問われる。検事である彼の同僚たち、指導的立場の憲兵隊長、そして家族の辿った戦後が、主人公の回想という形で語られる。自宅でくつろぎながら朝鮮動乱停戦の報をラジオで聞いている主人公とその妻、と言う場面が幕開け。会話の内容から、彼らはかつて平壌に暮らしていたことが判る。無事帰国し、平穏な暮らしが戻ってきているのだと安堵しつつも、彼らの痛みに満ちた帰郷の途を、息をひそめて見守る。

真実の在処を探す旅は終わることがない。下された判決は、人民裁判を指導するソ連軍による極めて機械的なもの。有罪と無罪の境目を具体的に示すものは何もない。戦後の混乱期にあって法はなんと脆いものかと思い、同時に法規の意義を思う。何故あのシーンで『ああ無情』が選ばれたのか。法、信仰と言う側面から考えることも多い。法は主人公を裁き、信仰は主人公の妻に寄り添う。事務次官は法と信仰と言う視点から、この日本人夫婦と交流する。

歴史的背景を巧みに織り込んだ脚本(古川健)。この時代となると陰惨な暴力描写がいくらでも使えるところ、徹底して言葉に拘った論争でストーリーをぐいぐい引っ張る。緊張感が沸点に達したところにポンと置かれる軽やかな台詞、緩急も巧い。専門用語や日韓両国の発音を用いた膨大な台詞量(余談だが「君(主人公)と朴は〜」って台詞、最初「君と僕」って聞き間違えた…朴を日本語読み+呼び捨てにする憲兵の台詞だったから)を演者は達者に乗りこなす。主人公を演じた佐藤誓さん、面目躍如。明晰な言葉、力のある発声。逡巡と後悔と、抱えていく罪を全身で見せる。無機質な階段を主体とした美術(鎌田朋子)、単色を効果的なところで鋭く使う照明(朝日一真)ともに硬派でスタイリッシュ。

一年前から韓国映画を観る機会がグッと増えている。映画を観ることで初めて知った韓国の習慣や文化が沢山ある。「ごはん食べた?」が挨拶代わりなのは何故なのか、お祝いに米花輪や練炭花輪が贈られるのは何故なのか。クリスチャンが多いのは何故なのか。それらには歴史が深く関わっている。今回の作品にも、キリスト教と飢饉についての言及があった。しかしそれらと日本との関わりは、初めて知ることだった。

以前何度か書いたが自分の故郷は宮崎で、土地柄か韓国の学校との交流会があったり、食べ物や食器、衣類等に朝鮮の名残あるものが普通にあった。同級生にも在日コリアンが多くいた。今作のタイトルにもなっている「アリラン」も学校で習った。金大中は「きん・だいちゅう」、全斗煥は「ぜん・とかん」の日本語読みで報道されていた。YMO「SEOUL MUSIC/京城音楽」の歌詞は、今でも空で思い出せる。それでも、この歳になって知ることが沢山ある。意識することすらない程近くに韓国があったからでもあるし、そのルーツを知ろうとしなかったからでもある。今作の四席検事の言葉から、同級生のことを思い出した。

積極的に知ろうとし、発信している新世代を実感する。翻って自分たち世代のことも考える。そして個人として、どうしていくかを考える。

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・劇団チョコレートケーキ「追憶のアリラン」困難な歴史に切り込んだ勇気に共感:日本経済新聞
確かにこのホン、さまざまな劇場、プロダクションで観てみたいと思った。
日経の劇評は読み応えがあるものが多いなあ…と思って署名を見たら、またもや内田洋一さんだった

・『ああ無情』=レミゼ、よしおちゃん、とくるとひとり連想されるひとがいますね…深刻なシーンなのにここはちょっと顔が緩んでしまったよよよ

・Seoul Music - Seoul Music
「SEOUL MUSIC/京城音楽」の歌詞を確認しようと検索していて見付けたページ。韓国の80年代について、歌詞から解説しています



2015年04月12日(日)
『リチャード二世』

さいたまネクスト・シアター『リチャード二世』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター

だはー、ネクスト一期生の底力見たり。群雄割拠のこの集団、やはり面白い。

ネクストの流れとしては内田健司を主演に据えた『2014年・蒼白の少年少女たちによる「カリギュラ」』に連なるものですが、今作は『彩の国シェイクスピア・シリーズ』にカウントされている。ゴールドシアターからのメンバーも多数参加し、合同公演と言っていい態。まずこのフックにまんまとひっかりました。ひっかかったと言うのはちょっと言葉が悪いか…騙されたと言うか。一緒か(笑)。しかしこの「やられたー!」感は胸のすく思いでもあったのです。じじばばが全員ゴールドのメンバーだと思うなよ〜。以下ネタバレあります。

和正装の集団が遠い暗闇からゆっくりと近付いてくる。未来ある若者と、人生を味わい尽くした老人の逢瀬。老人たちは揃って車椅子に乗り、若者たちはそれを押したり、寄り添ったり。和やかな笑い声が湧き上がる。祝宴のようにも、葬儀のあとのようにも見える。一転、引き抜きの手法を用いた衣装替え。瞬時にして洋正装(男女ともにタキシード。ゴールドの面々は和装のまま)になった彼らはタンゴを踊る。ザッ! と言うステップの音、バッ! と言う衣装の翻り。男女のペアもいれば、男性同士のペアもいる。やがて左右に整列し舞台奥へ注目する。電動車椅子に乗ったリチャード二世が暗闇からゆっくりと現れる。

このオープニングが観たいのだ。予想のつかないヴィジュアルを、期待していた演出で。インサイド・シアターの構造を活かしたこの幕開けにはもはや愛着すらあって、自分はこの光景を目撃することに憑かれているとすら言っていい。

芝居が進む。権力者が入れ替わる。それはタンゴで表現される。権力を持つ者が衣服を剥く側、ダンスをリードする側だ。往々にしてそれは男性同士。リチャード二世の退廃と浪費と、権力を得るために身を堕としやがては反逆に起つ貴族たち。両者の関係が妖しい美で表現される。印象深かったのはやはり男性たちの美しさで、蜷川演出の嗜好が端的に表れていた。好みは分かれるだろうが、観客への目配せや媚がない(と言い切る)演出家個人の理想とする世界が舞台に載っていることが個人的には好ましい。エロスを表現する手法においてストイックさすら感じる。

ダンスと身体のバランスは、鈴木彰紀と竪山隼太のペアが特に映えていた。鈴木さんがダンサー出身だからでもあるだろう。そして内田さん演じるリチャード二世と隼太さん演じるボリングブルック(のちのヘンリー四世)のペア。顔立ちが似ている訳ではないのに、鏡を介して立っているように感じる場面が何度もあった。内田さんの身体はやはり異様さの表現にはうってつけ。あれだけ細いのに筋肉はついているので、腹筋の溝が見たことのないような刻み方をしている。動きも人間から連想するそれとは程遠い。異物が王座に就いてしまった、と言ったような人物像。そんな姿なので、権力も財力ももぎとられることは必然だと感じさせる。

権力争いに右往左往する男性たち。窮状にあって「宥め」の様子が笑いすら誘う女性たち(20150415追記:戯曲によるとイザベラの年齢設定は9歳。侍女たちはこどもをあやすように彼女に接していた)。興味深かったのは後半、ヨーク公とその夫人が息子の情状酌量に関して争う場面。昭和のじじいのように恫喝に頼る夫、鋼のような強さで立ち向かう妻。その剣幕に気圧されたかのように「許す」と言ってしまうボリングブルック。客席が湧く。まるで夫婦喧嘩、そこへ仲裁に入る近所の住人のような楽しい場面になった。夫の車椅子をやれやれと言った風に押して退場する妻の姿には、力関係の逆転すら見える。非常にモダンな演出。他のシーンでも、女性たちはひたすらタフだった。

さて、冒頭に書いたネクスト一期生の底力及びフックについて。このヨーク公爵エドマンド・ラングレーは老人だ。車椅子に乗ってはいるが、口角泡を飛ばし部下を罵倒する豪傑でもある。あれっと思った。ゴールドシアターに、こんなに声量豊かで滑舌よく、瞬発力のある役者がいただろうか……? 随分経ってからハッとした。このじいさん、松田慎也だ。

いやーやられた、気付いた瞬間声をあげそうになった。こうやって勘所を押さえるか! 体格の良さは車椅子に座ることで隠す、老人の動作は筋力を用いた動きの抑制で表現する。見事に“老い”に化けている。それでいて、ボリングブルックに付き従う姿には弁慶のような威厳も漂う(扮装からして意識的だったと思う)。義経のボリングブルック、弁慶のヨーク公……ハル皇太子(のちのヘンリー五世)とフォルスタッフの姿を見るようで、漲った一瞬。

手打隆盛、小久保寿人の化けっぷりにも瞠目。殺陣(栗原直樹! このひとの擬闘ホント格好いい)の迫力には鍛錬の度合いが滲み出る。そして前述の隼太さん、満を持してと言ってもいいのではないか。大役を遂に掴んだ。下剋上上等の集団にあって、古株が頭角を表す瞬間を目撃出来たこの興奮。増してやそれが鮮烈な演技。

幕切れは幕開けと対になる。先王の弔の場は、そう時を空けず宴へと変わる。談笑し、タンゴを踊る。七十人弱の登場人物たちのなかに、ボリングブルックの姿を探す。そっと彼のもとにスポットがあたる。広い世界、たったひとりにあたるスポットライトは、長い時間においては一瞬でしかない。それもまた暗闇に溶けていく。

そう考えるとこの作品は、バックステージものとしても観ることが出来る。王座(役)を得るため、熾烈を極める集団内競争。それを経て舞台に立つ役者。次の座を虎視眈々と狙う後続の視線を感じ乍ら、ボリングブルックはタンゴを舞う。

『彩の国シェイクスピア・シリーズ』、残るはあと七本だそうだ。

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・配役について(2/12現在)
・さいたまネクスト・シアターのリチャード二世配役表。(2/12現在)
イザベラはトリプルキャストのようだ。自分が観た日は長内映里香さんだった。しかし松田さんがボリングブルックのヴァージョンもあったのか! それも観てみたかったな。あと女方が演じた役もあったよね? イザベラではなくて、オープニングで松田さんばりに長身の女性がいるなあと思ってよく見たら男優さんだったと言う……パンフレットによると、稽古では女優が男性を演じるケースもあったそう

・蜷川幸雄はなぜ俳優を脱がせるのか。「リチャード二世」主演、新鋭・内田健司に聞く1 - エキレビ!
・蜷川幸雄との出会いが人生を変えた。内田健司に聞く2 - エキレビ!
フラジャイルな青年像を体現する役者は、蜷川カンパニーに代々いる。所謂ガタイのよい松田さんあたりを脱がさないところにも、具体的なヴィジョンがあるからだろう。松田さんに代表される青年像もカンパニーには代々いて、松重さんもその血脈ですね



2015年04月11日(土)
『ヒダリメノヒダ』

マームとジプシー『ヒダリメノヒダ』@KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

入場するといい匂い。藤田さんたちが舞台中央で何かを切ったり炒めたり煮込んだり、要は食事をつくっている。客席は対面式、開演迄の時間、それなりの距離はあるものの、マームとジプシークッキングを向かい合って見る観客と言う図式がなんだか面白い。そしておなかが空く(笑)。他の日を観たひとの感想を読むと、メニューは毎回同じではなかったようだ。

給食、調理実習、家族の団欒としての夕食、泊まりに行ったおともだちの家で食べる夕食。学校と言うコミュニティ、町内のコミュニティ。地元を出て行くと言うこと、残ると言うこと。生きるひと、死ぬひと。眼球の解剖、眼底に染み渡る目薬の感触、殴打の音、転倒の音。身体を擦り減らしたその先に見えて来るもの。藤田さんのパーソナルな経験や記憶によって構成されたストーリーは、舞台に立つ演者たちと言葉と身体表現の反復によってまた新たな物語になり、観客それぞれのパーソナルな記憶を呼び起こす。それは体験した感覚を思い出すことでもあり、体験したことがないのに思い起こされる感覚でもある。

個人的には故郷を出て行くこと、左目になんらかの曰くがあると言うところがポイントだった。どうでもいい話をすると私の小学生時代の渾名は新沼(謙治)です。世代がわかるねー! ちょっと前だとまりん(ex. 電気グルーヴ)、今だと富澤(サンドウィッチマン)でしょうか。90年代中頃になるとトム・ヨークと言うアイコンが出てきて「あら、この目を持つことって格好いいんじゃない?」なんて思えたりもして(笑)。

観た日のゲストはピアニストのKan Sanoさん。演奏だけでなく、出演者と、先生と生徒としての会話を交わす場面もある。他の日のゲストたちの名前も台詞には出てくる。ときどきピアノを教えに来るSano先生は生徒からの憧れの的。格好いいね〜。劇中幾度も演奏され唄われたのはエルトン・ジョンの「Goodbye Yellow Brick Road」。数日前『オズの魔法使い』に主演したジュディ・ガーランドの一生について調べていたところだったので、楽曲のよさとともに胸がつまった。少女にとっての未来、その行く先にあるものは光であってほしい。それが影を置いていくことでも。彼女はここを似合わないと思っている。『コルバトントリ、』に出てきた「似合わない」を思い出す。生きていることが似合うひとって誰だろう? そのひとはどこにいるのだろう? それを探すことが旅なのかなと思った。旅は死ぬ迄続くのだろう。



2015年04月09日(木)
『甘い人生』『建築学概論』

昨日に引き続きシネマート六本木。入り浸りで『悪魔を見た』も観たかったんだけど、体力(肩凝り)的に二本が限界でございました。せっかくなので? おひるごはんは六本木ヒルズの韓美膳でチーズスンドゥブ定食を食べましたよ。ウマー。

人生なが〜い、そしてみじか〜いとしみじみした二本。

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『甘い人生』@シネマート六本木 スクリーン2

シネマート六本木クロージング企画、『韓流祭』の「イ・ビョンホン祭FINAL」。ビョンホンさんの仕事を初めてちゃんと観ました…と言うのもこれ、ファン・ジョンミンが出演してるんですよ。この作品で注目され、同年の『ユア・マイ・サンシャイン』で実力派の地位を確固たるものにしたようです。

原題は『달콤한 인생(甘い人生)』、英題は『A Bittersweet Life』。本国でも日本でも2005年に公開(昨日観た『母なる証明』もだけど、同年に公開されてるところが韓流四天王たる所以ですね。この日も、平日午前中+過去作品であるにも関わらず超盛況でした)、監督はキム・ジウン。

ボスが上海に出張に行ってる間になんかある…と言うところに『新しき世界』を思い出してしまったり、ジョンミンさんがフィリピン絡みの仕事をしているってところにニヤニヤしてしまったり。いやね、ジョンミンさん、子供のときの渾名が「フィリピン」だったそうなんです(顔立ち参照。それにしてもこの渾名付けたひといろんな意味ですごいセンスだ)。『傷だらけのふたり』では「赤い顔の猿」って言われてたし(……)当て書きかと言う。しかし観ている限りの印象ですが、韓国では映画と映画スターが深く社会に溶け込んでいることをとても強く感じます。ジョンミンさんに限らず、その作品に出ている役者の他の出演作の小ネタが織り込まれていたり、役者本人に関するプライベートなエピソードが反映されていたりする。「国民的俳優」「韓国の母」「韓国の妹」と言ったキャッチフレーズもよく目にしますし、それだけ映画と言う娯楽が生活に根付いているのだろうな。ビョンホンさんのことはまだ詳しくは知らないのですが、今作にもそう言った仕掛けがあったのではと思います。

閑話休題。ボスが留守の合間に愛人の監視を命じられた裏稼業の主人公。序盤は主人公の堅実で真面目な仕事振り、ボスからの信頼も厚い様子が描かれます。ところがあることをきっかけに、彼の人生はみるみるうちに怒涛の展開を見せていきます。

せつないのは主人公がボスの愛人に抱いた気持ちについて、自分でもよく解っていないところ。ひたすら仕事に励んでいた彼は、恋愛に関してとても純真だったのかもしれません。いや、恋をすると言うこと自体を知らなかったのかもしれない。ラストシーンにほろ苦さが残ります。

まーそれにしても、バイオレンス描写の容赦なさっぷり。血みどろですがな。この回男性客の姿は見掛けなかったのですが、まぁ、とかはぁ、と声を漏らしつつも、きゃあ残酷! 怖いわ! となってる観客は殆どいなかったように感じた……皆さんタフ。まあ十年前の作品で、今回が初見と言うひとも多くはないだろうし、それをわざわざ観に来るくらいなので免疫があるのでしょう。それに何より、そのバイオレンスシーンを演じるビョンホンさんが格好いいんですよ。流麗にキマるアクションは眼福ものですし、血まみれの姿には被虐美すら感じる程。部屋で眠れぬ夜を過ごす彼の瞳は仔犬のよう。スーツ姿でケーキを丁寧に食べたり、エスプレッソに砂糖を入れたりと、タイトルに目配せしつつ主役のチャームを見せるところにはアイドル映画の要素を感じました。アイドル映画と言うのは、優れたエンタテイメントでもありますよね。

さてジョンミンさんは狂犬キャラで非常に楽しく観ましたよっと。『殺し屋1』の垣原みたいな口裂け傷がチャームポイント☆ 卑怯っぷりも死にっぷりバカッぷりも堪能致しました。いやんバカン。

『母なる証明』から二日連続で観たチン・グはなかなか印象に残る役で出ていました。あの子あのあとどうなったんだろうなあ……。そしてダルスのおっちゃんことオ・ダルスがチョーおいしい役で出てた。チョーかわいかった。

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『建築学概論』@シネマート六本木 スクリーン1

同じく『韓流祭』、「オム・テウン祭FINAL」。チョ・ジョンソク(『観相師』『王の涙』出演)のスクリーンデビュー作だと言うので。

原題は『건축학개론(建築学概論)』(サブタイトル「Architecture 101 where our love begins」)、英題は『Architecture 101』。2012年作品、日本公開は2013年。監督はイ・ヨンジュ。

1990年代。大学で出会い、お互いの気持ちを伝えきれないまま苦い別れ方をしたふたり。十五年後、建築士となった彼の前に彼女はクライアントとして現れる。どんな家に住みたいのか? 顧客の理想とする家を建てるため、彼は彼女の気持ちを確かめていく。それはふたりの過去の記憶を呼び覚ます――。

90年代と現在のふたりを、別々の役者が演じる。十五年と言う期間なら、ひとりの役者で演じることも出来なくはない。しかし違う役者が演じることで、「忘れていた」過去の記憶はまるで初めて起こることのようであり、初めて見聞きするように感じる。そんな錯覚に陥るのは現在の登場人物だけでなく、観ているこちらも、なのだ。そんな大人になってしまった、初恋のひとの顔と名前を忘れる程になってしまった――確かに社会に出てからの十数年と言うのは、日々をこなすことに忙殺されているうちに気付けば過ぎている年月として絶妙な期間だ。

それを痛い程実感出来るのは、制作側が想定したであろう観客世代にどストライクだからです。ディスクマンにヘアムース、あのファッション……キエーーー(記憶の扉をいろいろと開かれたらしい)いたたまれない!!!「レコードプレイヤーしかなくて借りたCDが聴けない」と言うエピソードは、ちょっと後の世代だと「ビデオデッキしかなくてDVDが観られない」、今だともう「配信されてるからダウンロード先教えるね」って感じでしょうか。貸したものが返って来ないと言うせつなさはない。しかし若い世代の観客には、それに替わる現代のせつなさがある筈。彼らは彼らにしか感じ得ない気持ちを以って、恋人未満のふたりをやきもきし乍ら観るのでしょうね。重要なモチーフにもなっている当時のヒット曲「記憶の習作」も非常に心に響くものでした。本国の観客は特別な思いを持って聴いたのでしょう。

ここでふと思い出す、先日観た初恋もの『傷だらけのふたり』との共通点を見出しつつも、今作に苛立ちが起こらなかったのは何故か。それは女性側にも新しい道が開けていたからなのだろうな。そういうところは非常に現代的であったと言えます。「家を建てる」と言う行為に、登場人物それぞれの人生、重ねて来た時間を重ねられる。新しい家での生活が始まる。映画が終わったあとも、彼らの人生は続くのだ。それは十五年なんてものではない、まだまだ長い時間。抑えた演出で繊細に描かれた、人生のドラマとしても心に残る作品でした。これはかなり好き。

あ、あと韓国映画はバイオレンスものばっかり観てるので、素敵な女優さんが素敵な衣裳をとっかえひっかえ着てる様子をめっちゃ楽しんだ…癒し……。

さてジョンソクくんは90年代パートに出てくる主人公の友人。浪人中なのに勉強している様子もなく、ファッションと女の子に力を注いでいます(笑)。しかし実のところどうだったんだろう? 当時最先端のファッションに身を包んでいてもそれは街の風景からは浮いている(と言うか、あまりにも最先端だともはやダサい・笑)。ふたりの彼女、ウキウキとワクワク(この名前がまたいいじゃんね)は姿を現さない。恋に奥手な主人公に与えるアドバイスは、果たして経験上から得たものだったのだろうか……? ファンタジー的要素もあるキャラクターでもありました。現在パートに出て来ない彼は、今でも浪人生のままあの街をフラフラしてるような気すらします。ウキウキとワクワクと一緒にね。ちょっと妖精ぽいね、ファッションセンスの悪い(笑)。あっはっはかわいい。

そうそう、ジョンソクくんの台詞「どうする、お前」は公開年の流行語大賞のひとつに選ばれたそうなんですが、その台詞字幕に訳されてなかったんです。どの部分が「どうする、お前」だったの…口癖だったそうなので何度も出て来てたと思うんだけど解らない! まだまだ聴き取り力がありません(泣)。

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・輝国山人の韓国映画 建築学概論
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2015年04月08日(水)
『母なる証明』

『母なる証明』@シネマート六本木 スクリーン2

シネマート六本木が六月で閉館。アジア映画にハマり出した矢先のことで寂しい……現在クロージング企画(劇終−THE LAST SHOW|特設サイト)が開催されており、そのなかのひとつ『韓流祭』に二日連続で出掛けてきました。まずは「ウォンビン祭FINAL」、傑作と名高いこの作品から。原題は『마더(マザー)』、英題は『Mother』。本国でも日本でも2009年に公開、監督はポン・ジュノ。

いやもう流石のポン・ジュノとしか言いようが…映画を観た! と言う気持ちの高揚ったらなかったです。大画面で輝く光と影のコントラスト、出処が認識出来るように配慮された細やかな音響。緻密なストーリー構成、ミステリとしてのスリル、エンタテイメントを介した社会への告発、ラストシーンで深く刻まれる余韻。すごい。終映後しばらく席を立てませんでしたよ。

ストーリー自体は、さほど珍しいものではない。知的障害があるらしい息子が殺人事件の容疑者として逮捕される。現場に残された物品、事件前後の息子の行動についての証言、事件を早く片付けたい警察の杜撰な捜査。何もかもが息子の不利に動く。母親は、息子の無実を証明するべく立ち上がる。果たして真相は?

全てが終わった現在、事件当日、事件の前後。大きく分ければパートは三つ。これらを細かく分解し、パズルのように組み立てていく。同じシーンが複数回現れる。リマインドとして出てきたとき、シーンに隠されていた秘密に気付く。それは息子のスローラーナー振りとも呼応している。突如甦る息子の記憶は、事件のことだけに限らない。そしてそれは、台詞に出てくるように「一心同体」である母親の記憶をも呼び起こす。殺人を犯した(かも知れない)記憶は、その根拠(動機)とともには浮かび上がらず、彼(彼女)の頭に沈んでいく。沈んだ記憶がいつまた浮上するかは判らない。母親はそれを「ツボ」に鍼を打つことで忘れる(と信じている)。

まだらな記憶は、映画の空白としても妙味を発揮する。語られない母親の名前、息子の父親について。息子の友人はどうして羽振りがよくなったのか? それなりの腕があるらしき母親が鍼師として開業できない理由は? これらは一切語られない。ナプキンおつかいの根拠も謎のまま。母親に「何年も前に閉経している」と言わせるためだけとは思えない…友人が自らの意志で逃げたのか、連れて行かれたのかも曖昧だ。反面、ひとりの女性としての母親の振る舞いが、意識的に挿入される。弁護士に会う前紅をひく、夜中自宅に上がり込んだ息子の友人に怯える……空白も唐突も、どちらも観客の想像力を喚起する。混乱と謎解きに翻弄される。そして最後に訪れる、母親と息子のある交感。「子鹿のよう」と繰り返し形容された息子の目は、母親のそれにそっくりだ。その目と目が交わったとき、互いの心に巣食った秘密は、やはり空白として時間の隅へと追いやられる。母親が一度だけ口にする「お母さん、」と言う台詞が思い出される。名前が語られない「母親」たち。息子も母親も、まだまだ生きていかねばならない。

いやはや本当に隙がない……ロケーションも素晴らしかった。母親が雨のなか事件現場から見た街の風景と言い、広い草原とちいさな人物との対比といい、引きの画面が大画面に映し出されたときのカタルシスと言ったら。カタルシスと言えば、壺のなかから携帯がずるりと引き出されるあの場面にも鳥肌が立ちました。詰問の場所として選ばれた廃墟の遊園地も味わい深い。ちいさき人々が暮らすちいさな街、しかし彼らにはひとり残らず違う人生があり、土地はどこ迄も拡がっているかのように映る。映画の不可思議さが詰め込まれた作品でした。初見はスクリーンで、と待っててよかったです。

パンフも販売されていたので購入。ジンテ役のチン・グが、『甘い人生』に出演しているとあり楽しみになる。これ明日観る予定なんだ。

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その他。

・輝国山人の韓国映画 母なる証明 マザー
データベース等。いつもお世話になっております!

・ケイケイの映画日記「母なる証明」
愛読している映画感想サイト。やっと読めた〜(笑・観る迄読まないでおいた)。膝打ちまくりのレヴューに加え、「自国へ向けての社会派的啓発」についての細やかな解説もとても勉強になりました。有難うございました!(エアで叫ぶ)

・韓国の疲労回復ドリンク“バッカス”、「国民ドリンクを超えて世界的ドリンクに」 | Joongang Ilbo | 中央日報
五歳の頃の息子が持っていた栄養ドリンクの瓶、リポビタンDだった気がする…と調べてみたらばどうやらこれらしい。ラベルの上がちょこっと見えたの

・韓国では出所したら豆腐を食べるって習慣については覚えたんだけど今回初めてそれを映画で観たー。しかしああ言う経緯で出てきても食べるものなの?

・初めてと言えば今回初めてウォンビンの仕事を観ました…韓流四天王と言われるひとの仕事自体も初めて(遅れてきた韓流)……。明日はイ・ビョンホンを観るヨ!



2015年04月05日(日)
『コルバトントリ、』

SNAC パフォーマンス・シリーズ 2015 vol.1『コルバトントリ、』@SNAC

山下澄人の小説『コルバトントリ』を飴屋法水が舞台作品に――とは言ってもストーリーを舞台で再現、なんてものになる訳はなく。飴屋さん、そして出演者たちが『コルバトントリ』を読み、考え表現する。そこに立ち会う原作者も、原作者として舞台に立つ。テキストが生きている人間の身体を通過し、それを舞台に載せる。小説でしか出来ないことだから小説に書いた、それを演劇にするには演劇にしか出来ないことをやるしかない。当たり前のことだが、実際そういう作品に遭遇する確率は決して高くない。

観客は、舞台上の作品を通して山下さんを見る。飴屋さんを見る。読み解きとは違う。光を失った老婆のような少女、山からかつての住処を見ようとする少年、顔に傷を負った女性、路上で暮らす男の絵日記。「好きでこんなんデカくなったんやない」どんな場所も似合わない男性、壁に衝突する女性。壁に絵を描く少女、キャンバスに自画像を描く象。アロエのクリスマスツリー。聴こえてくる音。彼らをひたすら見る、それらをひたすら聴く。そして考える。

出演者は八人。役者として活動しているのは青柳いづみ、安藤真理のふたり。飴屋さんと山下さんは役者として活動してきた経験がある。くるみちゃんもそうであると言える。今回どう動くか全く予想出来なかったのはdetune.の郷拓郎とグルパリ。このふたりは音楽に関わるひとだ。そして今回の公演を企画した佐々木敦が言うところの「特に名を秘す受付の人」。台詞を語り、歌を唄い、マイクバトル(と言っても口調は極めて穏やかだ)があり、どこからどこ迄があらかじめ決められたことなのかが判らなくなる。比較的前の席だったので、郷さんが山下さんに入れたキックやパンチは実際に激しくヒットしていたのが見えた。

『4.48サイコシス』『教室』を観たとき、「生きることは決して素晴らしいことでもなく、美しいことでもない。意味もない、希望でもない。しかし、生きていると言うのはすごいことなのだ。肉体に思考が宿り、そして動きまわる。新しい命さえ生み出す。それは奇跡だ」と感じたことを思い出す。これは飴屋さんの作品に触れるといつも感じることでもある。身体は老化していく。あらゆる能力が衰えていく。今回飴屋さんは山下さんとの腕相撲に負け、山下さんは郷さんに肉体的に打ちのめされる。この場所に「似合わない」、このひとに「似合わない」。生きていることに「似合わない」。それでも生きている間は生きるのだ。そうしていると、時折眼前にパレードが訪れる。パレードは通過し、移動していくものだ。そこに加わってもいいし、見送ってもいい。そのときひとは、一瞬でも自分が祝福されたように感じ、その思い出をだいじに抱えてまた生きていくのだ。

青柳さんが演じた人物は光を見ることが出来ない、しかし彼女には見えていることがある。決して希望とは言えないが、必ず光が差す場所はあると言う知らせ。その光に明るさを感じるか、温もりを感じるか。光があるからこそ闇を感じるか。絵を描く象の映像に、つい笑顔になってしまう不可解さ(象の行為をかわいいと思ってしまうのはこちらが人間だからだろう)こそが、生きるヒントのようにも思えた。

その他、忘れがたいこと。

・音響、美術も飴屋さん。安藤さんが衝突する壁、手に持った薄いペットボトルがひしゃげる音、その反復。その反復を、手を差し出すことで止める山下さん、その表情
・終演後散歩しようと裏道に入ったら青柳さんと郷さんが立ち話してるのに遭遇してクスッと笑ってしまった。SNACは舞台袖がないスペースだもんね。小雨のなか、道の向こうに見えたあのふたりのぽつん、とした姿

・衣装はコロスケさん。青柳さんの赤いニット、綺麗だったな。グルパリくんはまんまあれが私服のように感じたがどうだろう。山下さんのボーダーもいい感じ

・近所にあったベニサンピットもそうだったが、SNACは演技場を外に繋げることが出来る。町の景色が背景として取り込まれ、近所の住人が登場人物になる一瞬がよい。『教室』でもそうだったけど、向かいの和菓子屋さんのご主人、もうすっかり作品の記憶に入り込んでる
・そのSNAC、今後はこういった使い方は出来なくなる様子。残念。『教室』と『コルバトントリ、』をここで観ることが出来たのはギフトだった

・山下さんに「レディー、ファイ!」じゃなくて「ゴー!」やろ! って怒られた受付の人、受付故に入場時少し接したんだけど、あの佇まいのままふら〜と演技場に入ってきたのが面白かった。地続き
・山下さん、色気がありましたねえ。西の言葉を操り、北で作品を生み出す男。あの陰
・そしてこれはやはり西の地で培われるものか、ツッコミの間が絶妙。怒りを笑いに転ずる業も絶妙

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・今までだって離れていたし いまでもちかくにいる
・あの人たちとぼくはずっといたしこれからもずっといる。
別々のことを話しているのに、何故か繋がっている。不思議、ではない

・『コルバトントリ、』|SNAC



2015年04月04日(土)
『傷だらけのふたり』とか

『傷だらけのふたり』@シネマート新宿 スクリーン1

ファン・ジョンミン出演作。原題は『남자가 사랑할 때(男が愛する時)』、英題は『MAN IN LOVE』。2014年作品。日本では昨年夏のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2014にて『恋に落ちた男』の邦題で上映された後、満を持して? の一般公開です。わーい、ジョンミンさんのファンになってから初めての新作劇場公開だよ。『新しき世界』や『生き残るための3つの取引』で助監督を務めていたハン・ドンウクの監督デビュー作です。

んがー、非常に複雑な感想を抱く作品でございました。

ディテールはそれはもう見事なんです。まずクンサンの街並みを印象的に切り取る撮影。坂道が多い街での登場人物たちの立ち位置は、彼らの心情を表すかのようでもあります。下から見上げる懇願、上から見下ろす軽蔑。それらの表情を捉えるカメラ。カメラに美しく映る人物の瞳。登場人物の性格や関係性を示す細やかなエピソードも丁寧です。借金返済を迫る際、自らガソリンを呑んでしまう主人公テイルの危うさには大きな不安を予感させましたし、ホジョンがテイルに心を許していく過程を食事のシーンで表現する流れもよかった。テイルの父親や兄、兄嫁、姪との交流も非常に感じ入る場面が多く、鑑賞後も時折思い出しては噛みしめています。演者も、ジョンミンさんを筆頭に迫真の演技を見せてくれています。

しかし、しかしですよ。ひっじょーにモヤモヤします。とてもじゃないがいい話だったとは言えないわー。徹底してマッチョ思考で男のロマンなんですよ…ホジョンの立場になってみれよ……。主人公が彼女に惹かれるにはこういう要素(だけ)が必要で他はどうでもいいです、ってくらい彼女の背景が乏しい。そんな彼女に言えない秘密を主人公は抱えることになるのですが、その秘密を貫き通すことも出来ない…って言うより「言えないけど気付いてよお〜」的な目配せがチラッチラどころかギラッギラですよ。秘密が明かされたあとの描写がまた美しいものだからタチが悪い。目配せに気付いたうえでこれが男の純情なのねかわいい〜と思えってか…無理! 愛とはこうも一方的で暴力的なものか。正直ドン退きです。あのーなんだ、テイルにって言うよりこう描いた、こう描けば感動作になるって思っているスタッフにドン退きじゃ。

あとですね、これは個人の都合ですが某バンドのファンからすると酷な展開過ぎた(これ、ある意味ネタバレか)。終盤の描写めっちゃつらい。二年って具体的な数字迄同じなんだもの…某さんはそれをとりあえず回避出来たけど……悲恋ものにはベタなモチーフだけど、そのベタなモチーフを現実に抱えているひともいるんだよってところでエラい落ち込みましたし、見当はずれなことだけど怒りすら感じてしまいました…まあこれはご容赦ください。

と言う訳でこの映画、木を見て森を見ないことにしようかと。いやホント木の一本一本は素晴らしいのよ! はじめてのチュウ☆シーンやいちゃいちゃシーン、そのいちゃいちゃに至る迄のぎこちないふたりとかすっごいかわいいしほんわかします! ごはんのシーンはどれもよかった! テイルの姪っ子がすごくいいキャラクターです! テイルの兄と兄嫁のひねくれ具合もかわいいです! そうそう、美術も素晴らしかったー。理髪店の様子とか。オールロケだったそうですが、ロケハンの賜物ですね。随所にブッ込まれる新世界小ネタにも笑いを禁じ得ない。初っ端から延辺の殺し屋が牧師に(キム・ビョンオク)! ってキャスティングにブハッとなったし、友情出演のパク・ソンウンさんにはウケたウケた。知ってか知らずかこの場面、客席から結構笑いが漏れていましたよ。あっあと緑バスについて覚えたばかりだったので、テイルのお父さんの仕事ぶりは楽しく観た(が、あの状態のお父さんに仕事を続けさせていいものだろうか…とも思った……)。

で、ジョンミンさんですよ。まずヴィジュアルが素晴らしい(笑)。痩せ具合、二種類の髪型、服のセンス(…?)! 茶色い瞳も堪能出来ます。あー、こんなにいいヴィジュアルなのに観るのがつらいのがつらい。そしてこのひと、こういういちゃいちゃ演技がめちゃくちゃ巧いですね…過去作で結構見られるガッツリのセックスシーンはどうもぎこちない? んですが。元の資質によるものかしらと積極的に騙されたい役者さんです。あとあのスタンプカードの絵、自分で描いたのかしらー。あざといー。かわいいー。ジョンミンさんの素敵っぷりをスクリーンで堪能したいのでムキーとなりつつもリピートするとは思います(…)。

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・傷だらけのふたり -MAN IN LOVE-
公式サイト。Q&Aはガッツリネタバレしているので注意。
配給のアルシネテランさんが先月倒産しましてね…このタイミングで。twitterFacebookの更新も停まってしまうしいろいろと悲しいこともありました。DVD等ちゃんとリリースされるといいのですがどうなるかな

・韓国ノワールの傑作『新しき世界』スタッフが再集結した恋愛ドラマ『傷だらけのふたり』| - webDICE
「フィルムノワールの登場人物にも家族があり、恋愛がある。それを撮りたかった」。こちらのQ&Aはネタバレなしです

・輝国山人の韓国映画 男が愛する時
データベース。いつもお世話になっておりますー

・「傷だらけのふたり」コラボスンドゥブスタート | 東京純豆腐
初日会場に置いてあったチラシで知りましたよ! 先述したとおり公式が殆ど動いてないので初日に向けての宣伝展開とか殆ど知らなかった……。東京純豆腐もともと大好きなんで嬉しい! 期間内に食べに行こー

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三原順復活祭『アンジーは私の理想の男性だった! 〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜』@明治大学駿河台キャンパス リバティタワー6階 1063教室

現在開催中の三原順復活祭(展示については全期見てから感想書きたいところではあります)、その関連イヴェント。260人収容の教室に立ち見も多数出る盛況、終始笑い通しで終盤は教室の酸素薄くなってましたよね。いやー面白かった、ヤマザキさんの人柄も好きだわー。とり・みきさんもいらしてましたよ。

・三原順復活祭 関連イベント「アンジーは私の理想の男性だった!〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜」当日 - Togetterまとめ

・アンジーは私の理想の男性だった! 〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜 - ホンのつまみぐい
要点を押さえたレポート。有難い!