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2012年02月28日(火) ■ |
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『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』2回目 |
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さいたまネクスト・シアター『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター
と言う訳ですごい勢いでリピートしてきました。あああ、あと何度か観たいくらいだったがもう無理だ…いやリピート出来ただけでも有難いと思おう。観られてよかったよー!この劇場でソワレ観るのっていつ以来だ…さい芸での蜷川作品って4時間前後あたりまえなのでいろいろと恐ろしくて(『エレンディラ』初日の話はwebで読んでヒィとなったー)マチネばっかりとっている。
しかし活況、満席。座布団席も出ていました。リピーターもいるようだし、評判を聞きつけてやってきたひともいるのかな。だとしたら嬉しいな。客席の雰囲気もよく、快適に観劇することが出来ました。週の頭、平日の夜にやってくるひとってそれなりの舞台好きだろうし、しっかり観ようと思って来ているひとも多いだろうからなあ。
……なんてことを思ったのも、いやその、前回席運が悪くてですね。開演前から後ろの小学生がおかーさんと「携帯切れって言ってるよ」「いーやー!絶対イヤ!」「じゃあブルブルにしとけば?」とか言ってる。うわーどうするべと思ったがその後すぐ開演してしまい、案の定ブルブル鳴らしやがりました。そしてまー終始落ち着かない落ち着かない。喋る脚をバタバタするトイレに出る喋るチラシ束落とす喋る……助けてくれー。正直これはキツかった。てかなんでそんなに携帯切りたくないのん…それはそんなに大事なことなのん……おかーさんも連れてくるんならそこんとこ頼むよ(泣)。
もっと平日に来られたらいいんだけどな、しかしそこは社会人なので限界がある。作品の評判が伝わってからもチケットが買える(ギリギリだったが)のは健全でいいな、でも通常、チケットが最初っからじゃんじゃん売れないと興行側としては困るから話題性を先行させないといけないのかな。カンフェティの割引お知らせとか見てるとどんよりするよな…最初っから割引狙って通常価格で買わないひともいそうだし、悪循環だよなあ……でも空席があるのは悲しいし。やってる側としては客席が埋まってた方が嬉しいだろうし。演劇のチケットって高いもんなあ…でもそれだけのことをしているから高いのであって、だからこそ、目の前で生身の人間が演じていることに対して敬意が必要だよなあ……。
うーむ、昨今の演劇業界事情迄考えて悶々としてしまった。気軽に観られたらいいけど、安易に観るものではないなとも思ったりもします。難しい。
ものすごく話が逸れた…しかしまあそんな環境のなか入り込んで観られたのだから、この作品にはそれだけの力があったと言うことですな!だからリピートしたくなったんだしな!黒幕が取り払われアクリル板に仕切られたステージが現れた途端、客席のあちこちから「おおお」と言う低い声。うわーこういう反応って楽しいよ、開幕です。
今回のハムレット、台詞の意味がズバズバ頭に飛び込んできます。言葉がちゃんと視覚化され、理解出来る感じ。例えば初っ端、ホレイシオの台詞「少なくとも、手はここに」。地下から上がってくる途中のホレイシオが、ハッチに手を差し上げるのね。わ、わかりやすい!初めてこの台詞を咀嚼出来たと言ってもいい!いや理屈では、遅れがちだけど来てるよー+ジョークだよーって解釈は出来るけどさ、こういうところって流しちゃいがちじゃないですか…シェイクスピアの書く台詞は終始飾り立てられた言い回しなのだから。今回の河合祥一郎訳は2003年の蜷川版『HAMLET』、同じく2003年のジョナサン・ケント演出、野村萬斎主演の『Hamlet』で聴いているものですが、演出ともども興味が行く部分が変わります。萬斎さんは訳にもかなり意見を出したそうで、アドリブ的な部分も多かったように思います。いろんな『ハムレット』を観たけど、ローゼンクランツをスポンジくん呼ばわりする言い回しは萬斎版以外で聴いたことがない(笑・スポンジって言葉自体は戯曲にあるのですが)。「寝殿で死んでんのか」等のたたみこむような駄洒落の連打はそのまま使われており、言葉遊びを原文から日本語へ訳す際の工夫を楽しめます。
前回書いたように滑舌があまりよくない役者もいるのですが、それでもちゃんと言葉の意味は伝わります。この辺りは蜷川マジックだなと思う。台詞の意味とそれを表現する役割が、どの演者に適合するかを的確に判断し、配置している……。そしてこの作品、役者論、演劇論としての台詞も多いのです。「役者というものは、時代の縮図」「作り事の、絵空事の熱情に全身全霊を打ち込んで、想像の世界に入り込み」「秘密を守れない。何もかも話してしまう」。若い役者たちが心に留め、口にする言葉としても理想的。このカンパニーで『ハムレット』をやることの意義に感じ入りました。
と言えば、その辺りのローゼンクランツの台詞に、今の演劇事情について言っとんのか!てな痛烈な揶揄があるんだけどカットされていたな(苦笑・都の役者たちがどさまわりを余儀なくされた理由)。
そうそう、滑舌悪いとか絶叫多いとか書いておいてなんですが、まっさらのど素人が出演している訳ではないので、破綻はしないのです。若い集団としてのポテンシャルはかなり高い。あれだけ叫んでも喉潰しているひとがいないしね…何げにすごいことです。それはこまどり姉妹が現れるシーンにも感じました。ガッツリ「幸せになりたいの〜♪」に持ってかれてしまうハムレットとオフィーリアですが、彼女たちが去っていったあと、カオスにまみれた空間を一気に自分たちの世界に引き戻すことが出来た。観客もそれを敏感に察知し、すぐに劇世界に戻れた。タフな状況、高い要求に力強く応えている彼らは、単なる「無気力世代の若者」ではありません。
前回は上手側ステージ後方、今回は下手側ステージ前方から観ました。あー正面からも観てみたかったー。隠れていた役者の表情を違う角度から見られる。弦楽セレナーデのシーン、ハムレットとオフィーリアがあんなふうに離ればなれになっていたんだー!と気付いてどわーと泣く。ぎゃーんハムレットに手を伸ばすオフィーリアの表情が悲痛極まりない!なのになんであのタイミングでハムレットの手を握るんだよホレイシオ!なにすんじゃー!ハムレットも手を伸ばしかけてたのにー!はあはあはあ、このときは一瞬小久保くんを恨んだね…いかん、役と中のひとを混同しがちだ。それ程いい芝居だったってことよー。それはともかくホレイシオ以外の全員が退場していくなか、ハムレットの周りだけ時間が止まっているかのように見えた。その静謐な立ち姿、叔父の真実を眺めやる光景の悲痛さ、美しさ。素晴らしかった!
フォーティンブラスがハムレットの遺体へ敬意を示すシーンは、2003年版の小栗くんのプランが踏襲されていました。「休憩時間、遊びで演じていたらこの役に抜擢された」と中西くんが言ってましたが(後述の『人生教室』参照)、何それ小栗くんのものまねでもしてたの…?(笑)
以下おぼえがき。
・アクリル板越しのレアティーズとオフィーリア、クローディアスとレアティーズ、ハムレットとオフィーリアは、視覚的にも図式的にも興味深かった。親愛の情を手を差し伸べ合うことで表す兄妹。誓いの挙手、それに応じる身分の違い。そして手を伸ばしても伸ばしても壁に阻まれ、心が届かない思いびと。いやホントこれは素晴らしいセットだった
・ラストの楽屋風景、川口くんと深谷さんが談笑しているのが見えて「わあふたりとも生きてるー、笑ってるー、よかったねええ」なんて思ってしまったよー(バカ) ・土井さんもパーカーに着替えてかわいい表情。そだよホントは若いんだよこのひと…じょ、女優! ・緑のジャージのホレイシオ(笑) ・ホレイシオ、重心を低くしたときにきちんと腰が入りポーズが決まる。演じた小久保くんのプロフィールには「和道流空手二段」の文字。なんか納得した…… ・いやーそれにしてもハムレットとホレイシオの衣裳よかったわ。ハムレットの衣裳とか、フツーにヨージの服みたく着たまま出歩けそうだよ。ブーツも格好よかったー。ホレイシオのボトムもタイパンツみたいな幅広で、上がジャージになっても似合う(笑) ・こまどり姉妹、本日のお着物は黄色。土曜日は黒を基調としたものでした。検索してみたら桃色の日もあったそうで、一体何種あったのー!
・そういやフォーティンブラスくんは鎖じゃらじゃらだから肩や背中にぽつぽつミミズ腫れが出来てますな ・オフィーリアの綺麗な脚にも痣がー(泣)あれだけどこそこぶつければね…… ・ガートルードの肩のミミズ腫れは、まさに劇中で出来たっぽく「あれっさっきなかったのに?ひっかけた!?」とオロオロした ・この日は群衆のひとりがハッチに衣裳の裾ひっかけて転びかけたのにもヒヤリとしたー。床が透明なので、客席の位置からだとハッチが開いてるのか閉まってるのか判りづらいんですよね。気を付けてー ・茂手木さんもこんな感じで怪我しちゃったのかな。降板はホント残念だよ…おだいじに ・皆怪我なく千秋楽を迎えられますように!
・どうでもいいがアクリルの床、下からだとこんなふうに見えるのかなー(笑) - IDEA*IDEA『猫の下ってこうなっていたのか・・・』 - 日本野良猫協会『香箱座りの底はこうなっている!!』
あと自分用メモ。
■asahi.com:マイタウン埼玉『蜷川幸雄 人生教室』 ・(上)愛情の罵倒 ・(中)集団に生きろ ・(下)世界と出会え ・(番外編)いい初日 あすも挑戦
■日経新聞劇評 ・蜷川演出の核心にある視線の力 これ、自分の感想とは真逆なところもあるんだけど面白かったしすごく興味深く読んだ!川口くんはちょうエモかったと感じたし、ハムレットを見上げるこまどり姉妹は、若い世代を愛情を持って案じていたように感じたよ。しかし成程、この解釈にも頷ける
あと今出てる(もうすぐ次が出ちゃうけど)シアターガイドの記事が面白かった。
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2012年02月26日(日) ■ |
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渡辺俊美 初個展『ソバカス』 |
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渡辺俊美 初個展『ソバカス』@ @btf
トシミくんの個展ですよ。最終日にようやくすべりこみ。
セルロイド、エマニュエル、そして現在のブランドDOARATで扱っている雑貨、服、私物の楽器やアナログ、そしてトーイくんのお弁当。裏表なく、肩肘張らず虚勢も張らず。わあ、トシミくんだーって展示でもう楽しかったー。
昨年の春からトシミくんはトーイくんにお弁当を作っている。卒業迄、学校がある日はちゃんと作る。ツアーでどうしても家にいられないとき以外は、どんなに帰りが遅くなっても作っている。ヒロシくんやビッケによると、ライヴの打ち上げで遅く迄呑んでいても、「弁当作るから」と切り上げて帰っているとのこと。今出てるVERYでもその話してますね。てかVERYにソウルセットの座談会が載ってるってのが面白い…(笑・リリーさんの連載コーナーだね)。お弁当画像はトシミくんのtwitterで日々アップされ、これを朝見るのが楽しい習慣になっています。ツアーから帰ってきたら、行った先の特産物がおかずに入っていたりする。献立やレシピについての質問にも気軽に答えています。トシミくんかっけー。
そのお弁当画像がプリントアウトされて壁一面にビシーと張られたさまは壮観でした。そうだよなあ。毎日、毎日作っているんだ。色取りや配置を考えて、食べ盛りの高校生のお腹がもつように、栄養にも気を遣って。それは食べられてしまって見た目には残らないけど、トーイくんの身体と心にしっかり留まっていくんだろうななんて思いました。てかトーイくんてさ、生まれたときからもーソウルセットファンには親しまれている訳で、「Jr.」が演奏されたときのあの多幸感はいつでも、今になっても強靭に変わらない。よかったねえよかったねえと近所のオバちゃん心境にもなりますよ。
タイトルにもなったソバカスはトシミくんのチャームポイントですね。渡辺俊美と言う人物の魅力。ひとの生きるさまは奇跡だし、暮らしはアートなのだ。いい展示だった。
グッズ販売やオークションも行われていました。収益金は福島県川内村に寄付されるとのことです。
ところでこの@btf、とても面白い空間でなんだろー?と思ったら、青木克憲さんとこのスペースだったんですね!ええとー芝居がらみで言うと、'90年代東京ギンガ堂の宣美を手掛けてらしたアートディレクターさんです。大量に折り込まれているチラシをめくるとき、必ず手がとまる。特徴的なタイポグラフィ、厳選された単色使い。その後広告の方でどかんと有名に…hiromichi nakanoのロゴや、いかりや長介さんが格好よくウッドベースを演奏するとても印象的なキリンラガービールのCM、最近では宇多田ヒカルさんやにじぞうの広告展開等。そしてにじぞうと言えばハラカミくん。
@btfの最寄り駅は勝どき。ここに川勝さんが暮らしていたんだなあと思う。水辺が近い気持ちのいい場所。しばらく散歩して帰りました。
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2012年02月25日(土) ■ |
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『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』 |
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さいたまネクスト・シアター『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター
終演後即リピートしたくなり、すごい勢いでスケジュール調整中。蜷川さんの高いハードルに役者たちが死にものぐるいで挑んでいます。
確かにスキルの拙いところはある。滑舌が甘かったり、絶叫が続いて台詞が伝わりづらかったり、蜷川さんが手練の役者たちにあてたらもっとキマるだろうなと思う身体表現もある。プロの役者としてやっていくには、連日続く公演の平均値を揃えるため、コンディション整備等の配慮も必要だろう。しかし逆に言えば、その日そのときで使い切っても構わないと言う程力の入った表現は、今、この場でしか目撃出来ないものだ。そして彼らなら、このスケジュールを若者ならではの体力で押し切れる筈だ。スキルは後からついてくる。いくらでものびしろがあるのだ。余裕なんてあるかボケー!と必死になっている役者たちの姿は「父を失った若者たち」を描く『ハムレット』にズバリ重なる。この作品には、若者たちの激しい焦燥を受け止める器がある。
そんな役者たちに、他の公演と変わらないプランとハードルを与えた蜷川さん。美術、照明、音響、衣裳に彩られた空間は、早くも今年のベストに入るものと言っていい程のクオリティです。驚いたのは、これが若手スタッフたちの仕事だったと言うこと。これ迄「贅沢!」とすら感じるベテランスタッフを配して来たネクストシアターですが、そういうエキスパートたちが手掛ける現場に付いていればいくらでも吸収出来ることがあるだろうし、それを反映させる欲求と要求が発生しない訳がない。それは役者も同様で、こんな環境で芝居が出来る役者たちは本当に恵まれているし、だからこそ本気で挑まずしてこの場にい続けることは出来ないだろう。
若者たちと、彼らと真っ向からぶつかる演出家。果たしてそこにあったのは、心が沸き立つような舞台でした。これだ、こういうのが観たかった。舞台を観に行く理由と言うのはいろんなものがある。名作を観たい、巧い芝居を観たい。自分は、生身の人間が目の前で発する、体裁を凌駕してしまうような思いの強さ、無限の可能性を観たい。ここにはそれがあった。以下ネタバレあります。あ、これから行く方は(ってもうすぐ終わっちゃうけど!)開演5分前には着席しておくといい!
さい芸大ホールのステージ上に作られたインサイド・シアターはネクストシアターのホームとも言える空間で、舞台をコの字に囲む客席配置はいつものこと。しかし今回それにひとひねりありました。ステージ床面に被せられた黒い幕が開演直前に取り払われると、そこは二層になっている。アクリル床で仕切られた地下は、出番前の出演者たちの楽屋と言う設定。役者たちが着替えやメイクをしている。蜷川さんもそこにいて、役者に声を掛けている。アクリル床は四箇所開閉出来るハッチになっており(追記:オフィーリアが埋葬される際、中央のアクリル床も開く。ここはハッチになっていない)、可動式の階段がシーンに応じて設置される。やがて蜷川さんが客席に現れ席に着くと、役者たちが立ちあがり正面を向いて一礼する。ハッチがガチャッッッ!!!と大きな音をたてて開かれ、同時に物語の幕が開く。毎度乍らツカミが見事。
地下では民衆が、幸福なオフィーリアとレアティーズが、狂ったオフィーリアが走り回る。そしてオフィーリアはそこに埋葬される。威厳を示すクローディアスを、民衆は下界から見上げる。本来のステージの奥行きも使い、立体的な視界が開ける。遠くへ去っていく一団、遠くからやってくる一団。自由、そして逃亡への道を得たかのように走る彼らを見送る、身震いするような体験。
こまどり姉妹はその、向こうの世界からやってくる。このインパクトと言ったらもう(白目)しかも彼女たちが登場するのは、ハムレットがオフィーリアを「尼寺へ行け!」と罵倒する、この作品の代名詞とも言える有名かつエモーショナルなシーンです。突っ伏して号泣するオフィーリア、のたうちまわり慟哭するハムレット、そこを「幸せになりたいの〜♪」と唄い乍ら通過するこまどり姉妹……カオス!なんだかもー気が狂いそうでした。しかし彼女たちが唄い乍らステージに上がったときに自然発生した拍手は、「おもしれー!なんじゃこれ!」と言ったヒステリックなものではなく、敬意が込められたものだったのです。彼女たちには自然と拍手をしてしまう説得力があった。歌の内容、波乱に満ちた人生、酸いも甘いも噛み分けショウビズの世界で生き続けている身体。
この発想。蜷川さんどパンクだわ…てか頭おかしい(賛辞)……と言うか常人には思いつかない。
音楽と言えば、進軍中のフォーティンブラスがハムレットと遭う前のシーンに小室等さんの「夏が終る」(歌詞は谷川俊太郎さん)が使われており、その激烈な美しさにどわーと泣いた。屈託なく笑い、屈託なく進む。何の得にもならぬ小さな土地を、全力で奪う。フォーティンブラスのそんな姿にハムレットは惹かれたのだな、と強く感じ入るシーンでした。何度も観ている『ハムレット』だけど、ここにグッときたのは新しい体験でした。これ2003年版(1回目、2回目)ではどうだったっけ……帰宅後興奮してツイートしたときは初めて聴いたような気がしてたが、藤原ハムレットではどうだったか思い出せない!『ゴンザーゴ殺し』を観て錯乱したクローディアスたちが退場するシーンは2003年も同じ選曲、同じ演出(チャイコフスキー『弦楽セレナーデ』でスローモーション)だったと思うんだけど……。
怖いもの知らずの、幸福で傲慢な若者の姿を美しく描く蜷川さんの手腕はますます冴える。そしてラストシーンが今を映す。最後の演出は、2003年版ではなく2001年版、9.11後のものでした。
川口覚さんは主役を張るだけの華があり、民衆に支持されるハムレット像に説得力を与えていました。小久保寿人さんは、落ち着きのある学者然としたホレイシオを好演。ハムレットとホレイシオの、穏やか乍らもお互いへの厚い信頼を感じさせるシーンはどれも印象的でした。高山皓伍さんと隼太さんのコミカルなロズギルもいいコンビネーション。ポローニアス役、手打隆盛さんは毎回いい仕事をします。土井睦月子さんは深く響く発声とゴージャスな肢体がガートルード役にハマッていた。貫禄ある!鈴木彰紀さんのアンドロジナス的なヌードは、デフォルメされた劇中劇をよりいかがわしいものとして魅せる。声が命とも言えるオフィーリアに、印象的な音を与えた深谷美歩さんもよかった。茂手木桜子さんが怪我で欠場していたのは残念。ネクストシアター以外の蜷川演出作品や他の公演で、顔を見るひとも今後ますます増えるでしょう。
追加オーディションによって加入した新メンバーたちも生きがいい。ロビーには稽古開始時と当日のキャスティング表が掲示されていました。張り出すだけあって当然同じではない。この意味を考える。生き残るのは誰だ。
はああーハイテンションのまま書いたらえらい長文になってしまった。しっかりしたレポート、ステージ画像はこちら↓でどうぞ。
・観劇予報:蜷川&こまどり姉妹『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』レビューとインタビュー
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2012年02月24日(金) ■ |
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『GOTA'S 50th Birthday Party Back to Roots』 |
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『GOTA'S 50th Birthday Party Back to Roots』@SHIBUYA-AX
屋敷豪太さん50歳のお祝いパーティ。しかし豪太さんがいちばん働いていた…(笑)3時間半のライヴ中2時間45分くらいは叩いてたのではないか。残りの時間もトークやったりギター弾いたり唄ったり、集った出演者へは終始明るい気配り。とてもいいパーティだったよーう。
レポートやセットリスト等はこちら。見出しは違うけど本文は同じですね。出た順に並べたけどおおもとの記事はどれだ。
・MUSICMAN-NET『最初期MUTE BEATも登場!伝説が蘇った夜、屋敷豪太 50th Birthday Party レポート』 ・BARKS『屋敷豪太50th Birthday Partyは、もはやフェスティバル』 ・Excite ArtistMall『【ライヴレポート】屋敷豪太50th Birthday Party -2012.02.24@SHIBUYA-AX』
そして茂一さんのダイアリー。しみじみ。 ・桑原茂一 Diary『Diary-T 223 屋敷豪太の誕生日の夜』
と言う訳で個人的な感想や上記レポートに出ていないことを中心に書いていこうかと。
豪太さんの人柄からくるものでしょう、終始明るく楽しい場だったのですが、端々に真摯なミュージシャンシップが現れる内容でもありました。場の空気がガラッと変わったのはせいこうさんが加わっての「東京ブロンクス」(TINNIE PUNX!!!)、現役の怒りと厳しさに満ちていた。せいこうさんめちゃめちゃ格好よかった!その前後には司会進行としてちょこちょこ出てきて完ちゃんとの漫談(笑)とか見せてたひとがガラリと変わる。
そしてMUTE BEAT。件のせいこうさんと完ちゃんが「楽屋では普段雑談とかしてるのに、今日は皆モニターでライヴ観てる」「こだまさん楽屋でできあがってる」「モニター観て『いいねえ!』とか喜んでる」と話していて、笑い乍らもいや〜な予感がしていたが…こだまさんがね……本当にベロベロのヨレヨレでね………。4年前の再結成時も結構なアレで、これはこれで楽しかったんだけど、この日は……。
初っ端の出音のキレは素晴らしく、ドワッ!!!と場が沸いたんだけど、その後が本当にグッダグダだった。音が出ない、と言うか指が動かないのかな…音を動かせない様子なのだ。連符が続かない。KODAMA&GOTAの「WAY TO FREEDOM」では「無理。出来ない」と手を振ってとうとう演奏を諦めてしまった。ところがそこで豪太さんはバッキングを止めなかった。無理とジェスチャーを続けるこだまさんに首を振り、マイクを通して「やって」と言った。こだまさんはぐずぐずした様子を見せて演奏に戻ったが、それでも入るべきパートに入ってこないので、豪太さんと朝本さん、松永さんがアイコンタクトをしつつリフを延長。しかしこういうときコードを扱う朝本さんがやはり不利で、どうすんのここ展開させていいの、と迷ったのか、バッキングがバラバラになってしまった。このときのフロアにはもう「が、がんばれ……」みたいな異様な緊張感が……。友情しごき教室ならぬこだましごき教室のようであった(友情しごき教室を知ってるひとにしか通じないシャレ)。
流石にこだまさんはしょんぼりして(いたように見えたけど、酔ってて訳わかんなくなってたのかもしれない・苦笑)、豪太さんに「こだまさんなんか喋る?」と振られても首を振る。最後の挨拶でもすみっこで所在なげだった。こちらもしょんぼりしたよ。
それにしてもどうしちゃったんだろう。杖もついていたし…酒さえ呑まなければちゃんと演奏出来るのかな?それともどこか悪いのかな……。酒が原因なら呑み始める前に演奏させちゃえばいいんだろうけど、プログラム的にそうもいかないでしょう。もうあの音は聴けないのだろうか。残念やらつらいやらせつないやら。どこか悪いならなんとかいい方向に向かえばいいのだけど。
そんなこんなでちょっと妙な空気になってしまったところ、「最後の曲はどうしてもこれをやりたいってこだまさんに頼みました」と豪太さん。演奏されたのは「キエフの空」だった。スクリーンには『LOVER'S ROCK』のジャケット。そう、スリーマイル原発の写真が使われたあのアートワークだ。楽しく終わってもよかったのに、和気藹々のパーティでもよかったのに、豪太さんは最後にこの曲を選んだ。50歳、人生はまだまだ続く。自分たちの世代が、そしてこの日共演したOpen Reel EnsembleやOKAMOTO'S、最後に花束を持って出てきた姪っ子さんたち若い世代が生きていくこれから。それを見過ごすことはしない。演奏したいと思った理由は一切話さなかったけれど、そんな思いを感じました。最高に格好よかったです。
その他おぼえがき。
・つーか豪太さんホンット若々しいな!髪こそシルバーグレイになったものの細身でシュッとしてて!素敵! ・てか何より演奏が素晴らしかったよ…転換時もソロ叩いたり、タイプの違うバンドのバックで、正確かつグルーヴィなドラムを叩き続けて。OKAMOTO'Sとのパワフルなツインドラムも楽々こなす ・豪太さんなつかしアルバムみたいなコーナーもあって楽しかったわー。まさに赤ちゃんから! ・そのコーナーのとき豪太さんほぼ素になってて「今日おかあちゃん来てるの!これはおかあちゃんが○歳のときで…」「これおとうちゃん!」「これは憶えてない!おかあちゃんに解説してもらいたい!(二階席を見やる)」とか言って微笑ましかった ・姪っ子ちゃんに花束もらったときも、「この子僕の姪、姪なの!妹のこども!」ととても嬉しそう。その姪っ子ちゃんにせいこうさんが「わあそうなの〜、挨拶する?」なんて言ってた。た、楽しい ・クリス・ペプラー、藤原ヒロシからのテキストメッセージ、ミック・ハックネルからの動画メッセージもありました。ミック、白いかわいいいぬを抱っこしてのコメント。その前に幼少時の豪太さんが白いいぬと一緒の写真が何枚も映ったのでせいこうさんが「白いいぬに縁があるんだね〜」なんて言ってた。適当(笑)
・完ちゃん最初ダブルのジャケットでお腹部分がパツパツ(笑) ・ブラボーの衣裳がすごかったぞ、期待を裏切らないわー ・トシちゃんの空気読まなさは相変わらず素晴らしかったわーオモロいー ・「チカは来てないんだよ!」とか言ってた(笑)他にもやりたい放題 ・しかし「Fly Me to the Moon」は流石絶品。楽屋ではこだまさんが「やっぱいいねートシちゃんの『Fly Me to the Moon』!」とゴキゲンだったそうですよ… ・田村玄一さんメトロ脱けてから初めて観ました…… ・MUTE BEAT歴代ベース、松元さんと松永さんが一堂に会するなんて感無量 ・みつわさんを観られたのも嬉しかった! ・と言えば岡野ハジメさんも久々に…いつ以来だ?カニベースではなくイカベースでしたよ
・あとはサプライズなのか?民生が出ました。「(ドラムなので)『発声練習しなくていいわー』って言ってた」って礼さんに言われてた(笑)終始ニヤニヤ、楽しそうに演奏してた ・思えば豪太さんの前でドラム演奏とか、すごい(笑) ・てかそのThe Renaissanceで、豪太さんが「僕と礼さんって、話す声は似てないんだけど歌う声質の相性はいいみたいで、いいハモりになるんですよー」と言ってたんだけどホントいいハモり!いい声!てか豪太さんは歌も素敵だよ…。「(松永さん以外)餅は餅屋じゃないひとばっかり」と礼さんが言っていたけど、いやいやすごくいいバンドだったわ
・Open Reel Ensemble、以前仕事がらみでリハを観たことがあってこれは面白い!と思ってて。やっとちゃんと観られたー!来月の『BOYCOTT RHYTHM MACHINE VERSUS LIVE 2012』でも観られるので楽しみ! ・OKAMOTO'Sはホント巧いな(笑)若いのに気持ち悪いくらい昔の音楽もよく知ってて、そして気持ち悪いくらい練習してる感じだ。しかしそれがライヴとなると破天荒なステージングで面白い
そしてあの出来事がなければ必ず来ていたであろう川勝さん。まだ信じられはしないけど、川勝さんが会場に来られなかったのなら、川勝さんのもとにこの音たちが届いているといいなと思った。
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2012年02月19日(日) ■ |
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『ドラゴン・タトゥーの女』 |
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『ドラゴン・タトゥーの女』@新宿バルト9 シアター9
2時間半超の作品ですが情報の整理提出が手際よく、終始飽きさせません。面白かった!
リスベットとミカエルそれぞれの逆境を交互に見せていく流れから、遂にふたりが顔を合わせる場面迄のリズムがいい。ここ迄に結構な時間を使うのですが、ダレませんねー。そして出会ったふたりは一気に事件の核心へと迫っていくのですが、ここからの加速度がまたいい。ギアを一段階上げたグン、と言う感触が伝わりそうな程です。登場人物が多く名前も憶えづらいのですが、その分こちらの集中力も上がり、作品世界に引き込まれます。
過度にドラマティックにしない抑えた演出にも好感を持ちました。リスベットとミカエルがそれぞれのやり方で無関係だと思われていた殺人事件と聖書の引用に気付く場面、写真に映り込んでいるある印から犯人が誰か確信するシーンの構成も、映像演出ならではのリズムで気持ちよかった。フィンチャーてアーティストの面も強くありますが、『ゾディアック』辺りからこういった職人的な腕も際立ってきたように感じます。
ストーリーはなんというかー、孤立した土地、一族の秘密、虐げられる女性、近親虐待と言う日本人からすると横溝正史要素てんこもりでおんどろおんどろしているのですが、これの舞台が北欧となると、しんとした雪と寒さに閉ざされたスタイリッシュな映像に見えてしまうところも見やすかった一因かも。しかしその、ある意味ドライなストーリー運びには空恐ろしいものがありました。レイプを含めた虐待は日常茶飯事で、報復は当然。リスベットの報復行為には胸の空く思いがしますが、結局はそうするしかないと言う諦観も募ります。ハリエットが選んだ道も同様。彼女たちの背後には、報復を行動に移せず逃げることも出来ない名もなき女性たち、子供たちが山程いる。レイピストや殺人鬼たちは何不自由なく善良な市民として暮らしている。
あーそれにしてもルーニー・マーラが格好よかった、当たり役!ヴィジュアルの完成度が素晴らしいよ!殆ど無表情で、感情が読みづらい。ここらへん、眉がない(脱色していた)効果も大きいと思うわー、もはやプレミアとかに出席している眉毛ありのマーラに違和感がある程です(…)。感情を露にする場面は意識的に排除してある(新後見人との初面接の後エレベーターで絶叫するシーンも、彼女の姿は映していない)。それでもふとした瞬間に、繊細な変化が浮かびあがる。ミカエルが初めて家に来たときから仕事の依頼を引き受ける迄の表情の動きとか、そうして仕事を始めてみればミカエルが「えーと、あの写真は、このフォルダの…」ってもったりもったりしてるのを「……」と眺めているところとかよかったー。いいコンビ(笑)。と言えば、表情は殆ど変わらないけれど、新後見人に報復に行くときだけメイクを戦化粧みたいにしてたところに気合いの程が窺えました。あのアイメイク、『ブレードランナー』のプリスみたいで格好よかった!
と言えば、ちょっとしたシーンだけど、事件の資料を閲覧する際のリスベットと係官のやりとり「飯は食べたか?」「もともと痩せてるんだ(シャーッ)」「(そういう意味じゃなくてえ)飯の後に見るにはキツい写真だぞ」がよかったな。リスベットは人間(男性)を信用出来ないけど、自分に敵意や差別意識を抱いていない他人もいるもんだよ、と気付かされたのではないか(と思いたい)。それはミカエルと組んで仕事をした上での変化だと思いたいし、淡ーい希望のあるエピソードだった。それだけに、それだけにラストはせつなすぎるー!ちょっとひとを信用してもいいかもなーと思ってきてたリスベットなのにー!はーミカエルは罪な男だよ。MMK(もててもててこまる)にダニエル・クレイグはぴったりですよ。そう言えばねこをねこー!て呼ぶミカエルにウケた。ホリー(『ティファニーで朝食を』)か!(笑)あのねこかわいすぎました。かわいかった…かわいかっただけに……(泣)。
そしてトレント・レズナーとアティカス・ロスの音楽!特報やオープニング(てかこれ映像もすごかったな!)で使われた「移民の歌」カヴァーからしてもう素晴らしかったよーう。と言えばリスベットのハッカー仲間がNINのTシャツ着てたのにブホッとなりました。
『ミレニアム』三部作、是非フィンチャー×マーラ×クレイグで撮りきってほしいものです。あのキャラクターを維持するのは身体的にも精神的にもかなり過酷だろうけど、マーラのリスベットでシリーズ通して観たいなあ。そしてそれが日本公開されることになったら、モザイク入れるのやめてください(トホホ笑)。ジャパンプレミアではなかったそうですね…モザイク入れてR15にしないと動員に影響があるからなんだろうけど、あれは興ざめだったよーう。
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2012年02月18日(土) ■ |
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『持ち主、登場』 |
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NYLON 100°C side SESSION #11『持ち主、登場』@CBGシブゲキ!!
大倉くんが好き放題やりたいと企画から立ち上げた舞台ですー。出演者全員が作・演出にクレジット。あとナイロンの新人さんらしき方が1シーン出ていました。声の出演で生瀬さん。
各自出してきたモチーフから構成したのかな?ブリッジにダンスとバンド演奏。大倉くんや峯村さん、村岡さん、ブルースカイがダンスと言うのも意外と珍しいのではないか。KENTARO!!さんの振付で結構ビシバシ踊ります。大倉くん長い腕脚を持て余し気味(笑)。そうバンド演奏もあるんですよ!大倉くんG、峯村さんB、村岡さんとKENTARO!!さんKey、ブルースカイがドラムマシン。手作り感溢れるステージ。
こう書くとなんだか楽しそうですが、いやいやなんとも不気味なものが仕上がりました。ケラさんの言葉を借りると「薄気味悪い」。笑いの連続なのに、気付けばストーリーの流れはかなり不気味です。相当ひとも死にますし。で、ふと、あれ、何で笑えるんだ…?と我に返ってゾーとする感じ。ブルースカイの世界観が色濃く出ていたと言うことになるかな。一筋縄ではいかないステージでしたよ。くだらない…と言っていいものか、大倉くん念願の「ただ、ふざけた芝居をしたいのに!」は叶ったのか……?
その大倉くんの「場面泥棒(どなたが書いてたんだっけかこれ…舞台あらしと並ぶ名コピー)」っぷりは影を潜めています。だって最初っから前面に出てるんですものー。そして前面に出ている分受けの芝居が多くなり、これが意外と枷になっていたような…座長だけに暴走出来ない感じが。で、その受けの芝居がまた絶妙なのでやっぱりこのひと巧いなあと感心したりした…そしてやっぱりチャーミングです。
そして峯村さんがもーねー、ホント素晴らしいですわ。シリアスとナンセンスの絶妙なバランス。瞬間瞬間で表情をくるくる変える感情の表現。KENTARO!!さんのキレキレのダンス、べらんめえの村岡さんが沢山観られたのも楽しかったー。
The Dublessはオリジナルだけでなく選曲も手掛けたのかな?プライマル多用でアガッた!格好よかったです。
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2012年02月16日(木) ■ |
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『90ミニッツ』 |
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『90ミニッツ』@PARCO劇場
ううむ、難物をとりあげましたね三谷さん。だからこそ、この題材を扱うなら、もう一歩踏み込んでほしかった。と言うのが正直な感想です。役者ふたりは素晴らしい熱演でした。西村さんと近藤さんのコンビをまた観られたことも嬉しかったし、西村さんが三谷さんの作品に出演していることも嬉しかった。以下ネタバレあります。
冒頭スクリーンに表示されるように、実際に起こったとても有名な事件を基に書かれた作品です。土地の風習を守るため輸血を伴う手術を拒否する患者の父親、手術を行い患者を救いたい医師。父親の信仰、医師の信念がぶつかり合う。どちらの考えが間違いだとは言えない。正しいことはそのひとのなかにしかない。どちらにも「愛情」と「良心」がある。その愛情や良心を、信仰や信念が上回ることは正しいことなのか。
と言うストーリー…かと思ったが、ちょっと様子が違います。実のところ、父親と医師は信仰や信念ではなく、恐怖感と保身のために主張を固持していることが明らかになります。愛情は恐怖に屈し、良心は保身に打ち負かされます。
キーワードとして永遠の命、生まれかわりがあります。患者の家族が代々住む土地では、ひとは生まれ変わり永遠の命を持つことが出来ると信じられている。二度と生まれかわれなくなってしまうから、永遠の命が断たれてしまうから、風習を破れない。これが信仰や死に対する畏怖ではなく、妻に対する恐怖、閉鎖的な土地で村八分にされる恐怖、土地を離れることに対する恐怖と同列に扱われている印象を受けました。ここがひっかかる。父親の三秒遅れの葛藤は、信仰ではなく恐怖からだったと結論が出てしまう。倫理を測るために信仰をモチーフに選んだ意味がここで宙に浮く。
医師が何故承諾書へのサインに固執するのかのくだりも、父親の信仰心を描ききれなかったがための後出しカードのような印象を受けました。信仰、信念に徹しきれない人間の弱さを描くことが狙いだったにしては、焦点がぼやけている。
酷い言い方かも知れないが、このテーマは三谷さんですら手に余った印象が拭えない。しかしこう言ってしまえるのは、三谷さんなら書ききれるのではないかと思ってしまうからだ。「奇跡を恨む」最後の父親の台詞が見事だっただけに。永遠の命を求める限り、彼らには今を生きることに安息などないのだ。それこそ永遠に、何度生まれかわろうとも。「死にたくない」とはそういうことだ。この矛盾を呑み込むのが信仰心だ。あの最後の台詞からは、信仰への絶望的な畏れが感じられた。だからこそ残念。
ところで西村さんの台詞回しってあんなに癖がありましたっけ?専門用語や滑舌を要する台詞が多い、医師としての威厳を表現、にしても妙に声がこもって聴こえました。
そしてこの緊迫感溢れる作品の上演中に携帯鳴らしたバカがいたのにガーン。いや作品問わずのマナーですけども。もうバカって言う!バーカバーカ!(泣)鳴らしたひとは恐縮してるのかも知れないけどやっぱりダメだよ…こればっかりは目くじら立てますよ。ちょっと前にこのツイートが話題になって素敵なことだなと思いましたけどそれはステージの上にいたひとが素晴らしいのであってやっぱり鳴らしたこと自体はダメ絶対。「ヴァイブにしとけば大丈夫だよね」って言うひといるけどそれもダメ絶対。すごい響きますよー。しまいには「なんでそれがいけないの?」ってひともいたりするがそんなら劇場でなくお茶の間にいてくれ。
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2012年02月12日(日) ■ |
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『佐渡×シエナ ブラス・ロック!!』 |
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『佐渡×シエナ ブラス・ロック!!』@文京シビックホール 大ホール
具合が悪くて電車から途中下車、しばらく休憩後ようやく辿り着く。あたりまえだがこのジャンルのコンサートで途中入場は御法度です。一部はロビーのモニターで観る。退きの映像で見るとやっぱ佐渡さんの指揮って見映えがいいなー、長身で脚が長く、アクションも派手ですしね。華がある。
それはともかく二曲目のネリベル『二つの交響的断章』がめちゃ格好よく、ちゃんと落ち着いて聴きたかった…また演奏される機会があるだろうか……。トークコーナーで佐渡さんが仰ってましたが、今回バッハ(一曲目は『トッカータとフーガ ニ短調 BWV565』)、ネリベルときてディープパープル、EL & Pとプログラムを組んだのにはちゃんとテーマがあって、どれも数式的な構成の楽曲を扱っていると言うこと。例えば『二つの交響的断章』はレ(D)を起点に四度で動いていく、「ハイウェイ・スター」はバッハの和声進行を取り入れている、など。クラシックからスタートしてロックに惹かれ、そのロックに取り入れられているクラシックの深みを知る…と言う佐渡さんの青春時代を辿るものでもあったそうです。
と言う訳で二部は本日の目玉ブラスロック、『SYMPHONIC D.P.〜ディープ・パープル・メドレー』と『タルカス』。どちらも新編曲初演。「いつもと違うお客さんが来ているかな?」と佐渡さん仰ってましたがどうでしょう、バンドのファンもいらしてたのかしら。『タルカス』は今年の大河ドラマ『平清盛』で管弦楽版が使われているので、そちらの方からも客層が拡がってそう。『SYMPHONIC D.P.』は「ハイウェイ・スター」「ブラック・ナイト」「チャイルド・イン・タイム」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎(バーン)」で構成。ロックやうたものをインストに編曲する場合、そのうた部分(メロディ)をなぞるラインがどうしてもどんくさくなるのが悩みどころですが、いやはや巧い管でやるとこうなるのね…だって管が唄うんですものー!吹奏楽のブロの地力を見たかってなもんで。同様に部活っぽくなりがちな(このニュアンスわかってくれ)Drsも以下同文。Percとのわりふりも絶妙で格好いい。
どうでもいいが「ブラック・ナイト」は缶コーヒーのCMでおなじみ、とパンフレットに書かれていたが、ウチの地元では『MRTポスターバザール』(文字通りいろんなポスターを売る催し)のCMで使われていて、それで憶えてた……。毎年これだったんだよー、ずっと!って、宮崎ローカルでございます。MRTってのは宮崎のテレビ局です。演奏しているバンドのことは知らずに育ち、その後何の拍子だったか忘れたがディープパープルの曲として偶然聴いたときの驚きと言うか「そうだったのかーーーー!」と言う衝撃は忘れ難い。ポンキッキのビートルズ(この日は「ヘイ・ジュード」も演奏されました)とか、何やらバラエティ番組のBGMやらで使われてたシカゴとかもそうでしたなあ。洋楽すりこみ。
閑話休題。そーしーてー『タルカス』めっちゃ格好よかったでー!例の7曲で構成。吉松隆氏の管弦楽版を基に、狭間美帆氏が編曲したものだそうです。Key≒弦でやるとこ金管と木管でやるわけですが、アンプを通さない音の立ち上がりの鋭さを知れ!てなもんで。特に「噴火」「偶像破壊者」の変拍子んとこと「マンティコア」のバトルっぷりな!あれよストラヴィンスキーの『春の祭典』で金管がめちゃ強烈に刺さるとこありますやん、あれを彷彿とさせる…シビレる……薬飲んでた+暖房でぼーっとしてたんだけど目ぇ醒めたわ。個人的には管弦楽版よりもキた。と言うかオリジナルよりも好きかも…この辺りは世代的なもので、オリジナルは後追いで聴いたため音を古く感じたからと言うのもある……と言うとプログレファンに怒られそうですが。しかしこの吹奏楽版のおかげで楽曲自体の凄みを思い知れたよ!
ほげー体調いいときにきちっと聴きなおしたいがこの構成でこのバンドでこの指揮でまたいつやってくれるやら…『SYMPHONIC D.P.』の方は本家を迎えて『題名のない音楽会』でオンエアするようですが(収録は別日)、『タルカス』もやってほしいー!
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心配かけたささんに平謝りの後おいしいお茶とおやつを食べつつスコーン、パン、551蓬萊、加齢、景山民夫、クドカン、川勝さん、ああいう時の菊地成孔の身の処し方には唸るものがある、の話などして解散。話をしていたその頃、川勝さんのお別れ会が行われていたようだ。菊地さん弔辞読まれたのですね。
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2012年02月11日(土) ■ |
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『没後150年 歌川国芳展』後期、山口晃展『望郷 ―TOKIORE(I)MIX』 |
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『没後150年 歌川国芳展』後期@森アーツセンターギャラリー
早起きして六本木。受付+入場は10時から、ほぼその時間に着いてチケット買える迄10分程でした。30分以上のときもあったそうだから、やっぱ朝来て正解だったな…入場も朝イチだと前にひとがいない訳で、混雑で詰まると言うことがなく見やすかったです。しかし最初のセクションが武者絵なので、そこはやはりひとの頭越しに観るのが殆どでした。
主線の太さがマンガ的にも感じ、その主線を黒以外の色でひいたり、違う色同士で重ね刷りしているところがポップにも感じる。淡い水色や桃色の使い方も洒落ている。コマ使いもマンガ的なんですよね。美人画の目線上にコマが配してあって、そこには彼女の思いびとが…みたいな。江戸っ子の粋ですね。
しかしその粋な江戸っ子が、武者絵のあのバイオレンスっぷりを描き出すと言うのも面白いところ。美人画や、ねこ、金魚の戯画のかわいらしさと、武者絵のエグさは続けて観ると絶句するところもあります。そしてどっちも見て来たんかいそれを!とか思う。妖怪との血みどろの死闘も、おたまじゃくしの手をひいて縁日に向かう金魚たちも、まるで国芳は現実に目にしたかのように活写する。没後150年になっても瑞々しく躍動するその線、その色。それを生み出すその目、その手にひたすら敬服。
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さて銀座へ移動、この時点でまだ昼前。早起きはなんとやらですな。歌舞伎座近所の『You』でオムライスを食べました。ここのオムライス好きすぎて、他のメニューのナポリタンやグラタンも気になるのにいつもオムライスを頼んでしまうよー。歌舞伎座の工事も着々と進んでいるようです。
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山口晃展『望郷 ―TOKIORE(I)MIX』@メゾンエルメス 8Fフォーラム
さてこちらは現代に生きる絵師でございます。kaollyさんツイートしてくれてありがとー、いいハシゴになりました。
初日。全て新作。昨年の『東京旅ノ介』から続く、東京への諧謔と哀愁と愛情に溢れた構成。
「忘れじの電柱」は『東京旅ノ介』でも展示されていた電柱のインスタレーションシリーズの新作。このギャラリーは天井が高いので、この電柱の高さも実寸ではなかろうか(追記:この電柱として使われた柱はもともとギャラリーに設置されているものだそうです。それを黒くして作品にしたと)。これは圧巻でした。「正しい、しかし間違えている」はパースの狂った小さな部屋のなかに数点の下絵と椅子、テーブル、電話類。身体を傾け乍ら鑑賞。実際東京には「こんなスペースによく建てたなあ、入れたなあ」、奇術か?なんて笑えてしまうような空間がある。銀座のど真ん中のギャラリーに、デフォルメされた(しかし正しい)東京が置かれている。この不思議な、気が狂いそうな感覚は山口さんの真骨頂。
そして大物「Tokio山水(東京圖2012)」!ものっそい途中でした(笑)主線も全部入りきってない。しかしこれがまた、完成を期待せずにはいられない気配がありありです。サイズもデカい上、緻密な線がここに加えられていくのか…そしてあの色が……と、その序盤の姿からすら気圧される感じでした。なんでも毎晩閉館後に山口さんが来て描き進めているそうで、完成予定は四月頃とのこと(kaollyさんお知らせ有難うー)。何度か通ってみねば…これは見ものだ。描くひとの姿は見ることがないのに、同じ空間に再び行ってみると絵のなかの世界が進んでいるなんて。ワクワクする!
自分ちや職場周辺も構図に入っていて嬉しかった。正しい、しかし間違っているそこに勤める自分、そこに住む自分。山口さんの描く街並には、そこに暮らすひとたちの息づかいをも掬いとっているかのよう。同じ時代に生きて、作品をリアルタイムに観ていけるなんてとても幸せなこと。
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銀座デパート巡りもして、松屋のナガオカケンメイ構成『森正洋・デザインのことば』展も見てきました。金言、しかしところどころくすっと笑える。
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2012年02月04日(土) ■ |
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『東京プレイボーイクラブ』、Café Théo |
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『東京プレイボーイクラブ』@ユーロスペース 2
初日に観てから一週間経ってしまって(書いてるのは11日)もういろんなことが忘却の彼方ですがー、ええとー、面白かったよーう。勢いがある監督が撮ったってのがバリバリ伝わります。その奥田庸介監督がエレファントカシマシの「パワー・イン・ザ・ワールド」から想を得て一気に書き上げたストーリーと言うことで、エンディングに使われるその曲がもー、配置といい、タイミングといい、映像との噛み合いといい、シビレます!映画館の大音量で聴くべし!観るべし!エレカシのファンの方も是非!もうあの幕切れ、鳥肌ブワーもんでしたよ。映画館で観てよかった……。
で、おーもりさんが狂犬の役でですね、今迄の鬱憤(て何のよ)を晴らすかの如くめちゃくちゃやりよります。このあたり、勝利(役名)がなんでこうも荒れよりますのんってとこの背景がもうちょっと知りたかった感じもしましたが(何せ怒れる若者、にしてはもういい年齢。で、いい年齢にしては見境なしもいいとこで、大人なのに「この子はただのアホなのではないか…」と思える・笑)、まーこういう得体の知れない怒りを抱える役を演じるおーもりさんはいいですね。そんな!アホの子の!勝利が!いろいろな思いをまるごと吐き出すかのように吠えまくるラスト!そこに切り込んでくる宮本さんの声!イヤホントこのエンディングは素晴らしい!(だいじなことなので繰り返します)
おーもりさんと光石さんの対比もよかったですし、そして赤堀さんですよ!赤堀さん最高!スタイリングも素晴らしかった…あれ自分でコーディネイトしたんでないのってくらい、赤堀さんとドンピシャ。いやその、赤堀さんが演出する作品に出てくるあのファッションセンスとあまりにも通じており、それがあのー、あれですよ、面影ラッキーホールの世界ですよ、絶妙でしたよ。あー赤堀さんいいなー。佐藤佐吉さん、三浦貴大さんとの三兄弟は、怖いのに笑える仲良し変態よい子なコンビネーションで、出てくるとワクワクしました。
そしてヒロイン臼田あさ美さんも素敵でしたー。前半のほわほわからあれよあれよと修羅の道へと巻き込まれ、そのまま流されていく。車のなかで勝利に、ぽつりぽつりと零した言葉がせつなかった…だからこそ最後は勝利なんとかして!て思うね……(涙)。
舞台挨拶も楽しかったです。フィルメックスで既に観ていた友人から監督のキャラがよくて…と聴いていたのでどういう…と思っていたら、いやホントいいキャラでした。説明し難い(笑)。おーもりさんが主役らしく場を切り回しており立派になって…!と思いましたがそもそもおーもりさんがそういう役回りをする程に監督のキャラがナイスだったと言うことです(笑)。
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映画終わったあとユーロスペース1Fのカフェでお茶してて、カラックスの写真やカラックスが監督した映画のスチールがやたらあるねえ、あーカラックスがテオくんと写ってる〜、なんて話していて、レジでお店の名刺もらって帰ったんだけど、帰宅後しみじみその名刺見てて気付いた。お店の名前まんま『Café Théo』で、ロゴマークもテオくんですがな。テオくんはカラックスが、当時パートナーだったジュリエット・ビノシュから贈られたいぬ。『ポンヌフの恋人』にもちらっと出演しています。
Café Théoは昨年3月9日にオープンしたそうです。そうだ、前同じ場所にあったカフェにはちょこちょこ行ってて、閉店してガーンとなってたんだ…それ以来行ってなかったんだ。ってことは、ユーロスペースに来たのもそれ以来ってことか。随分長く来ていなかったんだなあ……。映像や写真に残って、今でも思い出せるカラックスの愛犬。思わぬところで会えて嬉しい。また行きたいな。
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2012年02月03日(金) ■ |
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『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』、川勝さん |
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『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』@赤坂ACTシアター
うわー、これはいい再演でした。
少ない乍らも何作か三島由紀夫の演劇作品を観てきて、彼の戯曲を上演した場合と、小説から上演台本を起こして舞台作品にした場合とでは、今のところ後者の方がしっくりきています。前者だと、台詞=美しい言葉をひたすら追う状態に偏りがちになり(自分が)、挑発的とすらとれる文学の強度を思い知らされることが多いのです。しかし、三島が言葉で描写出来ないものなどないのではないかと言う技量で何もかも美しく表現している小説から視覚情報や聴覚情報を抽出し、それをト書きとして編集した上演台本から立ち上げられた舞台には、語弊のある言い方かもしれませんが言葉に邪魔されずストーリーに入り込むことが出来る。
演出は基本的には初演と変わっていませんが(しかし「チーン」と現れた金閣の画像に山川さんがひょこっと顔を出すっての、あったっけ?面白かった…)、舞台から発せられるエネルギーがダイレクトに伝わる感じがして圧倒されることしきり。演者がより強肩になった感じ。台詞が強くそして深く、遠く迄届く。そして照明、演者自身が行う舞台転換とそのまま舞台装置になる身体、システマティックなフォーメーションと演者の感情を直球で伝えるフリーフォーム、と言った演出上のフックが的確に消化され、作品世界がより強固になった印象でした。
特に一幕ラストは音と視覚情報の圧を段違いに感じて鳥肌。あの鳳凰と溝口の対峙を正面寄りで観られたのはとてもよかったです。劇場の構造、観た位置の違いも関係しているかな…KAATでの初演は上手側のバルコニー席から観たのですが、バルコニー席がないACTシアターでは正面からの一極集中で舞台からの情報をまともに喰らった感じでした。そしてそれは、森田くんと山川さんから発せられる力によるところも大きかったと思います。
あ、と言えば、初演時に山川さんが今作品での発声についてツイートされていたので、それをまとめて読み返していたのですが(・舞台『金閣寺』、山川冬樹さんの発声について(初演時))、これでは「一幕最後、二幕で溝口の背後から迫るシーン、二幕最後の壁のせり出すシーンはハンドマイク」「最後の壁倒壊後のシーンでは、ハンドマイクはあくまで補助で、主に頭蓋骨の振動を直接拾う”骨伝導マイク”という独自に考案したマイクを使って発声」と書かれているけど、今回は骨伝導マイクを使う箇所が増えていたような気がします。
そして今回は、溝口が鶴川からカキツバタをむしりとるシーンが印象に残りました。鶴川はもう死んでおり、彼を演じている大東くんは私服(と言うか、現代の若者の服装)に着替えている。そんな彼が持っているカキツバタを、柏木から生け花用に採ってきてくれと頼まれた溝口が摘みに来る。カキツバタはしっかりと鶴川の手に繋がれ、なかなか摘み取ることが出来ない。花鋏も使わず、溝口はそれを力づくでひきちぎる…地面から、鶴川から。この時点で溝口は鶴川の死の真相を知らない訳ですが、死者としての鶴川、溝口が知り得なかった鶴川の孤独を象徴しているようなシーン。大東くんの表情に胸が痛みました。
そして鶴川のその表情を知っていたであろう柏木の達観した佇まい、そんな柏木が走って逃げる溝口を追う際一瞬見せる焦燥。「認識ではなく行動が世界を変える」と言う溝口から去る柏木の表情には、鶴川に続き溝口をも失うのかと言った混乱が現れているように感じました。怒り、悲しみ、諦め。高岡くんのこれらの表現は強度を増していたように思います。
溝口、鶴川、柏木。彼らの危うく揺らぐ関係性をしっかり捉えた三人の演技は素晴らしかったです。そして三島が投げかけた「認識か、行動か」は、震災以降の彼ら、そしてそれを観ている自分にも向けられているように感じました。
ちなみに山川さんが「パ」と言えない『「パ」日誌メント』は続行中。そして初演のときも舞台上で意識を失っていたんですね…ツイートによると今回はそれで怪我をしてしまったようです。本編に影響を与えることなく進行しているところはすごいと思うけどちょっと心配。危ないことになりませんように、皆さん無事千秋楽を迎えられますように。
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1月31日未明に川勝正幸さんが亡くなった。ACTシアターのすぐ近く、TBSラジオのスタジオでは、菊地さんや大根さんが追悼番組を放送していた。大根さんの番組は帰宅後即ラジオをつけ終了迄聴き、菊地さんの番組は録音したものをその後聴いた。
誰かを喪ったときの菊地さんの言動は、いつも真摯さと敬虔さとカオスに満ちている。その場面には一観客として、一リスナーとして幾度か遭遇している。喪失に執着するな。喪失を受け入れろ。そして、受け入れたフリは一番止めろ。「欲しかったけど手に入らなかった物」なんて、そんなもん幸福のシンボルじゃないか。
「音楽は通路(ツール、かも知れないが、通路、と言う言葉もしっくりくる)を選ばず届く。全ての死者に。」と言う言葉を皮切りに、菊地さんは2時間ひたすら音楽と献花文を届け続けた。そして最後にこう言った。「今は言葉を持たない。これから川勝さんの死とじっくりと向き合い、ライド出来るようになったら、何かしら話したり書いたりしようと思います」。待つ。
正直なところ、ただの一読者に過ぎなかった自分でもまだ信じられない。しかし川勝さんに教えてもらったこと、ものは数知れない。川勝さんを最後に見たのは菊地さんのライヴだった。川勝さんが菊地さんと出会ってからのこの8年、菊地さんのライヴでは必ず見掛けていたと言っていい。それ以前にはスカパラやSDPのライヴ会場、宮沢章夫さんの作品がかかる劇場、そしてリンチの映画がかかる映画館(これは滝本さんとコンビで)で。「あ、川勝さん来てるよ」。何度この言葉を口にしたことだろう。現場に必ずいる。それも川勝さんが書くものを信用出来る理由でもあった。いとうせいこうさんの献花文「目利きのいない世界は闇に等しい」を繰り返し思い出している。今は、ただただ、感謝を。
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