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2010年09月29日(水)
METROFARCE『伏魔殿の密会2010「盗賊どもの夜会服」(Deluxe Edition)発売記念ライヴ』

METROFARCE『伏魔殿の密会2010「盗賊どもの夜会服」(Deluxe Edition)発売記念ライヴ』@Shibuya O-WEST

いやー降らなかったね。メトロファルスのライヴで雨降らなかったのっていつ以来だ?雨男ヨタロウさん曰く「夏休みを返上して」作業の末やっと出ました『盗賊どもの夜会服』(Deluxe Edition)。発売記念ライヴです。リリースは二週間後ですが、会場では先行販売されていました。「ホントはこの夏海に行った時にする予定だったけど、行けなかったんで今する」と、水中メガネ装着でオープニングと途中の数曲唄ってました(苦笑)。

ステージ両端に脚立が置いてあり、ヨタロウさんが飛び乗ったりよじ上ったり。ダイ熊さんのパーカッションブースもお立ち台みたいに高く設置。あーメトロってこういう演劇的とも言える仕掛けをよくやってたな。今回はその演出がここ数年ではいちばん効いてたような。バーレスクダンサーさんも登場、妖しい乍らも楽しい大人のファルス。

演奏の方はと言うと、『盗賊どもの〜』の曲をGUNちゃんが「初めて弾くよ〜」と言ってたことにうわあと思ったり。バカボンが弾いてたんだもんね……。当時のメトロはバリバリニューウェイヴ/プログレだったので、最近(と言っても20年くらいだが・笑)のレパートリーにはなかったサウンドが聴けて面白かった。後半はヴァイオリンのサポートを迎えて、ここ20年くらいのルーツ・ミュージック、アイリッシュ/ケルティック・パンクなものも。「宵闇峠地五郎変化」やったの結構久し振りだよねー。カヴァーも多くて(もはや恒例?以前宴会芸とも言っていた、間にクラプトンetcのロックの名曲リフやメロを挿み込むやつもあったよー)THE BANDに細野さんに、HONZIの曲もやった。「一昨日が命日だったんだ」。客出しのインスト曲も、確かあれはHONZIの作品だった。

ヴァイオリン、初めて見る方でどなたかなあと思ったのですが、ブログが見付かりました。
・ムトゥ・アラータの日記『9/29渋谷O-WEST』
井の頭公園…み、観たことあるかも……。うわーなんだか「宵闇峠地五郎変化」をレコーディングした時のエピソードを思い出しちゃうな。

12月にはキャプテン三部作(!!!)がボックスでリイシューだそうです。うわー!そして12月27日にO-EASTでライヴ。一年に三回もメトロがライヴするなんて嘘みたい(笑)。ゲストに良明さん、バカボン(!!!しかもヨタロウさん曰く「スティックで」だと!!!)、チャバネ予定だそうです。なんとか行けるといいなあ。



2010年09月25日(土)
SIMPLY RED Farewell Show in JAPAN

SIMPLY RED Farewell Show in JAPAN@東京国際フォーラム ホールA

最初で最後のシンプリーレッド。はー、素晴らしかった…ミックの生声を聴けるなんてもー、長年の夢が叶いました。まあ彼が引退する訳ではないし、ソロで今後ライヴを聴けることもあるかも知れないですけどね。と言ってもシンプリーレッド自体がソロプロジェクトのような趣だったし……。個人的には、あとパディ・マクアルーン(プリファブスプラウト)の声をライヴで聴ければもう思い残すことはないんだが、これは叶いそうにない。悲しい。

今のバンドメンバーはケンジジャマー(鈴木賢司)しか判らなかったのですが、ミック+6人編成。Drs、B、G、Key×2、Percだったかな。KeyのひとがSax、PercのひとがTpを兼任。それにしても鈴木くんかわんねーなー!そりゃ顔は年相応なんでしょうが、二階席だったのでそこらへんは見えないし(笑)。シルエットが全然変わってねーのに感動した。ラバソ、サラサラロン毛、心地よいカッティング、バネ人形のようなアクション!永遠のギター小僧。

『Stars』からの曲がいちばん多かったかな。アレンジも音源とほぼ変わらず。だからもーイントロドンでキャー!てなもんで。うわあん!すりこみ!シンプリーレッドはミックの声の魅力からかカヴァー曲も結構多いのですが、デビューアルバム収録のトーキングヘッズ「Heaven」をやってくれて嬉しかった。これか「Money Is〜」の時、「25年前の曲だよ」みたいなことを言ったんだよね。「きみたちはシンプリーレッドの最後の公演に来たんだってともだちや家族に自慢出来るよ」なんてことも言ってて、あー最後なんだなーとしみじみした。

会場全体が落ち着いてて座って聴いていたんだけど、ミックの方からするとおとなしいと感じたのかなあ。シンガロングを促したり「恥ずかしがらないで!」とか言ってて。つうかミックってこんなに気い遣うひとってイメージがない…盛り上がってないと感じちゃったのなら申し訳ない。でもじっくり聴けたので個人的にはよかった。とは言っても「Holding Back〜」〜「It's Only Love」となると一階席は辛抱たまらんと言った様子で立ち上がって踊るひとも沢山。そして続けて「Sunrise」!こっから後は盛り上がりっぱなし。本編ラストの「Fairground」はもともとダンサブルなナンバーだけど、よりカーニバル的なアレンジになっていてよかったー。

いんやそれにしてもホンットすごい声。地声も裏声も自由自在。衰えを全く感じないどころか、円熟味が増してますます魅力的。自分の思い通りに声を出せなかったことなんてないんじゃなかろうかなんて思ってしまう程ですよ。ヘンな例えになるけど、レース展開を熟知しているアスリートが、自分のコンディションを顧み、どう進めればベストのプレイが出来るか考慮したうえでセットリストを組んでいるようにも思えました。こういうのって肉体は切り離せないなー。だからこその解散なのかも知れないけど。勿論ショウ的な流れとしても素晴らしい展開。90分弱と言う長さも含め、シンプル乍らも充実した内容。

アンコールでは事前にアナウンスされていた屋敷豪太が登場。ミックとハグ、お互いを紹介後しばらく英語でやりとりしていたらミックが「日本語で喋りなよ〜」。ゴータくんは「ミックは世界でいちばんの親友、そして僕が知っている世界でいちばんのシンガーです」と言いました。そして「Stars」!カウントの声からしてすごく力が入っていましたが、演奏を始めると滑らかなグルーヴを生み出すドラミング。気持ちよかった。そしてオーラス「If You〜」。ゴータくんはパーカッションブースに移動して、楽しそうにタンバリンを演奏。

しんみりはせず、胸がいっぱいになるようなフェアウェルショウでした。感無量。

この日のライヴ音源は終了後即USBで販売されていました。3,000円で、記念ライヴ盤として購入するひとも多かった様子。内容自体素晴らしかったしね。物販コーナーすごい混雑していたので、オンラインで購入しました。届くの楽しみ。

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セットリスト

01. Out On The Range
02. Your Mirror
03. So Beautiful
04. Thrill Me
05. To Be With You
06. Heaven(Talking Heads' cover)
07. For Your Babies
08. Holding Back The Years
09. It's Only Love(Barry White's cover)
10. Sunrise
11. Fake
12. The Right Thing
13. Ain't That A Lot Of Love
14. Money Is Too Tight(To Mention)(Valentine Brothers' cover)
15. Something Got Me Started
16. Fairground

encore
17. Stars(Guest Drummer Gota Yashiki)
18. If You Don't Know Me By Now(Harold Melvin & The Blue Notes' cover)

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2010年09月24日(金)
シエナ・ウインド・オーケストラ 第33回定期演奏会

シエナ・ウインド・オーケストラ 第33回定期演奏会@東京芸術劇場 大ホール

『華麗なる舞曲』『吹奏楽のための第2組曲』『音楽のおもちゃ箱〜佐渡裕のトークと音楽〜』『リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲』『交響詩 ローマの祭り』、アンコールに「アフリカン・シンフォニー」「星条旗よ永遠なれ」。指揮は佐渡裕。

思えばプロの吹奏楽を聴くのは初めてでした。ああ、プロってこういうことなんだ……。

パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団来日公演のフライヤーにも書かれていましたが、“管弦楽の代替物”と思われることも多い吹奏楽。しかし水準が高いとこうも響きが違うんですね。吹奏楽は独立した音楽芸術なのだ。なんかもうすごいショック。

今迄聴いていた『ローマの祭り』とか、なんだったんだろうかってくらいぜんっぜん違った。吹奏楽コンクールの自由曲でやたらとりあげられるローマ三部作ですが、自由曲なのにこれだけ複数の学校が演奏したら、審査的には差が明確に見えるからいいかもしれないけど、演奏する側としてはどうなんだろう?そんなんでいいのかな?なんて思うことも多かったのです。しかし今回プロが、フル編成で演奏した『ローマの祭り』を聴いて、ああそんなことじゃないんだと思った。曲自体がいいから演奏したいんだなーと…それだけ魅力的な曲なんだ。演奏しがいがあるとも言えるけど、吹奏楽の魅力が詰まっている曲なんだ。それに気付かされた。

アマチュアと言うか、部活には制約がある。予算の都合上楽器が揃わない、演奏者のスキルも未熟。その中でやれるベストな状況を引き出すのが顧問の先生。スコアをアレンジして、編成や構成を変える。ウチの学校もオーボエやファゴットなかったからいろいろやりくりしたなあ。ティンパニも手動チューニングで4台しかなかったから音を間引きしたり(苦笑)。そうなって出来上がった曲はいびつなものだけど愛おしくもあって、記憶にもしっかり残ってる。

でも、レスピーギの頭の中で鳴っていたのは、それをスコアに起こしたのはこの音、この響きなんだ。プロフェッショナルが最高の水準で演奏して、パーカッションは10人いて、ピアノもパイプオルガンも入ったこれなんだー!聴けてよかったよ……。

あとすごかったのは『華麗なる舞曲』。これいやがらせとしか思えない(笑)スコアで、息継ぎの箇所がないよ!あと音域広過ぎ!それをあたりまえのように…吹きよるよ……(しろめ)。てか息継ぎどこでしてんの。それこそアマチュア楽団だと、1stと2ndで手分けしてこっそり交互に吹いたりするそうなんだけど、なんなく(に見えた)吹いてたよ!か、かんどうした……。

『音楽のおもちゃ箱』では佐渡さんが吹奏楽に親しみやすいトークと、ポピュラーな曲を数曲。「マンボ No.5」とか「翼をください」とか。で、「『ローマの祭り』でパーカッション10人いるので皆つれてツアーまわってる、曲によっては暇なひともいるのでここで演奏します」なんて言ってパーカッションのメンバーが素手でリズム演奏とか。楽しいー。そのほんわかさ加減と演奏の厳しさのギャップがすごすぎました。アンコールの「アフリカン・シンフォニー」も迫力!あんな速いの初めて聴いた(笑)。

そして「じゃあ最後にスーザのマーチやるよ、楽器持ってるひとは来て!」ええ?恒例らしいです。そういえば楽器持った制服の子が沢山いたな…部活帰りかと思っていたけど……笑顔で楽器を取り出してきぱき組み立て走っていく。みるみるステージがいっぱいに。「場所によっては客席の方が人数少なくなったりする(笑)これのために60歳超えてから楽器始めたひともいるそうです。嬉しいことですね」だって。

年齢も所属もバラバラ。個人持ちのユーフォニウムを抱えたひとも、たまごマラカス持ったひとも。指揮者はちっちゃな小学生も含め8人いました(笑)。なのにすごくまとまった、立派な「星条旗よ永遠なれ」でした。楽譜って素晴らしい発明だなあなんてここでちょっと感動したりした。楽譜を手にして、ひとりで家で練習して出かけていけば、初対面のひとと合奏出来るんだ。それが曲として完成するんだ。

うわーなんかすごくよかったよ…また観に行きたい!



2010年09月22日(水)
かまくら

恒例鎌倉。真夏日で暑いのなんの、彼岸花もまだ全然咲いてなかった…。翌日(祝日)のために前倒しで臨時休業のお店も多かったんだけど、23日は大雨になったのでこの日に行けてよかったかな。雨の鎌倉もいいもんですけどね。

長谷寺→寿福寺→鶴岡八幡宮→妙本寺

神社仏閣はこのくらい。今年はもーあれよ、ねがいごとなんぞする気力もなかったのでなんと言うかもうフッツーに景色を愛でに行った感じ。そして買いもの?のんびりまわりました。

長谷駅から。まずshironekoへ。個展初日寸前だったムラタカオリさんの作品が少なかったのが残念。インコの箸置き(こんなシリーズ)が一種あったので、インコ好きの友人のおみやげに。ここオーナーさんすごいいいひとなんだー。作品の紹介も丁寧にしてくれる。

最寄りの海岸が見えるいい景色のお店でおひるごはん。とにかく暑かったので海水浴客が沢山いた。9月下旬とは思えない…。とてもいい景色。長谷寺にはチベットかな?のお坊さんたちが団体で来ていてなんだか珍しい光景。観光客に一緒に写真撮られてたりしてた(笑)。

てくてく歩いて鎌倉駅周辺へ。灼けた…。途中にあるバーンロムサイに寄ってまたタイパンツを買う。ここのおねーさんも気さくないいひと。移転したキビヤベーカリーは水曜定休と判っていたけどお店の様子を見に行く。前の場所は若宮大路に面していて賑やかだったけど、新しい場所はちいさな道をちょっと入ったところで静かな感じ、こういうとこもいいね。寿福寺は今年はちゃんと正門から入ったよ!でもやっぱりひんやりしてる場所だった。なんかいますよ感がハンパないです。まあいるよね…そのひっそりしてる感じがいい。有名なお寺なのに商売っけもなくてギラギラしてないとこもいい。

今年3月に倒れた鶴岡八幡宮の大銀杏、植樹されて若芽が沢山出ていた。すごい生命力。倒れた時点で樹齢800〜1000年と言われていたこの銀杏、また育って以前のように大きくなる姿は私にはもう見ることが出来ないけれど、その過程をほんのちょっとだけでも垣間見られるのは嬉しいことだ。こういう自然の流れに比べれば人生なんてあっと言う間だよなーとしみじみ。

妙本寺は初めて行きました。ここねこ寺としても有名で、ねこがいるいる。しかも皆ひと慣れしてる。外国人観光客もねこの写真いっぱい撮ってた(笑)。ここはまたゆっくり来たい!

あとはひたすらうろうろうろうろ。ここらへんのお店は閉店時間が「日没」となっているのが風流ですなあ。gramってお店のひとがすーごいいいひとで、扱ってるアクセサリーもすっごくよくて、次回もまた行こうと思った。お茶したとこも夕ごはん食べたとこもいいとこだった。最近は毎年夏に行っているけど、学生の頃は冬にばっかり行ってたんだよな。冬にもまた行きたいなあ。



2010年09月21日(火)
『自慢の息子』

サンプル『自慢の息子』@アトリエヘリコプター

行ってきました初サンプル。ううーむ、松井さん、書き分けと言うか、『聖地』と共通のテーマはあるものの、自分のところでやるものと外部に書き下ろしたものとではきちんとテイストを変えてきているところがすごいなと思いました。演出もこのテキストならこうくるか、と言う。短期間に二作品観た上での感想なので、過去のものがどうだったかは判りませんが…しかし『聖地』が初の外部へ提供した作品だそうだからなあ。初めて、と言う割にはかなりの手練ではないか。末恐ろしい。

しかし松井さんとハイバイ岩井さんとのアフタートークで話題になりましたが、今回は大分判りやすい…と言うか、登場人物の動機がいつもより明快になっている、とのことでした。外部に作品を書いたことがきっかけなのかどうなのか松井さんは明言しませんでしたが、ものごとに対して自分の解釈を貼り付けることに興味がある、と独特な言い方をされていました。

これも自分が信じる=信じることを決意する、に関連してくる。うーん、こういうのって続くなあ。

『聖地』は老人たちがホームを聖地だと宣言し、巡礼者たちが集まってくる…と言う流れでしたが、『自慢の息子』ではひとりの青年(もはや中年かも知れない)が自分の部屋に独立国をつくり、亡命者がやってくる。どちらも自分たちの“王国”を探し続ける内容です。丁度よしもとばななさんの『王国』シリーズ一気読みしたところだったのでいろいろ思うところがありました。はみだし者たちが自分たちの居場所を探す。どこにもいられない、と言うことはない。どこかにはある。つくることも出来る。しかし、それは永遠には続かない。必ず崩壊の季節がやってくる。

その王国があったこと、と言うのは歴史の中に埋もれていき、数年後、数百年後、数千年後にはそれってホントにあったの?なんてことになる。岩井さんが「歴史ってホントのところ実はなかったんじゃないか、信用してない」と言っていて面白かった。大体自分で目にしてない、学者たちの解釈によって想像されたものが歴史なので、実際のところは判らない。自分の都合のいいように改ざんしているかも知れないじゃないか!と。それは歴史に限らず、例えば会話やコミュニケーション全般に関して通じることでもあります。その誤解は、解釈によっては実は正解。母にとっては自慢の息子。妹からすると大好きなおにいちゃん。外部から見ると共依存、ひきこもり。お互いの性処理も承ります。物事は解決しない。しかし不思議と解放感のある幕切れ。歴史の解釈も、自分の考えの行き詰まりを解放したいからこそのハッタリなのかも知れない。それは伝説や神話に成り得る。

役者陣もよかった…きもちわるさを生々しく見せるのに笑えてしまったり悲哀が滲み出たり。お互いがお互いをつきはなし、それなのにくっつきたがってる。全員初見の筈なのに、顔、佇まいがガッツリ頭に残りました。これって自分にしては珍しいのですが、それ程強烈でした。

それにしても『聖地』といろいろなシンクロニシティがあって身震いするシーンが何度かありました。小道具の被りとか…作為とかないと思うんだよね……使い方としてはかなり違うし。松井さんはまだ『聖地』を観ていないそうで、今日こちらの本番が終わったからようやく観に行ける、と仰ってました。観たらどう思うのかしら。今回松井さんの、ひとつの場をいくつもの国境で分断し、その上をガイドに横断させるような演出には唸らされましたが、松井さんは『聖地』の蜷川さんの演出に関してどう感じるのかしら。

しかし青年団周りの層の厚さ、恐るべし。自分が気付いたのは『3人いる!』からだったからちょっと遅いんだよな。青年団はもともと若手育成(役者だけでなく作家、演出家も)に熱心で、と言うよりどんどんやりたいことやらせちゃう環境を作っている。そしてどんどん巣立ってってるし、お互いのユニットの交流も盛ん。ハイバイもままごとも近いうち、なるべく早く観に行きたい。五反田団もな…アトリエヘリコプターは五反田団のアトリエなんですが、先にサンプルで来てしまった……。

『聖地』と『自慢の息子』両方を観たひとには、半券提示で松井さんによる『「聖地」から「自慢の息子」へ<場所をめぐって>』と題されたちいさな解説がもらえました。休演日だったゴールドシアターのメンバーや、青年団のメンバーの姿も。



2010年09月20日(月)
『シダの群れ』

『シダの群れ』@シアターコクーン

岩松了がヤクザもん、しかもコクーンで。しかし岩松さん、こないだはコクーンで大衆演劇のバックステージものをやりましたからね…一筋縄ではいきません、ホント喰えない男よのお(笑)。

で、岩松さん念願の、と言うか満を持してのサダヲさんとの仕事だったそうで、それがまたすごくよかった!岩松さんにしてもサダヲさんにしても、新境地…とはまた違うんだけど、お互いの、おお?と言う面を目にすることが出来ました。これは岩松さんの劇作力なのかサダヲさんの役者力なのか…いや、両方だろうなあ……岩松さんの気障でロマンティストな一面と、サダヲさんのテンションの裏に隠された暗さみたいなもの、静かにしている時の狂気。これを目に出来たことは嬉しい。以下ネタバレあります。

組の後継者争いが、穏やかに描かれていきます。これが岩松さんの書くもんにズッパマリだった。と言うのも、登場人物が皆腹に一物抱えていて、それを隠したまま禅問答みたいな会話を繰り広げるのです。これ岩松さんのテキストの特徴そのものやん…装置にしても「見えないところで何かが起こる」、そして「何が起こったかの説明は極力少ない」。この謎めき効果が光る。そして何も言わず、全てを判った上で死に向かう人物造形が立体化する。そこに絡んで来る女性たちの心理描写もハマるハマる。こんなにヤクザもんと岩松さんの相性がいいとは…!ゾクゾクきました。

だもんだから、岩松作品なのに不思議と腑に落ちやすい…と言うか、後味は悪いんですけど(笑)、翻弄されてイヤな気分になることはない。それむしろ術中にハマッてるんじゃ…あー岩松了だいきらーい!だいすきー!

風間さんとサダヲさんのテンション芝居合戦なんて夢のようなシーンもあってたまりませんでした…これはみものでしたよー。やっぱりキレキレの風間さんは格好いい。その前後がゆる〜い描写なのね、おやつぽりぽり食べてたりやたら皆にコーヒー勧めたり。プツッとキレた時との落差が激しいのなんのって。しかも女々しい。素晴らしい(笑)。サダヲさんはサダヲさんで、あ、ここは絶対キレるな、と思ったところでキレて、しかしその前のくるぞくるぞ、って間がすごくイヤ〜なの。あの銃、弾二発入ってたからあと一発どうするのかな…とか。これがまた意外な使われ方をしてすごくイヤ〜な幕切れに…(これを止められなかった時のサダヲさんの表情がまたよかった)もう岩松さんだいきらーい!だいすきー!

あと持ってる小銭が893円とかしょうもないところに小ネタを入れて、それを敢えて気付かせないように使うところも意地悪でした。だいきらーい!だいすきー!

伊藤さんと風間さんの喪服で「コーヒールンバ」とか、「つぐない」で幕切れとか、カーテンコールが「サイコキラー」で思わず客が手拍子に、とか、もう選曲も拷問のようでございました。笑いを通り越してもう格好いい!こういうギリギリな中で飽く迄影のある人物像を演じる江口さんの役柄も格好よかったよ…このひとコメディも出来るひとだけど、敢えてこの配置ってところがまた絶妙だった。サダヲさんと風間さんがかなり笑いの部分を持っていくのですが、その場にいても格好よさを通さなければならなくて、これがまた見事にブレていなくて素晴らしかったです。サダヲさんと公園くんのやりとりは流石でしたし、伊藤さん、江口さん、黒川さんの緊張感溢れる競演も見応えありました。

カーテンコールで、風間さんがサダヲさんを前に押しやって挨拶させてたのが微笑ましかったです。いい座組。



2010年09月18日(土)
『聖地』

さいたまゴールド・シアター『聖地』@彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

いやもうまずは、とにかく観に行けるひとは観に行ってください。26日迄です。作家、演出家を始めとするスタッフワークと演者のマジック。素晴らしい。ゴールドシアターは毎回挑戦的で、毎回何かを打破する。毎回驚かされ、毎回どうしようもなく胸に迫る。そしてその毎回の内容は、いつも今回しかないもので、いつか憶えているひとはいなくなる。だから今この時間の中で観てよかったと思える。会えてよかったと思う。そしてやはり「信じる」がキーワード。以下ネタバレあります。

前作『アンドゥ家の一夜』では「高齢者」と言うアドバンテージすら無効にするポテンシャルの高さを示したゴールドシアター。今回は1972年生まれの松井周が書きおろした作品の上演です。蜷川さんが組んだ現役(存命)劇作家としてはいちばん若いとのことで、ふたりは40歳近く年齢差がある。松井さんはド直球を投げてきました。「高齢」「死」が大きな柱になったストーリーです。しかも手法はグロテスクなもの。高齢は自分で選べるものではないが(歳をとらない人間はいない)、「死」は自分で選べる。そしてその選択は法律によって奨励されている。と言う仕掛けです。より死に近い演者たちにこれを言わせるか、と言った一歩間違えば悪意ととられかねない台詞が数多く出てきます。しかし、実際にそれをゴールドシアターのメンバーが口にすると、悪意はユーモアになり、その滑稽さは人間が生きることそのものになる。まずはこういうマジック。

松井さんが戯曲のみを提供した作品は今回が初めてだそうです。彼が作・演出を務めるサンプルは、毎回「ぬるっとしてる」とか「グロテスク」「悪意」「きもちわるい」と言った評判なんですが、これを蜷川さんが演出するとこうもユーモラスで美しくなるか、と言う驚きがありました。これがふたつめのマジック。しかし自分は松井演出をまだ実際には観たことがないので、現在上演中の『自慢の息子』を急遽観に行くことにしました。自分の目で確かめる。満を持して初サンプル。覚悟して観ます。

そもそも蜷川さんはグロテスクなものの中に美しさを見出すのが得意なひとだと思います。そして死への憧憬がものすごく強い。廃墟の中に幻を見る。棺の並びにデザインを生む。それは今回の演出にも随所に現れています。幕開けで布がかけられている家具類はそれこそ棺桶に見える。布が外され、物語がはじまり、最後にはまた布がかけられて(この布を外す、かける一連の仕掛けがまた素晴らしく美しい)場は風化し、物語が終わる。現実と虚構が交差する。ここにいた筈のひとたちはどこへ行ったのだろう?死んでしまった?消えてしまった?そもそも本当に存在していた?記憶は信じたものだけが残る。やはり「すべてのものは誰かが信じた何か」なのだ。皆が忘れたとき、信じることをやめたとき、それは消える。蜷川さんは、その危うさとはかなさを美しく描く。

“聖地”は皆が信じ続けないと存続出来ない。集団が宗教になり、内ゲバが起こり、クーデターが起こり、崩壊してまた新しい“神”を求めて集団が形成される…愚か乍らも滑稽でせつない繰り返しだ。何度でも人間はやりなおす。その営みも、いつかはきっと風の中に消えていく。

ものすごく残酷な言い方をすると(残酷だからこそいずれ自分にも返ってくることだと思っている)、この集団は数年後(数ヶ月後、数日後かもしれない)には誰か死んでいる。それが増えていく。ひとりひとり去っていく。見続けていて、存在感を示してくれて記憶に残る役者さんに沢山出会えているのに、本当にこの劇団は実在していたのだろうか……と思う日がきっと来る。そしてそんなことを考えている自分もいつか消えていく。記憶のはかなさ、思い出を持つ人間のはかなさ。

演出によって浮かび上がるものの質感がかなり変わる作品。今回この演出で観られたことを幸運に思います。ラストシーンに出て来るラジコンのヘリコプターも、恐らく戯曲の隙間を縫った蜷川さんのアイディアだと推測されます。言葉にすると陳腐ですが、魂の乗りものと受け取りました。臓器もむしりとられ、居場所もなくなった老人たちは肉体を失っても、どこかへ飛んでいけるのだ。そう思わせてくれた蜷川さんに感謝。

松井さんの台詞術も見事でした。登場人物は9割が老人だが、所謂“お年寄り”な口調は書かない。むしろそれを逆手にとって、ホームの様子を見に来た警察官の目を欺く時に「笑え!としよりらしくしろ!」と腰を曲げ、「なんですかなあ」なんて言わせる。これには笑い乍らもハッとさせられました。“お芝居”のいやらしさを見抜いてる。あとキノコちゃんの口調な…これ素晴らしかったわ(笑)「〜キノ〜!」ってね。あかんまわるわこれ…唯一のヒット曲として劇中流れる歌もすっごいまわる、今唄える(笑)。

生きている限り、老いには必ず向きあう。歳をとらないひとはいない。そして死ぬ時は絶対にたったひとりだ。臨終の時に思い出す光景、思い出すひと。必ず通る道。生きているひとなら感じるものが必ずある作品です。



2010年09月16日(木)
『表に出ろいっ!』

NODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』@東京芸術劇場 小ホール1

娘役が黒木華さんの回。いやー…身につまされる話だったわ……。それにしても速度、濃度の高いこと。75分の中にみっしり詰まっています。以下ネタバレあります。

信じることの愉悦と恐怖。『ビリーバー』に続き、ここでも“信じる”ことについて、それにまつわる信仰と宗教についてが出て来た。野田さんは“信じる”ことを巡る三部作を展開中で、『表に出ろいっ!』はその系譜。家族はそれぞれが信仰するもののために家を空けようとする。ひとりが家に残らなければならない。家族間には戦争が起こり、命の危機がやってくる。

ひとは自分の信じるものについて語る時、なんて恍惚とした表情をするのだろう。しかしそれはまだ“信じようとする”≠“信じる”の段階だ。“信じようとする”=“信じることを決意する”になると苦しい、信じると決めてからが苦しい。信じ続けることは難しく、辛い。ひたすら孤独との闘いになる。自分がいちばん理解し信じていると思っている対象は、他者にとっては何の価値も持たず、理解出来ないものだからだ。

だからこそ排他的になる。寛容さを持たなくなる。非常に危うい。自分の命を賭ける価値があるものは、他者にとっては「薄汚いもの」かも知れない。

落とし穴なのは、対象がアイドル、テーマパーク、グッズで展開されていた序盤はまだ笑えるのです(身につまされるけどな…)。ところがそこに『ザ・キャラクター』でもキーワードになっていたあの“書道教室”が出て来る。やんやと湧いていた場の空気が凍ったように静かになりました。観客の皆が『ザ・キャラクター』を観ている筈はないのですが、娘に指示を出している人物がただならぬものだ、と言うのを伝える演者と演出は見事でした。ここから家族はどんどん不穏な方向に転がっていきます。家族がそれぞれ信じるものは神と言っていい存在なのかも知れません。それが宿る対象が宗教でもアイドルでもテーマパークでもグッズでも、側面としてはそう変わりはないのです。紙一重の恐ろしさを感じさせる展開でした。

そしてそこには家族のありよう(この「ありよう」の台詞が勘三郎さんから出て来なくて、野田さんがやれやれって感じで教えてたんだけど、それがもう長年つれそった夫婦のようなやりとりになってたのでウケつつ感動した)も浮かび上がります。妻は夫を「大嫌い」だった。夫は妻が妊娠した時「どうしよう」と言い、姑は跡継ぎになる男子ではないと判った孫を「堕ろせ」と言った。娘は母親だけに祝福されて生まれてきた。「何一つ信じられるものが、ここにはない」。

ここから家族はまた何を“信じようとする”=“信じることを決意する”かを迫られる訳です。誰でもいい、自分を救ってくれるならば。そしてその扉を開けたのは泥棒でした。なんたる皮肉。そして滑稽。神さまはやっぱり人間を玩具としか思ってないよねー。反面、自分を救ってくれるのなら誰だっていい、誰か、誰か、と求める人間の欲にもアホ程笑い、アホ程絶望しました。

爆笑と戦慄のジェットコースター。野田さんと勘三郎さんがガチンコですもの、どこ迄アドリブか判らんよ…台詞も前後してそうだし(笑)。でもそういうところすらも魅せてしまうのは流石です。黒木さんも声がいい、動きがいい。Wキャストの太田さんはどんななのかな、観たかったな。

それにしても野田さん、おばちゃんとかおばーちゃんとかやるとホンットハマりますね。プログラムで勘三郎さんが「歌舞伎の女形として招きたい」と言ってましたけどホントにもう…『THE BEE』での母親役でも同じ動作があったけど、倒れているこどもの身体(特に脚)をさする動作がすごく胸に迫るんですよね。薬もない、治療も出来ない状況で、目の前で自分のこどもが死にかけている時する動作と言ったらやっぱり身体をなでる、さするんだろうな…それしかないよな……と言う。

『THE BEE』と言えば、セピア調の照明使いも共通していました。あれ肌色がものすごく気持ちの悪い色になるんだよね。異常な環境を示すものとして非常に効果的。ラストシーンの、外部から家に入って来る光も素晴らしかったです。



2010年09月15日(水)
『極東最前線/巡業〜土砂降り街道エッサホイサッサ〜』

eastern youth『極東最前線/巡業〜土砂降り街道エッサホイサッサ〜』@Shibuya O-EAST

やーなんかすごいセットリストだった。内容も(それはいつもだけど)。

序盤「夜明けの歌」〜「男子畢生危機一髪」の流れがとにかくすごくて、触れれば切れそうなステージ上の音のやりとりに、フロアも盛り上がりつつも固唾を呑んで見守る感じ。イントロの一音目から「ど・わ!」って感じで湧くの、一触即発。もうこのやりとりがたまらん。MCから「踵鳴る」の流れにも鳥肌。そして「男子畢生危機一髪」の時モテ話から繋げて、わあちゃんと『モテキ』が…!と思ったり。ドラマ最終回は絶対観なきゃ。そして『モテキ』効果かは判らないけど、今回が初イースタンってひとが結構いたみたいでそれもなんか…いいなあ……と思ったりしました。

吉野さんのMCもいつにも増して冴えてて(いやいつも素晴らしいけど今日は特におかしみの意味で)、こないだ観た時よりも更に痩せてる感じがしてヒヤリとしたけど演奏も歌もすっばらしかったのでよかったよかったと思ったんですが、「年内あとぽつぽつ何本かやったら、しばらくライヴを休みます」とのこと。いつもレコーディングに入る時は極東お休みするし恒例みたいなものだけど、今回なんでわざわざ宣言するの…その後もちょっと意味深なことを言っていたり、ニノさんがものすごく喋ったり(どるさん曰く「この13年であんなに喋ったニノさんは初めて見た」)、アンコールでのタモさんの挙動がオモロ過ぎたし、気になるよ……。

いやしかしその「お休みします」って言った後のフロアの反応もオモロかったね…「ええー」だけでなくて、いきなり吉野さんに「身体をだいじにね」と言ったおんなの子がいてドッとウケたよ…それに対して「…おかあさん?」と応えた吉野さんもナイス過ぎる、更に大ウケ。お休みの理由が吉野さんの体調かどうかは判らないし、それならそれでちゃんと言うだろうしと思うからこちらがどうこう口出しすることではない、でもこのやりとりには吉野さんの機転に感心してしまったよ。

そしてニノさんの謎掛けに対してちゃんと「そのこころはー?」とユニゾンで応えるフロアも見事です。イースタンユースのファンっていいなー(微笑)。あといつも照明がいいよね…スタッフも素晴らしい……。

「荒野に進路を取れ」では隣のおにいさんが泣き始めてもうた。わかる!わかるで!てか私も泣いてた訳だが。オーラスは「青すぎる空」。イースタンのライヴはいつでもタイマンです。吉野さんがたったひとりに向けて唄った歌に、たったひとりで向き合うのだ。



2010年09月12日(日)
『What’s going on in your Head when you’re Dancing?』『ビリーバー』

カール・ハイド展『What’s going on in your Head when you’re Dancing?』@ラフォーレミュージアム原宿

・madame FIGARO.jp / Music Sketch『カール・ハイドのソロ・ペインティング展』

カールの頭の中を覗いてみよう、ソロ・ペインティング・エキシビション。個展はこれが世界初だったそうです。身体の動きを妨げず引いたように見える線は躍っているよう。開放的なようで内省的にも見える。ヘッドフォンをして踊るカールの頭の中に見えるもの。最新作『Barking』のアートワークもカールの描いたものだけど、これとは随分色味が違う。上記インタヴューによると、今回展示されている作品は展覧会を行う日本と言う国からイメージ喚起された部分がかなりあったようです。アンバー系やダル系の色。赤も沈んだ系統で漆のよう。ダンスミュージックの側面があり乍ら静謐で、どこかモノトーンのイメージがあるアンダーワールドの曲群にも通じるものがありました。初日にライヴペインティングが行われた小屋のみ鮮やかな青が使われていました。

創作ノートの展示も。紙を綴じたものではなく、一枚の長い紙が屏風のように折り畳まれているタイプ。表紙も日本のもの?と思うような和紙柄だった。なのでなんか…鳥獣戯画みたいな感じで……描かれているうねうねした線が、いきもののように見えたりもしました。ホテル備品のレターヘッドに描かれたドローイングも沢山。旅の先々で、思いついたらその場にある道具を使ってすぐ描かれたような、イメージを捕まえる瞬間。

リックによるオリジナルBGM(『BUNGALOW WITH STAIRS 1』)もよかったー。会場でCD売ってたので買って帰ってきた。今年の秋の夜はこれがヘヴィロテになるかな。

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『ビリーバー』@世田谷パブリックシアター

具合が悪くて初日に行けず、結局初見が千秋楽。うう。『マイ バニシング ポイント』も仕事終わんなくて行けなかったしなー。入江さんのひとり芝居7年振りだったのに、学祭含めて2作目から欠かさず観ていたのにー(泣)。

それはともかく『ビリーバー』。観ることが出来てよかった。スズカツさんと勝村さんのタッグは随分久し振り。『C.B.』に一日だけゲスト出演したりとかはあったけど、ガッツリ組むのはそれこそ『LYNX』以来ですよね。お互いのコメントにもグッとくるところがあったし、プログラムを読む限り、勝村さんがどうかは判らないけど、スズカツさんの方はここ数年の仕事のやり方を振り返るきっかけにもなった様子。個人的にはどちらのやり方もバランスよく並行してやれるといいと思う。

さて本編。スズカツさんが演出するリー・カルチェイム作品を観るのは三度目。『ディファイルド』はサさんに「スズカツが書いたのかと思った」と言われたんだけど、それくらい相性がいいと言うか、カルチェイムの作品はスズカツさんが芝居を通してずっと描いていることと根本的なところが通じ合っているように思います。宗教と信仰について。時間の流れについて。言葉を使うコミュニケーションの方法について、その通じ合えない歯痒さと悲しみについて。

そして通じ合えないことは、自分の決意によってどうにでもなると言うこと。“信じようとする”ことは“信じる”ことではなく、“信じることを決意する”と言うこと。「すべてのものは、誰かが信じた何かなんだ」、と言う台詞が強く心に残りました。信じたものは存在する。そしてその信じる、と言うことは決意なのだ。

信仰を宗教にすりかえる矛盾。その宗教が必ず抱える、信じないものは排除する好戦的な姿勢。この作品はワールドプレミアだが、カルチェイムの国で上演された場合どれだけの波紋を呼ぶだろう。クリスマスシーズンの話であり乍ら、9.11の季節に上演されたことも重要なポイントだ。日本は八百万の神々がいる国だから、まだ許容し易いのではないかと思う。基本的に誰も悪くない。ちょっとおかしなひとがいるだけだ。そして彼は正しい。彼が正しいと受け入れる社会は存在し難い。「ほんとに、なー。」とサンタらしき男は言った。神さまは見ているだけ、ただ見ているだけ。

それでもカルチェイムは、「彼は正しい」と書いた。そう言える勇気と決意を観客に示してくれた。

時間の概念についてもハッとさせられることが多く、いちいち頷きたくなりました。見ているものは見た時点で全て過去、抱いた感想も既に過去とかね。どんなことがあっても時間だけは留まることがない。全てはいずれ過ぎ去るのだ。楽しいことも、悲しいことも。それに気が付くと、気持ちが軽くなった。

小劇場的手法。小道具のキューブを役者たちがさまざまな形に組み替え、そのシーンでのセットにします。そのアイディアによって、観客の想像力はハワードの家のリビングから北極迄を目に映すことが出来ます。4人の出演者中、川平さんと草刈さんが複数の役を演じます。特に川平さんはもういくつやったっけかと言う…事前に20と言われていたけど、数える気も起きなかったよ(笑)。エチュードで起こしたと思われるシーンも多く、自分が90年代前半に浴びるように観た小劇場の空気を思い出しました。しかもそれを懐古ではなく、現代演劇の一手法として定着しているものとして観ることが出来た。これも嬉しいことでした。欲を言えばトラム辺りで観たかったかな。視覚的や聴覚的な面に問題はなく、遠く迄届く演出だったと思いますが、空気を感じられると言う意味では正に小劇場で観てみたいと思わせられるものでした。

そしてその舞台に、勝村さんが活き活きと立っていることも嬉しかった。スズカツさんは“体力”と表していたけど、勝村さんが舞台に立つ時の“力”はものすごい強度を持っている。滑舌、発声、身のこなし…身体的能力と言ってもいいかもしれないけど、それだけじゃない。それらをフルに活かした上での“伝える”と言う力がすごいのだと思います。

それにしても勝村さんと川平さんのやりとりはホント面白かった…間に入る風間くんの冷静さと度胸にも恐れ入りました、いちばん大人(笑)。草刈さんは『宮城野』の時から飛躍的に台詞回しが上手くなってて(偉そうですんません)驚いた!やはり舞台でずっとやってきたひとは、空間を察知する力が大きいのかな、声も身体の一部ですし。とてもいい座組でした、再演が実現するといいな。



2010年09月11日(土)
『みんなのサザエさん展』

『みんなのサザエさん展』@世田谷文学館

作中に登場し、今はその姿を見ることが出来ない街の姿。昭和をいろいろと振り返る。

長谷川町子さんが描かれた絵画や陶芸品の展示もありました。『サザエさんうちあけ話』で、長谷川さんがマンガを描くのがイヤになって連載を休み、その間趣味に没頭していたら家族に「何をやってもうまいわねえ」「天才!」等とほめそやされてアホかと我に返り仕事に舞い戻る…と言うエピソードがあったけど、その実物を観て、いやいや家族の言うことはおだてでもなんでもなかったんだわねと思った…。こどもやどうぶつの姿を写しとる繊細な描写力がすごすぎるー。そしてマンガでもそうだけど、とにかく線が細くて均質。マンガ原稿の方は、初期の作品ではペンのタッチを活かしている(ワンストローク中の筆圧の変化で細さや太さを変えている)んだけど、途中からまったく同じ太さ(これがまたほっそい)の線になってて。つけペンとは思えん…すごい……。あと画面構成も見れば見る程見事。

作品中に出てくる洗濯機やTVは今のそれとは随分姿形が違う。その当時の実物も展示されていました。冷蔵庫は氷を使うものだったり。自分でも実際に使っているところを見たことがないものも結構あった。それだけ連載が長かったんだよなあと思ったり。そして長谷川さんが亡くなってもう18年なのです。昭和も遠くなっていく。憶えておきたいな。

同じ世田谷にある長谷川町子美術館との連携企画だったそうで、8月迄は往復シャトルバスが運行していたようです。建物のあちこちにサザエさん貯金箱が隠れていたり、サザエさんの頭のシルエット(大きい!)をくりぬいたものを貼り付けていたり。ここって設営がてづくりな感じに溢れていて、そういうとこも好きー。ちっちゃい子が来ることも想定して展示に興味を持てるようにしているし。クイズ作ったり、その解答シートを塗り絵にしたり。『もやっとクイズ』と言うものもあり、なんと言うか『モヤモヤさまぁ〜ず』みたいな問題だった(笑)。「この給食おいしいと思う?」とか「TVは昔白黒だったんだよ、信じられる?」とか。明確な答えを求めていなくて、うまいこと感想を導き出す感じのもの。展示物のキャプションも、大人用とは別にひらがな多めで文体も判りやすいものが併設されていました。

そして関連イヴェントで小林顕作さんの読み聞かせとかあって驚いた…今こどもたちの間では「オフロスキー」(NHK教育『みいつけた!』に出てくるキャラクター)として人気者だとか。参加型で、こどもたちがサザエさんの登場人物になれるものだったみたい。