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2022年04月30日(土)
フェンスなど作らないことだ。庭は2倍の広さとなる

映画「エジソンズ・ゲーム」(アルフォンソ・ゴメス=レホン監督)から。
「原題:The Current War」(電流戦争)を、
わざわざ「エジソンズ・ゲーム」にした意図は何だったのか、
ちょっと気になるところではあるが、意外と面白かった。
私のお気に入りは「シカゴ万博会場で2人が出くわすシーン。
電力送電システムをめぐって繰り広げたビジネスバトル=電流戦争に、
勝利した側のウェスティングハウスが、エジソンにこう話しかける。
「フェンスは奇妙なものだ。
隣家が作ると家が2つに分かれフェンスは共有に。
問題は片方の家がフェンスを設計し、それを作り、
そのための費用も負担する。だが、もう一軒は無料でフェンスが手に入る」
と、繰り広げられてきた「電流戦争」を例えた。
「君の案を奪ってはいない」と呟きながら、
「解決方法はフェンスの費用を折半にするか、フェンスなど作らないことだ。
庭は2倍の広さとなる、違うか?トム」と投げかけたことだ。
負けたエジソンも「話せてよかった」とその意味を理解した。
「2人は、新しいエネルギーで現代社会を創る」という目的は同じ。
いつまでたっても、フェンス越しにお互いを罵倒するより、
フェンスを取っ払って、大きな世界を創ろうよ、そんな提案にも思えた。
彼らのこういった競争があったからこそ、現代社会がある。
「エジソンは『電流戦争』に敗北後、
キネトグラフ、キネトスコープの特許を取得。
新産業の『映画』を創った」というテロップを見つけた。
こうしてこの作品を観ることができたのも、
エジソンのおかげなんだよなぁ、感謝。



2022年04月29日(金)
幸運にも、私は恵まれた道を選び、走り続けたから

映画「スノー・ロワイヤル」(ハンス・ペテル・モランド監督)から。
息子を殺され、その組織のリーダーに対して、じわりじわりと、
除雪車を使って復讐をしていく父親の物語。
冒頭、画面に流れるテロッブは、
「あるものはどこに行っても人を幸せにする。
あるものは去ることで人を幸せにする。オスカーワイルド」
この意味が最後まで理解できず、消化不良だった。
今回メモしたのは、復讐していくシーンではなく、
彼が、長い間コツコツと除雪作業を続け、
模範市民として表彰されたときの受賞スピーチが良かった。
「私は雪に閉ざされた街から
文明につながる道路を除雪しているだけです。
人は、毎日同じ道を車で走ってると
違う道はどうだったかと思うようになる」と話し、
さらに続けて「私はそう思わないように努めている。
幸運にも、私は恵まれた道を選び、走り続けたから」と纏めた。
こう言い切った彼のスピーチが伏線となって、
殺された息子の復讐劇へと物語は展開していく。
人生、わからないものだなぁ・・と考えさせられた。



2022年04月28日(木)
人間はエネルギー資源を求めて戦争する

映画「映画 太陽の子」(黒崎博監督)から。
わざわざ、邦題に「映画・・」とつける違和感はあったが、
2020年8月にNHKで放送されたドラマ「太陽の子」とは違うよ、と
言いたかったんだろうな・・と理解した。
戦争兵器としてではなく、単なる科学として「核分裂」を追求、
そして、その目的は、戦争をなくすことだった。
この理論に、なるほど・・とメモをした。
「この戦争は何で始まったんやろ。エネルギーや。
土地も鉱物も人間はエネルギー資源を求めて戦争する。
先の戦争もそうやった。我々が核分裂をコントロールして、
そのエネルギーを自由に使うことができるようになったら、
人間のエネルギー問題は永久に解決するはずじゃ、
そしたら戦争はなくなる」
しかし、この理論の大きな間違いは、
「人間が核分裂をコントロールできなかった」ことにある。
逆に、自分達がコントロールできないものを野放しにしておくと、
大きな代償を払うことになることを私たちは、3.11で思い知った。
これから、ますますエネルギー資源を求めて、戦いが続く。
世界の人々が争わずにすむエネルギーは、やっぱり太陽光かな。



2022年04月27日(水)
人生に迷った時は「道をひらく」(松下幸之助著)

どんな人でも、誰もが一度は経験すると思われる、
「自分が生きている人生」の意味探し。
約1ヶ月をかけて、模索していたが、そのまとめは、
書籍「道をひらく」(松下幸之助著)に書かれていた。
特に「道」という文に、私は救ってもらった気がする。
表紙にも抜粋として書かれている名文の一節。
「自分には、自分に与えられた道がある。
広い時もある、せまい時もある。
のぼりもあれば、くだりもある。思案にあまる時もあろう。
しかし、心を定め、希望をもって歩むならば、
必ず道はひらけてくる。深い喜びも、そこから生まれてくる」
「『最良』の敵は『良』」というフレーズ。
一番やりたいことを邪魔しているのは、ちょっとやりたいこと。
そんな意味で多くの人に伝えてきたはずだけど、
今、そのフレーズが自分に一番響いている。
残り少ない時間を、どう使うか・・
「自分に与えられた道」のために、使わなければ・・・と
心に誓った。



2022年04月26日(火)
約1ヶ月の「行方不明体験」

この年齢になって、自分の人生を見つめるために、約1ヶ月を費やした。
この期間、不安と怒りと焦りと・・もろもろの感情が脳裏に浮かび、
未だ解決に至ったかどうかわからないけれど、少し落ち着いた。
他国では「徴兵制度」があり、世間と一定期間隔離されることにより、
自分を見つめる機会、祖国を考える機会としていることを、
以前、何かの本で読んで、この一言でも取り上げた。
今回は、知識だけで理解しようとしたのと違い、
心の痛みや不安を伴いながら、リアルに体験できた気がする。
「毎日が日曜日」なんて、一週間もすれば、あっという間に飽きる。
そして、テレビが友達になってしまうと、ほとんど外に出ない。
足腰が弱る、気力が出ない・・の症状が出る前に、
残りの人生の時間を有意義にするための、何かを見つけたい。
そのためには「1ヶ月」の「行方不明体験」は、意味があったと思う。
ただ、今度は、なかなかエンジンがかからない。
いや、エンジンの掛け方を忘れてしまったのかもしれない。
そのために、数週間は、暖気運転が必要かもなぁ。



2022年04月25日(月)
卵って・・大切に守る形をしているの

映画「天使の卵」(冨樫森監督)から。
直木賞作家・村山由佳さんのベストセラー小説と知って、
楽しみに観始めた。
ただ、あまり大きな事件や、アクシデントが起きない
ラブストーリーだけでは、やや物足りなさを感じる。
タイトルに近い会話はメモした。
本物の卵に似せた、ニセの卵、偽卵を見せてこう言う。
「本物は人間が孵化させて、その間、
親鳥を安心させるために与えるんだって、ニセの卵でも、
春妃(ハルキ)が温めてたら、何かが生まれそうだ」
「なんだろ?」「天使!!」・・
この会話、なんだかくすぐったいな、と思った。
その後、こう続ける。「卵って、天からの手紙でね。
この命をよろしくお願いしますって、
大切に守る形をしているの」と。
恋愛とは関係ないかもしれないけれど、
「卵って、大切に守る形」という視点は頷ける。
どこも尖っていない丸い形は、そういう意味かもな、と。
丸形って力が分散して一番強いのだから。



2022年04月24日(日)
どこに行けば会えるんだ?

3月末までは、ほぼ365日、時間は未定だけど、1日は一度、
観光案内所に顔を出していたので、高い確率で、
私に会うには「清水町観光案内所」で待ち合わせればよかった。
4月からは、その「いつもいる場所」がなくなったので、
まずは、どこで会うか、を決めるところから連絡が入る。(笑)
「無職」になるって、そういうことなんだな、と苦笑い。
この1ヶ月、一番多かった問い合わせは
なんと「どこに行けば会えるんだ?」だったから、面白い。
そう、打ち合わせをしなければならない場合の対策、
言い換えれば、これからの「待合せ場所」づくりが急務。
まぁ、堅く考えず、多くの人が立ち寄ってくれる「居場所」、
そんなものが欲しくなったのは、事実である。
なかなかないんだよなぁ、考えてみたら、そういう場所が。



2022年04月23日(土)
柿田川にはアマガエルルがいない?

ほぼ一年中、柿田川公園を定点観測のように、
写真・動画・音・・と撮り続けているが、
田植えの季節に、耳に付くカエルの鳴き声だけば、
なぜか、あまり録音した記憶がない。
「柿田川にはアマガエルがいない?」をメモに残した。
録音しながら耳にするのは、季節によって変わる鳥たちと、
いくつかの種類のセミや、秋にピッタリの昆虫の鳴き声。
そう言えば、アメンボやサワガニ、カタツムリも、
嫌ってほど見るのに、オタマジャクシもあまり見ない。
こんな水辺だから、いないってことはないだろうけれど、
目にすることも稀だし、鳴き声を耳にすることもない。
住民が生活している住宅街では目にするのだから、
250〜500メートル範囲内に住んでいるはず、と推察するが、
不思議なことだなぁ・・と思う。
この好奇心が続く限り、柿田川の定点観測はやめられない。
だって、どんどんわからないことが増えていくんだもの。



2022年04月22日(金)
あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていな

映画「マスカレード・ナイト」(鈴木雅之監督)から。
今までに何度も「東野圭吾さん」原作の作品を観てきた。
冒頭にしばらく流れる「タンゴ」の必要性がわからず、
ちょっと戸惑ったことを記しておく。
気になるフレーズは、
「ホテルにはホテルマンにしか見えないものがある」
「ホテルに来られるお客様は皆仮面をかぶっています。
その仮面を守って差し上げるのが、我々ホテルマンの仕事なんです」
「きっとラヴ・アフェアだと思います」
「ラヴ・アフェア?」「不倫の隠語です」
「駆け引きでは気持ちは伝わりませんよね」
「人は不思議なもんでルールの中で生きていると、
いつしかルールを守ることが目的になってしまうことがあります」
「あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていない。
私は怒りで体が震えました」
こうした犯罪事件は、日本国内でも日常茶飯事に起きているから、
悲しいことに驚くことは少なくなってしまったが、
私の好奇心は、常に犯人の「犯行理由」から始まるから、
この台詞を選んだ。
「体が震えるほどの怒り」は「罪悪感」の有無だったのか。



2022年04月21日(木)
命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります

映画「1941 モスクワ攻防戦80年目の真実」
(バディム・シメリェフ監督)から。
確かに「ナチスドイツの侵攻からモスクワを防衛し、
第2次世界大戦の流れを変えたとも言われる
『モスクワ攻防戦』を描いたロシア製戦争大作」であるが、
あまりにタイミングがいいので、もしかしたら
プロパガンダの作品かな・・と疑いたくなった。
それは、立場変われば・・と言うしかないほど、似ている。
私が気になってメモした台詞は、
当時のナチスドイツ兵、ソ連兵、どちらの台詞なのか、
今のロシア兵、ウクライナ兵、どちらの台詞なのか。
以下・・単語、地名を入れ替えるだけで、別の作品ができる。
「大佐、モスクワが占領されたら元も子もないだろう。
ナチスがモスクワに進軍してる。どんな攻撃を受け、
どんな相手に遭遇しようと我々は決して屈しない。
たとえ死を迎えようとも、我々は英雄として死ぬ」
「我々の辞書に『降伏』という文字はない」
「パパ戦争に行くの?」「いや違う、訓練に行くだけだ」
「英雄になれ」
「俺たちの身を守るのではなくモスクワも守りに来た。
母国の心臓を守れ、モスクワのために戦え」
「みんな生きたまま焼かれました。
若者はモスクワと母国を守るために戦っている」
「でもなぜ母国は彼らをほっとくの。
せめて生き残っている者を助けるべきよ」
「命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります」・・
気になるのは、私たちに何を伝えたかったのか、だろうな。



2022年04月20日(水)
映画みたいな「戦争画像」よりも「爆音」

マリウポリ攻防戦、アゾフ大隊「公式YouTubeより」と書かれた
画像をテレビで見ていると、まるで映画を見ているようだ。
驚くほどのアングルの下に、字幕でも表示されれば、
まちがいなく、映画と勘違いするほどの出来だと思う。
この映像で、私たちは何を感じて、どうすればいいのか・・
この戦いを毎日のように、テレビ画面を通じて眺めていると、
恐怖感を感じることは、ほとんどない。
目から入る情報は、もう麻痺していると言うしかない。
実はこんな「爆音」の中で生活しています、という耳から入る情報、
もちろん、嗅覚とか味覚とか触覚とかも含め、
視覚以外の五感から得られる刺激が必要だと、と思う。
「どか〜ん、バリバリバリ・・」みたいな爆音に耐えている
ウクライナ国民の現状を、知らせるべきなんじゃないのかな。



2022年04月19日(火)
役目を終えたら呆気なく消されてしまう

今回(第15回)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は泣けた。
佐藤浩一さん演じる「上総広常」の死に方は、
定年後、予定していた再任用制度も活用せず、
地元の観光振興に向けて、3年間頑張ってきたつもりが、
最後は活躍の場を取り上げられてしまった感じの私と、
少しダブったからかもしれない。
解説には「上総広常」について、こう書いてあった。
「頼朝を助け、御家人たちの中でも存在感を示してきたが、
彼のことが疎ましくなった頼朝の策謀によって、
最後は抹殺される。歴史の変革期に忽然と現れ、
役目を終えたら呆気なく消されてしまう。
近藤勇にとっての芹沢鴨、それが広常だ」と。
私に存在感があったかどうかはわからないけれど、
権力のある者に疎まれると、こういう結果になる、
これだけは、今後も肝に銘じておきたい。
ただ、その権力を取り上げるのも、必要かもなぁ。



2022年04月18日(月)
宣戦布告をしていないから「紛争」?

巷では、ロシアとウクライナの戦争について、
多くの人がコメントをしているけれど、
「ところで、ロシアってウクライナに対して、
宣戦布告したっけ?」というフレーズをメモした。
宣戦布告とは、ある国が他国と
「戦争状態にある」ということを意志表示すること。
あるいは「宣戦」「開戦宣言」「戦争宣言」という、
場合もあるようだ。
宣戦布告が行なわれた後で国家間が
武力を使って争うことを通例では「戦争」というが、
宣戦布告がないまま武力を使う争いは
「事変」や「紛争」と言うらしい。
気になって、ネットを探してみたら、
「事実上の宣戦布告」と言うフレーズは見つけたけれど、
「宣戦布告」した記事が見つからない。
と言うことは・・宣戦布告をしていないから「紛争」?



2022年04月17日(日)
100人もの客がホテルの奥にあるチェンバーズから脱出します

映画「ホテル・ムンバイ」(アンソニー・マラス監督)から。
ハイジャックや爆破、銃殺など、多くのテロ事件が、
事実に基づいて映画化されるけれど、作品にしやすいのか、
犯人たちの動機が、単なる宗教や差別などの問題だけなのか、
どうして繰り返して起こるのか、私には理解できない。
自分たちの想定した敵に対して、一心不乱に突っ込むなら、
どうぞ、勝手におやりください、と言えるけれど、
それまで普通に真面目に生きてきた一般人をターゲットとした
無差別の殺人については、何度同じようなテロ作品を観ても、
感情移入もできなければ、解りたいとも思わない。
さらに、こういった事件の被害を拡大させるのは、
金持ちのわがままか、現場にいないマスコミ、と決まっている。
「落ち着いて静かにしてましょう。ここが犯人にバレないように」
そう説明しているのに、その静けさを破るのは、
「家族に会いたい、開けて」「ドアを開けろ」と威張り散らす
金持ちの人たち。
外に連絡を取るのは「居場所がばれる」と心配していたのに、
「私は客だぞ!」と大声をあげ、罵倒する。
それを受けたマスコミも「脱出作戦の情報が入りました。
「100人もの客がホテルの奥にあるチェンバーズから脱出します」
テレビを見ていたテロの首謀者が、実行犯に無線連絡、
「チェンバーズに行け、大勢が逃げる」と。
そして、逃げ遅れた何人かが銃殺されてしまうシーン。
本来なら、テロ事件の犯人を憎みたいのに、逆になってしまった。
もしかしたら、監督が伝えたかったのは、
金持ちとマスコミに対する警鐘かもしれないな。(汗)



2022年04月16日(土)
殺しを教えた連中を殺そう

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
(クエンティン・タランティーノ監督)から。
ディカプリオとブラピという2大スターを初共演、と知って
少し期待し過ぎたのかもしれないが、やや物足りなかった。
作品は、1969年2月8日〜1969年8月9日の様子が描かれ、
アメリカでは、ヒッピー全盛の時代が映し出された。
同じような環境に置かれたヒッピー族の女性たちが集まり、
ハリウッドに住む俳優たちの豪邸を襲う事件が起きる。
その時の行動は短絡的だが、襲った理由が面白かった。
ある女性が、仲間の男女に声を掛ける。
「みんなテレビを観て育つよね。つまり殺人場面を見て育つんだ。
『アイラブルーシー』以外、全部殺人の話だよ。
だからこう思うんだ、殺しを教えた連中を殺そう。
ここはどこだと思ってる?。ハリウッドだよ。
人殺しを演じた奴らが住んでいる街だ。奴らは豪華な暮らし。
チンポを切って食わせてやろう」
貧富の格差が大きければ大きいほど、こう考える若者が増える、
今の時代にも通じること、肝に銘じたい。



2022年04月15日(金)
沼地には何も育たない。

映画「沈黙 サイレンス」(マーティン・スコセッシ監督)から。
作品意図とは関係ないが、気になるフレーズを見つけた。
「この国は、沼地だ」「沼地には何も育たない」
「日本という沼に負けたのだ」と「沼」に関する表現が多い。
だから、布教しようと努力したが、宗教の芽が育たなかった。
そんな比喩に使っているのだが、なぜか私の頭に浮かんだのは
(全国には「沼」の漢字を使っている自治体は数あるけれど)
隣接している「沼津市」という、自治体である。
電報で「ぬ」を説明するのに「沼津の『ぬ』」を使ったほど、
静岡県東部では今でも主要都市となっている。
(空襲も受けた都市であることでも、国内で重要都市だとわかる)
私の生まれ故郷でもあるし、なんとか盛り上げたいと思うのだが、
市域も広く、なにから手を付けたらいいのか、わからない。
ただその原因は「沼」という地名の持つイメージかな、
と感じたから、この台詞を取り上げてみた。
長年の懸案だった、鉄道高架事業もやっと、動き出したことだし、
市全体の拠点整備計画も進み始めた。
もちろん、異論反論はあるとは思うが、歴史だけにとらわれず、
市名変更なども、イメージチャンジするには、いいのかもしれない。
そんな簡単なことでないことは、承知だけれど、
「沼」のイメージが「沼地には何も育たない」だとしたら、
明るい「沼」のイメージを打ち出してみるのも方法かもしれないな。



2022年04月14日(木)
システムを全国に広げる社会貢献に寄付を

コロナ禍の中、活動を始めた「柿田川大楽」。
もちろん、側から見ると順調とは言えないけれど、
自分が老後の楽しみに暖めていた企画なので、
あまり焦ってもいないし、じっくりのんびり楽しむ、
それだけは忘れないようにしている。
もちろん、柿田川を題材にした「生涯学習」が基本であり、
その運営には、多少の経費が必要となるが、
今回のコロナ禍で、生活費にも困っている人たちを知り、
あえて、柿田川大楽の活動資金を支援して・・とは言えず、
しばらくは、このままでいいや、と思った矢先、
同じような活動をしている団体のホームページに
「システムを全国に広げる社会貢献に寄付を」
のフレーズを見つけた。
こんな時だからこそ、地域資源に、とことんこだわった
「〇〇大楽」のシステムを全国へ広げる社会貢献をしている、
そう考えれば、堂々と寄付を呼び掛けることも、
決して、悪いことではないな、と思い直した。
このシステムで、実際、まちづくりに賑わいをもたらすこと、
その成功体験こそが、情報発信になると信じて。



2022年04月13日(水)
そう! 秘密結社には秘密基地が必要でしょ

映画「青くて痛くて脆い」(狩山俊輔監督)から。
大学のサークルか、懐かしいなぁ・・と呟きながら、
何十年も前の自の大学生活を思い出していた。
中学、高校のクラブ活動とはちょっと違う自由さが、
大学のサークルって感じで、楽しかったのを覚えている。
「この世界に暴力はいらない」という理想を掲げ、
自分たちの行動で「世界を変える」、
そんな思いを抱いている主人公女子は、悩んでいた。
そんな時、主人公男子とは、こうアドバイスする。
「どうしてもやりたいなら自分で作ってみたら?」
その一言から「秘密結社サークル・モアイ」が立ち上がり、
彼女が積極的に動き、活動場所も見つけてきてしまう。
そして彼を、その場所に連れて行き、
「今日からここが、モアイの秘密基地です」と宣言する。
「秘密基地?」と不思議がる主人公男子に、言い放つ。
「そう! 秘密結社には秘密基地が必要でしょ」
私たちが子供の頃に、隠れ家として作った秘密基地は、
なんだったんだろうなぁ・・と思い出し笑いをした。
でも「秘密結社には秘密基地が必要」という発想が楽しい。
サークルなんだから部室でいいのに・・と思いながら。

P.S
個人的には、ネットで炎上して大混乱しているかと思いきや、
「安全圏で笑ってる奴らなんかゴミです」と言い放つ、
モアイメンバーの女子大生の台詞、インパクトあったなぁ。



2022年04月12日(火)
柿田川公園の利用方法は、十人十色でいい

約3年間、柿田川公園を眺め続け、予想以上に気づいたことが多い。
観光客というと、どうしても観光バス、自家用車を想定してしまうが、
この場所だけは、歩いてくる人たち、自転車で来る人たち、
そして「サントムーン柿田川」という大型商業施設方面から、
家族連れがドッと押し寄せて来ることもわかった。
どういう人たちをターゲーットとして、柿田川を案内をするのか、
どうやら、遠方から来る観光客だけではないことははっきりした。
さらに、その方々の動きを観察していると、狭い公園内ではあるが、
目的がはっきりしていて、目指す場所へ一直線に向かう人たちも。
それだけ、柿田川公園の利用方法は、多種多様であり、
選択肢が多いということは、豊かさの証拠でもあるので、
1人でも、家族でも、大勢の団体でも、どんな人たちが訪れても、
満足してもらえる、楽しい場所として、情報発信していきたい。
そういう意味では、公園内全てを独占してしまうような、
大きなイベントは、この公園には必要ないかもなぁ。
(あくまで個人の見解ですので、ご理解ください(汗))



2022年04月11日(月)
曜日の感覚がなくなってくるね

「無職」になって11日目。
と言っても、昨年度末に、町シルバー人材センターに登録して、
「公園管理人」として仕事をいただいた。
週に何度か、柿田川公園の維持管理を中心に、
町内の「公園」と名のつく場所を巡回している仕事だが、
人間関係の面倒臭さにストレスが溜まっていた頃に比べれば、
気が楽だし、お昼のお弁当も美味しい。(笑)
何人の方から「どう? 今の気分は?」と問われて、
私の口から出た台詞が「曜日の感覚がなくなってくるね」だった。
毎週何曜日でもなければ、週に何回でもない。
事務局で作成してくれたスケジュールに沿って、働くだけ。
平日、土曜日、日曜日、祝日を意識することもなく、
今の季節、少し滲んできた額の汗を拭きながら。
隠居生活ってこんな感じなのかな?、と苦笑いした。
日曜日を意識しないと、NHK大河ドラマも見過ごしてしまいそう。
まぁ、観光の仕事をしていた3年間も、365日、ほぼ毎日仕事で、
曜日の感覚はなかったけど・・



2022年04月10日(日)
山本大将の考えを読み、彼の次の動きを教えろ

映画「ミッドウェイ」(ローランド・エメリッヒ監督)から。
戦争も含め、あらゆる戦いは、情報部の役割が大きい。
太平洋戦争前半、攻撃力では優っていた日本が負けたのは、
この「情報戦」に負けたから・・という他ならない。
作戦の指示を出す役割の日本連合艦隊司令官「山本五十六」を
徹底的に調査研究し、こんな場面では、きっとこう考える、
こんな状況なら、こういう作戦に出る・・と推測した。
それはたぶん、将棋などを通して、彼の思考回路を分析した、
そういうことなんだと思う。
情報部の役割について、こんな台詞があった。
「大将、私は結婚パーティーの招待状を見なくても、
業者が料理を準備し、生花店がバラを揃え、バンドが雇われたと知れば、
その事実を手がかりとして報告します。それが情報部」
どんな細かいことでもデータを収集し、分析すれば、
行動(考え方)にも必ず癖とか、傾向が見つかるはず。
そんなところを、戦争の作戦に生かすところが、アメリカらしい。
「まだこの戦いを制すことは可能です」と意気込む部下を、
山本五十六が叱咤する。「君は将棋のやり過ぎだ。
我々のメンツのために、残りの艦隊を失うわけにはいかない」と。
日本幹部の彼らが「将棋」ではなく「囲碁」を嗜んでいれば、
戦況は大きく違った、という人がいたのを思い出した。
最後に一つ、アメリカから見れば、終戦は8月15日ではなく、
日本降伏調印式だった9月2日と、再認識されられたテロップ。
この辺りのズレ、いつまで続くんだろう。



2022年04月09日(土)
素敵、ヨーロッパみたい

柿田川公園を散策していると、観光客の感想が耳に入ってくる。
今までは「第一展望台」の幾つもの湧き間を観た人たちや、
「第二展望台」の「ブルーホール」、神秘の青色を観た人たちが、
「うぁ〜」という驚きの声と共に発する感想が多かった。
しかし、今回は、晩秋になるとアユが遡上し産卵する「舟付場」、
それも大きな湧き間ではなく、反対側の小川から本流に向かう景色、
ビオトープに近い、ありのままの風景を観ながら、
「素敵、ヨーロッパみたい」と表現してくれた。
私たちが外来種駆除作業に入る以外、何も整備されていない場所、
そこが評価されたことに、私は嬉しくてメモをした。
(たぶん)ヨーロッパの、それも都市ではない地域を訪れたことのある、
女性の感想で、また新たなスポットを発見した気がする。
何年も、何万枚も撮影している柿田川公園だけれど、
確かに、この場所の写真に「いいね」が押されることが多い。
ヨーロッパの風景・・もう少し勉強しなくちゃなぁ。



2022年04月08日(金)
執行猶予中だから命令に従うしかないの

映画「COLD WAR あの歌、2つの心」
(パベウ・パブリコフスキ監督)から。
「ポーランド・イギリス・フランス合作」の文字に惹かれ、
どんな作品になるのだろうか、久々のモノクロ映像の恋愛作品に、
やや未知数な期待を持ちながらの鑑賞となった。
気になった原題の「Zimna wojna」は、
ポーランド語で「COLD WAR」(冷戦)を意味し、
それに続く「あの歌、2つの心」は、主人公の彼女が歌う曲の中に、
「2つの心の4つの瞳」というフリーズが出てくる。
冷戦下の中での恋愛は、単純に「好き」では済まされないことを
幸せそうに寝転んでいた二人に、こんな会話をさせている。
「白状するね、密告してたの?」「僕のことをか?」
「毎週カチマレクに、害のないことだけ。あいつ言い寄るの」
「何を探ってる?」「色々とね。西側のの放送を聞くかとか
神を信じているかとか。信じてる?、私は信じてる」など。
それを彼女の口から聞いて、男は黙って立ち去る。
そんな彼に向かって彼女が叫ぶ。「わかってる、私は馬鹿よ。
執行猶予中だから命令に従うしかないの」
こんな手段を使っても、東は西の、西は東の情報が欲しいらしい。
「東ベルリンは、社会主義陣営と帝国主義陣営の間にある。
平和主義対報復主義だ」
「ワルシャワの東のパリだ」なんて台詞も飛び交う中の恋愛。
その弾圧された関係が、余計にふたりの関係を切なくさせていたな。



2022年04月07日(木)
使わないスマホアプリを削除する

以前、退職して思いきり生活を変えるには、
スマホのトップ画面を変えてみることを提案した。
次に試したのは「使わないスマホアプリを削除する」。
これまた、面白いように気持ちが楽になってくる。
こんなに、アプリに頼って生活していたのか・・と驚く。
マップ、天気予報、ニュース・・ありとあらゆる情報が
手に入るけれど、どうしても必要か?と問われたら、
「No」と答えるだろう、と思えるアプリが沢山あった。
アプリの整理、これもまた「断捨離」してみるといい。
場所を取らないし、邪魔にならないから残しておく、
それもいいけれど、必要になったら、
またダウンロードすればいい・・と考えられれば、
スマホの中も、スッキリするだろう。
これまた、お試しあれ。
本当に、生活に必要なアプリは意外と少ないから。



2022年04月06日(水)
強引なやり方には抵抗する勢力も現れます

確か、テレビ番組で耳にしてメモしたけれど、
どんな場面のどんな時に発せられたフレーズだったのか、
情報源不足で申し訳ない。
ただ、妙に腑に落ちたことは覚えている。
「強引なやり方には抵抗する勢力も現れます」
強引なやり方をするのが、ある国なのか、政府なのか、知事なのか、
それとも、会社の上司なのか、部下なのか、はわからない。
けれど、すべて同じ方向を向かないと気が済まない、
とにかく、右向け右・・・と号令をかけると、
どうしても納得いかない人は、反対勢力として存在する。
それは、どんな場面でもありえることだから、
強引にやろうとすればするほど、抵抗勢力を意識する必要がある。
そこを読み間違えると、自業自得として、大きな抵抗に遭い、
やりたいこともできないケースとなって増えている。
今時、100パーセントはあり得ない。51パーセントの賛同者でいい。
だから謙虚に・・と思うのだが、その意味がわからない人が増えたなぁ。



2022年04月05日(火)
存在するだけじゃなく生きるんだ

映画「グッバイ、リチャード!」(ウェイン・ロバーツ監督)から。
突然の余命宣告のパターンで思い出す映画は数多い。
しかし、映画「生きる」(黒澤明監督)を超える作品は、
なかなか見当たらないのも事実。
第1章 言いたいことがある
第2章 正面からぶち当たれ
第3章 俺は本当に死ぬ
第4章 本気を出してきた
第5章 まだ言いたいことがある
第6章 ついに時が来た
珍しい章立ての展開に、少し違和感を感じながら、
妻や子どもが、夫・父親の死に対してて、
意外とあっさりしていて、ちょっぴり焦った。
メモしたフレーズを1つ選ぶとしたら、
「なぜこの人生と言う奇妙なもの中に漂い、
生きようとしないのか。生きないければダメだ。
存在するだけじゃなく生きるんだ。
もがいて失敗して正面からぶち当たれ」かな。
特に「存在するだけじゃなく生きるんだ」は、
60歳を超えた私たちには、ズシリと重く響いた。
でも・・周りに迷惑をかけずに、1日を丁寧に過ごし
存在するだけでもいいじゃないか、と思う私もいる。(汗)
歴史に名を残すほどのこともできないのだから。



2022年04月04日(月)
スマホのトップ画面を入れ替えてみる

よく退職を機に「第二の人生」というけれど、
生活のリズムが180度変わるわけでなく、
なんとなく時間に余裕ができただけ、というのが、
私の実感てある。
そんなわけでモヤモヤしていた、こだわりの私は、
なんとか今までの生活を引きずりたくない、と思い、
試行錯誤している。
起きる時間やタイムスケジュールを変えてみたが、
ちょっと変わったかな・・程度の変化。
テレビを観ないで、ラジオ生活にするなど、
逆に今までの生活を急に変えると体調を崩しそう、を
言い訳にして、なかなか抜けきれない私がいた。
今まで試してみて、一番効果があったのは、
「スマホのトップ画面を入れ替えてみる」だった。
周りからの連絡を始め、あらゆる情報を
どれだけスマホに頼っていたか、を理解できるし、
それを止めても誰にも迷惑がかからない、ことを知った。
これでだいぶ、スッキリする。お試しあれ。



2022年04月03日(日)
今日は何色?

「無職」と言いながら、なぜか毎日忙しい。(汗)
なぜか?  年度始めということもあり、
以前から加入している団体の活動や、この4月から始めた活動まで、
日替わりに・・いや、午前、午後と別々に行われたりしている。
昨日は「清水町シルバー人材センター」からの請仕事、
そして今日は、朝から「地元・伏見区の協議員」として、
小雨の降る中「資源ごみ回収」の当番。
午後からは「清水町観光ボランティアガイドの会」の会員として、
観光案内所「わくら柿田川にて、2時間ほど案内役をした。
面白かったのは、各団体別に、ユニフォームの色が決まっていて、
そのたびに、ウィンドブレーカーが変わる。
「清水町シルバー人材センター」は「黄色」「地元・伏見区」は「赤色」、
「清水町観光ボランティアガイドの会」は「青色」
まさしく「信号の色」(赤・青・黄色)だったので、妻と大笑いした。
「今日は何の活動?」と訊くよりも「今日は何色?」と訊いて欲しい、
そんな会話をした。(汗)
明日からは、ちょっとのんびりに「無職」(無色)だったかな?
いや、明日は「清水町観光ボランティアガイドの会」の定例会だから、
「今日は何色?」と訊かれたら「青色だよ」と答えようっと。(笑)



2022年04月02日(土)
20年ぶりの妻の手作り弁当

3月31日に退任して、「無職」の肩書きで迎えた、初仕事。(笑)
退職の少し前に、シルバー人材センターの加入条件が60歳以上と知り、
早速登録して、与えてもらった仕事は「公園管理人」。
支給された腕章には「公園維持管理作業員」と書かれていたが、
町内の都市公園や児童公園などの維持管理が主な仕事らしい。
仕事については、またぼちぼちと書いていくが、
今回の話題は「20年ぶりの妻の手作り弁当」。
娘が高校卒業して以来というから、本当に久しぶりだ。
まちづくりをしている公務員だから、妻に作ってもらった弁当ではなく、
昼食は、町内の飲食店やお弁当屋さんで・・というこだわりから、
お昼はずっと外食だったのだが、それも卒業したから、弁当持参とした。
お昼の休憩時間に、妻が作ってくれた弁当を開ける瞬間、
なんだか照れくさかったけれど、ちょっと新鮮な気分だった。
もちろん、公園管理の仕事は毎日ではないし、週に1、2度だけど、
妻の手作り弁当を食べる楽しみができたことは、嬉しい。
「愛妻弁当」かどうかは、妻に訊いてみなければわからない。(汗)
朝食も夕食も、一緒に食べているんだけれどなぁ。



2022年04月01日(金)
スマホのバッテリーが、ほとんど減らない

「無職」になって一番驚いたのは、スマホのバッテリーの減り方。
ほとんど減らない。(汗)
仕事をしている時は、いつでも連絡が取れるように持ち歩いていたし、
何度もメール確認をしたり、ほぼ毎日、写真・動画の投稿したり、
時には「ポケモンGO」で遊んだり、肌身離さず状態だったのに、
今は、なぜか、ずっと置きっぱなしでも平気。
緊急の連絡だったら、電話がかかってくるはずだから・・と割り切って、
スマホの存在を忘れるようにしている。
しかし、現実はまだまだ、気になってしまい、定期的(定時)に、
スマホ画面を確認したりするけど、そのうち、それもなくなれば、
スマホプランも変更することも考えている。
少なくとも、しばらくは「朝・昼・晩」の3回確認に挑戦し、
そのうち、朝・晩の2回。さらには、1日1回しかスマホ画面を確認しない、
あると便利だけど、なくても平気・・くらいにな気持ちになれば、
もっともっと、豊かな人生が送れる気がするなぁ。