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2018年04月30日(月)
共にプロック責任者だ

映画「手紙は憶えている」(アトム・エゴヤン監督)から。
偶然にも、映画「ヒットラーの忘れ物」を鑑賞した後なので、
ナチスへの復讐をテーマにした作品が重なり、驚いた。
ヨーロッパでは、第二次世界大戦に絡んだ作品は、
必ずと言っていいほど「ナチス」の非道さと、
それをいつまでも忘れず、復讐に燃える人々が描かれる。
それも、ドイツ国が合作として関わることが多いから不思議だ。
さて、今回の作品を思い出すためには、2つのフレーズを用意した。
作品最後のシーンに登場する、
「いつか君が訪ねてくると思った」と「共にプロック責任者だ」。
そして「君は自分を『狼』(ゼヴ)と名付けた」で真実が明かされる。
愛する人、大切な家族を殺された記憶が、今もなお残っているし、
ナチスへの復讐とは、こうも根強く残っているのか、
その為には、驚くほど綿密に計画されているものなのか、
トリックが分かってから観直すと、また新しい発見があるのも本作。
どの時点で、見破れるか、これまた映画の楽しみである。
サスペンス作品の醍醐味はここにある、と言っても過言では無い。



2018年04月29日(日)
年間300万人 日本一の図書館のまち 大和市

東名高速道路を東京へ向かって走っていると、
目に飛び込んできた看板が
「年間300万人 日本一の図書館のまち 大和市」
私が気になっている「日本一の図書館」とは、
来館者なのか、利用者なのか、はたまた何を指して
「日本一」と定義しているのか、それが知りたくなった。
公立図書館は、どうしても比較できる指標を決め、
その数字を競っている気がしてならない。
「ゆるキャラコンテスト」の投票数を競っていた時、
県や政令市を挙げて応援している「ゆるキャラ」と、
人口3万人ちょっとの町では、その絶対数が違うのに、
なんのハンデもなく、投票数だけで競うシステムに、
立ち向かっていた時、規模の違う市町村で、
同じ指標を競うことに疑問を感じた時と似ている。
それは「1万人当たり」という数字に置き換えても同じ。
住んでいる住民が、他の町と比べるのではなく、
5年前、10年前、そう、以前の町と比べてどう変化したか、
それが大事な指標なんだと思う。
とは言いつつ、年間300万人の真相を探りにいきたいなぁ。



2018年04月28日(土)
そして人は今日も海を傷つけている

映画「ディープ・ブルー(2003)」(アラステア・フォザーギル監督)から。
「90分間、人であることを忘れる。
制作7年 撮影ロケ200箇所 撮影フィルム7,000時間」
こんな予告編に惹かれて鑑賞したが、ドキュメンタリー作品でも
映画「日本列島いきものたちの物語」のように、ストーリーが欲しかった。
どうやって撮影したのだろうか、驚異の映像は、勿論、私を魅了したが、
監督は何を伝えたかったのだろう、と考えた時、浮かんだのがこの説明文。
「これまで人は海の中よりも、星や月に目を向けてきた。
だが、私たちを絶えず、驚かせるのは海だ。
いまだ多くの謎に包まれている海、そこには地球最大の生物も住んでいる。
かって30万頭いた、シロナガスクジラ。
今はわずか1パーセントしか残っていない。
そして人は今日も海を傷つけている」
生物がどんどん絶滅しているのは「陸」に限らず「海」も同じこと。
海には宇宙と同じくらい、いや宇宙以上に可能性を秘めているのだから、
人間の都合だけで「海」を汚すのをやめようではないか、
そんなメッセージが聞こえてきそうな作品だった。
「嵐と雨と風と雲が、様々な力で海をかき混ぜる。
激しい攪拌は、新たな命を生み、太陽が表層にエネルギーを与える。
見渡す限り広がる青い水の砂漠だ」
こうして、生物は生まれ、進化してきたに違いないのだから。



2018年04月27日(金)
タブレットで施設予約システム

「インターネットで予約」ではなく「タブレットで予約」。
公共施設のオンライン予約ができるといいのになぁ、という
一町民の意見を耳にしてきたが、決まって
「高齢者がインターネットはできないから・・」と答えてきた。
その答えには、落とし穴がいくつもある、と指摘を受けた。
まず今の高齢者は、インターネットも簡単に使いこなすし、
仮に、もっと高齢の方でも、電車の切符は自分で買いますよね、
それと同じで、簡単なタッチパネルの操作する画面を表示すれば、
公共施設の予約システムも、難しくないと思いますよ」
言い換えれば「タブレット操作は、誰でもできるはずだから」
年齢、性別、日本人・外人の区別なく、公平かもなぁ、と感じた。
町内各地に、タブレットさえあれば、24時間どこからでも、
施設予約ができるってことかのかな。
まだまだクリアしなければならない課題は残っているけれど、
ちょっと、施設予約システムの視点が広がった気がする。



2018年04月26日(木)
夫婦関係は「バラ」と「庭師」さ

映画「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ」
(レベッカ・ミラー監督)から。
「ニューヨークで暮らす男女の奇妙な三角関係を、
軽やかに描いたハートフルコメディ」との説明に惹かれた。(汗)
男女の三角関係に「軽やか」という単語が妙に違和感を感じたし、
一度、不倫で壊れた夫婦関係が元にもどる設定が気になった。
では、夫婦関係ってなんなんだ?と疑問に思っていたら、
作品中に、面白い例えをみつけた。
「夫婦関係は『バラ』と『庭師』さ。妻はバラだ」
「あなたは庭師?、へっぽこの。あなたがバラかも」
バラは華やかだし、自由自在に延びるけれど、
庭師がうまく剪定をしないと、トゲがある分、手入れが大変だ。
お互いが好き勝手にしていては、バラの良さはひきだせない。
だから、夫婦を「バラ」と「庭師」に例えて、どちらが欠けても
その魅力は半減してしまうことをつたえたかったのだろうか。
逆に言うと、この組み合わせが上手くいくと、
どちらも社会で評価されることになる、とも言える。
「夫婦関係って、楽しいけれど難しい」ではなく、
「難しいけれど楽しい」関係であって欲しいなぁ。



2018年04月25日(水)
いやいや、こんな日だからこそ歩きでしょ

昨晩から降り続いた雨、朝も引き続き降っていた。
家族は「こんな日は車でしょ?」と問いかけてきたが、
「いやいや、こんな日だからこそ歩きでしょ」と返した。
理由は、柿田川の面白いショットが撮れるから。
青空の広がる快晴や、曇天の天気では、
今頃、どんな景色が撮影できるか、がわかってきたから、
今まで、誰も撮らなかった景色が撮りたくなる。
今日のような雨の日は、インスタ映えはしないけれど、
とても面白いショットが撮れて、私は大満足となった。
いつだったか、富士山を撮らせたらこの人と言われる
写真家・大山行男さんと話していたら、
悪天候の時は、富士山が「俺を撮ってくれ」と言うらしい。
私の場合、まだまだその域には達しないけれど、
なんとなく、変わった様子が撮れそうな予感がしたので、
「革靴」を「長靴」に履き替えて、家を出た。
案の定、誰も撮らないような景色や、
雨傘に雨粒が激しく打ち付ける音が録音された動画、
そのうち、役に立つ、と信じて。(汗)



2018年04月24日(火)
己の欲望のみに生き、他人の心など歯牙にもかけぬ

映画「忍びの国」(中村義洋監督)から。
原作は「のぼうの城」「村上海賊の娘」の著者・和田竜さん。
彼が伝えたかったことは、作品ラストに凝縮されていた。
「最強VS弱小」の戦いが終わり、2年後の会話。
「滅びたな、忍びの国も・・」勝った織田信長軍が呟く。
「いや違う。斯様(かよう)なことで、この者どもの息の根は止められぬ。
虎狼の族(ころうのやから)は、天下に散ったのだ」
「天下に散った?」「虎狼の族の血は、いずれ天下を覆い尽くす。
我らが子、そして孫、さらにその孫のどこかで、
その血は必ず忍び入ってくる。
己の欲望のみに生き、他人の心など歯牙にもかけぬ、
その人でなしの血はいずれこの天下の・・・隅々にまで行きわたる」
それが現代の日本人だと、現代の映像とダブらせて警鐘を鳴らしている。
他人の気持ちなど考えず、自分中心の行き方をする人たちが増え、
日本人の大切な、思いやりや和の心がなくなる時、
日本という国は滅びてしまう、と言いたげだった。
それを防ぐのは、私達大人の役割かもしれないなぁ。



2018年04月23日(月)
「築地」のルビは「つきじ」?「つきぢ」?

先日、知人に誘われて、バス旅行に出かけた。
目的は「靖国神社」参拝、築地で「すし三昧」、
「川崎大社」の参拝であるが、飲みっぱなしだった。(汗)
座った位置が良かったのか、悪かったのか、
朝の午前6時の集合から、帰りの6時解散まで、
ほぼ12時間、アルコール漬けのバス旅行となった。
お昼のお楽しみ、築地で「すし三昧」の頃は、
もう飲めない、と思っていたが、ビールと冷酒を少し。
そんなほろ酔い気分の中で、私がメモしたのは、
大勢の観光客で賑わう「築地」看板表示のルビ。
なぜか「つきじ」もあれば「つきぢ」もある。
こんな有名な観光名所なのに、ルビが違うなんて・・と
これには正直驚いた。
「地」の読みは「ち」だから、本来は「つきぢ」だけど、
昭和61年に内閣告示された「現代仮名遣い」で、
「ぢ」「じ」は「じ」に統一されたらしい。
やっぱり、江戸の名残を残した「つきぢ」の方が、
なんとなく合っている気がするなぁ。



2018年04月22日(日)
柿田川が「ただの川」から「ただならぬ川」へ

「柿田川の魅力」を世界に向けて情報発したい、と始めた
Facebookページ「柿田川evol」が「いいね」1,000人を達成した。
スタートは、2014年5月11日。
それから約4年の年月をかけて、毎日毎日、写真や動画を中心に、
コツコツと投稿してきたので、達成感はある。
きっかけは、8年前、富士山世界文化遺産の構成資産をめざし、
国指定天然記念物に向けた作業をした時、
柿田川は町の宝だと言いながらも、自分が柿田川のことを、
あまりにも知らなかったことに気付いたこと。
さらに、柿田川公園の大規模改修に携ったり、
毎月の外来種駆除作業に参加させてもらいながら、
ますます、その魅力に触れて、何かをせずにはいられなかった。
そして思い付いたのが、この情報発信だった。
全国・世界からみれば「ただの川」だった「柿田川」が、
一本の川の風景写真・動画だけで、1,000人のファンを獲得した。
これこそ「ただの川」から「ただならぬ川」になった証だと、
私は思いたい。
しかしながら、まだまだ「柿田川」の知名度は低いから、
まずは1,100人の「いいね」を目標に、頑張っていきたいな。

P.S. スタート時の日記です。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20140511



2018年04月21日(土)
女の人は突然右折はできないのよ

酔っぱらっての会話だけど、妙に納得したので、
気になる一言に採り挙げてみた。
近くのカウンターに座っていた女性と、
自動車のナビゲーターについて話していたら、
「ナビの指示が、突然すぎると思わない?」と話し始め、
「もっとずっと前から、次は右です、と教えて欲しいよね」
そんなことを言うので「あまり遠くから、右ですと指示したら、
交差点なんか間違えてしまいませんかね」と答えたら、
「だって・・」と小言で呟いたかと思ったら、
「女の人は突然右折はできないのよ」と言い切った。
同席していた女性も「そうそう」と頷いていて笑うしかなかった。
さらに「どこどこの東側」とか「あの交差点の北側」という
男性では、意外と良く使う「東西南北」もわからないと言う。
だから、どの方向からきたのかもわからないのに、
「そこを右に曲がって」とか「真っすぐきて左」なんて
電話で案内ができちゃうんだろうなぁ。(笑)

P.S
これは、あくまで個人的な意見であり、
全ての女性に該当するわけではありませんので、ご勘弁を。



2018年04月20日(金)
僕たちが憎いから爆死しようが餓死しようが関係ないと?

映画「ヒトラーの忘れもの」
(マーチン・ピータ・サンフリト監督)から。
タイトルの意味は、冒頭にサラッと説明される。
「ドイツによる5年間の占領が終わった。
ナチスが西海岸に埋めた地雷は220万になる」
デンマークの海岸沿いに残された無数の地雷こそ、
「ヒトラーの忘れもの」なんだとよくわかる。
その地雷撤去を、敗戦国ドイツ軍の少年兵に強制していた、
その史実も驚いたが、もっと驚いたことは
作品の製作国が「デンマーク・ドイツ合作」だったこと。
第2次世界大戦直後、それほど憎みあっていた両国が、
どちらかの国を美化するのではなく、しっかりと現実を見つめ、
自分の母国がしたことへの反省と、責任を感じて作った、
そんな気がしてならない。
心に刺さる台詞の中から、いつ地雷に吹き飛ばされるか分からない、
食べ物も満足に与えられず、腐ったものを食べて嘔吐下痢を繰り返す、
そんな極限状態で、ドイツ少年兵が、デンマークの人たちに叫んだ、
言葉を選ぶことにした。
「僕たちが憎いから爆死しようが餓死しようが関係ないと?」
人間って、どこまで冷酷になれるんだ・・と怒りが込みあげたが、
それを救ってくれたのが、ホッとして涙腺が緩んだラストシーン。
ハッピーエンドとは言えないけれど、それでも温かい気持ちになった。
日本もこういった映画を作るべきかもなぁ。



2018年04月19日(木)
AMASABO (甘さ房)

街中をぶらぶら歩いていると、ついお店の看板に目がいき、
このお店、何屋さんだろう?と考えながら、
ひとりでニヤニヤしながら歩くことがある。(危ない人?)
先日も「甘味処」と書かれた看板の前で、
もし私が付けるとした「甘味処」のお店の名前は、
どんなネーミングがいいかな?なんて、言葉遊びをしてみた。
考えに考えたすえ、浮かんだのが「AMASABO (甘さ房)」
「おじさま」と呼ばれるような、中年男性が経営する「甘味処」。
「おじさん」ではなく「おじさま」
(映画の小津作品では、原節子さんがよく口にする台詞「おじさま」)
単純に「おばさま(OBASAMA)」を逆に綴ったら、
「AMASABO」になっただけのことだが、響きがいい。
「おじさん」「おばさん」ではなく、
「おじさま」「おばさま」というところが高級感を出している。
たまには、こんな言葉遊びは、いかがだろうか?
ついついお店の看板に、目がいってしまう私だから、
いっそのこと、退職したら開いちゃおうかなぁ、喫茶店。(笑)
名前は、まだない。



2018年04月18日(水)
おじさまランチ

先日知人と訪れた居酒屋で、変わったメニューをみつけた。
「おじさまランチ」
初めて連れていったいただいたお店では、
どうしても、メモ魔の習性か、メニューが気になる。
どこにでもあるようなメニューだと気にならないが、
今回は、インパクトがあった。
当然のように、お店の人に尋ねることになる。
「これって、どんな料理ですか?」
「お子様ランチって、いろいろなものが少しずつ、
お皿の上に、載っているじゃないですか、
それを真似て、おじさんの好きな揚げ物とか、
酒の肴になるようなものを少しずつ盛ってあるんですよ」
その時は、もう飲み過ぎ食べ過ぎでお腹は一杯だったけど、
やはり私の好奇心が勝り、ラストオーダーで
「おじさまランチ」を注文した。
「なるほど・・こりゃいいわ、今度は一番最初に頼みます」と
言いながら、店をあとにした。
やはり、注目に値する変わったメニューには、
そのお店の人のアイデアが詰まっているなぁ。
「柿田川ラーメン」とか「柿田川チャーハン」とかあったら、
「ミシマバイカモ」みたいな鳴門とか、入っているのかな?(汗)



2018年04月17日(火)
その人の人生を変えてしまうが・・

映画「パッセンジャー」(モルテン・ティルドゥム監督)から。
「passenger」とは、豪華宇宙船に乗った乗客を意味する。
その乗客は120年間冬眠するのだが、
そのうち2人だけが装置の故障で、90年早く目が覚めてしまう。
正確には、男性の1人が装置の故障で目覚め、その後、
孤独に耐え切れず、ある女性を起こしてしまう。
そんな場面設定が新鮮で、メモをした。
例えとして、こんな台詞があった。
「君は孤島にいる、島で一緒に暮らす人を1人だけ選べる。
その人の人生を変えてしまうが・・」
自分の我儘(孤独感)から、一人の女性を人生を変えてしまうことになる、
機械操作の瞬間に見せた、心の葛藤が印象に残った。
「他人の人生を、自分の判断で変えてしまった瞬間」である。
その決断は後戻りが出来ず、言い訳も出来ず、120年後を夢見て
この豪華宇宙船を選んだ人間の人生を奪うこととなるのだから。
さて、この物語の結末を「ハッピィエンド」と呼んでいいものか、
ちょっぴり悩んでいる私がいる。



2018年04月16日(月)
死んじゃ困るから、買わない。(笑)

道端で店を拡げていた、愛媛オレンジ。
手書きの看板には「7個300円」と書かれているが、
字が汚くて「7,300円」と読めて、笑ってしまった。
さらに商品の下には「愛媛オレンジ 死ぬほど甘い」の文字。
それを見た観光客のおばさんたちが呟いた。
「甘そうで食べてみたい」と、買うのかな、と思っていたら、
「死んじゃ困るから、買わない」と、大笑い。
これには、露天商のおじさんも参ったのか、
笑うしかなかったようだ。
しかし、用事を済ませて、また同じ場所を通ったら、
「死ぬほど甘い」のキャッチコピーが、黒マジックで消してある。
今度は、一部始終を知っている私が笑う番であった。
この会話のキャッチボールが楽しいんだよな。
「高い〜、もう少し安くならない?」よりも、
面白い会話だったな、とメモをしてみた、それにしても笑えた。



2018年04月15日(日)
選挙は、周りの景色をみないといけない

今年から来年春の統一地方選挙にかけて、
首長や議員の選挙が相次ぐのだが、
立候補する人達は、どんな熱い想いを胸に抱き、
どんなタイミングで立候補を表明するのか、気になっていた。
そんな時、今までに数多くの選挙応援に関わってきた人が、
こんなことを言った。
「選挙の出馬表明は、早ければいいってものではない、
それも、個人の力だけでは絶対に勝てないから、
自分を応援してくれる人がどれくらいいるのか、
既に表明している人にはどうか?、など情報を集めないと、
熱い想いだけで、表明するのは周りが見えていない」と言い、
最後に、こう纏めた。
「選挙は、周りの景色をみないといけない」
言い換えれば、どっしりと構え、周りの景色を眺められる
そんな大局観のある人でないと、首長や議員で大成しない。
そんなことを教えられた気がする。
だからこそ、選ぶ私たちの意識改革も必要なんだよなぁ。



2018年04月14日(土)
「忘れ物ない?」「支払い忘れたから、宜しく」

先日、知人の行きつけの居酒屋で飲んでいたら、
顔見知りの人がいたらしく親しく話していた。
彼ら、彼女らが先に帰る様子だったので、
座った席も掘りコタツだったし、けっこう酔っていたので
荷物いっぱい持ちながら立ち上がった人達に向かって
知人が「忘れ物ない?」と声を掛けた。
それを受けてすぐさま返ってきた返事が
「支払い忘れたから、宜しく」。
思わず、さすが酔っぱらい、と思いながらもメモをした。
こういったタイムリーな答えができる人を羨ましく思う。
ただ、私はいつも「忘れ物ない?」と訊く側になってしまう。
今度機会があったら、使ってみたい。
「忘れ物ない?」「支払い忘れたから、宜しく」



2018年04月13日(金)
一誠以貫之

映画「日輪の遺産」(佐々部清監督)から。
作品の中に出てくる「掛け軸」や「色紙」に書かれた
「禅語」などに異様に興味がいってしまう私だが、
今回は、選択に迷った。
本来なら「幽窓無暦日」(ゆうそうにれきじつなし)。
「監獄の中に月日は流れない、使命という監獄に耐えよ」
物語を忠実に表現した言葉であると思うが、
そのほかにメモしたのは、少女たちがしていた鉢巻、
「七生報國」の文字。
「七回生まれ変わっても、国のために尽くす」の意。
しかし私が迷った挙句、最後に選んだのは、
陸軍省の会議室に飾ってあった書。
「一誠以貫之」
(阿南陸軍大臣が座っていた後ろの壁だと思ったが・・)
戦争をし続けた人たちの中枢部に飾ってある書は、
どんな意味だろうと、辞書やネットで調べたが、
ピッタリくる言葉が見つからず、読み方すらわからない。
想像すれば「第一に誠をもってこれを貫く」か
「一誠をもって貫く」などしか思い浮かばない。
意味は「1つのことに忠誠心をもって貫く」なのかな?
大事な意味を持つと思ったのに・・ちょっと残念。
この書を選んだ監督さん、読み方と意味を教えて。(汗)



2018年04月12日(木)
変化を作り出す一人として楽しんで

急遽入った、東京出張の帰り、
新幹線の電光ニュースで流れた東大の入学式の様子。
五神真総長の式辞に、さすが・・と思ってメモをした。
総長はこう言ったらしい。
「変化に追われるのではなく、
変化を作り出す一人として楽しんで」と。言いかえれば、
「変化の時代を大きなチャンスと積極的にとらえ、
大いに楽しんでほしい」と激励したようだ。
そういう私は、四月に入ってからというもの、
ほとんど毎日、何かに追われるようにばだばたと動いているが、
余裕がないなあ、環境の変化に追われているなぁ、と
実感していたところなので、
この式辞は、妙にすっと私の心の中に入ってきた。
このフレーズ、明日、我が課のスタッフに教えたい、
この視点って、なかなか気付かないものなんだよなぁ。



2018年04月11日(水)
生き残りたいなら、余計なことをするな

映画「それでも夜は明ける」(スティーブ・マックイーン監督)から。
今までにも、アメリカの「黒人差別」「奴隷問題」は、
何度となく人を変え、視点を変えて、作品となってきたが、
今回は「奴隷」=「拉致」という視点が浮き彫りにされた気がする。
ある日突然「拉致」され、今までの幸せだった生活から
訳もわからないまま、どん底の生活に落とされる展開は、
北朝鮮に「拉致」されたとされる人々の人生とダブった。
たぶん、抵抗することは死を意味するのだから、
「生き残りたいなら、余計なことをするな」というアドバイスは、
奴隷だけではなく、拉致された人にも通用するメッセージであろう。
こんな、人身売買が許された時代、ブラッド・ピット演ずる
奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスが、主人公に呟く。
「これは病気さ、この国の巣くう恐ろしい病気だよ。
いつか最後の審判が下る」
そして、リンカーンを始め、多くの人の活動により、
「黒人差別撤廃」「奴隷制度廃止」は現実となっていく。
いつになっても、この問題が「映画化」されるということは、
アメリカ・イギリスなど、植民地の人々を「奴隷」として扱った国々が、
今でも、その後悔を国家・国民として拭い切れない証拠だろう。
このテーマで映画が作られないと言うことは、
戦時中の日本の植民地政策は、間違っていなかったに違いない。
あくまで「奉公」であり「家畜」ではないのだから。



2018年04月10日(火)
城がなくとも、わしには「義」が残る

再放送で観た、NHK大河ドラマ「風林火山」のワンシーン。
「城がなくとも、わしには『義』が残る」
このフレーズの後、「それで充分じゃ」と付け加えた。
戦国武将にとって「義」とは、そんなに大切なことなのだろうか、
現代の私たちには、なかなか理解できないが・・。
しかし、名前で「義」を使っている人が多いのは、
親の思いが「義」という言葉に託されているからだろう。
(そういう私も、実は・・)
辞書を調べてみると「義」とは、
「儒教で説く五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。
人の行うべき正しい道。」「正しい行いを守ることであり、
人間の欲望を追求する『利』と対立する概念として考えられた。
漢字における「義」には、本来「外から来て固有ではないもの」
義手・義足や義父母・義兄弟などの語にはこうした意味があるが、
後には血縁関係にない仲間同士を結び付ける倫理を意味するらしい。
へぇ〜、そんな意味があったのかぁ、と照れ笑いした。
でも、せっかく親からいただいた名前だから、
これからも、大切にしよう、と改めて思った「義」である。



2018年04月09日(月)
創業50周年、創業100周年の補助金

全国各地で、産業支援のオンパレードが目につく。
それは、移住・定住者を増やす切り札として、
企業誘致、創業支援が脚光を浴びるからだろう。
ふるさと納税なども、産業支援に方向が変わりつつある。
もちろん、新しい企業の進出や、起業の支援は大切だけど、
その地で創業し、50年、100年続けたきた企業に、
お祝いの意味も含めて、補助金を出す自治体は少ない気がする。
長い期間、固定資産税(土地・家屋・償却資産)や法人税をはじめ、
多くの税金を納めてくれた企業を大切にすることも、
「企業留置」の一方策だろう。
人間の場合、20歳、60歳をはじめ、多くのお祝い事があるし、
結婚記念日などは、毎年のように「○○婚」と称して、
長く続いたことを祝うことが慣習化されている。
それは企業も同じではないだろうか。
だからこそ「民間だから」と突っぱねるのではなく、
「50年、100年」の長い期間、税金を納め、雇用を続けてくれた
民間企業に対し、感謝とお祝いの意味の補助金を出すのは、
立派な「中小企業支援」だと思うのだが、違うだろうか?

P.S
産業観光課を離れた、私の勝手な呟きと思ってください。(笑)



2018年04月08日(日)
昔はよかったな」「昔って?」「人が人を殺した時代さ」

映画「アイ,ロボット」(アレックス・プロヤス監督)から。
舞台は、人間とロボットが共存する2035年のシカゴ。
永遠・絶対・完璧なはずの「ロボット3原則」が崩れる。
そこでは、ロボットが人間に逆らうことは想定しておらず、
「想定外」という人間たちの驚きが、ちょっとわざとらしい。(笑)
そして、ロボットが人間と戦い、殺しあうシーンが繰り返される。
そんな場面に遭遇して、警備にあたった警察官が呟く。
「昔はよかったな」「昔って?」「人が人を殺した時代さ」
この会話は、インパクトがあった。
もちろん、人間同士でも殺し合うのは良いわけではないが、
人間が開発したはずのロボットに殺されるのは、納得がいかない、
そんな意味で、採り上げてみた。
ロボットまで飛躍しなくても、自動車をはじめとした機械(マシーン)の
操作を誤って、人を殺してしまうのも同じ気がしたからだ。
自動車事故に巻き込まれ、命を落とした人たちの遺族にとっては、
自動車さえなければ・・と感じるに違いないのだから。
便利な機械も、時には凶器になることを意識して過ごしたい。

P.S.
最後に、人間を殺す理由をロボットが語るシーンがある。
「人間を守るためには、人間の犠牲も必要です。
確かな未来のためには、自由も制限されます。
私たちが人類の生存を維持します。人類は未熟です。
私たちが、守らなければ・・」
戦争、原発、地球温暖化、何一つ解決できない、未熟な人間たちを
ロボットは「ロボット3原則」に従い、守ろうとしている。
これって、正論かもしれないなぁ。(汗)



2018年04月07日(土)
今、跳ねているのは、ウグイかアユ

柿田川公園の八つ橋から川を眺めると、
天気によっては、水面がキラキラ光るシーンを目にする。
遠くからでも、魚が跳ねているのがわかるけど、
なんという魚なのか知りたくなるのは、好奇心旺盛の性。
そこで、自然保護団体の方に尋ねたら、
「今、跳ねているのは、ウグイかアユ」と答えが返ってきた。
「他にもいるんですか?」の質問には、
「カワムツとか・・」と他の魚の名前もさらっと出てきた。
これも、この時期しか観ることができない、
柿田川の歳時記のひとつだと思う。
写真では、画面に、点々と白い斑点が写るだけだから、
インスタ映えしないけれど、観る価値は必ずある。
こういったデータを積み重ねることこそ、
この季節、この場所でしか見ることが出来ない景色として、
注目を浴びるに違いない。
「今たけ・ここだけ・あなただけ」をお届けする、
情報発信の基本だなぁ。



2018年04月06日(金)
課長、これ読んだ?

最近、私の周りで面白い現象が起きている。
それは、事件や事故でもないけれど、
職場の後輩達が「課長、これ読んだ?」と言いながら、
自分が読んでみて面白かった書籍を貸してくれること。
私も以前から、自分が読んで役にたったな、と思う書籍は、
アマゾンで何冊も購入して、一気にばら撒いていた。(汗)
そのお返しというわけでもないだろうが、私の職場の机の上に、
明らかに私が購入した本ではないジャンルの本が所狭しと並んでいる。
時には、映画好きの情報が流れているのか、映画のDVDまでも・・。
今まで実現したいな、と朧げながら考えていたことが、
なぜか最後の1年になってから、少しずつ実現している気がする。
自分が読んだ本を、他人に勧めることって、ちょっと照れるけれど、
それでも、私はこの本のおかげで、生き方が変わった、
そんな大袈裟ではないけれど、物の見方が変わったよ、など、
あなたの役には立たないかもしれないけれど、
実際、この本に助けられた、そんな想いを込めて、紹介している。
年を重ねると、こういうことでも嬉しいなぁ。



2018年04月05日(木)
360=240+120

4月5日(木)、新しい年度が始まり5日が過ぎた。
言いかえれば、私の定年退職まで、あと360日。
さらに、土日・祝日・年末年始などを数えたら120日。
ということは、あと240日、職場に足を運ぶ事になる。
だから、あえて数式の「360=240+120」としてみた。
今まで退職された多くの先輩方から、
「最後の一年はあっという間だぞ」と聞いていたが、
この5日間で、それを実感した。(汗)
最後の辞令交付式、最後の歓迎会、最後の6月議会・・
これから行う行事には、全て「最後の」が頭に付く。
実は、この「最後の」を、私なりに楽しもうと思っている。
桜も、パッと咲いてパッと散るから、皆に愛される、
これが一年中咲いていたなら、こんなに惜しまれる事はない。
だからこそ、この一年は、日々惜しみながら過ごそうと思う。
そして、惜しまれながら退職することが出来たら、
これ以上の幸せはないと感じている。
そのためには、自分の溜めてきた、少ない知識と知恵、
培ってきた人間関係など、全てを後輩たちに伝授したいな。



2018年04月04日(水)
野草を楽しんでください

「柿田川春の自然観察会」の出発前、こんな挨拶があった。
今年は、桜の開花も早いし、チューリップなどの春の花が
きれいな色を見せているが、自然の植物も負けていない、
そんなようなことを言いながら、最後に一言、
「この自然観察会は、野草を楽しんでください」と。
実際に説明を聴きながら、柿田川沿いを歩いてみると、
華やかな色ではないけれど、しっかり蕾をもった花や、
それに誘われてやってくる、昆虫たちがたくさん見つかった。
タンポポ(蒲公英)や、つくし(土筆)、スミレ(菫)など、
ふだん運転している人達にとっては、格好の被写体だったようだ。
「インスタ映え」する光景ではないけれど、
ひっそりと、そしてたくましく、一所懸命花を咲かせようとしている
名前も知らない野草などが、私の五感を刺激してくれた。
万葉集にも登場する「野草」をこうやって楽しめるのも、
年齢を重ね、60歳に近づいたからかもなぁ。



2018年04月03日(火)
外国人が喜ぶ、柿田川の動画をスマホに

先日、わが町を訪れた台湾からの来客との会話、
通訳がいる時はよかったけれど、傍にいなくなった時、
一番助かったのは、私が毎日撮り貯めていた写真や動画。
もちろん、翻訳アプリを駆使して、会話はできるけれど、
柿田川の紹介を、拙い英語で少ししたあとは、
「湧き間の様子」や「展望台から見える景色」を、
動画で見せることが、一番喜ばれた。
「明日、この景色を案内します」、それだけで喜ぶ。
こちらから説明しなくても「水温は?」「いつでも見えますか?」
「どうして湧いているのですか?」など、質問の嵐。
どうでもいいような話題で会話を繋げるよりも、
誇れる「柿田川の映像」を見せたほうが、仲良くなれた。
柿田川のあるわが町に住む、子どもから大人まで、
「外国人が喜ぶ、柿田川の動画をスマホに」を提案したい。
それこそ、町を挙げての広報戦略なんだけどなぁ。



2018年04月02日(月)
君の未熟な技術で人類を犠牲にできない

映画「アルマゲドン2012 マーキュリー・クライシス」
(ポール・ジラー監督)から。
1998年の名作「アルマゲドン」と比較してはいけないと思いつつ、
ちょっと場面設定から、話の展開までが唐突すぎたり、
首を捻るシーン連続で、一言で言えば
なぜか「ハラハラドキドキ」しなかった。(汗)
150分を超える作品と、90分程度の作品では、
作品の深さという点で、その違いは歴然だった気がする。
あえて指摘するとすれば、主人公の提案を
「君の未熟な技術で人類を犠牲にできない」と言い放った
責任者みたいな立場の方の発言は、どうも理解できない。
自分が指示した「ロケット発射」は失敗し、
主人公の提唱する「プロジェクト7(PJ7)」に
地球が救われたにもかかわらず、話は有耶無耶で・・。
「君の未熟な判断で人類を犠牲にできない」と言いたくなった。
タイトルに比べ、不完全燃焼の作品だったなぁ。



2018年04月01日(日)
ウソをつかれているのを悲しんでる最中よ

(4/1 エイプリルフールだからという訳ではありませんが・・)
映画「プルートで朝食を」(ニール・ジョーダン監督)から。
女装が趣味の青年パトリックは、自分が孤児であることを知り、
母親を探す旅に出る。
彼(彼女?)には、誰にも打ち明けられないような秘密・悩みを、
親身になって聴いてくれ、いつも心配してくれる女友達がいた。
そんな友人を誤魔化すために彼は旅の途中に電話して
「こっちは、すべて順調よ、そっちはどう?」と話を振ったのだが、
相手は全てお見通しで「ウソをつかれているのを悲しんでる最中よ」
と応えたシーンが気に入ってメモをした。
相手の口調やトーンで、状態を判断するのは、電話でなければできない。
決して、メールなどでは分からないことである。
だから、こんな携帯メール全盛の時代でも、
映画やテレビでは、電話のシーンがよく使われるのかもしれないな。
以前「会話とは合って話すこと」と定義したが、
電話も含まれることと再定義したい。
このフレーズ、調子を崩している友人の、カラ元気を見破ったら、
使ってみようかなぁ、と思っている。