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しもさんの「気になる一言」
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2018年02月28日(水)
温かいお茶、ありますか

これから年度末に向けて続くであろう歓送迎会をはじめ、
最近の飲み会では「飲み放題」が多い。
その方が、幹事も楽だし、たぶんお店のほうも儲かる。
以前は、限定されていた飲み物のメニューも、
近頃は、ほとんど何でもOKになってきた。
飲み放題の制限時間が迫ってくると、
もう飲めない、と思っていても、余分に頼んでしまうのは、
いつまでたっても小市民の性なのか。(笑)
そんな中、飲み放題にもかかわらず「温かいお茶ありますか」
と店員に尋ねた女性がいた。
もったいないじゃない・・と思いながら、もちろんメモをした。
店員の配慮で「はい、ご用意します」と持ってきてくれたが、
私なら「すみませ〜ん、飲み放題のメニューにありませんので」と
一応、軽いジョークを言ってみるんだけどなぁ。
彼女にとっては、ビールなどのアルコールよりも、
温かいお茶の方が、刺身に合うんだろうなぁ、きっと。
やっぱり、飲み会は「気になる一言」には欠かせない。(笑)



2018年02月27日(火)
自分のこと棚にあげて、私のこと責めないで下さいよ

映画「裏切りの街」(三浦大輔監督)から。
特に不満がある訳ではないけれど、なんとなく裏切ってしまう、
ネットの出会い系で知り合った主人公たち。
とくに寺島しのぶさん演じる40代の専業主婦の一言、
「ダンナがどうこうじゃなくて・・ただなんとなく・・」が、
妙にリアル感があって、怒っていいのか、笑っていいのか。(汗)
夫・彼女を裏切って申し訳ない、という罪悪感があるにもかかわらず、
「行きませんか? ラブホテル」「私、全然大丈夫です」の会話を耳にし、
なんだよ、この2人、バチがあたるぞ、と思っていたら、
案の定、ラストで、お互いが、夫・彼女に裏切られていた。
「裏切ったつもりが、実は裏切られていた」
タイトルが「裏切りの街」だから、これは特別なことではなく、
どこでも、そして誰でも有り得る場面設定なんですよ、と、
監督に伝えられたような気がする。
このカラクリがわかってから、もう一度観直すと、
実は、裏切っていた、もう2人の発言や行動の方が面白い。
特に、奥さんの行動を責めたつもりが、逆に開き直られて、
「自分のこと棚にあげて、私のこと責めないで下さいよ」
と言われた、夫役の平田満さんの動揺ぶりは、可笑しかった。
まさか脇役の心の動揺まで、演技指導していないよねぇ、三浦監督。



2018年02月26日(月)
車の中で育てば、嫌でも芸術家になる

映画「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」
(バーバラ・リーボヴィッツ監督)から。
カメラマンになるには?の問いに、彼女は
「車の中で育てば、嫌でも芸術家になる」とぼそっと呟いた。
引越し、移動の多かった幼少期、彼女の目の前には、
いつも車の窓枠があった。
そう、それは自然に「構図」について鍛えることになった。
カメラマンや画家といった芸術家は、その枠の中に
自分の想いをどう収めるか、が課題となるのだか、
いつも、バランスやインパクトある構図を、
大人が運転する車窓から、年中観てきた。
いつしか、自然にその技術が身についたということだろう。
こういう視点は、私を喜ばしてくれる発見である。



2018年02月25日(日)
熱川バナナワニ園で「リアル・ポケモンGO」

大学時代所属していた「ユースホステルクラブ」の先輩たちが
全員還暦を迎え、伊豆熱川でお祝いを兼ねた宴を開催するといぅ報を受け、
卒業以来会っていない先輩たちもいたので、飛び入り参加した。
笑いころげた話は後日報告するとして、帰りの電車までの時間に向かったのは
なんと「熱川バナナワニ園」。
建物もだいぶリニューアルしてあり、予想外に楽しかった。
特にポケモン好きには、たまらない施設とも言えそうだ。
なぜか・・空想の世界だと思っていたポケモンが、あちこちにいるし、
本物のワニを見ながらゲットした「ワニノコ」は、感無量。(笑)
さらに、勢いに乗って「アリゲイツ」に進化させただけでなく、
「ワニの像」というジムに「オーダイル」を配置して、ワニ三昧。
この超マニアックな「ポケモンGO」の楽しみ方も、
「熱川バナナワニ園」では、まだまだいっぱいありそうだ。
「ラフレシア」「ウツボット」「ハスボー」などに似た植物が満載だから、
こんなポケモンをジムに配置するだけでも面白そうだ。
熱帯ジャングルにしかいなさそうな、不思議な植物も溢れていて、
ここは「ポケモンGOの聖地」として売り出せる、と直感した。(汗)
あとは仕掛け方を工夫するだけかもなぁ。



2018年02月24日(土)
また違った季節に、来てみたいよね

年に2度(夏・冬)ほど実施する、住民の有志による、
柿田川公園の清掃活動を終えて帰宅の途中、
バスガイドの持つ旗につながり、歩いてきた観光客とすれ違った。
その時、耳にした会話が、もしかしたら自然を売り物にする観光の
「基本中の基本」かもしれないな、とメモをした。
そのフレーズが「また違った季節に、来てみたいよね」
1年のうちに、そう何度も訪れるわけではないから、
自分たちが来訪した季節以外の景色が見てみたい、
それが美しければ美しいほど、意外であれば意外であるほど、
また違った季節に来てみようか、と思うからだ。
これって、日本に多い自然を売り物にしている観光地にとって、
とても大切な要素だと思う。
「目・耳・鼻・口・肌」から感じる季節感は、
その人の記憶に深く刻み込まれることは間違いない。
だからこそ、それをしっかり表現しながら、
魅力を伝える機能を備えた施設が必要なんだと再認識した。
そのためには・・まず、資料収集からだな。



2018年02月23日(金)
「トッポイぜ」「ホットな仲だったんだよ」

映画「ストリート・オブ・ファイア」(ウォルター・ヒル監督)から。
ストーリーがダサい・・と思って観ていたら、
言い合う台詞(もしかしたら和訳?)もダサかった。(笑)
ツッパリのお兄ちゃんたちが叫ぶ。「文句でもおありか?」
女性の兵士が「俺も行く」と男言葉を使えば、
「スカートは引っ込んでな」と言い返す。
「トッポイぜ」「ホットな仲だったんだよ」
「ブチのめす価値もない男だ」「心配すんな」
「ヤな野郎だよ」「ありがとよ」・・
始めは真剣にメモしていたけれど、
ラストのほうでは、笑わずにはいられないくらい
ダサい台詞満載で、飽きなかった。
結局は何を伝えたかったんだろう?なんて考えない。
製作者には悪いけれど、コメディ映画とも言えるくらい
場面場面のダサさが面白かった。
和訳の字幕がなければ、こんなことはないのかもなぁ。



2018年02月22日(木)
いち・に・さん・よん

朝の通勤途中に目に飛び混んできたのは、地元小学校の朝の風景。
全校生徒だろうか、先生の号令に合わせて、縄跳びをしていた。
前日はランニングだったから、日によって違うのかもしれない。
縄跳びか、懐かしいな、と思いながらも、ちょっと違和感を覚えた。
それが、朝礼台に上り、掛け声をかけている先生の号令。
「いち・に・さん・よん」
咄嗟に「えっ『いち・に・さん・し』じゃないの?」と思った。
小さい頃から聞き慣れた号令は「いち・に・さん・し」。
たぶん「ラジオ体操」も、同じだったと思う。
それが「いち・に・さん・よん」だと、どうも調子が狂う。
もしかしたら、どちらが正解、なんてないのかもしれないけれど、
小さい頃に覚えた「音」というものは、不滅だなぁ、
そんなことを感じて、小学校の前を通り過ぎた。
もう一度「ラジオ体操」で、確認してみようっと。(汗)

P.S.
ラジオ体操は「いち・に・さん・し」でした。



2018年02月21日(水)
皆さんの元気の源を、今日知りました

本来なら、落語独演会の時間に合わせて、当日に来町し、
終われば、そのまま三嶋駅まで送るというケースが多い中、
「柳家花緑師匠」は前日から清水町入りをして、
夜の7時から「花緑のよもやま話」と称して講演会をこなし、
翌日には、午後2時から始まる独演会の前に、
できることなら「柿田川公園を案内したい」という、
こちら側の希望を快く受けていただいた。
さらには、メインイベントの独演会では、
「皆さんの元気の源を、今日知りました」と話し始め、
「僕は、あんな澄んだ水を見たのは生まれて初めて」と驚き、
「若々しいってことは、瑞々しい(みずみずしい)ってこと」と
「みず」にひっかけて「水」の持つ魅力を語り、
会場満員の350人に向けて、我が町をPRしてくれた。
住んでいる私たちが、どんなに声高に叫ぶより、
全国行脚をし、超一流の景色を目にしている彼らの発言の方が、
どれだけ、多くの町民に誇りを与えたか、計り知れない。
本当にありがたい、と心から思う。
これからも、多くの著名人に「柿田川(公園)」を案内し、
私たちが慣れてしまった「柿田川の魅力」を教えて欲しい。
それこそが、交流人口を増やすヒントになる気がする。



2018年02月20日(火)
地方新聞が、スポーツ新聞になっている

前半、メダルに一歩届かない種目が続き、
韓国・ピョンチャン冬季五輪を楽しみにしている
日本国民の溜息が聴こえてきそうな雰囲気だった。
それを払拭したかのように、中盤からメダルラッシュ。
それはそれで嬉しいことだが、私の違和感は、
地方新聞の「一面」記事が、写真で埋め尽くされたこと。
フィギアスケート男子の「羽生、宇野」選手や
スピートスケート女子の「小平」選手の写真の大きさは、
今まで目にしたこともないレイアウトで、
まさしく「スポーツ紙」と変わらない一面であった。
ネットやテレビで、何度も何度も目にした写真を、
大切な一面を大幅に割いて、カラー写真を掲載することに
違和感を感じたのかもしれない。
韓国・ピョンチャン冬季五輪の陰に隠れてしまって、
実は、日本の政治や経済の動きがよくわからない。
日本国民として金メダルが取れて嬉しいのはわかるけど、
地元の地方新聞が、全国のスポーツ新聞のようになるのは、
個人的には反対なんだよなぁ。



2018年02月19日(月)
完璧な人間は変われない。夫は常に向上し、強くなっていった

映画「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」
(パブロ・ラライン監督)から。
今まで「JFK」をテーマにした映画を何作か鑑賞したが、
この事件をファーストレディの視点から描いた作品は初めてだったので、
内容はどうであれ、へぇ、こんな事が起きていたのか、と新鮮だった。
「元大統領夫人ジャクリーン・ケネディ」が、
夫「ジョン・F・ケネディ」を単なる伝説の大統領にはさせない、
そんな意気込みを感じさせる作品だった。
車の中で、彼女が問いかける「ジェームズ・ガーフィールドをご存じ?
ウィリアム・マッキンリーを知ってます?
2人とも在職中に暗殺された米国大統領よ」という台詞が印象的、
もちろん「リンカーンは何をした人か知っています?」という台詞も。
「暗殺された大統領」としてでなく、リンカーンのように、
アメリカ史に残る偉大な大統領として、夫を誇ろうとしていた。
ネットで検索すると、第35代アメリカ合衆国大統領で、在任中に
キューバ危機などさまざなアメリカの問題に立ち向かった一方で、
マフィアとの繋がりやマリリン・モンローはじめとする数多くの不倫など
批判も多い大統領」という文字が見つかった。
物語の中で、事件後インタビューを受けた彼女の口から、
それを裏付ける、こんな台詞がある。
「大統領の欠点は何か」と尋ねると・・
「完璧な人間は変われない。夫は常に向上し、強くなっていった。
時には独りで荒野に踏み入り・・悪魔の誘惑に身をさらした。
でも、いつも愛する家族の元へ戻ってきた」
悩み苦しむ彼女の感情が、伝わってきたインタビューシーンだった。
精神的に強そうに見える彼女の弱さが見え隠れするシーンの数々、
どこまで実話なんだろう・・と思わずにはいられなかった。



2018年02月18日(日)
落語の面白さは、イメージを広げられること

翌日の「柳家花緑」独演会に先がけて、前日の夜、
第208回泉のまちカレッジ「花緑のよもやま話」と題して
彼の落語に対する想いを始め、生き方に関することなど、
緊張せず、ゆる〜い感じで、耳を傾ける機会に恵まれた。
書籍も出版している彼の生き方については、後日紹介するとして
やはり「落語について」のメモを紹介したい。
800人のうち25人しか、二世の落語家がいないということ、
落語家は、募集もしないし、師匠選びから始まる職業、ということ、
また、半分の落語家に弟子はいないという事実など、
ちょっと変わった視点で、落語という世界について話してくれた。
その講演の中で、私が質問したかったことを簡潔なフレーズで表現し、
思わず、これこれ・・とメモしたのは「落語の面白さ」について。
彼は、9歳で始めて人前で話し、現在の46歳までずっと楽しそうに、
そして、その話芸で周りを幸せにしてくれた経験をもとにこう語った。
「落語の面白さは、イメージを広げられること」
逆に言うと「その絵(場面)が浮かばないと、客は飽きる」と言い切った。
確かに「絵(情景)が見えてくると、どんどん引き込まれていく」。
みんなが、テレビや映画のように同じ映像を見ているのと違い、
それぞれの知識・経験から、思い浮かべる絵(場面)が違う中、
一人ひとりの頭の中に、そのイメージを広げられるという話術は、
落語家ならではの醍醐味というか、まさしく「話芸」と言えそうだ。
その意味を、翌日たっぷり実感することになったことを付け加えたい。



2018年02月17日(土)
直接会って「ふるふる」が一番安全ってこと?

60歳直前で「iPhone-5s」から「iPhone-SE」に変えた。
バッテリーの寿命なのか、顕著に膨らんできたので、
完全にダメになってしまう前に・・が第1の理由。
第2の理由は、私にとってピッタリサイズの「SE」にしたくて。
さらに、妻も娘も「iPhone」にすれば、使い方も教えられるし、
充電機器など、すべて兼用できる・・のメリットも考慮して、
家族3人とも「au」から「UQ-mobile」に切り替えた。
そう、今までよりも安く、快適に・・が目的でもある。
ただ、データの移行をしてくれないらしく、
大がかりな引越し作業が強いられた。(汗)
問題は、以前のメールアドレスが使えなくなること。
もちろん想定していたので、携帯番号のショートメールや、
Yahooやgoogleなどのメールなどで対応しようと考えていたが
予想以上に、面倒くさかった。
そこで、今まで封印していた「LINE」に挑戦しようと思い立ち、
ネットで調べたり、知人に聴きながらのスタートとなった。
今更、多くの人たちに教えたくはないけれど、
今までメールで連絡していた人達には教えたい、このモヤモヤから、
いろいろ試していたら、なぜか一気に広まってしまった。(らしい)
「年寄りの冷や水」として、反省の意味をこめて残したいが、
うまい言葉がみつからず、私が知人に尋ねた
「直接会って『ふるふる』が一番安全ってこと?」にしたい。

P.S.
そんな訳で、以前のアドレスで、私にメールしても届きません。
ショートメールか、facebookのメッセージが確実です。
あとは「直接会って『ふるふる』」ですかね。



2018年02月16日(金)
自分の感情を抑えないと

映画「午後8時の訪問者」
(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督)から。
私の感性が試され、撃沈した感じの作品だった気がする。
作品がサスペンスであれ、有名な兄弟監督の作品であれ、
淡々と進むストーリーや、少ない台詞に対して、
どう評価してよいのか、分からないまま観終わった。
気になったのは、作品冒頭に流れる、
主人公の女医・ジェニーと研修医との会話。
「あなた、研修医よね、一つだけ見直すべき点を言うわ」と
アドバイスを送ったのにも関わらず、
振り向きもせずPC操作する研修医に我慢出来ず
「手を止めて」と語気を強めた後、冷静さを装い、
「診断の下し方よ、患者の痛みに反応しすぎるの」と言う。
なのに研修医は「直りません」の一言で片付けてしまう。
そこで最後に「自分の感情を抑えないと」と、
自分に言い聞かせるようなフレーズを口にするシーン。
そのあとの続く、いろいろな憶測に「反応しすぎ」だと思うし、
「自分の感情を抑えている」とは思えない行動が続いていた。
刑事でもなんでもない若い女医が、大勢の診察などをしながら、
関連情報を集め、事件を解決していく、と言うことなのか。
兄弟監督は、この作品を通して、何を伝えたかったのだろう、
やはり、私の理解度不足かな? (フランス映画は難かしいなぁ)



2018年02月15日(木)
「ボードゲーム選手権」はいかが?

全国、どこの市町村にも「囲碁」「将棋」の愛好者がいて、
「囲碁大会・将棋大会」が開催されている。
しかしながら「チェス」や「オセロ」などを愛好者もいるのに、
「チェス大会」「オセロ大会」などは、あまり耳にしない。
また「囲碁」「将棋」は難しくて出来ないけれど、
碁石を使った「碁並べ」、将棋の駒を使った「挟み将棋」など、
ルールも簡単だし、幼児から高齢者まで、誰でも参加できる
「碁並べ大会」「挟み将棋大会」だって面白そうだ。
私たちが小さい頃に夢中になっていた、
「ダイヤモンドゲーム」や「軍艦将棋」など、
「ボードゲーム」は、いつでも手軽に出来るのだから、
いろんな「ボードゲーム」を集めて、一斉に開催する
「ボードゲーム選手権」はいかが?
世界には、まだまだ楽しいボードゲームも沢山あるからね。



2018年02月14日(水)
きっと、あなたも79%の一部ね。子どもを亡くして離婚した夫婦よ。

映画「素晴らしきかな、人生」(デビッド・フランケル監督)から。
賛否両論のある映画として、解釈もいろいろ。そこがまた面白い。
題材となっている「愛」と「時間」と「死」については、
「この3つが地球上のすべての人をつなげる要素だ。
誰もが求めたり、避けたいもの。誰もが買ってしまうもの。
なぜなら、人は常に、愛を渇望し、時間を惜しみ、死を恐れるからだ」
主人公が冒頭に説明するシーンのこの台詞で、理解できる。
この3つに宛てた手紙の内容は、ちょっと理解しにくい。
また商品のキャッチコピーとして引用された
「殻を脱げば、人生は変わる・・それは脳に響く感じ。
殻を脱いで、人生を変えよう・・心に響く」が意味ありげに存在する。
そんな中、私が選んだのは、主人公がある女性に言われた台詞。
「きっと、あなたも79%の一部ね。子どもを亡くして離婚した夫婦よ」
この一言は、鑑賞後に書き出したメモの中で一番光っていた。
ラストシーンは「どんでん返し」という表現で片付けるのではなく、
もう一度、場面設定を確認して観直してみると、新しい発見がある。
「気になる一言」に選んだフレーズも、二人の関係性が変わると、
こんなにも意味が違うのか・・と、脚本に拍手を送りたくなった。
この作品、2回観ないとその面白さがわからないかもなぁ。



2018年02月13日(火)
まわる、まわるよ、お酒がまわる

敏感な読者はお気付きのことと思うが、
中島みゆきさんの曲「時代」を気持ちよく歌っていた女性が
酔っぱらい過ぎたのか、マイク片手にこう歌った様子が
おかしくて、メモしてしまった。
その後、弾け過ぎたのか、フラフラになって自席に辿り着き、
しばらくすると、コテっと寝てしまった。
文字にすると、なかなかうまくその場を表現できないが、
少し酔いが冷めて、ハッと起きた時、
替え歌のことは覚えているのだろうか?と不安になった。
彼女は「まわる、まわるよ、目がまわる」だったな。
誰かに伝えないと、この光景が頭から離れないから、
「気になる一言」に登場させてみた。
今度誰かが「時代」を歌った時に、思い出さずに済むかな?



2018年02月12日(月)
この世界の片隅に、うちを見つけてくれて

映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)から。
学校の歴史では学ばないが、太平洋戦争で被害を受けたのは、
原爆投下された「ヒロシマ」や「ナガサキ」だけでなく、
全国各地で、空襲を受けた海軍・陸軍の拠点は、凄まじいものがあった。
作品舞台の「広島県呉市」は「戦艦大和」を造り上げた海軍の拠点として、
敵国から集中砲火を浴びた場所である。
終戦直前の空襲は、特にはげしく、1日に何十回と繰り返され、
その様子は市民らの「警報、もうあきた」の台詞で表現されている。
そんな中、タイトルの「この世界の片隅に」の意味が知りたくて、
メモ帳片手に、観続けた。
主人公の「すず」に、こう投げ掛けた幼なじみの台詞がある。
「お前だけは、最後まで、この世界で普通で、まともでおってくれ」
戦争で、いままでの生活も人間関係も少しずつ荒んでくるが、
そんなことに負けず、お前らしく生きて欲しい、
それが、みんなの励みになるから・・と、言いたげだった。
しかし、タイトルの「この世界の片隅に」は、作品の最後に現れた。
「この町では、皆誰かを亡くし、探している」
「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて。
ほんで、もう離れんで、ずうとそばにおってください」
この時代、どの国に産まれ、誰と出会うか、ではなく、
この世界の片隅で、誰かに見つけてもらえて嬉しい、という気持ちが
伝わってきて、ホッとした。
いろいろな大切なものを失ってきた「すず」が呟いた台詞、
私の心にも響いたなぁ。



2018年02月11日(日)
こんないい場所で子育てしているんだよ

以前は、子育て環境の充実で、移住・定住する人たちが増えた。
そんな時代も、全国各地で「子育て支援」を競い合い、
「こども医療費の無料化」がどこまで進むのか気にはなるが、
今では、あまり差がなくなってきたのを実感する。
そこで気になるのは、どんな理由で、移住・定住を決めるか、
考えてみたら、やはり「子育てを終わった」先輩の言葉ではなく、
今現在、子育て真っ最中の、同じ環境の人たちの言葉だろう、と
誰もがわかる。
それは、講演会等の話ではなく、SNSの呟きに近いコメント、
またはリアルにランチをしながらの会話だったりする。
ではでは、その会話の中で、どんなフレーズに反応するのか、
そんなことも気になって調べてみたら、
(私ね)「こんないい場所で子育てしているんだよ」。
その場所で子育てをしたら、こんなに楽しいんだよ、
こんな人たちが支えてくれるんだ、こんなことが得られるの、
だから、子育てで悩んでいるあなたたちも、
この場所で子育てしてみたら?、というメッセージが込められている。
これって応用すれば、どの世代にも使えるフレーズかもしれないな。
「こんないい場所で老後生活を過ごしているよ」
う〜ん、住んでみたいな、確かに・・(汗)。



2018年02月10日(土)
月明かりを浴びて走り回ってると、黒人の子供が青く見える

映画「ムーンライト」(バリー・ジェンキンス監督)から。
う〜ん、評価が分かれるだろうなぁ、という感想で観終わった。
アメリカが抱える、人種差別や貧困、児童虐待、麻薬売買、
更には、LGBTなどの性的マイノリティなど、詰め込み過ぎという評価と、
何度か登場する「ムーンライト」(月明り)の場面に、黒人の主人公が、
暗闇、静けさの中で、きれいに浮かび上がってくる映像評価。
実は、作品の中で、こんな台詞がある。
「老女は俺をつかまえてこう言った。
「月明かりを浴びて走り回ってると、黒人の子供が青く見える、
ブルーだよ。お前をこう呼ぶ、ブルー。」
何気ないたとえ話かもしれないが、タイトルの「ムーンライト」を連想させる
言葉は、この「月明かり」しか出てこない。
またこの台詞の後「自分の道は自分で決めろ。周りに決めさせるな」と続く。
そのことを作品の軸に据えて、自分の行動を決めていったようにも見える。
構成を、1.リトル(少年期)、2.シャロン(思春期)、3.ブラック(青年期)と、
わざわざ3章に分けた理由を知りたい、とも思った。
アカデミー賞(2017年)、ゴールデングローブ賞(2017年)など、
輝やかしい賞を受賞した作品なのだけれど、平々凡々と暮らす、
日本人の私にとっては、なかなか難しい作品だったなぁ。



2018年02月09日(金)
顔が痒いので頭を動かしてもいいですか?

定年退職1年前にしておこうと思った「脳ドック」を受けた。
私にとっては2度目の体験で、前回から6年ぶりとなる。
毎年のように受診してきた人間ドックとは違い、
なぜか緊張していた自分が可笑しかった。
狭いトンネルの中のような中で検査する「MRI」だけど、
準備の際に「頭は動かさないで下さい」と指示を受けたので、
目をつぶってじっとしていたけれど、なんと10分ほど過ぎた頃、
急に顔が痒くなってきて困った。(笑)。
何かあったら、このボタンを押してください、と言われたが、
まさか「顔が痒いので頭を動かしてもいいですか?」と訊けないし、
頬を動かして、なんとか痒いのを我慢しようとしたが効果なし。
結局は、そうこうしているうちに、検査終了し事なきを得たが、
もし脳以外にも顔全体を写されていたら、
とても面白い私の表情が写っているに違いない。(笑)
しかしながら、一番緊張したのは「MMSE」の検査。
認知症の早期発見を目的とする検査であり、
今振り返れば、笑ってしまうような問題でも、
その時はこれを間違えると「認知症」と診断されるかも・・と
必死に答えた、30点満点のテストは焦った。
突然訊かれると、詰まったりするものだなぁ、ふう〜。(汗)
24点以上が合格ラインらしいけれど、さて何点取れたかな。



2018年02月08日(木)
小娘みたいな泣き言はよして

映画「ショコラ 君がいて、僕がいる」(ロシュディ・ゼム監督)から。
人種差別が当然の時代、白人と黒人で芸人コンビを組み、
「小麦粉とチョコレートはうまく混ざらない」と言いつつも、
「黒人が白人に思いきり蹴られる」ネタで、大衆の人気を得る。
しかし「真の芸術とは、風穴を開けることだ、人々の範となる」と、
人種差別的なネタからの脱却を図り、奴隷に近い黒人たちにとって、
希望の星となり、独り演劇の道へ進もうとする。
演じるのは「シャイクスピア」の中から、黒人主役の「オセロー」で、
「俺以上にリアルに、演じられるものはいるか?」と豪語して、
スタートするのだが、結果は散々で自信喪失。
そんな状況下、ギャンブルやアルコールに溺れていく彼に、
「演劇とは、リスクの伴う芸術」となだめながらも、
「『俺こそ真のオセローだ』と自分で言い出したのよ。
小娘みたいな泣き言はよして」と、突き放すシーンが印象に残った。
プライドを傷つけられた彼が「失礼だぞ」と大きな声で言い返しても、
「じゃあ、しっかりして」と切り返す場面は、
何気ない会話なのかもしれないが、こういう彼女がいたからこそ、
立ち直っていけたのではないか、とメモをした。
「中途半端なプライド」ってジャマなんだよなぁ。



2018年02月07日(水)
東京都民って、マスクしないのかねぇ

昨日、本当に久し振りに、仕事の関係で上京した。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、
急ピッチに工事が進んでいる感じがして刺激を受けた。
私たち地方都市は、この東京を相手に「移住・定住を増やそう」と
必死になっているのか、とちょっぴり目眩がした。(汗)
また、電車の中では、当然のようにほぼ全員がスマホの画面を眺め、
わたしの左隣の男性は、スマホで漫画を読んでいたし、
右隣りの女性は、スマホで小説を読んでいた。
私たちが、紙媒体で読んでいたものがスマホになっただけで、
本質は、あまり変わっていない気がした。
一番気になったのは、これだけ「インフルエンザ大流行」が
新聞紙上を賑わせているのに、マスクをしている乗客がほとんどいない。
地方ではよくみかける、予防の意味のマスク着用は皆無に近い感じ。
先日、クラス全員マスクしている中学校の光景を見たばかりだったので、
受験シーズンまっさかりの今、都民のほとんどがマスクをしている、
そんな先入観が、見事に裏切られた。
だから今回は、帰宅後、夕食支度をしている妻に、私が発した一言、
「東京都民って、マスクしないのかねぇ」を記録に残そうと思う。
理由がわかる方、是非、教えてください。



2018年02月06日(火)
私の役目は「プラットフォーム」

「新しいビジネスにチャレンジしたいすべての人々のための、
『想い』を『予定』に変える実践講座」と銘打った、
「わくわくビジネス塾・・スタートアップセミナー」に参加し、
定年退職後のヒントにしたいな、と勉強中である。
キャッチコピーは「一歩踏み出せば夢はかなう!」。
私の考えた「ビジネスプラン」について、講師の先生から
「こういうビジネスを『プラットフォーム』って言います」と、
ヒントをいただいた。
「プラットフォーム」(platform)とは、
「システムの土台となるハードウェアとソフトウェアの環境」
又は「駅などで乗客が乗り降りする一段高くなった場所。
歩廊。ホーム」
言い換えれば「人を集め、それらを繋いでいくビジネス」
なのかな?と拡大解釈をした。
それは現在の仕事でもある「行政の役割」とも言える。
私がこの世に生を受けて今までを振り返っても、
「プラットフォーム」の役目が多かった気がするし、
今後も、私のもとに集まってきてくれた、老若男女の人々を
うまく繋げていくこと、これこそ私の役目、と理解できた。
そうだ・・「Platform Shimo.」の名刺つくろうかな。(笑)



2018年02月05日(月)
『家族』ではなく『家人』と書き

「しもさん、最近の『気になった一言』聞いてください!」で始まり、
「twitterやFacebookとかで自分の家族の話題を出す時に、
『うちの家族が』ではなく『うちの家人が』って呼称する人、
結構見かけませんか」とメッセージをいただいた。
「どうして、わざわざ『家人』なんて使い慣れない言葉を使うんだろう?
『家族』では何か不都合でもあるのかな?」と、
前々から気になっていたようだ。(なるほど・・鋭い観察力)
確かに「家人」と書いている人は、以前から気になったけれど、
私の関心は、もっと単純に「なんと読むんだう?」だった。
たぶん、書いている人も読み方を意識していないような気がする。
辞書で調べても「いえびと」「けにん」「かじん」などあり、
あまり定かではないし、
意味も「家族」「家の人」「家に仕える人」など、いろいろで、
「同じ家で一緒に生活している人」という意味で理解している。
だって夫婦だけでも「妻・家内・連れ合い・うちのかみさん」
「夫・主人・旦那・相方」など、ちょっと文字にすると照れ臭いし
いちいち関係を文字にするのが面倒なのかな、とも考えてみた。
小説には、時々目にするけれど、会話では聴いたことがない。
だから「『家族』ではなく『家人』と呼び」ではなく、
「『家族』ではなく『家人』と書き」なのかもなぁ。

P.S.
こういうメッセージ、大歓迎です。お待ちしています。



2018年02月04日(日)
撤退による勝利はない。だが、この救出劇は1つの勝利だ。

映画「ダンケルク」(クリストファー・ノーラン監督)から。
作品冒頭に「ダンケルクで兵士たちは運命を待った。
救出に望みを託し、奇跡を信じて」と書かれたテロップが流れ、
(フランス北部の)「ダンケルク」という場所で繰り広げられる
救出作戦が奇跡的に成功したストーリーだと想像できてしまい、
なんとなく物足りなさを感じた。
台詞も少なく、メモに残したいフレーズが多いとは言えないが、
逆に、実際の戦争は、それほど喋らないのかも・・と、
よりリアルに、戦争の場にいる錯覚を感じたほどだ。
戦争における「撤退」は、ほぼ負けに等しく、
人・モノ・金を失い、大きな犠牲を払うこととなる。
にも拘らず、作品のラスト近くに、こんなフレーズを見つけた。
「撤退による勝利はない。だが、この救出劇は1つの勝利だ。
奇跡の脱出に感謝する」
作品の説明を、わざわざ文字で説明しなくてもいいよ、と
感じながら、鑑賞を終えた。
実話に基づいた戦争の奇蹟的な救出劇という視点でみれば、
私は、映画「ハクソー・リッジ」の方が好きかもしれないなぁ。



2018年02月03日(土)
私だったら、こんなまちづくり

最近考えていることは、35年以上関わってきた、
まちづくりのアイデアを、1年かけてじっくり放出していこう。
地方行政の最前線で、まちづくりに携わっていると、
発想・アイデアが、自分のまち中心に偏りがちであるが、
酒呑みながら、酔っぱらって思いついたことには、
わが町より、全国のある市町村で開催したら楽しいだろうな、
そんなことも沢山ある、いや、そんなことの方が多い。(笑)
この日記も、単なる一個人の呟きだから、
これからは、自分の住む、働くまちのことばかりではなく、
私だったら、こんなまちづくりをするかな、という呟きも
少しずつ書いていきたいな、とふと思った。
私のまちづくりの根底に「数打ちゃ当たる」があるので、
いくら立派な構想を拡げても、実行しなければ意味がない、
百発百中のアイデアなんてあり得ないから、とにかく試してみる。
小さくてもいいから始めて、試行錯誤しながら直していく。
それが、私にあった「まちづくり」の戦術なんだよなぁ。



2018年02月02日(金)
だからキューピッドは盲目に描かれている

映画「美女と野獣」(ビル・コンドン監督)から。
名作ディズニーアニメのこの作品は、
映画に留まらず、ミュージカルなどでも表現されたストーリー、
ご承知のとおり「真実の愛」がテーマに掲げられ、
冒頭、老婆の姿で現れた魔女が、王子にこう忠告するシーンで始まる。
「外見に騙されるな」「美は内面に宿るのだから」
それを無視した王子は、呪いで野獣の姿に変えられてしまうのだが、
呪いが解ける条件は、王子が「愛し愛されること」を学ぶこと。
この「愛し愛されること」が「真実の愛」なんだ、と私は理解した。
また、こんな例えをメモしてみた。
「恋は醜いものを美しく変える、恋は目でなく心で見るもの」と言い、
「だからキューピッドは盲目に描かれている」。
そんな視点で、キューピッドを観察したことがなかったので、
ちょっと嬉しい発見だった。
2人にとって「最高の瞬間が来たら・・」と、その告白のタイミングを
王子の周りの人たちがアドバイスしようとしたら、
本当の恋をしたことがない王子は、その会話をさえぎり、
「(その瞬間を)どうやって知る?」と聞き返す場面があるのだが、
部下たちは彼にこうアドバイスをした。「胸が苦しくなる」。
さすが「恋愛」をテーマした名作だけに、台詞も抜群だと思う。
最近、アニメの奥深さに、ようやく気付いた気がする。
ミュージカルも観たくなったなぁ。



2018年02月01日(木)
月から見ると『金環日食」ですね

奇跡的な天候に恵まれ約3時間の「皆既月食」を満喫できた。
この機会に何かフレーズとして残しておこうと思いたち、
1時間20分ほどの「皆既食」の間を利用して、
テレビ、インターネットのSNS、YouTubeなどの解説を、
赤銅色の月を眺めながら聴いていた。
「月食って変化があるからずっと見てられますよね」
「これを機会に、今後も空を楽しんでいきましょう」など、
なかなか面白いコメントがメモされた。
しかし、今回の私の一押しは、YouTubeの【LiVE解説】
「皆既月食2018 Total lunar eclipse ウェザーニューズ」で、
約3時間、解説をしてくれていた、
平塚市博物館の学芸員、塚田健さんのフレーズだった。
「月から見ると『金環日食』ですね」
日本全国で「皆既月食」の話題で盛り上がっていたし、
月食の仕組みを説明していた彼が、ボソッと呟いた。
私は「お見事」と頷き、この視点・発想に、拍手を送った。
妻も「今、飛行機に乗っている人はラッキーだったね」と、
下から見上げるだけの私たちより面白い発言だったが、
さすがに「月から見ると・・」という視点には及ばなかった。
「視点を変えてみる」ことで、大きな発見があるなぁ。

P.S.
「月食」って、月の光の中を地球が通過するのではなく、
地球の影の中を月が通過するんだよね、きっと。