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しもさんの「気になる一言」
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2017年03月31日(金)
伊豆半島は、すごくアナログ。

あるまちづくりの会議で、こんなコメントがあった。
「伊豆半島は、すごくアナログ。
逆に、アナログのいいところを活かしたらいい」と。
辞書によると
「デジタル」とは「離散したもの、数値化されたもの」
「アナログ」とは「連続したもの、数値化されていないもの」
一般的には「デジタルは自動」「アナログは手動」
俗語・イメージ的には「デジタルは先進的、ハイテク」
「アナログは時代遅れ、ローテク」。
これを冒頭の考えに当てはめれば、
中途半端なデジタル化よりも、アナログのメリットである、
「大まかなもの(全体像)を捉えやすい」ことを売りにして、
戦略を立てるのも、一考かと感じた。
もっと大きな視野で、伊豆・富士・箱根を一緒に楽しむ企画、
それこそ、アナログ的でいいんじゃないのかなぁ。



2017年03月30日(木)
台風、大好きなの。なんか気持ちが清々する

映画「海よりもまだ深く」(是枝裕和監督)から。
見ず知らずの若者と中高年の会話って、お互いの立場を考えずに、
言いたいことを言うから、面白いことが多い。
幾つになっても定職を持たず、ダラダラ生活を繰り返し、
競馬などのギャンブルに打ち込む中年に向かって、若者が叫ぶ。
「あんたみたいな大人にだけはなりたくないです」
それに対して、中年も負けてはいない。
「言っとくけどな、そんな簡単に、なりたい大人になれると思ったら、
大間違いだぞ」と言い返す。
これは、経験から発せられた言葉として、ニヤッとさせられた。
また「男」に対する女性の視点が妙に引っかかって、メモをした。
「男ってのはさ、なくして初めて愛に気付くんだよ」
「男の人は、すぐ『賞味期限』気にするから」
「なんで男は『今』を愛せないのかね」など・・。
一番メモしたのは、樹木希林さん演じる主人公の母親の台詞。
「友達をつくんなさい」
「そんなもの作ったって、お葬式にでる数が増えるだけですよ」
「こんにゃくは、ゆっくり冷まして、一晩寝かせた方が、
味がしみるのよ、人と同じで」
「便利になったなぁ」「歳をとって体が不便になった分ね」
「台風、大好きなの。なんか気持ちが清々する」
「幸せってのはね、何かを諦めないと手にできないものなのよ」など
さすが、人生を長く生きてきただけあるな、と感じた。
こんな台詞が気になるなんて、私もそろそろ仲間入りだなぁ。



2017年03月29日(水)
「エリートコース」と「デリートコース」

年度末になると、新年度の人事異動が一斉に発表される。
自分たちの職場だけでなく、他の職場、他の業界など、
私と交流があった人の名前を見つけ、一喜一憂するのも、
この季節の歳時記となっている。
その中でも、ネットのコメントで
「おめでとう、エリートコースに乗ったね」という
表現をする人を見つけて、ちょっと気になってメモをした。
何をもって「エリート」と定義するのかもわからないし、
ちっちゃな職場で、エリートもなにもないだろう、と感じる。
逆にあったとしても、そのために毎日残業して、体を壊して、
家庭が円満でなくなったら、人生は「デリート」だと苦笑い。
ちなみに、辞書によると「エリート(フランス語: élite)とは、
社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。
『選良』とも訳される。語源はラテン語の ligere(選択する)、
『選ばれた者』を意味する。
通常は、特別に優秀な属性を持った人または集団で、その属性は
その時代・地域・社会などによって職業・知識・経験などがある」
今は、意識して「エリートコース」から外れる人たちも現れた。
どっちが幸せなのか、そればかりは誰にもわからない。
少なくとも自分を「エリート」と口にする人はエリートじゃない。
この言葉は、他人が評価する時に使うのだから。



2017年03月28日(火)
小説家なら形作ったものを削らないと・・

映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」
(マイケル・グランデージ監督)から。
作家と編集者がいて、初めて素晴らしい作品が出来上がる。
その両者の関係を理解していないと、
著者だけがスポットライトを浴びて、才能だけが一人歩きし、
自分は天才だと勘違いしてしまい、有頂天になって潰れていく。
作品中、主人公2人の編集作業が印象深い。
「詩的表現に満ちたこの本でこの場面を際立たせるには?」
「単純さだ。簡素な言葉」
「『稲妻』か。暗闇にくっきり稲妻を走らせる・・」
「そうだよ」「ユージンは女を見た。その瞳は青い」
「小説家なら形作ったものを削らないと・・」と意見をぶつけ合う。
その結果が、無駄のない洗練されたフレーズに繋がるのだろう。
原題「Genius」は、辞書によると
「(科学・芸術などでの創造的な)天才、非凡な才能、天才(の人)、
鬼才、特殊な才能、(…の)才、特徴、特質、傾向、精神」とある。
2人の「Genius」が、お互いの力をうまく引き出したとき、
名作が生まれることを、この作品で知った。
最後に作家がこう言う。「一節だけ付け加えたい。本の献辞だよ」
「この本をマックスウェル・エヴァーツ・パーキンズに」
勇気と誠実さに満ちた彼は、ひどく絶望に苦しむ著者を何度も
励ましてくれた。その彼に・・値する作品であることを著者は願う」
今では「あとがき」に編集者への献辞が書かれているが、
この作品が1920年代の実話だとすると、
作者から編者者への一番最初の献辞だったかもしれないなぁ。



2017年03月27日(月)
アジ 多キ

先日、以前仕事をした仲間たちと楽しい宴を催したが、
そのお店のメニューが、今回の「気になる一言」。(笑)
と言うより、その「お品書き」を読み間違えた仲間の一言。
テーブルの上に置かれたメニューは、縦書き。
その1つを指差し「この『アジ 多キ』って、なんですかね?」
ビールをゴクゴク飲んでいた私は、吹き出しそうになった。
確かに、ちょっと崩れた手書きの文字で、カタカナのみの
メニューだから、間違いを責められないけれど、
そこには、酒の肴としての「アジ タタキ」と書かれていた。
酔っぱらっていたからか、私の笑いのツボにハマり、
こうして「気になる一言」に登場することになった。
以前「磯物」と書かれた手書きのメニューを、
「すみません、この残り物って、なんですか?」と尋ねた私は、
しばらく、そのお店に行けなかった。(笑)
こういった笑いのネタは、なぜか飲むたびに増えていく。
特に言葉に好奇心が強い私は、初めて行ったお店なら
間違いなく「メニュー」を一通り目を通す癖がついている。
面白いメニューのあるお店情報、お待ちしています。



2017年03月26日(日)
展覧会の感想を・・インスタグラムでぜひご紹介ください

娘に誘われて「蜷川実花展」(静岡県立美術館)へ出かけた。
彼女の人気、また最終日とあって、多くの方々で賑わっていたが、
面白い試みに、なるほどなぁ、とメモをした。
「撮影について」と書かれたパンフレットには、
「会場内での撮影は原則としてご遠慮ください」と書かれている。
ただし、4カ所のコーナーは撮影が可能となっていて、
いつもの美術館のルールとは違い、若い人たち中心の来場者が、
スマホ片手に、撮影している姿がとても印象に残っている。
しかし、撮影してもインターネット等に投稿はできないだろうな、
そんな想いで、パンフレットの続きを読んでいたら、
これまた、そうなんだぁ・・と思うことが書かれていた。
「展覧会の感想をブログ、ツイッター、インスタグラムで、
ぜひご紹介ください」
今や、著作権や肖像権で問題になることは少ないのだろうか、
この周知方法も、新しい「展覧会」の形だよなぁ、と感じた。
あとは、個人責任で投稿する仕組みだけど、
他人の顔が写っている写真を、無造作にアップするのだけは、
やめたほうがいいと思うから、その注意書きが欲しかったな。

P.S.
「ピントがズレている作品」を、彼女の感情移入と感じるまでに、
ちょっと時間がかかったけど、若いパワーと刺激をいただいた。
この展覧会を「静岡」で開催すること自体、凄いことらしい。



2017年03月25日(土)
一緒に時間を共有できる人がいるのは幸せなことだよね

妻の58歳の誕生日だった。
我が家の恒例で、誕生日の人がお店を選び、
母、娘も含めた家族だけで、ささやかな宴を催すことが
(たぶん)、4人の楽しみとなっている。
今回も、彼女がお気に入りのイタリアンレストランを選び、
お店の予約からタクシーの手配まで、全て本人以外が手配し、
当事者の「あ〜、満足」の言葉を耳にしてお開きとなる。
私からは、知人・友人とはちょっと違ったお祝いメールを送った。
その返信が、気になる一言。
「最近つくづく考えるのだけれど・・」と前置きをして、
「一緒に時間を共有できる人がいるのは幸せなことだよね」
「パパと一緒にいると、居心地が良いです。
それは、少しのワガママを受け入れてもらえる、って
思っているから」と綴られている。
何度も、私はあなたのパパじゃないから、って言っているのに、
彼女にとって、いつまでも「パパ」らしい。(笑)
子育ても終わり、親の介護にはちょっと間がありそうだから、
許される限り、一緒の時間を共有していきたいと思う。
定年前に、少しずつ、国内旅行かな。



2017年03月24日(金)
さあ、出かけよう。一切れのパン、ナイフ、ランプ、鞄に詰め込んで

映画「天空の城ラピュタ」(宮崎駿監督)から。
普段、あまりアニメ映画は観ないのだが、
今年(2017)の合唱練習曲が、この映画の主題曲と知って、
「えっ、今頃?、まだ観てないの?」と言われながら、
名作と言われているアニメ作品を観終えた。
「ガリヴァー旅行記」(ジョナサン・スウィフト著)に登場する、
「天空の島、ラピュタ」を題材にしたとあって、
冒険、ワクワク感が溢れた作品だった。
(飛行)石、木の根、空、雲など、自然の素材が大事に描かれ、
実写では得られない、アニメの魅力を満喫できた。
気になる一言に選んだのは、いつでもストーリーが思い浮かぶ、
作品全体を包み込む主題歌「君をのせて」の一節。
「さあ、出かけよう。
一切れのパン、ナイフ、ランプ、鞄に詰め込んで」
冒険は、あまり多くのものを持たず、とにかくすぐ行動すること。
そして「父さんが残した熱い想い、母さんがくれたあのまなざし」を
心の支えとして、一歩踏み出すことの大切さを教えてもらった。
キャッチコピーや主題歌の持つ力を、これからも楽しみたい。

P.S.(敢えて会話を選ぶとすれば)
「おばさん、僕を仲間に入れてくれないか?シータを助けたいんだ」
「甘ったれんじゃないよ、そういうことは、自分の力でやるもんだ」



2017年03月23日(木)
沼津も頑張ってますよ

2日連続、沼津ネタでご免。(笑)
先日の飲み会の帰り、普段なら歩いて帰るけれど、
翌日も飲み会だからなぁ、と久しぶりにタクシーに乗った。
私の悪い癖で、乗車すると必ず運転手に声を掛ける。
「最近の沼津、どうですか?」と。
返ってきた答えは「沼津も頑張ってますよ」だった。
「三島が賑やかそうに見えるけれど」と前置きをしながら、
「あそこは、三島駅周辺と広小路駅周辺に飲み屋さんが集まり、
狭い範囲に固まっているからね」と続き、
「沼津は、北口も南口もあって、そこそこ頑張っているよ」。
最近では珍しい発言だと思っていたが、そうでもなさそうだ。
景気を一番身近に感じているはずの「タクシー運転手」だからこそ、
その感覚は大切にしたいと思う。
今までは「沼津はもうダメですよ」という発言が多かったのに、
今回の運転者の発言は、私を喜ばした。
近隣のどこの市町と比較するのでもなく、
そしてまた、全盛だった頃と比較することは意味がなく、
現実の今を客観的に見つめることに力を注ぎたい。
何か突破口が見えてくるはずだから。

P.S.
年度末、飲み会が続き、帰宅後そのまま寝てしまうので、
「気になる一言」の配信が翌日の朝になることが多くなります。(汗)



2017年03月22日(水)
沼津に落としてどうすんだよ

映画「日本のいちばん長い日」(原田眞人監督)から。
こんな台詞に反応するなんて、なかなかいないな、と自分でも思う。
監督の「原田眞人」さんが「静岡県沼津市の出身」だからだろうが、
こんな大作に「沼津」という地名が登場する。
もちろん、原作となっている書籍「日本のいちばん長い日(決定版)」
(半藤一利著・文春文庫刊・371頁)には、出てこない。
「広島」「長崎」に原爆(ピカドン)が落ち、次は「東京」ではないか、と
東京都民が、逃げ惑うワンシーン。
たぶん、私の拙い文字で残された、メモから推察すると、
誰かが「どうしたんですか?」と訊ねたんだと記憶する。
それに応えて「ピカドンが東京に落ちるんだよ」と逃げながら叫ぶ。
訊ねた相手がさらに「沼津の方じゃねえのかい?」と聞き返す。
さらに「沼津に落としてどうすんだよ」と続く。
いくら原田監督が沼津市の出身だとしても、時代考証することを考えると、
唐突に「沼津」という地名がでてくるとは考えにくい。
逆にいえば、終戦当時「沼津」という、静岡県東部の地方都市は、
原爆が落とされても不思議ではないくらい、重要な都市だったということ。
それを裏付けるように「空襲」を受けた都市だったし、以前紹介したように、
電報で「ぬ」の文字を伝えるのに「沼津の『ぬ』」と言ったほどである。
これは、最近人口減少で悩む「地方都市・沼津」に向けた、
「原田監督」からのエールではないか、とメモをした。
「沼津市民の方」は、この台詞に気がついたかな?



2017年03月21日(火)
「エレファント・カーブ」をまちづくりに活かす

静岡経済同友会 東部協議会「公開セミナー」
講師「御立尚資」氏(観光立国委員会委員長等)
演題「観光産業が日本経済をけん引する 
真の観光立国を目指して」から。 
普段気にしていない世界の動きが、実は、私たちの生活に
どれだけ影響するか、を教えていただいた。
「インバウンド増の理由」は、富士山などの「世界遺産」認定増、
「爆買い」に代表される中国人観光客の増などと考えていたら、
政府の「ビザの緩和策」や「アジア周辺国の成長」が要因だった。
象が右を向いた形に似た「エレファント・カーブ」を示し、
先進国の富裕層と、新興国の貧困層が成長したことを指摘した。
先進国の中間層が伸びないことを指摘し、彼らの不満が溜まり、
その反動が「トランプ氏が大統領になる可能性」だった、と分析。
なるほど・・政治も、経済も、どのタイプのどの国民層が成長し、
どの層が伸びないなどを、見極めることの大切さを知った。
この視点は、小さい町のまちづくりにも同じことが言える。
どの性別の、どの年齢層が元気があって、どの年齢層が沈滞、
そんな分析でもいいから、データに基づき、客観的に分析する。
これからは、行政の苦手なマーケティングの時代だな。



2017年03月20日(月)
お手数ですが、携帯電話の電源をお切りいただくか・・

最近、特に気になっているフレーズがある。(笑)
地方の講演会、コンサートが始まる前、必ず耳にする常套句。
「お手数ですが、携帯電話の電源をお切りいただくか、
マナーモードへの切り替えをお願いします」
主催者側からのお願い、始まる前の「注意喚起」なのだろうが、
このフレーズは、いつまで続くのだろうか。
講師や演奏者にとって、途中で携帯電話が鳴ると集中できないから、
という、配慮もわからなくはない。
けれど、せっかく「いい話」「いい音楽」を聴くために来たのに、
始まる前、毎回このフレーズを聴くと「事務連絡」的な表現に、
なにか残念な想いがするのは私だけだろうか。
さすがに、もう浸透しているだろう、という感じもするし、
もっとスマートにスタートできないものか、という気持ちもある。
外国での講演会やコンサートでも、こんな注意があるとは思えない。
4年後の東京オリンピックを控え、多くのイベントが開催されるけれど、
それまでに、こんな事務連絡的なマナーの押しつけは止めにしたい。
外国人から、日本人の文化(道徳・モラル)が試されている、
そんなつもりで、全国一斉にこのフレーズ禁止にすればいい。
「道徳」を教科にした国民なのだから・・(汗)。



2017年03月19日(日)
定義とか言ってる時点で理系だから

ドラマ「理系の人々」(瑠東東一郎・上田誠監督)から。
『ぼく、おたりーまん。』のよしたに原作の人気コミックをドラマ化。
(1)「理系と信頼」から(41)「理系の未来」までのショートムービー。
「理系ならではのこだわりを持つサラリーマンSE・よしたにと、
ちょっぴり天然な薬学部の理系女子・おのでらを中心に、
文系には理解不能な“理系の人々”の日常を綴る。伊藤淳史さん主演」
この解説に、私の好奇心が動いた。
自分は典型的な「文系」と思い込んでいたが、観賞後、
もしかしたら、自分は理系かも・・と疑いたくなるような、
理系独特の思考回路や行動が、妙にピッタリして可笑しかった。
冒頭「3.14と言って、ホワイトデーを思い浮べるのは文系。
円周率を思い浮べるのが理系だ」のフレーズに頷き始め、
「定義とか言ってる時点で理系だから」
「社交的なウソをつくのが苦手だ」
「分からないことは、すぐググる」
「もめてもいいから、潔白を証明したい」
「人によって、解釈が分かれてるような書き方はNGだよ」
「家のセキュリティには甘い」
「おにぎりのパッケージって、すごい発明ですよね」
「実験って、結果がないうちはモチベーション保つのが大変だよね」
「伝統の意味を解析したがる」
「薬の飲み方が、ムダに厳格である」
「朝日がオレンジ色に見えるのは、短波長が散乱してるからだっけ?」
その他、多くのストーリーで「理系の人々」を笑いながらも、
憎めない奴らだなぁ、という感想を持った。
次回は「文系の人々」というドラマを期待したい。
意外と、こちらの方が理解不能な行動だったりして。(汗)



2017年03月18日(土)
補助金をもらうと高い確率でおかしくなります

書籍「観光立国の正体」
(藻谷浩介・山田桂一郎共著・新潮新書刊・265頁)から。
「『観光立国』の裏側」と題した、おふたりの対談は、
正直、耳が痛くなることばかりであった。
「事業単位ではなく、地域単位で永続的な活動を進めるためには、
住民主体の公的な経営組織が必要だと考えています」
「補助金をもらうと高い確率でおかしくなります。
そもそも、自立していくために稼ぐことも真剣に考えて、
実践しているところでなければ、何しても自滅します」
「観光振興でよくありがちな集客のための補助金でも、
しっかりしているところは、マーケティングの精度を上げるために、
普段は出来ないような広域的な基礎調査や
オープンビックデータの解析等に使うことで、
次の産業展開に繋がるようにしていますが、
ダメなところは、すぐに『プロモーションが大事だ!』とか言って、
宣伝や広告、広報だけに使ってしまって終わっています」
ここまで言い切るには、データ分析や、現場に入っての経験値が、
前提にあるに違いない。
各種団体の補助金の使い道、見直さないとなぁ。(汗)



2017年03月17日(金)
「クラムポン」「リップヴァンウィンクル」

映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二監督)から。
タイトルに惹かれ観始めたが、180分という長さを感じず、
切ない気持ちが胸を占領して観賞を終えた。
ストーリーから外れてしまうが、ネットの話になると、
どうしても。実名で登録するFacebook以外の「SNS」で使われる、
ネームが気になって仕方がない。
たとえハンドルネームとはいえ、本人にとっては、
ずっと使っていくネットの世界での名前だからこそ、
何も意味がないわけがない、と推察する癖がついているから。
黒木華さん演じる、主人公は「クラムポン」。
木管楽器製作のフランス企業「ビュッフェ・クランポン」か、
氷や氷化した雪の上を歩く際に滑り止めとして靴底に装着する、
金属製の爪が付いた登山用具(アイゼン)の別称である。
なぜその名前を使ったのかは、ちょっとわからない。
また、タイトルになっている「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、
Coccoさん演じる「里中真白」さんのハンドルネーム。
これは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる
短編小説、および主人公の名前なのたが・・・。
「主人公にとってはいくらも経っていないのに、
世間ではいつの間にか長い時が過ぎ去っていた」という例えから、
「アメリカ版浦島太郎」と呼ばれているらしい。
アメリカ英語では「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」を
意味する慣用句にもなっている「リップ・ヴァン・ウィンクル」。
これが、ストーリーにどう絡んでいるのか、実に興味深い。
う〜ん・・私には、まだその全容が見えてこない。(汗)



2017年03月16日(木)
竜宮小憎としては、まだまだだなぁ

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」から。
とりあえず毎回観ているが、なぜか、もの足りない。
何か視点を変えないと年末まで続かないかも・・と
やや心配になって、キーワードを探していたら、
やっぱり「竜宮小憎」に辿り着いた。
「竜宮小憎」とは、静岡県浜名湖周辺で語り継がれている伝説で、
人が困っていることを、知らぬ間に手伝ってくれる謎の存在。
ドラマ内でも「柴咲コウ」演ずる「次郎法師」(おとわ)が
誰にも気付かれず、影で支える役として「竜宮小憎」を目指すが、
次郎法師(おとわ)が関係していることが分かってしまう。
そんな場面、彼女はこんな台詞を残して照れ笑いする。
「知られてしまったとは・・」と前置きをして、
「竜宮小憎としては、まだまだだなぁ」と呟く。
「人の役に立てる人間になりたい」と思うだけでも立派なのに、
「知らぬ間に」「誰にも気付かれず」を条件に入れるところが、
「竜宮小憎」のカッコいいところなのかもしれない。
このコンセプトを年末まで持ち続けられるのか、
ちょっと心配しながら、もう少し観続けてみたい。



2017年03月15日(水)
「遊び人くん、だめじゃん」「遊び人くん、上手いね」

第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
2次ラウンドは、なぜか妻と一緒にテレビ観戦。
彼女の中では、野球でもサッカーでも、スポーツ全般、
日本人チーム同士が戦う国内試合には全くと言っていいほど、
興味がないらしく「国際試合」だけ、驚くほど燃える。(汗)
大事な場面では、テレビの前で正座をしながら応援しているし、
普段見たことのない文字が画面に出ると、必ず訊ねてくる。
今回は「坂本・遊」の「遊」が気になったらしく、
「ねぇ、あの『遊び』って何?」と、真面目な顔して。(笑)
「あれは、遊撃手の「遊」、ショートという守備のこと」とか
「その『ショート・ストップ』を『短遮』と訳したのは、
あの俳人、正岡子規なんだぞ」とか説明しても、
全然、耳に入っておらず、彼女の中では「遊び人の『遊』」。
だから、坂本選手が凡打すると「遊び人くん、だめじゃん」、
いい守備をすると「遊び人くん、上手いね」と私に話しかけるので、
その度に、私は笑いを堪えて、ただ頷くしかない。
ただ「どうして2塁と3塁の間には、遊び人くんがいるのに、
1塁と2塁の間には、いないの?」の問いには、答えられなかった。
基本、どこを守ってもいいんだよ、と説明しようと思ったけれど、
これ以上、詳しく話すと余計に混乱するだろうから、諦めた。
ただ妻と話していると、私の発想が乏しいことが分かって面白い。
枠にハマらないって、こういうことなのかもしれないなぁ。



2017年03月14日(火)
世の中の価値観を変えたいのよ

映画「ファクトリー・ガール」(ジョージ・ヒッケンルーパー監督)から。
ドラマの主人公は、タイトルにもあるように
「アンディ・ウォーホルが立ち上げたスタジオ・ファクトリー」で
人生が変わった女性、イーディ・セジウィックなのだが・・。
今回の気になる一言は、映画の冒頭の何気ない会話に隠された
「ポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホル」評であった。
ある男性が呟く「彼は、凡才の奇人だとさ」
ある女性が答える「世の中の価値観を変えたいのよ、
そういう人は、苦労するものだわ」
そうか、彼の活動の目指すところは、既成概念を振り払い、
世の中の価値観を変えようとしていたのか・・とメモをした。
その欲望が、彼の奇怪な行動となって、
スタジオ・ファクトリーに反映されていた、と言ってもいい。
主人公の女性も「名家の令嬢」という価値観を捨て、
ドラッグに蝕まれた末、わずか28年でその生涯を閉じたのだから、
アンディ・ウォーホルの狙いに、ハマってしまったことになる。
しかし「世の中の価値観を変えたい」という行動は、
私にもちょっとだけだが、理解できる気がしていた。
奇怪と見られるほどの行動力は、きっと、この一言にある。



2017年03月13日(月)
お風呂に入りたくても入れないよ

昨晩は、久しぶりに夜更かしした。(笑)
原因は、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
2次ラウンド初戦のオランダ戦。(東京ドーム)
夕食後、ワインでも飲みながら・・と観始めたテレビは、
手に汗握る好ゲームで、気がついたら日付が変わる直前。
一緒にテレビ観戦していた妻が、ぼそっと呟いたのは
「観客の人は、帰りたくても帰れないね」。
その台詞を横で聞いていた私は、こう言い返した。
「(俺は)お風呂に入りたくても入れないよ」
翌日、東京出張で、いつもより早く起きなければならないのに、
まだ、お風呂にも入れてない、困った・・の気持ちで。
普段なら午後10時頃には眠たくなるのに、昨晩だけは、
監督・投打のヒーローインタビューを聞いてからお風呂に入り、
それからもなんだか興奮して、なかなか寝付かれず朝を迎えた。
今こうして昨晩を振り返り、この試合を思い出すには、
小久保監督が口にした「死闘」も候補だったけれど、
やはり「日付が変わる直前まで続いた、WBCの試合」を、
思い起こさせるフレーズはこれだな、と思ったから選んだ。
私が、東京ドームで観戦していたら、どうしていただろうか?(汗)
次の日、東京出張だから、きっとどこかで朝まで飲んでたなぁ。



2017年03月12日(日)
この歌を輝かしたのは、君が届けた「イキガミ」です

映画「イキガミ」(瀧本智行監督)から。
国家繁栄のために、選ばれた若者に死亡時間が書かれた
「逝紙(イキガミ)」が配達される。(24時間後)
物語の設定としては、めちゃくちゃなのだが、
それを前提に考えると、なかなか考えさせられる作品である。
原作は、コミック「イキガミ」(間瀬元朗作)。
気になる一言は、その中の1人、田辺翼くんが
限りある時間の中で熱唱する「道しるべ」が、感動を呼ぶ。
「イキガミ配達人」の主人公が、
「死の宣告」が自分の仕事ということに悩んでいたところ、
上司役の笹野高史さんが、自信をつけさせるように言い切った。
「この歌を輝かしたのは、君が届けた『イキガミ』です」
黒澤監督の映画「いきる」で、主人公が癌を宣告された時と同じ。
人間、何かきっかけがあれば、輝けるのに・・と思う。
それが、死を宣告される「イキガミ」でなければ、もっといい。
そんなことは誰でもわかっている。しかし、現実は難しい。
その場では感動してもまたもとの生活に逆戻り。
この結末も、映画「いきる」と同じではないか。進歩したい。



2017年03月11日(土)
北朝鮮ミサイルが日本の原発に向けて発射されたら

普段、前を向いて生きていこう、と思っているが、
やはり「3.11」だけは、振り返ることが優先される。
あれから、6年。
職場でこの地震の揺れを感じ、すぐに震源地を確認し、
テレビのスイッチを入れ、刻々と拡大する津波被害に驚き、
テレビの前から離れられなくなったことを、ハッキリ覚えている。
私の日記も、3月11日は「東日本大震災」の話題に触れながら、
自分の生き方、ライフスタイルを再認識する日となっている。
しかし6年の間に、日本を取り巻く環境は大きく変わったし、
世界もあの日のままではない、ことも意識しなくてはいけない。
先日の北朝鮮ミサイルが日本の原発に向けて発射されたら・・、
映画「天空の蜂」ではないが、日本は壊滅状態になるに違いない。
6年前の「3.11」は「自然災害×原発事故」だったから、
地震による偶然が重なった事故のような扱いだけれど、
これからは、意識的に「原発」が壊されることもあり得るのだ。
本当に風化させてはいけないのは「原発事故の恐ろしさ」と
あの当時「原発を止めても、生活できた」という事実だろう。
「計画停電」・・年に一度、試してみるのもいい。
国民が一体になって動いたって気がしたのは私だけだろうか?

P.S.(6年間の3.11)
2011年03月11日(金)  当事者には、最新の情報がない
2012年03月11日(日)  落語の演題の1つに「黙祷」を追加
2013年03月11日(月)  そっとしておく おもいやり
2014年03月11日(火)  海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・
2015年03月11日(水)  あの災害を契機に・・・
2016年03月11日(金)  復興の喜びをお召し上がりながら感じていただければ幸いです



2017年03月10日(金)
「住民参加」より「行政参加」、「地産地消」より「地消地産」

書籍「観光立国の正体」
(藻谷浩介・山田桂一郎共著・新潮新書刊・265頁)から。
行政がまちづくりのキーワードして「住民参加」を掲げ、
多くの住民の意見を訊きすぎて、身動きができなくなる、
そんなケースを何度もみてきたが、
彼は、住民主体のまちづくりに「行政参加」を推奨している。
(私も何度か、この「気になる一言」に書いてきたが・・)
住民が「面白そうなこと」「楽しそうなこと」をやっている、
だから「お願いだから、行政も仲間に入れて」という関係、
そんな立ち位置が、これからは欠かせないということだろう。
また「食育」のキーワードに「地産地消」という言葉があるが、
「地域で採れたものを、地域で消費しよう」ではなく、
「地域で消費されるものは、地域で作ろう」という視点で、
「食」(農業)だけでなく「産業」全般に言えることとして、
「地消地産」という言葉を使っているように感じた。
言葉としては似ているが、意味は大きく違う気がする。
「この町には、こんな人材が必要だから町を挙げて育てよう」
これも、彼の言う「地消地産」なのかもしれないなぁ。



2017年03月09日(木)
古ごろも ここに納めて 天翔けん

お世話になった沼津に住む伯母が他界したため、
昨日の通夜から、本日の本葬、告別式、火葬まで参列し、
亡骸に「お疲れ様でした」と声を掛けた。
さて今回の話題は、火葬を待つ間に斎場周辺を歩いていたら、
隣接する市営墓地に、作家であり、沼津市名誉市民でもある、
芹沢光治良先生の墓を見つけた。
「芹沢光治良・その家族の墓」と書かれた墓碑には、
「古ごろも ここに納めて 天翔けん
一九八二年 八十五翁 光治良」と彫られていて、写メに収めた。
帰宅後、ネットで調べたが、実はその解説は見つからない。
「古ごろも」は「古衣」だろうから、その人の辿った人生、
歴史みたいなものだろうと想像がつくので、
流れから考えると「人間として生きた歴史を、この墓に納骨し、
天に飛翔(飛び立つ)」というような意味だろうか。
実は、この「天翔」が気になっていたのは、ちょっぴり訳がある。
地元の「なんすん農協」が運営する葬祭ホール名が「天翔苑」、
この芹沢光治良氏の墓碑から、名前をいただいたとなれば、
粋な計らいだなぁ、と感じたから。
今度「天翔苑」の関係者に、名前の謂れ、尋ねてみようかな。



2017年03月08日(水)
う〜ん、書けないことばかりで困った(汗)

久しぶりに、私の独り言(呟き)が、今日の一言。
ずっと貯めてきた講演会や研修会、会議などのメモは、
産業振興・観光振興のヒントがいっぱい詰まっているけれど、
私のパソコンの中で、瞬間冷凍され、出番を待っている。
どうもこの時期、引き出して調理するタイミングが掴めない。
というのも年度末を控え、どの自治体も、定例議会の真っ最中。
私の日記を読む人なんて、ほんのひと握りの人だから、
気にすることないと思いたいが、やはり職業柄か、
周りに影響がないように、と考えたら、この台詞が飛び出した。
「う〜ん、書けないことばかりで困った(汗)」
楽しみにしてくれている人がいるのも知っているけれど、
地元新聞の投稿欄は、住所、職業、年齢、名前が掲載されるので、
書きたいことが思うように書けないことも増えた。
私本人にそのつもりがなくても、記事の感じ方は読み手が握り、
言葉尻を捉えて、いかようにも脚色されてしまう可能性もある。
だからこの季節、題材選びに慎重になってしまうのかもしれない。
こんなモヤモヤが、年に四度あるかと思うと・・・(笑)。
しばらくは、映画や読書からの一言が増えるけれど、
それも仕方がないかなぁ、立場が立場だけに。(汗)



2017年03月07日(火)
みんなで掃除すると楽しいねぇ

毎年、年に2〜3回開催される
「湧水保全の会」主催の柿田川公園ボランティア清掃活動。
今回は100人を超える町民が、約1時間半、公園を磨いた。
川に入って、オオカワヂシャなどの外来種駆除作業も好きだが、
こうして多くの町民が参加して、奉仕活動をするのも好きだ。
川の中の作業は、ほとんど1人で黙々と(淡々と)行なうが、
陸の作業は、参加者同士がそれぞれの会話を賑やかにしながら、
手だけは忘れずに動かし続けるところがまた楽しい。
この多くの町民が、柿田川の保護・柿田川公園の美化に携わること、
それ自体が、柿田川に愛着を感じることに繋がるからだ。
参加者は顔馴染みの人が多く「お疲れ様で〜す」と声を掛けると、
「みんなで掃除すると楽しいねぇ」という答えが返ってきた。
驚いたことに、私が期待していたフレーズだったのでメモ。
意識啓発に近道はなく、地道な作業をコツコツと続けることで、
自然と関わっている人々の意識が変わっていくのを待つしかない。
年々、参加者が増えていく、柿田川公園ボランティア清掃活動。
今後は、町民だけでなく、町外、県外、国外からも募集して、
自分たちが護っている、磨いていることに誇りを持ちたいと思う。

P.S. 2016年07月30日(土) (去年の夏も同じようなことを書いていた)
ボランティアができる場所があるって、幸せだよね
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20160730



2017年03月06日(月)
神経症を「運命」と名付けるだけさ

映画「めぐり逢えたら」(ノーラ・エフロン監督)から。
私にとっての、ラブコメのゴールデンコンビである、
トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の映画。
以前も観たのだが、その頃は台詞をメモするなんて
変わったことはしていなかったから、改めて観直した。
「人生って、本当につまらないことで変わるのね、
それが運命なのよ」
「運命なんて、人間がこじつけに考え出したのよ」
「運命じゃないわ、ただの偶然よ、マジック」等
「運命」という言葉が頻繁に出てくるのだが、
なかなか、自分の感性にぴったりする表現がなく、
諦めかけていた時、このフレーズが飛び込んできた。
しかし残念ながら、主役2人の台詞ではない。(汗)
メグ・ライアンと誰かの会話だった。(気がする)
実は、このフレーズ、もう少し長い。
「誰かにひかれるという現象は、
無意識と無意識が無意識的に反応しあうんだ。
神経症を『運命』と名付けるだけさ」
なるほど・・上手いことを言う、とメモをした。
意識したら、それは「偶然」ではなく「運命」、
そう言い換えてもいい。これなら理解できる。
やっぱり「ラブコメ」はいいな、メモも溢れた。

P.S.
最後におまけのクイズ「MFEO」は何の略か? 
made for each other 「運命の2人」・・へぇ〜。



2017年03月05日(日)
イチゴはヘタの方から食べるといいよ

農業関係者との情報交換会、バイキング料理のイチゴの前で、
どれにしようかな?、と悩んでしたら、傍にいた農家の女性が
近寄ってきて、イチゴの食べ方を教えてくれた。
「まずは、真っ赤なのを選んで・・」と選別方法の伝授のあと、
「ヘタを取ったら・・」と前置きをしたかと思ったら
「イチゴはヘタの方から食べるといいよ」と言う。
「えっ、私は反対の方から食べてましたけど・・」と返すと、
ヘタと反対の方が甘いことには違いないけれど、
最後の一口が、ヘタに近いと甘みが弱い印象で終わる。
だから逆に、ヘタの方から食べはじめ、
最後に一番甘いところを口にすると、甘い印象が残る。(らしい)
これって、いろいろな分野で応用が効くなぁ、メモをした。
直感的な第一印象も、それはそれで大切なんだろうけれど、
やはり最後の印象って、けっこう大事な気がしている。
言葉も同じ、という話は、この場で何度もした。
「楽しいけれど大変だよ」と「大変だけど楽しいよ」の違い。
やっぱり、後ろ(最後)の印象が強く残るんだろうなぁ。
と言うことは「年度始めよりも、年度末の成果」ってこと?(汗)



2017年03月04日(土)
「シモ」は「最高」という意味があります

「生涯学習フェスタ2017」のアトラクションは、
地元唯一の公立高校、私の大好きな「沼商吹奏楽部の演奏」。
今回は、ぐっと趣きを変えて、アンサンブル(小編成)、
また違った吹奏楽の楽しみ方を教えてもらった。
気になる一言は「パーカッションのアンサンブル」が演奏した
「サファリシモ」という曲紹介で、
音楽監督の川口先生が、説明してくれた「シモ」の意味。
「ピアニシモ・フォルティシモなど、音楽の用語がありますが、
『シモ』は『最高』という意味があります」
たぷん「非常に」とか「とても」「極めて」などを総称した、
そんな意味合いだと思うが、私のメモは自分に都合良く解釈。(笑)
周りにいた知人が、私の顔を覗き込んで
「シモは最高だってよ」と、ニヤニヤしながら笑っていた。
帰宅後「ピアニシモ」をネットで調べたら、
「ピアニッシモ(pianissimo)は『とてもソフト(very soft)』
という意味のイタリア語」と書かれていた。
ちなみに「フォルティッシモ」は「(イタリア語: fortissimo)」。
そうか・・綴りは「ssimo」なんだな。「shimo」とは違った。(汗)
でもでも、雑談ネタとして「シモは、最高」と覚えておこうっと。

P.S.
いつの日か、柿田川公園の木の下で、質の高いアンサンプルの演奏を。
なんだか、お洒落でしょ、そんな光景って・・。



2017年03月03日(金)
自然がくれた教訓よ。「思い上がるな」って

映画「X-ミッション」(エリクソン・コア監督)から。
「トップアスリートたちの生身のスタントによる
迫力のアクションシーン」解説どおり、ど肝を抜く展開に、
ストーリーとは違う視点で、見入ってしまった。(汗)
過激な「Xスポーツ」(エクストリームスポーツ)は、
「自然に敬意を表する」ことが、成功の秘訣なのだろう。
何度となく、そういった表現が出てくる。
「自然がくれた教訓よ。『思い上がるな』って」
「自然を敬っていない。だから波とつながれなかった」
「俺たちの流儀で人間が壊した自然に、償いをする」
「風の流れを読む。風と同化する。でないと崩れる」
「自分の力だけで進むと、限界にブチ当たる」
「命がけで何かを得るのではなく、
大いなる存在と一体になることが目的だ」
「地球は死にかけていて、奪った資源を戻して再生したい。
命の源を守るのは当然の行為だ」
「悟りなんか求めていない。自然と同化して地球を救うんだ」
「自然の恵みに返礼をする。貢ぎ物をやるんだ」
環境保護の活動家らしい「8つの修練」だと感心したし、
自然と同化することの素晴らしさは、なんとなくわかる。
いくら机上で、自然保護を訴えるよりも、自然の恐怖を克服し、
自然のもつ懐の広さ、偉大さ、素晴らしさを体験すること、
これがどれだけ、保護活動の原動力になるか、を、
「オザキ」という彼は知っていたのだと思う。
自然と同化したとき、それは映像としても美しいことを知った。



2017年03月02日(木)
今から「てくてく」貯筋が必要です(^^)

ひょんなことから、友達になった「チームてくてく」のメンバー、
数年前、筑波大学の学生さんからの協力依頼で知り合った人たち。
実験が終わった今でも、なぜか解散するのが惜しくなり、
定期的に情報交換しているのだが、この話題が面白い。
住んでいる場所も、職業も、家庭環境も違うから、
パソコンの画面に現れる文字に、一喜一憂している私がいる。
そんな中「高齢者の入院」の話をしたかと思ったら、
「筋肉がないと、あっという間に寝たきりになるかもしれない」と
心配しながらも、中年の私たちでも遅くないから、の意味も込めて
「今から『てくてく』貯筋が必要です(^^)」と纏めてくれた。
わざわざ、トレーニングジムに通わなくても、
「てくてく」と歩くことで、知らず知らずに「筋肉」がつく。
その筋肉が、高齢者になった時、ちょっとした事故や怪我を防ぐ。
だからこそ、これから高齢者に向かっている私たちは、
「貯金」より「貯筋」が大切ということを教えてもらった。
運動して筋肉をつけましょう、という呼びかけよりも、
「貯筋通帳」と称して、万歩計の数字を記録した方が面白そうだ。
この「貯筋通帳」は、数字が増えていくだけだから、
並んだ数字を眺めているだけでも、ニコニコしてしまうに違いない。
日本人って、何でも「貯める」のが好きだからになぁ。

P.S.
本屋さんで見つけた書籍にも同じようなことが書いてありました。
書籍「下半身に筋肉をつけると『太らない』「疲れない」」
(中野ジェームズ修一著)



2017年03月01日(水)
理由のない尾行とは、互いの人生、情熱、意思を知ること

映画「二重生活」(岸善幸監督)から。
「何カ月か前から,街なかで見知らぬ他人の後をつけるのが
習慣になった。後をつけるのが面白いからで、
相手に興味を持ったからではない」の一文で始まるこの作品、
作品全体が、哲学科の大学院生の論文らしい展開だった。
スタートは、リリー・フランキーさん演ずる教授の発する、
「100人にアンケートをとるというのは、
社会学や心理学の研究方法ですね」というアドバイス。
多くの人の意見をまとめるだけでは、哲学科の論文ではない。
この助言になるほどな、と頷きながら、では?と感じたところ、
「理由のない尾行」を提案され、主人公の奇怪な行動が始まる。
作品中、ハラハラドキドキしながらも、この「尾行」を、
彼女がどう論文に纏めるか、気になって仕方がなかった。
ラストで、完成した論文が一部紹介され、こう定義している。
「理由のない尾行とは、他人の場所と立場に身をおくこと、
自分を他人に置き換えること。
すなわち、互いの人生、情熱、意思を知ること。
それは人間が人間にとって、かけがえのない存在となる、
おそらく唯一の道ではないだろうか。哲学専攻 白石珠」
実は、私の興味関心はまだ続く。
この論文を仕上げた彼女の行動の変化が気になっている。
今頃、どんな生活をしているんだろうなぁ。

P.S.論文の題目は「現代日本における実存とは何か」