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2017年04月30日(日) ■ |
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名札は「子ども」から「大人」へ |
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私の記憶では「名札」は、子どもが付けていた。 大人は名刺、子どもは名札が定番だった気がする。 しかし、今は大人が職場で「ネームタグ」を付けている。 これも時代の流れだな、とメモをした。 子どもの名前を知らせるのは、犯罪に繋がったり、 プライバシー保護の関係から、名札は付けない。 大人は逆に、今はどんな人間がわからないから、 「苗字」だけの簡易的なネームプレートから、 課名・役職・フルネームまで記載された名札を、 なぜか、皆が首から下げている。 スーツでも制服でも、色のバランスに関係なく、 これでもか、と派手な紐を何の疑問もなく、身につける。 逆に言うと、これを付けている間は仕事だから・・と、 割り切れるのかもしれない。 ちょっと気になったことだけど、世相として残しておきたい。 「名札は『子ども』から『大人』へ」でわかるかな。
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2017年04月29日(土) ■ |
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君は数学と無限に踊る |
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映画「奇蹟がくれた数式」(マシュー・ブラウン監督)から。 「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された インドの数学者「ラマヌジャン」と、 彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した作品。 文系のはずの私が、こんな解説に惹かれ、観始めた。 学生時代、数学の数式ほど頭を悩めたものはない。 それなのにここに登場する人々は、 「正しくみれば、数学は真理だけでなく、究極の美を併せ持つ」 数式を眺めて美しいと表現しているし、 「これ(公式)は何なの?」と訊かれれば 「絵のようなものだよ。見えない色で描かれていると想像して」と サラッと答える。 「モーツァルトが脳内で全交響楽を聴いたように」と前置きをして 「君は数学と無限に踊る」とも・・。 「どこから着想を得るか?」の問いには「女神です」と返答し驚かす。 「眠る時や、祈る時、舌の上に、数式を置いていく」らしい。 「公式は創るものではなく、既に存在し・・ラマヌジャンのような 類い稀な知性が、発見し、証明するのを待っている」など、 一つひとつの表現が数学(公式)の話なのに、文学的で興味を惹いた。 でもやっぱり、記号がいっぱい書き込まれている「公式」を眺めて、 「(一緒に)踊る」という表現は、私には無理だなぁ。
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2017年04月28日(金) ■ |
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腐っても「千本」(せんぼん) |
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(ローカルネタですみません。(汗)) 昨年7月からスタートし、いまだに夢中になっている 「ポケモンGO」ネタ。 ただ、以前お伝えしたように、課金は一切せず、 さらに、ジムで戦うこともせず、 ただただ、歩いてポケモンをゲットするのみ。 それで何が楽しいのか?って訊かれるけれど、 徒歩通勤を基本に、歩く生活をしていると、 万歩計の数が増えるのと同じように、 知らず知らずに、ポケモンが溜まっていく。 毎晩寝る前、その日ゲットしたポケモンを整理すると、 一日の成果が感じられて、なぜか嬉しい。(笑) しかし、毎日同じルートを歩いているだけだと、 同じようなポケモンばかりに遭遇し、時々ストレスが溜まる。 そんな時は、沼津市の千本松原に行く。 当初は、レアなポケモンがゲットできるという情報で、 朝から深夜まで、多くの人が遠方から集まり、 異様な雰囲気さえ感じた場所であるが、 現在は、いまだに続けている高齢者を中心に、(汗) スマホ片手の人が集まっているが、私には居心地がいい。 普段見かけないポケモンを数種類ゲットし、 満足感で、意外とストレスが発散できるので、 「腐っても「千本」(せんぼん)」のフレーズを残したい。
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2017年04月27日(木) ■ |
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「ロクヨン」は誓いの符牒(ふちょう)だ |
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映画「64 ロクヨン 後編」(瀬々敬久監督)から。 後編のメモを振り返ると、気になる単語が目についた。 平成の大合唱に消えた、たった7日間の昭和64年。 その昭和64年に発生し、犯人が捕まらないまま迷宮入りした 少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」がこう説明されている。 「『ロクヨン』は誓いの符牒(ふちょう)だ」 辞書によると「符牒(ふちょう、符丁、符帳)」とは、 同業者内、仲間内でのみ通用する言葉、また売買の場や 顧客が近くにいる現場などで使われる、独特な言葉の事。 接客や作業をしている時に、価格・品質・指示などについて、 符牒を使用する事によって客に知られずに、 必要なコミュニケーションを行なうのが一般的」とある。 この符牒である「ロクヨン」は、あの事件の関係者同士が、 犯人を取り逃がした、あの時の悔しさを絶対忘れるな、 時効ギリギリまで諦めるな、という「誓い」だったに違いない。 各業界で使われている「符牒」に興味を持ち、 少しずつだけど、調べてみたい。(企業秘密かな?)
P.S. 6月4日生まれの私は「ロクヨン」と言えば、誕生日だけど(笑)。
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2017年04月26日(水) ■ |
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部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。 |
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映画「64 ロクヨン 前編」(瀬々敬久監督)から。 以前、原作を読んでいるからか、やや違和感を覚えた。 あの650頁近くに及ぶ文字が、どう映像に表現されるのか、 期待し過ぎたのかもしれない。 どんなに素晴らしい作品でも、映画として4時間は長過ぎる。 逆に、2時間前後に表現できないようなら、厳しい言い方だが、 映像化は諦めた方がいい、という感想を持った。 と言いつつも、作品レビューとしてメモは増えた。 前編は、記者クラブとの確執・不協和音を解決しようと、 孤軍奮闘する主役、佐藤浩一さん演じる、三上広報官の動きが 私のアンテナに引っかかった。 「部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。 開けるには、自分が外に出て開くしかないんだ」 この考え方が、彼の全行動を支えている。 もうすぐ定年だから・・と及び腰の先輩警察官に対しても、 本来なら話すこともままならない上司に対しても、 同じ姿勢で臨むからこそ、部下の信頼が得られたのだろう。 仕事で大切なのは、危険を承知で、問題の火中に飛び込む勇気、 そんなことを感じながら、前編を観終わった。
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2017年04月25日(火) ■ |
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自然界の神秘を語る意味深長な事実である。 |
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これから「緑」が瑞々しく、そして眩しい季節となるが、 書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」 (大岡信著・花神社刊・141頁)から。 「そのやうな女たちよ、どこにいるのか」の一節。 「一 緑の女 染色家たちは、 自然界いたる所にこれほど溢れている緑色が、 単一の『緑』という染料として、 けっしてそのまま取り出せないと知っている。 緑色を染料をして得るためには、 青と黄を混ぜ合わせねばならないのだ。 自然界の神秘を語る意味深長な事実である。 地球の広範に覆ふ色は緑。 その実体は、異質の色の物質の掛け合わせ。染まり合ひ。 『緑』といふ生命の色は、 はじめから純一ではない混ざりもの。だから深い。 そのやうな女たちよ、どこにいるのか。」 そう言えば、小学生の頃「柿田川の写生大会」に出かけ、 「緑」という絵の具がないことを知って驚いたことを、 僅かな記憶ながら思い出した。 不思議な色だな、周りにこんなに溢れているのに。
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2017年04月24日(月) ■ |
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その人が夢を託してくれたから俺は変われた |
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映画「カンフーダンク」(チュウ・イェンピン監督)から。 難しいことを考える必要もなく、 私の好きなバスケットとカンフーがミックスした映画。 実は、この作品、ほとんどストーリーもなく、 ダンクシュートが爆裂する程度の認識で見始めたら、大間違い。 最後には、ちょっとウルウルしてしまうほどの出来栄えだった。 ネタばれになると困るけど、 「その人が夢を託してくれたから俺は変われた」のワンフレーズで 私はこの作品を思い出せるような気がする。 カンフー映画を何本も観たが、どれも楽しかった。 もちろん、現実にはありえないような技の連続だけれど、 もしかしたら、こんな奴、一人くらいいるかもしれない、と 思わせてしまう、カンフーの魅力にはまっている気がする。 女優・仲間由紀恵さんのそっくりさん?と思わせるような女性には、 けっこう笑えた。(ゴクセンに登場する黒ぶちめがね姿)
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2017年04月23日(日) ■ |
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たちまち縮んで豆粒のピストルになった |
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書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」 (大岡信著・花神社刊・141頁)から。 先日他界した詩人、大岡信さんの作品を読み直していたら、 面白い視点を幾つか見つけた。 機会あれば、1つずつ紹介したい。 まずは「産卵せよ富士。」という詩、の一部。 「(5) 小浜池にも柿田川(かきだがわ)にも、 鮠(はや)・丸太・鮎のきらめき きみの流れで泳ぐとき ぼくらのふくらんだちんぽこも たちまち縮んで豆粒のピストルになった」とある。 「ちんちん」ではなく「ちんぽこ」というのがいい。 それに、冷たい川に入り、たちまち縮む「ちんぽこ」の 表現がたまらなく可笑しいが、 こればかりは、体験した人でなくてはわからないな、と 大先生なのに、妙に親近感を覚えてしまった。(汗) 私たちも小さい頃、裸で柿田川に入ると、唇が紫色になったし、 ウィンナーソーゼージのように縮んだことを覚えている。(笑) 「きれい」より「冷たい」で思い出される柿田川である。
P.S. 何度も確認したが、ルビは「かきだがわ」だった。 いつから「かきたがわ」になったんだろうか。 調べてみよ〜っと。
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2017年04月22日(土) ■ |
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「行動」「目的」より「意味」を意識する |
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春になると、柿田川に入り、外来種駆除の楽しみが増える。 今日は、天候にも恵まれ肌寒くなく、絶好の作業日和。(笑) 私たちベテラン組みの作業場所は、舟付場の近くで、 観光客から何度も声を掛けられた。 質問は決まって「何をしているんですか?」。 その答え方によって、自分たちの作業に対する想いが伝わることを 一緒に作業していたメンバーから教わった。 それが「『行動』『目的』『意味』レベル」という指標。 単に「外来種駆除をしています」と答えるのは、行動レベル。 ボランティアである、ないに関わらず、 自分の行動を、文字にして説明しているに過ぎない。 次に「絶滅危惧種のミシマバイカモを護るために、 こういった外来種駆除をしています」と答えるのは、目的レベル。 この作業は、こんなことのためにやってるんですよ、と 目的意識をもっていると、観光客にも説明しやすいし、 自分の行動が、とても有意義に感じられることは間違いない。 しかし、一番意識しておいて欲しいのは、意味レベル。 「何十年、何百年先まで柿田川の多様性が続くように、 大勢の方々と、外来種駆除作業をしています」など、 こういった作業・活動は、どんな目的があるのかではなく、 この取り組みが、どういった意味をもっているのか、を意識する。 それによって、もっと自分の行動に誇りがもてるようになるから。 この考え方って、家庭や仕事でも通用するものなんだよなぁ。
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2017年04月21日(金) ■ |
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どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい |
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映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)から。 作品全体に、重い空気が流れ続け、 観賞後の気持ちも、(正直)どっと疲れたが、 「無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族」に、 スポットを当て続けたことで、第三者としてでなく、 三浦友和さん演じる、加害者の父としての苦悩が伝わってきた。 子供が大きな事件を起こしたら、親の育て方をはじめ、 どんな家庭に育ってきたのか、と追求する世間の目がある。 特にインターネットが普及し、国民総評論家時代とも言える現代、 加害者とその家族をギリギリまで追いつめる社会構造は、 とても危険なことだと感じているし、 マスコミも、加害者・被害者両方の立場で報道することなく、 加害者と加害者の家族を徹底的に吊るし上げているように見える。 冒頭、ブロック塀に殴り書きした誹謗中傷の文字を消しながら、 三浦友和さんが「バラが咲いた」を口ずさむシーンは、 この映画を思い出すには欠かせない気がする。 そして、こう言い放つ。 「騒ぎたいんだよ、何か理由をみつけて、騒ぎたいだけだ。 どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい」と。 普段の生活で自分たちが他人に与えている悪影響は棚に上げて、 誹謗中傷できる事件を見つけ、ここぞとばかり大声を上げる。 (または、それをきっかけに目立とうとする) 死刑制度反対を訴え、加害者と獄中結婚した女性も、 正義面した、そのひとりなんだよなぁ、きっと。
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2017年04月20日(木) ■ |
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人生には三つの恵があるから「恵三」 |
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映画「夏美のホタル」(廣木隆一監督)から。 吉行和子さんと光石研さん演ずる、 ヤスばあちゃんと地蔵じいさん(恵三)という「老親子」と、 小林薫さん演ずる、雲月という「仏師」と交流しながら、 主人公の「夏美」がいろいろなことに気付いていく。 今回の気になる一言は「恵三」という名前の意味。 「人生には三つの恵がある。 「一つ目は、この世に生まれてくる喜び。 二つ目は、親に愛される喜び。 そして、三つ目は、親になって子どもを愛する喜び」 地蔵じいさんは、子どもが小さい時に離婚したためか、 三つ目の「恵み」を実感できずにいたが、死の直前に、 その子どもと再会することが出来て、病床でこう呟く。 「三つの恵をもらうことが出来た」 これでもう何も後悔することはない・・と言いたげに。 父親がバイクレーサーをやめた理由が自分だと責めていた 有村架純さん演ずる「夏美」に、こう語りかけた。 「お父さん、夏美ちゃんのこと、愛してたんだよ。 何よりも幸せだったんだよ」と。 親に愛された喜びを、次は自分の子どもに注ぐ喜び、 若い頃は「三つの恵」を、意識していたなかったけれど、 今こうして歳を重ねてきたことで、わかることでもある。 三つ目は「子どもに愛される喜び」ではなく、 「子どもを愛する喜び」ってところが「恵」なんだと思う。 これからも、出来る限り「三つの恵」を意識したいな。
P.S. 既に他界した父親の名が、偶然にも「恵三」。 名前のいわれは訊いたことがなかったけれど、 もし「三つの恵」だとしたら、とてもありがたいことだね。
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2017年04月19日(水) ■ |
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元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・ |
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久しぶりに、飲み会で仕入れたネタで、笑い転げた。 飲みながらも、まちづくりの話をしていて飛びだした台詞。 誰かに伝えないとずっと耳に残り続けるので、ご紹介。(汗) マンネリ化したイベントの改善アイデアを話し合っていた時、 全国の先進事例や、近隣市町の取り組みを紹介しながら、 まずは成功している事例を真似してみよう、と言うことになり、 知ってる限りのアイデアを紹介したが、 どれも「帯に短し襷に長し」の評価で、これだ、と踏み切れない。 そんな時、こんな台詞が耳についた。 「うまくいくかわからないけど・・」と前置きをしたあと、 「行政主導のイベントを止めてみる」。 参加者の安全安心を優先した、行政主導のイベントはつまらない。 担当者も人事異動などで数年で替わるため、 どうしても前年踏襲型になりやすい。だから、参加者も集らない。 やはりイベントは、毎年違った企画を繰り出してくる若い人たちが、 企画しないと盛り上がらないよ。 そんな会話を横で聞いていたら、ある先輩がボソッと呟いた。 「元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・」 auの私はこのフレーズは使えるなぁ、と早速メモをした。 もちろん「docomo」以外のメーカーならどこでも可能だ。 「docomoやってますが、私はau(softbank)なので・・」 また、できない言い訳をひとつ増やしてしまったなぁ。(笑)
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2017年04月18日(火) ■ |
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歯なしのバアさんがジャムを吸う音だ |
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映画「SPY スパイ」(ポール・フェイグ監督)から。 スパイの作品というと「007」を始めとした、 クールな雰囲気を醸し出している男性が主人公なのに、 今回はまったくの逆だったから、楽しめた。 CIAとはいえ、本来の仕事は、デスクに座りPCを眺め、 彼らのサポート役の分析官の女性が、事件に巻き込まれながら、 男性スパイ顔負けのアクションを繰り広げる。 でも、その展開は女性では敬遠されそうな「下ネタ」が満載で、 すべてを「コメディ」として、難事件を解決してしまう。 そのギャップが、何ともいえなく面白い。 颯爽の動き回る男性のスパイを観て「身軽でズルいわ」と呟き、 熱烈にキスしている男女の横で「うるさいよ」と叫び、 「何が?」と訊かれれば「ブチュブチュうるさい。キモいよ。 歯なしのバアさんがジャムを吸う音だ」と言い返す。 宿泊することになった汚いホテルは「3つ星ウンコのホテルね」、 さらに「自分のエッチ映像を見た時みたい」など、 下品な言葉も飛び出すのに、なぜか観賞後はスッキリ。 今まで観てきた「スパイ映画」とはちょっと違った感覚が、 私を喜ばせてくれた。疲れたときは、こんな作品がお勧め。
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2017年04月17日(月) ■ |
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ネットこそ、礼儀が大事 |
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Facebookも慣れてくると、ストレスが溜まってくる。 特に、コメントを書き込む人たちの「礼儀のなさ」である。 自分のタイムライン記事に「いいね」を押してくれる人以外に、 コメントを書いてくれるのは確かに嬉しいだろうけれど、 それは「記事」の内容に沿ったコメントであって欲しい。 メールやメッセージでやり取りできるような会話のコメントは、 「読まされている」人にとっては、何も面白くないだろうし、 コメントをしてくれた本人に宛てたメッセージのつもりでも、 多くの人に読まれていることを意識しないと、 その内容によっては、人柄さえ疑われることになる。 何十年もネットの世界を通じて、日記を書いていると、 その無防備さに驚かされることもしばしば。 私たち世代では懐かしい「交換日記」のシステムで、 相手の数が複数になり、その親密度も合わせて、全世界の人々に、 公開されているようなものだから。 だからこそ、親しき仲にも礼儀あり、のコメントが大事だと思う。 「声」なら一度発しても、時間が経つにつれ薄れていくけれど、 「文字」は削除しない限り残り続け、逆に時間が経つにつれ、 増幅していく気さえする。 そういう意味で「ネットこそ、礼儀が大事」を残そうと思う。 (実は、このフレーズ、飲み仲間に教えていただいたもの)
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2017年04月16日(日) ■ |
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知ってる者には、責任がある |
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映画「僕のうしろに道はできる 奇跡が奇跡でなくなる日に向かって」 (岩崎靖子監督)から。 「ドキュメンタリー映画」の宿命で、評価が分かれるに違いない。 主人公・宮田俊也さんの入院生活を通して、彼の頑張っている姿に感動し、 なんでも諦めずに、続けることを学んだ人は、それを実践すればいい。 もう1人の主人公、養護学校教諭の山元加津子さんの熱心な介護と、 どんな状況の人でも、意識がある限り、想いは伝わるという信念を持ち、 そのことを知りながら、伝えなかった私が悪かった、と全国を講演している、 彼女の強い想いに、揺れ動かされて、行動するのもいい。 いや、彼のあんな姿を見るのは辛い・・と、予告編を見ながら、 本作は見ないという選択した人も、それはそれであり、だと思う。 私は好奇心旺盛だから観たけれど、観ない人を責める気にもならない。 こういった「ドキュメンタリー映画」は、作品を観ることにより、 何かを感じ、翌日からの行動が変わる人がいる。 それが、このジャンルの映画の醍醐味ではないだろうか。 ただ、これは絶対、伝えなくちゃいけない、広めなければいけない、と気負い、 強要するものでもないからこそ、難しいとも言える。 私にできることは「知ってる者には、責任がある」という、かっこちゃんと、 それを支えようとしている「自主上映会」を開催してくれた人たちを応援すること、 言い換えれば「支えようとしている人を支える人」になりたい。 「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という言葉があるが、 まさしくその「草履を作る人」になりたいと思う。 もしかしたら、その草鞋を作る人を支える誰かでもいいかなぁ。
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2017年04月15日(土) ■ |
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献血って、前日の歯医者はダメなんですね |
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自分の中では恒例となっている、定例議会後の「献血」、 すなわち、年4回が私のノルマ。(笑) 健康だからこそできるボランティアとして回を重ねてきたが、 63回目にして、はじめて断られた。 理由は、前日の「歯医者」での治療。 3日以内に、歯垢を取ったり、虫歯を削ったりする治療は、 口の中の血液が安定しないのか、ダメらしい。(?) とりわけ、歯医者へ行くことが5年に一度くらいのため、 あまり「献血」との関係を意識していなかったが、 今回は、久しぶりに歯医者に行き、治療をしてもらった。 受付を済ませ、血圧を測り、最後の「問診」の質問で、 あれ、もしかしたらダメなんだ・・と気がつき、 受付の方に、こう訊いた。 「献血って、前日の歯医者はダメなんですね」 歯医者も治療によるらしいのだが、人の生命に関わることなので、 潔く、断念した。 「献血」は本当に健康体でなければできないことを再認識した。 100回までは、まだまだ遠い道のりだなぁ。
P.S. 結局、63回目の献血を諦め、映画「ロクヨン 64」をレンタルし、 約4時間をメモしながら、観終わった。感想はまた後日。
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2017年04月14日(金) ■ |
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水は水でいいけれど、それを使ってどうするのか? |
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あるまちづくりの会議で、こんなコメントがあった。 わが町の観光資源は、自他ともに認める「柿田川の水」。 そんな資料を見ながら、外部アドバイザーは、こう指摘する。 「水は水でいいけれど、それを使ってどうするのか?」と。 「きれいな水」なんて、日本全国どこにでもある。 世界に目を向ければ、もっときれいな水は溢れている。 だから、小さな町の私たちが考えなければならないのは、 「水を売ること」ではなく「水」をキーワードに、 「その水を使ってどうするのか?」ということだろう。 美味しい水、きれいな水、健康にいい水・・ 「大根」一つにとっても、切り口を変えることによって、 見え方・形が変わるように、「水」もスポットの当て方により、 活用方法は、無数にあるのだから。 全国のまちおこしは、自分たちの観光資源を見つけるところから。 そして、見つけたものをどう調理するかだなぁ。
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2017年04月13日(木) ■ |
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かあさん、おおかみってどうしていつも悪ものなの? |
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映画「おおかみこどもの雨と雪」(細田守監督)から。 本作は「母と子」をテーマに描いたアニメ映画、という解説だが、 観賞後の感想は、マイノリティ(少数派)の生き方の難しさ、 それを支えるには、周りの人たちの温かい理解が必要と知った。 ただ、劇場公開された2012年7月頃に、そういった考えが、 社会全体に浸透していたかどうかは、定かではない。 そこで、印象的な会話をメモに残すことにした。 自分がおおかみの子どもと知った男の子「雪」は、母親に尋ねる。 「かあさん、おおかみってどうしていつも悪ものなの?」 「悪ものって・・絵本?」 「みんなに嫌われて、最後には殺される。 だったら僕、おおかみはイヤだ」 「そうね、でもお母さんは、おおかみが好きよ。 みんながおおかみを嫌っても、お母さんだけは、おおかみの味方だから」 こんな時、宮西達也さんの絵本を読み聴かせてあげればいいのに・・と、 物語とは関係ない発想が浮かんで苦笑いとなった。 絵本作家・宮西達也さんの描く絵本は「おおかみ」を悪役にせず、 絵本「ぶたくんと100ぴきのおおかみ」をはじめ、 絵本「はらぺこおおかみとぶたのまち」など心優しい動物として表現し、 子どもたちに人気のキャラクターとなっているのだから。
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2017年04月12日(水) ■ |
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高貴な姫君だって、汗をかくし・・ |
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映画「かぐや姫の物語」(高畑勲監督)から。 原作はもちろん「竹取物語」。 生まれてからの成長があまりに早いので、 一緒に遊ぶ仲間たちから「タケノコ」とあだ名されながらも、 自然を相手に朝から晩まで駆け巡る元気な女の子から、 都で高貴な姫君に変わるとき、眉毛を剃り、お歯黒を施すシーン。 姫君は、激しく動き回り、汗をかくこともないから、 額からの汗が目に入るのを防ぐ眉毛は必要もないから剃るらしい。 また、歯を出して笑うのは、高貴ではなく下品ということなのか、 お歯黒をするのは、そういう意味があるらしい。 それを知って、かぐや姫が「高貴な姫君は、人ではないのね」と呟く。 さらに続けてこう叫ぶ。「高貴な姫君だって、汗をかくし、 時にはゲラゲラ笑いたいことだってあるはずよ。 涙が止まらないことだって、怒鳴りたくなることだってあるわ」と。 公家など高貴な人たちが、眉毛を剃ったりお歯黒をする意味を、 とてもわかりやすく教えてもらった。(笑) もう一度、図書館で「かぐや姫」を探して読んでみようかな。
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2017年04月11日(火) ■ |
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どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと |
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私は、6月生まれからなのか、雨が好きだ。(汗) 先日紹介したアニメ映画「言の葉の庭」(新海誠監督)を観てから さらに好きになってしまった。 特にエンディングで流れる「Rain」という歌は、 作詞作曲・大江千里さん、歌を秦基博さんがカヴァーしている。 特に「どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと」 このフレーズを聴くと、雨の日もなぜか爽やかに感じてしまう。 以前、雨の日は「はじまりはいつも雨/ASKA」を口ずさんだけれど、 私も歳を重ねて、最近では、雨の曲といえば、この曲に辿り着いた。 みなが、車で移動することに慣れてしまい、 土砂降りの雨の中を、ずぶ濡れになって歩くことが減ったけど、 私は、意外と雨の中を傘もささずに歩くことも気にならない。 映画の冒頭「子どもの頃、空はずっと近かった。 だから、空の匂いを連れてきてくれる雨は好きで・・」 という台詞があるが、妙に頷いている自分が可笑しかった。 雨は、下界のモヤモヤした、いろいろなものを流してくれる。 通過したあとは、空気は澄んでいるし、虹が出ることも・・。 暖かくなったら(暑くなったら)、Tシャツで飛びたして、 空に向かって顔を上げて欲しい。雨が愛おしく感じるはずだから。
P.S.映画を観ていない人のために、YouTube https://www.youtube.com/watch?v=NgxTYCbr-K4
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2017年04月10日(月) ■ |
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全国の投稿者でリレー「実感!! 日本の桜前線」 |
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今年は、開花時期がだいぶ遅かった「桜」であるが、 このところの春時雨で、一気に花開いた今日この頃。 私の今までの桜のイメージは「入学式」。 真新しい制服で、ピンク一色に染まった桜並木を通り、 空気は暖かで、気持ちもウキウキ・・といった感じ。 それなのに、最近では「河津桜」「熱海桜」などに代表される 早咲きの桜を、寒い時期に、これでもか、と眺めてしまうので、 (テレビでも特集を組んだりするので・・) へそ曲がりの私の中では「桜シーズン」は既に終わっている。 品種改良し、少しでも早く桜を開花させることで、 全国から、多くの観光客は集ってくるけれど、 それゆえ、本来の日本人が感じる桜の季節感が薄れた気がする。 「桃・梅・桜」と咲く順番もズレてしまうので、 その見分け方がわからなければ、間違えてしまうほど・・。 開花の基準となる桜は「ソメイヨシノ」と決まっているのだから、 SNSで投稿される多くの「桜の画像」が、 南に住む人たちから順に、北に住む人に向かってリレーされれば、 「実感!! 日本の桜前線」のイベントになる。 そうすれば、季節感が感じられるのになぁ。
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2017年04月09日(日) ■ |
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目指せ 2019年7月25日(6763話) |
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「新聞の一面を下から読ませる男」と言われた、 詩人・大岡信さんが先日、他界した。 三島駅北口にある「大岡信ことば館」にも、何度も足を運び、 その感性の一端を学ばせていただいていたので、残念である。 朝日新聞の一面を飾る連載「詩歌コラム・折々のうた」は、 季節を感じさせる詩歌がタイミングよく紹介されていて、 その感性と継続力に憧れを感じて、少しずつ書き始めたのが 今、私が書き続けている「気になる一言」。 もちろん、直接は教えを受けていないが、その作品の選択方法、 短い文字数でのまとめ方など、多大に影響を受けていることは、 紛れもない事実である。 彼はこの「折々のうた」の連載で、一度も穴をあけたことがなく、 足かけ29年間で計6762回。 そんな数字を見つけて、ちょっと弱気になっていた自分を反省した。 長年書き続けてきた「しもさんの『気になる一言』」を、 どのタイミングで止めようかな、とか、考えていたのに、 新たな目標を与えられた気がしたからだ。 「2001年01月18日(木) 昔はトイレとお風呂が外にあったから」から 毎日綴っている「気になる一言」は、5926話。(メルマガ「5651号」) 先生の「6762話」を越すには、2年以上先の「2019年7月25日」まで、 書き続けなくてはならないけれど、これを機会に、挑戦してみたい。 だから敢えて、目標を一言に残そうと思う。 「目指せ 2019年7月25日(6763話)」・・応援宜しくお願いします。
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2017年04月08日(土) ■ |
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「アキヒト」というの。意味は「輝ける王子」よ。 |
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映画「ポール・ヴァーホーヴェン トリック」 (ポール・ヴァーホーヴェン監督)から。 映画の冒頭4分だけを公開してその後の脚本を一般公募し、 送られてきた1000以上もの脚本から監督自ら選出したものを 繋ぎあわせて製作という、新しい試みは評価できる。 ただ、その過程を追うドキュメンタリーを併せた2部構成は、 やや説明が長すぎるし、だから、中途半端な作品でも許して、 というメッセージが伝わってきて、残念だった気がする。 そんな制作過程は、作品鑑賞後に観たい人だけが観ればいい、 どんな形であれ、本作だけで評価を受けて欲しいと感じたのは、 私だけではないだろう。 やはり、内容は薄く、サスペンスを多く観ている人には、 最後の「父親を知りたい?」という台詞も予想できてしまうから、 物足りなさのまま、終えてしまった。 この作品を思い出すには、日本にいたはずの元愛人ナジャが、 おなかの子の父親を紹介するシーンかな。 「『アキヒト』というの。意味は『輝ける王子』よ」 名前の紹介の仕方が外国らしいなぁ、という感想。 まぁ、お土産(誕生プレゼント)の「盆栽」に対して、 枝を指で摘まみ持ち上げるシーンも違和感があった。 う〜ん、評価は分かれるだろうなぁ。
P.S. 「アキヒト」が、天皇陛下の名前(明仁)と気付くまで、 ちょっと時間がかかってしまいました、面目ないです(汗)。
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2017年04月07日(金) ■ |
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人が柿田川を護ることの価値を強く意識する |
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講師「樫村昇」氏(柿田川みどりのトラスト業務執行理事) 演題「柿田川湧水の生き物たち」から。 「柿田川生態系学習会」と題した説明は、わかり易かった。 「柿田川の生態系が、いかに特異かつ希少であり価値が高いか」 一番、柿田川に入っている人だけあって、写真、動画の鮮明さも、 私たちがスマホで撮影している作品の比ではなかったし、 柿田川の価値の高さは、彼の説明で「確信」に変わった。 また「柿田川は湧いた瞬間から命を与えている」と言い 「命を繋いでいける環境を作っていかなければ・・」持論を語った。 「この柿田川の特異な生態系をいかに護るか」に主眼を置き、 「人が柿田川を護ることの価値を強く意識する」ことの大切さを、 聴講していた私たちに訴えていた。 外来種駆除作業で、定期的に川の中に入り、その魅力に触れ、 さらに、毎日のように写真を撮り続けている私にとって、 柿田川のことを知れば知るほど、この川を護りたくなる、 そして、その価値を世界に向けて伝えたくなる、のは理解できる。 1人でも多く、柿田川の魅力に惹かれることを願っているし、 子どもたちの研究対象となればいいな、と感じた学習会であった。
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2017年04月06日(木) ■ |
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意味なんて、てめぇで見つけんだよ。 |
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映画「バケモノの子」(細田守監督)から。 「神にすらなれる我らバケモノと、なれぬ人間とでは、 生きる世界が違うでな」の設定で物語が設定され、 渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街」という2つの世界が 交錯するストーリーを楽しみながら、 書籍「十二国記」シリーズ(小野不由美著)を思い浮かべた。 注目は、人間の少年がバケモノ(熊徹)の弟子になり、 複数の賢者に「畏れ多くもお尋ねいたします」と前置きをし、 「強さとは何ぞや?」と尋ね歩くシーン。 (賢者1)は「幻は、時として、真実よりもまことなり」 (賢者2)は「そんなもの求めて何になる?」 (賢者3)は「それをわしに問うのは筋いじゃ」 (賢者4)は「わしは、達観などせん」 どれも、納得のいく答えは見つからなかったと思うが、 少年は「強いって、いろんな意味があるんだな」と悟った。 「どの賢者の話も面白かった」と言いながら、 「意味なんて、てめぇで見つけんだよ」と言うアドバイスで、 「意味を自分でみつける」ことの重要性を理解したはずだ。 この気付きが、彼を成長させたことは間違いない。 いろいろな人に助言を求めるのは悪いことではない。 しかし、最後は自分で意味を見つけ、自分で判断し、 自分の信念に従って行動することこそが、大事だと知る。 生きている意味も、自分で見つけなくちゃなぁ。
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2017年04月05日(水) ■ |
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まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる |
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「2020年オリンピック・パラリンピック文化プログラム 静岡県推進委員会・トークシリーズ vol.02」 「 住民に親しまれる文化拠点ってなあに?」 (空き家と、文化プログラム)から。 バネラーは、「深澤孝史」氏(美術作家) 「市来広一郎」氏(NPO法人 atamista 代表理事) 「行貝チエ」氏(写真家(スチールラボラトリー)) それぞれの立場の人が、自分の活動を中心に報告し、 その中から、何か一つでもまちづくりのヒントを見つけて、 自分の街で実践していく、このパターンは嫌いではない。 今回、印象に残ったのは、「市来広一郎」氏の発言。 「まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる」 「その箱を求める人、文化を作ることが大事」と前置きし、 「そういう人たちがどこにいるのかを探す」 「面白いプレイヤーを見つける」と付け加えた。 自分の住む地域のまちづくりは「住民が主体」と考えがちだが、 この「まち」という箱を使って、何か面白いことを仕掛ける人を 全国から探してくるという視点は、とても参考になった。 「そのアイデア、うちの街で、試してみてくれ」とばかり、 新しい試みに対し、成果を求め過ぎずに支援する、 税金だから、という理由で、住民に限った「まちづくり支援」は もう古いのかもしれないなぁ。
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2017年04月04日(火) ■ |
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道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな |
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映画「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)から。 主人公の田村聡(女性)を演ずる、蒼井優さんの求愛ダンスは、 ダチョウ、ハクチョウ、そしてハクトウワシになりきっていて、 もう一人の主人公、オダギリジョーさんが惹かれるのも頷ける。 鳥を真似して踊る姿は、とても素直で美しいのに、 1人の孤独な女性に戻ると、愛情表現が上手く出来ない。 そんな不器用な生き方しかできない人たちが綴るリアルな生活は、 こんなにも切ない物語になるのか・・と、メモをした。 周りの人間と、うまくコミュニケーションがとれない人たちは、 舞台となった「函館職業技術訓練校」の中でも、同じである。 観終わってからメモを振り返ると、冒頭に大工の教師が (いろいろな理由があり通っている)老若の生徒たちに向かって、 「道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな」と ノミの刃の手入れを欠かしてはならないことを伝えるが、 実は、手入れを怠ってはいけないのは、大工道具だけでなく、 将来に渡って良好な人間関係を築くのに必要とされる、 「コミュニケーション能力という道具」や「愛情表現」なども 含めてのことかもな・・と、勝手に解釈してみた。 生きるために必要な「道具」の手入れをさぼると、 あとで自分が大変なことになるんだよなぁ、やっぱり。
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2017年04月03日(月) ■ |
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「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」 |
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新しい年度がスタートした初日、 私の我侭だけど「新しいメンバーの歓迎会」ではなく 「新チームの出発式」と位置づけた懇親会の宴を開いた。 出発式ってなに?と言われそうだが、 スポーツで試合が始まる前、メンバー全員が円陣を組み、 キャプテンの号令で、威勢をつけるあのシーンを 仕事でもできないかな?と思っていたから、 年度始めの初日にこだわって「出発式」という場を設けている。 それは「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」だったり 「今年は健康に注意して頑張るぞ」「オー」だったりする。 もしかしたら「気を抜くなよ」「オー」かもしれない。 とにかく「いくぞ」「オー」が、したいのである。(笑) 同じ庁舎内で、机が数メートル動いただけでも催される 「歓送迎会」「送別会」「歓迎会」を体験してきて、 その意味をもう一度考えてみたくなった、が本音であるし、 できるだけ早く体制を整えて、スタートを切りたいと願った。 1年間を俯瞰した時、4月にどれだけ軌道に乗れるかが、 年度末になって結果を残せるかどうかの鍵となることを 私は体験として、知っている。 だからこそ、スタートダッシュで勢いをつけたい。
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2017年04月02日(日) ■ |
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子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか |
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先日、一緒に飲んだ仲間とまちづくりの話になった。 「今の沼津は・・」と、多くの大人が声高に批判するけれど、 そんなイメージを、何も知らない子どもたちが聴き続けたら、 彼らは、自分の住むまちに誇りが持てるわけがない。 だからこそ、心の片隅に必ず置いておきたい考えが、 「子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか」だと。 彼らは、大きな声で言葉を発しないけれど、 自分の身近な大人の話を聴いている。 そんな彼らに「あなたが今、住んでいるこのまちは、 こんなに素晴らしいんだ」と伝えることが大人の役目だと思う。 その成果は、何十年後しかわからないかもしれないけれど、 少なくとも、子どもたちの潜在能力に訴え続けるのは、 プラスイメージであるべき、と私も思う。 諺に「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるが、 「やせ我慢する」というマイナスの意味ではなく、 「武士とはこうあるべきだ」というイメージを壊さないための プラスの意味で使われたのかもしれない。 それも「武士の子どもに対する、親の教育」として。 わがまちも、子どもたちにプラスのイメージを植え付けたいな。
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2017年04月01日(土) ■ |
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夜、眠る前、朝、目を開く瞬間、気付けば雨を祈ってる |
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映画「言の葉の庭」(新海誠監督)から。 久しぶりに、私のお気に入りのツボを刺激したアニメ作品。 「ラブストーリー、足フェチ、水と緑がお気に入り」の私には、 これ以上の作品は、これからも出てこないかもしれない・・と、 1人で、何回も何回も観直した。(46分という長さもGood) さらに「万葉集」(短歌)という短い言葉で、自分の想いを伝える、 そんな展開に、ますますのめり込んだのかもしれない。 ストーリーは単純に見えるけれど、メモした台詞を眺めると、 あまり多くのモノを詰め込まず、一つひとつの台詞が、 とても丁寧に語られ、静かであるが印象に残るシーンが多かった。 「雨の日だけの逢瀬を重ねて心を通わせていく主人公ふたり」が 共通している想いは、この台詞に込められている。 「夜、眠る前、朝、目を開く瞬間、気付けば雨を祈ってる」 そんなにきっちり守らなくてもいいのに・・と感じながらも、 だからこそ、会えない時間が、切なさを増長させる。 空から眺めた新宿御苑の緑の中を紅白の傘が近づいていく描写や、 雨が降ることで立ち上る土煙や、雨上がりの虹などの描写に、 映像では感じるはずのない、匂いや気温なども感じることができた。 彼女の足にそっと触れ、ゆっくりゆっくり採寸するシーンなどは、 アニメと知りつつ、ドキドキしてしまった。 静かさや緑、雨といった、作品全体を包み込んでいるトーンが、 私を心地よくさせてくれたに違いない。 46分の時間があれば、何度でも観たくなる作品である。
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