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2017年02月28日(火)
NYでは、魔法動物の飼育は禁止よ

映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」
(デビッド・イェーツ 監督)から。
スマホゲーム「ポケモンGo」にハマってしまい、
暇さえあれば歩き回っている最中、この映画を観たから、
登場する魔法動物が、ポケモン似ていて笑ってしまった。
特に「フランク」と呼ばれる魔法動物は、
「アリゾナの自然」に生息し、ポケモン「ポッポ」の
進化形「ビジョット」にそっくり。(笑)
(「クリーデンス」も「ゴースト」?)
スクリーンを観ながら、そう思った人は多いはず。
だから、敢えて「NYでは、魔法動物の飼育は禁止よ」を
残しておきたいと思う。
「魔法動物」イコール「ポケットモンスター」
「魔法のトランク」イコール「スマートフォン」
私は、スマホの中で、魔法動物を飼育していることになる。
殺すのではなく、捕獲して飼育(強化・進化)するところが、
映画の設定と似ていて、惹きつけられてしまった。
「ハリー・ポッター」をじっくり観たことがないけれど、
これを機会に、楽しんでみようかなぁ。

P.S.
フレーズとしては「心を読むのはやめてくれる?」
「傷ついた心は読みやすい」が気になる一言だった。



2017年02月27日(月)
近隣市町の市歌、町歌

昨年のメモから思い出したので・・記録として残すことにした。
「沼津ブロスフロンティア」(吹奏楽)の演奏会では、
予定されたプログラムを始める前に、敬意を表してか
「沼津市歌」の演奏があった。
市民でもないので、こんな機会でもなければ耳にしない、
隣市の「市歌」に、へぇ〜こんな歌なんだ、と耳を澄ませた。
どの市町も、けっこう壮言なメロディの「歌」なのに、
ほとんどの聴くことがない。正直、もったいないぁと思う。
わが町も、役場では毎朝、就業前にメロディが流れるものの、
町民にとって、耳にする機会は町のイベントのみ、
これでは、どの市町も普及できるわけがないと気が付いた。
いつの日か、静岡県歌から各市町の歌まで、吹奏楽で演奏する、
そんなイベントがあってもいいな、と感じる。
ちなみに、わが町の「清水町歌」(昭和53年11月8日制定)も、
作詞「大岡博さん」、作曲「高木東六さん」で作られた名曲で、
私は、一番の歌詞が特に好きだ。
作られてから、40年近く経過しても色褪せない「町歌」って、
凄くないですか?

P.S. 清水町歌 (作詞 大岡博 作曲 高木東六)
緑のかぜの吹ふくところ 碧(あお)きいずみの湧くところ
古き歴史につつまれて ゆたかに展(ひら)く わが町清水
高らかにいまこそ歌え歌え 美しき我らの 清水 清水



2017年02月26日(日)
何度も会えば、慣れて覚える

映画「手紙 The Letter」(イ ジョングク監督)から。
韓国の純愛映画は、ほとんどワンパターンのなのに、
心が震え、感動してしまうのはなぜか?
その不思議な魅力が気になって仕方がない。
ところで、今回はふたりの出会いシーンの会話。
主人公のジョンインが、植物を研究しているファニュに
問いかける。
「植物名は、どうやって暗記するのですか?」と。
そしてファニュはこう答える。
「人の名前と同じです。
顔をみただけでは、名前を覚えられませんよね。
食事をしたりして、親しくなるのと同じですよ。
何度も会えば、慣れて覚える」
私も通勤途中でみかける「花・樹木・雲・星」などの名前が
なかなか覚えられなかったので、これには納得した。
しかし、なるほど、とメモしながら、この例え話はシャレている、
初対面の異性と親しくなるには、このフレーズが最適、と
二重マルを付けた。(笑)
特に「何度も会えば、慣れて覚える」は、グッときたなぁ。
何度も会うことで、もっともっと知りたくなる、
そんな意味も含まれているのかもしれないなぁ。



2017年02月25日(土)
ねぇねぇ、本物の「カワセミ」観たよ

午前中は「本のイベント」(ビブリオバトル)に参加し、
子ども達に「お気に入りの本を紹介する方法」を伝え、
午後からは「文化のイベント」に顔を出して、
「合唱」ならではの、みんなで楽しみながら練習し、
年に数回、ドレスに身を包みながら、ステージに立つ、
その雰囲気を味わいながら、観客として拍手を送った。
帰りは、いつものように柿田川公園に立ち寄りながら、
観光バスの「ツアー名」に関心を示し(笑)、
エントランスで、新しく実装された「ポケモン」をゲット。
ベンチに座って、一息ついていたら、観光客らしい女性が、
大きな声で会話しているのが聴こえた。
「ねぇねぇ、本物の『カワセミ』観たよ」
「いいなぁ、私も観たかったなぁ、まだ観れるかな?」
「2時間に1回くらいらしいよ、ガイドの人が言ってた・・」
「湧き間、凄かったね、地下水って、どうなってるんだろ?」
「う〜ん、私の訊かれても分かんないよ、ごめんね」(汗)
そんな会話を耳にして、説明してあげたかったけれど、
なんだか不思議と、嬉しさが込み上げてきた。
それだけの会話だったけれど、伝えたいことが溢れてきた。
今は「たかが柿田川、されど柿田川」って気分かな。



2017年02月24日(金)
秋は秋、冬は冬の楽しみ方があるはず

ある新聞の最終ページに「女優・名取裕子さん」の
インタビュー記事が掲載されていた。
1957年生まれの彼女は、今年60歳を迎える。(汗)
ずっと前から、私たち同年代として、
彼女の考え方、生き方に興味をもっていたのだが、
今回のインタビューにやはり同感と頷くことが多かった。
「人生の四季が秋になり冬になったとしても、
秋は秋、冬は冬の楽しみ方があるはず。
毎日一歩ずつ前に向かって、人生を輝きあるものに
したいですね」と彼女は語っていた。
暑い夏を乗り切った葉っぱたちが、それぞれの色に染まり、
「秋」という年代に彩りを添えることができるし、
「冬」は葉が落ちることによって視界が広がり、
夏には見ることが出来なかった景色が目の前に現れる。
決して「春」や「夏」のように、陽気ではないけれど、
その季節にあった楽しみ方が必ずある、と気付かせてくれた。
無理やり背伸びをしてストレスを溜めたり、
無謀なことにチャレンジをして大怪我をするよりも、
年相応に、丁寧に、そして穏やかに生きていく事の大切さを
さりげなく私に伝えてくれていたのかもしれない。
「秋は秋、冬は冬の楽しみ方があるはず」
このフレーズを、これからの生活の糧として生きたいな。



2017年02月23日(木)
「事例に学ぶ」のではなく「事例で学ぶ」

静岡経済同友会 東部協議会「公開セミナー」
講師「田中里紗」氏(事業構想大学院大学学長)
演題「魅力ある地域を創る事業構想」から。
この一風変わった「大学」は、とても魅力的な活動をしている。
なんたって、学長が若い。(笑)
その魅力は「社会での必要性」(社会の中で「種」を見つける)、
社会の役に立っていることを、常に意識していることだろう。
それが「Civic Pride」(市民の誇り)に繋がるという。
「『自分は選んでここに住んでいる』と思える市民」を育てる、
それこそが「市民の誇りを取り戻す解決策」だと言っている。
その手法は「事例に学ぶ」のではなく「事例で学ぶ」。
「フィールド・リサーチ」を徹底的にすることで、
「手ごたえのある意見を聴く」ことができるし、そこで生まれた
人間同士の「コミュニケーション」が、活動の原動力となる、
そう教えられた気がする。
「人が人を呼び込む施策」こそ「市民の誇り」に違いない。



2017年02月22日(水)
不感症さえ治れば、君は完璧だよ

映画「昼顔」(ルイス・ブニュエル監督)から。
女優「カトリーヌ・ドヌーヴ」の男性ファンには、
堪らない作品に違いない。
彼女の下着姿まで観られ、1967年(昭和42年)
当時としては、けっこう過激な作品だったような気がする。
さて、ストーリーだけ考えると、実はよくわからない。
「昼顔」(Bell De Jour)という作品タイトルも、
彼女が演じる娼婦の源氏名だとわかると、滑稽だった。
この作品を思い出すためにピッタリのフレーズは、
「不感症さえ治れば、君は完璧だよ」という夫の台詞。
この不感症を直すために、彼女はこんな経験をしている、
そう思っていたが「芸者クラブカード」を差し出す、
日本人(東洋人?)との行為の後、
彼女は「最高に感じたわ」と恍惚の顔を見せたし、
知人に会う可能性が高いのに、秘密クラブに出入りする。
「では、何のためにこんなことを?」という疑問は、
解けないままラストを迎え、大ドンデン返しのような結末に
監督は何を伝えたかったんだろう?とわからなくなった。
まぁ、インパクトのある作品には違いなかったが・・。(汗)



2017年02月21日(火)
こんにちは! 過去の自分!

今まで書いてきた雑文を、定年までの残り2年間で整理しようと、
少しずつ纏め始めたけれど、その度に読み返してしまい、
なかなか削除が出来ない。(笑)
その理由は、気になる一言では、何度も何度も紹介している、
書籍「まにまに」(西加奈子著・KADOKAWA刊・268頁)で見つけた。
彼女は、6年分のエッセイを纏めた「あとがき」でこう書いている。
「『こんにちは! 過去の自分!』という感じだ。30歳を過ぎたら、
人間不動、趣味の嗜好思考なんてそうそう変わらないわよ。
そんな風に思っていたけど、
読み返すと当時と変わっていることがぽつぽつあって驚く。
『こんにちは!過去の自分!』ものすごく当たり前のことなのだ。
けど、私って、生きてきたんだなあと思う」
今の私の心境を、そのものズバリ表現してくれてある。
彼女は6年だけれど、私の場合は24年の過去の自分が待っていた。
「懐かし〜い」とか「若かったなぁ」と感じる反面、
この頃から、こんなこと考えていたんだ・・なんてのもある。
全て、私が生きてきた証・・やばっ、涙がでそうだ。(汗)



2017年02月20日(月)
日本酒がダメなら、ディズニーランドでも・・

映画「ヒメアノ〜ル」(吉田恵輔監督)から。
「V6」の森田剛さん主演で話題になったというので、
内容も吟味せず観始めたら、私の苦手なジャンルだった。
最近、精神的に壊れてしまった人間が巻き起こす事件が
気になっていたが、その原因がなんとなくわかった気がする。
彼らの発言は、私たちの発想では思いつかないこともあり、
時には、言葉としてメモの対象となる。
対応に困っている人に、アドバイスをする。
「ガツンと言ってやれよ」「いやぁ、無理ですっ・・」
「ガツンでなくていいから、コツンでいいからやってやれよ」
憧れの彼女と話ができて、なんとか会う機会を作ろうとする。
「日本酒でも飲みながら・・」みたいなお誘いに、
「私、日本酒はちょっと・・」と断られたら、すかさず
「日本酒がダメなら、ディズニーランドでも・・」。
この言葉が咄嗟に出てくる発想が、私のツボにはまった。(笑)
内容的には、ちょっと怖い感じがしたけれど、
そんな視点で観れば、こういった作品も悪くないかもなぁ。



2017年02月19日(日)
今度から「ニトリ芸人」と呼んでください

清水町文化芸術活動促進事業「第8回地域交流センター寄席」
古典落語「柳家花緑」独演会から。
(演目は「時そば・親子酒・井戸の茶碗)
昨年に引き続き、とあって「2年続けて呼ばれるのは、
噺家としてはなによりも嬉しい」とご満悦の「花緑師匠」。
行政が少しばかり「木戸銭を負担」してくれているため、
入場料は千円なんですよ、とこちらの裏事情まで披露。(笑)
その代わり「千円という破格の値段で」というフレーズを、
何度も何度もネタに使うなど、笑いっぱなしだった。
「だからって、手を抜いたりしませんよ」とお客を惹き付けて、
「今度から『ニトリ芸人』と呼んでください」とサラッと言う。
オチは「お値段以上」(満足して帰っていただきます)。
「飲食店・落語、主役はお客様」ときっぱり言いながら、
観客からの掛け声には「茶飲み話が、落語の原点」と呟く。
一番難しい「落語とは?」の問いには、先輩の言葉を引用して、
「落語とは、孫に聴かせるお伽噺みたいなもの」と纏めた。
下戸の彼が演じた「親子酒」の飲みっぷり(仕草)は、見事なもので、
「酔ってます、という人ほど酔ってない。だか、反対はまずい」と。
酔ってない、という人ほど酔っている、という例えに笑い転げた。
その上で「人の魅力は、(性格の)ギャップ」と言い切った彼は、
人間味豊かな真打だった。
また、来年も聴きたいな、「ニトリ芸人」の落語。

P.S (2016年02月06日(土))
ラッキーな人を見て、ラッキーだと思える人になりたい
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20160206



2017年02月18日(土)
初めて原作を読んだあの日から28年

今話題の映画「沈黙 サイレンス」の映画監督
「マーティン・スコセッシ」氏のコメントが、
映画パンフレットをはじめ、予告編の動画に登場している。
「初めて原作を読んだあの日から28年。
ずっとこの作品のことを考えてきました。」と。
なぜか、反応してしまったのは「28年」という時間の単位。
私が大切に思う「柿田川」の湧水は、諸説あれど、
現在は「富士山に降った雪や雨が地中に染み込み、
約40キロの距離を28年間の歳月をかけてゆっくりの流れ、
ここ清水町の柿田川で地上に湧くんです」と説明しているから、
この「28年間」構想を練っていた、とコメントする監督と、
「柿田川の流れ」が妙にダブって感じられた。
「やっと地上に顔を出した水」と「作品として公開された映画」
どちらも、世界に認められた存在になるに違いない。
共通は「神が作らせた作品」なのかもしれないなぁ。



2017年02月17日(金)
「お控えなすって」「控えてねぇよ・・」

映画「龍三と七人の子分たち」(北野武監督)から。
任侠の殺し合いなどが多い、北野武監督作品が多い中、
今回のような、コメディタッチで描いた作品は面白かった。
流石というか、当然というか、お笑い要素満載で、
私のメモも増えた。
ヤクザ引退後、毎日くすぶった生活を送っていた
元ヤクザの連中が集まり、詐欺で荒稼ぎしている若者たちを
潰してやろう、という単純なストーリーが愉快だ。
新たに結成した「7人」は、それぞれイメージを膨らます。
「七人の侍」「13人の刺客」「二十三の瞳」・・と、
数字に関係する作品を口にし「瞳が1つ足りねぇじゃないか」と
突っ込まれたりする。そんなシーンが何か所も設定されていて、
その都度、メモしてしまった私がいる。(笑)
何と言っても作品名が「龍三と七人の子分たち」だから、
明らかに「白雪姫と七人の小人たち」をもじった、と分かる。
若い奴らに乗り込んで、仁義を切るシーンは最高だ。
「お控えなすって」「お控えなすって、って何なんだよ」
「お控えなすって」「控えてねぇよ・・」
ヤクザの世界も、世代交代だなぁ。(笑)

P.S
緊張したところで「ぷう〜」とはっきり聞こえる「おなら」、
何回も登場するけど、どんな意味があるんだろうか。



2017年02月16日(木)
過去の延長線上に未来はない

内外情勢調査会主催(2月全国懇談会)
講師「小林喜光」氏(経済同友会・代表幹事)
演題「Japan2.0 最適化社会に向けて」から。
北は北海道、南は九州・沖縄から集まった、
約1,000人を超す聴衆は、日本の将来のあるべき姿を語る
彼の話に耳を傾け、必死にメモを取っている姿が印象に残った。
それは「過去の延長線上に未来はない」とする、
「経営者としての強い危機感」が伝わってきたからだろう。
グローバル化、デジタル化、ソーシャル化(多様性)が進み、
「統合化の反作用で分散の動き」が始まったことを指摘し、
まったく新しい日本の経済・社会システムを構築する必要性を、
「30年後にも持続可能なシステム構築」と提案している。
それは「改善」ではなく「改革」といった部類だろうか。
今あるものをうまく残しながら・・という視点ではなく、
視点、発想などを変えなくては構築できない
「まったく新しいシステム」に、日本の未来がある気がした。
そういう意味で「過去の延長線上に未来はない」のフレーズは、
企業だけでなく、私たち個人にも共通する考え方だな、と
定年をあと2年後に控えた私は。メモをした。



2017年02月15日(水)
お前のせいで、奴らは苦しむのだ。

映画「沈黙 サイレンス」(マーティン・スコセッシ監督)から。
原作は、遠藤周作さんの小説「沈黙」。
若い頃、一度読んだが、覚えているのは「踏み絵」の場面など、
「信仰」するという、静かだけど力強い人間の心の動きであり、
それを映像で、どう表現するのか、とても興味があった。
しかし、58歳で鑑賞した映画作品は、原作にほぼ忠実だけれど、
私の引っかかった個所は、歴史としての「宗教弾圧」ではなく、
また「他人事」としての物語ではなかった。
心を大きく揺さぶられたのは、イッセー尾形さん演ずる
「井上筑後守」が「宣教師」に言い放った台詞
「お前のせいで、奴らは苦しむのだ」だった。
(「お前が転ばぬ限り、犠牲が出る」というフレーズも・・)
「自分の存在」が「周りの人達を苦しめている」という事実を、
目の前で見るにつけ、心が揺さぶられ、心が心を裏切りそうになる。
それは、私たちの仕事や、日常生活でも同じことが起きていると、
観賞後に、ふっと気付いたとき「自分事」に変わった。
「信じる道を貫く、目の前の命を救う、どちらを選べば良いのか」
たぶん、どちらが正しいと言うことではなく、
そのことに悩み苦しみながらも、常に自分の存在を意識することが
大切なのではないか、と考えてみたりもしている。
作品のラストに、こんなナレーションが入る。
「私は沈黙したのではない。おまえとともに苦しんでいたんだ。
沈黙の中で、私はあなたの声を聞いていた」
もう1度、原作を丁寧に読んでみようかな。



2017年02月14日(火)
男の人は1000円、3000円、5000円、10000円の違いが判らない

静岡経済同友会 東部協議会「公開セミナー」のセッション
「女性起業家と考える 世界を見据えた地域産業の成長戦略」から。
「両口屋是清・大島千世子さん」「エムスクエアラボ・加藤百合子さん」
「玉の湯(由布院温泉)・桑野和泉さん」「CREA FARM・西村やす子さん」
彼女らから発せられる言葉には、男性だけのセッションとは違う、
聴きやすさと、へぇ〜、なるほどなぁ、が溢れていた。
今回は「オリーブオイル」の産地化を目指している、西村さんの話。
「マーケットって面白い」と、私たちに向けて呟いたかと思うと、 
「ターゲットにより、売り方も違うことをショップで分かった」と言う。
例え話で出たのは「5000円のキャンドル」を作ってみた。
女性は自分では買わない、だけど、プレゼントされれば嬉しい。
女性が喜ぶなら、男性は5000円でも買う」という視点。
そのあと、彼女の(性別)分析では、
「男の人は1000円、3000円、5000円、10000円の違いが判らない」
これには、会場内がどっと沸いた。湧いたのは、
聴講している多くの男性が、痛いところをついたな、と思ったから。
マーケットは「こんなもの高くて売れっこない」ではなく、
「どうしたら売れるか」を考えることなんだな、と再認識した。
女性だけのセッション(パネルディスカッション)って、
「井戸端会議」を想像させるけれど、ヒントが溢れていたなぁ。



2017年02月13日(月)
噛みません、躾のできた良い子です

映画「植物図鑑 〜運命の恋、ひろいました」
(三木康一郎監督)から。
「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか?」
主人公、ふたりの出会いは、この台詞から始まった。
「運命の恋」だから、劇的に出会うシーンを想像するが、
実は「こんな出会い方もあるんだ」とメモをした。
突然言われて、戸惑った彼女は「へっ?」と返す。
それを受けて、若い男性はこう続ける。
「噛みません、躾のできた良い子です」
このワンフレーズで、彼女の緊張が緩んだ気がする。
寒い夜空の下「拾う」のは「犬」のイメージだし、
その犬が、躾ができていなく、所構わず、
飼い主に噛みつくようなら、返事は「No」だから、
「拾ってくれませんか?」と「噛みません」は、
対となって、安心感を与えたようだ。
ただあまりにも「躾ができている」(楚々をしない)と、
飼い主はつまらないのも事実。
この辺のバランスが、男女の関係と似ていて可笑しい。
「ペットを飼うと、恋人ができない」と言われるが、
あながち、嘘でもない気がするな。
原作は「有川浩さん」の同名作品。(幻冬舎文庫刊)
時間ができたら、読んでみようかなぁ・・



2017年02月12日(日)
おはよう・・よく寝たなぁ〜

昨日の忘れ物といい、最近、ボケが始まっている。(かもしれない)
なんと今回は、曜日を間違えた。(笑)
この勘違いは、昨晩、寝る時から起きていたかもしれない。
寝る前に、愛用の手帳で翌日のスケジュールを確認し、
なんとなくであるが、明日はこうやって過ごそう、と考えながら
床につくのを日課としているが、昨晩は来週1週間の予定が気になり、
ちょっと1日早く手帳のページをめくったのだろう。
明日からまたハードだなぁ、などと思いながら寝たからだろうか、
平日としてはやや遅く、休日としてはとても早く目覚めた。
いつもなら起きてくるはずの母に対しても、疲れているのかな、
そっとしておこう、途中でおむすびでも買って食べればいいや、と感じ、
いつものように、洗顔、歯磨き、身支度を済ませ、出勤の準備完了。
最後のトイレで「あれっ、昨日、大河ドラマみたっけ?」と自問自答し、
やっと、曜日を間違えたことに気がついた。(汗)
その後は、家族に気付かれないように、そお〜っと、パシャマに着替え、
ベットに潜り込み、ずっと寝ていて、今起きたようなフリをした。
いつもよりちょっと遅く起きてきた母や妻に対しても、
「おはよう・・よく寝たなぁ〜」と呟き、間違っていたことを隠したが、
私の性格上、我慢できず、妻に明かして大笑いとなった。
今までも、間違いや、ど忘れはあるけれど、こう頻繁に続くと、
自信喪失になるなぁ。退職前に「脳ドック」受けようっと。(笑)



2017年02月11日(土)
取りに来ると思ってとっといたよ

金曜日、沼津で講演会・バネルディスカッションを聴き、
忘れないうちに、大切なメモを打ち直そうとしたら、
その資料の入った封筒が、どこを探しても見当たらない。(汗)
焦って、金曜日の夜、飲み歩いたお店に電話したが、
「白い封筒ですか?、残念ながらありませんね」の答えに、
記憶を遡ったら、午後6時前、時間調整に入った、
三島広小路駅の立ち飲み屋が気になり、電話番号もわからないから、
寒空の中、広小路まで足を運ぶことにした。
そこで、お店を覗いた途端「あっ!」と言いながら、
「取りに来ると思ってとっといたよ」の台詞とともに封筒が現れた。
昨日もいた常連さんが、私の顔を見てこう言った。
「忘れ物に気がついて、追っかけたんだけど見失って・・」と
昨晩の様子を思い出しながら、「きっと大事な書類だろうから、
近いうちにとりにくるよ」とふたりで話していたようだ。
書類自体はチラシが多くて必要ないかもしれないけれど、
私にとっては、約3時間走り書きしたメモが何よりも大事であり、
それが手元に戻ってきたことも嬉しかったが、
単なる酔っ払いの忘れ物だから、捨てられても文句がいえないのに、
大切にとっておいてくれてお店の主人の気持ちが、とても嬉しかった。
こんなことがきっかけだけど、少しだけ顔馴染みになれたから、
三島で飲み会の時は、ちょっと一杯、立ち寄ろう、と思う。
久しぶりに、心が温かくなった出来事だから、ご紹介。(笑)



2017年02月10日(金)
馬鹿な親鳥だよ

映画「乱」(黒澤明監督)から。
作品のラストシーン、こんな台詞がある。
「神や仏は、泣いているのだ!何時の世にも繰り返す、
この人間の悪行。殺し合わねば生きていけぬ。
この人間の愚かさは、神や仏も救う術はないのだ!
泣くな、これが人の世だ。人間は幸せよりも悲しみを、
安らぎよりも苦しみを、追い求めているのだ!」
たぶん、監督が伝えたかったことの一つだろう。
しかし私のアンテナには、途中、ピーター演じる「狂阿弥」の
こんな台詞が妙に引っかかった。
「蛇の卵は白くて綺麗だ。小鳥の卵は、シミがあって汚ない。
鳥は汚ない卵を捨てて、白い卵を抱いた。
孵った卵から蛇が出て来た。鳥は蛇を育てて、蛇に呑まれた」
我が子を信じ、捨てられ、殺されそうになった父親(秀虎)が、
狂った挙句に「ここはどこだ? 俺は誰だ?」と叫ぶと、
「狂阿弥」は「馬鹿な親鳥だよ」の言葉を投げ捨てる。
この例え話が、私は気に入った。
世の中には「うちの子に限って・・」と声高に叫ぶ親がいるが、
親バカも甚だしいケースを良くみかける。
子どもを育てるということは、楽しいことであるが、
非常に難しいということも、理解しておいて欲しい。
一番信じていた者に裏切られることほど、辛いことはない。
いつの世も、親子の関係は、切っても切れない課題なんだろうなぁ。


P.S (おまけの話題)
黒澤明監督の「メイクを取ろうね」
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20030306



2017年02月09日(木)
水の清らかさは、日本人の美意識の基本です

小冊子「静岡県総合情報誌 ふじのくに」(vol.27)から。
「県知事鼎談」の特集記事は、
「これからの日本がなすべき 美的な文化の涵養と発信」
(大橋良介氏×東郷和彦氏×川勝平太県知事)
知事がこんなことを述べていた。
「日本における美の根源は、自然であると思います。
水がきれいなので『みずみずしい』とか
『水際立った』などの表現が生まれました。
水の清らかさは、日本人の美意識の基本です。
美意識自体は多様ですが、日本では、
水が物的基準になっているのではないでしょうか」と。
大橋氏もそれに呼応するかのように、
「中国で美しいとされるものは、玉、宝玉です。
それに対して、日本は水。
つまり、宝玉という永劫的なものではなく、
さっと流れる透明な水に日本人は美を感じていました」。
ということは、水のきれいなまちは、日本の美の聖地?と
ひとりで空想が膨らみ、ニヤけてしまった。(笑)



2017年02月08日(水)
判断基準を満たさない企業活動は行わない

内外情勢調査会主催(2月全国懇談会)
講師「小林喜光」氏(経済同友会・代表幹事)
演題「Japan2.0 最適化社会に向けて」から。
講演中、何度も口にした「最適化」。
以前のような「集中・分散」の繰り返しでは、
今の日本の課題解決できず、これからは「最適化」と強調した。
辞書によれば「最適化」とは「実行環境に応じて、
最大の処理性能を発揮できるようにプログラムやデータの形式を
調整すること。(効率的にアクセスできるようにする)
無駄を省いて最高の結果を出せるように調整すること」であり、
代表取締会長を務める「三菱ケミカルホールディングス」は、
「3つの判断基準(criteria)を制定」したことを紹介していた。
・Sustainability(環境・資源)・Health(健康)・Comfort(快適性)
私が注目したのは、この判断基準よりも、
「判断基準を満たさない企業活動は行わない」ということ。
その判断に迷いはなく、徹底した「断捨離」が行われただろう。
新規の事業も、既存の事業も、基準を順守し、ぶれない判断力。
それが、企業イメージを作り、ブランド化されていくに違いない。
「お付き合いで・・」とか「仕方なく・・」ではなく、
戦略として「判断基準を満たさない企業活動は行わない」は、
インパクトがあった。今後の判断基準の参考にしたい。



2017年02月07日(火)
貴族と罪人には共通点がある。

映画「レジェンド 狂気の美学」
(ブライアン・ヘルゲランド監督)から。
1960年代のロンドンが舞台のこの作品でありながら、
今でも、通じるところがあるなぁ、とメモしたのは、
主人公のひとりが「有名人が気に入る店は成功する」とばかり
「ナイトクラブ」を経営するシーン。
「貴族と罪人には共通点がある。彼らはわがままで飽き性で・・
ろくに働きもせず金を欲しがる。
ひいては中産階級の規律や倫理観は無視して・・
己の欲に従い、人生のルーレットを回すのだ」と。
金持ちと犯罪者は、紙一重だとも言えるこの例えは面白かった。
自分の常識が社会の常識とかけ離れていてもお構いなし、
違うところは、お金持ちはルーレットで負けても平常心だが、
罪人は行き場をなくし、犯罪に手を染めるしかなくなること。
この「狂気」とも思える行動こそ、貧富の差が激しい今日、
予想もつかない行動が大きな事件を起こす要因となっている。
ところで、主人公となっている「ギャング」のクレオ兄弟、
実在していたことに驚く。(「ギャング」は死語?)
しかし、もっと驚いたことは、まだ50年ほど前の話であり、
フィクションではなく、ノンフィクションであったこと。
いや、裏の世界、闇の世界は、今でもあるんだろうなぁ。



2017年02月06日(月)
目指すのは「観光地」ではなく「感幸地」

書籍「観光立国の正体」
(藻谷浩介・山田桂一郎共著・新潮新書刊・265頁)から。
「観光立国」を旗印に、全国で「観光」にスポットが当たる。
さらに「東京オリンピック2020」を追い風にして、
猫も杓子も「観光」「観光」の大合唱であるが、
著者の藻谷氏は、あえてこんなフレーズを残している。
「これからは、ただの『観光地』ではなく、
旅行者と住民にとって幸せを感じられる地域としての
『感幸地』を目指すべきではないでしょうか」と。
観光を生業にしている人がほとんどいない我が町にとって、
この、住んでいて幸せに感じる「感幸地」を目指す、のは、
とても参考になった。
まずは、どんなターゲットが、どんなことに幸せを感じるか、
それを調べるところから始めなくちゃなぁ。
「産業感幸課」としては・・(笑)



2017年02月05日(日)
今度、狙われたら地球はどうなるか・・

映画「インデペンデンス・デイ リサージェンス」
(ローランド・エメリッヒ監督)から。
1996年公開「インデペンデンス・デイ」(ローランド・エメリッヒ監督)
の衝撃が強くて「インデペンデンス・デイ」と名が付く作品が気になり、
その度に、何度、騙されたことか。(汗)
映画「インデペンデンス・デイ2014」( W・D・ホーガン監督)
映画「インディペンデンスディ2016」(ローラ・ベス・ラヴ監督)
どちらも続編ではなく、評価に値しないチープな内容だった。
特に「2016」の場合、本作が公開され話題になっていたので、
完全に「続編」と勘違いして、自分の選択に怒りをぶつけていた。
やっと「20年ぶりの続編」を鑑賞し、感想は「えっ、これが続編?」。
時間と制作費は掛けたのかもしれないが、期待を大きく裏切ってくれた。
無理やり「恋愛」「親子愛」「友情」みたいなものが入り込み、
さらに「宇宙船の直径は4800キロです」と、大きすぎてリアル感なし。
監督は、私たちに何を伝えたかったのか、それさえ分からない。
キーワードとして(人間でもエイリアンでも、敵に対して)
「背後から仕留める」闘い方がベスト、が残ったくらい。(笑)
最後に、こんな台詞がある。
「今度、狙われたら地球はどうなるか・・」
おいおい、また「続編」を作る気でいるのか?と呆れてしまった。
たぶん・・私はもう観ないだろうなぁ、「独立記念日」関連は。



2017年02月04日(土)
日本には「世間」がある

隣町の「男女共同参画啓発講演会・つどい長泉」
講師「吉永みち子」さん。(ノンフィクション作家)
演題「自分らしく生きる」から。
「なんとか、自分らしく生きているつもりでも、
『本当に自分らしく生きてる?』と2度、3度訊かれると、
なんだか不安になる」という投げかけがスタートだった。
それくらい「自分らしく生きる」ということを、
私たちは、難しく考えているのかもしれない、と思った。
多くのメモの中から、私がピックアッブしたのは、
「日本には『世間』がある」というフレーズ。
性別に関係なく、いくら自分らしく生きようとしても、
日本には「世間」という壁があることを指摘していた。
「世間が許さない」「世間がダメだと言っている」という表現で、
「自分らしく生きること」を阻害しているということだろうか。
(「世間」に様を付けて「世間様が許さない」とまで・・(汗))
若い頃、彼女は「競馬新聞の記者」になることを
「世間体」を理由に反対した母親に対して
「説得するから、世間様の窓口を教えてくれ」と迫ったとか(笑)。
その後「世間」の正体が「気配」とか「匿名」だと気付いたようだ。
だからこそ「男女平等」「男女共同参画」を実現させるためにも、
その「世間」という壁(枠)を破ろう、と語ってくれた気がする。
しかし私たちは「ネットの中にも『世間』を作ってしまう」とも。
ちょっと常識外の発言や行動をすると「世間」に叩かれ、炎上するから、
「世間」を意識した書き込みが増え「いいね」ばかりを意識する。
「自分らしい生き方」とは「自分らしい発言」から・・と私は思う。
(小文字)の「i」ではなく、(大文字)の「I」でありたい。



2017年02月03日(金)
よい団体とは、よい活動とよい情報発信をしている団体である

講師「山田泰久」(NPO法人CANPANセンター代表理事)
演題「認定・仮認定NPO法人向け 広報力強化講座」より。
今まで、数多くの団体とお付き合いをさせていただきながら、
私がずっと感じていたことは、
せっかく素晴らしい活動をしているのに、
どうして、スポットが当たらないのかな?ということだった。
そのヒントが「よい団体」の定義であった。
「よい団体とは、よい活動とよい情報発信をしている団体である」
以前は、物珍しかったNPO団体も、今や、約51,000団体。
全国のコンビニ店55,000店に匹敵するくらい増えている。
少なかった頃は、「何をやってもまわりが気付いてくれた」し、
新聞にも取り上げられ、活動の情報発信ができていたけれど、
今は、なかなか難しい。
だから「よい活動とよい情報発信をしている団体」が目立つ。
逆に言うと「情報発信が下手だと、活動が知られない」となる。
もっと言うと「活動」と同じくらい「情報発信」に力を入れる、
それこそが、その団体を支えていくことになると思う。
「よい活動をしていれば、きっと誰かが気付いてくれる」
そんな時代は、終わったってことなのかな?



2017年02月02日(木)
今だけ、ここだけ、あなただけ

書籍「観光立国の正体」
(藻谷浩介・山田桂一郎共著・新潮新書刊・265頁)から。
目から鱗の気付きは、いろいろあったけれど、
フレーズとして一番気に入っているのは、
「今だけ、ここだけ、あなただけ」という発想。
公務員としての癖が抜けないのか、
「いつでも、どこでも、誰にでも」同じサービス提供が
大前提だと思い込んでいたが、観光に関しては、違うらしい。
「お金よりも「その場でしか体験できないこと」の方に、
価値があるのです」と諭してくれた。
「『今だけ、ここだけ、あなただけ』と言えるモノやコトを
提供できるようになれば、お客様と事業者の双方にとっての
メリットを生むことになるのです。
観光・リゾート地だからこそ、
絶対に『いつでも、どこでも、誰にでも』とならないように
気を付けなくてはいけません」と。
例えば「食」の付加価値は、
「とにかく低価格で、お腹いっぱいに食べてもらうこと」
ではなく「上質な旬の素材を使った最高のメニュー」のこと。
「この季節、この地域でしか味わえない旬の素材を調理し、
この場所へ来店してくれた人だけの特別メニュー」を
食べたという体験こそが、満足感を与えてくれるからだろう。
観光に限らず「あなただけ、特別よ」ってフレーズ、
人間は誰でも好きだからなぁ。



2017年02月01日(水)
勇気ある行動の結末は悲劇でいいはずがないんでしょ?

映画「僕だけがいない街」(平川雄一朗監督)から。
正直、設定があまり理解出来ず、そのまま観終わってしまった。
タイムトラベルでもないし、過去を変えることにより、
今の事件・事故・犯罪等を防ぐ、という視点はわからなくはないが
あまりにプライベート過ぎて・・・。
そんなことが出来る能力があるのならなら、
もっと大きな事件・事故・犯罪を防いだほうが・・と思うが、
そんな設定にはなっていないようだ。(汗)
気になる一言は、先生が生徒に教えた台詞、
「勇気ある行動の結末は悲劇でいいはずがない」を、数年後、
事件の真相が解明された時に、その先生に生徒が訊き直す台詞。
「勇気ある行動の結末は悲劇でいいはずがないんでしょ?」
聖職である先生の一言は、小さい子どもたちにとって影響力が強い。
その言葉を支えに生きていく人たちもいるくらい。
だから、その台詞を覆すようなことを先生が起こすと、
そのショックの大きさは計り知れない。
最後に、主人公が呟く。「先生は、正義じゃなきゃダメだろう」
そのとおりである。