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2016年06月30日(木) ■ |
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6月30日は、夏の大晦日ですね |
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会議で沼津市に向かう車の中で聞こえてきたラジオから。 6月30日ということもあり、パーソナリティの話題は 「もう一年の半分が過ぎた」と半年を振り返る内容。 1月から6月、世界、日本国内で起きた事件・事故等、 そうか、あれもまだ今年のことか・・と思う反面、 あれっ、あれは昨年だったかな?なんて思いながら、 自分なりの半年を振り返った。 歳を重ねると、なぜか日にちの過ぎるのが早い。 一年に一度、365日を振り返るよりも、 半年に一度、182日を振り返った方がいい気がする。 この感覚をうまく表現するフレーズが欲しいな、と 運転しながら考えていたら、パーソナリティの彼女が 「6月30日は、夏の大晦日ですね」と呟いた。 あっ、そのフレーズいいな、いただきとメモをした。 一年を上半期・下半期と分けるよりも、 「夏の大晦日・冬の大晦日」と分ける方が楽しそうだな。 半年をしっかり振り返って、新しい気持ち(目標)で、 7月1日を迎えたいな。
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2016年06月29日(水) ■ |
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「クラスター」とは「ぶどうの房」 |
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書籍「ものづくり最後の砦」 (山岡淳一郎著・日本実業出版社刊・251頁)から。 日本の製造業(ものづくり)の現状と課題を説明しながら、 人件費などの高騰で、生産工場が海外にシフトしていく、 今までの悪循環を断ち切るためには、関連企業の集積が必須で、 それも「クラスター」と呼ばれる集合体が必要だと訴えている。 その代表として「成長産業である航空産業」を挙げ、 日本における製造業の最後の砦として、掲げている。 そもそも「クラスター」の概念が、うまくイメージできなかったが、 「クラスターとは、単なる企業の集積ではなく、 ぶとうの房のように、研究機関や学校、自治体などを含めて、 ネットワークを築き、市場革新を目指すもの。 いわば『新しい産業の森』が生まれようとしているのである」 この表現で、なるほど・・と思った。 一つの目的のために、いろいろな職種の産業が集まり、 城下町のように、町全体でその雰囲気を出していく。 それこそ「ぶどうの房」に相応しい街が誕生していく気がする。 頑張ろうっと。
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2016年06月28日(火) ■ |
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三島の「み」、清水の「し」 |
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映画づくりでまちづくり人材の発掘・育成を目指している 「みしまびと」という団体。 「地域の『未来を創る人』を作る人」ともいうらしい。 真似したいことはいっぱいあるけれど、今はこれかな?と感じ、 今日からでも実践できることを選んでみた。 彼らは、写真を撮るとき「はい、チーズ」でもなく、 「はい、ピース」でもない。 2本指(チョキ)で写真の決めポーズをとるのではなく、 「三島の・・・」と溜めて「『み』」と、3本指を立てる。 これがなかなか面白い。 知らず知らずに「みしま」という単語を口にしているから。 わが町も「柿田川」や「ゆうすいくん」が有名になっても、 町名の「清水町」が知られなくては・・と悩んでいたら、 このポーズにぶつかった。(笑) 感のよい読者なら、わかったと思うけれど、 わが町は「清水の・・・」『し』」で決めてみたい。 親指と人差し指で「し」の形をつくる。 昔の人のチョキ、指鉄砲のカタチ(汗)であるが、 なんとなく「し」に見えなくもない。 写真を撮るとき「清水の・・・」『し』」(パチリ) 「まなぶ」は「まねぶ」からだからね。いただきます。
P.S. 「カタカナの『レ』と間違うよ」という突っ込みはいりません。 写真だから、左右反対だけは・・気をつけないと。(笑)
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2016年06月27日(月) ■ |
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英国人の哀悼の表現は、控え目で品位があるのです |
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英国、EU離脱の報を知って、思い出した映画がある。 映画「クィーン」(スティーブン・フリアーズ監督)から。 英国・エリザベス女王を見直した、なんて表現すると、 「映画だから」・・と言われそうだが、 英国王家の伝統・品格に対するメモも溢れた。 ダイアナの死に対して、世界はバッキンガム宮殿に半旗を望んだ。 しかし、その意味を知って、なるほどな、と思った。 「旗は『君主が宮殿にいる』ということのしるしなのだ。 400年続いているしきたりだ。誰のためにも、半旗にはしない」 さらに女王は、王室の動きの遅さや沈黙を批判されながらも言い切る。 「私は誰よりも英国民を知っていて、彼らの見識と判断を信頼しています。 英国人の哀悼の表現は、控え目で品位があるのです。 世界が尊敬する国民性です」と。このコメントに胸が熱くなった。 「今の世の中は、大袈裟な涙とパフォーマンスの時代、私はそれが苦手なの」 これが女王の真意なのかもしれない、とメモは続けた。 また彼女が、世界の反応に苦悩し、伝統に潰されそうになった時、 王家の1人が励ますシーンがある。「ヨーロッパ最大の王家よ。 千年以上途切れることなく、続いてきた王家の長」 何か、日本の天皇家にも当てはまるコメントだな、とメモをした。 日本は、それ以上に続いてきたのだから、国民も誇りとし、 世界に尊敬される国民性に、もっと自信を持ち続けたい。
PS.(グッときたシーンを、ちょっとご紹介) 女王が、小さい女の子が花を持っているのをみつけ、 ダイアナへの献花と感じ声を掛ける。「お花を置いてあげましょうか?」 それに対して「いいの・・・あなたへの花です」と、女王に花を手渡す。 女王が、苦悩の顔から一瞬見せた笑顔が忘れられない。 「私に? ありがとう」の言葉を添えて。正直、涙腺が緩みます。
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2016年06月26日(日) ■ |
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「あっ、回ったぁ」「この子、回ってないね」 |
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「働く女性の会(ATG)」の6月例会だった。 講師「岸本美代子」さん。(「沖縄茶屋なんくる」店主) 演題「夏だからこそ食べたい沖縄料理」 サブタイトル「医食同源 、ぬちぐすい(命薬)と言われる 沖縄料理を食べて元気になろう」から。 沖縄出身の彼女から「沖縄料理の作り方(コツ)を習い」、 そのまま、オリオンビール片手に懇親会へ突入し、 三線愛好会の生音を聴きながら飲み続けるという楽しい企画。 習ったメニューは、まず「ゴーヤーチャンプルー」。 ゴーヤーは斜めに切った方が、いろいろな食感が味わえて美味しい。 コツは、あまり混ぜない・・炒めるというより、蒸す・焼く感じ。 次に「ソーミンチャンプルー」は、ソーメンを炒める料理、 そのコツは、茹でたてを手早く炒めた方が美味しいようだ。 そして最後に「サーターアンダギー」(沖縄風ドーナツ)。 「最近の電子調理器はバカだよねぇ、170度一定に保てない」と 機器任せよりも、人間の感覚を大切にすることを教えてくれた。 揚げてるうちに、浮いてきて自然にクルクル回ったり、 片方が割れて、チューリップ型に割れ目が出来る。 実は、これが一番面白かった。(笑) みんなで油の入った鍋を囲み「あっ、回ったぁ」と喜んだり、 動きのない生地を突きながら「この子、回ってないね」と心配したり、 「余裕がないと回らないし、割れないねぇ」とか解説をしてみたり、 ドーナツづくりがこんなに楽しいものだとは・・。 「沖縄料理」って、台風に備えて保存食で作る料理が多いんだね。
P.S.私が気になっていたのは「ゴーヤ」?「ゴーヤー」? 「ゴーヤチャンプル」のレシピ検索結果(135,000件) 「ゴーヤーチャンプルー」のレシピ検索結果(357,000件) 講師に訊いたら、当然「ゴーヤーチャンプルー」だった。
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2016年06月25日(土) ■ |
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「製作年」の他に「作者の年齢」 |
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先日、静岡市美術館で開催されている企画展に足を運んだ。 「伊豆市所蔵近代日本画コレクション展 「大観・靫彦・龍子らと修善寺」と題する企画、 美術館と言えば「題名・製作年・所蔵」の情報が、作品の近くに、 小さなスペースで掲示されているのが通常である。 私の知りたい「この作品を製作した時の画家の年齢」は、 ほとんど記載がなく、美術館を訪れるたびに、 画家の生年月日から計算し、この作品は、何歳の頃に描いのか、 そして、その年齢でどんな想いが込められているのだろうか、 と推察しながら、鑑賞することになる。 自分より若い年齢なら、同じ頃、私は何をしていただろうか、 ほぼ同じ年齢ならば、私ならどんな絵を描くだろうか、 そしてまた、私より歳を重ねていれば、 将来、同じ年齢に達した時、こんな絵が描けるだろうか、など 自分の人生と重ねて、鑑賞することが多い。 今回の企画展は、その「年齢」が「制作年」の後に表示されている。 ちょっとしたことかもしれないが、この表記に、 静岡市美術館のおもてなしを感じた出来事である。
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2016年06月24日(金) ■ |
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良い知らせを伝えるものの足は美しい |
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映画「幸せになるための恋の手紙」 (ミッチ・デイヴィス監督)から。 タイトルと内容があまり一致せず、戸惑いを感じたが、 キリスト教の宣教師としなって、トンガ王国に赴任。 しかし、そこには、すでに牧師がいる。 正直「牧師」と「宣教師」の違いすらわからない。 当初、言葉も通じず苦労したが、いろいろな経験を重ね、 次第に、原住民の信頼を得るようになっていく。 そして、任務を終えて帰国する時、原住民は 「体は離れても、魂はこの島と共にあるのよ」と涙し、 日頃の細々したことのお世話をしていた女性は、 「良い知らせを伝えるものの足は美しい」と呟いた。 意味もなく、私はこのフレーズが好きになり、メモをした。 足が汚れている人は、疲れやすい・・という話は、 いつぞや耳にしたことがあり、妙に納得したものである。 足って、どの部分を指すのか分からないが、 神の言葉を伝える役目の宣教師は、 足を美しく保っておかなければならないらしい。 それとも、太ることがないくらい歩いて回りなさい、 そんな意味なのかな。
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2016年06月23日(木) ■ |
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人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです |
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以前紹介した「地方創生実践塾in静岡県三島市」の開講式、 豊岡三島市長挨拶のワンフレーズ。 話始めは「ガーデンシティ」とか「ウェルネス・・」など、 耳触りの良い、カタカナ言葉が並んだが、一言で言うと 「美しく品格のある街」を目指していることが挨拶で理解できた。 この、誰にもわかりやすい短いフレーズは、 住民と一緒にまちづくりをしていくうえで、大切なことである。 「総合計画の将来都市像」とは違った親しみがある言葉は、 全国の観光客を呼び寄せる大きなキーワードであろう。 (この街に住んでみたい、と思わせる言葉ともいえる) さらに「そうだ京都、行こう」などに代表される 観光のキャッチコピーがあれば、申し分ない。 毎週のように三島市内のどこかで開催されるイベントの根底には 市長が最後に語った一言に尽きる気がした。 「人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです」 ディズニー・シーのバレードは、集り過ぎたようだけど・・(汗) 官民を問わず、とにかく人が集まってくる仕掛けが大切ってこと。 その雰囲気づくりの大切さを、首長が理解しているって、 なかなか簡単そうで難しいんだよ、本当は。
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2016年06月22日(水) ■ |
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私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと |
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映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。 ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、 ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。 困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。 タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、 それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。 誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗) 気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。 「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」 しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と メッセージが発せられる。 また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に 「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、 突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、 富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。 献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、 「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。 夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、 50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。 私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。
P.S.(参考に・・「世界3大悪妻) ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」 偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」 ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」
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2016年06月21日(火) ■ |
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増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです |
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映画「グラスホッパー」(瀧本智行監督)から。 大好きな作家「伊坂幸太郎さん作品」の映画化とあって、 とても楽しみに鑑賞し、期待を裏切ることなく観終わった。 もちろん原作を読んでいるが、書籍でメモした台詞と、 映画でメモした台詞の違いもまた、私の楽しみとなっている。 今回は「ジャック・クリスビー」の台詞を取り上げたかったが、 やはり「クラスホッパー」(バッタ)について、の描写。 「殿様バッタは何色か、御存じですか?」「緑じゃないですか」 「普通はそうなんですが、密集したところで育つと 『群集相』と呼ばれる変種になります。色が黒くなり、 羽根が伸び、凶暴になるんです。足りなくなった餌を得るために。 人間も同じです。過剰なまで情報が密集する今の世の中では、 人間も欲望を満たすために変種になる。 群集相のバッタのように、凶暴になるんです」 今の殺伐とした世の中を、この例えでスパッと表現するところが、 やはり唸るポイントだった。 しかし、後半にその解決策が、作品の核になってくる。 「群集相のバッタの話ですが・・」と切り出して 「増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです」 う〜ん、さすが、としか表現できないなぁ。
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2016年06月20日(月) ■ |
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「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介 |
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ほとんど観ているNHK大河ドラマ「真田丸」も、 もう既に半分を過ぎようしてるが、面白いことに気がついた。 先日、映画「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を観ていて、 「遠い昔、はるかなる銀河系で・・」で始まるプロローグに、 なぜか「真田丸」を思い出した。 いや「真田丸」を観て「スター・ウォーズ」が浮かんだ。 どちらも、毎回、簡単な物語の筋書きが説明されるからだ。 今回の映画ならば「エピソード7 『フォースの覚醒』 ルーク・スカイウォークが消えた。その間に帝国軍の残党から、 ファースト・オーダーが生まれた。彼らは最後のジェダイ、 ルークの抹殺を狙っていた。レイア・オーガナ将軍は・・」と続く 物語の設定と、最初のシーンに繋げる仕掛けである。 これで面倒くさい説明もいらないし、今回の「予習」さえ出来る。 実は、この「起承転結」のもう一つ前「序」の部分は、 視聴者にとって、とてもありがたい説明となっている気がする。 だからこそ、敢えて、こうメモして残すことにした。 「「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介」 逆に勘弁して欲しいのは「これは真実に基づいた物語」という説明。 フィクションであり、ノンフィクションであれ、 映画作品として、どう感じるかが大切なことだからなぁ。 でも、このフレーズ、本当に多い。製作のルールでもあるかのように。
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2016年06月19日(日) ■ |
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わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音 |
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わが町唯一の高校(静岡県立沼津商業高等学校)の吹奏楽部、 「第15回フレッシュコンサート」に足を運んだ。 毎年、楽しみにしているコンサートだけに、 2時間半を超える「3部構成」も苦にならなかった。 学年が上がるにつれ、音の角がとれて丸みを帯びてくるなぁ、 なんて感じながらも、いつもながら彼らから元気をいただいた。 3ケ月前まで中学生だった、新人1年生の30人も、 自分たち学年を主役にも脇役にもなれる「オムライス」と名付け、 緊張しながらも、精一杯の姿を観客の私たちに見せてくれたし、 これまた恒例のように、私の涙腺を緩ませる「情熱大陸」から 「あの鐘を鳴らすのはあなた」まで、ラストは一気に感動した。 彼ら吹奏楽部との繋がりは、私が生涯学習課長の頃(5年前)に遡る。 近隣の文化センターと違い、音響も良くないし、舞台も狭い、 それでもよければ、子どもたちのために使ってください、と 地域交流センターの多目的ホールを提供した頃が懐かしい。 そんな意味もあり、私の沼商びいきは、止まらない。(笑) NHK大河ドラマ「真田丸」が舞台、戦国の時代には、 こんな言葉が残されているのを知っているだろうか。 「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」 「家康に過ぎたるものが二つある。唐の兜に本多平八」 どちらも、他から眺めて「羨ましい」という意味だろう。 だからこそ敢えて、このフレーズを考えてみた。 「わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音」 う〜ん、わかる人にはわかるかな?
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2016年06月18日(土) ■ |
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人が人にできることは、そういうことだけなんじゃと |
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映画「ホタル」(降旗康男監督)から。 近くの川で数匹の「ホタル」を発見し、喜んで帰宅したあとに この作品を観たので、胸が詰まされる想いがした。 昨年は特に、身近な人たちが突然のように他界したので、 あっ、さっき近くに寄ってきたのは、あの人だったかも・・と 妙に感情移入してまった私がいる。 知覧からの飛び立った特攻隊の1人が、ホタルとなって戻ってきた、 そんなストーリーとは別に、昭和天皇が崩御したのを機に、 雪山の中で自殺をする特攻隊員の生き残りの1人(藤枝)は、 死ぬ前に、戦時中の先輩を訪ねるが、留守で会えず、 結局は、そのまま東北に戻り、自殺してしまう。 悔やむに悔やみ切れないのは、高倉健さん演じる先輩の山岡。 「あん時、俺がここまで来て、話聞いてやったら、 一緒飲んで一緒に泣いてやったら・・。人が人にできることは、 そういうことだけなんじゃと、今になって気がついた」という台詞は、 自殺した人たちや、病気で若くして他界した人たちを思い出すには、 充分なフレーズであった。 「忙しいから・・」を理由に、自分の予定を優先してしまうが、 「頼られた」と感じたならば、どんな用事よりも優先し、 話を聴いたり、一緒に飲んだり、一緒に泣いてやる、 そんな些細なことを実践する気持ちを持ちたい。 人の「温かさ」や「思いやり」こそ、失望した人たちの心を癒し、 自殺を思い留める方法に違いなのだから。
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2016年06月17日(金) ■ |
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必要になれば、話すしかないみたいだね |
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先週末、妻と「忍野八海」(山梨県)にドライブに出かけた。 今までにも何度か訪れたことがあるスポットであるが、 最近「柿田川」と比較されることが多いので気になっていた。 (そういう意味では「水」を活かしたまちづくりの先進視察?) 私の目の前には、多くの外国人(ほとんど中国人)の群れ。 「インバウントを活かした観光客誘客」という視点からみれば これはこれで、大成功だったというしかない。 しかし、肝心の湧き間より、富士山をバックに、 写真を撮りまくっているか、土産物を買い漁っている光景に、 どうしてもここでなければ・・というものを感じなかった。 当然、飲食店も外国人で溢れていたが、驚いた会話を耳にした。 失礼な言い方をすると、こんなおじさん、おばさんが、 片言の英語を駆使して、注文を取り、会計まで済ませている。 必要最低限の単語なんだろうけれど、気後れすることなく、 堂々と「英語らしき単語」を並べ、会話している。(笑) 英語が上手い下手なんて関係なく、堂々と話している光景は、 以前、京都で感じた「露天商の若者でも英会話」と同じで、 しゃべれない、では済まされない状況こそ、上達の秘訣だな、 そんなことを感じて、妻に話しかけた。 「必要になれば、話すしかないみたいだね」
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2016年06月16日(木) ■ |
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座右の銘「努力は嘘をつかない」 |
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演題「町工場から航空機産業への挑戦」 講師「国内有数の航空機・宇宙機器部品メーカー 『鷏エステック』代表取締役・鈴木誠一氏」の講演会から。 昨年秋からのお付き合いで、会社を訪れるたびに、 熱い想いを語ってくれる彼は、根っからの話し好き。 書籍・ドラマ「下町ロケット」のリアル表現者と言ってもいい。 その彼から直接聴いた「エステックの挑戦」のメッージは、 これから始まる、成長産業へのワクワク感とともに、 こういう人たちを、こういう会社を支えていきたい、と 本気に感じさせてくれるものだったので、私の胸に響いた。 今回は、講演内容には触れないが、彼のプロフィールに書かれた 「座右の銘『努力は嘘をつかない』」が印象的である。 「努力すれば、努力した分だけ自分に返ってくる」という意味では 「努力は必ず報われる」「努力は人を裏切らない」と同意だろうが、 ちょっとだけ違う感覚が私には感じた。 その違和感を上手く表現出来ずに申し訳ないが、 この言葉を座右の銘にした意味を、今度会った時に訊いてみたい。 そしてまた、この言葉が似合う人が、大記録を打ち立てた。 「日米通算4257安打」のイチロー選手、その人である。 ただ、2人とも自分では「努力している」とは感じていないと思う。 目の前の課題をひとつずつクリアしていっただけです・・なんて、 カッコいいこと言うんだろうな、きっと。 それを我々の世界では「努力」って言うんですよ。(汗)
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2016年06月15日(水) ■ |
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君よ 拭け 僕の熱い涙を |
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映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)から。 田舎町の県立高校の部活・映画部が制作したタイトル 「君よ 拭け 僕の熱い涙を」。 いかにも高校生らしい作品名だが、 高校生活で部活にも夢中になれない女子たちの会話、 「あの映画部が作った作品、なんて言うんだっけ?」 みたいな問いに対して「俺の熱い何とかを拭け、AV?」、 そして大笑いするのだが、なぜかそのシーンが印象に残る。 中学・高校で部活にも入らず、一所懸命頑張っている生徒を 批判したり、舐めきった態度をしているシーンを見ると、 映画とはいえ、腹が立ってきた。 主人公であるはずの「桐島」君は、登場しないし(汗)、 内容的には、ちょっと理解に苦しむ場面が多かった。 しかし、作品終了後のエンドロールで、 出演者の名前が表示されるが、例えば 前田(映画部)・・・神木隆之介 沢島(吹奏楽部)・・大後寿々花 のように( )で部活名が書いてあって面白かった。 「部活」って、やっぱり「サークル」や「クラブ」とは違う、 なにか特別のものなんだよなぁ。
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2016年06月14日(火) ■ |
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グローバルにつながり、ローカルに生きる |
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平成28年度日大国際関係学部主催(上期市民公開講座) 共通テーマ「グローバル化時代を考える」 講師「八塚春名」氏(日大国際関係学部助教) 演題「グローバルにつながりローカルに生きる、 アフリカの先住民」から。 2003年、彼女のアフリカ初体験の話から始まり、 タンザニアの少数民族「ハッツァ」と過ごす生活で、 彼女なりに気付いた「アフリカのグローバル化」は、 「普段はTシャツなどを着ているのに、観光客が来ると、 ヒヒの毛皮に着替える」というしたたかさを感じたし、 それくらい「観光」というものに、執着していないことを知った。 アフリカにおける観光は、そのほとんどが 「サファリ」と称する「野生動物の鑑賞」であり、 土産物などで外貨を稼ぐ、いわゆる「観光地」にはなっていない。 「100%どっぷり観光につからない理由」はそこにあるようだ。 「観光に特化せず、期待しすぎず、でも小さな一攫千金を楽しみに、 観光と付き合う」そういった特性を、彼女は 「不確実性に対するすぐれたセンス」と呼んでいた。 「(世界が躍起になっている)観光業に対して、彼らの考え方や行動に 「期待が小さい、気乗り薄」を感じているのは、観光という産業に 「期待しない/できない」ということを彼らが知っているから」と 言い切った。 これって「グローバルにつながり、ローカルに生きる」 アフリカ独特の傾向なのかと考えてみたら、 観光を生業としている人がほとんどいない私たちの町も、 同じことが言えそうだ。(汗) 生活の軸は「ローカル」に置き、世界から訪れる観光客相手に、 「小さな一攫千金」のチャンスを楽しみにして過ごす。 う〜ん、アフリカの生き方、妙に共感してしまった。(汗)
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2016年06月13日(月) ■ |
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たった1本の動画に15000超えのアクセス |
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Facebookのタイムラインは、自分の日々の出来事を投稿し、 友達との近況報告で利用している人が多いはず。 当然、しばらく会っていない友達の近況もわかり、 何年も会っていなくても、けっこう詳しかったりする。 それはそれで、楽しいて使い方だなって、最近思う。 それと比べて、開設者がわからないFacebookページは、 自分のやりたいことを試す、いい機会だと言える。 好奇心旺盛の私は、複数のFacebookページを持ち、 その時々の気分で、投稿を続けているのだが、 最近、なんと「1本の動画に15000超えのアクセス」を記録。 これは、投稿した私自身が一番驚いている。 タイムラインでは「いいね」や「シェア」の数はわかるけれど、 何人がアクセス(リーチ)してくれたかは、わからないはず。 けれど、Facebookページは、詳細な分析が行なわれ、 数字好きの私は「いいね」の数より、アクセス数がわかる Facebookページの方が、性格にはあっている気がしていた。 どういう場合のアクセスが多いのか、例えば時間帯別、性別、 年代別、都道府県別など、どういうターゲット層に、 どんな情報を発信すればいいのか、とても参考になるからだ。 それでも今回は、嬉しいというより、怖い感じがした。 一気に「アクセス」が増え「いいね」が増え「シェア」が増え、 今まで経験したことのない増加率に、不安の方が先行した。 どこかで「炎上」してるではないか、変なこと書かなかったよな、 そんなことばかり気になって仕方がなかったのも事実だが、 「たった1本の動画に15000超えのアクセス」も事実。 これからも期待に応えられるような「投稿」を続けたいな。
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2016年06月12日(日) ■ |
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息の流れに、音が入っていく感じ |
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中学校時代の同級生だけ(恩師も含む)で編成している、 混声合唱団「風の会」の練習は、いつも和やかだ。 もうかれこれ「11年目」を迎えているが、 練習は月に1度、土曜日の夜7時半から8時半までの約1時間。 この練習だけで、町の芸術祭に参加しているのだから、 怖いもの知らず・・と言われても仕方がない。(笑) 楽しみは、練習後の喫茶店でのおしゃべり。 ただ、練習中は、けっこう真剣に曲に向き合って、 音づくりや、ハーモニーをを楽しんでいる。 合唱の指導者も、もちろん同級生だけど、 元音楽の先生だから、手を抜くことはなく、手厳しい。 またいろいろな例えで、スブの素人である私たちを混乱させる。 先日も、理解できない表現で、私たち男子グループを悩ませた。 それが「息の流れに、音が入っていく感じ」 このお洒落な表現がさらっと口から出てくることに驚いたが、 音楽関係者は、うん、わかる・・と頷くのだろうか。 それをメモする私も私だけど、ちょっとカッコいいなと嫉妬した。 今年の練習曲は「若者たち」と「糸」の2曲だけど、 何とか、形になってきた気がするのは、私だけかもなぁ。 「息の流れに、音が入っていく感じ」が、まったく判らないもの。
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2016年06月11日(土) ■ |
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何もないことを「遊び」という。 |
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懇親会の席で、林弘樹氏(映画監督)に教わった、 (以前から知りたかった)「遊び」の定義。 「本来『遊び』とは、何もないことを言うんです」。 だから、遊び方のルールやマナーを押し付けて、 「さぁ、遊んで来い」というのは、ちょっと違うらしい。 「紙の余白も同じ」という説明に、頷いた。 車のハンドルの遊びも、何も制御が働かない、 だから、安全に操作できるし、それが遊びだ。 私たちが子供の頃の「遊び」と言えば、 秘密基地を作ったり、朝早くから夜遅くまで外にいた。 もちろん「気をつけなさいよ」とは言われたけれど、 「あれをしちゃダメ」「これをしちゃダメ」とは、 言われた記憶はない。 「あの頃は、おおらかな時代だったから」ではなく、 当時の大人が「遊び」を理解していたのかもしれない。 今の私たち世代は、自分たちは勝手に遊んだのに、 自分の子どもや孫には遊ばせていない気がする。 「遊び」って、何もないから楽しいんだよなぁ。
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2016年06月10日(金) ■ |
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わからないということは、ダメではなく、努力の余地がある |
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映画「僕のうしろに道はできる 奇跡が奇跡でなくなる日に向かって」(岩崎靖子監督)から。 ドキュメンタリー映画なので、説明はしない。 ただ作品の中で、この考え方は私たちにも言えるな、と感じた 台詞を取り上げてみた。 脳幹出血で倒れ、植物状態に陥ったところから、 徐々に(本当に少しずつ)回復していく姿を撮影しながら、 監督は、何を伝えたかったのだろうか?と考えたら、 「わからないということは、ダメではなく、努力の余地がある」 という台詞に辿り着いた。 傍から見れば絶望的な病状でも、回復の可能性はゼロでなければ、 努力しよう、という気持ちになれる。 (今回の場合は、ほとんどゼロに近かったのだろうが・・) 私の座右の銘である「可能性は、試みる人だけのもの」と 相通じるものがあり、嬉しくなった。 努力が報われる、報われない・・は関係なく、 努力しようと思えるかどうか、それが一番大切であろう。
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2016年06月09日(木) ■ |
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親友のフランキーより。 |
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映画「Dearフランキー」(ショーナ・オーバック監督)から。 名作と言われるイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』を 彷彿とさせる内容に、胸が締め付けられた。 ただ違うところは、子どもの年齢にもよるだろうが、 親が最後まで、子どもを騙し続けるか、告白するか、の違いだろう。 どちらが正しい、どちらが間違っているということではないが、 子どもに対する、父親・母親の接し方の違いみたいなものを感じた。 「パパ、知ってた? また、引っ越しだ」の手紙で始まり、 「また会えるよね、次に寄港した時に。親友のフランキーより。」で エンディングを迎える手紙は、もしかしたら、小さいながらに、 暴力的な父親から自分を護ってくれている母親に対して、 彼女を傷つけないようにしていた彼の「思いやり」だったかも・・と、 勝手に想像を膨らませたら、よけいに胸が熱くなった。 難聴の子どもから届く手紙の文が「唯一聞ける『声』よ」と悲しむ母、 それに比べ、理想の父親役を演じてくれた男に対し、 (自分の声で)「戻ってくる?」と訊ねたシーンがとても印象的だった。 ラストシーン、母子が桟橋に腰を下ろして海を眺めている光景は、 桟橋が台形に映し出されたためか「富士山の形」をしていた。 そこに、ふたりのシルエットが・・、音楽と絶妙にあって美しい。 印象に残るシーンや音楽、台詞があると、忘れられない映画になるな。
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2016年06月08日(水) ■ |
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最近チンチン使ってますか? |
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(お待たせ、水曜日の「恋愛・エッチネタ」(汗)) 久しぶりに、インパクトのある「いたずらメール」が届いた。 これだけストレートの見出しに、私も削除するのを忘れ、 大切に保存して、メモしてしまったフレーズ。 手首が振動したな・・と感じて、Apple Watchを覗いてみれば、 「最近チンチン使ってますか? チンチン欲しい女たちです。」 という内容のメールが届いていた。 迷惑メールと言えば、聞いたこともないような女性の名前だったり、 多額の登録料を請求するようなものが多く、そのまま削除だけど、 こういったフレーズには、微妙に反応してしまう自分が怖い。(笑) だって、交際希望でもなければ、メルアド変更のお知らせでもなく、 タイトル(題名)が「最近チンチン使ってますか? 」。 思わず「お見込みのとおり」とか「暫時休憩しています」とか、 冗談で返信したくなってしまいたくなったくらい、私のツボど真ん中。 野球で言えば、変化球を意識してバッターボックスに立っていたら、 初球から、ゆっくりしたスピードで、ストレートのど真ん中がきた。 そんな感じ・・でわかってもらえるだろうか。 男性陣、何歳になっても、こんなメールが届いたら、 飲み会の話題に使うよねぇ、きっと。 女性にもストレートのいたずらメールって届くのかな?(汗)
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2016年06月07日(火) ■ |
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賞を獲るって、こんなに嬉しいんだ |
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「地方創生実践塾in静岡県三島市」での映画づくり、 参加者が6グループに分かれ、座学(講義)の後、 自分たちだけで「ロケハン」「脚本」「撮影」「編集」をし、 3分の映画作品に仕上げる体験をした。 そして最後にみんなの前で「上映会」を開催し、賞を決めるのだが、 私の属したチーム名「3年E組」(5人)は、なんとか 時間内に作品に仕上げたが、他のグループの作品と比べたら、 風の強い外での撮影が多く、思うように音声が入らなかったうえ、 決してきれいな画像とも言えず、半ば「賞」は諦め状態だった。 たぶん他のグループは、監督賞は自分たちだと思っていたに違いない。 しかし「林弘樹(映画監督)」さんは、私たちの映画「三島食堂」を 選んでくれた。(自分たちでは『グランプリ』だと思っている(笑)) 彼は「作品内で全てを語る必要はないんですよ」とコメントしたあと、 「1を表現して10を感じてもらうことの大切さ」を伝えてくれた。 (実は、舞い上がっていて、正確にはメモし忘れました。(汗)) しかし今回「気になる一言」に選んだのは、同じグループ(チーム)で 3日間一緒に行動した仲間「3年E組」が発した感想だった。 「賞を獲るって、こんなに嬉しいんだ」(私も同じことを感じたから) 最近、巷では「優劣」や「差」をつけることを極端に嫌うが、 やはり「比べられて、認められた」嬉しさと、 「頑張ったけれど認められなかった」悔しさを体験することは、 よし今度も・・いや今度こそ・・という行動につながるはずである。 アカデミー賞受賞などで大騒ぎして喜ぶシーンと重なり、 久しぶりに、ワクワク・ドキドキした瞬間を味わったなぁ。
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2016年06月06日(月) ■ |
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何をつくるか、より、誰とつくるか |
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58歳の誕生日を挟んで(6/3〜6/5)の3日間、 「地方創生実践塾in静岡県三島市」に参加していた。 「こんなセミナー他にはない?! 映画づくりでまちづくり人材の発掘と育成に成功した 実践例を学ぶセミナー!」と題するチラシを手にして、 映画づくりの仕組みを知りたかった個人的な興味と、 最近、羨ましいくらいの活気がある隣接市の三島市で、 住民の心に何が起こっているのか、知りたくて、 3日が6月議会の休会日と知って、すぐに申し込みをしていた。 しかし、研修が始まりしばらくして、 「今回は、映像の作り方を学ぶ塾ではないです」と言い、 「いかに、関わりをつくっていくか。 いかに関係性をつくっていくか」を学ぶ内容だと知った。 突然の発言に戸惑ったが、こうして3日間を振り返ると、 「映画をつくるのに必要なこと」を知らずに学んでいた。 「撮影、編集」などの技術を学ぶのではなく、 「何をつくるか、より、誰とつくるか」を大切にして 「このメンバー(チーム)だからこそできる」を意識する。 その心の動きのスイッチを「映画」という媒体で体験し、 「この仲間となら何か他のこともできるかも・・」という 熱い想いが「みしまびと」たちに宿ったんだなぁ、きっと。
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2016年06月05日(日) ■ |
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ルールを破った時、見えなかったものが見えてくる |
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映画「キッチン・ストーリー」(ベント・ハーメル監督)から。 「ノルウェー・スウェーデン合作」と耳にして、 以前から、気になっていた作品であったし、 さらに、先日読んだ書籍「住み心地はどうですか?」で、 この作品が紹介されていたので、ますます興味が広がった。 製品開発など多くの面で「行動心理学」が大きな役割を果たし、 そのデータ集積のため、台所に椅子を置き、黙々と記録を採る。 「独身男性の台所での行動パターン調査」中は、 対象者とは、会話をはじめ、コミュニケーション禁止がルール。 しかし、そこは人間同士のこと。 そんな空間を窮屈に感じた対象者が、調査者に話しかける。 「話をしなきゃ、互いに理解できないだろ」「わかってる」 そして「コーヒーでも飲め」と続く。 本当にゆっくりゆっくり、仲良くなっていく様子が表現され、 予告編で見つけたフレーズが頭に浮かんだ。 「ルールを破った時、見えなかったものが見えてくる」 逆にルールどおりに調査をしていたら、このふたりの関係は、 理解し合うことも出来なかったに違いない。 そういえば「ルールは、破るためにある」と豪語し、 楽しそうな人生を送っている高齢者を、私は知っている。 「人に迷惑をかけない」ならば、ルールは面倒くさいし・・。 ルールなんてクソ食らえだな、最近の私。(笑)
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2016年06月04日(土) ■ |
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「58歳」のテーマは「もうひと踏ん張り」 |
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インターネット上では、誕生日を「非表示」にしたため、 ネット以外でつながっている人からのメールが多く届いた日だった。 返信したメールは、覚えていてくれてありがとう、という感謝と、 毎年恒例のように、今年1年のテーマ発表。(笑) 昨年は「おかげさまで『57歳』になりました」として、 どんな場面でも感謝の気持ちを持って過ごすことに決めた。 今1年を振り返ると、まだまだ感謝が足りなかったなぁと思うけれど、 テーマを決めて、1年を過ごすと面白いことが起きることも実感した。 さて、では今年は・・・と考え始め、これだというものに辿り着いた。 定年まであと3年弱となり、ついつい、守りに入りがちだが、 「あと3年だから」というと、我が課のスタッフからは大ブーイング。 「手柄はあげるから、しっかり働いてもらわないと困りますよ」と、 「叱咤・叱咤・叱咤激励」が飛ぶ。(もちろん、家庭でも・・) そこで思案の末、彼らに返信したメールは、 「58歳のテーマは『もうひと踏ん張り』にしました(^_^)v。 この年齢になって、やっとやりたいことが見つかり、 少しずつですがカタチになってきたので、 あと一転がり頑張ってみようかな、と思っています。 56歳の時に決めた『あとはぼちぼち』は変わりませんが。(^^;;」 一気に成果を求めず「ぼちぼち」のペースを基本にしながら、 「もうひと踏ん張り」してみようかな、と思えた58歳。 やはり自分で動いて他人を喜ばせるのって、楽しいものなぁ。
P.S. 上映中の映画「64」(ロクヨン)は「昭和64年」の話だけど、 「6月4日」と考えるのは、この日に生まれた人だけの勘違いだね。
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2016年06月03日(金) ■ |
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ほらね、世界なんて、たった一晩で変わってしまうのよ。 |
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映画「映画 ビリギャル」(土井裕泰監督)から。 話題になっているのは知っていたけど、私の先入観で、 「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて、 慶應大学に現役合格した話」という紹介に、面白可笑しく、 やや誇張して、ドキュメンタリー風に仕上げたんだろうな、と 決めてかかったのがよくなかった。(汗) もっと早く観ておけば良かったなぁ、というのが感想である。 伊藤淳史さん演じる「坪田先生」のアドバイスも、 有村架純さん演じる、主人公「工藤さやか」のボケもメモをした。 どんな視点でも楽しめる作品なので、正直、1つに絞るのが難しい。 「全問不正解だけど、回答欄は全て埋めたよね」 「七夕の短冊と同じで、まずは願いを文字に書かないと」 「僕はダメな生徒なんていないと思うんです。 ダメな指導者がいるだけですよ」「ニュースが情報のどこを切り取るかで、 世論なんて、全然、変わってくるんだよ。新聞を鵜呑みにしないで、 いろいろな立場から考えないと、真実は見えてこないんだよ」 「可能性があるって知ってることって、すごく大事なの」 「傷つきたくないから、目標下げるの? 目標を下げた、どんどん低い方に流れていくよ」 「プレッシャーがあるってことは、受かる自信があるってことだ」 やはり、塾の先生らしいアドバイスが気に入った。 しかし、今回選んだのは、作品の冒頭、母親が小さい頃の主人公に (立体絵本をめくりながら・・)囁いた台詞。 「ほらね、世界なんて、たった一晩で変わってしまうのよ」 これが、この作品を貫いている考え方だなな、と感じたから。 別に、受験生だけでなく、私たち年代にだって言えること。 「可能性は試みる人だけのもの」ってことなんだろうな、きっと。
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2016年06月02日(木) ■ |
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あなたが名を売るのはいい。だが、他人を犠牲にするのはよせ |
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映画「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」 (スティーブン・スピルバーグ監督)から。 鑑賞後のメモから推察すると、あまりに台詞が少なく、 恐竜に追われ逃げ惑う、単なるパニック映画と変わらなかった。 前作が偉大すぎたからか、あまり感じるものがなく観終わった。 強いて上げるとすれば、映画冒頭の会話。 「二度と同じ過ちは起こさんよ」「これは新しい過ちだ」 前作で生命力の強さをこれでもか、と思い知らされたにもかかわらず、 またまた、欲に目がくらんで「同じ過ち」を繰り返すことになる。 本当に懲りない人たちだなぁ・・とつくづく呆れてしまった。 そう言えば、こんな台詞がメモに残っていた。 「あなたが名を売るのはいい。だが、他人を犠牲にするのはよせ」 私が「ジュラシック・パーク」のシリーズで感じたことを一言で言えば、 このワンフレーズで表現されてしまう。 個人が責任を取れる範囲の研究・開発ならいいが、 人間はなぜか、発見したことを試してみたくなる性格をもっている。 そして、その成果を世に認めて欲しくなるに違いない。 その過程で、多くの人たちが犠牲となっている事件を、 現実の生活でも実感するからこそ、このフレーズを残そうと思う。 映像は、CGを駆使してリアルになったにもかかわらず、 恐怖心はあまり感じなかったのは、主人公は殺されない・・という 単純な発想であった気がする。 銃で撃たれて死ぬのと、恐竜に喰われて死ぬのでは、違うのだから。
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2016年06月01日(水) ■ |
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「戀」とは、いとし、いとしと言う心 |
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先月、地元の本屋さんで開催された「朗読会」。 俳優の篠田三郎さんが、三島市在住の脚本家、 故・宮内婦貴子さんの作品を朗読してくれた話を取り上げた。 その冒頭、彼女を紹介するプロモーションビデオの中で、 彼女が書き続けた作品のテーマが4つだと知った。 「命」「戦争」「戀(恋)」「絆」 特に「戀」の説明では、見慣れない難しい漢字が登場し、 それが「恋」という漢字だと理解するのに、時間がかかった。 敢えて「戀」という古い漢字を使った理由が洒落ていた。 「戀」を分解すると「糸」という字で「言」を挟み下に「心」。 だから「いとし、いとしと言う心」が「戀」です、と。 これには、なるほど・・と頷くしかなかった。 現代の恋愛観と比較するわけではないが、 メールや携帯電話がなかった時代、手紙がその役割を果たした。 だから返事を待つ間、相手のことを考え、愛しいと感じる。 そんな想いが、この「戀」という字には込められているようだ。 今では「(好きな相手を愛しいと感じる、そんな想いを)、 心の中に溜め込むことがなくなった」と呟いたコメントが とても印象に残った。 現代人は、毎日の生活が忙しいのか、すぐに結果を求めたがり、 告白もメールでする、という話も耳にした。 出来ることなら、今からでも 「愛しい(いとしい)」「慕う」そんな感情を取り戻したいな。
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