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しもさんの「気になる一言」
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2016年03月31日(木)
観光とは、自然に優しく最高の平和産業である

ある方から、JTB会長の言葉だと聞いた台詞は、
「観光とは、自然に優しく最高の平和産業である」だった。
まさしく、そのとおりだと感じ、その場でメモをした。
「観光立国」を目指すという事は「日本は平和」ということ。
国自体が平和でなければ、観光客を招いておもてなし、なんて
発想は絶対に出てこないのだから。
以前、私は「耳かき」を集めていたが、理由は同じ。
憧れは「夏の夜、蚊取り線香の匂いを感じながら、縁側で
軒下に吊る下がった、風鈴の音を耳にし、大切な人の膝枕で、
耳かきをしてもらう」・・
(満月、浴衣、スイカなどが加わると、もっと平和っぽい)
(すみません、妄想癖があるので、お許しください。(汗))
それは、平和でなければ味わえないシーンだからだ。
世界の人々は、その国が平和だから、訪れてみようと思う。
今、海外から多くの外国人が日本を訪れるのは、
富士山をはじめとした、日本の自然や文化に興味があるだけでなく、
日本が、治安が良く、平和だからではないだろうか。
それが「観光」ってことなんじゃないかな?



2016年03月30日(水)
女の快楽は男の10倍大きい

映画「アデル、ブルーは熱い色」
(アブデラティフ・ケシシュ監督)から。
同性愛(特に「レズ」)を中心とした性的描写の多い中、
約3時間に及ぶ上映時間は、さすがに疲れた・・(汗)。
ただ男と女の違いを、いろいろな角度から気付かせてもらった。
作品の中でも、こんなフレーズが登場した。
「男と女では、本質的に喜びの性質が違う。
快感の質が違うだろ、オルガムスも」
「それで思い出すのが、ギリシャ神話のテイレシアス。
男から女になり男に戻った。
ある時、男女の快楽に違いはあるかと聞かれ、
テイレシアスは言った。女の快楽は男の10倍大きい」
やや笑い話で語られていたが、この作品を思い出すには、
このフレーズかな?とメモをした。
両性を経験したギリシャ神話にしか例えようがない、男の女の違い。
男が性転換して女になったとしても、本物の女性が味わう快楽は、
体験できないんだろうな、そんなことを思いながら観終わった。
ただ、この作品を通して、む監督は私たちに何を伝えたかったのか、
なかなか理解に苦しんだのも本音である。
全編を通して、食べる・飲むシーンが溢れているのは、人間にとって
「性欲」と「食欲」は同じくらい大切ってことなのかな。



2016年03月29日(火)
「ららぽーと」は意外でした・・

3月上旬、磐田の知人から「決して急用ではありませんが、
一度お会いしたいなぁと思って連絡しました」とメールが届いた。
定例議会などもあり、なかなか日程調整がうまくいかずにいたが、
やっと今晩、実現して、三島駅前の居酒屋で盃を交わした。
お互い、まちづくりについて熱く語り、あっという間の3時間、
そんな会話の中で、私が「磐田といえば・・」と前置きして、
イメージとして挙げるとすれば「ジュビロ磐田とか、ららぽーと磐田」、
そんなフレーズを口にしたら、ちょっと驚いた顔をした。
彼としては「しっぺいくん」とか「メロン」を始めとした、
市民に大人気の「ゆるきゃら」や「特産品」などを予想していたらしい。
静岡から以西、掛川・藤枝・島田・磐田の位置すら曖昧な私が、
「磐田と言えば?」の問いに答えただけだから、正しいとは言えないが、
それでも何度も「『ららぽーと』は意外でした・・」と感想を述べた。
これは大きなヒントであり「清水といえば・・」に続く単語は、
決して「柿田川」ではなく「サントムーン」だったりするだろう。
その市町のイメージをどう作り上げるか、それこそ戦略なのだから、
まずはその事実を現実として「受け止める」ことから始めたい。
地元に住む人にとっては、全国的に有名・・と思っても、
全国はおろか、静岡県民にだって知られていない、ことを前提に、
「清水といえば・・」の答えを探していきたい。
こうなったら「清水といえば・・」と「清水エスパルスでしょ」、
いやいや「清水の次郎長ですよ」でもかまわないかな?(汗)
静岡市と合併した「(旧)清水市」と間違われるのも良しとし、
「半分冗談、半分本気」として、もう一度考え直してみたい。
まずはまちづくりの原点に戻って「知ってもらう」ことから、
来年度は、忙しくなりそうな予感。(好きだけど・・)



2016年03月28日(月)
いつもの大河らしくないメモばっかりで・・

例年のような「大河ドラマ」と「ジャイアンツ」ネタが少ないですね、
そんなメールが届いたので、振り返ってみたら、御指摘のとおり。(汗)
ただ、どちらも関心がなくなったわけではなく、
大河ドラマ「真田丸」は欠かさず視聴しメモしているし、
野球も、ハイライトシーンながら、毎試合、結果を確認している。
ジャイアンツの「高橋由伸」監督は、原監督と同じく思い入れがあるから。
(この話をすると長くなるので、今回は大河ドラマネタで・・)
三谷幸喜さんのオチを狙った?脚本が、毎回私のアンテナが引っかかる。
第1回「船出」・・「浅間山が噴火でもしない限り、武田家は安泰です」
と言ったあとすぐ「2.14 48年振りに浅間山が噴火」する歴史をからめ、
第2回「決断」・・「このような大事なことをくじで決めてよいのか?」
の疑問に対して「兄上、大事なことだからくじで決めるのです」。
第3回「策略」・・「のるかそるかは、当家の家風である」と真面目に言い、
「世の中は何があるかわからん。打てる手は、打っておかなくてはならない」
といったあとに「囲碁のシーン」が続く。
第4回「挑戦」・・「織田は許してくれるでしょうか?」の不安そうな息子に
「俺が思うような男ならな」と、さらっと言い返す。
第5回「窮地」・・「父上の本心をお聞かせ下さい・・」と迫れば、
「では、本心を言おう・・まったくわからん・・教えてくれ」と答える。
人質を連れて敵城から逃げながら「抜け穴を探しましょう」と言えば、
「探して見つかるところに、抜け穴があるわけないでしょ」「あっ、あそこに」。
第6回「迷走」・・「大丈夫なんですか?」「わからん、まぁ、そう焦るな」
と言いつつ「敵を油断させるのも、立派な兵法」と自信たっぷりに諭す。
第7回「奪還」・・「お前がなぜ失敗するか、わかるか?」と前置きをして、
「勘だけに頼っているからだ。面白くなくては、人は動かん」。
第8回「調略」・・「これだけは言っておく」と言ったあと、
しばらく時間を置いて「わしのようにはなるな」。
第9回「駆引」・・「お前は、策とは何かを知らんようだな」と嗜めれば
「知りたくもありません」と軽く返す。
第10回「妙手」・・この回だけは、少し真面目に
「こたびも騙されるなら、わしの器がそれまでじゃ」と上杉の台詞。
第11回「祝言」・・好きな娘が妊娠したと父上に報告すれば、
「そんな顔して、やることはやっておるんだな」「はい」という会話。
そして昨晩の、第12回「人質」・・戦国時代の主に向かって
「近頃、ちと、お太り気味で」とか「爪を噛まない」など癖を指摘する妻。
だから「いつもの大河らしくないメモばっかりで・・」を残しておきたい。
年末まで、こんなメモばっかりだったら、どうしよう。(汗)



2016年03月27日(日)
香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ

映画「クロワッサンで朝食を」(イルマル・ラーグ監督)から。
原題は「Une Estonienne a Paris」
直訳は「エストニア人は、パリを持っています」
これが、どう翻訳したら「クロワッサンで朝食を」になるのか、
映画「ティファニーで朝食を」と比較してしまった自分が、
ちょっぴり可笑しかったが、観たくなる邦題だと感心した。
気難しい老女フリーダ役を、大女優・ジャンヌ・モローが演じ、
その存在感は、やはり他を圧倒していた。
何気ないシーンだが、香りに関することはなるほど・・だった。
物語前半、家政婦のアンヌがサンプルの香水を何種類か試し帰宅、
その彼女とすれ違いざまに、サラッと指摘する。
「香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ」。
さらに、ラストシーン。
愛人、ステファンが、フリーダを心配して軽く抱きしめたら、
かすかな残り香から、ステファンとアンヌの関係に気付き、
「アンヌと寝たわね。でもいいの、なぜ行かせたの?」と呟く。
この2つの香りのメモは、単なる金持ちの気難しい女性ではなく、
節々に、心優しい場面を発見し、嬉しくなった。
「本物のクロワッサンは、スーパーじゃなくパン屋で買うのよ。
美味しいクロワッサンと紅茶。朝目覚めるにはこの二つが必要なの」
この表現がフランスらしいなぁ、と思いながらメモを眺めた。
邦画「小さいおうち」でも感じた「家政婦」(女中)の役割って、
私が考えていた以上だなぁ、きっと。



2016年03月26日(土)
そうそう、この感じ、この感じ

半年ぶりに、外来種駆除のため「柿田川」に入った。
遠足の前日、嬉しくて寝られない子どものように、または
恋人に会うのを待ち焦がれているかのごとく、興奮していた。
午前9時集合なのに、早く目が覚めて落ち着かず、
結局、1時間前には到着して、公園内をゆっくり散策して過ごした。
スマホや時計を外し、胴長を履き、長い手袋をはめる頃には、
柿田川の水圧、水流、水温などが甦ってきて、待ち切れなくなった。
ただ、今日の作業は、川の中にはほとんど入らず、
土手沿いに繁茂している、ノハカタカラクサ(常盤露草)を駆除した。
終始、ウグイスの鳴き声を耳にしながら、サワガニの出現に喜ぶなど、
大満足だった今年最初の「外来種駆除作業」を終えた後、
作業した人にだけ与えられる、自由時間の撮影タイムを満喫した。
この時間のために準備した「防水カメラ」を胸ポケットから取り出し、
流れのある「柿田川」に入った時の感覚は、昨晩からワクワクしていた、
「柿田川」のイメージどおりで、つい口から出た台詞が
「そうそう、この感じ、この感じ」だった。
どうして、二度繰り返したのか、私にもわからないけれど、
「そう、この感じ」ではなく、「そうそう、この感じ、この感じ」。
来月からまた「第2・第4土曜日の午前中」は、楽しみが増えた。
(すみません、感覚的な「気になる一言」になってしまって・・(汗))



2016年03月25日(金)
外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる

昨年の大晦日から、なぜか突然のように始めてしまった
Facebookページ「柿田川evol.」での「575調」の紹介文も、
昨日であっという間に「100句」(俳句でも川柳でもないが)
その日の投稿する写真・動画を決めて「即興」で作るから、
あまり技巧に溺れることはないし、撮影場所や時間帯など、
撮影データを記録していた時よりも、とっても楽しい。
酔っぱライターの私が思いつきで書いた、駄作ばかりだが、
時々「これは秀作」と、自分でも満足のいくものができる。
その中の一つが、水中に目立ってきた「外来種」を撮影し、
「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」と記した作。
その一行で、どんな光景だったか思い出せる時もあるので、
しばらくは、このパターンを続けたいと思う。
日本人は、この「575調」が、なぜか好きだ。
小さい頃から「標語」と呼ばれる文字遊びに慣れ、
指を「5・7・5」と折りながら作るのが自然な動きである。
57歳を重ねた今でも「5・7・5」を数えながら作るのだから、
いかに、このパターンが条件反射になっているのかがわかる。
それも「字足らず」「字余り」にならないよう意識するから、
余計に変な句になるのだが、それもまた、ご愛嬌宜しく楽しい。
と言いつつ、明日半年ぶりに「外来種駆除」で柿田川に入る。
「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」を実践するぞ。



2016年03月24日(木)
ちょっとそこまで

夕方、仕事を終えて帰宅したら、玄関先で娘にあった。
自転車で、どこかへ行くところだったようで、
「ただいま」と声をかけたあと「今から、どこへ行くの?」と訊いた。
その答えが「ちょっとそこまで」(笑)
久しぶりに、このフレーズを耳にして新鮮だったので、メモをした。
ついつい仕事柄、相手に対して正確な答えを求めてしまいがちだが、
この「アナログ感覚」の「ちょっとそこまで」もいいな、と苦笑い。
急いでいたのか、説明するのが面倒くさいのか、それさえも分からないが、
その返事を耳にした父親の私は「こんな時間にどこへ行くんだ」ではなく
「そうか、気をつけて行ってこいよ」という台詞を口にしていた。
一連の流れの中で「どこへ行くの?」「ちょっとそこまで」「気をつけて」、
そんな短い会話だけど、くどくど説明を受けるより楽しかった。
「デジダル全盛」の時代だからこそ「アナログ」の言葉に惹かれる。
「儲かってる?」「う〜ん、ぼちぼちかな」
「どこいくの?」「ちょっとそこまで」
「出来ぐあいは?」「まあまあかな」
「いつ頃になりそう?」「もうちょっと」
「YES」「NO」を求めることが優先される仕事では使えないような、
曖昧な会話・単語も、家庭に戻ると、このゆるい感覚が妙に心地よい。
仕事と家庭の「ON」「OFF」の切り替えは、
服装だけでなく「会話」も大きな要素なんだな、と気がついた。
この会話のあと、しばらくして、娘が帰宅した。
「あぁ、本当に『ちょっとそこまで』の距離だったんだ」と感じた私は、
まだまだ「切り替え」ができていないな、と反省した。(汗)



2016年03月23日(水)
死因は「同性愛」、だから「死刑」

映画「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督)から。
「中国ではタブーとされる“同性愛”というテーマに挑んだ意欲作」
というフレーズが私のアンテナに引っ掛かり観たが、
結局は、心臓発作を起こした中国の植物学者の直接的な死因が、
2人の美しい女性たちの同性愛ということで、判決は死刑。(汗)
主人公2人の裸体と、アジアっぽい音楽と風景には満足したが、
この映画を通して、監督は何を訴えたかったのか、わからなかった。
まだまだ中国は、男女差別が横行している国なのか。
新婚での初夜、新郎が突然怒りだすシーンがある。
「なぜ処女じゃない、誰と寝たんだ」と暴力をふりながら。
父親の足を、毎日、娘たちがていねいに洗うシーンも出てくる。
映画とはいえ、馴染めないシーンの連続に、ちょっと戸惑った。
この映画を思い出すためのワンフレーズは、
「死因は『同性愛』、だから『死刑』」としてみた。
どうして中国では同性愛がタブーなのか、そんなことが気になった。
民主化が進む中国で、この考え方はこれからの課題となるに違いない。
じっくり見守っていきたい。



2016年03月22日(火)
フォースとは、人間誰もが待っている「潜在能力」

映画「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」
(リチャード・マーカンド監督)から。
スター・ウォーズのキーワードは「フォースの使い方」だと思うが、
そもそも「フォース」って言葉が、上手く説明できないでいる。
ヨーダの台詞にヒントがあるかな、とメモしてるのだが、
「わしは、もう黄昏時(たそがれどき)だ。
すぐに、夜が来る。それが人生だ。フォースの定めだ」
「忘れるな、ジェダイの力の根源は、フォースにある」
「だが、気をつけろ。怒りや恐れが、フォースの暗黒面にお前を誘う」
どれも感覚的な表現で、定義が難しい気がするのは、私だけだろうか。
以前「理力」とも訳された「神秘的な力」とか、
特別な人しか持っていない「超能力」と考えればいいのかもしれないが、
私は、人間、誰もが持っている「潜在能力」と考えてみた。
顕在能力は、水面上に見えている氷山の一角であり、
本来人間には、産まれた時からものすごい力が備わっている。(はず?)
その、水面下に隠れている「潜在能力」をちょっと使うことにより、
大きな成果が得られる、という話は、今までに何度も耳にした。
その「潜在能力」を、正義を行うことに利用すれば「ライトサイド、光明面」
悪に用いたものは「ダークサイド、暗黒面」と考えれば分かりやすい。
「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」という「性善説」、
「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」という「性悪説」も、
この「潜在能力」の使い方次第なのかな、と思ってみたり・・・。
「フォースとは、人間誰もが待っている『潜在能力』」であり、
特別な人が持っている「超能力」ではない、と思いたい。



2016年03月21日(月)
声優による読みきかせは、現代版の「落語」

今月、楽しみにしていたイベントのひとつに、アニメでお馴染みの
「人気声優が集合!絵本のサプリおはなし会」があった。
「いつもの絵本が、いつもの人形劇が、魔法にかかったように大変身!!」の
キャッチコピーに誘われて、地域交流センターに足を運んだ。
出演は、愛河里花子さん(「かいけつゾロリ」イシシ役など多数)
大谷育江さん(「ポケットモンスター」ピカチュウ役など多数)
かかずゆみさん(「ドラえもん」しずかちゃん役など多数)の3人。
子どもたちにとっては、大好きなアニメの声が、
なぜか近くから聴こえてきたとあって、会場内の盛り上がりは、最高潮。
そんな様子を会場の一番後ろから眺めていたら、あることに気付いた。
彼女らの読みきかせが始まると、子どもたちが静かに聴いている。
それも「アニメ」を観るように真剣に・・(汗)。
読みきかせは、あまり抑揚をつけずに、淡々と読む方がいい、なんて、
以前、読んだ本に書いてあったのを覚えていたので、彼女らが
一人で何役も声を変えて、紙芝居のように流れる「読みきかせ」に驚いたが、
こんなに夢中になって、子どもたちが聴いている姿を見ると、
これが、現代風の「読みきかせ」なんだな、と妙に腑に落ちた。
声だけで、観客を惹き付ける能力は「落語家」に匹敵するし、
母と子ども、可愛い動物などの題材が多い「絵本の読みきかせ」は、
1人で老若男女、何役もの声を使い分ける、女性の声優にはピッタリだった。
彼女らの技術は、新しいジャンルの「話芸」といっても過言ではない。
だからこそ「声優による読みきかせは、現代版の『落語』」という表現で、
今日の驚きと新鮮な発見を「気になる一言」に残したいと思う。
今日のイベントをきっかけに「声優」を目指す子どもがいたら、素敵だな。



2016年03月20日(日)
N.B.F定期演奏会は、大人バンド体験の機会

タイトルだけでは分からないので、ちょっと解説。(汗)
「N.B.F」とは「沼津プラス・フロンティア」の略。
学生時代に部活などで吹奏楽(ブラスバンド)の楽しさを知ったのに、
社会に出るとなかなか、吹奏楽を楽しむ機会がなくなる、
そんな人たちに、細く長く「楽器演奏」を続けて欲しいなぁ、
そんな想いが込められている「大人の吹奏楽部(部活)」って感じで、
プロではないけれど、これからも観客の前で演奏したい、
またみんなと一緒に、楽しく音楽を創っていきたい、
そんな感じの人には、貴重な「大人バンド」はないだろうか。
今日はその「N.B.F 第17回定期演奏会」だったので、妻と2人で、
彼ら、彼女らの元気をいただきに、沼津文化センターへ足を運んだ。
「どうしてこんな時期に定期演奏会?」と思うが、それには理由がある。
もちろん、社会人らの都合もあるだろうが、今年の3月に高校を卒業し、
これから大学、社会人となる若者に「大人の吹奏楽部」の中に混じって
演奏をしてもらい、音楽の素晴らしさ、みんなで演奏する楽しさを、
これからも忘れないで欲しい、という気持ちが伝わってきた。
大学受験や就職活動などで「部活」を卒業していた、高校生たちは、
ちょっと上(?)の先輩たちと演奏することが、とても嬉しそうだった。
(一緒に演奏していた先輩たちの方が緊張していた気がする。(笑))
吹奏楽に限らず、中学、高校で楽しさを知った、いろいろな活動を、
大学、社会人になっても、趣味として続けていける環境づくりって、
私たち、歳を重ねた大人たちの役割なのかもしれない。
そんな活動が楽しみで、静岡県東部を選んで住んでくれたら、
こんなに嬉しいことはないのだから・・・。



2016年03月19日(土)
「映画館」に「映画美術館」

静岡市立美術館で開催されている「スター・ウォーズ展」
(未来へつづく 創造のビジョン)へ、ぎりぎりになって足を運んだ。
「スター・ウォーズ」という映画から派生し、その作品にヒントを得て、
アーティストたちが想像力を膨らませて、どんな芸術作品に仕上げるのか、
また、実際に映画に使われたコスチュームや小道具たちが、
鑑賞に値する芸術品として、どのように展示されているのか、
私の興味は尽きなかった。
当然の結果、いつもより鑑賞時間が長くなってしまった。(汗)
こうした撮影現場の様子が伝わってくる小道具は、何気なく見過ごしているが、
実は、一つひとつが丁寧に作られていることに気付くだけでも、
また違った意味で、映画の見方がひとつ増えること、間違いない。
きっと、美術や歴史と肩を並べて、映画という分野の「学芸員」が誕生する、
そんな予感さえする、企画展だった。
映画館に付帯する「上映映画のグッズ販売所」ではなく、
「映画」という「文化」に使われている「芸術品」を展示する美術館、
それが「映画館」内にあれば、時間調整にはもってこいだな、と思う。
「東京ドーム」に「野球博物館」があるように、
「映画館」に「映画美術館」があれば、もっと楽しめるのになぁ。
「東京国立近代美術館・フィルムセンター」とは違う視点で・・。



2016年03月18日(金)
「信じられない・・」「だから、失敗するんじゃ」

映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」
(アービン・カーシュナー監督)から。
主人公、ルークは、惑星ダゴバにいるジェダイ・マスター、
ヨーダの元を訪れ、フォースの修行を積むシーン。
ここで徹底的に、今までの考え方、モノの見方ををぶち壊される。
まず、ヨーダがルークに訊ねる。「今まで何をしてきた?」
ルークは「(いろいろ説明した後)恐れません・・」ときっぱり応える。
それを受けて「恐れる、きっと」と、自信満々のルークを否定する。
さらに「冷静で、心安らかにいることだ」と諭す。
「フォースは、知識と防御のためにある。攻撃に使うな、それが定めだ」と
何度も何度も教え「あきらめるな。お前はすぐ弱音を吐く」
「何を学んだ? 固定概念は捨てろ」「やってみるのではなく、やるのだ」
と、ヨーダの教えは続く。
鉄の塊である飛行機を、沈没した池から浮き上がらせるシーン、
「ムリです、大きすぎる」と諦めるルークに「大きさではない」と一喝し、
「生命はエネルギーだ。肉の塊ではない」と説明する。
そしてヨーダ自ら、その機体を浮き上がらせてみせるのだが、
「信じられない・・」と呟くルークに「だから、失敗するんじゃ」と、
フォースの根底に流れている考え方を示した。
まずは、己を信じることができなければ、(できる、と信じなければ)、
できるものもできなくなってしまう・・そういうことだろう。
そのためには、誰にも負けないくらいの心の鍛錬が、必要なのだろう。
中途半端に修行したまま、飛び出していったルークに対して、
「向こうみずは、治らん。さて、困ったことになった」と嘆くヨーダ。
ここでもっと修行しておけば・・と、続編で思うことになる。(汗)



2016年03月17日(木)
旅に出ると、新幹線も飛行機も珍しくなりますね

わが町の中核農業者の人たちが、部会の視察研修に行く、というので、
農業の担当部署として、同行させていただいた。
早朝、6時45分の集合出発に遅刻してはまずい・・とばかり、
4時半くらいから目が冴えて、久しぶりに落ち着かない朝を迎えた。
さて今回の、気になる一言は、その視察先の話ではなく、
朝から夜まで、途切れる事なく、ずっと観光案内してくれた、
バスガイドさんの台詞。
落ち着いた声から発せられる、その情報量の多さと、
驚くばかりの記憶力に、ガイドという職業の素晴らしさを感じた。
移動中のバスの中では、ウトウトすることも多いが、
今回は、彼女の説明に耳を傾けた1日だった。
その中で、私が「なるほどなぁ」と思った視点は、
「旅に出ると、新幹線も飛行機も珍しくなりますね」だった。
バスの車中から眺める景色の中に、新幹線が通過したり、
飛行機が飛んでいるのを見つけるだけで、子供のように大騒ぎする。
「あっ、新幹線だ」とか「ほら、飛行機が飛んでる」と。
普段の生活でも常に見かけるし、さほど「珍しくない」はずの
「新幹線や飛行機」が、旅に出ると「珍しいもの」になってしまう。
その理由は、なぜかわからない。
だけど、妙に「ラッキー」な気分になれるのは確かだ・・。
誰か、その理由、教えてくれないかなぁ。



2016年03月16日(水)
花の香りがわからなければ、入ってはいけない。

映画「ダイアナ」(オリバー・ヒルシュビーゲル監督)から。
今までにも多くの人がさまざまな角度から、
ダイアナ元英皇太子妃を描き、作品にしているが、
意外と「愛」の部分は少ない気がしていたので、
今回の作品は、また違った「ダイアナ」を知った。
選んだのは、心臓外科医ハスナット・カーンの台詞。
「愛は、庭園だ。」と言い切り、その後こう続けた。
「花の香りがわからなければ、入ってはいけない」
13世紀のペルシャの詩人・ルーミーの言葉らしい。
またラストでもこの「ルーミーの詩」が登場し、
「善悪を越えた世界に庭園がある。そこで会おう」と
花束に添えられたメッセージが、印象的だ。
どんなに素晴らしく手入れされた庭園でも、
その香りを楽しむことが出来ければ、意味がない。
いや(愛の)香りを理解しない人が足を踏み入れると、
大変なことになってしまう、そんな例えなのかもしれない。
そしてまた「愛」とは「善悪を越えた世界」であり、
「好き・嫌い」と言った単純な感情ではないことを、
ルーミーは後世の私たちに伝えたかったのだろうか。
「愛とは、崇高なものだ」と理解したうえで、
のめり込んでいくもの・・う〜ん、なるほどなぁ。



2016年03月15日(火)
自分の運命を見つければ、川が運んでくれる

映画「ヤギと男と男と壁と」(グラント・ヘスロフ監督)から。
「信じられないほど、実話に近い物語」というフレーズで始まり、
真面目なのか、コメディなのか、分からなくなる。
最後は「今こそ世界は、ジェダイが必要」と言い切り、
スターウォーズばりの物語が展開されていく。(笑)
そんな中でメモした台詞に、光るフレーズが見つかった。
「最適軌道って知ってるか 人生の軌道だ。
人生は川に似ている。流れに逆らっても、岸には着かない。
若きガンジーの夢は、カーレーサーだった。
アンネフランクの夢は、高校教師。
2人とも夢破れだが、世界中の心を動かした。
自分の運命を見つければ、川が運んでくれる」
もちろん誰でも「自分の運命」(天命)を見つけるのに苦労する。
「自分の夢」イコール「自分の天職」とは限らないからこそ、
人生は面白いのかもしれない。
そんな仕事は、自分に向いていないと思っていても、
本当の意味で、天職ならば、神様が知らないうちに流れを作り、
人生の目的地まで運んでくれるに違いない。
その時、その流れを信じて載れるかどうか、が試される。
ガンジーも、アンネフランクも、素晴らしい決断をしたなぁ。



2016年03月14日(月)
心不全はパー、心筋梗塞はグー

最近、心臓の病気で入院したり、亡くなる人が多い気がする。
私たちは、突然襲ってくる痛みに対して、何も出来ないね、
そんな話から、以前、同級生が教えてくれた話を思い出した。
「心不全と心筋梗塞」は、どちらも心臓の病であるが
その痛み方が違うらしく、その様子は動作に現れるらしい。
それは、痛くなったときに心臓を押さえる手の動きで
「心不全はパー、心筋梗塞はグー」。
(すみません、記憶が曖昧で、逆かもしれません・・(汗))
締め付けられるような苦しさは、心臓をパーで押さえ、
チクチク痛む苦しさは、心臓をグーで押さえるという。
その場に居合わせたことがないから、定かではないが、
言われてみれば、心臓だけでなく、体のどこでも同じ。
痛み方によって、押さえ方、耐え方が違う気がしている。
意識的に行う動作ではないからこそ、瞬時に反応する
手の動きで、その痛さが推測できるようだ。
もう少し、いろいろ人に興味をもって接し、
病気独特の人間の動き、観察してみなければなぁ。



2016年03月13日(日)
「最高級」と決めたら、全て「最高級」仕様。

何度も紹介している「ブランドづくり」の講演会。
講師「岩崎邦彦」氏(静岡県立大学経営情報学部教授)から。
次のテーマは「統一性、一貫性」。
簡単に言うと「こだわりを目に見えるようにする」ということ。
「スターバックス」を例に挙げて、パッケージ・ホームページ
・シンボルマーク・ロゴ・シンボルカラー・キャラクターまで、
ブランド要素が、ハーモニーを奏でる、そんな戦略のようだ。
要は「お客さんがイメージを作りやすいように」すること。
商品開発も、これがダメだから、次の商品を作ろう、ではダメ。
イメージを引き立たせるから、この商品を作ろう、が正解だという。
「最高級」と決めたら、全て「最高級」仕様にするこだわり、
そしてその例えとして、わかりやすく、こう説明してくれた。
ルイヴィトンには「ヴィトンちゃん」というキャラクターはいない、
アップルにも「りんごちゃん」はいない、と。
戦略イメージさえできれば、少しくらい失敗しても評価され、
逆に、その戦略イメージができないと、うまくいっても評価されない。
だからこそ、私が今やらなければいけないのは、
そのまちの「イメージ戦略」だと再認識させられた。
それはまた視点を変えると、私たち人間にも同じことが言える。
他人に対して、自分のイメージ(人柄)をどう作り上げていくか、
本当は、一番最初にこれをしなければならないことだし、
これさえ出来てしまえば、あとはそのイメージに沿って、
やりたいことを行動に移すだけだから、とても楽に生きられる。
そういえば、私の周りで輝いている人は、
みんな「人柄」(イメージ)というものが出来ているものなぁ。



2016年03月12日(土)
遠い昔、はるかかなたの銀河系で・・・

映画「スター・ウォーズ」(ジョージ・ルーカス監督)から。
21世紀の今、あらためて鑑直すと、突っ込みどころ満載だけど、
この作品が日本に劇場公開された、1978年6月30日の頃の記憶が甦るほど、
当時、大学生だった私に、強烈なインパクトを与えたのは間違いない。
あの頃には、こんな宇宙観を持ち、善と悪の壮大な戦い・・などと考えず、
単なる、CGを駆使した娯楽映画として、楽しんだ気がする。
特に、宇宙を舞台にした戦争シーンには、手に汗握るスピード感とともに、
もしかしたら、こんな世界があるかもしれない、というワクワク感を楽しんだ。
高校時代の部活が「物理部・天文班」だった私にとって、
宇宙の大きさ、不思議さは、毎日のように考えていたことだったので、
よけいに興味津々だったのかもしれない。
ところが、この大人気シリーズの第一弾から、気になる一言を探すとなると、
意外と難しいことがわかった。
まず、台詞が少ない、その上、どうしても画面に見入ってしまって、
台詞・フレーズをメモするのを忘れてしまうことに気付いたからだ。
そこで、このシリーズの共通のフレーズを、残しておきたい。
プロローグとして、文字が宇宙戦艦のように流れるお馴染みのシーン、
必ず、最初のフレーズは、同じであった。
「遠い昔、はるかかなたの銀河系で・・・」
いろいろな角度から多くの人に語られる「スター・ウォーズ」であるが、
見落としてはいけないのは、映像技術がどんなに進化しようと、
作品を貫いている、共通のキーワードである気がする。
この「遠い昔、はるかかなたの銀河系で・・・」で始まる映画として、
私の記憶に留めておきたい。



2016年03月11日(金)
復興の喜びをお召し上がりながら感じていただければ幸いです

今日は日本中が「3.11」(東日本大震災)の話題で溢れているので、
へそ曲がりの私は、マイペースで違う話題を・・と考えていたが、
PCに届いていたメールで、その考えは彼らに失礼だったなと反省した。
私を喜ばせたメールのタイトルは
「【三陸牡蠣復興支援プロジェクト】『復興かき』お届けのご案内」
5年前の当時、何か自分にできることはないか、と考えた末、
何度も何度も繰り返した募金とは別に、ネットで調べた中から
壊滅的な被害だった「三陸牡蠣」を応援しようと決めた。
いつになるかわかりませんが、復興の目処がたったら、
必ずお届けします・・というメッセージだけを信じ、
一口オーナーとして資金援助をした。
そして5年の月日が流れ、今日、PCに届いたメールは、
「今日明日どうやって生きるのかすら見えなかった5年前。
そんな時にオーナーの皆様からいただいたご支援や沢山の応援の
メッセージが、起ちあがる希望やきっかけになりました。
改めて、復興かきオーナーの皆様に心より御礼申し上げます。
(中略)いろいろな課題がいまだ多く残ってはおりますが
「震災前よりも遙かに素晴らしい三陸」になることをを目指して
震災に負けずに起ちあがった三陸の漁業者達を
どうぞ今後も見守っていただければと、強く願っております」に
続けて、最後にこう結んであった。
「復興の喜びをお召し上がりながら感じていただければ幸いです」
支援したはずの彼らから、とても力強いメッセージをいただいた。
5年の歳月は彼らにとって、本当に必死だった日々に違いない。
たしかあの日も寒かったな、と今日の冷たい空気を感じながら、
また違った形で支援をしなくては・・と心に刻んだ。



2016年03月10日(木)
ゆうすいくんが伝えるイメージは「A.T.G」

「ゆるキャラ」で一躍有名になった「くまモン」の紹介文を読んで、
ハッとさせられたのが「PRキャラクター」という単語。
「ゆるキャラグランプリ」なるものに振り回されて、
肝心の、町をPRする使命を忘れていないか、と反省させられた。
当初は、知名度を上げるために、多くのイベントに顔を出し、
小さい子から高齢者まで、多くの人に覚えてもらうことが大事だった。
しかし、大切なのは、これから・・だと思う。
「ゆうすいくん」が有名になることが、本来の目的ではなく、
「静岡県清水町のイメージを伝えること」が目的でなければいけない。
だから敢えて「ゆうすいくんは『イメージキャラクター』」
ということを、残しておきたい。
今まで私が勘違いしていたと感じるのは、彼に「柿田川」に代表される、
わが町の名所旧跡を案内させたり、イベントの集客用に利用したり、
その、利用、活用の仕方だったと思う。
「ゆうすいくんは、イメージキャラクター」という位置づけを再認識し、
「清水町は明るい町」「清水町は楽しい町」「清水町は元気な町」
そんな人間の感性に訴えることに力を注ぎたい。
町をPRするって、そんなことではないだろうか、と思うからだ。
ゆうすいくんは、町のイメージを伝えるのが役割だから、
「ゆるキャラ」とは、ちょっと違うことに気がついた。
町の目指す「イメージ戦略」があり、そのために何をするか、
そう考えれば、自ずから答えは見えてくる気がする。
そんな単純なことだけど、気がついてよかった・・(汗)
ゆうすいくんは「(A)明るく、(T)楽しく、(G)元気よく」を伝える、
大事な「イメージキャラクター」。
ゆうすいくんが伝えるイメージは「A.T.G」と覚えておこうっと。

P.S.
「A.T.G」・・どこかで耳にした団体だなぁ・・



2016年03月09日(水)
どうして、人と人は愛しあうか、知ってる?

映画「アルゼンチンババア」(長尾直樹監督)から。
鈴木京香さん扮する「アルゼンチンババア」の
インパクト強すぎて、役所広司さんや堀北真希さんが
霞んでしまうほどだった。強烈なオーラを放ったまま、
最後は、自分の子どもと引き換えに死んでいく。
そんな「アルゼンチンババア」(みつこさん)を、
セーラ服姿の堀北さんが懐かしく思い出すシーン。
「今でも思い出す、ゆりさんの言葉があります。
ねぇ、みつこ。どうして、人と人は愛しあうか、知ってる?」
(自分の歴史を残したいから?)
「それもあるけど、時間よ、どうか流れないでって。
この瞬間が、いつまでもいつまでも、
ずっと続いていて欲しいって。
永遠に続いて欲しいって、そう願うからなの」
今までもラブストーリーは数多く観てきたけれど、
この定義に、グッときてしまったから、気になる一言。
じっくり考えると「?」と思ってしまう定義でも、
こんな「詩」的に表現されてしまうと、参るよなぁ。



2016年03月08日(火)
ごめんなさい、その日は○○で参加できません

Facebookの友達が増えてくると、イベントへの招待が届くことがある。
へぇ、こんなイベントがあるんだ・・と驚くこともしばしばで、
好奇心旺盛の私は、こんな招待状が届くと嬉しくなる。
ただ、それに対する返事は「興味あり」「参加予定」「参加しない」。
これって、なかなか難しい選択ではないだろうか。
私は、参加できそうな時だけ「興味あり」「参加予定」を押すけれど、
堂々と「参加しない」を押している人がいたり、
「ごめんなさい、その日は○○で参加できません」とコメントを残す人も。
誘ってくれた人に悪いから・・って気持ちなんだろうけれど、
私は、参加できなければ書かなければいいのに・・と思う。
誘った人の気持ちを考えれば「参加できない」「参加しない」の文字は、
あまり目にしたくない。(はず)
だから、そんな時は、黙って見過ごすのが、思いやりではないだろうか。
「無視していると思われたくない」なんて気持ちがあるのかもしれないが、
それは、自分中心のリアクション。
私が、招待する場合「こんなイベントがあるよ、時間があったら参加して」、
「こんなページがあるけど、興味があったら『いいね』押してね」という
情報提供くらいの「招待」のつもり。
どうしても、参加して欲しい人には、直接メッセージを送り、
強制するから・・私の場合。(今まで一度もないけど・・(笑))
そんな訳で「参加できません」は、書き込まなくてもいいんじゃないかな。



2016年03月07日(月)
(サルサで)大事なのは「エル・コラソン」

映画「カムバック!」(ジェームズ・グリフィス監督)から。
「サルサ」をテーマにした作品だが、同じ「サルサ」でも
「音楽」と「ダンス」ではだいぶ違うし、ダンスのサルサは、
私のイメージでは、男女が、感情(心)を体全体で表現し、
その欲望を異性にぶつけあう感じがしている。(汗)
だからこそ、スクールで習っているなんて自慢げに言えない、
そんな感覚が、この作品の前提にあるのではないだろうか。
メモして気になったのは「コラソン」という単語。
たしか、日本の「コモエスタ赤坂」という歌にも出てきたな、と
調べてみたら「コラソン」は「心」の意味であり、
スペイン語でも、ポルトガル語でも、同じような使い方だった。
だから「大事なのは『エル・コラソン』(心)」という台詞の前に、
「(サルサ)の踊りは足じゃない、心だ」というフレーズがあったのか。
日本で言えば「演歌の心」みたいなものかな?と観終わった。
作品を思い出すには、間違いなくこの台詞なのだが、
実は、意味はわからないが、インパクトだけなら・・というメモも多い。
「ボウリングは、タマと穴。大人なら反応しないで・・」
「お返ししなくちゃ・・」「是非、返して」
「蝶とゴボウの物語」
「イランのことわざ『やりたければやれ、やりたくなきゃやるな』」
「君にセックスを正式に申し込みたい」
「近親相姦とサルサは、まるで別物よ」
「サンギゴイ・・ウンチがついた丸い石よ」 
何故こんな台詞をメモしたんだろう?と思うが、私にもわからない。
ただ、読者には説明がしにくいものばかり。う〜ん・・(汗)



2016年03月06日(日)
元気で鍬を握れる幸せ

地元「JAなんすん」の「女性部文化祭」に来賓として足を運んだ。
年に一度、この時期に開催される文化祭?と思ったが、
確かに、農家のおかみさんらは、これから忙しくなるし、
この時期の文化祭が、妙に輝いて感じたのは私だけだろうか。
驚いたのは「サークル活動の発表ですよ」と言いながらも、
その展示作品のレベルの高さ。
編み物・手芸・染色・つるし雛・ちりめん・書道など、
どれが先生の作品で、どれが生徒の作品かわからないほど、
農家のおかみさん、お嫁さんって、すごい才能の持ち主ばかり。
そんな中、このイベントを忘れないためにメモしたのは、
ある絵手紙に書かれていた、メッセージ。
「元気で鍬を握れる幸せ」
1枚の葉書に描かれた、農家の様子がわかる絵と文字は、
今年も、こうして鍬(くわ)を握り、畑を耕せるなんて、
ありがたいことです・・そんなメッセージが伝わり、
私の心を惹き付けて離さなかった。
他にも「豊作祈願」なんて書かれた絵手紙をみつけ、
農家の人らしい作品だな、と思わず笑みがこぼれた。
惜しいのは、お披露目の機会が少ないということ。
もっともっと、多くの人たちに見てもらいたいな、と
「生涯学習」が大好きな私は、つい思ってしまう。
そうだ、こんな技術をもつ農協女性部の人たちとコラボして、
ゆうすいくんの衣装でも、作ってもらおうかな。(笑)



2016年03月05日(土)
高校生とは、とことん付き合うつもりで・・

わが町、この時期の歳時記となっている「生涯学習フェスタ2016」、
お目当ては、地元「沼津商業高校吹奏楽部」の約40分ほどのステージ。
いつもながら彼らの演奏から溢れ出すエネルギーを体いっぱいに浴びて、
3月議会中のモヤモヤ感を吹っ飛ばしていただいた。
しかし、気になることがなかったわけではない。
観客の少なさ、ステージの狭さ、照明、音響など、
沼津市の文化センター大ホールを満員にするほどの実力をもつ、
彼らの演奏に対して、もう少し配慮をしてあげたかったな、が、
私の素直な感想である。
最近、新聞紙上では、地元の高校生とコラボして、
商品開発をしたり、イベントをしたり、という記事が目立つ。
いかにも、若い人たちの意見を取り入れて、まちづくりをしています、
そんな主催者の思惑が見え隠れして、私はとても気になっている。
私たち、大人が常に意識しなければならないのは、
協力をしてくれた高校生に対して、とことん応援すること。
イベントであれば、満員の来場者で埋めることであるし、
計画策定などのワークショップであれば、たとえ拙い意見でも、
アイデアを実現させるなり、最後まで任せてみる等のフォローが欲しい。
高校生の若い力を借りました・・、はい、ありがどう・・ではなく、
彼らの努力を認め、力が発揮しやすいような場の提供こそ、
高校生と一緒にまちづくりをする醍醐味ではなかろうか。
今日は、自分への反省と戒めを込めて、このフレーズを残したい。
「高校生とは、とことん付き合うつもりで・・」
高校生を頼るばかりではなく、頼られる関係になりたいな。



2016年03月04日(金)
あの、朴念仁

テレビドラマ「図書館戦争 BOOK OF MEMORIES」から。
この作品が、映画「図書館戦争 THE LAST MISSION」
の公開を記念し放映されたドラマ特別企画だとは知らずに鑑賞した。
榮倉奈々さんが演ずる、主人公・笠原郁は、岡田准一さん演ずる
白馬に乗った王子様的存在の、図書特殊部隊教官に憧れ、入隊。
普段は、尊敬しているにもかかわらず、自分の恋心が伝わらず、
部下としてしか見てくれない彼に、独り言のように呟く台詞がある。
それが「あの、朴念仁」。
若い女性が、この言葉を使うところが、何か意味ありげだった。
「朴念仁」とは、
「頭が固く物分りが悪い人。または無口で無愛想な人のこと。
また、がんこで物の道理のわからない人。わからずや。」の意。
しかし、語源や由来は分かっていない。
ただ、「朴念仁」の「朴」は、飾り気がないこと、
「念」は心にかける、「仁」はおもいやり、という意味なので、
「おもいやりの心が足りない」人のことをさすようだ。
女性の恋心に気付かない男性に対して、使われることが多いようだから、
「鈍感・優柔不断」と同意語なのかも知れない。
ネットでは「朝鮮人の名前ですか?」という質問があり、笑えた。
静岡県東部に住む私にとっては、伊豆市・修善寺にある蕎麦屋さん
「朴念仁」の方が、先に浮かんでしまう。
今度、店主に「店名の由来」、訊いてみようかな。



2016年03月03日(木)
「森の中の街」と「街の中の森」

高級ブランドや国内外の有名ブラントが勢揃い、といった
日本を代表するアウトレットと言えば、
「御殿場プレミアム・アウトレット」は「森の中の街」をコンセプトに、
北米の歴史ある街並みをイメージしているらしい。
富士山が大きく目の前に広がる景色は「森の中の街」に相応しく、
緑溢れる森の中に、ぽっかりと近代的な街並みが出現した。
「森の中の街」は、そんな感覚がピッタリとしたフレーズでメモをした。
それとまるっきり反対なのが「柿田川」。
川のギリギリまで住宅がびっしりと埋まり、上空から撮影した映像を観ると、
「街の中に森が出現した」、そんな感覚に陥る。
「砂漠の中のオアシス」とも言える「柿田川の存在感」は、
観るものを圧倒する「絶景」ではないかも知れないが、
確実に「癒しの空間」を訪れる人たちに提供する場となっている。
車で何時間も山の中に入っていかなくても、国道1号の真下から、
さらには、大型ショッピングセンターから数分の距離に、
「森」があるということ、これは誰にも自慢できること。
だからこそ「街の中の森」というフレーズが気に入った。
そういう意味では「柿田川公園」は「街の中の森林公園」ってことだな。
これも、キャッチコピーに使ってみようっと。



2016年03月02日(水)
(女は)体温調整ができない

映画「たった一人のあなたのために」
(リチャード・ロンクレイン監督)から。
ストーリーとか、人間関係など何も考えずに選ぶとしたら、
私は間違いなく、この台詞・この発想である。
「女について知るべきことは1つだけだ」「何なの?」
「体温調整ができない、アソコの問題だ、生殖機能だよ。
暑すぎるか、寒すぎるかのどちらかしかない。大抵は下がる。
だから男は、常に何か羽織るものを持ち歩くんだよ。
車の中に置いておくのさ、職場のロッカーでもいい。
いざと言うときのためにね。以上だ」
「他は?」「それだけ分かっていれば、女は攻略できる」
この発想は、女性に対して失礼な気もするが、妙に説得力がある。
事実、若い男の子にアドバイスしたあとに、実践してみせるシーン。
「寒そうだな、私のセーターを着るといい」
幸せそうな女性の顔が、この発想を裏付けていることは確かだ。
これだけ・・ってこともないが、この考え方を念頭に行動することは
男にとって必要なことではないだろうか。
それが、女性を守るという、レディファーストへと繋がるはずだから。



2016年03月01日(火)
なんとなく 楽しそうだね

「まちづくり」にとって、イメージ戦略が大切なことは、
多くの方の著書や講演会などから、知識としては認識していた。
しかし、どうやってその「イメージ」を作り上げていくのか、
その手法は、(恥ずかしい話だけど)手探り状態だったのも事実。
情報発信が苦手とされる行政は、どうしてもこの分野を民間に頼る、
それが一番、ケガがなく、成果が得られるものと信じて・・。
実は、私も今までそう思っていた。(汗)
だが最近、手軽に「動画撮影、動画編集」が出来るようになって、
私も退職後の楽しみに・・と思っていた「ショート・ムービー製作」を
ちょっと前倒しして勉強し始めたら、簡単にハマってしまった。(笑)
テーマにあった題材を集め、脚本を考え、キャッチコピーをひねり出す、
こんな作業が、今のパソコンでは、あっという間に出来上がる。
自治体公式の「シティプロモーション」ではないけれど、
「プライベート・シティプロモーション」と題して、あくまで個人的に
「住んでいる町・働いている町」をPRしてみよう、と思い立ち、
「楽しい町」を目指して「楽しいです。清水町」というフレーズを使い、
何本か製作してみたが、ちょっと私の感性とずれていることを感じた。
もちろん、自分の実感としては「楽しい町」なのであるが、
私自身「わが町はこんな町だ!!」と言い切ることが苦手なようで、
「なぜか」とか「なんとなく」、という表現の方が好き。
言い換えれば「なんとなく 楽しそうだね 清水町」の方が、
私の感性にピッタリだし、しっくり馴染む気がする。
しばらくは謙虚に、これを、キャッチコピーにしようかな。