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しもさんの「気になる一言」
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2015年12月31日(木)
柿田川に愛されたくて、撮影しているのかもしれない。

年末恒例のメモ整理をしていたら、引っかかったフレーズ。
2015年(平成27年)を振り返ると、まさにこの表現が
ピッタリだと感じて、年末の「気になる一言」とした。
実は、このフレーズ、ランニングのマガジンで見つけた、
ホノルルマラソン参加者募集のキャッチコピー、
「ホノルルに愛されたくて、走っているのかもしれない。」を、
私流に変えてみたのだが・・。
1年、ほぼ毎日、撮り続けた「柿田川・柿田川公園」は、
確かに、私にいろいろな表情を見せてくれたし、癒してくれた。
大型台風で大雨や強風が過ぎたあとには、被害状況が
気になって気になって、長靴に履き替えて様子を観に行った。
しかし、撮影に夢中になり溺れて死にそうにもなったのも今年だ。
そこまでいかなくても、全身ずぶ濡れ状態は、何度もある。
それなのに、休日の朝、柿田川公園をボランティアで清掃したり、
定点カメラのように、変化がなくても同じ場所から撮り続けたり、
自分でも、なぜそこまで夢中になれるのか、わからずにいたが、
今回のフレーズて、なんとなくわかった気がする。
「柿田川に愛されたくて、撮影しているのかもしれない。」
来年も、まだ私の知らない「柿田川」の魅力に惹かれ続け、
愛されたくて、撮影を続けるんだろうなぁ。

P.S. 私の中では恒例になっている
「大晦日の夕陽に向かって手を合わせ、今年他界した人を偲ぶ」
今年は7人。職場の先輩や後輩など、身近な人が亡くなった。
あらためて「ありがとうございました」そして「お疲れ様でした」



2015年12月30日(水)
「『柿田川公園』最新情報お届け隊」編集会議

今年(10月10日)からスタートしたFacebookページ。
「『柿田川公園』最新情報お届け隊」
せっかく町外・県外から「柿田川公園」に訪れてくれるのだから
「柿田川公園の今」(最新情報)をライブ感覚で提供して、
季節の見どころなどをアドバイスしたい、
そんな想いで立ち上げたページである。
ただ、私が毎日、通勤する時間帯に撮影する情報だけでは、
季節感や面白さが伝わらないな、と悩んでいたところ、
朝、柿田川公園内で時々見かける女性が、
私と同じように写真を撮り、ネットにアップしているのを知った。
加えて、公園内でカフェを営業している女性にも声を掛け、
3人体制で「最新情報お届け隊」が結成されたのは、
つい最近の出来事である。
アーカイブ(記録保存)的な写真の説明だった私と比べ、
彼女たちの視点と、それに添えられる言葉や絵文字は、
温かくそして優しく、柿田川公園の魅力を存分に伝えてくれる。
そして、今晩「編集会議」と称する、忘年会を開催。
「こういう場合、どうしようか?」「こうしたらどうですか」
なんて会話をしながらも、結局は、大好きな映画や犬の話に。(汗)
Facebookページの地域情報を、複数の人で管理して楽しむ。
こういう使い方、けっこう面白いな。



2015年12月29日(火)
平日なのに宿が取りにくくなっている

全国に散らばっている同級生の住む地を、
仕事とか旅行で訪れ、再会を楽しみにしているが、
最近、全国でおかしなことになっている・・と、
先日飲んだ席で話題になったことを、
今晩の忘年会で思い出したので、忘れないうちに書いておく。
今までなら、平日の連泊なら簡単に予約できたホテルが、
なかなか思うように取れないらしい。
さらに、利用料金も値上がりし、仕事として
ビジネスホテルを利用している人たちからは、
ほとんど悲鳴にちかい声が聞こえてくる。
だから一言は「平日なのに宿が取りにくくなっている」。
観光立国を目指し、インバウンドの観光客を増やそうと
日本全国で「観光」の二文字が溢れているが、
まずは、日本での産業を支えている人たちを大切にし、
そのあとに、観光客対応ではないか、とも思う。
以前、妻と出かけた「金沢」でも、タクシーの運転手が
同じことを言っていたので、全国的な潮流なのだろう。
これから、2020年の東京オリンピックに向けて、
外国からの観光客が増えると予想する中、どうやって
この宿泊施設の不足を補うのだろうか。
「民泊」もいいけれど、なかなかなぁ・・(汗)



2015年12月28日(月)
非常時には、非常手段です。

映画「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」
(クリストファー・マッカリー監督)から。
メモする時間が惜しいくらい、場面がどんどん入れ替わり、
そのスピード感は「さすが、トム・クルーズ」と叫びたくなる。
さて今回、気になる一言に選んだのは、
「非常時には、非常手段です」というフレーズ。
非常時に、いくら正義感を振りかざしたところで、
その危機を乗り越えなければ、意味をもたないから。
9.11の同時多発テロ、3.11の東日本大震災など、
思いもよらない、非常時に陥った時、生き残るためにどうするか、
普段では考えられないような手段を用いることも、必要だ。
そのオンパレードのような、M.I.Pのシリーズは、
手に汗握るシーンの連続で、メモは少ないけれど、
その非常時を、どんな手段で切り抜けるのか、とても楽しみ。
私たちの考えつくような手段ではないからこそ、
007をはじめとした、スパイ(諜報部員)の持ち物が気にかかる。
彼らにとっては、最初から非常時を想定して訓練をしているから、
非常手段ではないのかもなぁ。(笑)



2015年12月27日(日)
結果がでるのは、おいらが死んだあとなんや

映画「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」
(矢口史靖監督)から。
時代のスピードが速い分、誰もがすぐに結果を求める傾向にあるが、
この映画は、そんな考えを蹴飛ばしてくれる作品、と言える。
林業の素晴らしさ、いや林業に携わっている人たちの考え方が、
観ている私たちに、多くのことを気付かせてくれた。
自分たちが伐採してきた木を、わが子のように眺め、こう自慢する。
「よそのに比べて、うちのは節もないし、
レコード盤みたいに年輪が細かで均等やろ?。105年の間、
先祖が丁寧に枝打ちして、間伐したから、こういう木になるんや」
そして、こんなに高く売れるなら全部売っちゃえば?という主人公に、
「自分が生きとるうちのことしか考えとらんやろ」と叱り飛ばす。
種を蒔いた農作物が、半年もすれば収穫できる農業を比べて
「林業はそうはいかん。ええ仕事をしたかどうか、
結果がでるのは、おいらが死んだあとなんや」と嬉しそうに話す。
全てが「まぁ、なあなあやな」という言葉で片付けてしまうが、
「なあなあ」とは、神去村の人々の口蔵であり、
「ゆっくり行こう」「まぁ、落ち着け」といったニュアンスらしい。
村民全体が、すぐに結果を求めず、限られた時間を丁寧に生きている、
そんな感じさえした。
三世代で「木を育て、林を育て、森を育てている」感覚が心地よい。
林業という職業は、技術だけでなく、人生観が大切だな、きっと。



2015年12月26日(土)
先輩の3年生を下級生が送る「第四部」が一番好き

毎年、楽しみにしているクリスマス(今年は26日)のイベント。
地元、沼津商業高校吹奏楽部の定期演奏会(第55回)は、
沼津文化センター大ホールで公演され、今年も超満員だった。
昨年の気になる一言に書いた「最前列がVIP席」を思い出し、
私は、今年もまた当然のように、大ホール最前列に陣取った。
結果は、やっぱり今年も「最前列がVIP席」だった。
17時開演を最前列で今か今かと待っていると、
16時47分、楽屋裏から70人を越す部員の気合いの声が聞こえた。
何度なく大きなステージを経験し、舞台慣れしているとはいえ、
やはり3年生最後の定期演奏会は、特別の様子がよくわかった。
また、沼商吹奏楽部の音楽監督である川口三郎さんの指揮を、
間近で見ることが出来るのも、最前列である。
たぶん、後方の席からでは気付かない、
部員の緊張を和らげる彼の表情まで、見ることができた。
さらに、ラストの合唱曲では、毎回のように泣かされてしまう。
「振り返ればいつも、仲間がいてくれた。
振り返ればいつもそばに、仲間がいてくれた」・・
舞台のそでから、涙声になりながら、大きな声で歌っている、
川口先生の声を聞いたら、こちらも涙腺が思いっきり緩んだ。
プログラムでは「第一部から第三部」までの構成であるが、
私は、先輩の3年生を下級生が送る「第四部」が一番好き。
毎年、このシーンを目にするたびに、なぜか心が洗われる。
高校生の若さと、ひたむきに努力した3年間を振り返るとき、
彼ら彼女らの目から溢れる涙は美しい、と心から感じる瞬間。
来年もまた「最前列のVIP席」に座りたいなぁ。



2015年12月25日(金)
少なくともFIXで12秒は動かさない

映画「千年の一滴 だし しょうゆ」の柴田監督は
監督と呼ばれるのは嫌というので、敢えて柴田さんと呼ぶが、
その柴田さんに柿田川を案内しながら、つい撮影の話になり、
柿田川の今を伝えたくて、ほぼ毎日、スマホで撮影して、
Facebookに投稿している作品を、図々しく観ていただいた。(汗)
動画の画面が手ブレで揺れていることを指摘されたり、
その対策として、出来るだけ三脚の使用を勧められた。
また、いろいろな景色見せたくて、画面を左右に動かしたり、
ズームなどの駆使して、勝手に自分なりの見せ方を考えるが、
それは、見る人に対して、見方を強要していることになってしまう、
自分なら、ずっと固定(FIX)の画像を取り続けるなぁ、と言い、
そして「少なくともFIXで12秒は動かさない」と、
具体な数字を教えてくれるなど、とても参考になるヒントをいただいた。
とにかく、見る人のことを考えると、アーカイブの役割も含め、
固定した画像の撮影が基本中の基本だよ、と教えられた気がする。
実は、このアドバイス、その後の撮影に大きなヒントとなり、
投稿を楽しみにしてくれている人たちからも、
同じ画面をずっと見ているだけで癒されます・・などの感想を
いただくことになり、目から鱗・・の気付きと言えそうだ。
独りよがりの構成よりも、固定された映像を編集で丁寧に繋いでいく、
その方が、よっぽど質の高い作品になるということだろう。
言い換えれば「撮りながら勝手に編集しない」ということに違いない。
これからも、ライフワークとして、柿田川を撮り続けるつもりなので、
出来るだけ、このルールを守っていきたいと思う。
きっと・・あの時のアドバイスが、と思い出す時がくるんだろうなぁ。



2015年12月24日(木)
人間の感情は芸術品と同じ・・偽造できる。

映画「鑑定人と顔のない依頼人」
(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)から。
ちょっと洒落た邦題と、予告編につられて鑑賞したが、
後味の悪い終わり方に、やや期待が裏切られた気がする。
原題は「La migliore offerta」(イタリア語)で「最高付け値」、
それなら、ラストシーンのドンデン返しも、
この人間関係こそが「最高付け値」だったなぁ、と笑えたのに。
鑑定士が主人公なので、何度か耳にすることとなった
「いかなる贋作の中にも、必ず本物が潜む」を選ぼうと思ったが、
なかなか、そのフレーズだけで本作を思い出すまでに至らない。
だから「人間の感情は芸術品と同じ・・偽造できる」とした。
この後「まるで本物に見える。だが、偽りだ」と続く。
「偽り?」と聞き返す人に対して「何事も偽造できるのだ」と言い、
「喜び、悲しみ、憎しみ、病気、回復、愛さえも」と言い切る。
それが見分けられるかどうか、鑑定士の腕の見せ所となるのだが、
人間の心は、芸術品よりも難しく、簡単に鑑定できない。
そして、その鑑定ミスは「最高付け値」に繋がっていく。
やはり、邦題より原題の方がよかったなぁ。

P.S.
「歯車は人間みたいなもの。
長年組み合わさっていると相手の形状に似てくる」
この台詞は、とても深い意味がありそうだったなぁ。



2015年12月23日(水)
あっ、バスクリンの匂い・・じゃなかった(汗)

昨日は、冬至。
南瓜(かぼちゃ)を「ん」がつくもの(人参、大根、蓮根など)と
一緒に食べると健康にいいらしい、なんて話題で、夕食をとった。
そのあといつもの日記を書いて、お風呂は、もちろん柚子湯、
肩まで湯舟にタッブリ浸かったら、柚子の匂いが私を包み込んだ。
しかし、何を勘違いしたのか、本物の柚子を片手に、私の口からは、
「あっ、バスクリンの匂い」のフレーズが飛び出し、
後から自分で「・・じゃなかった(汗)」と言い直した。(笑)
バスクリンが、柚子の香りを真似ているにもかかわらず、
いつもの入浴剤の方が、主役になってしまったのが可笑しかった。
以前、歩いていて、山梔子(くちなし)の香りがしたにも関わらず、
「あっ、トイレの匂いだ」といい間違えたことを思い出した。
人間の記憶は、香りが一番、インパクトがある気がしている。
年に何度か、早い時間に帰宅して、夕食前の一番風呂に入るとき、
バスクリンを入れた瞬間に、鼻まで広がる香りに、
自分が小さい時、父親と一緒にお風呂に入ったシーンが甦る。
春分、夏至、秋分、冬至、と続く季節の節目だからこそ、
昔のしきたりなどを教えていただきながら、
日本ならではの「四季」を味わいたいな、と最近思う。
昼が一番短く、夜が最も長い「冬至」を過ぎたということは、
これから、少しずつであるが、昼夜の時間差が縮まってくる。
Appleウォッチの「日の出・日の入りの時間」で確かめながら、
(明日の日の出は、6時48分。あと〜時間だから、6時には起床、と
一日の行動計画を立てたくなってしまうな、私の場合。



2015年12月22日(火)
あの、その、すその

メモを整理していたら、頭から離れなくなってしまった
先月「ゆるキャラグランプリ2015」の浜松会場で見つけた
近隣市、静岡県裾野市のキャッチコピーである。
ご当地のゆるキャラは「すそのん」だけど、
その隣に立っていた看板には「あの、その、すその」。
この何とも言えないリズムと、平仮名だけのインパクトが、
私の脳裏に焼き付いた。
もちろん、単なる言葉遊びかもしれないが、
街を知ってもらう、という事だけに特化すれば、
ちょっとユーモアがあり、クスッとしてしまう言葉。
以前、気に入った富山県のPRフレーズ「宇宙戦艦トヤマ」に
匹敵するフレーズだと思うくらい、私にはウケた。
一世を風靡した「そうだ 京都、行こう」もいいが、
全国の「ゆるキャラブーム」と相まって、
ちょっとゆるいキャッチコピーも悪くない気がする。
わが町だったら、どんなゆるいフレーズができるのだろう。
ただ、わが町って、けっこう真面目で堅いから、
こんなキャッチコピーできても、認めてもらえないかもな。
あっ、私の言う台詞じゃないか・・(汗)



2015年12月21日(月)
素晴らしくて敵わないときには「素敵」と言いましょう。

映画「駆込み女と駆出し男」(原田眞人監督)から。
(原作・井上ひさし「東慶寺花だより」)
今でも「縁切寺」で名高い「鎌倉・東慶寺」。
このお寺を知ったのは、さだまさしさんの名曲「縁切寺」。
当時は、そんな寺があったんだ、というくらいの認識。
「源氏山から北鎌倉へ・・」とよく歌ったものだ。(汗)
さて、今回の気になる一言は、物語とはちょっと関係ないが、
主人公、信次郎が口にした「素敵」の定義。
「素晴らしくて敵わないときには『素敵』と言いましょう」。
「素敵」って単語は、イメージとして、ちょっとオシャレで、
男が使うには照れくさい感じがしていたのも事実。
もちろん、その意味なんて、考えたこともなかったが、
「素敵とは、素晴らしくて敵わないこと」という意味を知り、
今度、使ってみようかな・・と思った単語になった。
もちろん漢字の「素敵」であって、「すてき」や「ステキ」は
まだ恥かしいな。耳にした人はわからないだろうけれど。(笑)



2015年12月20日(日)
忘年会は、リアル感を楽しむ機会

「働く女性の会(ATG)」の忘年会だった。
「明るく(A)楽しく(T)元気よく(G)」の頭文字を取った「ATG」。
賛助会員として、この会に参加させていただいてから、
もう何年経つだろうか、なぜか男性なのに居心地が良い団体である。
「2ヶ月に一度」という例会は、私にとってはちょうどいい回数で、
多すぎず、少なすぎず、程よく参加できるし、
彼女たちから多くの刺激をいただいているのが、継続の理由。
最初は1人だった、男性の賛助会員も増えてきたし、
「異業種、異年齢、異性」(3異)が、近況報告も兼ねて顔を合わす。
勿論、Facebookなどで、メンバーの情報はわかるけれど、
やはり、直接に会い、生の声を聴いて話すことが楽しい。
だから「忘年会は、リアル感を楽しむ機会」を残したい。
今回の忘年会場は、地元・清水町の「北海道料理・中むら」、
私の日記にも、何度か登場している、お気に入りのお店だし、
ホストとして、しっかりおもてなししなくちゃ・・と思う反面、
みんなに来て欲しいけれど、自分が来た時に座れないのもなぁ、と
ちょっぴり複雑な感覚で、いつもの「十四代」を飲み干した。
1次会は、中むらの2階で宴会、そして、下に降りてきて、2次会。
あぁ、こんな使い方があるんだ、と可笑しかった。
みんなを送った後、3次会を、1人カウンターで・・と考えたが、
今回は、飲み過ぎたので自重した。(汗)
やっぱり、バーチャルの世界より、リアルの世界が楽しいなぁ。
飲み方にも、性格がでるし・・。(笑)



2015年12月19日(土)
脚本は、右脳と左脳の合体です

知人の紹介で「脚本家・金子ありさ」さんとお話が出来た。
金子さんと言えば、ドラマ「ナースのお仕事」シリーズを始め、
私が観た映画でも「電車男」「7月24日通りのクリスマス」
「陰日向に咲く」「おかえり、はやぶさ」などを手がけた女性。
一時、脚本家に憧れた私にとっては、雲の上のような存在であり、
舞い上がるような気分で、日大芸術学部の聴講生のように、
(普段なら、メモしながら聴くのだけれど、それさえ忘れて)
現役・脚本家の話に耳を傾けた。
食事をしながらの短い時間であったが、彼女から脚本について、
プライベートレッスンを受けている感覚さえあった。
その中で、印象に残っているフレーズは、
「脚本は、右脳と左脳の合体です」
脚本は、小説とは少し違う、バランス感覚が必要となるようだ。
登場する人物像などを非常に細かく設定しながらも、
プロット(ストーリーの要約)を常に意識して書いているらしい。
まさしく「ものごとを理解するときに使う脳、
言い換えれば、論理的な事柄を司る機能(左脳)と、
表現するときに使う脳、感性・感覚を司る機能(右脳)を
バランスよく使いこなせてこそ、脚本家なんだと感じた。
原稿の〆切を意識しながらも、友人とランチを楽しむ感覚は、
私には、とても新鮮な発見であった。
そういえば、映画のエンドロールで、監督の名前とは別に、
脚本家(洋画では、翻訳家も)の名前を確認するのは、私だけかも。

P.S.
「脚本には(笑)とか(汗)はいらないから削除して・・と、
学生たちに指導するらしい。私の日記なんて削除だらけだ。(汗)



2015年12月18日(金)
わからなくなるんじゃないかしら、本当に好きなものが。

映画「繕い裁つ人」(三島有紀子監督)から。
「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」に代表される、
三島有紀子監督らしい映画、という表現がピッタリの作品。(笑)
言い方を変えれば、作品の出来、不出来ではなく、
私のアンテナに引っかかる台詞が多い、ということ。
そんな中から選んだ、今回の一言は、
図書館で「服の本ばかり」選び、勉強している男性に、
洋装店の2代目店主・市江さんが、諭すように呟いた台詞。
「そんなにあったら、わからなくなるんじゃないかしら、
本当に好きなものが。」の一部。
服に関しても、専門の知識は、ある程度必要だし、
いろいろなジャンルの服を試してみたくなるのもわかる。
だけど、情報がありすぎて、あれもこれも・・と試していると、
本当に好きなものが見えなくなってしまうわよ、と理解した。
これは、私たちにも言える。
自分が一生続けたい、分野、ジャンルは見つかったけれど、
その中でも何をしたい、というものが見つからず、
とにかく関連書籍を読み漁るけれど、余計にわからなくなる。
「広く浅く」より「狭く深く」の方が、人生が豊かになるわよ、
そう教えられたようなフレーズだった。
残り少ない人生、もう雑学はいらない。
そろそろ、一つのことに集中しようっと。



2015年12月17日(木)
泉頭はこの小湖(清水池)のほとりにあった。

書籍「くノ一忍法帖」
(山田風太郎著・角川文庫刊・313頁)から。
徳川家康が、終の棲家(隠居)を「柿田川」周辺の
泉頭城址に求めていた話を調べていたら、
ある方から、山田風太郎さんの著作の一つに、
泉頭が舞台となっている作品があるよ、と教えていただき、
さっそく読んでみた。
「柿田川」を「清水池」に例えて、こう表現されている。
「清水池は、三島の西南二キロの位置にあり、
南北に千百メートルばかり、
東西にはひろいところで二百メートル、
せまいところで五十メートルほどある小湖である。
泉頭はこの小湖のほとりにあった」
この発想は、私にはなかった視点であり、刺激的だった。
全てが湧水のため「源泉がわかる川」として説明していたが、
「実は、昔は湖だったんですよ」なんて言っても、
誰も驚かないかもしれないな、と可笑しくなった。
柿田川の魅力にハマっている私、楽しくて仕方がない。

PS
本書によると「南竜公道事」という書物に、
家康の隠居の話が記載されているらしい、調べてみようっと。



2015年12月16日(水)
それって、消極的な自殺行為だよ

お酒もたばこも、甘いものも・・度が過ぎて、
身体に悪いくらい、嗜(たしな)む(笑)ことになると、
入院したり、薬を大量に飲んだりすることとなる。
やめればいいことは、本人が一番知っているが、
「わかっちゃいるけど止められない」というのが、
多くの人の言い分に違いない。
先月、悪友たちが集って飲んだが、同級生に向かって、
きつい一言が飛び交ったが、私はなるほど、思った。
「それって、消極的な自殺行為だよ」
知らないならまだしも、理解していてやめないのは、
自分で選択しているってことだろう?ということ。
その人の人生だから、他人がとやかく言うことではないが、
心配しているからこそ、の台詞ともとれた。
その場を盛り上げるための、単なる「酒の肴」ではなく、
一度、本気にやめてみろよ、という思いが伝わってきた。
この年齢になると、どうしても投げやりになるが、
健康に良いことを続けることよりも、
健康に良くないことをやめることから始めてみようっと。



2015年12月15日(火)
あんたが繋げてくれたんじゃ

今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が最終回を終えた。
低視聴率を筆頭に、原作がない脚本の甘さなど、
ネット上では、叩かれ続けた「吉田松陰の妹」主役の
作品であったが、やはり今年もなんとか観続けた。(汗)
全体を通しての感想は「軸がぶれた」。
一回目タイトルは「人をつなぐ妹」であり、
私も「人を咲かせる女・咲かせ系女子」という一言で
「気になる一言」を書いたが、脇役を主役にするには、
ちょっと無理があった気がする。
しかし最終回、文から美和に名前が変わろうと、周りから
「あんたが繋げてくれたんじゃ」という評価を受けたり、
最後には汽車の中で、「種」を広げて、こう呟く。
「また、ここから繋がっていくんですね」。
突然、忘れていた「人を繋ぐ」というコンセプトが蘇った。
今の時代に求められているリーダーは、
強い口調で、周りをグイグイ引っ張っていくタイプではなく、
個性的でバラバラになっている「カオス」を、
調和(ハーモニー)をとりながら、一つの「システム」として
繋げていく役割ができる人、そう思っていたから、
今回は無名だけど面白いかな?と感じていたのだが・・。
結果はどうあれ、軸だけはぶれて欲しくなかったなぁ。



2015年12月14日(月)
ひと手間を習慣づけると、それは手間ではなくなります。

映画「千年の一滴 だし しょうゆ」(柴田昌平監督)の
地元上映を記念して、初日初回上映後の監督舞台挨拶と、
伊豆市の日本料理店「羅漢」の女将、加藤敦子さんを交えた、
トークライブが「サントムーン シネプラザ」で開催された。
これまた私のメモは溢れだが、食に限らず、どの分野でも、
いや、生活のすべてに関係しそうな、加藤さんの台詞を選んだ。
「料理には必ず相手がいる」ということを意識し、
出汁になる食材を「お日様に当てて・・風に当てて・・」と
ゆったりとした口調で話してくれたあと、
「次の世代につなげていきたいもの」の問いに、
八十八回の手間をかけてつくる「お米」を挙げてくれた。
しかし、それを「手間」としないアドバイスが粋だった。
それが「ひと手間を習慣づけると、それは手間ではなくなります」。
これは、料理に限ったことではなく、掃除や子育て、メールなど、
あらゆる分野に通用する考え方だな、とメモをした。
「手間を手間と考えないくらい、毎回繰り返す」
これが「羅漢」のおもてなしに繋がっているんだなぁ、きっと。



2015年12月13日(日)
出汁は、作るとはいいません。引くといいます。

映画「千年の一滴 だし しょうゆ」(柴田昌平監督)から。
素敵なナレーションに包まれて、気持ちよかったから、
久しぶりに、映画館の真っ暗の中で、メモを取った。(汗)
多くの中から、私が選んだのは「出汁」という言葉の使い方。
「出汁は、作るとはいいません。引くといいます。」
会話として「今回の出汁は、何から作った?」とは言わないが、私は
「今回の料理の出汁は、なにから取った?、鰹?昆布?椎茸?」と使う。
しかし、本来「出汁を引く」という言葉の使い方をするようだ。
この「出汁を引く」という言葉に、この作品のエキスが詰まっていた。
出汁は、和食の魅力・素材の旨味を存分に引き出す役割だから「引く」、
さらに「引き出す」だけでなく「引き立てる」役もあるので、
「引く」を使うのかもしれないな、と嬉しくなった。
和食の料理人も、それを支える「醤油・酒・みりん」などの職人も、
さらには出汁の素材である、鰹や昆布、椎茸を手間隙かけて作る人たちも、
とても謙虚であり、「俺が・・私が・・」と自分たちをアピールしない、
そんな人柄が、この作品の隅々にまでまで浸透していた気がする。
和食が、ユネスコ無形文化遺産に登録された時に耳にした
「外国はシェフやお店の名前が有名になるが、日本は料理名なんです」と
いう話が、なぜか私の頭の中に甦った。
映画のエンドロールと言えば、監督の名前が最後に浮かび上がってきて、
しばらく表示されてから消える・・となるが、今回は監督が意識したのか、
さらっと、名前が表示されて、監督だから・・という特別扱いがなかった。
これもまた「出汁と同様、私は引き出し役、引き立て役ですから」と
口にしそうな、柴田監督の粋な計らいなのかな?



2015年12月12日(土)
籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人

映画「千年の一滴 だし しょうゆ」(柴田昌平監督)の
上映に向けて、朝早くから夜遅くまで、多くの人が動き回った。
映画の感想から上映会実行委員会の様子など、書きたいこと満載。
その中で、今日の日を思い出すには・・と、考えたところ、
なぜか、大学時代に先輩から教わった台詞が頭に浮かんだ。
「籠(かご)に乗る人、担ぐ(かつぐ)人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
人それぞれに役割があり、どの役割の人が欠けても、
全体的に考えると、上手くいかないことを示している。
今「和食」が世界で注目を浴びているが、
その「和食」の根底を支えているのは「だし」。
その「だし」となる「昆布・鰹・椎茸」を作るのに、
これまた多くの人が、丁寧な時間を掛けている。
まさしく「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。
また、このドキュメンタリー映画を地方のシネコンで上映する、
そのためには、勿論、作品を作った「映画監督」がいて、
これを多くの人に観せたい、という強い想いの「発起人」や、
その想いを受け止めて、快く上映してくれた「映画館の支配人」、
さらには、初日のイベントをスタッフとして、飛び回った仲間たち。
彼らのどの役割の人が欠けても、今日のイベントは成功しなかった、
これまた「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」である。
このフレーズで、映画の感想も、初日のイベントも思い出せるから、
この一言を残しておきたい。

P.S.
映画の感想は、また近日中にアップする予定です。お楽しみに。



2015年12月11日(金)
気が合うんだな、俺たち。

映画「春との旅」(小林政広監督)から。
世の中には、いろいろな事情を抱えた人が、
いろいろな人間関係の繋がりを感じながら、
解き(ほどき)、結ぶ行為を繰り返して生きている。
物語は、仲代達矢さん演じる主人公を通じて、
家族・兄弟・そして祖父と孫という微妙な関係を、
表現している気がしていた。
そして最後に現れたのは、主人公のひとり娘の夫と、
離婚したあとその夫と結婚した妻、言い換えれば、
主人公とは、まったく関係のない女性が、
「できることなら、一緒に住みませんか」と誘う。
驚きとともに、遠慮する主人公に、こう投げかけた。
「他人であっても、人は人。
気が合えば、それが一番じゃないですか」と。
深い繋がりを感じていた、血縁関係よりも、
「気が合う」というキーワードで繋がった他人同士、
それもまた然りだな、とメモをした。
「孫娘・春」と旅をした主人公、最後に気付いたのは、
「気が合うんだな、俺たち。」という関係だった。
気が合う、ウマが合うって関係は、捨てたものじゃない。
そんなふたりの関係に、最後は拍手をしてしまった。

P.S.
冒頭でふたりが降り立った駅名「増毛駅」と
19歳になる孫娘のガニマタ歩きが気になって仕方なかった。
どうみても、意図的な演技たよなぁ、あの歩き方。



2015年12月10日(木)
知っていて伝えなかったことは、悪いこと

今週の土曜日から地元の映画館「サントムーン シネプラザ」で
1週間上映される映画「千年の一滴 だし しょうゆ」。
このドキュメンタリー映画が、シネコンで上映されるまでの経過を
最初からみてきた私としては、感慨無量で当日を待っている。
地方都市の、それも大都市でもない町の映画館で上映されることが、
どんなに大変なことかは、業界関係者なら知っているはず。
それが実現に向けて走り出した影には、「食」に関して、
並々ならぬ、こだわりを持った人たちの、
なんとしても「多くの人に観てもらいたい」という情熱があった。
ただ、それだけでは説明し切れない、もっと強い想いがなければ、
実は、この映画の上映は実現しなかったと私は思う。
多くの本を読んだり、講演を聴いた中から、メモを眺めたら、
「これだ!」と感じるフレーズにぶつかったから、気になる一言。
それは以前、紹介した「山元加津子」さんの台詞だった。
自分の体験から、植物人間の人にも伝えたい想いがあることを知り、
「生きている人には、必ず思いがある」ことを多くの人に伝えたい、と
長年務めた看護学校を辞めて、「白雪姫プロジェクト」を立ち上げ、
「知っていて伝えなかったことは、悪いこと」という使命感を持ち、
全国を講演している彼女と、たぶん同じ感覚を感じたからだろう。
「和食」その根底にある「だし」の素晴らしさを知りながら、
自分と自分の周りの人にしか伝えなかったら、悪い気がして・・。
この感覚があっているかどうかはわからないけれど、そんな想いが
この映画の上映には詰まっている気がするからこそ、
私も微力ながら、出来ることをお手伝いすることにした。
「知っていて伝えなかったことは、悪いこと」
この視点は、これからも使える考え方かもしれないなぁ。



2015年12月09日(水)
少子化対策には「計画停電」

昨日に続けて、少子化対策の話題を。
先月、青森から訪れた知人に、東日本大震災の様子を聞き、
やはり大きな揺れを感じた話や、停電の話になった。
さらに話が進み、停電だと夜になるとやることないので、
子作りに励むって話で、大笑いした。
だが、現実に翌年の出生が増えたというデータがあるらしい。
国は人口減少、少子化対策に頭を悩ましているが、
解決策は「停電にすればいい」のかも・・とメモをした。
人間は健康の面からも、寝る時間には寝るに限るし、
いつまでも寝ないで、夜型人間を増やすことが、
少子化に拍車をかけていることは、誰でも理解している。
文字にするとちょっと表現しにくいが、
子どもを作るという行為がなければ、人口は増えない。
きれいごとではなく、動物として種の保存を考えるならば、
そういう環境を作ってあげるということ。
それには、夜を暗くするために、政府主導の計画停電か。(笑)
だからこそ、気になる一言には、敢えて
「少子化対策には『計画停電』」を残しておこうっと・・。



2015年12月08日(火)
結婚している人たちは、産んでくれている

平成27年度「駿東3市3町幹部職員研修会」
講師「鬼頭宏」氏(静岡県立大学学長)
演題「人口減少社会の課題 
〜21世紀の社会デザインを探る〜」から。
全国的に「出生率」の低下が叫ばれる中、
私が完全に勘違いしていたデータが目に入った。
出生率の低下、と言えば「兄弟姉妹が少ない」など、
昔は「2人〜3人」が普通だったが、今は経済的な理由や
女性の社会進出が進んだため、一人っ子が多い。
そんなイメージで「少子化」を分析していたが、
どうやら、その傾向の一面しか見ていないことが理解できた。
結婚している人は、希望(予定)の2人は産んでくれている、
結婚していない人が増えているから、少子化になっている。
データで示していただき、なるほど・・と思った。
ここからわかることは、「少子化」を解決するには、
結婚している人に、生活支援(財政的)をしながら、
もう1人産んでもらう。
結婚していない人には、異性との出会いの場を作り、
出来るだけ、結婚をしてもらう、ってことなんだろうけれど、
国のために、結婚をしたり、子どもを産むわけじゃないから、
難しいんだよなぁ、この問題は。



2015年12月07日(月)
スマホを意識したら、縦位置の画像・動画を

「日本三大清流」と言われている「柿田川」の景色や、
清水町のゆるキャラ「ゆうすいくん」を撮影し、
FacebookやYou-tubeなどにアップしているが、
先日、ふと面白いことに気がついた。
私たちは、テレビ画面、映画のスクリーンを始め、
写真や動画は「横位置」が最も安定していると考え、
無意識のうちに「横位置」のトリミングをしてしまうが、
その投稿を視聴する人の視点で考えたら「縦位置」の方が、
スマホを横位置にする必要もなく、サッと見ることが出来る。
そう思い直し、先日、意識的に縦位置の写真や動画を撮影し、
いつもと同じようにアップしたら、アクセスが増えていた。
だから「スマホを意識したら、縦位置の画像・動画を」を、
気になる一言として、残そうと思う。
撮影の題材にもよるが、アウトプットが縦位置なのだから、
インプット側も合わせた方が余分な手間が省かれる気がする。
食べる前の食事や、自作のお弁当を投稿したり、
子どもの様子や旅行の写真などを何枚も投稿する人がいるが、
その画像や動画を観る相手の多くがスマホなら、
私は、縦位置の投稿をお薦めする。
確かに、慣れてしまった「横位置」のアングルも悪くはないが、
一度、縦位置を意識して写真や動画を撮影して欲しい。
これまた、今までとは違った、新しい世界が見えてくるから。



2015年12月06日(日)
いつの間に、こんなに美味く作れるようになったんだろう

映画「洋菓子店コアンドル」(深川栄洋監督)から。
予想どおりの展開で、安心して観られると言えばそうだけど、
ちょっと物足りなさを感じて観終わった。
ケーキでも何でも「職人」と呼ばれる職業は、下積み生活から、
基礎を学び、そこから新しいものを生み出し、
少しずつ少しずつ成長していくようだ。
「洋菓子店コアンドル」のシェフ役・戸田恵子さんは、
働きたいと上京したが、2日で辞めさせた若者について
「いまさら、下積みはいやなんだって。
頑張れない子に、この仕事は向かないわ」と厳しい評価をし、
ケーキ職人を目指している主人公・なつめ役の蒼井優さんには
「職人は、手を抜くことを覚えたら、長続きしないからね」と、
一見、冷たいようだが、仕事の基本を教え込む姿勢が眩しかった。
また、なつめの試作品のケーキをを試食した常連客の感想は
「売り物としては、どうかしらね?
お店の評判を落とさないように、もっと努力しなさい」だったし
ケーキ評論家の意見は「もう辞めろ、本気で修行してるヤツのじゃまだ」。
それまでの経験と技術を否定されたが、それでも続けた彼女を救ったのは、
「おいしいね。それにしてもあの子、いつの間に、
こんなに美味く作れるようになったんだろう。おいしいね」と呟く、
かつて、試食して厳しい評価を下した常連客の一言だった。
どんな職人にとっても、自分の成長を認めてもらえた一言は、
地道な努力が実ったと感じる瞬間でもあり、これ以上のプレゼントはない。
人間を成長させる素敵な言葉。
今でも掛けて欲しいし、掛けてあげたいな。



2015年12月05日(土)
選手より速い「ゆるキャラ」いますか?

毎年恒例の「静岡県市町対抗駅伝競走大会」。
いつもなら、町の応援団としてバスで参加するのだが
今回は「ゆるキャラ」担当課長として会場入り。
2015年グランプリの「出世大名・家康くん」をはじめ、
磐田市の「しっぺいくん」など、有名どころが勢揃いで、
晴天に花を添えるように、楽しく賑やかな大会となった。
今回の「ゆるキャラ」の役割は、ゴール前に一列に並び、
選手たちを応援することなので、邪魔にならないような
注意事項が言い渡された。
「選手に触ると失格になりますから注意してください」や
「尖ったものや長いものは持ち込まないでください」など、
なるほどなぁとメモをしていたが、最後にスタッフの方が、
私たちに訊ねた。
「選手より速い『ゆるキャラ』いますか?」
ちょっと笑いを誘う質問だと思うが、私にはウケた。
いくらわが町のゆるキャラ「ゆうすいくん」が速くても、
代表選手には勝てないだろう、と思いながらも、
もしかしたら、と思わせる質問だったので、気になる一言。
わが町の選手が競技場に入ってきた時、最後の直線を
必死で一緒に走ったのは「ゆうすいくん」だけだったなぁ。
あぁ、転ばないでよかった。(笑)



2015年12月04日(金)
神の恩寵に生きる者に、不幸は訪れない

映画「ツリー・オブ・ライフ」(テレンス・マリック監督)から。
この作品、きっと賛否両論に違いない。
映画というものをどう捉えるか、によって感じ方が違うのだから。
さて私の場合、数少ない台詞から、気になるフレーズをメモしてみた。
特に、作品冒頭、こんな台詞が続く。
「『生き方には、2通りある』と修道女に教わった。
世俗に生きるか、神の恩寵(おんちょう)に生きるか、
どちらか選ばなくては。
神を選ぶ人は、利己心を持たない。軽んじられ、忘れられ、
疎(うと)まれることを受け入れる。侮辱され、傷つくことも。
世俗に生きる人は、利己的。他人に自分を従わせ、威圧的に振る舞う、
自分の意のままに。常に不満の種を見いだす。
周りが幸せに輝いていても、愛情が満ちあふれていても。」
そして「こうも教わった。
『神の恩寵に生きる者に、不幸は訪れない』と」
この辺りに、監督の伝えたいことが詰まっている気がしてならない。
台詞が少なければ少ないほど、気になって仕方がないし。
この映画を観た人の、ヒントになればいいのだが。(汗)



2015年12月03日(木)
彼の好きだった「牛乳」ではなく「冷酒」だけど・・

今年もまた、愛犬・ジェイクの命日(4回忌)を迎えた。
18年間一緒に過ごした彼(♂)は、まだ私の心に残っている。
たぶん、一生忘れないよう気がしている。
今日も帰宅途中、写真の前に何か添えてやろうと考え、
当時ドッグフードやシーツを買っていた店に寄り道をし、
久しぶりに、ベットコーナーへ足を運んだ。
ペットフードも年々進化・改良しているようで、
驚くような価格だったり、こんな味があるの?と驚くような
缶詰が、所狭しと並んでいた。
誰が食べるわけでもないが、今日ばかりは、
彼が好きだった「ささみ入りの缶詰」を買った。
晩年、お湯でふやかした小粒のフードさえ食べられなくなり、
困った挙げ句、缶詰を与えたら、喜んで食べたシーンが目に浮かぶ。
そんな光景を懐かしく思い出しながら、(ちょっぴり涙腺が緩み)
一緒に散歩したコースを歩き、自宅に戻った。
昨年も書いたが、どうしてこんなに想いが募るのか、わからない。
ただ冬の季節、寒くなると私の蒲団に潜り込んできて、
足の間で寝てしまう彼のために、寝返りさえ我慢したことや、
「ミニチュア・ダックスフント」特有の仕草が、忘れられない。
今宵の夕食は、ジェイクの冥福を祈って「献杯」だな。
彼の好きだった「牛乳」ではなく「冷酒」だけど・・(汗)。



2015年12月02日(水)
みかんは、みかん畑にあるものと思っていたので

先日、青森からのお客を招き、柿田川をご案内。
公園内の2つの展望台を始め、片道1.2キロの柿田川を、
沿道から見える場所を選びながら、ぐるっと一周、
約2時間をかけて、いろいろな角度からの「柿田川」を
観ていただいたのだが、住宅街に沿って歩いたり、
田畑を横目で眺めながら、楽しく「てくてく」したのだが、
面白いことに気付いた。
初めて観た「日本三大清流・柿田川」を撮影するのならわかるが、
住宅の庭に植えてある「みかん」「ゆず」「金柑」「夏ミカン」など、
柑橘系の樹木を珍しそうに、そして不思議そうにシャッターを押した。
なにがそんなに面白いのか、訊いてみたら、
「みかんは、みかん畑にあるものと思っていたので」とのこと。
私は、その返事の方が驚いた。(汗)
毎日、通勤で使っている道なので、気にもしなかったけれど、
青森の人たちにすれば、驚きの光景だったようだ。
こんなに狭い日本でも、生活・文化に大きな隔たりがある。
「冬空の色は?」の問いに、私たちは「青色」と答え、
東北をはじめとした雪国の人たちは「白色」と答えるのと同じ。
11月初めには「もうタイヤ、変えた?」が「冬支度」の合言葉となり、
少しでも遅れると、生活が出来なくなることを意味すると教わり、
「えっ、嘘でしょ?」と笑いながら、聞き返すことしか出来なかった。
今度は、私たちが青森に行って、景色の違いを感じてみたいな。



2015年12月01日(火)
君は、お父さんとキャッチボールしたことない?

映画「アゲイン 28年目の甲子園」(大森寿美男監督)から。
ストーリーは、だいたい想像がついてしまったけれど、
やっぱり、私は「野球」が題材の映画が好きだと、再認識した。
特に、基本中の基本と言われる「キャッチボール」は、
相手の胸をめがけて、取りやすいように投げるだけ。
これは「おもいやり」にも繋がる動作として、私は好きだ。
だから、元高校球児役の中井貴一さんが、主人公の女性に訊く、
「君は、お父さんとキャッチボールしたことない?」という台詞を
今回の「気になる一言」に選んでみた。
物語のラストで、元高校球児たちが、憧れの「甲子園」で、
「自分の大切な人とキャッチボールをする」シーンがある。
それは親であったり、妻であったり、子供でもよい。
この人とキャッチボールをしたいな、と思う人を選んで、
恥ずかしくて、なかなか言葉にできない「いつもありがとう」や
「あの時はごめんな」という気持ちを込めながら、
ただただ「キャッチボール」を何回もするのであるが、
それが、なぜか私の胸を打った。
経験のない人たちとのキャッチボールは危ない、と感じていたし、
どこへ投げてしまうか、それを私が捕れるか心配だったのだが、
そんなことは小さなことで、普段、会話の少ない大切な人と、
キャッチボールを通じて、気持ちを重ねることが大事だと知った。
どんなボールでも、心を広げて受け止め、相手には優しく投げ返す。
ただそれだけの行為が、相手との心のキャッチボールに繋がり、
次第に、お互いのわだかまりが解けていく、
私の涙が溢れた原因がここにあった気がする。
私は「キャッチボールするシーン」に弱いなと言うべきだろうか。