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しもさんの「気になる一言」
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2015年11月30日(月)
自分の幸せは、周りの人が作ってくれるからいい

昨日に続けて、講師「山元加津子」さん(かっこちゃん)
演題「ブータンの話」から。
昨日紹介した、彼女の「ブータン旅行記」は、
私の感性をくすぐる要素満載だった。
子どもたちが頻繁にお祈りをするシーンを目にし、
好奇心旺盛の彼女は「何をお祈りしてるの?」と訊く。
返ってきた答えは「世界中の人が幸せでありますように」。
子どもたちに「何になりたい?」「夢はなに?」と訊ねても、
「学校の先生になって、子どもたちを幸せにしたい」とか
「サッカーの選手になって、みんなを幸せにしたい」など、
他人の幸せを願う答えが返ってくるらしい。
小学校の教育目標が「人の幸せを育む子を育てている」だし、
「いじめなんてないの?」と質問したら、
「(日本人は)どうしてそんなことをするんですか?」と訊かれ、
「自分を誇りに思えなかったら、幸せになれないでしょ?」と
逆に不思議がられた話が良かったなぁ。
「死ぬときに持っていけるのは、きれいな心だけ」
「自分の幸せは、周りの人が作ってくれるからいい」と、
本気に考え、他人の幸せを願う国民性が本当だとしたら、
私たち日本人は、見習うところが多いな、と感じた。
彼女の話は、どうして私たちを惹きつけるのか、
なんとなくわかったような気がする。



2015年11月29日(日)
みんなで上げればいいじゃないですか

講師「山元加津子」さん(かっこちゃん)
演題「ブータンの話や植物人間から回復など」から。
障がい児らとの交流を描いたドキュメンタリー映画
「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」で彼女を知り、
舞台挨拶も含め、何度かお話を聴く機会に恵まれた。
今回は、旅行好きの彼女が訪れた「ブータン」の話が、
なるほど・・と思いメモをした。
九州くらいの大きさしかない「ブータン」という国。
国王が来日し「世界一幸せの国」として有名になったが、
当時は、なぜそう評価されるのか、不思議だった。(汗)
ただ彼女が訪れ、聞いてきた話を総合すると、
やはり「世界一幸せな国」というのも納得がいった。
「ブータンの入国審査は、他国と違ってニコニコしている」
そんな話から始まり「バスから手を振ると、子どもだけでなく、
大人もニコニコしながら手を振る」の話などを、
彼女の口調で耳にすると、本当に幸せだなぁ、と感じた。
また「ブータンには、エレベーターが2台しかない」という
データを紹介したあと、(今でも信じられないが(汗))
彼女が「でも、困る人もいるでしょ?」と訊ねたら、
「みんなで上げればいいじゃないですか」と言われた話は、
なぜか、私の心に引っ掛かった。
「差別をなくす」政策もいいが「助け合う」という教育の方が、
私は好きだから、妙に心が温かくなった。



2015年11月28日(土)
私流の「柿田川プロモーション」

定年後のライフワークとして準備を始めた「柿田川三昧」の生活。
あと3年半後を意識して、試行錯誤をしてきたが、
なんとなく形となってきたことが、妙に嬉しいのでご報告。
毎日の日課して、朝「柿田川・柿田川公園」の様子を写真に撮り、
その日の情報として、朝一番に、画像(写真)で情報を届ける。
(Facebook「柿田川公園『最新情報』」にて)
夜は、毎日の撮影した情報はもちろんのこと、
月に1度の「外来種駆除活動」で直接「柿田川」に入った時に、
撮り貯めた写真や動画を中心にアップする。
(Facebook「柿田川evol」にて)
さらには、その動画の中でも、お気に入りや面白い場面は、
音楽などBGMを付けて、作品として「You-tube」に投稿する。
おまけに、その作品を「Twitter」で呟いたり、
「Facebookの自分のタイムライン」でシェアすることで完結する。
もちろん、こうして「日記」の話題にしたり、
お気に入りの写真は、町の芸術祭に出品したりすることを通して、
ネットに関係ない人にも、興味をもってもらいたいと思う。
この一連の流れが「私流の『柿田川プロモーション』」。
これって、そこに住んでいる人の役割かなって感じるし、
柿田川で溺れ死にかけたことで、なぜか「使命感」が強くなった。
1人でも多くの人に、この魅力的な「柿田川」を知って欲しい、
そう願わずにいられない、最近の私である。

P.S.
今の課題は「続けること」がまったく苦にならないので、
毎日毎日、溜まっていってしまう、写真や動画の整理かな。



2015年11月27日(金)
人類は勝利し、地球を失った

映画「オブリビオン」(ジョセフ・コジンスキー監督)から。
本来なら「理想の死とは、苦境と対峙し、
命を祖先の霊と神々に捧げること」を取り上げるべきだが、
この作品を思い出すには、ちょっとインパクトが弱い。
それよりも、スカヴと呼ばれるエイリアンの攻撃を受け、
戦った結果、人類はなんとか勝利したが、原発などが破壊され、
放射能が地球を覆い、人類が住めなくなった、
「3月14日2070年」、そんな設定から始まる物語だから、
「人類は勝利し、地球を失った」を取り上げた。
映画として、エイリアンと戦う設定でなくても、
核保有国の国同士が戦争をすれば、同じことになる。
私の関心は、この映画のその後である。
トム・クルーズ演じる「ジャック・ハーパー」が、
自分の死と引き換えに、地球を救う結末に、
映画「アルマゲドン」を想像させたが、その後は違う。
放射能が拡散された地球、本当に住めるのか?
SFだから、そこまで考える必要もないのだろうけれど、
今のような緊迫した中で、戦争が起こり、
どちらかが勝利しても、地球がなくなっては意味がないよなぁ。

P.S.
「Oblivion」とは「(完全に)忘れ去ること・忘却」



2015年11月26日(木)
プリミティブな動物本能でしょうね。

女優・原節子さんが他界したニュースを耳にしたので、
映画「東京暮色」(小津安二郎監督)から。
父娘ではなく、母娘といった親子の愛情をテーマにした作品だな、
と感じながらメモしていたら、偶然にもこんな台詞にぶつかった。
「親子の愛情なんてものも、考えてみりゃあ、
一番、プリミティブな動物本能でしょうね」
小津監督らしい独特の英単語が入った台詞。(笑)
ふだん、そんな会話をしないだろうと思いながら、
やっぱり気になって、選んでしまった。
「プリミティブ」とは「原始的なさま。また、素朴なさま」
「自然のままで、文明化されていないさま。原始的」
なるほど「親子の愛情は、一番素朴な動物本能」ということ、
好きだ、嫌いだ、という感情ではなく、理屈抜きに、
親は子どもを命がけで守る本能だということだろう。
と考えると、現代の親子関係は「プリミティブ」ではなく、
「複雑」ということか・・。
「複雑」って、英語は「コンプレックス」だったよなぁ。



2015年11月25日(水)
箱根湯本から「おもてなし」

青森県や首都圏在住の知人たちが「柿田川を見たい」と言い、
案内役を引き受けたものの、当初の計画を知って驚いた。
当日、新宿駅からロマンスカーに乗り、箱根湯本駅で下車。
箱根駅伝の5区をバスで移動し、芦ノ湖まで。
さらに、芦ノ湖から三島、清水町という経路で、
柿田川へ向かう予定だったことを聞いて、言葉がなかった。
地元の私たちからすれば、柿田川に着くのが夕方になるよ、と
笑い飛ばすところだが、あっ、そうか、とメモをした。
柿田川を案内するのは三島駅から、というのは私たちの視点。
せっかく、静岡に行くのだから箱根にも寄って、というのは
旅行者たちの視点。
私が、箱根湯本まで車で迎えに行くことにより、
ちょうど色づいた箱根の紅葉を目にしながらドライブ、
正月2日の楽しみ「箱根駅伝、5区の山登り」を体験し、
芦ノ湖の往路ゴールシーンを再現する。(今回は出来ず)
さらに富士山を見ながら、三島〜柿田川へと案内してみた。
振り返ると、いろいろな魅力が詰まったコースだと思う。
首都圏からのお客を、箱根湯本から「おもてなし」。
このコース、旅行会社に売り込もうかなぁ。(笑)



2015年11月24日(火)
家康くんの勝因は「行政頼りからの脱却」

「ゆるキャラグランプリ2015」は、
地元浜松の「出世大名・家康くん」が優勝した。
最終決戦の会場では、圧勝と思われた雰囲気も、
愛媛県の「みきゃん」と壮絶な戦いの末、
「辛勝」の言葉が相応しい接戦だったのは、
最終結果の「得票差」(37,689pt)でも滲み出ていた。
では、勝因は?と考えたところ「市民の力」が
「わが街・家康くん」を後押ししたようだ。
「ゆるキャラ投票」と言っても、どの市町村も、
現実は「行政職員」の組織票頼りが本音であるが、
今回の浜松市は、私設応援団が多数結成されたと聞く。
本当の意味の「市民総出」で結果を出したところに、
住んでいる街への愛着心、郷土愛、そして誇りを感じた。
元気な街は、市民団体、コミュニティ団体が活発であり、
行政から補助金などもらうと自由なことができない、と、
自主財源を確保している団体もある、という。
ここで出来上がった、浜松市民の結束力・団結力は、
きっといろいろな分野で活かされていくに違いない。
「ゆるキャラグランプリ」を介して、街が一つになった。
たかが「ゆるキャラグランプリ」だけど、
されど「ゆるキャラグランプリ」だな、私の感想は。



2015年11月23日(月)
知られていないことを知った、ゆるキャラグランプリ

11月21〜23日の3日間、静岡県浜松市で開催された
「ゆるキャラグランプリ2015 in出世の街浜松」に足を運んだ。
アイドルや有名人が来場しているわけでもないのに、
自分たちの「ゆるキャラ」をなんとかPRしようとする関係者の
その熱気に圧倒されそうになった、というのが本音である。
今回の参加では、多くのことに気付かされた。
「ゆるキャラの活用方法」から「宣伝・PRの方法」など、
全国他市町のゆるキャラが集るイベントに参加しなければ、
わからなかったことが、少しずつであるが理解できた。
その中で、一番大きな気付きは「知られていないことを知った」。
今まで、わが町の多くのイベントに参加し、老若男女の町民に
「ゆうすいくん」と名前を覚えていただいたために、
つい「けっこう知られている」と勘違いをしていたことにある。
さらに、絵本作家の宮西達也さんが生みの親だし、
全国的にも知られているだろう、という思い込みもあった。
しかし、現実は厳しく、会場では「無名の新人」に等しく、
全国の「ゆるキャラ好き」には、知られていなかったようだ。
だからこそ、この経験は大きかった。
まずは「知られていない」ことを受け止めるところから始めて、
まちづくりにどう活かしていくのか、を考えれば、
自ずと答えは見つかってくる気がしているからだ。
「柿田川」も同じ。国天然記念物、日本名水百選、日本三大清流など、
多くの評価をいただき、全国的に有名だろう、という思い込みから
何かを始めると、大きな痛手を負うことになる。
まずは足元をみつめ「知られる」ための努力から・・。

P.S.
最近同じことばかり書いている気がする。(汗)



2015年11月22日(日)
Facebookの楽しい活用方法教えます!!

昨年の11月頃、知人に頼まれて、ある実験に協力した。
筑波大学の学生から「ICTの活用による中年者を対象とした
身体活動促進プログラムの開発」という調査で、
毎日、万歩計の歩数を、Facebookで報告し、
同じグループになった人たちと励ましあって続けることだった。
その後、誰彼となく「せっかく知り合った仲間だから、
実験終了後も、続けませんか?」ということになり、
「チーム『てくてく』」を結成し、約1年間、続けてきた。
毎日の報告から、随時の報告に変えたものの、
実は、1度もあったことのないメンバーと、よくここまで
続いてきたものだな、と我ながら驚いている。
「Facebookの楽しい活用方法教えます!!」ってタイトルで、
講演が出来るほど、お互いが刺激しああうことができた気がする。
そんな仲間のうち青森に住む人たちが「柿田川を観たい」と書き込み、
とうとう、リアルに会うことになった。
言い換えれば「オフ会」であるが、毎日のように
ネットで報告しあっているので、なんだか初めて会った気がしなかった。
ある目的をもって、偶然同じグループになっただけである。
「有朋自遠方来、不亦楽乎」
(朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや)
遠方からの来客をどう案内するか、考えていたけど、
チーム「てくてく」のおかげで、新しい「おもてなしコース」発見。



2015年11月21日(土)
自分でやらないとダメなんですよ

講師「橋本五郎」氏。(読売新聞東京本社特別編集委員)
演題「どうなる!?日本の政治」から。
政治の話ばかりなのかと思ってけれど、なぜか
橋本氏の故郷、秋田の田舎町の話が心に沁みた。
68歳になった今でも、自分の生まれた土地を想い、
なにかできないかと思案の末、図書2万冊を寄付し、
図書館を作った話は、心が温かくなった。
日本全国、少子化が進み超高齢化社会となって、
「限界集落だ」と嘆いているだけでなく、
今の自分にできることは何か?と考えて行動する。
それが、彼にとっての「生き様」である気がした。
国や県、市町村の財政支援などを期待せず、
「自分でやらないとダメなんですよ」と元気に言い放った。
お金が「ある、ない」ではなく、その行動力が、
故郷の人たちを元気にしていくことを知っていたようだ。
彼の母が、真剣に「老人憩いの森」を作ろうと思って、
桜を植えていた話に通じるものを感じた。
普段テレビで見かける冷静な雰囲気からは想像できない、
人間味のある、故郷を大切にする素敵な人であった。

P.S.
演題の一部「日本」の読み方が、気になってしまった。
司会者は「にっぽん」、橋本氏は「にほん」
どちらでもいいのかもしれないが、やっぱり気になる。



2015年11月20日(金)
食べられなくなったら、寿命だよ

先日紹介した、同級生の集まり、お互い近況報告をしたが、
高齢者の介護を仕事にしている同級生のひとりは、
一年に何度も、彼らの葬式に立ち会いながら、
普段の様子をじっくり観察しているようだった。
そんな彼が「元気な高齢者」と「弱っていく高齢者」の違いは、
はっきり「食欲だ」と言い切った。
それは、肉や魚といった食べ物の種類ではなく、
食べたい、と思うその気持ち「食欲」が大切だと言う。
だからこそ、逆に考えれば、
「食べられなくなったら、寿命だよ」ということらしい。
もちろん、機械に繋がれ、生きることはできるが、
自分から「食べたい」と感じ、自らの手で、
自らの口へ、食べ物を運ぶという行為こそが、
生きている証、ということなのだろう。
高齢者の施設で、多くの人たちを見守ってきた彼ならではの言葉、
とても、わかりやすく、理解できた。
そうか、私の母が元気なのは、間違いなく「食欲」だな。



2015年11月19日(木)
情報は「発信する」ではなく「届ける」もの

新設された「産業観光課」となると、
つい「観光」にばかり注目が集まりがちだか、
実は「産業振興」こそ、町を元気にする要素だと、
常々感じていたので、いろいろな報告書を読み込み、
行政として、他の自治体と比較して何が足りないのか、
企業は何を求めているのか、を調べていると、
「観光振興」の施策を考えた時と、同じ結論に至った。
町として、それなりの企業支援策を準備しているのに、
利用する企業が少ないことに注目していたら、
その「支援制度」を知らない、という声が聞こえてきた。
(もちろん「書類作成が面倒くさい」という声もあるが)
今まで、シティプロモーションの分野をはじめ、
「情報を発信する」という視点で物事を進めてきたが、
「情報を届ける」という視点が不足だった気がする。
パンフレット作りました、ホームページに掲載しました、
という行為で終わることなく、
「伝えたい相手に、この情報は本当に届いているのか」
そんな確認をする必要も感じている。
言い換えて、ワンフレーズにするとすれば、
「情報は『発信する』ではなく『届ける』もの」
まずは「確実に知ってもらう」、来年のテーマはこれだな。

P.S.
2002年12月09日(月) 同じような気付きを書いている。
「伝える」から「届ける」へ
13年後に同じことを書いているなんて、私も進歩がないのかな。



2015年11月18日(水)
風が止んで、時が止まる瞬間、そこを押さえる

映画「二流小説家 シリアリスト」(猪崎宣昭監督)から。
「ミステリーサスペンス」と紹介されていたこの作品は、
どこかに問題を解決するキーワードがないか、と
メモをしながらの鑑賞となったが、なかなか難しかった。
作品の中で、殺人犯の死刑囚・呉井大悟が、
なぜか、小さい頃の記憶として写真について語るシーンがある。
「一番大事なのは、自分の求める何かが現れるまで、じっと待つこと。
風が止んで、時が止まる瞬間、そこを押さえる。
最初に俺はそれを教わった」と。
その部分だけが、妙に印象に残り「気になる一言」とした。
特に「時が止まる瞬間」という感覚が、素敵だなと思う。
「風が止んだ瞬間、そこを押さえる」でもおかしくないのに、
写真は常に流れ続けている時を止める力を持っていると言いたげだし、
だからこそ、写真の想い出は色褪せない、とも言えそうだ。
インパクトがある景色であればあるほど、その瞬間に戻れる気さえする。
殺人犯人が「殺した女性の首なし写真を残す」感覚は理解できないが、
わざわざ写真を撮るという心理の中に、そういった「時を止める」ことに、
何かしらの意味を求めていたのかもしれない。
この心理描写を知るには、原作のデビッド・ゴードンの同名小説を
読むしかないのかなぁ。
でも、謎が解けて犯人判っちゃったし、微妙な選択だな、これは。



2015年11月17日(火)
「薬飲んでないの?」「うん、検診受けてないから」

57年の歳を重ねた男たちが居酒屋に集まると、
話題は髪の毛の話と、健康の話になりがちである。
(なぜか、女性の話はでなかったなぁ・・(汗))
「糖尿の薬を飲んでるんだ」「痩せればいいじゃん」
「ばか、お前に言われなくてもわかってんだよ、
でも、アイスクリームはやめられない」(汗)
「血圧の薬、何飲んでる?」「あっ、同じだ」
「俺は、痛風の薬かな」「朝、何錠飲んでる?」
そんな会話で盛りあがっている中、一人話題に入れず、
みんなの話を、ニコニコしながら聞きながら、
酒を飲み、たばこをふかしている同級生がいた。
この年齢になって、薬を飲まないなんていいな、と
羨ましく思い「薬飲んでないの?」と訊ねたら、
「うん、検診受けてないから」の一言。
もちろん、その場で爆笑の渦になった。
たしかに・・それでは薬も飲まないわけだ・・と
笑い飛ばしたが、あながち間違ってない気がした。
今の医学では、検診を受ければ必ずどこかが引っ掛かる。
「忙しくて行ってられない」と言い訳をすると思いきや、
「受けたら、大変なことになるだろう」と笑い飛ばした。
薬漬けになっている私たちよりも、
意外と彼の方が長生きしそうな気がして可笑しかった。



2015年11月16日(月)
「どうする?」「自分で判断しろ」「撃つか?」「自分で決めろ」

映画「ハート・ロッカー」(キャスリン・ビグロー監督)から。
イラク戦争のバクダットでの爆弾処理班、
戦争が終結した地の地雷処理とは違い、
現在、戦争中の中、テロの可能性も高く、映画と知りつつも、
2時間以上、銃口を突きつけられていた緊張感があり、
鑑賞途中で、気分が悪くなり吐きそうだった。
「戦争は麻薬である」の言葉に頷き、
「イラクに来たってことは死ぬってことだ」で納得した。
「死ぬなら、気持ちよく死にたい」・・そう呟く主人公、
本当にそんな気持ちになれるのだろうか、と我に返る。
メモする言葉は少なかったが、緊迫した会話に、
これは映画なのか?という疑問が浮かぶほどだった。
戦場でも指示を出す立場の人はいるが、
その指示を待っていては殺されることを、みんなが知っている。
「どうする?」「自分で判断しろ」
「撃つか?」「自分で決めろ」
厳しい言葉が飛び交うが、それこそ戦場の会話である。
しかし、我々の職場だって戦場といえなくはない。
この緊張感、私にとって初体験であったが、
戦争の映画、やっぱり観るのはやめようっと。

P.S.
今、巷ではFacebookで「プロフィール」に
「フランス国旗」(トリコロール)を被せる、という行為が
物議を醸し出している。
すべて「自分の判断で、自分が決めた」のであれば、
それを肯定することも否定することも出来ないと私は思う。
強いて言えば「国民の祝日に、日本の国旗を」かな。(笑)



2015年11月15日(日)
七五三現象

11月15日は「七五三」、三島大社は「千歳飴」を持ち、
色鮮やかな着物を着た、可愛い子供たちが目についた。
(やや天気がぐずついて可哀想だったが・・)
ただ、10月からわが町の産業を担当することになり、
「七五三」というと「七五三現象」が浮かんでしまう。(汗)
「就職して3年以内に、中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が
離職する現象を指す」のだが、全国的に「卸売、小売業」に
顕著な傾向が表れているという。
店頭に立ち、積極的に接客する販売員などは、
意外と難しい「コミュニケーション能力」が求められ、
知らず知らずのうちにストレスが溜り、離職するケースが
多いことは、私でも想像がつく。
また、技術系・生産系の仕事のように、形が残らないから、
仕事に対する意欲が低下しやすいのかもしれない。
自分の住まいの近くに働く場所があることは、
やはり定住の大きな要件となるから、東京を除く、
全国の市町村は、雇用対策に必死となることも理解できる。
しかし、現在の職業の多くが、50年後にはなくなっている、
そんな話を耳にすると、今後どんな産業・職業がいいのか、
簡単には、判断ができないのが現実。
せっかくのおめでたい「七五三」のお祝いの日に、
こんな難しい話をすることになるとは・・
う〜ん、休日は仕事から離れなきゃなぁ。(笑)



2015年11月14日(土)
深みってのはね、出そうと思っても出せるものじゃないの。

映画「深夜食堂」(松岡錠司監督)から。
深夜しか営業しない食堂「めしや」に集る人たちは、
マスターの料理と、何ともいえない居心地の良さを求めて、
毎晩たくさんの人々が集まって来るらしい。
そんな中、余貴美子さん演じる料亭の女将は、
ぬか床をもって来店し、若い人たちに向けてこう呟いた。
「深みってのはね、出そうと思っても出せるものじゃないの。
時間がかかるのよ、私たちみたいにね、マスター」
その場面設定を説明するのがなかなか難しいが、
台詞として面白かったので「気になる一言」に選んでみた。
食品の「味の深み」はもとより、人間としての「深み」は、
いくらお金を積んでも、出せるものではない。
また、短い年月では「深み」は出せるものではないと、
「ぬか床」を渡しながら言うところが面白い。
人間としての深みを出すには、それなりの人生経験をし、
知識と知恵がバランスよく整った頃合いに自然と出るもの、
そう言いたげだった。
さらに、その「深み」という言葉は、自分が使うものではなく、
周りの人たちが、その人柄を感じとって、使うものだと思う。
歳を重ねてくると「深みのある人」と言われるのに憧れるのは
私だけではないだろうが、これが難しいんだなぁ。



2015年11月13日(金)
どちらかが、50年近く勘違いしていることになる

先日、高校生の頃からつき合っている親友から、連絡があった。
地元を離れている仲間が○日に帰省するので集合、
そんなメッセージがあると、彼らに会いたい一心で参加する。
メンバーは同級生、それも57年間、歳を重ねてきた仲間たち、
その場の会話の面白さは、ちょっと文字では表現しにくいが、
酔いにまかせて、記憶のぶつかり合いがあった。
いくら体調を崩しても、2020年のオリンピックまでは生きたい、
そんな湿った話かと思えば、前回の「東京オリンピック」の
重量挙げの三宅選手から、男子マラソンのアベベ選手まで、
自分の思い出せる記憶をフル動員して、盛り上がった。
この昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催の時、
自分たちは何歳だったか?の問いには、同級生だというのに
不思議なことに、意見がまっぷたつに割れた。
昔の国道1号(新道)で、初めて見る聖火リレーに
日の丸の旗を振ったのは幼稚園、という私の記憶と、
いやいや、東京オリンピックは、間違いなく
小学校のテレビで見た、という記憶があり、楽しかった。
「どちらかが、50年近く勘違いしていることになる」から、
自分の認知症を疑いながらも、必死に記憶を遡ることとなった。
調べれば簡単にわかるけれど、実は結論なんてどちらでもいい。
こんな他愛ない話題で、5時間も飲めるのだから、
同級生の飲み会は楽しいはずだ、と改めて実感した。(笑)



2015年11月12日(木)
10月29日(木)365万歩達成(301日目)していた

実は、先月、書き忘れたことがある。
私が歩いた歩数を記録し始めて、4年が経過しようとしている。
その日の寝る前か、翌日の朝、歩数をチェックして、
愛用の手帳の年間計画一覧に、その数字を書き込む。
さらに、同じ数字をエクセルシートに入力し、集計しながら、
年間365万歩(平均1日10,000歩)を目標に歩いているのだが、
先月の「10月29日(木)365万歩達成(301日目)」していた。
初めて達成した「2012年」は、よほど嬉しかったらしく、
「11月18日(日)366万歩達成(323日目)」と書いてある。
翌年、2013年は達成できず、昨年リベンジに挑戦し、
「12月19日(金)(352日目)」になんとか達成できた。
今年は、ネットで知り合った方々と励ましあって歩いたからか、
予想以上の速さで、目標の365万歩に辿り着いた。
4年間毎日記録をつけていると、以前紹介した「体重」と同様、
大体の感覚であるが、歩いた歩数がわかるようになってきた。
今日はちょっと足りないから、8000歩〜9000歩、
今日は歩き過ぎたから、15000歩を超えたな、という感じ。
今年は4年前のように、自宅に入る前に「歩計」を確認し、
足りなければ、意識的に自宅周辺を10分ほど歩いて歩数を稼ぐ、
そんなことはしなくなった。
10000歩にちょっと足りなければ、翌日少し頑張って歩く。
極端に多かったら、翌日は逆に休憩のつもりで無理しない。
とにかく、1年を通じて健康でいることが目的であり、
そのための目標が「年間365万歩」であることを理解している。
これまた「継続は力なり」を実感出来る、簡単な試み。
意識して続ければ、誰でも達成できることなんだよなぁ、実は。



2015年11月11日(水)
わたしたちは、街の見守り隊。

小冊子で見つけた、読売新聞の紹介エッセイ。
「特別なことは、何もしていません。
届けるべき新聞を、届けるべき読者のもとに、届け続ける。
ただ、それだけのことです。
けれど、日々、同じ時刻に、同じ道を通る仕事だから、
ささいな街の変化にも、気づくことができます。
だからこそ、わたしたちにできること。
それは、配達を通じて、街の安心を見守ることだと思うのです。
もしものときに、少しでも力になれるように。
街のために、そこに住む人のために、
今日も、明日も、明後日も。わたしたちは、街の見守り隊。」
私が毎日、柿田川の今を伝える情報を発信している理由が、
この新聞のエッセイに表現されていたので書き写した。
「街」を「柿田川」に読み替えるだけでいい。
この使命感こそが、持続力につながっているのだと思う。
わが町の住民には、声高らかに、そして声を揃えて言って欲しい。
「わたしたちは、柿田川の見守り隊。」



2015年11月10日(火)
演劇と映画の「絶妙なコラボレーション」

映画「シネマ歌舞伎 野田版 鼠小僧」(野田秀樹演出)から。
わが町の映画館(シネコン)で上映されなければ、
たぶん一生観なかったであろう作品の1つ。
演劇は「劇場」、映画は「映画館」という私の固定観念から、
どうしても結びつかなかった関係であったが、
歌舞伎の舞台作品をHD高性能カメラで撮影し、
映画館にてデジタル上映するという映画と演劇のジャンルを超えた
新たな取り組み」という説明に、私の好奇心が動いた。
初めての体験だった「シネマ歌舞伎」であるが、
予想外(?)にも、平日の昼間だというのに多くの観客があり驚いた。
「映画ファン」なのか「歌舞伎ファン」なのかは知らないが、
涙あり笑いありの演劇の面白さが会場内を包み込み、
偶然横に座ったご婦人も、声を出して笑ったりしてたから、
どちらかと言えば「劇場」に近い雰囲気だったようだ。
これからも、いろいろな利用方法を模索しながら、
大スクリーンでしか伝わらない「臨場感」を味わいたいと思う。
これだけは「自宅でDVD」をお薦めしない。(笑)



2015年11月09日(月)
古いほど巨大 古いほど精巧 古いほど類似

映画「ピラミッド 5000年の嘘」(パトリス・プーヤール監督)から。
ピラミッドに隠された数々の疑問に答えを出していく展開に、
テレビの特集番組と変わらないな、と思いながらも、
なぜかメモしながら、夢中になってしまった。
「今日でも困難な作業でしょう」「原始的な記録はありません」
「学者たちの意見はバラバラです」「理由はさっぱりわかりません」
「とても人間業とは思えないですからね」「驚くばかりです」
「用途不明の遺物」「驚嘆に価します」「驚異的な事実です」
「人間の手では生み出せません」・・・これでもか、と続く台詞。
その根拠は「古いほど巨大 古いほど精巧 古いほど類似」という遺跡。
今の人類の技術では不可能な「巨大・精巧・類似」建造物に、
宇宙人の存在でも言い出すのかと思ったら、
「地球上で大いに繁栄した文明が、自らの運命を自覚しつつ、
未来の世代に警告を発していたのです」とまとめた。
へぇ〜、こういう展開もありだな、と感心するとともに、
もしかしたら・・こちらの説の方が正しいかも、と唸った。
こういった謎解き、けっこう好きかも、私の場合。



2015年11月08日(日)
柿田川は私たちにいろいろなことを教えてくれます

第12回柿田川シンポジウム(主催:柿田川生態系研究会)から。
今回のテーマは「柿田川、そのもたらすもの」
(〜実質的な恩恵、やすらぎ、くつろぎ〜)だった。
学術的な観点から、柿田川の生態系を研究している人たちの話は、
私の思いもつかなかった角度からの成果発表で楽しかったし、
柿田川を貴重な自然を、大切に思っている人は、
自然保護をしている人たちだけではなく、いろいろな分野で
研究してる人たちにとっても、魅力的な存在だった。
世界でも少ない、全てが湧水の河川は、一般的な河川と比べて、
「極めて水温と水量が安定している大規模湧水河川」と表現し、
日量100万トンの水量と、1年を通じて「15度」という水温の安定は、
実は、水中生物にとって、いや生態系の研究者にとって、
ものすごい環境だということを、再認識させられた。
「河川生態系の解析に最適な河川」という言葉をメモにした。
また「柿田川は私たちにいろいろなことを教えてくれます」と
大学の名誉教授が成果発表をしたかと思えば、
地元の小学生・中学生が、自分たちがこれからすることとして
「柿田川をもっと知って、もっと体験して、発信していくこと」
「僕たち、一人ひとりの意識を高めること」として、
多くの研究者を前に、堂々と発表したことは、
私にとって、とても嬉しいメッセージ(エール)だったと思う。
そのためにも、基本に戻って「まず多くの人に知ってもらう」、
こんな素晴らしい川のある町に住んでいることを、
より多くの人に伝えたいと感じた、シンポジウムであった。



2015年11月07日(土)
「権利」を主張するなら「義務」も果たそうよ

国勢調査の指導員として、朝から夕方まで会議室に閉じこもり、
調査票の審査をしていたが、なかなか思うように進まない。(汗)
今回から、インターネットでの回答も可能になり、
若い人が少しでも協力してくれるようにしたはずなのに、
調査に協力してくれない世代は、民間の賃貸アパートに住む、
ひとり住まいの若い人たちが多い気がする。
たった5分くらいで済む、簡単なアンケートにも近い国勢調査、
それも自宅でのPCやスマホの入力や調査票に記入するだけなのに、
そんな時間が取れないようでは、投票所まで足を運ぶ選挙には、
当然、棄権なんだろうな、と悲しくなってしまった。
仮に仕事が忙しく帰宅が遅く、調査員さんに会えないとしても、
ポストに入っている郵便物を確認し、その時に済ませることが
どうして出来ないんだろうと、不思議で仕方がない。
デレビやインターネットを楽しむ前の、ほんの数分なのに、
優先順位がつけられないのだろうか。
異論反論を覚悟で書くとするとすれば、この国勢調査の結果が、
日本の動向として捉えられ、次世代の政策へと反映されるのだから、
自分たちの生活実態を国に知ってもらうためにも、
国民の義務として、国勢調査にしっかり協力することが大切だと思う。
以前に比べ、調査項目もだいぶ簡易になったことすら知らず、
ただ単純に「面倒くさい」と言うのであれば、
「権利ばかりを主張するなよ」と、私は感じている。
日本国民の義務と権利は「一対」のものだから、
「権利」を主張するなら「義務」も果たそうよ、と思うだけなのだが、
これも言い過ぎだろか、もちろん、若い人たちだけではないけれど。



2015年11月06日(金)
私の真実を胸を張って言おう。人生を精一杯生きてきたと。

映画「最後のMY WAY」(フローラン=エミリオ・シリ監督)から。
フランク・シナトラの名曲「マイ・ウェイ」の作曲者として知られ、
世界デビュー直前の39歳で急逝したフランス人歌手、
クロード・フランソワの生涯を映画化、という説明に、
興味を惹かれ観始めたが、1時間10分が経過するまで
「マイ・ウェイ」に関する話は登場せず、
ただ波乱万丈の人生を、繰り返し観させられた気がする。
たしかに、そういった人生を振り返り語った歌だからこそ、
この歌詞に共感する人が多いのかもしれないが、
なにもハチャメチャなの人生を送らなくても、この歌は感動する。
それは、それぞれが自分の人生を、精一杯生きてきたからだろう。
歌詞の一部に、こんなフレーズがある。
「私の真実を胸を張って言おう。人生を精一杯生きてきたと」
どんな生き方であれ、一所懸命生きていれば、
いつの年代でも「胸を張って」言えるに違いない。
この映画で監督は、何を伝えたかったのだろうか。
世界的に有名な「マイ・ウェイ」は、英国の歌ではなく、
フランスの歌だと言いたかったのかもなぁ。
私としては「彼のレコード売上総数は6700万枚。
亡くなった日が、1978年3月(11日)」のほうがメモ対象だな。



2015年11月05日(木)
ますます謎が深まった「泉頭(いずみがしら)」という地

先日、徳川家康公顕彰四百年記念事業として、
「第1回清水町・泉頭 歴史文化フォーラム」が
地域交流センターで開催された。
全国の名所旧跡を数多く知っている「徳川家康」が、
自分の余生を過ごす場所として、柿田川のほとりを選び、
隠居所を建てようとした史実が明らかにされ、
そんな素晴らしい場所に住んでいる私たちは、
自然景観としての天然記念物「柿田川」に、
徳川家康が隠居をしようとした歴史が加わったことで、
さらに、付加価値がつき、ワクワク感が増した。
この地に住み、この地で働くことの「誇り」とともに、
自信を持って、外に向けて情報発信ができる気がした。
ただ、一度は決めた隠居所が急遽中止になった理由は、
「本光国師日記」等の史実に基づく説明で理解できたが、
どうしてこの地(泉頭)を選んだのか?という私の疑問は、
解決されぬままだった。
一言で言えば「ますます謎が深まった『泉頭』という地」。
わからないからこそ、いろいろな想像が膨らむ。
そしてその「謎」を追求することでまちづくりができる。
選んだ理由や、建てていたらどんな間取りだったのか、
想像するだけで楽しくなる。だから、歴史は面白い。



2015年11月04日(水)
観光は「アッセンブル(組立)」=地域の総合力が試される

講師「庁野朗」氏(日本観光振興協会常務理事・総合研究所長)
演題「歴史、伝統文化、生業を活かした観光地域づくり」から。
さすが、多くの事例を仕掛け、見てきた講師だけに、冒頭の
「観光客は、俯瞰で見て面白そうなところに降り立つ」という
説明から、メモは増え続けた。
昔からある「お伊勢参り」を「観光・集客の原点」として、 
観光の仕組みが全て揃っていた、との解説は、頷ける。
特に「観光」という言葉に「固定観念」を持ち続けていると、
メスが入りにくい、という指摘と、今の時代は、
「観光」という言葉を使わないで「人を集める」仕組みが
大切なことを教えていただいた。
そして、観光は「アッセンブル(組立)」とまとめた後、
「=地域の総合力が試される」と付け加えた。
今は、観光で生計を立てている人たちだけの問題ではなく、
まちの魅力アップの方策として「観光」が活用される。
「地元の人は、きれいな水が財産となりえるって気づかない」
と言い切った講師のアドバイスを参考に、まずは、
「そこに住む人たちに、この町の素晴らしさを伝える」、
そのことから始めてみたい。



2015年11月03日(火)
落語「目黒のさんま」を聴いてから「大さんま祭り」へ

職場の後輩から「秋の陣・大さんま祭り」の招待メールが届いた。
国勢調査指導員の仕事もあり、ちょっと迷ったが、
やはり「脂の乗った秋刀魚」には勝てなかった。(汗)
お昼を目安に仕事を切り上げ、飲みたいお酒とお土産持参で
会場となる後輩宅へ向かうのだが、なぜか私のとった行動は、
落語「目黒のさんま」を聴いてから・・と思いつき、
スマホでYouTubeから検索して探し出し、
三遊亭円楽師匠の「落語」を聴いた。
その後、炭で焼いた本物の「秋刀魚」を食したら、
殿様になった気分で、落語の情景が鮮明に浮かんできた。
もちろん秋晴れの下で食べた、秋刀魚の味は格別であった。
「落語」って、こんな楽しみ方もあるのか・・と我ながら、
可笑しかったが、四季折々のネタを参考に、
落語「長屋の花見」を聴いた後、本物の花見に出かけたり、
落語「時そば」を聴いた後に、屋台のそばを食べてみる。
これだけでも、だいぶ豊かな生活が送れる気がした。(笑)
今まで何も繋がりがなかったものを、無理やりでも繋げてみる。
「落語と食」のコラボレーションは、意外な発見があるので、
是非一度、試して欲しい。



2015年11月02日(月)
僕がなりたいのは、貧乏人

映画「ミラクル7号」(チャウ・シンチー監督)から。
「さすが、中国映画!」って感じで、観終わった。(笑)
冒頭、有名私立小学校に通う子どもたちが、
大きくなったら・・の夢を語るシーンがある。
メモしてて、笑ってしまった。
「どんな会社でもいいから、大会社の社長になりたい」も、
かなり面白い答えであったが、
やはり主人公が手を挙げて堂々と答える
「僕がなりたいのは、貧乏人」を選んでみた。
父親にいつも「貧乏人こそ素晴らしい」と言われているようだ。
作品中「たとえ貧乏人でも、そんな言葉は使うな」とか、
キーワードになりそうな言葉も、続いてきた。
私の頭の中では「『貧乏』と『貧乏人』は違う。」とか
「どんなに貧しくても、心の貧乏人にだけはなるな」とか
多くの「貧乏」に関するフレーズが浮かんできた。
こういう映画は、内容を期待してはダメ、とメモに付け加えた。
殺し合う映画よりは、私は好きだなぁ。



2015年11月01日(日)
深川で、この豆腐売るのはホネだね

映画「あかね空」(浜本正機監督)から。
京の豆腐を題材に、江戸を舞台として展開される人情もの。
物語の前半、京で豆腐作りの修行を積んだ主人公・永吉が
江戸の深川で店を開いた。
当初は、京からの「下りもん」という物珍しさで賑わうが、
江戸の固い豆腐に慣れている町民は、もとの豆腐に戻る。
それを言い表したのが「深川で、この豆腐売るのはホネだね」
もちろん「骨が折れる」という言葉の略だが、
「苦労する」「面倒である」という意味で「不可能」とは違う。
軌道に乗るまで時間がかかるというだけで、
「味」さえしっかりしていれば、いつか受け入れられる、と
プラスの意味で私は解釈している。
誰も歩いたことのない道を、自分を信じて進むことは、
それなりに苦労はつきもの、と割り切っているからこそ、
最後までやり通せるのだと思う。
元大リーグの野茂投手、元Jリーグの三浦カズ選手、
彼らがいたからこそ、若い人たちが安心して旅立てるのだから。