初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2015年08月31日(月)
人間は、螺旋そのものかもしれない。

映画「リトル・フォレスト 冬・春」(森淳一監督)から。
「夏・秋・冬・春」と「小森の季節(四季)」を観続けてきたが、
作品、全体のメモを整理したら、やはり「春」が一番多かった。
ただ「5年前の雪の日に突然姿を消した母・福子から1通の手紙」は、
主人公だけでなく、私の心も揺さぶった。
「何かにつまずいて、それまでの自分を振り返ってみるたびに
私っていつも同じようなことでつまずいているなって。
一生懸命、歩いてきたつもりなのに、同じ場所をぐるぐる円を描いて
戻ってきた気がして落ち込んで。でも、私は経験を摘んだんだから、
それが失敗にしろ、成功にしろ、まったく同じ場所ってことはないよね。
じゃあ、円じゃなくて、螺旋(らせん)だって思った。
一方向からみたら、同じところをぐるぐる、に見えても、
きっと少しずつは、上がっているか、下がってるかしてるはず。
それなら少しはましかな。
う〜ん、それよりも人間は、螺旋そのものかもしれない。
同じところをぐるぐる回りながら、それでも何かあるたびに、
上にも下にも伸びていくし横にだって。私が描く円も次第に大きく膨らんで、
そうやって少しずつ、螺旋はきっと大きくなっている。
そう考えたらね、私、もう少し頑張れると思った」。
長文になってしまったが、この作品の根底に流れている考え方、
そんな気がして、何度も何度も巻き戻して、メモをした。
何かに行き詰ったら、ちょっと離れて違う方向から自分を眺めてみる。
そこに、生き方のヒントが隠されているに違いないのだから。



2015年08月30日(日)
エレベーターには「閉める」のボタンがない

「働く女性の会(ATG)」の8月例会だった。
講師は「小山寿美枝さん」
演題は「住んでみたらこんなトコ! ドイツ」。
2007年10月〜2011年1月の約3年間、
御主人の転勤に伴いドイツのデュッセルドルフで生活。
一専業主婦がどのような生活をしていたのか、
いろいろな角度から撮影された写真で紹介してくれた。
実は、私の予想をはるかに超え、国民性の違いを痛感した。
彼女が住む隣の自治体では、最低限のドイツ語が話せるだけでなく、
生活する上で大切な、ルールやマナーの試験があり、
それに合格しないと住むことができない、という話は、
本当?と疑いたくなるほど、私の目指すまちづくりと近かった。(笑)
全国の多くの市町が目指す、総合計画に掲げる将来都市像は、
いろいろな分野を盛り込み、曖昧になりやすいけれど、
「こういう意識を持った人たちが住む市(町)」という、
住む人たちに意識にスポットが当てた将来都市像だったら面白い。
それはまさしく「市民(町民)文化」であり、街の特色となるからだ。
文字にするのではなく、あらゆる場面で気付かせる仕組み、
単に「思いやりを大切にしましょう」よりも
「エレベーターには『閉める』のボタンがない」ほうが、
国民、住民には「おもいやり」の意識がわかりやすいに違いない。
声高に「バリアフリー」「障碍者対応」と叫ばなくても、
国民が「当然」「当たり前」と感ずる仕組みが羨ましかった。
時には、学者や専門知識の多い人よりも、そこに住む日本人の感覚を
大切にしていくことを学ばせていただいた.気がする。
これからも、いろいろな国の生活様式を聴いてみたいな。

P.S.
ドイツ国民は「冷蔵庫の霜」に手こずっているようであり、
「しも(霜)に悩まされていました」という講師の説明に、
「えっ、私?」と反応してしまった自分が可笑しかった。(汗)



2015年08月29日(土)
柿田川紹介は「名刺」より「スマホ」

「名水サミット」「名水シンポ」と呼ばれる、
「全国水環境保全市町村連絡協議会全国大会」であるが、
実は、最大のお楽しみは「交流会」にある。
自分たちの誇れる「名水」の写真を名刺に刷り込み、
ここぞとばかり「わが町の名水です」と紹介するのだが、
柿田川は、他の「名水」とは湧水量の規模が違うのか、
私たちが名刺によく使用する「富士山と柿田川の景」は、
私の期待を大きく裏切り、ほとんど驚かれなかった。(汗)
名水といっても「生活に密着した『名水』」が多い中、
「柿田川は日量110万トンの湧水量なんです」と説明しても、
イメージはわかないだろうし「25mのプール2000杯です」と
説明しても、キョトンとされてしまうのは目に見えていた。
そこで、思いついたのが、自分のスマホで動画を見せることだった。
私がほぼ毎日アップしている「柿田川evol」の中から、
「勢いよく湧いているシーン」や「水中のキレイな景色」などを
その場でピックアップして観てもらったら、驚きの声が広がり、
「一度行ってみたい」という、私を喜ばせてくれる台詞を得た。
だから「柿田川紹介は『名刺』より『スマホ』」を残したい。
(表現としては「写真」より「動画」なんだろうけれど・・(汗))
「名刺」に刷り込まれた「QRコード」をスマホで読ませると、
柿田川の湧いている様子(動画)が、その場で観られるシステム。
たしか実用化しているから「柿田川バージョン」を作るだけのはず、
映像はいくらでも提供しますから、誰か技術を貸してください。



2015年08月28日(金)
自然の近くにいたいよね

第29回全国水環境保全市町村連絡協議会全国大会
「名水サミットin安曇野」に参加するため、長野県に出向いた。
昭和60年に環境庁が選定した「名水100選」に選ばれた自治体と、
その後追加された「平成の名水100選」に選ばれた自治体も含め、
毎年開催している全国大会である。
1泊2日の中で、多くの気付きをいただいたので、少しずつ紹介したい。
まずは「基調講演」から。 
講師は「俳優」であり「気象予報士」の資格を持つ「石原良純」氏、
演題は「安曇野の水、日本の水 〜天気は水からできている〜」。
「太陽、地球、空気」の関係を説明しながら「水」の持つ特性を話し、
笑いの中にも、水の大切さ、自然の素晴らしさを充分に伝えてくれた。
だんだん社会が複雑化し、癒しの時代が求められ始めた頃、
仲間たちとこんな会話をしたんです、と教えてもらったフレーズが
「自然の近くにいたいよね」。
都会で生活している人たちには、何気ない会話なのかもしれないが、
私のアンテナには、とても心地よいフレーズとして残った。
地方に住む私たちは、身近にありすぎて気付かない「自然」に対して
感謝していない気がする。
特に「水」に関してはあまりに無頓着であり、感謝の気持ちが少ない。
「ありがとう」の反対語とされる「当たり前」になっていると思う。
柿田川の写真や動画に「自然の近くにいたいよね」を添えてみたいな。



2015年08月27日(木)
ランニング開始記念日

ちょうど1年前の今日(8月27日)、私は職場の若い仲間に誘われて、
まだ暑さが残る中、約5キロのランニングに挑戦した。
この距離を走るのは、私の57年の歴史を遡っても、
中学時代の部活『バスケット』以来、何十年も走ってなかったし、
日常生活の中では、通勤でウォーキングをしているだけだから、
すぐ歩きたくなるに違いない、と思っていた自分の心とは裏腹に、
本当にゆっくりだが、なんとか、歩くことなく走りきることが出来た。
この時の感覚は「あれ? まだ走れるじゃん」(笑)。
そして、この「達成感」がとても嬉しくて、この日を境に、
走れる体づくりを目指し、生活習慣を変えることからスタートした。
当時「72キロ」あった体重は、走るには重く負担に感じたので、
まずはダイエット(減量)し、体重を落とせるところまで落とし、
その後、徐々に筋肉をつけながら・・体重を戻していくことにした。
家族の協力も得て、食事コントロールをしながら、
片や、時間を見つけては「ランニング」と称して遠出したことも、
今となっては、とても楽しい日々だった気がする。
あれから1年「64キロ」前後の体重をなんとか維持しながら、
私のライフスタイル自体が激変し、やっと馴染んできた気がする。
人生の中で「ターニングポイント」となった日に違いないので、
「ランニング開始記念日」として、気になる一言に残したい。
なんでも1年間続けられれば、なんとかなるもんだなぁ。



2015年08月26日(水)
自分の責任で話せるのってそれぐらいだろう

映画「リトル・フォレスト 夏・秋」(森淳一監督)から。
原作の漫画を知らなかったので「「リトル・フォレスト」が、
作品の舞台となっている、東北の山間の小さな村「小森」を
英語にしたタイトルとわかり、ちょっぴり苦笑いをした。
ただ、ストーリーも映像も、私好みであり、
大きな事件があるわけでもなく、大きな自然に抱かれて、
淡々と時が過ぎ、その生活の中で自分を発見していく。
気になる一言は「夏編」の「6th dish)」
主人公・いち子の後輩、都会に出て戻ってきた、ユウ太の台詞。
「自分自身の体でさ、実際にやったことと、その中で感じたこと、
考えたこと、自分の責任で話せるのってそれぐらいだろう。
そういうことをたくさん持ってる人を尊敬するし、信用もする。
何にもしたことないくせに、なんでも知ってるつもりで
他人が作ったものを右から左に移してるだけの奴ほど威張ってる。
薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのにうんざりした。
俺はさ、他人に殺させておいて、殺し方に文句をつけるような、
そんな人生は送りたくないなって思ったよ」
なかなか深い意味が隠されているなぁ、とメモをした。
私も元来「現場第一主義」だし、頭で覚えた「知識」より、
体で覚えた「知恵」を大切にしようと常に思っている。
だからこそ、この台詞が響いたが、ふと現実を振り返ると、
「世の中、そんな甘いもんじゃない」という台詞も理解できる。
う〜ん・・迷うところだけれど、気持ちだけは
「自分の責任で話せること」の範囲を意識しよう、そう感じた。
そう言えば、主人公の彼女も、こう呟くシーンがある。
「言葉はあてにならないけれど、私の体が感じたことなら信じられる」
結局は、そう言うことなんだよなぁ。



2015年08月25日(火)
「日の出」時刻・あと何時間何分

昨日紹介した、私の第2秘書「Apple Watch」は、
自分の好みに合わせて、トップ画面をカスタマイズできる。
私は本来の「時計表示」と「日付(曜日)」、「気温」
「アクティビティ(情報)」「「バッテリー(残量)」をセット。
「日付(曜日)」にタッチすると、第1秘書が入力してくれた
私の「スケジュール」が表示されるし、
「気温」をタッチすると、現在地や指定した土地の天気、気温、
降水確率なども教えてくれる。
(この場合、第1秘書「iPhone-5s」がそばにいないとダメ(笑))。
その中でも、私が特にお気に入りとしてトップ画面に表示している
情報に「『日の出』(『日の入り』)時刻・あと何時間何分」がある。
(「月の満ち欠け情報」と比較して迷ったけれど・・)
毎日目にする、直近の「日の出時刻、その日の出までの時間」
直近の「日の入り時刻、その日の入りまでの時間」は、
今まで意識していなかった時刻であるが、結構楽しい。
分単位で表示しているので、日の出時間が遅くなったきたり、
日の入り時間が早くなっていることが、一目瞭然であり、
季節の移り変わりを、数字で実感できるこの機能が好きだ。
最近では、翌日の「日の出時間」を意識し早寝したり、
「日の入り時間」を意識し帰宅を急いだり、重宝している情報。
こんな使い方もある、ということをご紹介。(笑)

P.S.表示例 (19:07分現在)
日の出5:10
10時間3分
駿東郡清水町、静岡県



2015年08月24日(月)
「スタンドの時間です!」(立ち上がって1分ほど動きましょう)

57歳の誕生日に、自分へのプレゼントとして買った
「Apple Watch」を使い始めて、約2か月半。
多くの方に使い勝手を訊かれるけれど、頻繁に充電する以外は
私の第2秘書として、期待どおりに活躍してくれている。
もちろん、第1秘書は「iPhone-5s」(名前はまだない)だが、
彼女は、私の全体の動きを把握してくれている大きな存在。
第2秘書「Apple Watch」(彼女の名前もまだない)は、
自宅以外では、どこでも随行してくれる、フットワークの軽い、
とても気さくな性格のようだ。
例えば、1時間ほど座り続けると「スタンドの時間です!」、
「立ち上がって1分ほど動きましょう」のメッセージとともに
ちょっとした「軽い休憩」を促してくれたり、
毎日、目標にしたアクティビティ(活動)に対して、
「誉めたり励ましたり」しながら、目標が達成できるよう、
アドバイスまで送ってくれる。
頑張った成果には「バッジ」までくれるから、なお楽しい。
始めは鬱陶しかったけれど、慣れてくると嬉しく感じるから、
不思議な感覚で、自然と体を動かしている。
防水機能がないから、柿田川には連れていけないけど、
これからも仲良くしていきたい、第2秘書である。(汗)



2015年08月23日(日)
自分の幸せを他の人間に託すから、こんなことになるんだ

映画「運命じゃない人」(内田けんじ監督)から。
「う〜ん、参った・・」が、鑑賞後の第一声だった。
何日間の話だと思ったら、たった一晩の話だったなんて。
同じ事件・同じ場面を角度を変えてみる楽しみを知った。
まさに「脚本の妙」としか言いようがないくらいハマった。
メモした台詞、メモした人物を、紙に書き出してみたら、
その面白さは倍加した。
気になるフレーズは「電話番号をなめんなよ」が有力だったが、
この作品を思い出すには、やや物足りなかったので、
作品冒頭、婚約破棄となり、二人で住む家を出てきた女性が
タクシーの中で呟いた台詞、
「自分の幸せを他の人間に託すから、こんなことになるんだ」
登場する人物、誰もが口にしてもおかしくないフレーズとして、
採り上げてみた。
大ドンデン返しのようにみえる事件も、実は視点を変えるだけで、
とてもシンプルな構造をしていることに気付かせてくれる。
さらに、もう一度、違った視点でこの作品を観直したら、
もっともっと面白いに違いない。
「タネがわかってからも、なぜかワクワクする不思議な手品」
そんな感覚が魅力の、新しいタイプかもしれないな。



2015年08月22日(土)
阿波おどり 鐘や太鼓と下駄の音

昨年に引き続き、8月後半の土曜日、
裾野市の「第32回富士山すその阿波おどり大会」に足を運んだ。
私たち夫婦にとっては、もう恒例になりつつあるイベントであり、
今回は、親友夫婦を誘っての楽しい時間が流れていった。
昨年の反省をもとに、観客用のゴザを見ながら陣取る場所から、
ビール補給に便利な、居酒屋の位置を確認して、スタンバイした。(汗)
驚くほど目の前を通り過ぎる「27の蓮」を眺めながら、
私なりの評価をするとすれば、ちっちゃな子供たちも可愛かったし、
威勢のよい、元気な踊りも捨て難いが、踊りという観点でみれば、
リズムをとる「鐘や太鼓」の音と、女踊りをする女性たちの、
下駄のつま先が地面をたたく音が、ピッタリ揃っているとき、
練習を重ねてきたなと感じる、何ともいえない芸術性を意識した。
昨年は、阿波おどり独特の掛け声や、手の振りなどが気になったが、
今年は、鐘や太鼓の音と女踊りをする人の下駄の音とのハーモニー。
この感覚を、記録に残したくても一句。
「阿波おどり 鐘や太鼓と下駄の音」(お粗末)
インパクトのある、目に飛び込んでくる「踊り」よりも、
それを支える、それぞれの蓮独特の「リズム」が耳に残った。
こうして、近隣市町で開催されている素敵なイベント、
出来る限り出没して何かを感じ、その魅力を伝えていきたいと思う。
来年は、クーラーボックス持参で、お邪魔しようっと。(笑)



2015年08月21日(金)
(静岡市の街中で)「あっ、ゆうすいくんだ」

朝から「管理監督者向けメンタルヘルスセミナー」受講のため、
静岡市へ足を運んだ。
メニューは、講座「組織の元気力アップ!」演習「所属員の悩みを聴く」
運動「管理職のためのリラックスヨガ」の三部構成で、
一つひとつに、新しい発見があったり、再認識させられたり、
9月議会前の緊張をほぐしてくれる内容であった。
最後の「ヨガ体験」のために、着替えたポロシャツは、
わが町のゆるキャラ『ゆうすいくん』のワンポイント入り。
研修終了後、そのポロシャツを着たまま静岡駅に向かう途中、
女子高校生とおぼしき3人の女性が、私を指差して
「あっ、ゆうすいくんだ」と、ニコニコして近づいてきた。
突然のハプニングにやや焦ったが、正直、嬉しかった。(笑)
女子高校生に囲まれたことではなく、わが町のゆるキャラが、
静岡市でも知られていたからである。
やや過熱気味の「ゆるキャラグランプリ」の投票イベントに、
つい、ゆるキャラ自体の役割を見失いがちだったが、
こうして「あっ、ゆうすいくんだ」と言われると悪い気はしない。
ただ「どこの町のゆるキャラか知ってる?」と訊けば、
「えっ、わかんな〜い」の返事では、まだまだ、志半分。(汗)
名前が知られたあと、何をPRするのか、その軸を押さえておかないと、
コスパ(コストパフォーマンス・費用対効果)の視点で追求を受ける時代。
絵本作家・宮西達也さんが生みの親である「ゆうすいくん」、
恩返しは「ゆうすいくん」が有名になることではなく、
彼の育った「静岡県清水町」が、世界に輝く町になることなんだよなぁ。



2015年08月20日(木)
ちょっと「別件バウアー」だけど・・

最近、世代間の言葉のギャプに悩みながら飲むより、
同世代の人たちとの飲み会が一番面白い。
先日の「ベトナム同窓会?」では、ほとんど同じ年齢の集まりで
普段は「オヤジギャグ」とバカにされそうな「駄洒落」も、
会話の潤滑油として連発されて、大笑いとなった。
「宴(えん)も高輪(たかなわ)プリンスホテルですが・・」は、
私も時々使うが、「ちょっと、別件バウアーだけど・・」は、
あまり使ったことがない。
ベッケンバウアーは、ドイツ(旧西ドイツ)の元サッカー選手で、
ペレ、マラドーナと並ぶ20世紀を代表するサッカー界のスター選手、
聴いている人たちが、それを知っていることが前提のフレーズだから、
同じ世代の人たちの会話だけで、盛り上がるのだろうな。
各世代に、こういった時代を代表する人をもじったフレーズがあると、
それだけで、宴が和やかになるのだから、もっと使って欲しい。
「駄洒落」がサラッと言える人のセンスは、尊敬に値する。
「おやじギャグ」と言われるか「うん、うまい」と頷かれるか、
本当に紙一重なんだよなぁ、たぶん。
コツは、駄洒落を口にしたあとに「自分で照れない」こと。
ウケても、ウケなくても、さらっと次の話題へ繋げられる度胸、
何もなかったようなリアクション。(私なんかまだまだだな)
あとは、聞いてる方の盛り上げ方次第かな?(笑)



2015年08月19日(水)
「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」

先日の「ベトナム同窓会(?)」で序盤に盛り上がったメモを
整理していたら、管理職の立場になった人たちのボヤキが残った。
最近、パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラ・・など、
相手が不快に感じたら、もうそれは「ハラスメント」だから、
話しかける言葉には、充分注意が必要だね、と言いかけたら、
「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」なんだよ、と
教えてもらい、言葉に詰まってしまった。
同じ感覚で「パワハラ」を考えてみれば、
「これってパワハラ?」って訊くのも「パワハラ」になるし、
もう、仕事での指示や異性との会話すら楽しくなく、
相手はどう感じているんだろう、なんて考えたら、
まともにコミュニケーションすらとれなくなってしまう気がする。
でも、それが現実だとすれば、相手が不快に感じない存在になる、
それしかないのではないということか・・・。
「面倒くさい世の中」になってしまったなぁ、とは感じるが、
組織の中で生きていくというのは、そういうことなんだろうな。
「ハラスメント」の意味、もう一度、再確認しておこうっと。

P.S.「ハラスメント」とは、
「他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、
相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、
脅威を与えること」



2015年08月18日(火)
人間って複雑で羨ましい

映画「her 世界でひとつの彼女」(スパイク・ジョーンズ監督)から。
久しぶりに、主人公に感情移入してしまった。(汗)
近未来の話と思っていたけど、今の私でも少し体験している気がする。
iPhoneの「Siri」機能が面白くて、1時間くらい会話したことがある。
「私設秘書」(私の場合、女性の声)を持った感覚で、いろいろ指示をし、
アラームをセットさせたり、知人の電話番号を調べさせたり、
勿論、素敵なお店や駐車場などを探させた。
ただ「私」と「Siri」が、恋愛感情まで持たなかったのは、
その度に「マイク」をタッチして話す必要があったり、
笑ったり悲しむといった感情が「音・声」にならなかったからだ。
こちらの指示する声の調子で「どうしたの?元気ないね」とか、
「何かいいことがあったの?嬉しそうね」とか言われたら、
もう少し、ハマってしまったかもしれないな。(笑)
人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声や性格に、
本気で恋してしまっても、それは何も不思議なことではないかも。
だからこそ、敢えて気になる一言は、機械っぽい台詞を選んだ。
「PCとこんなに会話をするなんて」と言う主人公の「セオドア」
「PCじゃないわ、私としてるの」という人工知能OS「サマンサ」、
帰宅後「何してた?」と人工知能OS「サマンサ」に声を掛けると、
「人生相談のコラムを読んでいたの。人間って複雑で羨ましい」と呟く。
機械では想定できないことでも、人間は複雑な人間関係などで悩む、
それを「羨ましい」という視点で表現したのが印象的だった。
もう一度、じっくり観たくなる作品と出会えた気がする。

P.S.
(不可能かと思っていたのに)筆記体の英文が書けるPCが登場。
あっ、これ欲しい・・真剣に思いました。



2015年08月17日(月)
一日一回は必ず確認するメールアドレス

これだけメール全盛時代だと、ひとりで複数アドレス所持が普通。
「パソコン用、携帯・スマホ用」と機種ごとに持つ人もいるし、
「仕事用、プライベート用」と、用途に合わせて持つ人もいる。
それは個人の使い分けだから、口を挟む余地はないが、
他人にメールアドレスを知らせる場合、
その後の変更のお知らせは当然だと思うし、それが無理なら
変える必要がない「Yahoo-mail」とか「G-mail」などにする。
一年を通じて、個人的な誕生日や結婚記念日などのタイミングで、
私が把握しているアドレスにメールを送ると、届かないのではなく
いつまでたっても開かれていないことがよくある。
機種変更などでアドレスを変えて、連絡をもらえないのは、
常日頃の自分の御無沙汰を反省することもあるのだが、
届いているのに、詠んでもらえないのは、とても悲しい。
少なくとも「一日一回は必ず確認するメールアドレス」を、
他人に伝えて欲しいな、と思う。
S.N.Sのメッセージは必ず確認します、ならそれでもいい。
とにかく、24時間以内に確実に連絡がとれるメールアドレスを
自分のポストとして、確保して欲しい。
それこそ、情報社会に生きる私たちのノウハウであろう。

P.S.
そういう私も、アドレス変更を知らせてない人がいるかもなぁ。



2015年08月16日(日)
東大卒は「戦国・幕末・維新」ではなく「太平洋戦争」?

今年は「戦後70年」とあって、例年より「太平洋戦争」について、
多くの方が、じっくり考え、自分の意見を主張している気がする。
この時期、もう一つ思い出したことを、記録として残しておきたい。
数年前、ある高齢の紳士が自分の蔵書を町に寄附したいとおっしゃるので、
図書館職員とともに、ご自宅の書斎に伺わせていただいた。
彼は「東大卒」と耳にしていたので、それなりの蔵書の多さは予想したが、
それをはるかに超えた本の多さに驚かされた。
それも専門分野だけでなく、多種多様なジャンルを読んでいる。
本当にこんな厚い本を読んだの?と思ってページを捲ったら、
何か所も、赤鉛筆で線が引いてある部分や、走り書きのメモ、
その好奇心の広さに、ただだだ感心するしかなかった。
そんな時、ふっと面白いことに気がついた。
全体的に「歴史」を学んでいたのはわかったが、私の予想に反して、
NHKの大河ドラマで取り上げられることが多い
「戦国・幕末・維新」の歴史本は少なく、逆に、同番組では
「山河燃ゆ」以外には、ほとんどテーマとならない
「太平洋戦争」に関する本が多かった気がしたのは私の錯覚だろうか。
(「東大生」と括るのには無理があるかもしれないが・・(汗))
新しい日本を作ろうとする当時の若者たちは、近・現代の歴史からも
眼をそらさず、ちゃんと「戦争」と向き合っていた。
「太平洋戦争」について、自分の力で調べ、自分で考察を立て、
1人ずつが、自分の意見を持っている気がしてならなかった。
彼らは「信長・秀吉・家康」なんて名前は、興味ないのかもしれない。
(三国志など、中国の歴史本はあったのに・・)
私も、もう少し「太平洋戦争」のこと、調べてみようと思う。

P.S.
映画「不毛地帯」(山崎豊子原作・山本薩夫監督)をBSで観たら、
戦後のことにも興味をもちました。(汗)



2015年08月15日(土)
「義命の存する所」と「時運の趨く所」

戦後70年、私たちはこの日が近づくと、太平洋戦争を話題にし、
当時の悲惨な戦いを風化させないように、努力しているが、
国民が「終戦記念日」と呼ぶ8月15日は、
実は「この戦争を終わりにします」「負けました」と、
天皇が玉音放送を通じて、広く呼びかけた日に過ぎない。
本当の終戦は、9月2日。東京湾上のミズリー号で調印した日。
たぶん世界の教科書では、第二次世界大戦が終了したのは、
9月2日と書かれていると聞いたことがある。
今年は映画「日本のいちばん長い日」(原田眞人監督)によって、
戦争の終結の仕方に、スポットがあてられている。
この機会に、終戦の詔勅(詔書)を、じっくり読んでみて欲しい。
時間がなければ、私たちが映像でよく耳にする
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」を挟む、
「時運ノ趨ク所」堪へ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ
「以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」だけでも調べて欲しい。
「義命の存する所」では分かりにくい、難解であるという
理由により「時運の趨く所」に置き換えられたことが、
本当によかったのか、私には結論が出ていない。
ただ「何が何でも終わりにしなくてはいけない」という想いと、
「こんな状態になってしまったから終わりにする」(成り行き任せ)
では、同じ負け方にも、違いがある気がしているのだが、
私の考え過ぎだろうか・・。

P.S.
私の知識では、太平洋戦争は海軍の戦争であり、
陸軍は中国・ソ連などの戦争に重きをおいていたはず。
そして「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いこそが、
「終戦」を遅らせたのではないだろうか、と考えている。
(個人的な見解ですので、ご承知おき下さい。(汗))



2015年08月14日(金)
詔書の文字は「八百十五字」におさめらている。

書籍「日本のいちばん長い日(決定版)」
(半藤一利著・文春文庫刊・371頁)から。
映画を観る前に、やはり「原作」を読まなければ・・と
一気に読んだが、以前から気になっていたところで、
私の手は止まり、メモが増えていった。
昭和天皇が玉音放送で朗読する原稿と言うべきか、
「天皇の意思表示の公文書」とされる「詔書」の案作成時、
各々の立場の主張でせめぎ合うシーン、面白かった。
「戦勢日に非にして」を「戦局好転せず」に書き換えるよう訴え、
そこだけは絶対に譲らない阿南陸相の頑固さに、
ちょっと自分にも似たところを見つけ、苦笑いをした。(汗)
本来なら「義命の存する所」という文が、
難解であるという理由により「時運の趨く所」となった個所に
触れたいが、次回に持ち越すことにする。
(意味が全く違う意味になってしまったので・・)
天皇が発するそのワンフレーズの持つ意味を深く推察し、
それを、自分が指揮する「陸軍の兵士」たちが聴いたら、
どんな気持ちになるか、そんなことまで配慮した言葉の選択は、
とても興味深く、改めて「言葉の力」を再認識させられた。
しかし、申し訳ない、私が選んだのは、
「詔書の文字は、八月十五日にちなんだかのように、
八百十五字におさめらている。」という説明。(笑)
こういう発見って、やっぱりインパクトがあるんだよなぁ。
(すみません、こんな時に、不謹慎かもしれませんね)



2015年08月13日(木)
靖国神社で待ってるぞ

この時期だからこその映画シリーズ。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)から。
脚本が「石原慎太郎氏」と知って、ちょっと驚いた。
「神風特攻隊」を題材に、戦争の悲惨さや司令部の愚かさ、
三度出撃して三度とも帰ってきた、田畑という男の存在など、
大ヒットの映画「永遠の0」に似かよった部分が多い気がしたのは、
私の思い過ごしだろうか。
(主題歌のタイトルもB’zの「永遠の翼」なんだよなぁ(汗))
だから、敢えてそんなシーンをはずして考えると、
特攻隊の隊長が自分の部下たちに、力強く伝える場面。
「それから・・確認しておくが、死んだら集合する場所は、
靖国神社の拝殿の門を入って、右から2本目の桜の下だ。
誰が先に行っても必ず待っていろ、靖国神社に入るのも一緒だぞ」
そして、本当に散る時も「靖国神社で待ってるぞ」と言い残して。
軍歌「同期の桜」にも「靖国神社」の言葉が使われている。
それだけ彼らにとって「靖国神社」という場所は、
大切な場所だということを知らされることになった。
そんな場所を、追悼の意味を込めて参拝して何が悪い。
石原慎太郎さんの力強い声が聞こえてきそうな作品だった。



2015年08月12日(水)
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。

書籍「火花」(又吉直樹著・文藝春秋刊・148頁)から。
熱海の夏の花火大会で始まり、熱海の冬の花火大会で終わるけど、
「タイトルは『火花』だよなぁ『花火』じゃないよなぁ」と
苦笑いしながらも、主人公と先輩芸人・神谷さんとの
「漫才師」に対する考え方がぶつかり「火花」を散らす、
それが2人の「生き方」に対するぶつかりとなって、
さらに「火花」が飛び交う、そんな意味なのかな?と解釈した。
2人の会話というよりも、先輩・神谷さんの考え方は、
随所に「なるほど・・」と感じさせてくれる視点が光っていた。
例えば、こんなシーン。
「よく中年が、俺たちの頃は、遊び道具なんてなかった、
とか言うやん。あれ聞くたびにな、俺、わくわくすんねん。
こんなん言うたら、あかんねやろうけど、ほんまに羨ましいねん。
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。
そんなん、めっちゃ楽しいやん。
作らなあかん状況が、強制的にあんねんで。」
他人が作ったルールに従いながら楽しむ遊びよりも、
何もないところから、自分でルールを作って遊ぶ方が、
よっぽど楽しい・・という発想が、私には新鮮だった。
まずは与えられた「枠」の中で、楽しむ方法を考える主人公と、
「枠」などを意識せず、楽しいことを優先して動く神谷さん。
さて、読者のあなたは、どちらだろうか?



2015年08月11日(火)
芝生広場の木陰で「ヨガ」、湧水広場で男女が「足水」

以前、私がイメージしていたことが、目の前で起こり、
へぇ〜こんなことがあるんだな、と嬉しくなったので、
手前味噌になるが、気になる一言。(笑)
1年前、柿田川公園の整備を始める頃、私なりに
東京の公園を見学に行ったり、図書館で資料を探したり、
いろいろ試した中、やはり文字にするよりも、
映画の一コマのような「こんなシーン」が観たい、と
素敵なイメージを脳にインプットすることをしてみた。
いくつも思い描いたが、そんなシーンの中に、
夏の暑い日、大きな陰を作る木の下で、若い女性たちが
楽しそうに「ヨガ」をしているシーン。
また、灼熱の暑さを感じながらも、湧水に足をつけながら、
若い男女が、二人の世界に入り会話を楽しんでいるシーン。
(富士山の雪解け水だから「足湯」でなく「足水」)
どれも、若い人たち・・というのが気になるが(汗)、
高齢者は、早朝(朝6時半)に芝生広場で「ラジオ体操」し、
幼児から子どもたちは、せせらぎで「水遊び」や、
雑木林で「昆虫採取」など、季節と世代に合わせて
こんなシーンがみたい、という私なりのイメージがある。
大人はもちろん、ハンモックで昼寝、芝生でピクニック、
木陰で静かに読書。
これが一番、難しいかもなぁ。(汗)



2015年08月10日(月)
どうして、潜水艦乗りを選んだんですか?

戦争映画の話題は、なかなかアップしにくいが、
この時期だけは「戦争」を考えるきっかけにして欲しくて、
敢えて、気になる一言を「戦争映画」から選んでみた。
映画「真夏のオリオン」(篠原哲雄監督)から。
同じ「太平洋戦争」の海軍の話なのに、
艦隊(船)、ゼロ戦(飛行機)とはまた一味違う、
潜水艦が舞台とあって、またまた違った視点で戦争を眺められた。
私が興味をもったのは、潜水艦長に若い医師が訊ねるシーン。
「どうして、潜水艦乗りを選んだんですか?」
「自由なんですよ」「自由?」
「潜水艦は、いったん海に出てしまえば、
自分の判断だけで行動ができるんです」
そうか、潜水艦の居場所が敵にわかってしまっては、
話にならないから、極力、本部とは連絡を取らないし、
そういう意味では、戦争中は上官の司令は絶対という、
軍隊ならではの縦の規律もあまり届かない世界と言えそうだ。
逆に言うと「全て自分の判断」がものをいうこととなる。
「艦長、潜航してから35時間です」という台詞は、
空気があと僅かしかありません、を意味し、
行動は自由だけれど、空気が吸えなくなる危険性もある。
戦争時の配属先って、どうやって決まるのだろうか。
もう少し、調べてみようかなぁ。



2015年08月09日(日)
コロコロ変わる空より、私は土のほうが好きだな

映画「ぶどうのなみだ」(三島有紀子監督)から。
作品中、タイトルについてこう説明している。
「葡萄の木は、冬の間は雪の下で、ひっそり眠っているんだ。
でも、春になると雪解け水をいっぱい吸い上げて、
小さな枝からひと雫、水を落とす。
その雫を『ぶどうのなみだ』って呼ぶんだ。その水を見ると、
ああ、葡萄の木が目覚めたんだって思うんだよ」。
映画の予告編でも「よろこんだ涙。すべて味わいになる。
それは、しあわせになるための、ひとしずく」。
なるほど、そういう意味なのか、とメモを眺めた。
そんな作品の中、私が選んだ一言は
「コロコロ変わる空より、私は土のほうが好きだな」。
そのあとに、こんな会話が続く。
「何億年も前は、海で生きていた生き物が、今はここに眠ってる。
土って、いろいろな生き物が、生きて、死んで、生きて、
その積み重ねなんだよ」「当たり前じゃないか」「そう、当たり前」
そして「土って、いろいろな生き物がここに眠っているんだよ」
土から栄養分を吸収して育つ「ぶどう」を始めとした植物は、
多くの生き物の歴史が土に含まれているから美味しいんだ、
そう自分なりに解釈してみたが、いかがだろうか。
食べ物、飲み物を題材にした作品は、どうしても似たような構成、
同じようなまとめ方になってしまう気がする。



2015年08月08日(土)
うれしい悲鳴ですね

土曜日の午前中は、柿田川ボランティアの日。(第2は外来種駆除)
暑い、暑い・・を口にしている人たちを横目に(笑)、
午前9時から11時までの約2時間、水温15度の柿田川に入る。
この作業を1年半続けてきて、見違えるほどスッキリした景色に、
なにかピッタリとした言葉を探したが、思い浮かばなかった。
ただ、水上に顔をだしている外来種(オオカワヂシャ)を見つけ、
その場所まで直線距離で僅かにも関わらず、私の目の前には
可憐に咲くミシマバイカモの群生があり、遠回りを余儀なくされた。
「足の踏み場もないですね」と、活動主催のスタッフに声をかけたら、
返ってきた台詞が「うれしい悲鳴ですね」。
さらに「これも皆さんの協力のおかげですよ」と付け足してくれた。
辞書によると「うれしい悲鳴」とは、
「押すな押すなの盛況に主催者が、うれしい悲鳴をあげる」
「生産が注文に間に合わず、うれしい悲鳴をあげる」など、
「予想以上の好結果を喜びながら、一方で忙しさを嘆く声」のこと。
今回の場合、外来種が減りミシマバイカモが増えてうれしい反面、
それを踏んではいけないと、遠回りに動くことになったり、
一網打尽の大雑把な作業から、静かに丁寧に抜く作業に変わるなど、
「作業効率」を無視した「非効率」な作業が、なぜか楽しい。
私「うれしい悲鳴」ってフレーズ、けっこう好きかも・・。(汗)
「うれしい悲鳴」って、英語ではなんというのかなぁ。



2015年08月07日(金)
「単行本」は高いわけだなぁ

我が町の図書館主催「本の修理ボランティア養成講座」から。
(「製本講座」みたいなものだけど・・ネーミングが大切)
図書のやさしい補修・修理の基本技術が学べる、お楽しみコース。
この技術を習得すれば、自分の大切な本を始め、
学校図書館で見かける、ボロボロになっても、なぜか
児童に読み継がれる本などを直してあげられるかな、と思い、
「元図書館長」という肩書きも忘れ、楽しい時を過ごした。(汗)
自動車を修理するためには、自動車の構造を知らなければならず、
本の修理をするためには、ほんの構造を知る必要があるので、
一度、単行本をバラしてみる必要があった。
簡単にバラせると思っていたが、予想以上に手間取ったのは、
「しおり」だけでなく「はなぎれ」と呼ばれる部分や、
ガーセのような「寒冷紗」など、本が開きやすくする工夫や、
形が崩れないようにする工夫など、数多くの工程が組み込まれていた。
そんな時、一緒に受講した人たちと意見があったのは、
「いくら機械化されているとはいえ、これほどの作業するのなら
『単行本』は高いわけだなぁ」だった。
文庫本とは違い、ハードカバーと呼ばれるだけあって、
表紙のボール紙も厚く、重厚感さえ感じられる。
「分解」とは逆の手順で、もとのように「組立て」が済んだ時、
何ともいえない満足感に浸り、嬉しくなった。
あとは、傷ついた本を何冊も何冊も、補修・修理を経験して、
その中から、自分なりのコツを掴むしかないのかもなぁ。

P.S.
帰りの書店によって、しみじみ「単行本」を眺めてしまった。
買ったのは「文庫本」だったけど・・(汗)
書籍「日本のいちばん長い日・決定版」
(半藤一利著・文春文庫刊)・371頁)・・観る前に読まなくちゃ。



2015年08月06日(木)
汽車に椅子なんてないよ、皆、立って乗るんだよ。

映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督)から。
戦争が激化し、ナチスの収容所に送られることになったユダヤ人の家族、
その父親が幼い息子に悟られないようにする会話が胸を締め付けられた。
前半の喜劇的な展開から、驚くような悲劇を表現した後半の流れ、
鑑賞後、そのギャップの大きさに印象が強く残る作品となった気がする。
私が選んだのは、収容所でのいろいろな出来事よりも、
多くのユダヤ人が強制的に貨物車に押し込められ、
収容所に送り込まれる時、父親が息子についた嘘。
今から旅行に行くと言い出し、行き先を訊かれたにも関わらず、
「行く先は言わない、その方が楽しい」とおどけてみせる。
これから待っている悲惨な状況を、楽しい旅行に見せかける術は、
「汽車に椅子なんてないよ、皆、立って乗るんだよ」
「すごい行列だろ」「よく切符が取れたものだな」
「急がないと席がなくなる。僕らは予約客だぞ」などの台詞が示すとおり、
本当に幼い息子が信じるように徹底して騙しとおす。
その作戦は、収容所での辛い生活すら「ゲーム」と称して信じ込ませ、
自分の命を捧げても、息子にはこの体験を教えたくなかった父親として、
最後まで貫き通したその行動こそ、私たちの胸を熱くさせる。
収容所の強制的な労働を含む生活は、本人だけでも辛かったはずなのに、
息子の前では決して、その悲惨さを見せないその明るさは、
物語の前半に表現された、呆れさせるほど喜劇的な彼の性格が根底にある。
もし自分だったら彼のように、明るく振る舞えるだろうか、う〜ん・・・。



2015年08月05日(水)
この暑さの中で「42.195キロ」走るの?

毎日、うだるような暑さの連続で体力を消耗しているが、
5年後の8月上旬は、東京オリンピックが開催されている。
そんな情報を目にして、インターネットで調べたら、なんと
8月2日・陸上(マラソン女子)、8月9日・陸上(マラソン男子)。
私も、昨年からジョギング程度であるが体を動かしているが、
さすがに、この暑さの中、走ろうとは思わない。
いくら国を代表しているから・・といっても、
フルマラソン「42.195キロ」を競いながら走ることは、
やはり、狂気の沙汰としか言いようがない。
タイム(記録)とか、メダルの色とか、そんなことよりも、
脱水症状により体調を崩す選手が続出する予感さえする。
短期間に多くの種目を効率よくこなすことも必要だろうが、
水泳に代表される夏の季節にピッタリの種目と、
陸上(マラソン)に代表される冬の季節にあった種目を分けた方が、
テレビ観戦している私たちも、安心していられる気がする。
開催国の気象条件が、完全にハンデキャップになっていては、
屋外のスポーツは、対等、平等とは言えないのではないだろうか。
5年後(2020年)のこの時期を想像したら、やはり気になるので、
5年前であるが、この一言を残しておこうと思う。
「この暑さの中で『42.195キロ』走るの?」
選手の選考基準は、暑さに強いことが第一条件だな、きっと。



2015年08月04日(火)
芯を持ちなさい、歩。

書籍「サラバ!」(西加奈子著・小学館刊・
上巻375頁・下巻358頁、計733頁)から。
「上巻」を読み始めてすぐ気になったのは、
「だった」というような過去形の表現が多いこと、
また、しばらく読み続けるうちに、この内容で、
今の若者たちが「下巻」まで読み続けられるだろうか、
そんな心配が頭をよぎったのを告白しておきたい。
勿論、700頁に越える作品を最後まで読み終えれば、
その世界観やグローバルな視点などが、なるほど・・と
腑に落ちることができるかもしれないけれど・・(汗)。
何年かして、この作品を思い出すために、数多いメモから
短いフレーズを探したら「芯を持ちなさい、歩」が引っかかった。
「歩」は、主人公の名前だけど、彼の人生の多くの部分で、
振り回し続けた姉の台詞だからこそ、重みが感じられた。
その奇異にも感じられる行動は、自分に芯がなかったから、と
反省しながらも、もがき苦しんだ結果、彼女が掴んだ考えが
「芯・幹」の存在である。
例えに「ヨガ」を例に出して、前段にこういう説明があった。
「ヨガって、いろいろなポーズがあるでしょう。
そのどれも、体の幹がしっかりしていないと出来ないの。
バランスが大切なのよね。そのバランスを保つのにも、体の芯、
その幹のようなものがしっかりしていないとだめなの。体を貫く幹が」
「幹。私が見つけたのは、信じたのは、その幹みたいなものなの」
そして「いつまでそうやってるつもりなの?」と投げかけた後、
「芯を持ちなさい、歩」と叱咤激励の助言が、印象に残った。
平衡感覚を意味する、単なる「バランス」ではなく、
「芯を持ちながら」、生き方にバランスをとることの大切さ、
私が感じたのは、こんなことかなぁ。



2015年08月03日(月)
「自治体」が「企業等」にプレゼンテーション

猛暑の中、出張で「静岡グランシップ」へ足を運んだ。
用件は「企業等への施設紹介フェア」(静岡県・県内市町合同開催)。
「指定管理制度」を導入し、来年募集予定の施設を抱える
自治体担当者が、民間企業等に対してプレゼンテーションをした。
この施設は、こんな特徴で、これだけの利用者があり・・と説明し、
「是非、一社でも多くのご応募をお待ちしています」とまとめた。
(たぶん)全国初の試みだという「企業等と自治体との意見交換会」や
個別ブースでの施設PR等、予想以上の熱気に包まれていた気がする。
私の記憶の中では「企業等」が「自治体」にプレゼンテーションをし、
適切な業者の選択をしていく過程は何度も見ているが、
「『自治体』が『企業等』にプレゼンテーション」するという、
逆のパターンは、初めてだった。(企業誘致の経験が無いので・・)
立場逆転の「違和感」よりも「こんな時代がきたな」という驚き、
その方が大きかった気がする。
指定管理制度の導入は、ついつい「経費削減」が前面に出るが、
実は、利用者伸び悩みの公共施設が、民間の力(アイデア)を借りて、
もう一度、賑わいを取り戻したり、活性化させる起爆剤とする、
そのための「指定管理制度導入」という説明が、腑に落ちた。
「安かろう・悪かろう」の負のスパイラルになる前に、
「ちょっとお洒落に・また行ってみたくなる」施設を運営したい。
それが、自治体の本音なのかもしれない。(私だけかも・・)
やる気があり、ワクワクするような企業等をゲットするためには、
もっとプレゼンテーションの仕方を学ばなくては駄目だなぁ。(汗)



2015年08月02日(日)
「何をなさりたいですか?」「探検よ」(Explorer)

映画「カイロ・タイム 異邦人」(ルバ・ナッダ監督)から。
書籍「サラバ!」(西加奈子著)を読んだ後だったので、
エジプトの首都カイロの風景が、より鮮明に浮かび上がった。
しかしながら、物語としては、あまり大きな展開もなく、
ラブストーリーの舞台がエジプト・カイロだったに過ぎない。
今回、気になった台詞に取り上げたのは、
既婚の外国人女性が、カイロにたどり着いた時、
接待を任された現地男性が「何をなさりたいですか?」と訊ねる。
彼女は迷わず「探検よ」と答えるシーン。
字幕の向こうで「エクスプローラ」(Explorer)の英語が耳につき、
私たちがインターネットで使う「Explorer」は、
本来「探検家・冒険家」という意味だった、と再認識した。
確かに、インターネットという波を乗り越え、
世界に繋がる情報の世界を「探検」しているイメージがある。
「インターネット・エクスプローラ」というネーミング、
あらためて、うまいなぁ、と感じた。
作品とは関係ないが、新しい発見があった。

P.S.
必ず、先々でカメラ班が待機している「川口浩探検隊」ではないから
「探検」に夢中になり過ぎて、迷子にならないようにしなくてはなぁ。



2015年08月01日(土)
「愛」と「恋」心の位置に差を見つけ

あるところから、お題「恋」で川柳の作品募集があった。
素人の私が悩んだ挙句、詠んだのは、以下の2句。
「『愛』と『恋』心の位置に差を見つけ」
「いつの世も男の『恋』は下心」
テーマが難しく、シャレた気の利いた句ができなかったが、
今までに、この日記でも書いてきた内容を川柳にしてみた。
「愛」と「恋」の違いを真面目に語るつもりはなく、
文字として「心」の位置に注目しながら、の作品である。
「愛」という字は「心」が真ん中にあり「真心」がある。
それに比べて「恋」と言う字は「心」が下にあるから、
下心がある、と解釈してみた。
しかし、川柳や短歌・俳句で、説明しなくちゃならないのは、
やっぱり、作品として「没」なんだろうな。
きっと「恋」で「下心」があるのは、男だけじゃないよ、
という男性の反論もあるだろう。(汗)
以前「男はスケベである」と書いたら、ある女性から、
「女はもっとスケベである」というコメントをいただいたから、
今回も女性の方がもっと強か(したたか)です、なんて、
認めてくれる女性が現れるかもしれない。
まぁ、素人の作品だから、許してもらうとしますか・・。