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しもさんの「気になる一言」
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2015年09月30日(水)
潮汁は、寿司屋の「ガリ」と同じだから

地魚を残さず食べ尽くす、そんなコンセプトがあるのか、
私たちの目の前には、他店ではあまり口にできにないような、
魚が出され、テンションが上がったまま口に放り込んでいた。
そんな時、さらっと「潮汁」が出され、お店の大将が
「潮汁は、寿司屋の『ガリ』と同じだから」と呟いた。
潮汁(うしおじる)は、魚介類を使用したお吸い物の一つ。
出汁を使用して塩を主に味付けした汁物料理であり、
具から出る旨味を利用したもの。
漁師料理がルーツともされ、釣ったばかりの魚を船の上で
食べる時、一緒に飲んでるイメージが私にはある。
1つひとつの素材の味を大切にし「お口直し」の役をしている
「寿司屋のガリ」に例えるなんて、洒落ているな、と思った。
新鮮だけど生臭い魚の味は、ちょっと辛口の日本酒で消すものと
勘違いしていた私には、表現が新鮮だっただけでなく、
寿司屋のガリの役割も再認識することになった。
どの料理にも、口の中の味覚を一度リセットする
「お口直し」的存在の素材があることが嬉しかった。
料理の主役ばかりではなく、それを引き立たせる脇役の大切さ、
そんなものを「潮汁」で気付かせてもらった。
奥が深いなぁ、料理の世界って。



2015年09月29日(火)
あれだけ優れた技術があれば人を簡単にだませるって

映画「カプリコン・1」(ピーター・ハイアムズ監督)から。
1977年アメリカ・イギリス合作映画であるが、
「こちらカプリコン、(火星)着陸成功、いよいよ火星に到着だ」の通信が
地球のある場所で、大掛かりにでっちあげられていたなんて考えたら、
今まで私たちが信じていた、月面着陸は本当だったの?と
本気で「月の石」を疑ってしまう私がいた。(笑)
今回の設定は「有人火星宇宙船カプリコン1」だけど、
私たちが子どもの頃から信じていた「アポロ計画」も、
もしかしたら・・と感じてしまうのも無理はないことだ。
科学技術が、当時より数段進歩したにも関わらず、
今の時代の方が、なぜか「月面着陸」は難しいという話も耳にした。
乗組員のひとりは妻に、(映画のセット、撮影技術を駆使すれば)
「作り事の世界が本物にみえる」と呟いた台詞を思い出させ、
「あれだけ優れた技術があれば人を簡単にだませる」って、
夫婦でしかしらない会話も思い出させる。
以前紹介した映画「アポロ13」も、映画と知らされず、
あの打ち上げシーンを流されたら、きっと全世界が信じるだろう。
「こちら、ヒューストン。全て、異常なし」のフレーズも、
いつも同じ声だし、疑ってみなければ、といけない気がしてきた。
宇宙情報に限らず、今、テレビで放送されているような画像も、
変な意味ではなく、一度、疑ってみる必要がありそうだ。
でもそれに気付くと、闇に葬られてしまうので、注意しなきゃなぁ。

P.S.
十五夜、中秋の名月、スーパームーンなど、
ロマンチックな「月」話題のあとで、ごめんなさい。(汗)



2015年09月28日(月)
人類は、あの「月」を歩いたんだよなぁ

夕方からのいろいろな用事を済ませ、ひとりほろ酔い気分で見上げた
「スーパームーン」は、確かに一回り大きかった。
普段は、展望台から眺められる「柿田川の湧き間」と、
柿田川公園で耳にする鳥たちを探すために持ち歩いている、
私お気に入りの「双眼鏡」は、今晩だけは「月観測」で使われた。
あれ、こんなに月面の模様がハッキリしていたかな?と
ひとりで不思議がったり、じっくり眺め人生を考えられる機会とした。
若い頃は「日本宇宙少年団・すばる分団」のリーダーをしていたり、
映画鑑賞した「アポロ13号」や「宇宙兄弟」などを思い出すと、
今、目の前に広がる月の神秘は、なぜか私をワクワクさせる。
そんな「スーパームーン」ずっと眺めていて、私が呟いた台詞が
「人類は、あの『月』を歩いたんだよなぁ」だった。
私たちが子どもの頃の好奇心の的は、もちろん「月面着陸」だったし、
人類の最初の一歩を記した、アームストロング船長がヒーローだった。
勿論「大阪万博」でも、アメリカ館は、大人気だった気がする。
安価な双眼鏡でも明るく、そして大きく輝く「月」を、
どうやって自分の中で昇華し、人生に生かしていけるか、
いや、そんな難しい理屈をこねくり回すよりも、
「月」を「知って、好きになって、楽しめる」環境こそが、大事、
私はそう思う。
昨晩の「十五夜」や今晩の「スーパームーン」を眺めながら、
月から地球を眺めたら、どんなだろうか?、そんな視点が持てたら、
もっと素敵だな、と感じた。
世界のどこかでは「スーパームーンの皆既月食」が観測されたらしい。
自然現象に、敬意をはらうという意識、これからも大切にしたいな。



2015年09月27日(日)
1回も着ないで衣替えは、衣服に申し訳ないな

10月からの衣替えにあわせて、自分の衣装も衣替えの準備。
春に衣替えで移したまま、一度も袖を通していない服が多く、
そのあまりの数に「体は1つなんだよなぁ」と呟いてみた。
どうしてこんなに洋服が溜まってしまったのか?
どうして一度も着なかったのか?・・などいろいろ考えてみた。
1つには、昨年に比べて、体全体がスリムになって、
なぜか「サイズ」も「L」から「M」へダウンしたため、
だぶだぶはみっともない・・と着なかったのかもしれない。
また、ジョギングして、汗を大量にかく場面が多くなったから、
ついつい、無意識のうちに、着替えが楽な
「ポロシャツ」「Tシャツ」にシフトした気もする。
結果論として、原因はいくらでも考えられるけれど、
「1回も着ないで衣替えは、衣服に申し訳ないな」なんて感じた。
ここ数年、停年退職した先輩に訊くと、
当然だけど、スーツもワイシャツもほとんど着なくなるらしい。
そう考えたら、今のうちに、せっせと着てあげなくちゃな。
せっかく私と出会って、タンスの中でいつでも出動できるよう
準備体制を整えているのだから。(笑)
私は、モノが捨てられないタイプであることは自覚しているが、
あと3年半で、少しずつ減らしていかなきゃなぁ。



2015年09月26日(土)
(自治体運営)循環バスの乗り継ぎツアー

どうも私の友達には、せっかちの人が多いらしく、
先日の日記の最後に「P.S.」として
「イベント会場まで「長泉・清水循環バス」(100円)を利用した。
この話は、また次回に。(汗)」と書いたのに、
「しもさんの『またの機会に』はいつになるかわからないから」と
昔からの読者らしい指摘が、妙に嬉しかったが
「今までも、何回か期待させておいて、騙された(笑)」と続いた。
そんな訳で、忘れないうちに・・(騙さないうちに)体験レポート。
実は、私の自宅から今回のイベント会場(隣町「なめり駅」前)まで、
自動車を使わないと、近いようで遠く、どうやっていこうか思案した。
(イベントには、アルコールがつきものだから・・(汗))
勿論「ウォーキング」や「ランニング」も、検討したが、
酔っぱらいながら「歩く・走る」は危険と判断して断念。
そんな時、思いついたのが「循環バス」の利用だった。
隣町が運営している循環バスは、わが町にある
「大型ショッピングセンター」や「(県東部の)医療センターなど」へ
隣町の町民が行きやすいように「循環バス」が乗り入れしている。
(たぶん、全国的に珍しいのではないだろうか?)
運行本数は少ないが、それでも時間を調整すれば、今回のように
100円で目的地まで行けるし、帰りも100円で帰ってこれる。
これを発展的に考えれば、基本的には行政域内を走る路線も、
行政境でうまく時間調整・連携できれば、利用価値は大きい。
「JR御殿場線沿線の住民」が、わが町の施設に訪れるには、
隣町の駅で降りて「循環バス」を利用ってのも、選択肢のひとつ。
言い換えれば「(自治体運営)循環バスの乗り継ぎツアー」。
可能性が広がる発見、やっぱり何でも体験してみることだな。



2015年09月25日(金)
40超えたら、女はみんな同い年じゃ、ボケ

映画「滝を見にいく」(沖田修一監督)から。
「主要キャスト全員をオーディションで選出し、
演技経験のない一般人を含む7人の女性たちが、
おばちゃんたちを個性豊かに演じる」という紹介に、
期待と不安が入り交じって、観始めた。
山の中で迷子になった設定にしては、緊張感なく楽しめた。
特に、台詞もアドリブ?と思えるような、自然な言い回しが、
妙に新鮮で、私のメモに多く残った。
例えば「まっ、いろいろありますよ」とか
「そんときは、そんときでしょ」
「もうどうでもいいから、早く帰りたい」
「もう、私、疲れていて、よくわかんない」
「いいじゃない、なんとかなるわよ」「どうにかなるわ、きっと」
遭難するかもしれないという不安の中で繰り返される、
おばちゃんたちの、他人事のような投げやりな台詞。
男同士なら、きっと多くの解決策を出しあうのになぁ、と
やや呆れながら、実は羨ましながら、メモを取った。
これが「映画」になるのだから、面白いものだなぁ。
最後に、何気ない会話やケンカで、面白かったものを2つ紹介。
・「有名な秘湯らしいですよ」「なんかそれ、おかしくない?」
・「いちいち、つっかかってくるの、やめてもらえません?」
「何、その言い方。だいいち、あんた年下でしょ?」
「40超えたら、女はみんな同い年じゃ、ボケ」



2015年09月24日(木)
言葉は猫なんです。

ある新聞に「山根基世の朗読読本」(評論社刊)を記念して
彼女のインタビュー記事が掲載されていた。
私にとっては、NHK番組「日曜美術館」の担当として、
「きれい」「落ち着いた」声の持ち主、そんな印象が強い。
日本古来の言葉をとても大切にしているかと思えば、
「言葉の乱れ」については容認派だという。
それを上手く例えたのが「言葉は猫なんです」。
「犬のようにはしつけができない」ということらしい。(笑)
言葉は、時代によって変化していくものだから、
それを「言葉の乱れ」と称して嘆くことには、
あまり関心がなさそうだった。
彼女はさらにこう続けている。「私には、言葉の乱れよりも
言葉が空疎になっていることの方がよっぽど怖い」と。
空疎とは「形だけで、内容が乏しいこと」。
その意味を説明するかのように、
「大きな声で叫ばれる『積極的な平和主義』の『平和』って?
政治も日常も、実感が伴わない言葉が飛びかっています」と
まとめていた。
そのとおりだなぁ、と思わずメモをしたのは言うまでもない。
それにしても「○○は猫なんです」は、インパクトあるなぁ。
今度、どこかで使わせてもらおうっと。(汗)

P.S.
先日紹介した「俺はピアノを弾く猫だ」の意味がわかった。
「犬」では、しつければピアノを弾きそうだものなぁ。(汗)



2015年09月23日(水)
シルバーウィークの最終日、イベント、やります!

ほんの数日前、長泉町に住む女性から、イベントの誘いがあり、
ちょっと興味がある「キッチンカー」の文字に惹かれて足を運んだ。
イベント名は「びすとろパルの1day 夕涼みカフェ」
(主催は、安心・安全な食材を提供している「バルシステム静岡」)
どうやら、そのキッチーカーのお披露目と、食材のPR、
スタッフの動きのシミュレーションも兼ねているらしい。
おかげで、食べ物は無料。飲み代のみ。(笑)
アルコールは、お隣にできたばかりのカフェバー「Rai&Ree」が、
本来は「夜のみ営業」なのに、イベントに協力し昼から開けてくれた。
今回驚いたことは、周知期間が非常に短く、個人的な応援企画であり、
自宅の敷地を開放しながら、少人数で運営できていること。
にもかかわらず、会場内は盛況で、楽しい時間を過ごすことができた。
これからは、同じ志向を持った人たちの「小さなイベントの時代」と
常々考えていたから、それを実現していたイベントとして参考になった。
だからこそ今回は、気になる一言として、彼女からの案内を残したい。
「シルバーウィークの最終日、イベント、やります!」
たとえ雨になろうが台風になろうが、リスクが少ないし、
プライベートパーティの延長上として、あちこちで開かれるといいな、
そんな感想を持ちながら、昼間っからほろ酔い気分になってしまった。

P.S.
イベント会場まで「長泉・清水循環バス」(100円)を利用した。
この話は、また次回に。(汗)



2015年09月22日(火)
宮西作品は、展示場所を選ばない

朝風呂で、昨日までのバスツアーの疲れとアルコールを抜き、
今日は朝から、東京の世田谷文学館(芦花公園下車)で開催されている
「宮西達也ワンダーランド展」へ足を運んだ。
宮西先輩のやや高めの声で相変わらずのハイテンションを武器に
メチャクチャ明るく、子供たちに読み聞かせをしている声が、
会場に響きわたり、よかった、元気そうだ・・と安心した。
10月3日から展示会場を「三島市佐野美術館」に移して、
同じ企画展が開催される前に、一度、顔が見ておきたかったから。
また絵本作家の「真珠まりこさん」からも、
シルバーウィークの期間は本人がいるって、と連絡をもらったし、
百貨店や美術館の展示はイメージが掴めるけれど、
文学館での企画展はどんな雰囲気なのか知りたかったから、が理由。
大勢の観客のいる中で、私を見つけてくれたのは嬉しいが、
「しもちゃ〜ん」と満面の笑顔で握手されると、ちょっぴり照れた。
今回の見学で気付いたことは「宮西作品は、展示場所を選ばない」。
飾ってあるのは同じ作品なのに、その会場の雰囲気になぜか馴染む、
そんな気がした。(飲み屋の壁でも、家のふすまでも・・)
世田谷文学館の展示は明日(23日)まで。お近くの方は、是非。
きっと、先輩のことだから、喉が枯れるまで読み聞かせをするよ。
展示壁へのイタズラ描き(汗)も、明日までだな。
次は「佐野美術館」(11月23日まで)だから、毎日でも行けるぞ。。



2015年09月21日(月)
こんなに人がいると思わなかった

「連休出発!たっぷり金沢フリータイムと高山散策(2日間)」、
バスツアー2日目は、飛騨の「高山散策」。
「飛騨高山」は、古い町並み(上三之町・下二之町など)を始め、
歴史を感じさせる、しっとりした景観が観光スポットであるが、
これまた「シルバーウィーク」ということもあり、
観光客で埋め尽くされていた。(もちろん私たちも観光客であるが(汗))
写真に収めたかった「伝統的建造物群保存地区」は、人混みに隠れ、
帰宅後、デジカメ、スマホの写真を確認して唖然とした。
そういえば、写真を撮っている私の横でも同じことを感じたのか、
初老のご婦人が「こんなに人がいると思わなかった」と溜息をついていた。
観光地には、訪れる人それぞれの目的があるのだが、
非日常的な景観や自然を求めて訪れた観光地が、いつもと変わらぬ人混みで、
観たい・撮りたいシーンが目に出来なかった時の無念さを、真横で耳にし、
有名美術館などで意識的に「入場制限」する意味が、理解できた。
その土地の光を観せることが「観光」の定義ならば、
まずは「どうやって、光を観てもらうか」を考えなければならない。
言い換えれば「観せ方」(見せ方)こそ、観光の一番大切な要素であることを、
この2日間の旅行で再認識をした。
「素敵な景色だったね、また違った季節に来てみたい」
こんな台詞が聴けたら最高なんだろうなぁ、きっと。



2015年09月20日(日)
(金沢)「人気のまち」から「大人気のまち」へ

秋の旅行シーズン、すっかりはまっている、夫婦バス旅行。
今回は「連休出発!たっぷり金沢フリータイムと高山散策(2日間)」
シルバーウィークど真ん中ということもあり、
朝7時に三島を出発して幾度か渋滞があったが、16時に到着した。
「石川県金沢市」は北陸新幹線開通で、今、一番ホットな場所、
バス添乗員さんの言葉を借りれば
「『人気のまち』から『大人気のまち』へ」変貌した。
金沢駅も当然リニューアルされていたが、なんだか京都駅に似ていたし、
金沢らしさがあまり感じられなかった。
「異論・反論」を覚悟で書けば「人気のまち・金沢」の方が好きだった。
「大人気」のなったことで、まち全体が舞い上がっている感じ。
タクシーの運転士さんの言葉を借りれば「ビジネスで訪れる人たちが
『宿は取れない、取れても高い』と悲鳴をあげている」らしい。
続けて「そんなことしちゃ、いけないんですけどね」と呟いたように、
ビジネスで金沢を訪れるサラリーマン(いわば「定連さん」)を、
困らせるようでは、私たちは心配ですよ、そんな言葉にも聞こえた。
「1年も立てば、このブームは去りますよ」と、シビアに、そして冷静に
この状況を分析していた運転手さんたちに驚かされた。
「人気のまち」と「大人気のまち」は、似ているようだけど、
実は「受け入れ体制」や「おもてなしの仕方」が大きく違うことを、
「京都・奈良」と「金沢」を比べて実感させられた。
「ここ1年が正念場」って感じをもって「北陸・金沢」をあとにしたが、
リピーターを確保できるかどうか、難しいところだなぁ。



2015年09月19日(土)
自分で光をあてることができるなんて、うらやましいです!

今朝から、多くの方から激励の言葉をいただき、
「観光」という初めての分野での不安が、少し解消された。
正直、プレッシャーがないわけではないが、
「いつもやってることを仕事でやればいいのでは?」という助言や、
「これから3年で清水町の観光の土台を作りましょう」という励まし、
「わぁ〜♡、キタキタキタ〜〜」というコメントまで、
私を喜ばせてくれるメッセージが相次いだ。
その中で「羨ましい」というメッセージが届いたことに驚いた。
私にとって「そうだよな、私は幸せだよなぁ」と感じたので一言。
「おめでとうございます!これまで、コツコツ積み上げてきたものを、
自分で光をあてることができるなんて、うらやましいです!」
課長になってからを振り返ると、生涯学習課長の時に、
富士山世界文化遺産の構成資産を目指して、
町の宝である「柿田川」を「国天然記念物」にする作業をし、
現在の都市計画課長として「柿田川の保護・保全」活動に参加し、
多くの一般質問に答弁させてもらいながらも、(汗)
何度となく「柿田川」に直接入ることで、その魅力に触れてきた。
また開園以来の「柿田川公園の大改修」に携わり、
多くの方の協力をいただき、町民憩いの場としての整備が進んでいる。
そして、10月から産業観光課長として「柿田川」を通して
「清水町」を全国に情報発信する仕事に就くこととなったわけだが、
この経過を振り返るだけでも「ホップ、ステップ、ジャンプ」と、
一歩ずつ「柿田川」の知識と楽しむ知恵が増えてきたことは、
ほぼ毎日、柿田川を眺めている私が一番知っている。
「ソフト事業」と「ハード事業」のあとは「ハート事業」。
多くの方のハートに届くような仕事として、総仕上げをしたいな。

P.S.
「産業観光課」は「観光振興」ばかりではなく、
「産業振興」「自治振興(まちづくり)」も担うことになる。
やはり「まち・ひと・しごと」の地方創生かな。



2015年09月18日(金)
俺はピアノを弾く猫だ。

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」
(ジョン・ファブロー監督)から。
「移動屋台」も「フードトラック」と言うと、
アメリカンっぽくなるな、と感心しながら、
日本では「キッチンカー」だな、と苦笑いした。
ストーリーとは、直接関係ないが作品の序盤に、
自分の料理を酷評する評論家のツイートを読み、
個人に返信したつもりの書き込みが、リツィートとして
全世界に広がり、大騒ぎになるシーンがある。
そのドタバタ劇を自分なりに振り返って、
「俺はピアノを弾く猫だ」と呟く。
「何それ?」と聞き返す相手に「おもしろネタだ」と
真面目に答える会話が、引っかかった。(笑)
こういう時、なぜ例えが「猫」なんだろうか、という疑問と、
インターネット上に「ピアノを弾く猫」の映像が、
多く投稿されて、大勢の人に見られていることの表現、
うまいな、と思った。
人間以外で、ピアノを弾くのは「犬」ではなく「猫」。
この違い、もう少し、調べてみようかなぁ。



2015年09月17日(木)
お通夜は、人生の卒業式

人生の大先輩とも言える方の奥様が亡くなったという訃報に接して、
業務終了後、予定していた会議を(止む無く)キャンセルして、
お通夜に参列した。
「村八分」の残りの「ニ分」は「火事とお葬式」だと知ってからは、
どんなに犬猿の仲になろうが、無視することが出来ない事柄と理解し、
出来る限り顔を出すことにしている。
今回は、故人の人柄をあらわすかのように落ち着いた雰囲気の中、
彼女の人生を振り返る機会があり、田植えが機械化する前の大変さなど、
農家に嫁いできた時の苦労も、しみじみ伝わってきた。
しかし、ナレーションを語る女性から「今日は、人生の卒業式」という
フレーズが飛び出し、なるほどなぁ・・と記憶に留めた。
「お通夜」というと、なんとなく「未練」や「湿っぽさ」が残るが、
「人生の卒業式」というと「本当にお疲れ様でした」という言葉が
素直に私の心から発せられた。
そんな中、夫が亡き妻に伝えたかったメッセージが紹介され、
「61年間一緒に生きてきてきてくれて、ありがとう」だった。
61年という、私の年齢よりも長い期間を一緒過ごしたお二人は、
ふたりだけの「夫婦の卒業式」に参列して、お互いを慈しみ、
夫が「蛍の光」を歌い、亡くなった妻が「仰げば尊し」を歌うのだろう。
卒業式の定番ソングは、今まで学校の卒業式しか思い浮かばなかったが、
片方が他界した夫婦でも、別れを惜しむ気持ちが伝わってきた。
「お通夜は、人生の卒業式」ってフレーズ、記録として残しておきたい。
「今こそ、別れめ、いざ、さらば・・」(合掌)



2015年09月16日(水)
少数意見をとりあげるべきか?

以前紹介した書籍「大放言」(百田尚樹著・新潮新書刊・239頁)から。
賛同したのは「少数意見をとりあげるべきか?」という内容。
「国会で『政党』として認められるのは、
所属議員の数が五人以上か、直近の国政選挙で
得票率が2パーセント以上ある政治団体という決まりがある。
つまり議員が四人以下で得票率が2パーセントに満たない場合は
政党として認められないのだ。
私はこれはまっとうな規則であると思う。」という部分。
「世の中には『少数意見を大切にしろ』という意見がある。
一見、非常にもっともな意見のように聞こえるが、
はたしてそうだろうか。
98パーセントが『納得できない』という意見は、
切り捨てていい意見だと思う」という彼の主張に頷いた。
「何度も言うが、これは少数意見の切り捨てではない。
五〇人に一人しか理解できない意見というものは、
本来は耳を傾ける意見ではない。
これはほとんどノイズと言えるものである」と書いている。
なんとまぁ、大胆に言い放ってくれるな、と拍手を送った。
一種のクレーマーに近い、声の大きな一市民の主張を、
「少数意見」と勘違いし、取り上げないためにも、
各種団体の会長や、選挙で選ばれた議員さんたちがいる。
私はそう考えているのだが、これも少数意見だろうか。(汗)



2015年09月15日(火)
女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。

映画「小さいおうち」(山田洋次監督)から。
ストーリーとは、あまり関係ないかもしれないが、
昭和初めの頃の「女中」という職業に興味を持ってしまった。
年老いた主人公・布宮タキ(倍賞千恵子さん)が孫に語る、
「女中」という職業に対する定義に頷いてしまった。
「昭和の初めの頃はね、東京のサラリーマンの家庭では、
女中さんがいるのは当たり前だったのよ。
近頃は、お手伝いさんなんて言い方をするけど、私の若い頃は、
女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。
奴隷みたいに思われたら、かなわないよ」
最近では「花嫁修業」という言葉も死語となりつつあるが、
男性の「徴兵制度」がなくなったように、
女性の「花嫁修業」も時代の流れとともに、なくなった。
どちらも、若い年代の大切な一時期でないかと感じている。
特に「花嫁修業」となっていたという「女中」という役割は、
ある意味、有料の社会奉仕(ボランティア)をしながら、
家事全般に必要な知識・基礎技術を、住込みで覚えるシステム、
そう考えることが出来なくもない。
長い期間でなくても、家族以外の人たちと一緒に住むことで、
いろいろなことを覚えさせてもらえる体験は悪くない。
しかし、これも中年男性の古い視点かもしれないなぁ。



2015年09月14日(月)
誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん

映画「マエストロ!」(小林聖太郎監督)から。
私は楽器が弾けないから、五線譜に書かれた音符を読み、
その記号を「音」にしていく人たちには、
嫉妬というより、賞賛の言葉しか見つからない。
音楽は、人生にとって「あってもなくてもいい」ものではなく、
「必ずなくてはいけないもの」だと私は思っている。
作品の中でも「音楽ってせつないね。
今、確かにあったって思っても、次の瞬間には消えてしまう。
それでも、この世で一番美しいのは音楽だ、そうだろ?」という
フレーズに代表されるように、音楽の素晴らしさは伝わった。
しかし、もっと素敵な言葉に出会った。
「わしら人間は誰でも死ぬ。必ず死ぬ。音と一緒で一瞬や。
せやけどな、誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん」。
1つひとつの音がいいのは勿論、大切だけれども、
その音が、違う楽器の音色と響きあったとき、もっと深みのある、
それでいて、なぜか心地よい音を耳にすることが出来る。
人生も同じ。1人で生きるのを否定はしない。
しかし、誰かと出会い、結ばれ、夫婦、家族となっていくことで、
みんなが鳴らしている音が調和した瞬間に味わう達成感は、
何事にも変え難いに違いない。
「マエストロ」と呼ばれる「指揮者」は、それを一番知っている。
だからこそ、多くの音が響きあうオーケストラを纏めあげ、
「自分の音づくり」に夢中になれるのだろうなぁ。



2015年09月13日(日)
「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の緊張感

昨日の午後から、音楽三昧の週末を過ごした。
土曜日午前中の「柿田川の外来種駆除」を終えたあと、
午後からは「伊賀あやさん(ヴァイオリン)&青木祐介さん(チェロ)」
(三島文化センター小ホール)で開かれた「第15回演奏会」。
もう15回になるのか、と思いながらも、たぶん最初の頃から
聴かせていただいているので、その成長ぶりが妙に嬉しい。
(なんとなくだけど、若い頃と違った音になった気がする・・)。
夜には、私たち中学校の同級生のみ(56歳〜57歳)で編成している
混声合唱団『風の会』の練習。(プロの方には失礼だけど(笑))
今年は「若者たち」と「宇宙戦艦ヤマト」で町芸術祭に参加する。
下手ながらも、人の声がハモル楽しさ、快感を味わっている。
そして日曜日の今日は「オーボエ・ギター デュオコンサート」。
「古部賢一さん(オーボエ)&鈴木大介さん(ギター)」
(沼津文化センター小ホール)で開かれた演奏会に足を運んだ。
総括するつもりではないが、やはり「楽器の生音はいいなぁ」。
(先日の「ジャズ・コンサート」でも同じことを感じたっけ)
CD・DVDでは感じられない、一体感(空気感)みたいなものが心地よい。
特に「鈴木大介さん(ギター)」の演奏した、ギターでは名曲中の名曲、
「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の時は、会場内の空気が変わった。
誰もが知っている曲であるからこその「緊張感」みたいなもの。
聴衆者の私たちも、どんな小さな音も聞き逃すまい、とする静けさは、
演奏者にとっては、どう感じたのか、ちょっと知りたい気がする。
逆に弾き終えた後の彼のホッとした表情と会場が割れんばかり拍手が、
私の目に焼き付いて離れなかった。音楽三昧の週末記録として
「『アルハンブラの想い出/F.タレガ』の緊張感」を残しておきたい。
いつの日か、この曲をBGMに「柿田川」の映像を流したいな。



2015年09月12日(土)
もしかしたら「オオカワヂシャ」(外来種)のおかげ?

週末の恒例となっている「柿田川ボランティア」。
今月までは、第2・第4土曜日の午前中、柿田川に入り、
可憐な白い花を咲かせる水中花「ミシマバイカモ」に
覆い被り繁茂する外来種「オオカワヂシャ」駆除に精を出す。
私が「柿田川の魅力のお裾分け」というコンセプトで
世界に向けて情報発信しようと心に決めた作業であるが、
よく考えたら、採っても採っても繁茂する外来種がいたから
「ミシマバイカモ」を護るという「大義名分」のもと、
毎月、正々堂々と「柿田川」に入ることができている。(汗)
作業中、手ですくって水を口に含むことも出来るし、
季節ごとに、鳥や昆虫、植物なども私の目の前を通り過ぎる。
作業後は、これまたお楽しみの「写真・動画」撮影も出来て、
1年半で数え切れないほどの枚数・本数が、PC内に貯まった。
これからは、外来種駆除作業を活動の基本にしながらも、
撮り貯めた素材を取捨選択しながら、絵はがきや写真集、
柿田川のプロモーションビデオの制作に取りかかりたい。
こんなことが出来るのも、定期的に柿田川に入ったおかげ。
「もしかしたら『オオカワヂシャ』(外来種)のおかげ?」って
呟きたくなるのも仕方ないな。
どんな場面でも悪役がいないと正義の味方は、つまんないから、
2週間後も、悪者退治のため「柿田川」に入らなきゃ。(笑)



2015年09月11日(金)
「インターネット回答」より「タッチパネル回答」

今回の国勢調査から導入される「インターネット回答」。
昨日、我が家にも調査票が届いていたので、夕食後にさっそく
「操作ガイド」も見ずに(汗)、画面入力をしたが、
以前の調査項目にあった、家の面積などの項目もなく、
驚くほど簡単で、ちょっとあっけないほどだった。
この体験で調査員には「インターネット回答を勧めたら?」と
自信をもって指導できる。
調査員の中には、以前からお手伝いをされているが、
インターネットはやったことがないという高齢の女性も多い。
だからこそ、彼女らは、この便利で簡単な入力方法を、
自信をもって勧めることができないのでは?と感じた。
少なくともこういった調査員には、
事前にこの「インターネット回答」の体験をさせてあげれば、
もっと自信をもって勧められるのに・・と感じる。
また「インターネット専門の調査員」でもいれば、高齢者には
いろいろな聞き取りながら、その場で入力をしてあげられるのに、
そんなことも思ったが、それは禁止されているらしい。
パソコンは苦手でも、電車の切符や銀行のキャッシュカードなど、
タッチパネルには抵抗がない人も多いのも事実。
「インターネット回答」と言うと、難しさで抵抗がある人でも、
「タッチパネル回答」と言えば、気軽にできる気がする。
だから「『インターネット回答』より『タッチパネル回答』」を
気になる一言に残そうと思う。
やることは同じ、ただ「難しそうか、簡単そうか」
イメージの問題なんだよなぁ、たぶん。



2015年09月10日(木)
ビールはお魚に失礼ですよ

先週末のこと、以前一緒に働いた後輩たちとの楽しい宴だった。
突然「金曜日飲みませんか?」のメールが届き、
先着順をモットーにしている私の予定が空いていたので、
当然のように優先順位は1位、そのまま「了解」と返信した。
三島駅南口に各々仕事を終えて集合してから、入る店を探したが、
誰かが「肉より魚の美味しい店」とリクエストされた。
「居酒屋より小料理屋」を前提に探したが、なかなか思いつかない。
そういえば・・三島駅へ向かう途中に「魚料理」と書かれた看板が
あったのを思い出し、その店に足を運んだ。
釣りを趣味としている彼らには、大満足のお店だったようで、
午後7時から11時まで、約4時間、魚づくしの料理を堪能した。
まずは「喉湿し」で生ビールだったけど、2杯目は「冷酒」にしようか、
もう一杯「生ビール」にしようか迷っていたら、こう言われた。
「ビールはお魚に失礼ですよ」
確かに、天然の地魚にビールは合わないな、と思っていたが、魚に
まさか「ビールを飲みながら、私を食べるの?」と言われたみたいで、
可笑しくてたまらなかった。
「魚に失礼だから、ビールよりお酒」という発想は頷ける。
ドイツのソーセージにはビールがあっている、と言うより、
「ソーセージに失礼だから、お酒ではなくビールでしょ?」のように、
食材や風土に合う飲み物を、食べ物に敬意をはらいながら選択する。
そのアドバイスどおり、食材を活かす飲み物の役割があった。
ますます、和洋折衷の料理に合わせた飲み物が難しくなってきたなぁ。



2015年09月09日(水)
長雨で心配なのは「国勢調査」

ここ数日続いている、秋の「長雨」。
露地野菜が取れなくなり、野菜の値段が上がる。
そんな話を食卓でしていたが、私の場合は・・
「長雨で心配なのは『国勢調査』」
指導員の立場で考えると、調査員が苦労しそうだからだ。
9月6日〜9日までは「受持ち調査区の確認」だけど、
この雨の中、地図を見ながら確認するのは意外と大変そう。
さらに、9月10日〜12日は
「インターネット回答の利用案内の配布」時期であり、
今回から導入される新しいシステムの説明をしながら、
利用案内を配布する作業は、晴れていても大変そうなのに、
(地域によっては川の氾濫に注意しながら)
この雨の中、調査区を回るのは、ちょっと危ない気もする。
自分の担当する6人の調査員は、大丈夫だろうか?
そんなことばかり気になっている。
5年に一度の国勢調査も「基準日(10月1日)」を挟んで、
いろいろなことが指示されているから、
国勢調査の調査員のためにも、なんとか晴れて欲しいな。
週末予定していたイベント中止や、予定変更の周知が、
ネット上に溢れている。
この日のために、せっかく準備してきた彼らのためにも
「テルテル坊主」作らなきゃな。



2015年09月08日(火)
「重陽の節句」には「菊花酒」

書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候)
(別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。
明日は九月九日。「重陽の節句」(別名「菊の節句」とも言う)
「平安時代の宮中では、邪気を祓い、長寿を願うために、
菊を浮かべた酒を飲む習慣がありました。
天武天皇が重陽の宴を開いたり、陽成天皇が菊花酒を公卿たちに
振る舞った記憶も残っています」と書かれていた。
ここで、その理由をヅラヅラと書き並べるつもりは無い。
私がこの「菊花酒」に注目したのは、単なる飲兵衛ではなく、
そんな季節を感じる風習を試しながら「重陽の節句」を、
知識としてでなく体験で感じて欲しい、そう思ったからだ。
四角い升(マス)にでも、お気に入りの「日本酒」を入れ、
菊の花弁を浮かべて、チビチビと飲むなんてことをしてみたい。
わが町の町花は「菊」だから、こんな楽しみ方でもして、
「町花普及」を試みるのは、怒られちゃうかな。(汗)
ただ問題は、旧暦の「九月九日」だから、菊の花がない。(笑)
毎年、秋が深まる頃に開催されている「菊花展」に併せて、
霊力を持った不老長寿の花とされている「菊」を題材に
「菊花酒」も広めちゃうしかないな。

P.S.
こういう話題は、前日に提供しなくちゃ意味がないものね。



2015年09月07日(月)
多くの表現者や作品を追い込んだ「言葉狩り」

書籍「大放言」(百田尚樹著・新潮新書刊・239頁)から。
読み終えてメモを振り返ったら、私と同じ意見が多く、
打ち直すのを途中でやめたくらい、頷くことばかりだった。
もちろん、全てが正しいというつもりはないが、
私が共感したのは「『言葉狩り』の時代」という内容。
「いつの頃からか、日本人はその言葉の裏にある真意よりも、
表面上の言葉にだけ反応するようになった。
典型的なのが、昭和五十年代に起きた一連の言葉狩りである。
もともとは差別に抗議する団体が中心になって行なった運動が
きっかけだったが、やがてそれは社会全体を飲み込み、
巨大な力となった。「その言い方は差別だ!」
「その表現は許さない!」とメディアや世論が大合唱して、
多くの表現者や作品を追い込んだ」という部分。
今や、言葉だけでなく、デザインにまで及んでいる。
私たちは、こうして多くの才能を潰してきていないだろうか。
見も知らぬ人にバッシングされた人は、反論すればするほど、
余計に「人格」を否定されるので、面倒くさくなってしまう。
もういいや、これ以上この件に関わるのはやめよう、となり、
すみませんでした、と認めて、今後一切関わらなくなる。
人の欠点を探しだし、誹謗中傷することで満足するなんて、
完全に自己満足の世界だと思う。出来ることなら止めて欲しい。



2015年09月06日(日)
歴史ある民家の襖寄りかかり ワイン片手にジャズを聴く

心地よく酔ったイベントをなんとか文字で表現できないかと、
完全に緩んだ私の脳がひねり出した短歌が
「歴史ある民家の襖(ふすま)寄りかかり ワイン片手にジャズを聴く」
柿田川公園に隣接した「泉の館」内「カフェ リリオ」主催の
「夕暮れJAZZ LIVE AT 柿田川」。
あいにくの天気で、ライブ会場を屋外の大きな木の下から、
「高野邸」の屋内に移しての演奏となったが、それもまた良かった。
クーラーの無い家屋で、一時はどうなるか心配だったが、
閉め切った雨戸を開放してくれた時の、雨音とともに感じたそよ風と、
緑溢れる日本庭園に景色が、遅れた開始時間をも楽しませてくれた。
「JAZZ LIVE」の良さは、演奏に聞き入り息を殺すことも無く、
自由な雰囲気の中で、自分のタイミングでスイングできること。
観客もアルコールや軽食を楽しみながら、手拍子で参加する。
もちろん、小さな子供が畳の上をゴロゴロしたって気にしない。
そんな雰囲気の中、「Ruriko」さんら女性陣のボーカルと、
雨音にも負けない、ベースやサックスの生音を聴く心地よさは、
すみません、やはり文字にはできない。(汗)
昼間の柿田川公園は「Family」と「観光客」に楽しんでもらい、
夜の「泉の館」エリアは「Adult」大人のオアシスに様変わりする。
雨の中でも、ジャズとアルコールが好きそうな人たちが集り、
気取らず気軽に楽しめるイベントとして、大きな可能性を感じた。
民間企業とのコラボレーション、これから目指すところだなぁ。

P.S.
Rurikoさんの歌う「ムーンリバー」は最高だったけれど、
また機会があったら「柿田リバー」って歌って欲しいな。(笑)



2015年09月05日(土)
まだやめたくない。もっとやりたい。

数ヶ月前、ある団体から世界から集ってきた奨学生(留学生?)に、
柿田川のボランティア体験をさせたい、という相談があり、
何度か打合せをして、今日の日を迎えた。
彼ら、彼女らは、本当に優秀で、日本語を流暢に話し、
私の予想した「カタコト」の日本語は、耳にできなかった。
最初に、私の拙い「柿田川に関するレクチャー」を受けたあと、
2班に分かれて、柿田川の水中と陸上の「外来種駆除」を体験した。
もちろん「体験」なので、私たちが活動している時間の1/4程度だが、
それでも「一所懸命・脇目もふらず」の表現がぴったりなほど、
「無我夢中」に「外来種駆除」のボランティア体験を終えた。
そろそろ終わりです・・と伝えると、一斉にブーイング?の声。
「まだやめたくない。もっとやりたい」
環境問題に興味関心を持っている奨学生とは聴いていたが、
自分たちの活動が「柿田川の保護・保全に役に立てば嬉しい」という
気持ちが伝わってきて、協力してよかったな、と感じた。
町民や県民、国民よりも、世界の国々から集った若者たちが、
「柿田川のボランティア活動」に興味を示し、
また機会があればやりたい、という言葉を残して帰っていった。
せっかくだからと、柿田川公園の展望台から大きな湧き間を案内したが、
それよりも、柿田川に入って作業した、水の感触が強かったようだ。
私にとっては、どんなものよりも、彼ら、彼女らの一人が呟いた
「ここの近くに住みたい・・」は、何よりの御褒美だったなぁ。

P.S.
「お兄さん、(お兄さんじゃないけど・・)良いところに住んでますね」と
続けたあと「こんな所に住んでいたら、ストレスないでしょ?」と訊かれ、
反応に困った私がいました。(汗)



2015年09月04日(金)
目立ちすぎると逆に目立たない

映画「シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム」
(ガイ・リッチー監督)から。
「シャドウ」イコール「陰」であるが、今回は「変装」が
キーワードになっていたかもしれない。
「変装はなし?」「食事の時にはね」という会話から始まり、
「ひどい変装だが、時間がなかったのだ」と女装の言い訳をし、
「(隠しても)人は緊張するとそれが動きに表れる」など、
「隠れる」ということにスポットが当たっていた。
しかし、それは驚きのラストシーンのように「椅子」そのものに
同化するのではなく、日常生活に溶け込む、という形で身を隠す。
だから、端から観ると派手にみえる「ひげ」や「変装」も、
彼の理論では「目立ちすぎると逆に目立たない」となる。(笑)
今回の不満は、もっと推理で事件解決をして欲しかった。
ドキドキするようなアクションシーンは、007やM.I.Pに任せて、
ゆっくり、じっくりとした時間を楽しみながら、
ワトソンと協力しながら、問題を解決していく。
それこそ「シャーロック・ホームズ」ならではの世界ではないか。
続編を匂わせる「THE END ?」のタイプライターの文字、
う〜ん、基本は1作品完結型、にして欲しいなぁ、が私の持論。



2015年09月03日(木)
要領よく過ごすには「透明」になることよ

映画「美しい人」(ロドリゴ・ガルシア監督)から。
原題「Nine Lives」のとおり、9人の女性達の9つの人生。
オムニバス形式に語られる女性の心の内部?なのかな、
そんな思いで観終えた。
正直、あまりよく分からなかった。(汗)
それが私が男だからなのか、感性が繊細じゃないのか、
それさえもわからない。
9人が、どこがでクロスするのかと期待したが、
それもあまり見られず、消化不良のままだった。
一人ひとりの場面でメモをしたから、記録に残したい。
□サンドラ「要領よく過ごすには「透明」になることよ」
□ダイアナ「傷ついても怒ってもいない、悲しいだけ」
□ホリー「あの時のパパの笑顔を今でも覚えてる」
□ソニア「君は愛しているけど、決めたことは守れ」
□サマンサ「人生をみつめることは、いつでも出来る」
□ローナ「近頃の女は、男の世話で手いっぱいね」
□ルース「蜃気楼ほど、真実味のあるものはない」
□カミール「眠りには、過去、現在のすべてが存在する」
□マギー「厄介な荷物を背負い生きてきた」
ワンシーン、ワンショットだから、映画らしくないのかな。
邦題も「美しい人」だから、
余計にわからなくなってしまったのかも・・とほほ



2015年09月02日(水)
体重誤差、±200グラム

「レコーディング・ダイエット」をしているわけではないが、
自分の身体に関心を示すために、データを取得している。
朝起きて「体温・血圧」、お風呂前に「体重・体脂肪率」、
そして寝る前に「体温・血圧」。
(「歩数」と「心拍数」は「Apple Watch」が自動計測。)
やはり私は「データ好き」だなぁ、と自覚しているが、
驚いたことに、測る前に自分で自分の身体と向き合い、
私なりの数値予測をすると、最近、非常に近い数字が出る。
特に、お風呂前に素っ裸で測る「体重」は、正解に近い。
今日はこれくらい運動をし、これを食べて飲んで、
そして一番大切な、お腹のへっこみ具合いから推察すると、
体重計に表示される数字の誤差は、ごく僅か。
だから「体重誤差、±200グラム」を記録として残したい。
逆に、なかなかわからないのが「体脂肪率」。
体温と関係している気もするし、水分量にも関連が?
未だ、体脂肪率だけは、毎回大きく外れているので悔しい。
う〜ん、この感覚は、どうやって見つけるんだろう。



2015年09月01日(火)
人間の体は体内に余っているものしか外に出しません

書籍「水分の摂りすぎは今すぐやめなさい」
(石原結實著・三笠書房刊・252頁)から。
いろいろな方の健康法や、ダイエット本などを読み漁り、
私が一番、なるほどなぁ・・と思った著者なので、
続けて、他の著作も読み始めた。
男性と女性の太り方も違うし、ダイエットの仕方も違う、
それを、一種類のハウツー本で対応することは難しい、
そんな主張も、なるほどなぁ・・と思ってメモをした。
ただ、男でも女でも、共通している現代人の傾向は、
「水分の摂りすぎ」であるということ。
水分を十分に摂らないと、血が固まりやすく、
脳梗塞などになりやすい、という説明を信じて、
一日に何リットルも水を飲むことに疑問をもたなかった。
でも、この説明にはっとさせられた。
「人間の体は体内に余っているものしか外に出しません」
汗をかきやすいってことは、体質だけでなく、
水分の摂り過ぎってことなんだろうなぁ。
人間の体って本当によくできている。
だから自分で病気を治す、自然治癒力にも期待したい。