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しもさんの「気になる一言」
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2015年04月30日(木)
苛められた親は、学校に不信感

最近、あまり耳にしなくなった「モンスター・ペアレント」。
ニュースでとりあげるほどのことではなく、
どの学校にも起こりうることと認識されているようだ。
いまだに私には理解しがたいのだが、
その根底に流れるものを見つけないと解決には程遠いと思う。
そこで、仮定の話をしてみたい。
「問題を起こす子どもたちは、親の愛情不足が原因」
そんな根拠もない話が、いろいろな場面で囁かれる。
確かに、彼らの一面しかみていない気もするが、
それでも、大きな問題を解決するためには、
何かを想定した対応策がとられなければならないと思う。
話を戻して、学校にクレームの多い保護者について、
仮説を立ててみたい。
保護者が自分の子どもの頃を思い出してみると、たぶん
「苛められていたのに・・」「不良になったのに・・」と
当時の学校関係者は、苦しんでいた自分を無視されていた。
学校なんて、先生なんて・・必死に「S・O・S」を出したのに、
助けてくれなかった、相手にしてくれなかった、
いわゆる「学校・教師への不信感」が記憶にあるに違いない。
そんな経験を持つ子どもが保護者になって、
学校にクレームをつけているのではないかと感じる。
だからこそ、簡単には解決できない問題だと理解したい。
保護者の問題ではなく、学校・先生の信頼を取り戻す・・
これに尽きる気がする。
「苛められた親は、学校に不信感」を一言に残しておこう。



2015年04月29日(水)
緑に囲まれて読書する贅沢スポット

書籍「京都図書館紀行」
(玄光社MOOK編・玄光社刊・141頁)から。
京都に数ある図書館の中から、選ばれただけあり、
どれも個性的で、今度、京都を訪れた時に、
足を運んでみたいと思わせる雰囲気を持っていた。
その中で、私が選んだのは、2館。
「京都御苑 森の文庫」を紹介するフレーズは、
「豊かな森の中にひっそりたたずむ、とっておきの読書の場所。
「母と子が自然と触れあう機会を多くしよう」という考えで、
「棚に並ぶのは、絵本と図鑑が中心」のようだ。
「文庫の周辺には、読書に好都合なテーブルやベンチも設置され、
青空の下でページを操るひとときは、なんともいえない贅沢な時間。
自分だけの秘密にしておきたいような、素敵な読書スポットだ」
そして「京都府立植物園 きのこ文庫」で気になったのは、
「植物園の大きな『きのこ』に親子で読みたい本がぎっしり。
親子連れの来園者が楽しめるようにと、
1985年に京都平安ライオンズクラブから寄附を受けて設置された」
共通点は、森の中や植物園といった「緑」の屋外施設であり、
太陽の下、自由気ままに楽しく読書している姿が目に浮かぶ。
「緑に囲まれて読書する贅沢スポット」というフレーズを残し、
近いうちに「現地視察」したいと思っている。



2015年04月28日(火)
何か初めてのこと、やりたかったから。

映画「四月物語」(岩井俊二監督)から。
そうそうこんな感じだったなぁ、が鑑賞後の私の呟き。
私の場合、静岡から東京だったけれど、
それでも親元を離れ、ひとりで生活をした経験が、
今の自分にとって、どれだけプラスになったかわからない。
映画初主演の「松たか子さん」演じる女子大生だったので、
余計にドキドキしながらメモをしたのだが、
故郷・北海道から(へ)電話のシーンがアンテナに引っかかった。
少し落ち着いてから、東京での学生生活の様子を訊かれたのか、
それとも「何かサークル入った?」と問われたのだろう。
「釣り」と一言、(たぶん相手は、予想以上に驚いたようだ)
「変?そうかな・・」と彼女は続け、気になる一言を呟く。
「何か初めてのこと、やりたかったから、いいかなっと思って」
そう、せっかく環境が変わったのだから、
今までに経験したことのないことをやってみたい、と思う気持ち、
35年以上前の大学生当時の私が感じた
「(大きな)不安と(大きな)期待」が入り混じった感覚を
うまく表現している台詞だと思った。
冒頭の「松本家、総動員でお見送りのシーン」や
「花吹雪の中の花嫁に傘を差すシーン」など、
クスッとしてしまうシーン、感動シーンが満載だった。
「四月物語」で主人公が「卯月」という名前だったり、
「信長は生きていた」という時代劇の配役で、
「カールスモキー石井」さんが「軽相撲紀伊石井」だったり、
映画でけっこう遊んでるなぁ。

P.S.
4月が終わらないうちに、映画「四月物語」を紹介したくて。



2015年04月27日(月)
書かない・撮らない・残さない

2ケ月に一度開催される、働く女性の会(A.T.Gネット)4月例会、
講師「弁護士・後藤真理」氏、演題「知っておくと損をしない法律知識
〜男女関係トラブル、相続編〜」から。
講師の彼女は、プライバシー問題などに気をつけながら、
あまり耳にすることのない分野を、わかりやすく説明してくれた。
聴講者の多くが、笑いながらもメモしていたのは、浮気の立証。(かな?)
「浮気はどこからばれるか?」と書かれた項目には、
「メール、写真、通話の履歴」「カーナビの走行距離」「日記、手帳」
「クレジットカードの明細、レシート」「録音」「車にGPS、探偵の尾行」
などを挙げ、やや具体的に説明してくれたが、こういう話は、
自分には関係ないと思っている人は「笑い話」になることがわかった。
浮気の証拠を立証するのは、なかなか難しいだろうと思っていたら、
「なぜ、こんなにやばいのを残しておくのか、と思ってしまう」と語り、
「若い人の問題ではなく、高齢者のほうがばれやすい」とか
「付き合い始めのほうが、安易に証拠を残している」と纏めてくれた。
特に「日記・手帳」について説明をしながら、
「何でもかんでも記録する人がいるんですよ」と笑いを誘ったが、
この時ばかりは、聴講者の多くの視線を感じ、自分でも可笑しかった。(汗)
「では、どうしたらその立証を防御できるのか」という説明では、
簡単なようで意外と難しい行為が、フレーズとして印象に残った。
自分では「書かない・撮らない・残さない」
浮気相手には「書かせない・撮らせない・残させない」
たぶん、私にとって「書かない・撮らない・残さない」は非常に難しいから、
すぐばれる、ということらしい。(笑)
よく考えると、私も含めて高齢者の人たちって、記録することは得意でも、
「削除の仕方」って、意外と知らないんだよなぁ。
だって「記録イコール宝物」「記録イコール自分史」という認識だから。
私と浮気を考えている方、気をつけてください。
(たぶん)間違いなく「書きます・撮ります・残します」から。



2015年04月26日(日)
トレーニングの成果が必ず実る、それがマラソンの魅力

またまたランニング雑誌で見つけた、中島進コーチのエッセンス。
「トレーニングというのは、もともと体が環境に順化する
ということを利用しているわけですから」で始まり、
「たくさんランニングをすれば、ランニングに向いた体に
なっていきます」と続けている。「スピードを上げて速く走れば、
自然に速く走れる体になっていきます。
そして、厳しい状態で追い込む練習をすれば、レースでも
自分を追い込んで力を出し切ることができるのです。」と言う。
言い換えれば「トレーニングの成果が必ず実る。
それがマラソンの魅力」ということなのだろう。
マラソンに限らず、トレーニングが大好きの私は、
なんでも「自分磨きのトレーニング」として捉え、
朝から晩まで1年365日トレーニングを楽しんでいる。
その行動のモチベーションは、
「トレーニングは必ず成果が得られる」ということだ。
努力することが楽しい、なんて、私らしい発言かな。



2015年04月25日(土)
「撮りっぱなし」「見っぱなし」「読みっぱなし」が苦手

新しいパソコンを5年ぶりに新調したのには、理由がある。
もちろん、CDの読み取りが出来なくなってきたことや、
ハードディスクの容量に一抹の不安が出てきたこともあるが、
「柿田川をテーマにした映像作品」が作りたくなってきたこと。
1年前まではそんなことも考えず、ただ旅行に行くと、
記念写真という名目で、撮り貯めてきたに過ぎないが、
国の天然記念物である「柿田川」を、いろいろな角度で眺めてきて、
これは記録としてだけではなく、その魅力を多くの人に伝えなくては、
という「使命感」がどこからか沸き上がってきた。
本格的な映像編集ができるようになるためには、
その写真・映像処理に欠かせないソフト「iMovie」で知識を習得し、
次へのステップにしたい、と思い立ったからだ。
「撮りっぱなし」「見っぱなし」「読みっぱなし」が苦手な私は、
作品のレベルは未熟でも、なんとか「完成品」にしたい、と思う。
私は、36歳の時の日記を「出版」という1冊の本にした経験から
「未完成作品」を数え切れないほど持っているより、
「完成品」を1つ持っている方が自信がつくことを知っている。
だからこそ、敢えて、老後の楽しみ(趣味)へと続くであろう、
この知識習得に挑戦してみたい。
素材は充分揃っているし、これからも増やしていくつもり。
もうすぐ57歳、やっと自分が生きてきた証が作れる予感がする。
気分はもう、映画監督、来年の今頃が楽しみである。



2015年04月24日(金)
昼食を1日のメインにしよう。

書籍「男のからだが蘇る食、老ける食」
(蓮村誠著・PHP文庫刊・232頁)から。
読み終えて、著者が提案する「食の方法」を実践したら、
たしかに、からだは健康になるのかもしれないが、
これでは、人間関係を築くのは難しいだろうな、と感じた。
とにかく「夕食を軽くしよう」というが、素直に頷けない。
読者のターゲットに「サラリーマンの中高年男性」があるとしたら、
彼の提案を続けることは、不可能に近い気がする。
特に「夕食」に対するイメージが、私とはまったく違い、正直驚いた。
「職場の仲間や親友たちとの宴席」は楽しいものであるし、
自宅での夕食も唯一「家族とのゆっくり会話する時間」として、
大切にしたい時間であると考えているので、
私としては「夕食を軽くする」とか「抜く」という視点がない。
逆に、昼食を抜いて、夕飯に重点を置く生活サイクルのほうが、
今の私には、ピッタリしている気さえする。
だからこそ敢えて「昼食を1日のメインにしよう。」のフレーズを
気になる一言に残しておこうと思う。
「胃腸にやさしい食事をすることが大切」とか
「油を取らずにいると、からだは確実に老化する」など、
なるほどなぁ、と思うこともあったが、やはり現実は実践が難しい。
特に「刺身と揚げものを同時に食べたり、
焼肉を食べながらビールを飲んだりすると、口臭に・・」は、
今までの食生活を全否定された気分になったから参った。(汗)
ポイントは、やっぱりずっと続けられるか、だろうな。



2015年04月23日(木)
おとなのブカツ

ランニング雑誌で見つけた「スポーツ・ガイドブック」。
あっ、このフレーズいただき、とメモしたのは、
「『おとなのブカツ』は、気の合う仲間たちと楽しみながら、
今すぐ使える上達テクニックを紹介する、
新しいカタチのスポーツ・ガイドブックです!」という紹介文。
この「おとなのブカツ」という単語、私には、けっこうウケた。
「部活」も「ブカツ」とカタカナにしてイメージが変わり、
スポーツに限らず、いろいろなジャンルに応用できる。
「おとなのブカツ」は、気の合わない仲間でやる必要はないし、
基本的に、苦しいものではなく、楽しい活動がいい。
学生の頃と違って、気に入れば、いくつ入部していい気がする。
でも「ブカツ(部活)」と定義するのなら、
「部長・副部長」を決めたり、世話をするマネージャーも必要だな。
仕事では呼ばれることがない「部長」って役職。
もしかしたら「おとなのブカツ」で体験できるかも。(笑)

P.S.
ブカツに必要な「顧問」「監督」「部長」「キャプテン」。
あれ? 名称がわかんなくなっちゃった。(汗)



2015年04月22日(水)
応急処置はやめて「習慣化」する力を磨く!

書籍「30日で人生を変える『続ける』習慣」
(古川武士著・日本実業出版社刊・221頁)から。
以前何度か「持続力」の講演をしたことがあるが、
聴講者に伝わったかどうか、気になっていた。
この本を読んで、たぶん伝わってないなぁ、と反省した。
それは「続けたいと思う習慣の種類によって違う」し、
「人それぞれ継続のツボが異なる」のだから、
「こうすれば、持続力がつきますよ」という説明は、
「私の場合、これに対してこういう方法で続けています」という
ほんの一例を紹介したに過ぎないということだ。
それを、いかにも誰にも共通するかのように紹介したのでは、
仮に誰かが私の話を信じて実践しても続かなかったに違いない。
私は「習慣化する」ことが得意だから、無意識のうちに、
どうやったら、諦めないで続けることができるかを考え、
そのまま実行に移してしまうので、
実は、何をやっても続かないと悩む人の気持ちがわからない。
ただ、今言えることは「持続力」をつけるのではなく、
「習慣化する力」をつけることが、王道であり、
この力がつけば、何かを続けようとしたときに、
すぐ「習慣化」するには、どうしたらよいか、と対応ができる。
目的ごとの「続ける」方策(応急処置)を考えるより、
「習慣化する力」を磨くことが、大切だと確信した。
だから今回の気になる一言は、見出しとなっていた
「応急処置はやめて『習慣化』する力を磨く!」としたい。



2015年04月21日(火)
あなたが政治を考えなくても、政治はあなたを考える

映画「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」
(リュック・ベッソン監督)から。
「事実に基づく物語」として観始めたが、私の勉強不足で、
ビルマの非暴力民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんが、
どうしてこんなに国民に支持されたのか、やっとわかった。
彼女の父親がビルマ独立のために勇敢に戦い、銃弾に倒れた、
その前提を理解すると、疑問もすっきり解決された。
作品の中で「アウンサン将軍の娘」という単語も出てくるし、
彼女自身「私は父の血を引く娘です。
今、国で起きていることに無関心ではいられません」と言い切る。
さらに「昔、父が言ったように、最悪の心構えにして、
最高を望み続けます」と語ったシーンが印象に残る。
15年に及ぶ自宅軟禁は2010年に解除された彼女は、
軟禁されていた時、父親の教えを紙に書いて家中に貼る。
そして、ちょっぴり興味を示した軍の新人に、こう諭す。
「『あなたが政治を考えなくても、政治はあなたを考える』
私の父の言葉よ。その意味をよく考えてみて」と。
今や日本は、政治に無関心の国民が増えている、というが、
この台詞の意味を、もう一度、考えてみる必要がありそうだ。



2015年04月20日(月)
ラストはハッピーエンドでなければならない

作家・夢枕獏さんの「秘伝『書く』技術」(集英社)
刊行についてのインタビュー記事。
インタビューの冒頭、彼の「書く」ことに関する信条などが
散りばめられていて、面白かった。
「面白いことを書きたい、これはもう、作家の生理的な欲望。
文書表現で大事なのは『自由』であること、
『これを書きたい』という意欲と『森羅万象を面白がる力』」と
言い切る彼は、書きたいテーマを小説にする方法や、
書き続けるためのアドバイスを体験的に記している。
「野心なしに、面白いものは生まれ得ない」
「創作者たるもの、誰も褒めてくれなくとも、
自分で褒めるくらいの自信と気概が必要です」などメモは増えた。
その中で一番頷いたのが、彼が書く上で「信条」としている考え方。
それが「ラストはハッピーエンドでなければならない」。
「読者の方には、やっぱり幸せな気持ちになってほしい」という
願いが、私にも伝わってきた。
せっかく長い文章を読んできて、最後に悲劇的に終わる作品は、
物語とわかっていても、やはりやるせない気持ちになる。
だから、彼の信条には大賛成である。



2015年04月19日(日)
自らの意志で走り出そう

ランニング雑誌で見つけた「アンダーアーマー」の広告。
「アンダーアーマー(Under Armour)」は、
米国メリーランド州に本社を置くスポーツ用品メーカー。
いろいろなスポーツ用品を手掛けているが、
このキャッチコピーは、私のお気に入りである。
「自らの意志で走り出そう」
「意志」とは「成し遂げようとする心」であり、
「考え・思い」という意味の「意思」とは違う。
何かを目標に掲げ、それを成し遂げようとする心こそ、
辛いトレーニングも耐えられることになる。
写真は、もちろんランニング風景であったが、
生き方の基本として、誰かに指示されたからではなく、
自らの「意志」で動いていることが大切、
そう読み替えることが出来るな、と気が付いた。
そういえば「ボランティア」という単語にも、
「自らの意志で」とか「自分から進んで」という意味が
含まれていることを思い出した。
他人を、言い訳にせず「自らの意志で」。
う〜ん、ワンフレーズだけど意味が深いなぁ。



2015年04月18日(土)
想いは、必ず手から伝わる。

映画「プラチナデータ」(大友啓史監督)から。
「東野圭吾」さんの小説は、映画化しやすいのだろうな、
今までに数多くの作品を本で読み、映画で観てきた気がする。
この作品は究極のデジタルとも言える「DNA」がテーマなので、
メモした単語も「DNAプロファイル」や「DNAモンタージュ」、
さらには「DNA捜査」「DNA法案」まで登場し、
「DNAで全てが決まるわけじゃない」と主張する側と、
「DNAはその人間の全てだ」と主張する側の攻防は面白い。
さらにタイトルになっている「プラチナデータ」の意味さえも、
人、立場によって違い、私たちを楽しませてくれる。
とはいえ、後になって思い出せるインパクトのある台詞を残したいと、
多くのメモを整理したら、DNAに関連しない台詞が浮かび上がった。
それが「想いは、必ず手から伝わる」というフレーズ。
描いていた絵が「手」をモチーフにしていたり、
お父さんが陶芸作家だったことも含めて、なせが「手」に拘っている。
「想いは、必ず手から伝わる」と言った後、
「その手から、土は形作られる」と続くフレーズが引っかかった。
言葉だけの「愛している」より、黙って「手を繋ぐ」ことの方が、
好きだという気持ち、大切にしたいという想いが伝わる気がしている。
「手は、苦労すれば苦労したなりの手」「楽しければ楽しそうな手」など
「その人の全てが手に表れる」という話も耳にしたことがあるが、
「DNAはその人間の全て」と似た表現になっていて興味深い。
言葉で多くの人の前で演説するよりも、一人ひとりと握手するのは、
「想いは、必ず手から伝わる」からなんだろうな。



2015年04月17日(金)
熱のA型、下痢のB型

このフレーズでピンと来た人は、医療関係者?(笑)
毎年、インフルエンザが流行る時期に、
「今年は、ホンコン何型?」なんてフレーズを、
知ったかぶって話すけれど、実は、何も理解していない。
さて、今朝の朝刊を広げたら「インフルエンザで学級閉鎖」
という記事を見つけて、ちょっと驚いた。
えっ、この時期にまだ「インフルエンザ」になるの?、
空気が乾燥する季節だけじゃないの?と疑問は溢れて、
やっぱり「それって、ホンコン何型?」という会話になった。
それなのに、誰もわからない。
ところが、先日ネットの仲間とチャットをしていたら、
サラッとした会話に、そのヒントがあったのを思い出した。
たしか、家族全員でインフルエンザを罹ったなんて、
話題とともに、どんな症状?なんて話になった時だったと思う。
そして「高熱が出て」と書きこんだ人には「じゃあA型だね」、
「下痢がひどくて」と書きこんだ人には「それはたぶんB型」、
「香港A型は風邪症状や関節痛があり、
B型は消化器症状があるのが特徴のようです」
えっ、病院に行って調べなければ判らないんじゃないの?と、
内心思ったが、どうやら「インフルエンザの型」は、
症状によって、パターンがあるようだ。
そんなことを知っていたから罹らないというわけではないが、
「熱のA型、下痢のB型」というフレーズを覚えているだけで、
なんとなく安心できるのは私だけだろうか。(汗)
これからの季節、花粉症にも「何型」という分類はあるのかな。
人によって症状が違うのだから・・



2015年04月16日(木)
おすすめというか、感想聞きたい本があります!

最近、届いたメッセージ・メールである。
「しもさんにおすすめというか、感想聞きたい本があります!」
実は、どちらも私にとっては、嬉しい表現である。
「しもさんにおすすめ」と言えば、
私の最近の関心事を少しでも知っているということだし、
「感想を聞きたい」と言えば、
私が本好きで、その中から「気になる一言」を書いている、
そんな状況を知っていることになるから・・。
「映画、講演会、美術館の企画展」なども同じであるが、
逆に「テレビドラマ」の感想を訊かれたら、返事もしない。(笑)
(NHK「大河ドラマ」だけは別だけど・・)
そんなわけで、さっそく書店で本を購入し、読み始めた。
但し、私の感想は、ちょっと辛口になりやすい。(汗)
「よかったよ」とか「感激した」というのは簡単だけど、
率直な感想を述べないと、意味がないと思っているので。
それでもよければ、こんなリクエストはいつでも大歓迎。
美味しいお酒とか料理のおすすめとか、感想でも対応するつもり。
お金も払って・・と言われたら困るけれど・・(汗)



2015年04月15日(水)
ブレーキが解除されたようだ

書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」
(鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。
この本を読み、さらに実践してみて感じたことは、
こんな感覚になる、と説明していた内容にピッタリだった。
それが「ブレーキが解除されたようだ」
「ブレーキをかけながら、ペダルを回している自転車のような
ランニングをしていたのです。そんな走りから、
ブレーキレバーをパッと放したことを想像してみてください。
自分に合ったランニング技術を身につけることで得られるのは、
そんなランニングです」と書かれていたが、読書した当時、
実は、半信半疑だったことも事実。
しかし、せっかく学んだことだから・・と続けることにより、
得られた感覚は、まさに説明どおりだった。
1㎞何分・・という数字で示す記録ではなく、自分の感覚として
「ブレーキをかけていて、ブレーキレバーをパッと放した」という
表現が相応しいと胸を張って言える。
「過負荷の法則とは、今の自分の限界よりも、
少しだけ高い負荷をかけることで、体がその高い負荷をかけることで、
体がその高い負荷に耐えられるように成長していくこと」
その説明がやっと理解できた瞬間がやってきた。心から嬉しい。



2015年04月14日(火)
だが、やがて時はめぐり、もう無視したくなかった。

映画「42 世界を変えた男」(ブライアン・ヘルゲランド監督)から。
まだ、黒人の人種差別が堂々とまかり通っていた時代、
差別反対に対する動きは、リンカーンだけでなく、
いろいろな分野で起こっていたことに、再確認した。
この物語の主人公は、メジャーリーグ最初の黒人選手、
背番号42・ジャッキー・ロビンソンであることは間違いないが、
私は、ハリソン・フォードが演じた「ブランチ・リッキー」こそ、
真の主人公ではないか、とメモを整理した。
ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の
ジェネラル・マネージャーであった彼が、野球界を変えたも言える。
当時の慣習だった「人種差別」に背き、なぜ黒人にチャンスを与えのか、
その理由を、淡々と語るシーンが、私のお気に入りとなった。
野球を愛していた彼の学生時代の野球界を振り返り、こう呟く。
「愛する野球界の内側は、不公平で腐っていたが、私は無視した。
だが、やがて時はめぐり、もう無視したくなかった。
君が・・また、野球を愛させてくれた、ありがとう。」
学生時代は、自分のことしか考えられず、差別を受け入れるしかなかったが、
今、GMという立場になってみて、やはり当時の「人種差別」に後悔が残る。
それが「無視したくなかった」という台詞に置き換わったのだろう。
自分の生き様として、どうしても貫きたかったことを行動に移した。
そして、その期待に応え、結果を残した背番号「42」。
「毎年、4月15日、メジャーリーグでは、ロビンソンの偉業を称え、
多くの選手が『背番号42』をつける。」という。
彼がメジャーデビューした日に、彼の勇気と誇りを忘れないために。
「背番号42は、唯一全球団の永久欠番である」という事実は、
アメリカらしい素敵なルールだな、と関心した。
果たして、日本野球界に出来るだろうか・・期待したいところである。

P.S.
明日(4月15日)にアップしようと考えていたけど、予告にしました。
時差があるから、明後日かもしれないけど・・(汗)



2015年04月13日(月)
おめかしピクニック

最近、私の関心事は、緑溢れる公園で「ピクニック」。(笑)
そんな感覚でいろいろなイベントを探しているからか、
世の中全体が「ピクニック・ブーム」となっている気がする。
以前は「街なかの森林公園」というテーマで、
好奇心のアンテナを伸ばし、ネット検索で調べていた。
しかし、この企画を知って「あっ、これだ!」と腑に落ちた。
沼津市のCD・古本・雑貨店(weekend books)の企画、
「おめかしピクニック」。
手にした葉書に書かれていた、キャッチコピーは
「いつもより 少しだけおめかしして
かわいくて たのしい ピクニック
さぁ! お気に入りのカゴに
読みかけの本と おいしいおやつを入れて
森の中に お出かけしましょ♪」
そうそう、この感覚なんだよなぁ、とメモをした。
森の中ではないけれど、ちょっぴり気取って出かけたい。
お弁当も「手作り」に拘る必要なんてない気がするし、
近くのお気に入りのお店で「テイクアウト」すれば足りる。
さらに、素敵なプランケットを広げて、
気が置けない仲間や大切な家族たちと、楽しい時間を過ごす。
これも、今風の「おめかしピクニック」かもしれないな。



2015年04月12日(日)
私たちこのままじゃ悔しいの、何とかしてよ

映画「バックダンサーズ!」(永山耕三監督)から。
平山あやさん、hiroさん、ソニンさん、サエコさん主演で贈る
青春ダンス・ムービーには違いないが、
私がメモしたのは、彼女たちが夢と現実の狭間でもがいている姿。
「あたし、悔しい」「あたしも悔しい。本当に悔しい」
「茶野、悔しいの。私たちこのままじゃ悔しいの、何とかしてよ」
それまでが一所懸命じゃなかったとは言わないが、
この台詞を叫んでいる時「このままで終わりたくない」という
強いエネルギーみたいなものが、画面を通して伝わってきた。
今の若者は、すぐ諦めてしまったり、逆ギレしたり、
最後には投げ出してしまう、そんなイメージがあったが、
この台詞を口にした後から、彼女たちの顔つきが変わった気がする。
最近「悔しい」という台詞(音)を耳にしたことがなかったから、
とても新鮮に聴こえたのは事実である。
やはり人間の欲望を、とことん突き進めるのは、
自分の思うようにならない「悔しい」という感情なのかもしれないな。

P.S.
今年の4月は「統一地方選挙」で、街中が「選挙一色」だが、
立候補者だけでなく、支援する人たちの、
「当選しなかったら悔しい」という想いが強いかどうか、
そんな気がしてならない。



2015年04月11日(土)
よっしー!できる〜できる〜きみならできる〜

「SUNTORY C.C.lemon」が提供する「元気応援プロジェクト」
その1つが「松岡修造さんが歌・作詞を担当し、
100人分のニックネームを呼びかける『元気応援ソング』」
もう耳についたら、このフレーズが頭から離れない。(汗)
インパクトのあるフレーズって、やっぱり凄い、を実感した。
特に、自分の名前に関したソングを見つけたら、
もう、誰かに伝えたくなってしまうから不思議だ。
ニックネームと言っても、名前が中心だから「しもさん」はないが、
「よっしー」を見つけて、大喜び。(笑)
知らないうちに何度も再生し、PC画面に向かって頷いていた。
「よっしー!できる〜できる〜きみならできる〜」
是非一度、インターネットで検索して、笑い転げて欲しい。
腰をくねくねした妙な踊りには、違和感を覚えたけれど、
松岡修造さんらしさが溢れていて、元気がもらえること間違いない。
名前に「よし」がつく人は、みんな「よっしー」でいいし、
実は、私の知り合いにも「よっしー」は大勢いる。
普段、そんなニックネームで呼ばれてないから、なんて意地を張らず、
「今日から君は富士山だ」・・なんて意味不明なフレーズもあるが、
ここは、自分の名前に近いニックネームで、楽しんでしまおう。
また、名前だけでなく「おとうさん」「おかあさん」や
「社長」「新人」「先生」「先輩」「部長」なんてのもあるから、
誰か元気がないなと思ったら、そっと近づいて、この応援歌を。



2015年04月10日(金)
富士山を望みながら水に戯れる、最高の贅沢だ。

先日紹介したばかりの、静岡新聞夕刊のコラム「窓辺」、

前・国交省沼津河川国道事務所長、野坂周子さんのコラムが、
今度は「狩野川」と題し、カヌー体験を綴っていた。
「狩野川を知るなら、カヌーが一番」で始まり、
井上靖著の「しろばんば」に話が展開され、
さらに狩野川を愛する多くの人の存在を感じた。
こうした思いを大切にしたい」と結んだ文章は読みやすく、
読者である私にも、狩野川の魅力が伝わってきた。
今回は、一人乗りの凄腕カヤック乗りたちの行動を見て、
「気持ちよさそうなこと」と表現している。
そして、そんな様子を横で眺めながら、
「富士山を望みながら水に戯れる、最高の贅沢だ」と纏めている。
以前、柿田川の外来者駆除作業にも参加していただき、
その水の冷たさ、透明さに驚いていたが、たぶんその時も、
同じようなことを感じてくれたに違いない。
ボランティア活動だろうと、レジャーだろうと、
「富士山を望みながら水に戯れる体験」は、私たちにとっては、
当たり前のことだが、他地域に住む人たちにとっては、
「最高の贅沢」なのだろうなぁ。
これからも、その意識は忘れないでいきたいと思う。



2015年04月09日(木)
「清明」は「すべてのものが清らかで生き生きする頃」

書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候)
(別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。
先週の日曜日から19日の日曜日まで、二十四節気では「清明」。
「すべてのものが清らかで生き生きする頃」
この頃は、天地が清々(すがすが)しく、明るい空気に満ちる、と言う。
転じて「清く明らかなことの意味に使われる」。
実は、我が家の玄関に、正月からずっと飾られていたのは、
世界的な木版画家・牧野宗則さんの「清明」という作品。
富士山と太陽が描かれ、自然の生命の輝きが感じられるから、
毎朝、この作品に送り出されて仕事に出かけるのが嬉しかった。
しかし「清明」が、今の季節を表わす言葉と知って、思わず苦笑い。
正月の凛とした空気とはちょっと違う、明るい空気の感覚は、
確かに、いまどきのほうが「清明」のタイトルに相応しい気がする。
このままもうしばらく飾って、田植えの時期に合わせて、
木版画家・前田光一さんの作品「水鏡の家」に、衣替えをしたいな。
そう言えば、この季節に話題になる、沖縄の「シーミー」ってお祭りは
「清明祭」のことって、どこかで聞いたことがあったなぁ。(汗)

P.S.
「清明」を過ぎれば、次は「穀雨」。
最近の「小雨の長雨」(菜種梅雨)、ちょっと早い気がする。(笑)



2015年04月08日(水)
書籍と映画、犯人が違うのなら観るけれど(笑)

以前、私の住む町に映画館ができた時は、嬉しくて嬉しくて
「映画は映画館で、野球は野球場で」という一言を残した。
当時は、1年に154作品の映画を「映画館のみ」で観たが、
最近、どうしたことか、映画館で鑑賞していない。
既に800作品を超え、今年も既に20作品を鑑賞したが全てDVD。
この気になる一言で、映画の話題が多いからだと思うが、
時々「あの作品観ましたか?」というメールが届くことがある。
それもなぜか、推理小説の映画化に関する問合せが多い。
例えば「映画『謎解きはディナーのあとで』は観ましたか?」
「映画『真夏の方程式』は観ました?」という形で。
ちょっと悩んだけれど、返したメールは、
「推理小説の映画化は、基本的には映画館で観ませんね。
書籍と映画、犯人が違うのなら観るけれど(笑)。」
ただし、公開後しばらくして、DVD化されたら、
原作とどこが違うのだろう?と確認の意味で観ることはある。
小説を読んだ時のメモと、映画を観た時のメモが、
ぴったり重なるのを楽しんだりする場合もあるし、
小説にないフレーズを映画に発見すると、これまた嬉しい。
時には、呆れられることもあるけれど、
これまた「私流の書籍と映画の楽しみ方」となっている。
今は、今まで鑑賞した映画の原作を読むこと、
映画の主題歌に使われた曲を、ダウンロードして聴くこと、
そんなものもセットにして、楽しんでいる感じかな。
ただし私の場合、監督名、俳優名はあまり覚えていない。
映画評論家になりたいわけじゃないので・・。(汗)



2015年04月07日(火)
君は大人になっていない!

映画「ヤング≒アダルト」(ジェイソン・ライトマン監督)から。
生まれ育った田舎を捨て都会へ行き、ある程度、成功した。
しかし、都会の生活に疲れた主人公の彼女は、
既に結婚している学生時代の元カレと寄りを戻そうと帰郷し、
色気を振りまきながら、あの手この手を使うがうまくいかない。
それもそのはず、長い年月が、田舎に残った同級生たちを成長させ、
昔のイメージで「自分が最高に魅力的」と突っ張る彼女を
懐を広く迎えながらも、幸せの定義の違いを見せつけたと言える。
「僕ならそんな話は人にせず、精神分析に行って医者に話す」
「何があったのか、君の想像かは知らないが、過去は過去だ」
「君に人の幸・不幸が、わかるのか?」
「何をする気だ? どうかしている。帰ってくれ」
「君は正常じゃない。孤独で理性を失っている」
こんな台詞が散りばめられているのに、彼女は気付かない。
いや、気付こうとしない、気付きたくないのかもしれない。
そんな彼女に、古い友達たちはこう言いたかったのだろう。
「君は大人になっていない!」



2015年04月06日(月)
新宿御苑がある。それだけで、東京で暮らすことは楽しい。

書籍「東京公園散歩」(矢部智子著・P-VineBooks刊・143頁)から。
紹介しているのは、私が知りたい・・と望んでいる
「大人がゆったりとした時間を過ごすことのできる20の公園」。
さすが「東京」と、その規模やコンセプトに唸りながらも、
もしかしたら、自分の住む街の小さな公園にも活かせるかも・・
と思わせてくれた、貴重な資料として大切に読み込んだ。
どの公園にも共通した、公園の持つ「癒しのイメージ」は、
写真や映像にするより、文字にしたほうが伝わる気がする。
例えば「新宿御苑がある。それだけで、東京で暮らすことは楽しい」
「いつ来ても、どこを歩いても『楽しさ』を見つけることができる」
「みんなまるで自分の家にいるみたいに、気ままにくつろいでいる」
「歴史の足跡が、今も園内のあちこちに残されている」
「新緑の頃に裸足で歩けば、さらさらとした芝の感触が気持ちいい」
「濃密な緑の匂いがたちこめる、90年の時が生んだ壮大な森」
「ケヤキの足元につくられたベンチは、ランチや読書に最適」
「季節の移り変わりを感じながら、つかの間の休息を楽しむには最高の場所」
「それは一瞬で、東京にいることを忘れてしまう風景」
「夏場の気温は、街中より6〜7度も低いそうで、
その涼しさと気持ちよさは、一度体験するとやみつきになる」
「ここにいると、子どもは本来の子どもらしさを取り戻し、
大人もまた、自由な空気のなかで幸せな気分に包まれる」
「このあたりは、近所の子どもたちの格好の遊び場」
「きょうも台場公園は、孫の活躍に目を細める『ご老人』のように、
静かな周囲のにぎわいを見守っている」
「住宅地の中の小さな公園が約束する、幸せなひととき」
「その存在を知っているだけで、ちょっと人生を得したような気がする」
「絶えず誰かが訪れて、それぞれの時間を過ごしている」
「あの公園に行けばきっと現実から少し離れて、幸せな時間が過ごせる」
「晴れた日に、仕事を携え図書館に出かけ、ときおり気分転換に外に出て、
森の中のベンチで、近くの屋台カフェで買ったコーヒーをすする。
その幸せなひとときと思うと、自然と顔がほころんでくる」
う〜ん、どれをとっても、役立ちそうなフレーズばっかり。(嬉)
目指すは「柿田川公園がある。それだけで、清水町で暮らすことは楽しい」



2015年04月05日(日)
ピンク三昧・山梨

事前の天気予報では、奈良に続いてまた雨か、と落ち込んでいたが、
夫婦で行くバスツアー「甲斐善光寺御開帳と甲州三大桜」は、
曇天であったが甲斐(山梨)で、傘を広げることはなかった。
恵林寺・慈雲寺・甲斐善光寺・武田神社と予定された桜の名所は、
前日の雨と風で心配されたが散ることなく「見頃」であったが、
桜だけで言えば、規模は違えど、私たちの周りでも鑑賞は出来る。
わざわざ、バスツアーで行かなくても・・と思いがちであるが、
バスが山梨県に入った途端、車窓から見える景色が「ピンク一色」。
この景色は「静岡県」では、あまりお目にかかれない。
薄いピンクは、ソメイヨシノを始めとした「桜」、
それにアクセントを付けたのが、もう少し色が濃いピンクの「桃」、
道中、目の中には必ず「ピンク」があり、その色の豊富さに驚いた。
今回のバスツアーをワンフレーズで表現するなら、
間違いなく「ピンク三昧・山梨」。
7月〜9月のイメージがある「もも狩り」の主役、桃の木は、
桜に負けじと、この時期、精いっぱいのピンク色で輝いていたから、
桜の「ピンク」と桃の「ピンク」の競演、と言ってもいい。
いや、観光客をもてなす宴、と言う意味では「饗宴」かも知れない。
緊張しがちな年度始めの最初の週末、今回もまた自然に癒された。
「自然」って、本当に素晴らしいな、と心から思ったツアーである。

P.S.
「善光寺」に行くにしては、ゆっくりした日程だな、と思っていたら、
「信州善光寺(長野県)」ではなく「甲斐善光寺(山梨県)」だった。
もう少しで、恥をかくところだったなぁ、ほっ。



2015年04月04日(土)
ローマはあなたの街、あなたが街のイメージを創った

映画「NINE」(ロブ・マーシャル監督)から。
フェデリコフェリーニ監督の自伝的映画
『8 1/2』(はっかにぶんのいち)のリメイクでミュージカル版、
そう説明されても、実はよくわからない作品だった。
ずっと意味不明だったタイトルの「NINE」は、
ラストで「仮題NINE」というシーンを観て、
タイトルも脚本も決まっていない映画タイトルだとわかる。
舞台はイタリア。数々のヒット作を飛ばしてきた、
主人公のグイド・コンティニ監督9作目の映画ということなのだろう。
ラストで「アンソニー・ミンゲラに捧ぐ」という字幕が気になる。
アンソニー・ミンゲラ氏は、ネットで調べてみると
イギリスの映画監督・脚本家・映画プロデューサーとある。
これまたどういう意味なのか、判らずに終わった。
(数少ない脚本も書く映画監督、という意味だろうか?)
さて、今回の気になる一言は、単純にストーリーの中から。
自信をなくした、主人公の映画監督を励ます言葉。
「ローマはあなたの街、あなたが街のイメージを創った。
あなたの映画がね」
この発想は、まちづくりの手法としても使えるな、とメモ。
具体的な将来的なイメージ、映像があればあるほど、
住民は、その街のイメージに向かって努力していく。
震災で被害を受けた東北地方で大切なのは、将来の東北は、
こんな街になるんだ、という復興後のイメージ。
近未来的な将来都市像を、文字ではなく映像として提示する、
それこそ、イタリアという国、ローマという都市のイメージを
全世界に向けて、映画を通して情報発信すると同じように、
近未来の日本という国、東北という地方のイメージを、
世界に向けて、情報発信して欲しい、と願う。
飛躍し過ぎだろうか?(汗)



2015年04月03日(金)
背伸びをした仕事と向かい合うための、栄養源だ。

静岡県内の著名人が書く、静岡新聞夕刊のコラム「窓辺」に
前・国土交通省沼津河川国道事務所長の野坂周子さんが載っていた。
「伊豆マラソン」と題し、私も一緒に走ったコースを、
本当に短いフレーズながら、わかりやすく纏めていて感心させられた。
天は彼女に二物どころかも多くの才能を与えたようだ。
さて、コラムの後半「走る」ことについて、こう記している。
「戦後の厳しい時代を生き抜いた母には、『走る』なんて、
なんでそんな無駄なエネルギーの使い方をするのかと問われる。
確かに、この走るエネルギーをもっと建設的な事象に使えばと思う。
ただ、これは私のぜいたく。
背伸びをした仕事と向かい合うための、栄養源だ。
これからも、きっと走り続ける。」
この部分だけ読んでも、うんうんと頷き、思わずメモをした。
以前「なぜ走るのか?」と問われたとき、
「もっと強い自分に出会うために走り続ける。」と答えたが、
緊張感の続く仕事をこなしてきた彼女が表現してくれた
「背伸びをした仕事と向かい合うための、栄養源」も素敵だなと思う。
走ることは「エネルギーを使うのではなく、蓄える手段」という感覚、
走り始めて7ケ月だけど、少しずつわかってきた。
「これからも、きっと走り続ける。」と言い切った彼女は、
4月1日付けで異動してしまったが、この気持ちは私たちに残された。
「これからも、きっと走り続ける。」・・いい言葉だなぁ。



2015年04月02日(木)
「貸切」・・そりゃぁ、ないでしょ(怒)

それは、平成26年度の年度末、3月31日の出来事。
多くの人たちがSNSにアップする「三島大社」の夜桜に惹かれ、
また家族からの「大社の夜桜見にいかない?」のメールに誘われ、
やや肌寒い天気の中、歩いて出かけた。
勿論、週末の雨で散る前に・・という桜の花見だけでなく、
夕食は「○○○○」でワインでも飲みながら・・という
お楽しみ付きの誘いであったから、いろいろ期待して足を運んだ。
ところが・・なんと「貸切パーティのためクローズ」のメッセージ。
季節的にも、大社の夜桜見物に訪れた人たちを受入れる施設・・
と思っていたら、どうやら私の勘違いだったようだ。
夜桜見物のあと、ちょっと気取って、温かい珈琲でも・・
と考えていた人たちは、私たちだけではなかったようで、
多くの人がその看板を見つけ中を覗きながら、不平不満をこぼしていた。
簡単に言うと「『貸切』・・そりゃぁ、ないでしょ(怒)」
民間施設の営業だから、口を挟むことはないのかもしれないが、
静岡県東部の花見の名所として知られる「三島大社」の目の前で
営業しているのだから、本当に期間が限られた数日だけは、
「貸切」という貸し出し方法を考慮して欲しかった。
「貸切」をすることで、まとまった収入はあるのかもしれないが、
それと引き換えに、楽しみに訪れた多くのお客を失った気がする。
「大変申し訳ございませんが」のフレーズに、
「本当に申し訳ないよ」「本当にそう思ってるの?」と呟き、
「ご迷惑をお掛け致しますが、宜しくお願い致します」のフレーズに、
「本当に迷惑な話だよ」「よろしくお願いされないぞ」と言い返す、
若い人たちやおばさま方の反応のほうが面白かった。
「施設まるごとの貸切」って、私はあまり好きじゃない。
「本日貸切」の表示は怒るけど「只今満席」の表示だったら諦める。
そんなもんなんだよなぁ、人間の感覚って。(笑)



2015年04月01日(水)
ぶち男前っちゅうわけやないけど・・

映画「カーテンコール」(佐々部清監督)から。
せっかくの映画作品なのに、山口県の方言が気になってしまった。
昭和30年代から40年代の下関の映画館で活躍していた
幕間芸人・安川修平のことを知ってその調査を始めるところから、
スタートするが、藤村志保さん扮する当時の従業員が、
「どんな方でしたか?」の問いに、
「ぶち男前っちゅうわけやないけど・・」と答えた。
私の大学時代に、山口県出身の友達がいて、
山口県の言葉には、英語の「原級・比較級・最上級」が存在し、
「ぶち・こち・かち」と言うんだ、と自慢していたのを思い出した。
「ちょっと、すごく、ものすごく」くらいの感覚で、
ぶち広い、こち広い、かち広い・・と使うらしい。(当時の記憶ですが)
そこで作品中、取材の会話で「ぶち男前・・」を耳にした時、
懐かしさと、やっぱり本当だったんだという確信が持てて、
他のメモした台詞より、インパクトがあり輝いてしまった。
本来なら、この作品を思い出すには、なんといっても
「星よりひそかに 雨よりやさしく」なんだろうけれど・・。
下関が舞台らしく「在日朝鮮人」などの差別問題も含めて、
映画の最盛期、そして衰退期がわかる作品でもあった。
シネコンとは違う昔の映画館・・なんとなくだけど覚えているなぁ。

P.S.
大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台は、山口県・萩だけど、
こんな台詞は耳にしないなぁ。地域が違うのかな?