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2015年03月31日(火) ■ |
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「はとかで」は、川柳では「もったいない」 |
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先日、川柳に詳しい人に、そのコツを訊いた。 その中で、なるほど・・と思ったのが、 5・7・5の最初の5は、単なる単語の説明になってしまう 「〜は」「〜と」「〜か」「〜で」はなるべく使わない方がいい、 というアドバイス。 もちろん「禁止」でもないし「ご法度」でもないけれど、 少ない文字数の中で、膨らみをもたせるには、 その一文字がもったいない、そんな感じなのだと思う。 だからこそ「『はとかで』」は、川柳では『もったいない』」を、 残そうと考えたが、いかかだろうか? 私が今までに作った「川柳」(もどき)を振り返ると、 なんと「は・と・か・で」が多いことか、自分でも呆れてしまった。 その世界では、常識的なコツも、独学ではわからないから、 一度、その道の達人に教えを乞うのも一考かもしれないな、と思う。 このコツを知っただけでも、私の「川柳」は、 ちょっとばかり「素人っぽさ」がなくなった気がする。 勿論、次の作品が、楽しみである。(汗)
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2015年03月30日(月) ■ |
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人間が接ぎ木しないと増えていけません |
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書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候) (別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。 四季では「春」二十四節気では「春分」、七十二候では「十一候」 (四節気「春分」の次候)にあたる、「桜始開」(さくらはじめてひらく)、 意味は「桜の花が咲き始める」。(2015年は3/26〜3/30) 全国で、どれだけの人がこの時、この色を待ち望み、 その風景を写真に撮り、周りの人に見せたくなるのだろうか。(笑) 桜の木の下は、デジカメ、スマホを上に向けた日本人で溢れている、 これもまた、日本の歳時記と言えそうだ。(実は、外国人もだが・・) 日本中、桜の話題でいっぱいの中、メモした話題をひとつ紹介したい。 「桜の多くはソメイヨシノです」と言いつつ 「その絶対多数のソメイヨシノですが、実は極めて繁殖能力が低いため、 人間が接ぎ木しないと増えていけません」と纏めている。 「ソメイヨシノ好きの人間と、その人間がいないと生きていけない ソメイヨシノの関係は面白いですね」とも・・。 それこそ日本人が長い歴史の中で培ってきた「日本文化」であろう。 人間がソメイヨシノを育て、育てられたソメイヨシノが、 自然を愛する人間を育て、疲れた人間を癒す役割を果たしている。 この事実知ってから「花見」をすると、また格別に愛おしくなるのは、 不思議な感覚であるが、是非、見るだけでなく、桜に触れて欲しい。 また新しい「花見」の楽しみ方が増えた気がするから・・。
P.S. 桜の開花は「稲作りを始める目安」とされていて、 桜の花の下で行われる宴会(花見)は「秋の実りの予祝行事」らしい。
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2015年03月29日(日) ■ |
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下山義夫会様御一行 |
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書こうかどうか迷ったけれど、インパクトがあり面白かったから、 記録・記念として、残しておこうと思う。 実は、先日開催された「わが課の平成26年度送別会」は、 伊豆の国市にある某ホテルにて、1泊のイベントだった。 仕事以外の企画・運営は、全ては課のスタッフ任せで、 私は当日の祝儀を出すだけ。(汗) 彼らには、こういった行事を通して「段取り力」を始めとした 仕事に活かせる力を身につけて欲しい、といつも思っている。 さて、今回も「飲んだ翌日、どこまで走れるか試してみようか」という 私の無謀な思いつきを「宴会翌日早朝ラン・朝風呂企画」として形にし、 一緒に付き合ってくれるなど、いろいろな企画が準備され大満足だった。 中でも一番驚いたのは「宿泊施設の入口」「各部屋の前」に書かれる 団体名が「下山義夫様御一行」だったこと。 もちろん、宴会会場入口にも、蛍光灯で照らされた看板に 「中宴会場・下山義夫会様」の文字がデカデカと・・。 偶然にも、同じ職場の別の課も同宿泊施設で「歓送迎会」だったから、 「○○役場○○課様御一行」の横に並んで書かれた、 「下山義夫会様御一行」で、恥ずかしさ、照れくささは倍増したが、 スタッフの粋な計らいのおかげで、いい想い出になった。(笑) 頼りないリーダーの私を、みんなで支え、盛り上げてくれた感じがする、 「〜会」の名称が妙に眩しく嬉しかったから、看板と並んで写真を撮った。 たぶん、こんな経験は、なかなか出来ないんだろうなぁ。(感謝)
P.S. 統一選挙を間近に控え、名前入りの看板が主要道路沿いに立てられるが、 ホテル内だけでも、こんなに恥ずかしいのに、自分の名前(氏名)が、 (県内・市内・町内の)目につくところに何カ所も貼り出されるなんて、 考えただけでも、私には出来ないことだな、と実感した。
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2015年03月28日(土) ■ |
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ゴリラは、食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物。 |
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映画「セイフ ヘイヴン」(ラッセ・ハルストレム監督)から。 その作品を思い出す「気になる一言」には選ばなかったが、 発想、視点でなるほど・・と感じた事を紹介したい。 その1つが「ゴリラは、地球上の動物の中で最強だよ。 食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物」「体にいいわよね」。 私たちは「筋力」をつけるには「肉」を食べる、と覚えてきたし、 現実の会話でも、最近、肉を食べないから力が出ない、などと 言いながら、焼肉屋に繰り出すことがあるけれど、 この会話をメモしてから、ゴリラのあのもの凄いパワーは どこから生まれるのだろう・・そんな疑問を抱いた。 調べてみると、確かに「食性は植物食傾向の強い雑食で、 果実、植物の葉、昆虫などを食べる。 亜種マウンテンゴリラは季節によって果実なども食べ、 乾季に食物が少なくなると植物の葉、芽、樹皮、根などの 繊維質植物を食べる」とあった。 食性は確かめられたものの、ほぼ草食性のゴリラのパワーの源は、 正直、判らなかった。 ただ、肉好きだから力強く、野菜好きだから力がない、 そういう例えは当てはまらないということだけは理解できた。 よく考えれば、オリンピックの金メダルは、肉好きの国民だけが 獲得しているわけではないものなぁ。納得。
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2015年03月27日(金) ■ |
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好物ですか?、朝飯です。 |
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年度末を控え、歓送迎会のシーズンとなった。 わが課は異動対象者に配慮して、送別会と歓迎会は別。 もちろん、私の意向も同じ。 1年間、いろいろな難題・課題に対処してきたメンバーと、 これからの新しい1年を乗り切っていくメンバーでは、 話す内容も違うだろうし、両方一緒ではどっち付かずの宴席になり、 送られる人、歓迎される人とも楽しめないのでは?と考えている。 そんな訳で、今回は、宿泊付きの「送別会」。 みんなで過ごした1年間の想い出が蘇る、楽しい時間だった。 普段は若いスタッフたちと話す機会が少ないが、 こういう席では「無礼講」、プライベートな話も出来て大満足だった。 男だけの職場で盛り上がった話は、ここで紹介できないネタばかり。(笑) だから、今回の「送別会」を思い出すキーワードを残しておきたい。 「食べ物は何が好き?」とありきたりの質問をしたのに、 戻ってきた台詞は「好物ですか?、朝飯です」。 詳しく訊くと、おかずは、海苔でも卵でも納豆でもいいらしい。 お米大好きで、みんなで囲む「朝飯」の雰囲気が好きなんだろうな。 予想外の答えに笑いながらも、ちょっぴり頷いてしまった私がいる。 翌朝、スタッフ全員で食べた朝食の光景。 若い人たちの茶碗は、どれも、特大盛りで、ムシャムシャ食べている。 お鉢に用意した御飯では足りず、なんとお鉢をお替わりする始末。 本当に好きなんだなぁ、朝飯。好物と言い切る意味が理解できた。 歳を重ねると、若い人たちの食欲、見ているだけで楽しいな。
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2015年03月26日(木) ■ |
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私は誰だ? ジャン・バルジャンだ |
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映画「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督)から。 有名作品のミュージカルを、さらに映画化となると、 評価が分かれるのではないだろうか。 戦いで死にそうになっても、リズムある台詞があり、 ラストシーン、死ぬ瞬間まで、メロディで台詞を口にする。 私には、やや違和感を感じてしまったのは残念だ。 しかし、だからこそミュージカルらしいシーンを紹介しておく。 「今、世界の色は、日々塗り替えられている」と呟き、 リズムに合わせて、革命に燃える若者が歌うシーン。 「レッド、怒れる民衆の血。ブラック、弾圧の過去。 レッド、新世界の夜明け。ブラック、長かった夜の終わり」 それに比べ「恋の虜に」なってしまった若者は、こう歌う。 「一瞬の光で、世界は変わると、 正しさが悪にみえて、悪が正しくみえるだろう」 「レッド、僕の燃える魂。ブラック、彼女のいないむなしさ。 レッド、希望の色。ブラック、絶望の色」 同じ色なのに、こんなにもイメージが違うのか、と 鑑賞後、メモを振り返り、思わず苦笑いした。 「私は誰だ? ジャン・バルジャンだ」 「私は誰だ? あなたはジャン・バルジャン」 常に、自問自答している主人公のジャン・バルジャンが、 強く印象に残った作品であった。
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2015年03月25日(水) ■ |
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「良い景観」とは「見たくないもの」が「見えない状態」 |
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今後のまちづくりでは「景観」という観点は外せない、 そう考えているが、実は「景観」は新しい視点ではない。 私が「清水町第三次総合計画」の策定に携わった頃、 そう20年以上前から「景観」の大切さは認識しているつもりだが、 先日、ある講習会の資料で、なるほど・・と感じる発想があった。 「良い景観」とは「見たいもの」が「見やすい状態」にあること。 言い換えれば「美しい景色」、これは、誰もがイメージできるし、 最近では書店でもコーナーが出来るような「絶景」をはじめ、 「ステキ」と思えるような、統一感を持った景色をどう見せるか、 その見せ方に配慮する、それが景観だと・・。 しかし、それだけでなく「良い景観」とは、 「見たくないもの」が「見にくい、見えない状態」にすること。 うまく隠す技術も、景観には欠かせないことを知った。 そういった何気ない配慮こそ「おもてなし」と感じるし、 「地方創生の賑わい創出に『景観の視点』を どれだけうまく取り込むかが、活性化成功の必須内容となる」という アドバイスには頷くものがあった。 一極集中が進む、生活に便利な東京よりも勝てるものがあるとしたら、 それは「景観」ではないだろうか。 もっともっと「景観」を勉強しなくてはならないな、たぶん。
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2015年03月24日(火) ■ |
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外で食べると・・見えなくなっていたものが姿を現す |
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書籍「東京ピクニッケ」 (プロジェ・ド・ランディ著・白夜書房刊・111頁)から。 「ピクニッケ」とは「ピクニックする」という動詞らしい。 とにかく楽しく、手元において何度でも読みたくなるほど、 私にとっては、お気に入りの本の仲間入りの1冊となった。 ハイキングというと、どこか遠くの山へでも出かけて、 森林浴ではないが、自然の中を歩いてリフレッシュする、 そんなイメージがあるが、ピクニッケは、趣が違う。 東京都内でも、私たちの周りの近くの公園でも、楽しめる。 これから「気になる一言」に何度も登場しそうな予感さえするが、 まずは、冒頭に書かれていたこのフレーズを紹介したい。 ピクニックの基本である「外で食べると」で始まり、 「日常のなかに埋没して、見えなくなっていたものが姿を現す」。 それは「目にしているもの、肌で感じる風、匂い、光は、 最高の調味料となってゴハンをおいしくしてくれる」と著者は言う。 私も、思わず「これだ!!」と声を挙げてしまうほど、頷いた。 それは「母親の作った手料理のお弁当」でなくてもいいし、 目的地で見つけた、地元のおいしい料理のテイクアウトで充分。 とにかく、お気に入りのものに囲まれて、外で食べる、 それだけで「ピクニッケ」なのだと私は実感した。 アイデアがいっぱい浮かんでくるのは、ワクワクするからだね。
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2015年03月23日(月) ■ |
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お茶漬けにバターを入れるようなことはするな |
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先日紹介した沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の後援会会報から。 師匠・三遊亭圓橘さんからのアドバイスは、的を射ていた。 最近は有名な古典落語にも、さらっと現代ネタが挿入されたりし、 あれ?と思うこともあるが、そういうことか・・と納得した。 師匠は、真打間近の彼に、こう伝えたようだ。 「自分なりの工夫をする、変えていくのは良いが、 落語をぶち壊すようなことはするな、と。 バターを入れたら、もうお茶漬けではない。 入れるんなら、梅干しなんだ、と。」 ワンポイントでも自分らしさを演出する、その試みは良いが、 基本は伝統文化である「落語」であることを忘れるな、 奇をてらうことで、いくら観客に受けたとしても、 「落語」という域を超えたところの笑いではダメだ、ということ。 美味しければ(受ければ)何でもあり、という考え方は危険であり、 それは、いろいろな場面で判断の基準となり得る。 美味しいお茶漬けの追求は、梅干しやワサビなどの吟味であり、 バターなど、まったく異質なものを入れるといった試みではない。 生きている限り、変化を求めることは大切だが、 その変化は、違和感を感じるものであってはならない。 このアドバイス、仕事でもプライベートでも、活かせそうだ。
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2015年03月22日(日) ■ |
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原子力 郷土の発展 豊かな未来 |
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映画「がんばっぺ フラガール! フクシマに生きる。 彼女たちのいま」(小林正樹監督)から。 映画「フラガール」の舞台となった、 福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」。 (私たちの世代は「常磐ハワイアンセンター」の方が懐かしい) 震災後、復興に向けて頑張る「フラガール」を追った ドキュメントであるが、その一場面に映し出された 「双葉町入口の看板」まちづくりの標語が目に付いた。 大きな横看板の裏表に書かれたそのフレーズは、 「原子力 豊かな社会と まちづくり」 「原子力 郷土の発展 豊かな未来」 私は、まず最初にこの看板を壊してしまいたくなった。 原発事故が起きる前は、豊かな社会が与えられていたかもしれないが、 事故後は、郷土の発展も豊かな未来も、奪われてしまった。 「看板に偽りあり」そんなメッセージさえ、聞こえてきそうだ。 せっかく復興を目指したストーリーにも関わらず、 メモ魔の私にインパクトを与えたのは、原子力の標語。 被災された家のカレンダーは3月のままだったが、 双葉町の目指した町も、被災当時のままだった。
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2015年03月21日(土) ■ |
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カワセミは、本当に「翡翠」(ヒスイ)だった |
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久しぶりに「カワセミ」を視た。 (見る、観る、とは違う、じっと「視る」を使いたい) 土曜恒例の早朝ランニング、沼津の門池公園でのこと。 柿田川公園でも何度かみかけだが、 遠くから望遠鏡か、カメラのズームを最大にして。(汗) それが、なんと今朝は、私のランニングコースのすぐ脇で、 青や緑色の鳥を見つけたので、もしかしたら、と走るのをやめ立ち止り、 注視したら、門池にいる小魚に狙いを付けている「カワセミ」だった。 その美しさに目を釘付けにされ、しばらく身動きができず、 じっと眺めていたら、突然、ホバーリングをしたかと思ったら、 ものすごい勢いで川面に顔を突っ込み、餌をゲット。 さらに、独特の青い羽を広げたかと思ったら、 次の瞬間、低空飛行で、私の目の前を横切り、飛び去った。 夢でも視ているのかと思うほどの、時間の流れがそこにあった。 きれいな水辺に住むということで、市町の「鳥」としている自治体は多いが、 果たして、どれだけの人が、本物の「カワセミ」を視たことがあるか、 考えさせられてしまった。 写真や映像では、カワセミの様子を目にすることがあっても、 本物を望遠鏡なしで目にする体験はなかなかできないからだ。 カワセミを「翡翠(ヒスイ)」と書き「渓流の宝石」と呼ばれる意味が、 実物の「カワセミ」を視て、納得させられたから、 「カワセミは、本当に『翡翠』(ヒスイ)だった」を残したい。 この被写体としての「カワセミ」を追いかけて、 水辺を渡り歩くウォッチャーがいるのも、わからなくない。 私が「ミニ皇居」と称して走っている「沼津・門池(かどいけ)公園」、 本当に、いい場所だよなぁ。
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2015年03月20日(金) ■ |
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(柿田川は)今来ても、ワクワクしますね |
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私の2歳上の先輩であり、公私にわたりお世話になっている、 地元清水町出身の絵本作家、宮西達也さんの作品展が、 今、横浜高島屋で開催しているというので、足を運んだ。 (実は、明日行くつもりだったけれど、急遽、予定変更して(笑)) その「宮西達也ワンダーランド展」(横浜高島屋ギャラリー8F)から。 私はけっこう先輩の作品は読んでるつもりでいたが、 あれ?この作品知らない・・初めてみた、という作品もあり、 まずは、その作品の多さには驚かされた。 私のお目当ては、取材協力という形で、一緒に柿田川を案内した時、 先輩がはしゃいでいた様子がビデオになっているというので、 撮影当時を思い出しながら、繰り返して観賞することだった。 アトリエインタビューの一部であったが、 「宮西達也の原点 想い出の柿田川」というクリップとともに、 (頭の毛はボサボサだけど)子どもに戻った先輩の笑顔があった。 柿田川は「感動を味わい、感性を磨いた場所」と言い切り、 私が案内した「眼鏡橋」では、ここでカブトムシを捕まえたり、 これ以上近づくの危ないという、ギリギリの場所で楽しんだんだ、など、 話を始めたら、止まらないくらいの勢いで、原風景を語ってくれた。 そして最後に「(柿田川は)今来ても、ワクワクしますね」と、 大喜びの声で、取材陣に紹介している姿が、何ともいえなく可愛いい。 平日にも関わらず、多くの来場者が詰めかけていた会場で、 先輩が私を見つけ「しもちゃん」と声を掛けてくれたのは、嬉しかったし、 展示されている絵の横の壁に、自宅の襖とか壁にイタズラ書きするように、 絵本作家本人がマジックで書いている姿は、来場者が驚き、楽しかった。 もう一度、作品を読み直さなくちゃなぁ、宮西達也ファンとしては・・。 そして、作品の原風景となった「柿田川」を大切にしなくちゃなぁ。
P.S.(展覧会の「サブタイトル」と「キャッチコピー」) 「ヘンテコリンな絵本の仲間たち」「ドキドキ ワクワク 涙もポロリ」
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2015年03月19日(木) ■ |
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他人に危険を振り分けて、自分は安全でいられる |
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書籍「十二国記(図南の翼)」 (小野不由美著・新潮文庫刊・419頁)から。 (ファンタジーの世界を説明するのは難しいので、 いつものように場面設定は、曖昧になってしまうが) 獰猛な獣に襲われて殺されるかもしれないという危険、 そんな危険地域を通って、ある場所に向かう多くの人々。 こんな会話がある。「何のために我々は、 こうして集団となって蓬山に向かっているのか」 「臆病だからだろう」・・ さらに、場面が進み、同じような会話。 「そばに人がいたほうが安全だからだ。 なぜなら、横にいる人間が襲われている間に、 自分が逃げられる可能性があるからだ。 人が・・人に限らず、力のない生き物が群れるのは、 そのほうが安全だからだ。他人に危険を振り分けて、 頭数のぶんだけ、自分は安全でいられる」「酷い話ね」 「酷い?だからお前は甘いんだ、 これは酷いことじゃない、自然の摂理だ」 学校でも職場でも社会でも、どんな場面でも、 人が群れる理由をこう考えていれば、怖いものなし。 虐めというのは、自分が安全でいたいから起こるのだから。
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2015年03月18日(水) ■ |
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強くあれ、誘惑に負けぬよう |
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映画「ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島」 (マイケル・アプテッド監督)から。 欲望を満たす「誘惑」に対して、私たちは弱い。 それをどう克服して、真の幸せを掴んでいくか、 そんなテーマの作品だった気がする。 ある賢者が、主人公たちに諭す。 「お前たちは、みんな試される。剣が7本並ぶまでは、 『悪』が優位にあることを覚えておけ」と前置きして 「強くあれ、誘惑に負けぬよう」と。 「闇の力に勝つためには、心の闇に打ち勝て」 「自分の価値を疑うな、自分から逃げていかん」 「きっと何者かが、僕らの心を操っている」 同じような意味を持つ台詞が、私の心に引っかかった。 しかし、辞書によると、 「誘惑」とは「人を迷わせて、悪い道に誘い込むこと」。 「人を迷わせる」ことはわかるけれど、 「良い道へ誘い込む」ことは「誘惑」って言わないのかなぁ。
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2015年03月17日(火) ■ |
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自然をたたえ、生物をいつくしむ |
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今週土曜日、今年の「春分の日」を迎える。 こんな時でないと、目的や意味を考えることがないから 「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号) 定められている15の祝日をじっくり眺めてみた。 生活の中では「春分の日」と「秋分の日」の意味は同じで、 お彼岸だから、祖先を敬い、墓参りをしなくちゃ、と 勘違いしがちであるが、実はそれぞれに意味が違うことを知った。 春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」 それと対になっている、秋分の日(秋分日)は、 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」 法の目的が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、 より豊かな生活を築きあげるため」なのだから、 「春分の日」は、気のあった仲間たちとピクニックにでも出かけ、 日本の四季を肌で感じながら、自然の中に生かされていることに 感謝する日、としたほうがいいようだ。(笑) 何十年も勘違いしていた「国民の祝日」の意味だけど、 どうして学校で教えないんだろうなぁ、と思う。(私が忘れている?) 今後も出来るだけ、当日ではなく、事前に紹介していきたい。
P.S. 「ぼた餅」を食べるのも、そんな意味があるのかなぁ。
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2015年03月16日(月) ■ |
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おまえたち、夫婦(めおと)になれ |
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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」より。 「想い合う」・・というキーワードを取り上げようと、 今回のメモ整理したら、意外な漢字変換を発見してしまった。 吉田寅次郎(松陰)が、松下村塾の塾生、久坂玄瑞と、 自分の妹・文に、結婚するように勧めるシーン。 「久坂、文、お前たち、夫婦(めおと)になれ」 何気ない台詞だが、文字として入力して変換すると、 私にとっては、どうも違和感があったので、気になる一言。 「めおと」、もちろん夫婦のことであるが、 「妻夫」(つま・おっと)で「めおと」だと覚えていたので、 「めおと」と入力し「夫婦」と変換されることに納得できなかった。 どちらが先だっていいじゃないか、と思うかもしれないが、 当時は、むしろ「妻」の方が大切にされていた証ではないか、 そんな気持ちでいたので、言葉として「夫婦」では違うと感じている。 考えすぎだよ、と言われるのを覚悟で、取り挙げてみた。 本当に「めおと」=「夫婦」でいいのだろうか。(汗)
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2015年03月15日(日) ■ |
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その1割に、プロかアマチュアかの違いが出る |
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親友が後援会長をしているので、一緒に応援している 沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の会報「みかん」から。 (噺家って呼び捨てでいいのかな?) この会報の一部、橘也本人が執筆しているのだろう、 師匠(三遊亭圓橘)との会話を楽しく、判りやすく紹介している。 その中で「落語は、聴くものか、観るものか?」と訊かれた話が 印象に残っている。 テレビっ子で育った私たちは、落語家の顔・容姿をはじめ、 寄席などにも「落語を見に行く」と言ってしまうが、 2人の会話から知ったことは、(圓橘師匠曰く) 「落語は9割は聴く、あとの1割が観る。 1割は、扇子や手拭の使い方、仕草や表情などであるが、 その1割を、ちゃんとやるかどうかで、 プロかアマチュアかの違いが出る」ということ。 基本的には落語は聴くもの、と言いつつ、耳にする声以外の部分を 大切にすることが出来るかできないか、にプロ意識を求めるところは 思わず、頷くしかなかった。 ラジオやテープなど、声しか聞こえない媒体でも、 高座に上がる時と同じように、扇子や手拭の使い方、仕草や表情まで、 しっかりやっていることが理解できた。 名人と呼ばれる人たちの落語は、雰囲気が違うんだな、きっと。
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2015年03月14日(土) ■ |
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この学校では、人生の希望を学びます。 |
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映画「グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子」 (ニルス・タベルニエ監督)から。 車椅子で過ごす障がい者の気持ちは、私が障がい者にならない限り、 正直なところ理解出来ないものだと思っている。 だから突然「パパとトライアスロンに出たい」と言い出した主人公には、 アイアンマンレースは、そんな簡単なものじゃないんだよ、と ちょっといらっとする心の動きがあったことを告白しておく。(汗) その上でこの作品を眺めると、彼は自分と父親との関係修復だけでなく、 同じ車椅子の障がい者に対し、希望を与えたかったのかな、と気付く。 最初、彼の想いを拒否した父親に、同じような障がいをもった友達たちが 直談判するシーンが印象的だ。 「(私たち障がい者が通う)この学校では、人生の希望を学びます。 走る、泳ぐ、自伝者、どれも私たちの夢です」とはっきり口にして、 車椅子の障がい者が憧れる、トライアスロンの3種目がどれほど憧れなのか、 みんなで伝えることにより、父親の心が揺れたと思う。 それでも「リスクが大きい」と決断ができない父親に 「でもワクワクするの、私たちの夢でもあるんです」と訴えた。 この快挙は、彼の父親をその気にさせた、障がい者みんなの想いがあり、 初めて実現したのではないかな、とあのシーンを振り返る。 サブタイトルは「夢に挑んだ父と子」ではなく、 「夢に挑んだ父と子とその仲間たち」だな、きっと。
P.S. 母親クレール役の「アレクサンドラ・ラミー」は、 「キャメロン・ディアス」かと思った、似ている・・(笑)
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2015年03月13日(金) ■ |
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「地方再生」ではなく「地方創生」 |
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今日本が抱えている「人口減少」「東京一極集中」の裏には、 「地方の衰退」が見え隠れする。 それを解決するために、国が考えているのが「地方創生」。 その作戦が「まち・ひと・しごと創生」であり、 ここに掲げた3つの要素を一体的に推進することが求められている。 ただ、言葉だけが独り歩きしないように、そのコンセプトを探り、 短いフレーズで覚えておこう、と考えていたら、 石破地方創生担当大臣の挨拶にヒントがあった。 「かつての日本は、公共事業と企業誘致で地方は元気だった。 今回の『地方創生』は、その頃と同じレベルに戻すことではない。 新しい日本を創るということ」という力強い発言が、耳に残った。 だから「『地方再生』ではなく『地方創生』」という一言を残したい。 以前「改善」と「改革」の違いを書いたことを思い出す。 言い換えれば「改善」「再生」では、問題解決が出来ず、 「改革」「創生」といった、仕組みから変えなければならない状態だ、 そう理解して、大きな転換期を乗り切りたいと思う。 今までの知識と経験では、問題解決できないことを念頭に。
P.S.(「石破茂大臣の公式ホームページ」には・・) 「私は建て直す! 地方創生により、地域を、日本を!」
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2015年03月12日(木) ■ |
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技術がなければ、体力はついてこない。 |
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書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」 (鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。 昨年9月から走り始めて、半年でハーフマラソン完走、 それで満足するはずだったが、やはりもっと速く走りたい、 そんな欲求にかられていたら、我が課のスタッフが、 「課長、これ読んでみますか?」と貸してくれた。 帯に書かれていた「軸で走れば世界は変わる」というフレーズが 妙に心に残り、夢中になって読み終えた。 「ランニング、そしてマラソンは、やったことしかできません。 練習したものが、そのまま本番の結果として表れます」に頷き、 「本当に身につけるべきは、自分の体に合ったランニング技術」 という部分で、メモが増えた。 「人によって体型や骨格は異なりますから」と前置きがあって、 「教科書どおりの走り方では、特定の箇所に負荷がかかり、 それによって故障してしまうランナーも中にはいる」という解説は、 最近、走っているけど伸び悩み、と感じていた私にとって、 これ試してみようかな、と思わせるにはピッタリの表現だった。 (技術)テクニックは、ここでは紹介が出来ないけれど、 「技術がなければ、体力はついてこない。 『技』で身につけた走りを続けていくことで、 その『技』に見合った『体』ができていくのです」 走ることなんて自己流でもなんとかなる、と考えていた私は、 180度違う視点で、その上を目指していこうと思う。 「『心技体』は、言葉の順番のままに成長させていくことが大切」 なるほどなぁ。
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2015年03月11日(水) ■ |
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あの災害を契機に・・・ |
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朝から夜まで「3.11東日本大震災」関連の番組が溢れ、 私たちの記憶を風化させないために、 当時の被害の大きさだけでなく、いろいろな角度からの特集が 組まれているのは、当然のことと思う。 あれから4年という歳月が「もう4年」なのか「まだ4年」なのか、 なかなかコメントができない。 大切なのは、当時の記憶を呼び戻すことではなく、 4年後の現状に対して、自分の過ごしてきた4年間と比較し、 そのギャップに何かを感じて、行動に活かすことが求められている。 その行動の中で、何かを学び、自分の生活を見直すことこそ、 亡くなった方への追悼ではないか、と思う。 ただ単に記録として「3.11から○年」というのであれば、 来年の3.11は「あれから5年」という特集が組まれるだけであろう。 胸を張って自慢できることでなくてもいい、あの災害を契機に、 少しでも、自分の生活が変化すること、それが大事なのだと言える。 人生観が変わったという人たちも多くいる中、自分を顧みたい。 だからこそ「あの災害を契機に・・・」というフレーズを残しておきたい。
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2015年03月10日(火) ■ |
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ある事情があって・・みんな事情がありますよ |
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(久しぶりに情報源不明だけれど・・) 大切な面会を、急遽決まった会議で欠席しようとしたところ、 ピシャっと、こう言い返されて、ぐうの音も出なかった。 「すみません、ある事情があって出られなくなりました」。 「みんな事情がありますよ」・・それはそうだ。 変な理由や言い訳をするよりいいかな、と思い、 「ある事情」という単語を使ったのだが、 かえって、相手を怒らせてしまったかもしれない。 理由になっていない言い訳をしてしまった、と反省した。 もっと相手を気遣える言葉を探さなければいけないな、とも。 「言葉の力」を伝えようとしている私にしては、 ちょっと軽率な発言だったと思うが、 どちらも大切な用事がブッキングしてしまった時って、 欠席(キャンセル)する片方になんと言えばいいのだろう。 何を言っても言い訳にしかならないだろうし、 相手は、せっかくスケジュール調整をしてくれたのに・・と 詫びる言葉は浮かぶけれど、キャンセル理由が浮かばない。 もちろん、誠意を持って謝ることは大切だけど、 相手が、それでは仕方ないですね、と納得してくれる理由は、 どうしてもみつからない。 理由も言わず、謝り続けるしかないのかな、こういう場合。
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2015年03月09日(月) ■ |
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このことは誰も知らない。 |
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一昨日、大阪城のライトアップを見て、思い出してしまった、 映画「プリンセス トヨトミ」(鈴木雅之監督)から。 作家・万城目学さんの同名小説映画化とあって楽しみにしていたけれど、 あまりに省略・簡略し過ぎて、原作の面白さがほとんど残っていない。 また、登場人物の性別や、大阪国民になれる条件の年齢、 さらに、大阪が全停止した日付まで変更して、 何を訴えたかったのか、それすらわからなくなってしまった。 これなら、原作を忠実に再現してくれた方が、よかったなぁ。 気になる一言は、冒頭、文字として最初に目にした、 「このことは誰も知らない」というフレーズ。 本当に誰も知らないのかと思えば、知っている人が大勢いる。(笑) その矛盾が最後まで解決されないまま、終わってしまう。 原作と比較すればするほど、その表現力のなさが目立ってしまうから、 万城目さんは、この出来上がりで本当にOKしたの?と疑いたくなるほどだ。 豊臣の末裔を守る、という自分たちの行動は、父親と息子しか知らない 大切な約束として守り続けている、と大坂の男たちは胸を張るけれど、 原作のラストシーンは、大阪の女はそんな男の行動を全て知っていて、 黙っている・・という一番面白い部分が抜け落ちていたので驚いた。 映画のラストシーン、和久井映見さん扮する、 大阪国総理大臣の妻(お好み焼き「太閤」の女将)が、 呆れたように呟く「まったく、大阪の男は・・」がオチなのだろうが。(汗) 原作を読んでいる人が、映画を観ることを想定してなかったのかな?
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2015年03月08日(日) ■ |
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自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね |
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今回の1泊2日「奈良・京都の旅」は、歳時記を体感するバスツアー。 「奈良東大寺二月堂修二会『お水取り』」は、観客の私たちにとっては、 お祭り・イベントであるが、東大寺にとっては、 天正4年以来、一度も途絶えることなく続けられている修行の1つだから 屋外の天気が雨だろうが雪だろうが、決行する。 本番(午後7時)の1時間以上前から、雨の中、何千人もの人たちが、 夕方から次第に強くなってきた雨足にも耐え、傘をさしながら、 じっと「二月堂」を見上げたまま動かない光景は、違った意味で、 私を感動させた。 さらに、関西地方随一と言われる梅の名所(月ヶ瀬梅林・梅渓)は、 ほとんど開花もしておらず、蕾もやっと・・という状態。 京都・北野天満宮の梅も「見頃」とは言われていたが、 まだ満開にはほど遠い状態で、楽しみにしていた「自然景」は、 参加した人たちの期待を大きく裏切ることとなった。 しかし、帰りのバスの中で聞こえてきた、おばさまたちの会話は、 今回のバスツアーを表現するに相応しいフレーズだった。 「自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね」 しっかり代金を払ったにも関わらず、予定どおりいかない結果に対して、 不平・不満・愚痴が出ないのは、自然とともに生きてきた日本人らしい、 考え方ではないだろうか、と思う。 これから多くのツアーが計画される「桜」を始め、菖蒲・藤・紅葉など、 季節の景色を求めて旅をするのは、誰からも文句が出ないからいいなぁ。
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2015年03月07日(土) ■ |
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我が夫婦のマイブームは「バスツアー」 |
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最近、我が夫婦のマイブームは「バスツアー」(笑)。 昨年の「皇居(乾門見学)バスツアー」で面白さを知ったのか、 週末の新聞紙に挟まってくる旅行チラシを眺めながら、 「ねぇ、これどう?」と話題になるのは、バスツアーなのである。 もちろん、自分たちで綿密に計画を立てる旅行もいいけれど、 長年連れ添った夫婦となると、大切なのは「思い出+夫婦の会話」。 自動車や電車よりも、バスの方が、座席の距離が短く狭い分、 夫婦だけで長時間会話するには、ピツタリなのである。 そして今回、私たちが選んだのは、この時期に合わせて 「奈良東大寺二月堂修二会『お水取り』と京都奈良の梅めぐり」。 妻の「一度、行ってみたかったんだよね」の誘いに乗って、 今年は議会も終わることだし・・と「OK」を出した。 片道6時間、時にはウトウトしながらも、夫婦の会話を楽しんだ。 自然の景色に驚きながら、久しぶりに何枚かのツーショットも。(笑) 次は4月「甲斐善光寺御開帳と甲州三大桜」に合わせて長野まで。 バス旅行は、子育てが終わった夫婦にとって、 意外とのんびり会話ができる、願ってもない旅行と言えそうだ。 読者の皆さん、是非、お試しあれ。
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2015年03月06日(金) ■ |
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いけないことを、しているかい? |
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映画「パイレーツ・ロック」(リチャード・カーティス監督)から。 60年代に実在した海賊ラジオ局を描いた作品だが、 このラジオ放送を聴きながら、喜怒哀楽を表現し、 喜んだり心配したり、一喜一憂するシーンが印象的である。 海賊版らしく(わざと)「放送禁止用語」を口にしたり、 「いけないことを、しているかい?」と、視聴者をドキドキさせる。 こんな自由気侭な内容で、国民を引きつける放送局を、 政府が黙ってみているわけがない。 大衆を煽動して、クーデターでも起こしかねないから・・(笑) 作品の中でも「政府は自由な人間を嫌う」という台詞が出て来た。 常日頃、法律やルールなどに縛られて生きているからこそ、 「違法なことしているか?」「いけないことを、しているかい?」 というような表現が、妙に新鮮に感じるのだろう。 そして、こういった枠を外した行為こそ「ロック」だ、となる。 タブーは、確かに「蜜の味」かもしれないが、 私は、わざわざ「いけないこと」をしなくても、いいと思っている。 歳を重ねた証拠だろうか。(汗)
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2015年03月05日(木) ■ |
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「おまえうまそうだな」「わたしを食べて」 |
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絵本作家・宮西達也先輩の代表作「おまえうまそうだな」。 以前、先輩を囲んで一席設けた時に、酔っぱらった勢いで 「先輩、絵本を知らない人が耳にしたら、ちょっと危ないですね。 『おまえうまそうだな』なんて、青少年健全育成の観点からは、 まずいでしょ・・」と指摘。 それを受けて「実はさぁ、次の作品は、自分が犠牲になって みんなを救うストーリーなんだ。タイトルは『わたしを食べて』」 (今考えると、その時だけの冗談だったらしいのだが・・) 「先輩、もっとまずいでしょ。恥ずかしくて口に出せません。 『おまえうまそうだな』『わたしを食べて』なんて。(笑)」 1つ1つは、素敵な作品でも、つなげちゃまずいですよ。 いつぞや、先輩の講演会で「これはわたしの作品ですが、 なんというタイトルでしょう?、はい、下山君」と 私以外、全て女性の会場で指されたことを思い出した。 「おっぱいです」「えっ、聴こえません、もう少し大きな声で」 「おっぱいです」「まだ声が小さいね、もう少し大きな声で」 「おっぱいです」・・会場は爆笑、私は赤面。 今回の作品も、きっとネタに使いますね、男女一組に、言わせる。 「おまえうまそうだな」「わたしを食べて」と。 うん、でも楽しそうだな、会場で指されなければ・・。
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2015年03月04日(水) ■ |
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お気に入りの本に囲まれて過ごす生活 |
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電子書籍も含め、巷に溢れている本の中で、 もう一度読み直したいと思う作品はどれくらいあるだろうか。 感動したり、感激したり、頷いたり、憤慨したり、 悲しくなったり、切なくなったり・・ 本は、私に多くの気付きを与えてくれるが、 あれも読みたい、これも読んでみたい、と思う本が増える中、 またじっくり読み直したい、と思える本に出会えたことは 私の読書スタイルを大きく変えたと言っていい。 もちろん「2013年(平成25年)を表す熟語」に選んだ、 「十二国記」(シリーズ)(小野不由美著・新潮文庫刊)がそれである。 当時は、全巻(11巻)を職場のスタッフに借りて、 それこそ寝る時間を惜しんで読破したことが思い出されるが、 今は、昨年のクリスマスに「自分へのプレゼント」として、 大人買い(全巻鵜入)をした文庫を、 寝る前の静かな時間や早朝のさわやかな時間に、 その意味を噛みしめ、味わいながらページを捲っている。 この「「十二国記」シリーズが揃っていれば、 私の場合「テレビ番組の誘惑」に負けることはないと思う。(笑) 憧れていた「お気に入りの本に囲まれて過ごす生活」を、 少しずつだが、手に入れた気がする。 これからも、何度も読み直すだろうなぁ「十二国記」。
P.S. 自分の部屋の本棚は、また読みたいと思う 「お気に入りの本」だけで埋める、それが私の最終目標。 気持ちいいんだろうなぁ、そんな空間って。
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2015年03月03日(火) ■ |
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なぜみんな殺すの? なぜ死なせるの? |
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映画「落下の王国」(ターセム監督)から。 大怪我をし、さらに恋人を奪われ、自暴自棄になっていた 主役の一人、スタントマンのロイは、 腕を骨折して入院していた5才の少女・アレクサンドリアに 思いつきの冒険物語を聞かせ始める。 物語は、マイナス思考の彼が考えたものだから、 6人の勇者が、どんどん死んでいく展開。 しかし、プラス思考の彼女は、物語に引き込まれながらも、 彼に、こう言う。 「なぜみんな殺すの? なぜ死なせるの?」 最後には、心の底からお願いする。「殺さないで・・生かせて」 そして最終章に、物語の主人公に向かって 「立って」「立って戦ってよ」・・と絞り出すように叫ぶ。 この一連の会話が、マイナス思考の彼を、プラス思考へと導き、 退院後は、輝きを取り戻して仕事をする。 映画を観てて私も時々思う。 なぜ、人を簡単に殺したり、死なせる映画が多いのだろうか、と。 映画の世界だから、ゲームの世界だから、を言う問題ではなく、 こういう世の中だから、温かい映画で人々を包んで欲しい。
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2015年03月02日(月) ■ |
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「村上海賊の娘(村上景)」と「十二国記(慶国・景王)」 |
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何も関係がないと思うけれど「十二国記」を読み直していて、 あれっ?と思うことがあった。 書籍「十二国記」(小野不由美著)の中心人物は、中嶋陽子と呼ばれる、 日本(蓬莱)の一般的な女子高生。 この時点では、何も関係はない。(実はその後も関係ないが・・) しかし彼女が「十二国」のひとつ「慶」の王になると「景王」(けいおう)と 呼ばれることになり、無理やりでも繋げたくなる。(汗) 「慶」の隣国「雁」の王は「延王」と呼ばれるが、 王になる前は「小松三郎尚隆」と呼ばれ、村上海賊に滅ぼされた 瀬戸内に根城を張る海賊の「小松家」の城主だった。 書籍「十二国記(東の海神 西の滄海)」187頁にこんなシーンがある。 「村上氏を知っているか?」「知らない」 「小松と同じ、対岸に根を張る海賊の裔(すえ)だ」 以前「十二国記」を読んだ時は「村上海賊の娘」を読んでいなかったので、 気にもとめず、サラッと読み過ごしてしまったが、再読の今回は違う。 なんと「村上海賊の娘」(和田竜著)の主人公は、村上景(きょう)。 読み方は違うが「景」繋がりが、とても気になる。 「十二国記」で、景王(陽子)は、延王(小松)の力を借りて成長する。 「村上海賊」が滅ぼしたはずの「小松海賊」が・・(笑) 以前、百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」の中で、 「海賊とよばれた男」の主人公と「永遠のゼロ」の主人公が「上海」で、 ほんの少しすれ違うシーンを見つけ、一人で喜んでいたのを思い出した。 今回は著者も違うので、その関係は皆無に等しいけれど、 こんな読み方もあるんだ・・と記録に残しておきたい。 両方の作品とも、歴史をよく調べてあるんだよなぁ、本当に。
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2015年03月01日(日) ■ |
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他人を応援することは、自分を応援することだと思うんです |
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雨模様の「静岡マラソン2015」を、自宅PCを操りながら、 実際に沿道のコースを走っている知人・友人に合わせて、 4時間という時間を過ごした。 実は、昨年の「東京マラソン」(2014年02月23日(日)) でも 同じ体験をし、その面白さにハマっていた。 今回は、自分も先月ハーフマラソンを走ったためか、 少し「応援のメッセージ」が変化しているのを感じながら、 気持ちだけは、フルマラソンを完走した。 もちろん、走っているランナーには、 私が送った声援を確認している暇なんてないとを承知の上だが、 「最初の5kmを○分○秒のペース、いい調子だよ」とか、 「このラップだとどれくらいでゴール」なんてコメントしながら、 自分では信じられないスピードで、ゴールを駆け抜けた気がする。 今回も何度か送った「頑張れ〜」は文字にすると同じだが、 自分も少しだけど頑張っているから、とても新鮮に感じられた。 以前、映画「フレフレ少女」(新垣結衣さん主演)でメモした 「私も頑張らないと、人に頑張れなんて言えないんですよね」 「他人を応援することは、自分を応援することだと思うんです」 というフレーズが蘇ってきたからだ。 この「気になる一言」でも何度も書いてきたが、 「頑張れ〜」という台詞を噛みしめ「よし、自分も頑張ろう」と感じ、 明日からの生活に「頑張れ〜」と言われるように努力したい。 それこそ「そこから何を学んだか」「それをどう活かすか」であり、 暇を持て余して、パソコンの前に4時間も座っていたわけではない、 そう胸を張って言い切ることが大切だろう。 頑張ることは何でもいい、自分で自分を応援するのだから。
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