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2015年02月28日(土)
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」

尾形光琳300年忌記念特別展「光琳アート(光琳と現代美術)」
「燕子花」と「紅白梅」二大国宝、同時開催(MOA美術館)から。
週末の「早朝ラン10キロ」を走り終えてから、熱海に足を運んだ。
NHK番組「日曜美術館」で紹介されたためだろうか、
チケット売り場には列が出来て、多くの来場者で溢れていた。
「国宝の屏風」が対になって並んでいる景色は、まさしく圧巻、
絵からオーラみたいなものを感じて、その場に立ち尽くすしかなく、
来場者が少なければ、一日中観ていたい気分になるほど・・。(嬉)
また、尾形光琳に影響を受けたと思われる
「群鶴図(加山又造)」や「弱法師(下村観山)」などの作品をはじめ、
多くの現代画家作品も展示されていて、彼の作品からどう影響を受け、
それをどう活かしたのか、という想いが伝わる企画展であり、
アートファンにはこたえられない作品の数々に、大満足の1日だった。
そんなことを感じ、この企画展を忘れないよう言葉を選んでいたら、
耳に入ってきたのは、隣で話していた「観光客らしき御婦人たち」の会話。
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」「あっ、この人知ってる・・」(笑)
「すみません、これって国宝なんですけど・・」と言いたかったし、
「知らないで観に来たんですか?」と突っ込みたくなった。
しかし、このフレーズを耳にするだけで「あっ、尾形光琳の企画展」と
思い出せるから、この会話を「気になる一言」にしてみた。
選択は間違っていないことを信じようっと。

P.S.
「河津桜」もいいけれど、三寒四温のこの時期はまだ「梅」が似合う。
「熱海の梅園」と「光琳の紅白梅図屏風(国宝)」・・
「うめ」って、熱海のキーワードだよなぁ、きっと。
「うめ〜」食材も「産め」る環境づくりも含めて「うめづくし」



2015年02月27日(金)
独立してきちんと仕事をしている人に「女子」?

ある新聞で見つけた、
フリーアナウンサー「吉川美代子」さんの記事から。
昨年60歳定年でTBSアナウンサーを退職した彼女は、
「声は自分の体から出てくるもので、声は人格そのもの。
どんなに技術的にカバーしても、人格がゆがんでいたら、
真に人の心に届く言葉を話すことはできません」と言う。
キャスター時代からのはっきりした物言いは、今でも変わらず
「女子アナ」という呼び方にも異議を唱えているようだ。
「私は呼ばれたことはありませんが」と前置きをしたあと、
独立してきちんと仕事をしている人に『女子』といういい方は
しないでしょう」とキッパリ。
私も以前、職業をはじめとして、いろいろな分野で
「女性○○」とか「女流○○」と付けるのはおかしくない?と
書いたことがある。
「男子アナ」と言わないのであれば「女子アナ」も言わない。
そんな視点で考えたら「女子会」という単語が気になった。(汗)
「子どもの頃の気分に戻ってワイワイする会」とでも考えれば、
問題ないけれど、やっぱり歳を重ねた女性たちがはしゃいで、
「女子会」という単語を頻繁に使うのには、
実はちょっと抵抗があります、私の感覚では・・(笑)



2015年02月26日(木)
どんな動物にも、生きてきた歴史がある。

映画「ひまわりと子犬の7日間」(平松恵美子監督)から。
保健所に連れてこられた犬が、殺処分されてしまう現実に、
ちょっぴり気が重たくなったが、里親が見つからない限り、
殺されてしまう犬の気持ちはどんなものなのだろうか、と
考えたら、胸が締め付けられた。
目の前にいる、人を敵対視する狂暴犬になった野良犬を
理解するためには、この考え方がいいようだ。
「どんな動物にも、生きてきた歴史がある」。
「それがどんな物語かを考えることが出来れば、
きっと心は通じ合える」と、狂暴犬に接する主人公は言う。
今は亡き、動物園で知り合った妻の台詞らしい。
優しい飼い主から離れて、その後いろいろな辛い経験を重ね、
野良犬になった犬を知っているからこそ、
「こいつは、好きで野良犬になったんじゃない。
人間がこいつを野良犬にしてしまったとよ」と言い切ったのだろう。
その考え方に、私は賛同し頷いていた。
ペットとして飼われた犬にとって、短い一生の中で、
一緒に暮らす時間の多い飼い主や、周りの人間という動物が、
信用できるかできないか、は大きな違いがある。
犬を題材にした映画は、どうも弱い、自然と涙腺が緩むから。
でも、見たくなるんだよなぁ、不思議なことに。



2015年02月25日(水)
音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。

先日、横浜に行った際に寄った、横浜美術館企画展
「横浜美術館開館25周年 ホイッスラー展」から。
別件で横浜を訪れたが、せっかくだから・・と、
横浜美術館へ足を延ばして、企画展を鑑賞した。
「日本では四半世紀ぶりとなる大規模な回顧展」とあったが、
私の記憶を辿ってみたが(申し訳ないが)代表作が浮かばず、
期待と不安を抱えたままの鑑賞となった。
「19世紀欧米の画壇において、最も影響力のあった画家の一人」
「日本美術からインスピレーションを得て
独自のスタイルを確立したジャポニスムの画家」という説明でも、
彼の作品を思い出すに至らず入場し、
「音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。 そして、
主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである」
というフレーズを見つけて、あっ、と気付いた。
タイトルに「シンフォニー」「 ハーモニー」「ノクターン」などの
音楽用語を用いて、絵画の主題性や物語性を否定した画家である。
絵画は説明するものではなく感じるもの、そんなメッセージが
記憶に残っていたのが不思議であった。
日本の文化に影響を受けた西洋の画家って多いんだなぁ。

P.S.
同時期の開催をしていた
「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」のテーマは、
「抽象画―戦後から現代」と「光と影―都市との対話」。
静岡市美術館で観たばかりの「小林清親氏の版画」がズラリ。
いくら版画とはいえ、(所蔵も「横浜美術館」とはいえ)
同じ作品を同じ時期に、近場の美術館での展示には興ざめした。



2015年02月24日(火)
文明開化の光と影をみつめて

静岡市美術館の企画展「没後100年 小林清親展」
(文明開化の光と影をみつめて)から。
今までにも、牧野宗則さん、前田光一さん、風鈴丸さんなど、
多くの版画家と出会わせていただき、その魅力に触れてきたが、
今回は、江戸生まれ、明治初期に活躍した
「小林清親(こばやしきよちか)」氏の作品展であった。
特に、版画では表現し難いと思っていた「夜景」は、
朝日、夕日、月光、ガス灯など、わずかな光で照らされた風景を
絶妙なタッチで描いていた。
これもまた、江戸の伝統を受け継ぐ彫師や摺師たちの
素晴らしい職人技によって再現されたと言っても良いだろう。
(前述の3作家は、絵師・彫師・刷師を1人でこなします・・)
サブタイトル「文明開化の光と影をみつめて」にピッタリな作品、
最近、夜明け前にランニングをすることが多かったので、
朝日が昇り始め、少しずつ空が明るくなる前の様子は、
時代が変わっても同じなんだな、と嬉しくなった。

P.S.
彼も「社会風刺画」を多く描いていた、これは偶然だろうか。



2015年02月23日(月)
古代は、知られては困ることのてんこ盛り。

先日参加した「ごはん食堂 桐家」の居酒屋企画、
講師「石垣稔」(株)地域情報計画研究所代表取締役
テーマ「酒と肴と古代文字」
(古代文字を紐解き、日本人のルーツを探る夜)から。
いろいろな分野に精通している彼の話は面白かったが、
特に得意としている「古代文字の歴史」を話し始めたら、
止まらなくなってしまった。(笑)
「歴史は、いいことでも悪いことでもない。
歴史は、時の権力者が作る」という視点を前提に聴くと、
今まで私たちが学んだ歴史に、一抹の不安を感じる。
まぁ、こういうのも一つの考え方だな・・
そんな気楽な気持ちでメモを取ったが、頷くことが多かった。
一言にすると「古代は、知られては困ることのてんこ盛り」
「偶然は、そんなに起こらない」という考え方をもとに、
私たちが習った「仁徳天皇陵古墳」は、知らない間に(?)
「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」に名が変わっている。
真っ当な調査はされていないまま、明治政府が決めたらしい。
その史実は明らかでないが、彼の言葉を借りれば、
「偽物(にせもの)は、常に本物になりたがる」。(汗)
さらに「古代」で思い出したのか「宇宙戦艦ヤマトの登場人物」、
「兄(古代守)・弟(古代進)」へと話が進み、
古代を守る人は、行方不明となり、古代を進む人は
「出世する(ヤマト戦闘班長)」という例え話が、ウケた。
「正解はどこにも存在しないのだから、
確信できる情報を俯瞰し、最終的には自らの頭で考える」
それこそ、歴史を学ぶ姿勢なのかな、と感じた。
お酒を飲みながら、よくメモしたよなぁ、私も。(笑)



2015年02月22日(日)
タイトルは「無題」が多かった。

静岡県立美術館の企画展
「・・ノート、夢のしるし 石田徹也展。」から。
(「とにかく、かく」が、創造の秘密だった。)という
キャッチコピーに惹かれて、久しぶりに足を運んだが、
美術鑑賞というより、自分の心と向き合う時間となった。
「51冊のスケッチブックに描かれた、下絵やアイデアノートを
初公開します。また、随所に石田の言葉を紹介し、
制作の過程や思考の跡をたどり、創造の秘密を探ります。」
まさしく、そのとおりの展覧会だったし、
今、巷で話題になっている「風刺」を「ユーモア」にして、
観る私たちに考えさせる機会を与えてくれた。
美しいとか、幾何学的ではなく、一枚一枚に描かれた題材を、
観る人の状態によって「楽しくなったり、悲しくなったり」
自由に感じてもらえばいい、そんな想いがあるのだろうか、
タイトルは「無題」が多かった。
思い浮かばなかったのではなく、意識的に「無題」とする発想、
自分の精神状態で、タイトルを付けて・・と言わんばかりである。
そんな彼が生きていたら、世界を騒がせている「風刺絵」を、
どう感じて、どんな絵を描いただろうか、とても気になる。
名画と言えるかどうか、わからないが、久しぶりに
「心を揺さぶられた絵画」に出会った企画展であった。



2015年02月21日(土)
あたかもその場にいるような臨場感

2月中旬に開催された、カメラの祭典CP+(シーピープラス)。
「パシフィコ横浜」を会場に1年に1回開催される、
日本最大の写真、映像業界の見本市」に初めて足を運んだ。
これには理由がある。今回の特別企画としてNHKが中心になって
開発を進めている「8Kスーパーハイビジョン」の特別展示がある。
「8K」と言えば「現行のハイビジョン画質の16倍、4K画質の4倍の
超高精細 映像で22.2チャンネルの三次元音響と合わせて、
臨場感あふれる近未来の放送メディア」として知られているが、
富士山の写真家で有名な、大山行男さんが、昨年「柿田川」を訪れ、
デジタル一眼レフカメラでタイムラプス撮影した画像が流れる、
と聞いて、いてもたってもいられなくなったからだ。
会場には朝早くから溢れんばかりの「カメラ大好き人間」が集結し、
所狭しと、出店メーカーのブースを占拠していた。(笑)
注目の「富士山森羅万象(8分)」は、他の作品を圧倒し、
その映像は、動画ではない写真ならではの魅力で輝いていた。
会場に展示してあったフレーズで
「あたかもその場にいるような臨場感を体験してください。」は
一緒に撮影に立ち会った私が証明したい。
まさに、その場(柿田川の中)にいるような感覚が溢れてきたから。
「2020年東京オリンピック」までには、試験放送開始の予定らしい、
「1964年東京オリンピック」には、カラーテレビが全国に普及した。
これからが楽しみな「8Kスーパーハイビジョン」である。



2015年02月20日(金)
雛人形は「雨水」の期間に飾るといいよ

今年の「雨水」は2月19日、「啓蟄」は3月6日。
地方により「雛人形は『雨水』に飾って『啓蟄』に仕舞う」と
「良い伴侶に恵まれる」という解説がネットでも調べられる。
一年を「春夏秋冬」の「フォーシーズン」に分けるより、
農耕の時期・太陽の位置等(生活者にとっては五感)を意識した
「二十四節気」の方が、日本を風土にあっている気がする。
しかし、この単語の使い方が気になってしまった。
昨日「『雨水』なのに、まだ雪が降っていて寒い」なんて、
記事を見つけると、これから15日間くらいの話だよ、と
突っ込みを入れたくなってしまう私がいた。
私の知識では「節気」は、その日を含んだ「期間」。
2月19日〜3月5日までの15日間が「雨水」、
3月6日〜3月20日までの15日間が「啓蟄」であり、
この頃に「雪が雨に変わる、積もった雪や氷が溶け出す」頃を
「雨水」と呼んでいる。(はず)
カレンダーに掲載されると、その日が「雨水」と勘違いし、
「まだ寒いのに・・」とコメントを書く人たちがいるが、
あと15日の間に、そんな頃合いになるから、と伝えたい。
だから「雛人形は『雨水』の期間に飾るといいよ」という
フレーズを「気になる一言」として残そうと思う。
私の解釈が違うかもしれないけど・・(汗)。

P.S.
実は最近、もっと細かい「七十二候」にはまっています。
今は「四候・雨水・初候『土脉潤起』どみゃくうるおいおこる」
「雨が降って土が湿り気を含む」の意。なるほどなぁ。



2015年02月19日(木)
ダイヤモンドは、女のベストフレンド

映画「ムーラン・ルージュ」(バズ・ラーマン監督)から。
街中に「風車」をシンボルにしたお店があちこちに出来た時期があったが、
この映画を観賞して「あっ、これか・・」と思わず笑ってしまった。
それくらいパリの魅惑的なナイトクラブ「ムーランルージュ」は、
存在価値があったのだと、感心させられた映画でもある。
さて、メモした台詞を読み返すと、ちょっと照れてしまうくらい
ラブストーリーなので「人がこの世で知る最高の幸せ。
それは、誰かを愛して、そしてその人から愛されること」なんてフレーズが
所狭しと散りばめられている。
「突然思えてくる、この世界はパーフェクトだと。
突然思えてくる、周囲の全てが美しいと。
突然思えてくる、人生は無駄でなかったと。世界は僕らの周囲を回ってる。
どんな山だって越えられる。どんな川だって渡りきれる・・」
書いていて恥ずかしくなってくるくらいの愛の台詞。(笑)
だからと言うわけではないが、真逆のフレーズが印象に残った。
このクラブ花形スターの主人公が、ショーで歌う台詞。
「ダイヤモンドは、女のベストフレンド」
尾崎紅葉の「金色夜叉」の名場面、 「宮さん、アイや、お宮。
ダイヤモンドに目が眩み、よくも、よくも僕を裏切ってくれたな」
が浮かび、思わず、一人で苦笑いしてしまった。
「貫一さん、ダイヤモンドは、女のベストフレンドなんですよ」



2015年02月18日(水)
「そこから何を学んだか」「それをどう活かすか」

書籍「読書は『アウトプット』が99%」
(藤井孝一著・知的生き方文庫刊・221頁)から。
タイトルに惹かれ、本屋で衝動的に手にとってしまったが、
私の実践していることを「手探り」から「確信」へと導いてくれた。
「インプットした知識は、必ず『アウトプット』を!」と思うし、
「人に伝えることで、本が『生きる知恵』になる」と感じていた。
特に彼が勧めていた「書評を書くときの3つのポイント」は、
「何が書いてあったか」「そこから何を学んだか」
「それをどう活かすか」としていて、思わず嬉しくなった。
私の場合、これは「読書」に限ったことではなく、
「映画鑑賞・講演会・コンサート・美術鑑賞」などをはじめ、
スポーツ体験やレストランでの食事、全国の旅行先でも、
何かを感じ、何かを学ぶことは可能であり、
それを明日からの自分の生活にどう活かしていくかと考えて、
「気になる一言」を書いているつもりだからだ。
さらに「記憶力とは、覚える力ではなく、思い出す力」という
定義にも、頷いてしまった。
気になる一言では、インパクトのあるフレーズを選び、
その情報源の全体を思い出せるようにしているのも、同じ。
大切なのは「そこから何を学んだか」「それをどう活かすか」
この視点をいつも持ち続けていきたいと思う。



2015年02月17日(火)
パニックにならず、目撃者となる

先日参加した「ごはん食堂 桐家」の居酒屋企画、
講師「石垣稔」氏((株)地域情報計画研究所 代表取締役)
特別テーマ「姿を現しつつある最大の危機」から。
今回のテロ事件の話から、私たちの身近な生活まで、
幅広い多くの情報源に、感心して聞き入っていた。
テロ事件に関しては、複雑すぎてまとめきれないので、
もう少し一般的な話で、なるほど・・と思った話を。
社会の流れを「世界の支配者の気持ちで考えてみる」と、
意外な視点から物事を考えることができると知った。
それを前提に、自分の身の回りで起きている事件を
分析してみながら、こんなことをするといいですよ、と
いくつかのアドバイスをいただいた。
「次に何が起こるかのか想像することが大切」と言い切り、
「事件をどう見極めるか」をポイントとして挙げた。
「主観的な感情に支配されず、客観的に、俯瞰的に捉える」
「冷静に観察することで得られる情報は多い」など、
私のメモは、溢れた。
さらに、私たちがしなければならないこととして、
「パニックにならず、目撃者となる」と纏めてくれた。
これからの日本は、驚くような事件が起きるかもしれないが、
そんな時、マスコミなどの報道を対して冷静に判断し、
今、自分の身に、そして日本という国に何が起きているのか、
目撃者となって記録する姿勢こそ、真実の情報が見えてくる、
そんな話ではないか、と理解してメモをした。
まずは、パニックにならないことだけでも意識しよ〜っと。



2015年02月16日(月)
もっと速く走れたってことですよ

日曜日に「伊豆マラソン」(21.7キロ)を終え、
翌日月曜日に、私のランニングの師匠に「完走」を報告、
さらに、今朝起きても「筋肉痛」にならなかったよ、と
ちょっぴり自慢をしたら、さすが師匠、厳しい一言で
「もっと速く走れたってことですよ」。
レース中は膝が痛くなったり辛いことはあったけれど、
ゴールしても苦しいという感覚は、あまりなかった。(汗)
半年前から始め、マラソン大会自体が初めてということもあり、
まずは「完走」を目指し、マイペースに走ったことで、
あまり無理をしなかった、というのが本音であるが、
「普通なら『3キロ』とか『10キロ』から始めるのに、
最初からハーフマラソンとは、よく頑張ったね」という、
言葉が欲しかったのかもしれない。
それをバッサリ、それも的確に、私の甘さを指摘されて、
言い返す言葉もみつからなかった。
もっと本気で走れば筋肉が悲鳴をあげて、翌日そんなことはない、
何でもないってことは、まだ余裕があったってことでしょ、
そうアドバイスされた気がする。
(実は、夕方から少し痛くなってきたので、痛みが出るのが
遅くなっただけだったようだが・・・(笑))
こうした面倒くさい先輩に、叱咤してくれる後輩を大切に、
また目標をもって走り続けられたらいいな、と思う。
「キツさが達成感を増してくれる気がしますね」と、
コメントしてくれた女性もいる。
次回は、もっともっと貪欲に「達成感」を味わいたいな。



2015年02月15日(日)
(14キロ付近の)苺が美味かったね

昨年の9月上旬、ランニング好きの若い人たちが集まる懇親会の席で、
「まったくの素人の私が、この年齢(56歳)で、
半年間でハーフマラソンなんて無理」と呟いたら、
数人から一斉に「だからこそ・・」と叱咤激励されから半年。
目標にしてきた「第8回伊豆マラソン大会」(ハーフ21.7キロ)が、
晴天・無風の中で開催され、自分でも驚きの「完走賞」を手にした。
「完走した今の気持ちは?」と訊かれても、実は文字にするのが難しい、
「走ってみなければわからない、辛さと楽しさ」は(たぶん)伝わらない。
そこで今回は、何年かしてこの「完走」を思い出すための記録として、
「気になる一言」を残したいと思う。
なんとかゴールし、一緒に大会にエントリーした仲間たちが近寄ってきて、
「初めての大会、どうだった?」の問いに、私が発した台詞は、
「(14キロ付近の)苺が美味しかったね」だった。(笑)
何カ所かに配置された「給水場所」とは別に、沿道のいちご農家の人が、
摘みたてだろうか、目の前を走るランナーに手渡しで配っていた。
距離的にはちょうど2/3ほど進み、疲れが溜まってきたのを感じていたし、
自分でもペースが落ちてきたことを実感していたタイミングだったので、
口に含んだ時の「苺独特の甘み」が忘れられない。
56年間生きてきて、こんな美味しい「苺」を食べたのは初めてかも。
味だけでなく、パワーをいただいた「沿道からの応援」が嬉しかった。
この「苺」が、私を「完走」に導いてくれた、と言っても過言ではない。

P.S.
多くの方に支えられていることを実感して走る「マラソン大会」。
打ち上げのビールと焼肉、帰宅後の湯舟、そして爆睡。
何もかもが初体験、さて、明日は体が動くだろうか。(汗)



2015年02月14日(土)
鍵は必ず、何かを開ける

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
(スティーブン・ダルドリー監督)から。
今までにも「9.11」をテーマにした映画を何作品も観てきたが、
事故現場のヒーロー的な扱いでもなく、また悲劇の主人公でもない、
ただ尊敬する父をあの事件で亡くした、少年の視点が新鮮だった。
その少年がある告白をする。
「(僕は)アスペルガー症候群の検査を受けたの、
『利口だけど、不器用な人』の検査だって」
この言い回し、もう大人だけどアスペルガーかな?と感じる人には、
説明しやすいフレーズだな、とメモをした。
さて、気になる一言は「鍵は必ず、何かを開ける」
「black」と書かれた封筒に入っていた鍵は、いろいろな体験により、
彼の繊細な心を開いたとも言える。
「1本の鍵にあう鍵穴なんて、無数の可能性がある。そこが面白い」と
彼に教えた、街角の鍵屋さん。
そして「鍵には、必ず鍵穴がある。名前には必ず人がいる」と、
「Black」というメモを「名前」と判断し、
blackさんを探すという展開は意外だったが、最後まで楽しめた。
「鍵」は、時として「キー」と訳し「キーワード」などとして使う。
「キーワード」を見つけることで、問題が解決することもある。
う〜ン、やっぱり「鍵は必ず、何かを開ける」だな。

P.S.
ストーリーには関係ないけれど、少年が人探しに出る時に常時持ち歩く
サバイバルグッズ「パニックを抑える、タンバリン」が気になるなぁ。



2015年02月13日(金)
一番多かったフレーズは「戦後以来の大改革」

2015年2月12日の「安倍首相の施政方針演説全文」を読んでみて、
私の癖だろうか「カッコ書き」にされた単語やフレーズが気になった。
前後の言葉や接続詞を無視し拾ってみたら、俯瞰的に眺められた気がする。
皆さんは、何を感じましたか?

以下、全文から抜粋。(ちょっと長くなりますがご勘弁を)
(1)戦後以来の大革命
「日本を取り戻す」「この道しかない」「安定した政治の下で、
この道を、さらに力強く、前進せよ」「戦後以来の大改革」
「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、
国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」
「戦後以来の大改革」
(2)改革断行
「減反」「変化こそ唯一の永遠である」「国の基(もとい)」「変化」
「コーポレートガバナンス・コード」「世界で最もイノベーションに適した国」
「知と行は二つにして一つ」「行動」「改革の断行」
(3)経済再生と保障改革
「三本の矢」「待機児童ゼロ」
(4)誰にでもチャンスに満ちあふれた日本
「子育て支援員」「女性活躍推進法案」「娘は今、就職に向けて前向きに
頑張っております」「娘はだんだん自己嫌悪がひどくなり『死んでしまいたい』と
泣くこともありました…学校に行くたびに輝きがうせていく…
しかし、娘は世の中に置いて行かれまいと、学校に通いました」
「子どもは大人の鏡です。大人の価値観が変わらない限りいじめは起こり、
なくなることはないでしょう。…多様な人、多様な学び、多様な生き方を受け入れ、
認め合う社会を目指す日本であってほしいと切に願っております。ちっぽけな
母親の願いです」「6・3」「できないことへの諦め」「できることへの喜び」
(5)地方創生
「個人保証」「ふるさと名物」「しごとづくり」「地方創生特区」「まちづくり」
「いち・はや・く」「189」「たくさん雪が降っていて、とっても、こわかったです」
「そんなとき、自衛隊のみなさんが、来てくれて、助けてくれて、
感謝の気持ちでいっぱいです。…わたしたちも、みなさんに何かしなくては!と思い、
手紙を書きました」
(6)外交・安全保障の立て直し
「国のために戦った方は、国籍を超えて、敬意を表さなければならない」
「積極的平和主義」「島国ならでは」「積極的平和主義」「言葉」「行動」
「戦略的互恵関係」「対話と圧力」「行動対行動」
(7)2020年の日本
「はやぶさ2」「世界初」「心」「生業(なりわい)」「はやぶさ2」
「新たな可能性と創造」「2020年」「燃える氷」「日本は資源に乏しい国である」
「常識」「非常識」「日本は変えられる」「日本国民よ、自信を持て」
「戦後以来の大改革」「自信」「自信」「確信」

P.S.(参考「しもさんの気になる一言」から、ちょっと辛口な一言)
2001年07月03日(火) ■革命は必ず犠牲者が出る
2007年07月06日(金) ■「改革」と書いて「カイゼン」とルビをふるな



2015年02月12日(木)
居場所としての図書館

書籍「図書館をつくる」(堀場弘、工藤和美編集・彰国社刊・151頁)から。
行政が図書館をつくる機会って考えた場合、何十年に一度、
いや、公務員にとっては一生に一度のことかもしれない。
そんなことを考え読んだからか、建築家からの意見が輝いて見えた。
多くのヒントをいただき、メモは溢れたのは言うまでもない。
今も昔も、図書館の役割は、本の貸し借りだけではなく、
高齢化の著しい日本において、一日の生活の中で、ひとときを過ごす
「居場所としての図書館」という役割は押さえておきたい。
いつだったか、スターバックスが目指している役割、
家でもない、仕事場でもない「ザ・サードプレイス」という考えも、
まんざら捨てたものではないことが理解出来た。
図書館は、対象者が広い分、さらに解釈を拡げ、
子どもたちには「家でもない、学校でもない」居場所、
高齢者には「家でもない、病院でもない(笑)」居場所、
子育てしている人たちには「家でもない、公園でもない」居場所として
その役割を果たしていかなければならない気がした。
「図書館は、人がほっとできる場所」という考え方を軸に、
「本の読み方や本のあり方が変わってきている」ことを念頭に置き、
「いろんな場所を用意して、お好きなところでお読み下さい、
というのが図書館だと思いますね」というメッセージが示すとおり、
「あれもダメ、これもダメ」という注意看板を掲げなくても、
利用者が一定のルール・空気を作り出していくのが図書館だと思う。
ただし「図書館って、子どもが公共性を学ぶ最初の場所」だから、
寝転がって読むような環境をつくるのではなく、
「椅子に座っての読書をみせることが大切」という考えには賛同した。
舞台となった「金沢海みらい図書館」、是非一度、訪ねてみたい。



2015年02月11日(水)
なんのこっちゃない、シンプルに考えれば・・

自然食の提供で有名な「ごはん食堂 桐家」さんの企画。
「酒と肴と古代文字」をテーマに、お酒(特に古酒)と肴を味わいながら、
「古代文字」を始め、危機管理などの分野に詳しい
「石垣稔」氏(地域情報計画研究所)の話に耳を傾けるという、
とてもマニアックな(汗)イベントは、午後7時から始まり、
23時頃の「中締め」でも帰らない人たちと延々に続く「懇親会」が
お開きになったのは、午前2時半をまわっていたと思う。(汗)
講師を務めていただいた「石垣氏」の話術に魅了されたのと、
「せっかくだから、どんなことでも訊いてください」という言葉に甘えて、
質問が相次ぎ、楽しくて気がついたら・・そんな時間になってしまった。
私たちが遠慮なく訊ねる質問に、さらっと解説を加えながら、
最後には「なんのこっちゃない、シンプルに考えれば・・」という
お決まりのフレーズで纏めてくれる回答が、本当にシンプルで驚いた。
(たぶん、本人も気付いていない口癖かもしれない・・(笑))
私たちが悩んでいること、疑問に思うことも、本当はシンプルなのに、
わざわざ、いろいろな理由を付けて複雑にしていることに気がついた。
「主観的な感情に支配されず、客観的に、俯瞰的に捉える」といった、
いたって単純な判断基準こそ、今の私たちに大切なことだと知った。
「飲みながら、食べながら、話を聴く」ってイベント、意外と少ないな。
私好みの企画かもしれない。(笑)

P.S.
特別テーマ「姿を現しつつある最大の危機」と
「酒と肴と古代文字」については、メモが整理が出来次第、
気になる一言を選んで紹介したいと思う。乞うご期待!!



2015年02月10日(火)
次へ渡せ

映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(ミミ・レダー監督)から。
原題「PAY IT FORWARD」
「PAY」という英単語は「支払う」しか意味が浮かばず、
気になって調べたところ、
「PAY」には、本当に多くの意味があり驚かされた。
ある方が、見知らぬ人に親切にされた時のこと。
「礼を言った。すると奇妙な方法で恩を返せ、という。
別の3人に善い行いをしろと」
それは、親切にされた人に恩返しをするのではなく、
その気持ちを行動として「別の3人」に与えて欲しい、
そんなに意味で使われている。
小さな「思いやりの連鎖」という流れが、大きな流れになり、
世界がいい方向へ流れて変わっていく。
それを短い言葉で表現すると「次へ渡せ」(ペイフォワード)。
いろいろな分野で世代交代がなかなか難しい時代、
「後継者育成」なんて言葉より「次へ渡せ」の方が、
インパクトがあり、その必要性を感じてもらえるに違いない。
また、他人に親切されても、その行為に気付かない人には
「とんだバカに渡したもんだ」と言おう。
きっと「どういう意味?」って訊き直してくるから。



2015年02月09日(月)
ランニングは「素敵な景色を撮るための移動手段」

最近の私は「ウォーキング」から「ジョギング」、
さらに「ランニング」へと興味が移り、行動範囲が広がった。
速度は「ウォーキング」とあまり変わらないけれど、(汗)
今まで足を運んだことがない場所へも、躊躇なく体が動く。
この気持ちを持続させている原動力が「素敵な景色」だと思う。
最近、本屋でコーナーが出来るほどの人気を博している、
「日本や世界の絶景」ほどではないが、自分の身の回りにも、
それはそれは驚くような、素敵な景色が溢れている。
わざわざお金と時間をかけて、美しい場所へ行かなくても、
予想以上に近い場所や、何気ない普段の生活の中に「美しさ」を
見つける感性を磨くことは、思ったより楽しい。
車やバイク、自転車でも入れないような場所からの撮影は、
人間の足のみが可能にさせてくれる「絶景ショット」が撮れる。
だから、私にとっての「ランニング」は、
マラソン大会を始めとした、スポーツ競技志向ではなく、
お金がかからず、思いついた時に、さっと動ける交通手段、
言い換えれば「素敵な景色を撮るための移動手段」である。
早朝でも、深夜でも、自分の気持ち次第ですぐに動けるし、
3キロくらいなら、走った方が速いもの、たぶん。
(う〜ん「10キロ」と書けないところが、まだまだだなぁ(笑))



2015年02月08日(日)
寅次郎の妹と言えば「杉文」?「諏訪さくら」?

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」から。
今年は大河ドラマの主人公が、吉田松陰(寅次郎)の妹(杉文)でも、
まだ日本では「寅次郎の妹」と言えば「さくら」と決まっている。
もちろん映画「男はつらいよ」(フーテンの寅さんの妹)のこと。
とらやの先代の主人、平造の長女、寅次郎の腹違いの妹で、本名は櫻。
女優・倍賞千恵子さんが、自由奔放な兄(寅次郎)の一番の理解者として
陰ながら支える妹役を演じていたのが印象的だ。
時代背景や家族構成も違うが、吉田松陰(寅次郎)も、
誰かに迷惑をかけるという意識を持たず行動、その自由気侭な生き方に、
皆が巻き込まれるが、家族が支えていく展開は、面白いようにダブる。
(優香さん演じる、文の姉(寿)も寅次郎の妹なのであるが・・)
先日、今回の大河ドラマ「花燃ゆ」の企画意図をホームページで読んだら、
同じようなことが書いてあって、思いっきり笑えた。
初回から今まで「幕末編『男はつらいよ』」がピッタリの表現である。
今回の「野山獄唯一の女性、高須久子」が「マドンナ役」であれば、
「男はつらいよ」と対比しても、申し分ないのだが果たして・・(笑)。
今年の大河ドラマは、安政6年(1859年)10月27日、
吉田松陰が処刑されてからが、このドラマの見どころと言ってもいい。
主人公「車寅次郎」抜きでは物語が進まない「男はつらいよ」ではなく、
兄の死後、幕末を力強く生き抜いた「寅次郎の妹」の活躍が期待される。
今年の年末には「寅次郎の妹」と言えば「杉文」となればいいな。



2015年02月07日(土)
乾燥しちゃうかと思って

今晩の夕食が鍋だったから、というわけではないが、
昨年の忘年会での出来事を思い出した。
メインだった鍋料理をたいらげ、あとはお酒の勢いを借りて
話が盛り上がっていたところ、メンバーの1人が
私の目の前に置かれたガスコンロの上にある鍋に水を入れて、
弱火でコトコト・・時々、しゃもじを回転させている。
何をしているのかもわからず、「鍋も空だし、もったいないから
もう(ガスコンロ)消していいよ」と声を掛けたら、
なんと「乾燥しちゃうかと思って」の一言。
寒い季節、部屋の暖房をガンガンきかせているけど、
湿度調整器があるわけでもないから、空気は乾燥しっぱなし。
乾燥すると、喉が痛くなったり、風邪もひきやすくなる。
ホントに細い弱火でも、水蒸気を発生させている仕組みは、
私には発想できずに、新しい発見だった。
みんなが盛り上がっている中でも、冷静に状況を判断できる行動、
これって、嬉しい心遣いだな、と感じたシーンである。



2015年02月06日(金)
心はいつも一緒だ。パパより

映画「突然、みんなが恋しくて」
(ジェニファー・デボルデール監督)から。
この作品、きっと評価が分かれるな、と観終わった。
性別、年齢、未婚か既婚か、子どもが男か女か、
それによっても、まったく違ってくると思えたから・・。
男・50歳代・既婚・子どもが女の子だけ、の条件にあえば、
この主人公の気持ちが、手に取るようにわかる。
しかし、それ以外の場合、駄作と勘違いされるケースだろう。
死んでから発見された「投函してなかった、娘宛の手紙」には、
必ず書かれていたメッセージがある。
「(愛してるよ)、心はいつも一緒だ。パパより」。
自分の愛情を上手く娘に伝えられない、父親の気持ちが詰まっている。
「お前の前では、なかなかいい父親を演じられないけれど、
どこにいても、心はいつもお前のことを考えているよ」
そんな不器用な父親の気持ちが伝わってきた。
「父親が娘の元彼とつるむなんて!」と大声で怒鳴られても、
その気持ち、ちょっぴり理解できる。
また自分の葬式に、娘の元彼が勢揃いするシーンがあるが、
「娘が寂しくないようにと声を掛けた」ようだ。
まったく勝手な言い分だけれど、この行動もわからなくない。
父娘の物語だったから、映画「アルマゲドン」を思い出してしまった。



2015年02月05日(木)
若い頃の体型に戻りましたね

「食事コントロール」と「ウォーキング」などで、
10キロ減量達成、そんな話題を以前に書いた。
だからって「羨ましい」とか「頑張ったね」という言葉を
期待しているわけではない。
ただし、痩せたことは健康にいいはずなのに、
スリムになった私の姿を目にして発する一言が面白い。
「どうしたんですか?」(病気でもしたんですか?)から
「ちっちゃくなった」「しぼんだね」「品租に見える」等、
あまりいい表現がない。
いや、痩せた人に対して、誉めるフレーズが見つからないのか、
「あまりに痩せて声を掛けられなかった」という人まで。(笑)
逆に、体重が増えた時は、健康面ではよくないはずなのに、
「太ったねぇ」から「丸くなったね」「貫禄がついた」など、
意外と良いイメージを想像させる表現が思い浮かぶ。
本人にとっては、体が軽くなったし息切れもしない、
人間ドックの検査結果も、健康体の数値に近づいて、
大満足の「肉体改造」(笑)だからいいけれど、
減量したい、標準体重を目指したいと口にする人が多いのに、
他人に対するイメージは逆なんて、面白い。
一番嬉しかったメッセージは、昔の私を知っている人からの
「若い頃の体型に戻りましたね」かな。



2015年02月04日(水)
語尾をのばす大人は、ばかか優しいかのどちらかだ。

書籍「号泣する準備はできていた」(江國香織著・新潮社刊・252頁)から。
最近、また「江國香織さん」にハマっている。(マイブーム?(笑))
10年ほど前、この作品で「直木賞」を受賞したはずだから、
一度は、さらっと読んだ記憶が蘇ったが、久しぶりに読み返したら、
当時とはまた違った場所が私のアンテナに引っかかり、一気に読み終えた。
私たち年代の男女の気持ちが、恐ろしいくらいわかる気がする。
短編の小説というより、誰かの日記をネットで読んでいる感覚に陥る、
それくらい、今の私たちの感覚に近いと言えそうだ。
例えば、気のあった友達とお酒を飲むシーンがある。
「酒は飲むと辛いが、飲み終えると甘い余韻が残るのだった」とか
「三人は礼儀正しく冷やかしてくれる。どうしてー、とか、けちー、とか。
語尾をのばす大人は、ばかか優しいかのどちらかだ」など、
その絶妙な人間関係を、言葉にするのが本当に上手い。
さらに「おいしいお酒がないと、ごはんっておいしくないもの」とか
「『ビールって、つめたいのもおいしいけど、
少しぬるくなったのもおいしいと思わない?おそくに飲むときはとくに』と言う。
『東京の夜の空気に似た舌ざわりがする』」なんて表現は、もう頷くしかない。
何度か目にした「私は独身女のように自由で、既婚女のように孤独だ」
という表現、女性にはどう感じるんだろうか。



2015年02月03日(火)
包丁と鉄板、どちらが消耗品だと思います?

メモを整理していたら、ふっと目に触れたフレーズ。
情報源は、昨年、母の傘寿祝で訪れた「神戸旅行」の1コマ。
兄妹の2家族で考えた、サプライズ企画の一つは、
「目の前で『神戸牛』を焼いてもらい食する」だった。
上等な神戸牛を、鉄板の上で形の良い包丁を使い、
見事に切っていく料理人に向かって質問をした。
「さぞかし、高い包丁なんでしょうね」と。
その答えは意外にも、私の想像した答えと逆だった。
「包丁は、そんなにいいものは使っていませんよ」と言い、
「傷つけたら大変ですから・・」と付け加えてくれた。
その意味がわからず、肉の筋を切らないようにするためとか、
旨味を殺しちゃうとか、さもありがちな理由を挙げたら、
「包丁と鉄板、どちらが消耗品だと思います?」と質問された。
「簡単には取り換えが出来ない『鉄板』を傷つけないために、
あまり尖った切れの良い包丁は使わない」というのが、
その答えのようだった。
私たちの目の前に設置された長い鉄板は、代々大切にされ、
多くの良質の神戸牛を焼いた脂が染み込んでいるのかもしれない。
どちらが大切か、そしてそのために何をすべきか、
どちらかの質をわざと落とすことは、すごい判断である。
どちらも大切にすると、中途半端になっちゃうんだろうなぁ。



2015年02月02日(月)
私たちを銃殺して下さい。

フリージャーナリスト・後藤健二さんの著書「ルワンダの祈り」
そのタイトルを見て、思い出した映画があったのでご紹介。
映画「ルワンダの涙」(マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督)から。
先日、映画「ホテル・ルワンダ」を観てから、私の心の中で
何か引っ掛かっていた「ルワンダ大虐殺」の真実を再確認して
あらためて、人間の醜さを感じることになってしまった。
印象に残ったシーンは「殺される」ことを覚悟したツチ族の1人が、
撤退することになった平和維持軍の大尉に願い出た台詞。
「撤退なさる前にお願いします。私たちを銃殺して下さい。
ナタで殺されたくない。銃なら一瞬だし、苦痛も少ないから」
この究極の選択を口にした彼らの気持ちを考えると、
映画と知りながらも、胸が締め付けられる思いがした。
同じ殺人でも「銃で一撃」と「ナタでメッタ切り」では違う。
親族・知人・友人が、目の前で殺されるのを観るだけでも、
ナタが凶器の方が、精神的な苦痛は計り知れない。
何度も何度も、会話の始めに使用される「You are OK?」は、
まともな精神力では耐えられない光景、場面に遭遇するから。
「大丈夫?」「気分は?」・・といろいろ訳されていたが、
観ている私たちにも、問いかけているような台詞だった。
原題となっている「Shooting Dogs」の意味を、
是非、この作品を鑑賞して、自分の目で確かめて欲しい。



2015年02月01日(日)
古典落語は「落ち」がわかっていてもウケます

地元清水町の「第6回地域交流センター寄席」から。
毎年、この季節の歳時記となっている、古典芸能鑑賞会、
演目は、誰でも知っているような古典落語4席だった。
「饅頭こわい」(三遊亭歌むい)「長屋の花見」(春風亭一之輔)
「たいこ腹」「(春風亭朝之助)「竹の水仙」(春風亭一之輔)
どの作品も、一度は耳にしたことがある落語であるのに、
やっぱり、噺家の話術より声を出して笑ってしまうから不思議だ。
そういえば「真打・春風亭一之輔師匠」が、前口上で言っていた、
「古典落語は『落ち』がわかっていてもウケます」が蘇った。
音楽で言えば「クラシック音楽」、映画で言えば「名作」(?)、
その他の分野でも「スタンダード」と称される作品は、
なぜか、何度耳にしても飽きがこなく、私たちを癒してくれる。
その理由はわからないけれど「王道」と呼ばれるものには、
私たちを引きつける、それなりの魅力があると思う。
若い頃は、ついつい新しいものにチャレンジしたくなるけれど、
歳を重ねると、この「スタンダード」に惹かれていく。
「古典落語」を耳にして、また「名人」の落語が聞きたくなった。
1月の振り返りは「笑ったこと」が少なかったのに、
2月は初日から、声を出して笑った。幸先がいいぞ、今月は。

P.S.一之輔師匠の前口上からもう1つ。
「声を出して笑ってください。決して鼻で笑わないように」
なるほど・・(笑)