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2014年09月30日(火)
科学の力で人間でも何でも小さく出来る

映画「ミクロの決死圏」(リチャード・フライシャー監督)から。
1966年のアメリカ映画、50年近く前の作品であり、
突っ込みどころ満載の作品であるが、なぜか面白かった。
そもそもタイトルも「ミクロ決死隊」と勘違いしていたくらい。
今、CGを駆使して製作したら、理科の教材になるのでは?と
考えたほど、発想は画期的だった。
その前提となるのは「科学の力で人間でも何でも小さく出来る」
また、ある程度の時間が経つと、元の大きさに戻るという視点。
昔のアニメ、メルモちゃんよりすごいな、と1人で苦笑いした。
「哲学者が言うように、人間は宇宙の中心だ」
「血は赤くないね」「赤いのは赤血球だけだよ、それも動脈だけ、
あとは海水に似た血しょうだ」
「生命の川だな、全長10マイルもある」
「(心臓を)止めるのは簡単か?」「動かすのに比べれば」
「心臓の音、1年に4,000万発も撃つ、すごい大砲だよ。
それが生命を支えているんだ」
こんな会話や台詞が飛び交い、私にはインパクトがあった。
癌や脳溢血・内臓悪化などで死ぬ人が多い今の時代だからこそ、
体の中の仕組みを知る機会になるのではないだろうか。
是非、リメイクを期待する作品の1つである。



2014年09月29日(月)
訳もなく涙が出る曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」

先日、静岡市清水区で開催された「サンライズコンサート」。
静岡県下を代表する、高校の吹奏楽部が一堂に会しての演奏会、
若い力を感じる、とても素敵な企画であった。
中でも、わが町唯一の高校、沼津商業高校吹奏楽部の演奏は、
何度耳にしても飽きることがなく、そのたびに元気をもらえる、
私にとって、貴重なエネルギー源なのであるが、
最近、私の体に異変が起きていることに気付いた。(汗)
演奏終盤、定番ソング(「情熱大陸」)「風になりたい」を聴き、
アンコール曲の定番(笑)「あの鐘を鳴らすのはあなた」を
一緒に口ずさみながら楽しんでいると、なぜか「じわ〜」と
涙が溢れてきてしまう。勿論、今回も・・。
たぶん、関係者以外では、最多で演奏を耳にしていると思うが、
「泣くような悲しい曲でもない」はずなのに、涙が出る。
かといって「楽しくてたまらない」といった曲でもない。
どうして?と訊かれても、答えは見つからない。
たぶんこの演奏を聴くと「どこかのスイッチが入る」のだろう。
「訳もなく涙が出る曲」、読者には、そんな経験はないだろうか。
この理由が知りたくて、毎回、演奏会に足を運んでしまう。
春の「沼商フレッシュ・コンサート」の後も、
冬の「定期演奏会」の後も、もちろん、その他イベントの後も。
「なぜか涙が止まらない」と同じようなことを書いている。
しかし・・未だ理由が掴めず、不思議な曲だよなぁ。



2014年09月28日(日)
雪は解けるけど、火山灰は溶けない

御嶽山の大噴火の様子をテレビで観て、思い出した講演会があった。
当時は、あまりインパクトがなかったが、今回の噴火を目の前にして、
整理してあったメモを引っぱり出してみたので、参考にされたい。
講師「小金澤保雄」氏(珠流河国文化財調査研究所代表)

演題「富士山のこと、どこまで知っていますか」から。
(美しい富士山は、いつまで続くのでしょうか)
富士山の誕生から、繰り返されてきた噴火を伴う火山活動は、
今までに38回ほど数えられる。
それまで100年に一度くらいの周期で噴火が起きていたのに、
1707年(307年前)の宝永火山の噴火以降、起きていないという事実、
これは、3倍のエネルギーが溜まっているとも考えられる、
そう気付かされた話だった。
東海地震を含めた東南海トラフの地震は、近年大きな話題となり、
その対応は、着々と進められているが、この話を聴いて、
「富士山噴火」について、もっと知らなくては・・と感じた。
特に、本物の火山灰を見せていただいたあと、
「雪は解けるけど、火山灰は溶けない。
それも、火山灰の正体は、すべてガラス」という解説は、
知らずに目をこすったら、眼球が傷つくことを意味する。
車のフロントガラスに積もった火山灰を、ワイパーで払おうとすれば
傷だらけになって前が見えなくなる、と言うことだ。
「夏に富士山が爆発すると・・火山灰は静岡県に積もるが、
冬なら偏西風に乗って、東京に積もる」って話も、
火山灰が精密機械を襲い、全てが混乱に陥ることを予想する。
その原因は「雪は解けるけど、火山灰は溶けない」だな。

P.S.
今回、私が一番最初にしたことは、
登山好きの親友に「登ってないよね」のメールだった。(汗)



2014年09月27日(土)
秋と言えば「欲張りの秋・バランスの秋」

朝から久しぶりの晴天に恵まれて、秋まっ盛りって感じで、起床した。
秋と言えば「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」「食欲の秋」等、
いろいろな表現がされるが、好奇心旺盛の私は、どれも捨て難い。
でも、今日一日を振り返ると、全て体験していた満足感が溢れている。
午前中、柿田川の外来種駆除で、写真を撮りながらも「ボランティアの秋」。
その後、静岡市清水区の清水駅前「清水文化会館マリナート」で
開催された「静岡サンライズコンサート」に、
わが町の唯一の高校であり、私がずっと応援し続けている
「沼津商業高校吹奏楽部」が演奏すると知って、清水駅まで電車で移動。
自宅から沼津駅まで「ランニング&ウォーキング」で「スポーツの秋」。
往復の電車の中は、読みかけていた本を持参し「読書の秋」。
県東部「県立沼津商業高校」、県中部「静岡市立清水桜が丘高校」
県西部「浜松海の星高校」の各校吹奏楽の演奏は「芸術の秋」に相応しく、
若い力を感じさせる素敵にコンサートであった。
また、三島駅に戻り、駅から自宅までのランニングは「スポーツの秋」。
しかし帰り道に立ち寄った、北海道料理「中むら」で、
充実した一日のご褒美で「十四代」を飲みながら「食欲の秋」。
たった一日で「全ての秋の楽しみ」を体験してしまったことを記録として
「秋と言えば『欲張りの秋・バランスの秋』」を残そうと思う。
どれにも偏らない、言い換えれば「バランスよく秋を体感」した一日。
万歩計は「17,944歩」、本は「1冊読破」、三校の吹奏楽は素晴らしく、
「十四代」(雄町・純米吟醸)でほろ酔い気分を味わった。
「スポーツも文化・芸術も」さらに「ボランティア」や「食欲」も、
大切なのは「偏らないバランス」だと気が付いた。
これも、きっと好奇心旺盛のいいところなんだろうなぁ。
さて、明日はどんな秋を体験できるのだろう、楽しみである。



2014年09月26日(金)
スマホはビジネスパートナー。手帳は戦友であり、師である

雑誌「DIME」の特集記事「手帳はアナログに限る!」から。
(たぶん26年11月号だったと思うけど)
私が気になったのは、泉谷直木氏のコメント。
「アサヒグループホールディング代表取締役社長兼CEO」の彼は、
「スマホはビジネスパートナー。手帳は戦友であり、師である」と
私がいつも感じていた感覚を、フレーズにしてくれた。
もちろん、わからないことを調べたりするのは、
スマホの方が便利だが、バッテリーを気にしながらの作業は、
やはり、違った意味で「ストレス」が溜まる。
一度、スケジュール管理も「スマホ」で試してみたが、
やはり、取扱いの容易さでは「手帳」の方が群を抜いている。
さらに、同じサイズの手帳が積み重なってくると、
それ自体が「自分史」となり、私の人生を一緒に過ごした「戦友」の
言葉が、ピッタリの表現だな、と頷いた。
また、何気なく書いた「メモ」が、生き方に迷った時に役に立つ。
私は、一日に20回くらい手帳を開くので、
単なる手帳というよりも、いろいろな役割を果たしているとも言える。
「僕の手帳は、記録、記憶、あんちょこの3つの機能があります」と、
手帳の魅力を伝えていた。拍手喝采の表現であった。



2014年09月25日(木)
100円玉は、お釣りが戻りません

長電話が予想される人に、外から緊急で電話をかけなければならず、
スマホのバッテリーも僅かだったので、公衆電話を探した。
まず、どこにあるのか、探すのに苦労した。
さらに、小銭がなかったので、傍の自動販売機でジュースを買い、
そのお釣りで電話を掛けたけれど、目に入ったのは
「100円玉は、お釣りが戻りません」
確かに、以前からその機能は気になっていたけれど、
当時は、テレフォンカード全盛時代で、あまり利用しなかった。
しかし、実際に「100円」のお釣りが戻ってこないことを体験したら、
本当に「損したぁ」という気持ちになった。
「この機械はお釣りが出ないのを承知して使ってね」って発想が、
今時の人たちに受け入れられるとは思えない。
たぶん、そういう仕組みだから仕方ないと思うけれど、
「公衆電話」のあり方を、もう一度、考え直す必要がありそうだ。
国際電話も出来るタイプとか、いろいろあったが、
パソコンを公衆電話につなげて利用する機能なんて、もういらない。
全国の郵便局の前に1台、お釣りの出る公衆電話があれば、
場所もわかりやすいし、便利だなぁ、とも思う。
(二千円札は使えなくてもいいけど・・(笑))
1円玉、5円玉、50円玉、500円玉の硬貨を始め、
千円札が使える公衆電話なら、もっといいのになぁ。



2014年09月24日(水)
奴は犬だ。

映画「道(1954)」(フェデリコ・フェリーニ監督)から。
名作と言われながらも、まだ観ていなかった「道」。
多くの映画ファン・関係者が綴る作品解説を読みすぎて、
やや頭でっかちになっていたかもしれないなと感じ、
私なりの感覚でメモを取り、どの台詞に引っ掛かるのか、試したくなった。
綱渡り芸人「イルマット」が、主人公の娘「ジェルソミーナ」に語る
「この世の中にあるものは、何かの役に立つんだ。
例えば、この石だ。こんな石でも何か役に立ってる」のフレーズは、
この作品の根底に流れている考え方かもしれないが、
それ以上に、インパクトがあった台詞は、同じ2人の会話でも、
主人公のひとり「ザンパノ」に対する例えだった。
「奴は犬だ。お前に話しかけたいのに、吠えることしか知らん」
会話をメモしていても、言葉が単語だけであったり、長い台詞はない。
だから、彼女に対してどうしても命令調の口調になってしまっている。
他人とのコミュニケーションが上手に出来ないがために、
彼女への想いもうまく表現出来ない、そんな彼の性格を言い当てていた。
そんな彼の不器用さ、寂しがり屋な面が、浮き彫りにされた気がする。
そして有名なラストシーン、海に佇み、天を仰ぎ、声を上げ号泣する場面、
何を感じ、何に対して嗚咽したのか、その解釈はいろいろでいいと思う。
また数年後、この作品を観た時、違った感想を持つんだろうな、きっと。

P.S.
妻は「小学生の頃、映画鑑賞会の授業で観たよ」と言ったが、
こんな悲しい話、何を学んで欲しかったのかなぁ。



2014年09月23日(火)
1時間くらい待ちますが、よろしいですか?

今回の気になる一言、どこで耳にしたフレーズかわかるだろうか?
なんと、地元にある「献血センター(献血ルーム)」のカウンター。
私は「年4回ある『議会』が終わったら献血する」って決めている。
(実は、9月議会最終日は明後日だけど・・(汗))
いくら祝日とはいえ、10時スタートだからすぐ出来るだろうと思い、
9時50分に現地へ到着したら、施設内は、もう人がいっぱい。
そして、並んだカウンターでこう言われた。
「最初の9人が今からですから、
1時間くらい待ちますが、よろしいですか?」と。
もちろん、その後の予定は「午後1時からの講演会」だから、
「えぇ、いいですよ。雑誌でも読んでますから」と答えた。
私の後ろに並んだ人も、そのまた後ろの人も、同じ質問に
なぜか笑顔で「はい」とか「待ちます」と答えている。
「献血センター(献血ルーム)・満員御礼」の光景も驚きだが、
こんな長い「待ち時間」なのに、誰も文句を言わず、
老若男女が、ゆっくり順番を待っている光景も驚きであった。
この施設を訪れる人たちは「健康だから出来るボランティア」を
自分のライフスタイルにしているに違いない。
久しぶりに「心がホッとする光景」を目にして、私も嬉しくなった。



2014年09月22日(月)
重さを、体重計の数字ではなく、お米で実感する。

最近、会う人、会う人に「どうした? 病気?」と声を掛けられる。(汗)
それも以前のポッチャリしていた頃の私を知っている人がほとんど。
実は少しずつだけど、一番重たかった頃から比べて、
なんと8キロくらい体重が減った、いや、体が軽くなった。
昨年の6月「大人のスポーツテスト」で挑戦した「懸垂1回」が悔しくて、
そのあと児童公園で何回も練習したが、回数は増えず、
原因を真剣に考えたら「体重オーバー」に辿り着いた。(笑)
若かった頃に比べて20キロ、20年前に比べて10キロは増えているが、
どうも実感がなく、そのままズルズルと増えていった気がする。
衝撃的だったのは、妻と買い物に出かけ、お米5キロを持ったとき、
「えっ、10キロって、これ2つ分?」と、勿論、その場でメモをした。
この重さを常に身につけて、生活しているなんて・・と愕然とした。
しかし、急激なダイエットは体を壊すことも知っていたから、
時間をかけて、体を軽くすることだけを考えた。
ちょっと太ったな、と思ったら、お米屋さんで買う振りをして、
数キロの袋を持って、あの時のカルチャーショックを思い出すだけ。
重さを、体重計の数字ではなく、お米で実感する。
更に、家族の協力を得た「野菜中心の食事療法」が効いたのか、
長年の懸案だった「高血圧」も改善しつつある。
自分が太っていることを実感するには「お米○キロ」がいいかもなぁ。
たぶん、脳で考えている以上に、重たいはずだから。



2014年09月21日(日)
メーターは親友なんだろ?、どうして変われって言ったんだい?

映画「カーズ2」(ジョン・ラセター監督)から。
数年前、夏休みの子どもたちを対象にした映画上映会で鑑賞したが、
作品はスピード感溢れ、大騒ぎしている子どもたちとともに
画面に釘付けとなってしまった。(汗)
ただ、その分だけ大切な「台詞」が聴きずらかったのは事実。
DVDで観直すことも考えたが、暗闇で残したメモを頼りに
場面を思い出しながら、レビューを書こうとしたら、
意外と、大人を意識した作品であることがわかった。
「擬人化」と言うより「擬車化」した天才レーシングカーの
マックィーンと、おんぼろレッカー車メーターの珍コンビを通して
「友情」の大切さを語っているようにも見える。
メーターのドジな行為に振り回されて、疲れ果てたマックィーンが、
今のままではダメだ、これから世界のレースに参戦するためにも
ちゃんと礼儀正しくできるよう変われ、と罵倒する。
しかし、それでも変わらないメーターに呆れて、遂に離れ離れに。
そんな時、ある仲間(車)が、天才レーシングカーに語りかける。
「メーターは親友なんだろ?、どうして変われって言ったんだい?」
親友なら、親友の全てを受け入れてあげればいいじゃないか、
そんなアドバイスをするシーンが、心に残った。
(早く仲直りしなさい)「友情より大切な喧嘩なんてないから」と。
アニメとはいえ、胸が熱くなるシーンであった。
そんな天才の悩みも知らず、親友のメーターは天才が大好き。
マックイーンがぶつかって出来た凹みだらけの車体を修理もせず、
「この凹みは宝だもの」と誰にでも言い切れる車同士の友情関係。
これはやっぱり、大人に向けた作品だな。



2014年09月20日(土)
彼女の「書」が「絵画」に見えた。

ほぼ毎日「金澤翔子」さんの書に触れた時間が、今日で終わった。
彼女が書いた、この「書」と毎日毎日向き合うことで、
なにか私の心の中で変化が起きるのか、楽しみに通い続けた13日間。
最初の4日間、実は何もわからなかった。
どうしてこの「字」が評価されるのか、素直に受け入れられなかった。
会場で観ている人たちは「凄いねぇ」と口にして帰っていくが、
私には、その凄さが何なのか、見えてこなかった。(汗)
次の4日間、どうして毎日眺めても飽きないのか、不思議だったが、
やはり、その「魂」が伝わってこなかった。(すみません・・(汗))
そして、最後の4日間。「書」なのに、近づいたり離れたり、
鑑賞の仕方が、美術館で絵画を観る動きと同じことに気がついた。
私のくだらない先入観から「字」としてその意味を考えてしまい、
彼女はこの「字」(単語・熟語)の意味が、本当にわかるだろうか、
そんな感覚で観ていたから、なにも伝わってこなかったんだ、と
気付いたとき、彼女の「書」が「絵画」に見えた。
まさしく「あっ、わかった!」という瞬間を味わうことが出来た。
白い半紙というキャンパスに、黒の墨で描かれた絵画、
いや、黒いはずなのに、かすれた部分に色を感じたのは、
私の錯覚ではない気がする。(墨絵とはちょっと違う感覚だけど・・)
「空」という字は、死んだお父さんの笑った顔、という解説をみつけ、
今回展示された迫力のある作品の中では、目立たない小さな「空」が、
私を惹き付けて離さなかった理由がわかった。
私にとっては、とても素敵な「金澤翔子絵画展」だった。

P.S.
京都・建仁寺に、彼女の描いた「風神・雷神」がある、と知った。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」と並んで・・。
また、京都に行きたくなってしまった、この「絵」を観るために。



2014年09月19日(金)
古き良き時代の象徴よ、GPSがつく前のね

映画「ネットストーカー」(カーティス・クロフォード監督)から。
冒頭「アメリカでのストーカー被害は、年間で340万件。
そのうち、4件に1件が暴力事件に発展している。
これは事実に基づいた物語である」で始まるが、
鑑賞後も、本当にこんなにすごい世界なのか、と感じ、
まだ半分は、信じられない私がいる。
ストーカーに襲われ、父母を殺され、人間不信の主人公。
ストーカー被害に遭ったことを隠し、生活をしている。
その徹底ぶりは、なるほど・・とメモをした。
「すごい、ダイヤル式だ。まだ使える?」「アナログが好きなの」
彼女の部屋にあった電話をみて驚いたセリフ。
デジタルは、居場所が探知される危険性を含んでいるから。
その主人公が、力強く答える。
「孤独と怠惰は、テクノロジーのせいよ。
ネットで繋がるくらいなら、一人がいい」と。
さらに「携帯電話」を見つけて珍しがっている友に、
「古き良き時代の象徴よ、GPSがつく前のね」と嘲笑う。
GPS機能付きの携帯・スマホでは、いつでも居場所が特定される。
その怖さを彼女は知っているからこそ、の発言だろう。
実は、私も「アナログが好き」。ストーカー被害者ではないけど。
でも・・やっぱり「スマホ」は便利だよなぁ。(汗)



2014年09月18日(木)
ピザは、このように2ツ折りにして持ちましょう

行政間の「姉妹町」関係は、解消されたけれど、
北海道・清水町の職員とは、いまだ「清水町」をキーワードに
繋がっているのが、私はとても嬉しい。
そのうちの一人が先日、facebookで、北海道・南富良野町幾寅の
(ミシュランにも紹介されている)「グリル青山(セイザン)農場」
薪釜で焼く「ビザ」を写真で紹介していた。
石窯から出されたばかりのピザに反応したかと言えば、
私はなぜか、最後におまけのように付いていたメニューに、
なるほどなぁ・・とメモしてしまった。(すみません
それが、簡単なイラストで描かれていた「ピザの食べ方」。
「ピザは、このように2ツ折りにして持ちましょう」
親指と中指で持ち、真ん中の人指し指で押さえる。(らしい)
私なんか、今まで「親指と人差し指」でビザをつまみ、
そのままの形で、大きな口を放り込む。(笑)
もちろん、尖った方からだけど・・。
もしかしたら、常識なのかもしれないが、私としては
「へぇ〜」というトリビアに近かった。
次からは、知ったかぶりで「知らなかったの?」と言い、
北海道直伝のビザの食べ方として、自慢しちゃおうっと。



2014年09月17日(水)
なんと無茶な「56歳」(笑)

議会もほぼ終わり、9月末までの取得が原則の厚生休暇を、
わが課のスタッフに留守を頼んで、無理やり休んでいる。(汗)
せっかくの連休、何かに挑戦したい、と考えていたが、
映画三昧、読書三昧は、やる気になればいつでも出来るので、
最近、ちょっとハマっている「ジョギング」をすることにした。
(ウォーキングでもなく、ランニングでもない程度の速さのつもり)
どうせなら、後戻りできない環境を作って・・というのが、
いつもの私の挑戦パターンだから、5時30分起床、
小銭しか持たず、三島広小路駅6時12分の伊豆箱根鉄道に乗り込み、
7時に修善寺駅をスタート、狩野川河口(沼津市我入道)を目指した。
今まで、3キロほどしか続かない「ジョギング歴」を忘れ、
今回はなんと27.8キロ。伊豆の景色を眺め、走ったり歩いたり、
写真を撮りながら、約4時間半で完走。(ほぼ完歩に近いけれど)
無謀とも言える、今回の企画で私が欲しかったものは、
56歳、まだまだ頑張れるという「体力」に対する自信と、
途中で投げ出さない「精神力」の強化、そしてもちろん
結果に満足して味わう、体に染み込む美味しい「ビール」。
考えてみれば、準備運動もせず、チョロチョロ走り出したし、
沼津(我入道)ゴール後、クールダウンもせず、帰宅の途についた。
なんと無茶な「56歳」(笑)
以前、自分で自分を誉めてあげたい、という台詞が流行したけど、
私は、自分で自分を呆れさせたいんだな、きっと。

P.S.
帰宅後、シャワーを浴びて、ビールを飲んで、あとは爆睡。
「疲れは出さないと抜けない」からね。



2014年09月16日(火)
疲労は出さないと抜けない。

知人の女性ブログ内容が、なぜか私のアンテナに引っ掛かった。
「週末のノドの痛みは、昨夜の発熱で治まったようです。
リフレクソロジーが効いたのか。疲労は出さないと抜けない。
出てきた疲労を油断せずにきっちり整えたいと思います。」
とてもストレートな表現だけど、シンプルで判りやすかった。
スポーツの世界では、この「疲労の抜き方」が上手な選手こそ、
超一流に一番近い、という話を耳にしたことがある。
スポーツに限らず、私たちも、仕事・生活の中で溜まった疲労を、
排便、入浴、睡眠、マッサージなどといった形で、
意識的に「疲れを外へ出す努力」をすべきであろう。
「発汗」「発熱」「下痢」といった「非常事態」もあるだろうが、
一日の溜まった疲労は、その日のうちに抜く習慣こそ、
心身ともにリセットされて、一日のスタートラインに
気持ちよく、つくことが出来る最善の方法だと思う。
私の場合、疲れたな、と思ったら「寝る」に限る。
「健康」なら、知らぬ間に眠たくなり、寝ることで疲れをとるはず。
眠たくないから・・、寝られないから・・を理由に
テレビを観ながら横になったら、眼が疲れる、(はず)
音楽を聴きながら横になったら、脳が疲れる。(はず)
「ストレス発散」にはなるかもしれないが、疲労は抜けない。
だからこそ「疲労は出さないと抜けない」を胆に銘じたい。
この「出す」という行為、これからも意識したいな。
人間のエネルギー、入るところは「口」のみだけど、
出すところは「いっぱい」あるのだから。



2014年09月15日(月)
僕は寿命がきたら死にたいね

映画「ハムナプトラ3・呪われた皇帝の秘宝」
(ロブ・コーエン監督)から。
最近観た映画に共通しているものがある。
権力者が求めるもの、それが「不老不死の薬」だということ。
そんなものかなぁ、という視点でメモしていたからだろうか、
主人公が、ボソッと呟いた台詞に反応してしまった。
たぶん、誰も気がつかない台詞かもしれない。(笑)
歳を重ねず、死ぬこともない。
本当に、それで人生が面白いだろうか?と疑問をもった。
いつ死ぬかわからないから、今を大切に生きようとするし、
いろいろな苦労も我慢をし、苦難にも挑戦できる。
死ぬことがない、とわかっていたら、私はどう行動するだろうか。
はっきり言って、充実感をもって生きる自信がない。
だからこそ「僕は寿命がきたら死にたいね」という言葉に
新鮮な響きを感じ、メモをした。

P.S.
敬老の日、全国で100歳以上が何人・・というニュースを
テレビや新聞で目にするたびに、思うことがあったので・・。
長寿を否定しているわけではありません、あしからず。(汗)



2014年09月14日(日)
「これ、味噌?」「いえ、ピーナッツバターです」

先日、海外のスーパーマーケット事情特集をテレビで観ていたら、
何年も前に出かけた、カナダ・スコーミッシュ市のスーパーを
一人でぶらぶらしていた時の様子が、フラッシュバックした。
思い出したのは、大きな「味噌樽」のような器を見つけたシーン。
中には、味噌のようなものがいっぱい詰まっていた。
日本食がブームだからといっても、
スーパーに、お味噌まで置いてあるのか、と驚いていたら、
店員が「May I help you?」と近づいてきたので
「just looking.」と教科書どおり答えたが、
また何か話しかけてきた。(正直、早口でわからなかった)
せっかくだから勇気を出して「Is this “miso”?」と訊ねてみたら、
「No,this is peanut butter.」(たぶん・・)と答えてくれた。
ちょっと舐めてみる?と言ったのだろうか、
蓋を開けて、手にとってくれたので、舐めてみたら
確かに、ピーナッツバターである。
2人で、大笑いして(たぶん)その場を離れたけれど、
緊張しながらも、その体験が嬉しくて、覚えていたのだと思う。
コンビニのレジで「Have a nice day.」と言われたら、
「Thank you.」ではなく「You too.」だったよなぁ、なんて
恥をかいて覚えたことは、忘れないものだな。(汗)



2014年09月13日(土)
沼津のイベントはお洒落だね

今年も、足を運んだ「沼津自慢フェスタ2014」(最終日)。
娘がキャンセル待ちで手に入れてくれた「センターテーブル」(2席)を
今夜は、申し訳ないが「夫婦」で楽しませていただいた。
帰り際、中央公園からの「あゆみ橋」を渡り、狩野川の風に吹かれて、
ほろ酔い気分で眺めた「御成橋」の青いネオンは、
静かな川面に映り、どこか都会の雰囲気を醸し出していた。
イベント会場の喧噪から、少しずつ離れることにより、
暗闇に浮かぶ景色が大人のムードを漂わせている。
久しぶりに狩野川の土手を並んで歩いた妻が、ボソッと呟いた台詞、
「沼津のイベントはお洒落だね」を今年は残そうと思う。
昨年も帰り道で誰かが口にした「沼津、復活の予感がするね」を
気になる一言として残した。
あれから1年、少しずつであるが、復活してきている感じがする。
その根底にあるのは、近隣市町の賑わいとは違う「お洒落感」だろう。
「都会の大人のイベント」と言ったら言い過ぎかもしれないが(笑)、
BAR文化を大切にして、秋の夜長に、ジャズでも聴きながら、
好きなアルコールを飲む。それも美味しい肴をつまみながら・・。
ステージの音楽プログラムも、決して飲む人たちの会話を邪魔せず、
BGM程度の心地良さである。
昨年も感じたけれど、この大人のイベント、1年に1回はもったい。
春夏秋冬の「沼津」を、料理とアルコールと景色で味わいたいな。



2014年09月12日(金)
ちょっとありますけど、結果オーライということで

映画「ちづる」(赤雲杵卒篤帖砲ら。
兄である監督が、重い知的障がいと自閉症を抱えた
赤崎の妹・千鶴と母親を1年にわたり撮影し続けた
ドキュメンタリー映画で、監督の言葉を借りれば
「妹が僕に映画をつくらせた」となる。
本ではわからない、現場の声がとても新鮮だった。
特に、お母さんならではのコメントが、印象的である。
千鶴さんは好きな俳優さんから年賀状が届いたと大喜び。
「やったぁ、ははは」その、はしゃぎ方は天真爛漫。
しかし、母がカメラの前で真実を明かす。
「私が書いてあけたものです」
カメラマンの監督が訊ねる。「良心の呵責はありませんか?」
それに対して、体は華奢だけれど、太っ腹で答える。
「ちょっとありますけど、結果オーライということで」
こんな家族の愛に包まれて、彼女はスクスクと育っていく。
細かいことを気にしていては、障害児を持つ親は務まらない。
そんな気概を感じたシーンである。
「結果オーライ」って、とてもいい加減な気がするけれど、
そうじゃないんだ、と気付かせてくれたシーンでもあった。
現場は現場なりの、工夫があるんだよなぁ。



2014年09月11日(木)
9.11は「現実」が「映画」を越えた日

9.11、あれから、もう13年が経ったが、
当時の衝撃的な映像が、私の脳裏に焼き付いている。
映画「タワーリング・イン・フェルノ」など、
高層ビルが崩壊するシーンは、映画で何度も目にしているが、
それが特撮ではなく、現実(リアル)として起きたということ。
あの事件以来、どんなパニック映画を観ても、
以前ほど驚かなくなった自分がいるのも事実である。
世界規模で忘れてはならない「9.11」。
たぶん、多くの人がいろいろな視点であの日を語るだろうから、
私も、私なりのフレーズを残しておこうと思う。
もう何度も使われ、手垢のついたフレーズなのかもしれないが、
やはり「9.11は「現実」が「映画」を越えた日」としたい。
轟音と共に砂煙をあげ、高層ビルが崩壊していくシーン、
スローモーションを見ているかのような映像は、
リアル感のある映画を観ている錯覚に陥ったことを思い出した。
あの日、生まれた子が13歳か・・時がたつのは早いなぁ。

P.S.
全国紙はわからないけれど、私の読んでる地元紙には、
「9.11」の記事はおろか、単語すら見つけることが出来なかった。
「3.11」から「3年半」ではなく「9.11」から「13年」。
風化されるって、こういうことなのかな・・(涙)



2014年09月10日(水)
決算は、住民の生活にどう(プラスの)影響を与えたかのチェック

毎年、9月の議会は「決算議会」と呼ばれ、
前年度の歳入歳出が、どう執行されたか、を厳しくチェックされる。
前年度当初に計画された事業・予算の執行状況が対象となるのだが、
ある議員が口にした「決算とは」の定義は、私のメモの対象となった。
「執行状況のチェックだけでなく、
住民の生活にどう(プラスの)影響を与えたかのチェック」。
計画どおりに事業をこなし、予算を執行しただけでは、不十分で、
本当の成果は、どんなプラスの影響を与えたかである、と。
住民に好評だったので今年も例年どおりに実行した、というだけでは、
本当の意味で、成果が上がったとは言えない、ということ。
実施回数ではなく、住民の満足度が、成果指標となるべきだ、
そんな意味にも理解できる。
厳しい指摘だったけれど、ここは襟を正して再検証してみたい。
この「満足度」は、客観的な数字ではなく、
答える人たちの主観的な意味合いが強いから、実は難しいけれど、
その為には、多くの方と会い、丁寧に話を聞くしか方法がない。
それも、世代・性別などを超えた人たちから・・。
でも、この地道な「聞き取りアンケート」こそ、
まちづくりにとって、一番大切なことなんだよなぁ、きっと。



2014年09月09日(火)
アナのためなら、溶けてもいいよ

映画「アナと雪の女王」
(クリス・バック/ジェニファー・リー監督)から。
アニメのミュージカルって、こんな感じなのか、と、
初めての体験に、ちょっと違和感を覚えて観終った。
また「日本語吹替え版」で「字幕」を表示したからか、
違った視点ではあるが、目と耳が混乱し、脳が迷った。(汗)
例えば、姉エルサが妹アナを、氷の魔法で傷つけたシーン、
(吹替え)では「当たったのが頭でよかった」と話し、
(字幕)では「心臓でなくてよかった」と表示された。
「『心』は、なかなか変えられない。だが頭はなんとかなる」
そう続いた字幕を目にして、なるほどなぁ、と苦笑い。
たぶん、この作品を通じて伝えたかったことは、
「夏にあこがれる雪だるまのオラフ」が呟いた台詞。
「愛っていうのは、自分より他人のことを大切に思うことだよ」。
だから、暖炉の前で「オラフ、溶け始めてる・・」と伝えても、
「アナのためなら、溶けてもいいよ」と言い返すシーン、
これだな、私のポイントは・・とメモをした。
さらに、ラストシーン、この「雪だるま・オラフ」のために、
姉エルサが、夏でも使える「雪が降る雲」をプレゼント。
これが、ディズニー作品だなぁ、グッときた。



2014年09月08日(月)
「書」と向き合う時間

昨日の7日から、わが町の地域交流センターで「書展」が始まった。
驚くなかれ、NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書いた、
金澤翔子さんの作品展。
「オープニングセレモニー」や「席上揮毫(きごう)」は、
ボランティアを申し出て、雨中、駐車場係をしていたので、
ゆっくり拝見することは出来なかったが、
月曜日の今日、仕事の帰りに展示会場に立ち寄った。
そのお陰か、彼女が書いた一字一字を、本当に贅沢な時間をかけて
何分も作品から動かず、じっくりと眺めることが出来た。
もしかしたら、こんな時間の使い方は初めてかもしれない。
大きな文字には、スケールの大きさと勢いを、
そして小さな文字には、彼女ならではの個性を感じた。
しかしながら、まだ私には「彼女の魂」が伝わってこない。
そんな簡単に伝わってくるものではないと判っているから、
これから展示期間中、毎日足を運んで、眺めて帰りたい。
最終日の20日までに、彼女の生の作品に触れ、何かを感じ、
私の人生のヒントが掴めたら、こんなに嬉しいことはない。
だからこそ「『書』と向き合う時間」を一言に残そうと思う。
彼女は「ダウン症の天才書家」と言われるが、そんな雑念は捨てて、
(もちろん「女性・29栽」という前提知識も考えず)
書家・金澤翔子さんの作品として、約2週間、眺め続けてみたい。

P.S.
大河ドラマで毎週のように目にした「平清盛」の文字、
本物を見て、ちょっと感激した・・ミーハーだけど。(汗)



2014年09月07日(日)
私と浩介の中だよ

映画「陽だまりの彼女」(三木孝浩監督)から。
「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1」らしい。
本屋で見つけた書籍の映画化とあって、興味津々で観た。
なるほど、女子が好きそうな展開だ、とメモしながら、
「女性」ではなく「女子」という視点が可笑しかった。
大人になった主人公ふたりが、仕事を通じて出会う。
意識しながらも、お互いビジネス用語を駆使して、
その場を凌ぐが、他に誰もいなくなった途端、
昔の関係に戻るところが「恋愛作品」のいいところ。(笑)
「さすがに、クライアントには言えないですよ」と彼、
「私と浩介の中だよ」と彼女。
私の心のアンテナに引っかかった、多くのメモから、
この作品を思い出すため「私と浩介の中だよ」を選んだ。
女性にとっては、何気ない短いフレーズかもしれないが、
男性にとっては、グッときてしまう台詞に違いない。
「何言ってるのよ、他の人ならまだしも・・」という意味が、
隠されていると感じるからだ。
正直、NHK大河ドラマ「江」の上野樹里さんには、
あまり魅力を感じなかったが、今回の真緒役はピッタリ。
こんな笑顔の素敵な女優なんだ、とファンになってしまった。
さっそく原作の書籍も読んでみようっと。



2014年09月06日(土)
本当の「お通夜」って、自宅がいいんだろうなぁ

知り合いの住職が「今日は、自宅でお通夜なんです」と教えてくれた。
「へぇ、珍しいなぁ、よほど大きな家なんでしょうね」と訊ねたら、
「いえいえ、それが普通の家ですよ」とあっさり否定された。
40年近く前になる、私の父親の通夜、告別式を思い浮べながら、
「えっ?、だって、自宅でお通夜をするってことは、葬祭会館と違って、
準備することがいっぱいあるから大変でしょう」と私。
ところが事情を聞けば、本当に身内だけで自宅でお通夜をし、
翌日、菩提寺で本葬(告別式)、火葬、戻ってきて納骨・・と続くらしい。
葬祭会館での「家族葬」は、本当の意味の「身内だけ」ではなく、
知ってしまったからには、参列しなくては・・という人が残るし、
誰にも知られず(葬祭会館で)「家族葬」は、ちょっと無理かもしれない。
自分が住んだ自宅で、本当に親しい人たちだけに声を掛けて、お通夜。
映画「寝ずの番」、そのものが理想なのかもしれない。
狭いながらも、亡くなった人の柩を家族、親友たちが囲み、
朝まで飲みながら、故人の思い出話を延々と語るストーリーは、
大笑いしながらも、心が温まる映画して、私の選ぶ映画「ベスト5」入り。
だから、久しぶりに呟いてみた。
「本当の『お通夜』って、自宅がいいんだろうなぁ」



2014年09月05日(金)
お前、骨を観るために、鯖を食っているのか

映画「風立ちぬ」(宮崎駿監督)から。
「僕は、美しい飛行機を作りたいと思っています」と言い、
ただ頑丈なだけの飛行機ではなく、風をうまく捉えて飛ぶ、
紙飛行機のような「飛び方が美しい」ものを求めていた。
その根底にあるのは、たぶん「曲線」。
それは、主人公・堀越二郎が、同期の本庄と食事をする場面、
突然、鯖の骨を嬉しそうに眺め、箸でつまみながら、
「美しいだろ、素晴らしい曲線だと思わないか」と話す。
そんな彼を見て、呆れながら友が呟く台詞。
「お前、骨を観るために、鯖を食っているのか」
思わず、なるほど・・とメモをした。
「設計で大切なのは、センスだ。
センスは時代を先駆ける、技術はその後についてくるんだ」
という夢の中のカプローン伯爵のフレーズが蘇ってきた。
書籍・映画「永遠のゼロ」でメモして気になっていた、
この飛行機に長時間搭乗するパイロットのことなどは、
考えていないことがわかった。
ただただ、美しい飛行機を作りたかったんだ、と。
「設計家は、夢に形を与えるのだ」という発想には、
何に利用される、という視点がないことも・・。
「鯖の骨の曲線」と「ゼロ戦の曲線」、
私の中で、なんとなく繋がったから不思議な感覚が残った。

P.S.
アニメだけど、気になった掛け軸「天上大風」を発見。
江戸時代の禅僧良寛さんの言葉とされている。
「大きな風に乗って空に舞い上がれ」という意味だろうか。



2014年09月04日(木)
「修理中、使用しません」「修理中、使用しない」

中華料理店の男子トイレで見つけた貼紙。
最近、街でみかけるチェーン店のお店で、
従業員も中国人なのか、接待の言葉もたどたどしいが、
彼女らの一所懸命さだけは伝わってくるので、微笑ましい。
さて、私が気になったのは、この表現。
小便器に何かが詰まったのか、2つある内の1つに、貼紙が2枚。
「修理中、使用しません」「修理中、使用しない」
日本人の私たちでは「修理中のため、使用できません」とか
「修理中につき、使用しないでください」かな、と思いながら、
トイレの中で、メモをした。(汗)
何気ないフレーズなのだが、その感覚のズレが面白い。
単なる書き間違いなのか、その真意はわからないけれど、
判断基準が、物理的に「出来るか出来ないか」ではなく、
人間として「使用するかしないか」を求められてるとしたら、
この貼紙の言葉の方が、インパクトがある。
トイレに貼られている貼紙って、私の興味対象。
なかなか席に戻らなかったら、本当にお腹が痛いか、
トイレの貼紙をメモしていると、考えて欲しい。(笑)



2014年09月03日(水)
メディアの声は、たんなる「大きな声」

書籍「ゼロ戦と日本人」美しさに潜む「失敗の本質」
(百田尚樹・渡部昇一共著・PHP研究所刊・225頁)から。
2人の対談と交互に書き進む主張に、思わず引き込まれ、
一気に読み終えた書籍は、久しぶりである。
本の厚さにしては、メモの量が多かった気がする。
その中で私が選んだのは、
「メディアの声は、たんなる『大きな声』に過ぎなかったのです。
メディアが大多数の声を代表しているとは限らないということです」
という視点は、意外と私たちの盲点かもしれない。
ついつい、事件・事故が起きると、街角インタビューが放映され、
いかにも「大多数の声」のように語られるが、
そのメディアの主張に合った「街の人の声」ということを意識したい。
たぶん戦争の時も、大多数の声は無視され、軍隊の意見に合った
報道がされ、国民を洗脳していったのではないだろうか。
だから、この「メディアの声は、たんなる『大きな声』」は、
戦争当時だけでなく、今でも意識しておきたい視点であろう。
「私には、国民の声なき声が聞こえる」と語った「岸信介首相」、
「メディアが大多数の声を代表しているとは限らない」を、
言い換えたフレーズだった、と解釈したい。



2014年09月02日(火)
だからこそ・・

先月、業務終了後に開催した、職員全体研修会。
講師「臼井博文」氏 (鷏サンリ 能力開発研究室室長)
演題「最強プラス思考」の作り方
(〜金メダルから学ぶ 心の壁の破り方〜)から。
何度も講師の話を耳にしているので、自分では
意識せずに「プラス思考」になってきていると思う。
(もちろん、今でも時々、弱音を吐く時もあるが・・(汗))
そこで、今回の私の関心事は、我が課のスタッフに、
講演後、どれくらいまで影響があるか・・だったが、
予想外の場面で、その効果が表れていることを知った。
「無理」「できない」「前例がない」を口にしたら
「だからこそ・・」と考えてみようと教わったが、
ランニング好きの若い人たちが集まる懇親会の席で、
「まったくの素人の私が、この年齢(56歳)で、
半年間でハーフマラソンやフルマラソンなんて無理」と
ビールジョッキ片手にボソッと呟いたら、
数人から一斉に「だからこそ・・」と叱咤激励され、(笑)
すると「そうか・・やってみるか」という気持ちになった。
こんな形でも、彼らの頭の中に「だからこそ・・」という
フレーズが残っていてくれたことに驚いたし、嬉しかった。
我が課の今年の流行語大賞になるくらい、使いまわしたい。
「たがらこそ・・」って、短いフレーズなのに、
言葉に力があるなぁ。
苦しい時の「もうひと踏ん張り」と同じくらいに・・。



2014年09月01日(月)
邪悪なものを倒すものは、邪悪な力ではない。

映画「雪の女王」(ヴラド・バルベ監督外)から。
本国ロシアで興行ランキングベスト10入りした、
アンデルセン原作のファンタジーアニメとは知らず、
久しぶりに、見入ってしまった。(汗)
ストーリーは簡単、雪の女王にさらわれた兄を助けに、
幾多の苦難を乗り越えて、最後には再会できる。
今回の気になる一言は、呪い師(まじないし)のばあさんに、
雪の女王との戦い方(倒し方)を教えてもらう。
「邪悪なものを倒すものは、邪悪な力ではない。
自分は一人じゃないと信じることで、恐れには打ち勝てよう。
そして、もっとも頼れる武器となるのは、許しあう心なのだ。
心は鏡にあるのだ。伝説とは、いつも真実より大きなもの。
邪悪なものでも倒せると伝えられる。
自分のすべきことをせよ。それで望みは叶えられるはずだ」
きっと、監督の伝えたかったことなのではないか、と思う。
どちらか一方通行の「許す心」ではなく
お互いが「許しあう心」って、なんとなく響きがいいな。
この違いって、ちょっとの差のようだけど、
大きな差となっているような気がするな。

P.S.
読者推察のとおり「アナと雪の女王」と間違えて鑑賞。(笑)
なんか変だと思ったんだよなぁ、実は。