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2014年08月31日(日)
豊かな感受性を持って、愛と調和の世界を創る

2ケ月に一度開催される、働く女性の会(A.T.Gネット)8月例会、
講師「山下美佳(みなづきももこ)」氏、
(ももこインターナショナルトレーディング代表)
演題「自分は何のためにこの世に生まれてきたのか、
人生の役割りを知ろう!」から。
毎日の運勢が気になる「星座」や、相性などが気になる「血液型」とは
ちょっと違う、誰もが生き方に迷った時に考える「生まれてきた意味」。
それが、誕生日(生年月日)に基づいて割り出された「ミッション」、
言い換えれば、この世の空気に触れた時に与えられた「使命」を、
じっくり考えることが出来た2時間であった。
当然だけど、人それぞれにミッションが違うので、
今回の気になる一言は、私のミッションナンバー「6」、
「豊かな感受性を持って愛と調和の世界を創る」。
とてもアバウトな表現のようだが、本人だけは「やっぱりそうか」と感じ、
ストンと腑に落ちたフレーズとなっている。
そして、与えられた役割を「持って生まれた素質」で実現していく。
私の場合「ベクトルE」(555) 。バランス感覚を生かして、周りの人を活用する。
いわゆる「社長タイプ、俺様タイプ」らしい。(笑)
今まで「軍師、ナンバー2、人を支えていくこと」が自分の生き方、と感じ、
56年間、コツコツと生きてきたはずなのに、この「素質」も「なるほど」と
感じてしまう「説得力」があるから不思議だ。
もしかしたら、この講演会が「人生の転機」になる予感さえする。
「私の人生の転機予報」は、生まれてきた意味を知ったことで「曇りのち晴れ」。
これからの毎日、生きていくことが楽しみになってきた。
「持って生まれた素質」を活用し「ミッション」を遂行すればいいのだから。



2014年08月30日(土)
仕掛けた踊りは止められぬ

8月最後の土曜日、曇空の中、妻を誘って
裾野市の「富士山すその阿波おどり大会」に足を運んだ。
もう「31回目」になるというのに、実は初めて目にしたが、
こんなに間近で観てもいいの?と思うくらいの距離で、
息の揃った踊りと迫力ある打楽器を、ビール片手に満喫した。(汗)
もちろん踊りも魅力的だったが、やはり私の関心事は、
踊っている人たちの「掛け声」。
超有名な「踊る阿呆に見る阿呆・・」しか知らなかった私は、
「ア、ヤットサー」がしばらく耳から離れなかったが、
もっともインパクトがあった掛け声は、
「仕掛けた踊りは止められぬ」「やっぱり踊りは止められぬ」。
「踊る阿呆・・」より面白い、とメモをして帰宅。
インターネットで調べたら、数え歌のような掛け声の一部だった。
「ひょうたんばかりが浮き物か。私の心も浮いてきた。
浮いて踊るは阿波おどり。
一かけ二かけ三かけて、四(し)かけた踊りは止められぬ。
五かけ六かけ七かけて、八(や)っぱり踊りは止められぬ
ア、ヤットサー、ア、ヤットヤット」
私たち夫婦2人、あっという間に「阿波おどり」のファンになった。
来年の「32回」も、絶対に見に行こうっと・・。
そのうち「本場・徳島」に行きたいって言うに決まっているから。



2014年08月29日(金)
皆さんは金を持って風と共に去るんです。

映画「風と共に去りぬ!?」(キム・ジュホキャスト監督)から。
原題「The Grand Heist」が、どうして「風と共に去りぬ!?」なのか、
その意味を知りたくて、鑑賞してしまった。
単純に、いろいろな技術を持ち合わせた人(玄人)が集まり、
氷庫に眠るお宝を奪うというストーリーであるから、
ビビアン・リー主演の「風と共に去りぬ」とは、まったく逆の
コメディタッチで、なかなか理解できなかった。(笑)
そんな気持ちで観ていたら、なぜか突然、
作品中、一カ所だけこれか?と思う台詞があり慌ててメモをした。
たしか、このお宝を奪う作戦の概要を説明したあと、
「皆さんは金を持って風と共に去るんです」というフレーズがある。
えっ、もしかしたら、これがタイトルの由来?と思ったら、
「タイトルに騙された」自分に、笑うしかなかった。
今までも、何度か「邦題」に騙されて、観たことはあったけれど、
少しは、なるほどなぁ、と思うことがある。
今回は、もしこの台詞が理由だとしたら、ちょっと酷い。
だから「!?」って付けたでしょ、と言われそうだけど、
この「!?」の意味さえ、わからない。
これでは「オーケー」(万事順調)とは言えないなぁ。



2014年08月28日(木)
「糞やオシッコ」と思うと汚く感じますが「尿酸」だと思えば

先日「貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」を
気になる一言に選んだら、読者から反響があったので、
勝手に「○○だと思うと・・ですが××だと思えば」シリーズ。
(勝手にシリーズ化にしてますが・・)
柿田川公園を通勤路にしている私にとって、
ほとんど毎日、目にしている「鳥の白い排出物」について、
ある方は「糞ではなくて、オシッコ」と言い、
ある方は「オシッコではなく、糞」というけれど、
それは人間が勝手に判断しているだけで、
本当は、人間が痛風になるので有名な「尿酸」らしい。
人間は、窒素を水で溶かし、尿素という化合物にして、
オシッコとして出すけれど、この方法は大量の水分を必要とする。
常に飛べるようにしておきたい鳥には不向きだから、
尿酸という化合物にして、濃縮して出すようだ。
だから、白いのは「尿酸」、そう覚えておきたい。
もし、不運にも上から落ちてくる「白いもの」に当たったら、
「糞やオシッコ」と思うと汚く感じますが「尿酸」だと思えば・・。
でも・・・やっぱり「汚い」って感じるよね、排出物だから。(汗)

P.S.
私は「尿」って言うくらいだから「オシッコ」だと思う。(笑)



2014年08月27日(水)
動きまで思い出せる故人の葬儀は、もっと辛い

1カ月ほど前、前職場で大変お世話になった本人が亡くなり、
親や配偶者などとは違う、声を掛ける相手のいない、
葬式参列の辛さを、しみじみ体験した。
そしてまた、先日突然飛び込んできた、訃報。
同じ地域の住み、同じ職場で働き、時には一緒に遊び、
御家族とも仲良くさせていただいていた女性が亡くなった。
退職してまだ数年、姿を見かければ、必ず声を掛けてくれた女性は、
先月までは、元気そうだったから、未だ信じ難い。
若い頃から退職まで、長い期間を一緒に働いていたからか、
思い出は多く、プリントされた写真の中で、笑顔を見せている。
今でも「しもちゃん」と呼んでくれそうな遺影が、辛かった。
先月の葬儀で、文中に書き留めたフレーズ
「声が耳に残っている故人の葬儀は、辛すぎる」を思い出した。
明るい人だったから、明るく楽しく送り出してやりたい、
そう思っていても、脳がそう判断していないのか涙が出てしまう。
顔・声だけでなく、動きまで思い出せる故人の葬儀は、もっと辛い。
ボウリングでストライクをとった時のリアクション、
バレーボールでレシーブをしている時の動きや声・・
「スポーツ・ウーマン」だったから、動きが鮮明に残っている。
「写真」より「声」、そして「声」より「動き」。
動画は写真より、鮮明にイメージが残る気がする。
なにはともあれ、彼女のご冥福をお祈りします。合掌。



2014年08月26日(火)
「眉毛剃るぞ」眞鍋家の伝統的な仕置きだ。

書籍「村上海賊の娘」(和田竜著・新潮社刊・
(上474頁・下499頁・計973頁)より。
作品全体からは外れるが、主人公のひとり(笑)、
「眞鍋七五三兵衛 」の「眞鍋家の教育方針」。
それが「眉毛剃るぞ」。(それも片方らしい)
作品中に、こんな説明があり、納得してメモをした。
「『眉毛剃るぞ』、眞鍋家の伝統的な仕置きだ。
子を育てるに当たって、決して懲罰を与えず言葉を以て戒め、
六、七歳の小児に対しても、七十歳の人に対するように、
真面目に話して、譴責する。」
譴責(けんせき)とは、過失などを厳しくとがめ責めること。
子どもに対しても、高齢者を敬うように接する。
子どもを子ども扱いしない、という教育方針こそ、
今の私たちが学ばなければいけないことだと思う。
ついつい「子どものくせに」「子どもなんだから」と口にし、
上から目線で叱るけれど、何歳でも1人の人間として接する、
この考え方で子育てをしてきたからこそ、存在感があり、
気は優しくて力持ちの「眞鍋七五三兵衛 」という人間が育った。
そんな気持ちで、この作品を読み終えた。
本当に「眉毛を剃られたら、恥ずかしいものなぁ」(汗)



2014年08月25日(月)
心に化粧するのは、あなた自身。

映画「化粧師 KEWAISHI」(田中光敏監督)から。
本来なら「お化粧って不思議な力があるんですね」を
気になる一言にするのだが、今回は逆の視点でのメモ。
柴咲コウさん演じる、中津小夜さんが、女優として活躍できるよう、
椎名桔平さん演じる主人公・小三馬に、大金を支払い、
なんとか自分に運が向くような化粧を求める。
彼が施した「化粧」は(たぶん)、塗りたくった化粧を、
拭き取り、落としただけ。そして、彼女を諭すように呟く。
「お客さん、化粧は世渡りのためにあるんじゃありません。
世渡り上手は、一時はよくなっても、いずれは、しっぺ返しがきます。
化粧は、所詮、外面を整えるもの。
化粧で繕っても、やがて自分が出ます。
心に化粧するのは、あなた自身」だと。
そして、その言葉を噛みしめるように
「心に化粧するのは、私自身」と言い直す彼女が、
ふっと何かに気付くシーンが、印象に残った。
主人公の男性が「お化粧」という技術を施しながら、
彼女たちの人生を変えていく物語と勘違いしたまま、
この会話をメモしたため、後になってとても輝いてきた。
本当は、お化粧なんて必要ないんだ、という意味を込め、
化粧を落としていく。
それは、化粧をしない男性にも、同じことが言える。
自分の心を磨くこと、何かで自分をよく見せようとしない、
そんなメッセージを作品からいただいた。

P.S.
「化粧」って、本当に「けわい」って読むんだなぁ。



2014年08月24日(日)
みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな

映画「秋日和」(小津安二郎監督)から。
登場人物は、ほとんど同じで台詞の言い回しも同じ。
役柄を意識しないと、作品を間違ってしまいそうなのに、
なんだろう、鑑賞後のスッキリ感が残るのは・・。(笑)
「セクハラ」「パワハラ」に値する台詞や行動が溢れ、
今、こんな作品を作ったら、大変なことになっていたな、と
メモしながらも、よき時代・・で済ませてはいけない、
知恵みたいなものが感じられる作品となっている。
夫は帰宅後、服を所かまわず脱ぎっぱなしにする。
それを、奥さんがハンガーにかけていくシーン。
もちろん、今ではこんな家庭は少ないだろうが、
夫と妻、着替えながら、夫婦でけっこう会話している。
今日は会社で・・とか、向かいの何とかさんが・・
こんな他愛ない会話だけど、よくしゃべっているのだ。
現代の夫婦に足りないのは「会話」だとも言われるが、
これなんかも、ヒントじゃないかな・・とメモをした。
気になる一言は、作品のラストの会話。
「世の中なんて、みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな。
案外、簡単なものなのにさ」
「シンプル・イズ・ベスト」なのに、私たちが複雑にしている。
なるほどなぁ、今でも通じることだなぁ。



2014年08月23日(土)
鳥の目・虫の目・魚の目・宇宙飛行士の目

ある先輩から、人が生きていくうえで大切にしたい
「4つの目」を教えていただいた。(3つまでは知っていたが・・)
それが「鳥の目・虫の目・魚の目・宇宙飛行士の目」。
「鳥の目」は、大所高所から物事を眺める視点であるから、
全体像をイメージすることが、判断の基準となる。
「虫の目」は、地面から眺めた、低い位置からの視点。
それは、忘れがちな住民の目線であったり、弱い立場の人の目線。
「魚の目」は「潮の流れ(全体の流れ)」を意味し、
今、時代は、どの方向へ流れているのか、それを敏感に読み取り、
的確に対応していくことを教えられた。
そして現代は「宇宙飛行士の目線」を意識する必要性を知った。
地球規模、世界を意識したグローバルな視点、だと思っていたら、
そればかりではなく、自分って、こんなちっぽけなんだと感じながらも、
だからこそ「自分の悩みもちっぽけなんだ」と思えるほど、
絶対的な自然や宇宙に癒される視点らしい。
スマホで、アプリを起動すると、宇宙に浮かんでいる「地球」から、
私の自宅まで、一気にズームアップしていく、お馴染みのソフトがあるが、
まさしく、この「宇宙飛行士の目」を体験できる。
自分は「宇宙」に生かされていると感じること、大切ではないだろうか。

P.S.
東京に「地球を見おろす宇宙ミュージアムが完成」の報を耳にした。
地球を見おろす宇宙ミュージアム『TeNQ』7月8日オープン!



2014年08月22日(金)
その色によって、何がよく見えるようになるのか

先日、一度紹介した、講師「色彩計画家・加藤幸枝」氏、
演題「色が変わると景色が変わる」から。
「目立つ・目立たない」「馴染む・引き立つ」の関係性を
「見せたい景色は何ですか?」と私たちに投げかけてくれた。
「その色によって、何がよく見えるようになるのか」という
「色」についての基本中の基本を教えていただいた。
その中で「自然の色が美しく見える理由」と題して
「自然の中の鮮やかな色は、大地(地表)の近くで、小さな面積」で
景色の中に存在し、「落ち葉など自然がもつかたちや色のむら」も、
生きているからこそのバランスが存在しているのだろう。
それを「インター・ロッキングなどで表現しようとしても、
『似て非なるもの』」と言い切った彼女の力強さを感じた。
「日本中から集めた土の色を試験管に入れ、毎日、眺めている」と
嬉しそうに話した姿は、なぜか輝いて見えた。
自然を相手に仕事をする人って、目立たないのに、
なぜか癒される雰囲気を持っている、そんなことを感じた。
「自分の仕事で、何がよく見えるようになるのか」
そんなことを、常に意識しているんだろうなぁ、きっと。
自分の存在が、誰か頑張っている人を輝かすことが出来たら・・
最近、そんなことを思うことがある、ちょっぴり似てるかな。



2014年08月21日(木)
人一人の性根をあまりみくびらぬことじゃ

書籍「村上海賊の娘」(和田竜著・新潮社刊・
(上474頁・下499頁・計973頁)より。
読書後の第一声は「主人公は誰?」。(笑)
タイトルを見れば「村上海賊の娘・景」と思うが、
1,000頁近い物語にしては、出番が少ない気がするし、
「眞鍋七五三兵衛 (しめべえ)」のインパクトが強すぎる。
なぜか、主人公・景の行動には心が動かなかった。
私がこの作品を思い出すフレーズは、
「人一人の性根をあまりみくびらぬことじゃ」。
「性根」とは「根本的な心の持ち方。根性」のこと。
作品に登場する男たち(景だけ女)の戦いざまに感動し、
「火事場の馬鹿力」に近い「根性」と、
軸がぶれない「戦に対する信念」みたいなものを感じた。
戦の指揮を執る大将だけでなく、名前も出てこない兵から、
大阪本願寺を拠点とした、本願寺門徒まで、同じだった。
死ぬことを恐れず、自分の決めた生き方を忠実に守る戦い、
これが、この作品の根底に流れる魅力であろう。

P.S.
2冊を読み終え、読みにくいから外してあった本の帯を
つけ直そうとしたら、下巻裏面で見つけたキャッチコピー、
「人ひとりの性根を見くびるなよ。」・・やっぱりなぁ。



2014年08月20日(水)
両手で渡すと、両手で受け取ってくれる。

職員研修「接遇・クレーム対応」
講師「(株)インソース 石川あさ子氏」から。
何度受講しても、クレーム対応は難しい。(汗)
ケース・バイ・ケースで、これといった対応パターンがなく、
同じような内容のクレームで、同じように対応しても、
納得してくれる人と、余計に怒り出してしまう人もいる。
ただ「接遇」は、今でも知らなかったことがあったり、
何度受けても、違った気付きがある。
「笑顔には人が集まります」という基本的なことも、
言い方を変えるだけで、なるほどなぁ・・と再認識できる。
以前、相手の目を見て話す、と教わった接遇も、
「ずっと見ているのは、不自然です。違和感というか。
目を見ると言うより、顔全体を見る」という説明に納得した。
その中で、今回私が選んだのは「モノの授受(書類等)の仕方」。
「両手で渡すと、両手で受け取ってくれる」という視点、
隣に座った職員と試してみたが、片手で渡されるのと、
両手で渡されるのでは、受けての気持ちが違うことを実感。
それも「直線的に渡すより、ふわっと(曲線で)渡す」。
ほんの些細な気遣いが、どんな気持ちにさせるかを知った。
だからこそ、どうしても片手で渡す場面になっても、
「片手で失礼します」という言葉が自然に出るという。
今までも、何度か失礼をしたような気がする。(汗)
「接遇研修」は、いくつになっても受講したいなぁ。



2014年08月19日(火)
非常識でクレイジーなコメディを作る

映画「ムービー43」(ピーター・ファレリー監督ら)から。
鑑賞後「よくもまぁ・・」と呟いてみたが、
邦画でも「HK変態仮面」や「寝ずの番」など、
下品さでは負けない作品も多く観てきたので、
酷評されるほどのことはないな、というのが感想である。
ただ日本の場合、ひとつの作品としてストーリー性を持ち、
そこに「粋」とか「艶」などが感じられ、
鑑賞に堪えうる仕上がりになっている、そんな違いを感じた。
ただ、日米の監督たちも、同じことを考えるらしく
「寝ずの番」(マキノ雅彦監督)は、
「テレビではマネのできない映画らしい映画を撮る」と言い、
今回は「非常識でクレイジーなコメディを作る」と発案。
それを、キャストとなる大物俳優たちが真面目に演じる、
それだけで、いいんじゃないかな、そんな気もする。
「お下劣でおバカな要素が満載の短編」と予告済だから、
嫌なら観なければいい、と思うだけ。
最近、声を出して笑うなんて、なかったものなぁ。
いいんじゃない、これはこれで・・

P.S.
別に「私のお薦め」というわけではありません。(笑)



2014年08月18日(月)
自然は美しく老いる

講師「色彩計画家・加藤幸枝」氏、
演題「色が変わると景色が変わる」から。
「景色」って、「色」が入っているんですよ、と
嬉しそうに話し始めた「色彩計画家」の彼女の話は、
美術大学を卒業したこともあり、理論と実践が融合していて、
なるほどなぁ・・と思うメモが増え続けた。
「色彩についての基礎知識」は、美術大学の授業と同じく、
「景観」を語るには、知らないでは済まされない知識として、
大変勉強になった。
この知識を前提に「景観」について施策を練ることの大切さを、
わずかな時間に気付かせていただいた。
かつては「地域の土の色がまちなみをつくった」と語り、
その「長くその土地にある、静かな(動かない)自然の色」が
そのまちの歴史や文化を創りあげてきた、という説明は、
私の「景観」に対する感じ方を、確信に変えてくれた。
「ふさわしい色彩」とは「人の活動や季節が映えること」であり、
「動かない色(地)・動く色(図)」を説明してくれたあと、
「地」の部分で個性を出す必要はない、と言い切った。
「まちの賑わいは動くものがつくる」ということであろう。
最後に、まとめてくれたフレーズは特にインパクトがあった。
「自然界では、生命あるものが色を持つ」
「自然は美しく老いる」(葉っぱの写真をバックに)
だから「自然の景色」は美しいんだなぁ、納得。



2014年08月17日(日)
思い通りという道は無い

先月、家族で出かけた京都旅行2日目。
私は、どうしても鞍馬山と貴船神社に行きたくて別行動したけれど、
鴨川に沿って叡山鉄道最寄駅へ向かう途中、
ふっと目に入った、どこかのお寺の掲示板。(寺名はメモ忘れ)
「思い通りという道は無い」
短いフレーズだったが、思わず頷いてメモをした。(笑)
たぶん、思うようにいかない人生について触れた内容であると思うが、
視点を替えたら、妙に可笑しかった。
「○○通り」という名称は、全国どこにもあるけれど、
「思い通り」という名は、あまり耳にしたことがないし、
もし仮にあったとしても、ややこしい案内になること間違いなし。
「あの思い通りを右折して」とか「思い通りに向けてまっすぐ」とか
暑さに耐えながら考えていたら、余計に笑いが込み上げてきた。
「例年通り」「いつも通り」とか、考えたらきりがないけど、
どこかで「通りの愛称募集」があったら「思い通り」で応募したい。
生き方として、なんでも自分の思った通りにはいかない、と考えよう、
それは「マイナス思考」ではなく、それを前提に準備をしながら、
行動は「プラス思考」で前向きに・・という意味に理解すればいい。
まさしく孫子の兵法「悲観的に準備して、楽観的に行動する」だな。
(せっかくのお寺の教訓、茶化してすみませんでした。(汗))



2014年08月16日(土)
う〜ん飲み過ぎた。日記は明日だな。^_^;

久しぶりの私の呟き。
それも記憶にないまま「Twitter」で呟いていた。
昨日、朝起きて本人が一番びっくりしたので、気になる一言。
一昨日は、楽しい仲間との飲み会で、ペースが速かったのか、
疲れが溜まっていたのか、いい気持ちになるのが早かった。
まだ帰るには早い時間なのに、お店を出るころには「千鳥足」状態で、
失礼ながら、そこでリタイヤし、タクシーで帰宅した。
タクシーを降りたところまではなんとなく憶えているが、
それ以後の行動はほとんど記憶がない。(汗)
翌朝、起きたら妻から「昨日は凄かったよ、大丈夫?」と言われ、
帰宅後、風呂にも入らず、バタンキューで寝たことがわかった。
しかししかし、なぜか「Twitter」にこう呟いている。
「う〜ん飲み過ぎた。日記は明日だな。^_^;」
スマホからの入力は苦手だから、たぶんPCから?と思ったが、
今回は、なんとスマホから入力していた(らしい)。
ただそれだけのフレーズ、わざわざ「Twitter」で呟くかなぁ。
習慣って素晴らしいけれど、習慣って、時には恐ろしい。
自分の記憶がないのに、何か呟いているのって、怖い気がする。
もしかしたら、惚けても呟くのかなぁ、私の場合。(笑)



2014年08月15日(金)
「降伏しろ」と言わずに、降伏を命じたのです。

(終戦記念日(敗戦)だから、というわけではありませんが(汗))
映画「終戦のエンペラー」(ピーター・ウェーバー監督)から。
天皇が、第二次世界大戦に関わったかどうか、マッカーサーから
その調査を依頼された主人公は、いろいろなことを調べ、
一度、自分なりの結論付けをして報告書を書く。
「国の統治者として戦争責任を回避できない」、
その理由は「無罪にする根拠がみつからない」。
しかし最後には「有罪にする理由がないからです」と変え、
「疑わしきは罰せず」、この方針を貫いた形となった。
面白い視点だな、とメモをしたが、この映画を思い出すには、
ちょっとインパクトが弱い気がした。
そこで選んだのは、冒頭に表現されていた「降伏」について。
天皇が日本国民に向けて発した「耐え難きを耐えよ」は、
「『降伏しろ』と言わずに、降伏を命じたのです」ということ。
へぇ、そういう意味があったのかと感じて、これを機会に、
「玉音放送」で読まれた、昭和天皇による終戦の詔書
(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)を読み直した。
「朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て、
万世の爲に太平を開かむと欲す」の一部である。
以前、ある方の講演で聞いた、安岡正篤先生と
終戦の詔勅のエピソードとはじめて繋がった瞬間である。
終戦のイメージとして、この「玉音放送」を聴く国民の姿が残るが、
この「耐え難きを耐えよ」という部分を「降伏する」と解釈した。
今、戦争の映画が、感動ドラマのようにもてはやされるが、
これを機会に、第二次世界大戦(大東亜戦争)について、
自分たち国の歴史を調べるきっかけになって欲しい。
そしてこの戦争の意義、敗戦(終戦)の意味を、正しく理解したい。



2014年08月14日(木)
事故が人生を変えてくれた

「ドリカムキャンプ2014夏の陣〜出会いのチカラ〜」に参加した。
「ドリカムキャンプ」とは「中学、高校教師の有志を中心に運営している、
日本では例を見ない、中学、高校運動部員、指導者、保護者を対象とした
異種目合同メンタルセミナー」である。
今回はゲスト講師に「京谷和幸氏」(シドニー・アテネ・北京・ロンドンの
パラリンピック車いすバスケットボール日本代表)を招いた。
Jリーガーだった彼が、サッカー選手として再起不能になった事故を経験し、
波瀾万丈の人生を振り返った時「事故が人生を変えてくれた」と語った。
あの事故がなかったら、自分はJリーガーとして天狗になっていただろうし、
妻を始め、周りの人たちの優しさにも気付かなかっただろう、と呟いた。
だからこそ、車椅子の生活になっても「あの事故に感謝」という単語が、
素直に口から出てきたのではないかと思う。
今だから笑って言えるだろうけれど、(おそらく)自己否定と戦い、
私たちにはけっして見せない、血の滲むような努力が感じられた。
それを支えたのが「超」が付くほどの「ブラス思考」だと理解している。
それも「本物のプラス思考」でなくてはいけない。
(「ブラス思考」が大切とわかっていても、行動に移せない人は、
「本物のプラス思考」ではないと私は思っているから)
コーディネーター役の「臼井博文氏」(株式会社サンリ取締役)が、
最後に面白いことを教えてくれた。
「ずっとプラス思考でいると、マイナス思考の人がわかるようになる」
なるほどなぁ・・なんとなく思い当たることがある。(笑)



2014年08月13日(水)
不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない

書籍「本能寺の変 431年目の真実」
(明智憲三郎著・文芸社文庫刊・・345頁)から。
光秀の子孫、明智氏が書いた真実だから、
やや偏った見方かもしれないけれど、実に面白かった。
私たちが教科書、大河ドラマ等で知る「本能寺の変」とは
だいぶ違った角度から考察した内容は、妙に説得力がある。
特に「一族の生存と繁栄に、責任を負った武将・光秀が
信長との不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない」、
また「愛する家族や一族郎党を犠牲にして、自分のロマンに
衝動的に賭けるような行動をとるとは、とても考えられない」
という考え方は、私も以前から感じていたし、
光秀には、天下を取ったら何をしたいという野望も見えない。
家康を討て、と命じられた光秀が、逆に家康と組んで信長を討った。
その謀反を知っていて、秀吉と組んだ光秀の盟友・細川藤孝、
この時代、誰が味方で誰が敵か、まったくわからない。
でも、支配者がいくらでも歴史は塗り替えられる、と知って、
私たちが教わってきた「歴史」の面白さが余計に広がった。

P.S.
本能寺の変によって空白地帯となった旧武田領を巡って、
周辺の大大名である徳川家康・北条氏直・上杉景勝が争った
出来事を「天正壬午の乱」(てんしょうじんご)というらしい。
私は「天声人語」との関係が気になる。(笑) 考えすぎかな。



2014年08月12日(火)
景観は「住んでいる人の快適性」

(最近、気になっている「景観」の話題ですが・・)
講師「静岡産業大学総合研究所客員研究員 中村羊一郎氏」
演題「景観資源とは何か」から。
「景観は過去のものか?」と私たちに投げかけたあと、
「これから形成する景観」は「誰のため、何のための景観か?」と
今一度、考える必要性を提言してくれた。
景観を整備すると、なぜかそれを見たさに、多くの人が訪れ、
「観光、地域おこしのため」という名目が浮き上がってくるが、
それは、長続きしないことを示唆してくれた。
「安全で安心して暮らせる」ことを前提にして、
「そこに住む心地よさ・住みよいまちづくりのため」が基本。
そう教えられたような気がする。
簡単な言葉で表現すると「住んでいる人の快適性」となる。
行政が突っ走って出来上がるものではない「景観」は、
やはり「地域住民の理解と協力」が大前提となる。
だから「住んでる人の快適性のため」、これに尽きる気がする。

P.S.
昔を知る手がかりとなる「古い地名」も、
そのまちにとって「大切な景観」という視点は、勉強になった。



2014年08月11日(月)
貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、黒田家の家風として
「ケチではありません、節約です」という台詞が登場し、
あれ?どこかでメモした台詞と似ている・・と探したら、
やっばり観てました、この映画。
映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)から。
江戸時代の後半、武士の生活は楽とは言えなかった。
下級武士だけでなく、身分が高ければ高いなりに出費がかさみ、
気がつけば、もう立て直しが出来ない状況までになっていた、
そんな話は、今でも共通しているところであるが、
主人公、猪山家の八代目・直之は、お家立て直しのために、
家族全員に「驚くほどの倹約・節約」を命じる。
世間体などを気にする親の抵抗をも説得し、家の中の家財は
ほとんど売り払い、貧しい生活で耐えしのぐごとになる。
そんな苦労をしているはずの妻に、直之がすまなそうに声を掛ける。
たぶん、(楽しいと言ったら嘘になりますが・・)という台詞を
飲み込みながら、妻はしっかり夫を見つめて「でも面白いです。
貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」と言い切る。
そうか、そんな視点こそ大事だな、とメモをした。
今の世の中、社会的には収入的が少ない人たちに限って、
あまり悲壮感が漂ってないのは、こんな考え方をしているのかもなぁ。



2014年08月10日(日)
発声練習は、人間の声のチューニング

(昨日に続いて「都留文科大学合唱団演奏会」ネタですが・・)
昨年度(3月末)まで在席していた「生涯学習課」の時代、
どうしても「合唱でまちづくり」をしたくて思案していたところ、
この合唱団の指導者と運良く出会えて、出演交渉を始めたのが、昨年の秋頃。
その想いだけで何度となくメールをやり取りし、その後、渉外担当の学生や、
当日、企画運営をしてくれた人たちを巻き込んで、ようやく今日の日を迎えた。
しかし言い出しっぺの2人、ひとりは4月に人事異動で別の部署へ、
もうひとりは「世界合唱シンポジウム出席」のため、韓国でこの日を迎えた。(汗)
この日を待ち望んでいた私は、台風にプレッシャーを与え続け、接近させず(笑)
朝のリハーサルから2公演終了まで、彼らの「生声」をずっと耳にしていた。
公演の素晴らしさは、その場にいた人しかわからないから書かない。
だから、リハーサルの時に感じた、私の驚きを紹介したい。
午前9時頃から始めた発声練習、少なくとも30分は続いただろうか、
心と体をほぐしていくことで、人数分のパートの声が整ってきて、
最後には「1人の人の声」のように聴こえたときは、心が震え、
恥ずかしいけれど、胸がいっぱいになって、涙が溢れそうになった。
(これは私の感覚なので、誰もがそうなるとは限りません、あしからず)
楽器で言えば、演奏前の「チューニング(調律)」を、彼らは、一人ひとりが
自分の体調を整えながら、ゆっくりゆっくり「同調」していった気がする。
だから「発声練習は、人間の声のチューニング」を残そうと思う。
観客に感動の涙を誘うような、華やかなステージの裏には、
こういった努力があることを知って、ますます彼らのファンになった。
これからも、陰ながら応援していきたい、とっても素直な大学生たちである。

P.S.
「まぁ素敵」と口にしながら、ブラブラ散歩する練習。(これ企業秘密?)
こうやって、心と体をリラックスさせていくんだなぁ、納得。
私が「まぁ素敵」って歌いながら歩いていたら、捕まるかもなぁ。



2014年08月09日(土)
チビッコでも、指揮者は指揮者

全日本合唱コンクール5年連続金賞に輝く
「都留文科大学合唱団演奏会」が、明日わが町で開かれる。
前日、子供たちのために開かれた「チャレンジキッズ」で
彼らは、屈託のない笑顔で子供たちに接し、
合唱の楽しさを、十二分に伝えてくれた。
しかし「暑いかな?」と訊けば「暑くな〜い」と返され、
子ども相手のイベントは、台本通りにいかないことも体験した。
また「夏休み何してる?」と訊ね「ゲーム・宿題」と
返ってきた答えに「悲しいなぁ〜」と嘆くシーンは笑えた。
そんなコミュニケーションを気にしながらスタートしたが、
さすがに、彼らが歌いだした途端、ざわついたおしゃべりが
ピタッと止み、真剣に聞き入っていた。
こんな低学年の子たちが、最後まで聞いていられるだろうか、と
心配していたが「透き通った人間の声」に興味を持ったようだ。
いつも聞きなれている、私たちのような声ではなく、
鍛えられている人たちから発せられる「声」に驚きを隠さない。
やはり「生の声」を聴かせることの必要性を強く感じた。
発声練習・輪唱体験・指揮者体験・・どれも楽しかったが、
私が驚いてメモしたのは、4人の指揮者体験。
チビッコの指揮に合わせ、彼らが「紅葉」を歌うだけなのだが、
ほんの少しずつ違うテンポに、笑顔で必死に合わせている姿。
私は、そんな細かいことに感激した。
だから「チビッコでも、指揮者は指揮者」を残しておきたい。



2014年08月08日(金)
京で感じたおもてなし

帰宅したら「京都新聞」からの封筒が届いていた。
中身は「投稿文が掲載された当日の新聞と謝礼」。
7月中旬に家族で出かけた「京都・祇園祭の旅」を
自宅に戻ってから、写真やパンフレットを眺めながら、
お礼の意味も込め、旅行先の地元新聞へ投稿した。
この楽しみを覚えたのは、平成22年春、家族で
「信州・松本」に行った頃からで、まだ初心者。(笑)
ただ旅行者の目で感じた、そのまちの「風土」等の良さを
日々の生活風景で、当たり前となっていて気付かない人たちに、
伝えたい、そんな気持ちから始めたような気がする。
「信濃毎日新聞(長野県)」「北海道新聞(北海道)」
そして今回の「京都新聞(京都府)」と少しずつ増えることで、
今度はここへ行って、そのまちの「風土」などを感じたい、
そう思えるようになってきた。
今回の気になる一言は、その掲載された見出しである
「京で感じたおもてなし」を思い出に残そうと思う。
さて、今度はどこに、行こうかな。(汗)

P.S.(おまけのエピソード)
私の職場の人間が、次の週に京都に出かけ、
地元「京都」で私の名前を発見して、驚いたらしい。
そんな偶然って、あるんだなぁ。



2014年08月07日(木)
微分積分の都市計画

定期的に送られてくる専門誌の特集記事
テーマ「観光に地方自治体はどのように向き合うべきか」
執筆「香川大学経済学部教授 大賀睦夫氏」より。
「観光」と「保全」、相反する考え方を、どのように調整して、
まちづくりに活かしていくか、私たち行政に課せられた
大きな課題だと考えていたので、ヒントが欲しくて読み漁った。
「われわれはときどき日常から離れて聖なるものに触れ、
心の深層をケアして、生まれ変わる必要がある」という、
旅に関する定義が、観光客の心理をうまく表現しているな、と
思ってメモをした。
「非日常」の空間を求めて訪れる場所が、
全国のどこでも目にすることが出来る風景だったら、期待を裏切る。
だから、地方に住む私たちは「非日常」を提供するだけ。
やっぱり「保全」を軸にして、それを求めて観光客が訪れる、
そう理解したい。ところで、文末に面白い表現を見つけた。
西村幸夫氏「四則演算の都市計画」という紹介だったと思う。
戦後、我が国の都市計画は足りないものをつぎたしていく
「足し算的都市計画」が進められてきたが、最近の主流は
その結果生じた景観悪化を是正するために、電柱撤去など
「引き算的都市計画」が行われている、との表現。
なるほど・・とメモしたが、最後のまとめで唸ってしまった。
これからの都市計画は「微分積分の都市計画」、
すなわち「全体をイメージしながら個別の建築を行っていくという
息の長い取り組みが求められるであろう」というまとめ方。
数学が大の苦手の私には、この表現が理解できない。
「微分積分」と「都市計画」・・う〜ん、痒くなってきた。(汗)
数学得意の方、理数系の方、簡単に説明して欲しいなぁ。



2014年08月06日(水)
こんなもの無意味よ、ただ前だけをみて進めばいいの

映画「たった一人のあなたのために」
(リチャード・ロンクレイン監督)から。
簡単に説明すれば、ネットの解説どおり
「浮気性の夫に見切りをつけたヒロインが子供を連れて全米各地を巡り、
新たな恋と幸せを求めてさすらう姿を描いた恋愛ドラマ」
とりわけ驚くような場面展開もなく、タイトルの意味さえ曖昧。
メモを整理すると「たった一人のあなたのために」というフレーズは、
作品中に歌われる歌詞に出てくる。
「どれほど数を重ねても、浅はかに心は散っていく。
あなたは傷つき、私は満たされる。目覚めると彼がいる。 
私に笑みがこぼれる。また私のもとに新たな幸せが訪れる。
たった一人のあなたのために」
う〜ん、やっぱり監督の意図がわからない。(汗)
私が選んだ「気になる一言」は、
「こんなもの無意味よ、ただ前だけをみて進めばいいの」
実はこの台詞、繰り返しバックミラーを直すシーンで交わされる。
「ちょっと今何したの?」「ミラーで後方確認を・・」
「絶対にうしろを見ちゃダメ、何も変わらないわ、
こんなもの無意味よ、ただ前だけをみて進めばいいの」と。
ヒロインのポリシーなのだろうけれど、それが巧く伝わらない。
う〜ん、何度か観直さなきゃ、ダメなんだろうなぁ、きっと。



2014年08月05日(火)
景観で成果をあげるためには、調整が極めて大切

講師「NPO法人くらしまち継承機構理事長、伊藤光造氏」
演題「自治体における『景観』への取り組み」
(景観法の位置づけ、運用を中心に)から。
「美しい国づくり政策大綱」(平成15年7月・国土交通省)の前文、
「美しい国づくりに向け、大きく舵を切ることとした」という表現を、
きっちり反省している文面として、講師は評価していた。
確かに、今までの行政には「安全安心」を第一優先し、
「美しく作る」というポイントが少なかったことを認めた内容と言える。
さらに、今後は、維持管理にしても「美しく」を意識することで、
まわりが評価し、その「美しさ」を求めて全国から訪れてくれる。
最近「景観」を意識し「まち」を眺めていたので、参考になった。
特に「景観法」の特徴として説明してくれた
「景観で成果をあげるためには、調整が極めて大切」が心に残った。
法律には、その目的によりいろいろな特徴があるが、
景観法は「理念法・計画法・規制法・事務事業法」の要素もあるが、
「調整法」の性格が強い、という説明に、納得した。
「景観行政は、お金はあまりかからないけれど、手間がかがる。
(事前の調整が必要)」という講師の言葉に、頷くだけだった。
その手間を惜しまず、いろいろな方面の調整をすることが、
「景観行政」で成果をあげることだと、理解したが・・・。
先日紹介した「人間は、毎日見ているものに気持ちが似ていく」に
繋がっていくんだな、と、その結びつきの発見が嬉しくなった。
「協力」をお願いしていくことも、大切な調整だからなぁ。



2014年08月04日(月)
吹奏楽では、パーカッションの動きが気になる。

第55回静岡県吹奏楽コンクール東部地区大会、
(高等学校の部)(沼津文化センター大ホール)から。
もちろん、県・東海・全国へ繋がる大きな大会として、
吹奏楽部の生徒にとっては、高校野球の甲子園と同じ。
どの高校も日頃の練習の成果を十二分に発揮し、
素人の私には、その差はほとんどわからない。(汗)
後ろの方から全体を眺めていると、
「指揮者」「パーカッション」は、その動きが面白い。
特に「パーカッション」を担当する人たちは、
各校とも少ない人数で何役(多数の楽器)をこなし、途中、
誰かがちょっと間違えたり、自分の担当の楽器の前に、
辿りつけなかったら、どうするんだろう、とドキドキ感が溢れた。
結局は、どの学校も移動のトラブルはなく演奏が終わり、
私のドキドキは、いらぬ心配で終わったが、やはり気になる。
「9回ツーアウトから試合を決めるエラー」みたいなことが、
吹奏楽では起こらないのだろうか、う〜ん、やはり心配。
舞台狭しと動く、あの動きも相当練習するんだろうなぁ。
だから「吹奏楽では、パーカッションの動きが気になる」を
残しておきたい。
とにかく、高校吹奏楽部のみなさん、お疲れ様でした。
また真夏の楽しみが増えた、来年も行ってみようっと。



2014年08月03日(日)
映画館は、街に賑わいを創出しうる財産

書籍「映画館の作り方」
(映画芸術編集部編・AC Book刊・318頁)から。
タイトルに惹かれて読み始めたが、読んでいくにしたがって
気持ちが落ち込んできた。
こんなに「ミニシアター・単館系」に代表される、
街なかの小さな映画館が抱えている課題が浮き彫りにされた。
ただ、私が勘違いしていたことを一つ発見。
「その映画がどんなに評価されようと、
きちんと商業的に成立しなければ、次の映画は作られない。
興業によって、その映画が製作費回収の道をたどり、
そして、それが達成されることで、
未だそこにない『次の映画』が生まれ得る。
それを夢見ることが、映画館における『応援』だ」という。
「住民のため」を理由に、「無料」とか「低価格」で
映画好きの人達が集まり、上映会を開催することは、
短期的にみれば、その土地の賑わいを創出することになるが、
長期的には、制作資金回収ができず、次の作品に向けた
可能性を減らすことになるということ。
だから「自主映画」と言えども、来場者から入場料を徴収し、
その財源を次の製作費に使ってもらうくらいの気持ちが欲しい。
「映画人を育てる」って、そういうことなのかもしれないな。
「大切なのは、街に映画館があることではなく、
そこで多くの人に映画を観てもらうことなのだから」という
フレーズが頭から離れない。
「映画館は、街に賑わいを創出しうる財産」に違いない。
全国地方都市の見本になるような「映画館」を作ってみたい、
そんな気持ちで、読み終えた。



2014年08月02日(土)
何を我慢しとるか、はっきりしとったら我慢できる

映画「少年H」(降旗康男監督)から。
主人公の名は「肇」(はじめ)、
だから手編みのセーターには「H」の一文字。
サザエさんの弟、カツオの「K」と同じ感覚だった。(笑)
「たぶん、明日から『H』って呼ばれるわぁ」と
嘆いたシーンが妙に可笑しかった。
「H」を「エッチ」と読むか「エイチ」と読むか、
それは大きな違いのようにも感じたアルファベットである。
さて、気になる一言は、戦時中に父親が息子に語る台詞。
「自分がしっかりしてないと潰されてしまうで。
今、何が起きているのか、自分の目でよう見とくんや。
いろいろ我慢せなことがあるやろうけど、
何を我慢しとるか、はっきりしとったら我慢できる」
「戦争はいつか終わる。
その時に恥ずかしい人間になっとったらあかんよ」
何でもかんでも戦時中だから「我慢しろ」ではなく、
こんな時でも、息子に助言できる父親の静かな強さを見た。
また、戦時中ならではの台詞ではなく、
今の世の中でも立派に通用するアドバイスでもある。
何も説明なしに「我慢しろ」と言われるよりも、
何に対して我慢しているのか、説明することの大切さ、
意外と大事なことなのかもしれないな。



2014年08月01日(金)
人間は、毎日見ているものに気持ちが似ていく。

なんの雑誌だったのかメモをし忘れたが、
なるほどなぁ、と思って残しておいたフレーズで、
「イエローハット創業者 鍵山秀三郎さん」のコメント。
「人間は、毎日みているもの、接しているものに気持ちが似ていく。
美しいものを見ていると、自分の気持ちもそうなりますし、
汚いもの、乱れたもの、雑なものを見ていれば、
必ずそういう風になっていく。
だとしたら、なるべく美しいものに接して、
気持ちもそういうものに似ていってもらいたいと思うのです」
だから、職場、そしてトイレ、車、道路をきれいにすること、
そう考えながら「社風」を作り上げてきたのだと言う。
自分の生活を見直してみよう。
自分が起きてから寝るまでの間に、目に飛び込んでくる風景。
それがきれいであれば、気持ちもきれいになっていく、と理解した。
毎日、柿田川を眺めて通勤している私は、幸せ者だな、きっと。