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しもさんの「気になる一言」
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2014年04月30日(水)
刑は、刑なきに期す、と言う。

「袴田事件」をずっと追いながら、感じていたことを、
書籍「十二国記(丕諸の鳥)」の中の「(落照の嶽)」、
(小野不由美著・新潮文庫刊・358頁)から。
「死刑」という罪を実行するか、しないか、
国にとっては、大きな問題であることは、いつの世でも同じ。
物語の中でも、司法に関する言い争いは絶えない。
「刑は、刑なきに期す、と言う。刑の目的は、
人を罰することになく、刑罰を用いないで済む、ことにある。
また、刑措(けいそ)とも言う。
刑罰を措(お)いて、用いないことだが、
つまりは天下がよく治まって、罪を犯す不心得の罷民が減り、
刑罰を用いる必要がなくなることを言う。
これが、国家の理想であることは、論を俟(ま)たない」。
刑とは、皆で決めたルールを守らない人に対して、
責めるものではなく、警告の役割であってほしいと願う。
特に「死刑」を執行は、被害者の遺族の感情もあり難しいが、
「法には、情の入り込む余地はない。あってはならない」し
「法は情では動かない」ものと考えておきたい。



2014年04月29日(火)
「山は海の恋人」・・話してくれましたね。

今年で、第18回目を迎えた「富士山植樹」のイベント。
世界遺産となった「富士山」へ植樹をすることで、
国の天然記念物「柿田川」の湧水量を守ろうとする活動である。
平成元年から平成18年までは「みどりの日」だった4月29日に、
全国各地で「植樹」等が行なわれているようだ。
平成19年からは「昭和の日」となったが、今なお植樹活動が行なわれ、
国民の自然保護に対する意識の高さがうかがえる動きと評価したい。
さて、今回の気になる一言は「植樹」をキーワードに、
長年書き続けている自分の日記を検索したら、
宮城県気仙沼で開催されている植樹祭を題材に、漁業のために
漁師が山に植樹に出かけるという話を取り上げていたので驚いた。
「平成13年(2001年)06月13日(水)「『森は海の恋人』植樹祭」
そこで先週、事前打合せの時、僭越とは思いながらも、首長に
「挨拶でこんなフレーズはいかがですか?」と伝えたところ、
本日の開会式の挨拶で、口にしてくれた。(笑)
短くて、なおかつ狙いを捉えたインパクトのあるフレーズは、
きっと、参加者の心に残るに違いない、との想いからだ。
「お口の恋人、ロッテ」と同じくらいリズムがあると思うし、
「森(山)は海の恋人」とその両者の関係を伝えたあと、
一歩進んで「富士山は柿田川の恋人」と、密接な関係を伝えていただいた。
柿田川のためにも、富士山への植樹がどれだけ大切かを伝えるには、
親子関係もいいけど、恋人関係の方が、ワクワクするしね。
開会式の後、先日、一緒に説明に入った担当職員が、私の顔を見て、一言。
「『山は海の恋人』・・話してくれましたね」
挨拶コツは、短いけれどインパクトのあるフレーズなんだよ、と
教えることが出来たかなぁ。



2014年04月28日(月)
助言を実行するしないは、聞く人の勝手だ。

書籍「読書について」(小林秀雄著・中央公論新社刊・187頁)から。
作品の中で、彼が「読むことに関する助言」をしているが、
その前に「助言の定義」をしているところが面白かった。
これは「講演会」などで講師が語る「助言」にも通じる気がした。
「どんな助言も、人に強いる権利はない。
助言を実行するしないは、聞く人の勝手だ。
それよりも先ず大事なことは、
助言というものは決して説明ではない、分析ではない、
いつも実行を勧誘しているものだと覚悟して聞くことだ。
心掛け次第で、明日からでも実益がある、
そういう言葉をほんとうの助言というのである。
批評はやさしく、助言はむずかしい所以なのだ。
助言を実行した上でなければ、助言の真価はわからぬ」
ちょっと長いが、参考になるので書き出してみた。
裏を返すと、講演をする人は、自分の考える助言を、
ずくにでも実行に移してもらえるような内容でないと、
聴講者に評価されないということだろう。
時々頼まれる「講演」であるが、この視点を大事にしたい、
そんな大きな気付きをいただいた「小林秀雄さんの助言」であった。



2014年04月27日(日)
素人にわかんない味のラーメン、作ってどうすんの?

映画「タンポポ」(伊丹十三監督)から。
物語とは関係のないようなシーンが多用され、
その意味を探ろうとして、正直、疲れてしまった。(笑)
こんな時代だから、インターネットで探れば、
どこかにヒントや答えが見つかるかもしれないが、
それも野暮かなぁ、私の感性が磨かれていないのだな、と
思うことで割り切ることにした。
物語の中で、老舗ラーメン屋のおやじがうんちくを語り、
ど素人にわかってたまるか・・みたいな啖呵をきる場面がある。
その時、主人公の宮本信子さんは言い返す。
「だっておじさん、ラーメン食べるのは、そのど素人なのよ。
素人にわかんない味のラーメン、作ってどうすんの?」
この映画も(私には理解できないが)、
きっと必要なシーンとして盛り込んだと思うから、
この台詞を残しておきたいと思う。
「ラーメン」だけに絞っても、面白い作品になったのになぁ、と
呟いてメモを閉じた。



2014年04月26日(土)
あたしはリップクリームになって

書籍「江國香織詩集 すみれの花の砂糖づけ」
(江國香織著・理論社刊・132頁)から。
最近、意識して「詩集」を読むことにしている。
最近、読書のほとんどが、映画の原作や小説・自己啓発本。
特に「自己啓発」も含めた、ハウツウ・ノウハウ本は、
たしかに「なるほど」と思うフレーズが多いけれど、
頭がスッキリする感覚は、なかなか味わえないのも事実。
その点「詩」は、読者の感性によって、イメージが膨らみ、
なおかつ、フレーズが短いから、印象にも残る。
頭が疲れた時に、何気なく開いた「詩集」によって、
リラックスさせられたこともしばしば。
今回は、ちょっと意味深でもあるし、
男の私には想像できなかった表現を書き留めた。
『あたしはリップクリームになって』
「あなたのくちびるをまもりたい
日ざしからも寒さからも乾燥からも
あなたのつまのくちびるからも」
やっぱり、女の人の感性ってすごい、と感じる瞬間である。
男には、こんな感覚がないものなぁ、たぶん・・。(汗)



2014年04月25日(金)
何を見てるの、うちのは「踏み塩」だよ

飲み屋のお店の前にあったこんもりと盛られた「塩」、
これは「お清めの塩」ではなく「商売繁盛」を願っていると
2008年11月20日(木) に、この話題で日記を書いている。(汗)
「塩の好きな牛の牛車(ぎっしゃ)を止めて、
皇帝ならぬ、お客様を呼び込もうという縁起物」という知識を知り、
先日も「盛り塩」のあるお店で飲んでいたら、
いつもなら陽気な女将が、ちょっと真面目な顔をして叱ってくれた。
「何を見てるの、うちのは『踏み塩』だよ」
「えっ、踏み塩って、関西方面で葬儀から帰ったら、家に入る前に
自らの足跡を清めることで、死者等がついてくることを絶つ祓いの方法、
という知識なんだけど違うの?」と訊ねたら、
「飲み屋では、一番客がお店の前に盛られた塩(位置も真ん中)を踏むことで、
先にお客さんがいることを知らせるんだよ」と教えてもらった。
ネットで調べても「踏み塩」については、ほとんど掲載がなく、
時々「盛り塩が踏まれていたが、縁起が悪いものを観てしまった」など、
間違った解釈をしていることも発見。
これは、誰かに教えなくちゃ・・と「気になる一言」に。(笑)
「盛り塩」と「踏み塩」の違いがわかると、
ますますこれをネタに、飲みたくなっちゃうなぁ。



2014年04月24日(木)
アメリカ抜きに「戦後日本」は成立し得なかった。

アメリカからオバマ大統領が、来日しているから・・
と言うわけでもないが、書籍「『永遠の0』と日本人」
(小川榮太郎著・幻冬舎新書刊・259頁)から。
本書の中で、同時期に制作された「太平洋戦争」の
戦前「風立ちぬ」戦中「永遠の0」戦後「終戦のエンペラー」
この3作品を比較する視点は面白かった。
冒頭「戦争や軍人や、当時の軍部を、
平和の今日の立場から見過ぎている」という指摘は同感である。
「戦場での男たちが概して暗い。
明るく晴朗でたくましい空気が、感じられない。
兵士たちは、生命力と気魄と明るさに満ち溢れていなければ、
心身共に持たない。戦争の明るさは、戦争の心理学の絶対条件である」
どうしても、暗くなりがちな「戦争映画」、
いや、明るい兵士を映像化したら、避難されるからだろうか。(汗)
さて、もうひとつは、なるほどなぁ、と感じた視点。
「アメリカ抜きに『戦後日本』は成立し得なかった」。
「我々日本人は『平和憲法』のおかげで、
平和が続いたというフィクションを信じ込んでいる」という。
「平和を守っているのは、その平和主義とは全く関係のない
アメリカの核兵器だ。そして、アメリカの軍事力に信用を与えているのは、
アメリカが世界中で保安官の役割を担い、アメリカの若者が絶えず、
外地で死に続けている事実だ。
つまり、邪悪な兵器であるはずの核と、アメリカの若者の血が、
日本に平和を与えている、これが現実なのである」という主張。
「憲法改正反対」を声高に叫ぶ、日本国民。
この著者の主張に、どう反論するのだろうか?



2014年04月23日(水)
正義なんてのは、胸に秘めておくぐらいがいいんだ。

映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」(本広克行監督)から。
コメディ映画?と勘違いするほどのギャグ満載、
「事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ」
という名文句を残した映画のFINALにしては、
ちょっと、突っ込みどころが多すぎた。
しかしながら、私のアンテナには、ちゃんと引っかかった
「正義なんてのは、胸に秘めておくぐらいがいいんだ」
というフレーズは、なるほどなぁ・・だった。
映画「図書館戦争」でも「正義を武器にしてはいけない」という
フレーズを「気になる一言」として残したが、
「正義」を振りかざして、あるいは「正義」を理由に抵抗するのは、
一見、カッコいいけれど、どうも青臭い。
本当に「正義」を貫きたかったら「胸に秘めておく」、
このスタンスは、参考になる生き方だな、とメモをした。
「人情だけじゃ食ってけないんだよ」
「情けってのは、人の栄養じゃねえか」という会話も面白かったし、
「俺のバックがなんだかわかってんのかぁ、こらぁ、
「俺のバックはな・・」「ああ、バックもってるから大丈夫ですよ」
という怒りのかわし方も、メモしてしまった。
「余計な情報は、捜査の混乱を招く」
「組織にいる人間は、書類の中で生きているんです」
「現場が正しいと思うことを出来るようにする」のフレーズは、
仕事にも使えそうだなぁ。
「全捜査員に告ぐ、バナナだ」には、負けるけれど・・。(笑)



2014年04月22日(火)
世界を変える「清水町」

先日聴講した(わが町の教育関係者を集めた)「教育総会」の基調講演。
講師「臼井博文」氏 ((株)サンリ取締役能力開発研究室長)
演題「夢を実現する法則〜子どもが変われば未来は変わる」から。
講演を聴いて体感した「気付き・揺さぶり・感動」は、
たぶん、その場にいないと伝わらないだろうと感じたので、
溢れたメモは、私だけの「夢を実現するサポート」として、
これからも、大切に、そして何度も読み直して利用していきたい。(笑)
私が、この講演会を「気になる一言」で纏めるとしたら、
彼が私たちのために準備してくれた、プレゼンテーションの1ページ目、
なんと大きな文字で「世界を変える『清水町』」。
このワンフレーズは、講師が私たちに向けて発したメッセージと受け取った。
講演を聴いて、ほとんどの人が「気付き・揺さぶり・感動」をする、
大切なのは、この後の行動なんだよ、という想いが伝わってきたからだ。
わが町が、本気で子どもたちを、そして未来を変えようとしたなら、
町全体(学校・家庭・地域)で、超プラス思考に意識を変えてみよう。
そうすれば、町は変わる、静岡県が変わる、日本が変わる、世界が変わる、
清水町から「世界に誇れる取組み」をしてみませんか、
こんなインパクトのある言葉を、講師からプレゼントされた気がする。
まずは私から動いてみることだな、きっと。

P.S.
さっそく「お疲れ様でした」の一言をやめてみました。
つい口癖で、出てしまいますが・・(笑)



2014年04月21日(月)
「8.11」の「山の日」は、もっと慎重に

平成28年から、8月11日を「山の日」とする祝日法改正案の話題。
山の日の意義を「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」とするが、
私には、どうもピンとこない。
ただ、私が異議を唱えているのは「8月11日」という日。
意識しているのかいないのか、それさえも定かではないが
「○.11」という日付は、相応しくないと思えるからだ。
偶然とはいえ、あまりに大きな事件、災害が起きている。
「2.11」と言えば「建国記念日」
「3.11」と言えば「東日本大震災」
「4.11」と言えば「スマトラ地震」
「7.11」と言えば「新潟県上越地方の集中豪雨」
「8.11」と言えば「静岡沖地震」
「9.11」と言えば「NY・同時多発テロ事件」
「11.11」と言えば「安政の大地震」
事件・災害を短い言葉で表現すると「○.11」という日付を使いたくなるが、
関係者にとっては思い出したくない日付ではないのだろうか。
「○.11」という単語で、凄まじい光景がフラッシュバックし、
泣き出してしまった人を見たことがあるから、よほど慎重に選んで欲しい。
「海の日」に対抗して「山の日」、8月は祝日がないから・・なんて、
簡単な理由で設定して欲しくないな。
「『8.11』の『山の日』は、もっと慎重に」を一言に残そうっと。

P.S.
もしかしたら次は「6月」だな、祝日がないのは6月だけになるから。(笑)



2014年04月20日(日)
「家栽の人」って知ってる?

「春のみどりまつり」の打ち上げで、思わぬ台詞をいただき、
嬉しさが溢れ、やや興奮気味に、この一言を書いている。
なんと、小学館ビッグコミックオリジナルに連載された
「家栽の人」という漫画の主人公、桑田義雄に似ている、と。
週末2日間のイベントを検証し、隣で杯を交わしているうちに
突然「『家栽の人』って知ってる?」と訊ねられた。
もちろん、主人公は私の長い間、憧れていた存在であるし、
実はそうありたいと、異動を機に、何年ぶりかに「眼鏡」も変えた。
(これは、誰にも内緒だったはずなのに・・)
4月から勤務先が変わったにもかかわらず、柿田川公園を通って、
園内の樹木を観察している私の姿を見て、
「家栽の人」の主人公に似ているな・・と感じていたらしい。
「家栽の人(かさいのひと)」は、毛利甚八作・魚戸おさむ画の漫画。
主人公が家庭裁判所判事なので「家裁の人」と誤記されることがあるが、
栽培するの「栽」で裁判の「裁」ではない。
漫画「家栽の人」を知っているだけでも嬉しかったのに、
その憧れの人に、どこか似ていると言われ、私は舞い上がった。
もちろん、まだまだ人間的に足りないところはあるけれど、
雰囲気だけでも、似てきたと言われた私の喜びは、隠し切れない。
漫画であれ、なんであれ、憧れの人に似てきた、と言われた瞬間、
えっ、わかってくれる人がいたんだ、という笑みが込み上げてきた。
興味ある方、是非、読んでみて欲しい。
私が憧れている人物像が、はっきりするはずだから。



2014年04月19日(土)
作物の世話をするように、国の世話をするだけ

都市計画課の大事なイベント「春のみどりまつり」の初日、
「春野菜の植え方」を教わりながら、思い出したフレーズを
書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(冬栄)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
冒頭「お役目とお仕事は違うものですか?」
「仕事は自分で選ぶものです。お役目は天が下すものです」
この会話で頷きながら、あることが浮かんだ。
国づくりは「仕事」ではなく「お役目」なのかな、と。
ある国の王は「作物の世話をするように、
国の世話をするだけでいいんだろう」って考えていた。
「木は勝手に伸びます。そんな風に国も勝手に伸びるんじゃないかな。
一番いいやり方は、木が知っています。俺はそれを助けるだけなんです。
葉が萎れていたら、水が欲しいっていう合図なんですよ。
だから、俺は水をやる。国もたぶん、そんなふうなんだと思うんです」
積極的に、他の国より良くしようとするのではなく、
自国の民が生活に困らないように見守る、それが王の役目。
私にとっては、新しいまちづくりのヒントになった気がする。
「俺は国を見守っています。
悪いことの先触れはないか、足りないものはないか見守っている。
それが世話をする者の役目だからです」
なるほど・・これからは、こういう視点が大切かもなぁ。



2014年04月18日(金)
(仕事は)楽するものではない、楽しくやるのである。

今日、聴講した講演会と同じ感触を受けたので、
書籍「稲盛和夫 常にあかるく前向きに『仕事は楽しく』」
(鍋田吉郎著・小学館刊・191頁)から。
全体を貫いている考え方であり、なるほど・・とメモをした。
「(仕事は)楽するものではない、楽しくやるのである」
実は本の帯にも、こう書かれている。
「今の仕事を好きになる。そこから未来が開けます。
仕事を好きになる努力をして、仕事を楽しくしなければ、
あなたの人生、そのものが失敗になってしまいます。
仕事を好きになる努力で『仕事は楽しく』なる。
人生の大半を費やす『仕事』、だから楽しくなる。」
そして「それは創意工夫である」と言い切っている。
仕事で接する人は「辛い思い」をしている人であっても、
働いている私たちまで、気分を暗くする必要はない。
私は、そう解釈してメモを続けた。
だからといって「楽しよう」と手を抜くことは、
「創意工夫」とは言えないことも、肝に銘じたい。
仕事を「幸せ」という尺度でダイレクトに測っている稲盛氏に、
多くの気付きをいただいた、感謝したい。

P.S.
今日の講演会は、メモを整理してから紹介したいと思います。
お楽しみに・・(笑)



2014年04月17日(木)
寄(よ)って集(たか)って

テレビのクイズ番組で出題された「集る」という言葉の読み、
正解は「たかる」だった。
もしかしたら・・「よってたかっていじめる」の「たかって?」と
辞書で調べてみたら、案の定「大勢が寄り集まって。みんなで」。
難読な「漢字の読み」が出題されることはわかるけれど、
その使い方まで説明してくれるともっといいのに・・と思う。
先日紹介した「踵」(きびす)は「かかと」という意味だし、
だからこそ「踵を返す」とは「かかとを反対方向を向かせる」、
故に「引き返す」という表現に使われる、そんな説明である。
いくら「漢字」が読めたって、使い方がわからなければ、
それは単なる知識で終わる。
普段の生活で、使われてこそ、その面白さは倍増するし、
漢字に興味を持つならば、そんなことまで調べて欲しい。
文字による表現力が、より豊かになることは間違いない。
例えば、料理番組で「うまい」「おいしい」の単語が溢れるが、
その他の表現はないの?と気になってしまう。
だって「うまい」「おいしい」も漢字にすると
「美味い」「美味しい」だからなぁ。(笑)
(ちなみに「うまい」は「旨い」「上手い」「巧い」「甘い」・・)
どの「うまい」なんだろう?といじわるを言いたくなってしまう。
だって「うまい」って感覚は、なかなか伝わってこないから。



2014年04月16日(水)
ソ連が来たなんて聞いてないぞ

昨日、大きな満月を眺めながら、幾つかの映画を思い浮べた。
「宇宙兄弟」も面白かったが、今回はへそ曲がりで
映画「アポロ18」(ゴンサロ・ロペス=ギャレゴ監督)から。
「カプリコン1」とか「アポロ13」など、
なぜか宇宙関連の映画は、気になってしまう。
本当は月へ行ってない、という都市伝説もあるように、
私の好奇心がくすぐられるのであるが・・。
本当の理由は「地球外生物がいたから」なんて面白い。
「今の技術を駆使しても月面着陸は不可能」という説を、
私は支持していたのだが。(笑)
気になる一言は、その前段階での仕掛け、というべきか、
「我々以外の足跡を発見」から始まり、
それが「ソ連の宇宙飛行士」の足跡であったこと。
さらに、彼らは地球外生物に殺された・・と続く展開に、
思わず、笑ってしまった。(すみません)
だからこそ、アメリカ宇宙飛行士の驚きの台詞をメモ。
「ソ連が来たなんて聞いてないぞ」
月で宇宙人と出会うより、ソ連の宇宙飛行士と会った方が
彼らの想定外で驚くに違いないからだ。
それも「マル秘だったはずのソ連製の月面着陸船」が
簡単に操縦できるなんて、と突込みどころ満載の映画。
ますます、月への着陸の真実が気になってしまった。



2014年04月15日(火)
あいつらは、花に寄生されて滅んだんだ。

「浜名湖花博2014」に足を運び、花の魅力に触れてきたからか、
ふっと、この「気になる一言」が思い浮かんだ。
映画「シャニダールの花」(石井岳龍監督)から。
ストーリー的には、そんなばかな・・と思えるが、
ネアンデルタール人が「ホモ・サピエンスの先祖ではない」、
そんなことを以前耳にしてから、ずっと考えていた
「ではなぜ滅びたんだろう?」という疑問を解く、
ちょっとしたヒントが隠されていた気がする。
もちろん映画だし、仮説というほどの説得力もないが、
旧石器時代に石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた
「ネアンデルタール人」が、滅びた理由としては、面白い。
「あいつらはな、花に滅ぼされたんだよ。
死者に花を手向ける文化。人の心を持っていた証拠?、笑わせるなよ。
あいつらは、花に寄生されて滅んだんだ」というフレーズが印象的だ。
タイトルとなっている「シャニダール」洞窟の調査で、
調査をした教授はネアンデルタール人の化石とともに、
ノコギリソウや、ヤグルマギクなど数種類の花粉が
大量に発見されたのを理由に、
「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、
副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を
真っ向から否定する物語の展開が、面白かった。
作品冒頭にメモした「花のはじまりはなぞに包まれている。
花が恐竜を滅ぼしたのだ」というフレーズが輝いてきた。



2014年04月14日(月)
東京では来てくれないけれど、沼津なら遊びに来てくれる

世界的に活躍している、ジオラマ・アーティストの田村映二さんの話題で、
講演会のメモを整理していたら、またまた面白いことが・・・。
彼は、私には考えられなかった地方都市・沼津の魅力を語ってくれた。
東京の事務所で活動していた頃と、生まれ故郷の沼津市に戻り、
大好きな風景に囲まれている活動している今と比べて、その違いを語った。
それが「出版社の人たち」の気持ちの動きである。
「今度、事務所に来てよ」と誘っても、東京では来てくれないけれど、
沼津なら「ちょっと気分転換にでも」と遊びに来てくれるという話。
これって、とても面白い視点だな、とメモをした。
実は、私の想像とは、全く逆だった。(汗)
いくら地方都市で頑張っていても、出版社の人は忙しいから見向きもしない。
東京の事務所なら、ちょっと時間の都合をつけてなんとかするだろう、と。
だから、車で1〜2時間の距離で、自然があり食べ物も美味しい、
仕事もちょっと煮詰まっちゃったから、気分転換に沼津へ行ってみるか、という
その発想が、とても新鮮だった。
これまた、沼津の魅力発見、といったところだろう。
せっかくのアドバイス、忘れないように記録に残そうと思う。
「東京では来てくれないけれど、沼津なら遊びに来てくれる」
このフレーズで思い出せるな、きっと。



2014年04月13日(日)
「清明」から「水鏡の家」へ衣替え

我が家の衣替えの一部を「気になる一言」にしてみた。
衣類の衣替えにはちょっと早いけれど、
玄関を飾るアートの衣替えを済ませた。
富士山と桜が印象的な「清明」(牧野宗則作・木版画)は、
正月から桜が散る時期までの間、殺風景な我が家の玄関を
妻が飾るさりげない「花」と一緒に、明るく変えてくれた。
桜の時期が過ぎようとしている今日、夏に向けて
田植えが終わったばかりの風景「水鏡の家」(前田光一作・木版画)に
バトンタッチし、我が家の玄関が衣替えを済ませた。
木版画に限らず、アートは生活に潤いを与えてくれることを実感、
これからも、機会があれば、少しずつ求めていきたいと思う。
理想は「春夏秋冬」に合わせて、懐石料理のように
ちょっと季節を先取りができるものを飾りたいな。
クリスマス前には「時間管理人」(田村映二作)を飾る予定。
そう言えば「風神雷神」って、どの季節に飾ればいいんだろう?



2014年04月12日(土)
花ひらき はな香る 花こぼれ なほ香る

映画「阿修羅のごとく」(森田芳光監督)から。
冒頭に「阿修羅」の定義がテロップで流れ、慌ててメモをした。
「阿修羅」とは、
「インド民間信仰上の魔族。外には仁義礼智信を掲げるかに見えるが、
内には猜疑心が強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、
またいつわって他人の悪口を言いあう。
怒りの生命の象徴。争いの絶えない世界とされる」
そして、作品後半に「女は阿修羅だよなぁ」のフレーズが突然現れる。
この「阿修羅」に関する「対」がとても効いていて、
さすが「原作・向田邦子さん」って感じで観終わった。
長女(大竹しのぶさん)の不倫、二女(黒木瞳さん)の夫の浮気、
三女(深津絵里さん)の嫁ぎ遅れ、四女(深田恭子さん)の同棲が
絶妙のバランス配置され、個性ある四姉妹を演じていて面白かったが、
もしかしたら主役は、仲代達矢さんと八千草薫さんの夫婦だったかもしれない。
さらには、長澤まさみさんが里見洋子役で、ちょっぴり出演していたのには驚いた。
ただ、気になる一言に選んだのは「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ香る」
彼女たちが生まれた竹沢家に、そっと飾られていた軸(横長)の言葉。
これは故・森重久弥さんが、飛行機事故で亡くなった向田邦子さんの偲んで
墓標におくった言葉として知られている。
墓碑銘に刻まれている言葉は「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」
(「香」は鼻で感じる匂い、「薫」は雰囲気や肌で感じる匂いとされる)
漢字がちょっと違うが、そのフレーズをサラッと使うあたりが、
監督・脚本家の妙ってところだろうか。
もう一度、図書館で原作を見つけて読んでみようと思う。

P.S.
昭和54年夏・毎朝新聞の投稿「主婦・四十歳 匿名希望」
新聞投稿は、匿名はダメじゃなかったかなぁ。(笑)



2014年04月11日(金)
アメリカの引越し事情

先日、ある講演会で、地域コミュニティの大切さを再認識した。
しかし、いい話を聴いた・・で終わっていないだろうか、と
自問自答した。
是非、機会があったら、実践したいと思うことに、
「アメリカの引越し事情」がある。
日本の場合、引っ越してきた人が、近所にタオルか何かを持ち、
「どうぞ、お見知りおきください」と挨拶に回る。
しかし、アメリカなどでは、引っ越すと近所の人が訊ねてきて、
「ウェルカムパーティの誘い」をしてくれるらしい。
地域コミュニティを大切にしようとするお国柄だろうか。
たしかに、引っ越した場合、土地勘もなく、不安いっぱいの中、
ぎこちなく挨拶をするよりも、温かく受け入れてもらった方が、
どれだけ嬉しいか、わからない。
これって、引越しに限らず、人事異動などにも応用できるな。
「この4月に異動してきました○○です」と
緊張しながら自己紹介するより、以前から仕事をしている先輩から
「ようこそ、○○の分野へ」と迎え入れてくれた方が嬉しいもの。
この春、異動して、新しい分野への不安と緊張感いっぱいの私を、
近隣市町の都市計画担当者は、とても優しく受け入れてくれた。
こんな些細なことでも、視点がグローバルなのだろうか。
少しでも、足を引っぱらないように、頑張らなくちゃ・・。



2014年04月10日(木)
都市計画は、ツールのひとつですよ

新しい分野「都市計画」の基本の「き」を探している。
もちろん、そんな簡単に見つからないことも承知のうえで、
試行錯誤している。
そんな中、長い間、技術畑で仕事しているスタッフが、
「都市計画は、ツールのひとつですよ」と呟いた。
たぶん「(まちづくり)のツールのひとつ」という意味だろう。
なるほど・・それで少し、疑問が解けた。
実は、前職場のひとつである「図書館」で、
「都市計画」という分類を探したら、どこにも見つからず、
館内の端末機で探したら「まちづくり読本」として、
私の探していた本が見つかったから。
都市計画とはなんぞや?という答えを探すよりも、
もっと大きな視点で「まちづくりのツール」と考えられれば、
私の大好きな分野ということになる。(汗)
今までとは違った方向から「まちづくり」をする、
それが「都市計画」というツールを使う、ということだけ。
少しだけ、不安が減ったフレーズだった。



2014年04月09日(水)
「関係」は全て「掛け算」

新聞などで何度も目にした「日韓関係改善を=米国務長官」という見出し。
出来るだけ触れないようにしている政治ネタではあるけれど、
「関係改善」という単語に、珍しく反応してしまった。(笑)
以前にも書いたかもしれないけれど、
「関係」って言葉は、ひとりでは使わない言葉だし、
相手があるのは誰もが承知のことと思う。
その関係は、全て「掛け算」であることを思い出したから、
今回は敢えて、日韓関係(日中・日露・日米も)について考えてみたい。
AとBの関係は、相手への信頼関係によって成り立つ。
AのBに対する信頼度は0%〜100%。BのAに対する信頼度も0%〜100%。
関係は全て「掛け算」だから「A×B=」の答えは、0から10,000まで幅広い。
お互い「50%」しか信頼していなくても「50×50=2,500」。
Aがいくら心を開いてても、Bが0なら「100×0=0」。
もちろん「100×100=10,000」がベストだけれど、なかなか難しい。
だからこそ、いくら嫌いな相手でも、信頼度を「0」にして欲しくない。
中国も韓国も、この関係、わかっているかなぁ。

P.S.
文系の私はこんな例えを見つけて、なるほど・・喜ぶのだが、
理数系の人は「マイナス」×「マイナス」は「プラス」などと言いながら
「−100×−100=10,000」と数式を持ち出す。
数字の範囲は「0%〜100%」と言っているのにさ。(汗)



2014年04月08日(火)
似たようなものでも、50歩の差があるってことだろ?

書籍「十二国記(東の海神 西の滄海)」
小野不由美著・新潮文庫刊・348頁)から。
シリーズで続く、この「十二国記」の物語は、
いかにも真面目な話が続くようだが、そうでもない。
こんな会話を見つけた。
「『五十歩百歩』って意味知ってる?」
当然、私たちの常識では「わずかな違いだけで、
本質的には変わらないことのたとえ」と考える。
しかし、サラッと答えたのは
「似たようなものでも、50歩の差があるってことだろ?」
その時は、面白い・・と思ってメモしたけれど、
実際、歩いてみると、大きな差があることに気付き、
まんざら、間違いないではないな、と苦笑いとなった。
文字にするとわからないが、その大きな差に驚く。(笑)
「50メートルは全力疾走できても、100メートルは無理」
このほうがわかりやすいかな、私たち世代にとっては。(汗)



2014年04月07日(月)
女の「涙」男の「愛してる」そして医者の「大丈夫」

以前、飲み会でのネタとして、教えていただいた「世界三大ウソ」。
その答えが女の「涙」男の「愛してる」そして医者の「大丈夫」
それ、いただき・・とメモしたが、もう忘れることはないだろう。
(読者のみなさんは、知っていたでしょうか?(笑))
「ウソ」というより「信じないほうがいいよ」程度のジョーク。
しかし、女の「涙」と男の「愛してる」は、笑って済ませるけれど、
医者の「大丈夫」だけは、どうも納得できない。(笑)
その言葉を聴きたくて、病院に通い、高い治療費を払い、
薬も何種類も飲んでいるというのに・・笑っては済まされない。
まぁ、病は気から、気の持ちようで、医者の「大丈夫」という一言で、
治った気になる人も多いから、あながち「ウソ」とも言えない気がする。
実は、もうひとつ気になっているのが「男の愛してる」。
世界では「三大ウソ」の一つだろうけれど、日本では通じないのでは?。
恥ずかしくて、なかなか「愛してる」って口にしない日本人の男は、
「心から愛している」か「全然、愛していない」場合以外は、
簡単に女性に「愛してる」なんて言えるわけがない。
以前にも書いたけれど、日本の男性の場合
「大切にする」が「愛している」と同じ意味を持っている。
だから男が「大切にする」と口にしたら「愛してる」と言っている、
そう思って間違いない。
脱線したけれど、どれもウソとは考えず、信じたいな。



2014年04月06日(日)
俺は「回天」を伝えるために、死のうと思う

「人間魚雷、悲惨さ忘れまい 『回天』のレプリカ、大分に」という
トピックスを、yahoo!で見つけたので、忘れないうちに、
映画「出口のない海」(佐々部清監督)から。
「神風特攻隊」には、いろいろな遺品などが残っており、
どうしても、ドラマチックに描かれてしまうが、
潜水艦に装備されていた「回天」という「人間魚雷」のほうが、
その孤独感は、強かったと思う。
魚雷の中に、人間が乗り込み、相手のレーダーを潜り抜け、
敵の戦艦に体当たりする、まさに生きて帰れる見込みはゼロ。
それもそのはず、「回天」には脱出装置はなかったから。
どうしてこんな兵器が考えられたのか、私には信じ難いが、
回天の乗組員である主人公が語るシーン。
「俺は『回天』を伝えるために、死のうと思う。
人間魚雷という兵器があったことを。
人が兵器の一部になったことを、
この悲しい事実を語り残してもらうために死ぬ。
それでいい。まぁ、俺は俺なりの理由づけだけどな」
また作品中、何度か使われる台詞に、
「おまえは、敵の姿を見たことがあるか?」というのがある。
戦争とは、いかにも敵と戦っているようだが、
実は、その姿を見たこともなく、アメリカ兵とは、
どんな体格で、どんな言葉を話すかも知らずに、死んでいく。
だからこそ「何のために死ぬのか?」を自分なりに、
理由づけして戦う必要があったことは、とても辛かった。
そういう意味では、こんなバカげた兵器があったことを、
次世代に伝えるために死ぬ、という理由はありなのかもしれない。
だって、しっかり私には、伝わったのだから。



2014年04月05日(土)
「柿田川ボランティア」って、やらないともったいないよね

前日、歓送迎会で夜遅くまで飲んで騒いだというのに、
今朝は「柿田川に繁茂する特定外来生物のオオカワヂシャ」から
柿田川を守るために、胴長を履き約2時間半、駆除作業をした。
こんなに長く柿田川に入っていたのは、何年ぶりだろうか、
「柿田川」の水の冷たさ、水圧の強さなど、独特の感触が蘇った。
「川の清掃活動」とか「外来種駆除作業」とネーミングすると、
なんだか大変そうだな、と感じるけれど、裏を返せば、
「正々堂々と柿田川に入れるボランティア活動」とも言えなくはない。
繁茂したオオカワヂシャを取り除くと、三島梅花藻が嬉しそうに顔を出す。
それをニコニコしながら眺めていた私の傍にいた、わが課のスタッフが、
「梅花藻をみると、(外来種を)取ってよかったって思いますよね」と
私の気持ちを素直に代弁してくれた。
また、開花してきている梅花藻の様子も、間近で観ることが出来る。
光の関係で水面がキラキラする光景も写真ではなく、すぐそこにある。
陸に上がって、やや冷えかかった体を差し入れのコーヒーで温めながら、
思わず私の口から出てしまった台詞が、気になる一言。
「『柿田川ボランティア』って、やらないともったいないよね」
この活動は、月に1度、第4土曜日の午前中に実施しているから、
本当の「柿田川」の魅力を体験するには、これに勝るものはない。
間違いなく、可憐な三島梅花藻を守っている、という実感が湧いてくる。
全国からでも参加OK。興味のある方は、是非一度、私に問合せを。



2014年04月04日(金)
やっぱり本を読むことはやめられないのです。

書籍「伊藤まさこの雑食よみ」(日々、読書好日)
(メディアファクトリー刊・169頁)から。
この本を読むと、ますます本が好きになってしまう。
そのプロローグに書かれていた台詞。
「本の世界は、ますます楽しい。本屋さんに行くと、
時を忘れて宝探し。本のある玄関のなんと落ち着くこと。
好奇心のくすぐられる格別の一冊に出会えると
その日は一日しあわせに。」
まさにその通りだ、と幸せな気分になった。
さらに「そんないつもの何気ない日々の中、本を開きます。
ばらりと開くと、そこに広がる本の世界。
だから、やっぱり本を読むことはやめられないのです。」と続く。
うまいなぁ、この感覚を文字にできるなんて・・と感激した。
彼女が紹介している本は、みんな読みたくなってしまう。
そしてまた、その本の中で紹介している本に繋がって・・。
死ぬまで、本を読むことはやめられないよな、きっと。



2014年04月03日(木)
監督、これレール敷いて撮っていい?その方が絶対いいって。

映画「キツツキと雨」(沖田修一監督)から。
山の中のフィルムコミッションって感じで、
今まで映画にはまったく関係なかった一般人と、
映画関係者がコミュニケーションを通じて、お互いが成長していく。
そんな大雑把な展開に、ラストシーンもほぼ予想できてしまった。
だから私の関心は、映画撮影スタッフの心の動きになってしまった。
撮影当初、しっかりとした指示が出せなかった監督に対して、
不貞腐れていたスタッフも、少しずつ自信をつけ始めた監督に、
プラスのアドバイスをおくるようになる。
「監督、ひとり、隊長みたい人、いたらいいんじゃないですか」とか
「監督、これさ、レール敷いて撮っていい?その方が絶対いいって」
けっこう気に入ったシーンとなった。
さらに、ベテラン大物俳優さんにも、何度もダメだしをし、
周りの信頼を勝ち取っていった気がする。
ラストカットの撮影シーンも、自分の意思で「待つこと」を決定し、
空が一瞬晴れると確信したところで、カメラスタッフに
「やるの? やんないの?」と訊かれ、今までで一番大きな声で
「やるに決まっているでしょう」と叫ぶ。
人間って、自信がつくとこんなにも変わるものなのか、と感じながら、
それを育てたのは、周りの大人なんだよなぁ、と嬉しくもあった。
「お〜い、頑張れよ、若いの」ってフレーズ、短いけどいいなぁ。



2014年04月02日(水)
55歳から始まった「第2の人生」

今日の「気になる一言」のタイトルだけを読み、
あれ?しもさんは早期退職でもして何かを始めた?と、
勘違いされないために、説明しておこうと思う。(汗)
実は、昨日から新年度が始まり、私にとって新しい部署へ。
(教育委員会「生涯学習課」から建設部門「都市計画課」へ)
それも、今まで一度も経験したことのない分野だから、
聞くこと、観ること、何もかもが新しい。
周りからは「大変だね」と声を掛けられることが多いが、
「何が大変なのか」もわからないから「頑張ります」としか言えないし。
同じ地方公務員なのに「ソフト部門」「ハード部門」の部署で、
こうも違うのか、と驚くことばかりだけれど、今はその違いが楽しい。
知らないからこそ、出来る発想・出来る決断もあるはずだし、
「どうしてこんなことするの?」という視点は、
「社会教育主事」の資格を持つ私にしか思いつかない疑問かもしれない。
今は「ハード」の部分は、わからないことだらけだが、
「ハード」に「ソフト」の付加価値を付けて
「ハート」に響く整備を目指したい・・と今は、考えている。
たぶん・・何年後かに、この「気になる一言」を読んで、
「私も若かったなぁ・・」と思う時が来るかもしれない。
けれど、退職まであと5年、どこまで突っ走れるか、試してみたい。
だから今の心境をフレーズにして「55歳から始まった『第2の人生』」



2014年04月01日(火)
「これ、頼める?」「いいですよ、生ビール2杯で」

仕事の頼み方、受け方については、今まで試行錯誤してきた。
そして辿り着いた方法が、食べ物・飲み物のお礼をすること。(笑)
数少なくなった先輩から急ぎの仕事を頼まれたら、こんな会話をする。
「これ、頼める?」「いいですよ、生ビール2杯で」
いつか飲む機会があったら「生ビール2杯、御馳走してくださいよ」
その程度の約束だが、頼む方も「じゃあ、近いうちに・・」と
気軽に依頼してくれる。
もちろん、本気で充てにしているわけではないが、
会話がスムーズに流れること間違いない。
最近では、私が何かを頼むことが増えたので、これを応用している。
「ジョッキ2杯で、これ大至急、やってくれないかな?」
「今度、ケーキ買ってくるから、これお願い・・」
最近も、あることで無理を承知でお願いしたら、
「いいですよ、生ビール2杯で」と返され、嬉しくなった。
(「もうひとりは「トクホ(特定保健用食品)のコーラ」で契約成立)
私の口癖が、周りの人たちにも浸透してきた気がする。(汗)
この依頼のコツは、一緒に飲んだ時、1杯でも本当に御馳走すること。
又は、クッキーでも買ってきて差し入れをする。
値段の問題ではなく、忘れてないよ、と意思表示することが大切。
でも最近・・・彼らとなかなか飲みに行く機会がなくて
「生ビールジョッキ何十杯分」が、溜まっている気がするなぁ。