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しもさんの「気になる一言」
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2014年03月31日(月)
彼らを指導する立場の大人の不完全さこそが、問題だと。

映画「十三通目の手紙」(亀田幸則監督)から。
舞台劇を映画化しただけあって、撮影は、セットの「ジャズバー」のみ。
しかし、逆に脚本がしっかりしているからだろうか、
112分間、飽きることなく、推理小説を読んでいるかのように、
一人ひとりの台詞も輝いていて、私のメモも増えた。
特に「若い人の指導方法について」は、なるほど・・と頷いてしまった。
無くなった社長からの手紙の一部であるのだが、こう書いてあったという。
「若者が不完全なのは、当り前。不完全だからこそ、若者なんだ。
それよりも、彼らを指導する立場の大人の不完全さこそが、問題だと。
彼らにこうなって欲しいと、いう人間に我々はなっているのか。
あるいは、そうなろうと努力しているのか。
世の中にも時代にも媚びずに、自分の信じる道を懸命に生きれば、
彼らだって自ずと後を追うはずだし、意見にも耳を傾けてくれるはずだ。
そうなれば、余計な説教などする必要はない」
歳を重ね、若者を指導する立場になった私たち年代にとって、
とても耳が痛い話であるが、今一度、自分の役割を認識するには、
とてもいい映画に出会った、と感謝している。
「神様と宗教との違い」「金を盗まれた時、盗まれた方の責任」など、
私が疑問に思っていたことや悩んでいたことも、ある程度、解決した。
こういった映画も意識的に探して、観ていきたい。



2014年03月30日(日)
史上初開幕戦新人初打席初球本塁打

春を告げる「プロ野球のペナントレース」が28日にスタートした。
私の目を釘付けにしたのは、ヤクルト・西浦選手の初物づくしの快挙。
「史上初開幕戦新人初打席初球本塁打」
この漢字ばかりの文字が、その凄さを物語っている。
分解すると「史上初・開幕戦・新人・初打席・初球・本塁打」
言い方を変えると「開幕戦に、新人が、初打席の初球を打って本塁打」、
これが「日本プロ野球史上」初の快挙、ということになる。
私の日記を遡っても、2011年10月、ジャイアンツ・長野選手が打った
「最終戦代打逆転サヨナラ満塁首位打者当確ホームラン」とか
2004年09月、近鉄、北川選手が打った
「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」など、
何度となく日記のネタになっている野球というスポーツ。
最近は贔屓のチームが、勝った・負けた、と一喜一憂するのではなく、
珍プレー・好プレー、その時の選手の心理などを推察するのが楽しい。
開幕戦で、私を喜ばせてくれた「ヤクルト・西浦選手」、
今後の活躍を、じっくり見守っていきたい。

P.S.
女子ゴルフ第4戦『アクサレディスゴルフトーナメント in MIYAZAKI』も
20歳の渡邉彩香選手、最終日・最終組・最終18番ホール、
チップインイーグルで逆転初優勝を飾った。
今年のスポーツ界、私を喜ばす記録が次々と飛び出す予感がするなぁ。



2014年03月29日(土)
「97歳」「104歳」

暗号みたいな「気になる一言」で申し訳ないが、
私にとって、長寿の秘訣を教えていただいたお二人が、
2月、3月と続けて他界し、お通夜に参列させていただいた。
そのお二人の思い出を記録・記憶に残すために、
敢えて「97歳」「104歳」と年齢だけにしてみた。
不思議と、この数字だけで誰のことか思い出せるし、
おふたりとも、元気な頃の姿が蘇ってくる。
1人は男性、若輩の私に「企画係」の係長を任せてくれた方、
その御恩は、言葉では言い尽くせない。
また最近では「敬老会」出席のために、
福祉課課長補佐として車で送り迎えした車中では、
「ショートホールをドライバーで打ってオンする」話を聴いて、
シュートアイアンでも難しいのに、と大笑いしたのを覚えている。
そしてもう1人は女性、100歳のお祝いに、ご自宅へ伺い、
「何でも食べること」「相撲が好き」なんて話を、
友達のように楽しそうに話してくれたのを思い出した。
共通して伝わってきたのは、人生を楽しんでいるってこと。
そして(当然だけど)しわくちゃな顔が、可愛く感じられたこと。
私たちが書籍でしか知らない「明治・大正」に生まれ、
幾つかの戦争を乗り越えてきた精神力の強さが感じられる。
おふたりの体を支えてきた「細胞」の1つひとつに、
本当に長い間お疲れさまでした、と伝えたい。



2014年03月28日(金)
「原作」に忠実な映画が観てみたい「清須会議」

書籍「清須会議」(三谷幸喜著・幻冬舎刊・272頁)から。
完全に「原作」の勝ちである。(笑)
映画を先に観て、なかなか面白かったから、後に原作を・・。
不思議なことは、原作者も映画監督も、三谷幸喜さんなのに、
どうして「原作」に忠実に映像化しなかったのだろう、ということ。
それくらい「原作」が面白いと感じたからだが、非常に残念である。
原作は、最初から最後まで、登場人物の心の声だけが、延々と綴られ、
その心理描写ときたら、出演者同士が「音」として会話するより、
雰囲気そのものが目に映るようだった。
一人ひとりの心の声だけで、その場「清須会議」の緊張感が伝わるし、
かえって、くだらない場面説明もしなくてするからか、楽しさが倍加した。
映画のほうだって、演技力のある俳優さんたちが勢揃いしたなのだから、
今までにない新しいタイプの作品として評価されたのに・・と感じるし、
そのまま、ラジオドラマとして放送しても、違和感がないであろう。
原作者と映画監督が違うのであれば、私だってこんなことは書かない。
ただ、映画を観てから原作を読んだ後の感想として
「『原作』に忠実な映画が観てみたい『清須会議』」を残したい。

P.S.
映画作品がDVD化されたら、もう一度、借りて比較してみようと思う。
私の感覚が正しいかどうか、確かめるためにも。



2014年03月27日(木)
これで田村さんの味付けをして

先日紹介した、講師「田村映二」氏(ジオラマ・アーティスト)
演題「Tam-Tam worldを確立するまで」
(世界的なアーティストになれたその理由は)から。
売れっ子イラストレーターだった田村さんの講演で、
なるほどなぁ・・と感じてメモしたことがある。
実は私、田村さんの話を聞くまでは、
「画家」と「イラストレーター」の違いがわからなかった。
お得意の絵を描くことには、商業デザインも絵画も同じだろう、
そんな程度の認識だったが、大きな違いがあった。
「簡単に言うと、カレーライスを作るとするよね、
画家は、まずはどんなカレーにしようかな、と考え、
カレーの具材を選ぶところから始める。
しかし、イラストレーターは、タマネギ、人参・ジャガイモ・・と、
具材を渡されて『これで田村さんの味付けをして』と依頼を受ける」
この例えは、ものすごくわかりやすかった。
クライアントに言われたものを作る形(味付け)から、
(具材もなにも全部選びながら)自分の作りたいものを作りたい。
そんな気持ちの変化が「作家意識」を目覚めさせたのだと思う。
自分もいつか「創作」(作家)の仲間入りがしたいな。



2014年03月26日(水)
自己教育が教育の前提である

書籍「読書について」(小林秀雄著・中央公論新社刊・187頁)から。
さすが、批評家・小林秀雄氏、目から鱗の気付きを与えていただいた。
教育関連の本を読み漁ると、学校・家庭・地域の連携からはじまり、
子どもたちの教育を地域の人たちが支える、といった形まで、
さまざまな方策が展開され、どれも、なるほどなぁ〜とメモし、
さぁその中から一つ選んで「気になる一言」を書こうとすると、
途端に、何か大事なことを忘れているような気がしていた。
そのヒントは「読書について」書かれた著書で見つけた
「自己教育が教育の前提である」というフレーズである。
いくら周りが支援しようとしても、自ら学ぼうとする意欲がなければ、
血や肉にはならないということ。
「子どものため」を理由に、無理やり雑巾を口に詰め込んだところで、
受け手がその心構えがなければ、その効果は半減する。
今、私たちがしなければいけないのは、学習環境の整備だけでなく、
「学ぶことの楽しさ」を教えることではないだろうか。
そしてそれは、自分で自分を教育することに他ならない。
どんなことであれ、学ぶことの楽しさを知った人は、
息を引きとるまで「学ぶこと」をやめることはないだろう。
学ぶ方法は、人それぞれだけど、自己教育が前提にあれば、
軸がぶれずに、人生を謳歌できる気がしている。
「自己教育」という単語、もう少し普及させなくちゃなぁ。



2014年03月25日(火)
肌に触れ、声を聴きながら、語りかけ、この笑顔をみていたい

妻の誕生日だから選んだというわけではありませんが、
映画「アンカーウーマン」(ジョン・アヴネット監督)から。
主人公の男性が、ある仕事で遠くへ行くことを決めるのだが、
「私といたくないの?」と彼女、「君と離れたくない」と彼。
そして、優しい声でこう語りかける。
「いつも君の肌に触れ、君の声を聴きながら、君に語りかけ、
この笑顔をみていたい」と。
メモをしていて、ちょっとグッときてしまった。(照)
単なる「愛しているよ」より、リアル感があるし、
五感をフル活用し、体全体で君のことを好きだよ、と伝えている。
それに対して、主人公の女性の気持ちだろうか、
エンドロールと一緒に流れる歌には、こんなフレーズがある。
「今の私があるのは、あなたが愛してくれたから。
あなたはいつもそばにいてくれた。私を運ぶ優しい風、夜の帳。
私の人生を輝かせてくれる光。あなたは私の求める星、
ゆるぎない真実の愛。あなたのおかげで私は生きていける」
やっぱり私は男性だな、さっきの表現のほうがしっくりくる。
文字にしてみると、非常に文学的表現になっている気もするし・・。
さらに、ここに「嗅覚」(匂い・香り)が入ると
「肌に触れ、声を聴きながら、語りかけ、君の香りに包まれながら、
この笑顔をみていたい」となるのかなぁ。
なぜか、ちょっと艶っぽい口説き文句になってしまうから不思議。
えっ、これってニオイフェチの私だけの感覚かな。(汗)



2014年03月24日(月)
まだまだ向上していきたい

講師「田村映二」氏(ジオラマアーティスト・沼津市在住)

演題「Tam-Tam worldを確立するまで」
(世界的なアーティストになれたその理由は)から。
「生まれてはじめて、父親になりました」と切り出し、
待望のお子さんが生まれたことを、嬉しそうに報告してくれた。
その気持ちを「まだまだ成長しなきゃと感じました」と、
素直に話してくれた時、私も素直に「楽しみだな」と感じた。
私なんかにも、いつも気さくに接してくれる田村さんは、
人生の節目節目で、その後の活躍に続く人と出会っているから、
一言で言うと「この人は運が強いな」と思う。
もちろん、本人の明るい人柄が、何かを引き付けるのだろうが、
それにしても、ラッキーでは片付けられない何かをもっている。
「この曲がり角を曲がったら何がみえるんだろう」という好奇心と、
「すぐ遊びに行っていいですか?」という「人なつっこさ」が、
まわりの人を温かい気持ちにさせてしまう不思議な人だ。
世界的にも有名になった彼が、今後のことを話し始めたら、
「これで終わりにする気はなくて・・」と前置きをして、
「まだまだ向上していきたい」と強い決意みたいなものを口にした。
子どもが生まれたから、という責任感からの言葉だけでなく、
もっともっと自分の可能性を試してみたい、という想いが伝わり、
「田村さんって、本当はこんなに真面目なんだ(笑)」と感じた、
私にとっても、とっても貴重な講演会だった。



2014年03月23日(日)
絶対、あとあとおかしいことになるって

映画「ラヂオの時間」(三谷幸喜監督)から。
「人間に想像する力がある限り、
ラジオドラマには無限の可能性がある、僕はそう思う」
冒頭部分にあるこのフレーズをメモして納得したが、
視聴者に想像力を任せて、どうにでも設定を変えられる、
という怖さもある。
原作の設定は、日本の熱海なのに、声優のわがままで、
場面がニューヨークやシカゴになることもできるし、
平凡な主婦が、女弁護士になったり、漁師がパイロットに。
まぁ、ハチャメチャに変わる設定に、イライラしていたら、
唐沢寿明さん扮する、ディレクター・工藤が叫んだ。
「これは無理だよ、設定を元に戻して方がいいって。
絶対、あとあとおかしいことになるって」
その場しのぎのアイデアや思い付きは、あとあとになって
おかしくなってしまうことは私たちの生活でもよくある。
先の先まで考えて変更することの必要性、
ダメだと感じたら、途中でも元に戻す勇気も必要だろう。
そんなことを考えながら鑑賞したが、
監督はこの作品で何を伝えたかったんだろうか、不明。(笑)

P.S.
戸田恵子さん扮する主演女優「千本のっこ」のインパクトが
強すぎた気がするなぁ。
なんたって「千本のっこの新曲」は「渡りに舟」だからね。



2014年03月22日(土)
「いなくなると悲しいなぁ」「もう少し一緒にやりたかったね」

先日、4月1日付け人事異動内示が発表され、新聞にも掲載された。
私も、とうとう4年間お世話になった「生涯学習課」から
「都市計画課」へと異動することになる。
週末、引継書の作成と、身の回りの溜まった書類整理に、
地域交流センターに足を運んだが、多くの方が寄ってきてくれ、
言葉を掛けていただいた。
「いなくなると悲しいなぁ」「もう少し一緒にやりたかったね」
そんな言葉に「公務員もサラリーマンですから」と笑って反応したが、
心の中は、ちょっぴり嬉しい。(汗)
社会教育・文化芸術・図書・スポーツを始め、青少年健全育成など、
生涯学習に関することは「現場第一主義」を大切にして、
どの分野も、関係する町民と一緒になって積み上げてきたつもりだから、
もし残念がられなかったら、淋しかったかもしれない。(笑)
「大人のリップ・サービス」を考慮しても、嬉しい。
不思議なことに「お世話になりました」よりも、嬉しい。
こんな何気ない会話でも、頑張って良かった・・と思うのだから、
「あいつには世話になっていない」なんて考えず、
読者の知り合いで「人事異動」する人には、声を掛けてあげて欲しい。
挨拶代わりに是非、喜ぶと思います、はい。



2014年03月21日(金)
「雪」が降りますよ、そしたら、本当に降ってきた。(笑)

この3月末で定年退職する先輩3人を囲み、
職場の後輩たちが企画した「卒業コンペ」。
(「追出しコンペ」とも言うが、とにかく「お疲れさま会」)
そんな集まりで、退職する先輩が「人生初のイーグル」を出した。
昼食時にそのことを耳にして、私は、すかざず
「先輩、そんなことすると『雪』が降りますよ」。
その時は、いつもの手垢のついたフレーズだなと思ったが、
後半スタートしてしばらくして、目の前には「雪」がチラチラ。
本当に降ってきた・・と大笑いだった。
いつもしないことをすると、周りから冷やかされて、
「珍しい・・どういう風の吹き回し?、雪が降るからやめて」
そんな使い方をする。今回はちょっと違うけれど、
本当に、午前は春を感じるポカポカ陽気だった。
しかし突然、雲行きが怪しくなり、冷たい風が吹いてきたな、と
思ったら、目の前に「雪」が落ちてきたから驚いた。
今日の楽しかった「卒業コンペ」を記録に残そうと思ったら、
「『雪』が降りますよ、そしたら、本当に降ってきた。(笑)」となった。
顔がヒリヒリするくらい日焼けしながら、寒さで震えたゴルフ。
富士山から駿河湾まで一望できる景色の素晴らしさも、
先輩たちの新しい門出を祝っているようだったな。



2014年03月20日(木)
40年節目説

書籍「燃える闘魂」(稲盛和夫著・毎日新聞社刊・206頁)から。
JAL再生の立役者、稲盛氏の本を読み漁っている。
ご本人の著作もあるし、関わった人が執筆した本もあるが、
視点が違うだけで、再生に向けた稲盛氏の考え方は同じである。
冒頭、タイトルの「燃える闘魂」について
「今の日本には、十分な資金も、優れた技術も、真摯な人材もある。
足りないのは『燃える闘魂』。
すなわち『なにくそ、負けるものか』という強い思いだけである」
と説明をしているが、この考え方が随所に貫かれていた。
気になる一言は、他の作品には登場しない、稲盛氏独自の考え方。
彼は、日本の歴史を「40年節目説」で説明している。
1865年 江戸幕府、事実上の崩壊
1904年 ポーツマス条約(日露戦争勝利)
1945年 第二次世界大戦敗戦
1985年 ODA2位(経済大国)へ
そして、来るべき「2025年」をどう迎えるか、を考えていた。
あと10年に迫った、日本の転換期を、誰がどう読み、
どのようなリーダーシップを発揮し、世界の中の日本を、
どちらの方向に導いていくのか、を心配しているとも言える。
誰もが無理だと口にした「JAL」を再生させたように、
必要なことは優れた技術ではなく、人間の意識改革だ、と。
実は、これが一番難しい・・(汗)



2014年03月19日(水)
秘密が好きでね、収集している

映画「シャンハイ」(ミカエル・ハフストローム監督)から。
上海を舞台に、太平洋戦争時代の諜報部員が交わす台詞が、
面白くて、メモをしてしまった。
特に男と女の会話は、本音なのか、作戦なのか、
その見極めが、今後の活動に影響するから、ドキドキである。
「秘密が好きでね、収集している」と言えば「面白そう」と答え、
警察が尋問するかのように、質問をする相手には、質問で返す。
すると「質問には質問?」とまた質問が浴びせられ、
「ポーカーさ、手の内をみせない」とサラッとかわす。
その会話の妙に、諜報部員らしさが表現されていた。
そう言えば、昔から気になっていた「上海」というパズルゲーム。
積み上げられた麻雀牌の山から、同じ牌を2枚選び、
その牌を取り除いていくといった麻雀牌を使ったゲームであるが、
そのゲーム名がなぜ「上海」なのか知りたかった。
物語の中で「上海は、東洋のパリだと友人が言った」
「上海は、日本の侵攻を免れた都市の1つだ」というフレーズがあり、
他の都市と比べて「上海」という都市が魅力的であり、
言葉の音としても「シャンハイ」は響きがいいことがわかる。
どこか、諜報部員(スパイ)が似合う都市「上海」。
「2010年アメリカ・中国合作映画」というのが、また気になるが・・。



2014年03月18日(火)
【Am】堂々たる女子学級委員長

私たち年代の男性は、必ず1度くらいは挑戦するギター。
かぐや姫やチューリップ、吉田拓郎に代表されるフォーク全盛期だから、
とりあえず「コード」を観ながらだけど、今でも簡単な曲なら弾ける。
左の指が、そのコードを覚えているから不思議だ。
先日、そのコードについて、面白い記事を見つけたのでメモをした。
書籍『【F】を3本の弦で弾く ギター超カンタン奏法~
シンプルなコードフォームから始めるスージーメソッド』
(著者:スージー鈴木著・彩流社刊)から。
その中で「擬人化した主要13コード」は、特に面白い。
音を想像すると「そうそう、ピッタリ」と思うこと間違いなし。
自分は【Am】が好きだったなぁ、と学生時代を振り返った。
「堂々たる女子学級委員長」の擬人化に笑ったが、
基本的に「マイナーのコード」を好み、弾いていた気がするなぁ。
擬人化コードを下記に記すので、1人で思い出し笑いをして欲しい。
(あれ?【E7】【D7】【G7】などがないな、これも好きだったのに)
「擬人化した主要13コード」
【C】文武両道の優等生
【D】開放的なやんちゃ坊主
【E】ロックンロール好きの不良少年
【F】文科系で女々しい軟派な少年
【G】陽気な体育会系男子
【A】元気はつらつなロック少年
【E♭】ガリ勉文学少年
【B♭】学校では目立たない影の番長
【Em】怒涛の暗黒女子
【Dm】草食系オタク女子
【Am】堂々たる女子学級委員長
【Bm】モデル体型でオシャレ、でも地味
【Gm】骨太、ハト胸な女子バレー部キャプテン



2014年03月17日(月)
民は迷う君主を信じやしない。

書籍「十二国記(風の万里、黎明の空)」(小野不由美著・
新潮文庫刊・上350頁・下370頁・計720頁)から。
十二の国に、一人ずつしかしない、麒麟に選ばれた国王。
だから、国を治める話が多いのも頷ける。
少し前まで女子高校生だった主人公・陽子が、
突然、麒麟に選ばれて、一国の統治を任される。
その設定こそ、何もないところから、悩み、苦しみ、
試行錯誤しながらも、少しずつ国を作り上げていく、
醍醐味みたいなものを感じる要因となっている。
自治体の首長や、戦国武将の気持ちに通じるようだ。
他の国の王が、経験を踏まえてこうアドバイスをする。
「頼りになる官を見つけることだな。
国を治めるということは実はつらい。
だが、民は迷う君主を信じやしない。
統治に苦しむ姿をみせてはならぬ。
迷っている時は、吟味していると言え」
これは国王だけでなく、小さな組織でも同じこと。
リーダーが迷っていては、部下はついてこないから。
勉強になる、SFファンタジーである。



2014年03月16日(日)
さっぱり、何のことか、知りまへん

もうネットの世界で「SNS」って何の略か知ってる?と訊けば、
「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」
(英: social networking service)のことと、誰もが承知。
同じ質問を、高齢者の関西人にぶつけてみたところ、
返ってきた答えが「さっぱり、何のことか、知りまへん」。
そんな話題をラジオでやってて、笑いのネタだな、と思っていても、
思わず「上手い」と唸ってしまった。
「さっぱり」の「S」「何のことか」の「N」「知りまへん」の「S」
う〜ん、たしかに「SNS」だ。(笑)
大喜利のお題でもないのに、一文字ずつ言葉をあてて文章にする、
こうした切り返しがスッとできる感覚は、
関西の風土と言うべきなのだろうか、驚くしかない。
「生まれながらの感性」では片付けられない何かがある気がしている。
橋下大阪市長の「大阪都構想」も「都構想」じゃなくて「徒競走」。
そんなノリかもしれないな。「徒競走」とは、
「一定距離を走る速さを競う競技。かけくらべ、かけっことも」。
大阪にカジノでも作って「掛け比べ」・・「かけくらべ」・・
「かけくらべ」と言えば「徒競走」・・「都構想」。
「風が吹けば桶屋が儲かる」理論を理詰めで納得させてしまうパワーは
彼の持ち味とも言える。さて、どうなることやら・・。(汗)



2014年03月15日(土)
もらってあげてくれませんか?

以前紹介した書籍「日本人の知らない日本語4」(蛇蔵&海野凪子著・
メディアファクトリー刊・143頁)(番外編・外国編)から。
日本語上級学生でも、混乱する言葉がある、と書かれていたので、
興味津々でページを捲ったら「もらってあげてくれませんか?」。
私たちでもなかなか使い分けが出来ない、尊敬語と謙譲語なども
理解している外国人にとっては、かえってわかりにくいかも。
だって「もらってあげてくれませんか?」って、
「もらうの?・あげるの?・くれるの?」と迷うらしい。
そう言われてみれば、そうだよなぁ。(笑)
どういう時に使うか、私なりに想像してみたら、
あんまり欲しくない人からのプレゼントを遠慮したりした時、
その人の親しい人から、こっそり渡されてこう言われる。
「これAさんから・・・。もらってあげてくれませんか?」
たしかに、こんなフレーズを何気なく使っている。
あれ、本当はどう表現すればいいんだうか、と考えたら、
「納めてください」が浮かんだけれど、どうもニュアンスが違う。
やっぱり「もらってあげてくれませんか?」かな・・(汗)



2014年03月14日(金)
大概の女は、旦那さまのほんの一部しかみていないのよ

映画「お茶漬の味」(小津安二郎監督)から
今まで観た「小津作品」の中では、最高傑作、
メモをしながら、そう感じたことを、まずはご報告。
冒頭(修善寺の旅館)とラスト(自宅)にセットされている
女性同士の雑談シーンが印象的だった。
特に、夫が海外単身赴任しているのを羨ましがり、
「うちの旦那さまもどっか行っちゃわないかなぁ、遠いとこ」
と言う何気ない台詞が、最後になって「なるほど・・」となる。
今まで食べ方さえ気に入らなかった「お茶漬」を、
深夜に夫婦2人で食べて、はじめて夫の気持ちに気付くシーン。
翌日、夫が海外へ旅立ち、いつものように女性同士の会話。
しかし、もう夫を小馬鹿にしたような表現はなかった。
「でも男って複雑ね。女なんて家にいる旦那さましか知らないんだもの。
家にいる旦那さまなんて、甲羅干してる亀の子みたいなもんよ。
あれで外へ出りゃ、結構、兎と駆けっこしたり、浦島太郎乗せたりすんのよ。
大概の女は、旦那さまのほんの一部しかみていないのよ」
家でのっそりしている様をみて、夫を亀に例えたうえ、その亀も、
よく考えれば「昔話」の中でも意外と頑張っていることに気付いた。
この妻の気付きは、夫婦にとってとても大切なことだと思う。
「男の人って、頼もしさっていうのかしら。それが一番大事なの」
この台詞って、なかなか言えないから輝くんだなぁ、きっと。



2014年03月13日(木)
「必要なものを買いなさい」と「大切に使いなさい」

書籍「稲盛和夫 最後の闘い」(JAL再生にかけた経営人生)
(大西康之著・日本経済新聞出版社刊・224頁)から。
上層部の意識改革は、JAL再生の大きなファクターであったが、
破綻を経験した社員の「金」に対する考え方が変わったことも、
見過ごすことができないと思う。
親方日の丸的な「大雑把な中期計画しか持たなかった会社が、
部門別で日ごとの収支を管理するようになり、
『自分は今日、会社の利益に貢献したのか、
それとも赤字を作ってしまったのか』が一目で分かるようになった」
このシステムを長々と説明する気はないが、
「『予算』という言葉には『消化する』という官僚的な思考が潜む」
のフレーズに、ちょっとギクッとしたのは言うまでもない。
しかし、もっとわかりやすい説明を見つけた。
子どもに5,000円渡す時、何と言うか、そんな例えだった。
「必要なものを買いなさい」と言って渡すと、いろいろなものを買い、
「必要だったから買った」と言い訳をする。
しかし「大切に使いなさい」と言って渡すと、買うものを吟味し、
無駄にならないように節約する。
この例えを読んで、仕事にも生活にも、使える発想だな、と思った。
「必要なものを買いなさい」と「大切に使いなさい」
この違いは、大きいなぁ。



2014年03月12日(水)
3月11日だけ『電気』を停めてみてはどうか

昨日「3.11 東日本大震災」を風化させないために・・と、
全国でさまざまな関連イベントが開催され、
地震発生時の14時46分には、多くの国民が「黙祷」をした。
阪神淡路大震災の時のことは、忘れてしまったかのように。(汗)
ぬくぬくとした家屋の中で、新聞・テレビ・インターネットを通して
あの時、何をしていたかな?と振り返る程度で「風化」はとまらない。
当時、もちろん地震の揺れの大きさに驚いたが、
東京で働いていた娘の「安否確認」と、
突然決まった「計画停電」が印象に残っている。
「生死」はもとより「帰宅難民」になっていないだろうかという不安は、
「私はだいじょうぶ」という娘からのメールが届くまで続いた。
それからしばらくして、東電から「計画停電」のお知らせ。
社会教育・社会体育といった「公共施設」をたくさん抱える中、
当日にならなければわからない状況が毎日のように続き、
それでも、施設の位置でグループを確認しながら、なんとか乗り切った。
その後「節電」「省エネルギー」という言葉が氾濫し、
「緑のカーテン」と称してゴーヤを育てたりもした。
それが今では、震災前と変わらない生活に戻った気がする。
あの時の気持ちを忘れないように・・と国全体で取り組むのなら、
突拍子のない提案かもしれないが
「3月11日だけ『電気』を停めてみてはどうか」と思う。
私は昨日、寒さの中、手袋なしに歩いてみたら、
1時間で手の感覚がなくなってきて、痛い感じすらした。
こういう体験をすることでも、被災者のことを考える機会となる。
私はたぶん、毎年、寒い中を歩き続けることで、思い出したい。
「風化させない」ってこういうことじゃないのかな。



2014年03月11日(火)
海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・

映画「遺体 明日への十日間」(君塚良一監督)から。
3.11(東日本大震災)を題材にした映画をこれまでも何本か観てきたが、
私は、この作品の取り上げ方が一番納得できた気がする。
当時の津波映像が使われるのは、あまりにもリアル過ぎて、
被災者のフラッシュバックを考えると賛成できないし、
かといって、お涙頂戴的に、妙に「絆」を強調する作品は、
映画とわかっていても、リアル感が感じられない。
今回の作品は、今までマスコミなどがスポットを当てなかった
「遺体安置所」という場の設定と、徹底取材にも基づいた、
五感をフル活用した台詞などが、私を驚かせた。
マスコミは、津波映像に代表されるように、
視覚を中心に「3.11」の悲惨さを伝えようとするが、
視聴者にはなかなか伝わってこないのが現実。
だからこそ、津波現場から戻った人の台詞は、重たかった。
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」という嗅覚や、
(遺体に向かって)「寒くないですか?」と話しかけるシーンや、
「暖かいお茶、ありませんか?」と触覚を通して寒さを伝えるシーン、
さらには、日蓮宗のお上人さんが、悲しみや辛さからかお経に詰まり、
お経独特のリズムが崩れるといった、聴覚で表現した悲惨さが、
視覚からもたらされる映像以上に伝わってきた。
東北の人たちは、当時のことを多く語らないけれど、
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」の台詞で、
頷く人たちも多いのではないだろうか。
実は、この表現された臭い、1つひとつは想像できるのだが、
混じった臭いが、なかなか頭の中で想像つかないのは、
私が視覚ばかりに頼っていたからに他ならない。
視覚以外に訴えた「3.11関連作品」、図書館で探してみようと。

P.S.
番組冒頭に「2016 いわて国体」と書かれた「のぼり旗」を発見。
そうか、あと2年後は「いわて国体」なんだな。



2014年03月10日(月)
毎回観てますよ、軍師・官兵衛

「しもさん好みのはずなのに・・」と前置きして、
「今年はNHK大河ドラマの話題が少ないですね」とメールが届いた。
そう言えば、貴重なメルマガの読者や、mixi、facebookのお友達を始め、
ネットで繋がっていない人にも、似たようなことを訊かれた。
しかし、その答えは「毎回観てますよ、軍師・官兵衛」。
たしかに、もう10話を数えたのに「気になる一言」に登場したのは、
1月当初の3回だけ。(笑) 
「あれ、今年は観ていないのかな?」と思われても仕方がないが、
それだけ、他の話題が多すぎたってことなのかもしれない。
竹中直人さんが演ずる、秀吉ではないが「心配御無用」、
ちゃんとメモもしてあるので、そのうち顔を出すだろう。
(あっ・・「心配御無用」ではなく「心配に感謝」だったね。(汗))
実は、まだ物語序盤ということもあり、主人公「官兵衛」の台詞より、
「竹中半兵衛」や「家臣」の発言のほうが心に強く残っている。
まだまだ「喜怒哀楽」に振り回されて、感情的に動いてる若き官兵衛がいる。
私が期待している「策士・軍師」としての官兵衛は、これから。
どんな策略で、世の流れを変え、時代を動かしていったのか、
そして出家して「如水」となってたからの官兵衛に関心がある。
「水のように生きよう」とした彼から、いろいろなことを学びたい。



2014年03月09日(日)
品がないな、インターネット「バカ発言」の見出し

最近、インターネットのニュース見出しに不信感を抱いている。
今朝、起きてすぐ見つけた見出しは「松山英樹に『バカ』発言波紋」。
記事をじっくり読んだら、男子ゴルフの松山が13番でパットを外した際に、
軽くグリーンを叩いて無意識に傷つけていたことに対し
「なぜマツヤマはグリーンにクレーターを残したままなのか。
そのためにレフェリーが損傷を修復しなければならなかった。バカだ」と
ツイートしたものらしい。(「バカ」という訳が正しいとも思えないが)
ツィッターは、呟きなのだから、そんな話題にするほどのことでもない。
マスコミが面白おかしく「今大会で話題を呼んでいる」と書き、
私たちのような読者に読ませようとしている気がしてならない。
続いて、11時頃には「松山英樹『バカ』発言で和解」の見出し。
そして、詳細に記された事の成り行きを読み直すと、
問題とした発言も「バカ」から「愚か者だ」と訳が変わっていた。
「バカ発言」という単語が、どれだけインパクトが強いのか知っていて、
見出しを付けているとしたら、それは「イジメ」や「差別」に関して、
あまりにも「無神経」な対応とは言えないだろうか。
小市民の私たちでさえ「言葉の暴力」として認識し、
「バカ」という単語の使い方に敏感になっているというのに・・。
だから今回は、私の雑感を残そうと思う。
「品がないな、インターネット『バカ発言』の見出し」。
それにしても、ゴルフ・サッカー・ベースボールなど、海外で活躍している
日本人選手に向けた他国の人たちの発言にまで、私たちが敏感すぎると、
頑張っている彼らが仲間はずれにされてしまうのではないかと心配になる。
少なくとも「訳す人」は、それなりの心構えで・・お願いします。



2014年03月08日(土)
ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に

わが町の小学校六年生が、第4回白鵬杯(相撲大会)に優勝した。
もちろん、第69代横綱「白鵬翔」が名誉会長を務める全国大会。
(日本・モンゴル・中国・韓国親善交流少年相撲大会)
会場も当然「両国国技館(東京)」、
名実共に少年相撲の最高峰とも言える大会での優勝である。
そんな彼の頑張りを、町民有志が手作りでお祝いしようという会が催され、
スポーツの主管課長である私も、参加させていただいた。
体を比較すれば、参加された大人の誰よりも大きく、(足は29センチだとか)
今後の活躍が期待される逸材と言っても過言ではないだろう。
彼を応援する多くの方が、彼に向けて激励の言葉を掛けた中、
私が一番印象に残ったのは、彼が通っている小学校校長の挨拶。
この素晴らしい成績は、町にとっても、彼が通う小学校にとっても、
そして彼を囲む友達にとっても、大変嬉しいことと、
素直に喜びを伝えてくれたあと、彼に向けて発したフレーズが、
「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」。
言葉としては短いけれど、1年間ずっと観続けてきた校長先生らしい、
とても温かみのある激励だったな、とメモをした。
一つの頂を極めても、もっと違う頂があるはず、貪欲に挑戦して欲しい、
しかし優勝したからと驕らず、もっともっと謙虚に練習に励んで欲しい。
そんな意味を考えながら、このスピーチを聴いた。
小学校の人気者だった彼が、この春卒業して、中学校へ進学する。
これから、いろいろな壁にぶつかることだろう。
そんな時「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」を思い出して、
一歩ずつ、階段を昇っていく姿が目に浮かぶ。
私たちだって、この姿勢を仕事に生かしていけるはずだなぁ。



2014年03月07日(金)
「よう」になるなら「ら」は必要、「ろう」は不要

書籍「日本人の知らない日本語4」(蛇蔵&海野凪子著・
メディアファクトリー刊・143頁)(番外編・外国編)から。
日本語を学びたければ、外国人相手の日本語教師に学べ!!
そう言いたくなるような、新しい発見がある。
以前、話題になった「ら抜き言葉」。
言葉は時代によって変化する、そんな考え方もあるが、
若者の言葉の乱れを声高に叫んだ人も多かった気がする。
ではその「ら抜き言葉のチェック方法は?」と訊かれると、
すっと説明が出来ないのも事実であるが、その見分け方が
この本に書かれていた。
例えば「投げれた」「走れた」をチェックしたい場合、
「〜しよう」の形に変えてみて、とアドバイスが掲載されている。
「投げる→投げよう」「走る→走ろう」・・そんな形に変えてみる。
そして「『よう』になるなら『ら』は必要。『ろう』は不要です」
そう書いてある。
だから「投げれた」は「投げられた」、「走れた」は「走れた」が正しい。
この法則に従って「開けれる」「座れる」をチェックしたら、
「開ける→開けよう」だから「ら」は必要で「開けられる」、
「座る→座ろう」だから、「ら」は不要。
国語の先生より、外国人相手に日本語を教えている先生のほうが、
わかり易い説明が出来るのかもしれないな。



2014年03月06日(木)
その頃の僕の典型的な1日はこんな感じです

講師「鈴木光司」氏(作家)
講演「新しい家族のあり方(パートナーシップと子育て)」から。
隣町で開催された「男女共同参画啓発講演会」の一コマ。
2月開催にもかかわらず、Tシャツで登場した時に、
これは面白そうな話が聞けそうだな、という予感がした。(笑)
奥さんが学校の先生だったこともあり、子育ては夫の仕事。
冒頭、自分の(自分に関わる人の)運の良さを話しながら、
「最大の運の良さは、子育てに関われたこと」と口火を切った。
一日の中でも、子育て中は一切仕事をしないと決め、
生後4カ月から保育所に入れた話からはじまり、
朝起きた時から寝るまでのエピソードは、説得力があった。
話し始めは「その頃の僕の典型的な1日はこんな感じです」。
知識で得た「子育て論」よりも、一日の様子を聞くだけで、
「あぁ、この人は本当に楽しんで子育てをしたんだな」とわかる。
「お父さんが一人で子育てをしていると、世の中のおばさんたちが
なぜか親切にしてくれる」話は、メモも笑い転げていた。
「お父さん、頑張るんだよ」と励まされるまではいい、
そのあと、おもむろに、ちっちゃな子供に向かって
「ところで、あなたのお母さん、どこへ行っちゃったの?」(汗)。
男性が必死に子育てをしていると、こちらが説明もしないのに、
「哀れみをもってみられる」のは、メリットなのかもしれない。
その他、妻との家事の分担方法、子どもの教育方針など、
彼らしい発想と視点は、新しい子育ての幕開けの予感がした。



2014年03月05日(水)
せきとうおうりょくせいらんし(赤橙黄緑青藍紫)

「まだ小雨が降っているので気を付けて帰って下さい」と
終礼の挨拶をして、しばらく机上の整理をしていたら、
「お疲れ様でした」と帰ったはずのスタッフが、
「ものすごく大きな虹が出ています」と嬉しそうに戻ってきた。
急いで屋外に飛び出したら、見事な虹が目の前に広がっていた。
端から端まで、約180度の虹が大きな半円カーブを描いている。
これは誰かに教えてあげよう、という気持ちになるのもわかる。
それも大声をあけで喜ぶのは、子どもだけでなく、
最近、空を見上げることの少なくなった大人たちのほうが、
無邪気にはしゃいでいる姿は、なんとも微笑ましい。
さらに「虹の色も全部言える?と訊かれて、
昔、覚えたよなぁ、と記憶を遡ってみたが、思い出せない。
そんな時「せきとうおうりょくせいらんし」とリズムを付けて、
教えてくれた人がいる。
「せきとうおうりょくせいらんし」
何遍も口の中で呟いてみると、意外と記憶に残った。
もちろん「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の意味。
「九九」「春の七草」「いろは文字」の覚え方と同じで、
普段は忘れているけれど、最初の単語が浮かべば、
芋づる式に単語が続くから、人間の記憶は不思議だ。
そう言えば、もう一つ思い出したことがある。
日本では「7色」だけど「フランスでは、虹は5色」という話を
2002年12月19日(木)に書いていた。(笑)
せきとうおうりょくせいらんし・セキトウオウリョクセイランシ
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫
3回も繰り返せば、もう忘れないだろうな、きっと。(汗)



2014年03月04日(火)
「太平洋戦争」って不思議なことばかりだなぁ

映画「永遠の0」を契機に「太平洋戦争」のことがもっと知りたくなり、
関連映画・関連書籍を、片っ端から鑑賞・読み漁った。
映画は「永遠の0」「終戦のエンペラー」「凛として愛」「日輪の遺産」
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」「出口のない海」
「226」「真夏のオリオン」「太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男」
「男たちの大和 YAMATO」「俺は君のためにこそ死ににいく」
書籍は「永遠の0」「日本史の七つの謎」「あの戦争は何だったのか」・・
史実に基づいた作品もあれば、フィクションもあるようだ。
いろいろな立場から「太平洋戦争」を語っているが、深めれば深めるほど
まだ戦争体験者が生きているというのに、わからないことばかりだ。
どうして始まったのか、どうしてなかなか終わられなかったのか、
そして一番不思議なのは、どうして「8月15日が終戦記念日」なのか。
降伏文書に調印したのは「9月2日」(ミズーリ号船上)なのに・・。
私たちにとって、一番近い日本の歴史なのに、知らないことが多い。
そういえば、歴史の授業って「昭和・太平洋戦争」まで勉強したのかな、
それさえも記憶がない。(汗)
だから「『太平洋戦争』って不思議なことばかりだなぁ」を残そうと思う。
正直、もう少し、調べてみたくなった「太平洋戦争」である。

P.S.(その他にも以前に鑑賞した映画は・・)
「明日への遺言」「私は貝になりたい」「硫黄島からの手紙」
「父親たちの星条旗」「最後の早慶戦」
「エクレール・お菓子放浪記」「戦場にかける橋」
「戦場のメリークリスマス」など。



2014年03月03日(月)
葉っぱがあるとないんでは、料理が違うて見えるな

映画「人生、いろどり」(御法川修監督)から。
「徳島県上勝町」で実際にあった話に基づいて、製作された。
全国各地で、自然しか資源のないまちでは、過疎が進み、
残るのは高齢者ばかり、そんな話を耳にするが、
ちょびり参考になる「まちおこし」と言えそうだ。
山に行けばいくらでも手に入る「葉っぱ」を売るビジネスが、
生き甲斐のなかった高齢者の女性によって花開いたから。
いろいろな料理に添えられた葉っぱを称して「つま」と呼び、
「まぁ、ないより、あったほうがまし」と冷やかすが、
その「つま」は、実は主役の料理を大いに引き立たせている。
その雰囲気に驚かされた男性がぼそっと呟く。
「葉っぱがあるとないんでは、料理が違うて見えるな」。
そんな呟きを聞いて、女性はしやきっと答えた。
「脇役だけど、主役を引きたてる役目を果たしとんのよ」
(徳島の方言が、ちゃんと文字になっているか不安ですが・・)
「主役の料理と葉っぱのつま」の関係は、
切っても切れない夫婦を関係に似ているな、とメモをした。
「(葉っぱビジネスを続けることで)、誰に何を言われてもいいん、
ほなけん、お父ちゃんだけは嫌いにならんといて」と妻、
「みそこなうな、何十年、夫婦やってきたと思うんじゃ」と夫。
この喧嘩みたいな会話が、さらに夫婦の関係を輝かせる。
この光景を見ていた若い人恋人たちは、
「夫婦って、ようわからんもんやな」と男性が呟き、
「私も、あんな夫婦になりたいな」と女性が笑顔で返す。
まちおこしの話だと思っていたら、夫婦の話だったなぁ、この作品。



2014年03月02日(日)
「目次」を押してみてください

先日、私がネットで書き続けている日記について質問があった。
最近流行の「ブログ」ではなさそうですが・・と前置きしながらも、
「日記の内容は『カテゴリー』に分かれていないのですか?」。
私の返信は「申し訳ないです、そんな機能はないんです」と説明し、
「そのかわり日記の上段にある、『目次』を押してみてください、
月別に以前書いた日記は、簡単に読み直せるし、
気になる単語やフレーズを『検索機能』一発で探せますから」。
実はこの機能、私が一番利用している。
以前に書いたことがある内容かどうかの確認や、
ちょっとした挨拶文の参考に「夫婦」「人生」等の単語を入れて、
以前の日記を呼び出すことに使っているけど、カテゴリーでなく
書いたことを、タイミングよく、それも素早く呼び出すには、
この機能に勝るブログを私は知らない。
(実は、人前での「挨拶」の資料に、一番役に立っています)
映画・テレビの「観っぱなし」、書籍の「読みっぱなし」、
講演会やコンサート・ラジオの「聴きっぱなし」などをなくしたい、
さらに、日記の「書きっぱなし」もしたくない・・
そんな私の生き方にピッタリの「WEB日記」といったところだろうか。
情報源は出来るだけ正確に記録する、自分の感想も入れる、
そんなルールを自分で決めて、マイペースで書いているからか、
後で整理し易いし、自分にとって使い勝手がとてもいい。
後は、ブログでもない「WEB日記」がいつまで続くやら・・が、
私の一番の不安材料かな。



2014年03月01日(土)
全員を好きだってことは、誰も好きじゃねぇってことだ。

書籍「十二国記(魔性の子)」
(小野不由美著・新潮文庫刊・491頁)から。
「十二国記」の物語がはじめて読者に提示された作品だが、
その世界観・スケールの大きさに、驚くばかりである。
しかし、読んでない人にはまったくわからず、意味不明。
だからこそ、未読者にもわかる一言を選んでみた。
自分が存在すること原因で、同じ中学校の生徒が、
次々と殺されていくのを悩む、主人公。
同級生みんなに助かって欲しい、と呟く彼に、
担任の先生は、やや興奮気味に諭す。
「誰だって全部の人間に良くしてやれるもんならそうしたいさ。
しかし、順番を決めなきゃいけないときもあるんだよ。
全員を好きだってことは、誰も好きじゃねぇってことだ」
みんなに愛されたいって願望は、人間なら誰にでもある。
しかし、そんなことは不可能だから、こう言ったのだろう。
言い方を変えれは、いろいろな場面で応用できる。
「どこ行きたい?」「どこでも」という会話があったら、
「どこでもいいってことは、どこにも行きたくないってことだ」
「なにを食べたい?」「なんでも」という会話があったら、
「なんでもいいってことは、何も食べたくないってことだ」
こんな会話してませんか?