初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2013年12月31日(火)
気付かずに、ごめんね

年末に、何か悪いことでもしでかした・・と思っている方、
それは、大きな間違い。(汗)
なんと(私が勝手に決めた)、今年の大掃除のテーマである。
題して「気付かずに、ごめんね、大作戦」
29日から始めた恒例の年末大掃除、今年もモノにも感謝を込めて、
「1年間、お疲れ様でした、ありがとう」と声を掛けるのだが、
更に今年は、いつもなら掃除しないような場所まで、
ビスを外して分解したり、綿棒や古い歯ブラシで、
例年はしない細かいところまで、時間をかけて掃除をした。
当然のように、何年間分の汚れと埃が積もり、真っ黒状態。
それを取り除きたくて名付けた、大掃除のテーマ。
「こんなに汚れていたなんて・・気付かずに、ごめんね」
そんな気持ちで掃除をしたら、いろいろ愛着が出てきた。
台所やお風呂場、愛車やパソコンなどなど・・
えっ、こんなに汚れていたの?、ごめん、気付かなくて・・
そんな場所を探すと、逆に嬉しくなった。(笑)
モノへの感謝とともに、自分の大雑把な性格を反省しながら、
「気付かずに、ごめんね」を1年の締めとしたい。

P.S.
この1年間、私の配慮のなさに、戸惑ったりイライラした方、
「気付かずに、ごめんなさい」
来年は、もう少し気を配るよう努力しますので・・。
P.S.(2)
一年間、ご愛読、ありがとうございました。
来年も、ありがとうございます。



2013年12月30日(月)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

ご存知、俵万智さんの短歌集「サラダ記念日」から。
今年の年末、急に寒さが厳しくなった気がするのは私だけだろうか。
この寒さを何か、日記に記録として残したいな、と考えていたら、
ふっと思い浮かんだのが、この短歌。
「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」
なぜ、この短歌が急に浮かんだのか、自分でもわからない。
けれど、そうそう、この感覚が一番ぴったり・・とメモをした。
その人の生活環境に合わせ、想いも違うのだろうけれど、
最近、高齢者のひとり世帯が増えてきた、というニュースや、
独身の若者が増えている話を耳にすると、淋しくなる。
「寒いね」と話しかける人がいる「あたたかさ」
さらに「寒いね」と答えてくれる人が傍にいる「あたたかさ」は
なかなか上手く表現できないけれど、人の温もりを感じさせる。
「寒いね」と話しかけたら「今の気温が何度で、明日は何度らしい」
そんな答えは必要としていない。
「寒いね」と話しかけたら「寒いね」と答えてくれるだけでいい、
そんな関係の人がそばにいることが、心を温かくしてくれる。
夫婦、親子、家族の関係って、そんな役割でいいんじゃないかな。



2013年12月29日(日)
手帳は使いきらなきゃ「もったいない」

昨年の年末「残りの3日間も生ききること」の大切さを書いた。
今年は、手帳なども含め、1年間使ってきたものを最後まで、
使いきることを提案したい。
私の場合、12月31日までは古い手帳を持ち歩き、メモし続ける。
そして、1月1日・元旦に前年の1年間をふりかえりながら、
真新しい手帳に書き写していくことで「充実感」を味わえる。
手帳のほとんどは、12月から12月までの13ケ月の予定が書けるから、
ついつい前年12月から新しい手帳に切り替える人が多いが、
私は面倒くさくても、元旦になってから・・にこだわっている。
新しい年の目標や、自分の夢を再確認するために、
新年1月1日に、前年12月31日までの365日の行動を分析すると、
実に面白いことが見えてくることを知っている。
この「ふりかえり」は、転びながらも、一所懸命生きてきた
私の1年間の通信簿でもあるから、ボロボロになった手帳を、
1ページ1ページめくりながら、あっ、あんなことがあったなぁ、と
思い出し笑いをすることも出来る、おまけ付き。(笑)
そのためにも、手帳を最後の最後、大晦日まで使いきって欲しい。
フレーズにすると「手帳は使いきらなきゃ『もったいない』」
あっ・・「真珠まりこさん」風の一言になってしまった。(汗)



2013年12月28日(土)
金子と私の関係は「凧」と「凧を揚げる人」

書籍「僕の死に方」エンディングダイアリー500日
(金子哲雄著・小学館刊・205頁)から。
彼の死を多くの人たちが悲しんでから、どれくらい経っただろう。
また、同じような役割をする人たちが登場してきて、
何事もなかったことのように、世の中は進んでしまう。
だから、彼の生きざま・死にざまは、立派だったけれど、
敢えて、内容には触れないことにしようと思う。
私が選んだのは、彼の奥さんが書いた「あとがき」から、
二人の関係に触れたフレーズ。
金子と私の関係は「凧」と「凧を揚げる人」のようなものでした。
金子は凧です。放っておくと、どこまでも飛んで行ってしまう。
私の役目は、ただ糸を持っていること。
無理に上げる必要はありません。
勝手に風を読んで、どこまでも高く昇っていく。
私はただ、金子が安心して高く昇っていけるよう、
糸を離さないように持っているだけです。金子はよく言いました。
僕がへんなところへ行っちゃうようだったら、
その時だけ、クッと糸を引っ張ってくれる?」
そうか、そんな関係の夫婦もあるんだな、と妙に納得した。
また新しい夫婦の関係を教えていただいた気がする。
もう一度、妻と「夫婦の関係」について、話してみようっと。



2013年12月27日(金)
風に流される雲は現れては形を変え消えていく。

映画「雲 息子への手紙」(マリオン・ヘンセル監督)から。
世界各国、さまざまな形の「雲」の映像をバックに
最愛の息子への手紙を、仏・英2大女優が朗読する。
(「カトリーヌ・ドヌーブ」「シャーロット・ランプリング」)
ただそれだけなのだが、私の心の中には印象深く残った。
「雲」に魅せられた女性監督作品であるが、
私もこの作品を通して「雲」に魅せられてしまった。
毎日、何度となく空を見上げては、雲の変化を楽しんでいる。
「雲一つない晴天」が、なんとつまらないことか。(笑)
最近では、風景画を鑑賞しても、自然に「雲」を探す。
そんな私の心情を、数少ないメモから探すと、
「風に流される雲は現れては形を変え消えていく」。
短い言葉でいうと「飽きることのない自然」かな。
夜は「星座」、昼間は「雲の形」を覚えるだけで、
この世はもっと楽しくなる。
そういえば、最近ほろ酔い気分で見上げた「夜の雲」も神秘的だった。



2013年12月26日(木)
食べるものは、我慢できるけど、出すものは我慢できないからね

第165回泉のまちカレッジ(講演会)

講師「白井忠志」氏(伊豆どろんこの会・理事長)

演題「2011年3.11被災地に何が起こった?
2013年今日から私は何をするか?」から。
名前を見てすぐに気がついた、高校の同級生だと。(笑)
頑張ってるなぁ・・と講演前に挨拶を交わした。
東日本大震災の現場に、何度も足を運んだ彼しかわからない情報は、
これから確実にやってくると言われている、
東海地震や東南海地震の被災地となる私たちにとって、
とても参考にすべき貴重なメッセージが隠されている。
「何よりも困ったのは、トイレです」
「食べるものは、我慢できるけど、出すものは我慢できないからね」
人間でも動物でも、出すものは我慢できない。(汗)
普段食べ慣れないものを口にして、お腹を壊す人だっているはず。
震災時、もっとも必要となると思われるトイレが、
あまりクローズアップされていないな、彼の話を聴いてそう思った。
蒲団や毛布などの寒さ対策や、食料や水などの備蓄状況などは、
確実に整備されてきているが、簡易トイレは少ないのかも・・と
ちょっぴり不安になった。
また、自衛隊が来るまでは、協力しあい頑張っていた住民が、
支援が到着した途端、怠惰になってしまった、という話は、
私たちにとっても笑えない話だな、とメモを取った。
最後に、彼が大きな声で口にしたのは、神様からのメッセージ。
「阪神淡路大震災・中越地震・東日本大震災などを通じて、
準備をしておけ、とあれほど言っただろう?」
そんな意味の言葉だった。
どんなことが起きて、どんな課題があるのか、
充分わかっているのに、何も準備をしていないままで被災したから、
私も救いようがないよ、そんな意味に解釈した。
厳しいけれど、そのとおりだよなぁ。(汗)



2013年12月25日(水)
単なる「定期演奏会」ではなく「クリスマスショー」

「沼商吹奏楽部・第53回定期演奏会」に足を運んだ。
今年は、いろいろな場面でお世話になったし、
たまには関係者ではなく一観客として、じっくり聴きたいな、
そんな想いで席に着いたのだが、私の期待をはるかに上回った。
これはもう単なる「地元高校の吹奏楽部・定期演奏会」ではない、
来場者を心から楽しませてくれる「クリスマスショー」だった。
だから一言は「単なる『定期演奏会』ではなく『クリスマスショー』」。
あっと言う間の「3時間半」、最後は会場全体にペンライトが揺れた。
以前から「歌って踊れる吹奏楽部」として、私の評価は高かったのに、
さらに「演じる吹奏楽部」が加わり、笑いあり涙ありのステージは、
温かい気分にさせてくれる「クリスマスプレゼント」となった。
実は、オープニングの挨拶でサンタの帽子をかぶった校長先生が登場し、
「メリー・クリスマス!!」と大声で叫んだ時に、ドキモを抜かれた。
その校長先生が「ちょっと今日は詩人になってみました」と照れた時、
今日は何かが違う・・と私の中で、弾けたものがあったのも事実。
特に第2部の「沼商オリジナルステージ『ライオンキング』」は圧巻で、
演劇部や合唱部とコラボレーションでもしたのかと勘違いしたくらい、
吹奏楽部員の真剣さが伝わってきた。
沼商吹奏楽部・音楽監督の川口三郎さんは、いつも笑顔を絶やさない。
そんな彼が、パンフレットに寄せたメッセージこそ、
今日のステージを象徴している気がしたので、最後に残したい。
「幸せだ!と思った瞬間、全ての出来事が感謝に変わる」
誰かの言葉かもしれないけれど、今日は間違いなく彼の言葉だった。
来年も沼商吹奏楽部の「クリスマスショー」も楽しみにしたい。
もう私の手帳には、クリスマスの歳時記に入っているのだから・・。



2013年12月24日(火)
お名前をフルネームでお願いします

毎年2月に受診する恒例の人間ドックを、年末に変えてみた。
(希望の日に、予約が取れなかっただけの話だけど・・)
忘年会シーズ真っ盛りに、なんと無謀な・・という、
意見に頷きながら、渋々の受診であったが、意外や意外、
この時期に人間ドックの検査をする人の多さに驚いた。
そう言えば、数年前のクリスマス・イブに、痔の手術をして、
その日の夕食(病院食)に、ケーキが添えられていたのを思い出した。
さて話は変わって、今回の人間ドックには、ある特徴があった。
それは「検査のたびに、自分の名前を口にする」ということ。
以前は「○○○○さんですね」「はい」という会話だったのに、
今回は「お名前をフルネームでお願いします」「○○○○です」
「はい、それでは検査を始めます」という会話になった。
最近、患者の取り違えミスが話題になったからかもしれないが、
問診から始まって、胃のバリウム検査まで、
10回くらいは、自分の名前を口にしたかもしれない。
面倒くさいということではなく、とても新鮮な出来事だった。(汗)
自分の名前って、他人に呼ばれることはあっても、
自己紹介や名刺交換以外に、日に何度も「○○○○です」と
自分の存在を確かめるかのように「音」にすることはない。
そうか、私は「○○○○」という名前なんだと、改めて、
自分の名前を自覚した機会となったことで、妙に照れてしまった。
1年の総決算としては、この時期の「人間ドック」も悪くないな。
肝臓の数値だけは、保証できないけれど・・(笑)。



2013年12月23日(月)
課長、仕事の時より真剣な顔してました・・

ジオラマアーティスト・田村映二さんの作品展
「夢國旅日記」も残すところ、あと3日となった。
今日は、田村氏本人と、助手の方々の指導を受け、
かねてより体験してみたかった「シャドウボックス」に
チャレンジすることとなった。
「シャドウボックス」とは、同じ絵を何枚か用意し、
カッターで部分的に切ったものを、
貼り合せたり、重ねたりすることによって
立体感や遠近感をつけて作る半立体的クラフトであるが、
やはり(笑)ハマってしまった。
細かい作業を2時間半、集中することの楽しさを知ったし、
苦労して出来上がった時の達成感ってこんなだったのか、と
小さい頃、細かいプラモデルを作り上げた時に感じた
何ともいえない充実感が戻ってきた気がする。
周りで私の作業を眺めていた、わが課のスタッフに、
出来上がった作品を見せて感想を訊いたら、
「課長、見たことのない怖い顔をしていましたよ」
「課長、仕事の時より真剣な顔してました・・」
感想は様々だったが、彼らが周りで観ていたのも忘れて、
本当にびっくりするくらい作業に没頭していたと言える。
「集中する」って、こういうことか、楽しかったなぁ。



2013年12月22日(日)
「もったいない」とは「命の大切さを伝える言葉」

講師「真珠まりこ」さん(絵本作家)
演題「もったいないばあさんと考えよう、世界のこと」から。
今年の春に開催した、絵本作家・宮西達也さんの原画展で知り合い、
わが町が今年度「道徳教育」に力を入れていることを伝えながら、
「もったいない」をキーワードに、まりこさんの力を貸して欲しい、と
密かに、ラブコール(笑)を送り続け、先日、その願いが叶った。
地元小学校の1年生から6年生に向けて、さらに町民に向けて、
「もったいないばあさん」の読み聞かせから始まり、
世界の子どもたちの悲惨な現状を話しながら「もったいない」とは、
「ケチ」とは違うことを教えていただいた。
幾つかのメモから、今回私が選んだのは「もったいない」の定義。
「もったいない」とは「大事にしようね」ってことだし、
「命の大切さを伝える言葉」であることを、改めて知った気がする。
またそんな話を、小学校1年生が約50分間、真剣に耳を傾けていたことに対し、
私は驚いたとともに、ちょっぴり嬉しくなってしまった。
話を終えた後、子どもたちが「今日は給食を絶対に残さないよ」と、
先生に感想を残したと言う。(これまた嬉しいことじゃないか)
「ケチ」は執着だけど「もったいない」は愛情なんだよねぇ、まりこさん。

P.S.
「忘れないうちに言おうと思って・・」と続けた「和食」の話、
「生物の繋がりを知ることで、自分を知るきっかけになる」
この生物の多様性の話は、また機会をみつけて取りあげたいと思う。



2013年12月21日(土)
知性と品格を磨いた女性には、世の中を変える力があるんですよ

NHK大河ドラマ「八重の桜」(最終回・いつの日も花は咲く)から。
あっと言う間に、最終回を迎えてしまった感じさえするが、
日本が、幕末から明治という大きく変わろうとしていた時代に、
「始めたことは、極めるまでやめない」
「新しいことを学ぶのは、面白いから」と好奇心旺盛の八重を、
毎週、テレビ画面から応援し続けいた1年だった気がする。
彼女は、同じ時代に生きている女性たちに向かってこう話した。
「知性と品格を磨いた女性には、世の中を変える力があるんですよ。
男子以上に」
腕力や権力の力で、世の中を変えようとする男性よりも、
知性と品格を磨いた女性の方が世の中を変える可能性が高い、
私もそんな気がしている。
今の日本に必要なのは、体が大きく豪腕な男性リーダーよりも、
知性と品格を磨いた女性のリーダーかもしれない。
巷で噂になっている「東京都知事選」も、
もしかしたら、知性と品格を磨いた女性が就くかもしれない。
最終回に呟いた「八重」の台詞が、現実に試される時が来たのかもなぁ。
主役の綾瀬はるか様、本当にお疲れ様でした。

P.S.
最終回タイトル「いつの日も花は咲く」って、
「花は散らす風を恨まねぇ、ただ一生懸命に咲いている。
花は散っても、また花を咲かせる。何度でも何度でも、花を咲かせろ」、
このフレーズから選んだろうなぁ、きっと。
NHK東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」案も、捨て難いけど。



2013年12月20日(金)
「草野球のキャッチャー」って言うんだよ

映画「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋次監督)から。
あまりに有名なラストシーンばかりが注目されるが、
古い映画は、撮影の時代背景がわかって面白い。
とはいえ、食堂のメニューや看板ばかりメモしていたのでは、
この作品を思い出すには至らないので、
今回は、主演の高倉健さんが口にした駄洒落を選んでみた。
北海道で知り合って旅を続ける若者たちに扮する、
桃井かおりさんに、ちょっかいを出す武田鉄矢さんに、
ある晩、高倉健さんが説教する場面。
「このバカたれが・・だまって聴け。
おなごっちゅうもんは、弱いもんなんじゃ
咲いた花のごとく、もろい、壊れやすいもんなんじゃ。
男が守ってやらないけん。大事にしてやらないけん。
おなご相手にぶうぶう文句を言ったり、
大きな声を出して喧嘩したり、さかりのついた犬の如く、
抱きついたり、お前のような男、俺の方じゃ
『草野球のキャッチャー』って言うんだよ。
わかるか?・・『ミットもない』ってこっちゃ」
これには笑えた。言い古されたギャグなのかもしれないが、
高倉健さんが照れくさそうに言うところが、実に面白かった。
古い映画って、味があるよなぁ。

P.S.
まだ若かりし頃の、桃井かおりさんが発した台詞、
「やぁね、こんなところでウンコしたりして・・」
私は、呆気にとられて、メモをした。(汗)



2013年12月19日(木)
いい人と出会う才能

メモを整理していたら、この一言を紹介していないことに気付き、
以前の話だけど、気になる一言の仲間入りさせたい。
長嶋監督、松井選手の「国民栄誉賞の表彰式」生放送のコメント。
松井選手が、小さい頃にお父さんから教わった
「努力できることが才能である」という言葉を紹介した時、
大のジャイアンツファンである徳光さんは、
しみじみと頷いたと思えば、半ベソの状態で
「彼は『いい人と出会う才能』も持っています」と発言をした。
(私も感激していて、メモが中途半端ですが・・)
後日メモを整理していたら、この「才能」って言葉が輝いていた。
辞書によると「才能」とは、
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。
「音楽の―に恵まれる」「―を伸ばす」「豊かな―がある」
もって生まれた能力となると、今更、どうしようもないけれど、
「才能教育」という言葉がある。
個人のもつ素質を生かし、能力を早期に開発しようとする教育。
と考えると「いい人と出会う才能教育」も出来そうな気がする。



2013年12月18日(水)
雪の音なのかもしれない

書籍「十二国記(丕諸の鳥)」の中の「丕諸(ひしょ)の鳥」、
(小野不由美著・新潮文庫刊・358頁)から。
作品の中に「静かな音」についての表現が出てくる。
「水の零れる音、流れる音、せせらぎ、さざなみ、
どれも違う気がする。かと言ってどんな風の音でもない。
水音も風音も、何かを語りすぎる気がする。もっと、静かに・・
そう、そうだな、確かに雪の音なのかもしれない」
どれも、心地よい音のはずなのに、静寂さを伝えるための音は、
「雪の音」という視点が、私を驚かせた。
「しんしんと降る雪」に「結晶とか、冷たさ」は想像できても、
かすかに感じる「音」までは思い浮かばなかった。
私が雪国に住んだことがないからだろうか。
窓から眺める、空から落ちてくる雪の音が、わからない。
水の音や風の音を、何かを語りすぎると感じる感性は、
研ぎ澄まされているに違いない。
雪国を訪れることがあったら、雪の音を確かめてみたいな。
(雪国に住んでいる方の御意見、お待ちしています。(笑))



2013年12月17日(火)
窓を開けるのは、子どもたち自身なのですから

書籍「子どもを本好きにする50の方法」
(さくまゆみこ著・柏書房刊・174頁)から。
1から50まで、なるほど、と思う方法が詰まっていた。
その中から少しだけ紹介しておこうと思う。
(13) 「本屋さんや図書館に慣れておこう」
本屋さんや図書館を、子どもにとって「おなじみの場所」に
なるようにしてあげよう、そんな提言だった。
さらに「マナーを教えることも大切」と書かれていて、
私を喜ばせてくれた。
本が好きになると、自然に本を大切に扱うようになったり、
図書館の使い方もしっかり覚えて、職員と仲良くなったり、
いつ行っても安心できる、楽しい場所になるようだ。
実際に、カウンターに座るスタッフに聞いたら、
本が好きな子は小さくても、バーコードが読みやすいように
並べ直してくれたり、彼ら彼女らなりの思いやりが感じられ、
嬉しくなるという話を耳にした。
そして50番目の方法を読んで、さらに共感した。
(50)「本はさまざまな風景を見せてくれる窓」
「本は窓です。窓を開けると、ここが違う風景が広がっている。
世界を知る窓、言葉を知る窓、人の気持ちを知る窓。
本という窓から外を覗くと、
こちら側とは違ういろいろなものが見えてくるはず
ただし、大人ができるのは、窓を用意することだけです。
窓を開けるのは、子どもたち自身なのですから」
窓を開けた子どもたちの顔を楽しみにしようっと。



2013年12月16日(月)
何を話していいか、わからないんだ

田村映二作品展「夢國旅日記」のスペシャル企画
「田村映二・宮西達也のギャラリートーク」から。
面白くなるだろうな・・と想像は出来たけれど、
予想をはるかに超えて、(私にとっては)大爆笑だった。
子どもの心を掴む天才・絵本作家・宮西達也さんと、
普段は、ほとんど子ども相手にしゃべらない(汗)
ジオラマアーティスト・田村映二さん。
会場には、保育園児もいっぱい集まり、
宮西さんは得意分野、田村さんは苦手分野。
この違いが、漫才の「ボケとつっこみ」そのもの。
「ずっと沼津市の原で育ったの?」「はい・・えへっ。」
「(いろいろ話して)・・楽しかったねぇ」「楽しかったな」
突っ込み役の宮西さんが何度も口にする「もっとしゃべれよ」、
田村さんが口にする「何を話していいか、わからないんだ」。
しかししかし、田村さんは気付いたようだ。
「僕に子どもがいなかったから、
こんなしゃべり方ができなかったんだって」
そして妙に嬉しそうに話した「来年、生まれます」の一言が、
微笑ましかった。(先輩に対して、すみません(笑))
来年、田村さんのしゃべりが、どう変わるか、楽しみである。



2013年12月15日(日)
落ち葉たち もうすぐ冬だと おき手紙

地元小学校廊下の壁に貼られていた11月の「言葉遊び」一席、
「落ち葉たち もうすぐ冬だと おき手紙」
思わず・・うまいなぁ、とメモをした。
著作権があるかもしれないので紹介が遅れたが、
たしか作者は、小学校4年生。
この感性は、自然をじっくり観察していなくては、
こんな素敵な表現できないだろうし、
落ち葉が多すぎてもう大変・・と嘆く大人たちと違い、
この落ち葉さえなくなると、本格的な冬がやってくるよ、と
木々が「落ち葉」を使って、私たちに伝えてくれている。
落ち葉の光景は、この時期ならどこでも見かける。
いつも車で移動している人には、たぶん分かりにくい、
「晩秋」と「初冬」の違いを「もうすぐ冬」という文字で、
風の冷たさを感じさせてくれる。
こんな子たちが、日本の良さを伝えてくれることに感謝したい。



2013年12月14日(土)
巡り巡り巡り巡って

映画「さや侍」(松本人志監督)から。
侍が竹林から走ってくるオープニングシーンと
最初から約9分間、台詞らしい台詞がほとんどない展開に、
ちょっぴり期待したが、「30日の業」たる変な処罰から
物語がわからなくなってきてしまった。
映画のジャンルを確認する必要を感じた、笑えないギャグが
とことん続く。
いい加減にしろよなぁ、と呟きながら、ラストシーン。
きっとこの30回目で、悲しみに浸っていた若殿がニコッとして、
めでたしめでたし、侍は無罪放免を予想していたが、
期待に反して笑わず、切腹を言い渡される。
もう一回与えられた「辞世の句」で面白いことを言い、無罪放免・・
という勝手に想像したストーリーも、裏切られた。
ただこの時から、映画の軸である、父と娘という親子の関係が
急浮上してくる。
娘に悟られないように渡された、娘に宛てた手紙。
(竹原ピストル作詞作曲のエンディングテーマ曲)
「巡り巡り巡り巡って あなたが父の子に産まれた様に
巡り巡り巡り巡って いつか父があなたの子に産まれるでしょう
巡り巡り巡り巡って ただそれだけですがそれが全てです」
お笑いの映画と勘違いしていた私は、ここで号泣。
「父と娘」の関係って「母と娘」とは全然違うんだよなぁ。
映画「アルマゲドン」の「父と娘」の親子愛を思い出した。



2013年12月13日(金)
50代の大人がゆっくり本を選べる場所

書籍「伊藤まさこの雑食よみ」(日々、読書好日)
(メディアファクトリー刊・169頁)から。
この中では、本ばかりでなく、お気に入りの書店なども、
非常にいいタイミングで紹介している。
神田古本屋街のちっちゃな書店や、松本の雰囲気のある書店、
そして、今注目を集めている書店まで、いろいろ。
今回、私が気になったのは「代官山蔦屋書店」。
佐賀県武雄市立図書館の指定管理を受けたことでも、
気になる存在の企業であるから、
先日、実際に足を運んで、隅々まで確認してみた。
「2011年12月オープン」、既に2年も経過しているというのに、
その斬新さは、驚くばかりであった。
この本の紹介文は、たしかこう書かれている。「大型書店なのに、
どこかしら個人の方の書棚をのぞいているような気になるのは、
きっと各専門分野のコンシェルジュの方たちのおかげなのですね。
50代の大人がゆっくり本を選べる場所というのが、
この書店のコンセプト」。そのとおりであった。
さらに「こういうお店があったらいいな、という
本好きな大人の思いがかたちになった。
たまに訪れては、幸せな時間を過ごさせてもらっています」。
大切なのは、目新しさではなく、コンセプトなんだと、
改めて実感した形となった。



2013年12月12日(木)
しもさんに恥をかかせるわけにはいかないでしょ

造形絵画師・田村映二さんの作品展「夢國旅日記展」が、
清水町地域交流センターで、今週末から始まる。
(沼津市在住の「タムタム」といったほうがわかるかな?)
今回の企画展にあわせて、御自身の肩書を変えるところが、
彼らしいこだわりで、実に面白い。
5月くらいから少しずつ打合せを始めていたが、
現実に作品が並べられると、その魅力が倍加してきた。
私の予想以上の作品群に驚き、つい野暮とは思いながらも、
「田村さん、予算伝えてありますよね?」と訊いたら、
「わかってるよ、だけど妥協したくないんだ」と言いながら、
「しもさんに恥をかかせるわけにはいかないでしょ」。
さらっと口にした台詞に、胸がジーンとして涙が出そうだった。
春には、主に子どもたちを喜ばせたくて「宮西達也絵本原画展」、
秋には、主に高齢者を喜ばせたくて「前田光一木版画展」、
そして、この冬、主に若い人たちを喜ばせたくて
「田村映二夢國旅日記展」と続けてきたが、
今年の企画展は、どれも私が開催したかったものばかりだから、
大満足の一年になりそうだ。
クリスマス(25日)まで続く「タムタムワールド」は、
公共施設での開催は初めてという、おまけつき。
田村映二美術館が、台湾(花蓮市)にオープンして、
これから、ますます活躍が期待される「ジオラマ・アーティスト」は、
なんと宮西さんと同級生で、私の憧れの先輩たちである。



2013年12月11日(水)
生きるってことは、嬉しいこと半分、辛いこと半分

書籍「十二国記(風の万里、黎明の空)」(小野不由美著・
新潮文庫刊・上350頁・下370頁・計720頁)から。
場面設定を説明しても、わかりづらいだろうからしないけど、
人の幸せ・不幸せについて、語る場面がある。
そのキーワードが「嬉しいこと半分、辛いこと半分」。
「人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、
ただその人の心のありようが、幸せだからなのです」
「苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、
それだけが真に人を幸せにするのですよ」
「人よりも不幸なことを探してさ、ぜ〜んぶ、それのせいにして、
居直って、のうのうとしているのって。
単に人より不幸なのを自慢しているだけじゃねえの」
「べつに不幸じゃなくても、無理やり不幸にするんだよな・・」
「気持ちよく不幸に浸っているやつに、同情するやつなんていないよ。
だって、みんな自分が生きるのに、いっしょうけんめいなんだから」
「自分だって辛いのに、横から同情してくれ、なんて
言ってくるやつがいたら嫌になるよ」
「自分が一番可哀想だって思うのは、自分が一番幸せだって
思うことと同じくらい気持ちいいことなのかもしれない」
「人が幸せになることは、簡単なことなんだけど、難しい・・」
「生きるってことは、嬉しいこと半分、辛いこと半分なんだって」
数えたらキリがないくらいメモは増え、私の心に残った。
いろいろなことを教えてくれる、SFファンタジーである。



2013年12月10日(火)
私もあなたの数多くの作品のひとつです

書籍「タモリ論」(樋口毅宏著・新潮新書刊、190頁)から。
全体的には「タモリ論」とわかっていながらも、
「北野武さん」や「明石家さんまさん」を小馬鹿にしたような
その内容に、途中で、読むのをやめようか、と迷ったのが本音。
しかし「人類が誕生してからというもの、
この世界には七つの芸術があると、言われています。
建築・彫刻・絵画・音楽・詩・演劇・そして映画」や、
ちょっと頷いてしまった「笑いについて知る者は賢者だが、
笑いについて語るものは馬鹿だ」というフレーズ、
さらに「優れた芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」
は、悔しいけれど納得してメモしてしまった。
また、赤塚不二夫さんの告別式でタモリさんが読んだ弔辞、
「私もあなたの数多くの作品のひとつです」は、心に残った。
この本を思い出すには、やはりタモリさんの人柄を表している
このフレーズだなと、選んでみた。
「料理は家庭の中でできる最高のクリエイティブなことだ」
これも、どこか挨拶で、使わせてもらおうっと。(汗)



2013年12月09日(月)
礼なら、父に

映画「フィッシュストーリー」(中村義洋監督)から。
伊坂幸太郎さんの同名小説の映画化であるが、
場面設定も違うシーンが多く、最初ちょっと戸惑ったのは本音。
もちろん原作をそのまま映像化する場合もあるし、
今回のように、根底に流れる考え方は崩さず、
監督や脚本家など、映画スタッフにより変える場合もある。
どちらもありだと思うし、原作者が納得してくれればいいのだろう。
私は、原作がある場合、最初に図書館で本を借りて読む。
そして、じっくり読み終えてから、映画観るタイプなので、
この文字が、映像になるとどう変わるのか、
原作でメモした台詞が、映画でも使われているかな?などという
ちょっとオタクっぽい鑑賞の仕方をしているのも事実である。
「風が吹けば桶屋が儲かる」的な物語で、偶然が重ならないと
繋がっていかない展開の中、大事な役割は「正義の味方」の出現。
小説では「ハイ・ジャック」、映画では「シー・ジャック」をやっつける役、
彼がいなければ、この物語は続いていかないのだが、もっと面白いのは、
その「正義の味方」を育てた父親がいたから・・という視点。
それを思い出すのは、正義の味方が事件解決の後、呟く台詞であろう。
「礼なら、父に」
(書籍では、最終的に世界を救った女性が呟く。
「お礼は、その人のお父さんに」)
世の中に起きていることは、すべて多くの人が関わっていることを
この作品で、再認識する事になる。(笑)
この映画を観ることが出来たのも、伊坂幸太郎さんを育てた親がいたからだな。



2013年12月08日(日)
みなさんの支援が、この音になっています

わが町でも老若男女、誰でも参加できる「合唱」でまちづくりがしたい、
そんな想いから、妻を誘って、山梨県都留市のある
「都留文科大学合唱団」の第48回定期演奏会に足を運んだ。
縁あって、常任指揮者・合唱団顧問の「清水雅彦氏」と知り合い、
この日の演奏会を楽しみにしていたひとりである。
実はこの合唱団、日本で最も歴史と権威を誇る全日本合唱コンクール、
5年連続の金賞に輝いている。
インターネットでも彼らの合唱の素晴らしさは配信されているが、
やはり、その生演奏を自分の耳に残したかった、が本音である。
(「素晴らしかった」と文字にしても伝わらない「感動」をいただいた)
都留市は「学園城下町」の言葉がよく似合うまちだった。
人口約3万2千人というから、わが町とほぼ同じ人口規模なのに大学があり、
全国から集う学生の若い力、そして合唱団の全国レベルの活躍こそ、
この都市を活気づけているんだろうな、と感じていたら、
ステージ最後に、清水先生の観衆に向けたスピーチは、正反対だった。
「みなさんの支援が、この音になっています」
この合唱団員が全国に響かせているのは、みなさんの支援の音です、
そんな意味に感じて、嬉しくなった。
若い力を支援する地域の温かさ、それが胸を打つハーモニーとなっている。
帰宅して「都留市」をネット検索したら、こんな表現をみつけた。
「学術と文化、芸術が融合した知的風土を醸し出すまち」
文化のレベルって、まち全体で醸し出すんだよなぁ、きっと。



2013年12月07日(土)
目で知る「しるべ」を「目標」と言います

「働く女性の会(ATG)」の12月例会だった。
講師は「ドリームマップ普及協会理事・高野亜紀子さん」
「夢」実現へ一歩踏み出す「ドリームマップ」を作成するセミナー。
若い頃から「自己啓発」関連の本は読み漁ったし、セミナーにも参加した、
「現実の自分」と「なりたい自分の姿」のギャップを、
「行動」によって埋めていく大切さも、知っているつもり。
だからこそ、今回はどんな「手法」で、夢を形にしていくのだろうか、
そんなへそ曲がりの視点で参加した。(汗)
セミナー参加のコツは、そのプログラムを信じて「洗脳」されること。
(変な意味の「洗脳」ではありません、あしからず)
今回も「夢中」で参加したおかげて、新しい発見が出来た気がする。
夢をイメージ化することは、文字より画像の方がはるかにインパクトがあった。
それも、最初から夢を意識した「画像」を準備するよりも、
当日、机に並べられた、ジャンルもバラバラな雑誌をパラパラめくって、
何だかわからないけれど、おっ、これいいなぁ、と感じた画像を切り取り、
眺めているだけで、自分の「夢」が、はっきりとイメージ出来たのだから。
「目で知る『しるべ』を『目標』と言います」という説明こそ、
今回のセミナーを思い出すに相応しいフレーズとして、記録に残したい。
また、懇親会で披露された参加者全員の「ドリームマップ」、
女性陣は、ファッション雑誌から切り取ったのか、スタイル抜群、
または、幸せそうな雰囲気の女性のシルエット画像が、必ず貼られている。
男の私には、理解し難い「しるべ」であった。(笑)
これも今回の、大きな発見(気付き)の一つであった気がする。



2013年12月06日(金)
秀長は、秀吉のナビゲーター・ブレーキ役

講師「小和田哲男」氏。(静岡大学名誉教授・文学博士)
演題「いま、戦国武将から何を学ぶべきか」から。
自己紹介を兼ねて、大河ドラマ時代考証の話から、
「なぜ負けた大名ばかりやってんだ」と笑われた話まで、
大河ドラマファンとしては、申し分ない掴みだった。(笑)
多くメモから私が選んだのは、
「秀吉の晩年は、めでたしめでたしではない」
秀吉は弟の秀長が死んでからおかしくなった、という話から、
「秀長は、秀吉のナビゲーター・ブレーキ役、
彼がいなくなってから暴走した」とまとめてくれた。
秀長は、秀吉の信頼厚くその片腕として辣腕を揮い、
豊臣政権において内外の政務および軍事の両面で活躍を見せ、
天下統一に貢献した、とされており、
「補佐役(鷂2)が、いかに必要で大切か」を教えてくれた。
「黒田長政(黒田官兵衛の息子)の釈迦の間の異見会」などにも触れ、
来年の大河ドラマ「黒田官兵衛」に寄せる期待が大きくなった。

P.S.
三島駅までの送迎機会を得て、車の中は私のプライベート質疑応答。
とても気さくな、偉い先生でした。(汗)



2013年12月05日(木)
日本人は「過去」「未来」を無視しがちである

書籍「理想の図書館とは何か」(知の公共性をめぐって)
(根本彰著・ミネルヴァ書房・208頁)から。
公立図書館のあり方は、人それぞれ考え方が違い、
ここに紹介されている役割も、一長一短としか言えない。
佐賀県武雄市のような、今までの常識を根底から覆すような
公立図書館が現れ、今、変革のど真ん中と言えそうだ。
そんな中、私が選んだのは「個人のみならず、
古いものをどんどん捨て、短期的な効率性を求める
知識情報管理を行う方向に一層向かっている」という視点。
言い換えれば「日本人が『今』に著しく、関心を集中し、
それが『過去』の結果生じたこと、あるいはそれが
次の『未来』へ繋がることを無視しがちである」という視点だ。
図書館が教育委員会の管理下に置かれているのは、
「その時々の政策判断や社会状況に左右されずに、
残さなければならない文化遺産が存在し、その管理を担っている」
と理由を述べ「司書はそのための専門職」と位置付けた。
「日本人は『過去』『未来』を無視しがちである」を
気になる一言に残しておこうっと。



2013年12月04日(水)
「自分には厳しく、他人(ひと)には甘い」生き方

先月、職場の後輩たちと、年に一度のゴルフに行ってきた時のこと。
移動中の車内で、(珍しく(汗))生き方の話になった。
「他人(ひと)には厳しく、自分に甘い」人が多い中、
自分には出来ないけれど
「自分に厳しく、他人にも厳しい」生き方がカッコいい、と
思っていたら、後輩の一人が
「自分にも甘く、他人にも甘い」生き方がいいね、と主張した。
本人が「自分にも甘い」と意識しているならば、
それもありだな、と妙に納得してしまった。
たった一回の人生、自分にも他人にもプレッシャーを与えるよりも、
「まったくしょうがねぇな」と呟きながら、その尻拭いをする。
そんな生き方も面白いかもなぁ、と感じる年頃になった。
ただ、私が目指しているのは、またまだ思うようにいかないが、
「自分には厳しく、他人には甘い」生き方。
自分に厳しくしていると、つい他人にもそれを求めてしまい、
あっ、他人には甘くていいんだ、とあとで反省することが多いし、
「自分に厳しい」と言いながらも「自分に甘くなる」こともしばしば。
だけど・・やっぱり、この生き方がいいなと思う。
「自分には厳しく、他人(ひと)には甘い」生き方の人が増えたら、
きっと素敵な社会が実現するだろうなぁ。



2013年12月03日(火)
もっとおまえと一緒に走りたいよ

映画「LOVE まさお君が行く!」(大谷健太郎監督)から。
作品前半部分、あまりにストーリーが単調だったし、
主演の香取信吾さんも、役を演じている感じがなくて、
「犬」が主役でなければ、とっくに中止していた気がする。
しかし、私も「犬好き」で、躾が出来ていなくても、
イタズラばかりしても、本気に怒れない部分は共感できた。
そんな「まさお」(犬)と主人公の芸人との関係は、
「あっ、私も同じ台詞を言ったことがある」と思えるほど、
自分と愛犬「ジェイク」(一昨年18歳で他界)との関係に
似ていて、メモを取るのも忘れるくらいだった。
初めは「犬なんかに話してもムダか」と呟き、
困った時「今は、お前しかいないんだわ、力を貸してくれ」
「まさお、悪い。今日だけは一緒にいてくれ」と独り言。
死ぬ直前「俺、何もしてやれなかった」と嘆き、
「もっとおまえと一緒に走りたいよ」と同じ台詞を口にして、
涙が止まらなかったことが思い出された。
「俺、おまえに会えたこと、ちゃんとお礼、言えてねぇし。
ありがとな まさお」・・これまた、同じことを思っている。
犬が主役の映画、これからも見続けるんだろうなぁ。
同じようなパターンでも。(汗)

P.S.
今日は、愛犬ジェイクの誕生日&命日。
もう2年も経ったのか・・また2年しか経っていないのか。
生きていれば20年目。成人式なんだなぁ。



2013年12月02日(月)
「グッバイ、また会わん」と「グッバイ、また会いましょう」

NHK大河ドラマ「八重の桜」から。
12月に入って、あと数回を残した第48回のタイトルは
「グッバイ、また会わん」。
新島襄が病に倒れ亡くなる直前、妻・八重に残した台詞として
このフレーズがでるんだろうな、とメモ帳片手に観ていたら、
なんと「グッバイ、また会いましょう」。
「えっ?」と私はメモ帳を見直して、疑問に思った。
今までずっと観てきて感じていた二人の夫婦関係を考えても、
「グッバイ、また会いましょう」の方が相応しいし、
台詞をそのままタイトルに使えばいいのに・・と感じた。
たった三文字だけど、この違和感は何とも言えなかったから。
「襄、私を妻にしてくれて、ありがとう」
「八重さん、狼狽してはいけません」
「背中を押してくれたのが、新島先生でした」
「あの人は、ここにも種を蒔いていた」など、
今回の「気になる一言候補」はたくさんあったけれど、
やっぱり、タイトルが気になってしまった。
わざわざ「会いましょう」から「会わん」に変更した理由、
誰か、わかる人がいたら教えて欲しい。



2013年12月01日(日)
責難は成事にあらず。

書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(華胥の夢)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
王が国を良くしようと努力するが、なかなかうまくいかない。
その国の住民生活は困窮を極め、それに呼応するように、
王を非難する人が増えるのは、世の常である。
そんな物語の中、ひとつのフレーズが浮かび上がってくる。
「責難は成事にあらず」
意味は「人を責め、非難することは何かを成すことではない」
「非難するは容易い、けれど、それは何かを正すことではない」
そんな解釈として使われている。
「それは違う、ということは容易いけれど、
でも何をすれば違わないか、それを言ってあげることができない」
「そちらじゃない、こちらだと言ってあげて、初めて、
正すことになるんじゃない?」という言葉は、私の心に響いた。
「それができないのだから、私には非難する資格などありません」
「ただ責めるだけで、正しい道を教えてあげられないのなら、
それは何も生まれない。正すことは、何かを成すことだけど、
非難することは何かを成すことじゃない」
それを短い言葉にすると「責難は成事にあらず」となる。
ついつい、他人のしていることに不平不満を言いたくなるが、
この言葉を思い出して、慎もうっと。