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2013年11月30日(土)
「ゆうすい君」つけて走りました

快晴・無風、さらに世界遺産の富士山が雪化粧した姿で見守る中、
第14回静岡県市町対抗駅伝競走大会が開催された。
さらに夕方には地元へ戻り、わが町の選手たちの慰労会が行なわれ、
出場した選手、補助にまわった選手、それぞれの想いを聴いた。
その中で私が気に入ったのは
「『ゆうすい君』つけて走りました。楽しく頑張れました」
実は、この「ゆうすい君」、町制施行50周年を記念して作られた
生まれたばかりのわが町の「イメージキャラクター」である。
ゆるキャラの着ぐるみも含め、今後、どんな使い方をしたら、
住民に喜ばれるだろうか、いつも考えていたところなので、
このアイデアは、是非、いただこうと思う。(笑)
私の予想以上に「ゆうすい君」は、町の人気者になっていた。
子どもたちから高齢者まで、多くの町民に愛されるキャラクターとして、
私は、ものすごく大きな可能性を感じている。
お守りやバッチ、ワッペン、シールなど、携帯したり、貼れるもの、
私たちが「エイトマン」や「鉄人28号」「鉄腕アトム」のシールを
ランドセルや筆箱、机、タンスに貼ったあの感覚が、蘇ってきたから。
次は「ゆうすい君」の顔に見立てた「キャラクターむすび」だな。
「ゆうすい君むすび」・・子どものお弁当にいかがですか?
どなたか、試作品、頼みます。(汗)



2013年11月29日(金)
勝ちたい人に勝たしてあげなさいよ

明日、午前10時に静岡県庁前でスタートの号砲が鳴る、
第14回静岡県市町対抗駅伝競走 大会。
今日は、全市町の関係者集めて、前夜祭が開かれた。
冒頭挨拶に立った、大会名誉会長・鈴木修氏は、
冗談混じりにこのようなことを言った。
(メモを持っていなかったので、詳細は違うかもしれないけれど)
「(浜松や静岡のような)人口何十万の都市と、
(伊豆に多い)何千人の町が、一斉に競走しようったって、
それは不公平だと思うかもしれない。
しかし、彼らは彼らで、勝たなければならないと必死で、
ありとあらゆる手段を使って、メンバーを集めていてる」
そんな選手集めの裏話をしながら、あえてこう呟いた。
(いいじゃないですか)「勝ちたい人に勝たしてあげなさいよ」
全国でも例がない、全市町が参加する対抗駅伝を誇りに感じ、
こうして一年に一度、全市町の親睦を兼ねていることを
忘れなければ、きっと楽しめるはずだから・・。
私は、そんな意味を付けながら、鈴木氏の話を聴いた。
毎回毎回、成績が悪いと、不平不満も言いたくなるが、
勝つのが当然と思われている大都市は大都市としての苦労がある。
それを知っただけで、明日のレースが楽しみになった。
中途半端に優勝を狙って落ち込むよりも、
年に一度のイベントと考えて楽しんだ方が面白いのかもなぁ。



2013年11月28日(木)
蕎麦は「ツルツル カメカメ」

落語の演目には「蕎麦」が出てくるシーンが多い。
有名なところでは「時そば」や「そば清」など。
噺家が、扇子を箸に見立てて、美味そうにすするシーンは、
落語ファンでなくても、目にしたことがあると思う。
もちろん「探偵うどん」「時うどん」等の演目もあるが、
やはりイメージしやすい「蕎麦」が多い気がしていたら、
噺の導入部といえる「マクラ」で、ある噺家が話題にしていた。
蕎麦は「つるつる」と食べ、あまり噛まないけれど、
本当は「噛め噛め」と言いたいのか、
それとも「鶴は千年、亀は万年」の語呂あわせで
「ツルツル カメカメ」と口にしているのかわからない。
けれど、蕎麦を食べる時に、ふっと思い出して、苦笑いした。
こういうことは誰かに教えないと、いつまでも頭に残るから、
敢えて「気になる一言」にしてみた。
そうだ、「食育」として、子どもたちに教えちゃおうかなぁ。
蕎麦は「ツルツル カメカメ」だぞって。(笑)



2013年11月27日(水)
うつは、エネルギーが枯れきっている状態

書籍「仕事休んでうつ地獄へ行ってきた」
(丸岡いずみ著・主婦と生活社刊・223頁)から。
「うつ病」って病気は「心の風邪」なんて言われるけれど、
それは「早期受診を促すために使われていた」ことを知り、
「うつ病は心の風邪ではない」ことを、再確認した。(汗)
うつ病は「脳の病気」なので、誰にでもなる可能性はあるし、
焦れば焦るほど、集中力や判断力も、いつしか気力すら失って、
思考が完全にフリーズしてしまうことも、あるようだ。
自分が(たぶん)「うつ病」ではないから、
その気持ちが100%、理解できたとは言えないが、
「あっ、私、一線を越えた・・」と思う瞬間があり、突然、
叫び出してしまいそうだったり、暴れ出してしまいそうになる、
不安定な気持ちになることは、わかった。(気がする)
「一日一日『なんとか今日も生き抜いた・・』そんな感じです」
「東京にひとりでいたら、間違いなく死んでいました」などの
メッセージは、重い気持ちでメモを残すことになった。
誰かにわかりやすい言葉で説明したいな、と考えていたら、
「うつは、エネルギーが枯れきっている状態」という表現を見つけ
ちょっとだけ「うつ」に対する理解が深まった。
最近多いと言われる「新うつ病」は、また違うのかな?



2013年11月26日(火)
前の列、お疲れだった

映画「コーラスライン」(リチャード・アッテンボロー監督)から。
踊りのオーディションはもとより、
多くの若者が目指す職業というものに無縁なのか、
その選考の仕方は、驚くしかなかった。
ものすごい数の人たちの中から、一瞬で才能を見極めなければならず、
そんな甘っちょろいことはいってられない、と思いながらも、
冒頭「その他はお疲れ」「他はそこまで」・・等、容赦ない台詞に
不満を口にするシーンを想定したが、誰ひとりいなかった。
オーディションとは、そんなものなんだろうな、とまたまた驚いた。
気になる一言は、そんな選考の喜びと落胆をうまく表現していたので、
多くのメモから、選んでみた。
最終選考のシーン、名前を呼ばれた人は前へ・・と言われ、
呼ばれた人は、満面の笑顔で一歩前へ進む。
呼ばれない人は、落胆の色を浮かべ、じっと堪えている。
そして・・この一言。「前の列、お疲れだった」
天地がひっくり返った瞬間の、それぞれの表情が印象的であった。
それにしても「人間」って鍛えれば、こんな振りの難しいダンスを覚え、
短時間に出来るようになるのかな、と感心するばかりである。

P.S.
私は、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」さえ、
まともに踊れないというのに・・(汗) 



2013年11月25日(月)
必要に応じて、冷蔵庫を開ける

書籍「AKB48の戦略!」秋元康の仕事術
(田原総一朗著・アスコム刊、222頁)から。
秋元康さんの企画術と私のメモ、との共通点を発見。(笑)
以前「どうしてこんなことまでメモするの?」と訊かれて、
しっかりと答えられなかったが、その答えが見つかった。
本文に、こんな内容を見つけたからだ。
「日常で気付いたことをどんどん『リュックサック』に放り込んでいく。
ポストイットみたいな付箋を貼っていくようなもの。
『付箋を貼る』とは、目的なしにスーパーのカゴの中に、
いろんなものを入れるようなものです。
それを冷蔵庫にどんどんしまっていく。
友達が来て『腹減った。何かないの』と言えば、
冷蔵庫を開けて、何か作れそうなものを考える。
いま必要でなくても、なんかこれ面白そうだな、と思ったときに、
冷蔵庫に入れる。そして・・どこかのタイミングで、
必要に応じて、冷蔵庫を開ける」
私が、くだらないことまでメモする意味が、ここにある。
この役に立ちそうもないメモが、いつか使われるかもしれない。
ちょっと人間関係に疲れた時など、私の「冷蔵庫」を開けて、
元気がでそうなメモを取り出して、食べてくれればいい。
今まで貯めてきたメモの意味、自分でもスッキリと整理された。



2013年11月24日(日)
小さいことを重ねることが、ただ一つの道

楽しみにしていた「2013ゆるキャラグランプリ」の結果発表。
「栃木県佐野市『さのまる』が逆転日本一」
この見出しをみつけて、頭に浮かんだフレーズがある。
「小さいことを重ねることが、ただ一つの道」
実は、イチローが、2004年大リーグ年間最多安打記録「262」を
打ち立てた年の言葉として、私が大切にしていた一言である。
正確には「小さいことを重ねることが、
とんでもないところに行く、ただ一つの道」。
言い方を変えれば「みなが驚くような、とんでもないことも、
小さいことの積み重ねだ」と理解できる。
何もせず、突然人気が出ることもないし、
苦労もせず、新しい技術が出来ることもない。
それは、どんな分野でも言えることであるからこそ、
この言葉の重さが伝わってくる。
小さいことを重ねることは、好きでなくてはできない、
最近、特に感じていることだ。
とんでもないことにならなくてもいいから、
小さいことを積み重ねていく快感を、自ら知ることが出来れば、
それは人生にとって、大きな一歩だと言えそうだ。
そのためには「時間と根気と覚悟」が必要になってくるけど・・。

P.S.
わが町の「ゆうすい君」は総合184位。(静岡県内で5位)
評価はそれぞれだろうけれど、毎日毎日、投票した日が懐かしい。
来年のために、ファンを増やすことを今日から始めようっと。
浜松市の「出世大名家康くん」、職員に足を引っぱられた・・と
コメントしなければいいけどなぁ。(笑)



2013年11月23日(土)
中学の時の先生がさ

映画「ボクたちの交換日記」(内村光良監督)から。
場面設定は違うけれど、夢を追いかけ、夢に破れたり、
夢がかなったり・・そこに生まれる多くのドラマが、
こういった映画となる。
ラストシーン近くに語られる「17年後」の姿、
漫才のコンビを解散した一方が、自分の娘に語る台詞、
「ずっとずっと追い続けてきた夢を諦めるって辛いんだぞ」
「お金で済むなら、夢を諦めるな」
「もし、夢を諦めてもいい時があるとしたら、
その夢を諦めてでも幸せにしたい人が出来た時だ」などは、
メモはしたけれど、どうも私の心にぴったりとこない。
結局、選んだのは「中学の時の先生がさ」で始まる、
人生訓だった。「中学の時の先生がさ、
『やろうと思っていた』と『やる』の間には、
実は大きな川が流れているんですよ、って言いやがって。
当時は、うぜ~なって聞いていたけど、今はわかる」。
中学生の時の先生の言葉って、歳を重ねてから振り返ると、
意外といいことをサラッと言っていたりする。
ストーリーには関係なくて申し訳ないけれど、
このフレーズって「本で読んだんだけど・・」とか、
「映画で観たんだけど・・」より、より現実的であり、
なぜか説得力がある気がしてならない。
昔の先生って、そんな話をよくしてくれたかも・・(汗)。



2013年11月22日(金)
家庭の幸福は、妻への降伏。

なんと情報源は「首相官邸」のFacebookで発信された記事。
「11月22日は、『いい夫婦の日』。『家庭の幸福は、妻への降伏。』
これが我が家の夫婦円満の秘訣です。
家族の支えがあってこそ、男性も女性も良い仕事ができます。
日本の元気は、元気な家庭から。強い日本を取り戻すベースです。」
安倍夫妻の仲睦まじい写真とともに掲載されていた。
なんと「安倍晋三」という個人でも同じ記事が・・・。
「妻への降伏」が単なる語呂合わせなのか、気になって調べてみた。
「降伏」とは「戦いに負けたことを認めて、相手に従うこと。降参」
「ごうぶく」と読めば別語。では別の意味の「降伏」は
「神仏の力や法力によって悪魔や敵を防ぎおさえること。調伏(ちょうぶく)」
なるほど・・少しでも前向きに解釈すると、
夫婦の戦いに負けたことを認めて、相手に従うこと。(笑)
たしかに辞書によれば、あまり良い意味ではないけれど、
「戦いは抜きとして、妻に従うこと」が、夫婦間にとっては大切で、
あまりムキになって言い争いをすることは「いい夫婦」とは言えない。
そんな意味に解釈すればいいのかなぁ。
そういう私の妻は、いい夫婦の日に「私の友達の妻たちと飲み会」。(汗)
どんな話になっているのやら・・とほほ。



2013年11月21日(木)
「勝手に県民の日」(花やしき)

先月、出張で訪れた東京の宿泊先は、浅草。
江戸の風を感じたくて、いつものように早起きし、
浅草の街を歩き回った。
スカイツリーを遠目に見ながら歩く浅草の中で、
私のメモ対象は「花やしき」だった。
もちろん、開園前の静けさはあったが、
チケット売り場の近くにあったポスターを見て笑った。
「勝手に県民の日」(花やしき)
勝手に「○日から○日までは、○○県の日」と決めて、
入場料なんてのを安くしちゃう、そんな企画だったが、
「正式な○○県民の日」でないところが、私を喜ばせた。
「東京は全国から集まる人たちの街」は、誰もが承知、
だからこそ「○○県人会」の結束が固くなるのもわかる。
そんな雰囲気を察してか、「○○県民の日」と言われると、
つい、行きたくなてしまう心理が働くのは常だろう。
でも、この「勝手に県民の日」の企画を、
多くの人たちが知らないと意味ないんだよなぁ。
東京都民は、みんな知っているのだろうか?(笑)



2013年11月20日(水)
踏み込んで お椀に注ぐ心地よさ 外に漏らすな 松茸の露

私の気になる一言、長い期間、文字だけで書いているからか、
Yahooやgoggleなどの検索画面から、飛んでくるケースがある。
ある単語や台詞で引っかかり「しもさんの気になる一言」が
1ページ目になることもあるようだ。
その代表格が、居酒屋などのトイレに書かれている短歌。
「急ぐとも 心静かに手を添えて 外に漏らすな 松茸のしずく」
「耐え忍び 心静かに舵をとり 左右に散らすな 貝のしたたり」
誰か同じ人が全国に拡げたのだろう、と思っていたら、
先日、あるトイレでも発見し、ここにも・・と驚いていたら、
上の句のニュアンスがちょっと違うな、と感じ、その場でメモして帰宅。
「踏み込んで お椀に注ぐ心地よさ 外に漏らすな 松茸の露」
案の定、以前紹介した句とは「上の句」が明らかに違った。
じっくり読み込むと「お椀」という単語が気にかかる。
もしかしたら、これって「洋式便器編」かもしれないと思ったら、
思わず、吹き出していた。(笑) 
そう言えば、メモしたときも、様式便器だった気がするなぁ。
私もよく怒られるんだよ、洋式便器になってから。



2013年11月19日(火)
昨日ははるか昔の遠い遠い過去なんだ。

映画「メン・イン・ブラック3」
(バリー・ソネンフェルド監督)から。
40年前にタイムスリップするSFアクションコメディで、
私にメモを取らせるような台詞は少なかったけれど、
「幸せの秘訣は『嫌なことは尋ねない』」とか、
「奇跡は起こらないようで、よく起こる」
「苦い真実は、甘い嘘に優る」
「身動きできない時は、運を天にまかせろ」など、
要所要所では、面白いフレーズが登場した。
その中で、私が選んだのは、
「振り返って考えると、昨日ははるか昔の遠い遠い過去なんだ」
何十年前でも昨日でも、過去は過去であり、
「遠い・近い」という感覚は、人間が勝手に作り上げたもの。
もう戻ってこないし、変えることもできない。
そういう意味では「昨日もはるか昔の遠い遠い過去」という
何気ないフレーズに、正直、唸ってしまった。
逆に、明日も何十年後も、はるか先の遠い遠い未来なんだ、と
理解したら、自分が出来ることは「今」しかないとなる。
SFコメディの作品で再認識した「過去・現在・未来」である。



2013年11月18日(月)
キーワードは、危機感です。

「北海道・清水町」が、NHK番組(BSプレミアム)の
「めざせ!グルメスター」に登場すると聞いて嬉しくなった。
その名も「十勝清水・牛玉ステーキ丼」。(略して「牛玉丼」)
地元の牛を使ったサイコロステーキと、それを包み込むふわっふわの卵、
出演者を「まいう〜」「100点」と唸らせた味は、
昨年秋、妻と出かけた北海道旅行で味わっていたので、納得済み。
だからと言うわけではないが、グルメ番組にもかかわらず、
「まちづくり」という、違った視点で視聴してしまった。(汗)
数年前まで「清水町」という町名の繋がりで、全国4つの「清水町」で
姉妹縁組を結んでいたから、今でも「第二の故郷」の感覚が残るけれど、
この開発メンバーの一人からいただいたメッセージは、
「キーワードは、危機感です」。
さらに続けて「静岡(の清水町)も他人事ではありませんよ〜」。
たしかに、番組ではサラッと流してしまったけれど、
このきっかけは、北海道内の大都市が「高速道路」がつながり、
自分たちが住んでいる愛すべき「北海道・清水町」が、
このままでは「通過される町」になってしまうという危機感から、
何とかしなくては・・という地元を愛する有志たちが集まり、
この「絶品どんぶり!」が誕生したという秘話は、聞き逃してはいない。
そうなんだよなぁ、伊豆へ向かう高速道路は着々と整備が進んでいるし、
近隣市町にも、大型商業施設進出の話が具体化されつつある。
その時になって慌てるよりも、今から危機感を持って準備することの必要性、
そんなことを教えてもらった気がする。
「変化は突然やってこない」というフレーズを思い出した。
順調なときほど、危機意識を持たなくちゃいけないんだよなぁ。



2013年11月17日(日)
企画してくれてありがとう、のお礼です

第6回を迎えた「水と緑のコンサート」は、
「琉神」と「柳清本流柳清会静岡支部」による琉球芸能の饗宴。
サブタイトルは「おきなわの風に乗って」。
あっという間の2時間に、私も含めた観客は大喜びだった。
その帰り際、いつものように、施設の出口でお見送りをしていたら、
何人かに「よかった、感激しました」と握手を求められたので、
「私は出演していませんよ」と笑いながら答えたら、
「わかってますよ、企画してくれてありがとう、のお礼です」。
もちろん「琉球芸能の饗宴」にも感激をしたけれど、
この何気ないフレーズに、私は「大感激」を受けてしまった。
よ〜し、そんなに感激してくれるなら、また喜ばしてあげよう、
と思ってしまう私ならではの単純さだけど、それでいい。
観客が思いっきり楽しんだ姿や、満足感いっぱいで興奮している姿が、
目の前で広がって、こちらも嬉しくなったもの。
出口でお見送りしてくれる出演者に、感激の想いを伝えるのも大切だけど、
企画した人たちへのお礼も大事だな、と実感した。
これからは、各地で開催されているコンサートなどで、心が震えたら、
出演者だけでなく、企画してくれた人たちへのお礼を言おうっと。
それがまた、新しい企画への原動力になるのだから。

P.S.
この日記を書いている途中にも「今日はたくさんの元気をいただきました、
ありがとうございました」のメールあり。
これだから、コンサートの企画はやめられないよね。(笑)



2013年11月16日(土)
人口減少。人が住みたいところを選べる時代。

先日、町制施行50周年記念として開催された「経済講演会」、
講師は「岩崎清悟」氏 (静岡ガス代表取締役会長)
演題は「活き活き清水町への期待」
サブタイトルは「経済界でのさまざまな活動経験から、
故郷清水町の明日への期待を語る」。
前半、わが町の魅力を数字で説明しながら語ってくれたが、
後半は、とても厳しいご指摘もあり、実はとても参考になった。
主催者側のマイナス面は、なかなか言いにくいところ、
ズバッと指摘するあたり、さすが「経済人」だな、と感じた。
特に「ふと感じる物足りなさ」は、長く住んでいた静岡市と比較し、
まちとしての成熟度、未熟さを「よそ者」の視点で助言をされた。
以前から、これからのまちづくりは、
「よそ者、若者、ばか者」の話をしっかりきこう、と
言い続けてきた私にとって、講師の話は耳の痛い話だったが、
なぜか素直に受け入れられた。
特に「これからは、全国どこでも『人口減少』になってくる」と
前置きし、「ということは・・」と話を展開したかと思ったら、
「人が住みたいところを選べる時代になる」とまとめた。
個々の事例は別としても、このまちに住みたいと思わせる魅力、
そんなものが「ふと感じる物足りなさ」だったのだろう。
「住民が、住民サービスによって住む場所を選ぶ」なんて視点は、
「人口が右肩上がりに増加」の時には考えつかなかったけれど、
これからは、この視点が「まちづくりの基本中の基本」になるな。
選んでもらえるように、私たちも頑張らなくちゃなぁ。



2013年11月15日(金)
「決意」は口に出して言う。

先日、ある先生が「わたしの主張発表大会」の講評で、こう言った。
「『決意』は口に出して言う」
一人ひとりの発表に触れながら、彼ら彼女らが主張の最後に、
「自分はこうしたい」という決意があることを喜んだ。
多くの同級生の前で、自分の「決意」を口にすることは、
その思いを行動へ移す「第一歩」として捉えていい。
例えば、悩んで、悩んで、悩んだあげく・・
「私は、あなたを愛してます」と口にすることも、
「あなたを幸せにします」という決意の表れ、と言える。
そんな話をしてくれた後、最後にビシッとまとめてくれた。
「『決意』は、その人間の勝負だと思います。」と。
口に出さない「決意」は、いつでも中断できるし、
誰も知らないのだから、言い訳だってする必要がない。
しかし、他人に向けて口にした、自分の「決意」は、
それを邪魔する「誘惑」との戦い、勝負なんだ、と私は理解した。
まずは、覚悟をもって「決意」を口にすること。
これって、本当に大事なんだよなぁ。



2013年11月14日(木)
文句があれば、麒麟に言え。

書籍「十二国記(月の影・影の海)上・下」(小野不由美著・
新潮文庫刊・上巻272頁・下巻255頁 計527頁)から。
SFファンタジーとわかっていながら、ハマってしまった。
わが課のスタッフに「まずは、これから読んでみてください」と
渡されたので「十二国記・導入編」として読み始めてみたら、
話に夢中になりながら、ファンタジー独特の設定・ルールを覚え、
その後は「なぜ?」「どうして?」という疑問が消え去った。
この世界、その国の王は、その国の神獣・麒麟が選ぶことになっている。
この設定に疑問を挟む余地はないし、その設定を楽しめばいい。
主人公の慶国の景王・陽子が、国民から寄せられる不平不満の対応を、
雁国の延王・尚隆に「名君になるコツ」として尋ねると、
彼は、こう言え、と答える。「文句があれば、麒麟に言え。
それでも不服なら、自分でやってみろ、と」。
一国の王として、またはリーダーとしての心構えを、
そんな感じで読者にもわかるように伝えてくれる。
ファンタジーの世界だけでなく、現実の社会でも通用する会話が、
散りばめられていて、私はメモ帳片手に読むことになった。
このSFファンタジー、ただものではない。(笑)



2013年11月13日(水)
ねっとり甘い「石焼き芋」

このところ、急に冷え込んできたからか
「石や〜きイモ〜」の声が恋しい季節となった。
帰宅途中にすれ違った「石焼き芋屋」さんの軽トラックに、
「ねっとり甘い」と書かれた看板を見つけ、
思わず「?」となってメモをしてしまった。
確かに、あの感触は「ねっとり」なんだけれど、
食べ物に「ねっとり甘い」という表現は、使うだろうか?
「ねっとり」とは「ねばねば」という意味もあるし、
「ものの粘りが強いさま」という意味もある。
物言いや態度が粘りつくようなさまを
「ねっとりとからむように言う」と表現するくらい、
私のイメージでは、あまり良い意味で使われない、
だからこそ「ねっとり甘い」という表現が気になった。
それに代わる言葉が思いつかないが、
「あま〜くて、ほっかほか」くらいの看板のほうが、
私の購買欲はそそられるんだけどなぁ。(笑)



2013年11月12日(火)
「AKB48」は「高校野球」

書籍「AKB48の戦略!」秋元康の仕事術
(田原総一朗著・アスコム刊、222頁)から。
たぶん、今まで読んできた書籍の中でも、
ページに対するメモの割合は、最高だと思うくらい多い。
「AKB48」に、まったく興味がなかったこともあって、
日本は、こんな若い女の子の集団に、朝から晩まで熱を上げて、
一体どうなっちゃったんだ、と嘆いていた。
しかし、朝まで生テレビでお馴染みの「田原総一朗」さんまでが、
夢中になっていると聞いて、これは何かあるな・・と感じた。
そこで、この本を手にして読み始めたら、なるほど・・の連続。
これでは、老若男女、夢中になるわけだ、と、
あらためて「秋元康さんの仕事術」に尊敬の念を抱いた。
「AKB48」の魅力を、野球に置き換えて説明してくれるからか、
とてもすんなり入ってきたのかもしれない。
「AKB48」は、平凡な内野ゴロでも全力疾走し、
一塁にヘッドスライディングする「高校野球」と表現したり、
野球のホームグラウンドのように、
それぞれのチームが地元ファンに熱狂的に応援してもらうように
広がっていきたいと、地名をアルファベットにしたチーム名?
名古屋栄(SKE48)・大阪灘波(NMB48) 博多(HKT48)にした話など、
何かを企画する時のヒントが溢れていた。
これから何度となく「気になる一言」に登場しそうな予感。
とりあえず「『AKB48』は『高校野球』」を残しておこうっと。



2013年11月11日(月)
会話の接ぎ穂(つぎほ)をしくじったようだ

文豪の恋愛短編小説を映画化したオムニバス・ドラマ(6編)、
「BUNGO ささやかな欲望」の1編。
映画「BUNGO〜ささやかな欲望〜鮨」(関根光才監督)から。
原作は「岡本かの子著『鮨』」、すし屋常連客の会話。
「私、歯医者さんが苦手で」と一般論を言ったつもりが、
「私は、あの歯医者さんが苦手で」と勘違いされ、
あやうく誤解を招く恐れがあるな、と感じた時、主人公が呟いた。
「どうも、会話の接ぎ穂(つぎほ)をしくじったようだ」
接ぎ穂(つぎほ)とは「接木をする時、台木につぐべき枝や芽」
「途切れた話をつなぐきっかけ」のこと。
この表現って、ちょっとオシャレだな、と思ってメモをした。
いつか使ってみたいと思うフレーズである。
自分の発言で、話が違う方向にいきそうになったら、
すかさず「どうも、会話の接ぎ穂(つぎほ)をしくじったようだ」。



2013年11月10日(日)
体力測定、1級、40〜44歳の体力年齢

「春の大人のスポーツテスト」で味わった
「懸垂1回」という汚名を返上するために・・、
いやいや、昔はすごかったという名誉を挽回するために
前日のアルコールを控えて「秋の体力測定」に臨んだ。
記録は「握力」(右55kg・左58kg)、立ち幅跳び(190cm)
反復横跳び(47回/20秒)、上体起こし(腹筋)(25回/30秒)、
長座体前屈(38cm)、20mシャトルラン(折返し55回)、
判定は、総合得点37点、1級、40〜44歳の体力年齢。
55歳を人生のピークに・・と願っていた私にとって、
神様からの嬉しいプレゼントをいただいた気がする。
もちろん、他人の記録と比較するのではなく、
自分の体力の現実を知るために、が目的であったから、
思わぬ好結果に、来年への期待が深まったのも事実だが、
これ以上の結果を求めるのではなくこの記録をキープする。
加齢からくる体力の衰えに、抵抗してみたい。
本当に私って、数字が好きだなぁ。

P.S.
明日、朝起きられるだろうか、それだけが心配である。(汗)



2013年11月09日(土)
年齢だけで「大人」と「子ども」を区分していいのか

町制施行50周年の記念イベント「消防フェスタ」に足を運んだ。
一日消防長に、絵本作家の「宮西達也さん」、
一日消防署長に、同じく絵本作家の「真珠まりこさん」を迎え、
時折、冷たい風が吹いていたが、多くの町民で賑わっていた。
絵本作家のふたりの周りに集る、多くの大人たちをみていて、
ある図書関係者と意気投合した意見を思い出していた。
それが「児童書と一般書と分ける理由がわからない」。
全国ほとんどの図書館でみられる大きな区分は「児童書」と「一般書」。
これは必然のように、フロアを分けている図書館もあるが、
私は、以前から、ちょっと疑問だった。
大人にとっても、絵や写真の解説があったり、文字が大きかったり、
児童書の方が、分かりやすいものも多い気がするからだ。
けれど建物の案内で「児童・一般」で区分されていると、
私のような55歳の男性が、長時間、児童書の前にいるのは気が引けてしまう。
もちろん、おふたりの「絵本」を何冊も読みたくなったときも同じ。
逆に、好奇心旺盛の児童が、小説や外国語文学、料理本のレシピや
難しい歴史書を読んだっていいと思うのだが・・。
だから、今回は私の長年の疑問として
「年齢だけで『大人』と『子ども』を区分していいのか」を残そうと思う。
昔から、そう区分してきたから・・では、とうてい納得できないから、
誰か、私が「なるほど・・・」と思う理由を教えて欲しい。
世界の図書館事情はどうなっているのか、これも調べてみよ〜うっと。

P.S.
お世辞ではなく、ふたりとも「消防の制服」、似合ってましたよ。
敬礼しながら、お辞儀するのには笑ってしまいましたが・・。
煙体験や、消火器の使い方まで・・お疲れ様でした。(笑)



2013年11月08日(金)
緊張島倉千代子

夕食を済ませ、さて、映画「オブリビオン」でも観ようかな、と
パソコンを立ち上げ、その前にネットでニュースを確認しようと
yahooのトップ画面を表示した時、目に飛び込んできたのは、
トピックスでみつけた「島倉千代子さん死去」という訃報。
彼女の人生については、また多くの関係者が語るだろうから、
私と「島倉千代子」さんとの関係を記録に残したい。
と、いっても面識があるわけではないし、特筆すべき関係もない。
ただ、長年続けている、この日記を「島倉千代子」で検索したら、
なんと「7日」もヒットした。
芸能人の中で、こんなに登場する女性も少ないかもしれない。
そのほとんどが、人名としてではなく「緊張しまくり」の状態の時、
職場の先輩に教えていただいた「緊張島倉千代子」という駄洒落で
彼女のお名前を使わせていただいているケースがほとんどだった。
それだけ「緊張しまくり」の状態があったということだろうか。
特にファンと言うわけでもないのに、妙に淋しい気分になったのは、
そんな心の動きがあったからだと思う。
日記では何度も登場していただき、お世話になりました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。

P.S. (これまた大好きなフレーズ)
「困った、困った、こまどり姉妹。しまった、しまった、島倉千代子」



2013年11月07日(木)
風習ってのは、そういうもんじゃねぇか。

書籍「フィシュストーリー」(伊坂幸太郎著・新潮文庫刊・338頁)から。
「動物園のエンジン」「サクリファイス」「フィッシュストーリー」「ポテチ」
大好きな作家・伊坂幸太郎さんの中短篇集であるが、どの作品も面白く、
文字が鮮明な映像となって浮かぶところに、その凄さを感じるとともに、
何気ない台詞にも、ウィットが含まれていて、当然私のメモは増えた。
「フィッシュストーリー」「ポテチ」は、映画化されているので、
今回は「サクリファイス」から選んだ一言。
「サクリファイス」(sacrifice)とは「生け贄・犠牲」という意味だが、
そこには、その土地に長く守られている「風習」というテーマがあり、
こんなフレーズが私のアンテナに引っ掛かった。
「風習ってのは、そういうもんじゃねぇか。
何かを隠すために、それらしい理屈をこじつけるってわけだ。
恐怖とか、罪悪感とかよ。あとは欲望とかよ。そういうのだよ。
そういうものをごまかすために、風習とか言い伝えとかができるだろう」
確かに「昔からの風習」という言葉で全てを片付けてしまうことの裏には、
恐怖・罪悪感・欲望など、その土地で生きていくには困る(邪魔になる)事が、
存在している気さえしてきた。
もしかしたら、部落民といった差別なども、風習の1つかもしれない。
しかし、その風習を守ることで、その地域が一体となってまとまることも事実。
改めて、私の住む土地の「風習」に目を向けてみたい。



2013年11月06日(水)
人を通して本を知る・本を通して人を知る

今、巷でジワジワ広がりをみせている「ビブリオバトル」。
簡単に説明すれば「自分の好きな本を5分間で紹介し、
誰が紹介してくれた本が読みたくなったか」を投票で決める。
京都大学で始まったらしい「本の紹介コミュニケーションゲーム」。
紹介の仕方(プレゼンテーション)が、上手い・下手ではなく、
「自分がこの本を選んだ理由を、熱く語る」ところが面白い。
静岡県図書館大会で紹介されたかと思ったら、
すぐに地元紙でも「書評合戦じわり浸透」の見出しで掲載された。
気になる一言は、その「ビブリオバトル」のキャッチコピー。
「人を通して本を知る・本を通して人を知る」
あの人が推薦する本だから読んでみようかな、と思うもよし、
あの本を紹介してくれたあの人に興味が出てきた、でもよし。
そんな出会いが生まれるから、図書館活動は生涯学習の拠点、と
言い切れるのだろう。
へぇ〜、あの人ってあんな本も読むんだぁ、という驚きが、
また、人間味溢れた面を引き出してくれる。
「バトル」と言っても「競争」ではない。
「交流」を目的とした「おすすめ本の紹介」と思えばいい。
「とても興味深い本でした。是非、読んでみてください」
こんな紹介ができる本を選べばいいんだよなぁ。



2013年11月05日(火)
Tous cobayes? (みんな、モルモット?)

映画「世界が食べられなくなる日」(ジャン=ポール・ジョー監督)から。
「食の安全」とか「食育」など、食べ物に関する記事は、
毎日のように、新聞紙上を賑わせているが、どれだけ理解しているのか、
自分でもはっきりわからない。
「遺伝子組み換え作物」や「原発放射能を浴びた食べ物」は、
体によくないと、一般常識としては知っているが、
では何か行動しているか?と訊かれたら、答えは「ノー」なのである。
と言うことは・・冒頭に飛び込んできた強烈なメッセージ(フランス語)
「Tous cobayes?」 (みんな、モルモット?) に対して、
「イエス」と答えたことになるかもしれない。
「良いか、悪いか」「正しいか、正しくないか」「安全か、安全ではないか」
私たちの体を使って、長い食生活の期間を、科学者が実験している。
作品中、福島で農業を営んでいる高齢者も、やる気が出ないと本音を語った。
そして「なんかモルモット扱いされているような気がします」と呟く。
根本的な解決方法が見つからないので、いろいろな方法で実験してみて、
最適の手段を選んでいる感じがするから、我々を「モルモット」と例えた。
今回の作品は、反対派の一方的な主張であり、メッセージ性が強い。
だから、その点を考慮して鑑賞する必要がありそうだ。
しかし、このメッセージも参考にして、自分のしっかりとした意見を持ち、
それが明日からの行動へ繋がればいいな、と思う。



2013年11月04日(月)
3.11(悲愴)から11.3(歓喜)へ

注目のプロ野球日本シリーズ第7戦は、
「東北楽天ゴールデンイーグルス」の優勝で幕を閉じた。
楽天の勝因・巨人の敗因を、解説者のように、
つらつら書き連ねるつもりは毛頭ない。
どうしても勝ちたいと思う気持ちは、どちらが強かったか、
「田中投手の目力VS阿部捕手の目力」
記憶に残すために、そんなフレーズを残しておこうと思う。
今回の気になる一言は、単なる「偶然」では片付けられない、
運命的な数字に注目してみた。
東日本大震災が襲ったのは「3月11日」、
私たちは、ニューヨークの爆破テロ「9.11」と同じく、
衝撃的な日にちとして「3.11」と呼び、
誰もが「3.11」と口にすれば「東日本大震災」のことと理解する。
その「3.11」をひっくり返した「11.3」に、楽天が優勝した。
もちろん、今でも「3.11」の爪痕は残っているだろうが、
その悲愴感漂う数字が、歓喜の数字に変わった、と思う。
文字にすると「3.11から11.3へ」。
ちょっと注釈すれば「3.11(悲愴)から11.3(歓喜)へ」
これだけで、楽天が初優勝した日を思い出せることになる。
第7戦まで熱戦を繰り広げ、国民の気持ちが最高潮に達して、
決着した日本シリーズだった気がする。
これも「神の計らい」だろうか、素晴らしい筋書きであった。



2013年11月03日(日)
字面(じづら)では見えてなかったものが見えてきた

大岡信ことば館の企画展「聞くことはさわること?展」
オープニングセレモニーに、わが課のスタッフと足を運んだ。
館長が「詩の朗読現場に立ち会って感動した」と口を開き、
「記憶と現在〜展」を同時開催している、大築勇吏仁氏、
また先月、なんでも鑑定団の鑑定士としてお世話になった、
永井龍之介氏の挨拶が続いた。
特に「絵画が観るものになったのは印象派以降で、それまでは
絵画は読むものだった」という視点に興味を持った。
しかしそれ以上に強烈だったのは、地元の高校生の朗読の後、
詩人・大岡信氏の作品を、独特のトーンで朗読してくれた、
声優・斎賀みつきさんのコメントであった。
朗読後「声優でも、詩の朗読という仕事はあまりないんですよ」と
照れながらも、文字を音にする楽しさを味わっていたようだ。
「字面(じづら)では見えてなかったものが見えてきた」と感想を語り、
「詩って、意外となぞ解きかな?」と、詩全体を紐解いていく様子を
彼女なりの表現でまとめてくれた。
静まり返った会場で、彼女の朗読に引き込まれていく感覚は、
味わったことにないものである。
声優の朗読って、こんなにも心が震えるんだ、と知った体験。
「耳で楽しむ展覧会」・・その意味がわかった気がした。



2013年11月02日(土)
「ふるさと」(合唱)は、全国共通の譜面を

芸術の秋、合唱に参加する機会が多いことは、以前に書いた。
多くの方に参加して欲しい、という気持ちと、
「次代の残したい歌」という日本人の心を反映してか、
「兎追いし かの山・・」で始まる「ふるさと」は、
合唱曲の定番中の定番となっている。
しかし、曲が簡単であればあるほど、アレンジ・編曲も多い。
と言うことは、同じパート(私の場合・テノール)でも、
数多くの歌い方があり、それがかえってジャマをしてしまう。
以前覚えた「ふるさと」の楽譜が頭から離れず、
新しい楽譜が、一向に記憶に残っていかない、というわけだ。
日本全国共通で覚える混声4部合唱「ふるさと」の楽譜を決め、
「基本バージョン」として広めたらどうだろう。
日本全国の老若男女が「ふるさと」を練習し、
7年後に迎える「東京オリンピック」の開会式で歌う。
開会式会場にいる人をはじめ、テレビやラジオの前にいる
北海道から沖縄までの国民が、一斉に「ふるさと」をハモる。
想像しただけでも、震えてくるような光景が浮かぶ。
その後は、街のあちこちで「ふるさと」を口ずさむ人が増え、
つられて、自然にハモっていくことにでもなったら、
「笑顔が溢れ、ここちよく住み続けたくなる国・日本」が誕生する。
選択肢が多いことが「豊か」とは限らない。
大切なものをじっくり育て、大きな花一輪を咲かせることだって
「豊か」といえるのではないだろうか。

P.S.
しかし・・最近では「ふるさと」と言えば「嵐」らしい。(汗)



2013年11月01日(金)
このままでは女性が潰れちゃうから

「男女共同参画社会の実現」について、
私は大きな誤解をしていたことに気付いた。(汗)
講演会ではなく、職員の勉強会での話なので、
講師の名は伏せるが、今までの疑問が少し解決したから。
なぜ「男女共同参画社会」を目指さなければならないの?
という単純な疑問は、理解できた。
その答えが「このままでは女性が潰れちゃうから」
男性は「仕事」、女性は「家事・子育て」の時代から、
男性は「仕事」、女性は「仕事・家事・子育て」となった。
もちろん、その考え方も「社会が作り出した性差」であるが、
性別で役割を分業してきた社会は、
戦後高度経済成長期の消滅により、その形態を保てなくなった。
それなのに「男女の性別分業」を進めていると、
女性の負担が増え続け「このままでは女性が潰れちゃう」、
だから、男性が女性の役割とされてきた「家事・子育て」を
少しでも手伝い、負担を減らしていこう。
それが、少子高齢・人口減少社会の到来に直面している
「崖っぷちの日本社会」を救う特効薬だから・・という説明は、
不思議と納得できた。
そんな社会の実現こそ、男性も「仕事一筋」の負担が減り、
楽になることに違いないのだから。
男性も「仕事・家事・子育て」、女性も「仕事・家事・子育て」。
どちらも負担が減り、充実した生活が送れたらいいな。