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2013年09月30日(月) ■ |
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生産者グループを、消費者グループが応援する |
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過日開催された、私たちの「ご飯」イベント「未来(あした)なに食べる?」から。 映画「世界が食べられなくなる日」と併せた開催されたトークショー。 テーマは「壊れゆく日本の食卓(遺伝子組み換え食品の現実) ファシリテーターは「生活クラブ・スピリッツ(株)白井和宏さん」と 「八ヶ岳空水ビオファーム主宰・岡本よりたかさん」。 「遺伝子組み換え作物の危険性」をはじめ、世界や日本の現状など、 ふたりの会話や聴講者との質疑応答から、多くのことを学んだ。 しかし、それは単なる知識であり、ここで得た情報をもとに、 これからの私たちの行動が試されている。 トークの最後は「試されているのは、日本の民主主義。 変える方法はある、変えるのはあなた達」のメッセージでまとめた。 だからといって、私は「関係機関への抗議行動」までは考えていない。 時間がかかるかもしれないが、 有機農法や自然栽培をしている生産者はグループを作っていただき、 消費者は、価格が少しくらい高くてもそのグループから購入する。 フレーズにすると「生産者グループを、消費者グループが応援する」。 これが、今の私にできる行動だなぁ。 「食」に対してますます関心が深まったトークショーだった。感謝。
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2013年09月29日(日) ■ |
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一番切ないことは、別れを言えずに終わることだ |
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映画「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」(アン・リー監督)から。 一匹のベンガルトラとともに救命ボートで漂流し、生還した少年パイ。 トラの名は「リチャード・パーカー」と言う。 小さい頃から父親に「トラは遊び友達じゃない、猛獣だぞ」と言い聞かされた。 「動物にも心がある、目をみれば分かるよ」と言い返せば、 「動物は人間とは違う。それを忘れると殺されるぞ、あのトラは友達じゃない。 お前は、トラの目に映る自分の心をみただけだ」ときつく叱られた。 しかし200日を超える長い漂流は、彼とトラとの関係を密にさせる。 「パーカーなしでは僕は死んでいた。 彼への恐怖が緊張感を生み、エサの確保が生きがいとなった」と語るように、 本当に、苦悩をともにしたものだけしかわからない関係になっていた。 そう思っていたのに、パーカーは、振り返りもせず、森へ消えていった。 「生きる力を与えてくれたどう猛で恐ろしい相棒、それが最後の姿だった。 子供のように泣いた。生還して感極まったからじゃない。 リチャード・パーカーがあっけなく去っていったからだ。悲しすぎた。 父のいうとおり、パーカーは私を友とは思っていなかった。 苦難を共にしたのに、振り返らなかった」と大粒の涙が流れた。 最後に、主人公・パイはこう呟く。「私は多くを失った。 家族、動物園、インド、恋人、結局、生きることは手放すことだ。 一番切ないことは、別れを言えずに終わることだ。 相棒は、トラだったが、こう言いたい。『終わった、生き残れたな』、 君は命の恩人だ、愛してるよ、パーカー」 私にとっては、とても切ない映画だった気がする。
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2013年09月28日(土) ■ |
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一生、笑っていようって。 |
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文豪の恋愛短編小説を映画化したオムニバス・ドラマ(6編)、 「BUNGO ささやかな欲望」の1編。 映画「BUNGO〜ささやかな欲望〜幸福の彼方」(谷口正晃監督)から。 原作は「林芙美子著『幸福の彼方』」。 戦争で片目を失った男と見合いで結婚した女性が、 のちに結婚を決めた理由を、夫に明かすシーンがある。 実は見合いの時、二人はこんな会話をする。 「(食べ物で)一番、お好きなものは何ですの?」「うどんです」 「小さい頃、何になりたかったですか?」「お金持ちです」 この答えに、彼女がクスッと笑うシーンは、 なぜか私にも印象的で、メモを取った。 その見合いシーンを振り返りながら、 「私、笑わなかったんですよ、ずっと(小さい頃から)」と呟き、 「(だから、この人と結婚して) 一生、笑っていようって」 そうあの時、決めたんです・・そんな言葉が続きそうだった。 どんなに辛い時も、この人となら笑っていられる、 それが結婚を決めた理由だったとしたら、それは素晴らしいこと。 容姿や年収などよりも、大切な条件かもしれない。 ラストシーン、電車の中で向かい側に座る夫婦・親子を眺めながら、 「私も、あんなお母さんになれるかしら?」と夫に訊ね、微笑み合う。 タイトル「幸福の彼方」がピッタリの終わり方だったなぁ。
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2013年09月27日(金) ■ |
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ずっと、応援してきてよかったぁ |
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昨晩、プロ野球「東北楽天ゴールデンイーグルス」が、 球団創設9年目で、パ・リーグの覇者となった。 実は、こういう時の私の楽しみ方は、ちょっとへそ曲がりで、 必ず、9〜10年前の「気になる一言」を読み返すことにしている。(汗) 「楽天」と「ライブドア」が新規参入でもめていて頃や、 駒大苫小牧高校の田中将大投手が、ドラフト1位で入団した頃、 負け続けて100敗するんじゃないか、と心配してた頃など、 私は、この球団に対して、こんなこと感じていたんだ、と苦笑いとなった。 その間には「ホリエモン」が逮捕されたり「東日本大震災」が起きたり、 あっと言う間の9年だったとは言い難い、事件・災害が東北を襲った。 それを支えてきたのは「東北楽天ゴールデンイーグルス」だった気がする。 何か一つ、みんなで心を合わせて応援するものがあったから、 自分たちも頑張れた、そんな東北人の想いが、優勝直後のインタビューで 老若男女、多くの方々の口から発せられた共通のフレーズ、 「ずっと、応援してきてよかったぁ」が、私の心に残った。 この気になる一言を書いていて、突然思い出した映画「フレフレ少女」から、 応援に関する一言を、最後にご紹介。 「私も頑張らないと、人に頑張れなんて言えないんですよね」 「他人を応援することは、自分を応援することだと思うんです」 「人間の無限の可能性を引き出すのが応援団」 「見返りを求めない応援が力になるんです」 昨年、北海道旅行で感じた「日本ハムを愛する道民」を思い出しながら、 今年の「楽天を愛する東北県民」に、心から「おめでとう」と言いたい。
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2013年09月26日(木) ■ |
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やられたらやり返す。恩返しだ! |
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Facebookをはじめ、ネットの世界で広がりつつあるフレーズ。 「やられたらやり返す。恩返しだ!」 誰の発想なのか、誰が言い始めたのか調べたけれど、 なかなか見つからず、借用願いも出せず、のままですが・・(汗)。 爆発的な人気ドラマとなった「半沢直樹」の名台詞 「やられたらやり返す。倍返しだ!」が一人歩きをし、 流行語大賞・・なんて話も耳にするが、私としては、 「倍返し」という単語の使い方が、気になっていた。 私の感覚では「愛情」「感謝」「お詫び」の意味で使う単語であり、 「憎しみ」や「復讐」などでは使いたくない、と思っているからだ。 また、言葉としても「インパクトが強すぎる」気がする。 テレビ番組を観ていないので、それ以上コメントできないが、 子どもたちが、意味も理解せず、ただ流行言葉として 「やられたらやり返す。倍返しだ!」という会話をしていると思うと、 ちょっぴり、悲しくなってしまう。 その点「やられたらやり返す。恩返しだ!」は、 言葉としては依然強い口調であるが「恩返しだ!」の単語で、 思わず、ニッコリしてしまう雰囲気がある。 多くの方がこのフレーズを採り上げて、日本全国に広がり、 今年の「流行語大賞」になったらいいな。
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2013年09月25日(水) ■ |
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「華奢な体格」は「スリムな体格」? |
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最近、町内で会う人たちに、不思議と同じことを訊かれる。 「新聞投稿、やめちゃったんですか?、楽しみにしているのに」。 そこで「そんなことはないけれど・・」と前置きをして、 「新聞投稿欄は私のプライベートな場所ではないから、 まぁ私のペースで、忘れられない程度に投稿しますね」と答えている。 先日、全国に大きな被害をもたらした台風18号が過ぎた翌日に、 思うことがあって投稿した記事が、今朝、地元紙に掲載された。 自分で書いた文に、加筆・修正された部分がわかるのは、 自分のリズムや独特の言い回し、さらに私の勘違いが原因である。 「若いレポーター」は「若いリポーター」の勘違いだったし、 「茶色い水が勢いよく流れる」は「濁った水が勢いよく流れる」と、 なるほどなぁ、と思う修正で、実は嬉しかった。 ところで自分でも笑ってしまったのは「華奢な体格をした女性」が 「スリムな体格をした女性」と変わっていた部分。 確かに、今は「華奢な体格」とは言わず「スリムな体格」だな、と 感じながらも、自分のもつイメージがちょっと違うのに気付いた。 華奢とは「姿かたちがほっそりして、上品に感じられるさま。 繊細で弱々しく感じられるさま」 スリムとは「ほっそりしたさま。細身できゃしゃなさま」 調べてみると、意味はほとんど同じだし、今更ながらに考えてみると、 台風の中、中継している女性が弱々しいとは限らず、 「スリム」の表現が正しいな、と納得したが、この微妙な感覚の違い、 誰か、賛同してくれる人、いないかなぁ。(笑)
参考・本日掲載文 http://www.enpitu.ne.jp/usr3/39016/diary.html
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2013年09月24日(火) ■ |
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大阪の女は、男が何をやってるか、全部知ってるの。 |
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書籍「プリンセス・トヨトミ」(万城目学著・文藝春秋刊・504頁)から。 指でピストルの形をつくり「バーン」とやると、芸人でなくても、 何人かが「やられた〜」と倒れるらしい、という話を耳にして、 以前から「大阪」という街に興味があった。 その「大阪という町の性格を決定づけた」のは、 「太閤秀吉の陽性な気質に大いに共鳴していた」からという表現は、 妙に説得力があった。 静岡県民の私には、まったく異質な県民(府民)として感じていたからか、 この物語が、フィクションとわかっていても、もしかしたら・・と ちょっぴり期待している自分が、可笑しかった。 物語に登場する大阪の男は、自分たちの行動が誰にも知られていない、と 思い込んでいるが、それを支えている大阪の女の方が、一枚上手だったから、 面白くてメモをした。 「みんな知ってるの・・大阪の女は、男が何をやってるか、全部知ってるの。 だから、何も言わへんの。どうぞ、そっとしておいてあげなさい。 何かやってることに気付いても、見て見ぬふりをしてあげなさい・・って。 これは女だけの大事な秘密」 その包容力の大きさこそ、大阪のおばちゃんイメージにピッタリしている。 大阪の男は、大阪の女の手の平の上で、踊らされているんだなぁ。(笑)
P.S. 冒頭、静岡の地名が出てきたので、メモをした。 「一年のうち、富士山がまともに見えるのは、百十日くらいなんだ、 あとは雲に隠れている。さっき通過した三島に実家があるんだ。 沼津を越えるとそろそろ見える頃ですよ」 えっ・・三島駅からも富士山、見えるんだけどなぁ。
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2013年09月23日(月) ■ |
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ごめん、今日『半沢直樹』があるからもう帰る |
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長年、日記を書いているからか、時々ですが 「継続力」「持続力」の話をしてくれませんか?という お誘いを受けることがある。 系統だてて、理論的に話せることもないし、 単なる「継続するコツ」ならば、いくらでも話せるけれど。(笑) 先日も、ある飲み会でそんな話になったので、こう切り返した。 「みんなだって、継続していることあるでしょ?」と前置きして、 「『あまちゃん』や『半沢直樹』を続けて観てるじゃないですか」。 実は真面目な「継続力」の話になるちょっと前まで、 爆発的な人気テレビドラマ「あまちゃん」や「半沢直樹」の話題で 大盛り上がりだったから。(その時は、私だけ蚊帳の外(汗)) 「あまちゃん」を観るためには、一日に何回か放送される時間帯を、 自分の生活リズムに組み込んでいるようだし、 「半沢直樹」を観るためには、日曜日の夜には用事を入れないか、 午後9時前までに済ませるか、自分で段取りを組んでいるはず。 それこそ「継続するコツ」なのである。 また、そのためなら少しくらい周りからどう思われようと構わない、 「ごめん、今日『半沢直樹』があるからもう帰る」と言える力、 今までなら、せっかく盛り上がっているのに、悪いかな・・と 遠慮して言えなかった台詞の中に、そのヒントがあるとも言える。 自分が続けていることを、他人に宣言してしまう、というのは、 継続するコツの大切な要素であろう。 宣言されたら「ほら、そろそろ帰らないと、始まっちゃうよ」と、 サポートするな、私なら。
P.S. 話題の人気番組が、終わっちゃうんですってね。 この数ヶ月で身につけた「続けるコツ」、他にも活かして欲しいな。
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2013年09月22日(日) ■ |
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叩いて叩いて叩きこむこそ、教育の本質 |
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書籍「13歳からの道徳教科書」 (道徳教育をすすめる有識者の会編・育鵬社刊・291頁)から。 実は、最近「道徳」にはまっている。(笑) 「偉人伝」を子どもたちに伝える、という動きは賛成だが、 あまりにも、現代の大人たちとのギャップが大きく、 13歳の生徒たちに伝わるだろうか、そんな疑問も持った。 ただし、「道徳心」を育むためのヒントはいただいた気がする。 私の好奇心に引っかかったのは「池田潔さん」を紹介している章、 イギリスのパブリックスクール(私立中等学校)が登場する。 簡単に言えば、 「英国紳士を育てるための厳格な規律ある学校生活を経験する場」 そこは「極めて制限された、物質的な可薄な生活であり、 主眼が、精神と肉体の鍛錬におかれている場」でもある。 その根底を流れる考え方が記されていたので、メモをした。 「よい鉄が鍛えられるためには、 必ず一度はくぐらねばならない火熱であり、 この苦難に耐えられない素材は、到底、その先に待つ、 さらに厳格な人生の試練に耐えられるものとは、 考えられないからなのである。 叩いて叩いて叩きこむこそ、教育の本質であり、 これが生涯におけるそのような時期にある青年にとって大切」とある。 徴兵制度には賛成しないけれど、若者の心と体を鍛える施設は必要、 そんなことを考えながら、本を閉じた。 このような教育を受けずに社会に出た、 私たちの忍耐力が弱いことは、自分でも自覚しているから・・。
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2013年09月21日(土) ■ |
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どうして、そんな余計なことするの? |
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映画「白夜」(小林政広監督)から。 フランス・リヨンの赤い橋の上で出会った 見ず知らずの女、その女の不倫相手を捜し出して、 彼女がここで待ってると、伝えてくる・・と走り去る男。 そんな彼に、彼女が呟く。 「どうして、そんな余計なことするの?」 私がこの台詞を残そうと思ったのは、実は訳がある。 監督を始め、制作スタッフに訊き直したいから。 作品全体的に、そう呟きたい衝動にかられてしまった。 意識的なのか、撮影カメラの固定をしていないのか、画面が揺れる。 特に、リンゴを食べるシーンは、酔いそうになった。 また、時々挟まれるのモノクロームの画像の意味もわからない。 出演者は、驚くことに、本当に2人だけだったし 舞台の「ふたり芝居」を観ているようだった。 撮影の甘さに「経費が足りなかったんだな、きっと」と思わせる そんな素人っぽさだけが、残った。 この作品の良さがわからない、のは、私だけだろうか。 だとしたら「う〜ん、難しすぎる」
P.S. 「小さな親切、大きなお世話」と同じ意味かもしれない。 校長名(50音順)だけの公表を、市町別・学校名まで掲載した地元紙。 タイミングがよすぎるけれど、こう呟きたい。 「どうして、そんな余計なことするの?」
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2013年09月20日(金) ■ |
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ホームランってさ、ただ打球が遠くへ飛んだってだけでしょ? |
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映画「ポテチ」(中村義洋監督)から。 「人気作家・伊坂幸太郎さんの同名中編小説を映画化」と聞き、 とても楽しみにしていた作品である。 今回は、野球のホームラン関連の台詞を拾ってみた。 「ホームランってさ、ただ打球が遠くへ飛んだってだけでしょ? そんなに大騒ぎすることじゃないよね」 「お前と同じ年の人間がホームランを打って人を喜ばせてるよって」 「だいたいホームランを打ったとして、何かが変わるのか? 人は、救われるのか?」「そうですよね」 そんな会話をしていたのに、ラストシーンは激変の台詞。 野球場で応援していた尾崎選手がホームランを打った。 もうそれだけで、大粒の涙とともに感激する。 それを横で見ていた男が言う。「どうした?」 彼女は答える、「だって、ただのボールがあんなに遠くに・・」。 そうそう、だからみんな興奮するんだよ、と言いたかった。 この違いは「ポテトチップの『コンソメ味』と『塩味』くらい」違う。 そうでも考えなきゃ、この作品タイトルで笑えないもの。(汗) 「ポテチ」のシーンは、たった一回だからなぁ。
P.S. 今年、王貞治選手が持つ、年間ホームラン55本の日本記録が、 ヤクルト・バレンティン選手によって、更新された。 ホームランって、ただ打球を遠くへ飛ばすだけじゃないんだよなぁ。
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2013年09月19日(木) ■ |
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満月を眺めながら、太陽の位置を意識する |
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まん丸の大きな月を眺めながら、その仕組みを考えることがある。 言い換えれば「満月を眺めながら、太陽の位置を意識する」。 周りの人には「変わってるね」と良く言われるが、 仕方ないでしょ、こういう性格だから、と諦めている。(汗) ただ、目の前で起きている事象に対して、どうしてそうなるのか、 知りたくなるのは、悪いことだとは思っていない。 「満月」に見えるということは、太陽の位置は「月と正反対」の方向。 「太陽・地球・月」の順に一直線に並んだとき「満月」となる。 反対に「太陽・月・地球」の順に一直線に並んだとき「新月」となる。 もちろん、一直線といっても、地球が太陽の周りを回るときの通り道と、 月が地球の周りを回るときの通り道は、角度がずれているから、 遮られることは、ほとんどない。(遮られたら「月食」や「日食」) 話を戻す。 今晩の「月」があの状態だから「太陽・地球・月」の位置関係は・・と 考えるだけだが、これがまた面白い。 満月と反対方向の空を眺めている中年男性がいたら、たぶん私です。(笑) 昼間は「雲」、夜は「月と星」に興味を持つだけで、 人生の楽しみは倍加する気がするから、是非、お試しあれ。
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2013年09月18日(水) ■ |
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1ピン、2ホース、3レバー |
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「1ピン、2ホース、3レバー」 このフレーズで、ピンときた人は防災意識が高い人。 そう、施設には常備してある「消火器」の使い方である。 1で「(黄色い)ピンを抜く」、 2で「(下を向いている)ホースを持ちあげ、火点に向ける」、 3で「レバーを握り(放水・放粉)する」 「1ピン、2ホース、3レバー」「1ピン、2ホース、3レバー」 これを10回も口にすれば、もう忘れることはない。 そしてこの手順に従えば、突然の出火でも対応できる。(はず) でも、こういうフレーズって、飲み会ネタになるんだよなぁ。 たとえば「焼き鳥屋」にて。 「消化器の使い方、順序知ってるか?」「もちろん知ってるよ」 「1ピン、2ホース、3レバー、ってやつだろう」 「あの〜、お話し中すみません、ご注文は?」 「1タン、2ホルモン、3レバー」。 おあとがよろしいようで・・。
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2013年09月17日(火) ■ |
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イチゴの葉っぱだよ |
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何かに夢中になるのはいいことだけど、 なかなか技術・腕は上達しない。 昔から好奇心旺盛でなんでもやりたがるけど、 とりあえず誰かに話ができる程度になると飽きてしまい、 また新しいことに挑戦したくなるのは、私の悪い癖。(汗) だから、他人に尊敬されるほどになったことはない。(笑) それなのに「どう調子は?」「どう、上手くなった?」と 訊く人が多いのには、参っている。 そんな時、私の答えは、だいたい決まっている。 「えっ、イチゴの葉っぱだよ」。 「なに、それ?」「だから・・・・・ヘタだよ」 ここで、笑いがくれば、私の狙い通りなのだが、 わざわざ、話に突っ込んでくる奴が時々いる。 「それってさ、果物に残っているガクのこと?」 「まぁ、そんなようなものだ。とにかくヘタだから、 腕前とか訊かないでくれるか」となって話は終わる。 と言いつつ、あとでインターネットで調べてみると、 「ガク」とは「花の最も外側の部分。ふつう緑色をし、 外面に毛をもつ。つぼみのときは内部を包み保護する。 うてな」とある。 「へた」とは、トマト・柿などの実についている萼(がく)。 なるほどなぁ、またひとつ知識が増えた。
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2013年09月16日(月) ■ |
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人間ね、あったかいことがごちそうですよ。 |
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書籍「しあわせのパン」 (三島有紀子著・ポプラ文庫刊・207頁)から。 映画を先に観てしまったが、気になって原作を読んだ。 (あまりこのパターンは少ないけれど・・) やはり映画より、登場人物の細かい感情が読み取れるから、 小説から読めばよかったなぁ、と反省した。 ところで、今回の気になる一言は、 阪神淡路大震災を経験した老夫婦を接待する場面。 「人間ね、あったかいことがごちそうですよ。 ずっと冷たいおにぎりやパンや冷めた揚げ物で、 もちろん正直、それでもありがたいんですよ。 でも、地震のあと、初めてあったかいお味噌汁、飲んだとき、 涙があふれて止まりませんでした。 もう体が冷えきってましたから、 足先からちょっとずつ溶けていくような気がしました」 書き出していても、涙が出そうになったくらい伝わってきた。 人間の心も食べ物も、やっぱり「あったかい」ものがいい。 「体にいい」というより「心にいい」、そんな感じがする。 「あったかい」ことは、手間暇をかけるということ。 また「手間暇をかけるということ」を「御馳走」という。 だから「あったかいことがごちそう」なんだよなぁ。
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2013年09月15日(日) ■ |
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これは化合物27-4、放射能を中和するガスよ |
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映画「ダイ・ハード ラスト・デイ」(ジョン・ムーア監督)から。 全体的には、作品の中でも使われているフレーズ 「いつも出たとこ勝負で、突っ走る」とか 「作戦は?」「考えてない、出たとこ勝負だな」のとおり、 ハチャメチャなシーンに飽きてきた、とも言える。 まぁ、主人公は絶対死なないから、安心して観ていられるけど。 今回選んだ台詞は、ロシア・チェルノブイリでの秘密兵器。(笑) 「これは化合物27-4、放射能を中和するガスよ」 高濃度の放射能が充満している、チェルノブイリ原発の中で、 いろいろな作業・活動するには欠かせない兵器である。 それが「化合物27-4」というもの。 なんでも「放射能を中和するガス」らしい。 ホースで噴射するだけで、みるみるうちに濃度が下がる。(らしい) そんな化合物があるのなら、是非、大量に作って、 原発の放射能処理に手をこまねいている、日本の福島第一原発にも 活用させて欲しいな、とメモしながら素直に笑えなかった。 あまりに、放射能対策を簡単に済ませてしまったので、 カーチェイスやヘリの爆破が、安っぽく感じてしまった。 アメリカの映画界では「放射能」はそんな認識なのだろうか。(汗) いくら、その放射能を中和するガス(化合物27-4)を使用したのが ロシアという設定になっていても、納得できないなぁ。
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2013年09月14日(土) ■ |
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落ちているゴミがとても少ないことに驚きました。 |
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2日続けて参加予定の「沼津自慢フェスタ」。 昨晩の日記で「落ち着いた大人が楽しめる雰囲気」と評価したが、 実は、帰宅後、イベントのあとのゴミの量が気になっていた。 あれだけの人出だったし、すごいゴミだったんだろうなぁ、 そんな心配をしながら、スタッフが書き込んだと思われる Facebookをチェックしたら、嬉しい悲鳴が綴られていた。 「出店者のみなさんを待つ会場。昨日も今日も、朝掃除をしましたが、 落ちているゴミがとても少ないことに驚きました。 みなさんのマナーに大感謝!」のメッセージとともに、 会場の写真が添えられていた。 マナーを守りながら、楽しく飲む。 そんな意識の人たちが集っているから、独特の雰囲気があったのだろう。 イベント内容だけでなく、そこに集う人たちが醸し出す空気が作り出す、 「大人」のためのイベント。 逆に、マナーを守れない人たちを寄せ付けない頑固さも欲しいと思う。 まさしく「オリンピック招致」のプレゼンテーションで、 滝川クリステルさんがジェスチャー付きで表現した「お・も・て・な・し」。 これを味わえるイベントとして、これからも期待したい。 さて、今日が最終日。 今晩もまた、どんな人たちに出会えるか、楽しみに足を運びたいな。
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2013年09月13日(金) ■ |
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沼津、復活の予感がするね |
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以前から楽しみにしていた「沼津自慢フェスタ2013」 沼津のうまいもの・沼津のうまい酒を素敵な音楽と楽しもう! そんなキャッチフレーズで開催されているイベントを、 家族3人で楽しませていただいた。 運良くゲットできた「センターテーブル」と呼ばれる、 60人限定の料理は絶品だったし、大人の雰囲気を醸し出している。 (今夜は「山正(和食)×サンテラスキッチン(イタリアン)」) 屋外のテーブル席なのに、ドレスコードまであったりするし、 リキバンドのジャズをBGMにワインを飲むなんて・・・幸せ。 帰り道、誰が口にしたのか定かでないが、同じ事を考えていた。 「沼津、復活の予感がするね」 以前は、人口減少から始まり、大規模な商業施設や工場などが撤退、 市民のみならず、近隣市町に住む私たちでさえ、 「地盤沈下」の四字熟語が飛び交っていたけれど、一掃された。 ビックリするほどの賑やかさはないかもしれないけれど、 落ち着いた大人が楽しめる雰囲気を持っているな、と実感した。 「数十年に渡り受け継がれる沼津のBAR文化」を大切にして、 「成熟した大人が好きになるまち・沼津」を見守っていきたい。 これこそが「THIS IS NUMAZU」、私の生まれたまち。 本当に「復活する気配」を感じたイベントである。
P.S. 沼津は「NUMADU」で変換しないと・・ どうして「NUMAZU」じゃないんだろう。不思議だなあ。
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2013年09月12日(木) ■ |
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和差積商 |
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小学校のクラスに貼られていた「四字熟語」(笑)。 この四文字、目にした時はピンとこなくて、 辞書で調べてみてもわからず、モヤモヤしていた。 でも、そんな難しい「四字熟語」が、どうして わざわざ教室の前に貼られているんだろう、と考え、 じっと眺めてみて、気づいた時には大笑いだった。 なんと「足し算・引き算・掛け算・割り算の答え」を 並べてあるだけだった。 思い込みとは怖いもので、「四字熟語」と決めたら、 もうそれ以外のことは考えられなかったから、 自分でもおかしかった。 「和差積商」は(ACジャパンの「人を笑顔にする算数」) 「+けあう」「−うける」「声を×」「いた÷」 う〜ん、なんとか「四字熟語」にいれたいなぁ。 意味は「人を笑顔にすること」でいいのだから。
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2013年09月11日(水) ■ |
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狙いは石油じゃない、水だ |
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映画「007/慰めの報酬」(マーク・フォースター監督)から。 悪役のグリーンを中心とした組織は、 貴重な天然資源を支配することにより、ある国の滅亡を企てている。 砂漠の中の土地だから、当然、石油だと思い込んでいたが、 その貴重な天然資源は「水」だと知って、なるほどな・・とメモをした。 石油などの天然資源は枯渇し、エネルギー革命が起こるかもしれないが、 人間の体の大部分を占める「水」を支配することは、 もっと大きな支配に繋がると感じたからだ。 今、私たち日本人は、水不足に悩むことはあっても、 水がなくなるという不安も恐怖もない。 だから、この映画の大切な部分にうまく反応できなかった。 さらに、今までのショーンコネリー、ロジャームーアの ボンドを観てきているので「えっ、これが007?」という想いが募った。 毎回楽しみにしていた諜報部員ならでは「秘密兵器」もないし、 車には必ず、あっと驚く装備が施されていたはずなのに、それもなし。 お決まりの「車・船・飛行機」のチェイスはあったが、楽しめなかった。 これって、私が歳を重ねたからかな? 「007」のネーミングで映画を作るのであれば、もう少し工夫が欲しい、 そう思いながら、映画鑑賞を終えた。
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2013年09月10日(火) ■ |
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たくさん書き込んで、汚して帰ってください |
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職員研修「コンプライアンス研修」 講師「水口政人」氏(株式会社 インソース)から。 従前は「法令遵守」と日本語訳され「組織のルール遵守」だった 「コンプライアンス」であったが、 最近では、バイト1人の写真が、ひとつのお店をつぶすこともある、 「社会のルール遵守」へと国民の意識変化があることを理解した。 また「不祥事・ルール違反はなぜ起こるのか?」の問いに、 説明は、完結明瞭だった。 ・ルールを知らない(ルールを理解していない) ・ルールは知っている スキル・技術レベルの不足(仕組みで対応) 人間の弱さゆえに欲に負けてしまう(禁欲・性欲・出世欲など) 計算ずくで、意図してやる(みつからない自信がある) その中でも、人間の欲から生まれる「不祥事」に対して、 「足を踏み入れないこと」が一番の対応策だと説明された。(笑) しかし今回の一言は、冒頭、講師が話してくれた「研修の参加の仕方」、 言い換えれば「記憶の定着」について。 配布したばかりの、テキスト(レジメ)を手に取り、 「たくさん書き込んで、汚して帰ってください」と語った。 ただ読むだけの「意味記憶」は記憶の定着が悪く、 書いたり話すことによる「エピソード記憶」は記憶の定着が良い、 そんな話に、今までの私の走り書きメモも、誇らしげに見えた。 汚くても、自分で書いた字は、後からでも読めるから、 私はこれからも、資料を汚し続けようと思う。
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2013年09月09日(月) ■ |
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現地集合・現地解散のランチ会はやめて |
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最近、ボヤキと言うか「説教じじい」になってきた自分が怖い。 まぁ、歳を重ねてきたからか、私の発言に賛同してくれる人たちが、 増えて来た気がするのは、ただの錯覚だろうか。 今回は、奥様方のランチ会について。 しゃべり場を求めて、美味しいお店巡りをすることは応援したい。 また、静かに雰囲気の店内で、大騒ぎでおしゃべりするのも、 最近では我慢出来るけれど、彼女らにお願いがある。(笑) 先日、家族3人で楽しみに出かけたお店の駐車場は、満車状態。 それも、軽自動車や小型車中心で、女性に人気の店とすぐわかった。 これは、だいぶ待たされるなと覚悟して入店したら、 店内は意外と空いていたので、驚かされた。 その原因を探っていたら、1テーブルのお客が帰っただけで、 駐車場が一気に空いたので、推測できたことがある。 (あくまで私の仮説なので、根拠はありませんが・・) 郊外型の美味しいと評判のレストラン・食事処は、 どこかで待ち合わせてなんてことはせず、現地集合・現地解散。 そのお店の駐車場台数なんて気にせず、自分たちだけ座れればいい、 そんな感覚がある気がしてならない。 あとから遅れてくる友達のために、駐車場の確保までしている光景は、 「頼むから、そういうことは平日の昼間にお願いします」と言いたかった。 どこかで待ち合わせするとか、拾いながら乗り合わせて行くとか、 そういう配慮は感じられなかったのは残念である。 これも「マナー」の1つなんだけどなぁ、私としてしては。(汗) だから今日の一言は「現地集合・現地解散のランチ会はやめて」
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2013年09月08日(日) ■ |
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7年後の自分に手紙を書こう |
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「2020・東京オリンピック」開催決定に、早朝から 日本中が喜んでいる中、この陰に隠れてしまった話題で書くのも考えたが、 それこそ、へそ曲がりと言われそうなので、素直にこの話題で。(笑) 1964年当時、幼稚園児だった私は、国道(現在は町道)で、 「日の丸」の小旗を片手に、聖火ランナーをみた記憶しか残っていない。 (なぜか「諏訪部先生」を「アベベ先生」と呼んだことは覚えているが・・) その後50年近い歴史の中で、何度も何度も、繰り返し 「1964・東京オリンピック」の映像を目にしているので、 つい覚えている気がするが、意外と当時の記憶は曖昧と言える。 そんなこともあって、あまり専門的なことは書けないが、 今回の7年後の開催決定を受けて、私が一番最初に考えた事は、 「2020年(7年後)、私は、どこで、どんな生活環境で、 東京オリンピックを迎えているだろうか」ということだった。 「62歳」という年齢だから、当然「一線」は退いているだろうけれど、 「オリンピック」をキーワードに、まちづくりをしているかもしれないし、 相変わらず、選手のコメントなどを、老眼鏡の力を借りてメモをし、 「気になる一言」を書いているかもしれない。 今の生活のまま、7年後を迎えることはあり得ないだろうから、 加齢に伴う、その変化も楽しみながら、一日一日を過ごしていきたい。 今日という大切な日を、ただ大騒ぎするのではなく、 「7年後の自分に手紙を書こう」くらいの個人イベントはどうだろう。 私は、この喜びを忘れないうちに「拝啓 62の君へ」と題して 自分宛ての手紙を書こうと思っている。 開会式の日に開封する楽しみを、今から準備しておくのも悪くないから。
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2013年09月07日(土) ■ |
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彼らから叱られることさえ望みながら、日々を続ける。 |
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映画「ツナグ」(平川雄一朗監督)から。 「死んだ人間と生きた人間を会わせる窓口、それがツナグです」 このワンフレーズで、物語は思い出せるから、これ以上は書かない。 ただ、生きている(生かされている)私たちにとって、 身近な存在であった死者とは、死後、どういう存在に変わるのか、 高校3年の時に父親が他界してから、ずっと考えてきたことだ。 その後も、大切な人の死を何度も経験し、その度に号泣した。 その答えが、ちょっとみつかった気がする。 「僕たちの世界では、何かをする時、 目にはみえない誰かにみられていると感じて、行動を決めることがある。 時には、あの人ならどうしただろうと。 彼らから叱られることさえ望みながら、日々を続ける。 きっと僕たちは、その人たちに支えられて、 生かされているんじゃないだろうか」 「神様がみている、お天道様がみている」よりも、より現実的であり、 それは、人間だけでなく、可愛がっていた動物でも同じ気がする。 人間、歳を重ねてくると、叱ってくれる人はいなくなるが、 死んだ人なら、いくつになっても叱ってくれるし励ましてくれる。 久しぶりに「死」を前向きに考えることが出来た作品である。 「こうやって、死んでからも会いたいと思ってくれる人がいるなんて、 私の人生、捨てたもんじゃなかったかもしれないわね」 「あの、会いたい、と思ってもらうと嬉しいものですか?」 「えぇ、とっても嬉しいわ」この会話が、一番心に残っている。
P.S. 作品の中で紹介されていた、ヘルマン・ホイヴェルス著 『人生の秋に』に掲載されている「最上のわざ」の一部。 もう「人生の秋」を過ごしている私、参考になりました。
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2013年09月06日(金) ■ |
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課長に恥をかかせるわけにはいかないでしょ |
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9月議会真っ最中、今日は、平成24年度の決算質疑。 年4回ある議会の中でも、3月の新年度予算の質疑と並んで、 私たち課長にとって、一番緊張する一日でもある。 本会議の発言は、永遠に議事録には残るから慎重になる。 またその様子はケーブルテレビやインターネットにも放映されるから、 あまりアタフタした姿はみっともないし、 質問に対する答弁に詰まり「暫時休憩」を議長に要請するのも、 これまた恥ずかしい、と思っている。 けれど今日ばかりは、ある議員の質問に対する資料が手元になく、 「今、質問に対する資料を待ち合わせていません」と答弁し、 のちほど報告させてもらうことで了承してもらった。(汗) しかしその後しばらくしてから、私の手元に(そっとであるが) 先ほどの答弁に必要なデータが届いた。 私自身も諦めていた資料が届き、最終的には事なきを得たが、 本会議終了後「みんなのお陰て助かったよ」と礼を言ったら、 「課長に恥をかかせるわけにはいかないでしょ」と誰かが言った。 ここ数ヶ月、いろいろな事業に対して一緒に歩んできたスタッフに、 こう言われて、ちょっぴり涙腺が緩んだ。 彼らのためにも、もっともっと勉強して、どんな質問に対しても、 「待ってました」と答えられるようにならなくちゃ、と感じた 9月議会、真っ最中である。(汗) この嬉しさ、関係者以外に伝わるだろうか・・。
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2013年09月05日(木) ■ |
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君、そのまま走り続けて |
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芸能人の関根勤さんが、人気爆発の新人を励ました台詞。 (私の残したメモには、そう書かれていたが、 新人芸能人が誰なのか、は記録がなく忘れてしまった) 突然、人気が出て、テレビでも引っ張りだこの新人の場合、 どうしても、調子に乗って、天狗になりがちであり、 周りの先輩たちは、ついつい嫉妬も含めて、 「いつまでもこの人気が続くと思うな」的な助言をするらしい。 しかし、芸能活動にもいつも余裕が感じられる、関根勤さんは 「君、そのまま走り続けて」と助言したそうだ。 声を掛けてもらった新人は、とても嬉しかったとその時を振り返る。 芸能界の大御所というよりも、身近な上司という感覚の 声の掛け方が爽やかに感じられたので、メモをした。 若いパワーで、いけるところまでいけ、というアドバイスは、 時には無謀にも取られるけれど、私はそれでいいと思う。 それこそ若さの特権であると思えるし、 疲れてきたな、と感じたら、手を差し伸べればいいのだから。 自分も、頑張っている後輩たちに向かって、 そんな言葉を掛けられるようになりたいな。
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2013年09月04日(水) ■ |
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思ったこと、なんでもそのまま口にするよねぇ。 |
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書籍「空中庭園」(角田光代著・文春文庫刊・281頁)から。 集まったメモを整理していて気がついたこと。 作家・角田光代さんはたぶん意識していると思うが、 表現を変えて、同じような内容が何回か登場する。 「タカぴょんってさぁ、ほんと思ったこと、 なんでもそのまま口にするよねぇ」 「思ったことを思った瞬間に思ったそのままに口に出す、 わかりやすく順序だてたり、言いにくいことだから遠慮したり、 聞かせてはいけないことだがら言わずにいたり、 そういうフィルターの役目を果たす脳味噌の部分が 欠落しているのだ。だぶん、生まれつき」 「なんでもかんでも、脳味噌をつかわずに話して 楽になろうとしないでよ!」 どうやら、周りがどう考えるかなんて考えず、 誰かに話したという事実が自分を満足させる行為が、 気になって仕方がないようだ。 それは、老若男女に限らず・・といった様子。 ストーリーには、直接影響はないのだろうけれど、 これだけ登場するとやはり気になる、が私の本音。 う〜ん、これがどういう意味をもつのか、 もう一度、読んでみなくちゃダメかなぁ。(汗)
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2013年09月03日(火) ■ |
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「エレベーター調節中」ではなく「エレベーター調整中」 |
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先日、講演をしていただいたの眼科の先生から 「老視」は「調整力の低下」ではなく「調節力の低下」よ。 こんな指摘を受けて、嬉しくなって調べてみた。 小説「舟を編む」(三浦しをん著)の主人公になった気分で・・。 辞書によると、 「調整」とは、ある基準に合わせて正しく整えること。 過不足などを正してつりあいのとれた状態にすること。 「調節」とは、ほどよく整えること。つりあいのとれた状態にすること。 「物事に手を加えて、適切で安定した状態にすること」という、 共通した意味が存在していることに気付いて、ますます面白くなった。 振り返ると、自分はあまり意識して使い分けをしていなかった気がする。 それなら英語にした方が、わかり易いだろう、と調べてみたが 「調節する」は〔規制する〕control; 〔規準・条件などに合わせて〕regulate; 〔機械などを〕adjust 「調整する」とは〔望ましい状態にする〕adjust; 〔一定のレベル・状態に保つ〕regulate 再調整する readjust 似たような単語が書かれていて、ますます、わからなくなってしまった。(汗) しかし、先生は私の日記を読んで、咄嗟に違和感を感じたのだろう。 眼の働きとして、妥協点を見つけるような「調整」ではなく、 きっちりと焦点を合わせるといった「調節」が正しい、と。 ここまで調べてみて、私たちの感覚を持ち出すのもおかしいが、 エレベーターの点検作業中を示す立て札が、その悩みを解決してくれた。 「エレベーター調節中」と書かれていて、違和感を感じたら、たぶん正解。 必ず「エレベーター調整中」と書かれているはずだから。 今度、街でエレベーターの点検を見つけたら、報告願います。(笑)
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2013年09月02日(月) ■ |
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季節外れの風鈴ほど、悲しい音はないもの |
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映画「あなたへ」(降旗康男監督)から。 今回は、オーソドックスに気になる台詞を選んでみた。 作品冒頭、夫婦役の高倉健さんと田中裕子さんの会話。 「いい音だ」と、風鈴の音に感激する夫。 「でも、秋になったら忘れずにはずさなきゃね。 季節外れの風鈴ほど、悲しい音はないもの」と妻。 この会話が核となって、物語は展開する。 「いつもでも自分のことを思い出してくれるのは嬉しい、 だけど、時が来たら、私のことを忘れて、 あなたの人生を歩んでください」 そんなメッセージを伝え、妻は病気で死んでいった気がする。 ラストシーン間近に、夫が悟るシーンを発見して頷いた。 「女房にとって、自分はなんだったんだろうって、 そればっかり考えながらここまできました」と悩み続けたあと、 「あなたにはあなたの時間が流れてる、そう言いたかったんだと」 だから、墓に埋めずに「故郷の海へ散骨」という方法を、 「あなたへ」と書いた、夫宛てのはがきを残したに違いない。 全体には切ない物語だったが、夫婦とは?・・と考えさせられた、 静かだけど胸にしみた作品である。
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2013年09月01日(日) ■ |
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眉間を見ると、無理してるな、とわかる |
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「働く女性の会(ATG)」の9月例会だった。 講師は「木村眼科医院・木村裕子さん」 講演テーマは「アラフォー世代からの眼のエイジングケア」。 眼科の先生らしい視点で、私の今までの知識を覆させられた。 冒頭「どちらが良い眼でしょうか?」の問いがあり、 (A・・遠くがよく見える眼 B・・近くが楽に見える眼) 自信をもって(A)を選択したが、 講演終盤には、なるほど(B)だな、と思い直した。(笑) 「老視」とは「調節力の低下」を意味することも知ったし、 70歳になると、水晶体がなかなか膨らまないことも理解できた。 また「涙」の役割を知り「涙は優れもの」という名文句が、 私の耳に残った。 だから、眼にとって害になるものが眼に入ったときなど 「余程のことがない限り、眼は洗わない」方がいいらしい。 多くのメモから、迷った挙げ句、私が選んだのは、 スマホとか携帯電話の画面を見ている人たちの 「眉間を見ると、無理してるな、とわかる」。 年齢を重ねれば重ねるほど、近点は遠くなってくるから、 画面を凝視する緊張感、言い換えればムリして見ていることになる。 だから自然と「眉間にシワを寄せて」、疲れ目の原因となる。 「今は、近くのものを見ることが多いから・・」という説明に、 妙に納得してしまった私がいた。 小さい頃から、眼鏡をしている私にとって、55歳になって 「目的に応じた眼鏡の使用をする」という発想は新鮮だったし、 それこそが、冒頭の問いにあった「近くが楽に見える眼」、 言い換えれば、ストレスが溜まらない生活の仕方と言えそうだ。 「疲れ目よ、さようなら!!」は、眼のストレスを取り除くこと。 そのためには、眼の環境に悪い現実に眼を向けることかもなぁ。
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