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2013年02月28日(木) ■ |
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「連帯保証人」はどうしたのかな? |
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「生活苦から学生時代に借りた奨学金の返済国難」 そんな見出しを新聞紙上やネットでみかけて、 今の時代は大変だなぁ、と想う反面、 実際に、自分の学生時代も、娘の学生時代も、 「奨学金」のお世話になり、既に返済した私にとっては、 わからないことが1つある。 それを文字にすると「『連帯保証人』はどうしたのかな?」 どんな形にせよ、お金を借りるわけだから、 借りるときには、厳しい審査があったことを記憶している。 もちろん、親以外の「保証人」を頼んだことも忘れていない。 娘の奨学金を借りる時、当時、親だけでは申請できず、 妹の家族に「迷惑かけないから」とお願いして、 「印鑑証明」まで添付してもらい申し込んだ。 だから「連帯保証人に迷惑をかけられない」の一心で、 何よりも優先して、返済に力を入れた気がする。 返済すれば、他の人が借りられると思って・・。 だからこそ、今回の奨学金返済問題には、疑問が残る。 厳しいようだけど、そのための「連帯保証人」だと思う。 今は、契約方法が違うだろうか? う〜ん、わからない。
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2013年02月27日(水) ■ |
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恋愛にこそ、本物の悲劇があるんだよ |
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おまたせ水曜日。(笑) 映画「ガス燈」(ジョージ・キューカー監督)から。 1944年製作なのに飽きることなく、観終えた。 もちろん、最近の映画に比べれば、 トリックとも呼べないような謎解きであるが、 主演のイングリット・バーグマンを眺めるだけでも 満足してしまうほどの安定感がある映画と言える。 映画冒頭、こんな会話が交わされる。 「私の声は歌手に向かないと思うんです」 「恋してるんじゃないかね?」「えぇ」 「恋でこんなに変わるとは思いませんでした。 今は幸せすぎて、悲劇など理解できません」 「恋愛にこそ、本物の悲劇があるんだよ」 何気ない音楽の先生と彼女の会話だが、 物語が進むに連れて、意味を持つようになっていく。 結婚詐欺に引っ掛かる女性には、耳が痛い台詞かもしれない。 男が彼女に近づいてきた理由は、ある目的のためだったから。 「この家を自由に使うためかもしれません。 堂々と探し物ができるようにね」の台詞で説明がつく。 騙された女性は悲しみに涙するが、 「朝になれば、夜だったのが嘘のような気がしますよ」と 慰められるシーンは、現代と変わらない。 出演者が少ない分、ゆっくり鑑賞できる作品とも言えそうだ。
P.S. 好奇心旺盛のおばさんが時折つぶやく「おやまぁ」の会話が、 物語にどう関係しているのか、気になっている。
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2013年02月26日(火) ■ |
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何も予定がない週末くらい、私と遊んでよ |
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先日の気になる一言「それにしても乗らな過ぎですね」を書いた後、 自分が「車」だったら、どう感じるだろうか?と 湯船に浸かりながら、考えてみた時のこと。 私は、こんなことをしながら「問題解決」をすることがよくある。 「立場を変えてみる」ことは、とても大切な視点であり、 相手の気持ちを知るには、この方法がベストと経験から知っている。 さて話を戻す。自分が「私の愛車」だったら・・と考えたら、 浮かんできた台詞は「何も予定がない週末くらい、私と遊んでよ」。 大切にしてもらっているのは嬉しいようだが、 自分の役割は、快適に運転してもらって評価されたい、 そんな呟きが聴こえてきた。 自動車として存在している限り、運転して欲しい、 そして遠くまで快適に運んであげたい、と思うのだろうか。 そう言えば、最近、遠距離のドライブしてないものなぁ、と 反省しきりである。 私の「平日の徒歩通勤」を責めているのではなく、 「何も予定がない週末くらい、私と遊んでよ」というボヤキ。 そうか、このところ週末も、本を読んだり映画を観たりしてからなぁ。 たまには、自分の息抜きのためにも、彼女と遊ぼうっと。
P.S. すみません、勝手に愛車の性別が「女性」と決めつけてました。 これって奥さんの台詞かもよ、という突っ込みも受け付けません。(汗)
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2013年02月25日(月) ■ |
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人が殺人を犯すのは、ほかに選択肢がないからだ。 |
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書籍「ガリレオ8 禁断の魔術」 (東野圭吾著・文藝春秋刊・327頁)から。 「透視す(みとおす)・曲球(まがる)・念波う(おくる)・ 猛射つ(うつ)」の章に分かれた作品の中、 「透視す」から、このフレーズを選んだ。 最近、新聞紙上で「殺人」という単語を目にするたびに、 私には、人を殺す度胸なんてないな、と思っていたら、 「人が殺人を犯すのは、ほかに選択肢がないからだ。 度胸のあるなしは関係がない」の表現に出会った。 どうして殺人なんてするんだろう?という視点で考えたら、 「ほかに選択肢がないからだ」と気付いた。 他人からみたら、他にも選択肢があったろうに・・というのも、 本人にとっては、もうこれしかない、と追い詰められていた。 そう解釈すると、今まで理解できなかった事件が、 ちょっとだけ、そういうことか・・と思えた。 もちろん、そんな事件はあってはならないのだが・・。
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2013年02月24日(日) ■ |
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天下泰平とは、新しい息吹きを消すことだ |
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映画「天地明察」(滝田洋二郎監督)から。 久しぶりにスケールの大きい、そしてワクワクする映画だった。 20年以上の歳月をかけて、日本独自の太陰暦を作り上げていく様子、 そして、江戸時代前期の町民たち様子が活き活きと伝わってきた。 乱世の時代が終わり、まさしく「天下泰平」を楽しんでいるが、 その「天下泰平」にこそ、危機感を感じている表現が気に入った。 作品からメモした原文は、もう少し長い。 「天下泰平とは、戦う気概を忘れさせ、 ぬくぬくとした暮らしに埋もれ、羽ばたく意欲を奪うものでもある。 すなわち、新しい息吹きを消すことだ」 そして「このままでは、この大和は滅んでしまうのう」 平和は決して悪いことではないが、世の中の何かを変えようとか、 新しいことに対する挑戦などは、保守的な人たちによって消されてしまう。 これはいつの世でも同じことであろう。 「現状に満足した時点で成長は止まる」そんな言葉が頭に浮かんだ。 いろいろな場面で、その視点を持ち続け、若い人たちの新しい息吹きを 我々の世代が消さぬようにしなければ・・・。
P.S. 江戸が、こんなに算術・天文学が盛んだったなんて驚きだなぁ。 しかし、ここでも「会津藩」が大活躍。人材豊富な地だったに違いない。
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2013年02月23日(土) ■ |
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記念日は 富士に囲まれ 酒を呑む |
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毎年、2月23日は「富士山の日」。 (全国の人は、知らないかもしけないけれど・・) 各地でさまざまなイベントが開催され、 「霊峰富士」をネタに、どう楽しむかは十人十色。 いろいろな角度から撮影された「富士山写真展」を観に行くも良し、 雄大な富士山の麓で、子どもたちと凧揚げをするも良し、 気のあった仲間で「富士の山」を大合唱するもいいだろう。 今年私が選んだイベントは、酒好きにはたまらない、 静岡県の酒米(誉富士)を100%使用した地酒を飲む、というもの。 それも、静岡県小売酒販組合連合会が主催し、 県内の173の飲食店(酒店も含む)を「乾杯会場」にして、 午後6時半に一斉に乾杯する、ただそれだけだから、面白い。 変な講釈はせず、酒好きと仲良くなれて、気持ちよくなる。(笑) あとは時間とお金が許す限り、場所を移して・・・。 (仲間への手土産は「富士山頂」(田子の月)というお菓子だな) 気になる一言は、深夜、帰りにブラブラ歩きながら、口にした川柳。 「記念日は 富士に囲まれ 酒を呑む」 来年は、もっと身近な「富士山」に囲まれた企画、考えよっと。
(今年の乾杯酒データ)「沼津・松浦酒店にて」 誉富士純米生原酒おりがらみ(静岡県産誉富士100%使用) 「白隠正宗 平成25年富士山の日 朝搾り」高嶋酒造
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2013年02月22日(金) ■ |
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「みらいのおとな課」と「ゆうゆう人生課」 |
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映画「いつか読書する日」(緒方明監督)から。 作品の冒頭「未来の私からの手紙」や 「あなたは15歳だった時のことを覚えていますか?」など、 アンジェラ・アキさんの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」と 似たシュチエーションがあり、ちょっと驚いた。 さて、今回の気になる一言は、主人公が勤める市役所の課名。 機構改革か、首長が変わって変更したのか、詳細はわからないが、 面白くて、メモしてしまった。 窓口の担当課を探している市民に対して 「みらいのおとな課」は「前の児童課と同じなんですよ」と説明。 じゃあ、高齢者担当は「むかしの子ども課」と想像してみたが、 予想は外れ「ゆうゆう人生課」だった。(笑) 全国の自治体には、ずっと以前に話題になった「すぐやる課」を始め、 面白いネーミングをした「課・部」などがあるが、私は馴染めない。 これだけ国民が転入・転出を繰り返しているのだから、 どこへ住んでも「同じ課名」の方が国民のため、と個人的には思うから。 だから当然のように、自治体ホームページも全国的な統一感がない。 2004年製作の映画とはいえ、変わった名前の課名、多かったのかなぁ。 作品と関係ないところで、盛り上がってすみません。(汗)
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2013年02月21日(木) ■ |
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それにしても乗らな過ぎですね |
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愛車・クラウンの定期点検を終え、 車の鍵を渡された時、私の車の担当女性に叱られた。(笑) 「走らな過ぎですよ」 点検をしてくれた整備士に言われたのだろうか、 「(その為に)バッテリーが弱ってます」って伝言された。 「健康のために歩いてるってのは聞きましたけど・・」と 「それにしても乗らな過ぎですね」。 たしかに、平日の天気が雨でない限りは徒歩通勤。 土日などの休日も、渋滞を嫌って歩くのが基本。 隣の市・町にも、駐車場探しなどが面倒で、歩いてしまう。 それじゃ、いつ乗るんだ、と言うことになるけれど、 これもせっかく身についた生活のリズムだからなぁと思う。 私にとっては、数年前、ノーブレーキで追突された事故からも 頑丈なボティで守ってくれた車種だし、乗り心地は大満足、 休日に愛車で出かける前は、必ずボディ・タイヤは磨くほど。 だからこそ、悩んでしまう。 毎日、少しでも動かした方がいいのだろうか? 週末に、遠出をした方がいいのだろうか? 車に詳しい方、是非、アドバイスを。
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2013年02月20日(水) ■ |
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2人がどう出会うかは問題じゃないの |
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映画「ワンダーランド駅で」(ブラッド・アンダーソン監督)から。 すれ違い続けるふたりの男女が、出会うまでを描いたドラマ。 作品解説には、そう書かれていたけれど、 作品の中には、こんな台詞がある。 「2人がどう出会うかは問題じゃないの。 本当に大事なのは、その後の2人の関係をどうやって続けるかよ」 それにしては、2人が出会うまでの過程が長過ぎる。 あと残り数分というところで、やっと出会うから、 この後、2人がどうやって関係を続けていくのか、は語られていない。 キーワードとなるフレーズは「頑固さは、狭量なる心の表れ」。 それを「頑固さは、堅実さの表れだ」と言い替え、 本当は「愚かな頑固さは、狭量なる心の表れだ」(R・W・エマソン) と「愚かな頑固さ」にスポットを当てたかったようだが、 私にはよく理解できなかった。 冒頭の「何も読まずに本を閉じるな。どんな言葉をひとつでも、 読めば心に響く。めまぐるしい世界から、はるか遠く離れ、 忙しさや、むなしい快楽を忘れ去る。 孤独とは、なんと優雅で穏やかだろう」という老紳士の助言の方が、 心に残ったシーンであった。 最近、なかなか理解できない作品ばかり観ている気がする。 これでいいのだろうか・・・(汗)
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2013年02月19日(火) ■ |
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大声援も誰かひとりの声から始まるんだ |
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正月・箱根駅伝の途中で流れた「野村證券」のCMのメモから。 当然といえば当然なのだが、意外と気付かない視点かも・・ とわかっていながらもメモをした。 「大声援も誰かひとりの声から始まるんだ」 言い換えれば「大河の一滴」をイメージすることもできる。 あるひとりが、勇気を出して声を出す。 それをみて、もうひとり、さらにもうひとり・・・。 いつしか小さな声が「声援」そして「大声援」に変わる。 大切なことは「はじめの一人」になる勇気なのかもしれない。 周りを気にせず、自分の心のままに行動できるか、 多くの人たちが賛同してからではなく、 自分が「大河の一滴」となれるかどうか、が試される。 最初の一滴になって、川として道筋をつけることが出来たら、 その流れがどんどん大きくなっていく姿を、そっと見送りたい。 そしてまた、新しい川の一滴になれたら・・と思う。 成果より、そのきっかけづくり・・私の好きな生き方だな。
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2013年02月18日(月) ■ |
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右手の商業施設『サンパーク』の灯り |
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書籍「本ボシ」(曽根圭介著・講談社文庫刊・481頁)から。 著者が静岡県出身、いや詳しくは近隣の「沼津市」出身。 「第53回江戸川乱歩賞」受賞後の作品は、地元を舞台に・・という コメントを耳にしていたので、楽しみにしながら読んだ。 ぐいぐい引き込まれていく小説としての面白さもさることながら、 舞台となった地元の地名が、そのリアル感を倍加させている気がした。 「駿東郡清水町は、伊豆半島の付け根に位置し、旧東海道の宿場町、 三島と沼津の中ほどにある」と紹介してくれたかと思えば、 「都会と違って、娯楽が少ない地方都市では、週末や休日ともなれば、 遠出をする予定のない者が集るのは、郊外型ショッピングモールか、 パチンコ屋と相場が決まっている」と厳しい指摘。(汗) 「坂田さん。しばらく『見守り隊』は続けますから、 協力してもらえませんかね」という生活感溢れる表現や、 「対岸にある焼却炉の煙突が、青い空に、白い線を引いている」と 情景も的確に捉えられていて、ますます引き込まれる。 「左手に広がる柿田川公園のうっそうとした雑木林の暗がりとは対照的に、 右手の商業施設『サンパーク』の灯りは、煌々と周囲を照らしている」 もちろん、商業施設名は営業に関係するから変更したのだろうが、 近くに「サンパーク」というスナックが存在するから、苦笑いした。 (たぶん、著者はそこまで調べてないと思うけれど・・(笑)) 最近では、全国的に、まちづくり・観光の活性化も兼ねて、 映画の撮影を支援しようと、フィルムコミッションが頑張っているが、 私は、作家を支援して、小説の舞台にしてもらう方が楽しい気がする。 これって、新しいまちづくりにならないかなぁ。
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2013年02月17日(日) ■ |
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幸せの「は・ひ・ふ・へ・ほ」 |
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小学校時代の恩師が80歳になったというので、 傘寿のお祝いをしよう、と声を掛けたら、 県内をはじめ、横浜・東京・埼玉からも同級生が集った。 先生の話によれば、数年前に旦那さんが他界したこともあり、 「広い家にひとりで暮らすのは寂しいよ」と本音を語った後、 それでも、こうして教え子に80歳のお祝いをしてもらえるなんて、 私は幸せ者だよね、と感無量の様子。 そして挨拶の最後に、誰かに教えてもらったという、 「幸せの『は・ひ・ふ・へ・ほ』」を私たちに披露してくれた。 これを口にすると、周りに対する不平不満もなくなるようだ。 (は)・・半分でいい (ひ)・・人並みでいい (ふ)・・普通でいい (へ)・・平凡でいい (ほ)・・程々でいい こう考えて生きると、幸せになるのよ、と弱気で涙ぐんだ声が、 いつもの明るい先生の声に戻った。 この「はひふへほ」、若い頃ならメモもしなかっただろうが、 年を重ねた今では、妙に納得できるし、心にストンと落ちた。 仕事は、まだまだ力を注ぎたいが、私生活はこの謙虚さを取り入れて、 何事にも欲張らず、ゆったりと過ごしたいと思う。 いくつになっても、親は親、先生は先生。 自分たちの「生きる力」を育んでもらったことは間違いない。 54歳で教わった、先生からのプレゼント、大切にしたいな。
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2013年02月16日(土) ■ |
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「原発」に隕石落下だったら大変だったな |
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今日の朝刊は、ロシア南部に隕石落下の記事がトップ記事。 関連記事も、紙面の数カ所に散りばめられていたが、 気になったのは、隕石の話に話題が集中し、 それから想定される「原発」への落下が語られていないこと。 いつもなら、夕食を終えのんびりしてから、PCを立ち上げ、 「気になる一言」を選びながら、書き始めるのだが、 今日ばかりは、朝だけど書いておこう、と思ったので失礼。 勿論、私の呟きだけど・・・。 「『原発』に隕石落下だったら大変だったな」 落ちた場所であるロシア南部の都市には申し訳ないが、 これが「原子力発電所」だったら、大惨事では済まされないから。 私は、2012年06月10日(日)「東京電力福島第1原発事故を教訓に・・」 と題して、気になる一言を書いている。 その中で「福島第一原発の教訓は、地震・津波に限らず、 あらゆる事態(外国からの攻撃・小惑星等の衝突・人工衛星の落下・ 竜巻や雷などの異常気象)でも耐えられることが、安全の評価であり、 地震・津波以外で事故が起きたら、また『想定外』と言い訳をする。 それでは『教訓にした』と言えるのか、言葉として疑問である」と。 この想いが、今回の隕石落下で「確信」に変わった。 やはり、人類滅亡の危機がある「原発」は、日本だけでなく、 地球上のどこにも必要ないな、いや、作るべきではないな。 私たちは「前後左右」からの攻撃や変化には対応できても、 「上下」からの攻撃には、無防備であったり、反応が遅れる。 それは、人間の生活がほとんど「水平方向」だからであろう。 これからは「垂直方向」にも目を向ける必要がありそうだ。 そうそう「隕石」と決めつけることにも、まだ疑問が残る。(汗)
参考に http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20120610
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2013年02月15日(金) ■ |
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「エコ」はいいけど「エコ贔屓」はいけない |
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リズムがあって面白かったので、メモをした。 本来「エコ贔屓」の「エコ」は「依怙」。 「依怙」とは「一方に偏って不公平なこと」 「贔屓」とは「自分の気に入った者を特に可愛がって 力を添えることで、もとは『ひき』と読んだ」との意味。 だから「依怙贔屓」とは、ある特定の者だけを取り立てたり、 味方にしたりすること」を意味する。 これは「セクハラ」や「いじめ」とは違い、受けた側ではなく、 「依怙贔屓」を受けなかった側からの言い分が多い。(汗) 結局は、自分を認めて欲しい、という感情の裏返し、 そんな感覚で私は受け止めている。 私たちも人間だから「公平」で接しているつもりでも、 誰かを「贔屓」しているように感じるだろうし、 普段からの行動や生活態度から、多少の違いは出ると思う。 そんなことを話題に「依怙贔屓だ」と陰で言うこと自体、 私としては納得がいかない。 だから「依怙贔屓される側」にはならないんだな。
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2013年02月14日(木) ■ |
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助け合って、お礼の言葉を増やしている組織は強い。 |
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演題「未来に勝ち抜くチーム力」 (講師・(有)クロフネカンパニー・中村文昭氏)から。 何度聴いてもメモが溢れてしまう、中村氏の話。 オーソドックスに、演題に沿った一言を選んだ。 例えは、レストランの「調理場」と「サービス」の関係。 「調理場」の料理人が、一所懸命作っても、 味を褒められるのは、料理を運ぶ「サービス」のスタッフ。 だから「調理場」と「サービス」は仲が悪い所が多い。 理由は、お互いのために何かしようと考えていないからだ。 「現場最前線」(営業等)と「管理部門」には、 対立しあうように仕組まれているのではないか、と思うほど。 公務員だって、同じようなことは言える・・・(笑) その解決策は簡単だ、と彼はサラッと話し始めた。 どちらかが、相手の部署のことを考え、 先回りして「手伝おうか」と声を掛けるところから始まる。 あとは、任された事を相手が驚くくらいに仕上げる。 それを受けて、相手からも手伝おうか、と声がかかる。 ほんのちょっとだけ、相手を気にしているだけなのに・・。 「お互いが、ありがどう、と思うことが大切」と彼は言う。 「助け合って、お礼の言葉を増やしている組織は強い」 これに尽きる気がする。
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2013年02月13日(水) ■ |
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まぐわったの |
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映画「神の子どもたちはみな踊る」(ロバート・ログバル監督)から。 村上春樹さんの短編小説をアメリカ人監督が映画化。 逆輸入なのか、と楽しみに観たが、正直、よくわからなかった。 冒頭に「5ドルあげるから、ポケットにおしっこさせて」の台詞、 それ以後、なかなかストーリーさえも理解できず・・落ち込んだ。 「『快感』の同義語って何?」の問いに対して、 「『楽しみ』『喜び』『満足』はどうですか?」と答えたフレーズが やけに新鮮に感じ、メモした程度。 特に気になったのは「性行為」を「まぐわう」と表現したこと。 「彼とまぐわっていると、余計なことは何も考えないで済んだ」とか 「まぐわったの」などの和訳が飛び交い、違和感があった。 漢字で書くと「目合う」「目交う」らしい。 さらにネットで調べてみると、こう記されている。 「人が性的欲求に触発され、複数で行う一連の行為のことであり、 しばしば快楽や愛情表現を伴い、必ずしも生殖には結びつかない」 「まぐわう」イコール「性行為」ではないことがわかった。 原作には、何て書いてあるんだろうか・・う〜ん、気になる。
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2013年02月12日(火) ■ |
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王はもっとも重要ですが、守る者が必要なのです |
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映画「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」 (ポール・W・S・アンダーソン監督)から。 フランスとイギリスの争いも、ピストルではなく 剣が中心だったためか、緊張感は柔らいた。 気になる一言は、物語とはあまり関係ないが、 まだまだ若いフランス王が、チェスをして惨敗。 気持ちのイライラを収めるところがなく、叫ぶ。 「くだらないゲームだ。王は最強であるべきだろう」 終いには、チェスの駒を滅茶苦茶にしてしまうほど。 なんとも我侭なフランス国王だね、と思っていたら、 お相手のリシュリュー枢機卿が、諭すように呟く。 「王はもっとも重要ですが、守る者が必要なのです」 チェスに限らず、日本の将棋にも同じことが言えるし、 ボードゲームに限らず、私たちの関わるどの組織にも、 この考え方は使えるな、とメモをした。 「王がもっとも重要で権力もある」ことを認めながら、 それを補佐する人たち(命を掛けて守ろう)とする人が いるからこそ、王は守られていることを知らせる意味で、 面白いと思った。 「三銃士」といいながら「四銃士」じゃないか、という 突っ込みをしながらも、楽しく観終わった。 字幕で気になったのは、アルコール好きの三銃士が 「WINE(ワイン)」と大騒ぎしているのに、 「酒」と訳されている字幕かな。(笑)
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2013年02月11日(月) ■ |
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みな覚悟を決め、わしに力を貸してくれ |
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NHK大河ドラマ「八重の桜」から。 メモを振り返ると、今回のキーワードは「覚悟」だった。 「京都守護職拝命」も、会津藩にとって致命的だと知りつつ、 受けることを決めた、会津藩主・松平容保が目を潤ませて 部下たちに訴える。 契機となった「会津家訓十五箇条訓」等の細かいことは説明せず、 「みな覚悟を決め、わしに力を貸してくれ」 この必死さが部下に伝わったのだろう、(画面では涙目に・・) これ以後、誰も言葉を発しなかった。 「覚悟」とは辞書によると 「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、 それを受けとめる心構えをすること」 「きたるべきつらい事態を避けられないものとして、 あきらめること。観念すること」の2つの意味があるが、 もちろん、前者の意味として使われたのだから、 「会津は強い」と言い切った容保を信じて、力を貸すしかない、 部下たちは心から、そう思ったに違いない。 今回のタイトルは「会津の決意」だったけれど、 メモを整理していて「会津の覚悟」ってのもよかったなぁ、なんて しっかり「八重の桜」にハマっている自分が可笑しかった。
P.S. 八重と山川二葉の薙刀対決。 今までとは違う強さに驚いた八重に、二葉は諭すように呟く。 (梶原平馬と結婚する)「私の覚悟が、これまでとは違っているのです」 ここでも「覚悟」という単語が出てきた。
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2013年02月10日(日) ■ |
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シワのない「日の丸」はなかったのかな(汗) |
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フィギュアスケートの4大陸選手権・女子は、 10年ぶりの表彰台独占の快挙に、会場は沸いた。 しかし、文化・スポーツのイベントを観ると、職業柄か、 ついつい主催側という視点で観察してしまい、ひとりで苦笑いした。 私が気になったのは、表彰式で掲げられた、国旗「日の丸」のシワ。 そんなこと大したことでないと思うかもしれないが、 選手たちの頑張りにより、せっかくテレビに映し出される、 白地に赤い「日の丸」が、3枚ともシワだらけでは、 それを見つめて国歌斉唱をする、選手たちが可哀相になった。 私たちみたいな小さなイベントでも、旗の位置やシワなどに気を使い、 シワがよっていれば、アイロンをかけさせたりすることもある。 それなのに、全国のテレビに映し出され、国民が感動する場面だから、 一度リハーサルでもして、その映像を確認して欲しかった。 オリンピックでも何でも、国旗がシワだらけはあり得ない。 自分たちの反面教師とするために、 「シワのない『日の丸』はなかったのかな(汗)」を残したい。
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2013年02月09日(土) ■ |
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最良の選択かしら?妥協はダメよ。 |
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映画「ファッションが教えてくれること」(R・J・カトラー監督)から。 米ヴォーグ誌の編集長アナのドキュメンタリー作品。 このことに異論を挟むことはないが、 時々、これは演技なのか、素顔なのか、わからなくなる。 フィクションなのか、ノン・フィクションなのか、それさえも。 冒頭、こんなフレーズで始まる。 「ファッションのことを恐れる人は大勢いると思う。 不安を感じているからこそけなしてしまう。 ファッションについて、悪く言う人は、恐れや不安の裏返しなのね。 自分がクールなグループに属していると感じて、軽蔑したり無視したりする。 ファッションの『何か』が人々を動揺させるのね」 あぁ、私もファッションを恐れているひとりだと苦笑いした。 今回は「9月はファッション業界の新年なのよ」と言い切り、 「9月号で特集するほど、重要な価値があると思う? もっと練り直して」と叱咤する。 「(9月は)女性は新たな気分になるの。ストーリー性が大切なの。 なぜ『特集を組む』かという視点や、重要性」とその意味を伝え、 最後は「最良の選択かしら?妥協はダメよ」と念を押した。 このカリスマ的な存在の根源は「妥協しない」という考え方だと知った。 作品最後、彼女のインタビュー。 「強みは?」の問いに、迷いもなく「決断力」と答えた姿、カッコよかった。
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2013年02月08日(金) ■ |
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嫌われてるかと思いました。(^。^;) |
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ある女性からいただいたメッセージである。 FB(Facebook)のメッセージを私宛に送ったのに返信が届かない。 おかしいな、いつもならすぐ返信が届くはずなのに。 そう思った彼女からのメッセージに気付いたのは、つい最近。 だから、弁解しながら誤りのメールを送ったら、 「嫌われてるかと思いました。(^。^;)」 このハプニングでの私の気付きは、 SNSと呼ばれるネットの世界は、簡単に始められるけれど、 その仕組みをある程度理解しないとトラブルになる、ということ。 最近のシステムは、まずは始めてみて、使いながら覚えていく、 そんなパターンが多い気がするが、 そこに、今回のような落とし穴がある気がしてならない。 SNS参加者ごと、そのシステム理解度に差がある場合、 ハプニングが、アクシデントになり、トラブルになることも・・。 自分の認識の甘さ、立ち位置を再認識する、いい機会となった。 せっかくのお誘いに不快を与えないように、少し勉強しなくちゃな。 内緒で送ったはずのメッセージが、他人も読める設定になっている。 こんなことは、人間関係を壊すパターンだよなぁ。
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2013年02月07日(木) ■ |
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「くだらねぇ」っていうのが最高の褒め言葉 |
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書籍「余生」(北野武著・ロッキング・オン刊・237頁)から。 私が読んだのは「2001.2.25 3版」 もう12年前の作品なのに、妙に納得して読み終えた。 やっぱり、私は「北野武」さんの考え方・生き方が好きなようだ。 特に「お笑い」については、「そうそう」と思うことばかり。 「お笑いタレントにとって『くだらねぇ』っていうのが 最高の褒め言葉だって、俺よく言うんだけど。 『面白い』なんてのは、その下だって言ってんだけどね」 この考え方は大好きである。 お笑いタレントが妙に一般人化し、頭の良さを売り物にする。 それって、なんだか役割が違うかなぁ、と思っていたし、 「笑わせんならいいけど、笑われるんのはイヤ」というポリシーが 私の胸に響いてきた。 「くだらねぇ」と思いながらも、つい笑ってしまうネタが好きだし、 計算されたネタの「面白い」はやはり心底から笑えない。 なぜか、映画「落語娘」で選んだ気になる一言、 「笑いに勝ち負けは似あわねぇ」のフレーズが思い出された。 お笑いにグランプリなどの順位は、いらいなよなぁ。
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2013年02月06日(水) ■ |
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今は朝だ、夜と違う |
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水曜日恒例の「男女・恋愛・エッチ」ネタの気になる一言、 復活を望む声が増えたので、お言葉に甘えて。(汗) (興味ない方は、水曜日は読まないようにお願いします) 映画「王子と踊子」(ローレンス・オリヴィエ監督)から。 映画「マリリン 7日間の恋」を観終わってから、 マリリン・モンロー主演作「王子と踊子」を観たくなった。 カルパチャ国の摂政チャールズ太公と、 若いアメリカの踊り子エルシーの会話を中心にメモしたが、 一番面白かったのは、王子の態度の違い。 「今は朝だ、夜と違う」 夜に愛を囁いたと思ったら、朝は厳正な態度で接する。 女性にとっては、あまりの変化に戸惑うかもしれないが、 男性特有の感じ方として、理解できる。 朝から、甘えた声で言い寄られても、その気にならない。 ごめん、今から仕事なんだ・・・と素っ気ない態度をされ、 腹を立てる女性がいるようだが、これは仕方がない。 本来なら、マリリン・モンローの魅力に迫った台詞を 気になる一言にしたかったが、お許しを。 でも・・彼女なら、仕事を放ったらかしてしまうかもなぁ。 (すみません、言ってることがチグハグで(汗))
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2013年02月05日(火) ■ |
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おタバコを吸われている「高額納税者」の皆様 |
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先日「TAKE HEART BEAT」( Live Vol.1)と題した Big Band Jazz Orchestraのジャズ演奏を楽しんだ。 「TAKE HEART BEAT」とは「元気づけるビート!」 「お客様と自分たちが一体となり、元気になる! 楽しくなる!」 そんな想いが込められたグループ名らしい。 演奏曲も「バードランド」「テイク・ファイブ」「ルパン三世」 「スウィングしなけりゃ意味ないね」等、バラエティに富み、 久しぶりに私の体が、音を楽しんでいることを実感した。 しかし(申し訳ない)、選んだフレーズは、若い女性司会者の台詞。 演奏前、写真撮影や携帯電話の使用など、注意事項を説明した後に、 「本日、撮影した映像は、You-Tubeやニコニコ動画などに 積極的にアップ(ロード)してください」と付け加えたから笑えた。 また1部終了後の休憩時間前に、 「おタバコを吸われている『高額納税者』の皆様、所定の場所で・・ これを機会に、禁煙をしたらいかがでしょうか?」とコメント。 意外と、こういった機転の利いた言い回しは面白いな。 名前のとおり、元気をいただいたコンサートであった。
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2013年02月04日(月) ■ |
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子どもが無免許で高速道路を運転している |
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講師「NPO法人e-Lunch 理事 桑原光子さん」 演題「大人のためのウェブチェック講座」から。 わが町の青少年健全育成の会議で、講演をしていただいた。 最近、ネット犯罪・ネット被害の話を聴く機会が多いが、 驚いたことは、数ヶ月前の知識がもう古くなっていることだった。 そんな中、今の子どもたちが晒されているネット環境を、 うまく表現できる例えがなかなか見つからずにいたら、 今回の彼女の講演で、そのヒントが見つかった。 ネットの怖さを伝えるため、スクリーンに映し出された写真は、 「小学生くらいの子どもが車のハンドルを握っている」光景。 それが「小学生くらいの子どもが高速道路を運転しているくらい危険」 との説明を受けて、なるほどなぁと思った。 実はネット社会をはじめとした、情報処理の教育って、 誰がどこで教えているか、と訊ねたら、誰も答えを持っていない。 特に被害に結びつく可能性を秘めた「情報モラル教育」を受けないまま、 簡単にネットの社会に飛び込むのは、まさに1枚の写真が示すとおり、 「子どもが無免許で高速道路を運転している」のと変わらない。 ネットの世界は何でもありだし、被害者のつもりでいたのに、 実は加害者にもなっていた、なんて話は、よく耳にすること。 だからこそ、ネットの社会のルールとマナーを教えなくては・・と思う。 子どもだけでなく、何も知らなくても繋がってしまうネットの世界は、 大人にとっても魅力的な存在のはず。 メディアの報道では「脱法ハーブ」の単語が紙面を賑わすが、 ネットの世界では(脱法でない)「合法ハーブ」が売り買いされるらしいから イタチごっこという他はない。 早いうちに「情報モラル教育」を学校の教科にして欲しいものだ。
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2013年02月03日(日) ■ |
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なぜ事を急いだ、寅次郎 |
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「なんだかんだと言っても、ほとんど毎回観てるね」と呟く妻を チラッと横目で観ながら、気になったシーンがある。 もちろんNHK大河ドラマ「八重の桜」の話から。 友人と弟子への「遺書」と言われる「留魂録」の冒頭に書いた 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂」は 死刑宣告を受けた前日に書いたんじゃなかったかな?という くだらない私の知識と、吉田寅次郎の慌てぶりが重ならなかった。 死刑覚悟で、老中暗殺計画を告白したとずっと思っていたし、 自分が死ぬことで、自分を慕っている若い武士たちの心を一つにし 国をまとめるつもりだったのでは、とさえ美化していたから。(汗) だから、吉田寅次郎(松陰)の死を知った佐久間象山が呟いた台詞、 「なぜ事を急いだ、寅次郎」は意外な台詞だった。 自分の心をコントロールできずに、感情で告白してしまった、と そう考えているようにも聞こえた。 う〜ん、「八重の桜」で「吉田松陰」の話をするのも変だけれど、 こんなことで年末まで話題が続くのだろうか、と心配している私がいる。
P.S. フレーズとしては「喧嘩もたまには生き抜きだ」が良かった。 いつか、気になる一言で採り上げたいな。
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2013年02月02日(土) ■ |
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音痴に敵はいないから |
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カラオケで、面白い話を耳にした。 音痴の人には、2つのパターンがある。 1つ目は、カラオケなど歌わされる場面が想定できるところへは 極力参加しないパターン。 本人も自覚しているから、わざわざ笑われるのはご免、という。 ごもっともだと、理解出来る。 しかしながら、もう1つは、全く逆のパターン。 「音痴」を武器に、みんなの人気者になってしまうという。 これは私にはなかなか理解できないので、失礼とは思いながら、 好奇心旺盛の性格を押さえ切れず、訊いてみた。 もちろん、はじめは人前で歌うことに抵抗があったらしいが、 1つの言葉で吹っ切れたという。 それが「音痴に敵はいないから」 歌が上手いと、ライバル(敵)は数多いから、ポップスは、あの人、 演歌はこの人、そして、デュエットは私。(汗) そんな、十八番(おはこ)の取り合いで、他人の歌なんて、 じっくり聴いていない人もいるけれど、 音痴は、みんなが大きな声で笑いながら聴いてくれるから、 これからも、音痴をプラスに考えて歌うという。 「音痴」の人には「音痴」の人の歌い方がある。 そう言われた気になって、嬉しくメモをした。 「下戸には下戸の飲み方がある」と、同じだな。
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2013年02月01日(金) ■ |
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相槌とは、団扇のようなもの。 |
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書籍「聞く力 心をひらく35のヒント」 (阿川佐和子著・文藝新書刊・253頁)から。 聞き上手の阿川さんならではの、定義だと思った。 書かれていた本文は、もう少し長い。 「相槌とは、燃えさかる薪ストーブの火を、じっと見守って、 少し弱くなりかけた時に、ときどきあおぐ団扇のようなもの」 「そう」「それで?」「面白いねぇ」「どうして?」「それから?」 そんな相槌は、しぼみかけた会話に勢いをつける。 「留守番電話」のように「ピーッという発信音のあとに 『さぁ、しゃべりなさい。ほら、話しなさい』と言われても、 無言の機械に向かって一人でしゃべり続けることが苦痛」と言う。 相槌が可能な「留守番電話」があったらいいのに・・と 半分冗談、半分本気のようなことを書いていた。 その相槌がうまくできる人こそ「聞く力」があり、 相手が「心をひらいてくれる」に違いない。 これから彼女が出演している番組を観る時、 この「相槌」のテクニックを観察してみようっと。
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