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しもさんの「気になる一言」
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2012年12月31日(月)
「古風なものは捨てがたい」「古風のものはいいわね」

映画「007 スカイフォール」(サム・メンデス監督)から。
暗闇の中だったので、誰の台詞か、メモし忘れた。(笑)
しかし「新旧比較」「世代交代」等のフレーズが、
作品のあちらこちらに散りばめられていた。
ボスのMには「引退プランの提案」がされ、
「ピッタリだわ、古株の再スタート」を始めとした
「スパイを追う? 時代遅れだ」「君の趣味は?」「復活だ」
「スパイか?」「人出を使って情報収集は、古いものてす」等、
スパイを否定するようなシーン、会話が目立ったが、
やはり最後に役立つのは「昔ながらのやり方」だったり、
「昔の道具」だったりするから面白い。
「古風なものは捨てがたい」「古風のものはいいわね」は
そんな「007」の存在感を示している気がした。
まだまだ、若い人たちの知識や、新兵器には負けない、
経験からつかんだ知恵こそ、これからの時代にとって
役に立つに違いない。
北朝鮮のミサイル打上げ情報を事前に察知したスパイは
いなかったってことなんだろうな、きっと。
情報だけで、判断するには限界があるものなぁ。

P.S.
ボンドが生まれ育ったの家の執事が
「M」のことを「エマ」と呼んだシーンがある。
これは何を意味するのか・・ちょっと気になる。

P.S.(2)
一年間、ご愛読、ありがとうございました。
来年も、ありがとうございます。



2012年12月30日(日)
年末年始は「長篇小説」を

前回の年末年始から楽しみを知った、長篇小説読破の満足感。
もちろん、大掃除や買い物等もするけれど、
普段、読むのに抵抗があるような厚い本の読破は、
年末年始に相応しい時間の過ごし方かもしれない、
そう感じる年齢になってきた。
お笑い中心のテレビ番組や、1年を振り返る特番よりも、
私にとっては、心を整えるチャンスだと考えている。
そこで一言は「年末年始は『長篇小説』を」
今回、ひとり静かに、雨の音をBGMにして読み始めた作品は、
「64 ロクヨン」(横山秀夫著・文藝春秋刊・645頁)。
前回の年末年始、夢中になって読み耽ったのは、
書籍「ジェノサイド」(高野和明著・角川書店刊・590頁)。
どちらも、読み始めるのに、勇気がいるが、(笑)
逆に、こんな機会じゃなきゃ読まないだろうなぁ、と思い、
ふとんに潜り込んで、頁をめくり始めた。
「64」ってタイトルにも惹かれたし、私の誕生日が「6月4日」、
これは、やっぱり読まなくちゃ。何かのお告げかも・・(笑)
昭和64年って、数日しかなかったんだよなぁ、たしか。



2012年12月29日(土)
最後の3日間も生ききる

毎年年末になると、感じること。
なぜかこの時期、新聞もラジオもテレビも、
そして、もちろんネットの世界も、
1年を振り返る特集が組まれるが、1年はあと3日もある。
12月29日・30日・31日は、365日(今年は366日)の3日。
まだまだ、大きな事件や事故、災害があるかもしれないし、
正月から毎日続けてきたことは、まだ終わっていない。
この3日間に誕生日の人だって私は何人も知っている。
来年はこんな年にしたい、こんなことを始めたい、とばかり
どうしても新しいことに興味関心が移りがちだが、
本当の意味で、1年を振り返るのは、新年1月1日なんだろう。
「最後の3日間も生ききる」
この気持ちこそ、悔いの残らない1年を過ごすコツであり、
1年間やり遂げた自信と充実感が、来年の目標に繋がっていく。
今回から、1年の総決算は、翌年の1月1日にしたいと思う。
そして、新しい1年の抱負は1月2日に、じっくりと考えたい。
あっ、そう言う意味で、書き初めは1月2日なのかなぁ。(笑)
来年のことは、来年考えようっと。



2012年12月28日(金)
気分は「箱根路」

駅伝競走で見つけた、若い女性が手にしていた看板。
「気分は『箱根路』」
正月恒例の箱根駅伝には出場できないけれど、
そんなつもりで頑張って・・の気持ちが込められている。
さらっと目にしたときは、なるほどなぁ、と思った。
しかし次の瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、
なんと「モーテル」の名前だった。(笑)
三島から箱根に向かってドライブすると、
途中に「箱根路」というモーテルがあった。
たしか、丸い看板に「箱根路」と書かれていたはず。
(もう潰れているようだけど、看板だけはあった気がする)
こんなところに入口があったら、車は出にくいだろうな?
そんなことを考えたことがあったので、今でも覚えている。
さて話は戻るが、若い女性が、恋人だろうか、必死に走る彼に
例の看板を見せて「頑張れ〜」と大きな声で応援。
もちろん私の勝手な想像で申し訳ないが、
それが面白くて、メモをしてしまった。
(必死の応援を茶化してごめんなさい。(汗))



2012年12月27日(木)
年末恒例「旧手帳」から「新手帳」への移し替え

クリスマスを終えると、私の年末年始がスタートする。
大掃除よりも大切、なんていうと妻に叱られそうだが、
「旧手帳」から「新手帳」への移し替えは、
一年を振り返る意味で、とても貴重な作業となっていて、
年賀状を書かない分、私はこの作業に時間を割いている。
(なんと10日くらいかけて移行作業をするのだが・・)
手垢で真っ黒になった手帳に記された数字やメモの数々、
どれもが私にとっては思い出の一部となっているし、
来年は、どんなことを目標に掲げて続けてみようかな、と
やってみたいことを書き出す作業も楽しい。
来年の大まかな流れから、既に埋まっている予定、
さらには、誕生日や記念日などをわざわざ書き写すことも、
1年に一度、その人の顔や声を思い出すのに役立っている。
ただ困ったことに、ここ数年、興味本位で始めたことが
ほとんど続いてしまっている。
どこかで、自分なりの見切りをつけないと、
続けていることばかりが溢れてしまい、自分を見失うかも。
贅沢な悩みだ、と言われることが多いけれど、(汗)
趣味の「断捨離」、来年は思い切ってやってみるかなぁ。

P.S.
ここ数年、革細工の先生が、私専用の手帳カバーを作ってくれる。
どこに行くにも、一緒の手帳。いつの日か手帳も手作りしよっと。



2012年12月26日(水)
家族の世話をするのが、そんなに立派?

映画「マルタのやさしい刺繍」(ベティナ・オベルリ監督)から。
80歳の女性、マルタが夫に先立たれて気力を失っていたが、
ふさぎがちな彼女を心配していた友人たちの後押しで、
若かりし頃の夢であった「ランジェリー・ショップ」を
オープンさせようとするが、このささやかな計画は、
昔ながらの保守的な考え方が支配的な村では、非難の的。
「それでも、牧師の母親か?」から始まり、仲の良い友人にも
「遠い過去の夢を今さら違うの?」「笑いものになるつもり?」
「わきまえを忘れてはいけないわ」となだめられて、
ついに友人にも言い返した台詞が、気になる一言。
「あなたみたいに、家族の世話をするのが、そんなに立派?
そんな偉そうに言うもんじゃないわ」
こう言い返したシーン、スッキリした感覚が私の胸に残った。
もちろん「新しいことに挑発するあなたに立派ですよ」とか
「開店するの、村に文化の香りを入れるのよ」と
少しずつであるが、励ましてくれる人たちも増えていき、
彼女が夢を叶えようとする、諦めない心、行動こそが、
今まで保守的だった人々の心を動かした、と言えそうだ。
「彼女は私たちの人生を豊かにしてくれた」
「みつけたの、生きがいを」
「喜びもね。そう生きる喜びよ、歳は関係ない」
仲間たちにそう言われる生き方って、すごく魅力的である。
自分の生き方が、他人の生き方に刺激を与えるなんて、
マルタばあさん、なかなかやるなぁ。



2012年12月25日(火)
今年の大河は「軸」がぶれなかった

NHK大河ドラマ「平清盛」最終回を終えて、
いろいろな評価を受けながらも、1年間観続けた私の感想。
「今年の大河は『軸』がぶれなかった」
もちろん、その背景には「遊びをせんとや生れけむ」といった
1年を通じて耳にしてきたテーマ曲があるけれど、この歌は、
松田翔太さん扮する「後白河法皇」の歌い方が印象深いけれど、
最初は清盛の母・吹石一恵さん扮する「舞子」が子守唄として歌い、
松田聖子さん扮する「祇園女御・乙前」が舞いながら歌うことも。
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」
「生きていればいろいろ大変なことはあるけど、
子どもが遊ぶように夢中になって生きようよ」という意味だという、
ホームページの解説を読んだことがある。
「どうせ生きるなら夢中になって楽しみながら生きようよ」
これは、私たちへのメッセージとして、しっかり伝わってきた。
低視聴率だろうが、画面が汚かろうが、まったく関係なく、
この大河ドラマ出演を楽しんできた、キャスト&スタッフが浮かぶ。
最近では珍しい(笑)「軸がぶれない」大河ドラマの安心感は、
「平家」から「源氏」へと確実につないだ
彼らが目指した「武士の世」の安定感とダブっていたとも言える。
私も、わが課のスタッフと「軸がぶれない仕事」をしていこうっと。



2012年12月24日(月)
若い科学者1人の価値は、老いた政治家20人分だ

ちょっと遅れてしまったけれど・・・
映画「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)から。
天変地異による現代版「ノアの方舟」と言った感じだが、
その原因は、64万年に1度しかない、太陽系の惑星の直列、
2012年の冬至、12月21日に訪れる、という
マヤ暦にヒントを得た終末説は、妙に納得してしまった。
最近の世界各地で発生している異常気象も、
単なる偶然ではなかったりして・・と考えてみたり。
宇宙船ならぬ、潜水艦のような方舟に乗れる人は限られていたが、
アメリカ大統領は、1人の地質科学者に乗船を勧める。
その時の台詞が
「若い科学者1人の価値は、老いた政治家20人分だ」
もっともっとスケールの大きな台詞があったにも関わらず、
なぜかこの一言を選んでしまったのは、最近、
政治家の価値を疑問視するような出来事が多かったからだろう。
特に、今の日本に必要なことは、科学者・技術者・職人などを
大切に育てる環境だと私は思う。
これからも発生し続ける自然現象を分析、シュミレーションできるのは、
年老いた政治家ではなく、若い科学者であるはずだから。



2012年12月23日(日)
無心になれますよね

クリスマス・イブイブの23日、
わが職場は、冬休みの子ども対象のイベントラッシュ。
伝統木版画家・風鈴丸さんの版画ワークショップや、
書道連盟の人たちが指導してくれる書き初め教室など。
私は、学生以来の「書き初め」に挑戦することにして、
「日々是好日」「歩々是道場」の2点を書き上げた。
簡単に考えていた「書き初め」は、意外と苦戦しながらも、
久しぶりに「集中力」というものを体感した。
一緒に挑戦した、わが課のスタッフに
「どうだった?」と感想を訊いたら、返ってきた台詞。
「無心になれますよね」
書くことだけに集中し、他のことを考えている暇はない。
いや、知らず知らずのうちに「無心」になっていたから。
何十年ぶりに体験した「書き初め」、
「新年の抱負」や「夢」を書くために挑戦したけれど、
その前に「無心になること」の気持ち良さと、
何度も失敗しながらも、書き上げた充実感が、私を包んだ。
「無心」って、こういうことだったんだなぁ。



2012年12月22日(土)
沼津の図書館まで、ヴィヴァルディ「四季」12曲分

12月の3連休初日、隣接市の沼津市立図書館・視聴覚ホールで、
映画「核の傷」の自主上映会があるというので、
いつものように、万歩計を付けて歩くことにした。
私専用の「歩数マップ」では、自宅から4500歩。
1分100歩のリズムで歩くことを心がけているので、
はじき出された計算では、45分かかることになる。
そこで出かける前に準備したのは、超小型のiPod shuffle。
iTunesから40〜45分の曲を探したら、
「ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集・四季」約40分、
よし、これを聴きながら歩こうと決めて、オートフィル。
やや小雨の中を歩き出し、図書館に到着したら曲が終わった。
そこで、今日の気になる一言は
「沼津の図書館まで、ヴィヴァルディ『四季』12曲分」
目的地までの、距離でもなく、時間でもない。
脳に心地よい、音楽何曲分という、私だけの物差し。
来年からは、ちょっと脳にも刺激を与えて
「古今亭志ん朝の落語演目『火焔太鼓』分」なんてのもいいな。
帰りも、渋滞で動かない車を何十台も横目に、もちろん歩き。
帰宅後の、一汗かいてビールは最高。
体の健康というより、心と脳の健康に、ウォーキングはお薦めだな。



2012年12月21日(金)
大人の方が問題ですよ

明日から冬休み・・
こんな時期、私たちの役目は、夜間冬期補導で、
青少年が集りそうな場所へ、関係者と数人で見回り。
ゲームセンターやカラオケ、映画館、コンビニなど、
店舗の責任者へ聞き取り調査をしながら、
周囲へ注意を促すのが目的。
ところが、多くの立ち入り場所で耳にするのは、
「大人の方が問題ですよ」
夜遅い時間に子どもを外に連れ出す保護者の行動や
親がいいって言っているのに、何が悪いんだ、という
開き直りに近い発言の方が、困っているという話。
これはわが町だけに限らず、全国的な動きのようだ。
何年か前にも書いた気がするが、今の日本、
必要なのは「青少年健全育成」より「中高年健全育成」。
ここの世代がしっかりしないと、
本当にダメになっちゃう気がするな、わが国は。
先日の総選挙、争点にもならなかったし・・(汗)



2012年12月20日(木)
心の弱さが(黒い)森を強くする

映画「スノーホワイト」(ルパート・サンダース監督)から。
和訳すれば「白雪姫」なんだろうけれど、
原題「Snow White and the Huntsman」から考えると、
「白雪姫と狩人」で、スノーホワイトを襲う狩人たちに
視点が移っているのかもしれない。
「白・黒」「老・若」「善・悪」・・その対比がわかりやすい。
面白いのは、悪の女王たちも入り込めない黒い森の存在。
あそこに入ったら誰も手を出せない、そんな設定だけど、
心が清らかなスノーホワイトに、黒の魔物が襲うシーンは
理解できるけれど、悪の狩人まで襲われるなんて・・(汗)
その森は、入り込んだ人の気持ちのあり方で変化するらしい。
それを表現したフレーズが「心の弱さが(黒い)森を強くする」。
自分は絶対に悪には負けない、という強い気持ちこそ、
悪の象徴である「黒い森」を潜り抜けることができるようだ。
弱い気持ちこそ、悪が入り込む隙を与えてしまう、
そんな意味の裏返しなのかもしれない。



2012年12月19日(水)
半熟女

「熟女」という単語は、もう既に市民権を得ている気がするが、
もう若くないけれど「熟女」と呼ぶには可哀相な年齢、
そんな人たちをどう呼ぼうかな、と考えていたら、
「半熟女」と呼んだらどうですか?と笑いながら教えてくれた
後輩たちがいた。
なるほど、上手いことを言う、とメモをしたが、
さて、呼ばれる側の女性はどう感じるだろう、とも思う。
もちろん、私の方は「まだ熟女と呼ぶには若い」という
褒め言葉として使うつもりだけど。(笑)
「一人前」に対して「半人前」というのがあるように、
熟女になりきれていない、という意味にも解釈できるから、
呼ぶ相手を考えながら使ったほうがよさそうだ。
ただ「半熟」で連想される「半熟タマゴ」は、誰にも愛され、
ラーメンのトッピングでも欠かせない存在だから、
「半熟」だけは、プラスイメージだな、私の場合。



2012年12月18日(火)
俺たち女の42歳は厄年だよね(汗)

ある懇親会で、現役バリバリで働いている女性が、呟いた。
部下の男性にも「お前たちなぁ」と叱りつけて、
私なんかが「男前だねぇ」と、褒め称える存在であるが、
そんな彼女が、今年はいろいろなことがあったよ、と振り返り、
同級生の女性に賛同を得ながら、口にした台詞。
「俺たち女の42歳は厄年だよね(汗)」
私の知識で「厄年」は、数え年で男は25.42.61歳、
女は19.33.37歳だったと思う。
特に、男の42歳と女の33歳を「大厄」と言い、
その前後の年も「前厄」「後厄」と言って行動を慎むとされていた。
(42が「死に」、33が「散々」という節もあるが)
基礎知識としては、体や心の変化が激しく、一番不安定な年齢、と
私なりに理解している。
それが、少しずつ少しずつ、生活スタイル・労働環境が変化し、
女性でも「42歳」が厄年となりつつあるようだ。
寿命・結婚年齢・出産年齢が伸びた分、女性の厄年も伸びたんだな。
こういうことは、時代が変わったのに変えようとしないんだね。



2012年12月17日(月)
食べ物ってのはね、目を閉じて

映画「レミーのおいしいレストラン」(ブラッド・バード監督)から。
確かに、料理が苦手な見習いシェフのリングイニと、
料理が得意なネズミ、レミーの友情と成長を描く作品だが、
私は、彼らの関係よりも、食に関する言葉のメモが多かった。
誰の台詞か忘れてしまったけれど「食べ物ってのはね」で始まり、
「目を閉じて、一口かじって、ゆっくり噛んで、味わいながら」
と続くフレーズになるほどなぁ、と思わずにいられなかった。
この作品鑑賞後、私はこの台詞を実行してみた。
驚くことにいつもの「食べ物」が違った味に感じられた。
視覚から入る情報が多すぎて、事前の知識や経験から、
その味を想像してしまう癖がついていたことに気付いた。
「僕の知る限り、食べ物は健康な体に必要なもの」
「1個ずつだと、独自の味。
でも、一緒に食べるとまったく新しい味になる」
「いいパンの見分け方は、香りでも見た目でもなく、
皮の音、聞いて」
「最も新鮮なものは、自家製か生産者を買収する」
「誰でもが、偉大なシェフにはなれない。
だが、どこからでも偉大なシェフは誕生する」・・・
さすがディズニー映画だなぁ、脚本がしっかりしている。



2012年12月16日(日)
やっぱり「生作」「生映」「生音」「生声」「生中」(笑)

ちょっと波乱含みの第4回の定例議会を金曜日に終え、(汗)
私の生活・仕事環境は、一気に年末へ突入した。
というよりも、やっぱり「コピー」より「本物」、
そう表現した方がいいのかもしれない。
伝統木版画家「風鈴丸」さんの作品展を、作家本人(生作)から解説を受け、
地元映画館の大型スクリーンで「007 スカイフォール」を鑑賞(生映)した。
さらには、週末の土日、巷で大騒ぎしている総選挙を横目に、
「ヴァイオリン」や「ピアノ」の「生音」を聴いたかと思えば、
「ソフトボイス」や「楽団ひとり」の若い人たちの「生声」「生音」で、
京都のお座敷気分的な、それはそれは贅沢な時を過ごした。
体調を崩しかけた、疲れ気味の体と心が、彼ら、彼女らのお陰で癒され、
元気を取り戻した気がする。
映画「スノーホワイト」ではないが、若い人たちとパワーが、
年を重ねた私の細胞に刺激を与えてくれた、といっても嘘ではない。
コピーは手軽でいいけれど、やはり「本物」(生)は、違う。
こればかりは、いくら文字で書いても伝わらないだろう。
面倒くさがらず、脚を運ぶ、これが「元気になる秘訣」に違いない。
病気の治療でお金を使うより「生」に触れることをお薦めしたい。
さて、これから続く「忘年会」、「生ビール」で乾杯だ。(笑)



2012年12月15日(土)
僕らは波じゃない、海の一部だ

映画「モリー先生との火曜日」(ミック・ジャクソン監督)から。
作品の中で紹介している「海と波の話」、メモ取りましたか?
そんなメールをいただいたので、皆さんにご紹介。
ある波は、陽光と風に戯れながら、
上へ下へと波打ち、幸せな時を送っていた。
でも、ある波が岸にぶつかるのをみて怖くなった。
そんな波をみて、別の波が聞くんだ。「何が悲しいの?」
小波は答えた。「僕らは岸にぶつかり消えてしまうんだ」
別の波は「バカだな」と呟いたあと、こう言った。
「僕らは波じゃない、海の一部だ」
ただ、これだけの話だけれど、私も胸が熱くなった。
ついつい、自分が犠牲になることばかり考えがちだが、
自分が波だと思うからそんな取るに足らない悩みを抱える。
最初から、自分は海の一部だと考えられれば、
砕け散ってもまた活躍の場が用意されている。
いや、砕け散る、という発想さえない。
単に海としての動きであり、砕け散ったわけではない。
砕け散ったように見えるだけではないか、と。
素敵な話が詰まってます、是非、ご鑑賞を。



2012年12月14日(金)
恐るべし、平たい顔族

映画「テルマエ・ロマエ」(武内英樹監督)から。
くだらない・・と思いながら、知らず知らずのうちに
観続けてしまった、古代ローマの公衆浴場作品。(笑)
歴史が変わっちゃうから、未来のものを持ち込んじゃだめ、
そんな言い訳は関係なく、ちょっとアレンジして
日本の風呂文化を、古代ローマに活用するなんて面白い。
特に笑えるのは、キャスティングの妙。
古代ローマ人役の俳優は、外国人と間違えるような、
やや日本人離れした彫りの深い俳優陣たちで揃えたのに対し、
現代日本人役は、・・・(汗)なるほどな。
「彫りの深い顔」とは、彫ったような凹凸のある顔だが、
典型的な日本人の顔はどんな特徴があるだろうと考えていたら、
「恐るべし、平たい顔族」の台詞が跳び出し、大笑いした。
「日本人」イコール「平たい顔」ねぇ、
もちろん私も、典型的な「平たい顔族」の仲間だな。

P.S.
ローマ人(のはず)なのに、彼らの台詞が時代劇調で可笑しい。
「ありがたき幸せ」「御無礼は、重々承知致しております」
「大儀であった」・・



2012年12月13日(木)
青空高く・・「ミサイル」と「ふじの山」

久しぶりに、私の雑感である。
今日は偶然にも「青空高く・・」の映像をふたつ目にした。
1つは、青空高く発射された「北朝鮮の人工衛星」
(事実上の長距離弾道ミサイルらしいのだが・・・)
冬の青空に轟音を響かせて、自分の力を鼓舞するような勢いで、
昇っていた。
もう1つは、いつも見慣れた「ふじの山」であるが、
今日は雲1つない青空に、威風堂々と、高くそびえ立っていた。
この対照的な光景は、単なる偶然だろうか。
さらに偶然は続く。午後から、知人の母親の告別式に参列したが、
彼女が「明治45年生まれの100歳」だと知って驚くとともに、
生前好きだったという歌「ふじの山」を参列者全員で合唱した。
「あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く 富士は日本一の山
青空高く そびえ立ち からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠く曳く 富士は日本一の山」
歌い慣れているはずのこの曲に、なぜか胸が熱くなった。
告別式を終えて外に出たら、まだ「青空高く」そびえ立っている
「ふじの山」が雪化粧で真っ白だった。
やはり青空には、真っ白な「ふじの山」が似合うよなぁ。



2012年12月12日(水)
「ピン札にして」「はい、新券ですね」

娘の同級生が結婚するというので、御祝儀を準備することとなり、
私が金融機関に出向いて、窓口でこうお願いをした。
「(結婚式の祝儀にするので)ピン札にして」
返ってきた返事は「はい(かしこまりました)、新券ですね」
この違いが面白くて、その場でメモをした。
もちろん、正式の呼び名は「新券」。
しかし、私たちはシワのない、ピンと張ったお札をイメージして
「ピン札」と呼ぶ。「新品のピン」って意味かもしれないが。
さすがに教育されているなぁ、と感心させられたのは
「私が『ピン札』にして」とお願いしたら
「はい『ピン札』ですね」と返事があると思っていたら、
「新券」という単語がサッと出たから。
「ピン札」という単語は、業界用語ではないだろうが、
生活・友達同士では使う単語だと思うので、驚いた。
会話の基本は、オウム返しだけど、間違った単語は使わない、
そんな姿勢が感じられて、嬉しくなった出来事であった。



2012年12月11日(火)
死に方さえわかれば、生き方がわかる

映画「モリー先生との火曜日」(ミック・ジャクソン監督)から。
映画の話をしていると、この作品が話題に上ることがある。
えっ、この人も?と思うくらい多くの人たちが口にする。
モリス・シュワルツ教授の最後の講義というものらしい。
たしかに、大学の講義を受けているように、
私の残されたメモも多かったのは、事実だし面白かった。
その中で私が選んだフレーズは、意外にも
「死に方さえわかれば、生き方がわかる」
自分が年を重ねてきたからだろうか、
今までも何度も耳にした台詞のはずなのになぜか新鮮だった。
それはたぶん、自分自身の死に方として、
病気や老衰で死ぬことしか考えていなかったからだろう。
しかし、最近の事件・事故をふり返ると、
突然の事故や自然災害によって死ぬことも充分考えられる。
だから選択肢の多い「死に方」を意識すればするほど、
今の生き方を大切にしなければならないと再認識した。
「死ぬ覚悟ができていれば、人生は変わる」

P.S.
あっ、この映画の影響かな?と思われるシーンを紹介。
・大学の試合で(バスケット)「僕らがナンバー1」と応援したら、
モリーが立ち上がり言った。「ナンバー2だとダメなのか」
・「詩の朗読」
彼が死んだら、星の代わりになり、天を美しく飾るだろう。
きっと世界は夜を愛するようになる。



2012年12月10日(月)
「話し合う」も体験学習のひとつ

演題「教室を協室・響室に育てる指導」
(講師・教育ジャーナリスト 梶浦真氏)から。
これは、気がつかなかった・・という視点を紹介。
今の子どもたちに大切なのは「体験」、それは理解し、
いろいろな角度から、体験プログラムを計画してきた。
「非日常体験」「防災体験」「キャンプ体験」・・
これでもかっ、というくらいに「体験」を組み込むが、
子供同士で「話し合う」という時間が、今回の先生の講話と
「公開事業」を拝見して、どれほど大切かを知ることになった。
たしかに、子どもが複数でいてもゲームばかりやっていて、
「話し合う」ことができない子どもが増えた。
「東京赤門の大学生も、テストに対応する言葉は持っていても、
人に伝える言葉を持っていない」・・そんな話も参考になる。
大人の研修で「グループ討議」や「ワークショップ」が増えたのも、
それが原因かもしれないなぁ。



2012年12月09日(日)
「ブサイク」は、心の中に育つもの。

映画「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(テイト・テイラー監督)から。
アメリカの黒人差別時代を採り上げた映画作品は多くある。
主人公が、男なのか女なのか、スポーツ選手なのか家事手伝いなのか、
そんな違いはあるが、最後は黒人が白人をやっつけるパターンや
お互い手を取り合い1つのものを作り上げるなど、さまざま。
私が今回注目したのは、黒人のHELP(お手伝い)が、
自分の子どものように愛し育てた白人の子どもに、
生き方のアドバイスするシーン。
「自分を憐れむのはおやめなさい、それこそ『ブサイク』ですよ。
『ブサイク』は、心の中に育つもの。
イジワルで人を傷つける男子そっくり」と励ましたり、
仲間外れにされていると悩む少女に
「自分に問いかけるのです。『私は信じるのか?』
『今日、あのバカどもが私に向かって言う悪口を?』と勇気を与える。
家事全般の家政婦としてでなく、一人の大人として助言をする姿は、
貧しさ・人種差別のため、自分の子どもを他人に預け、
白人の子どもを育てる、というだけではない、深い愛情を感じて、
私の心は大きく震えた。
ラストシーン、本来の母親に「あたしの子供、頼みます」と言って
行っちゃいや〜、と泣き叫ぶ子どもにも振り返らず去っていく。
「黒人家政婦のプライド」を教えていただいた映画だった。



2012年12月08日(土)
「嬉しい・楽しいの違いは?」「是非・絶対の使い分けは?」

書籍「日本人の知らない日本語2」
(蛇蔵&海野凪子著・メディアファクトリー刊・159頁)から。
ハッとさせられる、日本語・日本の習慣についての話題が溢れている。
エッチな映画のことを、日本では「ピンク映画」と言うが
アメリカでは「ブルーフィルム」中国では「黄色電影」
なんとスペインでは「(Cine Verde)」と言って「緑」らしい。
書店のレジで本にカバーをかけてもらえる国は、
基本的に「日本」だけ、という知識は、けっこう嬉しくなった。
日本語学校に通っている外国人の質問「嬉しい・楽しいの違いは?」に
著者は「『喜ばしい気持ち』が続く時間の長さです」と答えている。
また「『是非、きてください』と『絶対、きてください』の違いは?」に
「是非」は、強く願う時、勧める時。「絶対」は、依頼という形の命令。
断らないで欲しいという強い気持ちが伝わる、と説明している。
私たちが、普段、何気なく使っている単語も、
日本語を勉強している外国人には、不思議に感じることがある。
もっと「日本語」を大切に使わなくちゃなぁ。



2012年12月07日(金)
「再生エネルギー」より「省エネルギー」

忘れないうちに・・
日大国際関係学部主催の市民公開講座(平成24年度下期)
統一テーマ「日本はどこへ行くのか」
講師「日本大学国際関係学部教授 竪尾和夫」氏
演題「日本の環境政策の今後について」から。
私が感じていた疑問を、そのまま説明してくれたから、
気になる一言は、「再生エネルギー」より「省エネルギー」。
原子力発電の事故にともない、全国で展開されているのは
原子力に変わるエネルギーの開発。
メタンハイドレードや、太陽光・風力・地熱などの発電。
あの年、計画停電などで芽生えたはずの
国民の「省エネルギー」意識は、どこかへ飛んでしまった。
もっともっと「省エネ」に力を入れれば、原子力数基分の
エネルギーは、必要なくなるのに・・と思ったものだが、
また、元の生活に戻ってしまった気がする。
街には自動販売機が乱立し、歩いたり自転車通勤できる人も、
なぜか自動車通勤をして車が溢れている。
講師の先生は、世界最先端技術の「ヒートポンプの利用」を
訴えていた。
2012.8.1の日経新聞に掲載された「地中熱で省エネ工場」 
「『水を媒体に』京セラ 15%節電狙う」の見出し。
私の考えるエネルギー問題も、まずは「省エネ」。
どれだけ「省エネ」ができるか、挑戦してみればいい。
寒ければ、暖房器具をつけるより、まず厚着で。
それでも寒ければ、思い切って「歩く」といい。
きっと体の中から温かくなるはずだから。



2012年12月06日(木)
100年後の日本を想像してみろ

大切な選挙が始まったから、と言うわけではありませんが、
映画「ローレライ」(樋口真嗣監督)から。
終戦直前の指導者たちの葛藤が上手く表現されていて、
日米、仲間同士の殺し合うシーンがあるにもかかわらず、
鑑賞後に爽やか感が残り、他の戦争映画とは異なる感覚を感じた。
特に、役所広司さん扮する「潜水艦伊507艦長・絹見真一少佐」と、
堤真一さん扮する「海軍軍令部・浅倉大佐」との緊迫した会話は、
男の野望と正義がぶつかりあい、激しい言い争いになる。
「わからんか、絹見。100年後の日本を想像してみろ、
大人たちは誰も責任を取らず、行動もしない。
子どもたちは、自国に誇りを見いだせず、希望も持てない。
このままでは、日本は米国に従属する奴隷になりさがるぞ。
そんな国に、何の価値があるというのか」と一気にまくしたてる大佐。
それに答えて「私は信じる。たとえ国が焼き尽くされようが、
日本人は自分で絶望から立ち上がる。だからそんな考えには同調できない」
と言い返す艦長。行き詰まる会話に、私のメモは増え続けた。
戦争映画は、とかくメッセージ性が強いため、
時として、間違った方向へ洗脳してしまう可能性を秘めているが、
この映画は、国と国との戦いである戦争を題材にしているが、
ちょっと視点を変えれば、会社同士の争い、団体同士の争いにも通じる
大きな判断をしなければならない、指導者の葛藤が重なってみえる。
子どもたちのために「誇りや希望が持てる価値ある国・会社」にしたい。



2012年12月05日(水)
重ねるとは下のものをつぶしてはいけない

誕生日と携帯のメールアドレスを教えてもらっている人には、
気がついた時に、バースディメールを送っているが、
今年のメッセージは「歳は取るものではなく重ねるもの」。
「取る」はマイナス思考、「重ねる」はプラス思考・・
なんてことも伝えたいことの1つである。
(大忙しで忘れたり、相手のメールアドレス変更がされていたり、
届かないこともしばしばですが・・(笑))
そんな中「私の祖母も・・」で始まる返信が届いた。
「重ねるとは下のものをつぶしてはいけないものだからね。
乗せるのではなく、厚みが増えることを言うのだと教えてくれました」
この発想に、思わず拍手したくなった。
年を重ねると、ついつい自分が偉くなった気になるが、
実は反対で、下のものを潰さず、育てる意識が必要だ、と理解した。
また、以前のものに一段乗せるのではなく、経験の分だけ人間としての
魅力(厚み)が増えるということなのかもしれない。
また1つ、年齢の話になった時に使える引き出しが加わったな。(汗)



2012年12月04日(火)
「おい、ぼうず」から「坊や、ありがとな」

映画「菊次郎の夏」(北野武監督)から。
「ばかやろう」とか「てめぇ」とか、乱暴な言葉で
相手を威嚇してきた遊び人の主人公と、母親を探す小学生、
不釣り合いなふたりが繰り広げる一夏の冒険に違いないが、
気になる台詞をメモしていて気がついたのは、
北野武さん扮する菊次郎が口にする、子どもに対する呼び方。
旅の最初から途中までは、ずっと「おい、ぼうず」。(坊主)
それが、辛く哀しい経験をしていくにつれて「坊や」に変わる。
小学生が探していた母親が、あまりに幸せそうだった場面、
「人違いだった」と嘘をつきながら、引き返すシーンや
浜辺を手をしっかり握りゆっくり歩くシーンに、涙腺は緩んだ。
そして、お祭りで悪いことをして殴られ血だらけになった主人公の顔を、
小学生が、走り回って見つけた薬屋で買ったガーゼ等で、
丁寧に拭き取るシーンでの台詞「坊や、ありがとな」で最高潮に達し、
これ以後「坊や」と呼ぶシーンが増えた気がする。
この変化、きっと意識的だろう。
主人公・菊次郎の心の変化が、こんなところに表現されているとすれば、
メモが役にたったこと喜びたい。
「おじいちゃんの名前なんていうの?」という問いに
「菊次郎だよ」の会話で「ぷっ」と吹き出し笑いするラストシーン。
何か意味がありそうだなぁ。

P.S.
少年の予想で「競輪で6-3配当17,660円」を当てた時だけは
「坊や」だったかも。(笑)



2012年12月03日(月)
ある日パパとふたりで語り合ったさ

映画「哀しい気分でジョーク」(瀬川昌治監督)から。
現在は、映画監督として活躍している北野武さんが、
「ビートたけし」の名で出演している映画を観たくなった。
役柄は人気コメディアンの父親、脳の病に侵された息子との
愛情を描く物語。
鑑賞後、ストーリーに合わせて音楽が選ばれたのか、
音楽に合わせてストーリーが作られたのか、気になった。
テーマ曲となっている『グリーン・グリーン』は、
児童合唱団のさわやかな歌声は、清々しく健全なイメージとともに
国民の愛される歌となっているが、原曲はアメリカのフォークソング。
日本語訳の詩は、辛いものがあり、この映画に結びついている。
(亡くなるのは父親でなく、息子であるが・・・)
7番まである長い歌であるが、1〜3番までの歌い始めを抜粋。
「ある日パパとふたりで語り合ったさ
この世に生きる喜び、そして悲しみのことを・・」
「その時パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと・・」
「ある朝ぼくは目覚めて そして 知ったさ
この世につらい悲しいことがあるってことを・・」
息子の病を知った父親が、今までの懺悔も含めて、精一杯尽くす。
子どもには、なにを今更・・という想いはあるだろうが、
父親の心からの愛情を受けて、嬉しくない子どもはいない。
父親に抱きしめられた記憶がない私は、
「これからは抱きつけ、俺にな」という台詞も、
「こわいよ、パパ」「パパにしっかり抱きつけ」の会話も、
羨ましくもあり、そして眩しかった。
「父と息子」の関係も、「父と娘」の関係と同じく、
照れくさいけれど大切にしなければならない関係だよなぁ。



2012年12月02日(日)
わが町の「対面石」が大河ドラマ「平清盛」に

初めて実施した、夜間防災訓練を終え、帰宅後、家族で鍋を囲み、
しばらくすると、楽しみにしていたNHK大河ドラマ「平清盛」。
とうとう源氏の「頼朝と義経」が対面するけれど、
今回は、どんな脚本、どんな場面設定で対面するのかな、と、
ドラマとは関係ないところで、私は興味津々だった。
というのは、わが町の八幡神社の境内にある石に2人は腰掛け、
初めての対面を果たしたと伝わっている「対面石」があるから。
しかしドラマの中では、兄弟の対面はしたものの、
私が考えていた対面の仕方とは違い、ちょっと残念だなぁ、と
思いながら、今回の47話を観終えた。
しかししかし、番組最後に紹介している「清盛紀行」に
わが町の名前がしっかりと表示された。
突然のことに、驚くやら嬉しいやら、言葉が見つからない。
今回は「気になる一言」というよりも、記録として残そうと思う。
「わが町の『対面石』が大河ドラマ『平清盛』に」
もし登場することがあったら「頼朝」か「義経」が主人公の時、
そう考えていたけれど、よく考えれば「清盛」でもいいんだよな。
わが町の町民、観ていたかなぁ。(笑)



2012年12月01日(土)
今日は駅伝で草薙に来られますか?

12月の第1土曜日、恒例の静岡県市町対抗駅伝競争が開催された。
今年は晴天に恵まれ、好記録続出の大会であったが、
やはりテレビ観戦より、現場での応援が何よりも楽しい。
しかし、私には密かに楽しみにしていることがもう1つある。
主催が、地元のマスコミということもあり、
ゴールの県営草薙競技場には、現在は異動してしまったが、
わが町の担当だった歴代新聞記者達も、県下各地から集る。
そんな彼ら彼女らと久しぶりに会うことが、何よりも楽しい。
朝の「今日は駅伝で草薙に来られますか?」のメールかを受け、
「行くよ、着いたら連絡します」と返し、到着後、
「競技場に着きました」とメールをすると、しばらくして
私を探しながら、歴代のわが町担当記者が集ってきてくれる。
「おぉ、久しぶり。元気だったか?」と冷静に声を掛けながら、
実は私の喜びは、最高潮に達している。
彼ら彼女らと過ごした日々を昨日のように振り返りながら
自分の娘よりも若い世代が、こうして会いにきてくれることが、
私にとって、何よりの誇りであり、財産とも言える。
「情報発信」の大切さは、誰よりも知っているつもりだけれど、
もっと大切なのは「情報発信してくれる人」との繋がり。
これがわかったら「広報合格」なんだけれどなぁ。(笑)