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しもさんの「気になる一言」
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2012年11月30日(金)
55〜60歳は人生のリレーゾーン

講師「前総務省自治財政局長 椎川忍」氏
演題「公務員が変われば、日本が変わる!」
(「公務員参加型地域おこし」のすすめ)から。
定年退職1年前に離職したという、
椎川流の理想の公務員像について説明を受けた。
彼が実践してきたまちづくりについては、
意見を挟む余地はないので、この場での感想は避けたい。
ただし「夜中の2〜3時まで」「朝の3〜4時から」という
曖昧な時間帯が気になった。(笑)
その中で、これいただき、と思ったフレーズは、
「55〜60歳は人生のリレーゾーン」。
来年55歳を迎える私にとって、なるほどなぁ、と思った。
自分の最後の力をふりしぼって、次世代にバトンタッチ。
そんな仕事のイメージが、真っ先に浮かび上がったから。
また、プライベードでは、仕事優先の生活リズムから、
地域活動優先の生活リズムへと切り換えていく期間、
そう解釈してもいいのではないだろうか。
だからといって、手を抜くわけではない。
前後どちらかが力を抜いては、うまくバトンが渡せない。
スピードを落とさずに、自分の体と心をリレーしていく。
来年の大きなテーマを気付かせていただいた気がする。
(定年が延びたら、リレーゾーンも変更だけど・・(汗))



2012年11月29日(木)
人は誰も自分の脚で立つべきだと思います。

師走の選挙を控えて、政治のリーダーについて一言。
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
(フィリダ・ロイド監督)から。
まだ、英国の教育大臣にも首相にもなる前、
父親の影響で議員を目指し、初当選した頃のコメント。
「人は誰も自分の脚で立つべきだと思います。
もちろん助け合いは必要よ。
でも自分で立てる人は立って行動すべきです。
泣き言を言うだけでなく、問題と取り組み状況を変えなければ・・
どこにでも通じることです」
う〜ん、いいこと言うなぁ、とメモが増えたのは言うまでもない。
そして、1979年に英国初の女性首相、その時のスピーチは
「では一言だけ・・」と前置きをして、
「私は英国国民が私に託して下さった信頼に応えます。
争いのあるところに、調和をもたらそう、
過ちのあるところに、真実をもたらそう、
疑いのあるところに、信仰をもたらそう、
そして、絶望のあるところに、希望をもたらそう」
今の日本の政治家に聞かせてあげたい台詞だった。(汗)
「鉄の女」の異名を持つ彼女の孤独感も描かれているが、
リーダーは孤独なものだから、敢えてとりあげないことにした。
フォークランド紛争時「信条を貫くかどうかが問われているのです」と
呟いたあと、(アルゼンチン艦隊を)「沈めて・・」とゆっくり、
そして低いトーンで指示を出したシーンも、印象的であったなぁ。
有事の時こそ、リーダーの資質が問われる・・さすが「サッチャー」。



2012年11月28日(水)
あの1年があったから・・

地元中学校で生徒全員を集めて「夢講演」が開催された。
講師は、静岡市在住の伝統木版画家・風鈴丸さん。
木版画家として、自らの人生を歩んでいる彼女の体験談を
直接本人の口から聴くことで、生徒が夢を抱き、
夢に向かって努力するための一助となれば・・という趣旨。
私も聴く機会に恵まれ同席したが、印象に残ったのは
大学を卒業して、本気に木版画と向き合った1年間の話。
あの子、本当に大丈夫かな?と思われるくらい
「木版画」に没頭した生活を過ごしたらしい。
あの1年間があったからこそ、今、私は木版画家として仕事をし、
こうしてみんなの前で話すことが出来ている。
そんな想いが感じられる「あの1年があったから・・」だった。
私も思わず頷き「同感!!」と叫びそうになった。
人生の中に、辛くもあり、楽しくもあった「1年間」があると、
人間は、この1年を思い出すことで、壁を乗り越えられる、
そんな気が私もしていたから。
私の場合は、人生に悩んでいた36歳(年男)だった時の1年、
毎日書き続けた「川柳」と「555字の日記」こそが、
自分に自信を与えてくれたことは、間違いない。
1週間や1ヶ月の継続では得られない1年間という単位。
今振り返れば、たった1年。
この期間、寝ても覚めても考えているような何かに
夢中になれた時、この意味がわかるんだよなぁ、きっと。



2012年11月27日(火)
社会が変わると、期待される能力も変わる

演題「教室を協室・響室に育てる指導」
(講師・教育ジャーナリスト 梶浦真氏)から。
先日、地元中学校の研究発表会に足を運んだ。
以前から、学社連携・学社融合などと口にしながら、
実は、学校のことを何も知らない自分に気づいたから。
そのプログラムの1つに、梶浦氏の講演があったが、
その中で気になった一言は、
「社会が変わると、期待される能力も変わる」。
ということは「授業も変わる」ということであろう。
教育のあり方も変化してきたという。
「させる学習(教わり)」から「する学習(学び)」、
そして現代は「しあう学習(学び合う)」へと、
少しずつであるが、着実に移り変わってきた。
この視点は、学校教育だけの話ではないと思う。
私たちが仕事としている「生涯学習」の分野は?と
振り返ると、恥ずかしい話だが、胸を張って
社会の変化に対応してきたとは言い難い。
行政の単語としては「社会教育・社会体育」から
「生涯学習」へと変化してきたが、
事業内容はまだ「させる学習」「する学習」が中心だから、
ここらで「しあう学習(学び合う)」へと舵を切らねば。
ハッとさせられたけど、刺激の多い話であった。
少しでも、社会の変化に対応した学びの場を提供したい。



2012年11月26日(月)
いいから、一度、転んでみな

映画「マザーウォーター」(松本佳奈監督)から。
まずは第一声、私はこの作品、好きだなぁ。(笑)
絵画や音楽・映画等を鑑賞すると、必ず考えてしまうこと。
この画家・音楽家・監督は何を伝えたいんだろう?
しかし、芸術家によっては、自己表現せず、
この作品から何かを感じてくれればいい、という思いで
世のなかに作品を発表している人もいる。
この作品も同じことが言えそうだ。
事件も何も起こらない生活や、何気ない景色の中に、
自分を見つめ、発見していく楽しみがこの作品にはある。
もたいまさこさんの飄々とした歩き方や話し方は、
私の憧れとするところであるが、なかなか近づけない。
誰とはなく「今日も機嫌よくやんなさいよ」と声を掛け、
若い男性には「なに、ゴチャゴチャ言ってんの?」とか
「分析ばかりしてても、しょうがないんだよ」と叱咤し、
「踊ろうか?」と冗談っぽく誘ってみて、
モジモジしている若者に「本当につまんない奴だね」と
笑い飛ばす、その余裕が羨ましかった。
選んだのは、いろいろなことに迷う若者に向けて発した台詞。
「自分の決めたことって、どうなっても面白いから。
どっちに転んだって、なるようになるよ。
いいから、一度、転んでみな」の一節。
今の若者、転ぶのが怖いんだよなぁ、きっと。



2012年11月25日(日)
何をしておる!!

最終回が近づいてきた、NHK大河ドラマ「平清盛」から。
狂気ともとれる「松山ケンイチ」という若者の迫力ある演技に、
私はオーラを感じながら、平清盛をダブらせてしまった。
すべてを自分の思いどおりにするのだとわめき散らした清盛の、
恐怖からその場を逃げ出そうとする仏御前を、
弓矢で射殺しようとした家来を「何をしておる!!」と一喝した。
声の主は、清盛を生涯にわたって支え続けた、平盛国。
控えめで冷静沈着に物事を判断、暴走しがちな清盛を抑える、
兄のような存在であった彼が、大きな声を上げた。
もちろん、その場の家来に向けて発した台詞であるが、
私は、後ろ向きながら、清盛に発した台詞ともとれた。
「私に逆らうものは、みな死罪と心得よ」と清盛が口にした後の
シーンだったので、深読みだろうが、気になった。
しかし、いつの世も権力を手に入れ暴走する主に対して、
「おそれながら申しあげます」と上申できる部下が必要だな、と
大河ドラマを観るたびに思う。
さて我が国の政治も、慌ただしく動き出した。
どうしても、党首・首長ばかりがクローズアップされるが、
私が注目しているのは、党首を支える参謀や腹心、そのブレーン。
「何をしておる!!」と言い切れる人たちがどれだけ周りにいるのか。
そしてまた、それを聞き入れる耳を持っているトップか、
これが、国づくりをまかせられるかどうか、私の判断基準。
相関図とか人間関係図、作ってみるとわかりやすいのかな。



2012年11月24日(土)
賑わいと勢い、なかなか2つが揃わない

講師「地域活性化戦略研究所所長 花井孝」氏。
演題「人々の訪れるまちは活性化する!!」
(賑わいを創り出すための仕掛け)から。(第2弾)
まちづくりで、以前からお世話になっている先生が
来町するから、と聴いて、講演会に足を運んだ。
まちづくりで成功するためには、
「賑わい」と「勢い」が揃う必要がある、という。
しかし「賑わいと勢い、なかなか2つが揃わない」らしい。
日本全国で一所懸命「まちづくり」をしているのに、
成功している街と、なかなかうまくいかない街があるのは、
どうしてだろう?そんな疑問をもっていたので、
この話は大きなヒントになった。
若い人たちが中心となって「賑わいづくり」をしたところで、
「街を挙げて」とか「マスコミを巻き込んで」といった
外から感じる「勢い」がないと、成功までには結びつかない。
首都圏では、開店したお店に並ぶアルバイトがあるように、
まずは「賑わっている感じを出せるかが鍵」となり、
その話題性で「勢いをつける」ということだろうか。
最初から2つを意識した戦略計画が必要なんだな、きっと。



2012年11月23日(金)
トイレの前に譜面台(汗)

隣市の地区センターで開催された、地域ふれあいコンサート。
オーケストラ「ファン・ヴァセナール」コンサートから。
テーマは「ヨーロッパ、南から北へ」。
〜ヴァイオリン3本の魅力・その究極の響きとは〜と書かれた
サブタイトルに、ワクワクしながら足を運んだ。
メンバーの1人が沼津市に住んだことのある演奏家だったので、
実現したコンサートらしい。素晴らしい音色を聴かせていただいた。
特に気に入ったのは、プログラムの3曲目、初めて耳にした
「B.マリーニ作曲・3本のヴァイオリンの為のエコーソナタ」は
1人がチェンバロとチェロに合わせて、表舞台でヴァイオリンを弾き、
あとの2人が舞台の裏でこだま(エコー)のように小さな音で弾き続ける。
へぇ〜、こんな曲があるんだ、と喜びながらも、あの2人、
この会場のどこで弾いているんだろう?と気になったら、演奏者が
「トイレの前で弾いてます」と笑いながら種明かしをしてくれた。
冗談でしょ?と思っていたが、休憩時間にトイレに行ったら、
確かに「トイレの前に譜面台」があった。(汗)
これは、笑っていいのか、驚いていいのか、ちょっと戸惑った話。
しかしアンコール曲、パッヘルベル作曲の「カノン」で気持ちが軽くなり、
東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」で涙腺が思いっきり緩んだ。
ヴァイオリンって、こんなに心を揺さぶる楽器なんだな。



2012年11月22日(木)
「交流人口」とは用事がないと訪れない人たち

講師「地域活性化戦略研究所所長 花井孝」氏。
演題「人々の訪れるまちは活性化する!!」
(賑わいを創り出すための仕掛け)から。
以前から単語だけは知っていたけれど、
なかなかシンプルに説明できなかった「交流人口」。
先生の話で、すっきり整理できた。
「『交流人口』とは用事がないと訪れない人たち」
言い換えれば「交流人口は観光人口ではない」ということ。
そしてまた、用事があって訪れるので、利益率が高い。
「定住人口の4人分の経済交流」と言われている。
この「交流人口」をどう増やせるかが、
「賑わい」と「勢い」を生み出す要因と考えれば、
「ターゲットの人たちに用事をつくる仕組み」こそ、
今、考えなければならないことではないだろうか。
「情報発信しない限りは、交流人口は増えないよ」
最後にまとめた先生の一言が、まちづくりのスタートである。
まずは、しつこいくらいの「情報発信」、
それも、当たり前ではない、面白いネタで。



2012年11月21日(水)
くだらねぇじじいとばばあ、ばっかりでよ

今月初め、背中に出来た脂肪の塊?が気になったので、
簡易な手術を受け、今日、抜糸で病院を訪れた。
待合室には、多くの高齢者たちが談笑しながら、
自分の名前を呼ばれるのを待っていたが、
その中に、黒づくめの服装をした若い青年がひとり、
インフルエンザなのか、赤い顔して高熱が辛そうだった。
しばらくして、私の耳に聞こえてきたのは、彼の怒りの声。
「くだらねぇじじいとばばあ、ばっかりでよ」
自分はこんなに辛い状態なのに、ずっと待たされ、
元気そうな高齢者の方が、自分より先に名を呼ばれることに、
我慢し切れなかったようだ。
この気になる一言、あまり汚い言葉をとりあげないのだが、
今回ばかりは、どうしてもインパクトがあったので。(汗)
「あの人、辛そうだから先に診察してあげたらどうですか?」と
病院のスタッフに声を掛けようと立ち上がったら、
その青年の名前が呼ばれて、タイミングよく診察室へ。
どんな意味で口にしたのかわからないが、怒る前に、
「ちょっと辛いので、先に診察してもらえませんか?」の台詞、
言えなかったんだろうか、と気になった。
コミュニケーション能力って、そういう力でもあるのになぁ。



2012年11月20日(火)
観客が「ピアニシモ」を聴こうとしていたね

第4回水と緑のコンサート
「梯剛之(かけはしたけし)ピアノリサイタル」から。
演奏後、梯さんと今回のコンサートスタッフを交えて、
意見交換をしたけれど、観客側の私たちの意見は
「観客が『ピアニシモ』を聴こうとしていたね」
音楽コンサートとなると、ついリズムを気にしたり、
「フォルテシモ」の迫力ある大きな音に感動しがちだが、
今回ばかりは「ベートーヴェンのピアノソナタ、 
第14番・嬰ハ短調・Op.27-2『月光』」を聴きながら、
観客がどんな小さな音でも聞き逃すまいとする雰囲気で、
会場内が静まり返った。
今までに何度もコンサート会場に足を運んでいる私でさえ、
この雰囲気は味わったことがない。
絶対に音を立ててはいけない、というような緊張感ではなく、
自然の中の小鳥のさえずりを聴くかのような静けさ。
この感覚・雰囲気を文字にするのは難しいけれど、
演奏者と観客が一体になった感覚が私を包み込んだ気がする。
とても、心温まるコンサートであった。



2012年11月19日(月)
必要な時に見つけられなくなるかもしれませんので

映画「SP 野望篇」(波多野貴文監督)から。
「フジテレビ系で人気を博したTVドラマ『SP』の劇場版」
そんな説明だったが、テレビ番組は観ていない。
だからかもしれないが、主人公の特殊能力が唐突過ぎた。
いくら「劇場版」と銘打ってあっても、映画なのだから、
「一話完結」を望むし、映画しか観ない人にもわかる内容を・・
そんな気持ちが前提にあったからか、興奮度は低かった。
しかしながら、気になる会話はしっかりメモを取った。
堤真一さん扮する「警視庁警護課第4係」の尾形係長と、
その上司(役職が不明で申し訳ない)の会話。
「私の理想には、まだ足りません」
「理想は、気付かれることがないように、
隠しておいた方がいい。そうでないと・・」
「身を滅ぼしますか?気付かれないような場所に隠しておくと、
必要な時に見つけられなくなるかもしれませんので」
どんな場面だったか説明できないが、この会話は気に入った。
派手に立ち振る舞ったあとの説教だったかもしれない。
上司は「理想と現実は違うんだ」と伝えたかったのだろうが、
とっさに言い返した台詞がカッコよかったなぁ。
理想は、いつでもわかる場所に置く。
そんな生き方が、私を惹きつけたのかも知れない。
「革命篇」を観たくなったフレーズでもあった。



2012年11月18日(日)
熱海に泊まってハワイに行こう

夏に、恒例の花火を観に行った時、ふと目にとまった
熱海の観光ポスター(?)のキャッチフレーズ。
「熱海に泊まってハワイに行こう」
メモした時は、吹き出してしまったほど面白いと思った。
しかし、時が経ち、こうして落ち着いて考えてみると、
この気持ち、ちょっぴりわかる気がしてきた。
まずは、観光客を集めること。
どんな理由であれ、訪れてくれればいい。
とにかく人が集らなくては、次のステップへと続かない。
アルバイトを雇って、行列を作り繁盛しているように見せる、
それだって、立派な企業戦略に違いないのだから、
何もせず、待っているだけよりよっぽど前向きだ。
プライドだけでは食っていけない・・なんて言葉や
中途半端なプライドが一番役に立たない・・というフレーズが
頭に浮かんだ。
「熱海」がプライドを捨てた時、復活の予感がする。
多くの人が集りだし、行列なんか出来ると、
野次馬根性で気になる生き物だからなぁ、日本人って。



2012年11月17日(土)
日本人は、よく泣く民族だったのに。

演題「今を生きる力」(講師 作家・五木寛之氏)から。
先日、隣町で開催された「文化講演会」に足を運んだ。
昭和7年9月30日生まれ、石原慎太郎さんと同じ80歳。
生年月日、全て同じらしい。(汗)
「今が一番、生きづらい。なんとなく生きづらい」と話し始め、
それは「幸福って感じはしないけれど、不幸って感じでもない。
そこそこ幸せ」だから、と言う。
自分たちが体験した「大きく時代を動かしていく、という
ダイナミックさがない」と今の世の中を分析した後、
「あまりテレビ・新聞は見ない。だって『鬱』になるから」
「心療内科(カジュアルな感じ) VS 精神神経科」
「医療にも、流行がある(3年で古くなる医学)」等、
メモは増え続け、話は「慈悲」の「悲」について、
無言の励まし(黙ってそばにいる)大切さを伝えてくれた。
また「日本人は、よく泣く民族だったのに」と呟き、
その「悲しむという感情は、日本の伝統として、
文化として、洗練されてきた」と説明を加え、
「つっぱるだけでは、生きていけない。
苦しみをまっすぐに受け、泣く方がいい」と諭してくれた。
「悲しむ時は、悲しむ必要がある」ということ。
言い換えれば「プラス思考はいいけど、マイナス思考はダメ。
笑うのはいいが、泣くのはよくない、なんてことはない」
大河ドラマ「平清盛」なんて、男も女もよく泣くしなぁ。
なんだか、気持ちが軽くなって帰路についた。



2012年11月16日(金)
キューバ人は、感謝の心を忘れない

テレビで侍ジャパンがキューバと戦っているのを観ていて
この作品を思い出した。
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
(ビム・ベンダース監督)から。
グラミー賞受賞アルバム「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」に参加した
ミュージシャン達とその後を追ったドキュメンタリーであるが、
一言で表現すると、一人ひとりの存在がとても温かで眩しかった。
1999年ドイツ・アメリカ・フランス合作映画であるが、
「私は1907年生まれ」とか「トランペットを吹いて47年になる」
「人生でステキなものは、女と花とロマンスだ」
なんてインタビューが山ほど出てくる、誇りある高齢者が勢ぞろい。
そういえば、映画の中では、こんなフレーズが出てくる。
「忘れられた存在でも、喜んで演奏し、寛大に心を開いて、
知識や才能を発揮してくれた」・・そのとおりの演奏だった。
以前から「キューバ」という国は、小国にもかかわらず
野球やバレーをはじめ、どうしてなんでも強いんだろうかと、
疑問を持っていたが、その答えを、楽器演奏者の口から耳にした。
「キューバ人は、感謝の心を忘れない。
もし物欲の道をたどっていたら、キューバ人はとっくに滅びてたろう。
そういう意味で、キューバは小国だが、強い国だ。
抵抗という事を知っている、いい意味でも悪い意味でも」
他国からの支配を受け、キューバ人は、言葉では表現できないほどの
屈辱を味わってきたにもかかわらず、感謝の心を忘れずに、
なにくそ、負けてたまるか、という反骨精神で立ち上がってきた。
このアルバムを聴くたびに、そんな力強さを感じていたのが、
やっと理解できた。
「映画」というより「生きてる実感、これぞ人生だ」が相応しい。



2012年11月15日(木)
自分の唾液で飲み込むことが大切

講師「高浜デンタルクリニック院長 田沼敦子」氏
演題「ウエル噛む」
(〜噛むこと・食べること・生きること〜)から。
歯学博士・料理研究家の肩書きも持つ彼女は、
「今日は唾液を見直しましょう」と話し始め、
噛むことの効用を「ひみこのはがい〜ぜ」と
語呂合わせで紹介してくれたので、
(ひ)肥満を防ぐ(満腹中枢と摂食中枢)
(み)味覚の発達(こ)言葉の発音がはっきり
(の)脳の発達 (は)歯の病気予防
(が)ガン予防 (い)胃腸の働きを促進
(ぜ)全身の体力向上と全力投球
「邪馬台国の卑弥呼は、歯が良かったんだ」と覚えた。
「唾液はなくてはならないもの」と実感しながら、
食べ物は、味噌汁やお茶で飲み込むのではなく、
「自分の唾液で飲み込むことが大切」だと理解した。
よく噛みなさい、って命令されるから嫌になるけど、
「唾液の効用」を理解したら、よく噛みたくなった。
この発想の転換、いろいろな分野であるはずたよなぁ。



2012年11月14日(水)
真剣に観ようよ、野球と違うんだから

仕事で「地区懇談会」を終えて、さぁ喉湿し・・と思ったら、
「ダメダメ、今日はオマーン戦だから」と断られ、
仕方なく、帰り際「カツ丼とビール」を買ってきて、
ビールを飲み、遅い食事をしながら、サツカーのテレビ観戦。
パソコンを起動し、インターネットで事件・事故を確認しながら、
会話の話題にしていたら、妻が私に一言。
「真剣に観ようよ、野球と違うんだから」
えっ、そんなに夢中になってるの?と心で思っていたが、
その「野球と違うんだから」のフレーズに、ちょっぴり笑った。
真剣さの足りない私を見捨てて、彼女は2階の自分の部屋へ、
同点に追いつかれた時は「悲鳴」、勝ち越した時は「よし」の掛け声。
タイムアップ勝利の瞬間、大きな拍手が家の中に響いた時は、
そんなにサッカーは国民に浸透しているのか、という驚きだった。
そう言えば、私も「心の整え方」と言う観点で
「長谷部」とか「長友」が書いた本を読んでいる。(汗)
でもさ「真剣に観ようよ、野球と同じで」って言って欲しかったな、
出来ることなら。



2012年11月13日(火)
地方公務員は「無意味に忙しい」

映画「生きる」(黒澤明監督)から。
もう何度も観てきた、地方公務員必見の映画である。
その度に新しい発見があるから、黒澤監督の凄さを感じる。
さて、メモをとりながら観たのは初めてのため、
整理していたら、面白いことに気がついた。
市役所の仕事に対する厳しい視点が台詞に現れている。
作品冒頭「今や(30年勤めた市民課長に)意欲や情熱は少しもない。
そんなものは役所の煩雑極まる機構と、それが生み出す
『無意味な忙しさ』の中で、まったくすり減らしてしまったのである」
とナレーションが語り、
今度は作品半ば「この30年、役所でいったい何をしたのか、
いくら考えても思い出せない。覚えているのは、つまり『ただ忙しくて』、
しかも退屈だったってことだけだ」と主人公が語る。
そして、作品の後半、他の公務員が呟く。
「役所にだっていい人間、入ってくるんですよ、でも長くいるうちに。
あの複雑な仕組みの中じゃ、何一つ、第一あんなに『無意味に忙しくちゃ』
何か考える暇さえないんだから」
共通なイメージは、地方公務員は「無意味に忙しい」である。
この作品、60年以上も前の作品だから、と笑い飛ばしたいところだが、
作品のナレーターが、力を込めて、叫ぶように訴える
「いったい、これでいいのか。いったい、これでいいのか」が印象深い。



2012年11月12日(月)
人類が管理できないものは作ってはいけない

最近の事件、事故に対する私の雑感である。
つくった人類が、自分たちで管理できていないものが、
映画の世界では「(感情を持たせた)ロボット」、
現実の世の中では「パソコン」や「原子力発電所」。
これだけ、パソコンの恩恵を受けながらも、
遠隔操作で誰が犯人なのかも特定できないなら、
パソコンも作ってはいけないものだったな、と感じる。
もちろん、一度暴走したら、手が付けられない原子力発電も、
管理できないという視点では、作ってはいけないもの。
だから「人類が管理できないものは作ってはいけない」
この視点、意外と仕事にも役に立つことがある。
新しいイベントや特産品・ゆるキャラなど、
最後まで面倒をみる気がないなら、作らない方がいい。
中途半端な管理こそ、中途半端な結果しか生まない。
それならば意を決して、批難覚悟でも
「止める、撤退する」勇気の方が正しいのではないか。
幕開けは喜ばれるけれど、幕引きは・・嫌がられる。
でも今の時代、幕引き役が大切なんだ、と思う今日この頃。



2012年11月11日(日)
プロとは、当り前のことを、簡単にできる人のこと

ラーメン屋のカウンターで読んだゴルフ雑誌から。
プロのゴルファーって、難しいことを簡単にこなす、と
アマチュアが、技術力の高さに驚いていたら、
レッスンプロらしき人が、その考えを否定していた。
「プロとは、難しいことが出来る人のことではなく、
当り前のことを、簡単にできる人のことです」
う〜ん、奥が深い、この言葉。
たしかに高度な技を持っていることも大切だけれど、
基本動作を基本どおりにこなせる力って、ゴルフに限らず、
どんな場面でも大切な技術となっている。
10回挑戦して10回、100回挑戦して100回、
同じ結果になる知識と技術こそプロと言えるということだ。
そのためには何事にも気をとられない「集中力」が不可欠。
プロとアマチュアとの違いは「再現性」かもなぁ。
これって、ゴルフの世界だけじゃないことは、
もう言わなくてもわかるよね。(汗)

P.S.
石川遼選手が2年ぶりの復活優勝を飾ったそうです。
彼は、やっぱり「プロ」ですね。(当り前か・・(笑))



2012年11月10日(土)
「愛する能力」と「夢を持つ能力」

映画「A.I.」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
今まで何度となく観てきた、人間とロボットの確執。
すべて映画とはいえ、その結末にいつも考えさせられてしまう。
近未来、作られたロボットの方が優位に立つ構図は、
ほとんど、人間の愚かなロボット・バッシングから始まる。
そんな人間がロボットより優れているという前提は、
「愛する能力」と「夢を持つ能力」が備わっているということ。
しかし、どうみても作品の中に登場する人間の方が、
2つの能力を放棄しているようにも見える。
大人は「人を愛せるなら憎むことも出来るはずだ」とロボットを疑い、
子どもは「オモチャは壊した方が面白いんだ」とロボットを虐める。
そして、自ら子どものロボットにインプットした「親子の愛」すら、
森の中へ捨てて逃げるという行為を、私は理解することができなかった。
どうして、子どもロボットの「話」を聞いてあげようとしないのか、
ロボットを破壊して喜ぶショーよりも、残酷に感じてしまった。
それなのに、そんな人間の愛を疑うことなく信じ続け、
2,000年後も、母親に対する愛を持ち続けていたロボット・デイビット。
どちらが「愛する能力」と「夢を持つ能力」を持ち続けているか、
一目瞭然である。
2つの能力が失われつつある、現代人の難しい「生き方」と、
予測できたはずの地球温暖化や、地球の氷河期などという環境変化に
的確に対応できなかった生物としての人類に対して警鐘として受け止めたい。
心温まるラストシーン、「魂を持っていた人間を私は羨ましく思う」と呟いた
進化し続けたロボットたちに誇れるよう、今を大切に生きたいと思う。

P.S.(おまけ)
ロボットに、親子の絆を設定する7つのキーワード。
シラス(巻き雲)、ソクラテス、パーティクル(分子)、デシベル(音波)、
ハリケーン、ドルフィン、チューリップ
続けて「(母親)モニカ、(ロボットの子ども)ディビット、モニカ」
う〜ん、この単語の繋がりこそが最大の謎である。



2012年11月09日(金)
「紅葉」のお裾分けだよ

先月末に開催された「みどり祭り」で購入した鉢植えが、
職場の事務机の上で、赤や黄色の色をつけてきた。
「水をやるだけでいいから・・」の言葉を信じて、
毎朝、水だけをやり続けている。
嬉しいことに、休みの日は、シルバー人材の人たちが、
私に代わって水をあげていてくれたようだ。
「課長、キレイな色が付きましたね」そう言われ、
思わず口に出たのが「『紅葉』のお裾分けだよ」。
京都や箱根の紅葉もいいけれど、毎日眺められる、
私の机の上の「紅葉」も悪くないな。(笑)
春には「すみれ」、そのあと「ひとりしずか」、
花だけでなく、私のお気に入りの葉っぱの緑が、
日頃のストレスを解消してくれている。
しばらくは、色鮮やかな紅葉が、机上を陣取るが、
冬になったら、また新しい仲間を捜してこようっと。



2012年11月08日(木)
歌は歌っている場合じゃない時にこそ歌うべき

ラジオから流れてきたフレーズだった。
よく非常事態に「歌なんか歌っている場合じゃない」という
お叱りの定番みたいなフレーズがあるが、
それは間違いだよ、と笑い飛ばす説得力がある気がした。
切羽詰まった事態だからこそ、ここは深呼吸でもして、
腹の底から声を出して歌うことで、気持ちを落ち着かせる。
だから「歌は歌っている場合じゃない時にこそ歌うべき」
特に、合唱なんかは、メンバーの心がバラバラになった時、
周りの声に耳を傾けながら、声を揃えることでまとまってくる。
歌には、どんなに美しい言葉で着飾っても真似が出来ない、
そんな力があると思う。
心が乱れたら、歌を歌ってみる、ただそれだけで心が落ち着くはず。
歌とスポーツは、神が人類に与えたストレス解消法とも言われる。
これがなかったら、今の世の中、大変なことになっていたかも・・。
これからも、歌い続けようっと。



2012年11月07日(水)
歳を重ねることは、身体の障害者になることよ

最近、普通に歩いていてつまずくことがあるよ、とか
物忘れが多くなって困っている、気持ちに体がついていかない、
そんな話を同級生でしていたら、
障害者支援の施設で働いている女性に言われた。
「歳を重ねることは、身体の障害者になることよ」
なるほど・・と妙に納得してしまった自分がいた。
耳が遠くなり、視力が衰え、噛む力さえ弱くなってくる。
身体障害者は、ある時からそれを自分のことと受け入れ、
逞しく、時には明るく生活を過ごしているが、
さて、私たちにその「老化」を自分のことと受け入れる
準備が整っているだろうか。
もちろん、運動能力(特に反射神経)も低下するのだから、
やはりある程度の年齢になったら、自ら率先して
自動車の運転免許を返納すべきなのだが、
それに理解を示さず、事故を起こしてしまった人もいる。
はっきり言ってあげた方が良さそうだな。
「歳を重ねるということは、身体の障害者になることです」
(障害者を否定しているわけではないので、ご理解下さい)



2012年11月06日(火)
あんたが組織を裏切ったんじゃない・・

映画「アンダルシア 女神の報復」(西谷弘監督)から。
ストーリーとは別に、内部告発に関する話題が溢れた。
(内部告発して左遷された、伊藤英明さん扮する
インターポール捜査官「神足」が)「内部告発して、結果はこのザマだ」
「組織の中じゃ、正義なんてものをふりかざす奴がバカをみる」と嘆く。
なるほど・・と頷きながら、内部告発の必要性を考えていた。
「無意味だった」と嘆く、神足に向かって、
「内部告発は、本当に無意味だったのか?」と織田裕二さんと扮する黒田。
そして「事件は会議室で起こっているんじゃない」を彷彿させる
「あんたが組織を裏切ったんじゃない、
組織があんたを裏切ったんだろう」の台詞が続いた。
さらに、何かにぶつかりそうになった「神足」を諭すように呟く。
「ちゃんと目をあけて歩かないと、何が正義なのかもわからなくなる」
この一連の表現は「内部告発」を考える上で、
大きなヒントとなるような気がしたのでメモをした。

P.S. 流れとは関係ないけれど、冒頭、何度か繰り返された
「あんたの車だろ、どかしてくれ。これじゃ猫も通れない」と
日本人に向かって「この人、スペイン語もしゃべれない」と呟く
スペイン人が面白かったなぁ。



2012年11月05日(月)
指摘され 初めて気付いた 「メモ中毒」

昨日の私の悲鳴を読んでくれたメル友が、
「興味や意欲が大きいのはいいことだと思います」と前置きをした後に、
「でも、時間に追われてしまっても止められないというのは、
もはや『中毒』かもしれませんね」とアドバイスをくれた。
「『これは中毒だ』と気付くところから始めてみては如何でしょうか」
そう指摘されて、初めて気付いた「メモ中毒」。
本来の意味である「精神作用物質の中毒により引き起こされる症状」ではなく、
「趣味に対して異様な執着を見せる人に対して用いる」依存症に近い「中毒」。
ははは、思い当たることばかりだ。(汗)
最近「メモ」が出来そうなことばかりしている気がしたし、
メモした台詞やフレーズを、挨拶文や会話に、これでもかと利用している。
たぶん、私の山積みのメモ帳をみたら、誰もが驚くに違いない。
講演やコンサートで、偶然にも私の横に座った人や、
映画館の暗闇でメモしている姿を目にした人は、必ず呆れる。
さらに、DVDで何度も巻き戻し、俳優の台詞を確認するとなると、
1本の映画鑑賞に、4時間くらいかかるのに、もう550本を超えた。(笑)
それでも、苦にならないのは、まさしく「中毒」だからだな。
「ただ、繰り返しますが、興味や意欲が大きいのはいいことだと思いますよ」
そう最後に、まとめてくれたメル友に感謝したい。



2012年11月04日(日)
誰か、続ける方法ではなく、止める方法、教えて

久しぶりに、私の悲鳴である。
書きたい題材が多すぎて、調理する(文字にする)時間がない。
1日の間に、講演会・コンサート・読書・映画鑑賞・懇親会、と
幾つもの分野が重なると、ほとんどの場面でメモしまくりのため、
1日1話の「気になる一言」では追いつけなくなっている。
その日採れたての「新鮮ネタを売り物」にしていたにも関わらず、
タイミングよく、紹介できないのが残念で仕方がない。
最近は、鮮度を失わないように、メモだけ「瞬間冷凍」にして、
時間が出来た時、ゆっくり解凍して「気になる一言」に仕上げているが、
それさえも、時間が足りなくなっている気がした。
前述したの話題の他にも、夫婦の会話、NHK大河ドラマやラジオ、
巷の話題から、まちづくりまで、話題は尽きることがない。
私の周りには「『気になる一言』が溢れている」から。
・・・と、こんなことを書いている今日だけでも、ネタは10個ほど。
うぁ〜、どうしよう、困ったなぁ、と言いながら、
これ書いたら、映画の続きを観たいと思っているから始末が悪いな。
誰か、続ける方法ではなく、止める方法、教えて。



2012年11月03日(土)
まったねぇ〜(音符)

5年前の11月、町内の大型ショッピングセンター内に開設した
「清水町子育て総合支援センター」。
私は「初代の所長」としてこの施設の運営を任され、
「民設公営」という初めての分野で悩みながらも、
それを支えてくれる数少ないスタッフとともに、
県知事が視察に訪れてくれるような施設まで育ってくれた。
何か理由を付けては、食事や飲み会、カラオケ等に行ったり、
仕事では、お互い意見をぶつけて、いいものを作ろうとした
チームワーク抜群のスタッフが、私の誇りであった。(笑)
そんな彼女らも、自らの道を進み、新しいスタッフと入れ替わり、
今は、開設当時のメンバーは誰もいなくなった。
しかし、苦労を共にしてきたスタッフである。
5周年記念のスタッフ同窓会を持ちかけたら、遠方からも集り、
懐かしい顔・懐かしい歌声に、ちょっぴり涙腺が緩んだ。
最初の乾杯は私が音頭をとったが、宴席の締めは・・と思い悩み、
スタッフの子どもで、開設当時5歳、現在の10歳の女の子に任せたら、
ニコニコ微笑みながら一言。「まったねぇ〜(音符)」
「またね」ではなく「まったねぇ〜」それにリズムがあって音符付き。
私たちにとっての5年間はあっという間だが、
子どもにとっての5年間はこんなに成長するのか・・と驚くとともに、
突然、指名した宴席の締めは「まったねぇ〜(音符)」の言葉。
私には思いつかないフレーズに大満足し、この一言を残そうと思う。
いつになっても同窓会が開ける「職場」って、いいな。

P.S.
今は「所長」じゃないけれど、彼女らに「所長」と呼ばれると嬉しい。
これも「出会い」だな、きっと。



2012年11月02日(金)
幸せっていうヤツには、適度な距離が大切

映画「ラブコメ」(平川雄一朗監督)から。
予想外と言ったら怒られるかもしれないけれど、
タイトルと違って、私好みの素敵なラブストーリーである。
気になる一言は、主人公の二人の会話ではなく、
脇役というべき、人気声優の西島が、
彼に好意を抱く花屋とキャバ嬢のアルバイトをかけ持つ涼子に、
口説きながらも、しみじみ語る会話の一節。
いつも夫婦としてベッタリくっついていた時よりも、離婚してみて、
以前より離れて相手を見ることにより、
なぜか相手が好きになった・・と告白した台詞である。
「好きとか嫌いって言う気持ちよりも、幸せっていうヤツには、
適度な距離が大切なんだって気付いたんだよね」
う〜ん、この距離感って、なんとなくわかる気がする。
ペアルックを着て、手を繋いで歩いている若い二人よりも、
離れていながらも幸せそうに歩いている熟年夫婦はいるし、
「愛している」と言い合っている二人より、
「大切にする」と言い合える二人の方が、幸せそうだから。

P.S. (ちょっと気になって、笑ってしまったフレーズ)
「自分とは関係ないところで、
幸せになって欲しい部門1位なのよ、美晴君って」



2012年11月01日(木)
愛情というのは、育むもの

書籍「秘密は日記に隠すもの」
(永井するみ著・双葉社刊・180頁)から。
「トロフィ」「道化師」「サムシング・ブルー」「夫婦」
どの章にも気になる一言はあったけれど、
今回は「道化師」の一部から、愛情に対する考え方。
実は、本文はもう少し長い。
「私は、愛情というのは、勢いで燃え上がるものではなく、
育むものだと思っている。そのためには、時間が必要だと」
辞書によると「愛情」とは「相手にそそぐ愛の気持ち、
深く愛するあたたかな心」「異性を恋い慕う感情」とある。
勢いで燃え上がるものは「恋」、育むものが「愛」
そんな区別でもいいのかもしれない。
結婚30年を迎えようとする今頃になって、
夫婦は「愛を育む関係」なんだな、と理解できた。
「えっ、今頃になって?」と言わないで欲しい。
この年齢で気付いただけでも「良し」としなくちゃ。
まだ、夫婦生活は長く続くのだから。(笑)