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2012年05月31日(木) ■ |
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ヒットを打たれるくらいならフォアボールでいいや |
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メジャーリーグ復帰の松井秀喜選手、2点本塁打で、 昨日の「気になる一言」を奪われたが、同日に達成した 巨人・杉内投手の「ノーヒットノーラン」達成秘話は凄い。 9回ツーアウトまで「26人連続アウト」でいながら、 27人目がカウント2-3になったところで、 気持ちを切り替えた彼の決断力は、今までの投手にはなかったもの。 「ヒットを打たれるくらいならフォアボールでいいや」 この発想は、野球好きの私にもなかった視点である。 彼の技術では、真ん中に投げて「ストライク」をとるのは簡単、 だけど、その球を狙われてヒットでもされれば、今まで重ねてきた アウトの延長上である「完全試合」(27人連続アウト)どころか、 「ノーヒットノーラン」さえ消える。 だから、この選手には「フォアボールでもいいや」と考えたという。 そんな簡単に、大記録を諦められるものなのだろうか。 文字にすると、その凄さが伝わらないかもしれないが、 今までなら、同じチームの選手やベンチも、大記録を前に 予想以上のプレッシャーを与えないようしながら達成させたのに、 彼は、そんなことも気にせず、あっさり言い切った。 「ヒットもフォアボールもないことは分かっていたので、 『こんなチャンスはもうないな』と思って狙っていきました。 ああいう時は意識しないといけないと思います」。 このコメントを読み、ただ一言「かっこいいなぁ」の言葉しか 私の脳裏には浮かばなかった。是非、今度は「完全試合」を。
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2012年05月30日(水) ■ |
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苦しい経験は必ず糧になる。 |
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メジャーリーグに昇格したその日に、2点本塁打を放ち 我ら「松井秀喜ファン」を大喜びさせてくれた。 今回のメッセージは、まだホームランを打つ前の、 いや、メジャー昇格(レイズ)が報道されたばかりのスポーツ新聞朝刊。 担当者が、松井選手のコメントも含めて、こう書いていた。 「苦しい経験は必ず糧になる。『このあと、いいプレーができれば (これまでが)いい期間だったということになるんじゃないですか』と 穏やかな表情で話した」 私がこの記事をメモした数時間後に「いいプレー」が飛び出した。 松井はやると思っていた…ヤ軍時代の恩師「言った通りだろ」 昔から大舞台に強かった…星稜・山下名誉監督「松井らしいな」 再出発の一撃…松井「忘れられない?そうなるのかもしれない」 その他にも賞賛の文字が、インターネット上に溢れた。 守備をしない「DH」ではないところが、私を喜ばせたのだが、 今シーズン、彼は本当に苦しい経験をしたと思う。 それを「糧とする」精神力の強さに、ますます好きになった。 「糧」とは、精神・生活の活力の源泉。豊かにし、また力づけるもの。 なるほどなぁ。
P.S. 同日ノーヒットノーラン達成の巨人・杉内投手、ごめんなさい。 近いうちに、必ず話題にしますから。(汗)
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2012年05月29日(火) ■ |
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愛好者というより、無法者。 |
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地元新聞の夕刊に掲載されていた見出しである。 「富士山でスキー、スノボ」「県警など対応苦慮」 「禁止なのに愛好者続々」 これって「愛好者というより、無法者。」 そんな思いで、記事を読んだ。 ダメだって言っているのに、楽しいから、を理由に ルールを守らず、危険を冒すなら、勝手にやってくれ、 その代わり、助けもしないから。 どうして、こういう強いメッセージが発せられないのか、 彼らは取り締まる法律を作っても、また抜け道を考え、 屁理屈をつけてくるに違いないのだから。 冬山の登山禁止は、先日の「金冠日食」でも 忠告を無視して、遭難した外国人がいたが、 私の周りには、意識して迷惑をかけたのだから、 もっとしっかり処罰して欲しい、という声が多かった。 知らなかったならまだしも、これだけ呼びかけて それでもルール無視するならば、名前や顔写真を出す、 それくらいのことはしてもいいだろう。 これは「2度としてはいけないことではない、 1度だってしてはいけないこと」である。
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2012年05月28日(月) ■ |
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好きな映画、小さな恋のメロディ・ローマの休日・ベンハー |
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映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」(行定勲監督)から。 映画の中に、映画作品名が出てくると、無性に気になる。 特に「交換日記」ならぬ「交換テープ」を始めた 主人公2人の自己紹介で、このフレーズは出てきた。 気になる一言は、長澤まさみさん演ずる「亜紀」の映画選。 (男性は、ごめん、メモしなかった。(汗)) 「好きな映画は・・」と呟いた後、 「小さな恋のメロディ・ローマの休日・ベンハー」と続けた。 (この年齢で、この作品?という違和感はあったが・・) 人物を特徴付ける役割として、どんな映画が好みかは、 大きなウェイトをしめていると思う。 そしてまた、好奇心旺盛の私は、その作品を思い出したり、 観直したくなってしまう。 あの映画のあのシーンが好きで・・なんて台詞があると、 もう我慢できなくなり、レンタルショップに走っている。
PS. 作品中の台詞は「キスしようとした?」「ダメなの?」 「あのね、朔。」・・と、亜紀が諭すように呟いた。 「キスっていうのは、夢を語ったりしながらするものなのよ」 う〜ん、なるほどなぁ。
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2012年05月27日(日) ■ |
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障害者が社会のために出来ること |
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今となっては不思議、としか言えないが、 この週末、視覚障害者が私に何かを訴えていた。 土曜日の午後、第276回泉のまち音楽会で、 元ベルリン国立歌劇場の専属バスソリスト「斎求」さんは 舞台中央まで、司会者に手を引かれながらも、歌い出すと、 その深みのある歌声で私たちに勇気を与えてくれた。 その日の夜、鑑賞した映画のDVDは、偶然だろうか、 木村拓哉さん主演の映画「武士の一分」。 彼は毒見の役で、赤貝の毒にあたり、失明してしまう。 しかし、ある目的のために武道の稽古に励み、 殺意や気配を研ぎ澄ましながら、その目的を果たす作品。 そして、日曜日の午後、楽しみにしていた 盲目のバイオリニスト「穴澤雄介」さんのコンサートが 富士宮市の猪之頭公園の近くのカフェ「ローズマリー」で開催され、 彼の明るさと優しさに包まれて、癒された。 「障害者は、社会からいろいろ手を差し伸べてもらっている。 しかし、私たち障害者が社会のために出来ることはないか」 そう自問自答して、被災地の復興に向けたチャリティコンサートを 続けているように見えた。 「障害者」は支援を受ける側ではない、出来る環境で出来ることを 社会にお礼をしていく、そんな姿勢が感じられ、胸が熱くなった。 こんな彼らが活動しやすい場所の提供こそ、我々、行政の役目かな、 そんなことを思いながら、帰路についた。 まちづくりの大きなヒントを与えてもらった気がしてならない。
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2012年05月26日(土) ■ |
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不器用は宝だ。・・・不器用を喜べ。 |
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映画「火天の城」(田中光敏監督)から。 織田信長から「安土の山を丸ごと1つ、城にする。天守50じゃ」と 命じられた、戦国時代の名工・岡部又右衛。 その部下たちは、必死になって「安土城」建築に必死になるが、 若い大工は、時々失敗して、親や先輩に怒鳴られる日々。 仕事に自信がなくなりかけた時、励ましてくれた先輩の台詞は、 今の時代にも仕えるフレーズとなった。 実はメモした本文は、もう少し長い。 「不器用は宝だ。不器用なものはどうしたらよいか工夫して努力する。 毎日毎日やっていくうちに、いつのまにか心で計れるようになるんだ。 身体で感じられるようになるんだよ。だから、不器用を喜べ。」 その彼が、ラストシーンで大活躍するのだが、 現実は、なかなかこうはいかないものである。 こんな励ましをしてくれる先輩も減ったし、 不器用なものも、工夫も努力しないで、不器用のまま。(汗) だから、失敗を繰り返し、周りに迷惑をかけることだってある。 いい話だけど、ちょっとなぁ、と苦笑いをした。 信長が、一所懸命働く女性を眺めて呟いた 「女が元気だと国も栄える。」の方が、現実的だなぁ。
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2012年05月25日(金) ■ |
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自由にやりたければ、補助金・委託料を受けないこと |
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講師「NPO法人グラウンドワーク三島・事務局長、渡辺豊博さん」 演題「「楽しいNPO活動で心豊かなくらし」から。 あるNPO法人の10周年記念式典の席で、彼の講演を聴いた。 静岡県下に「NPO」という名称を広めた第一人者として、 知らない人はいないだろう、と思われる彼の話は、 冗談を交え、聴講者に笑いをとりながらも、 実は真面目な話をサラッと言いのける話術が際立っている。 被災地における「NPOの光と影」を説明しながら、 ボランティアの名のもとに行なわれる「サービス過多」の現状も、 現地に赴き、自分の目で確かめ、しっかり私たちに伝えてくれた。 また「NPOは、心を支える組織」とし「NPOの特性は、 自由度・迅速性・行動力・独創性・先駆性(先見性)(試す・モニタリング)・ 柔軟性・多彩性・汎用性・社会的波及効果・教育的波及効果」と 言い切った自信が眩しかった。 その中でも、一番納得したアドバイスは 「自由にやりたければ、補助金・委託料を受けないこと」 これが、どんな団体に対しても「対等」に発言し活動できる秘訣、 私はそんな意味に捉えて、メモをした、なるほどなぁ。
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2012年05月24日(木) ■ |
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人生の機微とでもいいますか |
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映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(三宅喜重監督)から。 登場人物は、皆いろいろな想い・気持ちを抱えて生きている。 そんな彼、彼女らが「阪急電車」を仲介して出会い、 何か吹っ切れたように、元気になっていく。 「プロローグ」と「エピローグ」に映し出される顔を比べると、 その違いがはっきり確認できた。 今回の一言は物語のラストシーン。 婚約中の恋人を後輩社員に奪われたアラサーOL役・中谷美紀さんと 恋人のDVに悩む女子大生役・戸田恵梨香さんの会話。 存在は気になっていたものの、最後まで会話をしなかった2人が 会うべき場所、会うべきタイミングで交わす台詞こそ、 この作品の伝えたかったことなのかな、とメモをした。 「人生の機微とでもいいますか、そんなようなもの味わってまして」 「あら、実は私も電車降りたところで、人生の機微を味わっておりました」 わざわざ「機微」という単語が私のアンテナに引っ掛かるように。(笑) 「機微」とは「表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情」 さらに「人生の機微」と「人情の機微」という使い方があるらしい。 ネットによると「人生の機微」とは 「何時とは知れづ訪れる、人生における微妙な成り行き」 それに対して「人情の機微」とは 「わざとらしくなく、後でそれと気づくような、かすかに表れる言動によって、 感じる優しさや人の情けが織りなす、心の触れ合い」 (そう考えると、今回の場合「人情の機微」の方が正しいのかも・・) そして最後に、ふたりはこんな会話をする。 「なんていうかさぁ、悪くないよね、この世界も」「はい、悪くないです」 映画のキャッチコピー「終着駅は、きっと笑顔。」を実感するように。
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2012年05月23日(水) ■ |
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「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」 |
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私のメル友の中でも、歴史大好きの1人が書いていた。 「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」 妙に納得したので、気になる一言。 視聴率が低い、と騒いでいるけれど、国営放送なのだから そんなこと気にせず、質の良い作品を作って欲しい。 汚いと言われている場面だって「龍馬伝」の頃から、 変わらないと思っているし、他の作品と比較する必要もない気がする。 (つい昨年の「江」よりまし・・と口に出てしまうが・・(笑)) どんな人たちが今回の「平清盛」を観ているか、 そしてどんな感想を持っているか、その方が大切であろう。 「ドロドロの『陰謀劇』の面白さが分からないお子ちゃまや、 じっくり取り組んで見る心の余裕がない人には、無理なんでしょう」 そんなメル友の言葉が、ぐっと胸に沁みた。 私としては、大河ドラマとはいえ、日本全体で彼を盛り上げて、 「1人のリーダー」を育てる機運が欲しいと思う。 毎年、総理大臣が変わる我が国であるからこそ、 低視聴率を声高に叫ぶより、低視聴率でも1人の男を育てる、 そんな国民性を取り戻したい、と感じているのだが・・。
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2012年05月22日(火) ■ |
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「観光地」VS「東京スカイツリー」 |
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最近、コラムニストになった気分だが・・ 巷の話題で、気になる一言を書いている自分が楽しい。(笑) さて、昨日の「金環日食」に続いて、今日は「東京スカイツリー」。 全国紙も地元紙も、朝刊一面は「開業」の話題で持ちきりだが、 来場見込みの人数を目にして、不安がよぎった。 初日20万人、年間で3200万人を見込む観光地が誕生したのだから、 全国の観光関係者は、好奇心などで浮かれていてはいけない。 特に、伊豆の温泉地は100キロちょっとの距離に、 とてつもない集客力を持つ、最新鋭の観光施設が出来たのだから、 千葉の「ディズニーランド」大阪の「ユニバーサルスタジオ」以上に、 「ライバル」と位置づけて、関係者一丸となって戦わなければ、 入り込み客が、じり貧になることは明白である。 しかし、全国からの観光客が「東京スカイツリー」に流れるのを想定し、 今後、どう対抗しようとしているのか、私にはみえてこない。 この建物は、ある日突然出来上がった施設ではないのだから、 数年前から、視野に入れているとは思うけれど・・。 P.F.ドラッカーの「マネジメント」流に言えば、 単なる「長期計画」ではなく「戦略計画」が必要だと思う。 全国の観光各地から「悲鳴」ではなく「巻き返しの雄叫び」を期待したい。
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2012年05月21日(月) ■ |
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観測のコツは「信じて待つ」 |
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静岡県東部地域は、朝から厚い雲に覆われて、 期待された「金冠日食」は、見えなかった人が多い(ようだ)。 私は、おかげさまで、なんとか見ることができた。 完全な金冠状態は見えなかったが、雲間から8割〜9割欠けた 太陽が顔を出した時は、嬉しさに身体が震えた。 予定された時間に、見やすそうな場所へ人が集まってきたが、 厚い雲を見ただけで、諦めて帰る人たち。 しばらく空を眺めていたが、西の空を眺め、諦めた人たち。 それぞれが、それぞれの判断で、日食観測に向かったので、 ある意味では「人間ウォッチング」ができたイベントである。 直接、太陽を見ないように・・という注意や、 日食観測グラスの作り方は、何度も話題になったが、 どうしたら、少しでも観ることができるか、というアドバイスは あまり目にしなかったように思う。 今回も、厚い雲がフィルター(観測グラスの代わり)となって、 月食を観るような雰囲気だったが、充分に楽しめた。 金冠だけが日食ではなく、欠けていく姿、戻っていく姿もまた 今回の「日食」であることがわかっていれば、 観測可能時間は、意外と(思ったより)長い、と気付くはずだ。 金冠状態の時、いつもなら「西から東へ」流れている雲も、 なぜか「東から西へ」流れていたのが幸いしたのだろうが、 まさしく「全体の流れを読む」訓練になった気がする。 私流にアドバイスするとすれば、観測のコツは「信じて待つ」。 「諦めずに待つ」「待てるだけ待つ」(仕事も同じかな?) これが出来るかどうか・・なかなか難しいけどね。(汗) これからも続く、今年の天体ショー、是非、参考にして欲しい。
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2012年05月20日(日) ■ |
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金環日食、部分月食、金星の日面通過、惑星直列 |
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明日、5月21日は、巷で大騒ぎしている「金環日食」、 そして、5月21日に太陽を隠して「金環日食」を起こした月が、 およそ2週間後(6月4日)に地球の裏側へまわり、 今度は地球に太陽の光をさえぎられて「部分月食」。 日食と同じ原理で、金星が太陽の前を通過する時に起きる 6月6日「金星の日面通過」(日本では130年ぶり) さらに、12月22日には「惑星直列」と楽しみな天体現象がある。 (12月21日、地球滅亡?なんて話まであるけれど・・(汗)) 今回「日食」が起きる仕組みを教えるならば、 同じ現象の「月食」「日面通過」の話題も触れて欲しいのだが、 不思議なことに、全体的な話題としてはなかなか流れてこない。 自分たちの生きている地球も、太陽系の仲間であること、 その中でも地球は、驚くほど美しい惑星であること、 だからこそ、地球の環境をみんなで守ろう、という教育に繋げて欲しい。 たんなる、天体ショーというイベントで終わらないことを願いたい。 明日の金環日食の時間、雨や曇りで見えなくても、外に出て欲しい。 いつもと違う朝の明るさに、日食の雰囲気だけでも伝わるはずだから。 見えないからといって「日食」が中止になったわけではない、 雲の上では、必ず「日食」という現象が起きているのだから・・。
P.S. 2009年07月22日(水) 日食の雰囲気体験が大事だよね http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20090722
2003年11月24日(月) 毛利さんの「うぁ〜」「お〜っ」 http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20031124
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2012年05月19日(土) ■ |
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自分は、どこで何の役を歌ってきたか |
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第150回泉のまちカレッジ、講師「バスソリスト・斎求(いつきもとむ)さん」 演題「世界の音楽よもやま話」から。 「ベルリン国立歌劇場専属バスソリスト」として、 世界中で歌ってきた彼の話は、私の知らないことばかりで楽しかった。 ステージ回数は1000回を超えるという、その経験に裏付けられた自信と 世界の国々と日本の比較、そして大好きな食べ物の話。 予定時間を30分も超過したのに、もっと聴きたい、と思わせる話術。 やはり芸術家の話は、なにか普通の講演会とは違う、と実感した。 今回の気になる一言は、世界で活躍した人らしい台詞。 国内なら、どこの大学を出て、誰に師事して・・と自己紹介するが、 世界では、そんなことは関係ない。 オペラのソリストとして、自分をアピールするには、 「自分は、どこで何の役を歌ってきたか」に尽きるという。 どこの国で、どこの歌劇場で、どんな作品の、どんな役を歌いました。 これほど、実力を示すのにはっきりとしたバロメーターはないのだろう。 一度、実力さえわかれば、世界のどこからでもお呼びが掛かる。 オペラ会場で「私の曲を歌って欲しい」「俺の曲を歌ってくれ」と 誘われることもあるという。 そんな超一流の音楽家なのに、とても穏やかで謙虚な生き方が 聴講者の私たちを魅了した。 来週は、その彼の声が聴ける。とても楽しみである。
P.S 斎求(いつきもとむ)「バスリサイタル」(第276回泉のまち音楽会) 5月26日(土) 14:00〜 (入場料300円) 清水町地域交流センター
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2012年05月18日(金) ■ |
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おばあちゃんは、息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね |
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「映画「わが母の記」(原田眞人監督)から。 映画ファンとしては贅沢なことに、ロケ地があまりに身近すぎて、 「えっ? ここ、湯ヶ島じゃない、中伊豆のあそこかな」とか 「あっ、この場所、行ったことある」「この伊豆弁、変だろう?」・・ いつもと違った映画鑑賞の視点に、やや違和感を感じながら観終わった。 帰宅して、暗闇の中でメモした手帳を整理していたら、 主人公のほんの小さな心の変化(これも違和感)に気付いた。 役所広司さん演じる、主人公・伊上洪作が、 樹木希林さん演じる、母・八重に語りかける呼び方である。 冒頭「おふくろ」(「お母さん」)と呼んでいたのに、 作品のある場面から「おばあちゃん」に呼びかけるようになる。 私が、普段、何気なく母親に声を掛ける時、(特にふたりの時は・・) 「おふくろ」とか「お母さん」と口にしても「おばあちゃん」とは言わない。 それこそ、違和感があるから。(息子にしかわからない感覚かも) だから「祖母」という意味の「おばあちゃん」ではなく、悲しいけれど 単なる「高齢者の女性」という意味の「おばあちゃん」として使い、 それでも一所懸命に話しかけている姿に、心が震え、涙腺が緩んだ。 自分の母親が記憶をなくしていき、息子のことも忘れてしまう現実、 それをどう受け止めて、周りの家族に悟られないように、 母への想いを持ち続けていくか、大きなテーマであった気がする。 孫が祖母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚とはちょっと違う、 息子が母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚は、心が痛む。 いつまでも「おふくろ」(「お母さん」)と声を掛けたいものである。
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2012年05月17日(木) ■ |
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あったか便座なしのウォシュレット付き |
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まずはこの名称、商品名だったら、ごめんなさい。(汗) 先週、信州・松本にたった2泊滞在しただけなのに、 静岡・伊豆の生活との違いが多すぎて、笑いながらメモが溢れた。 その代表的なのが、トイレの便座。 私の感覚では「和式便座」より「洋式便座」の方が便利。 さらに「あったか便座付き」、そのまた上が「ウォシュレット付き」。 だから、ウォシュレット付きは便座のフルコース、のはず。 しかししかし、今回、松本で私の座った便座は、 ほとんどが「あったか便座なし、ウォシュレット付き」。 それもカバーなし。(笑) 長野の人たちには、個人のお尻を温めるというより、 トイレ全体を暖める温風ヒーターの方が必要なんだ、と気付いた。 さらに、昔の家を大切に使っているから、そもそも トイレに電源、という発想がないのかもしれないな、と苦笑い。 ホームページでは絶対わからない、生活様式の違い。 この発見が楽しみで、旅に出たくなるんだよなぁ、私の場合。
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2012年05月16日(水) ■ |
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遭難しても絶対に助けにいきません |
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静岡県富士宮署から、国民に向けてこんな呼びかけがあった。 「絶対に富士登山しないで」 国内では21年ぶりとなる「金環日食」が出現するとあって、 全国的に大騒ぎしているが、遭難事故が発生する気がしてならない。 特に、空気が澄んでいる上に、曇りや雨の天気でも 富士山頂は雲の上という場合が多いから観測ができる可能性が高い。 それゆえ、冬期閉鎖されている登山道を軽装で登り、 多くの人に迷惑をかける人たちがきっといる、と予想されるからだ。 出来ることなら、政府が、国民に向けてこう呼びかけて欲しい。 「遭難しても絶対に助けにいきません」 忠告を無視しても登るのだったら、責任は自分でとってくれ、 今回は、そんな強気のメッセージが必要と思う。 あと数日に迫った「天体ショー」だからこそ、メディアも協力して、 自己中心的な行動による、遭難事故を防ぎたいものだ。 これは、富士山だけではない。観測可能な高い山は同じことが言える。 GW、北アルプスで遭難事故が相次いだことを忘れてはいまい。 「(常識知らずの)登山者名を公表します」でもいいけれど・・
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2012年05月15日(火) ■ |
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イノベーション(革新)は、組織の外にもたらす変化なの |
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映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの 『マネジメント』を読んだら」(田中誠監督)から。 「(高校野球の)マネージャーになりたい」と相談したら、 勧めてくれたのが、経営学者ドラッカーの著書「マネジメント」。 そんな勘違いを逆手に取って、本書を参考にして、 弱小野球部を改革し、甲子園出場を果たすことになるのだが。 (ちょっと無理な野球センスが気になるけれど・・) 多くのメモの中から、特に気に入ったのが、 「イノベーション(革新)は、組織の外にもたらす変化なの」 「革新」と言うと、自分の在席している組織を変えようとするが、 本当は、周りを変えることで、その組織が活きることを考える。 だから「野球部ではなく、高校野球の方を変えてしまう」発想。 「古い常識を打ち壊し、新しい野球を創造することで、 高校野球界の常識を変える。古いもの、死につつあるもの、 陳腐化したものは、計画的、かつ体系的に捨てていく」と言い切り、 革新の方法を、分かりやすく説明してくれた。 「組織の外に与える変化と影響」、それが「イノベーション」 これって、言葉の逆輸入だけど、仕事につかえるなぁ。(笑)
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2012年05月14日(月) ■ |
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ビックカメラ、コジマ買収 |
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旅行中の出来事で、ゆっくり記事を読まなかったが 「ビックカメラ(が)、コジマ(を)買収した」らしい。 新聞により見出しが違っていたので、新聞名は不明だけど、 見出しでも、どちらかに助詞を入れて欲しかった。 「ビックカメラ、コジマ買収」 他紙はたしか「ビック、コジマを買収」とか 「ビックカメラ、コジマと提携」等、付いていた。 どうしてこんなこと、と思うかもしれないが、 場合によっては「ビックカメラ(を)、コジマ(が)買収」とも 読めるのだから。(汗) インパクトのある見出しでも、意味が通じなくては意味がない。 以前「ヤクルト若手2人が結婚!」の見出しに これでは「男同士の結婚」ともとれる、と注文を付けたけど、 ネットのトピックスの見出しは、今も変わらない。 わざと曖昧にして、ヒットさせるのが目的なら仕方ないけど、 単なる省略なら、最低限、意味がわかる見出しを期待したい。
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2012年05月13日(日) ■ |
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「500キロ、お疲れ様でした」「お役に立てて嬉しいです」 |
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2泊3日の信州旅行を終え、明日からまたいつもの生活が始まる。 そんなことを思いながら起床し、私が一番最初にしたことは、 なんと愛車の洗車だった。 出かける前に「長距離だけどよろしく頼むよ」と願いをこめて、 時間をかけて、洗車・ワックスを丁寧にしたけれど、 一夜明けたら、もう一度、彼(彼女?)に話しかけたくなった。 その一言が「500キロ、お疲れ様でした」 不思議なもので、清掃中に「お役に立てて嬉しいです」 そんな言葉が返ってきた気がする。 徒歩通勤だし、そんな車、必要ないんじゃない?という声を耳にするが、 私にとって、愛車・クラウンは、単なる輸送手段ではなく、 数年前、突然の追突から、私たちの命を守ってくれた車であるし、 これからも、大切に乗っていこうと思う。 最近、覚えた「モノとの対話」、大切にすると喜んでくれるのは 人間だけでないことを知って、生き方が少し変わってきたかも。 「たまには、私を忘れず、一緒に遊んでくださいよ」愛車が隣で呟いた。
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2012年05月12日(土) ■ |
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知らない人にも挨拶をしなさい |
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旅行先とはいえ日課であるし、車での移動は、距離は伸びても、 万歩計のデジタル表示は、プラスされていかないから、 早朝を始め、機会を見つけては、1日1万歩を目標に歩いた。 さて、今回の一言は、私が想像した、長野県の教育の基本。 「知らない人にも挨拶をしなさい」(笑) 独りで歩いていて、思わず笑みがこぼれてしまったのは、 すれ違う人たちが、見ず知らずの私に「おはようございます」と 声を掛けていくことだった。 「老若男女」と言っても過言ではないくらい多くの人が、 気さくに、とても自然に、挨拶が交わされている。 一番驚いたのは、自転車に乗った高校生の男子たち。 本当に私にしたのかな?と疑いたくなるほど大きな声で朝から。 最近では、全国で発生している凶悪犯罪を受けて、学校側が 「知らない人には挨拶をしてはいけません」と指導するというのに、 ここ長野県では、そんなことは皆無に等しい、のかもしれない。 正直、清々しい気持ちで朝食を迎えることが出来た。 「知らない人にも挨拶をしなさい」・・やっぱり教育の基本だなぁ。
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2012年05月11日(金) ■ |
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今日はなんて運がいいんだろう |
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信州・松本を拠点に楽しんだ2泊3日の家族旅行。 この道中、私が何度も口にしたフレーズ。 「今日はなんて運がいいんだろう」 もちろん、絵本作家・宮西達也先輩の絵本のタイトル 「きょうはなんてうんがいいんだろう」そのまま(笑)。 全国的に天候が不順だったわりに、雨に降られたのは、 移動途中の車の中だけだったので、ハンドルを握りながら、 その度に「今日はなんて運がいいんだろう」。 もしかしたら混んでて見られないかも、と思っていた 「工芸の五月」というイベントの数々も見られたし、 満車に近い駐車場も、なぜか1台分だけ空いていたり・・。 楽しみにしていた早朝散策も、寝坊することもなく 「松本城」を中心に、おいしい空気の中、歩き回った。 さらに、心配していた、行き帰りの道路も大きな渋滞はなく、 開通したばかりの「新東名高速道路」まで利用しながら、 約3時間半の運転、1度も睡魔に襲われることはなかった。 「今日はなんて運がいいんだろう」 このフレーズ、1日の終わりに、布団の中で呟くのではなく、 何かを始める前に、みんなの前で口にすることをお薦めしたい。 旅行中だけでなく、明日からも口にしようっと。(朝から・・)
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2012年05月10日(木) ■ |
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よかった・・墓参りが出来て・・ |
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全国の研修会で知り合った地方公務員(信州)の先輩が、 約1年半前の2010年12月9日、不治の病でこの世を去った。 その前に、何度か電話をいただいたにもかかわらず、 初めての課長職で、スムーズな議会対応が出来ずに イライラしていたのか、そっけない会話をしてしまった。 その時、ガラガラ声で「よかった・・声が聞けて・・」と呟く 彼の台詞がしばらく耳から離れなかった。 そのことが気になっていたので、議会が終わったら見舞いにいく、と 伝えるつもりで電話をかけたら、なんと、彼のお通夜の日だった。 「悔やんでも悔やみきれない」、当時、そんな日記を書いている。 その後、翌春には妻が脳梗塞になったり、冬には愛犬が他界したりと、 私の気持ちは晴れず、落ち込むばかりであった。 たがらこそ今年の春(GW明け)は、是非ともお墓参りをしようと思い、 妻のリハビリも兼ね、娘にも声を掛けて、松本方面へ小旅行を計画した。 2人にもその想いを伝えて、墓参り優先のスケジュールを組みながら、 独りで先輩の墓前に座ったら、感謝の言葉しか浮かばなかった。 手を合わせ、最後に口に出たのは「よかった・・墓参りが出来て・・」 上手く表現できないが、少しずつ気持ちが楽になるのがわかった。
P.S. 2泊3日の信州家族旅行、ただいま(12日)帰宅。先輩のお陰です。(涙)
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2012年05月09日(水) ■ |
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「男は仕事」から「男も仕事と家庭」へ |
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昨日「男女共同参画社会」の会議に出席して、 あっ、そうだったのか、と今頃になって気付いたことがある。 昔は「男は仕事、女は家庭」と言われていたのに、 女性が労働力として社会進出するようになって、 いつしか「男は仕事、女は仕事と家庭」となった頃から、 「男女共同参画」が叫ばれるようになった気がする。 当時、女性が男性並みに仕事をして活躍できる場を求めたから、 「区別だ、差別だ」と大騒ぎして、分かりにくくなった。 私は以前から、このスペースでも何度か書いているが、 男女共同参画は「女性教育」ではなくて「男性教育」であり、 昔の「男は仕事、女は家庭」に戻ることではなく、 現在の「男は仕事、女は仕事と家庭」から、一歩進んで 「男も仕事と家庭、女も仕事と家庭」を実現する社会だと思う。 男性がもう少し家庭(家事・育児)に理解を示して、(耳が痛い・・) 休暇の日は、家庭の仕事をする時間が少しでも増えれば、 こんなに国を挙げて「意識改革」を推進する必要はないのに。 もちろん、それだけが「男女共同参画社会」ではないけれど、 私なりの理解として「男は仕事」から「男も仕事と家庭」へ 生活をシフトすることが、今の社会には大事、と考えている。 中年の男性が残業せず早く帰宅する、その副産物として、 夫婦の会話と、若者の仕事が増えるかもしれないしなぁ。(汗)
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2012年05月08日(火) ■ |
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あれっ? 比較データがまた「スウェーデン」 |
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久しぶりに静岡市で県主催の会議が2つ。 それも、午前・午後と違う分野の会議とあって大忙しだった。 「男女共同参画施策市町担当課長会議」と 「市町教育委員会生涯学習・社会教育関係主管課長会・研修会」 どちらも講演があり、それぞれ真剣にメモり整理をしたら、 面白いことに気がついた。 そこで今回の一言は、私の驚きであり発見を言葉にしてみた。 「あれっ? 比較データがまた『スウェーデン』」 若い頃、私が講演で耳にした世界との比較データは、 アメリカを始め、イギリス・フランス・ドイツなどのヨーロッパや 韓国、中国、ロシアなどであったはずなのに、今や、世界の流れや 我が国との比較に「スウェーデン」をはじめ、北欧諸国のデータが 利用されている。 統計なんて、どうせ自分に都合の良いデータを利用し編集するもの、 と割り切っても、基本的に疑り深く、へそ曲がりの私は、 どうして以前の国々と比較しないのか、と考えてしまった。 日本がスウェーデンのような国を目指しているならば当然だが、 アメリカやヨーロッパなど先進国の生活水準を目指しているのなら、 このデータ比較は、あまり意味がない気がするのは私だけだろうか。 (静岡市で飲んで帰って来たので、辛口ですが、ごめんなさい(汗))
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2012年05月07日(月) ■ |
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「聞こえる?」「聞いてる?」「聞いて!」 |
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映画「ドリームガールズ」(ビル・コンドン監督)から。 アメリカ・ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルの映画化。 華やかなショービジネス界のサクセスストーリーと その裏にある確執や裏切り、挫折といった様々な人間ドラマ、 そんな作品紹介がピッタリの作品だった。 「コーラスライン」や「バーレスク」と、ひと味違った感覚だが、 どの作品も、そこに人間の生き様が描かれている共通点がある。 今回、ずっと傍にいながら、本当の自分を理解してくれない・・、 と嘆くシーンが場面設定は違えど、何度か繰り返される。 それも「リッスン」というテーマ曲を始め、素敵な音楽に合わせて 彼ら、彼女らの心の叫びが伝わってくる。 「リッスン」(Listen)は「聞く」と訳される英単語の1つだけれど、 「聞こえる?」「聞いてる?」「聞いて!」 その和訳は、その時の感情に合わせて、使い分けられている。 外国人は、音のトーンや強弱、前後のフレーズによって、 その意味を理解しているんだなぁ、と納得した。 「自分の存在に気付いて欲しい」という人間本来の性を うまく表現した作品、そんなことを感じさせるメモが溢れた。 字幕の訳は「聞いて」だったが、本当は「聴いて」なんだろうな。
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2012年05月06日(日) ■ |
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今日は楽しかったね |
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最近、週末を妻と過ごすことが増えた。 約1年ほど前に、彼女が軽い?脳梗塞を起こしてから、 なるべく傍にいようと心がけているが、 週末はイベントが多く、どうしても出かけることが多い。 しかし、GWの週末、ずっと一緒に時間を過ごしていたら、 夕飯の時に、ニコニコしながら呟いた。 「今日は楽しかったね」 そうか、私はこのフレーズが聞きたかったんだ、と気付いた。 もう30年近く夫婦だし、見返りを期待しているわけではないから、 周りからみれば、ありふれた台詞なのかもしれないが、 なぜか、この台詞は私を喜ばせてくれた。 玄関を季節の花で飾ってくれた妻に「きれいだね」と言ったり、 食事の後に「ごちそうさま。おいしかったよ」というのと同じかな。 単純な言葉だけれど、お互い口にしないとわからないから・・。 また「今日は楽しかったね」と言われることをしたいな。
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2012年05月05日(土) ■ |
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「マモル」を守ろう |
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短いフレーズで、最近の事件・事故を表現できないか、と 探していたら、ある教育関係者から、こんなフレーズを聞いた。 「『マモル』を守ろう」 以前、私が夢中になって観続けたお気に入りのテレビ番組 「マルモのおきて」の話ではない。 「マモル」とは、3つの単語の頭文字。 「マ」は「マナー(manner) 態度。礼儀。礼儀作法。」 「モ」は「モラル(moral)」 道徳。倫理。」 「ル」は「ルール(rule) 規則。規定。きまり。」 どれも、今の時代、ちょっと首を傾げたくなるようなことばかり。 逆に、私たちが受けた教育は、こんなことが中心だった気がする。 教育の基本は「マモルを守る」ことだったし、 それが守れない時は、容赦なく鉄拳が用意されていた。 社会に出ても、この「マモルを守る」ことは、人間の大人として、 必要なことだと理解している。(時々、破ってしまうが・・(汗)) あれっ、もしかしたら「マルモのおきて」って、そんな意味があった? 私の深読みかもしれないけれど、そうだったら嬉しいなぁ。
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2012年05月04日(金) ■ |
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だが、本当は選手でなく「勝利」を買うべきだ。 |
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映画「マネーボール」(ベネット・ミラー監督)から。 野球好きにはたまらない台詞が多かった気がする。 その中でも一番印象に残っているのは、このフレーズ。 「野球で何を把握すべきか、誤解している人が多すぎる。 メジャーリーグを運営する人たちが、選手やチームを理解していない。 球団の人々は、金で選手を買おうと思っている」と現状を語った後、 「だが、本当は選手でなく『勝利』を買うべきだ」と力説するシーン。 「勝利」のために「打率」ではなく「出塁率」の高い選手を集める、 その簡潔な説明に、なるほど・・と唸ってしまった。 打者にとって名誉なタイトルはどうしても「首位打者」となるが、 実際の試合では、この作品の中でも交わされる 「四球か、ヒットか、関係あるか?」という問い掛けのように、 「どんなことをしても、塁に出ろ」と言われることが多い。 それは「デッドボール」でも「振り逃げ」でも構わないから、 「出塁しろ」という命令であり、ヒットを打てという指示ではない。 日本でも、アメリカでも、財力にモノを言わせて選手を集めるチームが、 なかなか優勝できない、と騒がれるが、この理論を当てはめれば、 「勝利」を買わずに「選手」を買っている間は、優勝出来ないことになる。 私の中で、意外と曖昧な位置づけであった、 球団における「GM」(ゼネラルマネージャー)という役割も理解できたし、 「最初に何かを成す者は叩かれる、常にだ。」の台詞に勇気づけられた。 しかしながら、どんなに素晴らしい成績(歴史に残る20連勝)しても、 「最後に勝たなければ、何の意味もない」ことを教えてくれた。 やっぱり「野球の奥の深さには、常に驚かされる。」がテーマだろうか。
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2012年05月03日(木) ■ |
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神のはからい |
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昨日紹介した書籍「宇宙に上手にお願いする法」を読み終え、 以前、知人に教えていただいた詩が、突然、蘇ってきた。 (ニューヨーク州立大学病院の壁に残されていたある患者の詩) タイトルは「神のはからい」 「大きな事を為し遂げるために 『力』を与えてほしいと 神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと『弱さ』を授かった。 より偉大なことができるようにと『健康』を求めたのに より良きことができるようにと『病弱さ』を与えられた。 幸せになろうとして『富』を求めたのに 賢明であるようにと『貧困』を授かった。 世の人の賞賛を得ようとして『成功』を求めたのに 得意にならないようにと『失敗』を授かった。 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず 心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた。 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されていたのだ」 (以上) 何度読んでも、涙腺が緩んでしまう詩の1つである。 表現・形は違えども「神」は願いを叶えてくれることを信じたい。
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2012年05月02日(水) ■ |
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奇跡は起こるものではなく、信じるものだ |
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書籍「宇宙に上手にお願いする法」 (ピエール・フランク著・中村智子訳・サンマーク出版刊・206頁) ただタイトルにつられて、図書館で借りて読みきったが、 意外と面白かった・・というのが、読後の感想である。 私たちの願いを叶えてくれる「宇宙」とは、 「巨大な通信販売会社」という発想が新鮮だったし、 「宇宙にとって、願いの大きさは関係ない」というのも理解できた。 また「お願いの仕方」さえ間違えなければ、 必ず、願いは叶えられると言い切った作者が眩しかった。 「願いは、ほとんどいつでも絶対にありえないと思われる方法で 叶えられるから、ただ心の準備をして待っていればいいのです」 というフレーズは、妙に説得力があった。 「私たちが願いが叶うとよく口にする『奇跡が起こった』というのも 急にたくさんの『偶然』が人生の中に起こるから、とても驚く」 しかし、それは神が叶えてくれた「私たちの願い」だと気付くと、 「奇跡は起こるものではなく、信じるものだ」と理解できるらしい。 私も、まだその域まで達成していないけれど、 神様が形を変えて、願いを叶えてくれることは、知っている。 それに気付く感性を磨くことが、心を安定させることも・・。 エピローグに書かれていた「幸せは、心の安定であり、 実際に経験する出来事とは、ほとんど関係がありません」が、 これからの生活を充実したものにしてくれると確信した。
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2012年05月01日(火) ■ |
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今度、○○の映画を観て「気になる一言」書いて |
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気のおけない、ある読者からのメールが届いた。 「最近、映画の話、多くないかい?」 私の返信は、ちょっぴり言い訳っぽく 「そうなんだよ、だけど、話題は全部違うんだけどなぁ」。 自分でも、1日おきに「出典が映画」は気になっていたけど、 それだけ映画は観ているし、面白い台詞が多いってことも事実。 その気付きは、生き方、恋愛、家族、仕事等、活かせる場面が違うから、 それはそれでいい、と自分で納得している。 以前、出典先が重ならないように「月曜日は書籍からの引用」とか 「火曜日は講演会からの引用」と工夫してみたり、 「水曜日は恋愛・エッチネタ」とか「木曜日は仕事ネタ」等、 話題別に変えてみたこともある。 しかし、そんな書き方こそ、読者を意識しすぎて、 あとから思い出せるような「気になる一言」が書けていない。 さらに、これからも長く書き続けるためには、 無理をしてはいけないことを、私は体験から知っている。 「ごめんね。たぶん、これからも映画のネタ多いと思う」と返信したら、 「わかってるよ。今度、○○の映画を観て『気になる一言』書いて」と リクエストがあった。こんなメールは大歓迎である。 ただし、ホラーや殺し合うシーンの多い映画はお断りします、 こう見えても、気が弱いんだよ、目をつぶってしまうので・・。
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