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2012年03月31日(土)
大切な「魚の目」の視点

3月31日が土曜日とあって、実質は3月30日が年度の終わり。
昨日は、退職・離職の送別会があちこちで催された。
30年以上、いや人によっては40年以上務めた先輩方の言葉は
やはり重みがあるなぁ、と妙に感心させられてしまった。
気になる一言は、ある送別会でのワンシーン、
人間に(仕事に)必要な(大切にしたい)3つの目を教えていただいた。
「鳥の目・虫の目・魚の目」とリズムがよいので、覚えやすい。
「鳥の目」は、大所高所から物事を眺める視点であるから、
管理職になってから、全体像をイメージすることの大切さを覚え、
特に意識している目なのでわかりやすい。
「虫の目」は、地面から眺めた、低い位置からの視点。
それは、忘れがちな住民目線であったり、机に座っているだけでは
決して届かない、現場・最前線の声なのだ、と意識している。
しかし「魚の目」は、はじめどんな視点なのかもわからず、
「魚眼」という言葉から、カメラの魚眼レンズをイメージし、
超広角の視点だろう、と考えたが、それでは「俯瞰的な視点」で
「鳥の目」と変わらないなぁ、と悩んでいたら、
「潮の流れ(全体の流れ)」を意味することだと教えていただいた。
ただ闇雲に、2つの目を持ち、突っ走るのではなく、
常に「潮流」を意識し、今、時代は、どの方向へ流れているのか、
それを敏感に読み取り、的確に対応していく能力が求められている。
そんな意味に理解して、しっかり胸に刻んで帰宅した。
もしかしたら、一番大切な目は「魚の目」なのかもしれない。
さすが、年の功。(笑) 勉強になりました、はい。



2012年03月30日(金)
セックスをする相手はいるのか?

映画「ソーシャル・ネットワーク」(デビッド・フィンチャー監督)から。
冒頭「話が飛んでついていけない」という台詞をメモしたほど、
テンポよくストーリーが展開する。
フェイスブックが、これほど普及したポイントがいくつかわかった。
「友達の情報がみられるサイトを作ろう」が発端であり、
「大学の社交(ソーシャル)の全てをネットに持ち込むんだ」と意気込む。
「交際ステータス、興味あること、セックスをする相手はいるのか?
みんなが何より知りたい情報だ」と語り、
「その情報の中心が『ザ・フェイスブック』なんだ」と根底に流れている
考え方がわかったのは、とても有意義であった。
また「シンプルで、派手でも下品でもない」サイトのデザインに、
「サイトに商品広告はダサイ」「広告はクールじゃない」と言い切る。
こうした視点で、自分も参加しているフェイスブックを眺めてみたら、
確かに、私の社交(ソーシャル)の部分が、浮かび上がっていた。
ただ「セックスをする相手はいるのか?」って情報は、
今の大学生には知りたい情報かもしれないけれど、大人の私たちには
どうでもいい情報である気がしている。
まぁ、ビデオテープもインターネットも「アダルト」がなければ、
こんなに普及しなかっただろう、という人もいるから、
なんでも爆発的に広がる時は、こうした「エッチネタ」は大切な要素、
そう思って、気になる一言に採り上げた。いかがだろうか?

P.S
「『ザ』」を取れ」というアドバイスが、ターニングポイントかな。
「ザ・フェイスブック」と「フェイスブック」、シンプルさは明らかだ。



2012年03月29日(木)
歩けばわかる。やさしくなれる。

映画「転々」(三木聡監督)から。
久しぶりに、私の感性にはまって、クスッと笑い続けた作品である。
ストーリーは、俳優・オダギリジョーさんと三浦友和さんが、
あるきっかけで、都内を歩くという単純なものなのだが、
「歩くことで気付くこと」が盛り沢山。
街中に溢れている「変な名前の店名」(「時効」という「スナック」とか
「正確時計店」という時計店、「アワヤマンション」というマンション等)
また「喫茶」と書かれた暖簾がかかっている
「愛玉子」(オーギョーチイ)という食べ物が自慢の食堂など、
街には、よく分からないけれど、思わず「クスっ」と笑ってしまう
そんな風景が溢れている。まさしく「トリビア満載」である。
気になる一言は、溢れたメモから選択が難しく、
予告編で流れた「歩けばわかる。やさしくなれる。」という
キャッチコピーを採用した。
エンドロールで流れた、岸部一徳役の「岸部一徳」という文字にも
観た人は忘れることが出来ない可笑しさが、詰まっていたし、
「あはは」ではない「クスっ」という感覚、とにかく一度、観て欲しい。



2012年03月28日(水)
乾杯の練習しよう

送別会、歓迎会・・いろいろな理由をつけて、
飲む機会が、非常に増える時期であるけれど、
アルコール大好き人間には、全員が集まるまで、
我慢できない人間が多いことに気がついた。
以前は、全員揃うまでは口にしなかったビールも、
今では、言い訳を考えながら、飲んでしまうこともある。
「宴会」のあとに行くのは「2次会」、
言い換えれば、宴会そのものは「1次会」だから、
それに習って「宴会」の前に飲んじゃうのは「0次会」。
「いいんですか、まだ揃ってませんよ」なんて言っても、
「いいよ、いいよ、これ0次会だから」と飲み始める。
まぁ、どんな理由であれ、飲めればいいらしい。(笑)
先日、耳にした理由は「乾杯の練習しよう」。
その練習が、1回だけでなく、何回も続き、
予定されていた開始時刻には、もうベロベロ状態。
一応、後ろめたいのか、料理には手をつけないから、
空きっ腹に、連続の「乾杯」(の練習)。
飲めない人にとっては、この光景、この言い訳。
呆れているんだろうなぁ、きっと。



2012年03月27日(火)
美しい景観が健康を生む

伊豆の話をしていた時の話だったかなぁ、
私がフッと思い出した、フレーズである。
情報源は、地元新聞の特集記事。(だったと思う)
「健康ブーム」を受け、歩く人たちが増えたはずなのに、
「健康」な人たちが増えて医療費が減った、という話は、
耳にしないので、気になっていた。
そのヒントが、このフレーズである。
「美しい景観が健康を生む」
これって、とってもわかりやすい、とメモをした。
どんなに、ジョギングやウォーキングをする人が増えても、
そのコースが、ゴミだらけだったら、気持ちがよくない。
もちろん、排気ガスいっぱいの道路では、体にも悪い。
たしかに、運動することで筋肉は付くかもしれないが、
こころの健康までは、到底、無理である。
ストレスの感じないコース整備が、何よりも大切であろう。
例えば、富士山を見ながら、木々の中を歩く。
目に優しい緑と美味しい空気が、心と体の栄養源だ。
そんな発想、そんな視点で、健康を考えてみると、
自然が作り出す「美しい景観」こそ、健康に直結している。
きっと、脳に心地よい風景が、健康を作るに違いない。
なんとか試してみたい。



2012年03月26日(月)
突き止めるのが、焦眉の急だとわかっていた

先日読んだ書籍「13階段」に、こんなフレーズがある。
「突き止めるのが、焦眉の急だとわかっていた」
時々耳にするけれど、しっかり意味を理解していないかも、と
辞書を引いてみた。「焦眉(しょうび)」とは、
「(火が眉を焦がすほどに迫るの意)危険が迫ること、燃眉。
焦眉の問題、焦眉の急、などと使う。」
今まで急ぎの案件は「プライオリティ」とか「最優先」「至急」
なんて言葉を使っていたけれど、こっちの方が、ちょっとカッコいいな、
なんて思ってみたりして。(汗)
なんだか、とっても危険が迫っている感じがするから。
ただし、本当に眉を焦がしてしまっては手遅れとなるので、
その寸前のところで対処しないと、
問題はさらに大きくなってしまうから、
気をつけないといけないな、とも思っている。
「焦眉の問題」にならないようにするのが一番なんだよなぁ。



2012年03月25日(日)
ボロをまとったマリリン・モンロー

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」(瀧本智行監督)から。
小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ直前に訪れた「NASA」の関係者が、
宇宙のはるか彼方へと送り出す「追跡管制室」をこう例えた。
「ここはボロをまとったマリリン・モンローだ」と。
NASAの管制室と比べると、月とスッポンほどの差があるが、
大切なのは、ロケットの完成度であり、スタッフの技術力だと、
皮肉ながらも、私は彼らの「嫉妬」とも受け止めることができた。
要は「外見ではなく、中身だ」・・そう言う意味で使われたと思う。
下町の工場は、小説「下町ロケット」(池井戸純著)を彷彿させるし、
宇宙のトラブルは映画「アポロ13」(ロン・ハワード監督)を思い出した。
しかし本当の意味の「ボロをまとったマリリン・モンロー」は、
管制室ではなく、小惑星探査機「はやぶさ」ではないだろうか。
宇宙を旅している時の姿は美しいし、度重なるトラブル・アクシデントも
多くの人の協力で、なんとか乗り切っていく。
最後は、美しい地球の姿を撮影して、大気圏で燃え尽きちゃったけれど、
波瀾万丈の人生を送って燃え尽きた「マリリン・モンロー」に例えても、
けっして誇大な表現ではない快挙には違いないのだから。
「燃え尽きたか・・」の関係者の台詞に、辻井伸行さんの音楽が重なり、
「はやぶさ」に感情移入して、涙腺が緩んだ私がいた。
この作品の主役は、やっぱり「はやぶさ」だな、
人間の私からみても、この小惑星探査機はカッコ良かったから。



2012年03月24日(土)
「強請る」の読みは3種類

本を読むと、当て字というか、ルビがふられていて
へぇ〜、そう読むのか・・と思う漢字に出くわすことがある。
最近、ミステリーとか、サスペンス作品が多いためか、
「強請る」という単語が目につくのだが、
ある作品では「ゆする」、また違う作品では「ねだる」とルビ。
テストでは、どちらを書いても正解なんだな、と
くだらないことを考えていたら、
ネットでは「たかる」も「強請る」と書くらしいことを知った。
ということは「強請る」と書いて、
「ゆする」「ねだる」「たかる」と読んでもいいことになる。
同じような意味なんだろうけれど、ちょっと違う気もするし、
外人には、日本語が難しいわけだ・・日本人でも難しいのだから。
「惚れる(ほれる)」と「惚ける(ぼける)」が似ているなんて、
書いていた頃が懐かしい。(笑)
叉、飲み会のネタが増えたなぁ。



2012年03月23日(金)
ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった

映画「にあんちゃん」(今村昌平監督)から。
「この映画は・・4人の兄弟の記録である」というナレーション。
冒頭で「えっ、どんな映画なのか説明しちゃうの?」と戸惑ったが、
却って、最近にはない展開で、新鮮だった。
作品中、台詞よりも、兄ちゃん(長男)役の「長門裕之」さんが、
サザンの桑田にそっくりで、そればかり気になってしまった。(笑)
今回の主役は、四人兄弟(2男2女)の3番目。
どうして、この子が主役なんだろう、と疑問に思ったが、
ある番組で、今村監督のコメントを耳にして、納得してしまった。
「ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった」
今の子どもたちと比べれば、十分、逞しい昔の子どもなのだが、
その中でも特に、父母のいない4人兄弟の次男が、
貧しくてもファイトをもって生きる姿が、描かれている。
時には、海や川に飛び込み、その水さえ飲んでしまうほどの丈夫さ、
大人の嫌らしいイヤミを、さらっと受け流す処世術、
「東京に行ってだめなら、それまでじゃ」という割り切り方。
どれをとっても「生きる力」を感じさせるシーンだったと思う。
最後に「にあんちゃん」(たぶん二番目の兄さんの意味)が決意する。
「とうちゃんも、にいちゃんも、貧乏のためにできなかったことを、
僕がやってみせる。今に、きっと!!」と。
そう言えば、最近「ファィとのある子ども」って少なくなったなぁ。
今村監督の想い、私には充分伝わりましたよ、はい。



2012年03月22日(木)
「よく時間がありますね」「うん、ほとんどテレビ観ないから」

飲んで帰ってきたら「気になる一言」の読者からメールが届いていた。
最近、読み始めてくれたらしいのだが・・
話題が、映画や書籍、コンサートや講演会からの情報が多いので、
きっと数年前から書き貯めておいたもの、と思っていたらしい。
メールの冒頭で「楽しく拝見していますが」と前置きをして、
「(それにしても)よく時間がありますね」と続いていた。
以前にも同じような質問を受けたが、私の場合、
一緒に行動している人は承知だろうが、その日又は翌日の話題が多い。
料理と同じで、ネタは新鮮の方がいいだろうから、書き貯めないし、
時間は、まだまだ余裕がある。
その理由は「ほとんど、テレビを観ないから」。
逆に言うと、今までどれだけ「テレビ鑑賞」に時間を費やしてきたか、
自分でも笑ってしまうほどである。
決して、テレビを否定しているわけではないが、
その時間のほんの少しでも、映画や読書に振り替えるだけでいい。
映画もコンサートも講演会も、ほとんど1時間半から2時間だから、
具体的には、約2時間、テレビから離れてみて欲しい。
きっと、新しいことに挑戦できる時間が手に入るはずだから。

P.S.
と言いつつ、試してくれる人、なかなかいないんだよなぁ。(笑)



2012年03月21日(水)
(春)「牡丹餅」(夏)「夜船」(秋)「お萩」(冬)「北窓」

お彼岸の日、当然のように墓参りに出かけたが、
母が「おはぎをいただいたから、食べてよ」と言うので、
「えっ、ぼたもちじゃないの?」と私。
当然、好奇心旺盛の私は、帰宅後調べてみたのだが、
基本的に同じで、食べる時期が違うだけらしい。
春は「牡丹の季節、春のお彼岸に食べる」から「牡丹餅」、
秋は「萩の季節、秋のお彼岸に食べる」から「お萩」。
どちらも小豆の粒を、季節に咲く花に見立てたようだ。
調べていくうちに、夏も冬も呼び名があるという情報が・・。
この食べ物、餅つきをしないので「ペッタン」と音がしない。
お隣さんなどからするといつついたのか分からない。
そういうところから、搗(つ)き知らず→着き知らず、となり
夜は船がいつ着いたのか分からないことから「夜船」。
冬は「着き知らず」が「月知らず」となって、
月の見えないのは、北の窓だから「北窓」。
1つの食べ物に、季節ごとに「名前」があるなんて、
なんだか、のんびりしてて風情があって、いい時代だったなぁ、
なんてぼやいてみたりして。(汗)
お酒も好きだけど、甘いものも好きの私。
明日の脳ドックが終わったら、どちらから口にしようかな。



2012年03月20日(火)
ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり

映画「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ監督)から。
戦争の悲惨さを伝えたい、監督の想いは伝わってきた。
しかし今、観直すと違った視点が、この作品にはあった。(汗)
ロシア・ウクライナ地方というと「チェルノブイリ」が浮かぶし、
たぶん場面からすると、工場なんだろうけれど、
アメリカ・スリーマイル島原発の形をした建物が風景にあり、
さらに、放射能を吸収しやすいからと、東北地方でも
「ひまわり」を植える活動があるから、その関連性に驚いた。
まるで「原発事故とひまわり」を「予知」してたように・・。
ところで、作品自体は重厚な映画音楽に支えられ、
シンプルながら、鑑賞後、余韻を楽しめる作品と言えそうだ。
「ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり」の下には、
「ドイツ軍の命令で、穴まで掘らされて
イタリア兵やロシア人捕虜が埋まっています。
そして無数のロシア農民も、老人、女、子どもまで。」
きっと反戦テーマの作品としても、評価が高いだろう。
チャイコフスキーの曲を感じさせる作品でもあった。

P.S
個人的には「卵24個使ったオムレツ」が食べてみたい。



2012年03月19日(月)
本音と建前を使い分ける民族の陰湿さ

書籍「13階段」(高野和明著・講談社・350頁)から。
タイトルだけで、死刑の「13階段」を想像した。
しかしながら、読み進めると「死刑執行起案書は、
5つの部署13名の官僚の決裁を受けることになっていた」
「死刑判決の言い渡しから執行まで、
どれくらい手続きがあるのかを数えてみた。
すると、それは13あった」・・なるほど「13階段」か。
さて気になったフレーズは、日本民族の特徴を表現している。
(死刑制度に関する国民アンケート結果をみても)
「日本人はな、悪人を死刑にしようと心の中では思いながら、
それを口にする人間を白い目で見るんだ」と言いながら、
「本音と建前を使い分ける民族の陰湿さだよ」と続けた。
「テレビなんかみてても、死刑反対の人しか出てこないですもんね」
たしかに「死刑賛成」と声高に堂々と主張する人は、
テレビではお目にかかったことはない。
あの人は、冷酷な人だ・・と言われるのを避けている。
その理由こそ「日本民族の陰湿さ」だと指摘され、頷いた。
それは、凶悪犯罪の被害者に対しても、同じことが言えるらしい。
「この国では、凶悪犯罪の被害者になった途端、
社会全体が加害者に変わるんです。
そして、どれだけ被害者をいじめても、誰も謝罪しないし、
責任もとりません」という被害者家族の言葉が、胸に染みた。
仲間だと思えば敵だったり、応援してるかと思えば足を引張ったり、
とかくこの世は、住みにくい。(笑)
この「日本民族の陰湿さ」を意識して発言することの意味を
問題発言ですぐ更迭される政治家は、知っておくべきだろう。



2012年03月18日(日)
すべて子どもたちの将来のためです

映画「麒麟の翼 劇場版・新参者」(土井裕泰監督)から。
観終わって、帰宅後に劇場内で書き留めたメモを整理していたら、
「あっ、そうか」と、今更ながら気付いたことがある。
どうしても「謎解き」「犯人探し」に夢中になってしまいがちな
ミステリー作品の中から、原作者が伝えたいことを探すことも、
映画鑑賞や読書の楽しみ方の1つとなっている。
今回は、劇団ひとりさんが演じる「中学校水泳部の先生」が発した
「すべて子どもたちの将来のためです」
子どもたちがある事件を起こす、しかし彼らの将来を考え事実を隠す。
受験前の中学3年生に対して、よく使われる美談のようだが、
この行為こそ、彼らに「悪いことをしても隠せばいい」という
メッセージを刷り込むことになる、と忠告している。
阿部寛さん扮する主人公の刑事・加賀恭一郎が、先生に問い掛け、呟く。
「数学の先生でしたよね。
子どもたちが正しい公式を学べるよう指導してあげてください」
この台詞が私のアンテナに引っ掛かってメモしておいたら、
その謎解きが、全体のメッセージへと拡大していった。
「すべて子どもたちの将来のためです」と先生、
「それで将来がどうなった?」と加賀刑事。
さらに「あんたが間違ったことを教えたから・・・」と詰め寄るシーン。
その間違った教えこそ、今回の事件につながった、そう言う意味で
「これがあんたの作った将来だ、あんたに人を教育する資格はない」と
言い切る言葉には力があった。
「間違ったことや悪いことをしたら、隠さない、逃げないで対処する、
それこそが『勇気』というものだ」と、「生きていくのに必要な公式」を、
先生は子どもたちに教えるべき、それが先生の役目だよ、と
私なりに解釈してみた。
今回の事件、影の犯人は、先生だったのかもしれないな。



2012年03月17日(土)
車がなければ生活できないなんて、街じゃない

書籍「震える牛」(相場英雄著・小学館刊・349頁)から。
牛海綿状脳症(BSE)を題材にしながらも、全国的に大手チェーン進出で、
「全国のどこも同じだ、街の顔がみえない」と呟くシーンが
印象的であった。
全国チェーンの進出が「街を壊している」とさえ言い切った。
私も同感であったので、関連フレーズをメモした。
「一見、便利なサービスはたくさんあるが、
それはインフラが整っている都会の話だ」にも頷いた。
「買い物袋を下げ、小型タクシーに乗り込んでいく姿が見える」と
その光景をリアルに表現した後、
「彼女は、典型的な買い物難民だよ」と吐き捨てた。
そして、気になる一言に選んだ、このフレーズが続く。
「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」
これは、インパクトがあった。
街には、乳幼児から高齢者まで、いろいろな年代が生きている。
特に「生活弱者」と呼ばれる高齢者が、生活に不自由しながら、
一所懸命、生きている姿は胸につまされる。
原因を調べていたら、これだ、という表現にぶつかった。
「2000年、通称、大店法が廃止されたことが、
地方都市を本格的に破壊し始めた」・・なるほどなぁ。



2012年03月16日(金)
創意工夫は無からつくること

前宮崎県知事・東国原英夫氏が、三島市で講演したようだ。
翌日の新聞で、その記事を読んだので、情報源は地元新聞。
記事によると、演題は「地域のピンチをチャンスに!」。
内容は、直接聴講したわけではないので触れられないが、
見出しは「創意工夫は無からつくること」と書かれた、
新聞の見出しが、私を喜ばせた。
「創意工夫は無からつくることをいう」と述べ、
官製談合事件で信用を失っていた宮崎県政を立て直した
エピソードを語ったらしい。
辞書によると「創意工夫」とは、
方法や手段などを新しく考え出すこと。
「創意」は他人のものまねでなく、新しく考えだすこと。
この、何にもないところから、作り出すことの楽しさを、
今の若者は、あまり知らない。
仕事も、前任者からの引継ぎで行うことが多いし、
何もないところから新しく作ることは、皆無に等しい。
マンネリ化したものを改善することは誰でもできるが、
何もないところから作り出すのは、苦労するようだ。
「何でもいいから作ってごらん」の台詞は、
「創意工夫」の機会が少ない若者には、苦手なようだ。
昔は、遊ぶゲームも、自分たちで作ったのになぁ。



2012年03月15日(木)
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ

映画「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督)から。
TOKIOの国分太一さん扮する落語家・今昔亭三つ葉は、
新作はやらず、古典落語しかやらないと決めている。
師匠には「数だけ増やしてどうすんだ、ばかが」と叱られるが、
それでも、古典落語を喋り続ける訳は、自信がつくような
「これだってのが、欲しいんです」が本心のようだ。
さて、最後にはある落語を自分のものにするのだが、
それを聴いていた師匠が、ぼそっと呟く。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ」
最後の「当たり外れは風まかせ」が粋だねぇ、とメモをした。
しかし、ネットで諺を調べると、不思議なことにぶつかった。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の意味、使い方に違いがある。
ある辞書には「下手な者でも何度も試みれば、
まぐれでうまくいくことがある」というたとえ。
類義では「下手な鍛冶屋も一度は名剣/下手の金的」など。
一方、「何事も根気よく続ければ、
そのうちにうまくいくものだということ」というたとえ。
使い方は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというから、
いつかは儲かることもあるだろう」となっている。
片方は「偶然・まぐれ・奇跡」のように捉えているが、
もう片方は「地道な努力、継続の大切さ」を伝えている。
この物語での使われ方は、後者だろうか。
私の理解は、前者だったから、ちょっと驚いたけれど、
あながち、間違いではない気がしている。
さて、あなたは、どちらだろうか。



2012年03月14日(水)
18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ

先日、三島に飲みに行った帰りの出来事である。
(ホワイトデーにこんな話題でごめんなさい(汗))
ある飲み屋街を歩いていたら、
客引きのお兄さんに呼び止められた。
「どうですか、よかったらちょっと寄って行きませんか?」
の意味を含んでいる台詞として
「おにいさん、いい娘(こ)入りましたよ」というのだろうが、
今回は、ちょっとインパクトがあった。
「18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ」
だからってそうですか、とお店に入っていく訳ではないが、
このフレーズで、入っていていく男がいるのかもしれない。
この「なりたて」という単語は、手垢の付いていない
新鮮な、フレッシュ感を感じさせるイメージがある。
「とりたて」「早摘み」などのキャッチコピーに引かれる
消費者と同じ感覚とも言えそうだ。
本音は、ちょっとだけだが「18歳になりたての娘(こ)」を
見てみたくなった。(薄暗い中ではなくて・・)
面白いものだよなぁ、人間って。
いやいや、面白いものだよなぁ、男って。



2012年03月13日(火)
盛りを過ぎても、見事に咲き誇る

映画「カレンダー・ガールズ」(ナイジェル・コール監督)から。
映画解説には「中年女性たちが自分たちのヌード写真を
カレンダーにして売り出し、大反響を巻き起こしたという
イギリスの実話をもとに描く人間ドラマ」とある。
白血病で亡くなった夫が、生前、女性たちの前で話そうと考えていた、
原稿の一節である。「ヨークシャーの花は、女性に似ている。
生長を重ねるたびに、その美しさを増していく。
盛りを過ぎても、見事に咲き誇る。あっという間に枯れていくが・・」
とジョークも交えながら、素晴らしい原稿の一節である。
彼女らは英国ヨークシャーの片田舎ネイブリーに住んでいる。
英国の中でも、壮大な自然が広がる有数の土地らしく
その野に咲く花は、女性に似ているというわけだ。
子育ても終わり、生き甲斐を探す女性、特に中年女性にとって、
後ろから押してくれる、応援フレーズになったに違いない。
「盛りを過ぎても、見事に咲き誇る」
何度か登場するフレーズなので、きっとこの作品の根底を流れる想い、
そんな気がして採り上げてみた。

P.S.
個人的には「女性連盟の目的は?」(日本では「婦人会」)の質問に対して、
「『自己啓発』と『娯楽』と『親睦』」と即答したシーンがあり、
妙に納得してメモをした。今度、挨拶で使わせてもらお〜っと。



2012年03月12日(月)
お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる

書籍「日本人・礼儀作法のしきたり」
(飯倉晴武監修・青春出版刊・188頁)から。
何気なくよった書店で目に付き買ってしまった本書、
へぇ〜と思うことや、そういえば・・と思い出すことばかり。
・「寸志」という表書きは、目下の者への謝礼に使う言葉。
・振袖は、長い袖を振って男性の気を引く着物。
だから、結婚したらもう袖を振る必要はないというわけ。
・「宴」とは「飲食をともにして、くつろいで楽しむ」という意味。
・気が利いた挨拶とは、お辞儀と言葉は、それぞれ心を込めること。
・箸は、食べ物を口に運ぶもの、器を運ぶものではない
・蓋付きは「冷めないうちにどうぞ」という意味が込められている。
そんな気付きオンパレードの中で、私が選んだのは
「丁寧な挨拶とは」という説明であった。
「お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる」
最近、大勢の人の前で挨拶をする機会に恵まれるが、焦るためか
どうしても、お辞儀をしながら、挨拶をしてしまっている。
この一呼吸の「間」を意識すると、丁寧な感じがするし、
自分も落ち着いて「さて・・」と話し始められるのかもしれない。
これこそ、経験で覚えるしかないなぁ。



2012年03月11日(日)
落語の演題の1つに「黙祷」を追加

3.11、午後2時46分、館内に「黙祷」の放送が流れた時、
ちょうど、ある場所で「落語」を聴いていた。(汗)
冒頭「お忙しい中、生活苦の中、よりによってこんな日に」と
「この日この時間帯に落語をすること」への話題に触れたし、
会場内の誰もが、東北の被災者のことを考えたはずである。
また自宅に戻ってから、家族とも3.11の話題に触れよう、
だから、今は落語を楽しもうと思っていた矢先「黙祷」の放送、
当然、それまで話していた落語も、中断を余儀なくされた。
落語ほど、仕切り直しのきかないものはないと思う。
予期せぬ中断を「どこまで話しましたっけ?」ととぼけてみせ
機転の利いた話術で、切り抜けてくれたが、
これは噺家に失礼だったな、とメモをした。
3.11は、日本人にとって忘れられない災害には変わりないが、
朝から晩まで流れるテレビでの特集や、復興支援のイベントには
私がへそ曲がりのためか、首をひねりたくなる。
3.11は、忘れてはいけない日であるが、記念日ではないのだから、
静かに、東北の友人の生活や心を気遣うだけでもいいと思う。
「黙祷」は「もし出来ましたら・・」と協力は求められたとして、
けっして「強制」されてするものではない、と考えている。
予定していた演題を終え、今日の落語を紹介しながら、
その演題の1つに「黙祷」を追加するあたりが、粋だったなぁ。
さて、書き終えたから、東北の友達にメールしてみようっと。



2012年03月10日(土)
一言で言うと、真面目すぎるね。もっと楽しく・・

「早稲田大学ハイソサエティオーケストラ」と
「慶応義塾大学ライトミュージックソサエティ」の
両大学ビックバンドのOB・OGを中心に結成され、
アラファイ(50歳前後)を中心とする世代で構成されている
「ハイライトオールスターズ」の演奏会がわが町で開催され、
ジャズの世界をゆっくり堪能させていただいた。
第2部として、地元の高校「沼津商業高等学校吹奏楽部」との
ジョイント演奏会が実現したが、彼らが高校生にアドバイスした。
「一言で言うと、真面目すぎるね。もっと楽しく・・」
もちろん、真面目が悪いという意味ではないけれど、
音楽は、本来、楽しいもの。もっと笑顔で、楽しんでごらんよ、
と言いたかったのだろう、と観客席から眺めていた。
そんな気持ちが高校生たちに伝わったのか、その後は顔だけでなく、
演奏する音までも、楽しそうに聴こえたから不思議である。
30年以上演奏している、おじさんおばさんたちの音に刺激されて、
彼らもまた、ひとつ成長した気がした。
「お互いにとってメリットがあるから、また一緒に・・」と続けた、
大人の余裕こそ、若い人たちが感じることのない感覚ではなかったか。
やはり、人は人によって育てられるんだな、ということを
目の前で見せつけられて、観客の私たちも温かい気持ちになった。
この、人の縁を繋ぐお手伝いこそ、私たち行政の仕事なんだな、きっと。



2012年03月09日(金)
おむすびに手をふれて良いご縁がむすばれますように

先日、他界した「杉山憲夫氏」の名前を、柿田川公園の一角、
「貴船神社」で見つけることができる。
「一対の狛犬と参道整備」に寄付をいただいたことは、
御友人の弔辞で紹介されたが、もっと素敵なものを寄進している。
実は、参道の途中、御影石で作られたおむすび(?)が、
ひときわ目立って、2個載っている造作物に出会うのだが、
その寄進者は「顧問 杉山憲夫」と記されている。
そして、その石碑に書かれている言葉が、
「おむすびに手をふれて良いご縁がむすばれますように」。
縁結びの神様でも有名な京都の「貴船神社」から御霊分けされた。
だから、男女の仲の縁結びなのだと、私は勘違いしていたが、
「政治は人のため」を信念にしてきた彼から考えると、
縁結びは、なにも「男女」に限らず「男同士」「女同士」も含め、
大きな視点で「人との出会い」「人との縁」を大切に、という
想いがあるのではないか、と思わずにはいられない。
最近、「縁」にとても興味がある。もちろん「緑」にも。
「縁」と「緑」、どちらも大切にしたいと思う。



2012年03月08日(木)
君はビッグになれない。

映画「ガリバー旅行記」(ロブ・レターマン監督)から。
作品の冒頭、会社のメール係として働いているシーン。
部下がたった1日で昇進し、自分の上司になって現れる。
そして、こういう。
「デートに誘えないのも、昇進できないのも、理由は1つ。
これが君の限界だからだ」と。
さらに「そのビッグマウスも時々なら面白いし、
ジョークも笑えるけど、それだけだ。君は口先だけ。
認めるべきだ。君はビッグになれない」と続く。
この台詞が、あとの物語の伏線となっているから面白い。
そう、ご存知、主人公がビッグになった訳ではなく、
周りが、小さくなったり、大きくなったり。
小人の国では「ちっぽけな彼が初めて大物扱いされる」(笑)
ラストシーン、現実に戻った彼が、メール係に呟く。
「この世に、小さな仕事はない、(仕事に大きい小さいの差はない)
ただし、ものすごくちっちゃな人間はいる」
しっかり、落ちのある台詞で、メモが終わった。
言葉の面白さが味わえる、冒険(パロディ)コメディである。



2012年03月07日(水)
エアコン・車・電子レンジ・冷蔵庫・パソコン

運転中にラジオから流れてきたので、メモが取れず
順位も曖昧だけれど・・・
今、生活になくては困るもの・・のベスト5。
(アンケートの対象さえも不明で、データとしては
利用できないかもしれないが・・・(汗))
う〜ん、私は原始人なのだろうか、あまり必要性を感じない。
「エアコン」は、年間通してほとんど利用しないし、
「車」も、通勤には使わないのでどうしても・・とは感じない。
「電子レンジ」は、妻は必需品なのかもしれないが、
基本的には「お酒」をお燗にする時、遣うだけ。
「冷蔵庫」も、食料保存には必要だけれど、
冷やすものは、近くのコンビニやスーパーに行けばいいし。
「パソコン」も、この「気になる一言」を書くとき以外、
あまり電源を入れないしなぁ。
(映画のDVD鑑賞の利用が一番多い気がする(笑))
では、私の場合、なくては困るものはなんだろう。
たぶん、何でも書き込んである「手帳」だろうな。



2012年03月06日(火)
「春一番」を「五感」で確認して欲しい

私の住む静岡県東部地域は、午前中のシトシト雨が上がり、
午後からは、雲が勢いよく流れ、一気に晴れた。
外は、予想以上に風が強いが、もうポカポカ陽気。
「これ、きっと春一番だね」なんて会話が聞こえてくる。
今の時点で気象庁からは、
今日の早朝の雷、そして突風が「春一番」という発表はない。
けれど、後日、インターネットや新聞の文字を見て、
「あぁ、やっぱり、あれが春一番だったんだ」と思うより、
外に出て、ポカポカの日差しと、妙に温かい気温、
そして、吹き飛ばされそうになるくらいの強い風を、
身体いっぱいの五感で確認して欲しい。
これが「春一番」ってものか・・と感じる好奇心こそ、
一年をいや人生を、歳時記と共に楽しむコツであるのだから。
「三寒四温」の四字熟語も「暑さ寒さも彼岸まで」の諺も、
知識として頭で覚えるより、知恵として身体で覚えたい。
きっと何年たっても、今日の日の出来事を、
春一番の日の出来事として、思い出されるに違いない。
今日が違っていたとしても、春はもうそこまで・・だな。



2012年03月05日(月)
学んだ知識を、行動に移しましょう。

映画「不都合な真実」(デイビス・グッゲンハイム監督)から。
キャストは、民主党クリントン政権下で米合衆国副大統領を務めた
アル・ゴア氏。
彼の温暖化に対する講演を中心に、作品が展開されていく。
自己紹介の「一瞬だけ大統領になった、アル・ゴアです。」が
聴講者の緊張をほぐし、リラックスして聞き入ることができた。
まるで、大学の講義を受けているようで、私のメモは溢れた。
この映画、アメリカで公開されるや、各都市で大ヒットを記録した
環境ドキュメンタリーであるが、日本では?の問いに、
記憶が定かではないくらい「地球温暖化」の話題は消えている。
今は、原発と3.11をはじめとした大きな地震が話題の中心であるが、
こういう間も、地峡温暖化は確実に進んでいることを、再認識した。
ストーリー後半、こんなフレーズが私の心を揺さぶった。
「地球という星に、私たちは住み続けられるのか?
未来の世代は、きっと自問するに違いない。
前の世代は、何を考えてた? 一体、なぜ現実をみなかった?
今、その質問を子どもたちが大人に投げかけて欲しい。
子どもたちは、地球を壊さないで、と両親に言いましょう。」と。
最後に「アフリカの古いことわざ」を引用して
「何かを祈るときは、行動もすべし。」と訴えかけた。
そして極めつけは「学んだ知識を、行動に移しましょう。」
いい話を聴いた、では終わって欲しくない。
そんな彼の強い思いを感じた、映画(講演?)である。



2012年03月04日(日)
「よく来たな、これもってけ」「特等席だな、ここは」

元衆議院議員「杉山憲夫」氏が他界して、告別式に足を運んだ。
彼の息子が中学生の同級生ということもあり、私にとっては
代議士というより、同級生の父親という感覚が強い。
不思議なことに、忘れられない言葉が2つあった。
いつだったろう、自宅へ遊びにいって、居間で雑談していたら、
突然、襖がガバって開いて、おじさんがこちらをみて言った。
「よく来たな、これもってけ」とミカンを一袋くれた。
また狩野川の河川敷、花火打ち上げ会場の土手で準備を終え、
仰向け・大の字で寝ていたら、誰かが呟いた。
「特等席だな、ここは」・・誰だよ、うるさいなぁ、と目を開けたら、
真上に青空をバックにした、おじさんの顔があった、これまた驚いた。
奥さんと散歩の途中だったらしいが、その顔と声が忘れられない。
人は彼のことを、いろいろな角度から批評するが、私は私の経験から
「面倒身のよい、気さくなおじさん」と記録しておきたい。
斎場に立てかけられた写真を見て、またこの台詞が思い出された。
「よく来たな、これもってけ」「特等席だな、ここは」
どうしてこの2つのフレーズを覚えているのか、私にもわからない。
でも、インパクトがあったんだろうな、きっと。
ご冥福をお祈りします。合掌。



2012年03月03日(土)
人間って「一皮」って知ってました?

平成23年度男女共同参画事業、3月3日、お父さんのための講座。
講師は「内藤ルミ子さん」
演題は「フットコンディショニングを体験してみましょう」から。
「コンディショニングとは、リンパ・つぼ押し・ストレッチ」、
「リンパ球は最強の兵隊で、関所と呼ばれるリンパ節に集合しする、
だから、リンパが腫れるということは、ばい菌と戦っているということ」
そんな楽しい座学が30分続き、そのあとお待ちかねの実践。
リンパの「老廃物を体外に出す」という役割を丁寧に教えていただいた。
「どんなにいい靴を履いていても、中の足が硬くてはダメ」など
メモしながらのフットコンディショニングだったけれど、
多くの中から選んだのは、
「人間って、『一皮』って知ってました? 皮膚って大切なんですよ」
この視点は、50年以上生きた私にとって実に新鮮だった。
内臓と違って、手術して取ってしまうことも出来ないし、
皮膚の何パーセントが火傷すると死んでしまう、なんてことも
よく耳にしたけど「一皮」って気がつかなかった。(汗)
確かに、着ぐるみと違って、つなぎ目はないんだよなぁ、
なんて思いながら、人間の皮膚の不思議さ、大切さを実感した。
その割には、意外と無関心に過ごしてきたなぁ、と反省。
「皮膚を大切にする」・・これって大きな気付きだった気がする。



2012年03月02日(金)
マイナスのかかわり(けんか)も大切に

またまた、昔のメモを整理していたら出てきた
へぇ〜と思う「子育て」の大切な視点。
「マイナスのかかわり(けんか)も大切に」
生きてく上で大切となる人間のかかわり。
そのかかわりを知るためには、けんかも大切らしい。
喧嘩をするには、必ず相手がいる。
その相手がいることによって、自分を知ることになる。
だから、悪いこととして注意するのではなく、
(仲裁を仲裁と思わず)心を育てているんだと思うこと。
そうすれば、イライラすることもない。
そんな考え方のようだ。
全てのことを「心を育てている」と解釈出来れば、
感情にまかせて怒ることもなくなるし、
子どもにも、その気持ちが必ず伝わるだろう。
と、いいつつも、なかなか難しい問題だな。
喧嘩をしてたら、すぐに止めに入ってしまうから。
やっぱり「育児は育自」だな。



2012年03月01日(木)
チャンスとは、自転車レースだ。

映画「アメリ」(ジャン=ピエール・ジュネ監督)から。
イポリト・ベルナール著の同名原作にも出てくる、チャンスの例え。
原作は(たしか)「チャンスは、ツールドフランスの観戦」となっていて
ちょっと違うけれど、それでも気になる表現として、引っ掛かった。
フランスっぽい例えだけど、なかなか判りやすかったから。
その後、映画は「待ち時間は長く、たちまち終わる。
チャンスがきたら、思い切って飛び込まねば・・」と続く。
確かに、ビデオ画像として、ツールドフランスの映像が流れるが、
原作を読んでいないと、理解に苦しむかもしれないが、
キュートな少女「アメリ」が、人の幸せには力を発揮するのに、
自分の恋愛にはとても臆病になっている。
そんな彼女に宛てた、メッセージと言えそうだ。
「待つのは長いが、あっという間に通り過ぎていく」。(笑)
言い換えれば「だから、チャンスがきた時には、
ためらわずに柵を飛び越えなけきゃならん」ということらしい。
これは「アメリ」だけに通じる例えではないはずだ。
私たちも人生で何度もあるはずのない「チャンス」に、
勇気を持って掛けてみる心構えを教えてくれた作品である。