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2012年03月31日(土) ■ |
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大切な「魚の目」の視点 |
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3月31日が土曜日とあって、実質は3月30日が年度の終わり。 昨日は、退職・離職の送別会があちこちで催された。 30年以上、いや人によっては40年以上務めた先輩方の言葉は やはり重みがあるなぁ、と妙に感心させられてしまった。 気になる一言は、ある送別会でのワンシーン、 人間に(仕事に)必要な(大切にしたい)3つの目を教えていただいた。 「鳥の目・虫の目・魚の目」とリズムがよいので、覚えやすい。 「鳥の目」は、大所高所から物事を眺める視点であるから、 管理職になってから、全体像をイメージすることの大切さを覚え、 特に意識している目なのでわかりやすい。 「虫の目」は、地面から眺めた、低い位置からの視点。 それは、忘れがちな住民目線であったり、机に座っているだけでは 決して届かない、現場・最前線の声なのだ、と意識している。 しかし「魚の目」は、はじめどんな視点なのかもわからず、 「魚眼」という言葉から、カメラの魚眼レンズをイメージし、 超広角の視点だろう、と考えたが、それでは「俯瞰的な視点」で 「鳥の目」と変わらないなぁ、と悩んでいたら、 「潮の流れ(全体の流れ)」を意味することだと教えていただいた。 ただ闇雲に、2つの目を持ち、突っ走るのではなく、 常に「潮流」を意識し、今、時代は、どの方向へ流れているのか、 それを敏感に読み取り、的確に対応していく能力が求められている。 そんな意味に理解して、しっかり胸に刻んで帰宅した。 もしかしたら、一番大切な目は「魚の目」なのかもしれない。 さすが、年の功。(笑) 勉強になりました、はい。
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2012年03月30日(金) ■ |
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セックスをする相手はいるのか? |
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映画「ソーシャル・ネットワーク」(デビッド・フィンチャー監督)から。 冒頭「話が飛んでついていけない」という台詞をメモしたほど、 テンポよくストーリーが展開する。 フェイスブックが、これほど普及したポイントがいくつかわかった。 「友達の情報がみられるサイトを作ろう」が発端であり、 「大学の社交(ソーシャル)の全てをネットに持ち込むんだ」と意気込む。 「交際ステータス、興味あること、セックスをする相手はいるのか? みんなが何より知りたい情報だ」と語り、 「その情報の中心が『ザ・フェイスブック』なんだ」と根底に流れている 考え方がわかったのは、とても有意義であった。 また「シンプルで、派手でも下品でもない」サイトのデザインに、 「サイトに商品広告はダサイ」「広告はクールじゃない」と言い切る。 こうした視点で、自分も参加しているフェイスブックを眺めてみたら、 確かに、私の社交(ソーシャル)の部分が、浮かび上がっていた。 ただ「セックスをする相手はいるのか?」って情報は、 今の大学生には知りたい情報かもしれないけれど、大人の私たちには どうでもいい情報である気がしている。 まぁ、ビデオテープもインターネットも「アダルト」がなければ、 こんなに普及しなかっただろう、という人もいるから、 なんでも爆発的に広がる時は、こうした「エッチネタ」は大切な要素、 そう思って、気になる一言に採り上げた。いかがだろうか?
P.S 「『ザ』」を取れ」というアドバイスが、ターニングポイントかな。 「ザ・フェイスブック」と「フェイスブック」、シンプルさは明らかだ。
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2012年03月29日(木) ■ |
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歩けばわかる。やさしくなれる。 |
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映画「転々」(三木聡監督)から。 久しぶりに、私の感性にはまって、クスッと笑い続けた作品である。 ストーリーは、俳優・オダギリジョーさんと三浦友和さんが、 あるきっかけで、都内を歩くという単純なものなのだが、 「歩くことで気付くこと」が盛り沢山。 街中に溢れている「変な名前の店名」(「時効」という「スナック」とか 「正確時計店」という時計店、「アワヤマンション」というマンション等) また「喫茶」と書かれた暖簾がかかっている 「愛玉子」(オーギョーチイ)という食べ物が自慢の食堂など、 街には、よく分からないけれど、思わず「クスっ」と笑ってしまう そんな風景が溢れている。まさしく「トリビア満載」である。 気になる一言は、溢れたメモから選択が難しく、 予告編で流れた「歩けばわかる。やさしくなれる。」という キャッチコピーを採用した。 エンドロールで流れた、岸部一徳役の「岸部一徳」という文字にも 観た人は忘れることが出来ない可笑しさが、詰まっていたし、 「あはは」ではない「クスっ」という感覚、とにかく一度、観て欲しい。
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2012年03月28日(水) ■ |
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乾杯の練習しよう |
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送別会、歓迎会・・いろいろな理由をつけて、 飲む機会が、非常に増える時期であるけれど、 アルコール大好き人間には、全員が集まるまで、 我慢できない人間が多いことに気がついた。 以前は、全員揃うまでは口にしなかったビールも、 今では、言い訳を考えながら、飲んでしまうこともある。 「宴会」のあとに行くのは「2次会」、 言い換えれば、宴会そのものは「1次会」だから、 それに習って「宴会」の前に飲んじゃうのは「0次会」。 「いいんですか、まだ揃ってませんよ」なんて言っても、 「いいよ、いいよ、これ0次会だから」と飲み始める。 まぁ、どんな理由であれ、飲めればいいらしい。(笑) 先日、耳にした理由は「乾杯の練習しよう」。 その練習が、1回だけでなく、何回も続き、 予定されていた開始時刻には、もうベロベロ状態。 一応、後ろめたいのか、料理には手をつけないから、 空きっ腹に、連続の「乾杯」(の練習)。 飲めない人にとっては、この光景、この言い訳。 呆れているんだろうなぁ、きっと。
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2012年03月27日(火) ■ |
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美しい景観が健康を生む |
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伊豆の話をしていた時の話だったかなぁ、 私がフッと思い出した、フレーズである。 情報源は、地元新聞の特集記事。(だったと思う) 「健康ブーム」を受け、歩く人たちが増えたはずなのに、 「健康」な人たちが増えて医療費が減った、という話は、 耳にしないので、気になっていた。 そのヒントが、このフレーズである。 「美しい景観が健康を生む」 これって、とってもわかりやすい、とメモをした。 どんなに、ジョギングやウォーキングをする人が増えても、 そのコースが、ゴミだらけだったら、気持ちがよくない。 もちろん、排気ガスいっぱいの道路では、体にも悪い。 たしかに、運動することで筋肉は付くかもしれないが、 こころの健康までは、到底、無理である。 ストレスの感じないコース整備が、何よりも大切であろう。 例えば、富士山を見ながら、木々の中を歩く。 目に優しい緑と美味しい空気が、心と体の栄養源だ。 そんな発想、そんな視点で、健康を考えてみると、 自然が作り出す「美しい景観」こそ、健康に直結している。 きっと、脳に心地よい風景が、健康を作るに違いない。 なんとか試してみたい。
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2012年03月26日(月) ■ |
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突き止めるのが、焦眉の急だとわかっていた |
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先日読んだ書籍「13階段」に、こんなフレーズがある。 「突き止めるのが、焦眉の急だとわかっていた」 時々耳にするけれど、しっかり意味を理解していないかも、と 辞書を引いてみた。「焦眉(しょうび)」とは、 「(火が眉を焦がすほどに迫るの意)危険が迫ること、燃眉。 焦眉の問題、焦眉の急、などと使う。」 今まで急ぎの案件は「プライオリティ」とか「最優先」「至急」 なんて言葉を使っていたけれど、こっちの方が、ちょっとカッコいいな、 なんて思ってみたりして。(汗) なんだか、とっても危険が迫っている感じがするから。 ただし、本当に眉を焦がしてしまっては手遅れとなるので、 その寸前のところで対処しないと、 問題はさらに大きくなってしまうから、 気をつけないといけないな、とも思っている。 「焦眉の問題」にならないようにするのが一番なんだよなぁ。
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2012年03月25日(日) ■ |
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ボロをまとったマリリン・モンロー |
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映画「はやぶさ 遥かなる帰還」(瀧本智行監督)から。 小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ直前に訪れた「NASA」の関係者が、 宇宙のはるか彼方へと送り出す「追跡管制室」をこう例えた。 「ここはボロをまとったマリリン・モンローだ」と。 NASAの管制室と比べると、月とスッポンほどの差があるが、 大切なのは、ロケットの完成度であり、スタッフの技術力だと、 皮肉ながらも、私は彼らの「嫉妬」とも受け止めることができた。 要は「外見ではなく、中身だ」・・そう言う意味で使われたと思う。 下町の工場は、小説「下町ロケット」(池井戸純著)を彷彿させるし、 宇宙のトラブルは映画「アポロ13」(ロン・ハワード監督)を思い出した。 しかし本当の意味の「ボロをまとったマリリン・モンロー」は、 管制室ではなく、小惑星探査機「はやぶさ」ではないだろうか。 宇宙を旅している時の姿は美しいし、度重なるトラブル・アクシデントも 多くの人の協力で、なんとか乗り切っていく。 最後は、美しい地球の姿を撮影して、大気圏で燃え尽きちゃったけれど、 波瀾万丈の人生を送って燃え尽きた「マリリン・モンロー」に例えても、 けっして誇大な表現ではない快挙には違いないのだから。 「燃え尽きたか・・」の関係者の台詞に、辻井伸行さんの音楽が重なり、 「はやぶさ」に感情移入して、涙腺が緩んだ私がいた。 この作品の主役は、やっぱり「はやぶさ」だな、 人間の私からみても、この小惑星探査機はカッコ良かったから。
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2012年03月24日(土) ■ |
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「強請る」の読みは3種類 |
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本を読むと、当て字というか、ルビがふられていて へぇ〜、そう読むのか・・と思う漢字に出くわすことがある。 最近、ミステリーとか、サスペンス作品が多いためか、 「強請る」という単語が目につくのだが、 ある作品では「ゆする」、また違う作品では「ねだる」とルビ。 テストでは、どちらを書いても正解なんだな、と くだらないことを考えていたら、 ネットでは「たかる」も「強請る」と書くらしいことを知った。 ということは「強請る」と書いて、 「ゆする」「ねだる」「たかる」と読んでもいいことになる。 同じような意味なんだろうけれど、ちょっと違う気もするし、 外人には、日本語が難しいわけだ・・日本人でも難しいのだから。 「惚れる(ほれる)」と「惚ける(ぼける)」が似ているなんて、 書いていた頃が懐かしい。(笑) 叉、飲み会のネタが増えたなぁ。
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2012年03月23日(金) ■ |
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ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった |
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映画「にあんちゃん」(今村昌平監督)から。 「この映画は・・4人の兄弟の記録である」というナレーション。 冒頭で「えっ、どんな映画なのか説明しちゃうの?」と戸惑ったが、 却って、最近にはない展開で、新鮮だった。 作品中、台詞よりも、兄ちゃん(長男)役の「長門裕之」さんが、 サザンの桑田にそっくりで、そればかり気になってしまった。(笑) 今回の主役は、四人兄弟(2男2女)の3番目。 どうして、この子が主役なんだろう、と疑問に思ったが、 ある番組で、今村監督のコメントを耳にして、納得してしまった。 「ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった」 今の子どもたちと比べれば、十分、逞しい昔の子どもなのだが、 その中でも特に、父母のいない4人兄弟の次男が、 貧しくてもファイトをもって生きる姿が、描かれている。 時には、海や川に飛び込み、その水さえ飲んでしまうほどの丈夫さ、 大人の嫌らしいイヤミを、さらっと受け流す処世術、 「東京に行ってだめなら、それまでじゃ」という割り切り方。 どれをとっても「生きる力」を感じさせるシーンだったと思う。 最後に「にあんちゃん」(たぶん二番目の兄さんの意味)が決意する。 「とうちゃんも、にいちゃんも、貧乏のためにできなかったことを、 僕がやってみせる。今に、きっと!!」と。 そう言えば、最近「ファィとのある子ども」って少なくなったなぁ。 今村監督の想い、私には充分伝わりましたよ、はい。
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2012年03月22日(木) ■ |
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「よく時間がありますね」「うん、ほとんどテレビ観ないから」 |
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飲んで帰ってきたら「気になる一言」の読者からメールが届いていた。 最近、読み始めてくれたらしいのだが・・ 話題が、映画や書籍、コンサートや講演会からの情報が多いので、 きっと数年前から書き貯めておいたもの、と思っていたらしい。 メールの冒頭で「楽しく拝見していますが」と前置きをして、 「(それにしても)よく時間がありますね」と続いていた。 以前にも同じような質問を受けたが、私の場合、 一緒に行動している人は承知だろうが、その日又は翌日の話題が多い。 料理と同じで、ネタは新鮮の方がいいだろうから、書き貯めないし、 時間は、まだまだ余裕がある。 その理由は「ほとんど、テレビを観ないから」。 逆に言うと、今までどれだけ「テレビ鑑賞」に時間を費やしてきたか、 自分でも笑ってしまうほどである。 決して、テレビを否定しているわけではないが、 その時間のほんの少しでも、映画や読書に振り替えるだけでいい。 映画もコンサートも講演会も、ほとんど1時間半から2時間だから、 具体的には、約2時間、テレビから離れてみて欲しい。 きっと、新しいことに挑戦できる時間が手に入るはずだから。
P.S. と言いつつ、試してくれる人、なかなかいないんだよなぁ。(笑)
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2012年03月21日(水) ■ |
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(春)「牡丹餅」(夏)「夜船」(秋)「お萩」(冬)「北窓」 |
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お彼岸の日、当然のように墓参りに出かけたが、 母が「おはぎをいただいたから、食べてよ」と言うので、 「えっ、ぼたもちじゃないの?」と私。 当然、好奇心旺盛の私は、帰宅後調べてみたのだが、 基本的に同じで、食べる時期が違うだけらしい。 春は「牡丹の季節、春のお彼岸に食べる」から「牡丹餅」、 秋は「萩の季節、秋のお彼岸に食べる」から「お萩」。 どちらも小豆の粒を、季節に咲く花に見立てたようだ。 調べていくうちに、夏も冬も呼び名があるという情報が・・。 この食べ物、餅つきをしないので「ペッタン」と音がしない。 お隣さんなどからするといつついたのか分からない。 そういうところから、搗(つ)き知らず→着き知らず、となり 夜は船がいつ着いたのか分からないことから「夜船」。 冬は「着き知らず」が「月知らず」となって、 月の見えないのは、北の窓だから「北窓」。 1つの食べ物に、季節ごとに「名前」があるなんて、 なんだか、のんびりしてて風情があって、いい時代だったなぁ、 なんてぼやいてみたりして。(汗) お酒も好きだけど、甘いものも好きの私。 明日の脳ドックが終わったら、どちらから口にしようかな。
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2012年03月20日(火) ■ |
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ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり |
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映画「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ監督)から。 戦争の悲惨さを伝えたい、監督の想いは伝わってきた。 しかし今、観直すと違った視点が、この作品にはあった。(汗) ロシア・ウクライナ地方というと「チェルノブイリ」が浮かぶし、 たぶん場面からすると、工場なんだろうけれど、 アメリカ・スリーマイル島原発の形をした建物が風景にあり、 さらに、放射能を吸収しやすいからと、東北地方でも 「ひまわり」を植える活動があるから、その関連性に驚いた。 まるで「原発事故とひまわり」を「予知」してたように・・。 ところで、作品自体は重厚な映画音楽に支えられ、 シンプルながら、鑑賞後、余韻を楽しめる作品と言えそうだ。 「ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり」の下には、 「ドイツ軍の命令で、穴まで掘らされて イタリア兵やロシア人捕虜が埋まっています。 そして無数のロシア農民も、老人、女、子どもまで。」 きっと反戦テーマの作品としても、評価が高いだろう。 チャイコフスキーの曲を感じさせる作品でもあった。
P.S 個人的には「卵24個使ったオムレツ」が食べてみたい。
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2012年03月19日(月) ■ |
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本音と建前を使い分ける民族の陰湿さ |
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書籍「13階段」(高野和明著・講談社・350頁)から。 タイトルだけで、死刑の「13階段」を想像した。 しかしながら、読み進めると「死刑執行起案書は、 5つの部署13名の官僚の決裁を受けることになっていた」 「死刑判決の言い渡しから執行まで、 どれくらい手続きがあるのかを数えてみた。 すると、それは13あった」・・なるほど「13階段」か。 さて気になったフレーズは、日本民族の特徴を表現している。 (死刑制度に関する国民アンケート結果をみても) 「日本人はな、悪人を死刑にしようと心の中では思いながら、 それを口にする人間を白い目で見るんだ」と言いながら、 「本音と建前を使い分ける民族の陰湿さだよ」と続けた。 「テレビなんかみてても、死刑反対の人しか出てこないですもんね」 たしかに「死刑賛成」と声高に堂々と主張する人は、 テレビではお目にかかったことはない。 あの人は、冷酷な人だ・・と言われるのを避けている。 その理由こそ「日本民族の陰湿さ」だと指摘され、頷いた。 それは、凶悪犯罪の被害者に対しても、同じことが言えるらしい。 「この国では、凶悪犯罪の被害者になった途端、 社会全体が加害者に変わるんです。 そして、どれだけ被害者をいじめても、誰も謝罪しないし、 責任もとりません」という被害者家族の言葉が、胸に染みた。 仲間だと思えば敵だったり、応援してるかと思えば足を引張ったり、 とかくこの世は、住みにくい。(笑) この「日本民族の陰湿さ」を意識して発言することの意味を 問題発言ですぐ更迭される政治家は、知っておくべきだろう。
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2012年03月18日(日) ■ |
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すべて子どもたちの将来のためです |
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映画「麒麟の翼 劇場版・新参者」(土井裕泰監督)から。 観終わって、帰宅後に劇場内で書き留めたメモを整理していたら、 「あっ、そうか」と、今更ながら気付いたことがある。 どうしても「謎解き」「犯人探し」に夢中になってしまいがちな ミステリー作品の中から、原作者が伝えたいことを探すことも、 映画鑑賞や読書の楽しみ方の1つとなっている。 今回は、劇団ひとりさんが演じる「中学校水泳部の先生」が発した 「すべて子どもたちの将来のためです」 子どもたちがある事件を起こす、しかし彼らの将来を考え事実を隠す。 受験前の中学3年生に対して、よく使われる美談のようだが、 この行為こそ、彼らに「悪いことをしても隠せばいい」という メッセージを刷り込むことになる、と忠告している。 阿部寛さん扮する主人公の刑事・加賀恭一郎が、先生に問い掛け、呟く。 「数学の先生でしたよね。 子どもたちが正しい公式を学べるよう指導してあげてください」 この台詞が私のアンテナに引っ掛かってメモしておいたら、 その謎解きが、全体のメッセージへと拡大していった。 「すべて子どもたちの将来のためです」と先生、 「それで将来がどうなった?」と加賀刑事。 さらに「あんたが間違ったことを教えたから・・・」と詰め寄るシーン。 その間違った教えこそ、今回の事件につながった、そう言う意味で 「これがあんたの作った将来だ、あんたに人を教育する資格はない」と 言い切る言葉には力があった。 「間違ったことや悪いことをしたら、隠さない、逃げないで対処する、 それこそが『勇気』というものだ」と、「生きていくのに必要な公式」を、 先生は子どもたちに教えるべき、それが先生の役目だよ、と 私なりに解釈してみた。 今回の事件、影の犯人は、先生だったのかもしれないな。
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2012年03月17日(土) ■ |
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車がなければ生活できないなんて、街じゃない |
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書籍「震える牛」(相場英雄著・小学館刊・349頁)から。 牛海綿状脳症(BSE)を題材にしながらも、全国的に大手チェーン進出で、 「全国のどこも同じだ、街の顔がみえない」と呟くシーンが 印象的であった。 全国チェーンの進出が「街を壊している」とさえ言い切った。 私も同感であったので、関連フレーズをメモした。 「一見、便利なサービスはたくさんあるが、 それはインフラが整っている都会の話だ」にも頷いた。 「買い物袋を下げ、小型タクシーに乗り込んでいく姿が見える」と その光景をリアルに表現した後、 「彼女は、典型的な買い物難民だよ」と吐き捨てた。 そして、気になる一言に選んだ、このフレーズが続く。 「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」 これは、インパクトがあった。 街には、乳幼児から高齢者まで、いろいろな年代が生きている。 特に「生活弱者」と呼ばれる高齢者が、生活に不自由しながら、 一所懸命、生きている姿は胸につまされる。 原因を調べていたら、これだ、という表現にぶつかった。 「2000年、通称、大店法が廃止されたことが、 地方都市を本格的に破壊し始めた」・・なるほどなぁ。
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2012年03月16日(金) ■ |
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創意工夫は無からつくること |
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前宮崎県知事・東国原英夫氏が、三島市で講演したようだ。 翌日の新聞で、その記事を読んだので、情報源は地元新聞。 記事によると、演題は「地域のピンチをチャンスに!」。 内容は、直接聴講したわけではないので触れられないが、 見出しは「創意工夫は無からつくること」と書かれた、 新聞の見出しが、私を喜ばせた。 「創意工夫は無からつくることをいう」と述べ、 官製談合事件で信用を失っていた宮崎県政を立て直した エピソードを語ったらしい。 辞書によると「創意工夫」とは、 方法や手段などを新しく考え出すこと。 「創意」は他人のものまねでなく、新しく考えだすこと。 この、何にもないところから、作り出すことの楽しさを、 今の若者は、あまり知らない。 仕事も、前任者からの引継ぎで行うことが多いし、 何もないところから新しく作ることは、皆無に等しい。 マンネリ化したものを改善することは誰でもできるが、 何もないところから作り出すのは、苦労するようだ。 「何でもいいから作ってごらん」の台詞は、 「創意工夫」の機会が少ない若者には、苦手なようだ。 昔は、遊ぶゲームも、自分たちで作ったのになぁ。
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2012年03月15日(木) ■ |
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下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ |
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映画「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督)から。 TOKIOの国分太一さん扮する落語家・今昔亭三つ葉は、 新作はやらず、古典落語しかやらないと決めている。 師匠には「数だけ増やしてどうすんだ、ばかが」と叱られるが、 それでも、古典落語を喋り続ける訳は、自信がつくような 「これだってのが、欲しいんです」が本心のようだ。 さて、最後にはある落語を自分のものにするのだが、 それを聴いていた師匠が、ぼそっと呟く。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ」 最後の「当たり外れは風まかせ」が粋だねぇ、とメモをした。 しかし、ネットで諺を調べると、不思議なことにぶつかった。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の意味、使い方に違いがある。 ある辞書には「下手な者でも何度も試みれば、 まぐれでうまくいくことがある」というたとえ。 類義では「下手な鍛冶屋も一度は名剣/下手の金的」など。 一方、「何事も根気よく続ければ、 そのうちにうまくいくものだということ」というたとえ。 使い方は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというから、 いつかは儲かることもあるだろう」となっている。 片方は「偶然・まぐれ・奇跡」のように捉えているが、 もう片方は「地道な努力、継続の大切さ」を伝えている。 この物語での使われ方は、後者だろうか。 私の理解は、前者だったから、ちょっと驚いたけれど、 あながち、間違いではない気がしている。 さて、あなたは、どちらだろうか。
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2012年03月14日(水) ■ |
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18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ |
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先日、三島に飲みに行った帰りの出来事である。 (ホワイトデーにこんな話題でごめんなさい(汗)) ある飲み屋街を歩いていたら、 客引きのお兄さんに呼び止められた。 「どうですか、よかったらちょっと寄って行きませんか?」 の意味を含んでいる台詞として 「おにいさん、いい娘(こ)入りましたよ」というのだろうが、 今回は、ちょっとインパクトがあった。 「18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ」 だからってそうですか、とお店に入っていく訳ではないが、 このフレーズで、入っていていく男がいるのかもしれない。 この「なりたて」という単語は、手垢の付いていない 新鮮な、フレッシュ感を感じさせるイメージがある。 「とりたて」「早摘み」などのキャッチコピーに引かれる 消費者と同じ感覚とも言えそうだ。 本音は、ちょっとだけだが「18歳になりたての娘(こ)」を 見てみたくなった。(薄暗い中ではなくて・・) 面白いものだよなぁ、人間って。 いやいや、面白いものだよなぁ、男って。
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2012年03月13日(火) ■ |
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盛りを過ぎても、見事に咲き誇る |
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映画「カレンダー・ガールズ」(ナイジェル・コール監督)から。 映画解説には「中年女性たちが自分たちのヌード写真を カレンダーにして売り出し、大反響を巻き起こしたという イギリスの実話をもとに描く人間ドラマ」とある。 白血病で亡くなった夫が、生前、女性たちの前で話そうと考えていた、 原稿の一節である。「ヨークシャーの花は、女性に似ている。 生長を重ねるたびに、その美しさを増していく。 盛りを過ぎても、見事に咲き誇る。あっという間に枯れていくが・・」 とジョークも交えながら、素晴らしい原稿の一節である。 彼女らは英国ヨークシャーの片田舎ネイブリーに住んでいる。 英国の中でも、壮大な自然が広がる有数の土地らしく その野に咲く花は、女性に似ているというわけだ。 子育ても終わり、生き甲斐を探す女性、特に中年女性にとって、 後ろから押してくれる、応援フレーズになったに違いない。 「盛りを過ぎても、見事に咲き誇る」 何度か登場するフレーズなので、きっとこの作品の根底を流れる想い、 そんな気がして採り上げてみた。
P.S. 個人的には「女性連盟の目的は?」(日本では「婦人会」)の質問に対して、 「『自己啓発』と『娯楽』と『親睦』」と即答したシーンがあり、 妙に納得してメモをした。今度、挨拶で使わせてもらお〜っと。
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2012年03月12日(月) ■ |
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お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる |
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書籍「日本人・礼儀作法のしきたり」 (飯倉晴武監修・青春出版刊・188頁)から。 何気なくよった書店で目に付き買ってしまった本書、 へぇ〜と思うことや、そういえば・・と思い出すことばかり。 ・「寸志」という表書きは、目下の者への謝礼に使う言葉。 ・振袖は、長い袖を振って男性の気を引く着物。 だから、結婚したらもう袖を振る必要はないというわけ。 ・「宴」とは「飲食をともにして、くつろいで楽しむ」という意味。 ・気が利いた挨拶とは、お辞儀と言葉は、それぞれ心を込めること。 ・箸は、食べ物を口に運ぶもの、器を運ぶものではない ・蓋付きは「冷めないうちにどうぞ」という意味が込められている。 そんな気付きオンパレードの中で、私が選んだのは 「丁寧な挨拶とは」という説明であった。 「お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる」 最近、大勢の人の前で挨拶をする機会に恵まれるが、焦るためか どうしても、お辞儀をしながら、挨拶をしてしまっている。 この一呼吸の「間」を意識すると、丁寧な感じがするし、 自分も落ち着いて「さて・・」と話し始められるのかもしれない。 これこそ、経験で覚えるしかないなぁ。
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2012年03月11日(日) ■ |
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落語の演題の1つに「黙祷」を追加 |
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3.11、午後2時46分、館内に「黙祷」の放送が流れた時、 ちょうど、ある場所で「落語」を聴いていた。(汗) 冒頭「お忙しい中、生活苦の中、よりによってこんな日に」と 「この日この時間帯に落語をすること」への話題に触れたし、 会場内の誰もが、東北の被災者のことを考えたはずである。 また自宅に戻ってから、家族とも3.11の話題に触れよう、 だから、今は落語を楽しもうと思っていた矢先「黙祷」の放送、 当然、それまで話していた落語も、中断を余儀なくされた。 落語ほど、仕切り直しのきかないものはないと思う。 予期せぬ中断を「どこまで話しましたっけ?」ととぼけてみせ 機転の利いた話術で、切り抜けてくれたが、 これは噺家に失礼だったな、とメモをした。 3.11は、日本人にとって忘れられない災害には変わりないが、 朝から晩まで流れるテレビでの特集や、復興支援のイベントには 私がへそ曲がりのためか、首をひねりたくなる。 3.11は、忘れてはいけない日であるが、記念日ではないのだから、 静かに、東北の友人の生活や心を気遣うだけでもいいと思う。 「黙祷」は「もし出来ましたら・・」と協力は求められたとして、 けっして「強制」されてするものではない、と考えている。 予定していた演題を終え、今日の落語を紹介しながら、 その演題の1つに「黙祷」を追加するあたりが、粋だったなぁ。 さて、書き終えたから、東北の友達にメールしてみようっと。
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2012年03月10日(土) ■ |
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一言で言うと、真面目すぎるね。もっと楽しく・・ |
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「早稲田大学ハイソサエティオーケストラ」と 「慶応義塾大学ライトミュージックソサエティ」の 両大学ビックバンドのOB・OGを中心に結成され、 アラファイ(50歳前後)を中心とする世代で構成されている 「ハイライトオールスターズ」の演奏会がわが町で開催され、 ジャズの世界をゆっくり堪能させていただいた。 第2部として、地元の高校「沼津商業高等学校吹奏楽部」との ジョイント演奏会が実現したが、彼らが高校生にアドバイスした。 「一言で言うと、真面目すぎるね。もっと楽しく・・」 もちろん、真面目が悪いという意味ではないけれど、 音楽は、本来、楽しいもの。もっと笑顔で、楽しんでごらんよ、 と言いたかったのだろう、と観客席から眺めていた。 そんな気持ちが高校生たちに伝わったのか、その後は顔だけでなく、 演奏する音までも、楽しそうに聴こえたから不思議である。 30年以上演奏している、おじさんおばさんたちの音に刺激されて、 彼らもまた、ひとつ成長した気がした。 「お互いにとってメリットがあるから、また一緒に・・」と続けた、 大人の余裕こそ、若い人たちが感じることのない感覚ではなかったか。 やはり、人は人によって育てられるんだな、ということを 目の前で見せつけられて、観客の私たちも温かい気持ちになった。 この、人の縁を繋ぐお手伝いこそ、私たち行政の仕事なんだな、きっと。
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2012年03月09日(金) ■ |
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おむすびに手をふれて良いご縁がむすばれますように |
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先日、他界した「杉山憲夫氏」の名前を、柿田川公園の一角、 「貴船神社」で見つけることができる。 「一対の狛犬と参道整備」に寄付をいただいたことは、 御友人の弔辞で紹介されたが、もっと素敵なものを寄進している。 実は、参道の途中、御影石で作られたおむすび(?)が、 ひときわ目立って、2個載っている造作物に出会うのだが、 その寄進者は「顧問 杉山憲夫」と記されている。 そして、その石碑に書かれている言葉が、 「おむすびに手をふれて良いご縁がむすばれますように」。 縁結びの神様でも有名な京都の「貴船神社」から御霊分けされた。 だから、男女の仲の縁結びなのだと、私は勘違いしていたが、 「政治は人のため」を信念にしてきた彼から考えると、 縁結びは、なにも「男女」に限らず「男同士」「女同士」も含め、 大きな視点で「人との出会い」「人との縁」を大切に、という 想いがあるのではないか、と思わずにはいられない。 最近、「縁」にとても興味がある。もちろん「緑」にも。 「縁」と「緑」、どちらも大切にしたいと思う。
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2012年03月08日(木) ■ |
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君はビッグになれない。 |
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映画「ガリバー旅行記」(ロブ・レターマン監督)から。 作品の冒頭、会社のメール係として働いているシーン。 部下がたった1日で昇進し、自分の上司になって現れる。 そして、こういう。 「デートに誘えないのも、昇進できないのも、理由は1つ。 これが君の限界だからだ」と。 さらに「そのビッグマウスも時々なら面白いし、 ジョークも笑えるけど、それだけだ。君は口先だけ。 認めるべきだ。君はビッグになれない」と続く。 この台詞が、あとの物語の伏線となっているから面白い。 そう、ご存知、主人公がビッグになった訳ではなく、 周りが、小さくなったり、大きくなったり。 小人の国では「ちっぽけな彼が初めて大物扱いされる」(笑) ラストシーン、現実に戻った彼が、メール係に呟く。 「この世に、小さな仕事はない、(仕事に大きい小さいの差はない) ただし、ものすごくちっちゃな人間はいる」 しっかり、落ちのある台詞で、メモが終わった。 言葉の面白さが味わえる、冒険(パロディ)コメディである。
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2012年03月07日(水) ■ |
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エアコン・車・電子レンジ・冷蔵庫・パソコン |
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運転中にラジオから流れてきたので、メモが取れず 順位も曖昧だけれど・・・ 今、生活になくては困るもの・・のベスト5。 (アンケートの対象さえも不明で、データとしては 利用できないかもしれないが・・・(汗)) う〜ん、私は原始人なのだろうか、あまり必要性を感じない。 「エアコン」は、年間通してほとんど利用しないし、 「車」も、通勤には使わないのでどうしても・・とは感じない。 「電子レンジ」は、妻は必需品なのかもしれないが、 基本的には「お酒」をお燗にする時、遣うだけ。 「冷蔵庫」も、食料保存には必要だけれど、 冷やすものは、近くのコンビニやスーパーに行けばいいし。 「パソコン」も、この「気になる一言」を書くとき以外、 あまり電源を入れないしなぁ。 (映画のDVD鑑賞の利用が一番多い気がする(笑)) では、私の場合、なくては困るものはなんだろう。 たぶん、何でも書き込んである「手帳」だろうな。
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2012年03月06日(火) ■ |
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「春一番」を「五感」で確認して欲しい |
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私の住む静岡県東部地域は、午前中のシトシト雨が上がり、 午後からは、雲が勢いよく流れ、一気に晴れた。 外は、予想以上に風が強いが、もうポカポカ陽気。 「これ、きっと春一番だね」なんて会話が聞こえてくる。 今の時点で気象庁からは、 今日の早朝の雷、そして突風が「春一番」という発表はない。 けれど、後日、インターネットや新聞の文字を見て、 「あぁ、やっぱり、あれが春一番だったんだ」と思うより、 外に出て、ポカポカの日差しと、妙に温かい気温、 そして、吹き飛ばされそうになるくらいの強い風を、 身体いっぱいの五感で確認して欲しい。 これが「春一番」ってものか・・と感じる好奇心こそ、 一年をいや人生を、歳時記と共に楽しむコツであるのだから。 「三寒四温」の四字熟語も「暑さ寒さも彼岸まで」の諺も、 知識として頭で覚えるより、知恵として身体で覚えたい。 きっと何年たっても、今日の日の出来事を、 春一番の日の出来事として、思い出されるに違いない。 今日が違っていたとしても、春はもうそこまで・・だな。
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2012年03月05日(月) ■ |
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学んだ知識を、行動に移しましょう。 |
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映画「不都合な真実」(デイビス・グッゲンハイム監督)から。 キャストは、民主党クリントン政権下で米合衆国副大統領を務めた アル・ゴア氏。 彼の温暖化に対する講演を中心に、作品が展開されていく。 自己紹介の「一瞬だけ大統領になった、アル・ゴアです。」が 聴講者の緊張をほぐし、リラックスして聞き入ることができた。 まるで、大学の講義を受けているようで、私のメモは溢れた。 この映画、アメリカで公開されるや、各都市で大ヒットを記録した 環境ドキュメンタリーであるが、日本では?の問いに、 記憶が定かではないくらい「地球温暖化」の話題は消えている。 今は、原発と3.11をはじめとした大きな地震が話題の中心であるが、 こういう間も、地峡温暖化は確実に進んでいることを、再認識した。 ストーリー後半、こんなフレーズが私の心を揺さぶった。 「地球という星に、私たちは住み続けられるのか? 未来の世代は、きっと自問するに違いない。 前の世代は、何を考えてた? 一体、なぜ現実をみなかった? 今、その質問を子どもたちが大人に投げかけて欲しい。 子どもたちは、地球を壊さないで、と両親に言いましょう。」と。 最後に「アフリカの古いことわざ」を引用して 「何かを祈るときは、行動もすべし。」と訴えかけた。 そして極めつけは「学んだ知識を、行動に移しましょう。」 いい話を聴いた、では終わって欲しくない。 そんな彼の強い思いを感じた、映画(講演?)である。
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2012年03月04日(日) ■ |
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「よく来たな、これもってけ」「特等席だな、ここは」 |
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元衆議院議員「杉山憲夫」氏が他界して、告別式に足を運んだ。 彼の息子が中学生の同級生ということもあり、私にとっては 代議士というより、同級生の父親という感覚が強い。 不思議なことに、忘れられない言葉が2つあった。 いつだったろう、自宅へ遊びにいって、居間で雑談していたら、 突然、襖がガバって開いて、おじさんがこちらをみて言った。 「よく来たな、これもってけ」とミカンを一袋くれた。 また狩野川の河川敷、花火打ち上げ会場の土手で準備を終え、 仰向け・大の字で寝ていたら、誰かが呟いた。 「特等席だな、ここは」・・誰だよ、うるさいなぁ、と目を開けたら、 真上に青空をバックにした、おじさんの顔があった、これまた驚いた。 奥さんと散歩の途中だったらしいが、その顔と声が忘れられない。 人は彼のことを、いろいろな角度から批評するが、私は私の経験から 「面倒身のよい、気さくなおじさん」と記録しておきたい。 斎場に立てかけられた写真を見て、またこの台詞が思い出された。 「よく来たな、これもってけ」「特等席だな、ここは」 どうしてこの2つのフレーズを覚えているのか、私にもわからない。 でも、インパクトがあったんだろうな、きっと。 ご冥福をお祈りします。合掌。
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2012年03月03日(土) ■ |
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人間って「一皮」って知ってました? |
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平成23年度男女共同参画事業、3月3日、お父さんのための講座。 講師は「内藤ルミ子さん」 演題は「フットコンディショニングを体験してみましょう」から。 「コンディショニングとは、リンパ・つぼ押し・ストレッチ」、 「リンパ球は最強の兵隊で、関所と呼ばれるリンパ節に集合しする、 だから、リンパが腫れるということは、ばい菌と戦っているということ」 そんな楽しい座学が30分続き、そのあとお待ちかねの実践。 リンパの「老廃物を体外に出す」という役割を丁寧に教えていただいた。 「どんなにいい靴を履いていても、中の足が硬くてはダメ」など メモしながらのフットコンディショニングだったけれど、 多くの中から選んだのは、 「人間って、『一皮』って知ってました? 皮膚って大切なんですよ」 この視点は、50年以上生きた私にとって実に新鮮だった。 内臓と違って、手術して取ってしまうことも出来ないし、 皮膚の何パーセントが火傷すると死んでしまう、なんてことも よく耳にしたけど「一皮」って気がつかなかった。(汗) 確かに、着ぐるみと違って、つなぎ目はないんだよなぁ、 なんて思いながら、人間の皮膚の不思議さ、大切さを実感した。 その割には、意外と無関心に過ごしてきたなぁ、と反省。 「皮膚を大切にする」・・これって大きな気付きだった気がする。
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2012年03月02日(金) ■ |
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マイナスのかかわり(けんか)も大切に |
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またまた、昔のメモを整理していたら出てきた へぇ〜と思う「子育て」の大切な視点。 「マイナスのかかわり(けんか)も大切に」 生きてく上で大切となる人間のかかわり。 そのかかわりを知るためには、けんかも大切らしい。 喧嘩をするには、必ず相手がいる。 その相手がいることによって、自分を知ることになる。 だから、悪いこととして注意するのではなく、 (仲裁を仲裁と思わず)心を育てているんだと思うこと。 そうすれば、イライラすることもない。 そんな考え方のようだ。 全てのことを「心を育てている」と解釈出来れば、 感情にまかせて怒ることもなくなるし、 子どもにも、その気持ちが必ず伝わるだろう。 と、いいつつも、なかなか難しい問題だな。 喧嘩をしてたら、すぐに止めに入ってしまうから。 やっぱり「育児は育自」だな。
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2012年03月01日(木) ■ |
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チャンスとは、自転車レースだ。 |
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映画「アメリ」(ジャン=ピエール・ジュネ監督)から。 イポリト・ベルナール著の同名原作にも出てくる、チャンスの例え。 原作は(たしか)「チャンスは、ツールドフランスの観戦」となっていて ちょっと違うけれど、それでも気になる表現として、引っ掛かった。 フランスっぽい例えだけど、なかなか判りやすかったから。 その後、映画は「待ち時間は長く、たちまち終わる。 チャンスがきたら、思い切って飛び込まねば・・」と続く。 確かに、ビデオ画像として、ツールドフランスの映像が流れるが、 原作を読んでいないと、理解に苦しむかもしれないが、 キュートな少女「アメリ」が、人の幸せには力を発揮するのに、 自分の恋愛にはとても臆病になっている。 そんな彼女に宛てた、メッセージと言えそうだ。 「待つのは長いが、あっという間に通り過ぎていく」。(笑) 言い換えれば「だから、チャンスがきた時には、 ためらわずに柵を飛び越えなけきゃならん」ということらしい。 これは「アメリ」だけに通じる例えではないはずだ。 私たちも人生で何度もあるはずのない「チャンス」に、 勇気を持って掛けてみる心構えを教えてくれた作品である。
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