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2012年01月31日(火) ■ |
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あなたの心が試される |
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映画「運命のボタン」(リチャード・ケリー監督)から。 キャメロン・ディアス主演とあって、ラブコメかな、と 単純な発想で観始めたら、大きな間違いだった。(汗) 壮大なストーリーなのに、なぜか中途半端で、 最後まで、理解に苦しむ展開だった。 仕事中に稲妻に打たれ、一度死んだが、 それから脅威の回復で蘇った設定の宇宙人?が、 「欲との戦い」や「究極の選択」で人間を試している。 そして最後に、こんな言葉を発する。 「他者の利益のため、己の欲望を犠牲に出来ないなら、 君たちに生きる資格はない」と。 今回の一言は、観終わった後に確認した「予告編」の一部。 「あなたの心が試される」 そうか、これが全編の根底に流れている考え方か、と 納得しながら、メモをした。 冒頭、合格間違いなしの評価だった主人公(男性)が NASAの宇宙飛行士の試験に落ちるのだが、 その落ちた理由は「心理テストに失敗した(らしい)」。 物事を冷静に、そして理性をもって判断すれば、 きっと「運命のボタン」を押すことはしなかったはずだ、 君には、まだまだ心理的に弱い、ということだろうか。 どんな時も「あなたの心が試される」。なるほどなぁ。
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2012年01月30日(月) ■ |
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東北生まれなので、春が恋しい、待ち遠しい |
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平成23年度泉のまち町民大学、講師「日本画家・大場茂之氏」 演題「40歳代から日本画家を目指す」から。 「挑戦」をテーマにした今年の町民大学も3回目を迎えた。 1955年、宮城県に生まれ、仙台国立障害者訓練校デザイン科を卒業、 温泉療法で訪れていた箱根で、親戚のおじさんが連れていってくれた 成川美術館で鑑賞した日本画に大きな衝撃を受けたのを契機に、 一度は断念した絵の世界に、独学で挑戦し続け、 今では、院展に7回入選を果たすなど、大活躍の日本画家である。 そんな彼が持参してくれた「春息(はるいき) 」という作品は、 どこか、私の想像する「春」のイメージとちょっと違った。 上手く表現できずに申し訳ないが、作品中のふきのとうもネコヤナギも まだまだ・・という感じなのだが、彼はこう説明してくれた。 「(私は)東北生まれなので、春が恋しい、待ち遠しい、 そろそろ芽吹くだろうという思いを込めて息づかいを描きたかった」と。 「ふきのとうも、この辺りは柔らかい、寒いところの方が硬いから」 私が感じた「硬く閉じた、ふきのとう」は、彼の表現を借りれば、 「硬いけれど、しっかり春を息吹きを感じさせる、ふきのとう」のようだ。 そんな形で「春」を待っていた東北に、地震と津波が襲ったかと思うと、 胸が締め付けられる思いだった。 東北人らしい謙虚で飾らない話し方は、彼の作品の温かさそのものである。
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2012年01月29日(日) ■ |
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スマホは、片手でとれないから |
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最近、スマホに変えたという知人に電話したら、 以前なら、すぐに出たのに、この頃はなかなか出ない。 しばらくして、相手からかけ直してくるので 「ごめん、忙しかった?」と謝りながら訊くと、 「スマホは、片手でとれないから」との返事。 スマホの電話が鳴っているのは気付いているが、 あの独特のタッチがうまく使えないらしい。 焦っているうちに、電話が切れてかけ直すパターン。 逆に、電話を掛けるときも、電話のアイコンを選んだ後、 タッチミスで掛ける相手を間違えてしまうこともあるという。 社会全体が、携帯電話からスマホに変わっていると言うが、 以前も書いたように、スマホは携帯電話ではなくパソコン。 片手でも危ない、自転車や自動車の運転なのに、 両手を使って操作するスマホが普及すると、もっと危ない。 スマホの機能を、どれだけの人が使いこなしているんだろう。 私は、自宅のマックと携帯電話で充分すぎるほど、 情報の受信と発信が出来ている。 指も太いし、小さい字も見にくいから、たぶんスマホを持たずに、 一生を終えるような気がしているが、それでもいい。 最近、自宅のパソコンは「気になる一言」を書く以外は、 映画のDVDを観るために使うことの方が多いものなぁ。
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2012年01月28日(土) ■ |
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日は堂々と西へ沈む |
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書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)から。 「登ったら下りる」こんな簡単なことなのに、 なぜか「上ばかり」を目指し、登ることが「成長すること」と考え、 齷齪(あくせく)した人生を過ごしてしまいがちであるが、 「登山に対して、下山というプロセスが世間にひどく軽くみられている」と 著者は「下山の大切さ」を私たちに訴えている。 下山は「登山という行為の、後半部分というか、しめにあたる重要な場面」と 位置づけて人生と対比して表現しながら 「下山の途中で、登山者は登山の努力と苦労を再評価するだろう」と纏めている。 下山するということは、衰える・恥ずべきことではなく、 「見事に下山する。安全に、そして優雅に。」を目指して、生ききることこそ、 充実した人生を過ごすことと言えそうだ。 そんな気持ちをインパクトのあるフレーズにしたのが「日は堂々と西へ沈む」。 とかく「朝日」がクローズアップされがちであるが、一日を照らし続け、 堂々と西へ沈む「夕陽」に価値を見いだすことも大切であろう。 やっぱりこれからは「下山の時代」だな。(笑)
P.S (もうひとつ、へぇ〜と思ったトリビア) 朝日にかしわ手を打つのが神道で、西の空に沈む夕日に合掌するのが仏教である。
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2012年01月27日(金) ■ |
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「失敗」と「大失敗」の間には、天と地の差がある |
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映画「エリザベスタウン」(キャメロン・クロウ監督)から。 物語の冒頭、このフレーズで始まる。「誰かが言った。 「失敗」と「大失敗」の間には、天と地の差がある、と。 「失敗」とは、成功しないこと。「失敗」は、誰にもある。 だが「大失敗」は、神話的なスケールの災厄を意味する。 それは、人々の噂の種となり、聞く人に生きてる喜びを与える。 自分じゃなくて良かった、と」 この定義が面白くて、メモをした。 そう考えれば「失敗」なんて、大したことでなくなり、 くよくよ悩んでいたことが、ばからしくなる。 「大失敗」しようと思っても、そう簡単にできるものではないし、 もしかしたら、自分では「大失敗」と思い込んでいるだけで、 他人からみたら「失敗」のレベルかもしれない。 「人生は山あり谷あり」(if it wasn's this..it'd be something else.) と考えて生きることの大切さも教わった気がする。
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2012年01月26日(木) ■ |
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「帰りました」「お帰り」 |
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映画「天然コケッコー」(山下敦弘監督)から。 田舎の風景・田舎の空気が、作品全体を流れる中で、 私が、気になった会話がある。 子どもたちが、いつものように帰宅するシーン。 「帰りました」「お帰り」 えっ、「ただいま〜」「おかえりなさい」じゃないの?と、 すぐにメモして、ネットで調べたら 「ただいま」は「只今帰りました」の略、と説明にあったので、 「帰りました」は間違いではなく、むしろこちらの方が正しい。 逆に、帰宅した時「ただいま」を連呼する現代人は、 「ただいま」に続く「帰りました」を知らないかもしれない。 実は作品中「いってきます」も「いってまいります」と口にしている。 たぶん、僅かながらその違いがあるのだろう。 田舎らしさ満載の映画であるが、そんな会話にも 3世代同居の家族に、しっかり躾けられた「田舎」が感じられた。 私もこれからは「ただいま〜」と略さずに 「只今帰りました」と最後まで発音したいと思う。
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2012年01月25日(水) ■ |
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連続1万歩超、23日で途切れる |
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イチロー選手の連続安打ではないけれど、 1月1日から始めていた、1日1万歩以上歩く、が昨日途切れた。 健康のために始めた、ウォーキングだが、 私の弱点は、なかなかやめられないこと。 (普通の人は、続かなくて悩むらしいのだが・・(汗)) 続けると決めたら、雨の日も雨合羽を来て外に出た。 2万歩以上歩いた日も2日ほどあり、何よりも優先しそうで どこかで途切れる日を望んでいたのも事実である。 毎日の生活のリズムに組み込む、といったシンプルな 「コツ」を掴んでいると、いとも簡単に続いてしまうけど、 続けることで、健康を害しては本末転倒になるし・・。 年の初めに決めた目標は、あくまで1年「366万歩」だから、 生活のリズムに沿って、今日もまたいつものように歩き始めた。 お楽しみは、大晦日の(たぶん1人で)達成記念パーティ。 これって、自信の付け方でもあるんだよなぁ、私の場合。 さて今度は、何日連続記録が続くことやら。 ちなみに、今日は「13,511歩」
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2012年01月24日(火) ■ |
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子どもの歳で実感するんだよ、自分の歳を |
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映画「なごり雪」(大林宣彦監督)から。 大好きな伊勢正三の同名曲をモチーフにした作品とあって、 楽しみにしていたけれど、これほどの名曲となると 自分なりの「なごり雪」のイメージが出来上がっていて、 正直、素直に入り込めなかった、というのが本音である。 それでも時折、おっ、という台詞に出会い、メモをした。 その中の一つが、主役の三浦友和さんがぼそっと呟く、 「子どもの歳で実感するんだよ、自分の歳を」。 「そうらしいな」と、何気なく相槌を打つ相手も50歳間近。 この年代、いくら「自分は若い」と思っていても、 「お子さん、幾つですか」の問いに、答えることで、 「あっ、もうそんな歳なんだ。俺も若くないはずだ」なんて 我に返る瞬間があることを、私自身が思い出していた。 親の年齢でも同じことが言えるな、きっと。 「親の歳で実感するんだよ、自分の歳を」 う〜ん、やっぱりなぁ。
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2012年01月23日(月) ■ |
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職業病というやつです。残念ながら特効薬はありません。 |
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書籍「麒麟の翼」(東野圭吾著・講談社刊・325頁)から。 映画が始まる前に、原作からの一言を紹介しておこう、と思う。 主人公、加賀恭一郎は、彼にしかわからないような、 独特の視点と発想があり、常に「?」が念頭にあるような刑事。 ちょっとした仕草や言葉にも敏感であり、 そこから問題解決の糸口を見つけて、推理を組み立てていく。 そんな様子をみていた女性が「犯罪の臭いに敏感なんですね。」と呟き、 彼は「犬のようだ、とでも?」とサラリと返す。 この言葉のリズムとウィットに富んだ表現が、私は好きだ。 そして、自分でも納得しているのか、こう語るシーン。 「職業病というやつです。残念ながら特効薬はありません。」 レベルの違いはあれ、私も「まちづくり」に関して、 自分でも「職業病だな」と感じる時があるから、可笑しかった。 歩いていても、車を運転していても、お風呂に入っていても、 わが町の「まちづくり」を考えている時があり、これは治りそうもない。 いや、治そうと思っていないから、特効薬も要らないのかも。(笑) 地方公務員の職業病って、こういうことなんだろうなぁ、きっと。
P.S 残されたメモの中で、忘れられないのが 「昭和の匂いがすると松宮は思ったが、看板には大正八年創業とあった」 この視点、この発想、面白いよなぁ。
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2012年01月22日(日) ■ |
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このトランプには、ほとんど仕掛けがありません |
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第3回地域交流センター寄席・泉のまち古典芸能鑑賞会 出演は、二代目・林家木久蔵さん、三遊亭楽麻呂さん・ マギー隆司さん(マジック)・三遊亭好吉さん。 寒い土曜日、夜7時から、そして天気は雨、という条件にも関わらず、 多くの落語ファンが集まり、粋な時間を過ごした。 その中で、私のメモに引っ掛かったのは、落語以外の出し物、 色物と呼ばれる「マジック」のマギー隆司さん。 (色物とは、プログラムに赤い字で書かれていたかららしい) 師匠・マギー司朗の芸風に憧れ28歳で、自主的かつ強引に入門、 職歴「大工」のプロフィールが、私を思い切り笑わせてくれた。 師匠譲りのトーク爆発。 マジックの常套句「タネも仕掛けもありません」より、 「ほとんど仕掛けがありません」の方が笑えるのは、私だけではない。 マジックの途中で何度か呟いた、 「嬉しいです、今年、初めての仕事だから」は笑っていいのかなぁ。
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2012年01月21日(土) ■ |
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最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う。 |
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書籍「人間臨終図巻」(山田風太郎著・徳間書店刊・333頁) 毎年、恒例のように紹介してきた「○○歳で死んだ人々」。 今回の気になる一言は、 「53歳で死んだ人々」に対する、著者のコメント。 「最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う」 そうなんだよ、人間ってそういう面が多々あるよなぁ、と 慌ててメモをした。 悲しくて悲しくて、食べ物も喉に通らない、なんて光景や 泣きつかれて目が腫れている親族も、あまり目にすることがない。 「人間の死」って何だろうな、と考えさせられたフレーズである。 さて、恒例の他界した偉人であるが、 昨年の私の年齢、53歳で他界した偉人は 諸葛孔明、道元、足利尊氏、喜多川歌麿、為永春水、緒方洪庵、 佐久間象山、チャイコフスキー、ベーブ・ルース、グレース・ケリー、 有吉佐和子。 そして、今年の私の年齢、54歳で他界した偉人は 太田道灌、足利義政、デカルト、中江兆民、ラフカディオ・ハーン、 レーニン、鈴木三重吉、近衛文麿、ヴィヴィアン・リー。 そうそう「54歳で死んだ人々」に対する、著者のコメントは、 死の1秒前の生者「おれを忘れるな、忘れてくれるな!」 死の1秒後の死者「おれを忘れろ、忘れてくれ!」 これまた、なるほどなぁ。(汗)
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2012年01月20日(金) ■ |
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誰でもよ〜い。助けてくれ〜 |
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この台詞は、NHK大河ドラマ「平清盛」の一場面。 自分の出生の秘密を知り悩む、平清盛。 それは、自分の生き方を真剣に考えた人にとって、 一度は陥る悩みなのかもしれない。 「くそ〜、誰なんだ、俺は。誰なんだ」と大声で叫ぶ。 そうだよ、わかる、わかる、お前の気持ち・・と 物語に入り込んでいた私であるが、 それに続く台詞に、思わず吹き出してしまった。 「誰でもよ〜い。助けてくれ〜」 声の主は、落とし穴に落ちて、助けを求めている新興貴族、 信西だが、テレビ番組「マルモのおきて」や 映画「舞妓Haaaan!!!」や「泣くもんか」などで、 独特のキャラクターをもっている大好きな俳優、 阿部サダヲさんだったから、この台詞を選んだ。 一方は真剣に人生に悩み、一方は穴に落ちて困っている。 繋げてみると、その面白さが倍加するからメモにした。 「くそ〜、誰なんだ、俺は。誰なんだ」 「誰でもよ〜い。助けてくれ〜」 これなんだよなぁ、言葉の面白さは・・。
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2012年01月19日(木) ■ |
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AEDの仕組みは、校長先生の号令 |
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昨日話題にした「AED」(automated external defibrillator) 日本語に訳すと「自動体外式除細動器」。 しかし、その仕組み・役割を上手く表現出来ないでいたら、 担当の消防職員が、上手い例えを教えてくれた。 何かの原因で、心臓の動きが不規則(痙攣)になっているから、 それを規則的な動きに戻す役割、と説明を受けても、 さっぱりわからなかったのに、 「子どもたちが大勢集まって、ザワザワしている中で、 校長先生が登場して『静かに』と一声上げるようなもの」 という例えで、私はなるほど・・と理解できた。 不規則に動いている心臓の動きを、1度リセットして再起動、 そのために「AED」で心臓に電気ショックを与える。 そんなイメージでいいのだろうか。 これで、誰に訊かれても「AEDの仕組み」が説明できるし、 その必要性を理解したから、その場に居合わせたら、 躊躇なく「AED」を利用する気になれた。 (それまでは、それで「死んだらどうしよう」と思って、 行動できなかったけれど・・) 病院で行なう「電気ショック」も、そういう意味なんだろうな。
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2012年01月18日(水) ■ |
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その場に居合わせた人は、救命リレーの第1走者です |
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職場の「AED講習会」に参加した。 以前にも講習会に参加したことがあるが、 やはり、技術の進歩に伴い「AED」も進化していた。 1度習ったから講習はもういいよ、という問題ではなく、 何度でも、習っておく必要性があるし、 当時、疑問に思わなかったことも、気付くことがある。 「いつでも、どこでも、誰でも」という、 生涯学習の根底に流れている考え方と同じで、 「いつでも、どこでも、誰でも」使える「AED」で あって欲しいな、と思う。 さて、気になる一言は、実習前に観たビデオの一節。 救命の連鎖(チェーン・オブ・サバイバル)と言われ、 「早い119番通報」「早い心肺蘇生と徐細動」 「早い救急処置」そして「早い医療処置」が求められる。 いわゆる「救命リレー」なのであるが、 一番大切なことは、倒れた人を見つけた人の初期対応。 この人の行動がなければ、救命リレーはスタートしない、 そう解釈した。 テレビ画面が消える直前に流れたテロップをメモ。 「その場に居合わせた人は、救命リレーの第1走者です」 わかりやすいフレーズであった。
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2012年01月17日(火) ■ |
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家の中、火事にして、何が消防団や |
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映画「ふるさとがえり(2011)」(林弘樹監督)から。 自主上映会作品として、感想も交えて記したい。 東京では、映画の助監督だった主人公が、 ある理由で故郷に帰った途端、消防団に入れられる。 ふるさとの地域活動と言えば、男は「消防団」。 (女性は「婦人会」かな?(笑)) その視点がもう古くて、故郷に帰りたくない、と 思う若者が増える気がして、ハラハラして観終えた。 家庭を顧みず、消防だから仕方ないだろ、と口にして 毎日、家を空け、子育てなども手伝わない。 そんな男たちを見て、彼らの恩師が声を大きくして叫ぶ。 「家の中、火事にして、何が消防団や」 終いには「離婚届」を突きつけられて、始めて気付く。 ここまで極端でないにしても、男の消防団活動は、 傍にいる女性には理解されにくい。 「消防ってボランティアでしょ?」の一言で片付けられる。 全国で蔓延している「消防団員減少」は、 ある面では、女性の理解が第一優先だな、と感じた。 「ふるさと」をテーマにしたはずなのに、 妙に「消防団」が目立ってしまった印象があり困惑した。 ロケ地では盛り上がったらしいけど、全国ではどうだろう。 「田舎」と言っても、いろいろあるし、自主上映とはいえ 映画「エクレール・お菓子放浪記」とはちょっと違ったなぁ。
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2012年01月16日(月) ■ |
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「お帰りなさい・ただいま」VS「ただいま・お帰りなさい」 |
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映画を観ていて、我が家はどうだったかな?、と感じることがある。 どの作品というわけではなく、よくある何気ない会話であるのだが・・。 家族・夫婦をテーマにしたような邦画には、必ず見かけるシーン。 旦那さんが帰宅して、玄関のドアを「ガラガラ」と開ける。 そのあとに、奥さんが先に「お帰りなさい」と言い、 続けて、旦那さんが「ただいま」と返す。 ちょっと待って、逆じゃないのかな?と我が家を振り返る。 私が帰宅し、玄関のドアを「ガラガラ」と開けるまでは同じ。 最初に言葉を発するのは私の「ただいま」。 それを受けて、妻や母が「お帰りなさい」というパターン。 朝も同じ。「行ってきます・いってらっしゃい」なのか 「いってらっしゃい・行ってきます」なのか。(汗) どちらでも同じじゃないか、という人もいるだろうけれど、 私は、ちょっと違う気がしている。 不自然に感じられた映画のシーンだけれど、じっくり考えると、 先に、家族に声をかけてもらった方が嬉しいな、と気付いた。 上手く説明できないけれど・・感覚の問題かな。
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2012年01月15日(日) ■ |
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最後に、これだけ力が残っているなんてすごいねぇ |
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先週は「成人式」、今週は「第32回親子体力づくりマラソン大会」 生涯学習課は、新春からイベントラッシュで休みなし、 3月の年度末まで、体力・精神が持つだろうか、と心配になるが、 ヒントとなる光景に出会った。 「親子の部」と比べて、小学生や中学生は、2キロ、3キロと 長距離となるのだが、驚いたのは、最後の50メートル前後。 ほとんどの子供たちが、猛ダッシュでゴールを目指す。 脇で「頑張れ〜」と応援しているだけの私たちであるが、 直前までフラフラ状態で走ってきたのに、生き返ったように 辛そうな顔もせず、ゴールになだれ込むシーンは圧巻であった。 応援していた私たち50歳代の中年たちが、同時に呟いた台詞、 「最後に、これだけ力が残っているなんてすごいねぇ」。 どこに、そんな力が残っていたのか、今でも信じられない。 もう少しでゴール、という「もうひと踏ん張り」なのか、 早く終わりたい、という「ラストスパート」なのか、 とにかく「若い力」「エネルギー」を感じたマラソン大会である。 周りの応援も、励みになるというが、それだけではないだろう。 この力の出し方、私の仕事でも活かせないだろうか。 調べてみようっと。
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2012年01月14日(土) ■ |
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新春には、やっぱり「ポルカ」ですよね |
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第273回泉のまち音楽会、演奏は「Trio Aquarelle」。 (ピアノ小池冴佳さん・ヴァイオリン武田麻耶さん、 フルート遠藤佳奈子さんの3人) 「Aquarelle」(アクアレル)とは、フランス語で 「水彩画」を意味するらしい。(オシャレな名前だね) 選曲も、新春らしい曲目や、1月らしい曲をはじめ、 今年、生誕・没後〜年の作曲家の曲など、 彼女たちなりの思いやりが感じられる爽やかな曲だった。 アンコール曲は?と楽しみにしていたら、 ピアノの小池さんが満面の笑顔で、 「新春には、やっぱり『ポルカ』ですよね」と紹介した。 ヨハン・シュトラウス作曲の「ポルカ」と言えば、 ニューイヤーコンサートでは定番の曲であるが、 わが町の「2012年最初のコンサート」でも耳に出来、 大満足で帰路につくことができた。 季節に合った曲は、なぜか心にす〜っと入ってくる。 やはり、キーワードは「歳時記」だな、と確信した 今年はじめてのコンサートである。
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2012年01月13日(金) ■ |
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人間はいつでも巨大な劇場にいるみたい |
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書籍「スィート・ヒアアフター」 (よしもとばなな著・幻冬舎刊・157頁)から。 調べてないけれど「here after」は、たぶん 「将来・これから先・来世」の意味だと理解して読み始めた。 一作ずつのストーリーを説明するよりも、彼女の文体が好き、 そんな感じで、文中のキラリとした表現を紹介していきたい。 今回は「この世はなんて美しい、激しく緑が伸びる夏もあれば、 すぐにあんなに寒く美しい別世界のような季節がまためぐってきて、 あの椿の赤や落ち葉の黄色を眺めることができる。 人間はいつでも巨大な劇場にいるみたいなものだと思う。 心の中のきれいなエネルギーを世界に返すことが劇場のチケット代だ。」 これからの人生、「歳時記」を生活のキーワードとして過ごそう、と 考えていたばかりなので、私のアンテナに引っ掛かった。 わざわざ高価なものを手に入れなくても、自然は私たち日本人に対して 平等に「四季」という演目を見せてくれている。 しばらくは、彼女の表現どおり、四季を味わいたいと思う。
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2012年01月12日(木) ■ |
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読者と自分に対する「コミットメント」(2012) |
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1月は、あっと言う間に、過ぎてしまうから・・ 読者と自分に対する「コミットメント」として 「2011年の成果と2012年の目標」を記しておきたい。 「commitment」とは「約束。誓約。公約。確約」 ■2011年の成果 (2010/2011) 講演会(聴講) (17回/26回) コンサート(23回/27回) 美術館(14回/17回) 映画鑑賞(72作品/104作品) 新聞投稿掲載(1回/1回)・・ ■2012年の目標 (2011/2012目標) 講演会(聴講) (26回/12回) コンサート(27回/12回) 美術館(17回/12回) 映画鑑賞(104作品/84作品) 新聞投稿掲載(1回/4回)・・ 数字の右肩上がりだけが、成果ではないと思っているので、 2012年は、いつでも出来る読書を中心に、過ごしたい。 読書は、本の厚さやジャンルによって、差が大きいので、 あえて数字の目標は挙げないが、気になる一言に 書籍「○○」から・・のフレーズを増やしたい。 年末に、どれくらいの成果が得られるか、楽しみである。
P.S 1日10,000歩(1年3,660,000歩)も、一応、目標です。(汗)
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2012年01月11日(水) ■ |
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この気持ちを伝える言葉が、日本語にはありません |
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映画「余命1ヶ月の花嫁」(廣木隆一監督)から。 ストーリーは、テレビでもドラマになったというので、 私が説明するまでもないだろう。若くして乳がんに冒され、 余命1カ月を宣告された女性を中心に展開されて、彼女は他界。 彼宛てに残されたビデオレターは、わかっていても涙腺が緩んだ。 作品中「ありがとう」とか「感謝」という単語が何度も登場するので、 最後もきっと「感謝」を表す単語が溢れるのかと思いきや、 「太郎ちゃんには、本当に『感謝』しかありません。 うう〜ん、『感謝』なんて言葉じゃあらわせない。 なんて言ったらいいんだろう、この気持ち。 ・・・・・この気持ちを伝える言葉が、日本語にはありません」 この台詞で、我慢していた涙が止まらなくなってしまった。 今の世の中、あまりにも多くの場面で「感謝」という単語が使用され、 本当の意味の「ありがたい」という気持ちが薄くなっていると、 感じていたので、このフレーズには参った。 「感謝」という単語では、私の気持ちが伝わらない、という感覚がいい。 たぶん、日本語だけでなく、他の国の言葉でもないだろう。 「嬉しい」「悔しい」「悲しい」「楽しい」なども含めて、 「本当の気持ち」は、きっと言葉では表現できないものなんだろうな。
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2012年01月10日(火) ■ |
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女子高生の母親でありながら・・ |
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昨晩のテレビ番組に誘われて、夕食は妻とガストに。 普段、ファミレスに行く2人ではないのだが、 好奇心が勝って、ベスト10に入っていたメニューを試食。(笑) 事件は、会計の時に起きた。 母親4〜5人とその子供たち(女子高校生)が6〜7人。 私たちの会計前にレジに並んだ、と思いきや、個々に清算。 その時間、約10分。誰ひとりも「お先にどうぞ」も声もなく、 すまなそうな様子も見せずに時間が過ぎていった。 「こんなこと、男では絶対にあり得ない、だから女は・・」と、 怒りが口から出そうになった時、隣で妻が言い放った。 「女子高生の母親でありながら・・」 そうだ、男だから女だからではなく、ひとりの人間として 常識というか、思いやりがない、という言葉がピッタリである。 でもどうして、後ろに会計を待っている人がいるのに、 まとめて払って後で清算するとか、レジに並ぶ前に、 テーブルの上でレシート観ながら取りまとめるとか、 そういう発想が出来ないのか、私には理解できない。 こういう母親を観て、彼女たちは育つのか、と思ったら、 無性に情けなくなってきて、一言として残すことにした。 私の話のネタには、もってこいだけれど。(汗)
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2012年01月09日(月) ■ |
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あの日、あの時間、私は夢でも観ていたのだろうか。 |
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先日、とても不思議な光景を観たので、読者だけにご紹介。 最近は朝10分ほど早く家を出て、通勤の途中、寄り道をしている。 実は、柿田川公園の展望台からの景色を楽しんでいるのだが、 第1展望台のすぐ横にそびえ立っている、桑の木から、 枯れ葉が、パラパラと落ちてくる光景に出会った。 辺りは無風のはずなのに、それも、一度にバサッと落ちるのではなく、 落ちる順番が決まっているかのように、とめどなく落ちてくる。 まるで、小学校の卒業式で、短い台詞を繋ぎ6年間の思い出を語る、 あの独特のリズムを真似するかのように。 次はお前の番だぞ、あいつが落ちたら、間を置かずに落ちろよ、 木の葉同士の、そんな会話が聞こえてきそうな光景だった。 オー・ヘンリー作「最後の一枚の葉 The Last Leaf」を連想し、 翌日もその翌日も、爽やかな青空をバックにした桑の木を見上げたが、 何の変化もなく、その下では富士山の伏流水が、いつものように 勢いよく砂を巻き上げているだけである。 あの日、あの時間、私は夢でも観ていたのだろうか。
PS. ごめんなさい。今年は、時々、こんな日記みたいな文が混じります。
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2012年01月08日(日) ■ |
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死にたくなければ強くなれ |
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2012年、NHK大河ドラマ「平清盛」が始まった。 昨年は1月で観続けるのをやめたなぁ、と思い出しながら 今回は期待し過ぎないようにしなくては・・と気持ちを引き締めた。 「心の軸と体の軸」の関係について語った場面もメモしたが、 今回は、次回へ繋がる言葉として、素直に選んだのは 「死にたくなければ強くなれ」 自分の出生の秘密を知り、投げやりになる幼少の清盛(平太)に、 育ての親、平忠盛役の中井貴一さんが、迫力満点に迫った台詞。 そんなことどうでもいいだろう・・とはぐらかすのではなく、 幼くても、しっかり事実を伝え、最後に言い放つシーンは、 おっ、今年は年末まで耐えられそうだ、と感じさせる場面でもあった。 ただ、静岡県庁の職員を始め、県内市町職員の多くは 「平太」「平太」と、幼少名を多くの俳優が呼び捨てするたびに、 川勝平太・静岡県知事が浮かんだのではないだろうか。(汗) 今年1年は「平太」から目が離せなくなりそうだ。 あっ、平清盛のことです、はい。(笑)
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2012年01月07日(土) ■ |
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危険極まりない下等動物なのだ。 |
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書籍「ジェノサイド」(高野和明著・角川書店刊・590頁)から。 読み応え抜群の作品、当然私のメモも増えたので、 選ぶのに苦労したが、とりあえず(汗)、一つ紹介する。 進化した人類からみた、原生人類の評価が面白かった。 彼らから見た(私たち)現生人類とは「同種間の殺し合いに明け暮れ、 地球環境そのものを破壊するだけの科学技術を持つに至った、 危険極まりない下等動物なのだ」という表現が気になった。 「誕生から二十万年を費やしても殺し合いを止められなかった、 哀れな知的生物だ」とまで書いた上に、 「すべての生物種の中で、(私たち)人間だけが、 同種間の大量殺戮(ジェノサイド)を行なう唯一の動物」と定義している。 そして「そろそろ次の存在に、この星を譲ってもいい頃だと思うね」と 学者の口を通して表現した著者の気持ちが伝わってきた。 どんな理由があるにせよ、戦争は愚かな行為だと・・・ いつになったら、この世の人間たちは気付き、やめるのだろうか。 読み終えて、私も感じた「人間の残虐性」、怖い定義である。
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2012年01月06日(金) ■ |
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上手に冬を越して春を待て |
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年末と年始、家族で足を運んだ、三島大社。 引いたときのその人の状態を表している「おみくじ」は、 私の楽しみのひとつとなっている。 (たしか「おみくじ」って、運勢の占いじゃなくて、 その人のバイオリズムみたいなもの、と理解しているけど・・) 結果は「末吉」(汗) 仕事運から、健康、恋愛まで、良い事はひとつも書いてない。 (まんざら、当ってないとも言えないから、不思議だけど・・) しかし「大凶」?と思えるような解説に、目を疑ったが、 今は、その時じゃないということ。 じっと耐える時だから、無理をして新しいことに挑戦しないこと、 そう受け止めた。 あまり調子良くないんだな、と思いながらも、 その中で見つけたフレーズは「上手に冬を越して春を待て」。 そうそう、そんなに焦ることないじゃん、のんびりいこうよ、 と励まされたようなフレーズだった。 だんだん調子が出たとき、また引いてみよ〜っと。
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2012年01月05日(木) ■ |
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年末年始は「ジェノサイド」読破 |
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「年末年始はどう過ごしたのですか?」というメールが届いた。 映画三昧のはずだった、年末年始の過ごし方、 それが1冊の小説に興奮し、夢中で読み耽ることになった。 「本の雑誌」2011年上半期ベスト10の第1位に選ばれた作品、 そう「ジェノサイド」が私を惹き付けて離さなかった。 以前から、時間が出来たら読みたいなと思っていたが、 予想以上に分厚く、文字も小さいので、毎日少しずつ・・と思い、 頁をめくり始めたら、やはり止まらなくなってしまった。 ハリウッド映画を10本くらい、まとめて観た気分に等しい。 スケールの大きな、そして広大なテーマにした作品を読み切る、 こういう年末年始の過ごし方も悪くないな、と振り返った。 同じく年末に、ルワンダの大量殺戮を題材にした 映画「ホテル・ルワンダ」と「ルワンダの涙」を観たので 「ジェノサイド」という言葉に敏感になってしまったが、 日本や世界、人間・人類という視点で書かれた小説にも目を向けたい。 気になる一言の内容も、少し変化するかも・・乞うご期待。
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2012年01月04日(水) ■ |
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美談にしてるんじゃないよ |
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箱根駅伝の往路5区、東京農大の津野選手の起用について ネットの世界で、激論が交わされている。 「あんな状態でもよく頑張った」「あの走りが復路に繋がった」 「襷の重さに感激した」などの支持派。 「何かあったらどうするんだ」「選手交代できない運営に問題がある」 「美談にしてるんじゃないよ」などの不支持派。 私の意思表明をするとすれば、やはり「不支持派」。 走る前から「脱水症状」がわかっていたのに、 本人が「大丈夫」と言ったから、走らせた。(らしい) 医療のサイトを見ると「脱水症状とは、体内の水分量が不足し、 「体液のバランスがくずれることであらわれる症状、 脱水症状が進むと、頭痛、吐き気、筋肉のけいれん、 意識障害、腎不全などがあらわれ、死亡する場合もある」とあった。 その「危機管理能力の欠如」が「美談」として語られることに やはり、私には違和感がある。 最悪の状態になったら、デレビで観戦していた日本人の多くは、 目撃者として、世界の人々にどう言い逃れをするのだろう。 (批判覚悟で)あえて言うなら「たかが、箱根駅伝」ではないか。
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2012年01月03日(火) ■ |
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スピードをコントロールした走りが必要 |
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昨年の01月03日(月) の一言は「今年の注目は、8区後半の走り方」。 「10巻・20年」を目標に掲げて書き続けている「気になる一言」、 既に8巻分(16年間)を書き終え、今年は9巻目に向けてスタートした。 毎年、箱根駅伝の10区間と比較しながら、区間ごとの走り方を参考にし、 私なりの箱根駅伝、もうひとつの楽しみ方をしている。 昨年は、16年目だったから、8区後半の走りを参考にした。 「レースもいよいよ終盤。残 り9キロあたりから徐々に上り坂に入る。 特にラスト5キロに待ち受ける遊行寺の坂が最大の難所。 また後頭部への陽射しがスタミナを奪い、後半の失速へと繋 がる。 意外にもタフで侮れないコース」とあった。 なるほど、振り返ると昨年の後半は、確かにきつかった。 辛いながらも、なんとか今年に襷を繋いだって感じがする。 では、今年は・・と「箱根駅伝9区」のコース概略のを眺めると、 「9区は、タスキを受けてすぐ下り坂。ペース配分が難しい。 9区は下り坂となり、スピードをコントロールした走りが必要になる」 これまた、なるほど参考にしようっとメモをし、手帳に書き込んだ。 「仕事でもプライベートでも、スピードコントロールした生活」を 「焦らない、焦らない」と胆に銘じて、この2年間を過ごそうと思う。 特に今年(9区前半)は、知らずにスピードが出てしまいそうだから、 (1キロ3分くらい)「ゆったりと入る」ことを意識しよ〜っと。
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2012年01月02日(月) ■ |
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後ろに俺たちがいるから楽しんでこい |
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箱根駅伝(2012・往路)は、東洋大の圧勝で終わった。 私のメモから、一番輝いていたのは、ゴール後のインタビュー。 福島県・いわき総合高校出身の5区・柏原選手が自分の記録に対して 「自分が苦しいのは1時間ちょっと、 福島の人に比べたらきつくはなかった」であるが、 このフレーズはどこの新聞社も採り上げるだろうから・・別格だろう。 私が選んだのは、プレッシャーの掛かる4区1年生の田口選手へ、 先輩「山の神」柏原キャプテンからの一言。 「後ろに俺たちがいるから楽しんでこい」 これほど頼りになる、そして嬉しい言葉はないな、と思った。 結局、田口選手は区間賞の走りで、トップで柏原先輩に繋いだが、 この4区、この励ましが今回の大きなポイントだったな、と私は振り返る。 選手層の厚い「東洋大」の中で、唯一の1年生エントリーだった田口選手、 私たちの想像以上の緊張とプレッシャーを取り除いてくれたと思う。 山登りの走りだけでなく、チームの精神的な支えとなっている彼が、 明日の復路でも、キャプテンとして、各選手に叱咤激励するに違いない。 明日の結果が、今から楽しみである。
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2012年01月01日(日) ■ |
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年末年始は、自分を見つめ直す絶好の機会 |
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どこの家庭も、大晦日の大掃除や新年の準備で忙しいが、 私は、そんな作業は12月30日迄に済まして、 大晦日は、1年をじっくり振り返る日に充てて欲しいと思う。 正月3日間、どこのお店も閉まっていた時代と違い、 元旦から開店しているお店が増えたというのに、 いまだに大晦日の過ごし方が変わらないのは、 おかしな習慣と言えないだろうか。 そうでもしなければ、1年の反省・振り返りはしないまま過ぎ、 新年の目標設定などは皆無に等しく、年末年始の休暇が過ぎていく。 面倒くさいかもしれないけれど、しっかり1年を振り返らないと、 まわりの人に対する感謝に気持ちは湧いてこないのではないか、と。 大晦日の夕陽に向かって「感謝」をしながら、一年を振り返り、 新年の朝陽を浴びてから、新年の目標を新しい手帳に書き込む。 この2日間をどう過ごすかは、残りの363日(364日)に影響する、と 私は声を大にして言いたい。 それは、他人に言えるような立派な目標でなくてもいいし、 自分だけにしかわからない秘密めいた計画でもいい。 年末年始は、自分を見つめ直す絶好の機会。 「忙しい」を理由に、こんなチャンスを逃さないで欲しいと願う。
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