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2011年12月31日(土)
2011年「今年の熟語」・・「愛犬他界」に決定

4年前から、毎年恒例の世相を表す「漢字1字」に対抗して、
プライベートながら、1年を表す「熟語」を考えている。
手帳を開きながら、書き出した2011年・月別の熟語は
1月・有名人と会食 (落語家・桂米助さん、アカペラコーラス・ソフトボイスと会食)
2月・商標登録 (盛り上がっていた「五行歌」、やむ終えず、撤退)
3月・計画停電 (3.11東日本大震災で、私たちが感じた節電協力)
4月・妻脳梗塞 (妻を襲った突然の病、1ヶ月間の入院は2人の間を近づけたかな?)
5月・脱宝くじ (何年も買い続けた宝くじ(ロト・ナンバーズ)を止めた)
6月・世界レベル (世界的木版画家・牧野宗則氏との出会い、懐の広さを実感)
7月・柿田川案内 (牧野ファミリーを案内、何年かぶりにボート船上)
8月・発覚 (尊敬する先輩の不祥事発覚、かなり衝撃的だった、いろいろな意味で)
9月・はめ字文 (言葉遊びの「はめ字文」、新しい分野に挑戦開始した)
10月・母喜寿祝 (母77歳を、妹家族とあわせて6人で祝った。これからも元気で)
11月・点滴のみ (愛犬の体調不良、毎日、点滴を受けに動物病院へ。)
12月・愛犬他界 (家族同然の愛犬、18歳のジェイク、介護空しく他界)

■選考委員長(私自身)の弁
「愛犬他界」を2011年の熟語にしようと思う。
昨年から今年にかけて、私にとって、身近な人たちの死や病気が多かった。
特に、妻の脳梗塞と愛犬ジェイクの他界は、心が挫けそうになったけど、
仕事を除けば、何よりも看病に時間を割いたので、後悔はしていない。
熟語には選んでないけれど、今年はゴルフに一度も行かなかった。
そんな気分になれなかった、が正しいのだけれど、これまた思い出の年。
1年を振り返ると、やっぱり、家族同然の愛犬・ジェイクの死が
インパクトが強い出来事となったので、素直に「愛犬他界」を選んでみた。
来年は、平穏無事で1年が過ぎて欲しい、と願うばかりである。

PS.
一年間、ご愛読、ありがとうございました。来年も、ありがとうございます。



2011年12月30日(金)
新年を祝うのは、嫌いだ

映画「人生万歳!」(ウッディ・アレン監督)から。
すっかり頑固な偏屈老人となってしまった、
ノーベル賞候補にもなった、元天才物理学者のボリスが主人公。
その主人公の口から、機関銃のように発せられる台詞は、
建前抜きの本音が語られていて、ウッディ・アレン監督らしい。
「残念だが、人間は『失敗した種』だ」から始まり、
「愛は、人々が言うようなものではない。
愛は、全てに勝たないし、永遠でもない」なんて言葉まで。
その中で私が気になったのは「新年を祝うのは、嫌いだ。」
続けて「誰もが必死で楽しもうと、無理やり祝ってる」と言う。
悲しい気持ちで新年を迎えたい人もいるし、
大騒ぎをせず、静かに過ごしたい人もいるはずなのに、
新年くらいは楽しく迎えるべきだ、みたいな風潮が嫌だ、と
はっきりと口にする。
上手く言えないが、なんだかスッキリした感覚になった。
そして、作品の根底に流れているかのような台詞、
「あらゆる幸せは、全てつかの間だ。
だから、うまくいくなら『何でもあり』だ」が印象的だった。
ウッディ・アレン監督らしい、ハッピィエンド作品は、
いつも、人生の楽しみ方を教えてくれる。



2011年12月29日(木)
意外とエッチじゃないんだな、俺って

年末、「忘年会」と称して、飲む機会が増え、
当然のように、エッチネタ、シモネタが飛び交ったが、(汗)
驚いたことに、そんなネタに騒いでいる人たちを
冷静な目でみている自分がいることに気付き、ちよっと焦った。
嫌いというわけではないけれど、好きでもない、そんな感じ。
異性に触れて、あわよくば・・なんて気にならない。
(まぁ、相手のいい分もあるでしょうが・・(笑))
えっ、これってどういうことだろう?と、風呂に浸かり考えたが、
結局は、もうそんなことに興味がなくなってきてしまったらしい、
それが私の出した結論であった。
そんなことよりも、日溜まりの中で、気持ちよく昼寝をしたい。
出来るだけ多く、映画を観たいし、本も読みたい、
さらには、川柳や都々逸、はめ字文などの言葉遊びをしていたい。
今までもその傾向はあったのだろうが、今年は自分で自覚した。
妻は「歳を重ねたからでしょ」とか「枯れたんだね」というが、
高齢者でも「異性交遊」が好きという人もいるし、
一概に「歳」のせいとは言えない気がしている。
だからこそ、この気付きを記録に残しておこうと思う。
フレーズにすると「意外とエッチじゃないんだな、俺って」

P.S.
異論・反論のある方、メール、お待ちしております。(汗)



2011年12月28日(水)
子育て支援は、虐待予防

職場の大掃除で机の中を整理していたら、
以前所属していた福祉課関連の研修資料が出てきた。
その資料「児童虐待への対応」をパラパラと眺めていたら、
「子育て支援は、虐待予防」というフレーズが目に付いた。
私たちは、そんな視点で「子育て」を支援しているつもりは
なかったが、なるほど・・それもそうだな、と頷いた。
親のストレスが過剰になると「児童虐待」か、
「ネグレクト(育児放棄)」へと向かう。
児童虐待を減らすために「子育て支援」をする、という考えは、
たしかに、こじつけ的な部分もあるが、一概に否定は出来ない。
児童虐待の事例を目のあたりにするたびに、
親の教育方針を疑いたくなるのだが、簡単には直らない。
虐待にならないためには、その「育児」に視点をあて、
子育てのお手伝いをすることが早道と理解した。
叱り方がわからない親が、児童虐待に走る傾向は強いし、
自分も幼少期に虐待を受けた親は、もっと強い。
子育て支援が充実すればするほど、児童虐待が減る、
というのであれば、いくらでも「子育て支援」をしたい。



2011年12月27日(火)
も〜う、あいつ、いつ帰ってくんだよ

映画「今度は愛妻家」(行定勲監督)から。
豊川悦司さんと薬師丸ひろ子さんが演じる夫婦、
そうそう・・結婚10年目でなくても、こんな関係と私のメモは増えた。
その中で選んだのは、ケンカしても、口うるさくても、
いつも傍にいるのが常だった妻が、何日も帰ってこない。
普段なら、旅行に行っても、怒って出て行っても、
しばらくすると、何もなかったように戻ってくるのに、
今回だけは、いつもで経っても音沙汰がない。
そんな状態が続き、夫がたまらなくなって叫ぶ。
「も〜う、あいつ、いつ帰ってくんだよ」
最後は、そういう意味なのか・・と理解するけれど、
やっぱり、ちょっぴり切ない「ラブファンタジー」だった。
「俺の飯は?」「ない、やめたの、あなたのご飯つくるの」
「くだらんね、女ってのはなんでそんなくだらないことばかり考えてんの?」
「お前に関係ないだろ?俺の健康なんて」「関係ないんだ、私」
そんなどこにでもあるような夫婦の会話が、散りばめられていて
映画の世界のことだから、と割り切れないシーンがいっぱい。
そして、ラストシーン。
「なんで生きているうちに言ってくれなかったの?」「ごめん」
井上陽水さんの「夢の中へ」は、一緒に口ずさんでしまった。



2011年12月26日(月)
そろそろ「X'mas」表記はやめませんか?

クリスマスの昨日まで、クリスマス商戦、真っ盛り。
毎朝、ゆっくり新聞の折り込みちらしを眺めることが、
私の楽しみの一つになっているが、気になることがある。
それは「X'mas」書かれた広告文字。(だいぶ、減ってきたが)
「クリスマス」は英語で「Christmas」、
Christ(キリスト)mass(ミサ・祭日)の略であるが、
「X」がキリストを意味するギリシャ語(クリストス)
の頭文字、χ(カイ)だとは知らない人も多いはず。
だから、何も考えず「X'mas」と書いてしまうが、
実は「英語のX(エックス)でも、何かの省略形でもないから、
クリスマスを盛り上げる「お店のディスプレイ」や
「ちらし・広告」を扱う印刷関係の仕事をしている人たちには、
是非、知識として覚えておいて欲しい。
国際化が進んでいると言われる、今の日本であるからこそ、
外国人が見て、首をかしげるような間違った表記を
みんなの知識で減らすことから、始めてみたらどうだろう。
それが、真の国際化になるつながると、私は確信している。
言葉は力を持っているからこそ、正しく使いたい。



2011年12月25日(日)
「愛」という歌詞を「クリスマス」に変えただけだよ

映画「ラブ・アクチュアリー」(リチャード・カーティス監督)から。
イギリスを舞台に、クリスマス5週間前からの人間模様が
「愛」をテーマに繰り広げられる。
登場人物が多くて、その関係を整理しながら観ると、
ちょっと疲れてしまうが、
「見回すと、実際のところ、この世には・・愛が満ちあふれている」
と冒頭でメモしたフレーズが最後まで貫かれている。
全てがハッピィエンドかと思いきや、
旦那さんに浮気される奥さんだけは、悲しい想いで終わる。
この辺りが、作品の妙なのだろう。
さて、今回の気になる一言は、老いた元ロックスターが呟いた台詞。
「『愛』という歌詞を『クリスマス』に変えただけだよ」
その結果、またこの歌がヒットしてしまうというおまけ付き。
これって、今まで気付かなかった視点だから新鮮だった。
「愛」という単語と「クリスマス」という単語は、同意語・類語。
ラブソングや、クリスマスソングを探し、単語を入れ替えてみたら、
違和感がなかったのだから、不思議である。
「愛」と「恋」を入れ替えても、違和感があるのに・・。
こんな言葉探しも、楽しいかもしれないな。



2011年12月24日(土)
クリスマスイブだけど、今日は早寝だな・・

1年の疲れ・12月の疲れ・先週の緊張した疲れ・昨晩の忘年会の疲れ、
どれが影響したかわからないけれど、朝から身体がだるく、
体調が思わしくないので、コタツとホットカーペットの上で、
マッタリとした時間を過ごした。
昨日、ビデオ屋で借りてきた、新しい映画も観る気がしなく、
何度も観たはずの映画「大停電の夜に」を観直した。
(なんと今年100作品目の映画鑑賞となったが・・)
作品全体を包み込む、キャンドルの明るさが、
何ともいえない心の癒しとなり「温かさ」を運んでくれた気がする。
こういう日は、こういう過ごし方も悪くないな・・と思う。
母や妻は、年末だから掃除をしてよ、部屋を片付たらどうなの・・と
ゴロゴロしている私に、感じているんだろうけれど、
私は、あと数日残っている今年のうちに、仕事の懸案問題を解決したい、
そう考えている。
そう簡単に解決する問題ではないことを知っているからこそ、
頭をスッキリさせて、体調を整えて、今年最後の週に臨みたいと思う。
クリスマスイブだけど、今日は早寝だな・・



2011年12月23日(金)
ホラー映画は、最初から観ない

読者にはお馴染みの、同級生混声合唱団。
町芸術祭の打ち上げは、不参加も多かったので、
急遽、地元のレストランで、忘年会となった。
クリスマス・イブイブの、ピアノ演奏付きフルコースディナー。
なぜか映画の話になって、しもさんのお薦めは?というので
クリスマスイブには「大停電の夜に」を観て欲しい、と続けたが、
このインバクトのある台詞に負けてしまった。
以前から「殺しあう映画は観ない」という私は、
ホラー映画なんて、怖くてもってのほか・・と主張したが、
同級生の彼は「ムーヒー+」を観るけれど、
「ホラー映画は、最初から観ない」と言い切った。
最初に「ラストシーンを観て」、それから「始め」を観て、
最後に「中盤」を観る、と怖くないらしい。(笑)
これには、一同、大爆笑。もちろん私は言葉を失った。(汗)
映画の話は、どんな世代にも共通の話題だけど、
「ホラー映画、怖くならない鑑賞の仕方」、これは新発見。
最初に結末を観てから、物語を繋げていく・・
う〜ん、確かにホラー映画も怖くなくなるかもしれないけれど、
それって「ホラー映画」の正しい鑑賞の仕方だろうか?
いいのかな、こんな映画の味わい方で。
まぁ、いいか、私は、そんな方法でも絶対観ないから。



2011年12月22日(木)
書き写すのが、楽しいんだよ

今年の手帳から、来年の手帳へ。
メモで溢れた真っ黒手帳から、新品の手帳へ。
私の手帳は、私の分身とも言える大切なもので
どこへでも持ち歩く、アナログ版の私のデータ。
私だけのオリジナル手帳カバーは、
知人の革細工の先生に作っていただいた上に、
酔っぱらっていた宮西先輩のサイン入り。(笑)
前年の成果をまとめたり、新年の目標を書いたりして、
自己満足の世界に浸りながら、移行作業をすることになる。
特に時間を費やすのが、知人や友人の誕生日・記念日の記録。
エクセルで管理しているデータを加除しながら、
新しい手帳に書き写して行く作業は、能率的に考えれば
別冊に記録しておくことで、対応できるのだが、
私は敢えて、毎年毎年、書き写すことにしている。
誕生日・記念日に、タイミング良く声が掛けられるよう、
本人の顔を浮かべながら、書き写していく作業は、
周りからみると非常に手間が掛かるのだが、私にとっては、
年賀状に匹敵するくらい大切な作業であり、楽しいこと。
一言にすると「書き写すのが、楽しいんだよ」となる。
365日のうち、あと11日、空白の日にちがあるけれど、
これまた、焦らず、慌てず、埋めていきたいと思う。



2011年12月21日(水)
女にだって、拳(こぶし)はあるのよ

映画「あしたのジョー(2011)」(曽利文彦監督)から。
漫画「あしたのジョー」ど真ん中世代の私には、
ちょっと物足りないストーリーだった。
映画化された場面だけ評価すれば、それなりだが、
やはり、永遠のライバル、力石徹死後の矢吹ジョーも、
私たち世代は、しっかり覚えている。
リングサイドで「真っ白」に燃え尽きるシーンまで。
だから、今回は覚えていないフレーズをメモした。
力石との試合をしないよう哀願する「白木葉子」に、
矢吹ジョーが、はねのけるように
「これ以上、男の世界に立ち入るんじゃない」と叫ぶ。
面白かったのは、この後、白木葉子がジョーにパンチ。
「女にだって、拳はあるのよ」
そして、物語後半、今度はジョーが白木葉子に呟くシーン。
「あんたも、いいパンチ持ってんだから、
使い方、間違えんなよ」
この2つの台詞が対になっているのに気付いた時の喜び、
メモ魔の私にしかわからない楽しみなのだろう。
有名な漫画の実写映画化としては、
香川照之さん扮する丹下段平役を始め、どれもがビッタリ。
「立て、立つんだ、ジョー」の名台詞も、合格点かな。
もう一度、原作の漫画を読み直したくなった作品であった。



2011年12月20日(火)
こいつね、羊の皮をかぶった山羊なんだよ

あまりに真面目すぎたり、優しすぎる人を紹介されると、
へそ曲がりの私は、すぐ疑いたくなる性格なのだが、
先日、ある飲み会で紹介された人は、疑いの余地がなかった。
だって、紹介のされ方が、
「こいつね、羊の皮をかぶった山羊なんだよ」(笑)
それは、間違いないね、と笑うしかなかった。
みなさんご承知の諺は「羊の皮を被った狼」
「一見 礼儀正しく親切そうな人を装っているが、
じつは腹黒い策略家」とか、
「外見は非常におとなしいが、本性はその逆」。
だから、紹介する時も
「こいつ、実は、羊の皮を被った狼なんだよ」と笑い飛ばす。
まぁ、男だからしょうがないか、なんて言いながら使う台詞。
(悪い意味ではなく、芯の強い人ってこと、という説がある?)
しかし、今度誰かに人を紹介する時、使ってみたいと思う。
「こいつね、羊の皮をかぶった山羊なんだよ」
女性の場合、これに見合う表現が、なかなか思いつかない。
「天使の顔をした小悪魔」・・なんて言わないものなぁ。



2011年12月19日(月)
我々が調整して、運命どおりに歩かせてる

映画「アジャストメント」(ジョージ・ノルフィ監督)から。
「アジャストメント」とは、運命を遂行する「調整員」だ、と言う。
決められた運命を逸脱しないよう世の中を監視しているらしい。
だから・・「ネットが接続不能だったり、鍵を忘れたりするのは、
偶然ばかりじゃない。」と。
「わざと、コーヒーをこぼして、時間を調整したりもする」
普段、おかしいな?と思うことや、ちょっとしたハプニングは、
「我々が調整して、運命どおりに歩かせてる」と言い切る。
しかし映画と知りながら、へぇ〜そうなんだ、と納得してしまった。
どうしてこんな時間に、こんなところで会うの?と思うほど、
不思議な出会いがあったりしたことも、これで理解できたりする。
ストーリーよりも、その発想が面白くて、メモをした。
以前、邦画「Sweet Rain 死神の精度」で「殺しにきたの?」の問いに
「死神は『死に値する生き方をしたか』を判断するだけ」という台詞を
残したが、同じような感覚になった。
アジャストメント様、どうか素敵な運命を歩かせて下さい。(汗)
(物語としては、そんな生き方じゃダメなんだけど・・)



2011年12月18日(日)
来年のための今年が始まった

メモによると「花王」のCM、キャッチコピーである。
「来年のための今年が始まった」
たぶん、箱根駅伝のメモと一緒に残っていたから、
年の初めのCMだと思われる。もうすぐ1年が経つ。
実は、私が住んでいる場所であり、働いている場所でもある
「静岡県清水町」が、2年後の11月3日「町制施行50年」を迎える。
もう勘のいい読者はおわかりだろう。
捨てようと思っていた、このメモを眺めていて、
「50年目のための49年目が始まる」と感じたから、気になる一言。
49年目の平成24年度になって、来年の記念行事を、と動き出しても
あまりいいアイデアが浮かぶとも思えないから、
来年度は「プレ・イベント」をするくらいの余裕をもって、
前々年からじっくり考えて、50年目を迎えたい、と思う。
50年は、節目の年の中でも、大きな意味を持つ節目に違いない。
人生でも50歳は、大きな節目。結婚生活なんて「金婚式」(笑)
それだけに、ただの通過点で、終わってはいけない。
そう言う意味では「50年目のための48年目」を大切にしたい。



2011年12月17日(土)
ペリー来航、実は幕府は慌てていない

講演会「第145回泉のまちカレッジ」講師「桜井祥行氏」
演題「安政大地震の津波とロシア号・ディアナ号」から。
大人になって聴く歴史は、こんなに楽しいものか、と思う。
年代ばかり覚えていた受験用の歴史とは大違いであった。
「テストがないからなんだな、きっと」と納得したが・・。
さて、教科書に載っていないけれど、楽しい話題満載で
あっという間の1時間半だった。
「信長の時代、鉄砲保有数では、日本が世界一だったんですよ」
「ペリー来航(1853.7)、来年来るよ、って言って帰ったので
幕府は、翌年の7月だと思ったらしい」とか
「ペリー来航、教科書では幕府は大慌て」と説明するが、
「実は、幕府は慌ててない。情報は筒抜けだったし、
地球儀を見ても驚かなかったから、外国人の方が驚いた」
私にとって、史実の正確性よりも、日本の歴史と世界の歴史が
密接に関連があることが楽しかった。
日本史と世界史、同時に教えてもらえば、もっと楽しかったのに。
ロシア、プチャーチンの来航だけでも、ペリー来航だけでなく、
クリミア戦争と関係があったり、そのクリミア戦争で、
洋服の「カーディガン」が発明された、なんて雑学も知った。
大人のための「歴史の授業」、来年度、計画してみようっと。



2011年12月16日(金)
夜は星になって あなたを見守る

みなさんご存知「千の風になって」の一節である。
「朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る」
先日、コンサートで、このフレーズを久しぶりに耳にして、
不思議な感覚になった。
身内を始め、多くの人間の死に立ち会ってきて
この歌を聴いた時は、実はあまり感動するものがなかった。
しかし、もうすぐ18歳を迎える直前に他界した、
愛犬・ジェイクの写真を見ていたら、周りを気にすることなく
涙が、止まらなくなってしまった。
ここ数年間、一緒に寝起きを共にしていたからだろうか、
飲み会で遅くなり、どんなに帰りが遅くても、(お酒臭くとも)
私としか寝なかった彼が、愛おしく感じる。
他界しても、夜は星になって 私を見守ってくれてるに違いない。
そんな気持ちになったから、涙が溢れたのだろう。
人間では感じなかった、この歌詞の魅力、
ペットのはずの犬に、思い切り感情移入したので、
敢えて、このフレーズを記録として残したいと思った。
きっと何年かしても、酔っぱらった帰り道、夜空を見上げながら、
このフレーズを思い出すに違いない。



2011年12月15日(木)
「しもさんの気になる一言」に登場したい

実は、私にとってこれほど嬉しいフレーズはない。
先日、「香り」の講義をしてくれた女性が、
講義を始める前に、さらっと口にした台詞。
今日は、こんな内容をします・・と概要説明した後、
「今回、私の望みは・・」と前置きをして、
「『しもさんの気になる一言』に登場したい」。
言い換えれば「心に残るような説明をしたい」、
「一言で、今日の講義を思い出せるような、
インパクトのあるフレーズを残したい」私は、そう解釈した。
ただし、どんなに素晴らしい講演会や講義でも、
私のアンテナに引っかかる、引っかからないは別問題。
だから、なんでそんなことをメモするの?と訊かれることも。
それでも、出来るだけ、その台詞を見るだけで、
いろいろなことが思い出せるようなフレーズを探して、
「気になる一言」を書き続けている。(つもり)
一緒に飲んでる時にメモをすると、
「えっ、それ、気になる一言になる?」と訊ねられるけれど、
帰宅後、パソコンに向かった時の気分だから、確約は出来ない。
それだけ「気になる一言」に登場することは、難しい。(笑)
ましてや、2年に1度の印刷物として掲載されるには、
10日ごとに選んでいる「気になる一言(縮刷版)」に選ばれる必要がある。
さて、このフレーズも残るか、どうか・・神のみぞ、知るところ。
毎月、10日・20日・月末の選択も、私の気分次第だからなぁ。



2011年12月14日(水)
うぁ〜、ゴルゴンゾーラだぁ

先日、打ち上げと称する懇親会で、イタリアン料理を食した。
いろいろなものを少しずつ口に運び、後半にピザが二種類。
はじめテーブルに運ばれたピザは、誰も反応せず、
二番目に運ばれたピザには、大喝采となった。
その雰囲気を一言で表現するフレーズが、
「うぁ〜、ゴルゴンゾーラだぁ」である。
イタリアを代表するチーズだから、私は驚かなかったが、
女性陣の喜びようは、メモの対象となった。
確かに「世界3大ブルーチーズ」と呼ばれるほど貴重で、
癖があるけれど、この興奮は「想定外」であった。
居合わせたメンバーに訊くと、
ゴルゴンゾーラが好きな女性は、知的な人が多いとか。(汗)
「ブルーチーズ」って、そんなイメージがあるらしい。
私もショットバーで、ウィスキーのつまみに頼むけれど、
そんなに大袈裟に喜ぶことなのなぁ。
あっ、もしかしたら、フリードリンク込みの会費で、
ゴルゴンゾーラのピザが出てくることに驚いたってこと?
それなら、なんとなく私にも理解できる。(笑)



2011年12月13日(火)
その2つを合わせると、あなたを一生苦しめる力を持つのです。

映画「ジュリエットからの手紙」(ゲイリー・ウィニック監督)から。
主人公が、恋愛アドバイスを求める手紙への返信をしたところから、
物語は始まり、ラストにその返信した手紙の内容が紹介される。
「親愛なるクレア」で始まるその内容は、
「『もし』と『あの時』は、それぞれごく普通の言葉にすぎません。
でもその2つを合わせると、あなたを一生苦しめる力を持つのです。」
と続く。「もしあの時」「もしあの時」「もしあの時」
人生を振り返って「もしあの時」と思うことがあって、
(今でも後悔しているのなら)少しの勇気を持ち、あなたの心に従って、と。
それは「恋愛」に限らず、多くの場面で言えることかもしれない。
ただ、うまくいかない理由として「もし・・」を口にするのなら、
それは、後悔することもなく、その場しのぎの言い訳となるが、
心から後悔するほどのことならば、一歩を踏み出してみて・・という
アドバイスにもなる気がした。
メモしたのは、そのアドバイスへ向かう導入部の表現。
「後悔」という意味を、とても素敵に言い直している。
是非、こんな言葉の使い方の出来る人になりたい、と思う。



2011年12月12日(月)
佃品質。佃プライド。

書籍「下町ロケット」(池井戸純著・小学館刊・407頁)から。
(「H2Aロケット打ち上げ成功」を喜びながら・・)
地方の中小企業(佃製作所)が、大手会社・帝国重工を相手に、
真っ向から勝負を挑むのだが、痛快というべきか、
小説ながら、拍手を送りたくなるほどの展開だった。
テレビ番組で夢中になって観た「プロジェクトX」に似ていて、
途中から、中島みゆきさんの「地上の星」が、
私の脳裏にBGMとして流れているようだった。
彼らの、無謀とも言えるチャレンジを支えていたのは、
まさしく「佃品質。佃プライド。」
自分たちの作る製品の品質と、それにかけるプライドだけは、
どこにも絶対に負けない、それは大企業にだって。
これは視点を変えると、私たち行政にも同じことが言える。
何百万の住民を抱える大都市から、数百人・数千人の町村まで、
住民のことを考えながら進めるまちづくりは、大小の差はない。
分野に関係なく、自分の働く自治体の「品質」だけは、
どこにも負けない、という「プライド」が欲しい。
「清水町品質」「清水町プライド」・・
そしてまた、個人でも同じことが言えそうだ。
「下山品質」「下山プライド」・・なるほどなぁ。



2011年12月11日(日)
いま下山の時代に

書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)から。
書店で目にして、珍しく立ち読みもせず(内容も確認せず)
タイトルだけで購入してしまった書籍。
その目次(見出し)の1つが「いま下山の時代に」
もちろん「登山」に対する「下山」として「げざん」と読む。
そんなことは、百も承知で、手に取った。
「下る」ということは、登る(上る)と同様に、
大事なプロセスだと、筆者は言っている。
見出しは「いま下山の時代に」をはじめ、
「下山しながら見えるもの」「下山する人々」・・と続く。
これだけ「下山」の文字が溢れた書籍は、
今まで、見たことも聞いたこともない。(笑)
本来なら「げざん」と読まなければならない文も、
ついつい「しもやま」と読んでしまい、
内容がわからなくなったり、これほど読みにくいものはない。
でも、飲み屋での話題には、これ一冊持っていれば申し分ない。
やっときたかぁ「下山の時代」が。(汗)



2011年12月10日(土)
アロマオイルは農業なので・・

働く女性の会・ATGネット12月例会だった。
テーマは「ATG流 香りで美しく、健康に」、講師は神宮優子さん。
「肩こりを香りで治せないものか」と香りを追求し、
「筋肉と精神の緊張を解くこと」で、肩こりが緩和されることを
彼女はいろいろな経験から知っているようだ。
今回は、講義中「芸能人の格付け」ではないが、どのラベンダーが、
自分のお気に入りか・・・のテストをしてみた。
比較したのは「ラベンダー」の商品名で販売されている3種類。
「〜アルパイン」5ミリ・3500円程度・標高1600m以上・野生種・手積み
「〜ハイアルト」5ミリ・2800円程度・標高800〜1500m・オーガニック
人工香料    5ミリ  10円程度
私が選んだのは、なんと嗅ぎ慣れている「人工香料」(汗)
あの番組の面白さを、こんなところで実体験してしまった。
さて、気になる一言に選んだのは、その体験後の台詞。
「アロマオイルは農業なので、生産者がはっきりした方が良い」
吸引・塗布・内服する香りだからこそ、食物と同じ感覚が欲しい、と
言うことだろうか。
私たちは「健康に良い」「痩せる」などのキャッチコピーを信用し、
危機感を持たずに試す癖があるが、しっかり選ばなくちゃ、と反省した。
しかし、実際自分で作った「香り」に、こんなに愛着が涌くなんて、
不思議な感覚を体験している。
確かに、苦労して作った家庭菜園の野菜と同じ感覚かもしれない。
香りって、意外と楽しいし面白いな。
(「においフェチ」から「香りフェチ」に格上げしようっと)



2011年12月09日(金)
佐賀県人に「日本人ですか?」(汗)

議会も残すところ最終日を待つのみとなり、
一段落したところで、12月恒例の「忘年会」がスタートした。
本日、2011忘年会、第一弾、お店は、三島の「さがみ」。
予想以上に混んでいて、なかなか注文した品が運ばれず
イライラしていたのかもしれないが、対応してくれた女性が
たどたどしい日本語で、謝ってきたので、私たちも勘違いして
「日本人ですか?」と訊ねてしまった。
「はい、日本人ですよ。実は九州の佐賀で、よく間違われます」
忙しさで、反論する余裕がなかったかもしれないが、
失礼なことを訊ねてしまった・・と、猛反省をした。
最近、礼儀正しいのは外国の従業員、という固定観念があり、
言葉も私たちのイントネーションと違い、接客態度も良い、
この人は、日本人ではないな、きっと、と思い込んだのが間違い。
しかし、この勘違い、なんだか寂しいことだな、とも思う。
もう少し、人間を観る目を養わなければなぁ・・。
今年は、あと何回、忘年会をするだろうか、
私自身の品格が試されている気がしてならない。



2011年12月08日(木)
便利さは、美の一番の敵

アメリカの日本文学研究者、文芸評論家である、
ドナルド・ローレンス・キーン(Donald Lawrence Keene )の言葉。
彼は、日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績を残したとされる。
そんな彼の台詞、と私のメモには残されていた。
「便利さは、美の一番の敵」
う〜ん、確かに・・と思って、書き留めたに違いない。
言い換えれば「便利」の対極に存在するのが「美」とも言える。
便利で美しいものもあるけれど、それは「グッドデザイン」であり、
やはり「美」とはちょっと違った感覚のようだ。
日本人が「美」に対して、あまり関心がなくなった証拠に、
女性の「○美」という名前が減った気もする。
もうそろそろ「便利さ」の追求に、終止符を打ちたい。
さもなければ「美」と呼ばれるモノがなくなってしまうから。
「美」を残すためには、少しばかり「不便」でもいいじゃないか。



2011年12月07日(水)
ステーキがあるのに、ハンバーグを食うか?

映画「恋におぼれて」(グリフィン・ダン監督)から。
彼女に、彼氏が浮気したと勘違いさせる方法は、
いくつもあるもんだなぁ、と楽しみながらメモをした。
大道芸のサルに口紅を塗って、キスさせる方法、
子どもに香水入りの水鉄砲で洋服にかける方法、
彼の部屋に、女性の下着をわざと見つけやすいように
隠しておいて気付かせる・・など。(笑)
どれも、彼が勘違いだよ、と言っても、納得しない。
これは、永遠のテーマだから仕方ないな。
しかし、フランス人の彼が彼女を説得したフレーズ。
「ステーキがあるのに、ハンバーグを食うか?」
こんな言葉で、彼女の怒りは治まってしまった。
でも言われて悪い気がしないよなぁ、この台詞。
剥きになって「浮気なんてしてないよ」と
口調を荒げるよりも、この言い訳のほうがいいな。
しかし・・このフレーズを女性が知ったら、
「こう言えば許してもらえると思って・・・」と
またまた火に油を注ぐことになる。
今回ばかりは、女性が読まないことを願います。



2011年12月06日(火)
「設計の目的」より「何に役に立つか」だ

映画「アポロ13」(ロン・ハワード監督)から。
台詞をメモをしながら鑑賞するのは初めてだが、
この作品を観るのは何度目だろうか、と振り返った。
その度に、気になる台詞が違うあたりに、私はなぜか惹かれる。
今回は、絶体絶命のトラブルを解決するためには、
どのような視点で望むべきか、と気付かせてもらった。
「月着陸船(LEM)は月着陸用に設計した、方向転換のためでは・・」
と専門家が言いかけたところ、一喝して黙らせたシーン。
「だが、残念ながら(トラブルにより)月着陸は流れた。
(大切なことは)「設計の目的」より『何に役に立つか』だ」と。
なるほど・・と、頷きながら、メモをした。
同じようなことが、船内の二酸化炭素量が増えたシーンでもある。 
「司令船のフィルターは形が四角、LEMは円形。
丸い穴を、四角い栓で塞ぐ手段を考えるんだ。
みな考えてくれ、LEMにあるこの材料を使って」と。
そして、想像もできないような材料で二酸化炭素のフィルターを作り、
遭遇した危機を脱することに成功する。
これも「何のために作ったか」よりも「何の役に立つか」という、
発想の転換をNASAに働くスタッフに求めた場面である。
この視点こそ、私たちの仕事や生活に役立つ考え方ではないか。
本来の目的以外の利用方法を考えることは、頭の体操にも繋がるだろう。
早速、身の回り品で、違う使い道を試してみてはいかが?



2011年12月05日(月)
眠りは、悲しみを中断する

何かの本に掲載されていたのかもしれない。
情報源が不明で、申し訳ないが、
メモ整理をしていたら、浮かび上がったフレーズ。
「眠りは、悲しみを中断する」
誰にだって、悲しくて悲しくて、涙が溢れることもある。
辛くて寝付かれないだろう・・と思っていたが、
泣き疲れた後は、知らない間に、眠ってしまう。
読者には、そんな経験はないだろうか。
河島英五さんの「酒と泪と男と女」の一節、
「泣いて、泣いて、ひとり泣いて、
泣いて、泣き疲れて眠るまで泣いて」をふっと思い出させる
フレーズとなった。
そしてまたその「眠り」が、疲れを取ることにも繋がる。
「眠りは、悲しみを中断する」ばかりか、
体力の回復にも力を発揮することを知っている。
言い換えれば「悲しくなったら、眠る」。
これを、胸に刻んでおきたい。



2011年12月04日(日)
犬や猫を飼ったことのない人には、わからないものね

18歳間近の愛犬、ダックスフントのジェイクが他界して、
今日は、小春日和の晴天の中、火葬をすることになった。
しかし今日は、県下一斉の「地域防災訓練」の日。
昨日から真剣に迷ったが、やはり愛犬の火葬を選択し、
地域防災訓練は、代理をお願いして、無事終えた連絡を受けた。
公務より、ペットの火葬を優先するなんて・・という批判も覚悟で
選択した一日であったが、私は後悔していない。
娘も、犬・猫を飼っている職場の先輩に相談して駆けつけたようだ。
こればかりは、たかがペットが死んだくらいで・・と思うか、
永年飼うと、家族の一員だものね、と言う意見に別れる。
私も娘も、理解してもらえそうな人に、事情を伝える、という
ちょっと、ずるいかもしけないけれど、同じ手段をとったようだ。(笑)
それを、フレーズにすると、
「犬や猫を飼ったことのない人には、わからないものね」。
もちろん、胸を張って、自分達が正しいとも思ってもいない。
けれど、私たちは「身内に不幸があって」という言葉を使いたいくらい
犬や猫を愛していたという気持ちだけは、間違いない。
今日の気持ちを大切にして、動物やと鳥、熱帯魚など、
可愛がっていたペットがが死んだから休ませて欲しい、という願いは、
出来るすぎり叶えてやりたい、そんなことを思った一日である。



2011年12月03日(土)
もう一度、おまえに腕枕をして、寝たかったよ

覚悟はしていたが、とうとうこの日を迎えてしまった。
このところ、点滴だけの生活が続き、体重は激減したが、
それでも、私のそばで寝る吐息に、彼の「生きる力」を感じていた。
しかし、愛犬・ジェイクは、18歳の誕生日を迎える直前に他界、
早朝、妻に抱かれたままの状態で、人間と同じように、
死ぬ間際、一度、息を大きく吸ったかと思ったら、
そのまま動かなくなってしまった。
私が「公務員パパの生活コラム150」の原稿を書き始めた年、
彼は、我が家にやってきた、そう17年前の春のこと。
当時の日記には、新しい家族「ジェイク」が何度も登場している。
思えば、それからほぼ毎日、私は彼のそばで日記を書いている。
また我が家の家族それぞれが、彼との関わりの中で、思い出を作り、
今晩は、思い思いの夜を迎えている。私はそれでいいと思う。
自分の人生の中の18年間に、彼の存在があることは間違いないのだから。
冷たく、そして硬くなっているジェイクを眺めていたら、
涙が溢れ、やはりこの言葉しか浮かばなかった。
「ずっとそばにいてくれてありがとう。絶対に忘れないからな」
そして「もう一度、おまえに腕枕をして、寝たかったよ」



2011年12月02日(金)
「チャレンジ」と「トライ」の違い

2011年11月14日(月) 「チャレンジ」と「ギャンブル」の違いについて
気になる一言で採り上げた。
数日後、読者の1人から、投げ掛けがあったのでご紹介。
「『チャレンジ』と『トライ』の違いって、どう思われます?」
う〜ん「チャレンジ」と「ギャンブル」の違いより、難しい。(笑)
「再チャレンジ」とは言うけど「再トライ」とは言わず、
「リトライ」と言うけど「リチャレンジ」とは言わない。
「チャレンジ精神」とは言うけど「トライ精神」とは言わない。
この辺りに、違いのヒントが隠されている気がするのだが・・。
彼は、チャレンジを、こう定義している。
(1)チャレンジは目標よりもかなり上にあること
(2)チャレンジは達成ではなく成功であること
(3)チャレンジの成功には驚きがある
私が考えた違いは、本人の気持ちの持ち方の差。
試行錯誤のつもりで「失敗も経験」程度の心持ちは「トライ」、
それと比較して「失敗することは考えていない」のが「チャレンジ」。
答えになったかどうか自信がないので、また「リトライ」してみます。(汗)



2011年12月01日(木)
ビン・缶の投棄てはやめましょう

ある公園で見つけた「看板」の注意書き。
「ビン・缶の投棄てはやめましょう」
実は、読み始めてすぐ「?」と首をひねった。
「ビン・缶のトウキてはやめましょう」
もちろん「投げ棄て」(なげすて)とも読めなくもないが、
「投棄て」は「とうきて」と読まれる可能性がある。
「投棄」は「不法投棄禁止」とか「海洋投棄」などと使用し、
「投棄て」という読み方は、ちょっと苦しい気がする。
時々、こんな看板を目にしては、メモするが、
しつこく注意してあげるほうがいいのかな、とも思う。
送り仮名や、変な英単語など、気になる看板は多い。
漢字の読み方も、文化なのだから、大切にしなくちゃなぁ。
誰かが・・という前に、きっと私の役目なんだろうな、
こういう「頑固じいさん」の役は。(汗)