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しもさんの「気になる一言」
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2011年11月30日(水)
天使と悪魔の2つの顔を持て、司書とストリッパーだ

映画「男と女の不都合な真実」(ロバート・ルケティック監督)から。
放送禁止用語が飛び交い、ここまで言うの?と思うが、
なぜかストーリーにリズムがあって、飽きない。
メモも見直すのが恥ずかしいくらい、
それはそれは際どいフレーズで溢れたが、
恋愛ベタの主人公に、男性がアドバイスする台詞が気になったので
取り上げてみた。
女性に対して「天使と悪魔の2つの顔を持て」。
これはなんとなくわかる気がしたが、その例えが
「司書とストリッパーだ」。(これがわからない(笑))
悪魔=ストリッパー、これもわからなくもない。
ただ、天使=司書、の関係が理解できないで困った。
ナースとかなら、想像できるイメージだけど、
「司書」の人には申し訳ないが、天使と繋がらないからだ。
しかしもう一度、観直すと例えがわかった。
「司書」は、一方では男を冷たい態度であしらう顔、
「ストリッパー」は、男を挑発的に誘惑する顔。
う〜ん、なるほど・・面白い例えだな。

おまけのメモ(男をゲットする4ルール)
ルール1 男に説教しない(男は成長や変化や進歩が苦手)
ルール2 彼の話に笑う
ルール3 男は見た目に弱い(変身しよう)
ルール4 悩みを相談するな(聞いてない)



2011年11月29日(火)
蓋棺事定(がいかんじてい)

今年も1年を振り返ると、多くの知人が他界し、
お通夜・お葬式に足を運ぶ機会が増えた。
そんな機会を捉えて私が感じていたことを、四字熟語では
「蓋棺事定(がいかんじてい)」というらしい。
「蓋棺」は、棺にふたをすること。
意味は「生前の評価は当てにならない。一生が終わり棺のふたをして
初めてそのひとの真の値打ちが決まるということ。」
私が知り合った時は、あんなにいい人だったのに・・という人の最期、
逆に、悪い噂ばかり耳にしていたのに・・という人の最期など、
本当に、生前の他人の評価はあてにならないな、と思うことが多い。
社交性に富んだ人柄と思っていたら、お葬式には誰も来なかったり、
内気で無口の人柄だと思っていたら、溢れんばかりの人が訪れ、
多くの人が別れを惜しんでいたりする光景は、何度も目にしてきた。
人の一生って面白いものだなぁ、とつくづく感じる瞬間である。
「蓋棺事定(がいかんじてい)」
是非、覚えておきたい四字熟語である。



2011年11月28日(月)
「子どもは好き?」「あぁ好きだ」

映画「めぐり逢い」(レオ・マッケリー監督)から。
さすがに名作だけある。
メモした台詞は溢れ、どれも甲乙つけ難いほど、オシャレだった。
「母の教えなの、満月の晩は、男性の部屋に入るなって」
「思い出のない冬はつらいわ」
「シャンパンを・・ロゼはある?」等など。
その中で、敢えて選んだのが、
「子どもは好き?」「あぁ好きだ」という会話。
豪華客船のデッキで知り合った男女が恋をして、
愛を語りあい、各々の部屋に戻る別れ際に、こんな会話をする。
この作品を代表するようなフレーズではないのに、
なぜか、私のアンテナに引っ掛かったままだ。
2人は「画家」と「歌手」という職業であり、
「家族」という意味では「子ども」に縁遠いイメージなのに、
幸せの象徴のように「子どものいる家庭」を使うのか?
それとも「子どもを作る行為が好き?」という問い掛けなのか?
素敵な作品に深読みはしたくないが、それでも気になる。(汗)
シーンとしては、船上デッキから客室へ降りてくる階段でのキスシーン。
2人の顔は画面から外れ、首から下の映像なのに、なぜか美しかった。
直接的なシーンより、想像力をかき立てられた気がする。
これまた、映画の魅力なんだなぁ、きっと。



2011年11月27日(日)
来年の手帳、買いました?

本屋にも文房具屋にも、新しい年の手帳が並んでいる。
もう、そんな時期か・・と思わせるフレーズ
「来年の手帳、買いました?」問い合わせに、
つい、買いたくなってしまうが、今しばらく我慢している。
実は、古い手帳から新しい手帳への移し替えは、
私の年末の恒例行事として、既に「歳時記」となっているが、
この作業を始めると、何日もかかってしまうので、
昨年から第4回(11月)定例議会を終えてから・・と決めた。
1年の総決算をしながら、新しい年の計画とともに書き移す作業、
メモ魔の私にとっては、至福の時間かもしれない。
これだけは、誰にも邪魔されたくない。(汗)
今は、市販の手帳を「自分流」にアレンジして利用しているが、
いつの日か、製本技術を学んで、自分だけのオリジナル手帳を持つ、
これが私の夢のひとつである。
システム手帳ではなく、糸で綴じられた手帳を・・。



2011年11月26日(土)
刑務所の役割って、社会からの隔離じゃないの?

久しぶりに、私のボヤキである。
ネットの見出しに「ホリエモン獄中から漫画連載」を見つけ
ちょっと違和感を覚えた、というか、正直驚いた。
その違和感を文字にしたのが、
「刑務所の役割って、社会からの隔離じゃないの?」
記事によると、
「<ホリエモン>東大時代の青春を描く 獄中から異例のマンガ連載
堀江受刑者は長野刑務所に収監されているが、
編集担当者とマンガ家の本そういちさんが現地に赴いて打ち合わせし、
獄中からのマンガ連載をスタートさせる」とある。
そもそも、なぜホリエモンを投獄させたかと言えば、
「したことに見合った社会的制裁=身分の不自由を実感させる」
ではなかったのか。
その根底を守らなければ、何のための「監獄」なのか、わからない。
単なる経験、話題作りのための「監獄」ではないはずなのに、
彼を始め多くの若者が、社会を甘く見てしまう危険性を感じる。
ここは、出版社もマスコミも大人になって、静かに見守って欲しかった。
堀の中で、社会復帰に向けて、原作を書く、構想を練る、ことは、
彼の才能だから、大いに期待したいものだが、被害者がいるのだから
加害者の獄中生活は、慎ましやかであるべきだろう。
話題になれば何でもOK、お金になれば何でもやってしまう社会って、
非常に恐ろしいことのような気がする。
日本は、大丈夫だろうか?



2011年11月25日(金)
どういう選択をするかが、人生よ

映画「マディソン郡の橋」(クリント・イーストウッド監督)から。
切ない大人のラブストーリー、という人がいる。
どうみても、自分たちの不倫を正当化している、という人もいた。
なるほど・・いろいろな見方があるものだと、苦笑した。
ふたりが出会い、そして別れるまで、いくつかの選択があり、
そのたびに、彼と彼女は自分の判断で物語は流れていく。
後半、彼と駆け落ちをして、平凡な生活から逃げだそうとするが、
「やっぱり、正しくないことだわ」と断念、「誰に?」の問いに
「家族みんなに」と答え「街の噂に殺されるわ」という判断が
とても冷静だな、と驚いた。
そして「どういう選択をするかが、人生よ」と呟く。
そう、人生は選択の連続であり、誰のせいでもなく、
すべて自分で選択した結果、という想いが伝わってくる。
さらに「子どもたちが前進できるよう、母親は立ち止まって見守る。
子どもは、やがて巣立っていって、さていよいよ自分の人生を
歩もうとしても、歩き方を忘れてしまっている」というフレーズに、
50代女性の焦りが表現されていた気がする。
見るたびに、気になる一言が違う、面白い作品であった。



2011年11月24日(木)
談志さんに叱られるのが大好きでした。

落語家・立川談志さんの死を惜しむ芸能人が多く、
その存在感・影響力はすごいなぁ、と感心させられた。
スポーツ新聞の見出しは、談志さんが生前語っていた
回文「談志が死んだ」(だんしがしんだ)。(汗)
その多くの方のコメントの中で、
私が選んだのは、歌手・和田アキ子さんの談。
「談志さんの話を聞くのが大好きでした。
私が間違ったことを言うと、すぐに叱ってくれました。
談志さんに叱られるのが大好きでした。
もう一度、叱られたかった・・」
姉御として若手の芸能人を叱り倒しているイメージの彼女が
頼りにしていた人は、談志さんだったのかと納得した。
そしてまた、そんな2人の関係が羨ましいとも・・。
心の師・談志さんを失って、彼女がどう変わっていくのか、
非常に興味をもって、見守っていきたい。
日本人が忘れてはならない、いや取り戻したい師弟関係を
2人に見せてもらった気がする。
立川談志さんのご冥福をお祈りします、合掌。



2011年11月23日(水)
頑張った人生にご褒美を

もうすぐ18歳を迎える愛犬、ダックスフントの「ジェイク」が、
ほぼ老衰に近い状態ながら、必死に生きようとしている。(涙)
食事や水分も、ほとんど喉を通らなくなり、
今や、毎日の点滴で栄養補給している状態が続いている。
そんな状態でも、頑張っている彼に、
飼い主の私が、最近感じているのは「頑張った人生にご褒美を」。
家族全員が仕事や学校に行き、昼間、寂しく留守番をしていた時期、
彼は、どんな気持ちで、私たちを待っていたのだろう。
何度なく、2階の階段から転げ落ちながらも、ケロッしていたこと、
散歩に出かけ、ノミをいっぱいつけてきたこともある。
まぁ、私も彼も若かった頃は、散歩のラスト100mを猛ダッシュ、
勝ったり負けたり、お互い息をゼイゼイしながらも、
自宅の玄関にゴールした思い出が蘇る。
人間で言えば、もう88歳に近いと言われても、
私からみれば、まだ18年しか一緒に過ごしていない。
今日も朝からずっと一緒にいて「頑張った人生にご褒美を」と
考えているけれど、残念なことに未だに思いつかない。
休みの日は、朝から晩まで一緒にいることかな、今、出来るのは。



2011年11月22日(火)
飛距離の差が実力の差に思えてしまう時もある

ゴルフ漫画を読んでいて、ハッとしメモしたフレーズ。
そうなんだよ、ゴルフは距離じゃないんだ・・と
頭ではわかっていても、いざ、その場になると忘れる。
特に、自分より身体が細かったり、年齢が上の人に、
飛距離で負けると、ガッカリしてしまうから面白い。
「飛距離の差が実力の差に思えてしまう時もある」
仕事でも同じことが言える。
段取りよく仕事をし、定時に帰宅できる人をみると、
自分の事務能力の低さを感じてしまうのであるが、
実は、上司が求めているのは、仕事の速さではなく、
正確性であったり、現状の成果+αの提言であったりすることに
気付くと、落ち着いて仕事が出来るのであるが。(汗)
ついつい、目先の距離(仕事の速さ)に憧れるが、
ゴルフはあがってナンボ、仕事も成果が出てナンボ。
わかっているけど、なかなかなぁ。(笑)



2011年11月21日(月)
矜持とは、自分の能力を信じていだく誇り。

書籍「日本人の矜持(九人との対話)」
(藤原正彦著・新潮文庫刊・266頁)から。
「国家の品格」の著者、藤原正彦さんは、
私の好きな数学者であり、なおかつ教育に関する意見は、
賛同することばかりである。
そんな彼と、これまた経験豊富な学識経験者が語り合う対談集、
面白くないわけがない。
さて、内容の紹介前に、タイトルの「矜持」(きょうじ)に惹かれた。
「矜持」とは「自分の能力を信じていだく誇り。」
英単語では「pride」(プライド)らしい。
私としては「プライド」とはちょっと違う気がしているが・・。
「自負」と書かれている辞書もあったが、これも僅かながら違う。
電子辞書で調べた、以下の類語と比べて欲しい。
「自賛」(自分で自分をほめる)
「自尊」(自分を偉いと思い込むこと)
「自得」(満足して得意になる)
「自任」(自分に能力があると思い込む)
「自負」(才能に自信を持ち、誇りに思う)
「自慢」(誇らしげに話したり、見せたりする)
やはり「矜持」という言葉の響きが、断然と輝いている。
「自分の能力を信じ」それを「誇り」として生きていく。
そんな「矜持」を、私は大切にしていきたいと思う。



2011年11月20日(日)
僕は食事に行く。是非、御一緒に

映画「ツーリスト」
(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督)から。
映画の中に、こんな会話がある。
女性から「食事に誘って・・」という、簡単なテストのシーン。
どういう誘い方が、女性にとってベストなのか、
いや、女性扱いが慣れているか、がわかる問答。
「食事をどう?」とストレートに誘うと
「女は質問を嫌うのよ」とピシャリ。
「僕と食事を・・」と言えば「命令調ね」と返し、
「一緒に食事を?」と言い方を変えても
「また質問?」と手厳しい。
最後に「僕は食事に行く。是非、御一緒に」。
そう、その誘い方よ、と言いたげな様子。
ストーリーにはあまり関係ないが、
私たちの日常生活には、非常に役に立つノウハウ。
女性に合わせるつもりで「どこへ行きたい?」
「何を食べたい?」と訊くよりも、
「僕は○○する、是非、御一緒に」という誘い方が
スマートで、女性にも好かれるようだ。
それでも、嫌なら嫌って言うものね、今の女性は。(笑)



2011年11月19日(土)
「Vサイン」と「サインはV」の違い

カメラを向けると、子どもから大人まで、日本人のほとんどが、
「Vサイン」でポーズをとる。
私には、不思議ではならない日本の光景の1つとなっている。
だって「平和」を意味する「ピース」の綴りは「peace」で
単語のどこにも「V」は、存在しない。
本来は「イギリスのチャーチルがドイツに勝つぞ」という意味で
「victory」の「V」を国民に示したとされるのであるが、
いつから「ピース」となったのかわからない。
もちろん、誰が始めたことかわからない。
ネットで調べれば、きっとわかるのだろうが、
私が心配しているのは、本来の意味を知って使うのと、
何も疑問を持たず使うのでは、大きな差があると思うから。
バレーボールのTVドラマは「サインはV」、当然「Victory」の「V」。
しかし、この頃から日本各地に広がったとも言われている。
関連があるのだろうか、ちょっと気になる。



2011年11月18日(金)
人生を味わうにはセンスが要ります

映画「100歳の少年と12通の手紙」
(エリック=エマニュエル・シュミット)から。
12日間を一生にたとえて、1日10年として過ごす、
白血病末期の患者、オスカー少年。
提案したのは、ピンク色大好きなピザ屋さんの女性。
1日目は1歳から10歳、2日目は11歳から20歳・・
「今、何時?」「じゃあ、何歳頃ね・・」という
そんな具合で、彼の余命を一緒に過ごしていく。
「15歳、勇気を出して告白する年頃ね」
「18歳の男の子は、疲れない」
「思春期は苦難の世代ですね、こんな時期は一度で十分」
「30代は厳しい、心配の世代、責任の世代だ」
「40過ぎると、男は魔がさすの」
「結婚生活はステキです。50代に近づき、試練を越えた後は特に」
「60歳を過ぎました、昨晩のツケを払っています、身体がだるい」
「歳をとると旅行が嫌いになります」
「人生を味わうにはセンスが要ります」「老いは不快だ」
そして100歳(10日目)を迎えて
「僕を起こしていいのは、神様だけ」と呟く。
そして、彼に関わった人たちが気付いたこと。
「オスカーと出会ったおかげで、私の心は一生愛に満たされます」
これに尽きる。フランス映画らしい作品だったな。



2011年11月17日(木)
通称・親不孝横丁

先日、いろいろな飲む理由を考えて、飲みに出かけたが、
1次会の焼肉から、2次会へ向かう途中、
やけに狭い路地と、くねくねした道を歩かされた。
両脇には、いっぱい呑み屋のようなお店がズラリ。
「へぇ〜、三島にもこんなところがあるんですね」と言うと
歳の離れた先輩が、自慢げに、そしてちょっと淋しそうに
「ここは、昔、通称・親不孝横丁、と呼ばれていたんだ」と
説明してくれた。
この横丁に入り込んだら、楽しくて、なかなか家には帰らない、
親には、お金をせびる・・そんな意味も含めて、
「親不孝横丁」とみんなが呼んでいたらしい。
きっと、全国にそんな「親不孝横丁」があるんだろうな、と
ひとりで苦笑いしてしまった。
勿論、カラオケもなく、カウンターしかないような呑み屋って、
全国チェーンの居酒屋よりも、その土地の風土が感じられる。
土地にあった「親不孝横丁」、大切にしたい文化かもしれないな。



2011年11月16日(水)
2人とも身勝手すぎるわ

映画「恋するベーカリー」(ナンシー・マイヤーズ監督)から。
メリル・ストリープ主演の「恋愛コメディ」との解説だが、
私の感想は、ちょっと違う。
10年前に離婚した夫婦が、10年後に再会し、
お互い惹かれあい、ラストは結ばれる、という展開であるが、
あまりスッキリとした話には感じられなかった。
それを象徴する台詞は、成人した2人の子どもたちが口にした。
「2人とも身勝手すぎるわ」
一番多感な頃、父親と母親が離婚した事実は、
子どもたちにとって心の傷となって残る。
そんなことも忘れて、また寄りを戻すと言い出した両親に、
言い放った台詞こそ、この映画に対する私の感想に近い。
この台詞を言いたくなった人たちは、彼らの子どもだけでなく、
彼と結婚した若妻、彼女の魅力に引かれた建築士も同じだろう。
心のままに動くのはいいけれど、多くの人たちを巻き込んで、
自分たちだけ、やっぱり元に戻りました・・は、いただけない。
全体を通しての感想も「2人とも身勝手すぎるわ」である。



2011年11月15日(火)
学校へのお礼の気持ちが学費納入

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
最近、静岡県がクローズアップされている、教員の不祥事。
もう策がない、と悩むのもわからなくないが、
それって個人の病気だから・・で片付けるのも、あまり進歩がない。
解決になるかわからないが、本著のメモにヒントを見つけた。
正式には、もう少し長い。「学校に教育してもらうことに対する、
ささやかなお礼の気持ちが、学費納入」とある。
先生と生徒、さらに保護者との理想的な関係を、表現していると思う。
大切な自分たちの子どもを、一人前の人間として教育してもらうから、
学校に、いや先生方に、ささやかなお礼として、学費納入をする。
これが、本来の「学校」と「家庭」の姿なのかな、と思う。
お礼に価する「教育」は、簡単には出来ないけれど、
先生方の一所懸命な姿がなければ、
セクハラ等の不祥事を起こさないがやる気の見えない教師に、
お礼の気持ちは湧いてこない。
それは、公務員の私たちでも同じことが言える。
「まちづくりへのお礼の気持ちが税金」なのだから、
お礼がいただけるように、頑張らなくちゃな。



2011年11月14日(月)
「チャレンジ」と「ギャンブル」の違い

同じようなことを、同じような人がしても、
「チャレンジャーだね」と言われる人と
「ギャンブラーだなぁ」と言われる人がいる。
この違いは何だろうか、と真剣に考えていたら、
あるテレビ番組で、これかな?というヒントを頂いた。
(すみません、情報源の番組名を忘れました(汗))
言葉にすると難しい定義も、数字にしてみると
なるほどなぁ、と説得力がある定義になる例えであろう。
ある人からみて「51パーセント以上の確率」があれば
「チャレンジャー」と定義する。
逆に「49パーセント以下の確率」しかなければ
「ギャンブラー」と定義される、というのである。
今日、帰宅してから見つけたYahooトピックスの
「TPP決断を評価51% 読売調査」を見て、同じことを考えた。
確率と評価は、ちょっと違うかもしれないけれど、
野田総理は、TPPに関して、ギャンブラーではなく、
チャレンジャーという評価であったのかもしれない。
しかし、しかし「50パーセントの確率(評価)」と判断したら
何と呼べばいいんだろうか、という疑問にもぶつかった。
面白い呼び名があったら、是非、私に教えて欲しい。
「チャレンジ」と「ギャンブル」の間のこと・・。



2011年11月13日(日)
裁判に面白さを求めてはいけない

映画「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)から。
法廷でちょっとふざけすぎたかな・・が第一印象。
「バナナをバナナと言って何が悪い」から始まり、
いろいろなシーンでありえな〜い、と思うことが・・。
もちろん、喜劇とわかっているのだが、
法廷シーンでは笑いきれなかったのは、なぜだろう。
それ以外の笑いシーンは、期待どおり。
「ようこそ 落ち武者の里へ」という観光看板も、
タクシー運転手との会話も、クスッという面白さがあった。
だからこそ、気になる一言に選んだ台詞は、
中井貴一さん扮する豪腕検事が、奇想天外な展開に
呆れて呟いた「裁判に面白さを求めてはいけない」。
理論が必要な謎解きになってしまったからか、
それとも、後半で、センチメンタルになったからか。
たぶん・・・少しだけど、上映時間が長かったからかも。



2011年11月12日(土)
私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと

清水町芸術祭・発表の部を明日に控え、
私たち、同級生混声合唱団は、6回目の舞台に立つ。
今晩は、入場・退場も含め、総練習で集まったのだが、
指導しているのも、音楽の先生になった同級生。
52〜53歳を迎えた我ら中高年を「女子」「男子」と呼び、
けっこう厳しい中にも、和やかな練習を行っているが、
その彼女が、練習の終盤、私たちに向かっていった。
「私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと」。
月に1度の練習であるが、年に1度のこの舞台に立つことを目標に、
自分や家族の病気に休むことはあっても、励ましながら続けてきた。
そしてお互いの「絆」を深めてきた、その喜びが伝わってくる言葉である。
曲目は、今年の1月に選曲した「ふるさと」(震災で脚光を浴びたが・・)
札幌冬季オリンピックの「虹と雪のバラード」。
昨年に比べ、練習不足・メンバー不足と、不安材料はあるが、
それでも、一所懸命、練習をしてきた。(つもり(汗))
明日、2曲を歌い終えた後、みんなでこう言いたい。
「やっぱり、みんなの前で歌うのは気持ちよかったぁ」



2011年11月11日(金)
カレーは飲み物だから(笑)

カレー好きって、面白い、いや、可笑しなもので、
どんな食べ物屋に行っても、メニューにカレーがあると
気になって、迷ってしまう。
吉野家に牛丼を食べに行ったはずなのに、
カレーがあると、牛丼カレーにしてしまうって具合に。
蕎麦屋だろうと、ファミレスだろうと、ラーメン屋だろうと、
メニューに「カレー」の文字を見つけると、
一応、試食してみたくなるのが、カレー好きの弱点である。
さらに、自宅では大量に作ってもらい、朝・昼・晩の食事が
「カレー」というのも、そんなに珍しいことではない。
もしかしたら、それが3日間くらい続いても・・(笑)。
そんなカレー好き同士で話をしていて、
「どうして、カレーだとこんなに食べられるんだろうね?」と
何気なく訊ねたら、あっさりと答えを導き出してくれた。
「カレーは飲み物だから(笑)」
そう、そう、その感覚・・と、メモをした。
読者でも、頷いてくれる人がいることを望むけれど、
なかなか理解し難い感覚なんだろうなぁ、きっと。



2011年11月10日(木)
未来が見えない社会に震災が襲った

先日、開催された「第60回 静岡県公民館大会」、
記念講演は「3.11以後の社会教育。
新たなる公共の基点としての公民館のあり方」と題して、
NPO法人・教育支援協会代表理事、吉田博彦氏。
いつものように、多くのメモが残ったが、その中でも
「なぜ、東北は復興が進まないのか」という視点が面白かった。
震災から、8ヶ月。阪神淡路大震災の時と違って、
思うように進まないのは、政府の対応の遅れ、と思う人が多い。
実は私も、そう思っていた。
しかし、彼の発言でハッとさせられたのは、言うまでもない。
「どういう復興を成し遂げるかというイメージが、
被災者にできていない」、言い換えれば、
「被災地の多くが過疎などの地域の問題を抱えていた地域で、
そのまま、元のように復興したのでは問題は解決しないまま」
だから「神戸」のように、元のように戻せばいい、という
イメージが出来ていた地域とは違う、ということ。
「未来が見えない社会に震災が襲った」、そう表現した。
そんな視点で、これからの「東北の復興」をみていきたい。



2011年11月09日(水)
そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね

映画「さよならゲーム」(ロン・シェルトン監督)から。
原題の「BULL DURHAM」が、どうして日本語になると
「さよならゲーム」になるのか、理解に苦しんだ。
原題(ブル・ダーラム)はノース・キャロライナ州にある
タバコ会社の名前、であるにもかかわらず・・。
野球好きだからこそ、その結末に期待したのに、残念であった。
物語前半、野球狂の熟女アニーに誘われても、言い返した台詞。
「そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね」
おぉ、カッコいい・・とメモしたにもかかわらず、
最後には「興味を示す」では留まらず、彼女とセックスまで・・。
最初の台詞は、なんだったんだよ・・と消化不良で観終えた。
野球が好きだからこそ、気になるシーンは多い。
私自身、何度も球場へ足を運んでいるから、いくら映画とはいえ、
そのプレーの甘さに、納得できないシーンが多かった気がする。
スピード感だけでなく、全体を包む緊張感がなかったからか、
イマイチ、作品にのめり込めなかった。
もうしばらく「スポーツ」を題材にした映画を観てみようと思う。



2011年11月08日(火)
「多機能携帯電話」VS「電話機能つきパソコン」

今年のヒット商品、ナンバーワンは「スマートフォン」
そんな話題を耳にした。もちろん異論はない。
しかし「スマホ」を日本語に訳すと、意見が分かれる。
その違いが「多機能携帯電話・電話機能つきパソコン」。
スマートフォンを「携帯電話」と考えるか、
「パソコン」と考えるかによって、その定義は変わる。
「スマホ」は「ケイタイ」の「進化系」と考えれば
「多機能携帯電話」だし、
「パソコン」の「超小型化」と考えれば「電話機能つきパソコン」。
私は、後者の定義を支持したい。
逆に「ケータイ」は「インターネット機能つき携帯電話」であり、
小型化されたパソコンの「スマホ」とは、関連がない。
だから「携帯電話」と「スマホ」を持ち歩く人は理解できるが、
「小型パソコン」と「スマホ」を持ち歩く人は理解出来ない。
ただ、先日も「気になる一言」に書いたが、
「スマホ」の使い方くらい知らないと、困るよなぁ(笑)



2011年11月07日(月)
教育は、全て強制から始まるんですね。

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
そうそう・・と思ってメモをした一節。
「教育は、全て強制から始まるんですね。
最初に強制された型があるからこそ、
そこからどう解き放たれるかという自由があり、
はみ出る面白さがあるんですね。
いろいろなものを無理やり押し付けるというのが、
その子の個性を伸ばしていく最大の道筋だと僕は思います。」
その「強制」がなくなり、最初から「自由」になったから、
個性も伸びてこない、という視点であろう。
さらに「損することができる人間を育てるのが教育」、
この言葉に、頷くばかりであった。
「教育」の意味を、もう一度、じっくり考えてみたい。
そして、子どもたちの(学校)教育だけでなく、
職場での(社員)教育、地域での(社会)教育にも活かしてみたい。
きっと、共通項があるはずだから。



2011年11月06日(日)
映画レビュー400作品、達成ですね

ネットの世界って、驚くことばかりである。
私でも意識していなかった数字を見つけて、
お祝いのメールが届くのであるから・・。(嬉)
それが「映画レビュー400作品、達成ですね」
1年間、年齢の数だけ映画館で映画を観よう、とはじめた
50歳の2008年(3年前)、秋頃から、せっかく観た映画を
記録に残そうと考え、コツコツとレビューを書き続けた。
私の場合、感想というより、台詞の一部であるが・・。(汗)
その数が、先日「400作品」に達したらしい。
1作品目は、地元シネコン、オープニングイベントで観た
「たそがれ清兵衛」投稿日:2008年9月23日・評価:3.5
「学問したら、考える力がつくんだ」だった。
サイトは「映画.com」(http://eiga.com/)(映画レビュー)
これでは、映画から選んだ「気になる一言」が多いわけだ、と
自分でも、苦笑いしてしまった。
しかし最近は、もっぱら100円片手に、レンタルショップへ。
気になる台詞を、巻き戻して確認するには、DVDが便利だし、
映画館のお客が増えて、暗闇でメモがしにくくなったから。
気になる一言、情報源は映画でも、話題は千差万別だし、
私の人生を豊かにしてくれるから、映画鑑賞は続けていくよ。
目指せ、500作品レビュー。(ぼちぼち、書いていきます)



2011年11月05日(土)
子どもたちが、子どもたちの発表を聴く

青少年健全育成の観点で開催する「わたしの主張発表大会」
本年度は、スタッフの提案で形式を変えてみた。
そのコンセプトが「子どもたちが、子どもたちの発表を聴く」。
せっかく学校を代表して話す彼らの主張を、今までは
大人の教育関係者しか聴く機会がなかったが、
今回は、同年代の子どもがどんなことを考えているか、を
実際、同じクラスの子どもたちにも届けたい、ということ。
小さいミスはあったが、結果は大成功であったと思う。
発表する側も、発表を聴く側も、刺激になったに違いない。
2部では、合唱・合奏の発表も加わり、会場は超満員。
自分の学校の発表しか知らない児童・生徒にとって、
他校の演奏は、これまた大きな収穫だったことだろう。
この事業は、誰のために、何のために行うのか、を考える。
民間企業にとっては、当たり前のことだろうが、
長年、恒例のようにやってきたことを変える勇気、
これを我が課のスタッフが持てるようになったということが
私にとっては、一番嬉しい、と記憶・記録に残しておきたい。



2011年11月04日(金)
「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」

映画「メジャーリーグ」(デビッド・S・ウォード監督)から。
野球好きにとっては、所詮、映画とわかっていたのに、
途中から「インディアンズ・ファン」になった気分。
プロらしいスピード感、迫力もあり、大満足であった。
メジャーリーグでこんな珍プレーはないだろう、というのも
お愛嬌の部類で、笑って見過ごせた。
選んだのは、作品の冒頭、チームの本拠地で交わされる
地元ファンの会話。(今は、地元でなくても同じだが・・)
「野球シーズンですね、今年のインディアンズは?」
「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」・・
春のキャンプを終え、一軍登録選手の新聞などを眺めながら、
新しいシーズンの成績を予想する時の面白さは、
野球好きならではの、楽しみ方であろう。
当たっても当たらなくてもいい。それだけで楽しいのだから。
また、スポーツ映画にありがちな、序盤苦戦しながら、
最後は、大逆転(さよならホームラン等)で勝つのではなく、
野球好きが喜びそうな、結末がさらに好印象として残った。
おまけのフレーズとして、開幕戦のスポーツニュース、
「インディアンズ 平年並みの負け 9-0で破れました」
これには笑えた、どこかのチームみたいで・・(汗)



2011年11月03日(木)
「二度としてはいけないこと」と「一度だって許されないこと」

最近、なぜかこんな台詞を使うことが増えた。
(以前も、時々、使っていたフレーズであるが・・・)
最近、問題になっていることは、果たしてどちらなのか、
自分で判断の基準にしてみるといい。
島田紳助氏の引退原因となった「暴力団との交際」、
これは、厳しいかもしれないが「一度だって許されないこと」、
だから、私たちは、彼の引退に不満が残らない。(残念であるが)
世界陸上のウサイン・ボルト、100m決勝のフライング、
これは、本来なら「二度としてはいけないこと」なのに、
無理矢理「一度だって許されないこと」にしたから、不満が残る。
「自分の中では、セーフだと思っていたが、アウトと言われた」
島田紳助さんの記者会見を、私なりの表現にするとすれば、
自分では「二度としてはいけないこと」と思っていたが、
本当は「一度だって許されないこと」だった、と言うことになる。
世間が「二度としてはいけないこと」だと判断すれば、
自ら反省して、誠意をもってやり直せばいい、ただそれだけ。
難しく考える必要はない、私の判断基準はこれに尽きる。



2011年11月02日(水)
セックス依存症のカウンセリング集会

映画「俺たちのフィギィアスケーター」
(ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン監督)から。
ちょっと危ない台詞(シモネタ)のオンパレード。
台詞だけでなく、映像でも・・(笑)
もう「笑い転げるしかない」が感想である。
フィギア・スケートの演技中、手品師のように
コスチュームの中から「鳩」が飛び出てきたり、
館内の周りを見渡してしまうような、きわどいシーンも、
彼女のおっぱいと軽く握手しただけだ、と・・大騒ぎ。
もうこれ以上は、さすがの私も文字に出来ない。(汗)
まぁ、記録に残すような台詞もあまりなかったけれど、
強いて言えば、これかな?
出かけようとする主人公に向かって「どこへ行くんだ?」と
軽い気持ちで声をかけた。
まじめ顔で「セックス依存症のカウンセリング集会」。
彼の座右の銘は「裸で勝負」。
もう、真剣に考えることがバカらしくなるほど面白かった。
映画じゃなきゃできないよなぁ、こんな作品。



2011年11月01日(火)
「20:10」「15:14」「10:10」

数字の羅列で申し訳ないが、この数字だけで
「好ましい平等社会」とはどれか・・という話を耳にした。
「平等社会」というと、皆が同じに扱われる社会を意味する、
そう思い込んでいる人たちが多い。
冒頭の数字に「万円」というお金の単位をつけたら、わかりやすい。
「20万:10万」「15万:14万」「10万:10万」の場合、
「平等」と言ったら「10万:10万」だと主張する人がいる。
いやいや、仕事ぶりに差があるのだから「15万:14万」のように
差がある方が「平等」だという人もいた。
しかし「好ましい平等社会」は「20万:10万」だと言う人が現れた。
個人個人に差はあるが、足して2で割れば「1人15万円ずつ」。
他の2つより、1人当たりの収入は多い。
いわゆる「WIN&WIN」の関係とは、こういうことだと教わった。
自分の主張ばかりをしていると、結局は低いレベルで落ち着くことになる。
例えが悪いが、私の脳裏に浮かんだのは「男女共同参画社会」、
声高に「平等」を叫び続けるよりも、男女の違いを認めつつ、
足して2で割る発想があれば、好ましい平等社会の実現がするのになぁ、
そんなことを感じたメモである。