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しもさんの「気になる一言」
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2011年10月31日(月)
ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・

映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督)から。
NHK大河ドラマのように、物語が淡々と進み過ぎて
あれっ?、これで終わり?と物足りなさを感じてしまった。
そこで、私が気になる一言に選んだのは、
大老・井伊直弼を桜田門外で襲撃した主人公たちではなく、
殺された「井伊直弼」が籠の中で呟いた死ぬ直前の台詞である。
腐敗した世の中に不満を持ち、その一番大きな原因とされる
大老を殺害することで、世の中が変わると信じて襲撃を企てた。
そして彼らは目的は果たしたが、簡単に世の中は変わらなかった。
逃げ惑う中で、以前「共に手を取り、この国の道を正そうぜ」と
約束を交わした同士に「大老襲撃は本当に正しかったんかいや」
「なんぞ変えることができたんかいや」
「まちごうとりゃせんだかいや」と訊ねら答えられないシーンが
一番印象に残った。
そんな会話を予想したかのように、鉄砲で撃たれ槍で刺されながら
大老が呟く。「ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・」
正しい、正しくないは、後の人たちが評価するのだが、
少なくとも私は、今の日本をこうしたい、という考えはあったぞ、と
言いたげな台詞であると感じメモをした。
お前たちに任せて、日本は守れるんだな、と念を押されたような台詞。
物語とは関係ないかもしれないが、最後まで逃げ回って終わった結末に
大きな意味が隠されていたのかもしれない。
もう少し、私たちの予想を裏切る結末が欲しかったなぁ。



2011年10月30日(日)
大きい方が小さい方に寄りかかっているだろう?

ラジオから流れてきた、吹き出さずにはいられない会話。
普通「『人』という字は、お互い支えあって生きているんだ」が、
金八先生もどきの、オーソドックスの教え方である。
だから「人は孤独ではない」みたいな例えにも使える。
しかしながら、今回のこのフレーズは違った。
「ほら、『人』という字を見てごらん。
大きい方が小さい方に寄りかかっているだろう?」
だから「この仕事、しておいて」と上司が部下に頼むんだ、と。
そんな視点で「人」という漢字を眺めたことがなかったから、
ちょっぴり面食らったが、上手い・・とメモをした。
よく考えてみれば、そんな善人ばかりで
世の中が成り立っているわけではないことも事実。
他にもあるんだろうなぁ、こんな例え話が、きっと。
今度、じっくり探してみなくちゃな、話の種に。
そういえば・・「入」という字も、
大きい方が小さい方に寄りかかっているな、あはは。



2011年10月29日(土)
お前は、何年その仕事をやっていくんだ

わが町のイベントに新しく登場した「泉のまち町民大学」から。
もちろん、今年の新規事業、4回シリーズである。
共通テーマは「新分野に挑むチャレンジャーに学ぶ」
第1回目は、講師(海の手配師)「石垣幸二」さん、
演題は「世界一のフライヤーになる」。
世界の160を超える水族館へ生体を納入している彼は、
世界中の水族館から、最も信頼される人物の1人である。
その彼が、自分の人生を変えたと言い切った台詞が
「お前は、何年その仕事をやっていくんだ」。
彼が尊敬している人の叱咤激励でもあったようだ。
この世界で生きていくつもりなら、(仕事としていくつもりなら)
都合のいいデータばかり、顧客に流していてはいけない、
自分にとって不利なデータでも、相手のことを考えて、公表する。
それが最後には「信頼」という言葉になって、戻ってくることを
彼に伝えたかったのだと思う。
「情報大陸」や「ガイヤの夜明け」「ワールドニュースライン」等、
人気のTV番組にも出演している彼は、男の私からみても、
魅力的な人物であった。
彼のプロデュースで作られる「沼津港深海水族館」をはじめ
「シーラカンス・ミュージアム」、12/10オープンが楽しみである。



2011年10月28日(金)
「決断すること」「責任をとること」の二つしかない

書籍「陽気なギャングが地球を回す」
(伊坂幸太郎著・祥伝社刊・259頁)から。
「人の上に立つ人間に必要な仕事は」と書かれた後に、
「『決断すること』『責任をとること』の二つしかない」。
これは、なるほど・・のフレーズであった。
上に立つと、あれもこれも・・といろいろしたくなる。
しかし、それは間違いであるのかもしれない。
部下が求めているのは「決断」「責任」であるのだから。
もう1つ、仕事のヒントになるフレーズとして
「登山道と同じで全貌が全く見えない」が気になった。
「頂上に立った者からしか把握できないような道に
意味はないだろうが。
登る途中の人間でも見渡せるような道を作ってくれ」
管理者は、上から全体を眺めているから、全貌が見えるが
部下にも、全貌がわかるような指示を出してくれ、
そんな意味に解釈すると、わかりやすい。
自分の仕事の位置づけ(役割)がわからず、働いていると
疲れは倍加することを、思い出したから、
さっそく明日からの仕事に活かしたいと思う。



2011年10月27日(木)
人間の最大の欠点の一つは「分をわきまえないこと」だよ

映画「陽気なギャングが地球を回す」(前田哲監督)から。
大好きな作家・伊坂幸太郎さん原作を映画化したコメディ。
当然、原作も読んで、沢山メモしてあるけれど、
映画と書籍と比較して、共通したフレーズを選んでみた。
「人間の最大の欠点の一つは『分をわきまえないこと』だよ」
そのあと「動物はそんなことがないからね」と続くシーン。
それ以外は、驚くほど共通した台詞が少なかった。
だからこそ、原作者の伊坂さんが作品を通じて伝えたかったことは、
これかな?と思ってみたりして・・。
実は、小説の方は、もう少し続く。
「動物は強者に従うけど、人間は強そうな人に従うだけなんだ。
絶対的な強さなんて分からないからね。」と。
意外と、人間と動物の違いが表現されている気がした。
(まぁ、人間も動物なんですが・・(汗))
いつから、人間はこんなになってしまったのか?という疑問が、
表現を変えて、何度も投げ掛けられている。
映画に書き出された「犬に噛みつかれても犬を噛むな」の文字、
この感覚が、私は大好きである。



2011年10月26日(水)
一男去って次男、三男

何の時の話だったのか、もう忘れたが、
苦労してやっと解決したというのに、また違う難題が。
そんな時、この台詞を使ったら面白いのにね、と
先輩から教えてもらった台詞。
こんなことは、理屈なんていらない。
言葉遊びとして、覚えておけばいいのだから。
「一難(いちなん)去ってまた一難」とは、
一つの災難が過ぎてほっとする間もなく、また次の災難が起きること。
これでは、苦労が積み重なってきて、だんだん苦しくなるが、
なぜか「一男(一難)去って次男、三男」のフレーズは、
その難題を、笑いで吹き飛ばしてしまう勢いが感じられる。
「一男」を(いちなん)と読み、まちがっても「かずお」と読まないこと。
また「一男」ではなく「長男」でしょ、と指摘しないこと。
これだけ気をつけておけば、おやじギャグとしては使えるフレーズ。
さて、いつ使おうかなぁ。



2011年10月25日(火)
あっ、わかってる、わかってる、しっかりおやり。幸せにな

映画「秋刀魚の味」(小津安二郎監督)から。
今更、私がわざわざ書かなくても・・と思うくらい、
驚くほどの人たちが、この作品の感想をネット上に書いている。
そしてまた、全編を通して、一度も登場しないのに、
タイトルが「秋刀魚の味」だから、その推測も多くの人が・・。(笑)
一度、「秋刀魚の味」で検索して欲しい、本当にビックリするから。
さて、私は私の方法で・・とメモした台詞を振り返って眺めていたら、
ひとつ気付いたことがある。
1回の台詞が非常に短く、NGを出すような長い台詞は無いに等しい。
それが、ひとつのリズムとなって、画面の切り替えに繋がっている。
日常生活の家族の会話って、こんなもんだよなぁ、と感じた。
最近、1人の台詞が長くて、走り書きでメモをするのに苦労するが、
この作品は、そんなことは1度もなかった。
だから今回の「気になる一言」は、あえて長い台詞を選んでみた。
岩下志麻さん扮する娘が、結婚式を前に、父親役の笠智衆さんに、
お決まりの挨拶をするシーン。
「おとうさん・・」と口にした途端、その後の彼女の台詞を遮って
「あっ、わかってる、わかってる、しっかりおやり。幸せにな」。
これが、娘を嫁にやる父親の気持ちであり、
「長い間、お世話になりました」というフレーズは耳にしたくない、
父親の本音が伝わってきた。
ニュースになるようなことは何も起こらない、
どこにでもある日常生活なのに、こんな温かい胸を打つ作品になるのは
「魔法」を使っているとしか、言いようがない。
そう「オズの魔法使い」ではなく「小津は魔法使い」です。



2011年10月24日(月)
長寿のお祝いは数え年が基本

誕生日が、1934年(昭和9年)10月20日の皇后美智子様。
なんと、私の母の誕生日と5日しか違わない。
しかし、先日、私の失敗談として書いた年齢の数え方は、
今の日本では間違っていないということなのだろうか。
マスコミは、先日、皇后陛下の今年の誕生日を、大々的に報道し、
テレビ・新聞・ネットとも「喜寿」の大きな見出しがついている。
しかし、私が調べたところ「長寿のお祝いは数え年が基本」。
言い換えれば「昨年が、喜寿ではなかったのか?」という疑問が残った。
そんな単純なことを日本のマスコミが間違えないだろう、という考えと
もし間違いなら、誰かが指摘するだろう、という仮定が前提である。
ちなみに、天皇陛下は昨年の12月23日。
やはり今年と同じように「喜寿」の見出しが、溢れている。
いつから「長寿のお祝いは満年齢が基本」となったのだろう。
「還暦」だけは、満60歳(数え年で61歳)で正しいと思うけれど、
誰か、私に正しい考え方を教えて欲しい。



2011年10月23日(日)
最終戦代打逆転サヨナラ満塁首位打者当確ホームラン

今年のジャイアンツ戦、BSでのテレビ野球観戦が多かったが
昨晩も、貴重な一発をしっかり目に焼き付けた。
「最終戦代打逆転サヨナラ満塁首位打者当確ホームラン」
同僚の内海投手に最多勝をプレゼントし、
長野自身も首位打者をほぼ確実にした値千金の一打であった。
これ以上の一打はないだろうと記憶を遡ったが、
答えは私の日記、2004年09月28日(火)で見つけてしまった。
「代打・逆転・サヨナラ・満塁・優勝決定ホームラン」
2001年オリックス対近鉄(大阪ドーム)
9回裏3点リードで投手大久保、ランナー満塁、代打は北川。
このホームランで、近鉄はリーグ優勝をした、とある。
だから、この一打に次ぐ貴重な一発、と記しておきたい。
残念なことは、相手チームながら、ずっと応援し続けている
横浜ベイスターズ・ショート石川(清水町出身)の失策から
このチャンスが生まれてしまったこと。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑な気持ちである。



2011年10月22日(土)
ヤコブ牧師 郵便ですよ〜

映画「ヤコブへの手紙」(クラウス・ハロ監督)から。
フィンランド映画らしい、静かな作品の中にも、
人間そのものにスポットを当てた作品として評価したい。
恩赦を受けて12年ぶりに刑務所を出所した女性が、
ヤコブ牧師と一緒に過ごす間に、少しずつ心を開いていく物語。
盲目の牧師宛に、毎日のように悩み相談や、
お祈りを依頼する手紙が届き、それにひとつずつ丁寧に返事を出す。
なぜか「手紙」の持つ意味に、心が震えるのを覚えた。
しかし、世界中から寄せられる、その手紙を
一番楽しみにしていたのは、ヤコブ牧師、本人であった。
手紙を受け取ることで、自分の存在価値を見いだし、
自分の使命のように生きがいを感じていた、とも言えそうだ。
郵便配達人の自転車の音にさえ、ワクワク感を感じ、
遠くから聞こえる「ヤコブ牧師 郵便ですよ〜」の掛け声に、
高齢で盲目である彼の生気がみなぎるのが、わかった。
今の時代の「携帯メールの着信音」に等しい気がする。
自分宛に、手紙・メールが届くのは、いつの世も嬉しいもの。
だからって、そう頻繁に届くはずがないのに、
一日に何度もメールを確認する人たちの気持ちが理解できた。
物語内の「ヤコブ牧師 郵便ですよ〜」って掛け声は、
「ユー・ガット・メール」と呟くメール着信音と同じだな、きっと。



2011年10月21日(金)
親の「喜寿」を祝えるのは、子どもの「喜び」

あと数日で、母が喜寿(77歳)を迎える。
当初の計画では、妹家族も含め伊豆の温泉に1泊、と予約もしたが、
愛犬・ダックスフントのジェイク(18歳)の体調が心配で・・を理由に、
急遽、食事会に変更した。
還暦(60歳)も、古稀(70歳)も「まだまだ元気だから」と
敢えてお祝いをしなかったが、今回は2人の孫も参加し、
人数は少ないながらも、楽しい宴となった。
「喜寿」とは「喜」の字の草体が「七十七」に見えるところから、
つけられた名称であり、もちろん、長寿を祝うお祝いであるが、
視点を変えると、親の長寿を喜ぶのは「子ども」であるのかもしれない。
自分の親が、苦労を重ねながらも、77歳まで生きたことを「喜ぶ」。
「親の『喜寿』を祝えるのは、子どもの『喜び』」を残したい。
2人の孫にプレゼントをもらい、満面の笑顔で写真に写る母の姿を見て
そんなことを感じた「母の喜寿」である。
帰宅後「喜寿」について調べたら、数え年77歳のこと。
えっ?、昨年「喜寿」だったと知り、ちょっぴり焦った。(汗)
まぁ、10月25日で満77歳だから、許してもらおうっと。



2011年10月20日(木)
シャッター押して下さいますか? (スマホの・・)

久しぶりの休みで、御殿場アウトレットへ。
妻と娘は、自分たちのお目当てのお店へ行ったので、
私は私なりのお気に入り、gentenやNIKON、NIKE等、
時間を待ち合わせて、1人でぶらぶらと歩いていたら、
若いお嬢さんたちが数人で私に近づいてきて・・一言。
「シャッター押して下さいますか?」
もちろん「いいですよ」と受け取ったけど、なんとスマホ。
スマートフォンは、知っているけど使ったことがなく、
大きなパンプキンの前で、ピースのポーズをとっている彼女たちに
「ごめん・・どこを押すの?」と訊いてしまった。(汗)
デジカメや携帯電話のカメラ機能ならなんとかわかるけれど、
スマートフォンは、シャッターらしきものもない。
携帯電話と同じように撮ろうとしたら「逆で〜す」と一言。(笑)
「はい、笑って・・」という台詞を言う余裕もなく、とりあえず、
指示どおりに数枚シャッターを切って、お礼を言われた。
こんな恥ずかしい想いは久しぶりだから、記録として残したい。
「シャッター押して下さいますか? (スマホの・・)」
きっと「あのおじさん、スマホ、持ってないんだねぇ」って
笑い話にされているんだろうなぁ。
自分は持っていなくても、使い方は知らないとまずい、と
気付かせてくれた出来事である。
これからは、むやみに「シャッター押しましょうか?」なんて
声をかけられないかもしれない。勉強しようっと。



2011年10月19日(水)
家庭とは、ビフィズス菌みたいなもの

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
58年、夫婦という関係を続けている2人らしい対談だった。
2人とも作家だからか、ボキャブラリーが豊富なうえ、
物事に対する考え方がいろいろな角度から指摘されていて、
あっと言う間に読み終えた感じがする。
今回は、夫婦・結婚・家庭・・の考え方が気に入った。
「お互いに、ご飯さえ一緒に食べればいい、と思っているところがある。
家庭とは、外界から入ってくるものに対する人生の一種の消化器官。
そのままだと、下痢してしまうんだけど、ビフィズス菌みたいなのが
家庭の中にいて、しゃべっているうちに、
それがいい具合に栄養にしてくれる。
それが、結婚の機能だという気がする」
言い換えれば、1人だと、食事中も会話がないわけだから、
ストレスが消化されず毒素として身体に残る、そんなことだろうか。
いくらご飯を一緒に食べても、会話をしなくては意味がないことを、
2人は教えてくれた気がする。
毎度のごとく、メモは溢れたので、これから何度となく
この「気になる一言」に登場するので、乞うご期待。(汗)



2011年10月18日(火)
モテないだろうな、こいつ

以前mixiのトピックスでみつけた、怒りを抑える魔法の言葉。
とっさの怒りを鎮めて冷静さを取り戻す即効性のある技として、
心の中で「魔法の言葉」を唱える、という方法がある。
いくつか紹介されていたが、私が気に入ったのは
「モテないだろうな、こいつ」。
心の中で他愛ない毒を吐くことで、怒りがおさまるようだ。
さっそく試してみたが、確かに即効性がある。(笑)
そんなフレーズを知っていると、今まで興奮していたのに、
自然と冷静になれるから不思議だ。
男でも女でも関係なく、こちらのアドバイスを素直に聞かず、
自己流で失敗する人たちを見ていると、こう思うことにした。
「モテないだろうな、こいつ」。
裏を返せば、アドバイスを「素直」に聴くことができれば、
きっと魅力ある、もてる人間になるのに残念だなぁ、という想いが、
ちょっぴりあることを付け加えておきたい。



2011年10月17日(月)
カインは去ってエデンの東、ノドの地に住めり

映画「エデンの東」(エリア・カザン監督)から。
名作と言われつつ、あまり覚えていない作品だったので、
再度、メモを片手にゆっくり見直してみた。
今回は「どうして『エデンの東』というタイトルなのか」が
気になって仕方がなかったので・・・。
映画のタイトルこそ、私の一番の気になるフレーズである。
ネットで調べると「旧約聖書のカインとアベルの物語を
下敷きにしたジョン・スタインベックの同名小説を
映画化した青春ドラマ」とある。これでもわからない。
「カインは立ってアベルを殺し、カインは去ってエデンの東、
ノドの地に住めり」という台詞が、映画の中に登場する。
だから「お前も去れ」という前振りのようなフレーズで・・。
「エデンの東」という単語は、その部分しかでてこない。
それが、名作といわれる「映画のタイトル」であるから、
私の驚きは隠せなかった。
しかしながら「音楽」だけで、作品を思い出せるのは
名作の条件なのだろう。
台詞から1つ選ぶとしたら、
「何かを求めてあげれば、彼はあなたの愛を悟ります」かな。



2011年10月16日(日)
この取組みは、誇れますよ

2ヶ月前、突然の話が舞い込んできた、映画上映会。
東日本大震災の被災地である「宮城県石巻市」をメインロケ地として
撮影された映画「エクレール・お菓子放浪記」の自主上映会である。
自主上映会は、たぶん、どこの自治体でもできるだろうが、
何か付加価値をつけよう・・が私の仕事の姿勢だから、
まわりの人たちは、多くの手間をかけることになることばかり。(汗)
今回も、聴覚障害者や、音声が聞き取りにくい高齢者のために、
邦画(日本映画)なのに「字幕入り」の回を用意したのをはじめ、
被災地・仙台の「河北新聞」の一部をパネルにした展示や、
町内の障害者(作業所)によるコーヒー販売に合わせて、
特別注文の「エクレール(エクレア)」販売、手づくり品バザー、
さらに、岩手県及び宮城県石巻市の特産品を取り寄せ、即売会をし、
それを、中学生たちがボランティア活動としてお手伝い。
義援金についても、東日本大震災の被災地だけでなく、
震災当初、日本のために、義捐金を送っていただいた「タイ」が、
今、洪水被害で大変なことになっていることを知り、
急遽「タイ」への義援金募集なども、企画に組み込んだ。
こんな取組みをみて、関係者の1人が呟いた。
「この取組みは、誇れますよ」
(普通の自治体では、こんなことまでしませんから)
この台詞だけで、朝から夜まで立ちっぱなしの疲れがとれた気がする。
静岡県内の小さな町の取組みだけれど、フットワークの良いスタッフと
今回のイベントに関われたことを、感謝したい。
そして、この仲間たちこそ、私の自慢である。



2011年10月15日(土)
カレーが食べたくなったね

第271回・泉のまち音楽会、今回は「インド舞踊」
出演(久保田幸代さん・田村美和子さん・小柳恵子さん)から。
271回を数えるコンサートでも、初めての演目であり、
ヨーロッパとは違う、アジア独特の音色・雰囲気が会場を包んだ。
インド舞踊の発祥は、紀元前後。文献には紀元200年からあるらしい。
女性が結婚をせず、神に捧げるための踊りだったのか、
今でも、男性も女性も同じ振り付けをする、という。
鑑賞の難しさは、拍手のタイミング。
素晴らしい踊りには、曲の途中でも拍手していいのか、
リズムに合わせて、手拍子をしていいのか、それさえわからない。
ただ「インド」という国に、ちょっぴり興味が沸いた。
彼女たちの息のあった踊りと、その音楽を耳にしただけで、
「カレーが食べたくなったね」と呟いた観客がいた。
私も同感であり、わが課のスタッフとも同じ会話をした。
音楽と食事が結びついているのは、たぶん「インド」をはじめ、
アジアの国々が多いと思う。
では「日本」は?・・と考えたが、何も浮かばなかった。
日本は欧米の影響を受けて「アジア」じゃないのかも。(笑)



2011年10月14日(金)
「お熱いのがお好き」でね

映画「オールウェイズ」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
「森林火災消火隊」なるものが存在するなんて、アメリカらしい。
日本では耳にしたことがないから。
さて、気になる一言は、主人公・ピートが、山火事消化に燃え(笑)
恋人・ドリンダの「無茶しないで」と心配する気持ちに答えた台詞。
「『お熱いのがお好き』でね」
マリリン・モンロー主演の50年以上前映画『お熱いのがお好き』
(英題名:Some Like It Hot)がさらっと会話に出てくるところがいい。
消火活動中、飛行機の中は、もの凄い熱さだろう。
それを、さらっと切り返すところは、アメリカ人にとって、
映画は生活の一部として、会話にも多用される文化を持っているな、と
羨ましくもあった。
年老いてはいたが、オードリー・ヘプバーンの魅力は健在だったし、
アメリカで有名なお笑い番組は「料理研究家ジュリア・チャイルド」の
料理番組って再確認もした。
映画の中に、他の映画作品が出てくるのも洒落てるなぁ。



2011年10月13日(木)
たくさんの人数で暮らすということ

書籍「非常識力」(中村文昭著・PHP研究所・223頁)から。
今、日本は核家族化が進み、高齢者を中心に「孤独死」なる単語も、
新聞紙上を賑わせるようになってしまった。
今更、家長を中心とした2世代、3世代同居を提唱しても、
そんな時代へは戻れない、という意見もあるだろうが、
家族に限らず「たくさんの人数で暮らす」ことは、可能であろう。
だから、どの世代も、少なくとも2人以上で暮らして欲しい。
私がそう考えるのは、本書にも、同じようなことが書かれていたから。
「たくさんの人数で暮らすということは、
自分のわがままは通らないということの生きた教育のよう」と。
人が複数で生活するとなると、当然「我慢」「耐える」を覚える。
そして「譲り合い」「助け合い」を経験しながら、
自分の思うようにはならないことを知る。
そして最後は「人の死」というものにも関わることとなっていく。
生活しながら、いろいろなことを学び、考える機会が増え、
コミュニケーション能力を身につけながら、人間として成長していく。
だから、私は敢えて「たくさんの人数で暮らすということ」を
日本の将来のために、勧めていきたい、と思う。



2011年10月12日(水)
パチンコは「アミューズメントセンター」ではない。

書籍「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」
(若宮健著・祥伝社刊・215頁)から。
著者は、日雇い労働者、その日暮らしの自営業者、世間知らずの主婦、
無力な老人といった社会の弱者がターゲットと言い切る。
ギャンブル産業は、市民の糧を餌にして成長しているので、
韓国政府は、国民の幸せのために、禁止すべきものは禁止した、と。
日本には、そんな動きがないことに、大変ご立腹の様子である。
私は、日本と韓国の政府や国民の違いよりも、
著書の中に書かれていた、フレーズが気になった。
「パチンコは『アミューズメントセンター』ではない。」
さらに「恐ろしいバクチ場なのである。」と続いている。
そこでネットで調べてみると「アミューズメント」とは、娯楽。楽しみ。
英単語としての「amusement」は(〜を)楽しんでいる状態、おもしろさ、
楽しみごと、気ばらし、娯楽・・と意味は続いた。類語では「慰安」。
どんなにお金を使おうと、パチンコ依存症になって破産しようと、
当の本人が「ストレス発散や娯楽として楽しんでいる」と言うなら、
『アミューズメントセンター』(娯楽場)は間違っていない。
しかしながら、平日の昼間から、若い人たちや主婦が、
パチンコ屋に入り浸っている光景は、世界では異常である、と言う
意見には少なからず賛同できる。
「給食費が払えない。殺人。児童虐待。自殺」などの理由が、
パチンコ・・と決めつけるのは、ちょっと無理がある気もする。
だから韓国が正しい、日本は間違っている、という断定は引っ掛かった。
「パチンコの儲けで家を建てた」って話は耳にしないから、
日本人は、ほどほどにパチンコを楽しんでいる気がする。
それにしても、書籍のタイトルは刺激的だったなぁ。



2011年10月11日(火)
「一時しのぎ」なことしやがって

何となく眺めていたTV番組なので、
ちょっと情報源が不明です、ごめんなさい。
間違って使われやすい言葉の説明だった気がする。
「姑息なことしやがって」の「姑息」の使い方、
「卑怯」「いい加減」など、そんな意味を想像していたら
「一時しのぎ」という意味だと知って、メモをした。
辞書によると「姑」はしばらく「息」は休むの意味から、
一時の間に合わせにすること。一時のがれ。その場しのぎ。
多くの日本人が解釈を間違っているようだ。
ただし、もっと気になることがある。
今回、私がこの意味を知って、正式な意味で叱ったとしよう。
「一時しのぎ」「その場しのぎ」な仕事ぶりを
「姑息な仕事ぶりではダメだぞ」と。
その注意を受ける側が、この意味を理解していないで、
「卑怯な・正々堂々としていない」と理解していたとしたら、
「私はそんな仕事の仕方はしていません」と反論されそうだ。
こういう、多くの日本人が使い方を間違えている言葉は、
発する側と受ける側の共通理解がないとトラブルのもとだな、と
メモに注意書きをした。難しいものだなぁ、日本語って。(笑)



2011年10月10日(月)
腹いっぱい喰わせることだ

映画「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョン監督)から。
朝鮮戦争を舞台に、南北朝鮮軍兵士や国連軍のアメリカ人兵士が
山奥の「トンマッコル」という平和な村で友情を育んでいく物語。
「トンマッコル」とは、(映画の中で説明しているが)
「子どものように気ままな村」という意味らしい。
「気まま」というより、韓国映画独特の「純粋」の方がいいかも。
さて、気になる一言は、兵士の1人が、高齢の村長に訊ねる。
「怒鳴りつけることもなく、よく村民をまとめられますね。秘訣は?」
その答えが「腹いっぱい喰わせることだ」だった。
暴力や恐怖では、民をまとめられないことを、彼に伝えたのだろう。
「お腹いっぱいに食べることが出来る環境」イコール
「戦争のことなど知らないのんびりした生活」
そして、それが「平和」へと繋がることを、村長は知っている。
そう言えば「ケンカをやめて飯でも喰ったらどうだ」とか
「何をそういきりたってる?」と、穏やかに話しかけるシーンが続く。
戦いシーンが続くのに、なぜか観終わって爽快感が込み上げてきた。
韓国映画の魅力にハマってしまう人たちの気持ちがわかる気がする。



2011年10月09日(日)
内科は知識、病院で選べ、外科は技術、先生で選べ

あれ?誰の台詞だったろうか、情報源不明ですが・・。
病気になった時の対応の仕方メモである。
内科関連の病気は、その処方は多くの知識から対処される。
それはあくまで、あの病院はあの病気に詳しい、という風に、
病院の評判が、患者の評価につながってくる。
しかしながら、外科関連(手術)は、
どれくらいその手術を経験しているか、という経験値がモノを言う。
何百回も同じ手術をしている先生と、今回が初めてという先生では、
安心感・不安感という差が生じる。
だから、手術は病院ではなく、〜先生という個人の選択が望ましい。
そんな話を、短くまとめたら
「内科は知識、病院で選べ、外科は技術、先生で選べ」となった。
当り前なのだが、案外忘れがちな視点ではないだろうか。
手術を2度ほど経験した私の場合、外科は外科でも、
麻酔の先生の技術が一番大切にされるべきなんだと思う。
患者の場合、痛いか痛くないかだからなぁ。(笑)



2011年10月08日(土)
この上に住んでいる皆さんは名誉なことです

弥生時代終末から古墳時代初頭の遺構、遺物が、
私の自宅すぐ傍で発見され、現地説明会が開催された。
調査員の説明では、近隣で発見された古墳と関連もあり、
この地域を治めていた首長(豪族)の居館と推定され、
説明にも力が入っていた。
朝刊の新聞記事を見て集まった、50人を超す見物人に
拡声器を使わず、大きな声で言った。
「この上に住んでいる皆さんは名誉なことです」
続けて「私も出来ることならここに住みたいです」と。(笑)
考古学や埋蔵文化財に興味のある人たちにとって、
歴史的にみても、相当、貴重な場所らしい。
(現場だけ見ると、ただ石ころが転がっているだけですが・・)
説明員の一言に、近所に住んでいて見学に来た人たちは、
大満足で帰っていった。
そうだろう、自分たちが今住んでいる場所に
1800年も前から豪族が住んでいた、それだけ住みやすい場所、
と認めてもらったようなものだから。
夜にもう一度、懐中電灯片手に、現地を見に行ったけれど・・
やっぱり、単なる石ころの集まりなんだけどなぁ。(汗)



2011年10月07日(金)
ブログは更生計画と同じ

映画「ジュリー&ジュリア」(ノーラ・エフロン監督)から。
憧れのジュリアのレシピに挑戦し、それら全てをブログに綴る、
そんな試みが主人公とともにストーリーが展開されるが、
「ブログ」に関する台詞が多く、当然のようにメモも増えた。
「ブログって、現実から逃れる手段よ」
「ブログの意味は、規則正しく腹筋するのと同じ」
「ブログは更生計画と同じで、毎日続けることが大事なの」
「ブログには、毎日の目標が必要なのよ」
「私がブログを書かないと、みんな困るわ」
「ブログは、自己表現の場よ」
どれも、正しい気がするけど、どれも正しくない気もする。
私にとって「ブログ」は、とても魅力的な存在であるが、
たぶん、その機能の半分も利用していないと思える。
「ブログ」とは「ウェブ上の記録を意味する『ウェブログ』の略、
個人の日記などを、簡便な方法で作成し、公開することができる
ウェブサイトの総称。
パソコンだけではなく、携帯電話などを使って更新できるものもある」
と、説明されている。
う〜ん「ブログ」の定義って難しいてなぁ。
私を唸らせる「定義」をお持ちの方、是非、ご連絡ください。(汗)



2011年10月06日(木)
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます

彼の訃報を悲しむように、毎日の日課のようにアクセスしている
アップルのホームページのトップは、喪に服していた。
墓碑の刻まれるようなメッセージだけを残して・・。
「Steve Jobs (1955-2011)
Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました。
世界は一人の素晴らしい人物を失いました。
スティーブを知り、共に仕事をすることができた幸運な私たちは、
大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました。
スティーブは彼にしか作れなかった会社を残しました。
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。」
どれも残したいフレーズであったが、私は最後のフレーズを選んだ。
グラフィックやデザインが得意だったわけでもなく、
PCで曲を作るミュージシャンでもなかったのに、
どうしてマックなの?と訊ねられても、答えは見つからない。
ただ不思議なことに、職場で使用するパソコンのOSが「窓」なのに、
帰宅後は「林檎マーク」で、パソコンライフを楽しんだ。
振り返ると、プライベートのパソコンは、すべてマッキントッシュで、
多くの「窓派」の仲間に誘われても、1度も浮気をしたことがない。
さらに自分のPCを「愛機」と呼んで、可愛がった。
それはたぶん「スティーブの精神」が好きだったから・・と残したい。
「林檎」と「窓」の選択は、私の性格にも影響を与えている。
この話はまたゆっくりと・・。今はただ、彼の冥福を祈りたい。
「スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。」



2011年10月05日(水)
誰も途中で拍手しなかったね

以前、週末に妻と出かけた、Mt.Fuji交響楽団(第3回定例演奏会)から。
場所は、最近お気に入りの「裾野市文化センター大ホール」
演奏プログラムは、サン・サーンス作曲「Donse macabre」
チャイコフスキー作曲 組曲「くるみ割り人形」(第1〜第8曲)
ドヴォルザーク作曲 交響曲第8番(第1〜第4楽章)
帰りの車内で、妻が感心して呟いた。
「誰も途中で拍手しなかったね」。
観衆は、700〜800人くらいいただろうか、
曲と曲の間、楽章と楽章の間に、誰かが思わず、終わったと勘違いし
拍手してしまうケースを、何度も何度も目にしてきたから、
今回は、観客のレベルの高さに驚かされた。
東京では当然でしょ・・と言われればそのとおりだけど、
地方都市の演奏会では、残念ながら、まだ「当然」とは言えない。
観客のマナーは、なかなか教えられないから困っているが、
最低限のルールとマナーは、伝えていく必要があるのかなぁ。
それが最後には、素晴らしい演奏を聴くこと、につながるのだから。



2011年10月04日(火)
これ、課員からお祝いです

昨晩、課員たちと季節外れの「暑気払い」(笑)で、宴をもった。
秋といえば、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋・・、
そう、我が生涯学習課が、活躍する季節がやってきた。
そんなことを挨拶で言ったが、しばらくして先輩の女性が
「みなさ〜ん、課員にお祝いごとがあります」と立ち上がった。
何も知らなかったし、まさか自分の事とは思わないので
「えっ、結婚?、まさか、おめでた?」と茶化したのだが、
「課長が、勤続30年で、明後日、表彰されま〜す」と大声で。
「これ、課員からお祝いです」と渡されたのは、ワイン。
今晩、それをさっそく飲みながら、再び嬉しさを噛みしめた。
この年齢で、課員たちにお祝いされることって、なかなかないから、
その喜びはうまく表現できないが、一言で言えば「格別」。
長く働いていれば、誰でも表彰される「勤続30年」ではあるが、
家族にお祝いされるのとは、ちょっと感覚が違う。
この課員たちのために、健康で元気に、笑顔を絶やさず、
そして、彼らを叱咤激励しながら頑張ろう、と思った夜である。

PS.
こんないい話の後は「課長は怒っていても顔が笑ってる」とか
「眉間にシワ、寄せてごらん」と、いじられキャラに逆戻り。(汗)
恵まれているな、私の場合。
「明日からも頑張ろう」と締めたら「え〜」って騒ぐ課員たちだから。



2011年10月03日(月)
マナーとは、目上の人に恥をかかせない態度と行動

書籍「年収1億円思考」(江上治著・経済界・225頁)から。
タイトルが気になって、書店で手に取ってしまった書籍。(汗)
公務員だから「稼ぐ」ことに視点をおかなくてもいいのだが、
年収1億円を稼ぐ人の思考ってのが気になって読み始めた。
読後のメモを眺めながら、正直、ピンとこない内容が多く、
あぁ、私は1億円は稼げないな、と苦笑いをしたものである。
しかし、マナーに関する定義は、なるほど・・と唸らせてくれた。
「マナーとは、目上の人に恥をかかせない態度と行動」
実は、マナーに限らず、生き方の基本として
「目上を立てることが出来ること」を挙げている。
言い換えれば「目上にだけは恥をかかせない」思考・行動が、
その人を大きくさせるという考え方だ。
さらに、職業教育の基本は「丁稚奉公」だと考えている点、
さすがだな、とメモさせていただいた。
目上の人の考え方、行動が仮に間違っていたとしても、
その場では、指摘をせず、目上の人に従う柔軟さを持っていたい。
そんなことを考えながら、この本を閉じた。



2011年10月02日(日)
鼻の中は想定外

わが町のスポーツイベント(第48回町民体育大会)が、
暑くも寒くもない、曇天(好天?)に恵まれ、無事終えた。
帰宅後、この大会を思い出すキーワードを探していたら、
なぜか「鼻の中は想定外」が浮かんでしまった。
私の出場種目は、8人1組の団体役職員リレー。
1,5走者はラムネの一気飲み、2,6走者は宝釣り、
3,7走者はパン食い、4,8走者は白い粉の中から飴を探す。
もちろん私は、顔を真っ白にするのが定番の飴探し。
期待を裏切らないよう、メガネをかけたまま、
吹いて飴を探す事なく、白い粉の中へ顔を突っ込んだまでは、
予定どおりだったが、ここでアクシデント(ハプニング)が起きた。
想定外は、白い粉を鼻から思いっきり吸い込んだこと。
これには参った。一瞬、息が出来ないのだから。(汗)
ゴールしてから、おしぼりで顔を拭いたが、鼻の中は粉のまま。
痛かったぁ・・でも、楽しかったな、みんな喜んでくれたし・・。
次回は、手作りの「鼻栓」持参しよ〜っと。



2011年10月01日(土)
よろしくお願い島津藩

映画「インスタント沼」(三木聡監督)から。
今回の気になる一言は、
WINKの相田翔子さんの口から飛び出した親父ギャグ。
役柄は「ちょっぴり天然の独身女性」(笑)
普通に「よろしくお願いします」で済むところを
「よろしくお願い島津藩」。(汗)
この台詞、ストーリーにどう関係しているのか、
さっぱりわからず、紹介しようかどうか迷ったが、
やはり、誰かに伝えないと、私の記憶から離れないから、
書くことに決めた。
この台詞、NHK大河ドラマ「篤姫」が口にしたら
もっと面白かったのになぁ。
さらに応用で「よろしくお願い島津ゆたか」とか、
いろいろ使えそうだ。
でも、職場の先輩に教わった「緊張しまくり」をもじった
「緊張、島倉千代子」には届かないな。