初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2011年08月31日(水)
いいね、お前の苦しそうな顔、凄くいいよ

映画「蛇にピアス」(蜷川幸雄監督)から。
金原ひとみさんが芥川賞受賞の時、原作を読んだけれど、
さっぱりわからなかった。
なかなか自分で映像化できず、苦労した小説だった。
そういう意味では、今回は映像化されたので、期待した。
けれど、やっぱりわからなかった。(汗)
私の感性が、理解するまで達していないのが原因だが、
たぶん、死ぬまで理解できない気がする。
特に「痛い」のと「苦しい」のと「辛い」のに弱い私には、
「痛くないと、感じない。」という感覚が、わからない。
首都圏の電車が、蛇のように線路の上を動くシーンだけが、
妙に印象に残った。
この作品を思い出すのに選んだ、気になる一言は、
サディストの彫り師シバの台詞である。
「いいね、お前の苦しそうな顔、凄くいいよ」
「俺は、お前の顔を見ていると、Sの血が騒ぐんだ」
「もし死にたくなったら、俺に殺させてくれ」等々、
理解できない台詞は、増える一方だった。
単語では、やっぱり「スプリット・タン」かな。



2011年08月30日(火)
やばい、SB・PBだよ・・・体重が(汗)

まったく影響されやすい性格だ、と自分でも呆れる。
世界陸上のテレビ観戦で、何度も耳にしている単語、
「SB」は「シーズンベスト」「PB」は「パーソナルベスト」。
もうすぐ夏が終わるというのに、食欲は衰えるどころか、
冷たいビールと家内の手料理で、ますます増してきた成果が
体重となって現れた。
体重計に乗った私は、ひとりで悲鳴をあげてしまった。
「やばい、SB・PBだよ・・・体重が(汗)」
増えることが、ベスト記録とは言えないから、
使い方を間違えたな、と苦笑いしながらも、
この臨機応変な単語の使い方に、自己満足している。
今年は、この単語をうまく使いこなしてみたいな、と思う。
自分も、体重やアルコール量ではなく、何かに挑戦して
「シーズンベスト」「パーソナルベスト」という単語を
正しい使い方で口にしたい。



2011年08月29日(月)
訓読みの『くん』も音読みだったよ

母が、クイズの本を抱えて、私に質問してきた。
「ねぇ、ちょっと教えて」と言いながら。
どうせ、クイズだから簡単だろうと思っていたら、
「音読みの『おん』は音読み、では、訓読みの『くん』は?」
「えっ?」と一瞬固まってから「訓読みでしょ」と返した。
でも、それではクイズにならないな、とネットで調べたら、
なんと、訓読みの「訓」(くん)は音読みだった。
訓読みとは「漢字の持つ意味を日本の言葉に当てはめた読み方」
音読みとは「漢字の中国語での発音を日本人なりに言いやすくした読み方」
「音訓」という言葉自体が中国から入ってきたもので、
その言葉を日本でもそのまま使っているため、
音読みのまま現代に伝わっている、との説明があった。
なるほど・・とメモして、自慢げに母に伝えた。
「音読みの『おん』は音読み、訓読みの『くん』も音読みだったよ」
まぁ、こんな雑学、仕事には役に立たないけれど、
呑み屋では、ちょっとネタになるかも・・・(汗)
でも「温玉」(おんたま)「薫玉」(くんたま)の方が、ウケるかもなぁ。



2011年08月28日(日)
海江田氏"逆ギレ"に「弱さ」も

昨日「民主代表選共同記者会見」をテレビで観続けた。
(政治ネタは、あまり書きたくないけれど・・)
この様子が翌日、どう表現されるのか、興味があったから。
地元新聞の見出しは「政策 独自色見えず」
あれっ、そうきたか・・が私の感想。
どんな国を作っていきたいか?という質問はなかったし、
夢を語る場面もなかった、と思うが、そう表現するのか。
特に、海江田氏に対する「小沢関連質問」は、
私が見ていてもしつこいな、と感じるやり取りで、
「公平に質問して下さい」と言い返したシーンが
「海江田氏"逆ギレ"に『弱さ』も」と表現されている。
勿論、質問にあたった有識者がそう採点したのだから、
報道の自由、表現の自由はあることだし、異論はないが、
なにか、スッキリしないものを感じている。
あのやり取りが、どうして「逆ギレ」なのか、説明願いたい。
今の政治に必要なことは「根本的な問題解決をすること」
いつまでも「脱小沢」「親小沢」「反小沢」と騒いでいるならば、
小沢氏に党員資格を与えて、一度、首相にしてみればいい。
そうすれば、国民にも小沢氏の実力がはっきりわかるのだから。
「国を立て直せるか、どうか」
こんなにわかりやすい、判断基準はないと思うのだが・・。
これでは、あまりにも短絡的だろうか。
安倍晋三氏の「『美しい国』を作ります」が懐かしいなぁ。



2011年08月27日(土)
河川敷には、トランペットだよね

今週1週間は、早朝の5時に起き、6時半のラジオ体操に備えた。
青少年健全育成会の事業であるが、担当課長としては
だまって寝ているわけにもいかず、毎回現場に顔を出すことに。
今週は、あいにく天候に恵まれず、屋根のある施設に場所を移して
実施することが多かったが、今日は曇り空ながら、
なんとか、狩野川河川敷(ふれあい広場)で、実施することが出来た。
(2回目は、開始3分前に突然雨が降り出し、
参加者、約250人が体育館へ移動というハプニング付き(汗))
ラジオ体操も無事終わり、片付けを終えてその場を去ろうとした時、
河川敷から、トランペットの音色が・・。
「こんな早朝から・・」と呟いた私の横で、知人が諭してくれた。
「河川敷には、トランペットだよね」
どこの河川敷にも、トランペットの練習がつきもの、とばかり。
そう言えば、同じような光景を全国各地で見たことことがある。
それも、練習する楽器がフルートやクラリネット、サックスではなく
なぜか「トランペット」(笑)
これって、なにか意味があるのだろうか、不思議だよなぁ。



2011年08月26日(金)
物(もの)は言いよう・気は持ちよう

あるコンサートで耳にしたフレーズ。
「よく、うちのおばあちゃんが言ってました。
物(もの)は言いよう・気は持ちようだって・・・」
これを何回も繰り返して使うと、ギャグになります。(笑)
ところで「物は言いよう」が気になった。
私が最初に浮かんだ「物は〜」は「考えよう」だったから。
そこで調べてみたら、2つとも意味があった、ホッ。
「物(もの)は言いよう」は
同じことでも言い方によって、よくも悪くも印象が変わる。
「物(もの)は考えよう」は
物事は考え方しだいで、よくも悪くも受け取ることができる。
なるほど・・とメモしたが、今度は「気は持ちよう」が気になった。
私の中では「気の持ちよう」であり、
「気は持ちよう」は、ちょっと違和感がある。
この使い分けは、まだ理解できていないし、ネットでもわからない。
誰か詳しい方、教えてください。



2011年08月25日(木)
丁寧は仕事の基本である

書籍「大人の流儀」(伊集院静著・講談社刊・189頁)から。
書店で見つけ、図書館にリクエストしようかな、と思いながらも、
なぜか、すぐに購入し、一気に読み切ってしまった。
この「大人の流儀」というタイトルや表紙に惹かれて読んだ人は、
ちょっと物足りないかもしれないが、あの夏目雅子さんを惚れさせた
彼の男っぽさは、充分に堪能できる内容ではないか、と思う。
相変わらず、私のメモは増えたが、一度、書き写し、
さらにパソコンに入力した読後メモを眺めていたら、
何度か登場する「丁寧」と「誠実」いう単語が、目についた。
「清潔、身綺麗は、丁寧につながる」「丁寧は仕事の基本である」
「丁寧は人間の誠実が、これをさせている」「誠実は生きる姿勢である」
「人に文章で何かを伝えたいなら『誠実と丁寧』が基本だ」・・
いつものように、気になって調べてみたら
「丁寧」とは、細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。
言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。
彼が言いたかったことは、これか・・と頷いた。
「流儀」もいろいろ意味があるが「心構え」なのだろう。
「大人(特に男)の流儀(心構え)」とは、単なる器が大きいだけでなく、
「誠実・丁寧」を常に根底に置き、
行動ができる男こそ、その人間の魅力を倍加させる、
そんな意味に理解したがいかがなものか。



2011年08月24日(水)
女のいやらしさを出さないと・・女よ、女

映画「櫻の園 −さくらのその−」(中原俊監督)から。
おじさんだなぁ、と思いながらも、
やっぱり、若い女の子の一所懸命の姿はいい(汗)。
この中から、未来の大女優が生まれるんだろうなぁ、
そんな視点で観てしまった作品である。
菊川怜さん扮する坂田先生が、
「稽古のときは、デビル坂野って呼ばれてたんだから」と
ピチピチの女子高生に、演技するシーン。
もちろん演劇作品はロシアのチェーホフ原作「桜の園」。
「ここは本気に助けてって言っているわけじゃないの、
女のいやらしさを出さないと・・女よ、女」・・と叫ぶ。
これには笑った。
そうなんだよ、女はいやらしいんだ・・と頷いた訳じゃない。
でも、インパクトあった台詞を、物語に関係なく選んだ。
このフレーズだけで、この作品を思い出せそうだったから。
「舞台立つの、すごく興奮するよ」も台詞もいいな。
でもどうして、若い女の子の作品って「桜」「桃」ばかりなんだろう。
映画「フレフレ少女」の主人公は「櫻木高校の百山桃子」、
愛読書は「櫻文庫」。今回の主人公は「櫻華学園の結城桃」。
なんとなくわかるけど・・ここまでしなくても・・(笑)。



2011年08月23日(火)
掛け算ができない子が大学に入っている

ある大学教授の呟きである。(すみません、情報源はご勘弁を)
「掛け算ができない子が大学に入っている」
しかし、それは例えの1つであり、もっと驚くような
子どもたちが大学生になっている、ともいう。
大学に限らず、社会人だって同じことが言える。
「おまえ、大学出てきたんだろ?と叫びたくなる奴、
うちの会社にもいるよ」とは友達の嘆き。
極端なことを言うと「一般常識のない子どもたちが、
教育関連の大学に入り、教師となって子どもたちを教えている」
それは、日本の教育力の低下に繋がる由々しき問題だと、
酒を飲みながら、現役教師と語ったことを思い出してた。
では、その原因は・・となるのだが、大学の乱立により、
誰でも行けるようになったこと、と結論づけた。(汗)
大学試験が難しかった時代、勉強嫌いの学生は、
ほとんど高校を卒業後、就職をしたのだが、
今は、その選別が出来ず、勉強嫌いの子どもたちも、
親のすすめで「とりあえず」大学生になり、
4年間、何も考えず遊ぶ。そして「とりあえず」就職する。
(今は、就職難だけど・・)
日本の将来を考えた時、この部分を直さないと、
とんでもない社会になってしまう気がしてならない。
「履歴書は役に立たないな」と誰かが言っていたっけ。



2011年08月22日(月)
感動を支える人がいる。感動を拡げる人がいる。

たぶん・・サッポロビールのCMだった気がする。
これも、箱根駅伝のメモと一緒に書かれていたから(笑)。 
どうして、このフレーズに反応したのか、自分でもわからない。
ただ、自分の役割として考えていた「感動を支える」から、
「感動を拡げる」へ、意識が変わってきたからだろう。
「2番目、参謀、副○○、補佐」が得意だったはずの私が、
最近、妙に前に出る機会が増え、
気がつくと一番前で、旗を振っているケースが多い。
しかし、以前のように、トップ役を毛嫌いするすることもなく、
これまた、神が私に与えた役割として、素直に受け入れたい。
こう考えることにより、これまた楽しい人生が送れるに違いないから。
もちろん、これからも「支える役」は、続けていく。
しかし、時には「拡げる役」を演じ、社会のために役に立ちたい。
そんな気持ちの変化が、このフレーズを、このタイミングで輝かした。
「感動を支える人がいる。感動を拡げる人がいる」
人には、その年代で与えられた役割があるのかもしれないな。



2011年08月21日(日)
「上を向いて歩こう」は、本当に復興応援ソングなのか?

最近、妙に増えてきた、私の呟きである。(汗)
先週1週間で3回の「復興支援コンサート」に顔を出した。
どれも、歌や演奏を通して、被災地を元気にしたい、という
出演者の想いは伝わってきたが、不思議な共通点があった。
演奏曲目に「上を向いて歩こう」が入っているのである。
国民の誰もが知っている歌詞やリズムであることは承知だが、
その歌詞だって「応援する」ような歌詞とは言えない。
作詞をした永六輔さんの話を調べてみると、
60年安保闘争という大衆の運動が挫折していく様子をみて、
悲しいけれど、泣いてはいけない、と作ったという説と、
女優・中村メイコさんを作曲家・神津善行さんと恋争いをし、
ふられた時に作ったという説がある。
どちらにしても、復興支援に相応しい歌詞とは言えない気がした。
一度、じっくり歌詞を読み直して欲しい。
「君たちは孤独ではない、日本人みんなが応援している」と言いながら
「ひとりぽっちの夜」っておかしい気さえするのだが・・。
さらに「ひとりぽっち」は「これっぽっち」の「ぽっち」(点の意味)であり
けっして「ぼっち」ではないのに、みんな堂々と
「ひとりぼぉ〜ちの夜」と歌っているのも気になる。
たしかに、そんなことどうでもいいじゃないか、という気もあるが、
やっぱり、気になるものは気になる、と書いておかなくちゃ。
「上を向いて歩こう」は、本当に復興応援ソングなのか?・・と。
PS.
「ぽっち」については、2005年04月18日(月)の日記に掲載済みです。
関心のある方は、どうぞこちらへ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20050418



2011年08月20日(土)
ワークは「work」ウォークは「walk」

すみません、先に謝ります。(汗)
8月16日の気になる一言「大好きって手をつないで歩くこと」
英語の訳で、初歩的なミスをしてしまった。
毎月、10日、20日、月末の夜は、長年の恒例行事として、
「気になる一言(縮刷版)」に掲載する一言を選んでいる。
実は、今晩、野暮用で遅くなると思ったので、
朝から今月の11日から19日までを読み直して、
自分なりに1つ決めておこう、としていたところ、
顔が赤くなるようなミスを発見してしまった。(涙)
英語を習い始めた頃から、何十年も気をつけていた単語。
「work」と「walk」。(読みと綴りが逆だから・・)
ワークは「work」ウォークは「walk」
それなのに、それなのに、こんな大事な場面で間違えるなんて、
恥ずかしく、53歳を返上したくなった。
『手をつなぐ』って「hand-in-hand」「hand in hand」
どっちだったかなぁ、なんて気になっていたいたのに・・。
たぶん、酔っぱらったまま書き上げて、校正もせず、
そのままネットにアップし、メルマガ配信をしてしまった。
(ネットの「気になる一言」と「mixi」は訂正したけれど、
毎日、メルマガで読んでいる方、ごめんなさい、訂正できません)
こうしたミスが続くと、さすがに落ち込むなぁ。ふぅ〜。



2011年08月19日(金)
いい人だって死ぬ、それが戦争だ

映画「エクレール・お菓子放浪記」(近藤明男監督)から。
宮城県石巻市を中心にロケ撮影がされ、
この春、東北地方で先行上映されるはずだった作品。
それが、東日本大震災で、ロケ地だった場所がなくなったり、
エキストラで出演していた人たちも津波で亡くなった話を耳にし、
いてもたってもいられなくなって、自主上映会場に足を運んだ。
あの映画館やあの場所も・・と、石巻市の魅力満載の映画が、
追悼の映画になるなんて、誰もが想像しなかったことだろう。
しかし今、全国で、復興支援としてこの作品の上映会が開催され
わが町でも、実行委員会形式による自主上映会の準備を始めた。
物語では、大切な人を戦争で次々と亡くし、主人公が呟く台詞、
「もう優しい気持ちなんてまっぴらだ」も印象的だったが、
「いい人だって死ぬ、それが戦争だ」と彼に諭す台詞も心に響いた。
今回の3.11大震災の衝撃を「第2の敗戦」と位置づけた人もいる。
そういう意味では、被災者の慰めにはならないと思うが、
「いい人だって死ぬ、それが戦争だ」を読み替えて
「いい人だって死ぬ、それが地震だ、それが津波だ」と残したい。
だからこそ、残された私たちは、毎日を大切に生きなければ
戦争や震災で命を落とした人たちに申し訳ない、と感じる今日この頃。
是非、多くの人に観て欲しい、と思う作品であった。
きっと観るたびに、気持ちが優しくなってくる気がするから。



2011年08月18日(木)
乾杯のある時を増やしたい

ご存知、サッポロビールのCMから。
たぶん、箱根駅伝のメモと一緒に残っていたから、
今年初めの頃のCMだと思う。
実はメモを確かめると、正確には、もう少し長い。(笑)
「乾杯をもっとおいしく。乾杯のある国を増やしたい。
乾杯のある時を増やしたい。出会いの数だけ乾杯がある」
そう言えば、今年は何回「乾杯」しただろうか、
機会あるごとに「乾杯」を口にしていた気がする。
1年を通して、私が一番口にした単語は、
ここ数年「乾杯」が、群を抜いているに違いない。
では、乾杯とは、どういう行為なのか、調べてみた。
「かんぱい」(乾杯/乾×盃)
杯の酒を飲み干すこと。特に、喜びや祝福の気持ちを込め、
杯を差し上げたり触れ合わせたりして、酒を飲むこと。
「乾杯の音頭をとる」「二人の門出を祝い、乾杯する」とある。
基本は「飲み干す」らしい。
一気に飲み干すといわれているのは、昔、
獣角、貝殻などの不安定な酒器を用いたためであるが、
それでは、ビールジョッキの「乾杯」は間違っていたな。
なかなか、飲み干すことは難しいから。
今度の飲み会で、教えてあげようっと。
そして、自ら実践してみせないとなぁ。(笑)



2011年08月17日(水)
お嬢さん、みえてますよ

素敵な話の次でも申し訳ない、私の心の中の呟きである。
先日、静岡市へ映画を観にいく途中の出来事。
私は、三島駅から、彼女は沼津駅から乗車したと思う。
座席は、私の真正面の座席。(麻雀で言えば、対面)
富士駅を過ぎた頃から、彼女は熟睡したのか、
ミニスカートで脚を広げたまま目をつぶっている。
もろ見えの状態で、私も眠ったフリをしてみたが、
正直なところ、気になって仕方がなかった。
(一瞬「どっきりカメラ」かと疑うほどの大股開き(汗))
しかし、若い女性のスカートの中を覗きたいという感覚はなく、
なんとか、そっと教えてあげたい・・という気持ちが先行した。
あいにく、私側の列には男性陣、彼女側の列には女性陣で、
女性陣は気付いていない様子。(たぶん男性陣はニヤニヤ)
勇気を振り絞って、私が席を立ち、彼女の前に立てば済むのだが、
それも不自然だし、困った、困ったで、静岡駅に着いてしまった。
結局、30分近くの間、若い男性陣の視線にさらされたことになる。
どうすればよかったんだろう、今でも悩んでいて、結論が出ない。
どなたか、私がスッキリするアドバイスをお願いしたい。



2011年08月16日(火)
大好きって手をつないで歩くこと

書籍「スヌーピーの『大好きって手をつないで歩くこと』
Love is walking hand-in-hand
(チャールズ.M.シュルツ著・谷川俊太郎訳・主婦の友社刊)から。
娘が妻にプレゼントした本らしいのだが、
何気なく本棚を眺めていたら見つけた1冊である。
「Love is〜」ではじまる「大好き」の定義が
いっぱいいっぱい詰まっている。
それを、詩人の谷川俊太郎さんが、素敵な訳をつけてくれた。
これが「愛とは〜」で始まる哲学のような定義だったら
たぶん、これほど、心が動かなかったかもしれない。
タイトルの「大好きって手をつないで歩くこと」以外にも
■大好きって誰かの髪をくしゃくしゃにすること
Love is mussing up someone's hair
■大好きってさよなら言うのがいやなこと
Love is hating to say good-bye
■大好きってくすぐっちゃうこと
Love is tickling
■大好きってポップコーンを分けあうこと
Love is sharing your popcorn
こんな「大好き」の定義が詰まった素敵な本である。
私が、ぼんやりと目指していた「気になる一言の活用」が
はっきり、とカタチとしてイメージが出来た瞬間でもあった。
私にとって、人生を左右する本との出会いかもしれない。



2011年08月15日(月)
あんた 大切な人、おるねん?

映画「悪人」(李相日監督)から。
全編通して耳にする「九州弁」に影響されてか、
「もうしたと?」「どがんす?」「ダサかろ?」などを
文字にすると、あっているだろうか?と気になっている。
さて、今回の気になる一言は、被害者の娘の父親役、柄本明さんが
ある若者に向かって呟く台詞のワンフレーズ。
「あんた 大切な人、おるねん?」
その台詞に続いて「その人の幸せな様子を思うだけで、
気分まで嬉しくなってくるような人は?」と訊き直すシーンが印象的だ。
さらに「今の世の中、大切な人がおらん人間が多すぎる」とまで。
(大切な人がいないから)自分には失うものがない思い込んで、
それで強くなった気になる。(それがこんな犯罪につながる)と嘆く。
それは「ごちそうさ〜ん、まずかったぁ」と言いながら
食堂(居酒屋)を出て行くシーンにも同じことが言える気がした。
日本では「愛してる」と同じ意味に解釈される「大切にする」、
その大切な人(愛する人)がいない人生なんて淋しい過ぎる。
殺人を犯した「悪人」でもいい。大切にしたい人がいるのだから、
そんなメッセージをいただいた気がする。
「大切にしているもの」・・今から、書き出してみようかなぁ。



2011年08月14日(日)
「はつぼん」は、誤読じゃないんだなぁ(汗)

私の、勘違いをご披露。
お盆に入ってから、被災者のお盆ついて、
ニュースキャスターが「はつぼんは・・」と口にするので、
それ「にいぼん」の間違いだろ、そんな字も読めないのかと
気になる一言のネタにしようとしたが、
あまりに自信たっぷりに発音するし、訂正のお詫びもないから
辞書で調べてみてからにしよう、と思いとどまった。
案の定「はつぼん」という単語がみつかった。
意味は「新盆(にいぼん)に同じ」
たぶん、読んだ原稿が「新盆」ではなく「初盆」だったに違いない。
「はつぼん」は、誤読じゃないんだなぁ(汗)
では「にいぼん」は?と考え、調べ直した。
意味は「その人が死んで最初の盆。初盆(はつぼん)。あらぼん。しんぼん」
よ〜く考えたら、私の方が勘違いしていて恥ずかしくなった。
「初盆」を「にいぼん」って読むんだと思っていたから。(笑)
50年以上「初盆(はつぼん)」という音を耳にした記憶がない。
良かったぁ、全国に発信しないで、ふぅ、恥ずかしい・・。



2011年08月13日(土)
朝読(あさどく)から家読(うちどく)へ

知人のブログで見つけた、聞き慣れない単語「家読」。
なんと「うちどく」と読むらしい。(笑)
その視点に共感したので、気になる一言でご紹介。
それが「朝読(あさどく)から家読(うちどく)へ」である。
今、全国各地で、読書の大切さを訴え、読み聞かせ活動が広がり、
さらには、学校では授業が始まる前の時間を利用して、
全員が好きな本を読む「朝の読書」も定着してきたようだ。
(読書量の多い少ないはあるけれど・・)
では、次はどんな動きになるのかな、と注目していたら、
「家読(うちどく)」という単語と出会った。
「家読」とは、読書の楽しさを知っている子どもたちをお手本にして、
今度は家で家族みんなで本を読む新しい読書スタイル。
これはいいな、とさっそくメモをした。
読書離れ・活字離れは、子どもだけではないはずなのに、
なぜか、こどもを対象にした「読書推進計画」等がクローズアップされ、
活字大好き人間の私としては、違和感を感じていたので、
今回の「家読」は、すんなり取り組めそうだ。
提唱者は、読書を通したコミュニケーションを図ることで、
家族の絆がさらに深まることを願っているようだし、
全国に先駆けて「家読(うちどく)」を推進しちゃおうかなぁ。



2011年08月12日(金)
夏休みの宿題の参考にさせていただいてます

「気になる一言」の数少ない読者から、メールが届いた。
発信者の名前に覚えがないから、面識がないけれど
そんな役に立っているのか・・と嬉しくなった。(笑)
「夏休みの宿題の参考にさせていただいてます」
子どもに、夏休みの日記をつけなさい、と叱るのだが、
何度言っても、朝起きてから寝るまで、
ただ、だらだらと書くことが続いていたらしい。
そこで、私の「気になる一言」を読ませて、
一日のうち、一番印象に残ったことを書けばいいんだよ、と
教えたところ、翌日から変わってきた、という話。
日にちは違うけれど、熱海の花火も見に行ったようで、
私の拙い日記が、役に立ったようだ。
一番印象に残ったことを書いておくと、それを読み直すだけで、
いろいろなことが思い出されるんですよ、と返信した。
その効果は、たぶん何年かして気づくはずである。
どんな日記になったのだろか、ちょっと気になります。



2011年08月11日(木)
助けてもらう人から助ける人になろう

「夏休みの子どもたちに、防災体験をさせたい、
それも震災からちょうど5か月目の8.11に」
そんなスタッフの発想から生まれた防災体験教室は、
起震車による地震体験から、家族との連絡カード作成や、
新聞紙で作ったサバイバル食器で、非常食を試食するなど、
工夫が凝らされたイベントとなった。
実際には、町の消防署や役場の防災担当の協力を得て、
担当課だけでは出来ない、面白い教室になったと思う。
その中で私のアンテナに引っ掛かったのは、
今回のイベントのキャッチコピー。
「助けてもらう人から助ける人になろう」
小学生と言うと「助けてもらう側」(災害弱者)をイメージするが、
今回は、自分たちが家族や大人たちを「助ける側」として
防災の勉強をし、体験させたい、というスタッフの意図が感じられた。
子どもを子ども扱いせず、立派なボランティアスタッフとして扱い、
今回覚えた防災知識を、防災意識の希薄な大人たちに伝えて欲しい。
今晩の食卓で「ねぇ、うちの家具、転倒防止になってる?」って
家族の会話があればいいな。



2011年08月10日(水)
ここ、笑うところなんだけど

映画「ハナミズキ」(土井裕泰監督)から。
ちょっと、ありきたりなストーリーに驚いた。
あまり、気になった台詞も少なかったが、
全体として、対になっている台詞のひとつが
「僕の心が純粋で少年のようだから」と前置きをして、
相手の反応を見ながら「ここ、笑うところなんだけど」と呟く。
台詞の主は、新垣結衣さん演じる主人公・紗枝の大学の先輩。
(役者は向井理さん、登場場面は少ないのに、存在感があったね)
さて、作品の後半、今度は逆にあるシーンで
「ここ、笑うところじゃないんだけど」とスネてみせる。
その使い分けが絶妙だった気がする。前の台詞が効いていたな。
実は、私もこの台詞をよく使う、ただし、相づちとして。
「いま、笑うところ?」とか「いま、笑うところじゃないよね?」
って具合に、会話の突っ込みで使う。
覚えておくと、けっこう便利なフレーズである。試して欲しい。

PS.
映画「フレフレ少女」のガッキーの方が可愛かったなぁ。



2011年08月09日(火)
カレーライス・・ご注文を繰り返します

書籍「出会いを生かせば、ブワッと道は開ける!」
(中村文昭著・PHP研究所・254頁)から。
いくらマニュアルだって、これはないだろう・・と
紹介していたのを、気になる一言にしてみた。
大勢でお店に入って、いろいろな種類のオーダーをしたなら
間違えないように・・もわからなくない。
一人で入って「カレーライス」を注文して、
「ご注文を繰り返します」はないだろうよ・・という話。
何気ないことだけれど、思わず笑ってしまった。
今の日本では、ありがちな光景だと思ったから。
確かに、マニュアルどおりに接客しないと、
お客とのトラブルになりかねない、というのもわかるが、
それもやはり「ケース・バイ・ケース」(臨機応変)。
そういう接客こそ、KY(空気読めない)と言うべきだろう。
「履歴書は当てにしない。その人にとっての過去を
都合よく書いてあるだけのもの」だから、という視点、
「社員はすべて面接で決める」というのも理解できる。
「学力ではなく人間力で判断する」ということ。
「人間力」まではわからなくても「社会性」はわかるはず。
参考にしたい、人の見分け方であった。



2011年08月08日(月)
ローソンの看板も消えてますよ

暑い立秋の日、仕事を終えてから、我が課のスタッフ有志で、
熱海の花火を見に出かけた。
鑑賞場所は、先輩の知人宅屋上で、プライベート桟敷席。(笑)
目の前で繰り広げられる、花火の打ち上げに大喝采したが、
気になる一言は、打ち上げ開始、数秒前、
海岸周辺の電灯が、一斉に消えた、いや、消された瞬間、
私に教えてくれたスタッフの台詞。
「ローソンの看板も消えてますよ」
観光客に配慮してか、消えるはずはないと確信していた、
コンビニ・ローソンの青い看板まで、確かに消灯された。
これには、私も驚いた。
とかく、全国展開をしているコンビニは、稼ぎ時とばかり
目立つように、点けていると想像していたからだが・・。
カウントダウンに合わせるように、暗闇になった。
(某ファミレスの赤い看板だけが、空気を読めないまま点灯し続け、
地域に密着していないことをさらしていた気がする)
なにはともあれ、久しぶりに熱海の花火を堪能し、帰路についた。
熱海のまちづくりに、興味が湧いた・・と言っても過言ではない。



2011年08月07日(日)
とらやに行こうか?

昨日の疲れか、ちょっぴりゆっくり起床した私に、
妻が「お昼食べたら、どこかいこうよ」と話しかけてきた。
「どこに行きたいの?」と返せば、
いつものように「どこでもいいよ」と言うのかと思ったら
今日は「とらやに行こうか?」と目的地があったようだ。
彼女の言う「とらや」とは、御殿場市にある「とらや工房」のこと。
以前、訪れたことがある、2人のお気に入りの場所である。
そこで「羊羹」など甘いものが食べたいらしい。
最近、我が夫婦のドライブ先は、なぜか御殿場方面が多い。
車で30分も走れば、ちょっとした高原気分が味わえる場所である。
「とらや工房」入り口の竹林には、ブタの蚊取り線香が置いてあり、
その、おもてなしの心に笑みがこぼれた。
結局は「葛まんじゅう」「赤飯大福」「小倉のドラヤキ」を口にし、
わずか1時間ほどで、帰路についたが、それで大満足の日曜日となった。
こどもの夏休み日記みたいだが、今日を思い出すにはこれで充分。
次は「アウトレットに行こうか?」かな。(笑)



2011年08月06日(土)
買い占めするなら今ですよ

地元のお祭りだった。
私の任されている課に関係する団体がいくつも参加しているので、
「お疲れ様です」の声を掛けるために、朝から会場へ。
(参加者・担当者としては、それだけで嬉しいらしい(笑))
それ以外でも、今までの長い公務員生活でお世話になった人たちが
会場のあちこちで頑張っているので、その度に、小銭を出して、
買い物をするから、私のお腹は、はち切れんばかりに膨らんだ。
そんな時、またまた知り合いにあったので、
「どう、売れてる?」と何気なく訊ねたら、返ってきた言葉が
「買い占めするなら今ですよ」
「いや、まだ売れ残っているよ」っていうのと同じ意味なのに、
そういう表現もあるのか・・と、妙に記憶に残ってメモをした。
「じゃあ、買い占めちゃおうかなぁ・・」と返せば良かったが、
さすがに、満腹でお笑いのセンスもなく、失礼しちゃったなぁ。
今度、イベントで商品が残ったら、このフレーズ使おうっと。
「買い占めするなら今ですよ」



2011年08月05日(金)
江戸時代に学ぶべきは「人の力」

書籍「江戸の智恵」(「三方良し」で日本は復活する)
(養老孟司・徳川恒孝著・PHP研究所刊・194頁)
養老氏・徳川氏が、思う存分、江戸時代を語っている。
注目は、やはり「人」に注目しているところだろうか。
「江戸」と言うと、当時の大都市が、循環型社会を形成し、
環境先進都市だった・・という話に落ちつくのかと思いきや、
「世間」に配慮して欲を抑える個人の忍耐や、
目上や同僚が仲間を叱咤する習慣の積み重ねが、
260年ものあいだ平和と国力を築いた原動力、とまとめている。
武士も町人も美学をもち、己を律することを知っていたからこそ、
行政の実務は町人や農村の顔役に任せたし、
お触れ(法律)の実施についても、杓子定規ではなく、
「目に余る」ときに罰した、と言う。
言い換えれば「法より世間の目が社会秩序を守ることを知っていた」
もう一度「人の力」について、江戸に学ぶ必要がありそうだ。
法律ばかり増えて、逆に、社会はどんどん悪化しているようだ。
だからこそ「人が人を教育していた時代に学ぼう」と言っている。
けっして「電気のない暮らしに戻れ」と言っているのではない。
やはり、事業仕分けに「教育」分野を入れたのは、失敗だな。



2011年08月04日(木)
セミの大合唱だけなら、気にならない

久しぶりに、私の雑感である。
通勤途中、柿田川に足をつける「足水」を楽しんでいるが、
午前中は意外と涼しく、その回数も減ってきた。(汗)
(本当にやってるんだぁ、と確かめにきた人がいましたが・・)
その代わりとなるのが、セミの大合唱を聴きながらの「読書」。
ミンミンからジージーまで、耳を塞ぎたくなる鳴き声なのに、
なぜかベンチに座り「読書」を始めると、気にならない。
こればかりは、体験しなければ信じてもらえないだろうが、
人の声や音楽、車の騒音は、やたらと気になる音なのに対し、
セミの鳴き声だけしか聴こえないのは、集中できる音である。
緑に囲まれ、ヒンヤリとした水辺で、朝の読書とは、
またまた贅沢な通勤であると、自分でも苦笑いしてしまうが、
今年は、節電のために、多くの発見が出来て嬉しい。
自然って、本当にすごいよなぁ。



2011年08月03日(水)
フランスでは、元恋人と付き合うの

映画「パリ、恋人たちの2日間」(ジュリー・デルピー監督)から。
フランス人は、フランス語に誇りを持っている。
こう言えば聞こえはいいが、
同伴者が、フランス語はまったくわからないと知ると、
その人を除いて、早口のフランス語で会話をし、
とんでもないことでも平気で口にしているようだ。(汗)
いろいろな会話をメモしたが、ここでは書けないような
しもネタまで、平然と口にする。
今回はその中でも、まだマシなフレーズでご勘弁を・・。
「フランスでは、元恋人と付き合うの」
でも「どうせ、わかりっこないから」が前提の会話は、
相手の語学能力を見下していて、ちょっと怖い気がする。
わからないフリをしているが、実はわかっているかも。
「顔が悪い分、頭で勝負よね」・・なんて、
本人の前では、絶対言わないよねぇ。
ただ、これが映画の世界だけであって欲しいと願っている。



2011年08月02日(火)
「なでしこジャパン」の国民栄誉賞、異議あり

多くのサッカーファンには、批判されるかもしれないが、
今回、政府が発表した「国民栄誉賞」に、反対の立場で記したい。
女子サッカー「なでしこジャパン」の活躍が、
東日本大震災で暗くなりがちな、日本に希望を与えたことは、
誰もが認めるところであるが、国民栄誉賞となると、
ちょっと違うんじゃないかな、と首をひねりたくなる。
政府は「国民栄誉賞は、広く国民に敬愛され、
社会に明るい希望を与えるような顕著な業績があったことが基準。
今回の偉業はまさにぴったり合致すると判断した」と述べたが、
国民栄誉賞を辞退したイチローなども含め、受賞者の顔ぶれをみれば、
「なでしこジャパン」が、その賞に価するとは、思えない。
例えは悪いが、女子マラソンの高橋尚子さんのように、
たった1度の活躍に対し授与する賞ではないと感じているからだ。
もう少し、長い目で彼女たちの活躍を応援しながら、
オリンピック優勝、W杯連覇でもしたら、検討してもいいのでは・・。
こんな場面でも、政府の先見性のなさが浮き彫りにされた気がする。
あとは「常識ある彼女たちが、辞退する」のを願うしかない。
でも、無理だね、喜びの声、新聞に掲載されていたもの。(汗)
(快挙は快挙として認めつつ、厳しいことを書きました。)



2011年08月01日(月)
力がなければ、生きたいように生きられない

数年前のNHK大河ドラマ「風林火山」からの、気になる一言。
(何回目だったかは、メモを忘れました。ごめんなさい)
ただ、メモを整理していると、
その時は、何気なくメモした台詞が、
時間と環境が変わるだけで、浮き上がってくることがある。
「力がなければ、生きたいように生きられない」
生きたいように生きる、というより、
どうしてもやりたいことがあったら力をつけろ、と解釈したい。
この場合、力とは「権力」だろうけれど
本当は、人間として「魅力」の方が強い気がする。
いつぞやの気になる一言に
「『権力』より強いのは『魅力』である」と書いた記憶がある。
そう言えば、親友の携帯メールに、必ず付いてくる署名文。
「正しいことをしたけりゃ偉くなれ」を思い出した。
もっとプラスに解釈すれば、
やりたいことが見えてきてから、力をつけようと思っても遅い。
やっぱり、やりたいことをみつけながら、力をつける。
そんな感じなんだろうなぁ。