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しもさんの「気になる一言」
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2011年07月31日(日)
中村文昭著・4冊・893頁・メモ31頁

10日前に直接講演を聴いたばかりの、中村文昭氏の著書4冊。
「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!」(サンマーク出版刊・222頁)
「人生の『師匠』をつくれ!」(サンマーク出版刊・196頁)
「非常識力」(PHP研究所刊・223頁)
「出会いを生かせば、ブワッと道は開ける!」 (PHP研究所刊・252頁)
平日の夜と土日を使って、一気に読み終えた。
何度も講演を聴いているので、そんなにメモもないだろうと
軽い気持ちで読み始めたが、なんと私愛用のメモ帳に31頁分。
書いてあることは、確かに同じようなことなのだが、
なぜか、おっ、これいただき・・という表現が溢れてしまった。
メモの一部を、少しずつ、気になる一言でも紹介しようと思うが、
今回、伝えたかったことは、講演後に講師の著作を読むと、
また違った理解が得られるという発見。
講演2時間では、いい話を聴いた、で終わってしまうが、
それを自分のものにするには、やはり文字で確かめるのが一番。
そして、「なんのために」一気に4冊、893頁を読み切ったのか・・
書き写した31頁分のメモをどう活用していくのか、
これからの私の行動にかかっている。
「なんのために」「誰のために」



2011年07月30日(土)
まずは「ファルマバレー」より「ハルバ嶺」

講演「旧軍毒ガス兵器処理事業の現況とリスク対策」
(岸田伸幸氏・MOT経営コンサルタント)から。
彼は、日本学術会議の委員でもある。
「工学システムに関する安全・安心・リスク検討分科会、
遺棄及び老朽化学兵器の安全な廃棄技術に関する小委員会」
彼の口から語られた、日本が中国に遺棄した化学兵器の現実は、
今までの私の知識をはるかに超えた悲惨に状態だった。
日中戦争と言えば、武士道がまだ残っている時代の戦争だから、
化学兵器のような卑怯な作戦はしてないと思った私は
あまちゃんだったなぁ。(汗)
その遺棄した化学兵器の後処理事業が勧められているのは、
中国(旧満州)吉林省ハルバ嶺。(ハルバレイ)
しかし、その「ハルバ嶺」という単語、聞き慣れていないためか、
聞き慣れている「ファルマバレー」に変換され、自分でも笑えた。
講演を聴き終え、私が 心から祈ったことは、
40万発とも言われる毒ガス兵器を、出来るだけ早く、
そして安全に廃棄処理することである。
いくら戦争の残骸とはいえ、その必要性・緊急性が理解できた。
だから、気になる一言は
「富士山麓先端健康産業積(ファルマバレー)より
中国(ハルバ嶺)の危険物廃棄事業」としたかった。
たぶん、これからは「ファルマバレー」の単語を耳にしても
「ハルバ嶺」を思い出すに違いない。
それくらい、インパクトのある内容で、久しぶりに興奮した。



2011年07月29日(金)
優作さんの中には、父性がある

映画「SOUL RED 松田優作」(御法川修監督)から。
名優、松田優作さんのの公式ドキュメンタリーとして
多数の俳優たちが彼について熱く語ることで、
彼の魅力・生き様は、ますます輝きがかかったようだ。
ハリウッド映画「ブラック・レイン」で共演した、
アンディ・ガルシアさんの呟く
「彼の優雅さに、詩のような美しさを感じたよ」も響いたが、
今回は、浅野忠信さん、香川照之さん、仲村トオルさんらの
メッセージだと思うが
「優作さんの中には、父性がある」と呟いたシーンが残った。
「あれはダメだ、これはいい、っていうような、
断言ができる、価値観とそれに対する自信」があったと言うし、
部屋に、彼のポスターを貼って
「この人に見られていたら、手を抜けないよなぁ」と感じるらしい。
それこそ彼が「父性」の固まりのような人間だったことがわかる。
今、巷で大人気のドラマ・映画「相棒」の主演である、水谷豊さんが
ドラマ「探偵物語」では、松田優作さんにいろいろ指導されていた。
まさしく「相棒」の前身は「探偵物語」だと言い切れる。(笑)
絶対的な存在感、それが「父性」なのかもしれない。
映画監督、森田芳光さんも「優作だったら」と前置きをして、
「きっといろいろな人に対して、ダメだしすると思うんですよね。
そんな生き方でいいのか・・って」と振り返った。
ほらっ、やっぱり父性だね、彼の根底に流れているものは・・。



2011年07月28日(木)
自然を大切に思う心を思い出そう!

絵本「森が海をつくる」(絵・文/葉祥明、
英訳/リッキーニノミヤ、自由国民社刊)から。
冒頭、作者のことばでこう書かれていた。
「これは森と川と海についてのお話です。
そして、それはまた生命と水の物語でもあります」と。
葉祥明さんの作品に登場する犬・ジェイクが
川をさかのぼっていろいろ発見するストーリー。
森の木は、その下に水をいっぱいためていることを始め、
海には栄養豊かな美しい川が必要だった、と知る。
木は森をつくり、森は川をつくり、川は豊かな海をつくる。
それを守るためには、
「川辺の人も、山の人も、みんなでみんなで木を植えよう!
そして自然を大切に思う心を思い出そう!」と訴えかけている。
私は、本来、日本人が持っている(はずの)
「自然を大切にする心」を思い出すことが大切だと思う。
自然を壊しながら「自然エネルギー開発」と叫ぶのには、
どうも、違和感を覚えるからだ。
この開発は、自然を大切に考えているか、どうかを
一度、立ち止まって考えるべきであろう。



2011年07月27日(水)
虐待の「虐」は、虎が牙をむいた様子

先日聴いた講演のテーマは「児童虐待」。
年々、増加傾向にある現状は理解しているが、
私が聴きたかったのは「現状と課題」ではない。
どの方の話を聴いても、その解決策がみつからないのか、
毎回、驚くような現状を見せつけられるだけ。
複雑すぎる問題に、誰もが手を焼いている気がする。
そんな時、ヒントになるかな?とメモしたのが、
「『虐』という字、何かの字に似てませんか?」という問い掛け。
「そうです、『虎』という字に似ていますよね。
虎が爪をたてた様子が『虐』なんです」・・そんな説明があり、
私は、訳もわからないままに、妙に納得してしまった。
どちらかと言うと、爪というより、牙の方がイメージしやすいので、
敢えて、講師の話を参考に、私なりの解釈をつけてみた。
「虐待の『虐』は、虎が牙をむいた様子」
ただし、ここまで書いて気づいたことは、
身体的虐待としての暴力は、虎が牙をむくイメージで判るが、
ネグレクトと呼ばれる育児放棄の虐待は、イメージできない。
辞書によると「虐」とは、虐(しいた)げる、とも読むし、
もう少し「児童虐待」に対して、解決策となるような
ヒントが欲しい、と願わずにはいられない。



2011年07月26日(火)
日本語の単語略は、意味がわかる。

ある講演でメモしたままになっていたが、
そうか、なるほどなぁ・・と納得してしまったから、
「気になる一言」に取り上げることにした。
「日本語の単語略は、意味がわかる。」
言い換えれば「日本は長い漢字は訳してもOK」となる。
(長くなくても、略すパターンは染み付いている)
例えば「体協」と言えば「体育協会」、
「日教組」と言えば「日本教職員組合」という具合だ。
逆に、英語等の略は、全文を知らなくては、
その意味がわからないということ。
「WHO」(the)World Health Organization
それだけ、日本語(漢字)は、優れている、
そんな話だったと思うが、私も同感でありメモをした。
一字一字に深い意味を持っている「漢字」、
これからも、大切に使っていきたいと思う。
さて、中国や韓国は、どうなのだろう・・気になる。



2011年07月25日(月)
最近「PS.」多いですね

温かい読者からのメールである。「最近『PS.』多いですね」
確かに、御指摘のとおり、自分でも気になっていた。
「PS.」は、postscript の略。それくらいしか知識がないので、
改めて調べてみたら、
「手紙で追伸の部分の冒頭に記す語。二伸。追伸。」とある。
芥川龍之介が「歯車」という作品の中で「のみならずこの英語の手紙は
「我々は丁度日本画のやうに黒と白の外に色彩のない女の肖像画でも
満足である」と云ふ肉筆のP・Sを加へてゐた。」と書いている。
察するに、タイプで打ち終えた後に、
書き忘れた文を本文内に挿入することができないから、
本文に対する追加,補遺の意味で、書くようだ。
もしくは、手書きの文で、書き直すことが容易ではない時に使う。
となると、私のように、簡単に本文内に挿入できる電子媒体には、
あり得ないことになってしまうのではないか。(汗)
私の場合「ただし書き,あと書き,後記」でもないし、
これから、どうしたらいいのだろうか、と思案していたが、
本文とは関係ないが、ちょっとした呟きなので、
「おまけ」とでもしようかなぁ、と思っている。
誰か「PS.」に変わる素敵な単語、教えて下さいな。

「おまけ」
「PS.」ではなく「「P.S.」が正しいのかなぁ。参った・・とほほ



2011年07月24日(日)
都市は、画家たちに新たな画材を提供した

静岡県立美術館、開館25周年の企画展
「芸術の花開く都市展」を観に、
妻とドライブしながら静岡市まで足を伸ばした。
「パリ、ローマ、東京、京都。
その都市でしか生まれない芸術」と書かれたサブタイトルに
頷きながら「都市」は、単に人口が多ければいいのではなく、
文化芸術の分野でも、影響を与えるほどの力があるらしい。
気になる一言は「パリ」に対するガイド(説明)だった。
フランス革命は、都市の風景をも一変させた。
それは、多くの画家たちを刺激し、今までにない作品が生まれた。
この大きな都市の変化を巧みに表現したフレーズが、
「都市は、画家たちに新たな画材を提供した」である。
平成の大合併が騒がれ、幾久しいが、人口だけが増え、
政令指定都市になったとしても、それは都市の一面に過ぎない。
その都市が醸し出すイメージ・雰囲気を大切にして、
都市の持つ魅力で、人間に影響を与え、育てることが出来てこそ、
世界を代表する都市の仲間入りが可能なのだろう。
もう一度、日本の都市を眺めてみたい。わが町も含めて。(汗)

PS.
各コーナーの紹介としてパネルに張られた説明文があるが、
1カ所、年代を切り貼りして、上から訂正してある箇所を見つけた。
これからも多くの人たちが鑑賞に訪れるのだから、切り貼りせず、
作り直した方がいいのになぁ、と思う。
企画展の切り貼りは、あまりにもみっともない、と付記しておきたい。



2011年07月23日(土)
「安心・保証・安全」と奴らが何度も言ったら、油断してはいけない

映画「ナイト&デイ」(ジェームズ・マンゴールド監督)から。
トム・クルーズとキャメロン・ディアス共演の
アクション・コメディは、鑑賞後、なぜかスッキリする。
(トム・ハンクスとメグ・ライアンの共演も好きだけど)
さて、気になる一言は「危険を察知するキーワード」として、
トム・クルーズがキャメロン・ディアスに何度も教え込む台詞。
「『安心・保証・安全』と奴らが何度も言ったら、油断してはいけない」
この「安心・保証・安全」という単語が、
物語の中でタイミングよく使われ、悉く「危険」な目に遭遇する。
そして、ラストシーンでも、観る人を裏切らない展開で満足した。
私は、物語全体に隠された「キーワード」探しが好きだから、
こういった作品は、大好きである。
冒頭で「『いつか』は危険な言葉だ。『永遠に実現しない』と同じ」と
定義しておきながら、忘れた頃のラストシーンで
「今日は何日?」「今日が『いつか』よ。夢が叶う日」と再定義したり、
粋な脚本は、メモ魔の私を喜ばせてくれた。

PS.
今回の気になる一言、今の日本に置き換えると、頷くことばかり。
福島第一の原発事故に際して、政府も東電も保安院も、
あまりに「安心・保証・安全」が飛び交っている気がして怖いなぁ。



2011年07月22日(金)
ごはん美味しかったし、お風呂はあったたかったし

映画「FLOWERS フラワーズ」(小泉徳宏監督)から。
日本を代表する女優たちが、それぞれの時代に沿って
それぞれ悩みながら、一所懸命生きている姿を演じている。
その中で、どの時代の誰の生き方が良かった、といえば、
私は、素直に「広末涼子さん」演じる佳に一票を投じたい。
自分がこの世に生を受けるために、母親が命を落とした。
それは、彼女の中で、いつまでも引きずっていくことなのだが、
いつの時からか、それを喜びに変える術を覚えた。
平凡ながらも幸せな生活をおくる妹の佳を、
ピアニストになる夢が破れ、彼氏にも振られ、妊娠が発覚し、
心が折れそうな「鈴木京香さん」演じる姉の奏が呟く。
「桂ちゃんは何をしても楽しそうだなぁ」と。
それを受けて、妹がニコニコ顔で、素直に返す。
「楽しいよ〜。ごはん美味しかったし、お風呂はあったたかったし」
妹は、こんなことにも、幸せを感じることができるのか、と
たぶん、驚いたに違いない。
布団に入り、むせび泣く姉を、大丈夫だよ、という気持ちを込めて
妹が、子守歌のようにさするシーン、思わず涙腺が緩んだ。
平凡とも思えることに「幸せ」を感じることは、
自分の生んだ子どもが小さい時に、母親なら誰でも体験しているはず。
「絵なんかすご〜く上手なんだよ、天才だと思う。
何でもないことでもね。この子がすると特別に見えるの、不思議だよね」
この時の気持ちを、いつまでも持ち続けられる女性が、増えて欲しい。
きっと、周りも幸せにする力がある、と思えたから。



2011年07月21日(木)
つまをまつ・るすになにする・うたうたう

絵本「サカサかぞくの『だんながなんだ』」
(宮西達也作・ほるぷ出版刊)から。
回文だけを使って、涙と笑いの感動のラブストーリーを展開。
けさのさけ・だんながなんだ・るすをする・
つまをまつ・るすになにする・うたうたう
読んでいると、不思議とリズムまで生まれるから、楽しい回文。
普段頼りのないダンナが、最後は、大活躍するのだが、
「しかし・いがい・きせき・わたしまけましたわ・すきキス」
う〜ん、ハッピィエンドで、めでたしめでたし。
回文だけで作るストーリーには、ちょっと興味あり。
一生に一度は、私も挑戦してみたい。
ところで、回文は日本だけのものではない。(発祥は中国かも・・)
「ヨーロッパではパリンドロームpalindromeという。
“Madam, I'm Adam”のように、言語表現のきわめて特殊なもので、
言語遊戯的な要素が強い」とウィキペディアには書いてある。
いつの時代も、言葉遊びの好きな人たちがいることが嬉しかった。
最近、私の言葉遊びは「はめ文字」に移っている。



2011年07月20日(水)
会場を出た途端「でもねぇ〜」(笑)

講演「出会いを活かせば道は開ける」
(中村文昭氏・(有)クロフネカンパニー社長)から。
我が職場の職員研修として開催された、講演会。
彼の話は、何度も聴いて、その度にメモしているが、
それでもまた、メモが溢れた、あっと言う間の2時間。
今後も機会あるごとに、その一端を紹介していくつもり。
さて、気になる一言は、講演のラストに彼が呟いた台詞。
「会場を出た途端『でもねぇ〜』(笑)」
先ほどまで「でもね・・」は、出来ない言い訳を口にする
(世の中の大半を占めている)「デモデモ星人」だから、
明日から(今から)「でも」は口にしない、と誓った人も、
会場を出た途端「でも」「やっぱり」「あの人だから」と会話し、
元の木阿弥に戻ってしまう人の多いことを指摘された。
私は、今回の講演で、彼が伝えたかったことの本心は、
実は、ここにあるのではないか、と考えている。
どんなにいい話を聴いても、その場で終わり。
メモをしたとしても、やはり、それでおしまい、が大多数。
研修成果は、そう簡単には出ないかもしれないけれど、
出来ない言い訳「でも思考」から、未来へ向かう「こそ思考」を
常に意識する職員が増えてくることを期待したい。
「出来ない理由の仲良しクラブ」は、解散しなくちゃなぁ。



2011年07月19日(火)
人間の個人差は非常に大きいので

講演「福島原発から見えてきた東海地震と浜岡原発」
(講師・広瀬隆氏・主催・ふじのくに浜岡原発を考える会)から。
「生命に関わっているので、真剣に聴いて下さい」
講師のこの一言で始まった。(汗)
そして映し出された画像が、日光東照宮の見猿・言わ猿・聞か猿。
タイトルは「日本の報道」(汗)
たぶん、日本の報道は大事なことは隠している、という例えだろうが、
ちょっと、無理があるな、と苦笑いした。
さて本題は、なるほど・・と思ったメッセージを冒頭だけ紹介。
実際は「人間の個人差は非常に大きいので、安全の基準値であれ、
(放射能値であれ)、ほとんど意味がない。数値は、ほとんど目安」
数値は、安全・危険を判断する意味で多用されるが、
確かに、どんな人間を想定した基準値なのか、定かではない。
年齢、体格、性別など、同じ日本人でも、個人差は大きいのに、
誰にでも適用する基準値って、あるのだろうか、
じっくり考えると、確かに不思議な数字である。
「福島の子どもをなぜ疎開させないんだ」という講師の叫びには、
妙に説得力があり、自分の認識の甘さを痛感した。
現実を伝えると、日本全土がパニックになるから、発表しない。
情報があるのに、その信憑性まで怪しいとなれば、
何を信じればいいのだろうか、ますます判らなくなってしまった。

PS.
見猿・言わ猿・聞か猿は、目・口・耳をふさぐ猿は幼年期の猿で、
子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、
素直なままに育ちなさい。という教育論の意味が込められている。



2011年07月18日(月)
泣かない、なでしこ

今日は朝から、女子サッカーW杯、なでしこジャパン優勝の
話題で持ちきりだった。
たぶん、男子の時と同様に、国民の多くが「にわか評論家」と化し、
それぞれの解説が、個人のブログ中心に書き込まれると思う。
私としては、誰がどんな視点で、この優勝を解説するのか、興味深い。
私もいくつかフレーズとしてメモしたので、ご紹介。
「チームの特徴は、多様性」
今回のチームの特徴は、年齢も経験も、いろいろな意味でバラバラ。
同じような選手ばかりでは、ここまで出来なかっただろう、という解説。
これって、仕事でも言えるんだよなぁ、とメモをした。
「泣かない、なでしこ」
優勝してからの選手インタビュー、満面の笑顔で誰も泣いていない。
感動して泣きじゃくると思っていた私の方が、恥ずかしかった。
男子の方が、すぐ泣く・・という解説。これまた、納得。
喜びを、笑顔で表現する女子らしい。
「人生で初めてのレッドカードです」
試合終了間際の、岩清水さんのレッドカードに対して、本人の弁。
あそこで私が止めなければ・・という想いが伝わって胸が熱くなった。
こんなことをメモしながら、ネットで調べていたら、
「ビジョナデシコ」(美女撫子、英 Sweet William)とぶつかった。(汗)
別名ヒゲナデシコ、アメリカナデシコとも呼ばれ、
ナデシコが日本だけの花でないことを思い出し、ひとりで苦笑い。
久しぶりに、日本が喜びに沸いた1日となった。

PS.
私が「撫子」で思い出すのは、さだまさしさんの歌「追伸」の出だし、
「撫子の花が咲きました、芙蓉の花は枯れたけど・・」
そして、最後に「私、髪を切りました」と続く歌詞。
澤さんが、髪の毛を切ったら、このネタ、使おうっと、(笑)



2011年07月17日(日)
問題を起こすより、解決した方が楽しいのに

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」(鎌仲ひとみ監督)から。
この映画、私は映画館でなく、自主上映の作品として、
図書館の視聴覚室で観ることになった。
山口県祝島とスウェーデンを舞台にした、ドキュメンタリー。
もちろんテーマは「持続可能なエネルギー」だけど、
タイトルが飛躍し過ぎて、なかなか判りにくい一面があり残念だ。
さて、気になる一言は、原発開発計画への反対運動をしている若者が
ぼそっと、淋しそうに呟いた台詞を記憶に残したい。
「問題を起こすより、解決した方が楽しいのに。
どうしてみんな、やらないんだ。僕はそれと戦っている」
ここに、彼の苦悩をみた気がしたからだ。
全国の多くの国民が、エネルギー問題を解決しよう考えているのに、
なぜか、スウェーデンのように国を挙げて・・の動きにならない。
そのもどかしさで、次第に疲れが溜まっている様子が窺えた。
旅費から食事まで、全てボランティアで生活が苦しくなるに違いない。
自分たちが、抗議行動に参加できないのであれば、
全国で、私たちの代わりに、必死で抗議している行為に対して、
活動費などという名目で支援していくのも、
私たちが出来る支援のひとつかもしれない、と思いながら会場を後にした。



2011年07月16日(土)
原発や資源エネルギーを考え続けた1日

午前中、沼津市図書館(視聴覚室)で自主上映された
「ミツバチの羽音と地球の回転」を観て、
午後から、清水町地域交流センターで開催された
講演会「福島原発から見えてきた東海地震と浜岡原発」。
どちらも、私の心を揺さぶる刺激的な内容であり、
何か行動をしなくては・・という想いの人たちに囲まれた。
テレビや新聞などのマスコミ報道に惑わされず、
自分の目や耳で、その実態を確認しながら、
その問題を判断していく癖がついてきた。
午前も午後も、会場はほぼ満員で私を驚かせたが、
さてこの動きが、どう波紋を広げて、大きな力となるか、
これまた私の好奇心をくすぐることになりそうだ。
私は私なりの生活の中で、資源エネルギーについて考えながら、
こういった活動している人たちを、
いろいろな場面で紹介しながら、協力していこうと思う。
行政の役割とは何か?民の役割とは何か?
今日のような映画や講演でヒントをいただきながら、
少しずつわかってきた気がする。乞うご期待。(汗)



2011年07月15日(金)
新聞投稿は、不平不満の吐き捨て場ではない、何か提案を

久しぶりに、私の独り言である。
先日、地元新聞に投稿をし、久しぶりに、自分の名前を見つけて、
ちょっと、照れてしまったのは、私だけの感覚かな。(笑)
実は、最近、新聞投稿欄を眺めていると、
過激な発言や、不平不満の吐き捨て場となりつつあり、
そんなことは、自分のブログにでも書いてくれよ、と
叫びたくなることが多い。
高齢者は、ブログなんてないかもしれないが、
名指しで特定の行政批判などが掲載されると、
そんな内容は、わざわざ新聞投稿などせず、
直接、行政窓口で伝えて下さいよ、という気持ちになる。
私が考えるには、新聞投稿欄は、読者の視点に立ち、
なにか社会に対して、提案がなければ、いけないと思う。
こんな考え方、こんな感じ方をしてはどうだろう、
そんな表現でも、立派な提案型の投稿になるはずなので、
社会に対して、私はここが許せない・・というだけではなく、
だから、こうしたらどうだろう、という内容を期待したい。



2011年07月14日(木)
自分の存在が、何かの役に立っていますか?

書籍「富士山が教えてくれた幸運の法則」
(ロッキー田中著・ランダムハウス講談社刊・187頁)から。
富士山の魅力に惹かれ、写真家として活躍している彼は、
「ときめきの富士」と題し、一生のうちに、99作の富士山を
発表することを明言し、実行し続けている。
その作品1つ1つが、山岳カメラマンの撮影する富士山とは違う姿で、
私たちを癒してくれる。
そんな彼が伝えたいメッセージは、(文中から推察すると、きっと)
「何かになりたいというのは『過程』でしかなくて、
『夢』とは関わる人に喜びを提供できる人間になることではないか」。
もっと簡単に言えば「自分の存在が、何かの役に立っていますか?
誰かを幸福にしていますか?」になる気がしている。
自分がこの世に生を受けて生きている限り、
何かの役に立っていたり、誰かを幸せにしていると願いたい。
それは、どんなことでもいい、ほんの些細なことでもいい。
人に自慢できるようなことでなくてもいい。
自分が何かの役に立っていると感じられることこそ、
その人の生き甲斐・生きた証しとなるに違いない。



2011年07月13日(水)
前途茫々(ぜんとぼうぼう)

映画「人間失格」(荒戸源次郎監督)から。
ストーリーとは、まったく関係ないことが気になることもある。
今回は、会話の中に「ぜんとぼうぼうさ」という単語があり、
気になって、慌ててメモした。
ネットで調べてみると「ぼうぼう」は「茫々」と書き、
意味は「広大なさま。広々としたさま。遠いさま。はてしないさま。
盛なさま。明かでないさま。目のはっきりせぬさま。」といろいろ。
また、違う辞書には
「広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」
ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」
草・髪などが伸びて乱れているさま。「髪の毛を―とさせる」
波や風の音が激しいさま」とやはり、多くの意味が・・。
私は「前途」と言えば「洋々」が続くものだとばかり思っていたので、
「前途洋々」ならぬ「前途茫々」が、やけに私の記憶に残った。
物語としては「将来が全く見えない絶望に近い窮境」という場面で
使われていたように思うが、違うだろうか。
太宰治独特の暗い作品だったにも関わらず、気になる台詞は多かった。
しかし、もう一度観るか?と訊ねられたら、う〜ん・・(汗)
私の場合「原作、太宰治派」より「原作、伊坂幸太郎派」だからなぁ。



2011年07月12日(火)
勉強カフェ

ラジオから流れてきた情報によると、
最近、都会で好評の、カフェらしい。
勉強好きな日本人らしい発想の「勉強カフェ」。
会員制で、利用者の多くは30〜50代の男性らしい。
簡単に言えば、資格を取るための勉強とか、
自己啓発として「英語」など語学の勉強などが出来るように
工夫されているカフェらしい。(時間制限もないようだ)
この流行は、日本の今の姿を映し出していると言えないだろうか。
仕事では、時間外は制限された上、早い時間での帰宅を促され、
自宅に戻っても、子どもや家族の声、部屋中に響くテレビの音声が、
勉強をする環境を与えてはくれない。
そこで「勉強カフェ」の出現となったのではないか。
今の日本の住宅事情から考えると、よほど大きな家でなければ、
自宅に書斎のスペースを確保するのは至難の業だが、
これからは、通信技術の発達で、在宅勤務が可能となっている。
今回の震災の影響で、その実現スピードは加速しているだろう。
だからこそ、巷で流行の「勉強カフェ」に留まらず、
「自宅の書斎(仕事場)」を確保することを期待したい。



2011年07月11日(月)
いい展覧会になるかどうかは、スタッフ・主催者側の想い

30年に及ぶ私の公務員人生の中でも、指折りの企画となった
「牧野宗則木版画展」が、心地よい緊張に包まれたまま、
16日間の展示期間を終え、昨日、無事に閉幕した。
作品搬出の作業を手伝いながら、先生からいただいたメッセージを
振り返ってみると、多くの気付きがあった。
その中でも、特に印象に残っているのは、
著名人の展覧会などはもとより、すべてが初めての経験で、
失敗したらどうしよう、来場者が少なかったら申し訳ない・・
そんな不安だらけの私たちに向けて、先生が励ましてくれた台詞。
(細かくメモした訳ではないので、不十分ですが・・)
「いい展覧会になるかどうかは、展示する施設のレベルや、
どれだけお金をかけたかではないんですよ。
スタッフ・主催者側の想いこそが、一番大事なんです」と。
これには参った。そして「成功させたい」という想いだけで、
16日間、毎日毎日、版画を眺め続けた。
そして最終日、先生から、特別のご褒美をいただいた気がする。
「みなさんのおかげで、いい展覧会が出来ました。
気持ちよく、観てもらえる空間が出来たと思います。
これがきっかけとなって、良い作品展が出来れば私は嬉しいです」
この一言だけで、私は大満足である。
これを契機に「版画でまちづくり」を真剣に考えてみたい。



2011年07月10日(日)
図書館は、読んでもらいたい本を置く

講演「生涯学習とボランティア」
(講師・鈴木眞理氏(青山学院大学教授))から。
テンポが良く、ジョークを交えた講演内容は、
日頃、睡魔との闘いになるはずの午後にもかかわらず、
あっという間の1時間だった。
最近、社会教育施設の存在価値を見直さなければ・・と
真剣に考えていたところなので、とても参考になった。
それを端的に表現したのが「本屋と図書館の本質的な違い」
言い換えれば「民間施設と公共施設」の違いである。
「本屋は、みんなが読みたい本、売れる本を置く。
図書館は、読んでもらいたい本、感動してもらいたい本を置く」
この説明で、私の考えは間違いなかった、と再確認できた。
図書館に限らず、公民館や地域交流センター、体育施設も、
同じことが言える。
民間では、どんなに素晴らしい内容でも、採算が取れなければ、
開催しないテーマ・講座・教室を、公共が隙間を埋める。
住民のニーズを把握することも大切だと思うが、
公共がビジョンを持ち、住民に提案していく形は、私の理想だ。
評価は、蔵書の数、講座教室の数ではない。
これを知って欲しいという、職員の意識の高さが求められている。



2011年07月09日(土)
自分の優しさが、作品の優しさを見つけ出すからなんです

明日で最終日を迎える「牧野宗則木版画展」、
この期間中、先生が、何度となく(土日に関係なく)
会場である清水町地域交流センターを訪れ、
私たち職員に対しても、丁寧に、そしてわかりやすく
「牧野版画のいろは」を説明してくださっている姿に、
私は、ただただ感謝するばかりであった。
その先生の人柄が、職員を成長させてくれた、と思うから。
そう言えば、先週の「ギャラリートーク」で先生は、
私たち聴講者に「作品の見方」を教えてくれた。
「この作品は、なぜか優しい感じがするなぁ、と思うのは、
自分の優しさが、作品の優しさを見つけ出すからなんです」と。
それは作品の大きさや、版の数、刷りの数、価格に関係なく、
自分の心の中に、大事なもの、大切なものを見つけた時、
良い作品に出会った、と言えるようだ。
さらに「飾りものは、心の中まで入らない」と言い切り
「良い作品に出会うと、人間が豊かになる」とまとめた。
16日間、毎日眺めた「牧野作品」は、私の心を豊かにしてくれた。
そしてまた、関わったスタッフの心まで・・。
残すところ、あと1日。1人でも多くの方に、伝えたい。
「あなたの優しさで、作品の優しさを見つけてください」って。



2011年07月08日(金)
織姫と彦星は「恋人」ではなくて「夫婦」です。

昨日の「気になる一言」の読者から、感想メール。
「細かいツッコミですけど」と前置きがあり、
「織姫と彦星は『恋人』ではなくて『夫婦』です。」
そうでした・・事前に何回も確認した七夕の話、
「わし座のα星・アルタイル、琴座のα星・ベガ」を
彦星・織姫にみたてて、理解していたつもりなんだけど・・。
これに対し、私の言い訳は、
「隣にいた、浴衣姿の彼女が、どうしても妻にはみえず、
これは、やばい関係だなぁ・・と1人で考えていたからかな。(笑)」
司会の幼稚園の先生も、子どもたちに
「彦星さんと織姫さんにとっては、大事な時間ですから、
早く二人にしてあげましょう・・」みたいなコメントしていたから、
てっきり、恋人同士・・と勘違いしました。(またまた言い訳)
それにしても、今朝の地元新聞に、
甚平姿の彦星さんと、浴衣姿の彼女がカラーで掲載されてしまった。
(うぁ・・恥ずかしい。)
頭の星飾りがなければ、単なるおじさん。(うっ、危ない)
やはり「星の国からの使者」で頼んでみようかな。
青い服を来た「サンタ」でもいいし。
それにしても、最近、ミスが多いなぁ、ごめんなさい。



2011年07月07日(木)
彦星役、初体験(笑)

今まで、何度となく、子どもたちのために
「豆まきの鬼役」、「クリスマスのサンタ役」をしてきた。
そして、その度に、逆に子どもたちに元気をもらってきたが、
今回は「七夕」にちなんで「彦星役」を頼まれた。
台詞は、ほとんどなく、星型の飾りを頭に付け、
ニコニコ立っているだけだから、よけいに辛い。
親子以上に離れている「織姫」相手に、夫婦(×恋人)を気取り、
願いが叶って、逢えました・・というのも照れるし。
まぁ、子どもたちが喜んでくれればそれだけでいいけど・・。
来年はもう少し、考えないとなぁ(来年もやる気でいる(汗))
希望は「星の国の使者」みたいな役柄で、サンタの夏バージョン、
お土産は、天の川からすくってきた、星形のお菓子(金平糖)。
(勝手に、脚本作っちゃおうかなぁ)
何はともあれ、私のコスプレ・レパートリーに
なぜか「甚平姿の彦星」が加わり、
老後の楽しみが、また1つ増えることになった。
来年は、絶対、自前の着物に角帯で、颯爽と登場しようっと。



2011年07月06日(水)
襲われたらやり返す。そんな勇気、犬にもあるわ

映画「トロイ」(ウォルフガング・ペーターゼン監督)から。
体力的に弱い立場の女性が、大男たちに襲われたが、
彼らに立ち向かっていく姿を見て、
主人公のブラッド・ピットが「勇気あるねぇ」と呟く。
それに答えて、彼女が言い返した。
「襲われたらやり返す。そんな勇気、犬にもあるわ」
言葉と発想が、私にウケたのでメモをした。
今、殴られても、またあとが怖いから抵抗しない、
そんな人たちが多いからだろうか、
「殴り返す」ことは「勇気」ある行為と表現された。
(ギリシャ神話が元ネタなので、時代背景が難しいけれど)
そんな勇気ある行為に、男たちが驚いていたら、
「そんなことが『勇気』というのなら、
犬だって『勇気』があるってことになる、
生きていて、襲われたらやり返すは、当然でしょ。」
そんな気持ちが、伝わってきた「一言」である。



2011年07月05日(火)
「片づけ」とは、過去に「片をつける」こと

書籍「人生がときめく片付けの魔法」
(近藤麻理恵著・サンマーク出版・270頁)から。
はっきりと定義があったわけではないが、
「思い出モノ」を処分できない自分にとって、
とってもスッキリとした考え方が、
「片づけ」とは、過去に「片をつける」こと、である。
けっして、忘れてしまう、ことではない。
自分の心の中で整理をし、いつもでも引きずらない。
それこそ「片をつける」ことになる気がしている。
辞書によると「片をつける(方を付ける)」とは
物事の決着をつける。始末をつける。こととある。
「手紙」「写真」「プレゼント」等は、
私が「捨てられないものベスト3」といっても過言ではないが、
思い出も自分の脳裏に焼き付けることが出来れば、
モノとして残しておく必要は、あまり感じられない。
著者からメッセージの1つとして記されていた
「片付けとは『モノを通して自分と対話する作業』である」
が、心に響いている。



2011年07月04日(月)
野球は「8-7」の試合を

ラジオから流れてきた、今年のプロ野球事情。
試合球に、通称「飛ばないボール」を使用し、
今年は、完全に「投高打低」の力関係が浮き彫り、
ゆえに、手に汗握る投手戦が繰り広げられている。
そんな内容だったと思うが、私は野球界に危機感を感じている。
番組内でも、誰かがコメントしていたが、
「投手戦」が好きなのは、私たちのように、余程の野球好きで
投手とバッターとの駆け引きなどを楽しみにしている人たちのみ。
ほとんどのファンは、打撃戦で、点の取り合う試合が好きなはず。
「1-0」より「8-7」の試合の方が、大声を出せて楽しいのだから。
となると、今回の「飛ばないボール採用」は、本末転倒。
試合時間は確かに短くなったけれど、スカッとした試合が減った。
これが、野球離れに拍車をかけている。
サッカーは、最近では「なでしこジャパン」の活躍もあって、
男女とも着実に人気を確保しているし、
ゴルフも、男女の若い世代が実力と人気で引っぱっている。
「1-0」のスコアは、サッカーに任せておいて、
野球は「8-7」の試合を見せて欲しい。



2011年07月03日(日)
北斎先生、残念でしたね、自分の思いのままに作れなくて

「木版画家・牧野宗則氏によるギャラリートーク」から。
清水町地域交流センターの展示当初から楽しみにしていた、
牧野先生本人によるギャラリートーク。
人柄とでもいうべきなのか、とてもホッとさせてくれた1時間。
(聴かなかった人、損したなぁ・・と本気で思っている。(笑))
さて、メモしまくりの私が、帰宅してから、
走り書きを整理したら、あることに気がついた。
たぶん先生も、無意識で気づいていないかもしれない。
それは、会話の中に「北斎」「広重」の名が、
何度となく登場することであった。
彼の頭の中には、常に日本を代表する、いや世界を代表する
「浮世絵」の作者「葛飾北斎」と「安藤(歌川)広重」がいる。
2人の作品に憧れて、この道(木版画家)を志し、
2人の技術を習得しながら、2人がなし得なかったことを
自分には出来る可能性がある、と信じて修行を積み、達成した。
その過程では、常に「北斎なら(広重なら)、どうするか」と考え、
「北斎は、こんな場合どう思うか」と自問自答を繰り返している。
今まで誰も出来なかった、絵師・彫り師・刷り師の3役を1人でこなし、
さらに、色の制限があった浮世絵の伝統を継承しつつ、
制限をなくした多色刷りで、作者本来の想いを表現したと言ってもいい。
それを先生の口から発せられたフレーズでメモを探したら、
「北斎先生、残念でしたね、自分の思いのままに作れなくて」となった。
弟子が師匠を超えた・・そんな言葉にも受け取れる。
生涯学習の仕事をし、牧野先生と出会えたことに心から感謝したい。



2011年07月02日(土)
便所の100Wは「無駄に明るい」の意味ですよ

昨日の気になる一言・・「便所の100ワット」
叱咤メール、御指摘メールが相次いだ。(汗)
「老婆心ながら・・」「しもさんにしては・・」と前置きされ
「ネットで調べなかったんですか?」とまで、とほほ。
そのほとんどが、便所の100Wは「無駄の代名詞」ではなく
「無駄に明るい」の意味ですよ、というもの。
すみません、私としたことが・・調べもせず。(汗)
普段なら、1度メモしておいて、必ずネットや辞書で調べる癖が
ついているはずなのに。(本当にすみません。反省しています)
「無駄に明るい」とは、空気が読めないと言うか、
ここは静かにする場面というところでも、
明るくはしゃいだりする人を指して「便所の100W」というらしい。
私が嬉しかったのは、読者の反応が早かったこと。
新聞の投稿では、そうはいかないものなぁ。
負け惜しみでなく、しっかり読んでくれているんなぁ、と感じたから、
2日連続の「便所の100W」ネタ。
これからも「叱咤・叱咤・叱咤・激励」をお待ちしています。



2011年07月01日(金)
便所の100ワット

日本全国で「節電・節電」の大合唱となると、
へそ曲がりの私としては、本当にいいのかなぁ?と
気になってしまう癖がついている私であるが、
今回は、そんな意味とはちょっと違うけれど、
この時期のネタとしては、面白いかな?とメモをした。
「そういうのを、便所の100ワットって言うんだよ。」
先輩が横でぼそっと呟いた。
「えっ、何のこと?」とすかさず訊き返したが、
「本当に知らないの?」と逆に驚かれてしまった。(汗)
答えは「便所の電気は10ワットもあれば足りる。
だから、便所の100ワットは無駄の代名詞だよ」と。
なるほど、上手いことを言う。
今度、節電の話になったら、このネタ使おうっと。
ただし、今は「ウォシュレット」や「暖房便座」もあるし、
100ワット必要かもなぁ・・