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しもさんの「気になる一言」
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2010年07月31日(土)
正午、起床

こんなにぐっすり寝たのは久しぶりと、1日を振り返った。
4月からの環境変化、プレッシャーによる疲れの蓄積と、
地域住民とラジオ体操をする事業の成功を願って、
今週1週間は、なんと睡眠3〜4時間の日々、
さらに、昨日の大雨洪水警報による
ほとんど寝てない状態が重なり、帰宅してバタンキュー。
翌日、目が覚めたら、なんと正午。
日頃感じていた頭の疲れは、なぜかスッキリとして、
午後からはいつもの自分に戻り、
大好きな絵本作家・いせひでこさんの講演会に出向いた。
この感覚を、活字に残しておきたくて「正午、起床」。
睡眠は、やはり人間を回復させてくれる。
どんな薬より、睡眠が一番効く・・をこの年齢で実感した。
私のイビキで寝られない家族には申し訳ないけど、
これからも、疲れたら寝る・・を実践しようと思う。



2010年07月30日(金)
はなびは くろくんがいたから できたのさ

絵本「くれよんのくろくん」
(作・絵=なかやみわ・童心社刊)から。
くれよんの話である。(笑)
気になる一言は「黒色」の嘆きである。
真っ白な画用紙の上に、きれいなくれよんの色たちが、
自由気ままに、花や空や雲などを描く様子を見て、
自分も参加しようとしたら、
「きれいに かいたえを くろくされたら、たまらないよ」と
仲間はずれにされた「くろくん」。
悲しくなって、ぼそっと呟く。
「なんで ぼくって、こんないろなんだろう・・」
しかし、描くことに夢中になりすぎて、
くれよんたちの絵はめちゃくちゃになってしまうところから、
物語は、あらたな展開をみせる。
自分の色ばかりを主張するくれよんたちの色の上を、
「くろくん」が全部塗りつぶしてしまう。
そして、少しずつ、引っかいていくと、花火のように、
みんなの色が、調和して浮かび上がってくる結末に、
絵本とわかっていながら、心が動かされた。
きれいな花火ができたのは、みんながのけ者にしていた
「くろくん」のお陰と気付くシーン。
「はなびは くろくんがいたから できたのさ」の台詞を
今回の「気になる一言」として、残しておきたい。



2010年07月29日(木)
ビブラートするから「ビブラフォン」

先日、地元のブラッスリー&ワインBAR「バッカスのへそ」で
ディナーコンサートが開かれた。
演奏は、ビブラフォンの佐藤雄大さんと、
フルート・ピアノの中村有紀さん。
演奏するには、環境が悪かったかもしれないが、
2人は、一所懸命、私たちを楽しませてくれた。
楽器で注目は「ビブラフォン」。
「木琴ではなく、鉄琴かぁ」と呟いたら、
鉄琴の一種だけど、ちょっと違うらしい。(笑)
各音板の下に電動ファンを回転させて、
その下に共鳴管をつけることによって、
ビブラートのついた豊かな余韻が得られる。
演奏の休憩中に「電動ファン」を見せてもらったら、
たしかに、音が「ビブラート」して面白かった。
日本語にすると「体鳴楽器」というらしい。
是非、一度、耳にして欲しい、本当に楽しい音だから。



2010年07月28日(水)
空気のような存在になれば、自由に写真が撮れる

映画「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」
(バーバラ・リーボヴィッツ監督)から。
アメリカの有名女性カメラマンを追ったドキュメント。
彼女が撮る「ミックジャガー」や
「ジョンレノン&オノヨーコ」は観る人を驚かせる。
どうして、この人だけには、こんな顔を見せるのか、
そんな疑問さえ浮かんでくるのだが・・。
その答えは、撮影された彼らが感じていることだった。
「アニーは、どこにもいたが、邪魔じゃなかった」
「彼女は、魂を撮りたがっていた。それが伝わってきた」
「彼女は来る日も来る日も、そばにいたが、
数日後、彼女の存在が消えているんだ」などいろいろ。
彼女も、振り返りながらこう呟いた。
「空気のような存在になれば、自由に写真が撮れる」と。
ただ、そんな関係になるまでの努力を口にはしない。
なるほど・・これは奥が深い。



2010年07月27日(火)
「下山の注意」と「下山に注意」

青年教室ヤングプラザの『富士登山講座』のひとコマ。
富士山頂からの下山道は『須走口・吉田口』
『御殿場口』『富士宮口』の3つがあります。
十分に注意して下山しましょう。(以後、省略)」
こう書かれたパンフレットをいただいた。
その見出しが「下山の注意」(汗)
当然、その上には「登山の注意」が書かれていた。
なにも不思議ではないが、私には気になった。
「よかったぁ、『下山に注意』でなくて・・」と
呟いたら、なぜか、大うけ。
「一字違いで、意味がこんなにも違う」とメモをした。
富士山に登れば「下山さんの名前ばかりですよ」と
笑われながらも、ひとりで微笑んでいた。
では、約3キロほどの直滑降が体験できる
有名な須走口の「砂走り(下山道)」は、私の道かぁ。
これが私の生きる道・・下山道。(笑)



2010年07月26日(月)
私は、それは誤りだと思う。

書籍「日本の名随筆『女心』」
(落合恵子編・作品社刊・248頁)から。
昨日、紹介した、佐藤愛子さんのエッセイ、
後半部分に共感したので、再度、登場させてみた。
選んだ一言は、作品、最後のフレーズである。
では、気になるその前の話の展開は?
(やや省略した部分ありますが)昔の40代女性は、
大きなお尻で象徴される自信と貫禄に満ちていた。
その自信と貫禄は、舅姑に仕え、小姑と戦い、
子供を育て、夫に尽し、家事を司る中心人物として、
なくてはならぬ存在になったという、
その実績から得たものであったに違いない。
ちょっと前まで、女40代は、人生のクライマックス。
若い頃の苦労のモトをとる時代だったはず。
なぜ40代の女性は、その誇りを失ってしまったのだろうか?
理由はわからない。ただ一つ、わかっていることは、
この頃の40代は、年甲斐もなく、
人生の生き甲斐というものは「楽しくなければならない」
ものだと思いこんでいるらしいことである。
私は、それは誤りだと思う。
と、まとめている。(では、正解は?と訊きたくなるが)
「家事が、生き甲斐」と言い切れる女性は、魅力的だと思う。
「いってらっしゃい」と朝、見送られ、
「お帰りなさい」と夜迎えられることの嬉しさは、
父親として、夫として、息子として、
何度も、この「気になる一言」で紹介してきたはず。
家事を司ることって、とても大切なことなんだと思う。



2010年07月25日(日)
キョロキョロ30 ウロウロ40

書籍「日本の名随筆『女心』」
(落合恵子編・作品社刊・248頁)から。
多くの方のエッセイが詰まっていたが、
佐藤愛子さんの作品が、私の心に残った。
気になる一言に選んだフレーズは、その要約とも言える。
女性の30代は、行動力に富み、
生活にハリを持って暮らしているということ。
それにひきかえ、40代はウロウロして姿勢が定まらない。
40代といえば、人生の前半から後半への移り変わりの時、
この年代になると大半の人は生活が落ち着き、
子供も成長し、日常生活が次第に整理され暇が出来、
それと同時に空しさのようなものを感じ始めるのだという。
何とかしなければいけないと思いつつ、
さて、何をどうすればよいのか、いざとなるとウロウロ。
うまいこと言うな・・と思わずメモをした。
耳が痛いだろうけれど、思い当たる人も多いに違いない。
さて、私の関心は、その後の50代、60代・・。
先日、紹介したラジオの(男女問わず)年代別占いでは
「余裕が素敵な50代」「人生の達人60代」だったはず。
違和感を感じるのか、感じないのか、その人の考え方次第。



2010年07月24日(土)
管理できる量をはるかに超えるモノをもっているから

書籍「断捨離のすすめ」(川畑のぶこ著・同文館出版刊・157頁)から。
「ゴミ屋敷」と呼ばれる人たち、
いやもっと身近な「片付けられない症候群」と呼ばれる人たちは、
どうして、片付けられないのか、その理由を知りたかったが、
誰も、私が納得する明確な説明をしてくれる人がいなかった。
しかし、この本が答えを教えてくれた気がする。
片付けられないのは、彼ら彼女らが「だらしがないから」
「管理能力がないから」ではなく、
「管理できる量をはるかに超えるモノをもっているから」。
逆に「モノがなければ、散らかりようがない」ことも判った。
それは、職場の私の机の中でも、同じことが言えそうだ。
ボールペンから、交換した名刺まで、所狭しと並んでいる。
本人は「整理整頓」しているつもりなのだが、
どうもスッキリしない、というのが、私の実感である。
そうか、最初に「自分で管理できる量」を決める必要があるな。
これはいいことを知った、さっそく試してみたい。



2010年07月23日(金)
「小さな恋のメロディ」と一緒にしないで

映画「スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー」
(ロイ・アンダーソン監督)から。
予告編で見つけた「北欧の小さな恋のメロディ」という
宣伝文句に誘われ観たものの、内容はがっかり。
主人公の男の子も女の子も、煙草は吸うわ、キスはするわ、
バイクを乗り回すなど、単なる「ませたガキ」の恋愛。
どうして、これが「小さな恋のメロディなんだ」と
どこかにレビューする機会があれば、声高に叫びたい。
思い出したくもないけれど、一応、記録に留めるとしたら、
私の心の叫びである
「『小さな恋のメロディ』と一緒にしないで」を残したい。
思春期に観た映画は、その内容まで思い出として残るので、
簡単に「北欧の小さな恋のメロディ」と称した企画者に
説明をして欲しいくらい、私を失望させた。
1970年制作/スウェーデン映画だから・・程度の認識で、
そのキャッチコピーは使用して欲しくない。
「若い男女の純愛を描いた青春ドラマ」というだけで・・。
(私は、純愛とも認めたくないけれど(汗))



2010年07月22日(木)
「代表戸締まり役」と「取り締まられ役」

あまりに疲れていると、真面目な話が浮かばない。(汗)
2夜連続の駄洒落でごめん。
先日、ある場所で飲んでたが、知り合いになったついでに
酔いに任せて名刺交換したら、ある会社の「代表取締役」。
「すごいですね」と驚く私に
「いやいや、毎日、一番最後に、戸締まりをして帰るので、
代表戸締まり(とじまり)役なんです」と返された。
隣の人も「取締役」だと言うから、またまた驚いたら、
「私の場合、みんなに取り締まられているんですよ、
だから、これ、『取り締まられ役』って読むんです」と
これまた、楽しく返された。
しかし、私にとって困ったことは、このインパクトある解釈が
飲み屋の外でも、気になってしまうこと。
「代表取締役」の名刺をいただいた時に、
この人は「戸締まり役」かな「取り締まられ役」かな、なんて
考えたら、失礼になるのに・・。
このネタ、早い段階で、みんなに教えちゃおうっと。



2010年07月21日(水)
アルチューハイマー

認知症が特別の人だけでなくなった現代、
「アツルハイマー」なる言葉が、紙面を賑わすことも増えた。
「アルツハイマー」とは
ドイツのアルツハイマーA. Alzheimer(1864―1915)が、
65歳以前に発症する認知症症状(痴呆症状)が進む脳の疾患を
アルツハイマー病と名づけたのが、最初らしい。
難しい定義は、お医者さんに任せるとして、
私がメモしたのは、アルコールを飲み過ぎて、
前後のことは何も覚えていない・・という人を、
「アルチューハイマー」と呼ぶんだ、と
飲み屋のカウンターで、偶然隣に座った男性から教わった。(笑)
なるほど、うまいことをいうな、とメモしたのは言うまでもない。
梅雨があけ、ビールの一番美味しい季節がやってくる。
街には「アルチューハイマー」が溢れるに違いない。
しかし「そんなに賑やかになればいいんですけどねぇ」と呟く
タクシーの運転手さんが浮かんだのは、不思議である。
みんな、記憶がなくなるまで飲む人がいなくなったってことか。(汗)



2010年07月20日(火)
「折々のうた」足かけ29年、6762回

先週末、三島駅北口にオープンした「大岡信ことば館」の
「開館記念特別展 その4」オープニングレセプションに
出席させていただいた。
早目に到着し、レセプション前にじっくり館内見学。
そこで目にしたのは「言葉の力」を表現する作品の数々。
目を引いたのは、朝日新聞紙上に掲載されていた
「折々のうた」の年数と回数。「足かけ29年、6762回」。
第1回(1979年1月25日)の原稿用紙は、まだ朝日新聞社共通、
何回目からか「折々のうた」専用の原稿用紙に替わり、
最終回(2007年3月31日)は、なんと、専用原稿用紙のコピー。
その違いが面白くて、メモをした。
それにしても、この長さには驚いた。
私なんて、まだ半分。(14年半、3197回)にも満たない。
その時々の世相や、タイミングに合わせて、選んで書く。
これが、どんなに大変かは、私にもちょっとわかる。
長いだけなら、根気さえあれば誰でも出来る気がするが、
新聞の読み物として書き続けることは、並大抵ではない。
詩にも好奇心が湧いてきたし、また何度か訪れてみようと思う。
「言葉の力」を伝えたいというコンセプトは同じだから。(汗)



2010年07月19日(月)
どうしよ〜 お肉がおいしいよ

映画「おまえうまそうだな」(藤森雅也監督)から。
原作は、清水町出身、私の2学年先輩の宮西達也さん。
草食系の恐竜に、草食系の恐竜がすくすくと育つ環境で
育てられた、肉食系の恐竜、ハート。
ある日、偶然、肉を食べてしまう機会に遭遇してしまう。
その時の困惑した彼の台詞が、心に沁みた。
草食系のみんなと楽しく、幸せに過ごすには、
この味をおいしい・・と思ってはいけないんだ。
そんな思いと、肉食系ならではの肉に対する食欲に挟まれ、
思わず口から発せられたフレーズが、これ。
「どうしよ〜 お肉がおいしいよ」
たぶん、小さいながらに悩み、ハートの心の葛藤が伝わった。
これは、私たちの世界でもよくあること。
こんな楽しい・美味しい世界があったのかぁ、と感じ、
出来れば、その世界に入り込みたいと願っても、
今の安定した生活、今の幸せな人生を棒に振ってまで
のめりこめない・・でも、やっぱり・・。
「禁断の世界」ってやつだな、これは。(笑)
結局、肉を食べてしまったハートの幸せそうな顔は、
物語とは関係ないけれど、忘れられないな。



2010年07月18日(日)
2年間の人間関係が反映する配布作業

「しもさんの『今日の気になる一言』」(第7巻)が
約1ヶ月半の遅れで、出来上がった。
今までの印刷物を手にしてくれている全国の知人・友人、
そして今回も購読希望者へ、配布したい。
不思議と、毎回毎回(2年ごと)、配布する人が変わってくるが、
その2年間で、知り合った人、音信不通になった人、
いろいろな人間関係が交錯しているからだと思う。
「来るものは拒まず、去る者は追わず」が、
私の人間関係の基本だから、それはそれでいい。
「2年間の人間関係が反映する配布作業」も、
私の楽しみの一つとなっているのだから。
出来あがった報を耳にして「今回も、ください」という人、
知り合って間もないけど「1巻から全部欲しい」という人、
「何巻と何巻は持っているので、何巻だけ頂戴」という人、
出来る限り、対応したいと思う。
私の自分史みたいなものだから、読んでいただくだけで、
ありがたいことだと感じている。
果たして、読者のあなたは、何巻を手にしているだろうか?(笑)



2010年07月17日(土)
本当に今の自分に必要なのか?

書籍「断捨離のすすめ」(川畑のぶこ著・同文館出版刊・157頁)から。
聞き慣れない「断捨離」とは
「不安・普遍・不快なモノを断ち、捨て、離れること。
その過程の中で『モノと自分との関係を問い直すこと』、
もう少し簡単に言えば『今、自分の手元、周囲にあるものは、
本当に今の自分に必要なのか?』と考え、行動することです」
と、著者は書いている。
片付け下手の私にとって、大きな気付きとなったフレーズである。
今まで「捨てる、捨てない」の基準は「使えるか、使えないか」だったが、
この本を読んで「使っているか、使っていないか」に変えてみたい。
「もったいない」という感覚も
「モノを大事に使うことの大切さ」を伝える言葉だと感じていたが、
実は「ムダなモノを取り入れないために使う」言葉と理解できた。
読後に、部屋を眺めたら、使っていないものばかり。(笑)
「『使い切れずにごめんね』と言って、手放しました」という著者を見習い、
私も、思い切って「今の私に必要のないものは捨てよう」と思う。
判断基準に迷いがあるから、なかなか進まなかった「片付け」。
実行してみて、その成果を読者に報告したい。



2010年07月16日(金)
バランスをとろうとしたのでは?

先日、参議院選挙を終えてから、サッカーW杯同様に、
にわか政治評論家が増え、いまだに結果を分析している。
5日ほど経過し、多くの方のコメントを聞きメモしたけれど、
私の一押しは、自民党・片山さつきさんの
選挙当日の夜「当選確実」が出てすぐ答えたインタビュー。
正確には
「あまりに振り子が左に偏っていたので、
バランスをとろうとしたのでは?」である。
ある選挙で、どちらかが大勝すると、
なぜか国民は不安になり、次の選挙では大敗させる。
その日本国民らしい傾向を
「バランス」という言葉でうまく表現したと思う。
結局は、偏った意見、偏った組織体制に慣れていない。
自分たちが投票した結果が、この結果を招いたのに、
面白い国民だなぁ・・とちょっと客観的に眺めていた。
平均が好きな国民性、「上・中・下」の「中」にも、
「中の上」「中の下」などの表現をしたがる国民だからこそ、
どちらかに、極端に偏るのを嫌うのかもしれない。



2010年07月15日(木)
子どもにまで「いじられキャラ」

今日から、町内3小学校の子どもたち95人が、
地域交流センターに2泊寝泊まりし、
お互いの交流を深める「通学合宿」がはじまった。
明日の学校は、地域交流センターから登校する。
そんな中、私もボランティアで参加しながら、
ある女の子のグループ6人とテーブルを囲み、
一緒に話しながら、夕食をともにした。
おかずの一品、茄子が食べれない子が多かったけれど、
「好き嫌いをしないで、食べてみようね」と声を掛けた。
どうしても食べれない子は、残しても良かったようだが、
もったいなかったので、少しならおじさんが食べるよ、と
仏心を出したのがいけなかった。(笑)
ご飯のおかわりのために席を立ち、戻ってみたら、
私の皿には、茄子が山盛り、いや、てんこ盛り。
みんなの皿からは、ほとんど茄子が消えていた。(汗)
そこで私の脳裏に浮かんだフレーズが
「子どもにまで『いじられキャラ』」
今日は、子どもたちと一緒に、地域交流センター泊。
まだまだ、ハプニングは続きそうだが、それも思い出。
アクシデントさえなければ、それでいいと思う。
たぶん「いじられキャラ」は、明日も続く予感がする。



2010年07月14日(水)
福祉は、普段の暮らしを幸せにする

何を今さら・・と、思うかもしれないが、
ある本で見つけた、福祉の定義である。
(ふ)だんの
(く)らしを
(し)あわせにする
昨年まで配属されていた「福祉課」は、
暮らしの最前線で、地域福祉を旗頭に、高齢者福祉、
障害者福祉、児童福祉・・と生活弱者に対する施策を
主に支えてきた気がするのだが・・。
本来なら、福祉とは、生活弱者だけでなく、
「町民の普段の暮らしを幸せにする」ことだと知って、
なんだか、胸のつかえがとれたようだ。
語呂もいい。勿論、私好み。
今度、福祉課の職員と飲む機会があれば、教えてやろう。
(本当は、飲まなくても、教えられるんだけど・・)
今年は「しょうがいがくしゅう」か、定義が難しい。(汗)



2010年07月13日(火)
いつか きっと

絵本「ちいさなあなたへ」(主婦の友社刊)から。
(文)アリスン・マギー (絵)ピーター・レイノルズ 
(訳)なかがわちひろ
自分の子どもが生まれた時から「ちいさなあなたへ」と
温かいメッセージを与え続けるストーリー。
母親が、愛しいこの子にも「いつか きっと」
こんな日が来るだろう・・と楽しみながら書いている。
これは、母親しか味わえない感情なのかもしれないが、
私は、何度も読み直して、この「いつか きっと」を
ピックアップしてみた。
この子には、こんな人生を歩んで欲しい、
こんな子どもに、こんな母親になって欲しい、という願いが
なぜか伝わってきた。
こんな人生を歩みなさい、という親からの命令ではなく、
優しい気持ちを持った子どもに育って欲しい、
そんな、アバウトな夢といった方が正しいのかもしれない。
絵も外国の人らしい、ホンワカした絵で、私を癒してくれた。



2010年07月12日(月)
龍馬はこの時から、あの「坂本龍馬」になっていったぜよ

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。
参議院選挙開票速報のために、放送時間がズレて、
見損なった人がいると思うが、
今回だけは、再放送でもいいから、観て欲しい。
それくらい、出演者全員の迫真の演技で、
ドラマだとわかっていながら、目頭が熱くなった。
参議院選挙とのタイミングよく
「この国を洗濯することぜよ」の台詞も飛び出し、
「坂本龍馬が、どうやって日本を変えるか、楽しみ」である。
さて、気になる一言は、
ドラマ最後に、ナレーターの岩崎弥太郎が呟くフレーズ。
「龍馬はこの時から、あの「坂本龍馬」になっていったぜよ」
今回の事件がきっかけで、普通の「龍馬」から、
皆が知っている、時代を変えた『あの』「坂本龍馬」になっていく、
そんな「日本の転機」となった内容だったからこそ、
神戸海軍操練所の同士に「わしらが真っ白にする」と
叫んだ台詞が、輝いていたのかもしれない。
参議院選挙の結果と比較して、考えてみるのも面白い。
さて、与党・野党の過半数などを気にせず、
日本を変えてみせるという政治家は、出てきただろうか?(汗)



2010年07月11日(日)
お盆の花火、それは大きな迎え火です

映画「その日のまえに」(大林宣彦監督)から。
ストーリー的にも、そんな目新しいものはなく、
自分の推測したとおりに物語が展開され、
今までいろいろ観てきた「死」をテーマにした作品と比べると
やや、見劣りした感じは払拭できないが、
主役の永作博美さんが好きだから、許しちゃおうって感じ。
気になる一言は、俳優の台詞ではなく、
ある商店街のイベント(花火大会)のキャッチコピーである。
「お盆の花火、それは大きな迎え火です」
「花火がお盆の迎え火になる」という発想は、共感できた。
各地で行われるお盆の時期の「大文字焼き」が、
「お盆の送り火」の役を担っている話は耳にしたが、
花火まで、そういう視点で考えることは面白かった。
先月、義母が他界し、今年の夏は新盆となるが、
夏に各地で賑わう花火大会が、迎え火となるのなら、
どんどん、花火大会に足を運ぼうと思う。
重松清さんの原作、図書館で借りて、読んでみようかなぁ。

PS.
2月に他界した義母の新盆で、妻の実家を訪れた。
昨年の今頃は、みんなの大好きな「うなぎ」を食べ、
義母のうなぎの半分以上は私が平らげていたっけ。
今年からは、一人前しか食べられないんだなぁ。(涙)



2010年07月10日(土)
えっ「つるびん」じゃないの?

先月の合唱練習で、同級生の彼女は、大きな声で驚いた。
「えっ『つるびん』じゃないの?」
なんと「笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)」師匠を
他の同級生に指摘されるまで「つるびん」と読むと
思っていたらしい。(笑)
「つるべだよ」と教えても、納得できない様子だったので、
帰宅後、調べてみたら、やはり「つるべ」であったが、
「つるべぇ」と誤読していた私たちと大して差はない気がする。
所ジョージさんは、以前、「しょうふくていつるびんさん」と、
親しみを込め、冗談混じりで呼んでいたことがあるらしいから、
一概に、間違いとは言いがたい。(汗)
しかし、もっと驚いたことは、兄弟子でもある笑福亭鶴光師匠も
しばしば「つるこう」と誤読されるが正しくは「つるこ」、の説明。
「嘘でしょ?『つるこう』じゃないの?」と私が叫んでしまった。
私こそ、これを調べるまで「つるこう」だと思っていたので、
とんだ恥をかくところだった。
読者にも「つるべえ」「つるこう」と口にしていた人は多いはず。
飲み会のネタには、使えるな、この話題。

PS.
今月は、仕事で合唱練習をお休みしました。
月に1度だから、休むと辛いんだよなぁ・・仕方ないけど。(汗)



2010年07月09日(金)
自民前向き、みんな反対

地元紙の1面トップ記事「年金制度協議7党賛成」の
大見出しを受けて、書かれていた中見出しである。
「自民前向き、みんな反対」
共同通信社が実施した「9党政策アンケート」結果。
確かに、前後の関係から「みんなの党」って判るけれど、
見出しだけ読んだら、
「自民党の前向き姿勢を、みんなが反対している」と
解釈されても、仕方がない。
新聞の見出しは、短い言葉で、読者にインパクトを与え、
本文をじっくり読んでもらうためのもの。
特に「みんなの党」を「みんな」と略すと、可笑しくなる。
「みんなが言ってたよ」「みんながそう思ってる・・」
私たちがよく口にする「みんな」(皆)と、使い分けないと
誤解を招くことになる。
そんな視点で読んでいるのは、しもさんだけだよ・・と
笑われたが、これって大事なことだと思って、
気になる一言にしてみた。
見出しだからって、短くすればいいってもんじゃない・・
敢えて、声を大にして訴えたい。言葉の力を知っているから。



2010年07月08日(木)
遺伝子が騒ぐ、サッカーW杯

どうして、こんな単純なスポーツが、世界中で広まり、
寝る時間を惜しんで、夢中になるのだろうか、
そんな疑問を解決してくれたのが、メル友のブログ。
(抜粋で申し訳ない)
「国ごとのチーム、つまり、遺伝子が近い民族ごとのチーム。
人間に限らず、生物は恐らく、遺伝子を後世に残すことが目的であり、
ゆえに遺伝子に操られている。 自分に近い遺伝子が勝ち残ること。
それを応援する者が大勢居ることを、世界中の他人に見せ付けること。
つまり、いざって時は自分らは結束するんだと喧伝することで、
自分に勇気を、他人に怖れを抱かせること。
日本を徹夜で応援し、朝まで騒いで勝利を祝う若者たちや、
公平でなければならないメディアが、こぞって韓国の勝利を喜び、
負けを悲しみ、そして敗北した北朝鮮に同情した・・・・。」
血が騒ぐのと違うのか?と訊ねたら「血が騒ぐのは、本能の仕業。
遺伝子が騒ぐのは、遠い祖先の記憶。」と回答があった。
アジア勢敗退に伴い、サッカーW杯熱も冷めてきた感がある。
「自分に近い遺伝子が勝ち残らなかったから」
妙に説得力がある「遺伝子論」でなかろうか。
あとは、スペインとオランダの遺伝子の戦いとなる。
ヨーロッパ同士の遺伝子、アジアには関係なさそうだな。(笑)



2010年07月07日(水)
子が立つのは6

昨日の「6歳の6月6日」ネタを調べてみたら、
古来、6歳の6月6日はお稽古事をはじめるとよい、という理由で
「楽器の日」「邦楽の日」「生け花の日」などの記念日になっている。
古典芸能の初舞台を踏むのは、6歳の6月6日と言われたらしい。
しかし、私が知りたいのは、その日にちの理由である。
さらにネットで調べると「6月5日か6日頃、梅雨入りの前で、
昔の田植えの開始期、二十四節気のうち「芒種」にあたる。
芒種とは、稲や麦など芒(のぎ)のある穀物、
すなわち稲を植え付ける季節を意味し、梅の実が黄ばみ始める頃。
要するに子どもの芽を出させるということ」という理由を発見。
うん、なかなかいい説明だとメモしていたが、
私を喜ばせたのは、なんと、縁起担ぎ・洒落とも言える説明だった。
「日本式に数を指で数えると、5までは指を曲げるけれども、
6になると逆に小指から指を立てる、そこから『子が立つのは6』」
この説明には参った。(笑)
だから、6月6日は、こども自立の日。
う〜ん、5月5日より、面白い記念日になる気がしたのは私だけ?

PS.
せっかくの7月7日「たなばた」だから、話題をひとつ。
織姫と彦星が恋人同士だと勘違いしている人が多いことに驚いた。
夫婦なのに。



2010年07月06日(火)
6歳の6月6日からです

全国のジュニア水泳大会に出場する小学生に
僅かながらであるが、スポーツ大会参加奨励金を授与し、
激励しようという式に参加した。
私は、何歳くらいから水泳を始めたのか、興味があった。
水泳だから、生まれた頃からです、なんてコメントも
期待していたのだが、彼女の母親が即答してくれた。
そのコメントが「6歳の6月6日からです」。
虚をつかれた回答に「えっ、どうしてですか?」と
聞き直したのは、言うまでもない。
「習い事は、この日(6歳の6月6日)から始めるといいよ、
と教えていただいたことがあるので・・」
これまた、即答であったが、そう言えば私も何処かで
聞いたことがあったなぁ、とメモをした。
(今日は、7月6日だけど・・)
その理由をネットで調べる前に、私の推測。
スポーツに限らず、文化芸術など、あらゆる面で、
人間が自分の意思で、学ぼうとする年齢が6歳なのかも・・。
「6月6日」には、どんな理由なのか、楽しみである。
子育てのヒントになるかもしれないので・・。



2010年07月05日(月)
なんか、こう・・

映画「ジャージの二人」(中村義洋監督)から。
やっぱり、この映画の気になる一言と言えば、この台詞。
主役の親子(鮎川誠さん、堺雅人さん)の口癖「なんか、こう・・」
ものを例えるときに、必ずこのフレーズが接頭語のようにつく。
それが耳に残って、その人の性格まで表現しているように。
「なんか、こう・・」のあとに続く言葉が具体的・・と指摘もされる。
普通「なんか、こう・・」と口にしたら、その後に続く言葉は、
曖昧というか、あまり例えがしにくいはずなのに・・。
「なんか、こう・・甘いものが食べたいなぁ」ならわかるが、
「なんか、こう・・アーモンドチョコレートが食べたいな」では、
言葉として、使い方がちょっと・・と思ってメモしてたら、
物語の中でも、指摘された。(笑)
全体的には、大きな事件がある訳でもないのに、
とても楽しい作品だった気がする。
東京から群馬県の山奥に避暑に来て、テレビで東京の天気予報を見る。
非常に暑い一日になる予報に、ガッツポーズをとるシーン、
携帯の電波アンテナが3本立つ場所を貴重にする住民のシーン。
けっこう印象に残った映画であった。



2010年07月04日(日)
それ以上もててどうするんですか?

この季節、公共施設に行くと必ず声をかけられる。
「すいませ〜ん、願い事、書いてくださ〜い」。
そう、七夕の短冊を渡されるのである。
ある時は「素敵な絵本と出会えますよ〜に」
またある時は「美味しいビールが飲めますよ〜に」
誰かに読まれることを意識して、書いてしまう。
そして、あるところで
「女性にもてますよ〜に、って書こうかな?」
なんて冗談を言ったら、返ってきた台詞が
「それ以上もててどうするんですか?」(笑)
う〜ん、本人はもてている感覚がないから、
ちょっと照れながら「気になる一言」。
何歳になっても、異性にもてたいという願望は
人間だからあるだろうし、今日は特に蒸し暑いから、
アルコールを飲みながら、さらっと書いちゃおうかなって。
最近、恋愛ネタ少ないですね、ってメールがあったし、
まぁ、嬉しい一言でもあったし・・さて、ビール、ビール。



2010年07月03日(土)
わたしは「ハパ」ってよんでるけれど

絵本「おとうさん・パパ・おとうちゃん」(すずき出版刊)
(作・絵)宮西達也さん
単純だけど、ホッとしたストーリーになっていて、
ちょっぴり、仕事をしているお父さんを尊敬している展開に
短いながらも、じ〜んとさせられた。
「ぼくは(わたしは)『○○』ってよんでるけれど
おしごとしているときには『××』ってよばれてる」
この繰り返しが、妙にリズムがあって、
ページをめくる楽しみがあるのも、絵本の魅力となっている。
まだ娘が小学校の低学年の頃、私の職場に社会科見学に来て
子どもたちに役場内を案内した時を思い出した。
当時は「わたしは『パパ』ってよんでるけれど
おしごとしているときには『かかりちょう』ってよばれてる」
そんな感じなのかもしれないけど、
父親の職場を観る機会があってよかったなぁ、と思う。
この絵本、父親なら最後のページで声が大きくなるに違いない。
是非、探して読んで欲しい。
私なら、今度は、この本を読み聞かせしてみたいな。



2010年07月02日(金)
「目が げっぷしちゃう」ってかんじ

絵本「ピンクがすきってきめないで」(ナタリー・オンス(文)、
イリヤ・グリーン(絵)、ときありえ(訳)・講談社刊)から。
(女の子だから)ピンクが好き・・って決めないで。
タイトルから「女らしく、男らしく」の意味に疑問を投げかけ、
女の子が男の子の好きそうなものを欲しがっても、
男の子が女の子の好きそうなものを欲しがってもいいでしょ、と
読者の私たちに訴えかける。
そう「大人」の人たちが決めた、男の子らしい、女の子らしい、
から外れた子どもたちは「変わっている」と枠をはめる、
「どうしてダメなの?」と訊ねられて
「そうなっているから」と答える場面が印象的だった。
今、流行の「性同一性障害」ではなく、
単に、女の子なのに怪獣が好き、男の子なのに人形が好き。
それだけのことなのに、大人は理解しようとしてくれない。
どれだけ、ピンクがイヤなのか、うまい表現を見つけた。
「ピンクっぽいものばっかり みていると、
『目が げっぷしちゃう』って感じ。」
女の子のまわりには、おひめさまやきらきらしたもの、
ひらひらしたものが多いか、このフレーズでわかる。
この「げっぷしちゃう」という言い方、応用はいくらでも出来る。
「愚痴ばかり聞いていると、耳が、げっぷしちゃう」
なんて使い方でもいいのかもしれない。(汗)



2010年07月01日(木)
母さんはどんな気持ちで俺を育てたんだろう

映画「おまえうまそうだな」(藤森雅也監督)から。
原作は、清水町出身、私の2学年先輩の宮西達也さん。
もちろん、全体のストーリーには触れないが、
肉食系の恐竜が、草食系の恐竜に育てられるが、時が過ぎ、
今度は肉食系の恐竜が、草食系の恐竜を育てる立場となる。
立場が変わって、いろいろな子育てに悩むシーンがある。
本来なら、育つ環境にない子どもを必死に守りながら・・。
そこで、ぼそっと呟く。
「母さんはどんな気持ちで俺を育てたんだろう」
親になって、初めて親のありがたみが理解できることを、
台詞を変えて、表現している気がした。
苦労して育ててもらったことを知れば知るほど、
巷で騒がれている、ネグレクトも含めた児童虐待は、
なくなるはずなのに・・と心の中で感じている。
それに気付かせることが、今の世の中には必要だろう。
この映画は、そんな役割も持っている気がする。
映画を媒体に「家庭教育」が出来るなんて・・最高。