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しもさんの「気になる一言」
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2010年05月31日(月)
余計なことを考えている暇はないんじゃないか?

前回のNHK大河ドラマ「竜馬伝」から。
自分の生まれ故郷の乱れが気になって
「土佐に戻りたい」と騒ぐ坂本竜馬に対して
勝海舟が、一喝したシーンがある。
もう、日本のある地域で起こっていることよりも、
「世界の中の日本」を考え、行動し始めた矢先に
まだ、小さいことに気をとられている彼を、叱った。
「今、お前がやんなきゃならないことはなんだい?」
と大きな声で諭した後、
「余計なことを考えている暇はないんじゃないか?」。
この台詞は、テレビを観ている私にも響いた。
まだまだ、この境地に到らず、飲み会に誘われれば、
誰彼と無く、のこのこと参加する私に対して、
勝海舟が叱ってくれたようにも感じた。
そんなことでは、時間がいくらあっても足りない。
もう50歳を過ぎたのだから、楽しいばかりではなく、
社会に対して、少しでも貢献できることを考えなさい。
そんなメッセージにも感じたフレーズである。
そうだよなぁ、もう一度、じっくり考えてみよう。

PS.今回の放送だけど、
「新撰組の近藤勇と坂本龍馬」の対決シーンは見たくなかったな。
史実に有るかどうかは、関係なく・・。



2010年05月30日(日)
お前の判断 イコール 俺の判断だ、自信を持って

映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」(中村義洋監督)から。
「チーム・バチスタの栄光」に続く
海堂尊原作の同名小説を映画化した作品とあって、
楽しみに観賞した。
気になる一言がメモされたのは、
大きな火災で次々と病院へ運ばれ、大騒ぎになっている場面。
災害などで傷病者が多数出た場合、その緊急度、重症度に応じて、
救急措置、治療の優先順位を決める「トリアージ」という仕事。
(原語はフランス語の「選別する」から。患者選別。)
この大切な役を、救命救急センター部長の速水が、
副部長に任せる台詞、が私の心を強く打った。
日頃は、副部長の仕事ぶりを批判しながらも、
本当は、その仕事ぶりを評価していたことも、これで判る。
「佐藤副所長、いいか迷うなよ」とアドバイスを送り、
「お前の判断 イコール 俺の判断だ 自信を持って」と続けた。
こう言われた「副部長」が力を発揮するのは言うまでもない。
こうやって、部下の力を引き出していくんだなぁ。
テレビ番組では、この台詞が出てくるのだろうか?
う〜ん、気になる、気になる。



2010年05月29日(土)
全曲(22曲)暗譜は、表彰ものでしたね

「今を輝くハーモニー!」と題する
女声合唱「かがやき」の25周年記念コンサート。
平均年齢は?と訊くには申し訳ないシルバー合唱団。
(関係者によると、たぶん70代後半だろうって(驚))
会場は、立ち見が出るほど盛況で、
子どもから孫・ひ孫たちなど、多くの人たちに見守られ、
気持ちよさそうに、22曲を歌いきった。
観客として感想を述べるとしたら
「全曲(22曲)暗譜は、表彰ものでしたね」
私たち合唱団なんて、2曲も暗譜で歌えないのに、
彼女たちは、全て暗譜。
歌の上手い下手に関係なく、頭が下がる。
誰もが聴きなれた「童謡」が中心とはいえ、
それでも、私たちに出来るか?と訊ねられれば、
答えは「NO」なのである。
生きがいを持っている女性のパワーと、
いくつになっても忘れることがない童謡・唱歌の素晴らしさ、
そんなものをいただいた、記念コンサートであった。
5年後の30周年記念コンサートが、楽しみである。



2010年05月28日(金)
すご〜い、この人、「確り」が書けてる

映画「クローズド・ノート」(行定勲監督)から。
女優・沢尻エリカさんと竹内結子さんが演じる
ふたりのヒロインは、とても爽やかに
私の心の中を通り抜けていった。
映画の冒頭「確り」という字の話になる。
マンドリンクラブの指揮者は、沢尻エリカさん演じる、
教育大に通う香恵が音を外すたびに、
「確り」(しっかり)の意味を説明するシーンがある。
彼は彼女に「しっかり(確り)」とは、
「スコアどおりに確実に音を押さえるということ」と説明したが
「しっかり=確実」という図式が私の中で出来上がった。
その後、物語の核となる、竹内結子さん演じる、
小学校の女性教師の日記に、この「確り」の文字を見つけ、
気になる一言を呟く。
「すご〜い、この人、『確り』が書けてる」
実は、この場面、物語の展開とはあまり関係ないけれど、
私にとっては、なるほど・・とメモすることになった。
掛け軸の禅語だったり、こうした漢字の読みだったり、
私の映画鑑賞は、これからも、他人とは違った角度から
切り込んで行くことになりそうだ。(笑)



2010年05月27日(木)
余裕が素敵な50代

雨の日は、車で通勤。(ほんの数分で着いてしまうが)
楽しみにしているのは、SBSラジオの「朝だすうらない」。
星座や血液型ではなく、年代別の占いが、とても新鮮。
その年代別とは
「若さで勝負20代」「まだまだイケてる30代」
「大人の魅力だ40代」「余裕が素敵な50代」
「人生の達人60代」「いぶし銀の境地70代」
「お達者で何より80代以上」
単なる「○歳代」でないところが、お気に入り。(笑)
私は、もうすぐ52歳だから「余裕が素敵な50代」。
なぜか、ちょっと嬉しい。
「素敵」かどうかは他人の判断だけど、
「余裕」が出てきたことは、自分でも自覚しているから。
さて読者の「年代表現」はどうだろうか?
あぁ、早く「人生の達人」になりたいなぁ、とも思う。
「いぶし銀」にはまだまだ時間があるし・・。
まぁ、私の場合、70代になっても、
「いぶし銀」という言葉は似合わないだろうけれど。



2010年05月26日(水)
これはこれで美味しいけれど・・

妻が友人らと、京都1泊旅行に出かけている間に、
なんと一人娘が帰省し、2人で「北海道料理・中むら」へ。
数年前までは、ビールすら飲めなかった彼女が、
今では、チューハイまで飲めるようになっていた。
しかし、なんと、今晩は「日本酒」まで口を付けた。(嬉)
私がビールを飲まず「日本酒」を飲んでいたからだろうか、
「ちょっと飲んでみる?」とふったら、
躊躇わず飲んで「あっ、おいしい・・」(汗)
調子に乗って、日本酒の利き酒をすることになった。
比較したのは
「雨後の月・(広島)・八反錦・純米大吟醸」
「田酒(うとう)・(青森)・年一回の限定純米大吟醸」
「十四代(出羽燦々)・(山形)・純米吟醸」
私にとっては、どれも、甲乙付けがたい・・(笑)
しかし彼女は、私の一番好きな「十四代」を、さらっと評価した。
「これはこれで美味しいけれど・・」
彼女のお薦めは、なんと「雨後の月」だった。
日本酒を飲めるようになった娘に驚き、
なおかつ、自分の意見を言えるようになったことに感謝したい。
帰り際、お店の方が
「娘さんと2人で飲むなんて、幸せですね」と囁いた。
「ありがとうございます」それしか返せなかったけれど、
そのとおりだと自覚している。だから飲み過ぎた。(汗)
今日ばかりは、記憶に残しておこうっと。



2010年05月25日(火)
とにかく恋は一瞬のきっかけで始まる。

映画「最後の恋のはじめ方」(アンディ・テナント監督)から。
原題は「HITCH」、その意味を調べてみると、
「hitch」とは、ヒッチハイクに代表される、
ひっかける、の意味の他に、「〜を結婚させる」の意味があった。
また(すぐにほどけるようにした)結び目、連結部、つなぎ。
思いがけない障害、支障、つまずき、などの解釈もできる。
作品は、モテない男たちを幸せにする恋愛のプロに
ウィル・スミスが扮したロマンチック・コメディであるが、
なかなか興味深くメモをした。(笑)
言い換えれば「恋には、きっかけが必要だ」とも言える。
その「きっかけ」づくりのお手伝いが、主人公の仕事であった。
なかなか目の付けどころがいいな、と関心したのは、
制作年の2005年から約5年も経っているのに、
そのコアの部分は、ちっとも変わっていない、ということ。
いや当時よりも、「きっかけ」づくりが出来ない男女が多い気がする。
テレビゲームなどで疑似恋愛はするものの、
本当の異性の温もりを知らず、どんな場面で手を握るかも、
マニュアル化しないと実行できない男女が増えたということなのだろう。
好きな人とすれ違う瞬間に「ハンカチ」を落としてみたり、
図書館などで同時に本棚の「本」を取ろうとしたり、
わざとらしい「きっかけ」とわかっていても、
それを楽しんだ世代もいる。(コメントは控えます)
「君って、次の僕の彼女にそっくり」なんて台詞は、
面白くメモをしたが、「恋なんかしない方が利口よね」
「恋なんて、心の空しさを埋める暇つぶしよ」の台詞には反発もした。
「一瞬のきっかけ」さえクリアできれば恋はスタートできる。(はず)
あまり凝らない方がいいのかもしれない。



2010年05月24日(月)
日本の首相は、鴨・鶏・信天翁・鷺・鸚鵡・鳩・雁

私の情報源は、知人の日記から。
彼の情報源は「新潮45」の平沼赳夫氏の小論らしい。
普段は、二ユースソースを確認してから書くのですが、
あまりに面白かったので、さっそくご紹介。
「日本には謎の鳥がいる。 正体はよく分からない。」
・中国から見れば「鴨・カモ」に見える。
・米国から見れば「鶏・チキン」に見える。
・欧州から見れば「信天翁・アホウドリ」に見える。
・日本の有権者には「鷺・サギ」だと思われている。
・オザワから見れば「鸚鵡・オウム」のような存在。
・でも鳥自身は「鳩・ハト」だと言い張っている。
・私はあの鳥は日本の「雁・ガン」だと思う。    
カタカナだと、あまりにもストレートなので、
ちょっと捻って、漢字を調べてみたけれど、いかが?
こんな洒落た例えが出来る平沼赳夫氏、見直してしまった。



2010年05月23日(日)
おまけは、物じゃのうて、人の気持ちということを知ったぜよ

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。
友だちを救いたいから、土佐に帰りたいと叫ぶ、坂本龍馬。
それを「土佐にけぇって、お前に何が出来る?」と拒む、勝海舟。
ふたりの白熱した口論に、あっという間の45分であった。
また、土佐で投獄される、武市半平太夫婦の別れも、
静かながら、心に残るものがあった。
しかし、今回私が選んだのは、香川照之さん演じる、
岩崎弥太郎の台詞。(土佐弁なので、聞き取れたか心配であるが・・)
「おまけは、物じゃのうて、人の気持ちということを知ったぜよ」
大量に仕入れた材木に、自分が作った物を「おまけ」としていた時は、
売れなかったのに、材木を買ってくれたら、自分がその板を使って
壊れている箇所を直してやるという気持ちを「おまけ」にしたら、
今まで売れなかった同じ材木なのに、全て売れた。
この気付きは、彼の人生を変える転機になったとも言える。
今後、龍馬の海援隊の活動を金銭面で支えることにもなるし、
龍馬の死後、巨大商社を一代で築き上げることにも繋がると考えれば、
彼にとって、それはそれは大きな気付きである。
こういった気付きを、チャンスとして活かせるかどうかで、
人生に差が生まれてくるのだろう。
「ちょっとした気付きを、自分の行動で確かめてみる」
これは、これからも大切にしていきたい、私の生き方である。



2010年05月22日(土)
結婚記念日には、写真館で写真を撮りたいな

27回目の結婚記念日だった。
従兄弟の葬儀が重なってしまったので、
予約しておいたお店をキャンセルしようか、迷ったが
なんとか、予定通り、2人で食事をすることが出来た。
久しぶりに、2人で向き合い、いろいろな話をしたが、
私が多くの人と飲みに行けば行くほど、
「奥さんは、出来た人ですね」と妻の評価があがるのは、
納得がいかない・・など、夫婦ならではの会話を楽しんだ。
そんな話をしていたら、珍しく妻からの提案。
「食事に連れて行ってもらうのも、花束をもらうのも嬉しいけれど、
来年からは、(たぶん「それに加えて」が省略されているようだ(汗))
写真館で家族全員の写真を撮りたいな」。
それも、撮影した写真を箪笥にしまってしまうのではなく、
テーブルの上などに飾って置きたいらしい。
私の返事は、携帯のメールではないけれど、短く「了解」。
「映画は映画館で」「絵画は美術館で」に続く「写真は写真館で」は、
誰でも簡単に写真が撮影できる時代だからこそ、気に入ったし、
ここ数年の私の生き方とも、合う気がした。
これも、素敵な思い出の残し方なんだとメモする自分が嬉しかった。



2010年05月21日(金)
私がやります。私もやります

ある小学校の「スローガン」(?)であるらしい。
「私がやります」・・
なんでも積極的、前向きな姿勢で臨みましょう、
そんな気持ちが込められているのは私でもわかる。
しかし、それを追随するかのように
「私もやります」とばかり、さっと行動する。
これは、正直、誰にでも出来ることではない。
子どもの頃から、この癖がついていたら、
私たちの未来も、まんざら捨てたもんじゃないな、
そんな気がして、もう一度、読み返した。
「私がやります。私もやります」
うんうん、やっぱり、素敵なスローガンである。
これは、小学校だけではもったいない。
会社でも、団体でも、大人の世界だって使えるはず。
このリズム、素早い動きが感じられていいな。



2010年05月20日(木)
「昨晩は楽しかった」「セックスをしなくても?」

映画「ブロークン・イングリッシュ」(ゾエ・カサヴェテス監督)から。
恋愛下手の主人公、ノラ・ワイルダー、30代、独身。
意中の男性と、いい雰囲気になると、ハイテンションで強いお酒を飲み、
気がつくと、翌朝、横にはその男性が寝ているパターンが続く。
「あぁ〜、またセックスしてしまった」と自己嫌悪に陥った頃、
フランス人のジュリアンと出会ったが、彼とはセックスをせず朝を迎える。
そんな彼が、朝、彼女を見つけた時、「昨晩は楽しかった」と告げる。
それに答えた彼女の台詞が「セックスをしなくても?」だった。
続けて彼が呟く。「セックスをしないと嫌われる?」。
そして彼女がぼそっと「相手の男による・・」と恥じらうシーン。
なぜか、印象に残っている。
「帰らせたくない、僕と一杯だけ」
「もう一杯、どうだい?」「(飛行機に)乗り遅れるよ」「そうね」と
アルコールに関する台詞が、私のメモ帳を黒くした。
「アルコール」と「セックス」の話題が、こうもサラッと続くと、
却って、爽やかに感じてしまう。(笑)
やっぱり、殺し合うシーン連続の映画より、
キスシーンの多い映画の方が私には合っているな。



2010年05月19日(水)
有朋自遠方来、不亦楽乎

朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや。
数ある「論語」の中でも、有名な言葉である。
意味は、素直に解釈すれば
「親しい友がはるばる訪ねてくる。なんと楽しいことではないか。」
実は2日前、大学卒業後、福島県会津若松市に戻った友だちから、
会社の研修とはいえ「熱海に来ている」と連絡をもらった。
毎年、誕生日にはメールしているし、
季節になると「柿」や「みかん」を贈り合っている間柄。
年に何度も電話で声を聞いているので、懐かしいという感じがしなかった。
しかし、会うのは何十年ぶり、とあって、やや緊張気味で研修所を訪ねたら、
白髪まじりの懐かしい顔がそこにあり「久しぶり〜」の連発であった。
話し始めれば、お互い、気持ちは大学時代に戻り、
あっと言う間に時間は過ぎ、惜しみながらも別れたのだが、
帰路の運転中も、なぜか嬉しさが込みあげてきて止まらなかった。
その運転中、頭に浮かんだのが「有朋自遠方来、不亦楽乎」
「親しい友がはるばる訪ねてくる。なんと楽しいことではないか。」
これからは「メールや電話」に頼らず「会う」ことを大切にしたい。
50代の楽しみは、全国のいる友だちに少しずつ会いに行く、ことだな。
近くに寄ったら声を掛けて・・の台詞を信じて。(笑)



2010年05月18日(火)
自分で書いた「嘘」は「願望」ですよ

ある学校の先生が体験させてくれた「心理ゲーム」。
「私を表す肯定的な言葉」と題して、
「私は○○です」を4つ書き出すだけなのであるが、
そのうち、1つは「ウソ」を書くよう指示された。
「私は明るい性格です」「私はおしゃれです」
「私は続けることが得意です」「私は顔が広いです」
濃紺のスーツに黄色いネクタイ、
とびっきりのおしゃれをして参加したので、
ばれないと思ったのに、しっかり見破られてしまった。
解説は「自分で書いた『嘘』は『願望』ですよ」
なるほど・・と思いながら、メモをした。
「おしゃれになりたいという願望か」と苦笑いしながら、
先ほど書き出した4つを眺めると、一つだけ浮いている。
「おしゃれ」って、自慢することでもないし、
「あの人、おしゃれだね」って他人が評価することだった。
言葉の使い方を間違えたな、これは。(汗)



2010年05月17日(月)
あなたには、才能を磨く義務があるわ

映画「4分間のピアニスト」(クリス・クラウス監督)から。
[原題] 4minutes(やっぱり邦題の方がいいな)
ピアノ教師として刑務所にやってきたクリューガーが、
問題児とされている少女・ジェニーの才能を見抜いて
激しくぶつかり合いながらも、こう呟いた。
「あなたには、才能を磨く義務があるわ」
なかなか真剣に練習をしようとしない彼女にはどう響いたか、
こればかりは、確認しようがない。
しかし「あなたは、ピアノの才能があるわ」
「あなたは、ピアニストになるために生まれてきたのよ」
より、とても重みがある気がした。
義務には、使命感が含まれている。
素敵な音楽を聴かせるために「才能」を磨く義務を負う。
さて、私はどんな「才能」を磨く義務があるんだろう。



2010年05月16日(日)
道具には道具の使い方があるんですよ

ある学校の先生の話から。
話題は「雑巾のふき方」だった。
「最近、床を拭くのは学校だけ」と始まって、
「拭き方を知ってますか?」と投げかけられた。
答えは「手のひらを広げ、両方の親指をあわせる」
では、それはなぜか?
「親指をあわせると、雑巾が固定するから」
ただそれだけなのに、明確な答えが出来なかった。
確かに、雑巾が勝手な動きをせず、拭きやすい。
子どもたちは、それを「秘技」と呼んだらしい。
最後に、私たちに諭すように呟いた。
「道具には道具の使い方があるんですよ」
それは、先人たちは「知恵」として、
ずっと継承してきたことに他ならない。
今の人たちは、その「知恵」を知らずか、
また学ぼうとせず、無視して使おうとするから、
使いにくかったり、効率が悪いんだよなぁ、きっと。
今年は、学校の先生の話が増えそうだ。(笑)



2010年05月15日(土)
ハーモニカ・ソウルミュージック・合唱・・

笑ってしまうくらい「音楽三昧」の1日だった。
これは、絶対、記録に残しておこう、と思って書き留めた。
もっと詳しく書けば
早朝「絢香×コブクロ」の歌をiPodで聴きながらマッサージチェアへ。
午前中、車の中でかけていた音楽は、リズミカルな「ボサノバ」。
午後から知人が出演するからと、近隣の沼津文化センター小ホールへ。
耳にした音楽は、やさしくて懐かしい「ハーモニカ」。
唱歌や演歌曲に混じって、タンゴやワルツなどの曲も。
更に更に、音楽三昧は続く。
夕方から知人がボーカルで歌うからと、今度は、沼津千本プラザへ。
ギター、ベース、ドラムの音で、耳が張り裂けんばかりの
「ソウルミュージック」も含めた「ロック」系のバンドはかなり効いた。
打ち止めは、月に1度の、同級生混声合唱団。
練習曲は、井上陽水の「少年時代」と、いきものががりの「YELL」。
もう私の頭の中のリズムは、メチャクチャだけど、
どのジャンルも、一所懸命の人たちがいて、楽しかった。
こんな日は、寝る前に、どんな曲が思い浮かぶのだろうか。
楽しみである、早く寝ようっと。(汗)



2010年05月14日(金)
叱るべき時は叱って欲しい

近隣市町の新任課長らと合同に研修し、
貴重な人間関係を作ることができた。
その研修の中での気付きは、今後、仕事に活かしたい。
リーダーシップに関しては、
昔、私たちが新米だった時に求めた「リーダー像」と、
今、私たちが求められている「リーダー像」は、
大きく違うことに驚きを覚えた。
しかしながら、基本的な部分は、今も昔も変わらない。
大所高所から全体を俯瞰し、判断していく
「Bird‘s Eye」は常に念頭においていきたいと思う。
また、仕事を通してトレーニングしていく「O.J.T」は、
忙しいからやってられないのではなく、
やらないから忙しくなる、という視点で行動していきたい。
今回の気になる一言は、その中で一番印象的な話。
講師が紹介してくれた、部下のアンケート、
「上司に望むこと」の1番は、なんと
「叱るべき時は叱って欲しい」ということであったこと。
これからは、勇気を持って、
部下を「怒る」のではなく「叱る」ことが出来そうである。



2010年05月13日(木)
大人が大人に大きな声で「挨拶」する町

青少年の状況を知り、青少年の
「豊かな感性、確かな知性、健やかな心身」を育てよう!
そんな取り組みを目指して、ある会議に参加した。
各校長をはじめ、関係者の口からは、
青少年の挨拶は素晴らしいものがある、という台詞。
確かに、私もすれ違う子どもたちからいただく
元気な声につられてこちらも大きな声で挨拶してしまう。
では、すれ違う大人同士は?と自問すると、疑問が残る。
全国各地に「あいさつ通り」なるものが存在し、
子どもたちの弾けるような挨拶が聞こえるが、
「挨拶」を推奨する大人同士には、少しばかり照れがある。
「子ども」に対しては、こちらも元気に挨拶が出来るが、
「大人」に対しては、なかなか声が出ない私がいる。
実は「大人同士」が、自然と挨拶が出来るようになれば、
それを見ている子どもたちも自然と挨拶をするようになる。
それだけでも、全国に向けた情報発信になるなぁ。
目指すのは「大人が大人に大きな声で『挨拶』する町」



2010年05月12日(水)
アディダスじゃなくて、ナイキ(内規)だよ

飲みながらも、仕事の話をすることがよくある。
やれ、条例だ、規則だ、要綱だ・・などの単語が飛び交い、
みんな仕事熱心だなぁ・・と思う時があるくらいに。
今回の気になる一言も
「これって、組織の内部に適用されるきまりでいいんじゃないか」
と白熱していたところ、メンバーの一人が
「アディダスじゃなくて、ナイキ(内規)だよ」と呟いた。
久しぶりに私のアンテナにひっかかった仕事関連のフレーズである。
文字にすると、その面白さが伝わらないかもしれないけれど、
真面目な話をしている中では、面白かった。
普段は、冗談などをあまり言わないタイプの人間が口にすると
その面白さは倍加する。
しかし、調べてみると
「弓の的(まと)で、中心に一番近い輪」のことも「内規」と言うらしい。
またまた、勉強になった「単語」である。



2010年05月11日(火)
誰にも無理だなんて言わせるなよ

映画「幸せのちから」(ガブリエレ・ムッチーノ監督)から。
ホームレスになりながらも愛する息子を唯一の心の支えに、
ついには最後のチャンスを掴んで億万長者となった父子の実話を
映画化した感動の物語。アメリカンドリームを成し遂げた
実在の人物(クリス・ガードナー)の半生と
彼を支えた息子との心の交流を描く人間ドラマ、とも言える。
この台詞は、どん底の環境にあっても、
「夢があったら、それを守るんだ。
誰にも無理だなんて言わせるなよ、それはパパにも」と諭すワンシーン。
「パパにも、無理だなんて言わせるな」は、強く心に残った。
さらに「出来ない者は、人の足を引っぱる。
何か欲しけりゃ、取りにいけ」と世の中を教えることも忘れていない。
親子役は、主演ウィル・スミスとその息子が演じたためか、
とてもリアルに、そして何とも言えない「間」が私を惹き付けた。
地下鉄のトイレで、外から押される戸をじっと押し戻して、
声を殺して泣くシーン。
今まで観た映画の中でも、5本の指に入る名シーンとなった気がする。
ウィル・スミスの出演作品は、どうも私のアンテナに引っ掛かりやすい。
それは、どれも「ハッピィ・エンド」だからかもしれない。



2010年05月10日(月)
フィーチャリングですか?

いつぞや、若い女性たちとカラオケに行った。(笑)
そこで「セクハラ」や「パワハラ」にならないように
気を使いながらも「デュエットしようか?」と口にしたら
彼女が返してきた台詞が「フィーチャリングですか?」
私は、瞬間、頭の中が真っ白になった。(汗)
その場はなんとか切り抜け、帰宅してから辞書で調べてみたら、
フィーチャリング(featuring)とは、
特定の人物・事柄などを特色として際立たせる事。フィーチャー。
日本語では「客演」と訳される。
音楽においては、メインのミュージシャンのほかに
ゲスト参加する者、またそのこと。
デュエットとの明確な差はないが、互いに同じくらいの登場があり、
かつ互いが合唱する場合は"duet with"とする場合が多い。
日本では語感から「フューチャー」(未来)と混同されて
誤用が浸透している。
よし、意味を覚えたから、堂々と「デュエットだよ」と言い返せる。
こんなことでも、言葉って面白いなって思う。
でも・・絢香×コブクロは、同じ旋律を歌うから
「フィーチャリング」なのかもしれないなぁ。



2010年05月09日(日)
「ブラボー」「ブラバー」「ブラビー」

案の定(笑)、問い合わせのメールが届いた。
昨日の「気になる一言」の終わり方が、
含みを持たせた言い方だったので、申し訳ない。
「ブラボー」「ブラバー」「ブラビー」
私が知っていたのは「ブラボー」だけ。(汗)
何でもかんでも、感激したときには「ブラボー」、
そう叫べばいいのかと思っていたが、違った。
男性の時は「ブラボー」、女性の時は「ブラバー」、
出演者みんなには「ブラビー」。
この知識を知っただけなのに、
「演奏・ソロ歌唱」が終わるたびに、叫びたくなり、
一番後ろの席から、大声で何度も使い分けをした。
帰りがけに、出演者に訊ねたら、
「声を掛けてもらうと、気持ちいいですよ」の反応。
これからも、間違えずに使い分けして、楽しもうっと。
「1回、叫ぶまで」が照れるだけだからな、
あとは、隣の人が恥ずかしいだけだから。(笑)



2010年05月08日(土)
この場面、拍手のしどきですよ

第254回泉のまち音楽会「日本の歌と世界の歌」
オペラがこんなに楽しいなんて知らなかった。
出演者は、村上達哉さん(テノール)、
有賀美聡さん(ソプラノ)、和佐祐子さん(ピアノ)。
このコンサートの面白さは、出演者のトーク。
「普段は、何をしているんですか?」「小学校の先生です」
「途中で、イタリア語と英語を間違えちゃいました。
わからなかったでしょ?これが外国語で歌ういいところです」
歌が上手い人は多いけれど、トークも上手い人は少ない。
第二部のオペラ「ラ・ボエーム」より第一幕。二重唱。
(冷たい手〜私の名はミミ〜なんと優しい娘)
イタリア語で歌う前に、彼がストーリーだけでなく、
オペラの見方、拍手のタイミング、声のかけ方などを
ユーモアたっぷりに解説してくれたおかげで、
本当に楽しく観賞できた。
そのひとつが「この場面、拍手のしどきですよ」。
次から、オペラ観賞が楽しみになってきた。
「ブラボー」「ブラバー」「ブラビー」の違いもわかったし。



2010年05月07日(金)
拍手は、節と節を合わせない

情報源は、たしか、飲んだ時の先輩のウンチク。(笑)
妙に関心して、メモをしてしまった。
拍手の仕方、そんな話で盛り上がっていたら、
「拍手は、節と節を合わせてはいけない。
節合わせ(不幸せ)にならないために・・」みたいな話。
それからというもの、私は拍手をする時は、
手のひらを少しずらし、指の節が合わないように、意識している。
仕事をしていると、意外と「拍手」する機会が多く、
こんなに「拍手」ってするものなのか?って、驚いたのも事実。
「お礼」の意味や「賞賛」「祝福」の意味も含め、本当に多い。
なぜか、歓送迎会などの乾杯のあとにまで、拍手。
不思議な習慣だなぁ、と思いながらも、なぜか嬉しい。
ただし、手のひらをずらし過ぎて、
1番目の節と2番目の節が、合わないようにしたい。
意味を知っていながら「不幸せ」になりたくないから。



2010年05月06日(木)
応援してきてくれた人たちを裏切りたくない

書籍「プレジデント」で見つけた、上戸彩さんのコメント。
9月で25歳になるという彼女も、いろいろな壁にぶつかりながら、
「女優」という職業を、精一杯こなしている、と言うのが私の印象だ。
ただ、他の女優さんらと違って、当たり役のような作品が少ない分、
途中で挫けそうになるのかもしれない。
それを支えているのが、
「応援してきてくれた人たちを裏切りたくない」という思いらしい。
わかる、わかる・・その気持ち、とメモをした。
本当は、自分なりに頑張ればいいのかもしれないが、
ここまでたどり着いた過程で、多くの人たちが応援してくれた。
だから、その期待に応える働きをしたい、と思うのだろう。
こんな私でも、そう思うことがしばしばある。
そんな見えないプレッシャーと戦いながら、日々を過ごしていると、
本当に、今日の仕事は、ここまででいいのだろうか、
もっと勉強しなくちゃいけないんじゃないだろうか・・と
不安に押し潰されそうになるのだが、それを支えてくれるのは
「応援してきてくれた人たちを裏切りたくない」という思いである。
51歳で知った思いを、彼女は24歳で味わっている。
ますます、彼女を応援したくなってしまった記事であった。



2010年05月05日(水)
「忍耐」を祈れば、神は「忍耐」をくれるか?

映画「エバン・オールマイティ」(トム・シャドヤック監督)から。
神が主人公・エバン(アメリカの下院議員)の前に現われ、
ノアのごとく箱船を作るよう告げられる。
ストーリーとは直接関係ないが、「ノアの箱船」について
こういう定義があり、メモをした。
「ノアの箱舟、神の怒りと勘違いしている。愛の物語だと思う。
信じあう心だ。動物はカップルで現れて、互いに助け合う。
ノアと家族もだ。皆が寄り添って箱舟に乗る。」と。
さらに、夫婦関係に悩んでいた妻に、
神がこうアドバイスするシーンがあり、慌ててメモをした。
「『忍耐』を祈れば、神は『忍耐』をくれるか?
それとも『忍耐』を手に入れるチャンスをくれるか?
『勇気』を祈れば、神は『勇気』をくれるか?
それとも『勇気』を手に入れるチャンスをくれるか?
『家族の絆』を祈れば、神は『あったかい温もり』をくれるか?
それとも『愛し合う』チャンスをくれるか?」と。
これって、とてもシンプルな考え方だけど、わかりやすい。
手に入れる方法は、そのチャンスをいかすかどうか。
もう一度しっかり「愛し合う」ことが出来れば、
家族の絆に包まれた、あったかい温もりが手に入るということ。
う〜ん、さすが神様のアドバイス、奥が深い。



2010年05月04日(火)
「自主上映会」を支援する町もいいな

先日、メーデーに働くことの意義を考える映画、
「明日へ紡ぎつづけて」を観賞して感じた。
ある意味では、偏った意見・主張に流されやすいが、
それを差し引いても、観る価値のある作品は多い。
地球の環境破壊を問題提起した
「地球交響曲」ガイアシンフォニー(Gaia Symphony)や
障害者をテーマにした「1/4の奇跡」など、
私も、何度か自主映画に足を運んだからわかる。
商業施設の映画館で上映される映画のような
派手さはないが、観てみるとわかりやすく、幅広い層に
共感がじわじわと広がっていく自主制作の映画は、
本を読むことをやめ、考えることを忘れた人間にとって
とても刺激的な「視聴覚教育」になるに違いない。
上映会を企画している人たちは、常に場所を探している。
何年か先の「映画監督」を育てるくらいのつもりで、
「自主上映会」を支えていけたらいいな。
「人を育てる」とは、そういうことなのだろうと思う。
有名人の裏話的な講演会より、ずっといい気がする。
言いすぎだろうか?(汗)
全国自治体の手本となるお金の使い方をしてみたい。



2010年05月03日(月)
なんでおめぇ、ああいう奴とつきあわねぇんだ

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。
坂本龍馬が勝海舟に、海軍の仲間の考え方がおかしいけど、
どうしたら、その考え方を変えられるか、と相談したら、
他人の忠告などで、変わるものではない、
「人は、肌で感じて変わっていく」ものだと諭される。
なるほど・・とメモしたが、今回は、ちょっと違う視点で選択。
開国派・勝海舟を切ってこい、と、攘夷派・武市半平太に頼られ、
勝の屋敷に乗り込んだものの、眼前に突きつけられた「地球儀」から、
世界の大きさ、日本の小ささを知り、素直に驚いた岡田以蔵は、
勝海舟に気にいられ、坂本龍馬とともに、飲みに行く。
そして、冒頭の話を耳にする。
勝の回答に納得して、勢い良く部屋を飛び出していった坂本龍馬を
慌てて追う以蔵に向かって、勝海舟が呟く。
「(なぁ、以蔵。)なんでおめぇ、ああいう奴とつきあわねぇんだ」
勿論、私はメモ帳に、平仮名ばかりの横殴りの文字で書き取った。
こういう台詞をいつの日か、誰かに言ってみたい。
「なんでおめぇ、ああいう奴とつきあわねぇんだ」
勝海舟・人材育成のヒントを、このフレーズで見つけた気がする。
参考にさせてもらおうっと。



2010年05月02日(日)
洗車とメイクは、どこか似ている

久しぶりに私の雑感である。
朝から天気がよかったので、愛車の洗車に踏み切った。
水洗いから始まって、最後にタイヤワックスをかけるまで、
およそ1時間、ふだん磨くことが出来ない部分まで手をかけて
汗びっしょりとなって終えた。
特に、油で汚れていたホイールを丁寧に拭き取り、
仕上げにタイヤワックスで真っ黒に仕上げ、横から眺めたら
見違えるくらいキレイになった気がした。
そんな時、なぜか、女性の化粧が頭に浮かんだから不思議。(笑)
洗顔から始まって、いろいろメイクを施し、
ある程度(汗)、キレイになったところで、最後に唇に口紅を塗る。
(ルージュをひく・・の方が、現代風の表現かもしれないが)
口紅を塗り終えた直後、顔がキリっとしまる感覚が、先ほど私が、
タイヤワックスを塗り終えた時に感じた感覚と似ていた。
洗車や化粧を終えたという、ケジメみたいなもの。
さて、今日も張り切って出かけるか、という最後の気合い。
う〜ん、うまく表現が出来ていないかもしれないけど、
でも感じたんだよ。「洗車とメイクは、どこか似ている」ってね。



2010年05月01日(土)
書くということは、自分を見つめること

映画「明日へ紡ぎつづけて」(山本洋子監督)から。
自主上映作品「あの熱き青春の日々・
10万の少女たちが残したものは」の副題が示すように
繊維工場労働者の戦いを描いたドキュメンタリー映画。
1950年代版の「女工哀史」という感じで観終えた。
(「女工哀史」は、細井和喜蔵著・大正期の悲惨な女工の
労働状態を生々しく伝える貴重な資料。)
このような映画が、どうして出来たかと考えたとき、
苦しいことを「苦しい」と書かず、どのように苦しいかを
具体的に書いて残したからだと思う。
それが、彼女たちの残した日記や写真、文集づくり。
書きながら、自分の内面を見つめ、
それが深く記憶の底に刻まれ、今、鮮明に思い出された。
「生き証人」としてのコメントは、非常に重たい。
だからこそ、私は「書く」ということをみんなに勧める。
彼女たちが当時を振り返って、何度も口にした
「書くということは、自分を見つめること」を
今回の「気になる一言」とした。
これが「自分史」の基本であり、郷土資料にもなる。