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しもさんの「気になる一言」
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2009年05月31日(日)
よしおより、しお。

なんと日清食品「カップヌードル しお」のキャッチコピーある。
出演は「そんなの関係ねぇ〜」でお馴染みの「小島よしお」さん。
文字にすると「よしお」より「しお」。
筋肉質の体に、パンツ一丁姿の彼と、販売目的のカップヌードルが、
全然関連がないところが、また面白い気がする。
単なる「言葉遊び」に近いけれど、インパクトがあって
一度耳にしたら、なかなか忘れないフレーズとなってしまった。
特に、私も「よしお」なので、とっても気になる。(汗)
お笑い芸人「のりおよしお」さんや、欽ドコの「よしお」とも、
どこか違う、ちょっとした親密感を彼には感じる。
裸には、自信がないけれど・・(笑)
まぁ、とにかく「よしお」を全国区の名前に引き上げた功労者として、
私なりの評価をしたい。
一発芸人だと言われたけれど、どうしてどうして。
これからの活躍も楽しみである。
それにしても・・・「よしお」より「しお」は、インパクとあるなぁ。
今度の私の差し入れは「カップヌードル しお」に決まり。



2009年05月30日(土)
妬ましいほど幸せそうに見える人が、オシャレ

妻の愛読書にも関わらず、たぶん、私の方がじっくり読み込む書籍、
月に一度の発行だからこそ、丁寧に、ゆっくり読める書籍「ミセス」。
その本のワンコーナー「おしゃれの本音」(齋藤薫さん)から。
オシャレの定義がいくつか紹介されていて、私のメモは増えた。
彼女によれば、うらやましいほど幸せだから、オシャレが際立った、
そういうことらしい。
オシャレって、「オシャレ」単独では、人の心をあまり動かせないし、
あくまで背景があっての、オシャレだと言う。
背景と相まって幸せな空気を生んでいてこそのオシャレ、
見ていて気持ちよくないオシャレは、オシャレとは呼ばないし、
本人がそれを着ていて幸せそうなこと、それが一番だと彼女は訴える。
なるほど・・「オシャレと幸せは、ペアなのか」と悟った。
「人の目に心地よく映ること、それこそが美しさなのに」とまとめた
オシャレの定義は、男性でも同じことが言えそうだ。
上質の幸福感が、オシャレを包み込むのだろうか。
ブランドでも、価格でもない、誰でも得られる「幸せ」を大切に。
安物でも、オシャレに見えてしまう人って、こう言うことか・・。



2009年05月29日(金)
べっぴんやなぁ

映画「子猫の涙」(森岡利行監督)から。
ミュンヘンオリンピック、ボクシング銅メダル獲得、
これが、今回の主人公の肩書き。
逆に、この過去の栄光から抜けきれず、
波乱万丈の人生を歩んだ、森岡栄治さんの実話に基づいている。
内容は、関西弁満載のテンポある展開で、飽きなかった。
(関西人に言わせると、そんな方言はない。
大阪は大阪弁、京都は京都弁、その他河内弁等・・
と区別しているらしいのであるが・・・)
そこで、選んだ一言は「べっぴんやなぁ」。
まったく便利な言葉である。
漢字で書くと「別嬪」。
意味は、とりわけ美しい女。美人。
「キレイ」でも「可愛い」でもなく「べっぴん」。
気軽に口に出来、セクハラにもならない誉め言葉。
主人公が、女性を見るたびに使うわけだ。
「あんた、べっぴんやなぁ」



2009年05月28日(木)
「徘徊」「散歩」「パトロール」

高齢者に関する本で見つけた発想の転換。
認知症患者を、社会活動につなげられないだろうか。
そんなテーマの話だったと思う。
認知症患者の徘徊は、なかなか手に負えないらしい。
それを、こんなフレーズでまとめていたからメモ。
「1人で歩けば『徘徊』。2人で歩けば『散歩』。
みんなで歩けば『パトロール』」
1人でフラフラしていたら「徘徊」と通報されることも、
2人で徘徊していたら「散歩」と間違えられる。
ましてや、みんなで徘徊していたら、
遠目では「パトロール」をしていると勘違いする。
だからって・・徘徊には変わりないけれど、
人間の感じ方は、紙一重だから、面白い。
徘徊する人たちが、複数で歩いていたら、
町内のパトロールにつながる・・って、社会活動は、
視点を変えれば、彼ら・彼女らをあまり特別扱いしない、
最後まで、社会活動に参加させる、という意識が大切。
高齢者って、生きることに一所懸命なんだよなぁ。



2009年05月27日(水)
その上の顔が女なら、妊娠だ

映画「ある公爵夫人の生涯」(ソウル・ディブ監督)から。
予告から、故ダイアナ妃と同じく、英国中の人々から愛されたが、
夫からは、愛されてなかった・・という設定が、興味をひいた。
しかし、作品を観終わると、監督は何を言いたかったんだろう・・と
考えてしまったのも事実である。
それならば、作品の中に登場した面白い台詞を・・とばかり
やや読みにくいメモを書き出していたら、この台詞が浮かび上がった。
まず、映画を観なくても、日常の会話で使えるフレーズがいい。
人間ドックで「メタボ」と診断されても、
いっこうに痩せる努力をしない男たちは多いけれど、
いつしか「メタボ」という言葉が市民権を持ち、
他人に「おまえ、その体系、メタボだろ?」と言われても、
恥ずかしくないのも事実。
逆に、自分でお腹をさすって「俺、メタボなんだ」と堂々と自慢する。
そんな奴には、是非、この一言を。
「その上の顔が女なら、妊娠だ」
この厳しいフレーズで、初めて自分の「体系」がイメージできるはず。
今度、若くて太っている男仲間には、こう言って笑い飛ばそう。



2009年05月26日(火)
富士山静岡空港の開港日6月4日は仏滅

先日、もうすぐ開港する「富士山静岡空港」の話題になった。
「ねぇ、どうして、土日でもないし、大安吉日でもない、
木曜日・仏滅に、開港するの?」と訊かれて、即答できなかった。
「私の51歳の誕生日だから・・・」でごまかそうと思ったけれど、
気になったから、インターネットでも調べたが、
どうもはっきりしない。
めでたいことの始めは「大安吉日の午前中」と刷り込まれてきただけに、
不思議と言えば不思議。
情報源が確かではないので、断定できないけれど、
理由は航空業界は28日周期に活動しているため、たまたまその日であり、
しかも世界は仏滅を気にする仏教国ばかりではないから気にしないようだ。
ちょっぴり納得したけれど、万万が一、事故があったら、
開港日が仏滅だった・・なんてことを話題にしたがる日本人だから、
要らぬ心配かもしれないけれど、ちょっぴり気にして欲しかったな。
そんなこと言ってたら、何もできないけれど、
こういうことって、けっこう大事なんだよ、日本では。(汗)



2009年05月25日(月)
自殺は、事故ではない

韓国、前大統領の自殺を受けて、世論がいろいろなコメントを発している。
マスコミを始め、ネットの世界でも、大騒ぎであるが、
私が賛同したのは、産經新聞のコラムの一部。
言いたかったことは「自殺は、事故ではない」ということだろう。
電車への飛び込み自殺が起きると、電車は、当然のように一時停止し、
お決まりのように、こうアナウンスが流れる。
「ただ今、〜付近で人身事故がありました。ご迷惑をおかけしますが・・」と。
確かに「電車への飛び込み自殺がありまして」とは言いにくいけれど、
事実をしっかり伝えないと「自殺」が「事故」に取ってかわられる可能性がある。
もちろん、原因をはっきり調べないと「自殺」と断定できないことも承知の上で、
この「人身事故」の表現は、変えた方がいいと、私も思う。
今の日本では「自殺」の罪悪感が薄れているからか、
毎年、交通事故死の3倍くらいの数の自殺者が出てしまうことに、
何も感じなくなってしまう民族になってしまったようだ。
もう一度、気になる一言を胸に留め、自殺者の少ない世の中を願いたい。
辛いけれど、自殺は自分の意思で判断したことと、受け止めながら、
「自殺は、事故ではない」のフレーズを残しておきたい。



2009年05月24日(日)
外人なのに「君が代」歌うんだぁ、複雑だね

大相撲夏場所・千秋楽、14勝1敗同士の優勝決定戦で
日馬富士(はるまふじ)が白鵬を降し、初優勝を飾った。
その後に行われた表彰式を、久しぶりに一緒に観ていた妻が、
面白いことを呟いた。
「外人なのに『君が代』歌うんだぁ、複雑だね」
毎回目にしている私は、何にも感じなかったのに、
相撲に興味を示さない彼女には、不思議な光景だったのだろう。
考えてみれば、千秋楽、結びの一番と、その前の取り組みは、
4人とも外国人。(3人モンゴル・1人ブルガリア)
誰が優勝しても、相撲が日本の国技である以上、君が代斉唱。
オリンピックなどで見慣れた光景は、
優勝者を讃えて、その国の国歌なのだが・・。(笑)
横綱「白鵬、朝青龍」、大関「琴欧州、日馬富士」
優勝するたびに、どんな気持ちで、君が代を口にするのだろうか。
妻が感じたように、複雑なんだろうなぁ、きっと。
自分の出身地の国歌を歌いたい、なんて言える訳ないしね。



2009年05月23日(土)
(でく)「のぼう様」

書籍「のぼうの城」(和田竜著・小学館刊・333頁)から。
読み終えた後のすっきり感、爽快感は、久しぶりである。
秀吉の軍勢が、唯一落とせなかった城として有名になった、武州・忍城。
その総大将、成田長親は、領民から「のぼう様」と呼ばれ親しまれていた。
「のぼう」とは「でくのぼう」の略であり、
それに申し訳程度に「様」をつけたにすぎない「のぼう様」。
文中、そんな説明がされていたが、本当にそうだろうか。
彼は、石田三成2万の軍勢に、たった2千で立ち向かうと言い出した。
誰が考えても、理解が得られないような戦いなのに、領民は立ち上がる。
「俺たちがついてなきゃ、あののぼう様はなにもできやしねぇ」
そう口々に呟きながら・・。
この行動こそ、申し訳程度に「様」をつけたにすぎないとは思えない。
「でくのぼう」は「木偶の坊」と書き、
国語辞典では、「人形。あやつり人形。でく。
役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。
また、そのような人をののしっていう語。」類語辞典では「馬鹿」
そもそも「でく」(木偶)とは、木彫りの人形のこと。
この物語の主人公「成田長親」は、決して「木偶の坊」ではないことを
農民は知っていたからこそ、尊敬の意味で「様」をつけたのでないか。
「でくのぼう」に「様」をつけるなんて、発想が面白い。
今回の気になる一言は、やっぱり「のぼう様」だな。
映画化が楽しみな書籍であった。



2009年05月22日(金)
食器は、料理の着物

陶芸家・北大路魯山人の言葉として、有名である。
言葉としては短いが、器の重要性を端的に表現している。
同じ惣菜やサラダでも、パックのまま食卓に並ぶのと、
皿に移し変えて出されるのでは、なぜか味が違う。
特に、高級な皿に盛られた食材は、見栄えがするから不思議だ。
小さい頃から「買ってきたままのパック」で食べ物が出されるのと、
とりあえず(たとえ面倒でも)「食器に移す」のでは、
大人になった時、大きな差となってあらわれるに違いない。
そんなところから教えることが、私たちに出来る「食育」だろう。
栄養のバランスや、食材なども大切だが、
「食べ物は、見た目が大切」という考え方を根底に、
「食器だけでも変えてみる努力」を勧めたい。
それが、魯山人のいうところの
「食器は、料理の着物」に通じると思うから。
それにしても、この北大路魯山人、いろいろな顔を持つ。
篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など。
書家を志して上京したらしいが、
どれが、彼の一番、やりたかったことなんだろうか、
今は、その方が、私の関心ごとだ。う〜ん、気になる。



2009年05月21日(木)
もうつがってないぞ、もとつがい

映画「アルビン/歌うシマリス3兄弟」(ティム・ヒル監督)から。
子供向けの映画だと思っていたら、どうしてどうして・・。
なかなか感激するシーンがあって、満足だった。
今回、選んだ一言は、主人公デイブの「元妻」を見て、
動物らしい単語だったからメモをしてみた。
しゃべるシマリスは、主人公に訊ねる。
「デイブのつがいの相手?」・・聞きなれない言葉に戸惑ったが
「もうつがってないぞ、もとつがい」とシマリスに説明する。
「モトカレ」「モトカノ」「モト夫」「モト妻」とは違って、
なんだか、ホッとする単語だった。
「つがい」を辞書で調べてみると、「番い」と書き、
「二つのものが組み合って一組のものになったもの。
特に、動物の雄と雌の一対。」とある。
人間も動物だから「つがい」でもいいんだよなぁ。
「つがい」という意識で、付き合っているかどうかは不明だけど。



2009年05月20日(水)
旦那さん、素敵な方ですね

映画「60歳のラブレター」(深川栄洋監督)から。
映画館は、いつになく「夫婦」らしき2人で溢れている。
ペアと呼ぶべきか、カップルと呼ぶべきか、
それとも、アベックと呼ぶべきか、と迷うくらいの2人が、
所狭しと集まったらしい、先週の週末。
私たち夫婦は、それを想定して火曜日の仕事帰りに。(笑)
(もちろん、夫婦50歳割引、5組くらいの男女しかいない)
内容は、どこにでもいそうな3組の夫婦愛、
一言で言えば、テレビの「2時間ドラマ」の延長って感じ。
映画と呼ぶには、ちょっとインパクトがなかったかな。
しかし、メモは溢れた。
中でも、綾戸智恵さん扮する妻・光江さんの手術前、
心配そうに妻に寄り添うイッセー尾形さん扮する夫・正彦さんをみて、
病院の看護師さんが、不安いっぱいの彼女に語りかけた台詞。
「松山さん、旦那さん、素敵な方ですね」が心に残った。
この台詞「奥さん、素敵な方を旦那さんに選びましたね」
と言い換えることができる。
2人を知らない他人から、こんな台詞を言われた時、
私の異性を見る目は間違ってなかった、と実感するに違いない。
こんな台詞を、一度は横に座っている妻に聞かせたいな、
そんなことを思いながら、メモ作業を続けた夫である。(笑)



2009年05月19日(火)
子育ては1に体力2に体力3・4がなくて5に笑顔

書籍「ミセス」6月号、表紙の人・渡辺満里奈さんのメッセージ。
今、子育てを楽しんでいる彼女が
「子育ては1に体力2に体力3・4がなくて5に笑顔」だと言う。
えっ、どうして笑顔が一番じゃないの?と私が感じたことを、
次の行で明快に説明してくれた。
「笑顔は大切だから、一番にしようかと考えてたんですが、
まず体力がないと笑顔にもなれないんですよ。
疲れて辛かったら、笑えない。
まず、私が安定できる状態を作ってから」と。
正直、この発想ができる彼女に、悔しいけれどちょっと驚いた。
辛くても子どものためには「笑顔」を作るのが母親でしょ、
そんな感覚が昔の私にはあったから。
朝早くから、夜遅くまで、子育てをするのには体力がいる。
仕事を持っている女性は、さらに体力が・・。
このことをもっと男性が理解してあげられればいいんだけれど、
気付くのは、私のように50歳を過ぎたような年齢かな。
でも、今の男性は優しいから、気付いているかもしれないな。
そうそう、子育てに限らず、介護も同じかも・・。
「介護は1に体力2に体力3・4がなくて5に笑顔」
いやいや、介護は、5も体力だ。(笑)



2009年05月18日(月)
時間があるのに、急いだらもったいないわ

映画「地球でいちばん幸せな場所」
(ステファン・ゴーガー監督)から。
懐かしいベトナムの風景を眺めながら、
10年以上前に訪れたホーチミンを思い出していた。
「所持金は4万ドン」「携帯電話はたったの590万ドン」
そんな台詞に、ドンという貨幣単位も思い出した。
さて今回は、主人公10歳の少女トゥイが、
街で知り合った、フライトアテンダントのランの宿泊先で、
彼女の化粧道具を使って化粧していたところ、
起きたばかりのランに見つかり、叱られる。
「大人の顔をみたかったの」と言い訳するが、
「黙って人のものを使ってはダメでしょ」と怒鳴られる。
その後、ぼそっと呟いた台詞が気になる一言。
「時間があるのに、急いだらもったいないわ」
背伸びをして、大人の真似をしたくなるのはわかる。
しかし誰だって、自然と(知らないうちに)大人になるの、
子どもの時間は、大人になってからは取り戻せないのよ、
だから、もっと今を大切にしてね、と諭しているようだった。
今の世の中、何でもかんでも、年齢が下がってきている。
子供しか味わえない子どもの時間、楽しんで欲しい。
大人から子供へのメッセージとしてメモをした。



2009年05月17日(日)
傀儡とは言いたくないが

読者の皆さん「傀儡」が読めるだろうか?、またその意味は?
産經新聞、一面で見つけた、私にとっての難解漢字である。
読みは「かいらい」。意味は辞書によると「あやつり人形。くぐつ。でく。
自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者。
でくの坊。」
政治部長、乾正人さんが書いた「鳩山代表に思う」という記事のタイトルは、
恥ずかしい話だけど、内容よりも「なんて読むんだろう?」と首をひねり、
「かいらい」とひらがなでメモをした。
その意味を知り、民主党代表選挙を振り返ると、なるほどと納得したのだが、
ちょっと、私たち、小市民には難しすぎる単語のような気がする。
単に「『あやつり人形』とは言いたくないが」では、ダメだろうか。
読めても書けない漢字なら、まだ救いがあるけれど、
音として読めないのでは、探す手だてが少なくなくなってしまうから。
今回は、文中に使用され、ルビがふってあったから読むことはできたけれど、
ほとんどの人は、そのまま読み飛ばして、その意味を調べる人は少ないはず。
大切なことは、記事を読んでもらうことであるのなら、
もう少しだけ、読者の視点で「単語」を使い分けて欲しい、と感じた。
「民主党には、傀儡政権にならないことを望みたい」
いつの日か、こんな記事を、目にすることになるのだろうか。(汗)



2009年05月16日(土)
「今どこ?」「県外」「えっ? 話しているでしょ」

1泊2日のゴルフを終えて、帰り支度を始めたころ、
ある人から、私の携帯電話に電話がかかってきた。
「今晩、空いてる?」「ごめん、ちょっと帰りが遅くなりそうなんだ」
そして、気になる一言のこの会話。
「今どこ?」「県外」「えっ? (だって、ちゃんと)話しているでしょ」
そう、今では「けんがい」と言うと「圏外」が先にイメージされる。
その後「今、栃木県に来てるんだ」「あ〜、(静岡)県外ね」
やっと、意味が通じて笑ったけれど、昨日に引き続いて「言葉ネタ」。
知らない間に、言葉が省略されて、お互いの共通認識がないと、
ちぐはぐな会話になることが増えた気がする。
逆に言うと、短い言葉でも、相手の気持ちを察することができる会話、
そんなものを心がけたい。
激寒の雪国ですれ違いざまに「どさ?」「ゆさ」と会話する話を聞いた。
あまりに寒いから、唇が凍らないように口は極力動かさない、らしい。
だから(「どこへ行くのですか?」「銭湯です」)を
「どさ?」(どこさ、行くのさ)「ゆさ」(お湯さ)と略しても意味は通じる。
風土に合わせた、この共通認識を土台にした「方言」こそが、
これからの地域文化となって残るだろう。
話はそれたが、言葉の面白さと怖さを実感した「わがままパック」2日間。
生きた会話は、私のメモを増やしてくれた。



2009年05月15日(金)
お客さんたち、わがままでしょ?

午前中の9ホールが終わり、お昼の食事の前に
「午後から、ラウンド(18ホール)まわっていいですか?」と訊ねたら、
返ってきた台詞が「お客さんたち、わがままでしょ?」。
「どうぞ、お好きなだけまわって下さい」が付け足された。(汗)
そんなに無理なお願いでもないかな、と頼んでみたのだが・・。
この会話の謎は、数時間後に解けた。
年度始めの忙しさと、これから忙しくなる議会対応の合間のこの時期、
休みをいただき、職場の同僚と栃木県までゴルフに出かけたのだが、
超激安パック。平日限定、2コースまわり放題2日間、15,000円。
「わがまま一泊二食、栃木名産ごるふ漬」(漬け物ではございません)
なんと「プレー、夕食、宿泊、朝食、プレー」でこの値段。
ちらしには「スーパーわがままパック」(わがまますぎる人はお断り)
この企画をゴルフ場スタッフは略して「わがまま」と呼んでいるようだ。
もう一度、気になる一言を読み直して欲しい。
「午後から、ラウンド(18ホール)まわっていいですか?」
「お客さんたち、わがまま(パックを利用してきた人たち)でしょ?、
(まわり放題ですから)どうぞ、お好きなだけまわって下さい」
そうか、嫌味を言われたんじゃなかったんだ・・と知って大笑い。
天気にも恵まれ、同伴者にも恵まれ、料金にも恵まれたのに・・
私のスコアだけは、なぜか恵まれなかった。(笑)。
でも楽しかったなぁ、久しぶりの県外ゴルフだったから。



2009年05月14日(木)
男は女に惚れるもんじゃねぇ

映画「次郎長三国志」(マキノ雅彦監督)から。
仁侠の世界に生きる「清水の次郎長」だけど、
今回は、男と女にスポットが当てられた痛快時代劇である。
気になる一言は、女にもてる設定の「小政」が、
女に縁がなさそうな兄弟子たちにさらっと言いのけるシーン。
「兄さんたち、男は女に惚れるもんじゃねぇ、
惚れさせるもんだよ」と。
思わずメモをしたが、それが一番難しい、と心の中で思った。
しかし、物語後半に、次郎長と妻・お蝶の馴れ初めの話がある。
詳しくは語らないが、どうやって口説いたかが話題になるシーン。
みんな興味深々で、中井喜一さん演じる、照れる次郎長に問いただす。
しかし、答えたのは、鈴木京香さん演じる、妻・お蝶。
「口説かれたりはしませんよ、惚れたのは私」
おっ、またこんなところで、この台詞が・・とまたまたメモをした。
こんなことを書くと、
そうそう、最近は惚れさせてくれるような男がいない、と
呟く女性陣の顔が目に浮かぶ。(汗)



2009年05月13日(水)
イエスと韻を踏んでいる言葉「YES」

映画「イエスマン “YES”は人生のパスワード」(ペイトン・リード監督)から。
サブタイトルの「もしも、すべてに“YES”と答えたら。」と予告編で、
ほとんどストーリーはわかってしまうけれど、
それでもけっこう笑えたし、人生を考えさせられた作品だった。
意味のある人生を送るための唯一のルールは、全てのことに、
それがどんな何であっても「YES」と言うだけ・・
もちろん「OK」「Sure」「Of course」 など、
前向きな単語が口から出ると、それを実現しようと積極的になり、
その考え方がその人全体を包み、運気が上昇する。わかる気がする。
だからかもしれないが、英語を母国語とする外国人にとって、
セミナーの講師(?)が口にした「イエスと韻を踏んでいる言葉」が
妙に心に残った。
「神のご加護がついている」とでも解釈すればいいのだろうか。(笑)
ただ、それは日本人の私には通じない。
では、日本語には、それに相当する言葉があるだろうか。
「はい」「いいよ」「もちろん」・・いろいろ考えてみたら、
「はい」が「拝む(感謝する)」と韻を踏んでいる。(汗)
誘っていただいたことに感謝する言葉「はい(拝)」。
あっ、やっぱり、前向きな言葉は、人生を変える気がしてきた。

PS.
作品中「来ないなら 私が行こう ホトトギス」というフレーズあり。
日本人向けの、そして前向きな翻訳として、私の中では一番ウケた。



2009年05月12日(火)
Google=251,000,000件中2位

久しぶりにいろいろな「検索」を使って「しもさん」を調べてみた。
(時々、本名でも検索してみるけれど・・)
「しもさんの気になる一言」は、なんと驚いたことに
Google=251,000,000件中2位
yahoo=約204,000件中1位、2位
gooウェブ=約6,840,000件中3位
nifty@search=213,000件中2位・・
(2009年5月12日20時15分現在)
どこかの化粧品、コスメ部門、第○位、に似ている結果が得られた。
単なる日記が、これほどの評価をいただいて感謝している。
今流行のブログではなく、まして話題になるような画像もなく、
文字だけのWEB日記なので、この結果に大満足である。
そしてまた、定期的に訪れる「そろそろやめちゃおうかなぁ病」の時の
治療薬でもある。
しかし・・・実はあまり日記自体が話題になることは望まない。
大ブレイクしないからこそ、こうして14年以上も続けてこれたと思うし、
そのスタンスは、たぶん、今後も変わらない。
「ベストセラーより、ロングセラーが好き」、この言葉を思い出した。



2009年05月11日(月)
なぜ、こんなにひかれるのか 阿修羅

書籍「ミセス」で見つけた、阿修羅に関する記事から。
6月7日まで、東京国立博物館(東京都上野)で
興福寺創建1300年記念・国宝阿修羅展が開催されている。
その関連記事のキャッチコピーが
「なぜ、こんなにひかれるのか 阿修羅」であった。
たぶん、多くの人が上野を訪れ、
この国宝・阿修羅を拝観するのだろうなぁ、と思うが、
ただ話題になっているから観にきたではなく、
文を書いていた、加瀬直美さん、中野涼子さんのように、
もう少し「阿修羅」のことを調べてから観に行くと
もっともっと、楽しい「仏像鑑賞」になるに違いない。
彼女たちの文を読みながら、私なりの「阿修羅鑑賞法」を考えた。
それは、向田邦子さん著「阿修羅のごとく」を読み切り、
「女は阿修羅だよ、男は勝ち目がない」の意味を考え、
釈迦の完璧なアーチ型の眉との違いを理解し、 
阿修羅が、帝釈天に何度も何度も戦いを挑みも常に負けたという
全戦全敗の悲運・滅びの美学を感じながら、
是非、時間を作って「奈良」の地で鑑賞したい。
ネットではなんと「イケメン仏像」と称された阿修羅、
やっぱり「阿修羅」は、上野ではなく、奈良が似合うと思う。




2009年05月10日(日)
子育て応援券

子どもの頃、父の日、母の日に作った「お手伝い券」を思い出した。
買い物から、肩たたき、お風呂の掃除まで、何でも使えた。(はず)
そこで今風に考えたのが「子育て応援券」。
巷では、少子化対策も含め、子育て支援が溢れてきた。
先日、子育てを効率よく手配するだけで、
子育てをしていると勘違いしてはいけない、ということを
この「気になる一言」でも、取り上げた。
ただ、行政側にも気をつけなければならないことがある。
それは、ただサービスを提供しているだけでなく、
サービスを利用しやすいような取り組みをしないといけない。
例えば、お金が必要な人にはお金の支援を、
サポートを必要な人にはサポートを。
保護者が自分で考え、今、一番必要と思われるサービスを
タイミング良く受けれるような体制が必要ではないだろうか。
もちろん、全てお金で解決できることかもしれないが、
それでは、お腹が空いている人に、食べ物を与えるのと変わらない。
魚の釣り方、野菜の作り方を教えるサービスだって必要だろう。
自分が受けたい子育てサービスを「子育て応援券」で利用する。
親が子育てに関して、一度真剣に考える時間を与えるのも、
サービスを提供する側の務めかもしれない。



2009年05月09日(土)
過ぎたるものが二つあり

「過ぎたるもの」とは「分不相応なもの」の意味。
有名なところでは
関が原の戦いで負けてしまった戦国武将、
石田三成(治部少)に過ぎたるものは「島の左近と佐和山の城」。
その戦いに勝った徳川家康は「唐の頭(中国伝来の兜)と本多平八」。
また、地名でもこのフレーズは使われる。
「亀山に過ぎたるものが二つあり、伊勢屋蘇鉄に京口御門」
「岩槻に過ぎたるものが二つあり、児玉南柯と時の鐘」など。
そして私の住む「駿河」にも・・
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠」
原の白隠とは、原(現在の沼津市)の松蔭寺にいた白隠禅師。
細かい説明をすると長くなるから省くが、
私は「○○には過ぎたるものが二つあり」というフレーズが好きだ。
冒頭の意味で紹介した「分不相応なもの」という視点ではなく、
どうして「分不相応なもの」が手に入ったか・・が気になる。
さて、ついでに自分のことを考えてみよう、思いつき、
「しもさんには、過ぎたるものが・・」と書いたところで、
いっぱいありすぎて書ききれないことに気付いた。(汗)
考え直したら、このフレーズって、
自分ではなく、他人が使う表現なんだよなぁ。



2009年05月08日(金)
大切なのは、職業ではなく、取り組み方

映画「アクロス・ザ・ユニバース」(ジュリー・テイモア監督)から。
大学生の主人公とその友達が、久しぶりに帰省して、
家族と食卓を囲むシーン。
毎回、父親から「将来どうするんだ」と問われ、
「職業が個性を決めるんだ」と説得される。
それに対して、友達は「いや、個性が職業を決めるんだ」と
反発し、言い争いになるのだが、そこで主人公が一言。
「大切なのは、職業ではなく、取り組み方だと思う」と呟く。
そこで場面が変わるのだが、なるほど・・とメモをした。
どんな職業に就くか、が問題ではなく、
就いた職業で、それをどう取り組むか、それが大切であると・・。
これは職業に限らず、生き方としてのヒントになった気がする。
結果が全て・・という考えもある。
しかし、私はやっぱり、過程を大切にしたい。
その取り組み方が自分で納得いくものかどうか、
全力を挙げて取り組んだかどうか、
その姿勢こそ、その人の個性となると信じたい。



2009年05月07日(木)
嫁さん、子どものために働いているのに、理解されない

映画「特命係長 只野仁 最後の劇場版」(植田尚監督)から。
ハチャメチャな展開に、笑うしかなかったけれど、
「男の幸せって何だろう?」と問いかけ、
「嫁さん、子どものために働いているのに、理解されない」と嘆き、
「永遠のジレンマだな。」と納得する場面、メモは増えた。
面と向かってはなかなか言えないけれど、
「自分の愛する家族や老人を守り通していく、それが男のプライドだ」
の台詞に、男の幸せが詰まっているような気がする。
もちろん、言葉の面白さから言ったら、
「ただの係長やないな」「只野係長です」であるが、
こんな映画だからこそ、製作する人たちは、何を伝えたかったのか、
探りたくなった。
それが「男の幸せ」なんだ、と私は感じた。
子育ての必要な時期には、男性はだいたい脂が乗っている年頃。
当然、お付き合いや残業続きで毎晩帰宅が遅い。
自分だって、子どもたちといろんな話をしたいよ、と思いながらも、
淡々と毎日の仕事をこなす。
それが、家族に理解してもらえないから、男は辛い。
ほんの少しでも「私たちのために働いてくれている」と感じてもらえば、
男はそれだけで、幸せなのだと思う。



2009年05月06日(水)
よっぽど、僕の気が変わらない限りは・・

開幕戦でつまづいたものの、その後は絶好調のジャイアンツ。
しかし、毎日、新聞のテレビ欄を確認しては、ため息をつく。
そう、地上波では「野球中継」が減っている。
結局は、ラジオを片手に、パソコンで表示される野球速報を
目で追う形となるが、せっかく今春のWBC2連覇で、
野球全体が盛り上がってきたのに残念で仕方がない。
たまに放映しているかと思ったら、午後9時には放送延長せずに
次の番組へスイッチ。あぁ、ストレスが溜まる〜。(笑)
さて、GWの最後の6日、坂本選手のサヨナラホームランで勝利、
このシーンこそ、テレビで観たかったぁ。
ところで、ラジオで聴いていた試合後の勝利監督インタビュー、
「このまま、坂本選手を1番(打者)で使うのですか?」の問いに、
画像で見えないけれど、たぶん・ちょっと不貞腐れて
「う〜ん・・よっぽど、僕の気が変わらない限りは・・」と続けた。
2連敗の後、打順を変えて好調の坂本選手を1番にして、
サヨナラホームランも含め大活躍なのに、
打順を変える理由が見つからないからであろう。
もう少し、考えた質問をしてくれないかなぁ、というのか、
原監督のイライラした気持ちが、なぜかラジオから伝わってきた。
自分の目で判断しないためか、アナウンサーの声のトーンが気になる。
でも・・前向きに考えれば、テレビで野球放送しないからこそ、
いろいろな雑用をしながら、野球がそこそこ楽しめた、とも言える。
これからは、テレビ放送をしていても、ラジオの実況放送にしようかな。
だって、時間が2倍になって得した気分だから。



2009年05月05日(火)
ただいま「73人」、目標5000人の1.5パーセント

2009年02月11日に署名活動を開始した
「映画鑑賞料金・いつでもどこでも1,000円均一に」は、
http://www.shomei.tv/project-739.html
ただいま「73人」、目標5000人の1.5パーセントに達した。
(2009.5.5.PM7:00現在)
「匿名」での署名に、どれだけの意味があるのか、という人もいるが、
私にとっては、そんなことはどうでもいい。
全国に、同じ思いの人がどれだけいるのか、知りたいだけだから。
もちろん、私の場合「署名」で終わることはない。
大切なことは、このあとの行動であることも知っているから、
新聞を始めとしたマスコミにも、情報発信していきたいと思う。
来年の3月31日を期限までに、どれだけ集められるか、
これも興味があるところであるが・・・。(笑)
先日、映画館の前でモジモジしている子どもたちとすれ違った。
「観たいけど、高いからなぁ」と彼らは口々に言う。
アニメ映画なのかもしれないけれど、大きなスクリーンで観ることは、
ゲーム機の小さな画面より、よっぽど感激するに違いない。
地元映画館の撤退が決まってから、映画館を惜しむ声を張り上げるより、
今、この時に、1人でも多く、映画館で映画を観て欲しい。
その為には、まず「映画鑑賞料金・いつでもどこでも1,000円均一に」
そして、いつの日か、映画でまちおこしを。

PS.
読者の皆さん、これも何かの縁です。署名活動に是非、ご協力ください。
映画好きの友だちにも宣伝してね。知人が、また変なこと、始めたって。




2009年05月04日(月)
自分が頑張れば喜んでくれる人、10人書き出せ

GWの真ん中、先日、講演を聴いた、サンリ・臼井博文さんの話を
整理していたら、このフレーズが記憶に残った。
「自分が頑張れば喜んでくれる人、10人書き出せ」
言い換えれば「お世話になった方を考える」ということだ。
「他喜力」と表現されたこの能力は、
「相手が喜ぶことばかり考える」ことで、脳が変化し、
それを「行動のエネルギーに変える」ことで、
大きな成果を得られる、と私は彼の話をまとめていた。
実は、彼の講演中は、半信半疑だったが、(汗)
帰宅し、その後、実際にじっくり10人書き出してみたら、
確かに、ここぞと言うときに踏ん張りが利く。
難しいことを考えず「あの人の喜ぶ顔がみたい」という感情は、
自分のモチベーションをあげるのに、大きく影響する。
そう言えば、プロスポーツの世界では
「長嶋監督の喜ぶ顔がみたかったから」とか
「家族の喜ぶ顔がみたかったから頑張れました・・」という
勝利インタビューが多いことも、事実。
この「他喜力」を、自分の生活、仕事にどう応用していくか、
これさえ理解していれば、どんなことでも頑張れる気がする。
あとは、本気で試してみるかどうか、かな。



2009年05月03日(日)
「忘れる」は、神が与えた能力

映画「相棒-劇場版-」(和泉聖治監督)から。
事件が起こると、マスコミが先導(国民が先導?)し、
報道がどんどん過熱する。
その過熱報道は、加害者・被害者のプライベートなことまで、
暴き出す。(標的にされるとたまったものではない)
しかし、ひとたび、違う事件が起こると、
その過熱していた報道が、ぴた〜っとなくなる。
標的にされた人の心の傷の深さなど考えもせず・・。
その怒りをぶつけることもできず、さらなる事件を起こす。
今回の隠れたテーマは、
人は「忘れる生き物だから」かなと思わせるほど、
マスコミの標的にされた人たちの気持ちを軽く扱った気がする。
確かに「『忘れる』は、神が与えた能力」かもしれない。
しかし、ちょっと待って欲しい。
関係者は、簡単に忘れる事が出来ないほど、心に傷を残す。
言葉としては「なるほど〜メモメモ・・」なんだけど、
現実となると、ちょっとイヤなフレーズだな。
国民は「新型インフルエンザ」で、
「草なぎ君のこと」忘れちゃったかな、ちょっと淋しい気がする。
GWiに法事が続いたから、こんなこと思ったのかな。
故人だけは、いつまでも忘れたくない、お世話になったから。



2009年05月02日(土)
月に一度の楽しみなんだ

最近、はまっているのは「月に一度のお楽しみ」。
ワクワクするようなことを30個書き出して、
1ヶ月の間に実行することにしている。
「美術館巡り、映画鑑賞(邦画・洋画)、本一冊読破」
などの文化芸術活動をはじめ、
美味しいお酒と料理を味わう「グルメ探訪」、
季節の花や星座を楽しむ「歳時記」、
新聞や雑誌等への「投稿活動」、
車や部屋の清掃、家庭菜園などの畑仕事などなど。
毎日とか、毎週とか、では続かないことでも、
月単位では、意外と実現してしまうことを体験できる。
最低でも、年12回。
これは、他人に自慢できる立派な「恒例行事」であろう。
「それって、面白いことなの?」と訊かれれば、
「月に一度の楽しみなんだ」と答えればいい。
大切なことは、コンスタントに続けること。
数字が増えていく快感を知ることが大切である。
さすがに「最後の月末3日」くらいになると焦るけどね。
続けるコツは、月の前半に、出来ることはしてしまうこと。
ワクワクしなくなったら、やめること・・・かな。(汗)



2009年05月01日(金)
手話は脳をフル活用する

「手話通訳」の研修を受けた課員の復命書から。
そう言えば、最近、手話付の講演会を聴くケースが多かったが、
話の途中で、手話通訳の人がコロコロ変わるので、
実は、不思議で仕方がなかった。
どうして、1人ではできないのか・・
その疑問を、彼の復命書が解決してくれた。
もう少し詳しく書くと
「手話は脳をフル活用するため、健康を崩すケースが多い。
1回、20分程度が限度」と記されてあった。
英語を始めとした、外国語の通訳と同じように、
慣れちゃえば簡単そうな「手話通訳」と思っていたが、
やはり大変なんだな、と再認識した。
手話と日本語は文体が違い「家から駅まで歩いて10分」を、
「家・歩いて・駅・10分」と時系列であらわすらしい。
「りんごが好き」「りんごは好き」も「りんご・好き」だから、
なかなか微妙な表現が難しいようだ。
ほんのちょっとだけど「手話通訳」に興味が湧いた。(汗)
「手話」を習っている人は多いけれど「手話通訳」は少ないものなぁ。
「通訳」って、本当に大変な仕事である。