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2007年12月31日(月)
2007年の熟語は「英会話」に決定

エントリーした漢字候補は
1月 発見 (身内の病気が発見され、自分のことのように心配した月) 
2月  精密検査 (検査の結果が気になってしかたがなかった月)
3月  我慢 (手術が終わるまで・・我慢・我慢の月)
4月  観衆 (女子プロゴルフのギャラリーとして・川奈に通った月)
5月  芝刈 (月に3度もゴルフに行った月、雨で中止も入れれば4回)
6月  英会話 (49歳して初めて英会話を習い始めた月)
7月  川奈 (日本の名門、川奈ゴルフ・富士コースでプレーした月)
8月  海外 (海外姉妹都市・カナダ・スコーミッシュで過ごした月)
9月  内示 (予想外の人事異動で、ちょっと驚いた月)
10月 室長 (子育て支援室長になり「室長」と呼ばれた月)
11月 所長 (子育て総合支援センター所長も兼務を始めた月)
12月 変身 (夢を壊さないために真剣に「サンタさん」に変身した月)
■選考委員長(私自身)の弁
どれも捨てがたい「熟語」であったが、49歳の誕生日からはじめ、
年末まで興味・関心が続いたことを評価した。
朝から夜まで、暇を見つけけては英語の本を読んだりDVDを見たり、
自分でも驚くほどの「学習欲」だった気がする。
たぶん、あの年か・・と思い出せると思うな。
この「持続力」と「学習欲」を維持しながら、来年は・・(笑)

PS.
一年間、ご愛読、ありがとうございました。
来年も、ありがとうございます。



2007年12月30日(日)
来年も ありがとうございます!

私の尊敬する女性の一人「ゆめこ」さんのmixi日記から。
さて、年末のご挨拶といえば、
「今年はいろいろお世話になりました、来年もよろしくお願いします」
が定番なんだろうけれど、彼女の年の瀬のメッセージはちょっと違う。
「お変わりない・・ことは、ありませんね?(*´∇`*)」で始まる。
どんな人だって、成長しているはず・・そんな気持ちで包み込んでくれる。
「苦しいことがたくさんあった人ほど  気づきのチャンスをいただいて
たくさんの涙を流した人ほど
人の悲しみに寄り添える 大きな心の人となり
どうしようもないほどの怒りで 闘った人ほど
正直さと 自分への許しについてよく学び・・」
と私たちの成長を、自分のことのように喜んでくれる。
そして「今年もありがとうございました! 来年もありがとうございます!」
「感謝のまま来る年に引き継がれていきますことを信じて」と結んである。
彼女から「感謝」というメッセージを何度も何度も戴いた。
私にとって、激動の一年だったけれど、やっぱり「感謝」しなくちゃなぁ。
「来年も ありがとうございます!」・・この言葉、いいねぇ。



2007年12月29日(土)
賀状書く 今日も明日も 逢う人に

毎年、年末になると感じること。
いつだったか「あはは、そのとおり」と思ってメモをした。
たぶん、ラジオから流れてきた「川柳」だったと思う。
「賀状書く 今日も明日も 逢う人に」
そもそも「賀状」とは、お祝いの手紙のこと。
「年賀」は、新年の祝い・年始の祝賀のこと。
だから「新年を迎えたことをお祝いする手紙」となる。
個人的には、ここ数年、年賀状は出していない。
その良し悪しは、個人の価値観なので、意見は控えたい。
ただ、本当に「新年を迎えることがお祝いなのか」と、
1度、じっくり考えてみるといい。
昔は、正月3日くらいまでは、どこも休業だったので、
正月は、小さいながらに「特別の日」だった。
しかし現代は、元旦から営業しているお店も多い。
365分の1の意味しかもたない気がする。
もっともっと違う機会に、お祝いの手紙「賀状」を
出すことを考えてみよう。
いただいた方が、喜ぶタイミングで。
きっと、予想以上のコミュニケーションが図れるはずである。



2007年12月28日(金)
城下町のナポレオン

年内、メモ整理期間の掘り出し物、第2弾。
先月、東京・五反田で飲んだ時に出されたお酒。
「下町のナポレオン」の愛称で親しまれている
「焼酎・いいちこ」を真似したのだろうか、
「城下町のナポレオン」のネーミングに笑った。
久しぶりにメモした、飲食物のネーミングである。
ラベルもゴールドで、本当に豪華そうだったし、
味も、下町のナポレオンとは違った味で気に入った。
見る角度によって「下町のナポレオン」に見えるから、
また不思議である。
あれ、これに続く名称があったかもしれないと、
インターネットで調べてみたら、そのままの名称。
もしかしたら、私たちが知らないだけで、
「いいちこ」の愛称の方が後だったりしてね。
世の中には、まだまだ面白いネーミングがある。



2007年12月27日(木)
美味しそうな匂いのする映画館(笑)

地元の商業施設にグランドオープンした映画館。
みんなに一言で紹介しよう、とメモしまくっていたら、
自分で書いたこのフレーズが気になってしまった。
その原因は、焼きたてのクロワッサン・150円
あんクロワッサン・200円などの香ばしいさ。
また、私には嬉しい(はずの)
ビールセット(ポップコーンS・ビール)・700円
などのフードメニューにある。
上映開始前、それらの匂いが館内に充満するから
空腹の人には、耐えられない映画館かもしれない。(笑)
食べながら、飲みながらなんて、ちょっと・・と
眉間にしわを寄せる人がいるかもしれないが、
私は、賛成派である。
しかし、アルコールがビールだけだと、生理現象を
2時間、3時間が我慢出来なくなるかもしれない。(汗)
(だから・・・支配人、そこんとこ、お願いします)
それにしても、思いっきり食べながら「泣ける」女性の姿は
人間ウォッチャーの私にとって、上映作品以上に、
メモの対象となっていることを記しておこうっと。



2007年12月26日(水)
単位のつかないものに価値がある

1年間のメモを整理していたら、このフレーズが気になった。
(しばらく、今年のメモ整理ネタが続くかも・・(汗))
今年、59歳になった鈴木宗男代議士の、沼津での講演会。
彼は「私の履歴書」と題する講演の中で、こう振り返った。
高度成長時代、「モノ・カネ」が重要視され、
単位が付くものが世の中の最先端を行っていた。
その量により、優劣や順位がつき、評価されたのも事実。
同級生が多いから、必要以上に競争することが
当然のこととして、体に染み付いてしまったかのように。
今、団塊の世代の人たちは、自分たちの頑張りを誇りながらも、
何かを忘れてきてしまった・・と嘆いていた。
それが「優しさ、思いやり、いつくしみ、愛情」といった
単位のつかないものだと気づいたのは、退職してからだろう。
私は、それに気づいた世代が、どんな動きをするか、
楽しみにしながら眺めている。(笑)
もうひと踏ん張り、社会のために・・と動くか、
もう沢山、あとはゆっくりさせてくれ、と静観するか、
どちらもあり、と認めながらも、
「単位のつかないものに価値がある」ことを広めて欲しい。



2007年12月25日(火)
turn left? No, right. turn left? Right.

国際交流関連の部署は離れても、まだ諦めず見ている
NHK「英会話」の番組から、面白い会話を。
前の訳は「左へ曲がるの?」「違うよ、右だってば」
後ろの訳は「左へ曲がるんだよね」「正解(その通り)」
英語のフレーズより、気になってしまった英会話。
外人は、この意味をどう捉えているんだろう。
そんな興味であるのだが・・。
「right」に「右」と「正解」の意味があるからややこしい。
この会話、間違ってないよねぇ。(笑)
日本語の方がわかりやすいじゃん、と呟いてみたりして。
この「気になる一言」面白くない?
私は、笑いのツボにはまってしまったんだけど・・・
英語に詳しい方、是非、アドバイスとご感想を。



2007年12月24日(月)
「漢字一字」より「熟語」はいかが?

年末になると、必ず企画される「今年の漢字一字」。
私も何年も続けて挑戦し、無い知恵を絞ってきたが、
今年はやめようと思う。
その理由は「一字」では、その年の世相を反映できない、
いろいろな意味に解釈され、どうしても説明が必要となる。
それでは、何年後かに振り返った時に、思い出せないから。
今年の「偽」も、毎年のように「偽」装問題が発覚し、
2007年を代表する一字として、思い出せるか、甚だ疑問である。
宮崎県知事が変わったのも2007年、
阿倍総理の突然の辞任も2007年であるが「偽」には、
その想いが伝わらない。
「新旧」や「交代」とか「熟語」の方が、
あの年の出来事か、と振り返ることができると思うのは、
私だけだろうか。
個人的には、毎月「熟語」を選び、それを年末に並べてみて
一番インパクトのある言葉を、その年の代表熟語にする。
日本語の場合、漢字のみで構成された言葉で、
全て音読みするものは熟語である、とされている。
さて大晦日、「12月の熟語」を決めた後、
「2007年の熟語」決めようっと・・。ワクワクしてきたなぁ。



2007年12月23日(日)
月の光は、一度死んだ光。生物には冷たい。

映画「魍魎の匣」(もうりょうのはこ)(原田眞人監督)の上映が
全国の映画館で始まった。
(試写会を観たけど、もう一度、宣伝もかねてご紹介)
今回の私の「気になる一言」は、
「月の光は、一度死んだ光。生物には冷たい」。
ある場面で、使われたフレーズであるのだが、
なるほどなぁ、と思わずメモをした。
逆に言うと、太陽の光は、生きている光。
生き物、すべてに対して、暖かく降り注ぐ光。
だからこそ、この対比した表現が、妙に気になってしまった。
(太陽と月、Sun to Moon ・・・今年のキーワードだな)
作品中、気になった台詞は、なぜか「わるかったっけよ」。
ギャグとしては、本当に「踏み台役」をして呟く
「踏み台になったんだから、きっと力になってくれる」。
仕事でも使えるフレーズとして「会話と報告は違う」。
そして拙い文章ではあるが、書き続けている私が一番気になった
「関口先生の文章は、何を書いても同じだもん」。(汗)
実際に観て、これらのフレーズを、確かめて欲しい。
暗い中で、メモするテクニック、もっと磨かなくちゃ、
後で読み返すと、字が重なっていて読めない文字ばかり。
あっ、映画を観ながらメモする人はいないかっ。(笑)



2007年12月22日(土)
腹を立てるなら、もっと大きいことで

妻の愛読書である「ミセス」。(何月号か忘れたけど・・)
なにげなくページをめくっていたら、
アメリカの詩人、アーサー・ビナードの詩が掲載されていた。
タイトルは「声掛かり」。
星空を見上げていると、声が聞こえてくる・・みたいな内容で、
その一節が「腹を立てるなら、もっと大きいことで」。
うまく言えないけれど、胸に響いた。
そうだよなぁ、私が腹を立てることって、ちっちゃいよな、
もう少し、広い心でいられたらなぁ、と反省した。
このフレーズ、何気ない言葉のはずなのに、
なぜか、読み返すたびに、う〜んと納得してしまう。
これからの人生を支えてくれる言葉かもしれない。
何かに書いて、常に見えるところへ・・そんな言葉であった。
そういえば最近、小さいことに腹を立てることが減ったから、
体調が良くなった気がする。これって偶然だろうか。



2007年12月21日(金)
ねぇ、〜さんの車、何台乗れる?

職場の忘年会だった。
宴もお開きに近付き、2次会の場所などを決めはじめたら、
女性陣が笑い転げている。
理由を聞いたら、2次会へ行く人、帰る人を振り分け、
配車していた私の台詞に反応していることが判った。(汗)
本人、まったく覚えていないのだが・・
その原因となったフレーズが、今日の一言。
「ねぇ、〜さんの車、何台乗れる?」と繰り返していたようだ。
その度に「1台も乗れません」(正確には「1台も載れません」)と
小さい声で答えていたかもしれない。
もしかしたら「私たちの単位は『台』ではなく『人』!!」って
怒っていたとも限らない。
みんながあまり飲まないから、一人で冷酒、飲み過ぎたかなぁ。
ほろ酔い気分が手伝ってか、2次会のボーリングでは好スコア。
酔ってから投げるボールは、まっすぐしか行かない。
これからボーリングをする時は・・・(笑)
(ご想像にお任せします、はい)



2007年12月20日(木)
立派すぎることは、長続きしない

あれ、情報源が書いてない。(すみません)
でも、なるほどなぁ、と思ってメモしたのは確か。
続けることに関しては、立派すぎない方がいい。
日記でも、立派な日記帳を買う人に限って続かない。
この「気になる一言」も、
立派なことばかり書いていては続かなかっただろう。
(しもさんには「シモネタ」も恥ずかしいけれど・・)
「清廉潔癖」や「完璧」を求めるのもいいけれど、
やっぱり「立派」な人間を演じるのは続かないと思う。
逆に、皮肉を込めて「立派!、立派!」というケースが多いし、
「立派」と言われて喜んでいる人を、あまり知らない。
だから「立派」って、褒め言葉じゃない気がしている。
最初から「立派」と評価されることなんてないし、
続けてきた実績を見て、誰かが「立派」って言うんじゃないかな。
確かに、私の「気になる一言」も、内容とは関係なく、
長続きしているだけで「立派」って言われる。(笑)
まぁ「誰もができることを、誰もが出来ないくらい続ける」が、
この日記のコンセプトみたいなものだから、まあ、いいか。



2007年12月19日(水)
山本五十六・上杉鷹山・山本勘助・武田信玄

ある人に「してみせて」か「やってみせ」か、問われた。
人を動かすことの基本とされる
山本五十六語録のひとつである。
調べた結果「やってみせ 言って聞かせて させて見せ
ほめてやらねば人は動かじ」が正しいようだ。
しかし山本五十六は、米沢藩藩主、上杉鷹山の
「してみせて 言って聞かせて させてみる」から
影響を受けている。
さらにその「上杉鷹山」は、風林火山で有名な
武田信玄の「成せば成る、成さねば成らぬ。
成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ」から
影響を受けている。
山本五十六は「武田家軍師・山本勘助の子孫と伝えられる
山本家の養子」だから、山本五十六から武田信玄まで
ひとつの言葉でつながったことになる。
言葉の力を伝えてきた私にとって、とっても嬉しい発見。
「五十六」は、生まれたときの父の年齢、なんて雑学より、
自慢できそうな雑学である。



2007年12月18日(火)
無理をしてでも来いよ

いくつもある職場の忘年会のひとつに誘われたが、
現場責任者として頑張ってきた女性が、
持病の腰痛か、腰を押さえてあまりに痛そうだったので、
「無理しなくてもいいよ」と声をかけたら、ずっこけられた。
えっ?どうして・・と訳がわからずにいたら、
こういう時は「無理してでも来いよ」って言われた方が
当事者としては、嬉しいらしい。(汗)
まだまだ仕事はスタートしたばかりだし、先は長いのだから、
「健康第一」と思ったが、そうでもないようだ。
まったく、女心がわからないだから・・と冷やかされながらも、
確かに「押しの弱さ」を再認識した。
パワハラ・・なんて言葉も頭をよぎったので、
つい弱気になっちゃったんだな、と反省しながらも、
部下の気持ちを察して声をかけることの大切さを学んだ。
「悪いけど、今日だけは無理してくれ」か・・
う〜ん、でもやっぱり、まだ違和感がある。(笑)



2007年12月17日(月)
ママは「ごめんなさい」しない子は嫌いだからね

先日、わが町の子育て総合支援センター・交流広場で起きた
微笑ましい出来事をご紹介。
たぶん、自分の子どもがよその子に悪いことをしたのに、
謝らないので、ママが必死に教えようとしている。
本当に「必死」という言葉が相応しかった。
広い交流広場に響き渡るくらい大きな声で、
何度も何度も繰り返した。
「ママは『ごめんなさい』しない子は嫌いだからね」
当然、子どもは大泣き。それでも彼女はやめなかった。
周りの人も、誰ひとり、子どもを慰めようとしない。
周りの目も気にせず、一所懸命、躾けているママを
応援しているかのように、じっと見守っている。
以前なら「人前で、そんなに怒らなくても・・」となる場面、
私も心の中で「ママ、頑張れ」と思った。
「悪いことをしたら、ごめんなさいでしょ」を、
なりふり構わず教えている若いママに拍手を送った。
育児は、育自。育児には、意気地がいる。



2007年12月16日(日)
「ビューロー」とは「引き出し付きの大机」

観光立国を目指す日本にとって、
全国各地で「コンベンション・ビューロー」が設立される。
「Convention Bureau」とは、集会、大会の事務局、
政党や社会の集会の担当幹事局と訳される。
「コンベンション」が、集会・代表者会議。慣習・伝統。
「ビューロー」が、事務局、編集局、案内所、と訳されるから。
しかし、もっと調べてみると、
「ビューロー」に「引き出し付きの大机、鏡付きのタンス」
の意味を見つけた。
実際、待っていても大きな会議やイベントはやってこない。
どれだけのネットワークを使うかが、誘致のカギとなる。
そのためには「引き出し」をいっぱい持っている方がいい。
「選択肢が多い」ということは「豊か」ということだから。
乱立した時、その引き出しの多さ・質が格差となってくる。
どこが残るか、楽しみである。



2007年12月15日(土)
「寅さん1枚」「はい『男はつらいよ』ですね」

地元大型ショッピングセンター内に、もうすぐ、
シネコン(県下最大級12スクリーン)がグランドオープン。
その前に宣伝も兼ねて、15-18日にプレオープンした。
上映作品「タイタニック/マトリックス1/たそがれ清兵衛/
スパイダーマン1/男はつらいよ「奮闘編」/ピンポン/
私の頭の中の消しゴム」の7作品がワンコイン500円で観られる。
ミーハーの私は、プレオープンの初日、一番早く上映する作品で、
誰よりも一番早く入りたい、と思って調べたら、
なんと「男はつらいよ」だったから、チケット売り場で、
思わず「寅さん1枚」と500円玉を出したら、
売り場の女性に「はい『男はつらいよ』ですね」と聞き返された。
そうか、作品名は「男はつらいよ」だった、と苦笑。
実はこの作品、寅さんと今回のマドンナ「榊原ルミ」さんが
出逢う場所が、沼津駅前なのである。
懐かしい駅舎、西武デパート、駅前交番が当時の映像で残されている。
(ロケ風景が浮かんでくるから、これまた嬉しい)
全作品48話の「男はつらいよ」シリーズで、
この「第7話」をピックアップした、映画館の遊び心に感謝したい。
どこにも書いていないけれど、わかる人にはわかる。
これが、映画の面白さなんだろうなぁ、きっと。
「気になる一言」も映画ネタが増える気がする。
その分、帰宅が遅くなりそうな予感もするが・・(笑)。



2007年12月14日(金)
この役は、誰にも渡したくないね

ある劇団の人たちの台詞と思いきや、なんと私の呟きである。
今週は幼稚園などに頼まれて、何度かサンタさん役を経験。
今までにも、サンタのコスチュームは、
イルミネーション・イベントの時などでも着ていたし、
特に、感激はないと思っていた。
しかし、しかしである。
本当にサンタの存在を信じいている子どもたちの前では、
いい加減な気持ちではいけない、と肌で感じることができた。
疑いのない、つぶらな瞳で見つめられたら、
なんだか、こちらがドキドキしてしまったから不思議。
しもサンタと写真を撮ったり、握手するだけで大騒ぎ。
この役は、地域の人にやってもらったら?とも思うが、
一度、やったらやめたくない快感が伴なってしまった。
もっともっと練習して、本物のサンタさんを目指そうっと。
(って、本当にいると思っているの?(汗))
でももっと小さい子には、怖がられますので、ご注意を。
やっぱり、この役は誰にも渡したくないなぁ・・楽しいから。



2007年12月13日(木)
「偽」より「為人」(ひととなり)

今年の世相を表す漢字一字は、予想通り「偽」だった。
では「偽」には、本来、どんな意味があるのだろうか、と
好奇心旺盛の私は、電子手帳の「漢字源」で調べてみた。
「いつわり・うわべだけのみせかけ・うそ」など意味が並び、
やや残念であったが、金八先生だったら、
この「偽」をどう説明するだろうか?と考えてみた。
まさか「人の為」と書いて「偽り」とは教えないだろう。
そこでさらに「為」を調べてみると「為」の原字は「手+象の形」で、
象に手を加えて手なずけ、調教するさま。
人手を加えて、うまくしあげるの意、である。
だから本来は「悪い意味」ではなかったのではなかろうか。
それがいつしか「荀子」の性悪説などの「人之性悪、其善者偽也」
(人の性は悪なり、その善なる者偽也)という解釈等が広まり、
「偽」は、あまりよくない意味に使われたかもしれない。
蛇足であるが、難読語とされる「為人」(ひととなり)とは、
人であるそのあり方、つまり人柄のことを指す。
「人為」は「偽り」で、「為人」は「人柄」とは皮肉なものである。
今年の漢字一字は「偽」であったが、
いつの世でも、大切なことは「為人」(ひととなり)であると信じたい。



2007年12月12日(水)
フィリピンパブには、教え子はいないからね

情報源は、教えるわけにいきませんが・・
先日、友達同士で飲んでいた時の会話。
「どうして、先生はフィリピンパブが好きなんだろうね」
となって大笑いした。
そういえば、働いている市内・町内では飲まない、という
暗黙のルールが、先生方にはあるようだ。
もちろん、どこかに保護者がいるかもしれないから、
飲みながら、やたらなことは話せない・・が理由だろうが。
それと同様に「フィリピンパブ」にも理由があった。
長年、教師をやっていると、
当然のように、教え子がいろいろな職業に就くことになる。
キャバクラや風俗関係にも、教え子がいる可能性もあるから、
なかなか、おんなのこのいる店に行けない、というわけだ。
間違って横に座った女性が教え子だったら、
「あっ、先生。こんなところにも来るんだぁ」となって大変。
そこで、この発想が浮かぶことになったのだろう。
「どうして、先生はフィリピンパブが好きなんですか」
「フィリピンパブには、教え子はいないからね」
なるほど・・(汗)



2007年12月11日(火)
快感が伴うものは、必ず中毒になる

オタク・フェチと呼ばれる人たちは、
私たちがわからない部分で「快感」があるに違いない。
競輪・競馬・競艇・パチンコ・マージャン等のギャンブルも、
勝った時の「快感」があるから、やめられない。
アルコールや煙草も「中毒」になる要素がある。
でも、そんな人たちではなくても、
テレビや携帯メール、テレビゲームなども、
「快感」が伴うから、子どもも大人も「中毒」になっている。
そんな気がしてならない。
特に「テレビ」は(意識している人が少ないが)
朝から晩まで、テレビばかり見ている人も少なくない。
気が付いたら、今日は誰とも話していない・・なんて
こともあるらしい。これはまさしく「テレビ中毒」。
マイナス情報ばかり眺めていると、心が病気になると思う。
テレビをあまり見なくなってから、私は体調がすこぶる良い。



2007年12月10日(月)
沖縄「かちゃあしー」とは「かき混ぜる」という意味

働く女性の会の定例会は「沖縄文化を体験してみる」だった。
(毎度のことながら、賛助会員で参加しているのですが・・)
実は、大学のサークルが「ユースホステルクラブ」だったので、
全国の都道府県をほとんど旅行して歩いた。
もちろん、電車で通過しただけとか、
街を歩いた程度の地域もあれば、泊まったり生活した地域もある。
しかし沖縄だけは、一度も足を踏み入れたことにない県だったので、
逆に「沖縄」のもつ独特の文化に興味を持つことになってしまった。
実は、体験として「三線」(さんしん)と呼ばれる三味線を弾いてみたら、
楽器音痴の私が、習ってみたい、と思ったくらいハマってしまった。
最後にメンバー全員で「かちゃあしー」という踊りを教わり、
それが「喜びも悲しみ」も「かき混ぜる」という意味があると知って、
またまた、沖縄文化の奥深さを肌で知った気がする。
沖縄出身は、このリズムを聞くと、黙って座っていられなくなるらしい。
以前、台風には「かき混ぜる」役割がある、と書いたことを思い出したが、
台風が通過することの多い沖縄、なにか共通するものがありそうだ。
生活の中でも仕事場でも、マンネリした生活・感情を「かき混ぜる」こと、
これも、時には必要なんだと、改めて教えていただいた気がする。
「かちゃあしー」・・ぜひ、覚えておきたい言葉である。



2007年12月09日(日)
違う、違う、そうじゃない

前日、地元での結婚披露宴を終え、夕方から東京・五反田へ。
都市圏に住む中学の同級生たちが、
東京で「中学の同窓会」を開くからこいよ・・と、声がかかった。
日頃、地元での集まりにわざわざ顔を出してくれるので、
今回はこちらから・・というのが真相である。
さて宴も盛り上がり、2次会、3次会へと進む時には、
最終電車はなくなり、予想はしていたものの「朝までカラオケ」と
あいなった。(49歳にして、この経験は貴重であるが・・(汗))
もう飲み過ぎ、歌い過ぎで、声はガラガラ、意識はもうろう。
誰かが、鈴木雅之さんの歌「違う、そうじゃない」を歌ったが、
音が外れているのか、ハモっているのか、もう歌になっていない。
そこで他の仲間が叫んだ。「違う、違う、そうじゃない」
タイミングがよく、大爆笑となったので、メモをした。
今回の「東京地区の中学同窓会」、思い出すにはこのフレーズ。
朝5時にカラオケボックスを追い出されて、
仕方なく「築地」で鮨でも食って帰るか、と真っ暗の中を歩き出し、
寒さを我慢して、地下鉄を乗り継ぎ「築地市場」へ着いた途端、
残酷にも目に飛び込んできたのは「本日、築地市場は休市です」の看板。
ここでも「違う、違う、そうじゃない」が大活躍をした。



2007年12月08日(土)
実は、下山さんだけは一緒に仕事してないんですよね

職場の同僚の結婚式だった。
25年前、私たちが結婚式・披露宴を挙げた式場でもあり、
懐かしみながら、そして楽しみながらの時間が流れていた。
宴の途中、新郎・新婦のいるひな壇へ、お祝いの言葉を掛けながら、
ビールを傾けにいったら、新郎から意外な台詞が飛び出した。
それが「実は、下山さんだけは一緒に仕事してないんですよね」だった。
本人は、サラッと言ったが、私は大感激だった。
職場の結婚式というと、新郎と同じ課に配属され、
机を並べて仕事をした人たちが招待されるのが慣例であり、
たしかに今、考えてみると、新郎と一緒の課に配属された記憶がない。
それでも、なぜか招待したかったんですよ・・
という彼の気持ちが伝わってきて、じわ〜っときてしまったからだ。
突然の指名でお祝いのメッセージを・・と司会者に振られて困惑したが、
夫婦を数式にすると、お互いの足りないところを補いあい一人前、という
「0.5+0.5=1」ではなく、2人の力によって「1+1=3」になるよう
がんばって下さい、と酔っぱらいながら話してみたが、
うまく言えたか自分でも記憶がない。(ごめん・・)
それにしても、久しぶりのお祝いごとでの礼服。いいもんだなぁ。

PS.
今から、東京・五反田まで、飲みに出かけます。(汗)



2007年12月07日(金)
サンタさんは、本当にいるかもしれない

何をバカなことを言い出すんだ・・と思う読者がいるだろう。
またまた、はじまった、しもさんの妄想癖・・と
お嘆きの読者もいるかもしれない。
でも「見た人がいない」ってだけで「サンタさんがいない」とは
断定できないんじゃないかな。
実は来週、3回もサンタさんに変身する機会があるので、
子供たちの突拍子もない質問に対して、夢を壊さないように答えたい、と
インターネットや絵本を読んで、ちょっと勉強してみた。
すると、不思議なことに、本当にいるような気になってしまった。
(確かに、私は洗脳されやすいタイプですが・・)
今回の気になる一言は、私の呟きだけど、
仕事帰りに本屋で帰ってきた絵本2冊を、何度も何度も読み直すと、
やっぱり、サンタさんっているかも・・と思ってしまう。
「いない」って言い切れる方、是非、証拠を。(笑)
サンタさん養成学校まであるんだよ、フィンランドには。
本気で「サンタさんになりたい」って言い出しそうだな、今の私は。



2007年12月06日(木)
青年には「指導」より「刺激」

たしか、ゲーテの言葉である。
本来は、もう少し長いフレーズ、
「青年は、指導されるよりも刺激されることを望む」。
いろいろな名台詞を残しているゲーテであるが、
私は、なぜかこのフレーズが気に入っている。
時代を越えても、色褪せないフレーズって凄い、と思うから。
この現実を知らず、指導ばかりしようとするから、
青年の気持ちが理解できないのではないだろうか。
同じことを、視点を変えて、
彼らの若い感性を刺激するよう努めてみたらどうだろう。
きっと、喜んで自ら実践し、
私たちの予想以上の結果を残してくれるはずである。
「青年には、指導より刺激」
教育では忘れてはてけない考え方だと私は思う。
ゲーテさん、今度、使わせていただきます。(笑)
・・ってもう使ってるじゃん。



2007年12月05日(水)
「十四代」が飲みたくなって「中むら」へ寄り道

町議会も「一般質問」が終わり、ちょっと一息。
もちろん、まだ常任委員会もあるし、
全て終わったわけではないけれど・・ここ2か月、
ほとんど休みなしで働いた自分へのご褒美が欲しくなった。
オシャレなワイシャツやネクタイ新調も考えたけれど、
ここはやっぱり、私らしく、一人手酌の「十四代」(山形)に決め、
「中むら」のカウンターへ座った。
10月異動してからのあっという間の2か月、
手帳で過ぎてきたスケジュールを確認しながら、一息をついた。
誰と話をするでもなく、ひとりで「十四代」を飲みながら、
「刺身の皿盛り」をつまみに、贅沢な時間を過ごした気がする。
最近、こうした時間の使い方が出来るようになり、妙に嬉しい。
自由になる時間が限られているから、余計に感じるのだろうか。
それでも、午後8時には帰宅。
これから、ゆっくりお風呂に入り、午後10時には愛犬と寝るぞぉ。

PS.
(今日の一言は、本当にローカルネタでごめんなさい)
久しぶりに食べた「厚岸産カキにんにくバター焼き」、
これ、本当にお勧めです。ご賞味ください。



2007年12月04日(火)
日本の組み手百選

2007年ユニバーサル技能五輪国際大会が
(第39回技能五輪国際大会)
隣の沼津市門池地域で開催されてから、もう半月が過ぎた。
少し時間が経ってから思い出してみると、
なぜか「日本の技」を紹介するhallが印象に残っている。
特に「日本の組み手百選」のコーナーは、面白かった。
釘を使わず、組み合わせだけで、がっちり固定する「組み手」。
釘は、いつかは酸化して建物本体を傷つける。
その点、日本の建物は、釘を使わず建築されてきたから、
築百年、千年という木造建築が残ることになったのだろう。
洋の道具を使うのも良いが、日本人の知恵を継承して欲しい。
「知恵の輪」より、面白い仕組みがたくさんある「組み手」。
中学生・高校生より、幼稚園・小学生の方が、興味を持ちそうだ。
あれだけは、どこかに残しておいて欲しいと願うひとりである。
作ったところに電話してみようかなぁ。



2007年12月03日(月)
アメリカ「セサミストリート」の国語力

面白い話を読んだ。
情報源は、静岡県の「人づくり百年の計委員会」提言書。
アメリカでは、子どもたちに国語の力をつけようと、
莫大な費用をかけて「セサミストリート」という
テレビ番組を作っているが、その結果が興味深い。
子どものそばに、質問に答える親がいると国語力はつき、
ひとりで見ている子は番組の展開が早すぎて
内容が理解できないので、国語力がつかない、という。
私たちの身近な話としては、「絵本の読み聞かせ」がある。
文字が読めるからといって、絵本を与えるだけではダメ。
常に傍にいて、絵本を読ませながら、(聞かせてあげながら)
そのつど、子供たちの質問に答えてあげる。
これこそ、国語力がつく基礎になると言えそうだ。
日本の国語力のつけ方、間違っていないだろうか?



2007年12月02日(日)
値切らず騙されてやりましょう

最近、ハマっている日曜朝のテレビ番組「ボクらの時代」。
いつの回か忘れだが「旅することは生きること」と題した3人は、
作家・三浦朱門さんと曾野綾子さん夫婦・考古学者の吉村作治さん。
いつもメモは溢れるのであるが、
根っからの旅好きらしいコメントが私の心に残った。
旅行通を気取った人たちは、
「海外では定価で買わず、必ず値切りましょう」
値切るのは、旅行の楽しみであるかのようにコメントするが、
彼らは、もっと広い心で、世界の各地で旅行を楽しんでいる。
それが「値切らず騙されてやりましょう」だった。
「エジプトでは、格差によって恵みを変えるんですよ」とも
考古学者の吉村作治さんは語った。
本当の旅の楽しみは、騙されていることを知っていながら、
騙されてやることかもしれないなぁ。



2007年12月01日(土)
誰が誰を逮捕したんだよ(笑)

メル友の日記に書かれていたフレーズである。
ことの発端は、某全国紙のWEBページの見出し。
「守屋前防衛次官、妻を収賄容疑で逮捕」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071128it11.htm
(紙媒体は「守屋前次官と妻逮捕」になっていた)
同じ話題で私の視点は、誰も校正しないのかな?だった。
最後に、この記事で「GO」を出した人の責任・・と思った。
発行部数では、世界でも有数の全国紙が、
こんな単純なミスをするか?という疑問はまだ残っているが・・。
どう読んだって「守屋前防衛次官が、妻を逮捕した」だよな。
以前、某スポーツ新聞の「ヤクルト若手2人が結婚!」を
男同士で結婚かよ・・と指摘したばかりなのに。(笑)
見出しとして、インパクトをつけるために、
できるだけ短くしたい気持は、理解できるけれど、
意味が違くなっては、本末転倒であろう。
メル友は、最後に、こう結んでいた。
「日本の新聞記者の皆サン。日本語力は大丈夫ですかー?」
同じこと、感じていたんだなぁ。ほっ。