初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2003年07月31日(木)
「NOVA」の縦書きは、横で読むと「ZOX」

このタイトルだけで、ピンときた人は、相当頭がやわらかい。
朝晩、娘を三島駅まで送り迎えしていて、気が付いた看板だから。
南口のビルに、縦書きで「駅前留学NOVA」と書かれていた。
(イメージできない人は、実際、縦書きで書いてみて欲しい)
全国各地の駅前に、この看板はあるのだろうか?
英字の縦書き看板が・・。
私は、それが悪いと言っているわけじゃない。
英単語ではないし、商品名、会社名ならそれも仕方ないと思う。
伝えたかったことは、首を傾けて読み直すと「ZOX」と読めるよ、
そんな発見をみんなに教えたかっただけである。
不思議なもので、このメッセージを読んだ人は、
駅前に掲げられている縦看板を見て、思い出すに違いない。
大切なことは、話のインパクト。
どんなに素晴らしい話でも、誰かに伝えたくならなかったらダメ。
逆に、つまらないダジャレネタでも、多くの方の話題になれば、
それはそれで、ひとつの情報として生きていることになるから。
私は、東京神田へ行くと必ず「K&A」と読んだ外人を思い出す。
「KandA」(KANDA)。
くだらないけれど忘れられないネタ、本ではなかなか見つけられない。
やっぱり、アンテナを高くして外に出なくちゃダメだな。



2003年07月30日(水)
「拝」と「ハイ」

「拝」って、どういうことだろう。
ある方のお通夜、手をあわせ、お経を聴きながらそんなことを思った。
おじぎする、慎み受ける、そんな意味だと思っていたら
「拝」とは、二つのものが一つになる、の意味があることを、
私のシステム手帳の小さなメモが教えてくれた。
きっと、何かの本に載っていたのだろう。
「相手の心と自分の心が一つにつながりますように、
との願いを込めた現れなのです」と、メモは続いていてたから。
ところで、返事の「ハイ」との関係はないだろうか?
yes,noを、はい、いいえ、と訳しただけだから無関係かもしれない。
しかし「呼ばれたら、まず返事をしなさい」と躾けられてきた私は、
同じような意味がある気がしてならない。
「呼ぶ、頼む、叱る・・」という行為は、相手があってすること。
言い換えれば、相手は自分との関係を繋げようとしている。
こちらが相手の呼びかけに「ハイ」と答えることによって、
まずは、二人の間にこれから意見交換するよ、という体制が出来る。
そんな気がしてきた。
だから呼びかけられたら、まずは「ハイ」と返事をしよう。
「なんですか?」ではなく「ハイ」。
これが人間関係をうまくするコツであるに違いない。私はそう思う。



2003年07月29日(火)
こっちの新聞は、決勝戦の結果しか載らないから

わが母校が、高校野球(県予選)で、久しぶりに4強に入った。
野球大好きの私は、高校時代からの親友達に携帯メール。
「準決勝に勝ったら、決勝戦応援に行こうよ」と。
いろいろ返事が返ってきたけれど、面白かったのでメモをした。
そう、メールの相手は、はるか北海道に住んでいる。
もちろん、勝っても応援に行けるわけないけれど、
なぜか嬉しそうなメールだった。
「結果わかったらメール送ってくれ。甲子園行けるといいね」と
コメントを付け加えて・・。
こんな情報でも、喜んでくれるんだな・・と思ったら、
なんだか、送った私も嬉しくなってきた。
そして今日の夕方。「夢、破れました」のメールを送信した。
電報みたいだったけれど、
試合結果を楽しみにしている彼の顔が浮かび、懐かしかった。
昔は、余程のことがなければ送らなかった電報が
今は簡単・手軽に送れると思えばいい。
そういえば、東京ドームから試合前、球場でしかわからない情報。
先発投手とか、スターティングメンバーを携帯にメールしてくれる
親友の楽しみがわかった気がする。
情報を確認して喜んでいる、相手の顔が浮かぶから・・
送りたくなるんだと思う。
情報提供って面白い。違うかな?



2003年07月28日(月)
随分と薄っぺらくちっぽけになってしまった

義父か生前読みかけていたという本を読み終えた。
「たった一人の生還(『たか号』漂流27日間の闘い)」
(佐野三治・新潮文庫)。
どんな想いで、この本を読み始めたのか、なんだか辛かった。
著者は、壮絶な闘いを記憶が鮮明なうちに残さなければ・・と考え、
途中で死んでいった6人の遺族のためにも・・と書き綴った。
しかし、その想いとは裏腹に文字にすればするほど、
その体験が薄っぺらに感じてしまったのだろう。
漂流した7人のメンバーで励ましあった、辛く重くるしい1ヶ月、
そして自分だけが救出されて入院、多くの人の愛に触れた1ヶ月。
どちらをとっても、その感情は、うまく伝わらない。
そんな感情が「文庫本のあとがき」となって、彼にこう書かせていた。
メモを取りながら読み終えて、そんな気がした。
これは読者を意識した文章の難しさでもあると思う。
人間一人を表現するのは、なにも文章だけとは限らない。
音楽であったり、匂いであったり、触った感覚であったりする。
そのニュアンスを大切にしていきたい、心からそう思った。
記録としては文字は大切な媒体だけれど、
記憶としての文字は、なかなかインパクトが与えられない。
俳句、短歌、川柳などのように、短ければ短いほど、
文字のインパクトは増すような気がしている。



2003年07月27日(日)
リスナーに問題提起したいねぇ

なんだか恒例になってきた、地元コミュニティFMのラジオ出演。
私という人間の紹介ではないので、とても楽である。
パーソナリティが話題として取り上げてくれた新聞記事に
自分なりのコメントをする、ただそれだけだから・・。
それも、あんまり事前に打ち合わせすると、
面白い話が出てこないから・・と生放送直前に、スタジオ入り。
(変な番組でしょ? 私なんかが何回も出る事すらおかしいのに)
いつものように30分、おしゃべりして番組終了。
今日はその続きで、スタジオの外で雑談をした。
もちろん、一つ先輩のパーソナリティーと反省やら企画会議となる。
お互い、相手の意見に、うんうん・・と頷くのもいいけれど、
時には、番組の中で喧嘩したいよねぇ・・という話になった。
やらせではなく、本当に感じ方や意見が違ったら・・。
そして、リスナーの皆さん、どう思います?って問いかけたいな、
そんな話になった。
だから、ラジオ番組に対する二人の想いが、今日の一言。
ラジオって聴いているのか、いないのか、ハッキリしない放送媒体。
だから、いいも悪いもリスナーから反応がないとつまらない。
なんとか、番組参加させたいな・・そんな想いである。
ただ、先輩と考えていることが似ていて、
一週間の社会の動きに対して、食い違うことがあるだろうか?
それだけが心配。



2003年07月26日(土)
体感温度が違うんです

ちょっとミーハーかもしれないけれど、杉本彩さんが離婚原因を
テレビ番組で語っていたのを、横になりながら見ていた。
もちろん、他にもいろいろな理由があるんだろうけれど、
その中で、気になった台詞が、今日の一言。
昔から離婚原因は「性格の不一致」と相場が決まっていたので
新しい表現なのかもしれないと思ってメモをした。
暑がりの夫、寒がりの妻。
これは生活する上で、大きな障害になるというのだ。
夜寝る時、クーラーを付けて寝る、消して寝る。
なんだそんなことか、と思うかもしれないけれど、
これってけっこう大切な要素かもしれないな、と思う。
好きな食べ物、嫌いな食べ物より、
同じ部屋で寝る夫婦にとっては
温度や湿度などの体感が違うということは耐えられないことなんだと。
そのほかにも面白い台詞を残してくれた。
「男女の愛って、7〜8年しか続かない、あとは二人の努力」
「刺激的な人生に『結婚』は必要ない」
「主婦と人妻、って同じようで違う」・・・
やはり「そう、そう、わかるわ」と頷く女性達が多いのだろうか?



2003年07月25日(金)
子どもを育てるなら、群馬県

知らないうちに、私の携帯メモに書き込まれていた。
本人もあまり記憶ないので、たぶんテレビで見た群馬県の
CMに使われていたキャッチコピーだろう。
今、あらためて読み直してみると、インパクトは強い。
先日の「あの島より、福島」とか「宇宙戦艦トヤマ」に負けない
センスだと思う。
なんとなく、群馬県なら子どもを育てる環境が整っている、
そんなイメージが伝わってくる。
何年か前に「〜なら○○だよね」と言われるような人間になりたい、
そんなことを書いた記憶がある。
さて、それから数年後、どうなんだろう?と振り返ってみたが、
なかなか自分では思いつかない。
どんな分野でもいいから「〜ならしもさんだよ」と言われるものを・・。
40代後半に突入し、あんまり物欲がなくなってきた現在、
ここはじっくり腰を据えて考えてみようかな、と思う。
ひとりで旅をしながら・・なんてのもいいかも知れない。
最近、一人旅なんてしていないから・・。
自分探しの一人旅、憧れるね。携帯も全て電源オフにして・・。
行き先?、もちろん「奈良」ですよ。



2003年07月24日(木)
夢の爆弾を不発弾にしないために・・

脚本家・内館牧子さんは東北大学大学院文研究科を受験し
合格、現在、仙台に住んでいる。
「ひらり」「毛利元就」などを書いた脚本家、
また横綱審議委員も務めている彼女が、
どうして一番輝いている今、大学院なのか・・私は知りたかった。
人間科学専攻、宗教学専攻分野に所属。
宗教学を専攻する理由については、神事の一環として相撲をとらえ、
相撲に見られるものを通 して日本の文化を見るため、としているが・・
どうもピンとこなかった。
そんな時、この台詞と出逢った。
「自分の抱えている夢の爆弾を
確実に爆発させたい、不発弾にしたくない」
彼女がある方に呟いた台詞だと聴いたが・・わかる気がする。
一つ一つを確実に爆発させていくことは、とても大切だから。
不発弾として残すと、誰かがそれを拾って悪用するかもしれない。
社会に迷惑をかけることになるかもしれない。
だから、自分の目で爆発することを確認する作業は、
とても大切な生き方の一つであると思う。
爆発を確認した時点で、次の夢の爆弾を、自分の心の中に装填する。
だから彼女は、新しい夢の爆弾を見つけに大学院に通っているのだろう。
いろいろなドラマを確実に、爆発させていったから。



2003年07月23日(水)
ふみ月ふみの日

今日は、なんの記念日かなぁ・・なんてぶらっと開いた暦。
思わず、笑ってしまったので、今日の一言。
活字、手紙大好きの私が、久しぶりに、本当に久しぶりに
アクセスしたサイトで、一番最初に目に入った台詞がこれ。
なんとなく、誰かに手紙を書きたくなる日となった。
「文雄、文子」なんて名前を見ると、
あっ!この人7月生まれだな、なんて考えた頃が懐かしい。
「ふむふむ」と「ふみふみ」は関係があるのかな?等
「ふみ」に関していろいろな事が、頭に浮かんできた。
そういえば、以前は、バースディカードもメールなんて味気ない、
なんて思っていたけれど、今年の誕生日に届いた多くのメールが
とても嬉しかったことを思い出した。
「ふみ」イコール「手書き文字」ではない。
「ふみ」イコール「相手への想い」と理解できれば、
電子メールでも充分相手に想いが伝わってくる。
多くのカードから選ぶ作業。
そして、相手を想いながら打つメッセージ。
これは、手書きで書く作業と変わらないし、もしかしたら
手書き以上に手間暇を掛けて送っているかもしれない。
さて、今日は誰にメッセージカードを送ろうかな?と悩む、
そんな一日になりそうである。



2003年07月22日(火)
「嗚呼」は「鳥」(トリ)ではなく「烏」(カラス)

今回は、ラジオから流れてきた雑学。
「嗚呼」は「鳴く」という字に「呼ぶ」だと思っていた。
漢字でも「ああ」と打って「変換キー」だから、気にしたことがない。
しかし、ラジオから流れてきたおしゃべりは、こう説明してくれた。
烏(カラス)が呼ぶから「ああ」なのだと。(かぁ〜って事かな?)
イメージとして「鳥」では「ああ」という音と合わないのかもしれない。
私は今まで「口に烏」と書く字があるのさえ知らなかったのだから。
思い込みって凄いな、と思う。45年間、間違って覚えていたもの。
ところが、この「嗚呼」という単語。
意外と生活の中で、多く使われているからもっと驚きであった。
今回、この雑学を知ったあなたは、きっと「嗚呼」の単語を見つけた時、
近寄って「鳥」か「烏」かを確かめるはず。
そして「あっ、ほんとだ・・」と呟くことが想像できるから、面白い。
私が、ここ数日繰り返してきたことと同じように。
そして、また誰かに伝えたくなるはずである。
「ねぇ、知ってる?」という短い疑問文の後に・・



2003年07月21日(月)
人間は「跳躍」する前に、必ずしゃがむだろう?

就職したくないフリーターが増えて、社会問題になっているのかと思えば、
働きたいけれど、自分が何に向いているのかさえわからず、悩んでいる若者がいた。
そんなフリーターの現状と、彼等の就職をサΓテートするNPO活動をテレビで見た。
今回の一言は「横浜ヤング・ジョブ・スΓテット」という団体が、
必死に就職を探しているフリーター相手に企画した、企業戦士からのメッセージ。
今、就職に対して、必死にもがいている時期。そんな経験も、大切なことだ、
と言いたかったのかな・・とメモをした。
大きくジャンプしようとしたら、現状の体制・姿勢からでは期待できない。
一度、身体を沈める、そう、しゃがんで力を貯めて、ジャンプする。
だから、焦ることはない、しゃがむことは悪いことではないのだから・・、
そんなメッセージが隠されているのかな?と拡大解釈をしてみた。
誰に教わった訳でもないのに、私たちは「跳躍」する前に、必ずしゃがむ。
大きく羽ばたきたかったら、いつもより深くしゃがむ。
生き方も同じ。あまりしゃがむことのない平和な暮らしがいいとも限らない。
深く沈んで、高くジャンプする。波瀾万丈の人生とは、そういうこと。
どちらの生き方が、正解と言うことはない。自分の考え方次第である。



2003年07月20日(日)
昭和初期の学校教育「歩行訓練」

一晩中歩く訓練・・そんなことがあったよ、と
昔を思い出しながら、私に話しかけてくれた人がいた。
「へぇ、何のためにするんですか?」という私の問いに
「健康な身体を鍛えるだけでなく、精神面の粘り強さを養成するためだよ」と
答えが返ってきた。
そんな教育を受けた人たちが、今日本の平均寿命を延ばしている、とふっと思った。
痛くても他人の前では、痛い顔は見せない、
そんな我慢強さを持ち合わせている世代なのだと思う。
しかし、もう暫くすると、そんな教育を受けたことがない人たちが高齢者になる。
そう、精神面で弱い世代の人たちが高齢者になった時、
私は世界一の平均寿命が短くなってくる気がしている。
医療技術が進み、なんとか生かされている人が増えて、
その結果、寿命が延びただけであって、
人間として心から「生きたい」という欲望にかけるからである。



2003年07月19日(土)
一回完結講座

社会教育に長年携わってきたから、気になる「講座」であった。
何回コースではないので、時間が合わない、という悩みを持つ
主婦やOLに受けている、と新聞で紹介されていた。
なんでも、限られた時間で達成感を得られる、と評判のようだ。
でも、ちょっと待って欲しい。
いろいろなことを我慢して、自分のために時間をつくり学ぶから
その成果が輝いてくるのに、たった一回受講して得られる成果に
達成感なんて得られるのだろうか?不思議である。
初回には出来なかったことが、最終回には出来るようになっている。
知らない間に、同好の友達も出来た。だから、達成感を感じる。
「継続は力なり」という言葉は、決して死語にはならないと、私は思う。
もし、どうしても・・というのであれば「一回体験講座」。
学ぼうと思う講座のエキスを体験し、興味が湧いたら
何回かのコースを真剣に、そして自分のために時間とお金を投資する。
そんな前提があれば、いいと思うのだが・・。
(それとも、ネーミングをいただいて「一回簡潔講座」でもいい)
実は、最近巷で騒いでいる事件の大半が、我慢が出来ず
犯行におよんだものが多い気がしていたので、
これは社会教育の出番だ、と張りきっていたのだが・・。
こんなところまで、我慢が出来ない人種向けのプログラムが
進んでいることに驚いた。
我慢をして、我慢をして・・我慢だらけだったから、
その後に楽しみがあったのに、と思う。
我慢しないで得られた達成感なんて、何の意味も持たない。
私はそう思うのだが・・



2003年07月18日(金)
鴻池発言への支持、約85%

例えが悪かったけれど「加害者の親の責任」、私も支持である。
大臣のホームページへ、賛否両論のメールが届いているという。
今回は、その発言に対するメールの割合を、気になる一言とした。
一部の人が大騒ぎし、いかにも問題発言のように取り上げられたが、
国民の多くは「よく言った」が本音なのかもしれない。
私も、誰か責任能力のある人が、被害者に対して、そして社会に対して、
「申し訳ありませんでした」と陳謝すべきだと思う。
小さい頃から「悪いことをしたら、まず、あやまりなさい」と
教育を受けてきた。それは、今も変わっていないはず。
だから誰も謝ることなく、少年法等に話題が移る事は、理解できない。
例えば、浜岡原発は東海地震でも耐えられる、と言い切る人がいる。
地震学者でも想定できない地震の大きさを、誰が被害想定を考え、
もしもの時、誰が責任を取るのか、ハッキリしていない。
すみません・・ではすまされない大規模の事故が起きた時、
言い切った人間は、どう責任をとるのだろうか?
その責任の重さに比例して、給料が支払われているはずだから。
家族でも同じことが言えるかもしれない。
親は家庭内での発言力が強い分、責任も重くなる。
だから、親子関係が成り立つといってもいい。
時々、今の若い親ときたら・・という高齢者もいるが、
その若い親を育てた親は、自分たちであることを忘れては困る。
責任の取り方、今は学校でも社会でも教えてくれないけれど、
もっと身近な事で、責任の取り方を教えたらどうだろうか。
交通事故を起こしたら、その運転手が習った教習所を公表する。
そうすれば、もっと真剣に交通ルール、運転マナーを教えるかもしれない。
家庭も含めた教育現場から変えていく、そして社会が変わっていく。
そんな気がする。
(鴻池大臣、また問題発言をしたらしい・・ふぅ、目が離せない)



2003年07月17日(木)
シンクロの顔の表情って採点になるの?

水泳の世界選手権、シンクロソロをテレビで観ていた私の疑問。
だって、解説者はワンパターンのように「顔の表情がいいですよ」
「高いですね」「きれいなスピンです」くらいしか言わないから・・。
以前にも、このシンクロやスケート等の芸術点に疑問を投げかけたが
今回は、特に強く思ったから、再度のぼやき。
優勝したフランスのデデューは、鼻栓(ノーズクリップ)なしで演技。
その他の選手は、鼻栓をしたまま演技。
これって、どう考えてもおかしい、と私は思う。フェアではない。
誰が見たって、鼻栓をしている顔としていない顔では雲泥の差がある。
あまり関係ない、とコメントするのであれば、自分の顔に鼻栓をして
鏡を覗いてみればいい。思わず笑ってしまうから・・。
もし演技の規定がないのであれば、日本の選手も
脚技などのテクニックにこだわる前に、ノーズクリップなしで演技、
これに対抗する策を考慮しなければ、勝ち目はない。
顔の表情が、表現力として採点対象になるのであれば、
今後、プチ整形をしたりする選手が現れるかもしれない。
どんどん、スポーツとはかけ離れた部分で、
熾烈な戦いが繰り広げられる気がしてならない。
シンクロの顔も採点対象なんだろうな、
それでなければ、わざわざメイクして水の中で演技する必要ないもの。
やっぱり良く解らない、水泳種目である。



2003年07月16日(水)
どんなに負けまくっても、ご飯を食べて、眠る。

娘が、亡き義父(彼女にとっては祖父)に宛てた手紙の一節である。
「そして、何回もそれを繰り返して、生きていくよ」と続けてあった。
(こればかりは、紹介しようかどうか随分迷ったけれど、
私の今日の記憶にとどめたかったから取り上げることにした。
娘には、後で怒られることを覚悟の上で・・)
彼女にしか書けない弔辞である。しかも、誰にも聴かれることのない
この文面は、封筒に入れられ、棺の中に納められた。
前後の文が紹介出来ず残念であるが、御勘弁願いたい。
「どんなに負けまくっても・・」
この言い回しは、彼女の今の心境を語っていた。
「昨年、美大の受験に失敗し、今年こそというプレッシャーと
もしかしたら、今年もという不安があるけれど、
じいじ、私は負けないよ、私は私なりに生きていく」
そんな想いが込められているのではないだろうか?
両親にも話さない心の内を、
彼女は可愛がっていただいた亡き祖父に向けて発していた。
心の底から湧いてきた感情を文字にした弔辞。全文を読み終えて、
娘が優しい気持ちを持った人間に育ってくれたことを喜び、
そしてなぜか涙があふれて止まらなかった。
まだまだ子供だとばかり思っていた娘の成長を気付かせてくれた
亡き義父に対して、感謝の意も含めて、冥福を祈りたい。



2003年07月15日(火)
小さい子供と遊ぶと、こんなに楽しいのか・・

(まず、昨今の犯罪に似た傾向でないことを前置きしておくが・・)
あることで、姪にあたる小学校一年生の女の子と、
折り紙やなぞなぞ遊びをする時間が出来た。
「ねぇ、おじさん、これできる?」「クイズだよ、いい?」
驚きながら遊んでくれる私に、彼女は友達かのように近寄ってきた。
そんな光景を、高校を卒業した私の娘が、
「私は、そんな楽しそうに遊んでもらった記憶がな〜い」と
ニコニコしながら眺めて呟いた。
「そうだろうな、パパも記憶がないもの」と言い返した。
娘が小さい頃は、仕事や団体活動が楽しくて、平日はもちろん、
土日も、朝から晩まで、飛び回っていた記憶しか残っていない。
だから、折り紙したり、塗り絵したり・・
一日中、娘と遊びまくったという時間、そんな思い出が少ない。
近頃、一緒に買い物に出かけたり、映画にも行くようになったけれど、
それは、本当につい最近のこと。
一番、遊んであげなければならなかった時期を、私は自分のために
使っていたようだ。
私の下手くそな折り紙でも喜んでくれたり、
簡単なナゾナゾを真剣に考えてくれる、
さらに「り」ばかりで終わるシリトリにも悩んでくれる。
「へぇ〜」の驚きの次に発した私の呟きが、今日の一言。
若い頃に感じなかった、子供の素直さが、妙に嬉しいし、楽しい。
こんな感覚、女性はいつも感じていられるのか、と羨ましくなった。



2003年07月14日(月)
グリーンは、調和する色

帰宅後、久しぶりのビールを口にしながら見ていたテレビ、
「こちら本池上署」でのワンシーン。
「きれいに咲き誇る赤や黄色の花が輝いているのは、どうしてだと思う?
それはね、グリーンが調和しているからだよ」
そんな会話があった。
それは、中間管理職の役割でもある、という例えであった。
才能いっぱいで溢れている人たちのやる気を起こさせるには、
自分がリーダーとなってグングン引っ張っていく方法もあるが、
花の葉っぱ、グリーンの役割を演じ、単独ではぶつかりあう色を
調和させる方法もある。
ほんの一瞬、耳にしたテレビ番組の会話だったので、
その前後のストーリーも何もわからないけれど、思わずメモをした。
もっと大切なことは、赤や黄色の花達が、グリーンのお陰で
自分達が輝いていることを忘れないことであるかもしれない。
いつの日か、自分達がグリーンの役割を演じる時がくるのだから。
地位、役職によって、その役割は違う。
仕事とは、組織とは、そんなものではないだろうか?



2003年07月13日(日)
深夜2時のガソリンスタンド風景

訳あって、深夜2時に24時間営業のガソリンスタンドへ立ち寄った。
どうせ、こんな時間になんて、誰もいないだろうと思っていたら
予想外にも混雑していて、待たされることになった。
代行運転の車が、揃って給油をしたり、車内清掃したりする。
若い人たちが、トイレ休憩も兼ねて、給油している。
そんなスペースとして、利用されていた。
もちろん、いつもの風景ではないし、伊豆方面へ向かう
土曜日の深夜という特別の日であるのかもしれないが、
給油後走り出した私の驚きは、そんな時間にも、多くの車が
走っていると言う事実であった。
ここには、自分の生活サイクルから外れた風景が存在していた。
自分の枠からはみ出せず、悩んでいる人には
予想外の時間の予想外な場所に、出かけてみるといい。
同じ人間、同じ日本人なのに、こんな生活をしている人たちがいる。
それを知るだけでも、大きな収穫となる気がする。
人間が成長するためには、カルチャーショックが必要なように。



2003年07月12日(土)
勝負の時を読み間違えた

連夜の阪神タイガース大量得点に、
チャンネルを変えたジャイアンツファンも多いことだろう。
どうして、こんな状態になったのか?
いろいろな原因が考えられるが、ほとんどの解説者が、
こう口にしている。
この数日、選手の勝ちたいという気持ちが伝わってこない、と。
それは、テレビの前で観戦している私たちにもわかる。
では、そのやる気のなさは、どうしてなのか?
そこで、掛布氏がこう説明した。
チーム全体、総動員、スクランブル体制で臨む勝負の時を
監督以下コーチ陣も、オールスター明けから8月、と
読んだところにあるからだと。
無理もない、今までの知識と経験では、こんなに阪神が勝ち続けるとは
誰もが予想しなかったことであるから。
しかし、勝負は駆け引き。
マラソンでも、サッカーでも、スポーツの全てに
「ここが勝負、全力で戦う」が存在するはず、
その勝負の時を読み間違えた、と説明してくれた。
これは、スポーツに限らず、市町村合併などでも同じことが言える。
焦り過ぎてもいけない、引き延ばし過ぎてもいけない、
住民の幸せを一番に考え、勝負の時、を読み間違えないようにする、
それが、地方公務員の役割なのかもしれない。
もちろん、自分の人生でも同じことが言えるだろう。
長い人生の中で、何回か訪れる勝負の時、読み間違えないようにしたい。



2003年07月11日(金)
「一戦必勝」という四字熟語はない

先日、東京ドームライト外野席で応援していたら、
前席のファンが、白い布に大きな文字で書いた「四字熟語」?を
テレビに映ろうと大きく広げてアピールしていた。
それを見て友人が、そんな言葉はないのに・・と呟いた。
「確かに、意味がわからない」そんな会話をしたのを覚えている。
気になって、帰宅後調べたら、やはりそんな熟語はない。
しかし、インターネットで検索したら700件以上もヒットした。
特に、スポーツ系のホームページ(その中でも、夏の甲子園特集)は
「一戦必勝」の単語が、溢れていた。
言葉の意味も考えず、イメージで口にしているようだが、
誰かが直してあげないと、この「四字熟語」は、普及してしまう。
最近頻繁に使われる「ジェンダー・フリー」や
「スケール・メリット」などはいかにも英語のようだが、
そんな単語は存在しないと言う話を思い出した。
日本語(言葉)が乱れてきた、と嘆く前に、
そんな言葉はないよ、と教えてあげるべきだろう。
テレビに「一戦必勝」の文字が映し出されたら、
自分の無知を全国に広めることになるよ、くらいの皮肉を込めて。



2003年07月10日(木)
時をよみつつ時に流されず

東京銀座・和光のキャッチコピーだった。
装飾品にこだわらず、心に留めておきたい台詞として
私は、メモをした。
「市町村合併」から「少年法改正」「住基ネットスタート」
どれをとっても、この台詞が当てはまるから不思議である。
普段の出来事に、何も関心がないのは困る、
しかし、あんまり関心を示しすぎても困る。
もしかしたら、こんな子どもに育って欲しい、という
私の心情ですら、このフレーズはうまく表現していると思う。
たかが、一企業のPRに使われた言葉と言うなかれ、
私たちの生き方や生活に役に立つ言葉として、いくらでも応用がきく。
生活の中に溢れている言葉に興味を持ち、書き始めて10年近く経つが、
いまだ、題材に困ったことがない。
(どれを取り上げようか・・という悩みは尽きないが・・)
今日もまた、携帯電話のメモ機能が溢れてしまった。
何年も前に、全然違った意味でメモした台詞が、
最近の事件に当てはめると、ピッタリする言葉だってある。
とりわけ今日は「変化は突然やってこない」。
中学一年生の犯人、以前から何かメッセージを出していたと思いたい。



2003年07月09日(水)
作戦Bに切り替えるわよ

映画館で「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」を観てきた。
なんだか、妙に力が湧いてきて、
館を出る時には、なんだか暴れたくなってきた。
(身体を動かしたくなった、という意味であるので、誤解せぬように)
スカッと爽やか、痛快・・そんな言葉が似合う作品であったが
いくつかの場面で気になった単語があった。それが「作戦B」。
キーワードのように、作品内で使われていた。
人生も、仕事も、そう簡単に自分の思いどおりに事が進まない。
いつまでも、作戦Aにこだわっていては、成功は見えてこない。
そんな時、トラブルを想定して準備しておいた、
次の生き方、次の対処の仕方に、すぐ切り替えられる判断力。
そして、ピンチを切り抜け、チャンスへと道を開く行動力。
そんなものを、スクリーンに映る彼女たちに観ていた気がする。
これから、仕事で失敗しそうになったら「作戦Bに切り替えるぞ」と
冗句も交えて、使ってみようかと思う。
いやいや、うちのチームは、チャーリーズ・エンジェルに対抗して
「作戦Cに切り替えるよ」と、使ってみたい。



2003年07月08日(火)
ほめるより、一緒に喜ぶ

ミセス8月号に掲載されていた、直木賞作家・重松清さんのエッセイ。
(2001年「ビタミンF」で受賞)
私にとって、久しぶりに「目から鱗の子育て論」だった。
年頃の娘を持つ親としては、イライラがつのるばかりであったが
このフレーズと出逢って、なぜか気分が晴れた。
子どもを褒める時って、どうしても親の期待に応えてくれた時が多い。
そんな私たちの気持ちを察してか、
「親の期待に応えたから・・ほめるのですか。」
「子どもって、親にほめられるより、親をびっくりさせる方が、
絶対に楽しいんだよなぁ」というフレーズが、心に染み込んできた。
「びっくりした?」「うん、とってもびっくりした」
こんな会話が、子育ての理想なんだろうなぁ・・と実感した。
振り返ってみると、親の言うことをしっかり守り、成績などで
がんばった時に、褒めていたような気がする。
これから、子育てをする人、今、真っ最中の人。
子どものすることに興味を示し、へぇ・・ほぅ・・という単語が
自然に出るような子育てをしてみたらどうだろうか?
私も、まだまだ子育て真っ最中。
一緒になって、喜んだり驚いて見たい、彼女が結婚するまでは。



2003年07月07日(月)
来場者にお土産を持たせる心構えが欲しいね

全国リレーフォーラム「電子自治体と未来のくらし」と題する
講演会、パネルディスカッションが開催され、聴講した。
短い時間内に、基調講演、ビデオ上映、同解説、
休憩の後、パネルディスカッションへと、会議は流れて、
わずかな時間にも関わらず、パネラーが多かったせいか、
テーマが絞れず、コラムの題材となるフレーズさえ見つからなかった。
「知ってる話が多くて、あんまり役に立ちそうもありませんね」
というぼやきを受けて、私が呟いた台詞を取り上げることにした。
私が、講演やパネラーを受ける時、必ず考えることだから。
(実際、役に立っているかどうかはわからないけれど・・心構え)
パネラーは、自分達のやってきたことの自慢話ではいけない、
苦労話ばかりでもいけない、ましてや、データだらけでもダメ。
わざわざ、時間をつくって参加してくれた人へ、
なにか、仕事や生活でヒントになるフレーズを残して欲しい、と思う。
参加者の名簿を確認し、こんな人たちが多いから、こんなお土産を、
と考えて話すべきだろう。
月曜日の午後、眠たい眼を擦りながら・そして気が付いたら
冷房ガンガンの部屋で身体中が冷えきっていた。
お土産が、夏風邪ではシャレにならない。
厳しいようだけれど、もう少しいろいろな場面で、工夫が欲しかった。



2003年07月06日(日)
新幹線の中で聴いた「サヨナラホームラン」

22時46分、新幹線が東京駅の14番ホームを滑り出した時、
携帯ラジオから、アナウンサーの絶叫とともに
「高橋由伸のサヨナラホームラン」が聴こえてきた。
一番見たかったシーンを見ることができず、残念であったが
この新幹線に乗り遅れると、大変なことになるから仕方ない。
しかし意外にも、私はこの三島行き最終新幹線の雰囲気が好きである。
仕事に疲れたサラリーマン風の男性、海外旅行帰りだろうか、
大きなスーツケースをゴロゴロ転がしている若い女性、
そして私と同じように、東京ドームで時間を過ごし、
最後まで見たいのに延長戦に入ってしまい、
球場で22時を過ぎた時計とにらめっこしながら、飛び乗った人たち。
それぞれの想いを乗せて、電車は終点、三島へ向かっているからだ。
この一本前は、22時07分、静岡行き。
車内の雰囲気が明らかに違うことは、何度か乗ってみればわかる。
静岡行きは、乗客の「もう少し、いたがったのに・・」という
名残惜しさが伝わってくる。
三島行きは、今日のような試合になっても、意外と「満足感」が
伝わってくる乗客が多い。
あぁ、遊んだ、遊んだ・・そんな気持ちが伝わってくる。
三島には新幹線の車庫があり、柿田川の水で1日の汚れを清掃する。
そのため、静岡より40分近く遅い時刻の新幹線が存在するのだろう。
首都圏が、とても身近に感じられる事例かもしれない。
県東部に住む住民の意識は、静岡県より、首都圏に向いている。
そんな気がしてならない、最終新幹線車内であった。



2003年07月05日(土)
「今日は疲れた日記」より「明日が楽しみ日記」

こうして、一日を終えてパソコンを前にした時、
今日あったことを振り返る人、明日はどんな日にしようかな?と
考える人、いろいろいるらしい。
私は、どちらかというと後者。あんまり反省しない。
たぶん、主婦だったら家計簿もつけないタイプ。
つけたって、出るものは出るんだから・・なんて理由を言いながら。
「過去は、去った過ち」と書くから、振り返らない方が良い。
そんなことが、私の携帯メモに残されていた。
(不思議だけれど・・いつメモしたのかもわからない)
明日の楽しみを作っておくと、夢をみない・・という話もある。
寝起きも、抜群にいいのは、その為だろうか。
起きてすぐ、頭はすっきりしているし、行動に移れるから。
以前は、書くことが1日の出来事だった。
そのうち「感情の日記」を付けはじめた。
どんなにいいことがあった日でも、書くその瞬間が不愉快だったら
内容は、ばかやろう・・なんて感情を書いた。
そして、今のスタイル。
1日で気になった台詞を書き留めておいて、書く時に選ぶ。
(できるだけ、その日が蘇るような台詞を心掛けているが・・)
この「気になる一言」数千語が、現在の仕事に、
そしてプライベートに、非常に役に立っているのは間違いない。
たぶん、これからもこのスタイルは続けていくだろう。
しかし、時には遊び心満載のハチャメチャ日記が書きたくなってくる。
誰かが読んでも役に立たない、私だけの「明日が楽しみ日記」、
書きたくなってきた・・。




2003年07月04日(金)
自動販売機をなくせばいいのに・・

今年の夏は、電力が足りなくなる。
全国的に大騒ぎし、節電の講習会まで開催されているのに、
自動販売機をなくそう・・という運動が起こらないのはどうしてか?
インターネットで調べたら
「全国に200万台もある自販機。消費電力は大型発電機1基分」と
いう記事を見つけた。
夏場の自販機の消費電力は1台で平均500W。
いま、日本全国には約200万台の清涼飲料用自動販売機があり、
それがフル稼動すると約100万kW(大型発電機1基分)の電力が
消費されることになるらしい。
私たちにできることは、節電を訴える前に、
真夏に屋外で利用している大型冷蔵庫(自動販売機)の数を減らす、
言い換えれば、飲料水は家で飲むか、コンビニ等で買うなどといった
生活の中で我慢をすることだと思う。
海外では、小銭を入れた機械が屋外に設置されていることすら
信じられないと言う、わが日本独自の生活スタイルであるが、
自動販売機を減らすという改善もせずに、
この夏、電化不足で停電したら、本当に世界からバカにされるだろう。
少なくとも、コンビニ・スーパーなどの前に設置されている
自動販売機をなくすこと。本当に出来ないものだろうか?



2003年07月03日(木)
あの島より、福島。あの山より、下山。

自治体広告の事例集で見つけた、福島県のポスター。
タヒチ島・ハワイ島・オワフ島・バリ島・グァム島・・・
世界でも有数な島が並び、福島もその一つとして並んでいる。
そして「あの島より、福島。」のキャッチコピー。
う〜ん、うなった。上手い。
それなら、パロディ大好きの私も、調子に乗って・・
アララト山、エベレスト山、富士山、会津磐梯山・・・
そして「あの山より、下山。」のキャッチコピー。
もしかしたらウケるかもしれない、と私の遊び心が動き出した。
さっそく名刺を作ってみようかな、と思う。
この名刺を渡された人の反応が、楽しみだから・・。
最近、個性的な名刺になかなかぶつからない。
見ただけで印象に残る名刺、以前はたくさんあったのになぁ。
私も、名刺でよく遊んだ記憶がある。(公務員らしくない名刺)
もちろん表の名前の横に大きく、言葉で引き付ける作戦。
今でも覚えているお気に入りは、3作品。
「私の出番です」「達人と呼んで下さい」、
そして肩書きに「百姓」と小さく書いた名刺かな。
どれも、渡した人が不思議そうな顔をするか、プッと笑い出す。
これが楽しくて、名刺を渡しまくっていた頃が懐かしい。
さて今回は、有名な山をいっぱい書いて「あの山より、下山」。
(欲しい人、手を挙げて下さい。ただいま、予約受付中)



2003年07月02日(水)
う〜ん、今日の記事は、大五郎だなぁ・・

隣町の広報担当と飲む機会があった。
(と、いうより、無理矢理、理由をつくって話したかったのかも)
民間ではボーナスが支給されず、現物支給された話題になった時、
私だったら、お酒で支給する・・なんて酔いに任せて言ってしまった。
「えっ、酒ですか?」の問いに「そうだよ、面白かったらビール二杯、
つまらなかったら・・えっと・・」と考えていたら、
「もしかしたら、焼酎ですか?」と、テンポ良く返事が返ってきた。
「そうそう・・面白い記事には、高級なお酒。
つまらない記事にしたら、焼酎の水割り。そう、焼酎の大五郎」
(ごめんなさい、別に宝酒造に敵意はありませんので・・・)
アルコールの現物支給って、面白いなぁ、と思いながら
もし自分の仕事ぶりが何か現物で支給されるとしたらも、
どんなジャンルで、どんなものがいいか、考えて欲しい。
意外と、自分では気がつかない評価が、得られるかもしれない。
自己啓発って、自分で啓発するのではなく、周りの人の評価を意識し、
少しずつ良くなっていくことなのかもしれない。
そんなことを思った、楽しいおいしい飲み会であった。



2003年07月01日(火)
少しでも早く見せたくて・・・

今度の土曜日に控えた職場の部下の結婚式。
久しぶりに「結婚式のしおり」作成を依頼されたが、
会議、先進地視察、広報発行などに追われ、
いつものように、何度も飲みながら新郎新婦についての情報を仕入れ、
少しずつ仕上げていく過程が踏めず、少し焦っていた。
そこで、同じ職場の部下に「手伝ってもらえないだろうか?」と声を掛け
日曜日などは、夜10時近くまでかかって作業をし、
やっとの想いで、印刷所に依頼する原稿が出来上がった。
そして今日、「色校」も含めた出来上がりイメージを手にした彼は、
印刷所から届いた見本を手にして、私に興奮して電話を掛けてきた。
「まだ、職場にいますか?」に続いて発せられた台詞が、今日の一言。
数10分後「自分が一番興奮しています・・」と言いながら、
とても嬉しそうに見本を抱え、私のところへやってきた。
ここ数日、仕事が終わってから、自宅のパソコンを駆使しながら、
(奥さんには何をそんなに夢中になっているの?と不思議がられ・・)
私の厳しい指摘に耐えてきた。(アドバイスのつもりなんだけれど)
だからこそ、この喜びは大きかったのだろう。
簡単な8ページばかりの「結婚式しおり」であるが、
この自信は彼にとって、これからの大きなステップとなる。
そんな気がしてならない、私の「課外授業」の成果であった。
未完成をいくつも持っているより、完成品を一つでも持った人の方が
いざとなったら強いんだろうな、と喜びに満ちあふれた彼を見て思った。
だからこそ「生きた証」が欲しくなるのである。