初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2001年10月31日(水)
毎日、配信してよ

嬉しい一言であった。
毎日書いているコラムを10日分を取りまとめ、
そのうち一つをコラムとして、メルマガとして配信している。
最近では、テーマ日記もメルマガ配信をはじめた。
ところが、携帯のメールアドレスをもっている人から、
「長すぎて受信できません、毎日書いてるなら、毎日、配信してよ」
と要望があった。正直、嬉しい悲鳴である。
今まで、パソコンを持たない人は、二年に一度出版される本だけが
読む手段だった。
しかし、時代は流れ、携帯メールをはじめたので・・・という。
出会い系サイトの迷惑メールが目立つ携帯電話のメール。
あんまりいいイメージがなかったのに・・・。
ぼやきにも似た、こんなコラムを楽しみにしてくれる読者がいたことに、
私の心は熱くなった。考えてみよう・・・。



2001年10月30日(火)
焚き火って、つきっきりで見てないとキレイに燃えないんだって

何気なく見ていたテレビのCM。
ちょっと歳を重ねた小泉今日子が、呟いた。
なんのCMかも覚えていないのに、この台詞だけが耳に残った。
夫婦や恋人という関係は、こうありたい。
釣った魚には餌はやらない、と豪語する男に聴かせたい、と
世の女性陣が言いそうな気がする。(笑)
日増しに秋から冬へと季節は移り変わっている。
もし、愛する人がそばにいたら、是非小さな声で呟いてみよう。
「ねぇ、焚き火って、つきっきりで見てないとキレイに燃えないんだって」
さて、この台詞を聴いた男性がどう反応するか。楽しみである。
(これ以上書くと、墓穴を掘る可能性があるので、今日はここまで)



2001年10月29日(月)
ウルトラマンの顔は、能面がモデル

前述の絵本作家が「おとうさんはウルトラマン」
というタイトルの絵本を描いている。
そんな話の中で、出てきたエピソード。
言われてみれば、どこか似ている気もする。
能面って不思議だと、昔から思っていた。
シーンによって笑って見えたり、泣いて見えたり・・・。
その人の気持ち次第で、どうにでも見える。
言い換えれば、自分の心が見透かされているような気がする。
いつも強いはずのウルトラマンに
「悩んでいたり、悲しんだり」するシーンは必要ないかも知れないが
そんな人間っぽい感情を表現する能面がモデルときいて、
ますます好きになってしまった。
もう一度、映画やビデオで観てみよう。
もしかしたら、自信なさそうなウルトラマンに見えるかも知れない。



2001年10月28日(日)
いろいろな東海道があるね

静岡県立美術館の企画展「描かれた東海道」を見に出かけた。
室町から横山大観まで、東海道をめぐる絵画史である。
私たちの知っている歌川広重の東海道53次も、その一つ。
昔から、東海道は多くの人に描かれていたことを知った。
同じペーズで廻る、おばちゃん(失礼)が、私に声を掛けた。
「ねぇ、お兄ちゃん。いろいろな東海道があるね」
私は、思わず「えぇ、楽しいですね」と返事をしながら、
童話作家、金子みすゞの「みんな違って、みんないい」の詩を
思い出しいてた。
描く人の視点で違う東海道、どの部分がその人の琴線に触れ、
スケッチされるのか、昔に想いを馳せ、楽しい時間が持てた。
しかし、富士山だけは昔から象徴であったことを知り、
毎日、何気なく見ている自分が、申し訳ない気がした。



2001年10月27日(土)
歴史を知ると人間は強くなる

環境をテーマに研究をしている、竹田共生塾。
その中でメンバーが、歴史の大切さを教えてくれた。
世界を揺るがすような事件を起こす人々も、
職場で一緒に働く人々も、私には想像もつかない行動が時々ある。
それは、今だけの情報だけで考えようとするかららしい。
その人達が生きてきた歴史、すなわち経済や政治、流行など
あらゆる歴史という情報を知ると、理解できるという。
一番多感な時期にどんなことがあったか、
社会はバブルだったのか、不況だったのか、など、
一見何も関係なさそうな潮流を眺め、関連づけることにより、
見えてくるものがある。
突然、驚くような考え方をした人達が生まれたのではない。
歴史は過去の産物ではない、今を知る大切な情報である。
いいかえれば、歴史を知ると人間は強くなるということである。



2001年10月26日(金)
志高ければ、頭は低し

夕飯、ラーメンを食べながら見たマンガ
「サラリーマン金太郎」の表紙に書かれていた。
なぜか、メモをしてしまった不思議なフレーズである。
自分の志が高ければ高いほど、まわり雑音に惑わされず
なんでも吸収しようとする気持ちが、謙虚さに繋がってくる。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」の句を思い出した。
実績を上げればあげるほど、知識が増えれば増えるほど、
頭を持ち上げたくなるのが人間。
しかしその欲求を、感謝に変えて頭を下げる。
これが、リーダーとしての素質なのかも知れない、と思った。
漫画家、本宮ひろしは、何を言いたいのだろうか?
もう一度、じっくり読みかえしてみよう。



2001年10月25日(木)
やさしさと思いやりは伝染する

絵本作家、宮西達也さんの話を聴くことが出来た。
わが町の出身者として、一度ゆっくり聴きたがったので大満足。
彼は「にゃ〜ご」という作品を通じて、
伝えたかったことが、気になる一言。
ネズミを食べようとした猫が、ネズミたちの優しさに触れ、
とても優しい気持ちになって、彼らを襲わず家路につくストーリー。
(短くて、うまく伝わらないが・・・)
どんな相手でも、やさしさと思いやりを忘れずに接していれば、
必ずや相手にも伝わる、ということを教えてくれる。
たしかにネズミの彼らは、
猫が自分たちを食べてしまう怖い相手だとは知らなかった。
だから、心から猫にやさしく接することが出来たのかもしれない。
相手に対して、何かを期待するやさしさや思いやりではなく、
心から相手のことを考えられる人になりたい、と思った作品。
絵本には、そんなことを気づかせてくれる何かがある。



2001年10月24日(水)
遊びなら楽しく遊ぼう

テレビ「水曜日の情事」で、石田ひかりはモックンにこう呟く。
(食事をしながらのメモだったので、自信がない・・・)
「遊びなら楽しく遊ぼう」
「真剣なら、壊しちゃおうか。何もかも」と続いたこの台詞。
不倫している人たちには、ドキッとした言葉だったね。
最初から見ていたワケではないので、前後関係がわからなかったけれど、
「水曜日は愛人の日」ってのも面白かった。
家庭を壊すつもりがなければ、遊び。
だったら、楽しく遊ぼう、って事なのか。
またひとつ、水曜日の夜は早く帰ってテレビを見る楽しみが増えた。
あれ「水曜日は愛人の日」だったっけ。
早く帰って、テレビを見ている場合じゃない(笑)



2001年10月23日(火)
腕のいい大工は、木を見ないで森を見る

島田市へ視察。旧家を見学した。
精巧な造作に驚いていると、説明員の方はこう呟いた。
森を見て、森の北側で育った木は、家の北側に使う、
森の南側で育った木は、家の南側に使うという。
木の育った環境から、その性格を判断し、利用する。
腕のいい大工は、仕事を受けた時点で全体のイメージを組み立て、
森の中のどの木を、家のどの部分に使うかを決めるという。
では、教育にも同じ事が言えないだろうか?
育ってきた環境を考慮せず、画一的なカリキュラムを押しつけるより
せっかく少人数制が叫ばれているのだから、
ひとりずつの性格を活かす教育ができないものか、考えて欲しい。



2001年10月22日(月)
最後は「強気」

スポーツキャスターが、日本シリーズの近鉄や、
プロゴルファーの井沢を表現して、こう言った。
強気の攻撃が一番強い、強気の攻めが一番強い。
勝っているのに、さらに冒険するチャレンジャー精神を言うのだろうか。
あまり誉め言葉で使われない単語を、さらっと使ったので耳に残った。
そういえば最近、強気の人達をあまり見かけない。
何でも安全パイ。無理をしない。何かあったらどうするの?
そんな台詞が飛びかっている気がする。
そうだよなぁ、私が仙台で「牛タン」たっぷり試食してお土産に買ったら
「チャレンジャーだよなぁ」って言われる時代だもの。(笑)
美味しいものは美味しい。強気でもなんでもないか・・とほほ。



2001年10月21日(日)
ゼロからのスタートには、中高年の実績は邪魔

テレビで「そごう退職者の実録」を取材し
「痛みの現場、400日」を放映していた。
「普通の生活に憧れるよね」「不採用通知にはガクッとなる」
そんな言葉が、番組全体に流れていた気がする。
なかなか就職が見つからない。勿論、求人が少ないこともある。
しかし、何十年も培ってきた実績は、身体に染みついている。
「こんなはずじゃない」と思う気持ちは、
自分に実績があればあるほど、強くなる気がする。
職業訓練所ではじめて習うパソコン技術、
取得のカギは今までの実績は役に立たないということを
自分自身で認識することかな、と感じた。
しかし、これが一番辛くむずかしいことである。



2001年10月20日(土)
円満に離婚が成立できますよ〜に

本来なら、昨日の気になる一言だったけれど、思い出したので・・。
宮城国体視察の帰路、仙台市の青葉城址を訪れた。
そこで見かけた「絵馬」に書かれたメッセージ。
読んでは悪いと思いながらも、なぜか目に入ってしまった台詞。
勿論、住所から名前まで、しっかり書き込まれていた。
最初は自分の目を疑ったが、しっかりとした字で書かれた女性の思いが
なぜか悲しそうだった。
どうしてそこまでして、絵馬に書き込んだのか?私には理解できない。
どこの誰かが見て、脅迫などの犯罪に繋がる可能性さえ含んでいる。
それは、インターネット上で、
自分たちのプライバシーを公表しているのと変わらない。
夫婦の人間関係に疲れて書いた「願いごと」かも知れないが、
今度は、見も知らない相手との人間関係に疲れなければいいな、
と祈るばかりである。



2001年10月19日(金)
ここで走れば?どこでも走れるのに・・・

宮城国体からの帰路、約10時間のバス車中。
車窓からの風景に飽きた頃、添乗員のはからいでビデオ上映となった。
その中の一本。矢沢永吉が主演の「お受験」。
実業団の陸上部員、そして過去の実績にこだわり、
大きな大会での入賞ばかりを夢見ていた矢沢永吉に対して、
小学生の娘役は、彼にこういう。
「走りたいんだったら、ここで走れば・・、どこでも走れるのに」と
走るのに場所を選んではいけない、という気持ちが伝わってきた。
私も書きたい、という気持ちを大切にして、
どこでも書くスペースを見つけて、
環境のせいにしない書き方を続けていきたい、と思う。



2001年10月18日(木)
町民、みんなが応援団

宮城国体ホッケー視察、2日目。
最終日、決勝戦は、選手を民泊させた町民の方々の応援合戦となった。
「○○のシュートが見たい(みたい)、見たい(みたい)・・・」
リズミカルに、そして町民の暖かさをプラスした、ほのぼのとした雰囲気が漂っていた。
2年後は、私たちの住む町で、ホッケー競技を開催する。
なかなかマイナーな競技を普及することは難しいが、
町民の多くを、ホッケーの応援団に仕立てることは、出来るはずである。
何でもかんでも主役になるのではなく、
「応援したチームが勝ち進む」喜びを味わって欲しい。
これを契機に「いろいろな分野を応援する」私設応援団が出来て欲しい。
いやできる気がする。



2001年10月17日(水)
みんなの気持ちをひとつにしよう

平成15年は静岡国体。その準備のために、宮城国体視察。
多くの人の協力がなければ、成功はおぼつかない。
そう思いながらも、視察団のメンバー、夕食後の行動はバラバラ。
どう表現して良いのか、わからずにいたら
慰労を兼ねた二次会で、同行のメンバーがこう呟いた。
国体の成功は、多額のお金を掛けることではない。
いかにボランティアも含めた関係者が、成功に向けて気持ちをひとつにするか、
に関わっているといっても過言ではない。
気持ちさえひとつになれれば「何をやってもうまくいく」。
そんな気がして、メモをした。



2001年10月16日(火)
奥田英二は、みんなのものなのよ

奥田英二は、すごくもてるらしい。女性関係も・・・。
家にも電話がかかってくるらしい。「私、彼と寝たの・・」と。
さすが奥さん、心得ている。電話に出て一言、冒頭の台詞。
「あなただけのものと思ったら、大間違い。私だけのものでもないの」
これには、参った・・と後日、彼は苦笑いをした。
もてる男性を夫にしたから仕方ない、と割り切ったのか、
テレビで、やれ不倫だ、やれ離婚だとワイワイ騒いでいるより面白い。
わたしのアンテナに引っかかった台詞。
さすがにこれは、飲み屋で使えない・・・(笑)



2001年10月15日(月)
私、新しい糠(ぬか)になります

テレビドラマ「本家のヨメ」。
ビビアンスー(ヨメ)が、岩下志麻に言う。
(役名わからず、ごめん。途中から見たので・・)
古い糠と新しい糠、混ぜるとどんどんよくなるのが糠、だと教わった。
古いしきたりばかり重視する家と、新しいものを取り入れようとする家。
どちらにも言い分がある。
しかし、意地を張っていてもなんの解決にもならない。
そこで、ヨメ役のスーがこう切り出す。
「私、新しい糠(ぬか)になります」と。
「古いものと新しいものを混ぜるとどんどん良くなります。だから、私」
その仕組みを理解した上で
「便利なものを使うことと、手を抜くことは違う」と言い切った。
久しぶりに、励まされた一言だった気がする。
嫁・姑の戦い。
旦那・息子は糠役に徹するのがいい・・(笑)



2001年10月14日(日)
手紙をくれる彼ってすごいですよね・・(笑)

久しぶりに、飯島直子をテレビで見た。
相変わらずの天然ボケが、たまらなく可愛い。
その中の一言。
彼女は、一度も彼から手紙をもらったことがない、と嘆いていた。
だから、わざわざ手紙をくれる彼はすごいと感じたようだ。
今はメールだし、あらためて「手紙」ではないのかも知れない。
「手紙」の良さは、書く人が他の作業をしながら出来ないということ。
その人のことを思いながら書くから、いい。私は、そう思う。
携帯あり、メールあり、と時代だからこそ「絵手紙」がうける。
きっと明朝体でも、ゴシック体でもない、字体が喜ばれるはず。
また「手紙」が書きたくなってきた・・。



2001年10月13日(土)
どちらも、6000人の死

「死」に重たいも軽いもないことは承知である。
しかし、ラジオから流れてきたメッセージは、はっとさせられた。
今回のアメリカ同時多発テロで一瞬のうちに6000人がなくなった。
それは悲しいことである。
しかし、世界中で、一日6000人がエイズで死んでいるらしい。
どちらも同じ6000人の死。意外な数字であった。
そう言えば日本でも、一年間に交通事故死30000人という記事を読んだ。
しかし、年間30000人を越えるの自殺者はあまり話題にならない。
単独でみると凄いと思われる数字も、
その他の数字を比べる視点がないと、謝った判断をしそうである。
いろいろなデータを収集できるインターネットの出番である。



2001年10月12日(金)
最近、鳴かず飛ばずだな・・

私の顔を見た途端、こう言った人がいた。
たしか、この意味は「才能をあらわさないで、じっとしている」だよな、
と自問自答した。
何を指して、こう表現されたのか、わからない。
私の名前がいろいろな場面で出ることが、頑張っているとは限らない。
自分の名前が前に出なくても、目的が達成されることが、一番いい。
自分の企画を「わたし達がやり遂げた」といって喜んでくれる人々の光景を
そっとビール片手に聞く、これがカッコイイ、と私は思う。
そういう意味では「最近、鳴かず飛ばずだな・・」と言われて
喜ぶべきなのか(笑)



2001年10月11日(木)
ティシュは、現在を引っ張ると未来がついてくる

ダウンタウンの松本と島田伸助が、深夜番組でトークをしていた。
「なぜ、ティシュペーパーは二枚なのか?」という話に
「一枚だと薄くて裁断できない」を導き出そうとしていたが、
なかなか答えが見つからなかった。
いろいろ試しているうちに、松本がボソッと言った台詞が今日の一言。
何でもない現象を、そう表現した彼らに驚きを隠せなかった。
台本に書かれた台詞ではなく、自分たちが見たままを表現した台詞。
これが、私の感性に引っかかった。
不思議なことに、ティシュを使おうとするとそのフレーズが浮かんでくる。
ただのお笑い芸人ではないことを知った。




2001年10月10日(水)
ハッピーマンデーは議員立法

お天気キャスターが、朝からラジオで呟いていた。
一年でも一番快晴になりやすかったはずの10月10日。
ハッピーマンデーにした途端、10月10日は連続で雨になっている、と。
しかし、今でも不便な祝日となった気がするのは、私だけではなかった。
彼も、同じ考えだったようだ。
私だったら「ハッピーフライデー」がいい、と考えている私、
「私だったら火曜日あたりを休みにする」という彼。
どちらも、月曜日にする案は出てこなかった。
では、なぜ「ハッピーマンデー」が成立したか。
たぶん、議員が考えた法律(議員立法)だったからである、と彼はまとめた。
飛び石になろうが、週の途中に休日があるのは、
楽しみだったサラリーマンの気持ちは、どこにも入ってこない気がする。
一月の成人式もしかりである。新成人の気持ちは入ってこない。
国民不在の法律が、これ以上増えないことを願う一人である。



2001年10月09日(火)
バインダーに、はさめばいいんだぁ〜

何気なしに聞いていたカーラジオから流れてきたフレーズ。
番組名も、DJの名前すら知らない。
ただ単に、冒頭のフレーズが、頭から離れなかったので、今日の一言。
さっきまで、とても素敵な台詞が、メモされていたのに。
言葉って、リズムとかユーモアがあると、インパクトが強い気がする。
何時間たっても、自分の中ではまってしまうとメモもいらない。
きっと、バインダーを見るたびに、今日の気になる一言を思い出し、
周りにひんしゅくをかっている自分が、目に浮かぶから面白い。
「ねぇ、この書類、バインダーに、はさめばいいんだぁ〜」って。



2001年10月08日(月)
人は時に、自らの「さだめ」を変えたくなるもの

昨日、他の番組を見てしまって「北条時宗」は、録画ビデオで見た。
冒頭、謝国明の息子、謝太郎と時宗の会話で、この台詞が出てくる。
「時輔殿は武士を捨て民として生き始めた、
桐子は水軍の娘を捨て、武家の姫となった・・」に続いて。
番組を見ていない人には、前後関係はわかりにくいと思うが、
この台詞だけは、覚えておきたいフレーズである。
平々凡々が悪いと言っているわけではない。
しかし、一度きりの人生。本当にこのままで良いのか?
いつも自問自答して生きていきたい、と思う。
今の生活を変えたくなるのは、誰でも思うことであろうが、
本当に変えるための行動をする勇気があるか、どうか。
そこが問題である。
人は自らのさだめを意識して、変えてみる事が出来る。
だから、人生は面白い。



2001年10月07日(日)
なぜ新人記録なの?

イチローのメジャーリーグ大活躍は、みなさん御存知の通り。
しかし、イチローは納得していないらしい。
新聞をはじめ、マスコミの騒ぎ方が「新人記録、更新」だから。
確かにメジャーリーグにとっては、日本から来た新人には違いない。
だが、彼は言う。
「私は日本のプロ野球で何年もやってきた。新人ではない」と。
そこに、彼の凄さを感じたのは私だけではないだろう。
最初から、新人だから、という甘えがなかったということである。
その心構えこそ、彼を支えてきた考え方ではなかったのだろうか。
評価は成績である。プロになったら、1年目も2年目もない。
この考え方は、どのプロスポーツ界でも通用する考え方だと思う。
さて、私の仕事にとってはどうだろう?じっくり考えてみたい。



2001年10月06日(土)
私の関心は「作品より説明文」

エジプト・ギリシア・ローマ文明(特に紀元前)の像や器などを、見る機会があった。
驚いたことは、現代の作品と変わらないという事実。
いや、もしかしたら今以上の作品。もっとボロボロの作品を想像していたのに。
色も形もしっかりしていて、そのまま「現代作品」として展示してもわからない。
しかし、私の関心は「作品より説明文」
なぜ、これがパンなんだ。なぜ、これがエロスなんだ。
作品の説明を読みながらぶつぶつ呟く私に、同行者はあきれ顔。
でも、おかげて楽しい時間が過ごせた、と感謝している。
どうしたら、こんなしっかりした形で、文化財を保護できるんだろう、
どれくらいの深さから出土したんだろう・・。
今年から埋蔵文化財の仕事を抱える私は、今までとは違った視点で
遺物を見ることが出来た気がする。
歴史の面白さが、段々わかってきた43歳である。



2001年10月05日(金)
モノが集まると人が集まり、人が集まるとモノが集まる

不思議なものですね、と照れ笑いをしながら、資料館の担当者は笑った。
郷土資料館というと、土器や農機具などを展示する市町村が多いが、
視察先の資料館は「昭和30年代からの昭和」にスポットが当たっている。
そこでは、ついつい捨ててしまいがちな、大量生産のモノが溢れていてた。
集めるのは大変でしたか?の問いに、担当者は冒頭の台詞を私たちにくれた。
お金を出して買ったことがありません、
ほとんどこんなモノで良かったら、という寄付である、という。
行政が多額の資金をつぎ込んで買い揃えることは、簡単に出来る。
しかし、それではまちづくりとして意味がない。
「他人のふんどしで相撲を取ろう、自分のふんどしなら誰でも取れる」の
言葉を思い出した。



2001年10月04日(木)
宇宙と天国は、どっちが遠いのですか?

子供からこんな質問されたら、あなたはどう答えますか?
実は、ある方からこんないい話ありましたって、メールをいただいた。
それは、あるラジオ番組での話だという。
子供が大人に素朴な疑問を尋ねてみた。
「宇宙と天国は、どっちが遠いのですか?」と。
比べようがない「宇宙と天国」について、女性回答者はこう答えたという。
(本当は素敵な会話が間にあるんですが・・)
「行って帰ってきた人がいる宇宙より、
 帰ってきた人がいない天国の方が遠いんじゃないかなって」
ここで大切なのは、すぐに比べられない、と決め付けないことだと思う。
子供にとっては、比べられない、という回答をもらうのと大違いであるから。
何とかして、子供たちのために答えを見つけようとした彼女、
子供の気持ちにたった名回答に拍手をしたい。
科学だけでは説明できないことも、言葉によって理解させることはできる。
やっぱり「言葉は力」である。




2001年10月03日(水)
一番勝ちたいと思う選手が勝ち残る

K1グランプリIN福岡、世界最終予選。
誰が、勝ち残るか?の問いに、解説者・角田はこう答えた。
出場選手の実力は、ほとんど互角。
そうなると、決め手はどれだけ「勝ちたい」と思えるか、
だと言い切った。
解説者としての的確な予想を期待したが、かえってK1の魅力に
触れた気がする。
科学的根拠はないが「気持ち」の大切さを教えてもらった気がする。



2001年10月02日(火)
痴漢、いってきま〜す

正式には「痴漢の警備に行ってきます」
わが町にも、地下道に痴漢が現れ、中学生が抱きつかれたらしい。
そこで子供たちの下校時、職員が交代で警備に立つことになった。
そこまではよかった。今日は「私の番」
時間ぎりぎりまでデスクワークをしていたので、慌てていたのか
なんと冒頭の台詞を大きな声で叫びながら・・・。
職場は爆笑の渦。
「やっぱり、犯人はこいつだった」という冗句?に見送られながら
警備に向かった。
やはり、言葉は略してはいけない(笑)



2001年10月01日(月)
あの親父、ただの酔っ払いじゃないな

高橋を育てた小出監督を評して、こういう表現をつかった記者がいた。
画面に現れる彼は、いつも顔を赤くしたりしている酔っ払い。
しかし、それは彼の一面でしかない。
練習風景は親には見せられないほどの過酷のものであったし、
その情熱は、他の監督を圧倒していたようだ。
こんな監督だから、高橋のような選手が育てられるんだ、と感じたらしい。
「あの親父、ただの酔っ払いじゃないな」
アルコール好きの私には、是非言われたい誉め言葉である。(笑)