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oneday  ぽぇ



 
 千日廻峰

今日、TVを見ていて
過去に同じような番組を見たという記憶が
蘇って来ました。

中学3年の時の修学旅行は「京都」でした。

折角いろいろな社寺仏閣を訪れたのに
記憶には薄く、殆ど残っていないのが現実です。

ところが
比叡山「延暦寺」の事だけは
しっかり刻み込まれていて
今でも消える事はないのです。

樹木がうっそうと茂り荘厳で
好むと好まざるとに関係なく感じるものがあり
それは自然崇拝の気持ちが目覚めた瞬間でした。

元々、信仰心はあっても
宗教に帰依するほどの情熱が無かった私は
自然の中や自分の中に神が存在するという
考え方が好きでした。

比叡山の記憶は脳裏にしまい込んだまま
煩悩を追い求める日々を過ごしていたある日

テレビに映し出された映像に
襟を正して座りなおし
食い入るように見た番組がありました。

「千日廻峰」を満行し「阿闍梨」になった方の
ドキュメンタリーです。

+クリック+

あれから25年。

今日のTVで
自分が何も変わっていないのではないかという
ブラックホールに落ちて行くような空しさに
血の気がスーーーッと引いて行き
ふーーーーーーっと溜め息をつきました。

宙を育てる事を修行のように感じ
だからいいのだと勝手に決め込んだりして
一体、何がいいというのでしょう。

頭をガ〜〜〜ンと叩かれでもしたかのような
ショックが身体中を駆け巡り
あああぁぁぁーーと頭を抱え込むほど
情けなく感じました。

宙は私の生き方を見ています。
そして、私の生き方そのものを
批判するつもりは無いと言います。

けれど、僕の生き方に干渉したり
支配したりしないで欲しいと言います。

そうよね。
貴方がゲームセンターでお金を使う事も
母が宝塚を見に行く事と何らかわりは無いのよね。
それを禁止した事は無いけれど
無言のプレッシャーを与えていたのかな?

まだまだな母ですね。

今日の番組で
若い僧侶が「千日廻峰」を満行するために
今この瞬間も比叡山の山野道を
駆け抜けているのかと思ったら
その事実から来る重みに
頭(こうべ)を垂れ真摯な気持ちで思いました。

体調の悪さくらいで滅入ってしまう弱さを
自分に厳しく叱咤する事で跳ね除け
頑張ってみよう。

誰かに救ってもらう人生ではなく
自分の力で生き抜けなければ
宙の力にはなってあげられないように思います。

これが最後のチャンスなのかもしれませんね。

2004年07月19日(月)
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