白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2012年11月13日(火) 思えば出世したものだ。

昨日の日記に書いたオイニー。対策本部では引き続き監視活動を行っているけれど、いまだ解決には至っていない。床下に蓄積された「ブツ」が完全に揮発してしてくれるのを待つしかないのだけれど、オイニーは少しずつ薄れているような気がしている。

オイニーはさておき。ここのところ我が家では少しずつだけど自分達で住環境の改善に乗り出している。たとえば……滑りの悪い引き戸にクレ556を吹き付けてみたり、先住者が居間の柱に貼り付けていた謎の細長い鏡を取り外したり。しかし、それらは冷静に考えてみると「そんな事は入居時にするべきでは?」と言うような問題がほとんどだったりする。

オイニー対策本部を設置した際、夫がしみじみ「どうして家買った時にしておかなかったんだろうなぁ」と首をかしげた。「俺はともかく。そもそも、白蓮さんって家のこと好きでしょ? 色々と不備に気づかなかったの?」と私に問うた。

夫の疑問はもっともだけど、これには深い理由がある。

すっかり過去の話になってしまうけれど、この日記を書き始めた頃、私はハウスメーカーで図面を描いていた。転職を経て最終的には設備系の図面を描くようになったけれど、基本的に建物や住宅関係の事は大好きだ。なので結婚当初、自分の住まいに対する夢や希望を持っていなかった訳ではない。しかし結婚する直前、私はとても不遇な環境下で生活としていたので、夫と購入を決めた築35年の家に入った瞬間「なんて素敵」とばかりにすっかり満足してしまったのだ。言っちゃあなんだが、我が家は決して今流行りのお洒落なリノベーション物件ではない。昭和の香り漂うただの古屋にも関わらず。

当時の私は母と弟と3人で2Kの長屋で暮らしていた。弟は自分の部屋をひと部屋持っていたけれど、私と母は居間を寝室に使っていて、寝るときは端っこに寄せて布団を敷いていて、私のプライベート空間は台所の片隅に置かれたパソコン机だけだった。当時、ガツガツ働いて家にお金を入れていたのに酷いと言えば酷い待遇なのだけど、当時は色々と事情があって、それでもそれなりに暮らしていたのだ。

夫にそんな話をしていたら、当時の事が思い出されて「思えば私も出世したものだなぁ」などと口に出して呟いてしまった。今は自分の城とも言える「自分が自由に出来る台所」があり、狭いながらも寝るためだけの寝室もある。そして何より家族がいる。

結婚前の生活を思えばオイニーごときで不満を言っている場合ではない。今の自分は恵まれた環境にあるんだなぁ……と、改めて実感しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。

左、昨日、娘と2人で早々に出したクリスマスツリー。右、本日のお弁当。海苔おかかご飯、魚肉ソーセージ、鶏胸肉ケチャップ炒め、南瓜グラタン、ピーマンと人参のごま醤油炒め、黒豆、蜜柑(別容器)。南瓜グラタン、もうちょっと盛れば良かったかも。何げに華の無い仕上がり。我ながらセンスの無さにガッカリ。






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【同月同日の過去日記】
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