白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2012年04月25日(水) 親の責任。

今日は他人事で一人憤慨してしまった。

娘と同じ幼稚園に通っている男児の父親の話。ものすごく体調が悪いのに、ちっとも身体を大切にしない。妻も諦めているのか「だって、言ったって話を聞いてくれないしねぇ」と、のんびりしている。その夫婦は私達夫婦と同世代。高齢出産組なのだから、人一倍身体を大切にして長生きしなくちゃいけないのに、なんてことだろう。他人事だからお節介なことは言わなかったけれど「子ども産んだなら責任持てよ!」と、一人憤慨してしまった。

私の亡くなった父が同じタイプの人間だったので、余計に腹が立つのかも知れないのだけど、養育しなければならない子がいるのに、自分の身体を大切に出来ないのは、子どもに対して失礼だと思う。子どもが可愛いと思うなら、その子が哀しまないように全力を尽くすべきじゃないのか? その場限りとしか思えない生き方をしている人を見ると、腹立たしくてたまらない。

その場限りの生き方を否定するつもりはない。私も娘が生まれるまでは、本質的に「その場限り」な生き方をしていた。しかし親になったら、それでいけないと思うのだ。親には子どもをちゃんと育てて社会に送り出す義務がある。

子どもを死なせることなく成人させて、まっとうな社会人として送り出すのが、ものすごく大変な事だったなんて、親になるまで知らなかった。

子を無事に成長させるだけでも大仕事だけど、その子を「まっとうな社会人にして社会に送り出す」となると、それはそれでまた大仕事。世間の親達は当たり前のように成し遂げているけれど、それは決して当たり前の事じゃない。

他人の愚痴に付き合ってイライラするなんて馬鹿げているなぁ……と、つくづく思う。聞かさせる方はたまったものではないのだけれど、まさか相手に向かって「そんな話は聞きたくないよ」なんて事は言えないしなぁ。適当に受け流すしかないのは分かっているのだけど、なんだかなぁ……。

他人の家のことは置いておいて。娘は今日も自宅前警備員として勤勉に活動していた。今日は虫取り網を持って遠征したので「自宅前警備員」ではなく「自宅周辺警備員」だったのだけど。そして私は娘に付き合って、すっかりバテ気味。明日は雨とのことなので、ちょっとはゆっくり出来るかと楽しみにしてしまう始末。明日は久しぶりに、何かお菓子でも焼こうかなぁ……なんてことを考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2008年04月25日(金) 人に優しくない医療
2007年04月25日(水) 抜けたみたい…
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2004年04月25日(日) 停滞。
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2002年04月25日(木) 1人でいることのサミシサ。一緒にいることの煩わしさ。

白蓮 |MAILHP