白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2010年01月06日(水) 愛する人のいる世界

昨日は年明け早々、恩師の訃報を知ってショックを受け話を書いたけれど今日もその話の続き。

先生が亡くなったことを知らされてショックを受けたのとは別のことなのだけど、その葉書にはちょっと吃驚することが書かれていた。先生は昨年の4月に亡くなられていたのだけど、そのご主人は先生が亡くなる2ヶ月前に亡くなられていた。先生は伴侶の後を追う形で亡くなっておられたのだ。

先生のお嬢さんは短期間で両親を喪ってしまったのだ。その哀しみはいかばかりかと思うと、なんとも辛い話だけれど「お嬢さん」と言っても、私よりも年長でご自分のご家庭を築いておられるので、哀しんでばかりもいられないだろうし、時間をかけて哀しみを乗り越えていかれるのだろうと思う。

とても哀しいことだけど「夫婦の最後」としては理想的だったのではないかなぁ……と思う。

先生はとても線の細い女性だった。子供の頃は気付かなかったけれど、今にして思えば色々な意味で生き辛いタイプの人だったと思う。真面目で心やさしく繊細な女性で「普通のおばちゃん」「普通のお母さん」とは少しタイプが違っていたように思う。仲の良いご夫婦だったようだし、ご主人が心配して先生を迎えに来たのではないかと思ったりした。

三国志に出てくる桃園の誓いではないけれど、誰しも愛する人とは死ぬ時も同じでいたいと思っているだろう。ごく稀に、先生のようなケースもあるけれど、大抵は片方が先立ったり、あるいは取り残されたりする。私は強気そうでいて、実はかなりの淋しん坊なので、娘が成人して私自身もそこそこの年齢が来たら早めにお暇したいと思っている。ものすごく自己中心的な発想だけど、愛する人達を次々と見送るくらいなら、ひと足お先に逝かせてもらいたい。

……などと、常々そう思っているのだけれど、実際はしたたかに生きていくような気もする。

いつまでも少女のような雰囲気を持っていた先生が、ご主人を追うようにして亡くなったという事実は、とても先生らしくて、哀しいながらも受け入れられるような気がした。

私自身がどういう晩年を過ごすのかは皆目見当もつかないけれど、今私が生きている世界に愛する人…別れ難い人がいるってことは、幸せなことなのだと改めて思った。今更ながら、あれこれ思い巡らせてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2009年01月06日(火) 新年の抱負
2006年01月06日(金) 手帳の具。
2005年01月06日(木) ぼやぼやしている。
2004年01月06日(火) 普通というライン。
2003年01月06日(月) とりあえず社会復帰
2002年01月06日(日) 年賀状考察。社会人失格?

白蓮 |MAILHP