お盆休み2日目は実家の母と一緒に父の遺骨を納めているお寺へお参りに行ってきた。
「遺骨を納めている」と言っても父の遺骨は骨仏になっているので「納めている」のとは少し違うかも知れない。骨仏は沢山の人の遺骨を集めて作られる。父が亡くなったのは2000年のことだが、骨仏が出来たのは一昨年のこと。骨仏が出来た年は出産でバタバタしていて行けず、昨年は娘が乳児で手が掛かり、娘と足の悪い母を連れていくだけの何かと余裕が無く私達家族だけでお参りに行ったのだけど、今年はやっと母を連れていくことが出来た。
骨仏へのお参りは母の心にずっと引っ掛かっていたらしく、とても喜んでいた。親孝行の真似事のようなことが出来て私も嬉しい。
母や義母と接する際「喜んでくれて嬉しい」から何かする…と言うのも本当だけど、それ以上に「何かあった時に後悔しないように」という気持ちの方が大きくなってきているような気がする。母と義母は60代。すぐにどうこう…という年齢ではないけれど、父も義父も亡くなっていることを思えば、そういう心づもりもしておいたに越したことは無いように思う。
お墓やお寺に行くと「亡き人と語らう」よりも、むしろ生きている人を大切しておかなきゃ……という気持ちが込み上げてくる。それは私が心優しい人間だからではなくて、後になって嫌な思いをしたくないからという自分本位な感情だ。それでも何もしないで漠然と過ごすよりも、そういう事を意識して過ごした方がいいんじゃないかと思ったりする。少なくとも、そのことで喜んでくれる人がいるのであれば。
お墓やお寺に出向くのは死者への供養が目的だけど、自分自身と対話する時間を作ると言う意味でも重要なのかも知れない。何にせよ母に父の骨仏のお参りへ連れて行くことが出来て、私も少し肩の荷が下りた。娘も大きくなってきて、連れ出しやすくなっている事だし、母をともなって折々に出向くようにしたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。