白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2008年08月12日(火) いつかの恩返し

昨日は元CADの相棒のお宅へ遊びに行ってきた。

CADの相棒は癌切除の手術後、自宅療養をしていて今日から抗癌剤の投与を始める。「抗癌剤がはじまるまでに会いたいね」と言う話になったので、娘を連れて大阪市内にあるマンションまで遠征など。

掃除と夕食(茄子とひき肉のカレー)の用意を済ませて午前10時半に家を出た。途中、百貨店の地下で和風おこわ弁当と、半熟チーズケーキを買って相棒宅へ。途中、相棒から「北島が金メダル取ったよ」とのメールが入った。

買っていったお弁当とケーキを食べながら色々なことを離した。CADの相棒の抗癌剤治療のことや、医療用のカツラが高かった…と言う話。それに元職場の近況など。半分くらいは真面目な話だったけれど、残り半分はくだらない馬鹿話だった。娘は初めて訪ねるお宅に興奮気味で1人で探検に勤しんでいた。

娘のご機嫌(お昼寝等)の都合もあって午後3時に撤収。「小さい子がいて大変なのに遠いところありがとう」とCADの相棒はいたく恐縮してくれた。帰り際「夫婦2人で食べきれないからおすそわけ」と美しい白桃を戴いた。娘は帰り道、抱っこひもの中で爆睡。暑さがピークの時間帯に、汗をかきかき帰宅した。

ここのところ友人のお見舞いが続いている。本当のことを言うと、この暑い時期に娘を連れて移動するのは億劫だ。なのに頑張って行ってしまうのは純粋に「友人が心配だから」と言う気持ちの他に「いつかの恩返しがしたい」と言う想いがある。

結婚してからと言うもの穏やかな日々を過ごしているが、私にも長く辛い時期があった。

その時は友人達から色々な形で助けてもらった。辛い時に差しのべられた手は、どれほどありがたかったことか……今でも決して忘れてはいない。助けてくれた人に直接恩返しが出来るかと言えば、なかなかそうはいかない。ならば、せめて友人(当時の友人でなくても)がピンチの時は、かつて私がしてもらったように何か友人の助けになりたいなぁ……と思うのだ。

受けた恩や、嬉しかったことを少しでも還元したい。私はきっとこれから先、長生きしたとしても社会の役に立てるようなことはしないと思う。だから、なおのことせるて自分の手の届く範囲のことくらいは……と思うのだ。

抗癌剤治療は副作用がとても辛いと聞く。CADの相棒の抗癌剤治療の副作用が少しでも軽くて済むよう祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2007年08月12日(日) 甘えるという事
2005年08月12日(金) 家で過ごす休日。
2004年08月12日(木) ヲタクの祭典。
2002年08月12日(月) もしも肉親でなかったら。

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