昨夜、自宅の前に救急車が止まった。
「何事だろう?」と家の前に出ると、お向かいのご主人が担架に乗せられて運ばれていくところだった。「意識が無くて様子がおかしいんです」と奥さん。素人目で言うのは、どうかと思うけれど、脳梗塞とか脳血栓といった類のトラブルかなぁ…と言った感じだった。こういう時は、これと言って気の利いた言葉は思いつかないもので「お気をつけて」とお向かいの奥さんが救急車に乗り込むのを見送った。
「大したことが無いといいなぁ」などと思いながら家に入ろうとしたのだけれど、救急車は動く気配が無い。最近、テレビやなにかで救急車が出動してもそれを受け入れてくれる病院が無いことがあると聞いていたけれど、どうやらそそういう状況だったらしい。救急車は20分くらい止まっていただろうか。他人でさえイライラしたのだから、ご家族の思いは察するに余りある。
本当に必要な時に救急車が頼りにならないことの大変さを、昨夜はじめて実感した。
私は過去に何度か救急車のお世話になったことがある。自分自身だったり家族だったり。本当に大変な時、救急車ほど心強いものはない。しかし、それは「迅速に治療が受けられた場合」の話。いくら救急車を呼んでも、医療機関に運んでもらえないのなら何の意味も無い。
救急患者の受け入れが出来ない理由としては、救急医療に従事する医師の不足や、あるいは救急医療を必要としないのに利用してしまう患者がいる事などがあげられる。私も以前母が過呼吸になった際に救急車を呼んでしまったことがある。はじめてのことで過呼吸だと分からずに呼んでしまったのだが、ちゃんと処置さえすれば救急車を呼ぶ必要など無かったと後になって申し訳なく思った。
本当に救急車が必要な時のために、利用者レベルでも意識を高めていかなければならないと思う。自分や家族の健康について知っておくとか、緊急時の処置の仕方等の知識を学んでおくとか。それは社会的な問題への参加……ではなく、自分や自分の大切な人を守ることに繋がっていると思う。私自身、真剣に心掛けたい……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。