白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2008年03月19日(水) 言葉を綴る

まだ、少しヨレヨレ気味だけど少しずつ体調が戻ってきたような気がする。寝込んで以来、娘が寝る時間に私も寝ていたのだけれど、昨日は少し元気になったので娘を寝かしつけてから再び居間に戻ってみた。

しかしながら夫は夜勤。夕食の後片付けも終えてしまっていて、取り立ててする事もない自由な時間。久しぶりにテレビでも観ようかと思ったのだけど、そんな気になれなかったので遠くに住んでいる友人達に春の便りを書いてみることにした。

春を待つ頃にお便りしよう……とて、ポストカードを用意してあったのだけど、なんとなく書きそびれてしまっていた。そうこうしているうちに筆まめな友人から春の便りが舞い込んできて、このままでは、せっかく買ったポストカードを死蔵させてしまいそうだと奮起したのだ。

私は元来「物を書く」ことが好きだけど、私の場合その根底にあるものは日記と手紙(メールでも良いのだけど)に他ならない。日記は相手を必要としないので自由気ままに書けるのだけど、手紙となるとそうはいかない。小さなポストカード1枚に書ける言葉は僅かしかなくて、いつも四苦八苦させられる。そして結局、ありきたりな便りを送ってしまうのだ。

だけど私にはポストカードくらいの容量が丁度良いのかも知れない。たとえば手紙を書くとして「この前、○○を食べた時に、あなたのことを思い出しました。前回お会いした時に一緒に食べましたよね」なんて話を切々と書いてしまうと、相手を困惑させてしまうだろう。手紙は近況報告だけでなく「あなたが好きです」というメッセージが滲み出てしまうものだ。なので最近は相手が手紙好き(メール好き)でない限り、長文の便りは送らないようにしている。

たぶん私は「気持ちを察する」のが苦手なのだと思う。言葉にして伝えたいし、伝えて欲しいと願う。どんなに想いが募っていたところで、言葉にしなければ分からない。自分以外の人間に何かを伝えるのは難しい。それでも懲りずに言葉を綴ってしまうのは伝えたいことが一杯あるからなのだと思う。

今夜も数枚ポストカードにメッセージを書こうと思っている。大好きな友人達に良い春が訪れるよう願いながら。そして、いつかまた会える日を心待ちにするのだ。またしても四苦八苦しながらポストカードと向き合いましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2005年03月19日(土) そして来期に。
2004年03月19日(金) 何もかも、いまさら過ぎる。
2003年03月19日(水) パン食い女×3
2002年03月19日(火) 「気持ちイイ」を追求する。

白蓮 |MAILHP